ポケットの中の喧騒
No.41〜No.50
水門というものを見たことがあるはず。水の流れや量を調整するために用水路などに設置されるものだ。時門は外見は水門をそのまま手のひらサイズにしたものである。しかし時門は水の流れではなく時の流れを調整するためのもので、時門を閉めると時がゆっくりと流れるようになる。つまり同じ時間の長さでも、普段より多くのことができるようになるのだ。宿題がたくさんあるのに時間が足りない、仲の良い友達と長く遊びたい、インターネットを長くやりたい、といったときはとても便利だ。
ところが世の中、時間が長く感じてありがたい人ばかりではない。仕事が早く終わってほしい、渋滞に巻き込まれている、授業中トイレに行きたくなった。こんな状況に置かれている人にとっては、時間の長さは苦痛でしかない。のび太はこれを軽い気持ちで使ったため、そんな人達にとんでもない苦痛を与えた。しずかちゃんはピアノのレッスンが終わらないのでヘトヘトになり、パパは勤務時間が終わらないのでクタクタになり、二時間の草むしりを命じられたドラえもんは庭の草を一本残らずむしり、腰がメリメリいうはめになった。のび太が時門を閉めっぱなしでいねむりしたために、身近だけで大変な被害が出たのだ。さらに、時間の流れかたは全世界で同じである。全世界で人々がクタクタになり、ひどい目にあったのだ。人命に関わる被害も出ただろう。これが全てのび太の仕業とわかれば、のび太はふくろにされただろう。時間は個人のものではない。全ての人に等しく与えられたものだ。その流れを個人的な理由でかえることは、やはり許されないことなのである。
家庭で手軽に迷路遊びが楽しめる道具。ハムスターが中に入って回すあの車輪によく似ていて、車輪を回すと部屋や廊下の組み合わせが変わり、迷路になる。たくさん回すほど迷路は複雑になる。調子に乗ったのび太はホームメイロを一気にガーッと回した。こうしてのび太の家はうんざりするほど長い廊下と、気が遠くなるほどの数の階段と、絶望するほどの数の部屋を持つ大迷宮になった。たかが迷路とあなどったのび太はドラえもんと一緒に出口を探すが、いつまでたっても出口は見つからない。やがてドラえもんともはぐれ、疲労のあまり歩けなくなり、永久に外に出られないのかという絶望感にかられた。まるで八甲田山だ。このピンチは偶然帰ってきたパパがホームメイロを逆回転させたことできりぬけられた。
しかし、本当に恐ろしい。何しろ窓から外に出ればいいと部屋の中から窓に飛び込んでも、部屋のなかに入ってしまうという異常空間。迷路化した家を元に戻す方法は逆回転以外なく、ドラえもんでもどうにもならないという。パパが帰ってこなければのび太とママは自分の家の中でミイラ化した姿で発見されただろう。いや、発見すらされまい。救援に向かう人も文字どおりミイラとりがミイラになる。野比家には「練馬の巨大迷宮」「死のラビリンス」などという通称がつき、世界中にいくつも存在するミステリースポットの仲間入りをすることになただろう。「回しすぎないでください」という注意書きを販売元がつけていなかったら、未来の世界ではそんな悲劇が相次いだに違いない。
未来の世界を描いた映像作品には、数多くの宇宙船が登場する。宇宙戦艦ヤマト、ホワイトベース、マクロス、エンタープライズ号、ディスカバリー号・・・。さて、同じ未来から来たドラえもんが持つ最新鋭宇宙船は・・・あれっ、ない!?なんとドラえもんは宇宙船をもっていないのだ!しかし、考えてみれば当然だ。なししろ「どこでもドア」を持っているのだ。宇宙の果てでもドア一枚くぐればすぐに着くのだ。わざわざ宇宙船などに乗って時間をかけて行く必要はない。事実ドラえもん達が他の星に行くときは必ずといっていいほどどこでもドアを使っている。