ポケットの中の喧噪・外伝8 がんばれ!! ニッポンのお父さん


 父親という存在は、結構悲しいものだったりする。いつも子供と一緒にいる母親ほどに子供になつかれることは少ない。仕事で疲れ、たまの休みで眠っていたいのに、子供は容赦なくどこかへ行こうとか、遊んでくれとせがむ。労多くして益少なし、である。そしてそれは、ドラえもんの中でも同じである。しょっちゅうのび太をしかり、たまにひどいめにあうのび太のママ、玉子。ジャイアンバスターのジャイアンの母ちゃん。スネ夫とともにオチに巻き込まれるスネ夫のママ。母親達は子供達と密着しているだけに、それなりにイジりがいのあるキャラクターなのだ。それに比べて彼らのパパときたら、登場回数ですらはるかに及ばない人もいる。この章では主人公の父親という重要な立場にあるにも関わらず、不遇の扱いを受けているかわいそうなお父さん達について考える。

その一 野比のび助


 のび助はのび太の父親である。さすがにのび太がメインのマンガだけあって、その父親であるのび助についてもかなりのことがわかっている。タイムマシンでのび太とドラえもんが、彼の過去の様子を見に行く話はたくさんあるからだ。少年時代からのことが詳しくわかっているので、この後紹介するパパ達に比べればはるかにめぐまれている。

 さて、のび助の半生。少年時代は頑固でしつけの厳しい(が、内面は優しい)昔風の父親と、何度ものび太が会いに行っている優しい母親に育てられた。このころから絵の才能があったらしく、美術コンクールで金賞をとったことがある。その後、成長してさらに本格的に絵の道にはいることになる。後に有名画家となる柿原画伯のもとについて学んだり、パトロンになってくれるという人もいたので、絵についてはかなりの才能があったようだ。しかし、結局悩んだ末に絵の道をあきらめ、普通の会社員として暮らす道を選んだ。定期券を拾ったことが縁でつきあい始めた片岡玉子とも無事に(?)ゴールインし、練馬に一軒家をかまえる(借家らしいけど)ほどになった。のんびりやでさえない印象のある彼だが、こうしてみると結構ドラマチックな人生を送っている。

 趣味はゴルフや釣り、麻雀など、いかにもおじさんといったもの。「僕に似て」(のび太談。ていうか、あんたがのび助に似たんだってば)運動神経が鈍いためか、どれも腕はイマイチ。教習所に熱心に通っているが、いまだに免許をとることができない。絵についても完全に筆を折ったというわけではなく、玉子をモデルに久しぶりに絵筆をとっている姿が一度だけ見られている。

 だが、そんなことはどうでもいい。キャラクターとしてのパパの本領は、逢雲逮雲さんのページに詳しいように、オチに利用されてこそ最大限に発揮されるのだ。水道山さんの言うとおり、パパはオチのために存在していると言っても過言ではない。作者にとって、まことに使いやすいキャラなのだ。私が思うに、パパがオチとして使われるのは二つのパターンがあると思う。

1.のび太に説教してしっぺ返し

 「アドベン茶」「くろうみそ」あたりがこのパターンだ。のび助がのび太に説教したことで騒動が巻きおこる。父親が厳しかったせいか、あるいは若い頃に苦労したせいか、部屋でゴロゴロしているのび太に向かって「苦労をしろ」だの「外へ出て冒険をしろ」などと説教をするのだ。「アドベン茶」のときは冒険をしろと言ったので、飲むと冒険をさせられてしまうという「アドベン茶」を飲まされ(自分からガブガブ飲んだ)、さんざん冒険してしまった。「くろうみそ」のときは食べると苦労してしまう「くろうみそ」を、やっぱり率先してパクパク食べてしまい、いらぬ苦労をすることになった。

2.道具の犠牲になる

 圧倒的にこちらが多い。のび太達によって道具の実験台にされたり、落ちていた道具を拾って被害にあったりしている。親不孝なやつらである。このパターンは枚挙にいとまがないが、「催眠グラス」をひろってかけ、鏡に映った自分に「まるでふくろうだ」といってしまったために、フクロウになってしまったのは印象的だ。

 このようにのび助は、きちんとしたキャラクター設定がなされ、オチとしてだが登場回数も多い恵まれたキャラクターなのだ。さすが主役の父。「それでいいのか?」と思ってしまうが、とりあえず彼は今の生活を幸せに思っているらしいから、これでいいのだ!

