ポケットの中の喧噪・外伝7 透明化への挑戦者


 ドラえもんの秘密道具を考える上で忘れてはならないことの一つに、秘密道具は人間の夢の結晶であるということがある。ドラえもんの歌に、「空を自由に飛びたいな」とあるが、その夢の答えとして、「はい、タケコプター」というわけだ。「どんなところにも一瞬で行けたら」「未来や過去に行きたい」といった大きな夢から、「楽してお金をもうけたい」「おいしいものを食べたい」といった庶民的な夢まで、夢の結晶たるドラえもんの秘密道具は、当然どんな夢もかなえてくれるのだ。 さて、そんな夢の中に「透明人間になりたい」というものがある。どんな人でも一度は考えたことのある夢だ。もっともその多くは、嫌いな奴を気づかれずにぶん殴りたいとか、女湯をのぞきたいとかいう庶民的かつ犯罪的な夢ではあるが・・・。それはともかく、透明人間になる、あるいはそれと同じ効果を得られる道具はもちろんある。それも、たくさん。人間の透明人間へのあこがれの強さをあらわす事実だ。だが、科学的に考えてどの道具が「透明化」という目的に正しいのか? 秘密道具を科学的に考えるという発想自体がタブーかもしれないが、この章ではあえてその領域にふみこみたい。

1.透明人間目薬


 いきなり本命の登場である。その名の通り、目に注せば透明人間になれる目薬だ。ドラミちゃんが所有するこの道具の原理は、劇中彼女によって次のように説明されている。 自然界には透明な体をもつ生物がたくさんいる。クラゲやプランクトン、イカの子供などがその例だ。そして、人間の体にも透明な部分が存在する。眼球内部にある水晶体がそれだ。この目薬を注すと、体はおろか爪や毛までが水晶体のように透明になる。
 なるほど、全身水晶体化か。肝心のどうやったら全身水晶体になるかは謎だが、とりあえず透明にはなれるだろう。だが、この道具は根本的な誤解をしている。それは、透明なら見えない」という暗黙の前提だ。これが真実ならば、前述した透明な生物を見つけたり、つかまえたりすることのできる人間はいないはずだ。詳しくは「空想科学読本2」の「透明怪獣」の項を見てもらいたいが、透明な物体が目に見えるのは、空気とその物体を構成する物質との屈折率に差があるからである。ガラスの屈折率は空気の1.5倍、水の1.1倍だという。水晶体は他の細胞と同じように水がほとんどだから、屈折率は水に近い。つまり、どんなに透明でも、空気との屈折率の差が大きければその物体は空気中では見えてしまう。見えないためには水晶体ではなく、もっと空気の屈折率の近い物質に全身を作り替える必要がある。しかしその候補にあがるのはヘリウム、水素、二酸化炭素といったガスばかりだ。生命活動には様々な元素でつくられたDNAとタンパク質が必要で、どちらもガスにはなり得ない複雑な分子である。実は「ドラえもん」には、一粒飲めば体が液体に、二粒飲めば気体になるという「サンタイン」という薬が登場している。不可能なはずが、未来科学は人間をガス人間にすることには成功しているらしい。これはおどろきだが、ガス人間のび太はしっかりとその姿が目に見えた。せっかくガスになっているというのに、非常に残念だ。いずれにせよ、本命であるこの道具では透明人間にはなれそうもない。