そんなわけで、ドラえもんの持っている宇宙船と呼べるものはここでとりあげる「宇宙救命ボート」ぐらいである。救命ボートがあるくらいだから、未来の世界でも貨物船や豪華客船のようなものがあり、それに備え付けてあると考えていいだろう。形は円筒形をしていて、窓がいくつもついている。だが、中はいたってシンプル。ボタンが一つついているだけで、あとはなにもない。このボタンを押すと宇宙救命ボートは発射される。さて、どこへ飛ぶのか?なんとそれは、わからないのである。宇宙救命ボートは行き先をランダムに決める。そこに求める条件はただ一つ、生命が生存できること。なんて危険なんだ! 行き先に凶悪宇宙人や宇宙怪獣なんかがいたら余計に危ないじゃないか! 実は、宇宙救命ボートにはワープ機能が付いている。だったら地球にワープすればいいじゃないか! なんのための救命ボートなんだか。しかし、そこは未来の宇宙船。行き先を特定することもできる。行きたい星にある何かをデータポストに入れれば、その何かに残されたデータをもとにボートはその星に向かう。しかしこれも、あまり確実ではないらしい。あてにはできないが、宇宙旅行にでかけるときは必ず何か地球のもの持っていこう。役に立つはずだ。
宇宙で起こった全ての出来事が記録されているというすごい百科事典。そう言ってドラえもんが取り出したのはかなり厚い百科事典だった。しかしかなり厚いとはいえ、こんなものに宇宙の全てが?と思ってしまう。しかし、そうではない。実はこれは百科事典型の端末で、本体はなんと22世紀の宇宙に浮かぶ惑星規模の超巨大CD−ROMだというから驚きだ。大百科を使って何か調べたい人は端末を使ってこの超巨大CD−ROMにアクセスするのだ。スケールがでかい。劇中ではジャイアンの率いる草野球チーム「ジャイアンズ」と隣町のチームとの過去の対戦成績を調べていた。小学生のガキ共のつくった小さな草野球チームの対戦成績まで記録されているのだ。細かい。本当に宇宙の全てが記録されているのだろう。これさえあれば恐竜の絶滅、人類の起源、古代文明、ケネディ暗殺の真相など、歴史上のミステリーはたちどころに解明されてしまうだろう。こんなすごい道具はない。
しかし未来人はこの大百科をつくるのに気の遠くなるような苦労をしただろう。なにしろ宇宙の全てを記録するのだ。タイムマシンであらゆる時代にあらゆる情報を収集する探査ロボットを送り込み、日々送られてくるけた外れに膨大な情報を処理し、記録しなければならない。いくら未来のCD−ROMが超高密度であっても、とても一枚のCD−ROMでは記録しきれない。CD−ROMの数はガンガン増えていっただろう。しかも、この百科事典は宇宙が終わるまで完成することはない。宇宙は日々変わっていくからである。
しかし「大変だなぁ」などと他人事のように思ってはいけない。私もあなたも、この宇宙に住んでいる限り、記録される対象なのだ。そしてあなたについての情報の中には、当然知られては困る情報もある。あなたの体重、病歴、クレジットカードの番号、何回フラれたかetc・・・。しかし未来人は宇宙の全てを記録しようとする野望に燃えているのだ。死力を尽くしてあなたのプライバシーを暴こうと襲いかかってくるに違いない。こうなれば戦いだ。プライバシーを守ろうとするあなたの意地が勝つか、野望にかける未来人の情熱が勝つかだ。注意すべきことはまだある。ドラえもんは20世紀ののび太の部屋で端末を使いデータをプリントアウトしていた。しかし、CD−ROMは22世紀の宇宙に浮かんでいる。ということは、この道具は100年以上の時間を超越した利用ができるのだ。ならば、未来に起こる出来事も知ることができるのではないか。明日の競馬のレース結果も、期末テストの答えも簡単に知ることができる。いいのか、そんなこと許して?このように数々の問題を持つ宇宙完全大百科だが、私にはこの道具を作り出した未来人の野望はよくわかる。人間は常に「知りたい」と思うことからはじめて知識を得て、文明を築いてきた。未来人はそれが極端なのだが、「知りたい」と思うこと自体は人間にとって自然かつ不可欠な行動なのだ。宇宙完全大百科。それはどん欲なまでの人間の知識欲の生み出した、最終形とさえいえるものなのである。
