No.76 わすれとんかち


 記憶喪失という病気がある。自分が誰なのか、どこに住んでいて、どんな生活を送っていたのか、ほとんどの記憶を失ってしまう一種の病気である。何か強烈なショックを受けた人がこのような症状におちいると言われているが、現実に起こることはまれである。しかし小説やTVなどでは、登場人物の過去に謎を持たせるというための手法として便利らしく、頻繁に記憶喪失の人物が登場する。そして、「ドラえもん」の世界にもまた、記憶喪失の男が一人現れた・・・。

 ある日のび太達がスネ夫の家で将棋を指して遊んでいると、スネ夫のママの怒鳴り声がした後で一人の男がヌッと入ってきた。ママの話によるとこの男、記憶喪失らしく、ここらの家々を一軒ずつ回っているらしい。役に立たない者は切り捨てるのが骨川家の掟であるためにこの男は外へ追い出されるが、昨日から何も食べていないらしく地面にへたり込んでしまう。そんな男を気の毒に思ったのび太とドラえもんは男を家に連れて帰り、食事を食べさせてあげた。食後、のび太はドラえもんになんとかならないか相談する。そこでドラえもんは「よし、あれを使うか」と言ってすっくと立ち上がるが、「いや、あれは危ない。やめとこう」とすぐに座り込んでしまう。もう一度同じ事をして、いい加減のび太もうんざりし、「いったい何を言ってんだ」と叫ぶ。「じつはこれなんだ」と言って、ドラえもんは一本の大きなハンマーを取りだした。

 彼曰く、「ものを覚えるということを例えれば、頭の中の引き出しにものをしまいこむのと同じだ。それを忘れたということは、しまっといたものがなくなったんじゃなくて、引き出しが開かなくなっただけのことさ」。そして、このとんかちで頭を叩けばそのなくした記憶が飛び出してくるというのである。これが有名な「F氏の記憶引き出し理論」である。この理論はおおむね正しいが、実際には人間は記憶した情報のうちいらなくなったものを、いらなくなったファイルをゴミ箱に捨てるように適宜忘れているため、忘れた記憶の中には本当になくなってしまったものも存在する。まあ、そんなことはこのさいどうでもいい。「やろうやろう」と手放しで喜ぶのび太だが、そんな彼におそろしいことをドラえもんは語る。「ところがね・・・、やりそこなうと、よけいにおかしくなっちゃうこともあるんだ」アブねえ! 物騒な話である。「やってみる?」とのび太は男に尋ねるが、当然男は怖いと拒絶。しかし「じゃやめる」とのび太が言うと、男も「でもこのままじゃ困る」 結局もめた末、不幸なことにやってみる方向へ話は進んでいってしまう。

 記念すべき一発目。ドラえもんが男の頭をハンマーで叩くと、男の目からパッと光が出て、映写機のようにふすまに何かの映像を映し始めた。しかし、映ったのは先ほど男が食べたごはん。もっと前のことを思い出さなければと、やり直し。続けてハンマーで叩いて映し出された映像は、衝撃的なものだった。なんと映像の中の男は、東京タワーから真っ逆様に落ちていたのである。「東京タワーから落ちたのだ」「そのショックで記憶を・・・」「よく死ななかったね」と、率直な感想をもらす3人。さらに前のことを思い出そうとハンマーを叩くが、映像の中の男は車に轢き逃げされたり、日本刀で斬られて血しぶきを出したり、ろくな目に遭っていない。死んでいないのが不思議なくらいだ。いったい彼の正体は何者か、いやがうえにも気になってくる。今度は住んでいた家を思い出すように言ってハンマーを叩くと、なんと映し出されたのは日本式のお城。さらにもう一度叩くと、映像の中の男は札束の山の上に座って金勘定をしている。信じがたい光景だが、以上の結果からドラえもんはこう推察した。彼はお城みたいな屋敷に住んでいる大金持ちで、いつも悪者に狙われているのだ、と。確かにそう推測しても無理はない。男まですっかりその気になって、「僕の家見つけてくれたら百万円あげる」などと言い始めたので、さっそくドラえもんとのび太は彼の家を探し始め、友達からも情報収集を始めた。その話を耳にしたのがスネ夫で、すっかり自分を金持ちだと思いこみ、ハンマーを持って外へ食事に出た男を家に連れ帰り、恩を売ろうと寿司の上、カツ丼の上、うな重の上、さらにはお茶やおしぼりの上と、先ほどとはうって変わった歓待ぶりを発揮する。食事が終わると、骨川母子は男が住んでいたお城のような家はどんなものか見てみたいと言い出したため、男はその求めに応じて自分で自分の頭を叩いてみせた。しかし映し出されたのはさきほどのお城のような家ではなく、普通の家。こんなはずではともう一度叩いてみるが、映し出されたのは蜘蛛の巣の張った部屋で乞食のような生活を送る男の映像だった。これを見た骨川母子は「うそつき!」「出ていけ!」と、途端に手のひらを返して男を外へ追い出す。さすが、資本主義の見本とも言える骨川家。金になりそうなものは利用しつくし、金にならないものは切り捨てる。このぐらい金に対して打算的でなければ、あれだけの金持ちにはなれまい。しかし男は食い下がり、もう一度試してみることにした。そして映し出されたものは、またしても衝撃映像。なんと映像の中の男は拳銃をかまえ、警官隊と激しい銃撃戦を演じていたのである。「おじさんの正体はギャング?」と震え上がる骨川母子。男はまたもやその気になり、「やいっ、もっとめしを食わせろ!」と銃も持っていないのに手だけその形にしてせこい要求を突きつける。ママは何故か「ひい」と手をあげて震え上がるが、スネ夫が愛する母を守るべく、思いっきりハンマーで男の頭をぶったたく。するとその拍子に男の目から、様々な映像が放射される。その中の男は渡世人だったり、宇宙服を着て光線銃を持っていたり、なぜかキングコングの着ぐるみを着てビルによじ登っていたり・・・。

