ポケットの中の喧噪・外伝11 フウイヌムの島



 「ドラえもん」では、ドラえもん達が新しい生命を創造したり、または「楽園」を作ったりする話がいくつか存在する。神は7日で世界を創ったとされているが、彼らのやることはそれに匹敵する。あたかも日曜大工のように、いとも簡単に「新世界」を創造してしまうのである。その様子が大長編で描かれたものとして有名なのは「創世日記」だが、通常の作品でもそれはしばしば描かれている。今回はそのようにして生み出された「新世界」と、そこに暮らす住人達について紹介しよう。

1.幸せの星 〜「幸せのお星様」より〜


この話では、最初から最後までのび太のグータラぶりが描かれている。

 いつものように昼寝をしていて、のび太は外へ遊びに行けとドラえもんにどやされる。しぶしぶそうするために階段を下りようとするが、お約束通り転げ落ち、あげく「地球に重力があるからいけないんだ」などというセリフを吐く。さんざん重力の恩恵を受けておいて、なんたるセリフだろうか。のちに「野比家が無重力」という話で、彼は無重力の恐ろしさをいやというほど思い知らされることになるのだが、それはまた、別の話である。さらに外に出ると、外には冷たい木枯らしが吹いている。そこで一言。「地球の冬はなんて寒いんだ」。それって、日本の冬の間違いなんじゃあ・・・。そして極めつけ。「地球なんかに生まれて損した」。自分の親に向かって「誰も産んでくれなんてたのんでいない」と言うのと同じくらいの暴言である。そして、「夢の中で幸せのお星様を探そう」と、また昼寝しようとするのび太。こんな責任転嫁&現実逃避の塊のような男をまともな大人にしようとしているのだから、ドラえもんもつくづく苦労人だ。

 それはそうと、そんなのび太に当然あきれつつも、ドラえもんは「それなら行ってみるか」と言う。そんな星が本当にあるのかと尋ねるのび太に、彼は「ない。これから作る」と、こともなげに答えてみせた。のび太の戯言である「幸せのお星様」を、本当にこの宇宙に作ってしまおうというのだ。

ドラえもんが目をつけたのは、火星と木星の間にある微惑星群、通称アステロイドベルト。ガンダムファンにとってはおなじみの場所であるが、ものすごく巨大なものから小さなものまで、無数の岩塊が漂っている場所である。この岩の中から手頃な大きさのものを選び出し、人が住めるように改造する。いわゆる、「テラフォーミング」計画である。似たようなことをNASAが火星で行おうと計画はしているが、実現など夢のまた夢のこの壮大な計画。規模は小さいけれど、たった二人でこれを始めてしまおうとは・・・。

