ポケットの中の喧噪・外伝1

ドラえもん のび太の巨大実験室



 ドラえもんの数ある道具の中で何が一番便利な道具か?と聞かれたら、あなたはどんな道具の名を挙げるだろうか。タケコプター? どこでもドア? それとも、タイムマシン? この質問を少しドラえもんについて詳しい人にぶつければ、おそらく、「もしもボックス」を挙げるだろう。「もしもボックス」は外見はただの電話ボックス。しかしこのボックスの中に入り、電話をかけ(誰の所につながるのかは不明)、「○○な世界を頼む」と言うとベルが鳴り、ボックスの外の世界は自分の言ったとおりの世界になっているのである。要するに、「自分が世界一金持ちの世界」「自分が世界一ハンサム(または美人)の世界」など、思い通りの世界をつくれるのだ。なるほど、最も便利な道具だというのもうなずける。ドラえもんによると、この機械は世界を丸ごと巨大な実験室にする、というコンセプトで作られたらしい。はたしてのび太は、この巨大な実験室をどのように使ったのか?ポケットの中の喧噪・外伝1では、この巨大実験室で行われたのび太の壮大な実験の数々を紹介していく。

実験ファイル1 たこあげとはねつきのない世界

 「もしもボックス」がはじめて登場したのはある年の正月。運動神経の悪いのび太は、はねつきをすれば墨をぬられ、たこあげをしようとたこをひっぱって走ってもただたこを地面に引きずるばかり。あげく転んでしまった。みんなにバカにされることに嫌気のさしたのび太は、ドラえもんの前でなにげなくこう呟いた。「あああ、たこあげやはねつきのない国に行きたい」と。そこでドラえもんは「もしもボックス」をだした。たこあげとはねつきのない世界。そんなどうでもいい、しかも正月が過ぎればなにもかも普通の世界と同じになる世界を実現するためにはじめて使われたとは、意外というかなんというか・・・。とにかく、理想通りの世界を実現したのび太。ここで彼は一計を案じた。ボックスの中に入って電話をかけた人間は、その世界の影響を受けない。つまり、のび太とドラえもんだけはたこあげとはねつきを知っており、それはイコール、たこあげとはねつきを知っているのび太がこの二つに関しては世界一うまい、ということになる。そこでたこあげとはねつきを友達に教え、いい気になろうとした。だが、例えはねつきとたこあげのない世界に行ったとしても、どちらも下手であることに変わりはない。結局、たこあげはたこをひきずる遊び、はねつきは羽根を落としたほうが勝ち、というむちゃくちゃなルールを作ってしまった。が、友達にははねつきをやれば「のび太さんみたいにはうまく落とせない」と言われ、たこあげをしている友達には「たこが空に上がってどうしようもない。どうしたらのび太みたいにうまくひきずれるのか?」と聞かれてしまった。悪気がないぶん、下手なことをバカにされるより、これはのび太にとって辛かった。せっかくたこあげやはねつきのない世界にしたのだから、妙な下心を起こさずにじっとしていればよかったものを。こうしてのび太最初の実験は彼自身の蛇足によって失敗した。のび太らしいといえばそうだろうが。

