No.66 エスキモーエキス

 時にのび太達は、私たちが子供の頃にはやらなかったような遊びをすることがある。その一例として、エイプリルフールがあるだろう。4月1日、年に一度だけうそをついてもいいというこの日に、ジャイアン達はこぞってのび太をだまそうとし、その日一日中のび太は疑心暗鬼の塊のようになるのである。私が彼らぐらいの年には、そんな遊びはしていなかったなあ。もう一つが、がまん大会である。暑い部屋に厚着をしてじっとして、がまんしているというアレだ。実に健康に悪い。当然ながら、私が彼らぐらいの頃はそんなことはやっていない。そもそもこれって、本当にやった人はいるんだろうか? がまん大会というものの概要についてはよく知っているが、これをやった人というのはあまり見かけない。口裂け女や人面犬のように、一種の都市伝説なのだろうか?

 それはともかく、あるときジャイアンがこれをやろうと言い出した。彼のお父さんが、「何枚も厚着して暖房を入れた部屋で熱いうどんを食べる」というがまん大会をしていたらしい。さすが、この子あってこの父あり。彼も結構向こう見ずな性格だったようだ。そしてジャイアンは「昔の人間に負けてたまるか」という妙な対抗意識をだして、これを俺達もやろうと言い出したのだ。寒さにも暑さにも弱い男、のび太は大慌てで家に戻り、ドラえもんにそのことを話した。そしてドラえもんは、「エスキモーエキス」という道具を出したのである。

 「エスキモーエキス」は、ほ乳瓶のような容器にはいった液体である。面白いことに、その瓶のなかの液体の中で雪が降っている。そしてこれを飲んで「あつい」と一言言う毎に、気温が三度低く感じられるという道具である。ただし、一度「あつい」といって下げてしまった気温をあげることはできず、下げすぎて寒くなってしまった場合は厚着をして過ごすしかない。

 この道具、まず気になるのはその名前だ。名前通りに受け取れば、この道具は「エスキモー」の「エキス」ということになる。エスキモーとはアジア東北端から極北アメリカ・グリーンランドにかけて住んでいる人々で、いまでは彼ら自身が自分達が名乗るときの「イヌイット」という名前で呼ばれている。アザラシ猟やカリブー猟を行い、季節移動をしながら生活している。一方エキスとは、辞書を引いてみると「薬物・食物の有効成分だけを取り出し、濃縮したもの。 用例・梅肉エキス」とあった。つまり額面通りに受け取るとこの道具は「イヌイットの人たちの有効成分を取り出し、濃縮したもの」ということになってしまう。これはまずい。イヌイットの人たちに注射をしては体液をしぼり取り、その中から有効成分を取り出して濃縮するという残酷な製法で作られたことになってしまうし、いくらなんでもそんな非人道的な方法で作られたものではなかろう。第一、本当にイヌイットの人たちのエキスだったとしても、劇中で描かれているような特殊な作用のあるはずがない。イヌイットの人たちは我々日本人やほかの人種となんら変わりはないのだから、もしそうだとすれば我々の体液からもそんな成分がとれるはずである。となれば、これは額面通りのものではないだろう。「エキス」という名称にはたぶん偽りはないはずなので、これはどこか別の星の生物から抽出したものなのだろう。

 さて、がまん大会は始まった。ご丁寧にも西日のさしこむ部屋を閉め切って会場のセッティングをしておいたジャイアン。さっそく始まるが、のび太をのぞく参加者達は当然「暑い」を連発。のび太はそれによってさらに寒くなったのを感じた。自分が暑いと言わなくても周りがそう言えば温度が下がるらしい。現在のび太の体感温度は零下2度。のび太はたまらず「ストーブが欲しい」と要求して他の参加者を驚愕させたうえ、暑いというごとに罰金十円という規則を作ってこれ以上温度を下げないようにした。それからしばらくし、ついにスネ夫がリタイア。わけのわからない言葉を叫びつつやけくそになりながら罰金をたたきつけ、服を脱ぎ始めた。つづいてジャイアンもリタイアし、裸に・・・。そしてのび太だけケロッとしているのはおかしいと彼にのしかかり、秘密を白状させた。まったく、全裸のむさくるしい男にのしかかられるなんて、考えただけでも嫌になる。なぜ全裸になる必要性があるのだ。しずかちゃんだっているのだし、パンツぐらいはくのがエチケットというものだろう(彼らが全裸になったあと、彼女は何もいわずにその場に背を向けて去っていった)。さて、「エスキモーエキス」を取り上げた彼らは早速使ってみることにし、「暑い」と6回連発。この日の気温は31度らしいから、18度下がって13度ということになる。涼しいというには寒すぎじゃないだろうか。しかし彼らは「スーッとしていい気持ち」と快適そう。どこかの神経が間違っていなければいいが。しかしその直後、ジャイアンの母ちゃんが暑い中買い物から帰宅し、「外はもう暑い暑い暑い暑い・・・」と「暑い」のオンパレード。ジャイアンとスネ夫はこれをやめさせる時間もなく、不可解なことに母ちゃんの見ている前でギーンと氷漬けになってしまったのだった。

