No.21 ないしょごみすてホール


 大きな皿のような形状の道具で、底には穴があいている。この穴が一種のタイムホールになっていて、いくらでもゴミを捨てることができるという。大量消費文明が最終形まで到達したら、このような道具の生まれることもあるだろう。ゴミ処理施設や埋め立て処分場の不足に悩む地方自治体の役人が聞いたらよだれをたらしてほしがるだろう。しかし問題なのは、捨てたゴミがタイムホールを通ってどこにいくかということだ。ドラえもんの話によると、どうやらゴミの行き先は、人類が誕生する以前の時代の地球らしい。ご先祖様に迷惑をかけないようにという配慮のつもりかもしれないが、なんてことをしてくれてるんだ! ゴミをその時代の地球に捨てれば、当然その時代の環境が汚染されることになる。ゴミの中に放射性廃棄物や産業廃棄物、ダイオキシンなどの有害物質が含まれていれば、奇形の生物が現れるかもしれない。もちろん、後に人類の祖先となる生物も例外ではない。そうなったら正常な進化が行われず、人類など誕生しなくなることだってある。自分達の存在をこんなことで危機にさらすとは、なんたることだ。一見夢の科学世界に見える未来の世界も、実はいまだに愚かな使い捨てを続け、その後始末に困り、挙げ句の果てにこんな道具を作っているというのだろうか? だとしたら、我々人類にとっての春は、まだ遠い。

No.22 めんくいカメラ


 ドラえもんの秘密道具は実に多種多様であるが、道具の形状によってある程度の分類ができると私は考えている。代表的なものは銃、ライト、プラモデルなど。そんな中でひときわ目をひくのが、カメラの形状をした道具だ。「ド・ラ・カルト」(小学館文庫)によると、劇中じつに23種もの未来のカメラが登場しているというから驚きだ。同書では、それは藤子先生自身がメカニックが好きであり、コンパクトななかにメカニズムが凝縮されているカメラは特に先生の興味をひくものだったのだろうと推測している。登場したカメラ達は、じつに個性的だ。とったものをミニチュアにしてしまう「ポラロイドインスタントミニチュア製造カメラ」(長い!)、被写体に好きな服を着せられる「きせかえカメラ」、一回の撮影で被写体を6方向から撮影した写真を撮れる「六面カメラ」、そして、このページでも紹介した「呪いのカメラ」などだ。さて、今回はその中でも「めんくいカメラ」について紹介したい。ここで紹介されているのだから、もちろんろくなカメラではないのだが・・・。

 めんくいカメラは、バラの花の花柄をした、妙に派手なカメラである。レンズ部分にパッチリとした瞳がついているところも特徴である。しかし、なんといってもこの道具を「めんくい」たらせている理由は、被写体を選ぶ、というところだ。なんとこのカメラ、モデルの顔がきれいでなければまともに撮ってくれないのである。モデルの顔がきれいならば、シャッターを切ったときにレンズの瞳がニコッと笑う。しかしその顔が醜かったり滑稽だったりすれば、目をしかめて、まるでまずいものでも食ったかのようにペッと写真を吐き出す。その写真を見ると、心霊写真のように頭が写らず、体だけ写っているという写真になっている。モデルが自分の顔に自信をもっていたら、なんともひどく傷つく結果になるだろう。気にくわない点はたくさんある。まずなにより、カメラなんぞに自分の顔の評価などされたくない。ただ写真を出すならまだしも、吐き出すように出すというのもしゃくにさわる。しかしなによりむかつくのは、このカメラ、カメラのくせに心にもないおべっかを使うところだ。

 ジャイアンがこのカメラで自分を撮ってくれと頼んだ。当然ドラえもんは、写真を撮ろうとするのび太に警告した。あの顔が写るはずがない。そしてそうなれば、うぬぼれやでわがままなジャイアンがその結果を認めず、怒り狂うのは目に見えている。その結果、のび太はもちろんカメラまでボコボコに・・・。と、こんなことをドラえもんは言ったが、のび太の手にあるカメラもそれを聞き、ギクリとした。その時、ジャイアンが早く撮らないとカメラをぶっこわすぞ、などとせかし始めた。あいかわらず、人のものをなんだと思ってるんだか。おそるおそるシャッターを切るのび太。

 「俺がきれいだってことは科学的に証明されたんだ。」しっかり顔まで写った自分の写真を見て興奮するジャイアン。情けないカメラである。美を好むというこだわりをもっているのなら、例え自分の身がどうなろうとそれにこだわり続けるべきである。お前にプライドはないのか? それができないのであれば、そんな中途半端なこだわりなど捨ててしまえ。だいたい、カメラという生き方の本分からはずれている。写真は「真」を「写」すから写真なのである。なるほど、モデルが美しいか美しくないかという真実を写すのならば、それはまだ写真であろう。だが、みずからの命惜しさにその真実をゆがめてしまっては、もはやそれは写真ではない。真実と芸術に殉じる芸術家として生きるか、それともただのカメラとして生きるか。この道具にはその選択を迫りたい。