 一方男の家を探していたのび太達は彼の正体を突き止めていた。お城のような家は、映画のセットだった。彼は悪役スターだったのである。やれやれと戻ってきたのび太達が見たのは、男と骨川母子の姿だった。ただし、3人とも目は互い違い、舌を出している上に頭上には何かグルグルしたものが。明らかに「イッちゃってる」状態である。スネママなど、「わたしのおうちはどこかしら」などとのたまう始末。のび太曰く、「なぐりっこして、おかしくなったらしい」。

 現在ではこのようなオチはできまい。「おかしくなった」の一言で済むような事態ではないからだ。ドラ史上最もダークなオチである。それにしてもこの男、役の幅が広すぎる。日本で悪役と言えば、悪役商会のボス、八名信夫氏である。彼は私が肉眼で見たことのある唯一の芸能人なのだが、確かに彼の役の幅は広い。ヤクザ映画は言うに及ばず、「キカイダー01」でのビッグシャドウ役、「秘密戦隊ゴレンジャー」での黒十字総統役など、特撮の悪の組織の首領の役もこなしている。さらに劇場版ドラえもん「のび太の宇宙小戦争」でも、ピリカ星の独裁者、ギルモア将軍の声優を務めている。しかしそんな彼でも、さすがに自ら怪獣の着ぐるみを着て大暴れ、などということはしていない。すさまじい役者根性を感じる。しかしこれだけいろいろな役をこなしていれば当然露出度も高いだろうし、のび太達はともかく、スネ夫やのび太のママは彼を知らなかったのだろうか? 八名氏の名前を知らない人でも、彼の顔を見れば「悪役で有名な人」ぐらいはわかるはずである。あるいはこの男、実はVシネマの帝王で、一部熱狂的なファン以外はほとんど知らないような人なのだろうか?

 記憶喪失は確かにショックを与えることで元に戻ると言われている。しかしそれは物理的なショックではなく、精神的ショックであり、通常は精神科医の元で慎重に治療を続けていくものである。それをハンマーで頭をぶん殴るというのは、あまりにも危険である。以前実際に記憶喪失の女性が発見され、警察に保護されたというニュースを聞いたが、その女性はその後記憶を取り戻したらしい。のび太達は自分達でなんとかしようとせず、普通に男を警察や病院へ連れていけばよかったのである。何事にもその道の専門家がいる。たいがいのことはその人に頼めばなんとかなるのである。泥棒が入ったら警察に、火事が起きたら消防署に、けが人がでたら病院に電話するべきである。皆さんも何か自分の手に余る事態が起きたらむやみにネコ型ロボットに頼るのではなく、まず落ち着いてしかるべきところに電話をかけましょう。

No.77 どこでも大砲


 ドラえもんの道具の中には、「どこでも」と名の付く道具がいくつか存在する。代表的なのは説明の必要もない「どこでもドア」だが、他にも「どこでもホール」「どこでもまど」などが存在する。どこでもドア以外はあまり役にたたなそうなものばかりなのだが。ところが、そんな中にあって異色なのが、ここで取り上げる「どこでも大砲」である。「どこでも」と名はついているが、はたしてこの道具、いかなるものなのだろうか?