 実に不可解な作用だが、かつてこのコーナーで取り上げた道具に似たような作用をもつものがあった。体に塗ると暑さを寒く感じ、寒さを暑く感じるクリーム、「あべこべクリーム」である。エスキモーエキスとこの道具とは作用が似通っているばかりか、使った者が最後に氷漬けになるというオチまで一緒なのである。これはもう、次のように考えるしかない。エスキモーエキスとあべこべクリームをつくった企業は同じであり、エスキモーエキスはあべこべクリームの簡易型なのだ。つまり、暑いときにだけ寒く感じられるように機能を限定したうえ、クリームタイプからドリンクタイプに変更したと考えるのが妥当だろう。商売の着眼点としてはいいが、あべこべクリームの欠点を改良もせずに簡易型を売り出すというのも考え物である。

No.67 たましいふきこみ銃


 秘密道具は数あれど、この道具ほど卑怯かつ恐ろしいものはないのではないか、と、私は思う。

 この道具の名前がそのままタイトル名になっている話。それは次のような場面から始まっている。のび太が自分とジャイアンの人形を作って人形劇をしている。

ジャ「許して」

の「許さない! お前のような、欲張りの意地悪の悪者は、徹底的にやっつける」

(人形のび太、人形ジャイアンを追い回す)

ジャ「あれえ、助けてえ」

(人形のび太、人形ジャイアンをつかまえて叩く)

の「このやろ〜、このやろ〜」

 そこにドラえもんが帰宅した。彼がなぜそのような人形劇をしていたか聞かれて、のび太はまたジャイアンにいじめられ、あんまり悔しいから人形をつくって・・・と泣きながら説明した。・・・末期症状である。ジャイアンもここまでやらせるほどよくいじめたものだ。おとなしい奴ほどキレると何をするかわかったもんじゃない。そろそろやめておかないと、その内背後からナイフでグサリ、とか、遺書に名前を書かれて自殺されたり、一生を棒に振るようなことになりかねない。

 そんな彼を見て、ドラえもんは「ほんとはこういうものを使うのは感心しないんだけど・・・あんまり惨めだから貸してやる」と、同情ではなく憐れみの感情からこの道具を貸してあげた。この銃は引き金がついていないかわりに、ラッパの吹き口のようなものがついている。これに口をつけて銃を相手に向け、プッと吹くと自分の魂を相手に吹き込めるのである。吹き込まれた相手は、先ほどの憎悪のこもった人形劇の人形のように、魂を吹き込んだ者によって自由にあやつられるのだ。

 まず、彼はママを相手に試すことに。魂を吹き込まれたママはのび太の思うとおりに動かされるが、慣れるまでは少し難しく、頭をタンスにぶつけたりする。さらには「のびちゃんてな〜んていい子なんでしょ」などとセリフまでしゃべらせた。その後のび太は吹き口から魂を吸い込み、元に戻した。

 さて、ジャイアンへの復讐のため、彼は街へと繰り出した。しかし、こんなときに限って彼は見つからない。しずかちゃんに彼を見なかったかのび太は尋ねたが、その時にいいことを思いついた。彼女に魂を吹き込み、思いのままに動かし始めたのである。

「のび太さん素敵」

「いやあ、それほどでも」

「大好き! 愛してる!!」

「僕だって」

「お嫁さんにしてちょうだい!」

「いいとも!」

「うれしいなったらうれしいな!」

「喜んでくれて僕もうれしい」

 これらが全て一人芝居なのである。むなしい・・・。普通の人ならやったとしても途中でむなしさと後悔の念にかられ、やめてしまうだろうがのび太はしごく満足そう。こんなことで自己の欲求を満たすなんて、本当に味気ない話だ。