 二人は早速どこでもドアでアステロイドベルトまで赴き、手頃な星を見つける。その大きさが実際どれくらいなのかはわからないが、のび太が一回その星の上を一周してから「もう一周しちゃえ」と言うぐらいだから、一周するのに三十分とかからない大きさと推測される。全周2kmほどだろう。さて、今はただの宇宙に浮かぶ岩の塊であるこの星を、生物の生息できる環境にしなければならない。まずは空気製造装置を設置した。装置の出す空気は引力の弱いこの星にもたまり、次第に空が青くなっていった。続いてドラえもんはのび太に植物の種を与え、星全体にばらまくように指示した。早くも地球とは歴史が異なっている。ここで、地球の歴史について説明することにしよう。46億年前、誕生したばかりの地球はドロドロのマグマの固まりであり、空気も有毒ガスで満ちているというものだった。それがだんだんと冷えていき、それと同時に空気中の水蒸気が大雨となって地表に降り注ぐ。これが低地にたまり、そして海となったのである。その海の中に生命が生まれ、やがてそれは細胞を持ち、多細胞になり、ついには動物と植物に別れた。このとき生まれた植物プランクトン、シアノバクテリアが光合成を行って発生した酸素が徐々に空気中にたまって、それまでは二酸化硫黄が中心だった地球の空気は、今のように酸素を含む空気へと変わった。それに伴い、生物は自らの代謝機能を二酸化硫黄を使うものから、酸素を使うものへと変化させた。こうして進化の下地ができた地球で、動物と植物は進化していった。最初に植物が上陸し、そのあと昆虫、脊椎動物と動物が上陸。あとはそれぞれ様々な進化の歴史を繰り広げて現在にいたるのだが・・・。ところが二人のつくった星ときたら、いきなりこの順番に逆らいまくり。前述の通り、植物の光合成でうまれた酸素が空気となったのだが、この星では酸素を含む空気ができたあとに植物が生まれているのである。まあ、生命が誕生するためにはこの順番でなければならないとは限らないのだが、彼らのメチャクチャぶりはさらに続く。種をまいた後、ドラえもんは地下にマグマ対流を作り出し、続いて海をつくる。空気ができる→陸上に植物誕生→地殻活動→海の誕生。なんなんだ、この歴史は!? それでもやがてこの星は、緑が生い茂り青い海の広がる美しい星となった。生命というものはたくましいので、順番がメチャクチャでもちゃんと生きていけるらしい。まともな星ができてしまったのだから、文句も言えない。さて、こうなると動物も欲しくなるのが人情というもの。ドラえもんは「インスタントミニチュア生命の素」を海に流し、動物を誕生させた。いびつな順番でつくられた生命だったが、まともにクラゲ→魚→両生類・・・といった具合にみるみる進化していった。ドラえもんによると、「インスタントだから進化が早い」らしい。説明になっていないような気が・・・。さて、翌日。学校から戻ったのび太が一人で星を訪れると、すでにそこにはミニチュアサイズの人間達が、地球と全く同じ文明で暮らしていた。ハヤッ!! 一秒で何千、何万年と過ぎているのだろう?それはともかく、ミニ人間達を観察していたのび太は、そのまま自分をそっくり小さくしたミニのび太をみつける。当然彼が入った家も、のび太の家そのもの。二階の窓からのび太が中を覗くと、そこには「早く夜にならないかなあ」と言いながら昼寝をするミニのび太と、それを注意するミニドラえもんが・・・。

 いささか哲学的なオチと言えなくもない。自分にとって住み良い星を作ったつもりが、そこに住むのび太も最初の自分と全く同じことを言っているからだ。これを見たのび太は、いったい何を思ったのだろう。結局人間というのは、まだまだ地球からでていくことなどできない。そんな状況でいくら自分の居場所にブツクサ文句を言ったところで、どうにもならないのだ。現状をこういうものだとあきらめ、生きていくしかない。人生には挑戦も必要だが、基本的な部分では妥協することも必要なのだ。そのことをのび太が気づいたのならばよいのだが。

 そもそも、なぜ人間まで作り出してしまったのか? のび太が言った「幸せの星」とは、「自分が暮らすために」幸せな星だったはずだ。別荘代わりにするためなら、人間をつくるなど余計なことだったのだ。惑星改造がトントン拍子に進んでしまったためにまったく気がつかなかったが、蛇足だったと言わざるを得ない。

 さて、その後「幸せの星」はどうなったのか? その後再登場することもなかったので、残念ながらその後のこの星の運命は定かではない。ただ言えるのは、「幸せの星」の人々はおそらく、気まぐれな創造主達に気まぐれで創られ、気まぐれにほったらかしにされたまま今日も生きているのだろう。そう言えば、「宇宙小戦争」に登場したピリカ星人達も小人だった。あるいはもしかしたら彼らも、のび太達とは違う誰かが気まぐれに創って、気まぐれにほったらかしにして・・・。いや、もうこれ以上の詮索はよそう。このまま論理を展開させていくと、もしかしたら我々が住むこの星だって、元はと言えば我々よりももっと図体のでかい誰かが気まぐれに・・・ということになりかねない。考えてみれば、どうでもいいことだ。だって我々は、今でもこうして毎日を生きているのだから。大昔に何があったかなんて関係ない。知らぬが仏。これが今回の教訓である。