 物語はいきなり、大事な出張があるのに寝坊してどたばたと慌てる父・のび助から始まる。こういう光景は野比家ではよく見かける光景なのだが、のび太は「なんとかしてあげて」とドラえもんに頼む。ところが、「よし」とうなづいたドラえもんは、なんと「大砲を出す」と言いながらナポレオン時代に使われていたような旧式のスタイルの大砲をポケットから取り出す。のび太はあっけにとられた顔でそれを見つめるが、そんな顔をするのも無理はない。父親を助けてと頼んだはずが、なにをとち狂ったかこのネコ型ロボットは大砲を取りだしたのだから。そんなのび太にかまうことなく、ドラえもんはパパに大砲の中に入るように言う。パパも抵抗すればいいのに、「?」を浮かべつつおとなしくカバンを持って大砲の中に入ってしまう。一方ドラえもんはモニターを取りだし、「お父さんの乗る列車はどこにいるかな」となにやら操作をする。すると画面には、走行中の新幹線が映る。早くもイヤな予感・・・。新幹線を見つけたドラえもんは「これだ」とうれしそうに笑うと、大砲についていたひもを「はっしゃ」と言って勢いよく引っ張った。途端に「ドカン」と音がして、パパは窓から「ハレ〜」という気の抜けた擬音語とともに飛び出し、そのまま水平に高速飛行、やがて眼下に走行中の新幹線が見えるとともに落下運動に転じて、そして・・・。

 例のモニターには、時速200kmで走行中の新幹線の上で正座して絶叫しているパパの姿(落下し始めたときまではもっていたカバンは、どこかへいってしまっている)。それを開いた口がふさがらないといったように放心状態で見つめるママ。そして「のれてよかったね」と信じられない言葉を吐きながら、さも大成功といったように手を取り合って喜ぶ彼の息子とそのよき相棒。ある種の家庭崩壊の図と見れないこともない。これらとんでもない出来事が、わずか12コマの間に息つく間もなく起こるのである。なお、走行中の新幹線の上に立った者がどうなるかについては、柳田理科雄氏原作、筆吉純一郎氏画の「空想科学大戦」で詳しく描かれているので、そちらを見てもらいたい。

 ところがパパのことなど文字通り新幹線に乗ってはるか彼方に行ってしまったらしく、物語は有無を言わさず進行していく。ドラえもんによると、この大砲はモニターに映るところならどこへでもものを飛ばすことができるらしい。肝心の、モニターがどれほどの範囲を映すかがわからないが、それはともかく、のび太は空き地にいる友達のところへ大砲で飛ぶ。少し遅れて、ドラえもんも大砲を引っ張ってやってきた。そしてドラえもん達は、みんなになにか運んでもらいたいものはないか尋ねる。私ならどんなものだってお断りだが、友達はみんな何かを持って再び集まってきた。しずかちゃんは会社にいるパパに届けるお弁当、帽子の少年は田舎へ届ける小包を持ってきた。荷物ならば、まあ問題はないだろう。お弁当が会社についたときにグチャグチャになっていないかどうかまでは保証できないが。ジャイアンは、「どこへでもいいからこのゴミを」と、ゴミバケツに入ったゴミを持ってきた。おい、ゴミの不法投棄はやめろ! ちゃんとゴミの日に指定の場所へ出せ!! スネ夫に至っては、家族を連れてきて「お花見に行きたい」。本人の意思で大砲で飛ばされたいというのなら、まあ許そう。しかし問題なのはスネ夫のパパ! なぜそこにいる!? あんた社長じゃなかったのか!? 仕事はどうした! 息子が呼びに来れば、会社の仕事そっちのけでやってくるのかあんたは!? とまあ、なぜか大砲でものを送ってもらいたがる人が殺到するが、そんななか、「外国へ行きてえ」といきなり人相の悪いサングラスの男が現れ、勝手に大砲の中に入ってしまう。当然「順番を守ってよ」と文句を言う一同だったが、男は「うるせえ」とピストルを突きつけた。なんと男は銀行ギャングで、これから海外へ逃亡しようとしているのだという。高飛びの手段として、もっとましなものを選んでほしかった。しかし、ドラえもんが言うにはこの大砲は外国までは届かないという。それなら外国へ行く船に乗せろと男は脅し、ドラえもんはやむなくモニターで船を探し始めた。船を選んだのは賢明な選択だったと思う。飛行機などに「乗せられ」たらどんなことになっていたことか。新幹線に「乗せられ」た男の前例を知っていたのだろうか(そんなわけはない)。それはともかく、やがてモニターに一隻の客船が映った。そして男は大砲で飛ばされる。「これで安全に逃げられる」と喜ぶ男だったが、港に着くはるか前で落下コースに転じてしまう。そして飛び込んだ先は、交番の窓。モニターに映った船は、お巡りさんが作ったばかりのプラモだったのである。暇な交番だ。