No.23 クローン培養機


 クローン羊が誕生してからもうずいぶんになる。その後も牛、猿、豚と、様々なクローン動物が誕生してきている。こうなってくると当然問題となるが、生命倫理だ。どこかで歯止めをつけないと、いつかはクローン人間が誕生してしまう。これはごく当然の心配で、そのため各国で生命倫理委員会が作られている。ところが「ドラえもん」では、いささかその倫理が崩壊寸前、いや、とっくに崩壊しているのではないかというようなことを心配させるような事実がたくさん描かれている。未来の空想動物サファリパークで飼育されている竜やユニコーンなどは、さまざまな生物の遺伝子を組み合わせて作られたという。これぐらいならまだいい。だが、劇場版「南海大冒険」には、動物を改造して生物兵器として売りさばこうと考えていた死の商人が登場した。驚異的な遺伝子操作技術が犯罪者の手に渡るとこんなことになる。極めつけはおなじみ、「人間製造機」だ。

 「クローン培養機」は、実質的には人間製造機と同じような道具だ。こんなやばい道具をなぜ今まで紹介していなかったのか、自分でも不思議に思う。さて、この道具は大きな電球といった感じの外見をしている。その電球部分になにやらいろいろな突起がついているが、このなかにクローンにしたい動物の体の一部を入れる。爪でも髪の毛でもなんでもいい。それをいれてからスイッチをいれると、やがてクローンが誕生する。あまりの操作の簡単さに生命想像の責任の重さの軽視を感じてしまうのは人間製造機と同じだ。さて、こうしてクローン人間が誕生するが、人間製造機と違って誕生するのは普通の人間。だからといっていい道具であるわけではないに決まっているのだが。のび太はこれを勝手に持ち出し、ドラえもんに秘密で物置の陰に懸けた「壁紙ハウス」の中に装置をもちこみ、よりにもよってジャイアンとスネ夫のクローンを作ろうとした。いつも自分に乱暴する二人のクローンを作り、自らの手でもっとおとなしい性格に教育しようと考えたのだ。子供の頃は何の気なく読んでいたが、今考えるとおそろしい話だ。のび太の生命を創造するということの重大さの認識の低さもさることながら、この計画が順調に進んだらどうするつもりだったのか。オリジナルの二人を始末して、クローンにすげかえる計画だったのかも・・・。そう考えると、おそろしくて夜も眠れない。だが、幸いにもこのおそろしい計画はのび太自身によって崩壊する。自分の面倒もろくに見られないような男に、二人の人間を満足に教育するなどできるはずがない。算数を教えれば答えを間違え、クローンに笑われる。スポーツをやっても、クローンの方が運動能力が高く、相手にならない。結果、クローンはオリジナルと全く同じ性格になってしまい、のび太の親としての威厳は失われ、クローン二人は壁紙ハウスの中から脱走しようとする。この非常事態に、のび太はドラえもんに助けを求めた。当然ドラえもんは激怒したが、困ったのは二人をどうするか。つくってしまった以上、捨てたり殺したりするわけにはいかないのは子供と同じ事だ。そんなふうに困り果てていると、急に壁紙ハウスの中が静かになった。中の二人が培養機をいじり、解除ボタンを押してもとの髪の毛にもどったのだった。こんなかたちで事件は解決したが、のび太がこの後ドラえもんにこってり油を絞られたのは想像に難くない。

 この道具について、悪魔の道具だという他には何も感想はない。付け加えるとすれば、人間製造機とのもう一つの共通点である。どちらも未来のデパートから誤配されてきた道具である。生命倫理軽視のマシンを、20世紀のダメな子供の家に誤配する・・・とんでもないことだ。タイムパトロールは時間犯罪者よりも、デパートの宅配屋のほうに目を光らせた方がいいのではないか?

No.24 十戒石版


 「ドラえもん」の道具の名前には、神話や聖書をモチーフとしたものも多い。ここでとりあげる十戒石版や、次のゴルゴンの首がその例だ。十戒石版の方は、映画「十戒」でもおなじみの、旧約聖書・モーセの出エジプト記が出所。この出エジプト記からはもう一つ、河や海の水を二つに分けて道を作るモーゼステッキも登場している。藤子先生がこのような神話や聖書が好きだったのかどうかはわからない。