実験ファイル2 お金のいらない世界

 のび太は呟いた。「あああ、お金のいらない世界に住めたら気楽だろうなあ・・・。」 なるほど、もしもボックスを手に入れれば誰もが一度は考えることだろう。ところが、いざ実現された世界はのび太にとって予想外のものだった。この世界では、確かにものを買うときお金はいらない。しかしその代わりに、ものを買うとその代金をもらわされるのだ。つまり、この世界ではお金を持っている人ほど貧しいのである。ややこしいので具体例を挙げる。例えば、劇中パパはスリにやられ、懐に10万円入れられた。街には積まれた札束の山の脇で「1円でもいいからもってって」というこじきが。この世界で裕福なの人はお金無しといわれ、むだのものを買えばむだもらいと言われる。ああ、ややこしい。「そんなにお金がじゃまなら捨てればいいのに」と思ったのび太は穴を掘ってお金を埋めようとしたが、そこを警官に見つかりその金の10倍の罰金をもらわされた。さらにそこから逃げるときに老人とぶつかり、彼の持っていた重要文化財の壷を割ってしまい、弁償金1億円もらわされた。あまりの異常さにのび太は我慢できず、もとの世界に戻した。考えてみれば、「自分が世界一金持ちの世界」をつくればよかったのだ。着眼点が違っていた。それにしても、なぜこんな世界になったのだろう? おそらく、「今の世界は買い物をするときにお金がかかるからいけない。だから、買い物をするときに逆にお金をもらうようにすればよい」という単純な逆転の発想でつくられたのであろう。しかしこれでは、健全な経済活動ができないことは明らかだ。普通ならお金がなければものは買えないが、この世界ならお金が無くてもものが買えるので、いくらでも買い物をしてしまう。結果、深刻な品不足が起こり、経済は破綻する。さらに、この世界では銀行や株式市場はどんな機能をもつのかということになると、まるで見当がつかない。この世界で暮らしていくことは確かに耐え難いが、果たして世界全体ではどんなことが起こっていたのか。もし私がもしもボックスを持っていたら、それを見てみたい。

実験ファイル3 世界中があやとりに夢中な世界

 のび太があやとりに関しては天才的な腕をもっていることはよく知られている。だが残念なことに、古今東西、あやとりがやたらできることで世間からもてはやされたり、食っていけた人はいない。こんな世界が嫌になったのび太は、世界中があやとりで夢中な世界をつくった。まさに趣味の世界。この世界ではあやとりができるほど尊敬されるのだ。入学試験ではあやとりが最重要項目であり、テレビでは「プロあや」が大人気。国会ではあやとり党が選挙にかち、あやとり大臣の誕生まで予期されるようになった。当然この世界ではのび太はヒーローで、思わず「なんとすばらしい世界だろう!」と叫んだ。それまでつくりだしてきた何をやっても裏目に出る世界とは大違い。はじめて安住の地をみつけたのである。おめでとう。ところが、のび太の理想郷は思わぬところから崩壊することになった。それは彼の一番の味方であるドラえもんによってであった。そもそもドラえもんはこの世界をつくろうとのび太が言い出した時点で「くだらない」と猛反対し、その後のび太が有頂天になってもふてくされるばかり。理由は簡単。ドラえもんのゴムマリのような手ではあやとりはできない。あやとりが全てのこの世界では自分が存在意義のないことに我慢ならなくなったドラえもんはもとの世界に戻してしまった。だが、果たしてこの行動は正しかったのか。ドラえもんはのび太を幸せにするために未来からわざわざやってきたのだ。かたちは違っていたかもしれないが、のび太は確かにこの世界に幸せを感じていた。それをドラえもんはつぶしてしまったのだ。いかがなものだろうか・・・。


実験ファイル4 音のない世界

 「ジャイアンが近くリサイタルをひらく!!」 この恐ろしい事態を回避すべく、ドラえもん達はもしもボックスをだした。要求した世界は「音のない世界」。音さえ聞こえなければ、ひどい歌も気にならない。そう考えたのだ。しかしいうまでもなくこの世界は不便だ。音が聞こえないということは、会話もできない。従って、この世界でのコミュニケーションはもっぱら筆談になる。ほかにも手話や手旗信号などもあるが、いずれにせよ不便だ。この世界の人々はもっぱら紙とペンを持ち歩き、それにものを書いて話をしている。のび太に限らず、漢字の苦手な人は苦労する。紙もかさばるだろう。子供用のお絵かきボードの方がいいと思うが。不便なのは会話だけに限らない。音は危険を知らせる役目ももつ。例えば車が後ろから近づいていてもわからないので、常に周囲に気を配らねばならない。まぁ、二人にとってはどうでもいい。この世界はあくまで一時的につくったもので、リサイタルが終わればすぐにもとに戻すからだ。しかし、音のない世界でジャイアンはどうやって歌を歌うのか?それは会話と同じこと。ジャイアンはボードに貼った紙に歌詞を書いていった。これがこの世界における歌らしい。しかも不思議なことに、ひどい歌は字を見ただけで寒気がするのだ。これではなんの意味もない。しかし、のび太は思いついた。メガネをはずせば何も見えない。そう思ってメガネをはずしたが、そこをジャイアンに見つかった。そしてのび太はジャイアンにたたかれながら、「いたいいたい」「ギャア」「ゆるして」などと紙に書きながら逃げ回る羽目になった。結局、この世界は何の利点もない世界だった。