 大砲で物体を飛ばすというとんでもない道具。たしかに「人間大砲」というものは存在するが、それはアメリカの有名スタントマンなどが挑戦するものである。どこでもドアがある時代に、わざわざこんなもので人や物を移動することはないだろう。しかしそれにしては、この大砲にはとてつもない技術が駆使されていることが容易に想像がつくのである。移動する物体、それも時速200kmで移動する物体の上になにかを正確に命中させるというのは、おそろしい命中精度だ。なにしろミサイルのように、砲弾そのものに誘導装置がついているのではないのである。発射する物体の到達時間を計算し、それから逆算してどの地点に撃つか、着地直前に目標の物体との相対速度を0にするには、発射時にどれだけのスピードで発射するかなどを全て計算しなければならない。しかも発射するものは砲弾ではなく、人間やらゴミバケツやら、航空力学など全く考えられていない物体なのである。こんなことのできる大砲を開発するのには航空力学や物理学などの学問を極める必要があるし、大砲自体にも弾道や空気抵抗を計算するスーパーコンピュータが内蔵されていなければならない。未来道具の中には、このようなスーパーテクノロジーのかたまりなのにしょうもないという道具が存在するのである。

No.78 くせなおしガス


 「なくて七癖」ということわざがある。人には意識しなくても、七つもの癖があるという意味である。七つというのはいくらなんでも多いのではないかと思うが、それでも三つか四つの癖は、誰でも持っていると思う。その多くは取るに足らないものであるが、人は他人の癖というものには敏感なようで、よく気づく。それが人に不快感を与えるようなものだったら、注意されても仕方がない。  ある日のこと。ドラえもんを除く野比家は、茶の間でのんびりとくつろいでいた。と、パパが、のび太がはなくそをほじったことを注意した。これが彼の癖なのである。確かに人前ではみっともないものだし、さらに彼の癖はただほじるだけでなく、小指ではなくそをほじるという奇妙なものなのである。勘弁してくれとも言いたくなる。しかし、のび太は悪い癖ならパパやママももっていると言う。パパは貧乏ゆすり、ママは舌で口のまわりをなめることが癖なのだ。しかし二人はそのことについてごまかし、人のことより自分の癖を直せと注意する。部屋に戻ったのび太は、自分のことを棚に上げ、あまりにも一方的だと憤慨しながらドラえもんに語る。ドラえもんはそんなものさ、と諭すが、のび太はなんとか気づかせてやりたいという。「じゃ、気づかせよう」と言ってドラえもんが出したのが、殺虫剤のような缶に入ったガス、「くせなおしガス」である。彼曰く、このガスをかけられたものの癖は大げさに現れ、いやでも気づくようになると言う。

 ガスを取りだしたドラえもんは、何を間違ったか最初にのび太にガスをふきかけてしまう。その間違いを謝ったあと、二人は階下に降り、ふすまのすきまから二人にガスをふきかけ、癖が現れるのを待つことにした。しかし、なかなか癖が現れない。指摘されたばかりで、注意しているのだろう。覗きながら待っていると、パパ・ママではなく、のび太が癖を出してしまった。そう、小指はなくそほじりである。しかし今度はほじっているうちにどんどんはなくそが大きくなり、ビーチボールほどの大きさのはなくそが取れてしまった。二人は大慌てするが、なんとか収拾。その際に、来客が訪れた。お客が来たのでは見込み薄だと残念がる二人だが、その時、ママの様子に変化が。口からカメレオンのように長い舌を出すとそれをペロペロと動かし、あろうことかお客の顔を舐めてしまったのである。「妖怪 舌長女」として水木しげる先生の本に載ってもおかしくないくらいである。「やったあ」「きょうれつ!」と二人は大喜び。しかし客間の中は大騒ぎ。パパは大慌てでママを注意し、夫婦でどうぞ気になさらないでと言う。しかし、気にするなと言う方が無理というものである。さらに続いて、パパの癖、貧乏ゆすりが現れる。当然これもただの貧乏ゆすりではなく、最初はカタカタとテーブル、茶碗が振動。次にガタガタとさらに揺れが大きくなり、ついには家中が大地震のようにすさまじい揺れを起こし始める。この揺れに驚いたパパ・ママ・お客は、「地震だァ」と叫んで外へ飛び出してしまうのだった。