その二 しずかちゃんのパパ


 この人が出てきたところを見たことがない、という人もいるかもしれない。考えてみれば、しずかちゃんのパパだけでなく、ママも他のママと比べるとキャラクターがない。「立体コピー紙」「地震訓練ペーパー」のときのように、道具の犠牲者となることもある。しかしだいたいはしずかちゃんの家を訪れたのび太に対して、玄関で彼女の留守を伝える、伝言板でもできそうな役回りばかりだ。イジりどころが少ない。美人で優しいままなのだが、優しいだけでは成功できないのは現実もマンガも同じこと。頻繁に出てくるママですらこうなのだから、まったくといっていいほど出てこないパパなど・・・。と、思いきや。実はこのパパ、ファンの間では知らない人はいない。おおっぴらに登場したのはただ一回なのだが、その一回でのび助が百回オチに使われても及ばないような、印象的な役割を果たしているからだ。

 その話とはてんコミ第25巻、「のび太の結婚前夜」。劇場版と同時上映されたほどの名作である。その名の通り、いつものごとく自分の未来が不安になったのび太は、ドラえもんとともにタイムマシンで自分の結婚前夜まで赴く。まずは自分の様子を見に行くが、勘違いして一日早く式場に行ったり、ジャイアン、スネ夫、出来杉君を交えての前夜祭でハメを外したりと、だらしないことこのうえない。もう10年ほどすると息子・のび助も大きくなり、少しはましな大人になっているんだがなぁ・・・。それはともかく、そんな未来の自分に愛想を尽かしたのび太は、今度はしずかちゃんの様子を見に行く。野比家がマンションに引っ越していたのと違い、源家は昔のままの場所にあった。二人が到着した時には、すでに親子三人でのお別れパーティーは終わっていた。後かたづけを手伝っていたしずかは、自分の書斎にいるパパにおやすみのあいさつをしにいく。が、明日は嫁入りであり、なおかつ彼女はなにか言いたげなのに、本当におやすみだけいって部屋を出てしまった。こんなときはかえって何も言えないものさというドラえもんは、「正直電波」を取り出す。とたんにしずかは部屋に入り込むなり、「パパ! あたしお嫁にいくのやめる!」などと言い出す。自分が行ってしまったらパパやママが寂しがる。私はいつも甘えてばかりいたのに、パパやママにはなにもしてあげられなかった、と。しかし、パパはそんな彼女に優しく言い聞かせる。「とんでもない。君は僕らにすばらしい贈り物を残していってくれるんだよ。」 最初の贈り物は君が生まれてきてくれたことだと、その時のうれしさを熱く語る。「それからの毎日、楽しかった日々、満ち足りた日々の思い出こそ、君からの最高の贈り物だったんだよ。」なんと感動的なセリフだろう! 下手なドラマなどよりもよっぽどすばらしい。結婚式とその前日には人はむやみに感動体質になり、かっこいいセリフの一つや二つ言ってみたくなるものだ。しかしそれにしても、こんな言葉がスラスラと出てしまうパパはすごい。教養のある人なのだろう。さらにその後、のび太とうまくやっていけるか不安がる娘を、優しく励ます。「のび太君を選んだ君の判断は正しかったと思うよ。あの青年は人の幸せを願い、人の不幸を悲しむことのできる人だ。それが一番人間にとって大事なことなんだからね。彼なら、間違いなく君を幸せにしてくれると僕は信じているよ。」「ドラえもん」の中でも、屈指の名場面である。のび太をこんなにも評価してくれる人は、彼の両親を含めて他にはおるまい。もっとも、しずかちゃんがのび太を選んだ理由は別の話のなかで描かれている通り、「ついていてあげないと危なっかしくてしょうがないから」という、なんともなさけのないものだったが・・・。まあ、そんなくだらない過去はバッサリと捨ててしまおう。この言葉に感動したのび太は、しずかちゃんを必ず幸せにしてみせると、固く心に誓うのだった。

 このように、しずかちゃんのパパはたった一回の登場で、他のキャラの追随を許さないほどの強烈な印象を残したのだった。他のアニメや特撮でも、こんなキャラは滅多にいない。それにしても、出木杉君以上の好人物と思われるしずかちゃんのパパ、一体どういう人なんだろう? なにぶん登場回数がほとんどないので、のび助のようにその過去や趣味はほとんど明らかにされていない。わかるのは、かなりの知識人だということだ。劇中での彼のセリフの表現のすばらしさはもちろん、彼の落ち着いた感じの書斎やそこにあったたくさんの本、パイプタバコをくわえた、品がありおだやかな表情も、彼の知性をうかがわせるには十分だ。ペンスタンドには羽根ペンも置いてあったので、もしかしたら作家なのかもしれない。作家でなくとも、学者や評論家、あるいはきちんとした新聞社や雑誌社の編集長など、高い知性が必要な職には違いない。こんな人の下について働けたら、働きがいがあるだろうなぁ・・・。