実験ファイル5 鏡のない世界

 鏡を見ながら、のび太は憂鬱にかられた。「僕の顔はどうしてまんがみたいなんだろ」。まんがなんだから当たり前だが、気持ちはわかる。そして呟いた。「鏡なんかがあるからいけないんだ」。誰も自分の顔を知らなければひけ目を感じることもないし、うぬぼれることもないのだから、というのである。そこでのび太とドラえもんはもしもボックスを出し、「どんな人でも自分の顔を見たことのない世界」を頼んだ。この世界では鏡がなく、ガラスや水にもなにもうつらない。カメラもないので、誰も自分の顔を自分で見ることはできないのだ。自分がどんな顔をしているかを知るには、他の人に似顔絵を描いてもらうしかない。絵のうまいスネ夫はこれを利用して、女の子の顔を本物以上に美しく描いて人気をとっていた。どんな世界でも世渡りのうまいやつはいるものだ。ここでのび太達はおもしろいことを思いついた。鏡のない世界の人に鏡を見せると、そこに映った自分の顔にどんな反応を示すのかを試すのである。鏡に映った顔が自分の顔だとわからないため、率直な自分の顔に対する感想を聞けるのだから、確かにおもしろい。ジャイアンは「ゴリラみたいなひどい顔」、スネ夫は「見るからにズルそうな感じの悪いヤツ」、しずかちゃんは「かわいい女の子」と、それぞれそうとは知らず自分の顔を評した。しずかちゃんはうぬぼれているな。しかしその後、通りすがりのサラリーマンが鏡に映った自分の姿を10年前に家出した双子の兄と勘違いし、さらにガラスのオリに閉じこめられていると二重の勘違いをし、おまわりさんのところに鏡を持っていった。そしておまわりさんはピストルをぬき(なんて危ない人だ。目玉こそつながっていないものの、出るマンガ間違ってるんじゃないか?)、鏡の中の不審な警官(もちろん自分)にむかって撃ち始めた。あわてたドラえもんはすぐにもとの世界に戻した。こうして二人は鏡がなくなっても何もいいことはないことを悟った。劇中で描かれていた被害はこの程度だったが、実際にはもっと不都合が起きる。この世界で真っ先に困るのは女性だ。メイクができない。さらに歯医者さんと患者も困る。上の歯を削るとき、反射鏡がないためあらぬところを削るかもしれない。さらに、見通しの悪い交差点やカーブに設置されているミラーもこの世界にはない。横から急に出てきた車に側面衝突される。突き詰めていけば被害はさらに出そうだ。鏡のありがたみのわかる世界である。