2.かくれマント


 厳密な意味での透明化にこだわっていては、いつまでたっても姿を消せそうにない。透明化はあきらめて、別の方法で透明人間になることを目指そう。「かくれマント」はその第一候補にあげられる。このマントで体の前面が見えないように隠し、背中を壁などにつけると、マントの表面が壁と同化して見えなくなる。カメレオンの原理だ。もっともこの道具には「透明マント」などの同じような道具があり、使い方も頭からかぶれば見えなくなる・・・というようなものが多いのだが、今回はこの道具について検証する。この道具の場合、マントの裏地にカメラ、表地にスクリーンの役割をもたせ、裏地でとらえた壁の表面の様子を、表地の表面に投影していると考えていいだろう。これならそこに何もないように見えるはずだ。ところが、なんとか見えなくなることには成功したが、これが実用的かというとそうではない。なにしろマントは平面で全身をおおえるわけではないので、前から来る相手に対してマントで隠れても、後ろから来る相手には後ろ姿が丸見えである。見えないまま移動するためには、壁や地面にピッタリと体をくっつけ、こするように移動せねばなるまい。まるで毛虫のように動かなければならないので、かなり動きは制限される。もっとアクティブな透明人間を目指す人には、これでは不満だろう。

3.モーテン星


 透明化もだめ、スクリーン式もだめとなれば、さらなる方法を模索する必要がある。ここで注目したいのが、人間がものを見るメカニズムである。まずはそれを説明したい。そもそも我々は、「もの」そのものを見ているわけではない。ものに光が当たってそこから反射してきた光を目でとらえているのだ。だから光のない暗闇では、我々はものを見ることができない。このメカニズムをより詳しく説明すると、ものからの反射光が目のレンズを通して水晶体を通り、眼底にある網膜細胞にぶつかる。その刺激が電気信号として視神経を通して脳まで伝わり、脳がそれを分析することによってそのものが何かを理解するのだ。さて、注目したいのがこの網膜。実は、眼底には一部網膜のない部分がある。当然この部分に光が当たっても、網膜がないので脳まで伝わらない。つまり、見えないのだ。この部分は「盲点」と呼ばれている。こんな実験をしてみてほしい。横長の紙を用意して、そこに二つの星を等間隔に描く。そして、片手で片目を隠し、一方の星を見つめたまま、紙を近づけたり遠ざけたりする。すると、どこかでもう一つの星が消えて驚くはずだ。すなわち、この見えなくなった時に、星は盲点の範囲に入って見えなくなったのである。この盲点の範囲にもし人間が入ることができれば、その人は消えて見えるはずだ。「モーテン星」という星形のアクセサリーの原理は、このようなものらしい。これは科学的だ。
 しかし、せっかく科学的なのに、この方法には問題がある。先ほど言ったように、盲点はあくまで網膜の中でもほんの一部なのだ。したがって、見えないでいるためには常に相手の視界の中でも狭い、この範囲内にいる必要がある。Aという人の目に映らないでいるとしよう。もしAがじっとしていれば、こちらも自分の姿が相手の盲点の範囲内にいるようにじっとしていなければならない。少しでも動けば、たちまち盲点の範囲からはずれてAの目に映ることになる。こんな透明化に何の意味があるというのか。さらに、Aが動けばそれに応じて一定の距離をおいて、Aの盲点からはずれないように自分も動かなければならない。例えそこまでやっても、この方法は相手が一人の場合にしか使えない。その場にもう一人人間がいたとして、うまくその二人の盲点の範囲が一致して、そこに入ることができればよいが、そんなことはほとんどあり得ない。どちらかの人の盲点に入ろうとすると、必ずもう一人の視界の中に入ることになる。実用性はないに等しい。さらにその上、どういうわけかこの道具には一時間という時間制限があるという。こんな無用の長物、はやくポケットから捨てた方がいい。

4.かくれん棒


 盲点に入るという画期的な方法も、かくれマントと同じように、消えられるが実用性があまりに低いためとん挫した。しかし、あきらめてはいけない。実は、透明人間は存在しうるとする学者はけっこういるのだ。フジテレビの木曜夜8時に放送されている「奇跡体験アンビリバボー」という番組で、1999年9月2日、「存在しない人間の謎」というタイトルでこのテーマについて扱っていた。実はこのなかで紹介されていた説の一つに、ここで紹介する「かくれん棒」の原理に近いものが存在するのだ。