2.絶滅動物の島 〜「モアよ、ドードーよ永遠に」より〜


 ドラえもんが取りだした道具、「タイムホール」と「タイムトリモチ」。「タイムホール」は、フラフープのような輪が装置とつながっている道具で、この輪を別の時代への窓口にすることができる。この窓の向こうにあらわれた過去の物を、タイムトリモチで引っかけて手に入れるというのが、この道具の使い方だ。ドラえもんはこれを使ってゴキブリに食い荒らされたどら焼きを、食われる前の時間からタイムトリモチに引っかけて取り戻した。これはこのように、過去に失われた物を取り戻すための機械なのだ。ドラえもんによると、そんなものの中でも戦争によって焼かれた美術品や貴重な文献を取り戻すためによく使用されるらしい。のび太がこの道具を使って金儲けをしようと考えたのを、ドラえもんは注意した。そこでのび太は、真面目な目的なら使わせてくれるかと、ある提案をした。のび太はこの少し前、人間によって絶滅した動物達の特集番組をしずかちゃんの家で見ていた。そこで紹介されていた絶滅動物たちを、「タイムホール」を使って過去の世界から連れてきて、繁殖させようという計画を、彼は思いついたのだ。その思いつきにドラえもんも賛同。こうして、「絶滅動物の楽園」計画は始まった。

 最初に取り寄せる動物として選ばれたのはモア。ニュージーランドにほんの500年前まで生息していた、体高4mにもおよぶ、ダチョウと同じ巨大な飛べない鳥である。足の力が強大だったと言われているが、原住民に食い尽くされたと言われている。タイムホールの広さはフラフープぐらいだが、モアの巨体をなんとか取り出すことに成功した。部屋に連れ込んだ後暴れ出したモアを、「桃太郎印のきびだんご」で手なづけるのび太達。なかなか手際がいい。ドラえもんたちは続いてリョコウバト、ドードー鳥を捕獲。リョコウバトは1914年に絶滅したハトの仲間で、その名の通り北アメリカ東部から中央アメリカの間で渡りを行っていた。すばらしい繁栄を極めていたが、北アメリカへのヨーロッパの入植が始まると、それにともなう開拓で住みかである森を失い、その後も食肉用として捕獲され続け、やがて絶滅してしまったのだ。ドードー鳥は1681年に絶滅したハトの仲間。モーリシャス諸島に生息していた。外敵のいない孤島で進化してきたためユーモラスともいえる不格好な姿になっており、飛ぶこともできず、走るのも遅いというのんびりした動物だった。だが、この島をポルトガル人が発見すると、彼らはドードーを食料として捕獲し始めた。個人的にはタイムマシンが発明されたらまずこいつらを海に放り込んでやりたいところだが、動物保護などという考え方のないこの時代の人間に現代の価値観をおしつけるのは無理というものである。結局おとなしいドードー達はそのまま絶滅してしまった。

 さて、ドラえもんが次のターゲット、オジロヌーを捕まえに行った間、のび太は外に連れ出しても一番騒ぎになるおそれのないリョコウバトを連れて外へ出た。たしかに尾羽が長いなどの点を除けば、ハトはハトである。だが、どこにでも詳しい人はいるものである。なんという偶然か、たまたま通りかかった動物学者がこれを目撃したため騒ぎとなり、リョコウバトを捕獲しようとする群衆が大挙して大騒ぎになってしまった。のび太の部屋に動物達をかくまっているのも、ママにバレそうになる。そこにオジロヌーを捕まえてドラえもんが帰ってきた。このオジロヌーだが、実は絶滅した動物ではなく、今でも生きている。ヌーは牛の仲間で、ほっそりした脚とひげをはやしているところが特徴である。しかしオジロヌーはすでに野生種が絶滅し、世界の動物園などに3000頭、他には南アフリカの保護区にわずかが生息しているのみで、絶滅の危機に瀕しているのには変わりはない。ドラえもんが捕まえてきたのは、おそらくすでに絶滅した野生のオジロヌーだったのだろう。さて、騒ぎを知ったドラえもんは、急遽動物達の隠れ場所を探しに出かけ、すぐに戻ってきた。二人が動物達を連れてどこでもドアでやってきた場所。そこはドラえもんが「強力岩トカシ」で海底のマグマを噴出させてつくった人工島だった。船や飛行機の航路とは遠く離れた場所にあるので、見つかるおそれもない。二人は動物達をこの島に放すことにした。今は岩だらけだがいずれはジャングルや草原、森林などの環境を整え、さらにそれぞれの動物の数を、自然繁殖ができるまでに増やしていく計画である。やがてこの島は、動物達の楽園となってゆくことだろう。

