「しっかし・・・」

 その青年は、リニアウェイの窓から見える光景を見ながら、何気なくそうつぶやいた。

「やっぱりでかいな。本当にありゃ、海上要塞だ・・・」

 リニアウェイは、海上に架けられた長い橋の上を疾走している。そこからは、その上に無数の建造物と人間を乗せた、巨大な人工島が静かに浮かんでいた。ギガフロート。かつて土地不足の解消法として考案された、巨大な鉄板を海上に浮かべ、その上に建造物を建築するメガフロート計画は、このように発展した形で、この21世紀末に生きていた。東京湾上に置かれ、ずばり「海上区」と名付けられた東京第24区では、今は30万人以上の人々が生活している。そして、彼もまたその仲間入りを果たそうとしているのである。

 リニアウェイは橋の上を疾走する。その車中で、青年は持っていたカバンから一枚の書類を取り出した。自分の顔写真の貼られた書類を見ながら、青年は思った。

「それでもここが、今日から俺のホームグラウンドだ。よろしく、海上区」




第1話

〜April〜

初出勤、初出動

 リニアウェイのドアが開き、たくさんの人々が降りてくる。時刻は九時半を過ぎた頃。朝ほどは混んではいない。もっともその朝でも、在宅勤務が主流となった現代では、今世紀初頭ほど通勤ラッシュというものはひどくない。

 青年は、その人の流れに乗って、駅の前まで出てきた。彼の場合は、在宅勤務はできない仕事なのである。彼は駅を出るとまずキョロキョロと辺りを見回した。そして、お目当てのものを見つけると、その前に走り寄る。

「ええっと・・・海上区高野51−3・・・」

 既に頭の中に入っている番地を復唱しながら、青年は駅前にある案内地図を見ていた。まもなくそれを見つけて、微妙な顔になる。

「どうしようかな・・・」

 駅から彼が目指す場所までは、微妙な距離だった。彼のすぐそばには、バスが停まっている。それに乗ればすぐなのだが、青年はあまりそれに乗りたくなかった。これからこの街で暮らすのだ。初出勤ついでに、歩きながら街の様子を見て回るのも悪くない。青年は、歩いていくことにした。




「それにしても・・・なんで坂まであるかな・・・」

 人間が一から作った陸地なんだから、こんな坂なんかなくてもいいのに、と、青年は歩きながら思った。坂道を上って疲れるほど、彼の体はヤワではない。そんなことでは、これまでの3年間を消防士として勤めることなどできなかっただろう。ただ、なんとなく面倒くさく感じた。

 何気なく彼は顔を上げた。彼の目の前には、横断歩道がある。そして、その向こう、つまり坂の上から、何かが転がってくるのが見えた。

「・・・?」

 最初はそれが何か、彼にもわからなかった。しかし、やがて彼にもその正体がわかった。

「!! 大変だ・・・!!」

 そうつぶやくなり、彼は猛然とダッシュを始めた。カバンではなくバックパックを背負ってくればよかったと、走るたびに大きく揺れるカバンに後悔したが、そんなことはかまっていられない。目の前の横断歩道の信号は、点滅を始めている。そして、転がっている物体は間もなくそれにさしかかろうとしていた。青年はさらに、ダッシュを続ける。

「うわぁぁぁぁぁぁぁ! 誰か止めてぇぇぇぇ!!」

 奇妙なことに、その物体は転がりながらそう絶叫していた。子供のような声だ。それもそのはずだろう。転がっているのは、子供の生首だったのだから。

「よっ!」

ポンッ!

 ギリギリで横断歩道を渡り終えた青年は、同じく横断歩道を渡りかけた生首を、ボールをキャッチするようにつかまえた。直後、背後の信号が赤になり、背後でエアカーが何事もなかったかのように通行を始める。

「ありがとうお兄ちゃん。助かったよ」

 青年の腕の中で、少年の生首はそう言ってにっこりと笑いかけた。しかし、青年はそれには答えず、努めて怖い顔をした。

「なにが助かっただ。もうちょっとで車に轢かれるところだったんだぞ! 坂でチャンバラごっこをやっちゃいけないって、学校で教わらなかったか?」

「僕、まだ幼稚園だよぉ・・・」

「とにかく、早くこっちへくるんだ」

「うん、今行く・・・」

 しばらくすると、坂の上から二人の子供が駆け下りてくるのが見えた。5歳くらいだろうか。それぞれ片手に、おもちゃの刀をもっている。どこから見ても、普通の子供だ。そのうちの一人に、首から上がないことを除いては・・・。

