No.41 友情カプセルとコントローラー


 体温計のような形状のコントローラーと、ハート型のカプセルがセットになっている。このカプセルを相手の体に取り付け、コントローラーのスイッチをいれる。するとカプセルを取り付けられた相手はコントローラーを持つ人に激しい友情を感じ、その人のことを思って一生懸命になってくれる・・・というものだ。「友情」というと聞こえはいいが、この道具の本質は人間コントローラーである。カプセルを取り付けた相手にいうことをきかせればいいのだ。

 劇中スネ夫はドラえもんにどら焼きを腹一杯食べさせ、あとになってその代金を支払えと迫り、それを帳消しにする代わりにこの道具を手に入れた。そしてそれをドラえもんに取り付け、無理矢理親友にしてしまった。姑息な奴である。ドラえもんがいればなにも怖くないとばかりに横暴をふるう。ううん、こいつは「無敵砲台」のときもそうだったが、ちょっと力を手に入れるとのび太異常に調子に乗る。危険人物だ。ところがそのあと、コントローラーが故障し、以後ドラえもんはまるでプロフェッサー・ギルの「悪魔の笛」の音に苦しめられるジロー(キカイダー)ように、コントローラーの影響から逃れたりつかまったりすることになる。結局はのび太が足の裏につけられていたカプセルを発見し、これを取り除いた。一方放り投げたカプセルは、たまたま近くを歩いていた相撲取りの足下に。何も知らないスネ夫が再びスイッチを入れると、ドラえもんではなく相撲取りがスネ夫に向かって突進してきた・・・。

 この話、ひたすらにスネ夫のダークサイドが描かれている。彼ときたら、「親友」ドラえもんに「そのうるさいやつをなぐれ」「僕に従うまでこらしめてやれ」などと命令するのだ。これでは親友ではなく部下、あるいは奴隷に対する口のききかただ。その後もドラえもんにいろいろな機械を出すように命令する。「宿題をやる機械、出してくれ」「お金を作る機械を出しなよ」「それから歌手なれる機械」「テレビスターにもなりたい」「スポーツ選手にも・・・」人間の欲望には際限がないというが、こいつの場合はそれにしたって異常だ。こんなことしか「親友」とのつきあいかたがないのだとしたら、はなはだ不幸な男である。思えば「大長編」でも、こいつだけは恩恵を受けていない。ドラえもんやのび太、しずかちゃんがよりいい奴に描かれているのはもちろん、ジャイアンまで友情に厚く、男気があるように描かれている。ところがスネ夫だけは相変わらず。小心者である。なんだかかわいそうになってきた。

 「自由」や「正義」、「愛」とともに正義のヒーローがうたい文句としている「友情」。それすらもコントロールしてしまう未来科学はおそろしい。「友情コントローラー」があるのだから、当然「愛情コントローラー」もあるのだろう。効果が絶対のほれ薬のようなものだ。こんなものがあるとしたら、好きでもない相手と結婚させられるかもしれない。愛や友情を忘れた未来人達よ。君たちにこの言葉を捧ぐ。のび太曰く「しかし、機械で友達をつくるなんて、かわいそうだね。」

No.42 長距離風船手紙コンローラー


 のび太達4人はそれぞれ風船に手紙をくくりつけ、誰かに拾ってもらおうという夢のあることをした。翌日、早くもスネ夫の風船を受け取った人があらわれた。相手は隣の幼稚園児。4日後、ジャイアンにも返事が。どこかの学校の先生で、間違った字が多すぎると訂正して送ってきた。あんまりである。ところが一週間後、しずかちゃんの風船はとんでもない人に拾われた。「外国の王子様が拾ってくれないかしら」と言っていた彼女だったが、訪日中のリトルシュタイン公国(どこ?)の皇太子、アドルフ殿下が迎賓館の庭で彼女の手紙を拾ったのだ。そのことはニュースでまで報じられた。うらやましがるのび太。彼だけまだ誰からも返事が来ていないのだ。見かねたドラえもんが出してあげたのが、「長距離風船手紙コントローラー」である。

 様々なスイッチと、風船型のモニターがついているもので、専用の風船をモニターで見ながらコントロールし、拾ってもらう人を選ぶことができるのだ。しずかちゃんに負けない有名人に拾ってもらうため、早速手紙を書き、球場やテレビ局など有名人がいそうな場所に風船をとばすのび太。しかしどこへいっても失敗。京都を訪れているA国首相ミッチャーに受け取ってもらおうとしたときなど、風船爆弾と間違われSPに銃撃された。なかなかうまくいかないので、ドラえもんは「ねぇ、普通の人でいいじゃない。いい友達になれそうなら」と進言する。しかしのび太は頑として拒否。「しずちゃんにまけてたまるか! みんながあっと驚く相手に渡すんだ!!」いつになく強情である。いつも自慢されているスネ夫ではなく、みっともなくもしずかちゃんの幸運に嫉妬しているからだろうか? それはともかく、のび太は風船を外国に移動させることに。ところが海上を飛行中、妙なものに風船がつかまれた。なんとそれは、UFOだったのだ! ハッチが開き、中から現れたのはクラゲのオバケのようなグロテスクな宇宙人。そして彼は、しげしげと手紙を読み始めた。「ま、まさか読めないだろうね」おびえるのび太だったが、ドラえもんもそこまではわからず「知らない、知らない!」と言うのみ。その晩遅く。「コーンバーンワ〜」 だれかが野比家の玄関のドアを叩く。寝ぼけ眼でママがドアを開けようとするが、ドラ・のびが「開けないで!!」と止めに入る!