 この島はのび太達が作り出した新世界のなかでも、最も存在意義の大きいものだろう。注目すべきは、ここに連れてきた動物達は、全て人間が原因で絶滅したものだということ。絶滅動物を復活させ、保護区(のようなもの)におくという考え方は、映画「ジュラシック・パーク」でおなじみだ。だが、この映画のなかで数学者イアン・マルカムが言っているように、恐竜とモア達とは絶滅の意味が違う。モア達は人の手によって滅びたが、恐竜は人とはなんの関係もない理由で滅びたのだ。考えてみればこれは、数万年にもおよぶ人類の殺戮の歴史に対する、ささやかな償いとも解釈することができる。

 とはいえ、まだ難問はいろいろある。その一つに、リョコウバトの習性がある。彼らは渡り鳥なのだ。つまり、放っておくと島からどこかへ飛んでいってしまうことがある。始終監視していなければならない。また、ヌーの仲間は雨期と乾期の間に大きな群れで大移動をすることで知られている。オジロヌーも大移動をするのかはわからなかったが、するとなればもっと大きな島が必要になるだろう。いろいろと問題はあるが、地道に解決していくしかない。

 さて、この話には続きがある。「のび太の雲の王国」でのこと。地球の空で繁栄を誇っていた天上人は、環境破壊を続ける地上人の文明を破壊しようとしたが、自らの危機を地上人ののび太達5人の、決死の行動で救われた。この映画のラストでは、天上国議会に地上破壊計画の中止を求め、かつてのび太に助けられた者達がぞくぞくと現れ、彼らの弁護をするのだが、その中にモアやドードーの姿もあり、翻訳機を通じて自分達を絶滅から救ってくれたのび太達を弁護した。動物が恩返しをするというのは、どうやら本当らしい。やはり、動物は大切にしなければ。

 もしドラえもんと友達になれるようなことがあるならば、私は真っ先にこの島に連れていってもらいたい。オジロヌーの群れが草をはみ、モア達が木の芽をついばむ。森の中ではドードー達がユーモラスな姿で戯れ、空にはリョコウバトの群れが飛んでいく・・・。想像しただけでもすばらしい光景である。いつの日か、この島で繁殖したリョコウバト達が海を越え、私たちの目の触れる場所に渡りをし、かつての姿を我々に見せてくれることを願わずにはいられない。


3.地底国 〜「異説クラブメンバーズバッジ」より〜


 ここでいう「地底国」とは、「竜の騎士」に登場した、恐竜の生き残りが作ったものではない。ましてや某合体ロボットアニメに登場した恐竜帝国でもない。

 のび太としずかちゃんは、学校の近くで底の深そうな穴を発見した。夢見る少年、のび太はこれが地底国に続く穴だと力説したが、現実は彼の夢をこっぱみじんに打ち砕いた。そこにスネ夫が現れ、地底はとても生物が住める環境ではないこと、それにその穴はただの古井戸だということを説明され、恥をさらしてしまう。家に帰ってドラえもんにもその話をするが、彼もまた、「よくもまあ、そんなばかなことを考えたもんだ」と、いたってクール。いつものごとく壁の方を向いてすねるという独自のすね方をしたのび太に、ドラえもんは「異説クラブメンバーズバッジ」を出してあげる。