「ありがとう、お兄ちゃん」

 二人の子供は、ペコリと頭を下げた。

「もうひとつ。ごめんなさい、は?」

「ごめんなさい・・・」

 神妙な顔をする子供達。青年はそれを見て苦笑すると、手に持っていた生首を、頭のない子供に手渡した。

「それでよし。早くくっつけなさい。落ち着かないから」

「ハーイ」

 もう一人の子供が、ポケットからノリのようなものを取り出し、首を切られた子供の切り口に塗りつける。そして、首を切られた子供が自分の首の上にその生首を乗せると・・・先ほどまで胴体と頭が分離していたとは思えない、ごく普通の子供の姿に戻った。

「チャンバラごっこは、平らな場所でするんだ。わかったな?」

「ハーイ! ねえ、それよりお兄ちゃん、もしかして・・・」

 二人の子供は、興味津々といった様子で、青年の着ているものに目を輝かせていた。灰色と黒を基調とした、落ち着いた色調の制服。なんとなく、警察官や自衛官のそれにも似ている。おせじにも派手とは言えないものであったが、子供達にとって、それは憧れのようなものらしい。

「「えすえむえす」の人なの?」

「あ、ああ・・・。今日から働くんだ」

「ワァ! スゴーイ!!」

 子供達がおおはしゃぎする。予想以上の人気に、青年はまんざらでもなさそうな顔をした。

「お前は、俺がSMSで最初に助けた人ってことになるな。自慢していいぞ」

「うん!」

 素直に笑顔でうなずく男の子。

「いい子だ。ところで念のために聞くけど・・・SMSの人達がいるのは、この坂の上だよな?」

 念のため、子供にも道を尋ねる青年。

「うん! この坂の上にね、秘密基地があるの。そこからかっこいい車が空飛んでくのを、僕、いつも窓から見てるんだ」

 男の子の言葉は拙いものだったが、青年には彼が何をいわんとしているかは十分にわかった。青年はにっこりと微笑むと、再び坂を上がり始めながら言った。

「ありがとう。お兄ちゃんはこれからバリバリ働くから、応援してくれよ。それじゃ」

「バイバーイ!!」

 子供達は無邪気に手を振ると、やがて元気よく駆けていった。先ほどのように坂を上り始めた青年は、そんな彼らを見やりながらつぶやいた。

「すぐにくっつくノリがあるからってなぁ・・・。ほんとに切れる刀使ったチャンバラごっこってのは・・・やっぱよくないんじゃないかなぁ・・・」

 青年はため息をつくと、坂の上を見上げた。灰色の小さな学校のようなものが、彼の目には映った。それこそが、彼がこれから働くことになる場所である。




 坂を登りきった青年は、改めてその建物を視界全体にとらえた。建物自体は、まだ建設されてそれほど年数が経ってはいないようだ。雨風による汚れは目立たない。

 青年は今度は、その建物より手前にある正門に目を移した。金色の文字で、「(社)東京都特機保安隊 第1小隊分署」と書かれている。

「いよいよだな・・・ウン?」

 それを見ながらニヤリと笑っていた青年は、別のことに目を留めた。正門の前に、一人の女性がこちらに背を向けて立っているのである。パッと見では、何をしているのか皆目見当がつかない。

「・・・」

 青年はゆっくりと歩みを進め、正門、そして、その女性へと近づいていった。

「・・・スゥー・・・ハァー・・・」

 なんだかわからないが、その女性は何やら深呼吸をしているらしい。青年は首を傾げつつも、意を決した。

「あの・・・」

「ひゃあっ!?」

 青年が声をかけた刹那、その女性は彼女自身より青年が驚くような素っ頓狂な声をあげて振り返った。青年が驚いて一歩退いている状態のまま、女性はクルリと振り返った。

「あ・・・!?」

 女性は青年の姿を見ると、大きな目をさらに大きく見開いた。顔立ちは幼く、女性と言うより少女と言った方がしっくりくるかもしれない。そして次の瞬間には、彼女はなんとか落ち着こうと必死になっているといった様子で、機関銃のようにまくしたてた。