人類は誕生して以来、様々な道具を作り出してきた。石器、鉄器、船、紙、火薬、銃、電信、飛行機、原子爆弾・・・。そして未来になってもその熱は冷めることはなく、それどころかさらに燃え上がった。人はどんな遠くにも瞬時に移動し、時間をも支配し、生命さえ自由に創り出せるようになった。宇宙の全てを知ろうとする大事業にも乗り出した。未来人は全てを極めたといってもよいだろう。しかし人間は常に前に進もうとするものだ。未来人は思ったはずだ。まだ何か残っているはずだ・・・と。そして気付いたのだろう。自分たちがもはや神と同じ力を持っていることを。そして、神になることにした。多少迷いはあっただろう。だが、既に人類は神の領域とよばれるところまで踏み込んでいた。さらに、常に前に進もうとする人類、いや、全ての生命のもつ本能が、神になることをためらっていた人類の背中を押した。「ポケットの中の喧噪」最後を飾る道具、「創世セット」の誕生にはそんな背景があったはずだ。
「創世セット」は劇場版「のび太の創世日記」に登場した道具で、太陽系をそのまま創ることができるというものである。セットは神様シート、コントロールステッキ、宇宙の素、神様の雲とリングで構成される。まず神様シートを広げ、コントロールステッキの先でシートを突くと、穴があく。その中になにもない空間があって、そこに宇宙の素(宇宙を構成する物質)をまき、かきまわすとビッグバンがおこる。そのままかきまわすと小惑星がぶつかりあい、やがて地球をはじめとした惑星が誕生し、そこに生命がうまれ、進化していくのである。そう、まさに人類は神になったのである。なんとスケールの大きな道具だろうか。さらに、宇宙を創る人間次第で様々な世界がうまれるのである。のび太はどうやら現実の地球と同じ歴史を「新世界」にも歩ませたかったらしく、魚を両生類に進化させるために「進化退化放射線元」の進化放射線をユーステノプテロン(現実に両生類の祖先となったといわれる魚)に浴びせた。のび太の思惑通り両生類は誕生して進化し、やがて恐竜、ほ乳類、そして人類が誕生した。だが、進化退化放射線元の放射線を魚と一緒に浴びた生物がいた。昆虫である。そしてそれは人類と平行して進化し、知的生命体になった。そしてついに、二つの知的生命体が出会うときがきた。出来松博士(出来杉君そっくり)の南極探検隊は、飛行船に乗って前回の探検で博士の発見した南極の大穴に入っていった。なんとのび太の創った地球は内部が空洞で、昆虫人類はその中に巨大な国家を築いていた。探検隊に同行していた野美コンツェルン総帥、野美のび秀(のび太そっくりだが、ものすごく優秀な企業経営者)は会談を求める昆虫人の要求に応じ、一人で昆虫国大統領との会談に臨んだ。会談の席、大統領はこれまでに昆虫人の歩んできた苦難の歴史を語り始めた。かつて魚が上陸する以前、地上は昆虫の楽園だった。ところが、魚の上陸(昆虫人は「神のいたずら」と呼ぶ。もちろんのび太のやったこと)後、地上には恐竜がドカドカ走り回り昆虫は地上の支配者の座を追われた。恐竜の絶滅後もほ乳類、そして人類が繁栄し、昆虫はますます住みにくい場所に追われていった。そして地底世界にたどり着き、そこで進化して文明を築いたのである。