 世の中には様々な考えを持つ人がいる。例えば、かつての天文学の常識は現在の地動説ではなく、天動説だった。月の裏に優れた文明があると考えた人もいた。「異説クラブメンバーズバッジ」は、バッジとマイクがセットになった道具で、「本当は天動説が正しい」とマイクに向かってしゃべると、バッジをつけている人には天動説の世界が本当になる。つまり、地球はテーブル状の平面であり、その最果てには巨大な滝がある、という世界になるのだ。これが幻覚なのかなんなのかはわからないが、のび太達はこれを使って地底国を作ろうと計画したのだ。「地底空洞説」というものがある。その説は地球の内部は実は空洞であり、そこにはボールの内側のような空間が広がっている、という考え方である。

 古くから地底国伝説はたくさん存在する。日本の黄泉の国やギリシアのタルタロスなど、死者の国や地獄といった世界は地底にあるとされている。近代になってもジュール・ベルヌというフランスのSF作家が、「ロスト・ワールド」という代表作の一つの中で、恐竜たちの暮らす地底世界を描いている。のび太達もこの説を信じ、あの古井戸が地底世界への入り口だとした。そして、古井戸に飛び込んだ二人。そこには、ボールの内側のような広大な空間が広がっていた。

 だが、いまのままでは単なる巨大な洞窟も同然。二人はこの世界の改造を始めた。まず人口太陽を打ち上げ、地上の大きな湖の底に穴を開けて水をひき、「インスタント植物の種」をまく。そして最後に、この世界の支配者となる「地底人」を作ることにした。「動物粘土」を使ってデザインを検討する二人。のび太が作った最初のデザインはグロテスクだということで却下、彼の第二案である、野球ボールに手足がはえたような、まるで「オバQ」のO次郎のような野球ボール大の地底人を二人作り、「アダムとイブ」とした。こうして地底改造初日は終わった。翌日。スネ夫はジャイアンにものび太のまぬけ話を話し、二人で大笑いする。悔しがるのび太だったが、立派な地底国を作って見せびらかせばよいとドラえもんにさとされ、我慢をする。しかし見せびらかせるために作られた地帝人って・・・。さて、学校から帰宅し、地底世界へ行く二人。そこには一面の緑が広がっていた。地底人を探すと、バナナの木によじ登って実を採っていた。しかし、二人を見て驚き、逃げ出してしまう。一度見失ったが、洞穴の中に住み、子供が三人うまれているのを確認した。蛇に誘惑されることなく、アダムとイブは順調に暮らしているようだ。洞穴では住みにくいだろうと考えた二人は、木と草を使った住居の作り方を教えた。さらに一週間ほど経ち、地底人の人口は増え、子供達はすっかり二人になついた。そんなある日、ある事件が起こる。この間作り損なって捨てた地底人第一案が、肉食動物のように地底人達を襲ったのだ。のび太が石を投げて追い払ったが、あんな生物がいては地底人達が安心して暮らせないと考え、石斧と石槍の作り方、そして「ついでに」火のおこし方とその使い方を教えた。道具の作り方、そして火のおこし方を知った地底人の文明は、さらなる発展を見せる。石造りの家を建て始め、金鉱やダイヤ鉱山を見つけて採掘を始めた。

 そしてついにジャイアンとスネ夫に、地底国を披露する時が来た。すでに地底国の文明レベルは現代レベルにまで発展し、高層ビルが建ち並び、自動車も開発、食物も豊かなすばらしい国になっていた。ジャイアンとスネ夫は仰天し、のび太の胸もスッとした。だが、この後騒ぎが起こる。ジャイアンとスネ夫が自分達の見た地底国の話を言いふらし始めたのだ。マスコミや不動産屋が集まり、ある大臣など地底人からどっさりと税金をいただこうなどという考えを堂々とテレビで公言した。頭がおかしいのではないだろうか。子供のいいふらした噂を盲目的に信じて、この大騒ぎ。特に大臣。実際にこんなことを言ったらたちまち罷免され、二度と政治の舞台には立てないだろう。地底人からの税金をあてにする政治家などに、この国の将来をまかせることなどとうてい不可能だ。どうやらこの世界の人間、相当に頭が単純なようだ。政治家までこうでは、今以上に外国にだまされ、言いように動かされるに決まっている。困ったものだ。それはともかく、地底人の平和な生活が脅かされることを防ぐため、二人はマイクとバッジを地面に埋めた。おかげで古井戸はもとに戻ってしまい、噂の張本人であるジャイアンとスネ夫は愚かな大人達に追い回されることになってしまった。