「ほ、本日より東京都特機保安隊第1小隊に配属となりました、服部ひかるです! よろしくおねがいします!」

 すごい速さでペコリと頭を下げる少女。立て続けに起こった出来事に青年は言葉を失っていたが、やがて落ち着きを取り戻し、彼女に言った。

「は、服部さん・・・だよね?」

「ハ、ハイッ!」

 下げたときと同じように、ものすごい速さで頭を上げ、大真面目な顔で答える少女。

「俺に頭を下げられても・・・困るんだけど・・・」

「え・・・? でも、その制服・・・」

 どういうことかわからない、といった様子で、彼女は青年の着ている制服を指さした。そしてそれと同じものを、彼女も着用していたのである。

「わかんないかな・・・つまり、君と同じってこと」

「え・・・!? じゃ、じゃあ・・・」

「なんか勝手に自己紹介されちゃったけど・・・今度は俺の番だね。新座圭介、22歳。君と同じく、今日からここのお世話になる。よろしくな」

「ハ・・・ハイッ! よろしくおねがいします!」

 ひかるは先ほどのような緊張をまだ残した表情で、それでも精一杯の笑顔で、差し出された圭介の手を握った。




 夢の科学時代。今の時代ほど、そんな言葉が似合う時代は、他にはなかっただろう。21世紀も後半になったころ、それまで停滞気味だった科学が、爆発的な進歩を遂げ始めたのである。原因は定かではない。一説には環境問題や食糧問題など、数々の問題を抱えてせっぱ詰まった人類という種が、それを乗り切るためにこれまでにない数の天才達をこの世に産み落とした結果だとも言われるが、真相はそれが一番近いのかもしれない。

 確実なのは、爆発的発展を遂げた科学が、それと同じく爆発的な進歩を社会にもたらしたということである。超科学の成果は商品としてかたちを変え、急激に市民生活に浸透していった。多くの市民達は、これまでよりもさらに快適な暮らしを手に入れていった。

 しかし、メリットがあるものにはデメリットもまたつきものである。企業が開発した新製品の暴走。超科学技術をその手段に導入したハイテク犯罪やテロ。そういったものもまた、市民生活の変化と変わりないほどの多様さで、人々の前に現れるようになったのである。

 こうした変化に富んだ緊急事態に対応するためには、従来の治安維持組織はあまりにも柔軟性に乏しいものであった。やがて、安全を求める市民の声は、日本の警視庁に新たな特殊部隊設立の決定を下させた。急速に進歩する科学技術を直接・間接の原因とする、通常の警察では対処しきれない事件・事故の調査・解決を目的とした、最新鋭機材を備えた特殊部隊。その部隊は柔軟な運用のため、警察直属の組織ではなく、民間に半分運営を任せた、一時期の第3セクターのような形で活動を開始することになった。スペシャル・マシンナリー・セキュリティーズ。通称「SMS」の誕生である。こうして試験的に活動が開始されたSMSは、当初の予想を上回る成果を上げ、その結果、各大都市地域にSMSの分隊が編成されることとなった。