 彼女を元に戻したあと、再びジャイアンを探すのび太。しかし、彼は見つからない。空き地の前を通りかかったとき、おもちゃの飛行機が頭にぶつかってきた。そこへ持ち主のスネ夫がやってくる。

「バーカ、どこ見て歩いてるんだ。飛行機が壊れたらどうするんだ、ノロマ」

 たったこれだけのことでずいぶんな言いようである。この瞬間、スネ夫の運命は決まった。のび太に魂を吹き込まれ、ブードゥーの呪術師によって思いのままに使役されるゾンビのようになったのである。まず手始めに、のび太は彼に自分で自分の頭をさんざん叩かせた。そして、ジャイアンを探すように命令した。

「ハハーッ、のび太様のおっしゃることならなんでも聞きます」

と彼にひれ伏すスネ夫を見て、のび太は「よしよし」と満足そうに笑った。どんなに歩いても疲れるのはスネ夫の体。のび太は土管の上で寝転がりながら彼をまった。そして、ついにジャイアンを見つけ、空き地まで連れてこさせる。彼はまずスネ夫の中の魂を抜いて、それをジャイアンに吹き込んで、思う存分ののしった。

「やいジャイアン! お前は欲張りで意地悪でけちんぼでピーマンで(?)、」

 「殺されるぞ」と慌てるスネ夫だったが、ジャイアンはひれ伏して「その通りです、許して下さい」 あとは言うまでもない。憎しみの人形劇の再現である。ただ違ったのは、彼が復讐を終えたあと元に戻り、わけのわからないジャイアンを見て、スネ夫が「ジャイアンてこんなに弱かったのか」と勝手に判断し、彼をけとばしたことである。

「ギャー」「ごめんよお」「ゆるしてえ」

 復讐を終え、ドラ焼きを食べるドラえもんとともにマンガを読みながらおだやかな午後を楽しむのび太の耳に、そんな悲鳴がどこからか聞こえてきた。彼はそれがなにかわからなかったが、それがなんであるか知ったところで自業自得というものである。知ったことか。

 こんな道具が実際に発明されたらどうなるかは、私がここで述べるまでもなくみなさんにも容易に想像がつくことであろう。モラルもへったくれもなく、この道具の使用を思いとどまらせるようなものはないだろう。あるとするならば、劇中のび太がしずかちゃんに対して行った行為のように、これによって何かをさせて得られた満足感は、賢明な人にとってはそれが極めてむなしく、心の空虚さを広げるだけのものだと痛感させることぐらいである。

No.68 ぐ〜たらお正月セット


 やる気のなさが名前からにじみ出ているような道具だ。ただ「ぐうたら」ではなく、「ぐ〜たら」なのだから。「〜」の分だけやる気のなさ倍増である。

 元日。ドラえもんはまだ暗いうちからのび太を起こした。たまには初日の出というものをみたいから起こしてくれとたのまれていたのだ。だがのび太は「そう言われれば・・・そんな気がする・・・。でもそんなこと真に受けられちゃ困るなあ。僕がどんな人間か知ってるだろ」などと言って布団に潜ろうとする。

 「せめて元旦ぐらい、誰にもわずらわされず、布団の中でウツラウツラと過ごしたい。しかし一方では人並みに正月らしいことしたいな、とも思うんだ」などとのたまう。この男のぐうたらぶりにはいつもあきれさせられ、もう何を言おうとあきれまいと思うのだが、この男はその上を行くぐうたらぶりを発揮する。「一年の計は元旦にあり」というが、その元旦がこうであればこの男がろくな一年を過ごせないのも当然と言える。もうどうしようもない。ドラえもんもあきれ果て、名前からしてやる気のないこの道具を出すと、押入に戻ってしまった。