 地底人というのは、考えてみればすごい種族だ。ドラえもんたちに石器の作り方や火のおこし方を教わったにも関わらず、あくまでそれを外敵から身を守ったり、平和的な科学技術を発展させるためにのみ使っている。石器や火から始まって武器を進歩させ、飽くことなく戦争を繰り返し、あげくに核ミサイルまで開発してしまった愚かな人類と比べるとなんと賢い種族ではないか。金やダイヤも掘り出していたが、それを奪い合うような真似はしていない。欲というものを知らないのだろう。人類のアンチテーゼとは、彼らなのかも知れない。

 では、彼らと我々の違いはどんなところにあるのだろうか。理由はいくつか考えられる。彼らが草食動物だということも関係しているのかもしれない。地底国には地底人達と凶暴な地底人失敗作以外には、動物が存在していないからだ。人間ほどガツガツしていないのだろう。だが最大の理由は、ドラえもんとのび太という「神」が実在しているということだ。彼らを作ったのも神だし、火や道具などを伝えたのも神だ。知恵は全て神が与えてくれ、劇中では描かれてはいないが、もし地底人達が誤った方向に進むようなことがあったのならば、神が自らそれを修正してくれたのかもしれない。神が実在して進むべき道を示してくれる世界。彼らがそんな世界に生きているということが、我々と彼らの最大の違いなのだろう。それに比べて我々の世界の神ときたら、民族や住む場所によって姿も教えもバラバラだし、一度だって大勢の前に姿を現したことがない。それどころか、本当にいるのかさえわからない。こんな不確かなもののために、いろいろな場所でいろいろな人々がそれぞれの神の名を掲げ、くだらない争いを繰り返すという奇妙な現象が世界各地で起こっており、不幸な犠牲を払っているのだ。神が一度でもその姿を現し、真の教えを説いてさえくれれば、この世界ももう少しはましなものになると思うのだが・・・。


4. 犬と猫の国 〜「のら犬「イチ」の国」より〜


 のび太はある野良犬に餌をやったため、その犬になつかれた。のび太がジャイアンに襲われると飛びかかって彼を守るほどの忠義者だが、誰でも知っているとおり、ママが理由不明の極度の動物嫌いであるため、家で飼うことはできない。のび太はドラえもんに相談し、「壁掛け犬小屋」を裏庭に掛けて飼うことにした。一方、世間は最近発見された謎の遺跡の噂でもちきりだった。アフリカの奥地で発見されたその遺跡はかなり高度な文明だったらしく、電気はおろか、自動車や飛行機さえ使用していたと推測されたのだ。