 そして、今日。「最初のSMS」である東京都特機保安隊第1小隊に、二人の新人隊員、新座圭介と服部ひかるが配属されたのである。




「・・・んで、こんなところで何してたの?」

 とりあえず気になっていたことをひかるに尋ねる圭介。

「ちょっと・・・気が引けちゃって・・・」

 恥ずかしそうに答えるひかる。

「ハア・・・。俺達はこれからここで働くんだよ? そんなのでどうする?」

「すいません・・・。私、気が弱くって・・・」

「・・・ところで、君、ポジションは?」

「管制員ですけど・・・」

「管制員!?」

 その言葉に、圭介は目を丸くした。

「それで・・・新座さんは?」

「・・・実働員・・・」

「えっ! じゃあ、私がサポートすることになるんですね?」

「・・・そういうことだろうな・・・。ハア・・・」

 ガッカリしたような顔で、ひかるの顔を見る圭介。その視線に、ひかるは少し怒ったような顔をした。

「大丈夫です! 私だってちゃんと訓練をしてきましたし、厳しい試験も通ったから、ここにいるんじゃないですか! 私こう見えても、やるときにはやるんです!」

「自分で言うなよ・・・。こっちはそっちに、命預けることになるんだよ? 任せて大丈夫?」

「大丈夫です!」

 胸を張って答えるひかる。そんな彼女を黙って見ていた圭介だったが・・・

「・・・まあ、文句言ったって始まらないな。お互いを信じないと、いい仕事なんてできないだろうし」

「そうですよ!」

 お互いに笑顔を浮かべる。

「とりあえず、これでコンビ結成だな。仲良くやろう。それと、あらたまった場所ならともかく、普段は俺のことは苗字で呼ばなくてもいい」

「そう・・・ですか? わかりました。それじゃ・・・圭介君・・・で、いいですか?」

 その言葉に、圭介は内心で怪訝な顔をした。苗字で呼ばなくてもいいとは言ったが、いきなり「圭介君」とは・・・。呼び捨てにされた方が、まだしっくりくる。しかし、圭介は一応うなずいた。

「それと・・・私のことも、呼び捨てにしてもらってかまいません」

「そ、そう・・・? それじゃ・・・ひかる。こんな感じ?」

「はい」

 基本的に周りに男の方が多い人生を送ってきた圭介にとって、女性を呼び捨てで呼ぶような機会は、非常に少なかった。彼はそんな自分に、やはりしっくりいかない感じを覚えた。

「ま、そのうち慣れるか・・・」

 彼は内心で、そう割り切ることにした。すぐに頭を切り換えると、しなければならないことをすることにする。

「さて、俺達だけで挨拶しててもしょうがない。早く隊長や先輩達に挨拶しないと」

「そうですね。それじゃ、行きましょう」

 二人は連れだって正門を通り、敷地内へと入っていった。




 それから数分後。「隊員オフィス」というドアプレートのついた自動ドアの前に立つ、二人の姿があった。

「うー・・・緊張する」

 ドアの前で圭介は、緊張した様子でいた。

「なんだ、圭介君も緊張してるんじゃないですか」

「一緒にしないでくれ。緊張の種類が違うんだから」

「種類が違うって・・・どういうことです?」

「大先輩を前にした緊張ってこと。いくぞ」

 そう言って彼は気を引き締めると、ドアの前に立とうとした。その時だった。

「やあ。やっぱり、新人君は早いね」

「!!」

「!?」

 背後からの声に、思わず振り返る二人。そこにはくすんだ色の髪を短く刈った中年の男と、ひかるよりもさらに短い黒髪のショートカットの若い女性隊員が立っていた。そして、中年の男を見た途端、二人は慌ててサッと敬礼をした。

「あ、そういうのは、中でやろう。廊下じゃかっこがつかないからな」

 それを静止し、さっさと中に入っていってしまう男。ショートカットの女性隊員も、それに続く。

「・・・本物だ」

 男を見た圭介の目が、キラキラと輝いていた。

「なんだかすごく憧れの人みたいですけど・・・」

「・・・ここに来る前は、消防士をやってたんだ。消防士なら知らない人はいないよ。栄光の特殊救助隊隊長、小隈秀一の名前はね」

「へえ・・・。そんなにすごい人なんですか・・・」

「あの人の下で働けるかと思うと、夢みたいだ。さあ、早く入ろうぜ」

 うきうきした様子でオフィスの中に入る圭介。そんな彼の後に続き、ひかるも中に入っていった。




「本日より東京都特機保安隊第1小隊に実働員として配属されました、新座圭介です! よろしくお願いします!」

「同じく、管制員として配属されました、服部ひかるです! よろしくお願いします!」

 敬礼しながらかしこまる二人に、隊長の小隈秀一はピッとした仕草で敬礼を返した。

「両名の配属を、心から歓迎する。隊長の小隈秀一だ。今後とも、よろしくお願いする」

「指揮車の運転手兼外部通信担当の、岸本聡美です。よろしくね」

 ショートカットの女性も、そう言って敬礼した。しかし、形式に則った挨拶は、そこまでとなった。

「SMSへようこそ、二人とも。・・・といっても、ちょっと今は寂しいな・・・」

 そう言って部屋の中を見渡す小隈。部屋の中には7つの机が置かれている。しかし今のところ、この部屋にいるのは4人だけだ。前からここにいる人間にいたっては、小隈と聡美のみである。