 「ぐ〜たらお正月セット」は「賀正」と大きく書かれたボストンバッグの中に、のび太のようなどうしようもない連中の願いを叶えるためのものがいろいろ入っている。彼はまず、「人払いごへい」を飾った。御幣とは神社で神主がお祓いをするときに使う、あの独特の形をした神を細長い棒の先に垂らしたものである。これはそのミニチュア版で、床にさしておけば誰もくることがない。周りの人の意識からのび太の存在が忘れ去られるのである。これを刺してから再び眠りについたのび太が目覚めたのは午後1時。起きた彼は「初日の出ジオラマ」で、小さな初日の出を見た。その後は「スーパーインスタントお雑煮」と「おせちボックス」を食べ、横になった。家族がどうなったか気になった彼が下に降りて様子をうかがうと、彼のことなど忘れてテレビを見ながら笑っていた。そして彼が上に上がると、いろいろな年始の客が訪れ始めた。お年玉をもらい損ねる心配はない。「自動振り込みお年玉通帳」で、もらえるはずのお年玉は自動的に入金されるのだ。窓の外にはたくさんの凧が舞っている。彼はそれを見て、「おざしきだこ」を始めた。小さな凧を、頭につけたプロペラからの風で飛ばせる。しかし、さすがに誰かが遊びに来てくれないかと思っていたが、そこへしずかちゃんがやってきた。ところが、「人払いごへい」の力で彼女は帰ってしまう。彼は「一人遊びマシーン」を出した。トランプやボードゲームなどの相手をしてくれるロボットで、適当に負け、適当に勝ってくれる。なにか物足りなさを感じるのび太。「全チャンネルかべかけテレビ」で全てのチャンネルの番組を見るが、疲れてしまった。窓の外を見ると、もう暗くなり始めている。取り返しのつかないことをしてしまったような気になり、彼は寂しさに泣き叫び始めた。そこへやってきたドラえもんは「ふりだしにもどる」を使って、時間を今日の初日の出前まで戻した。窓からは新しい年の始まりを告げる光が射し込み・・・。

 現代は人と人とのつながりが薄いと言われているが、そんな時代にあっても正月とクリスマス・イブは誰かと共に祝いたいものである。そんな大切な日をこのような道具で無為に過ごしてしまっては、のび太のように耐えきれないほどのむなしさと寂寥感を味わうことになるだろう。このセットの中で特にむなしいのは、「おざしきだこ」と「一人遊びマシーン」だ。「おざしきだこ」は見るからにむなしいし、「一人遊びマシーン」など、名前からして悲しいではないか。ただ、もしかしたらこの道具は、人間同士のつながりをなんとかつなぎ止めようとする人々の意志の現れなのかもしれない。この道具でむなしさを味わった者は、もう二度と一人きりで正月をすごそうなどとは考えないはずだ。ドラえもんがこの道具をのび太に与えたのも、そういう考えがあったからかもしれない。もしそうだとすれば、この道具の中に未来人の人間らしい一面をかいま見ることができ、家族と共に今と変わらぬ楽しいお正月をすごしている未来人の姿を想像でき、未来にもう少し希望を抱いてもいいんじゃないかという気になってくるかもしれない。

No.69 ムリヤリキャッシュカード


 いまさら言うまでもないことだが、現代は様々な危険に満ちている。交通事故やら少年犯罪やら麻薬密売やら・・・。その中でも特に恐ろしいものは、カード犯罪だと私は考えているのだが・・・。

 ジャイアンに貸した50円の返済を頼むのび太。しかし、自らの力がどの程度かもわからず、ひたすら自分がお山の大将だと思っている、まさに「井の中の蛙」というにふさわしいあの男が返してくれるはずもない。困り果てたのび太に、ドラえもんは「ムリヤリキャッシュカード」を貸した。中央に丸い穴、右下に黒い点がついている。使い方はこうだ。まず、黒い点を押しながら4ケタの暗証番号を吹き込む。次に、借金を取り立てたい相手を穴からのぞく。そして金額と前もって設定した暗証番号とを言えば、カードから金が出てくる。くせ者なのは、暗証番号。この暗証番号は、カードを使われる側、つまり金を取られる側が設定したものではなく、使う側、つまり金を取る側が勝手に設定したものなのだ。普通銀行のカードなどの暗証番号は、言うまでもなく誰かにカードを盗まれても使われないように、もう一つの鍵として存在しているものである。ところがこのカードの暗証番号は、そんなものではない。例えるならば家に帰ってきた時に言う「ただいま」という言葉のようなものである。言わなくても別にかまわないのだが、慣例として言うことになっている言葉。そういうものである。暗証番号は他人からいわれのない借金を取られることを防ぐためのものではなく、「ただいま」と言うような慣例的なもので、それを使う者の手を少しわずらわせるくらいの力しかない。結果、このカードを手にしたものの思うがままに金をむしりとられることになる。なんという恐ろしい道具だろうか。仮に、反対に暗証番号を使われる側が設定できるとしても同じことだ。使われる側は普段我々がそうしないように、暗証番号を決して教えようとはしない。教えたら最後、好きなだけ金をむしりとられる。