 ビーチボール大のはなくそ。カメレオンのような舌。大地震のような貧乏ゆすり。たしかにこのような異常事態が起これば、いやでも自分のくせに気がつくものである。しかし、いくらなんでもやりすぎだ。くせによっては、おおげさなかたちで現れてしまったばかりに、その本人が恥ずかしさのあまり自殺するなんていう事態が起こらないとも限らない。たしかに悪い癖というものは注意するべきであるが、こんなかたちでするべきものではないはずだろう。家族や友達など、親しい間柄にいる人がさりげなく、時には強く指摘するのが、一番いい方法なのだ。

No.79 おしかけ電話


 電話という道具は、20世紀にもっとも進歩を遂げた道具の一つだと思う。最初は音質も悪く、普及台数もわずかだったが、戦後はどこの家庭にも行き渡り、コードレス、そして携帯電話へと発展していった。この先にさらに発展があるとしたら真っ先に思い浮かぶのはテレビ電話だが、さらにその先があるとしたら、この「おしかけ電話」になるのだろうか。

 「おしかけ電話」は、外見は電話は電話でも糸電話である。しかし片方の筒に「もしもし」と言うと、自分の体が筒の中に入り、もう片方の筒から出ていくことができるのである。つまり、声で話をするだけでなく、自分から向こうに出向いて話をすることができるのである。たしかにこれは便利だ。場合にもよるが、やはり直接会って話をするほうが、より内容の濃いコミュニケーションができるはずである。

 しかし、すばらしいはずの道具なのに、どうも名前がよくない。「おしかけ」。どう考えても響きのよくない言葉である。例えば「訪問電話」のような名前の方が受けがいいのではないか。なぜ「おしかけ電話」なのだろう? それはこれから紹介する、劇中での二人の行動から理解できる。

 おしかけ電話を出してもらったのび太は、ドラえもんに頼んで友達の家に電話の片方を置いてきてもらう。まず問題となるのはここで、彼は無許可で友達の家にポンポンと糸電話を投げ込んでいたのである。これこれこういう道具です、くらいの説明をして、了解を得てから置いてもらうべきだろうに。さて、全て置いてきてもらったのび太は、早速一つの筒に向かって「もしもし」と言う。そして出てきた先は、スネ夫の家。折しも彼は4段重ねのおいしそうなホットケーキを食べようとしていたところである。そして何とのび太は、そのホットケーキをごちそうになってしまったのである。スネ夫も参ったに違いない。急なお客はただでさえ困るのに、礼儀知らずな友人が糸電話の向こうから突然やってきたのである。迷惑このうえない。そんなのび太の役得を見て、ドラえもんも電話をかけてみた。電話先はジャイアンの家。しかしジャイアンにとって不幸だったのは、折しも彼は「だれも知らないおれのひみつ。ほほほ」と、大好きなおままごとに興じていたことだった。そこに突然糸電話からネコ型ロボットが現れ、「男のくせに。やあやあ」と冷やかしたのである。ジャイアンは顔を真っ赤にして、どら焼きを口止めの対価として支払うことになったのである。相手になんの断りもなく訪れると、このように図らずも相手の秘密を見てしまうことになる。相手がどんな秘密を持っているかにもよるが、そんな現場にでくわしてしまったら二人の仲が険悪になることは間違いない。行ってみたら浮気の真っ最中だった、なんていう事態はその典型的なものだろう。また、めったにあることではないが、行ってみたら麻薬取引の真っ最中だった、などという事態に出くわしたら命を取られる危険性もある。話し手にとっても受け手にとっても、非常に危険だったのだ。