「うちにはほかにあと3人いるんだけど、2人はパトロール中。もう一人は今日は非番なんだ。そういうわけで、実働部隊で今いるのは俺と岸本だけだ。このメンツじゃ、正式な自己紹介をすることはできそうにないな」

「はあ・・・」

「今のところは平穏だし、他のメンバーに紹介のしようもないから・・・探検でもしててもらおうか」

「探検・・・ですか?」

「どこに何があるか、できるだけ早く覚えてほしい。ここは探検のしがいがあるよ。そういうわけで、岸本、お願いできるかな?」

「もちろん。やっとあたしにも、後輩ができたんですから」

「うれしいだろうね。それじゃ、頼んだぞ」

「はい。それじゃ二人とも。あたしのあとについてきて」

 そう言って先を行く聡美を、二人は慌てて追いかけ始めた。




「なんか・・・イメージと違ったな・・・」

 廊下を歩きながら、圭介がぼんやりと言った。

「そうですね。失礼かもしれませんけど・・・私もそんなすごい人なのかなぁって思いました」

「能ある鷹は爪隠すってことわざ、あるでしょ?」

 そんな二人に、先頭を行く聡美が答えた。

「その方がかっこいいじゃない」

「それじゃあ、やっぱり現場ではすごいんですか?」

「そりゃあ、隊長を任されてるくらいだもの。優秀に決まってるじゃない」

「あの・・・岸本さんは、ここに配属されて何年目なんですか?」

 おずおずとひかるが尋ねる。

「2年前に配属されたわ。一応先輩だけど、まだ十分若いわよ。なんたって、22歳だもの。今のところは、最年少」

「へえ。じゃあ、同い年なんだ」

「あら? あなたも22歳なの?」

「ええ。でもご心配なく。先輩には敬意を払うようにしっかり教育されてますから」

「うれしいわね。2年間なんとなく肩身の狭い思いをしてきただけあったわ」

 そう言って笑顔を浮かべる聡美。その時、ひかるが言った。

「あのぉ・・・私も、同い年なんですけど・・・」

「「え!?」」

 圭介と聡美が、同時に声をあげる。

「そんなに驚くことないじゃないですか・・・」

「・・・マジで?」

 顔立ちが幼い上に気が弱いため、二人はひかるが同い年などとは全く想像もしていなかった。そんな彼らに、ひかるは憮然とした様子で言った。

「本当です! 証拠だってあるんですから! ほら!」

 そう言って彼女が見せたのは、運転免許証だった。生年月日の欄には、圭介と聡美と同じとしに生まれたことを示す「2065年」の文字がしっかりと書かれていた。

「本当だ・・・」

「今まで初対面で年相応に見られたことないんです・・・。ここでもそんな扱いされるなんて・・・」

 そう言ってうつむき加減になるひかる。そんな彼女を、慌てて圭介がなだめる。

「あーもう、わかったわかった! 同い年だってのは分かったし、それにバカにするわけじゃないんだから!」

「そ、そうよ! あたしも後輩を泣かせるつもりなんて!」

 二人がなだめたおかげで、ようやくひかるは機嫌を取り戻した。

「後輩持つのって、案外大変ね・・・。まあそんなことは置いといて、続き行きましょ」

 ここまでの経路で、三人は医務室や情報処理室、トレーニングルームなどの部屋を見て回っていた。

「ここから先は、普段はあんまり使わない場所なんだけどね・・・」

 そう言って三人がついたのは、黒いドアの前だった。

「ここは?」

「ドアプレートついてないけど、一応「化学実験室」。よそから依頼された化学物質の分析なんかをここでやるのよ」

そう言うなり、聡美はそのドアから離れてしまった。

「? 中、見せてくれないんですか?」

「うん・・・。実はね、うちには化学分析の専門家が一人いるんだけど・・・ほとんど彼女のプライベートルームなんだ。鍵もその人が持ってるし、黙って入ったりしたら・・・」