だが、昆虫人は未だ地上へのあこがれを捨ててはおらず、地上を再び自分たちの手に取り戻すために行動を起こすという。のび秀が命がけで国際連盟を説得し、世界の半分をわたそうというすごい譲歩の提案をしても、大統領は全くとりあわない。人類は戦争を繰り返すような他人と平和に暮らすことの苦手な動物であり、さらに資源をもとめて地底を掘り、安住の地である地底世界の入り口まで発見してしまったからだという。昆虫人の自信は、その優れた科学力にあった。昆虫人はUFOやタイムマシンまでもっていて、火山を爆発させることも可能なのだ。大正時代レベルの文明しかない新世界の人類たちに勝ち目はない。だったら何のために会談など開いたのか。とっとと侵略しはじめればいいのに。とにかく、人類の危機だ。ここでのび太達はこの一触即発の事態を解決しようと行動を開始する。偶然にも大統領の息子、ビタノと出会ったのび太達は、彼を通じ大統領と接触した。自分の子供とも言える二つの知的生命体を争わせたくないのび太の考えた解決法。それは神様シートをもう一枚増やし、そこに昆虫だけの地球を創ったうえでそこに移住してもらう、というこれまたスケールのでかいものだった。元々争いを好まない昆虫人はこの話を快諾し、危機は回避された。こうしてのび太の二つの地球は別々に未来に向かって歩み始めることになった。めでたしめでたし。
しかし、ビタノに「神様です」と紹介されたのび太を見た大統領の心中はいかばかりであったか。なにしろ昆虫類苦難の歴史の始まりとなった「神のいたずら」を「虫ばっかりのせかいなんてつまんない」という理由で引き起こしたヤツが目の前にいるのだ。私だったらなぐりかかっていただろう。のび太を許し、さらに立ち退きを迫られてもそれに応じた昆虫人は人類などよりはるかに大人だ。さらに、昆虫人ばかりでない。人類も昆虫人も、自分たちがのび太に創られたことを知ったのだ。あのどうしようもないのび太に、である。たとえ事実でも、容易に認められるものではない。自分がのび太に創られたものだと知ったら、あなたどうします?
さらにとんでもないことに、「創世セット」は未来デパートの「夏休み宿題コーナー」で売られているのだ!こうなるとさらに絶望にかられる。劇中でのび太はそのことを昆虫人には言っていなかったが、自分たちが自由研究のためにつくられ、つまりアサガオやカブトムシと同じレベルだと知ったら、彼らは完全に生きる気力を失っただろう。
だが、他人事だと思ってはいけない。考えてみてほしい。今私たちが生きているこの世界だって、もしかしたら誰かの自由研究のために生み出されたものかもしれないのだ。自分たちは誰のものでもない、と胸を張って言える人は、この道具の発明でいなくなった。それはむろん、「創世セット」を発明した未来人もまた同じこと。未来人は全てを極めたと信じてこの道具を作った。ところがこの道具は「この世界とは、私達とは」というソクラテスの昔からの根本的な疑問を未来人にぶつける結果になってしまった。未来人はこう思っただろう。「自分たちは一体今まで何をしてきたのだろう」と。しかし、私は思うにこれは転機だと思う。未来人は確かに力こそ神にも劣らないが、精神は未熟だ。だから、これまで紹介してきたようなメチャクチャな道具を作り出してきたのだ。しかし、この道具が未来人にそれまで欠けていた哲学的思索の機会を与え、なおかつ未来人がそれをいかしていけば、人類は力だけでなく精神的にも神に近づけるのではないか。そしてその時こそ、真に自分たちの世界に役に立つ道具を作り出せるのではないだろうか。 未来人の発明は「創世セット」をもって一つの完結をみた。そして同時に、それは始まりでもある。果たして未来人はどのような道を歩んでゆくのか。それがすばらしいものであることを願いながら、「ポケットの中の喧噪」を終えるとする。