 結局その後、迷惑としかいいようのないこの二人はひどい目にあう。スネ夫の家から戻った後、のび太は今度はしずかちゃんの家に行った。大きな声で「こんちは」と叫ぶが、返事がない。「るすかな」と別な部屋にむかうが、そこに入れ違いにしずかちゃんが現れる。どうやら留守番中だったらしいが、誰もいないはずのところで声がしたので気味が悪くなり、110番に電話をかける。女性が家の中で一人でいる場合にこんなことが起こったら、確かにこんな対応をするかもしれない。個人的には、入浴中にしょっちゅう男が風呂場に突然現れる方があぶないことだとは思うが。さて、彼女は電話をかけたのだが、当然「もしもし」と言ったときに近くの糸電話が反応し、それによって野比家に転送され、床に頭をぶつけてしまった。そこに入ってきたのび太のママが、「またドラちゃんのいたずらね」と謝り、糸電話をゴミ箱に捨ててしまった。方そのころのび太は源家から帰ろうとし、ジャイアンの秘密を握ったドラえもんも、うらめしそうな顔のジャイアンをしりめに「もしもし」。当然彼ら二人は、行き先である野比家のゴミ箱の中に出てきてしまうのだった。

 この道具に、「おしかけ」という名前がついている理由が劇中の二人の行動から理解できるような気がする。人の家に勝手に進入することになるのだから、これはたしかにおしかけと呼ばれてもしかたないだろう。おしかけというかたちの訪問にしたくないときは、現在誰かのところを訪ねるときのように、「これから行きますから」と電話でことわりをいれるしかない。電話を使う前に電話をかけるという、ちょっとよくわからないことになってしまう。そもそもこれから先、こんな電話の必要性が高まるのだろうか? どこでもドアという道具があるのだし(まあこの道具も、場合によってはおしかけになってしまう。のび太の源家風呂場への侵入は、完全にこれに相当する)、私にはなんとなくなさそうな気がする。そもそもその前段階にあたるテレビ電話というものも、そう便利なものとは言えまい。風呂上がりに電話がかかってきた場合を想像してほしい。普通の電話ならバスタオルやバスローブを身につけて電話にでることができる。しかし自分の姿が相手に見えてしまうテレビ電話では、そんな格好で電話にでるわけにはいかない。かといってパジャマを着るなど、なんとか人前に出ても「こんな格好ですいません」と謝って済むレベルの格好を整えていたら、電話は切れてしまうだろう。電話というものはマクルーハンという学者も言っているように、音声という限られたメディアによって情報を伝達するところに、コミュニケーションとしての重要性があるはずである。携帯電話が普及し、これからも電話は進歩しつづけるだろうが、案外その点で電話には本質的変化はないのではないかというのが、私個人の意見である。

No.80 自動ぶんなぐりガス


 2000年も末の末、私は一冊の本を買った。「ドラえもん カラー作品集第4巻」。未収録のカラー作品を集めた単行本で、不定期刊行されているものである。私はこの第1巻を持っているのだが、正直それによってこのカラー作品集にがっかりしていた。私は「ドラえもん」にはいろいろな切り口があると思っているし、それを証明するように、ネット上にはドラえもんのホームページが百花繚乱状態である。それでも多くの人が抱いている共通の概念がある。「ドラえもんはギャグ漫画である」ということだ。「ドラえもん」という作品はやはりギャグ漫画であり、私にとってはゲラゲラと腹を抱えて笑えるいわゆる「ナンセンスギャグ」こそが、ドラえもんの神髄なのである。しかしカラー作品集1巻には、それがなかった。そのことで私は失望したのだが、このカラー作品集4巻はその私のフラストレーションを見事に吹き飛ばしてくれた。次から次へと現れる、ナンセンスギャグの数々。私はこれこそドラえもんだと思いながら、帰りの電車の中で笑いをこらえつつそれに熱中していたのである。ところがあるページにきて、そのタイトルに目が釘付けになった。「自動ぶんなぐりガス」。なんとわかりやすいネーミングだろう。私はそのタイトルを見るだけで、その道具が絶対にレビューしなければならないものであろうことを直感し、そしてまた、それは確信へと変わっていった。
 物語はいきなり、いつもとは違った形で始まる。ジャイアンをのび太がぶっ飛ばしているところから始まるのだ。もちろんノーマルのび太にそんなことができるわけではなく、両手にけんかグローブを装着している。家に帰ったのび太はそれをドラえもんに返してから遊びに出かけるが、すぐにジャイアンに仕返しされる。家に戻ってそのことを告げるのび太だが、ドラえもんは「お互い仕返ししていたらきりがないからね」と言う。確かにその通りなのだが、人類の歴史を見る限り、どうやらそれは未来永劫人類が失うことがないと思われる本質だと思う。ドラえもんはいじめられないようにしっかりしろと諭すが、のび太はこれでは気が済まないと悔しげな顔。「しょうがないなあ」とドラえもんが取りだしたのは、缶詰のような形をしたガスボンベだった。これこそが、「自動ぶんなぐりガス」である。ボンベには「JBG」という文字のついたレッテルが貼られている。もちろんこれは「Jidou Bunnaguri Gus」の略なんだろうが、なんという安直な表記だろう。過去に存在した詐欺師集団に「KKC」という連中がいたが、その正式名称が「経済革命クラブ」だったことを知り、同じように唖然とした記憶がある。