 そう語る聡美の顔は、なぜか青ざめていた。圭介とひかるはそれがどうも理解できなかったが、そそくさとその場を離れた聡美を追うことにした。

「ここは今使ってない場所なんだけど・・・」

 そう言って聡美が開けたドアの向こうには、大きなオーブンやグリルのあるキッチンが用意されていた。

「わあ!」

 それを見て、思わず子供のような声を挙げるひかる。

「こんな立派なキッチンがあるのに、使ってないなんて・・・」

「使う予定はあったのよ。けどね、この建物建ててからすぐに、「グルメテーブルかけ」が発明されて、それで使われなくなっちゃったらしいのよ。私達の中に料理上手がいないせいもあるけどね・・・」

「ふうん・・・」

 ひかるが何事か考え始める。

「さ、次行きましょ」

「ひかる、いくぞ?」

「あ、待ってください!」

 慌てて追ってくるひかる。その顔に、一瞬だが何かいいことを思いついたような、そんな表情が見て取れた。




「おじゃましまーす!」

 聡美が大きな声を挙げて、小さな格納庫のような建物に入っていく。そこでは、作業服に身を包んだ男達が、忙しげに働いていた。

「おやっさん、いる?」

「ああ。奥の方で、新型のVJの調整やってたぜ」

 一人の作業員に尋ねた後、ずんずんと奥に進む聡美を追う二人。ほどなくして、三人は作業を行っている一団に出会った。最も最初に反応したのは、圭介だった。

「!? おおっ!!」

そう叫ぶなり、一団の中に殺到する圭介。

「す、すげえ・・・。本物のVJだ・・・!」

 目を輝かせながら、目の前に置かれているものに視線を注ぐ圭介。その先には、中世の甲冑をより未来的にデザインし直したような、金属製のスーツが置かれている。今はそれらに複雑な配線が絡み合い、様々な機器に接続されていた。SMSの誇る外骨格型強化装甲服ヴァリアブルジャケット、通称VJである。

「なんだ、お前?」

 突然横から声がした。見ると、四角い顔をした頑丈そうな男が、不審げな目つきで圭介をにらんでいた。

「あたしの後輩よ」

 その問いに答えたのは、あとからやって来た聡美だった。

「後輩? ってことは・・・」

「本日より東京都特機保安隊第1小隊に実働員として配属されました、新座圭介です! よろしくお願いします!」

「同じく、管制員として配属されました、服部ひかるです! よろしくお願いします!」

 先ほどと同じように挨拶する二人。それを見て、男はニヤリと笑った。

「へえ、2年前のあんたよりずっとしっかりしてらあ。いや、今のあんたよりも、かな?」

「相変わらず失礼ね! あたしだって、ちゃんと進歩してるんですから」

 憮然とした様子で言い返す聡美。

「・・・こんな具合に口が悪いけど、一応あたし達のチーフメカニックの楢崎達也さん」

「一応、ってな・・・。あんたの方がよっぽど失礼だろ? こんな腕の立つ技術屋の前で・・・。まあいいや。そんなことより、やっぱりこいつを着るのはあんただろう?」

 圭介の顔を見て言う楢崎。

「ええ。これは・・・新型ですか?」

「5日前に納入されてきたばかりさ。もう1時間もすれば、いつでもいける状態になる。それよりも・・・色はこれでいいかい?」

 真っ赤に塗装されたVJを見ながら、楢崎が尋ねた。

「ピッタリです! ここに来る前は、消防士やってましたから」

「へえ、消防士か。それは期待できるな。調整はもうすぐ終わるから、試着したいときはいつでも言ってくれ」

「本当ですか!? ありがとうございます!」

 ペコリと頭を下げる圭介。それを見て、楢崎が笑う。

「技術屋冥利に尽きるねえ。ま、しっかりこいつを扱ってやってくれ」

「はい! 頑張ります!!」

 嬉しさを満面にたたえて答える圭介。一方楢崎は、視線をひかるに向けた。

「管制員だったな? 嬢ちゃんは、自分の仕事場を見ておいたほうがいい。ほら、点検は終わったよ」

 そう言って鍵を聡美に投げ渡す楢崎。聡美はうなずくと、二人に視線を戻した。

「サンキュー。それじゃ、あたし達の仕事場にご案内しましょ」




 別のガレージには、通常の大型トラックよりも少し大きいサイズの、トラックに似た車両が鎮座していた。

「これが・・・」

「反重力エンジン搭載型移動指揮車・・・あたし達の仕事場よ。それじゃ、さっそく中に入ってみましょう」

 そう言って鍵を開け、車両後部のカーゴ部分に乗り込む3人。中はかなり広く、3台のVRコンピュータと、二着のVJが置かれていた。外から見ればトラックだが、実際には運転席とカーゴ部分の間の間仕切りはなく、巨大なコンテナの中にいるような印象があった。