 う〜ん、秀逸な作品だ。のび太がしずかちゃんをうらやましがるのも異例だが、だれもが予想できないこのオチ! ドラえもんという作品はパターンマンガだから、ある程度落ちの予想はつく。それでも、まさか降ってわいたように現れた宇宙人がオチに絡んでくるとは・・・。 かなりの傑作である。まぁのび太の「みんながあっと驚く相手に渡す」という願いは確かにかなったのだが・・・。それにしてもわからないのはこの道具だ。わざわざ風船で手紙を運ぶためにつくられたとしか思えない。通信手段が多様化・高速化している現在、なぜ風船などで情報伝達をしなければならないのか? 確かに伝書鳩を使っている人はいるが、それはあくまで趣味だけだ。それに、劇中スネ夫が言っているとおり、風船というものは結構早くガスがぬけてしまうものなので、名前通り「長距離」の伝達は見込めそうにない。いや、もしかしたら未来の風船はとんでもなく航続距離が長いのかも・・・。そもそも風船を使った手紙というものは、誰に届くのかわからないところに面白みがあるのである。それをこんな機械で操作してしまったら・・・。遊び心があるのかないのかわからない道具である。

No.43 地震訓練ペーパー


 地震大国日本。怪獣と同じくらいこの災害による被害を受けているこの国に住む我々にとって、もっと地震訓練というものは身近なものであるべきではないか。まぁこの道具の発想は、こんなところだろう。

 「地震訓練ペーパー」は、ハンカチ大の紙である。隅の方にダイヤルがついているのだが、このダイヤルを調節して紙の上に立つと、調節に応じた震度の揺れがおこるのだ。床下に揺れを起こす構造がついていて、大地震を疑似体験できる災害訓練機があるが、あれを思いっきり小型化したものと考えていい。劇中のび太はママが転んだときの揺れを地震と勘違いし、外へと飛び出してしまった。あんまりだと思うが、やはりママにしかられた。これを見たドラえもんはこのままでは地震がきたときに危ないと考え、この道具を使ってのび太を訓練しようとした。この紙の上に座らせ、徐々に震度を上げて慣らしていく、という訓練だ。最初はすぐに逃げ出していたのび太だったが徐々に慣れ、ついには震度7でも平気で立っていられるようになった。スゴイ成果である。震度7といえば、阪神大震災クラス。家でも倒れる大揺れである。それで立っていられるとは・・・。さらに訓練は進み、ついにはどんな揺れがきても平気で昼寝していられるようになった。喜んだのび太は他の友達にも訓練を施そうと出かけるが、なぜか行く先々で様々な人がこの紙の上に偶然乗ってしまうおかげで大きな被害が出た。そしてその夜。大きな地震が起こりのび太以外の3人は外へと飛び出す。しかしのび太はあまりにも地震に慣れてしまったため、地震が起こったことにも気づかず、ただテレビを見て笑っているのだった。そしてあまりにものんびりしすぎていると、両親から怒られることに・・・。

 考えてみれば、小学校の頃からやってきた避難訓練は「地震に慣れる」ためのものではなく、「素早く避難する」ためのものだった。地震で倒れてならないのは家や家具のほうであって、例え人間が震度7で平気で立っていようとも、家や家具は容赦なくその上に倒れかかってくる。どうやらまたしても、目的をはきちがえてしまったようだ。どうしてこう、慌て者が多いのだろう。

No.44 機械化機


 上から読んでも「きかいかき」、下から読んでも・・・、と、そんなことはどうでもいい。またしても「人間」シリーズの道具の登場である。名前には「人間」はついていないが、これは間違いなく悪名高き「人間」シリーズに分類されるのだ。

 この道具の形状はシンプルで、テレビのリモコンのような形状をしている。この機械をなにか機械に向け、ボタンを押すとその機械の能力がコピーされる。次にこの機械を誰か人に向けてボタンを押すと、先ほどコピーした機械の能力がその人にコピーされるのだ。ボタンは9つあって、それぞれ違った機械の能力をコピーし、好きなときに人にその機能を移すことができる。そう、要するにこれは人を「機械化」してしまうものなのである。いままで数々の「人間」シリーズを紹介してきたが、これほどあからさまに人間を道具としてあつかうという方針をむき出しにした道具はあるまい。