その三 スネ夫のパパ


 スネ夫というと思い浮かぶのは、「お金持ち」「自慢したがり」といった言葉である。しかし、決してスネ夫自身がお金持ちであるわけではない。当然、彼のパパが金持ちであるからこそ、スネ夫は自慢ができるのだ。スネ夫には早く、金持ちであることに直結するもの以外のアイデンティティーを見つけてほしい。さもなければ、家が貧乏になりでもしたら自我喪失してしまう。

 まあ、スネ夫の心配などどうでもいい。問題なのはパパの方だ。スネ夫のパパといえば、「うちのパパが○○の人と友達で・・・」というスネ夫の自慢話である。スネ夫はおりにふれてうちのパパは社長だと言っているし、ある話では自分の将来について「デザイナーになりたいけど・・・たぶんパパのあとを継いで社長になるでしょう」などと言っているから、当然その仕事は社長なのだろう。それにしても気になるのは「あとを継いで」というところだ。・・・世襲制なんだろうか? あんなリッチな暮らしをしているのだから、相当大きな会社なのだろう。町工場じゃあるまいし、そんな大会社の経営陣が社長の一族だけで構成されているというのは異常な話だ。親の七光りということもあるだろうし、代々そんなに優秀な奴ばかりあらわれるとは限らないだろうに。さらに気になるのは、どんな業種かだ。例の「パパの友達」を見ると、テレビ局や出版社の社長が多い。ここから察するに、やはりマスコミ関係の仕事だろうか。しかし、いくら友達とはいえ、自分の息子の、アイドルとのツーショット写真を撮らせてくれなどと頼むなど、職権乱用ではないだろうか?

 骨川一族の最も異常なところは、あの顔だ。骨川家はもちろん、いとこ、先祖、はてはペットの猫まで「あの顔」なのだ。似すぎなんてものじゃない。直線と鋭角だけで構成された、あんな顔の人間ばかり。どういうことなんだろう。あんな顔の人ばかり選んで結婚を繰り返してきたのか、近親婚を繰り返してきたのか、あるいは先祖が何か悪いことをやった祟りなのか・・・。

 パパの性格についてだが、意外にいいパパと思われる。彼が家族を連れて旅行に行くのは日常茶飯事なので、家族サービスはまめなようだ。ただ、しっかりとした人間とは言い難い。家族で海水浴に行ったときには、車を盗まれていた。まあ、これぐらいならしかたがない。行楽地での盗難はよくあることだし、彼のことだから狙われやすそうな、高い外車にでも乗っていたのだろう。しかし、旅行先でトラブルを引き起こしたことはまだある。大雪山にスキーに行ったときは、家族共々遭難しかけた。また、別荘に泊まりに行ったときは、金持ちらしいケチさを発揮して格安の物件を買ったために雨漏りやヤブ蚊、ゴキブリに悩まされた。家族を旅行に連れていくのなら、もっと安全と快適を約束してもらいたいものだ。そもそも、暴れん坊将軍みたいに社長が必要以上にホイホイ家族旅行をするということ自体いかがなものか。うっかりもののうえにこんな調子で、よく経営職が務まるものだ。本当にカタギの仕事をしているのだろうか?

 結局スネ夫のパパは、「哀・脇役」でも取り上げた「スネツグ政略養子疑惑」もあって、いい父親なのか、あこぎな人間なのかわからなくなってしまった。「ドラえもん」の中でも、最も不透明なキャラの一人だろう。

その四 ジャイアンの父ちゃん


 この人が一番かわいそうなパパだと、私は思う。その存在すら知らない人が多いからだ。登場回数も少なく、「一生に一度は百点を・・・」「ソノウソホント」あたりの初期の作品くらいしか思い当たらない。もしかしたら、剛田家は母子家庭だと思っている人もいるかもしれない。考えてみれば、剛田家というのは「ドラえもん」の中でもとりわけ個性の強い一家ではなかろうか。まず、いわずとしれたジャイアニズムの教祖、ジャイアン。さらに、ジャイアンバスターの母ちゃんがいて、「最も成長著しいキャラ」と言われている、同人街道まっしぐらの賢妹、ジャイ子がいる。こんな個性の強い家族に囲まれて、作品の中で自分の存在をアピールするのは並の困難ではあるまい。

 実を言うと意外なことに、ジャイアンの親戚には結構人間のできた人が多い。おじさんやいとこなど、なぜか出てくるのは男ばかりなのだが。例えば、空手の達人であるおじさんは、彼に空手を教わってもっと強くなりたいというジャイアンに対して、「空手はケンカの道具ではない。君の求めているのは獣の強さだ」といって、弱いものを守ってあげろと諭す。また別のおじさんは、お寺の住職だった。こんなよくできた人が親戚にいるのに、なぜジャイアンはああ粗暴なのだろう?