 さて、のび太は暗証番号を設定し、空き地にいるジャイアンから金取り立てようと出発した。だが悲しいかな、彼は我々が思っていたよりもはるかに物覚えが悪かった。穴からジャイアンをのぞき、要求する金額を口にするところまではいったが、ほんの少し前に設定した4ケタの数字がなかなか思い出せず、もたもたしているうちにジャイアンにみつかり、逃げ帰ってきた。暗証番号のような重要な数字をなぜ忘れるのか。歩いている途中で目に入った店の名前などは忘れるかもしれないが、暗証番号である。常人では考えられない、神がかり的な忘却力のなせる業としか言えないだろう。あきれたドラえもんは、覚えやすい数字でやりなおせとアドバイスをする。しかし悲しいかな、彼もまた、のび太に負けず劣らず愚かであった。その一例として、彼の誕生日を挙げたのである。この文章を見ている人は、当然パソコンの画面を通して見ているのだと思う。パソコンを扱っている人の常識として、「容易に推測されるおそれのあるパスワードは設定しない」というものがある。コンピュータ犯罪の王道は、なんらかの方法で誰かのパスワードを入手したり推測したりして手に入れ、本人になりすましてシステムに進入し、思いのままに操作するというものである。多くのコンピュータシステムでは、それを使うユーザーが本人であるかどうかを判別するのは本人が設定したパスワードだけである。したがって、これを本人でない誰かが入手すれば、好きなだけ本人のふりをして暴れ回ることができる。鉄人28号の操縦機を盗まれたようなものだ。だから、ユーザーは絶対にこれを知られてはならない。ところがそれにもかかわらず、かなりの人がそれに対して無頓着である。複雑なパスワードをいちいち入力するのが面倒くさいと、簡単で覚えやすいパスワードをつけてしまうのだ。そしてその代表的なものが、自分の誕生日なのである。これほどクラッカーにとって容易に推測できるパスワードはない。そんなパスワードを使う人は、クラッカーにとっては絶好のカモなのである・・・とまあ、こんなことはあなた方パソコンユーザーには基礎の基礎で言うまでもないことだろう。ところが未来から来たネコ型ロボットは、そんなことをまるで知らなかったらしい。嘆かわしいことである。さて、のび太はこの暗証番号でお金の取り立てに成功する。気分も晴れて本屋にマンガを買いに行くが、一難去ってまた一難。スネ夫に取り立ての現場を見られており、カードを貸してくれないとジャイアンにそのことをばらすぞと迫られた。ゆすられるかっこうになったのである。これまでの銃刀法違反(「無敵砲台」参照)、所得税法違反(「税金鳥」参照)に続き、こんどは恐喝である。小学4年からこれほどまでに悪事を重ねている彼の将来がものすごく心配だ。こういうとき大人ならばその場でカードを燃やすなりビリビリにちぎるなりして証拠を隠滅し、「ジャイアンにさわってもいないのにどうして金を取り立てられるのですか?」と開き直ることができる。だが悲しいかな、のび太にはそんな知恵はなかった。一応カードを渡す。だが、当然暗証番号は教えない。しかしスネ夫はのび太の頭の程度から、誕生日が暗証番号だということを見事に当て、貸してもいない千円を取り立ててしまった。だから誕生日はいかんというのに。だが、これで暗証番号の意味がわかった。たしかに暗証番号は銀行のカード暗証番号と同じく、使う本人を守るためのものである。間違ってカードが盗まれた場合などに、本人から勝手に金を取られないようにするための安全装置だ。だが、違うのはそのカードを使って引き出すのが自分の金か他人の金かということで・・・。