 その説とは、次のようなものである。先ほど説明したように、物体からの反射光が目に入ることによってものが見えるのだが、その反射光が目に入らないという状況が、暗闇以外にもつくることができる。例えば、極端な例で高温の砂漠に体温が0度の人間がいたとする。高温の場合、空気の密度は薄く、低温の場合は濃い。体のまわりの空気は冷え、密度は非常に高く、光は空気の厚い壁に閉じこめられてしまい、出てこない。結果として反射光が返ってこないことにより、その人間はまわりから見えていない状態になるのだ。

 一方、「かくれん棒」という金属製の棒のような道具の消えるための原理は、次のようなものだった。この棒をもった人間のまわりから反射してくる光は、その人を避けるように屈折して進む。さらに、本人から反射した光は、この棒が吸収してしまう。要するに、本人からの反射光は目に入らないのに、その人の周りから来る光は目に入ってくるので、消えて見えるのだ。直進性のある光を湾曲させて進ませたり、吸収したりするというようなことが本当にできるのかというところに疑問符はつくが、なかなか科学的に見える。

 光を閉じこめるか吸収させるかの違いだけで、要は本人からの反射光を返ってこさせない状態にすることによって見えない状態にするという点では、かくれん棒とこの説は同じようなものといえる。かなり科学的だ。それじゃあ、かくれん棒こそが最高の透明化道具か? ところが、残念ながらこの道具にも致命的な欠点がある。かくれん棒を持っている人は消えることができても、棒そのものは消えることができず、結果的に棒だけが空中に浮遊しているかっこうになってしまう。棒そのものからの反射光は、棒自身吸収することはできないからだ。あやしげな金属製の棒がちょうど人間の手のあるところの高さあたりにフワフワと浮いていたら、消える前よりも目立ってしまう。さらに、電池式のために電池が切れると姿が見えてしまうという弱点もある。いい線までいきながら、性能上の問題のためここで敗退だ。

5.いしころ帽子


 反射光を遮断することで見えなくなる方法はいいところまでいった。さらにこれを押し進めたい。前述した通り、目に光が入っただけではものが見えるとは言えない。その光の刺激を脳で受け取って処理することで、ものを見ているということになるのだ。ならば、その脳での処理プロセスに細工をすることによって見えなくなることはできないだろうか? そんな考えをもとに作られたと思われるのが、「いしころ帽子」だ。この帽子で見えなくなる方法は、「見えなくなる」というよりも「気にしなくなる」というものである。例えば、あなたが道を歩いていて道ばたに石が転がっているのが目に入ったとする。あなたはそこで足を止めて、その石を手にとったり、しげしげと眺めたりするだろうか? 普通の人はそんなことはしない。このように、人間には目に入っても気にもとめないもの、例えば石ころや雑草、落ち葉といったものが数多く存在する。その名の通りいしころを思わせる色と形状をしたこの帽子は、かぶるとこのような気にされなくなる存在になることで、見えなくなるのと同じ効果を得られるのだ。要するに、自分が石ころと同レベルのものになると考えてよい。斬新である。そんなことが実現可能かというと、実は可能なのだ。先ほどの、「存在しない人間の謎」では、次のようなケースも紹介されている。あるアメリカの夫婦の話だ。妻がリビングのソファーで物思いにふけっていると、夫が何かを探しに来た。彼はそのまま10分ほど何かを探し続けた後、突然、「おい、どこにいたんだ?」と妻に言った。妻はずっとここにいたと言ったが、彼には本当に妻の姿が見えていなかったらしく、それを信じなかった。これははじめから夫が、「妻はリビングにいない」と思いこんでいたために起こったこと、つまり、脳がはじめから「ない」と決めつけていたことによって起こったことだと学者は言う。これを応用して、相手の脳に対して自分のことを「あれは石ころだ」というように強い暗示をかければ、あたかも自分を石ころのように思わせることが可能になるだろう。おそらくいしころ帽子には、一定の範囲内にいる人間にこのような暗示をかける催眠装置のようなものが搭載されているはずだ。これなら相手が何人いてもかまわないし、自由に動き回ることもできる。ついに人類の夢、透明化が可能になったのだ!!