 さて、「イチ」と名付けられたその犬は、やがて自分と同じように捨てられた猫を連れてきて、一緒に飼ってくれるようにのび太に頼んだ。しかし、ついにママに見つかってしまう。「捨ててらっしゃい!」などと、頭ごなしに命令するママ。非道な人物としか言いようがない。この異常なほどの動物嫌いは、どこから来ているのだろうか。アレルギーがあるというわけでもなさそうだから、これはもう、過去に動物に対してトラウマになるようななにかがあったとしか思えない。のび太達もタイムマシンで昔のパパやママの様子を見に行くのもけっこうだが、どうせならその出来事を突き止めて阻止すべきだ。それはともかく、二人はしかたがなく山奥に捨てることにした。だが、どこでもドアで向かったその山には、なぜか野犬がたくさんいた。保健所のオリが壊れ、そこから逃げ出した犬や猫たちだったのだ。しかも、その始末をするために銃を持った人間達がやってくるという。二人はスモールライトを使って小さくした犬猫を連れてきたが、これからどうするか考えあぐねた。彼らは気の毒な犬猫達を前にしてつぶやく。「かわいそうなもんだなあ。せっかく生まれてきて、住むところもないなんて」「無責任に犬や猫を捨てる人間が悪いんだ!!」まったくもってその通り。いいことを言う。そして、ドラえもんはひらめいた。人間のまだいない時代へと、犬や猫を送る計画。近所の野良犬やノラネコも連れ、三億年前まで向かう。三億年前。それは恐竜が登場するよりも五千万年も前の時代で、ヒロノムスのような最古の爬虫類が誕生したばかりである。こんな時代に犬や猫を連れてきたら進化がメチャクチャになり、下手をしたら人類が誕生しなくなることも考えられるが、かわいそうな動物達を助けるためだ、そのくらい目をつぶろう(おい)。残った問題は、餌。水と空気からクロレラを培養し、人口肉をつくる「無料ハンバーガー製造機」は前もって用意していたので、「進化退化放射線源」を使って、イチをこの機械を使えるレベルまで進化させた。のび太はイチにリーダーとなってみんなを導くように命じ、元の時代へと帰っていった。

 さて、これまでイチ達の世話に手一杯だった二人は、やっとTVを見るヒマができた。ニュースでは相変わらず、謎の遺跡について報じていた。三億年前に栄えていたと推測されるこの遺跡、建物の出入り口や家具から推測される住民の身長は、「犬や猫程度」らしい。これにピンときたドラえもんは、イチ達を放してから千年後の同じ場所に行ってみた。するとそこには高層ビルが建ち並ぶ、人類よりはるかに進んだ文明が。イチ達を放したときに進化退化放射線源を置きっぱなしにしていたので、イチがそれを使って仲間にも進化放射線を当てたらしい。そしてこの都市が三億年たって、遺跡として発掘されたようだ。しかし、なぜかその都市には人っ子一人いない。二人は手分けして誰かいないか探し、誰かがやってくるのを見つけた。それは服を着て直立二足歩行する犬であり、しかもその顔はイチそっくりだった。彼は言う。「イチ? 聞いたことあるな。そうそう、ご先祖にそんな名前の方がいました。我が国の初代大統領です」そしてその犬は、この街に誰もいない理由を説明した。学者が今後、気象の大変動が起こることを発表したため、他の星に移住することになったのだという。こうしてイチ達のつくった文明がすばらしいものであったことを確認したのび太達は、安心して帰途についた。その後、現代。遺跡の寺院跡からでてきた神の像を出木杉君がジャイアンとスネ夫に見せていたが、その姿は体は翼の生えたライオン、そして顔はのび太そっくり、というものだった。写真を見た二人はそれを見て笑うが、この遺跡の裏に隠された驚くべき真実など、知る由もない。

 この話はまさに、「犬と猫の出エジプト記」であった。ほんの一部ではあるが、人間に虐げられていた犬や猫たちを、のび太達はモーゼの役割を果たして「約束の地」へと導いたのだ。その結果、イチ達の子孫はソロモンの王国にも匹敵する栄華を極めたのである。この話のラストでは、「いつの日か・・・どこかの星で、イチの子孫と僕らの子孫が出会うかもしれないね」というセリフが語られている。いかにも未来に希望をつなぐようなラストだが、果たして事態はそう幸福に運ぶだろうか。数奇な運命を経たが、かつて迫害した者と迫害された者という関係には変わりない。もちろん、そういった者達の再会が常に不幸だとはもちろん限らない。全てのユダヤ人が全てのドイツ人を憎んでいるわけではないのと同じである。二つの種族が出会ったとき、かつてその先祖を迫害された者達は、迫害した者達の子孫にどのような思いを抱くのか。その出会いが幸福なものであることを祈るしかない。