 さて、のび太は不思議に思った。一円も持っていない自分からスネ夫が千円を取ることができた。これはどういう意味だろう。そして悲しいかな、実に彼らしい解釈をした。「これならいくら出されたって一円も損しないわけだ」 カードを打ち出の小槌と思いこんだ彼は、しずかちゃんに頼んで自分から8千円とりたててもらい、彼女に千円をあげて残りをもらった。だが、喜びながら走り出してすぐに、自分の解釈がどれだけ都合のいいものだったか、そして世の中にうまい話など絶対にないという事実を思い知らされることになった。ジャイアンが歩いていて、百円を拾った。当然彼はよろこんだが、その目の前で百円玉が五十円玉に変わってしまった。嫌な予感を味わいつつ、家に帰ってそのことをドラえもんに話す。すると、彼はこう答えた。

「あのカードは相手にお金がないときには、未来の収入を先取りするんだ。つまり消えた五十円は、のび太が受け取った五十円だよ」

「すると! さっきだした八千円は!?」

その言葉が終わらないうちに机の引き出しが開き、何かが大勢現れた。

「おかげでず〜っと小遣いが消えちゃうんだぞ!」

 タイムマシンでやって来た一ヶ月後ののび太、二ヶ月後ののび太、三ヶ月後ののび太・・・が次々に現れた。見た限り、6人もののび太が過去の自分に文句をぶつけに来て、引き出しの口でもみくちゃになっている。しかし、たかが五十円を大金と言っていた彼である。毎月の小遣いの額など、たかがしれている。となれば、この時から数えて8千円分もの小遣いをもらえるときはかなり先の話だろう。引き出しから次々に出てくるのび太の数は、こんなものではないはずだ。

 4ケタの数字を忘れたり、誕生日を暗証番号にしたり、うまい話にとびついたりと、このカードを作った未来世界もさることながら、のび太の将来が本当に心配だ。このままの状態で大人になったりでもしたら、せっかく銀行に預金をしても誰かに暗証番号を見抜かれ、ごそっと持っていかれることになりかねない。誰か彼にこの世知辛い世の中を渡っていけるこすっからい人間になるための知識を教えてほしいが、残念ながら暗証番号を誕生日にするように薦めるようなネコ型ロボットでは、その役はつとまりそうにない。まあ、そうあせることもないだろう。彼に向上する意志が少しでもあるならば、いずれは痛い目にあいながらそういうことは学んでいけるだろう。世の中には他人を出し抜き、だましながらのし上がっていこうとする輩が腐るほどいるのだから。案外、そういう人物は身近にいるかもしれない。例えば、鋭角と直線だけで構成されたような顔をもつ、狐によく似た男とか・・・。

No.70 動物変身恩返し薬


 「鶴の恩返し」の絵本を読みながら、のび太は言った。「いいなあ、昔の人は夢があって。ま、僕だって夢と現実をごっちゃにするほど幼稚じゃないけど・・・。動物は好きだから助けたりすることもあるのに・・・」遠回しに何かをねだっているようだ。何が言いたいんだとドラえもんが言うと、あの童話のように、助けた動物がかわいい女の子になって恩返しに来る、なんていう道具が欲しいらしい。

 のび太が動物に対して優しいというのは本当である。捨て犬や捨て猫は言うにおよばず、時にはモアやドードーのような絶滅した動物を助けたことまである。

 ところが、ドラえもんは持っていた。「動物変身恩返し薬」という、そのまんまの道具を。なにかひどい目に遭っている動物を助けた後すぐにこの容器のなかの薬を一滴かけると、動物が女の子になって恩返しに来るというものである。ちなみに、いじめたりしたあとでかけても同じようにやっては来る。しかしもちろんその目的は、恩返しではなく仕返しだが。

 さて、二人がそれをもって歩いていると、空き地の木に子犬がしばりつけられていた。ドラえもんはすぐに縄をほどき、助けてすぐに薬をふりかけた。その後、部屋でまっているとかわいい女の子が尋ねてきた。彼女を部屋にあがらせたが、まだ何もする気配がない。当然ながら、恩返しができるときに恩返しするのである。ドラえもんはその時を気長に待とうと押入にしまってあったどら焼きをたべようとするが、見あたらない。のび太が隠していたのだ。しかし、そのとき女の子が動き出した。鼻をかぎながら本棚の引き出しのなかに隠してあったドラ焼きを探し、恩返しを果たしたのだ。そして、女の子はもとの子犬の姿に戻って去っていった。