 さて、そんな親戚と同じく、ジャイアンの父ちゃんもまたよくできた人だ。「一生に一度は百点を・・・」の時である。ジャイアンはのび太が持っていた「コンピューターペンシル」を盗み、百点をとった。それを父ちゃんに見せると、彼は泣き出した。「涙が出るほどうれしいかい」と言うジャイアン。しかし、その反対だった。父ちゃんは「不正だけはするなと教えていたはずだ」と彼をしかりつけ、鉄拳制裁を加えたのだ。ジャイアンをしかるには、このぐらいしなければならない。彼としては不肖の息子の粗暴さを知っているからこそ、彼がこれ以上社会の迷惑になるような人間にならないようにと必死なのだろう。

 彼が登場した別の話、「ソノウソホント」はこんな話だった。のび太達は空き地で父親の自慢話をしていた。ジャイアンは大きな板を持ち出し、うちのおやじはこれくらいの板なら片手でバリンと割ってしまう、と自慢する。ところがのび太は場の勢いで、そばにあった一抱えもある石を指さし、あれくらいの石をうちの父さんはげんこつで割っちゃうぞ、などととんでもない大風呂敷を広げてしまう。常識をわきまえろよ。それを友達が見に来たので、ドラえもんは「ソノウソホント」という鳥のくちばしのような道具を取り出した。口につけて嘘をつくと、その嘘が本当になる、という道具だ。のび太はこれをつけて、「うちの父さんはげんこつで石を割るぞ」と言う。たちまちパパは勝手に動き、みんなの前にやってきたかと思うと、げんこつで石を粉々にうち砕いてしまった! 驚嘆した友達は口々にのび太のパパをほめたたえる。くやしくてたまらないジャイアンは、涙を浮かべてその出来事を父ちゃんに告げる。「ばかいっちゃいけねえ。このへんに、父ちゃんより強いのがいるなんて」と笑っていた父ちゃんだったが、やがて「なにい、みんながばかにしたって」と顔色を変えてのび太のパパに相撲を申し込む。のび太のパパをほめただけで、決してジャイアンをばかになどしていないのだがなぁ・・・。被害妄想まであるのか、こいつには。一見すると、いい大人なのにいやがるパパと相撲をとりたがる姿は大人げなくも見えるが、息子の受けた屈辱(?)を自分のことのように重く見て、息子の面子を守ろうとした行動と見れば、息子思いの優しい父親だ。結局のび太が「ソノウソホント」を使ったため、のび太のパパに投げ飛ばされ、「おみそれしました」とすごすごと退散するのだが。

 それにしても、こんな立派な父親がいるのに、なぜジャイアンはああなのか。ひょっとしたら鉄拳制裁を加える父と、彼以上にジャイアンに対して高圧的な母の反動で、ああなってしまったのかもしれない。内面は意外ともろいタイプらしい。

 こんないい父親なのに、彼は作品初期にいなくなってしまったのだ。それは冒頭でも述べたとおり、あくの強すぎる彼の家族のせいだろう。剛田家は彼なしでもやっていける。そう判断されたため、彼は消えてしまったのだ。ただいい親父なだけじゃだめなんだなぁ・・・。

 主人公のパパ達は、メジャー、マイナーに関わらず、個性的な人たちだった。オチのエキスパートもいれば、詩人もいる。得体の知れない人もいれば、不運にも「哀・脇役」になってしまった人もいた。私は最初、彼らをかわいそうな人たちと思っていたが、そんな言葉は彼らには失礼だし、似合いもしない。彼らは「ドラえもん」というドラマの、重要な俳優なのだ。ピエロに徹している人も、人を感動させる人も、みなそれぞれの役割をまっとうしている。実に男らしい生き方ではないか。それに、一家の父親として、家族を立派に養っていること自体、じゅうぶんすごいことだ。不景気で元気を失っているお父さん達には、彼らを見て活力を取り戻してほしい。がんばれ、ニッポンのお父さん!!

目次に戻る inserted by FC2 system