 さて、本題に入ろう。十戒石版は、まるで食パンを切ったような形をした石版である。この石版に戒め、つまりしてはならないことを彫りつければ、それを破ったものに神罰が下るのである。実際の十戒の方は、ユダヤの神ヤハウェが、ユダヤの民を引き連れシナイ山へやって来たモーセの目の前で自ら天の火を使って石版に彫りつけたもので、やはりこの石版に書かれた戒めを破ったもの達に天罰が下された。神の聖像を作ることを禁止したことに背き、金の雄牛を作って神の像としたもの達を皆殺しにしたのである。さて、この石版はどうかというと、なんと戒めを破ったものに雷を浴びせるのである。その威力はすさまじく、黒コゲになるどころか、意識すら失う危険な状態に追い込むのだ。まさに聖書の神の罰を再現したすさまじい力だ。だが、これを神が持つならいざ知らず、のび太が持ったのだからどうなるかは想像に難くない。のび太は次々と自分勝手な戒めを作り、それに逆らうことになってしまい天罰を受けた者の数は6人と犬一匹に及んだ。だが、そんなのび太には本物の天罰が下ることになる。最後の戒めとして「勝手な決まりを作るな」と書いてしまったのが運の尽き。当然自らもその戒めに背いていたため、神の罰をくらった。

 この道具は、人が持つにはあまりにも重すぎるものである。もしこれが市販されていたら、社会は個人がてんでに作り上げた戒めによって大混乱し、あちこちで雷が落っこちる結果になるだろう。しまいにはこんな人類を見かねた神が、大洪水を起こして人類を滅ぼすかもしれない。大体本当に神がいて天罰を下すことがあったら、我々のほとんどはその天罰をくらっている。人間の社会は無秩序であってはいけないが、神の実在するものでもあってはならない。結局いまのように、自らの良心と悪い心がせめぎ合っているくらいがちょうどいいのである。

 以上、Dai−chanさんよりのリクエスト。

No.25 ゴルゴンの首


 神話道具をもう一つ。これも恐ろしい道具である。名前を聞いただけではどんな道具かほとんどの人はわからないだろうが、これが「メデューサの首」という名前だったらどんな道具かはだいたいの見当がつくだろう。ゴルゴンの首は、その本体は普段は木の箱の中に入っているため、その姿を見ることはできない。箱の上部にあいた穴から、一本の蛇が顔を出しているだけである。使い方は次のようなものだ。箱の前面はラーメン屋のおかもちのようにスライド式になっていて、これをほんの少し上にずらしてみる。すると、ウオオーンという恐ろしい響きとともに、そのすきまから光線が放たれる。そしてこの光線に当たった生物は、石化したように固まってしまうのだ。こんなものがなんの役に立つというかというと、いろいろ考えられる。長時間の立ち仕事の時、足だけに光線を当てて固めれば、まったく疲れを感じないで済む。握り拳に光線を当てて固めて相手をぶん殴れば効果抜群だ。こう書くとなんだかろくなことに使えなさそうに感じるが、こういうものだから仕方ない。ちなみに石化は、箱の上部の穴から顔を出している蛇を引っ張ればとけるようになっている。だが、ちゃんと道具としての機能を果たすのは、箱の中に入っているうち。もしこれが箱から抜け出てしまったとしたら、本当におそろしいことになる。

 そもそも「ゴルゴン」とは、ギリシャ神話に登場する怪物の三姉妹のことである。そのうちの末妹は、あの有名なメデューサ。そう、髪が無数の蛇でできていて、その姿を見た者(あるいは見られた者、視線を合わせた者)を石にしてしまうあの恐ろしい怪物である。この怪物は最終的には英雄ペルセウスに退治され、その生首は王女アンドロメダを救い出すのに使われた。ペルセウスは自分の敵に向かってこの首をかかげ、それを見た者は皆石になってしまったのだ。死してもなおその威力を失わないメデューサの首の恐ろしさに戦慄する話である。こんな恐ろしい怪物の名をその名に冠するのだから、ゴルゴンの首がただの道具であるはずがない。本体である首の姿は本家メデューサほど恐ろしいものではないが、それでも不気味なものだ。石でできた首のような姿をしているが、その顔が死相を感じさせるというか、なんとも恐ろしいのである。劇中のび太がこの首を輸送中に箱から落としてしまい、恐ろしいことを引き起こした。この首、どうやってかは知らないが、ゆっくりとだが這って移動することができるという。その様を想像しただけでも身の毛がよだつが、さらにこの首は出会った生き物にかたっぱしから石化光線を浴びせ、石像のようにしてしまうのである。もはやほのぼのとした道具ではない。オカルトである。製作者がなんのために、このような生きとし生けるもの全てに危害を与えるような力を与えたのかは知らないが、いくらなんでも恐ろしすぎる。ゴルゴンの首は生物を石化するだけであるが、もしかしたらこの製作者、次は視線の力だけで相手を殺す怪物、バシリスクをモチーフにした道具をつくるかも・・・。いかん、はやく暴走を止めなくては!!

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