 さて、ボンベを手にしたドラえもんは片手にバットを持ち、「例えば僕が、のび太を殴りたいと思ったとする」と、いきなりとんでもないたとえ話を始める。当然のび太はこれに憤慨して彼の首輪をつかむが、「たとえばと言ってるだろ」と言われてしぶしぶやめる。さて、彼の説明は続く。ドラえもんはバットにガスを吹きかけ、バットに「のび太」と命令した。そして、部屋の片隅にそのバットを立てかけておく。するとのび太が急に立ち上がり、トコトコとそのバットへと移動すると、いきなり自分からバットめがけてダイブし、派手にバットに頭を打ち付けたのである。つまり何かにこのガスを吹きかけ、ぶん殴りたい相手の名前を言うと、その人が勝手にやってきて、そのものに自分から頭をぶつけるのである。まさに「自動ぶんなぐりガス」であり、それ以上でもそれ以下でもない。それにしてもドラえもん、たとえ話と言っておいて、しっかりのび太を痛い目に遭わせているじゃないか。

 さて、ガスを手に入れたのび太は「バットはなくなると困るから」という理由で、なんと道路に立っていた電柱にガスを吹き付けた。なんという危ないことをするのか! さも楽しげに「ジャイアン」と言いながらガスを吹き付けるのび太。一方空き地にいたジャイアンは電柱に向かってダッシュ、そしてクラッシュ! 後から追いかけてきたスネ夫が「なにしてんの」と尋ねても、自分でもわけがわからず「知るか!」 ジャイアンをこらしめ、気分良く家に帰る二人。しかしその途中、のび太はスネ夫にもいじめられたことを思い出した。そんな彼にドラえもんは、遠隔操作で自動ぶん殴りを起こすマイクをあ
げた。のび太がマイクに向かって「スネ夫」と言うと、やはりスネ夫もダッシュ&クラッシュ! ところがのび太は、これで止まらなかった。「ようし。これからはこのマイクで、気に入らないやつをやっつけるんだ」といつもの如く悪魔顔に豹変、暴走の神がのりうつる。暴走のび太は止まるところを知らず、自分にいつもかみついてくる犬や、自分をはねそうになったスピード違反の車を次々と電柱に激突させる。いい気持ちになったのび太は「僕を怒らせると、みんなこうだぞ」と我が物顔で帰途につく。しかしこれまたお約束で、マイクをポトっと落っことし、さらにお約束でそれをしずかちゃんが拾う。ただのマイクなのにそれを見て「この変な道具は、きっとのび太さんの物ね」といい勘を働かし、マイク片手に「のび太さん」と連呼しながら彼を探し回る。あとは言うまでもないが、彼は自らの罪を償うことになった。電柱に頭をぶつけつづけるのび太を見ても、「なにしてるの、のび太さん。のび太さん、のび太さん」と連呼し続けるしずかちゃん。どうやら肝心なところでは、事情を察してくれないらしい。
 どうにもとんでもない道具が、未来では発明されたらしい。何かに吹き付けておくだけで、自動的に相手を痛い目にあわせるガス。こんなものが存在していては、おちおち外も歩けない。いや、ひとりでに体が動いてしまうのだから、家にいようが外にいまいが関係ない。そういえば、「魔の交差点」というものが全国に存在する。これといった原因がないのに、なぜか事故が多発する交差点である。そういう交差点には、案外このガスを吹き付けられている電柱やガードレールが存在するのかも・・・。

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