 劇中ドラえもんは自らをラジオとして音楽を聴いていた。まぁ自分自身を機械化するのなら大目に見よう。問題はこの後だ。アイロンが壊れて困っていたママの手をアイロンにすることでママを助けたドラえもんは昼寝をする。その後、昼寝しているドラえもんをストーブにして暖まるのび太だったが、部屋の窓からスネ夫のラジコン飛行機が見えた。そして、よせばいいのにドラえもんをラジコン化して操縦し始めた。しかし、なぜか操縦が難しい。そこで一言。「意外と操縦が難しいね。」なんてドライ! これが自分を助けるために未来からはるばるやってきてくれた、長年連れ添ってきた「親友」に対する仕打ちか? 途中で目を覚まし、「ヤメローッ!!」と悲鳴を上げるドラえもん。哀れのび太の下手な操縦によってあちこちの屋根や木にぶつかり、ついには墜落してしまうドラえもん・・・。あわてて現場に行くのび太。しかしそこでジャイアン出現。事情を聞き、のび太から機械化機を取り上げ、のび太を車にして走り去ってしまった。ありゃりゃ、無免許運転だ。それをみていたしずかちゃん、意識を取り戻したドラえもんにそのことを伝えるが「親友」からの仕打ちに怒り心頭、絶対に助けてあげないという。一方そのころのび太は、先ほどの罪の報いか、ジャイアンによって酷使されていた。ストーブにして暖まり、ラジカセにして音楽を楽しみ・・・。完全に「物」として扱っている。この人も非情だよなぁ。挙げ句の果てには母ちゃんに掃除を頼まれたので、のび太を掃除機にしようとする。ここでのび太はドラえもんに助けられる。どうしてそうなったかは実際に29巻を見て欲しいが、のび太が泣いて感謝したのはいうまでもない。

 この道具の難点は、機械化された人間が、完全に機械化されるわけではない、ということだ。機械の能力をもって、機械化機をもった人の指示に従うしかないのだが、心まで機械になっているわけではない。心は人間のままだから、機械にされて苦しむことになる。誰だって機械にされるなどごめんである。掃除機にされそうになったのび太は「ほこりを吸い込むなんていやだぁ!」と訴えていた。「人間奴隷化機」といっても過言ではあるまい。

No.45 そっくりクレヨン


 人間、絵がうまかったらと思うときが人生に幾度もある。私など日常茶飯事で、もし絵がうまかったらこのページももう少しカラフルになり、駄文を書き連ねる必要もなくなるとおもうのだが・・・。

 それはともかく、「そっくりクレヨン」は絵のうまくない人にとってはすばらしい道具である。なにしろこれで絵を描くと、そっくりに描けてしまうのだから。おっと、賞賛するのはまだ早い。ここで紹介するからには、なにかとんでもないことがあるのは言うまでもない。実を言うとこの道具、そっくりに描けるのはいいのだが、問題はその方法だ。自分の腕が上がるのではなく、モデルをそっくりにしてしまうのだ。劇中のび太はスネ夫、しずかと一緒に犬を描いたのだが、猫のようになってしまいスネ夫にバカにされた。ドラえもんまでも猫と勘違いし、落ち込んでしまったのび太に、ドラえもんはこのクレヨンを貸した。再度犬を描くのび太。しかし、やはりまた猫のようになってしまう。スネ夫は「また猫になった」と笑うが、のび太は「猫を描いたんだもん」とモデルの犬を指さす。そこにはのび太のスケッチブックに描いてある、落書きのような「猫」とそっくりな「猫」が・・・。しかも、「ニャオ」と鳴く。どうやら外見だけでなく、モデルとなったものの本質まで変えてしまうようである。続いてのび太はスネ夫を描いてやることに。犠牲となった犬を見ているのだから、スネ夫もやめておけばいいのに、「そっくりに描かないとひどいぞ」といいつつも引き受けてしまった。結果スネ夫はのび太がわざと変な顔に描いてしまったために、自称「きれいな顔」を台無しにされてしまった。

 写実主義という観点から考えれば、この道具はその極致に達していると思われる。なにしろ相手をそっくりにしてしまうのだから、これ以上の写実があるだろうか。しかし当然のことながら、この道具、絵の下手な人間が使うと恐ろしいことになる。そっくりクレヨンを手にした絵の下手な人間がそこらじゅうの物をスケッチしはじめたら、それこそ一大事である。あたりのものがたちまちでたらめな形に変貌していく。少し情熱のありすぎる抽象画家が手にしてもおなじだ。ダリの絵のような超現実の世界が現実の世界に出現するのである。最大の問題は、これでスケッチしたものをどうやってもとに戻すかだ。当然、劇中ではそんなことは描かれていない。写真のように正確にものを描く画家にお願いして治してもらうほかないだろう。犠牲になったスネ夫や犬がかわいそうである。

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