 さて、効果を確認したのび太はかわいそうな動物はいないかと外へ出た。早速、ゴミバケツに閉じこめられていた泥棒ネコを見つけ、薬を振りかける。しかし、やってきた泥棒ネコの変身した女の子はあまりかわいくなく、来た早々金魚を食べようとしたり、寝てばかりいたりでどうも感じがよくない。そのうち、ママがのび太を叱りにきた。何が理由かはこの際問題ではない。だが、ネコにとってはこの時が恩返しのチャンスだった。爪を立ててママの顔をバリバリとひっかいてしまったのだ。当然ママは激怒し、巻き添えを食らってのび太まで家から逃げ出さなければならなくなった。「あれが恩返しか!! なおさらママをおこらしちゃったじゃないか!!」ドラえもんはそんな彼に「よく相手を見て使わないからだ」と言う。しかしのび太はなぜか逆ギレし、「こんな薬なんか!!」と、ドラえもんの持っていた容器を地面にたたきつけ、どこかへ行ってしまった。しかし、その時のび太は気がつかなかった。容器から流れ出た薬で、アリが溺れそうになったことを・・・。

 空き地の土管に座り、頭をかかえるのび太。ママを怒らせてしまっては、家には帰れない。そのとき、空き地にどことなくアリを思わせる女の子が四人現れた。のび太がなんだなんだと見ていると、彼女たちはのび太を持ち上げて運び出してしまった。そのままのび太を運んだ末、彼女たちはのび太を街のどぶ川に橋の上から投げ込んでしまった。

 気の毒な男である。日頃動物を助けているのは事実なのに、こういうときに限って動物を助けてろくな目に遭わないとは、不運もいいところだろう。どこか悪いところがあったとすれば、それは恩返しを期待したところか。童話を見ていると動物を助けて恩返しをされた人というのは、恩返しを期待して助けたわけではない人が全てだ。鶴を助けた与ひょうは、その鶴が機織りをしてくれるとは思っていなかったし、浦島太郎は助けた亀が自分を竜宮城へと連れていってくれるなどとは夢にも思わなかっただろう。「舌切り雀」で雀を助けたおじいさんもそうだ。動物からの恩返しは、純粋無垢な心で動物を助けた者のみに与えられるのだろう。見返りを期待するような心の汚れた輩には与えられないのだ。なんともためになる話ではないか。日本の童話にこんなにも動物愛護の精神を説いた話が多いとは、世界に誇れることではないだろうか。

 そもそも、恩返し目当てに動物を助けるという心がけが気にいらない。落ちていた財布を、中身の一割目当てに交番に届けるのとは違うのだ。そもそも、困っている動物などそうそういるだろうか。罠にかかった鶴など見かけたことがないし、子供にいじめられている亀を助けたところで竜宮城へ連れていってもらえるとは限らない。そのたぐいの話でもっとも最近聞いたものは、ずいぶん前になるが矢の刺さったカモくらいか。これなら恩返しは期待できるが、カモが女の子になってやってきてもあまりうれしくない。漁師の網にかかったサメも、見方によってはかわいそうな動物だが、こんなものを助けたらどんな女がどんな恩返しをしにくるか、わかったもんじゃない。というわけで、この道具は現代では使いどころが難しい。まあ広い意味で言えば、かわいそうな動物など探すまでもない。なにしろ、家畜を除く全ての動物がヒトという生き物のために苦しめられているのだ。住みかを開発のために追われる。家畜を襲うからと駆除される。有害な廃棄物を海に垂れ流しにされる。食料にするため乱獲される。珍しい動物だからと密猟の対象になったり、檻に入れられて見せ物にされる。いまや全ての動物がなんらかの理由でヒトによって苦しめられ、そしてヒトを憎んでいるのだ。それによって絶滅した、絶滅に瀕している動物は数知れない。とてもつぐないきれる罪ではない。こんな相手に、どうして恩返しなど期待できるだろう。家を取り上げ、全財産を奪い、恋人まで奪った相手が金を貸してくれと言ってきてどうぞと差し出すお人好しはいない。あなたが例え野良犬を助けたとしても、それはあくまで一時の恩。彼にはそんなものではつぐないきれないつもりつもった恨みがあるのである。そんな相手にこの薬をかけたりしたら、たちまちかみついてくるだろう。恩返しを期待するのは勝手だが、期待できないことを忘れないでいてほしい。動物達がそれまでの恨みを忘れ、こころよく恩返しをしてくれるようにするためには、どれだけの罪をつぐなえばいいのやら。きっと全人類が死んでもおわびできまい。

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