そう言えば、大長編ドラえもんの三作目、「のび太の大魔境」に登場した犬の王国も、同じアフリカにあったな。もしかしたら彼らの中にもあくまで地球に残った者達がいて、彼らがそこに・・・いや、これは歴史にロマンを求めたがる男の、根拠のない推論だな。

 スウィフトの名作、「ガリバー旅行記」は、主人公ガリバーが小人の国で活躍する場面ばかりが知られているが、その実体は童話ではなく社会風刺である。例えば有名な小人の国は、当時のイギリスのパロディであったし、巨人国は巨大な者という強者に対する人間の態度を示している。ガリバーは物語の中で小人の国、巨人の国、空飛ぶ島(ラピュタ)、不死の国とあちこちを漂流するが、最後に彼がたどり着いた場所は、最も「人間」というものの本質を描いている。

 そこはとある島だった。そしてこの島には、主だった種族が二つ存在する。一つは「ヤフー」、もう一つは「フウイヌム」である。ヤフーは一見人間に似ているが、全身に長い毛を生やしている。非常に欲深く、卑しい性格をしており、もう一つの種族であるフウイヌムには軽蔑されている。人間から理性やモラルといったものを取り去り、そこにサルの醜悪さを加えた者を想像してみれば、それこそヤフーだと思う。一方フウイヌムは、外見は馬と全く変わりないが、言葉を話し、脚を器用に使って道具を作る。何よりも底知れぬ知性をもち、人間ではどうやっても彼らにはたちうちできないほどである。ガリバーは最初ヤフーと間違われ、フウイヌムに捕まってしまったが、彼のふるまいが他のヤフー達よりはるかに紳士的であることを理解したフウイヌム達は、彼を少し高級なヤフーとして迎え入れてくれた。印象的な場面がある。ある日ガリバーが自分によくしてくれるフウイヌムと海岸へ散歩に行くと、ヤフー達が何かを取り合っていた。それは、ダイヤモンドだった。この海岸にはダイヤモンドが石ころのようにゴロゴロと転がっているのである。だがフウイヌムはそんなあさましいヤフー達を冷めた視線で眺めながら、なぜ彼らがあんな石ころにあれほどの執着を見せるのかわからないと、ガリバーに語るのだった。また、ヤフー達は十分全員で分け与えられるだけの食物を与えても、必ず奪い合いをするとも言った。スウィフトはフウイヌムという人間よりもさらに次元高い存在を設定し、彼らに人間の風刺であるヤフーのあさましさを語らせることで、人間の醜さを描いたのだ。理知的なフウイヌム達に触発されたあと祖国に戻ったガリバーが、ヤフーのように欲深な人間達ばかりの社会に心底うんざりしてしまったのも当然と言えよう。

 考えてみれば、のび太達の作った新世界の多くも、フウイヌムの島のようなものだ。幸せの星以外は、いずれの世界にも滅亡した動物達や、人間より高度な精神と文化を持つ種族がいる。物語では彼らの優れた面を描きながら、同時にヤフーのように醜い人間達の姿もさりげなく描いている。「モアよ、ドードーよ永遠に」での、リョコウバトを捕まえて有名になろうとする群衆。彼らの行動は、有名になりたいというくだらない感情によるものである。自分達の利益をむさぼる姿勢がリョコウバトのような悲劇の存在を生み出したことにも気づかない愚かな者達だ。「異説クラブメンバーズバッジ」での、地底国に対し欲望を抱く不動産屋やマスコミ、政治家。強欲の権化のような存在であり、彼らもまたちっぽけな人間の利益のためにさらに大きな犠牲を求める愚か者だ。「のら犬「イチ」の国」では直接にではないが、無責任に犬や猫を捨て、あげくに始末しようとする人間達の姿を描いている。これなどまさに、自己中心主義のシンボルである。藤子先生がこんな意味を込めてこれらの話を描いたかどうかはわからないが、のび太達の生み出した世界の多くは、フウイヌムの島と同じ様なものだったと私は思う。

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