 などと喜んだのもつかの間、私はこの道具の重大な欠点に気がついた。この道具はくだいていえば、人間をだますことによって消えている。このことが、時には重大な欠点となる。ここに、いしころ帽子を使って銀行強盗を働こうとする不埒な輩がいたとする。彼がいしころ帽子をかぶって警備員に気づかれることなく白昼堂々金庫室に侵入、金庫を開けて金を手に入れたとしても、私は彼が必ずつかまると言い切れる。なぜか? 防犯カメラに映るからである。いしころ帽子からの催眠波は、それを直接受ける人間には効果がある。しかし、脳をもたず、ただ映像を記録するカメラにははっきりと映ってしまう。貞子の怨念じゃあるまいし、テープから催眠波がでてそれをチェックする警備責任者に暗示をかける、なんてことはあり得ない。その結果、責任者は石ころのような変な帽子をかぶったその男のことを警察に連絡し、男はあっけなくつかまるのだ。このように、催眠をかけられない無機物や動植物に対しては、この道具はまったくの役立たずだ。そのことを知らずに防犯カメラのある店や番犬のいる家に侵入すれば、たちまちつかまることになる。

 さらに、別の問題がある。「いしころ帽子」は劇場版ドラえもんにおいてよく使われることで知られている。敵のアジトに気づかれることなく潜入するときなどに用いられるのだ。ここで問題となるのは、いしころ帽子をかぶった人間は、同じようにいしころ帽子をかぶった人間のことをどう思うのかということである。このような潜入作戦は、チームワークが重要だ。もしいしころ帽子をかぶった人間が、同じようにいしころ帽子をかぶった仲間を石ころのように気にとめなくなったとしたら大変だ。それは、まわりの人間が存在しなくなったのと同義だ。連携して行動すべき仲間がいなくなったら(実際にはいるのだが、気にしなくなっているのである)、チームワークどころの話ではない。しまいには自分がなぜ帽子をかぶっているのかという理由がわからなくなり、帽子をとってしまうだろう。そしてその時、同じような理由で帽子をとった仲間達の存在を再認識する。あわてて帽子をかぶりなおすが、またその存在を気にしなくなり・・・と、延々とこの繰り返しでちっとも先に進めない。本当にこのようなことがおこるかどうかはわからない。石ころが隣の石ころのことをどう思っているかなんて人間がわかることではないし、そもそも石ころはそんなことを考える力ももっていない。もっとも、劇中ではちゃんと仲間の存在を意識しているようだが。こればっかりは本当にいしころ帽子を誰かと一緒にかぶってみなければわからない。知的好奇心のわく話ではあるが。

 結論を言おう。人間の体を透明化して消えることは無理であるが、反射光を遮断したり、暗示をかけたりすることによって消えたように見せかけることは原理的には可能なのだ難しいのは、どの方法も実用性に欠けるという点である。しかし、私は思う。これらの透明化道具をつくりだした科学者達にとっては、それでよかったのではないか、と。私は科学者ではないが、様々な本や科学者についての伝記などを読むと、科学者という人種は子供のような激しい好奇心を持ち、いささか狂気をはらんでいると言えなくもないものであるように思える。彼らの目的としているのは、つまるところ真理の探究にほかならず、実用性などというものは二の次である。透明化道具を発明した科学者にとっては、「透明化は実現できる」という真理を求められただけでも十分だったのかもしれない。発明というものそれ自体は庶民にとって重要ではない。彼らにとって重要なのは、それが自分達の役に立つかということだけだ。実用できるように改良をすることは、彼らの仕事である。こう考えると、未来の世界でも透明化道具はまだ試作段階にあるのだろう。未来の民間人達がもっと実用性のある道具を実現することを期待しよう。

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