実験ファイル6 眠るほどえらい世界

 のび太の特技にいつでもどこでも眠れることがある。しかし、これを特技とよべるかどうか。ひまさえあればすぐに眠るというのはある意味怠け者の証拠だ。芸能人や政治家のような多忙な人ならわかるが、のび太はひま人だ。宿題のある時でも眠ってしまうのだから、むしろデメリットである。しかし本人は「眠るのが悪い、起きてりゃえらいなんて誰が決めたんだろう」などとアホなことをぬかしている。そこでのび太は「眠れば眠るほどえらいという世界」をつくった。この世界の学校では先生は居眠りばかりするのび太をほめ、勉強ばかりしていると他の生徒を廊下に立たせていた。だったらなんのために学校などあるのか。それはともかく、眠りの天才となったのび太の家にその後しずかちゃんがやってきた。彼女の話によると、今度から中学(おそらく私立)に進むとき昼寝テストがあるのだが、自信がないので教えてほしい、とのことだった。あやとりだろうが昼寝だろうが、なにがはやっていようがすぐにテストになる。学歴重視はどの世界でも変わらないらしい。のび太は最初は悪戦苦闘していたが、うまい指導でしずかちゃんを眠らせることに成功した。この話を聞いた人達がその後、眠り方を教えてもらおうとのび太の家におしかけるようになった。ついにはテレビ局まできた。のび太に教養番組「正しい昼寝」に出演してもらい、模範演技をみせてもらいたい、という出演依頼だった。由目見さんといういねむり評論家の先生まできた。教養番組!評論家!!なんだかすごい世界だ。この話を受けたのび太の見せた模範演技はすごいものだった。ざぶとんを片手に立つのび太。そして次の瞬間には彼はざぶとんを枕に眠っていた!スローで再生しなければ、のび太がざぶとんを背後に落とし、足を組みつつ倒れ(このときには既に眠っている!)横になるという無駄のないアクションは確認できない。その間の時間、わずか0.93秒。解説は世界新記録だろうと言っていたが、たぶん間違いないだろう。解説はさらに「あの寝姿のみごとなこと。一筋のよだれがなんともいえません」と続けていた。そのへんもポイントがあるらしい。しかし、なんのためにそんなことにこだわるのか。理由は次のコマで明らかになる。「オリンピックのいねむり種目に日本代表として活躍が期待されます」。オリンピックの種目!!! ますますすごい世界だ。きっと新体操のように寝姿の美しさを競う競技と、短距離のように眠るまでの速さを競う競技があるのだろう。いずれにせよ、オリンピック史上最も消費カロリーの少ない競技であることは間違いない。しかしこの世界、言うまでもなく不都合が起きる。由目見先生は番組の冒頭、「眠りは世界を救う!! 眠りながら戦争はできません。平和のため、のび太先生をお手本にしてみんな眠りましょう」と言っていた。しかし、眠りながらできないことは戦争に限らず、ほぼ全ての行動なのだ。劇中では眠っていたママは夜になってから買い物に行き、みんな眠ってて何も買えずに帰ってきた。さらには家にいねむり運転のトラックが突っ込んできた。あぶないことこのうえない。結局、のび太はもとの世界に戻した。しかし、被害はこれだけにはとどまらない。もし東京で働く全ての人が一日中眠っていたら・・・考えるだに恐ろしい。とにかく、のび太は冒頭口にした疑問の答えを知ることになった。眠るのが悪い、起きてりゃえらいというのは誰が決めたとかそんな問題ではなく、そうでないと世の中が成り立たないからなのだ。だが、この世界をつくったことでのび太は意外な才能を見せた。自分だけでなく他人も眠らせることのできる能力である。この才能は催眠療法や不眠症の治療に役立つのではないか。もっともその才能を生かして仕事をしていくには才能だけでなくそれなりの勉強も必要なのだが。のび太の精進に期待したい。

 私の持っている単行本で確認できた実験はこの6つだけである。これ以外にも実験はしているのだろうが、とりあえずは知っているものだけを記述しておく。結局あやとり世界以外の世界は全てのび太の予想外のものになってしまった。まぁ、彼の支離滅裂な思いつきから生まれた世界なのだから無理もないが。だが、彼を笑ってばかりもいられない。「もしもボックス」を手に入れたら、誰だって自分の勝手な思いつきで世界をつくるに決まっているのだから。しかし、私は思う。どんな世界をつくっても、それは全ての人類にとってもとの世界以上に住みやすい世界にはならないんじゃないかと。事実、あやとり世界は確かにのび太にとっては天国だったが、ドラえもんにとっては全く価値のない世界だった。どうしてそういうことになるのだろう。それは、こういうことではないだろうか。今我々の住んでいるこの世界、つまり「もとの世界」は、様々な要素がが奇跡的なバランスで調和している世界である。ところがもしもボックスに要求される世界は、そのいずれかの要素のどれかを極端に優先してしまうため、バランスが崩れてどこかで不都合が生じる。結果、利用者は天国ではないが地獄でもない、ある意味最もバランスのとれたもとの世界に戻すことになる。もしもボックスは世界を自由に作り替えてしまう、使いようによっては非常に危険な道具だが、製作者はそのことを知っていたから彼は「一種の実験装置」としてもしもボックスを世に送り出したのではないだろうか。勝手な推測だが、私はそう考えてこの道具を肯定していきたい。いずれにせよ、のび太は製作者のそんな意図など考えもせず、とんでもない世界を実現していくだろう。そして製作者は自分勝手な世界をつくりあげては失敗する彼らの姿をみながら、今日もほくそ笑んでいるだろう。

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