「わぁ・・・」

 その様子に、目を輝かせる二人。

「それじゃあまずは、こっちから説明しようか。ひかるちゃんは、警察学校でこのタイプのコンピュータは?」

「だいたいこのタイプを扱ってきました。あの・・・ちょっと動かしてみて、いいですか?」

「もちろん。そっちの端末が、あなたの仕事場になるわね」

 聡美に言われたとおり、並んで置かれている2台の端末の右側の席に、ひかるは腰掛けた。備え付けてあったバイザーつきのヘルメットをかぶり、各種センサーの取り付けられたグローブを両手にはめる。その手つきは、非常に手慣れたものだった。

「パワー・オン」

 ひかるがつぶやくと、バイザーに光が灯る。どうやら、システムが起動したらしい。そのままひかるは、グローブをはめた手を動かしてみる。一見すると何をしているかわからないが、最新鋭のヴァーチャル・リアリティーシステムと脳波入力装置の一種であるNIBEQ(Neural Interface between Brain and EQuipment 脳・機器間ニューラルインターフェース)を導入したコンピュータの操作方法というのは、こういうものなのだ。

「すごいですね、これ・・・。最新のヴァージョンじゃないですか」

 その目はバイザーに隠れているが、露出しているひかるの口元は楽しげにそんな言葉を発した。

「この車自体は4年前から使ってるけど、システムは毎年新しいヴァージョンに更新しながら使ってるんだ。ついていけそう?」

「大丈夫です。私、がんばりますから」

「フフ、頼もしいわね。もう少しやっててかまわないわよ。システムにも慣れたいだろうし」

「そうですか? それじゃ、お言葉に甘えて・・・」

 そう言って、再び操作に集中し始めるひかる。

「さて・・・これじゃ君がヒマだから、こっちの説明ね。この二つが、君と行動を共にする二人の実働員のVJね」

 そう言って、まず純白に染められたVJの説明に入る聡美。

「これはうちの仁木副隊長のVJ。あなたも副隊長の指揮にはいるから、お世話になるわね」

「頭部の形状が、俺やこっちのVJとは違いますね?」

「そう。現場では指揮官を務めるわけだから、情報収集能力と通信能力が強化されてるのよ。頭部の形状が違ってるのは、各種センサーの集合体であるユニットを組み込んであるから」

「なるほど」

「で、こっちが小島さんのVJ。他のVJと比べて、救命用の装備が充実しているのが特徴ね」

 聡美が示したのは、鮮やかなブルーに染まったVJだった。

「スペシャリストとしての性能を、求めてるんですか?」

「それとはちょっと違うわね。トータルで優れた能力をもつVJに、実働員の能力に応じたオプションを付属している、ってことかな」

「なるほど・・・。それじゃ、俺のVJには?」

「詳しくはしらないけど・・・救助作業用の機材が充実しているって話ね。以前消防士だったなら、ピッタリだと思うけど?」

「そうですね・・・」

 二つのVJを感慨深そうに見ながら、圭介は答えた。その時、いつのまにかひかるがそばに立っていた。

「もういいの?」

「はい。大体どんなものかはわかりましたから」

「そう。それじゃあ、大体これで案内は終わりね。オフィスに戻って、お茶でもいれましょう」




 ガレージを離れ、オフィスへ向かう廊下を歩く三人。その時、窓を見ながら歩いていた聡美が、何かに気づいた。

「あ・・・戻ってきた」

 窓からは、正門から中に入ってきた緑色のエアカーの姿を見ることができた。車体ドアに「SMS」のロゴを入れたパトロール用車両「ウィンディ」である。

「パトロールに行ってた副隊長達が、戻ってきたわ」

「あれがそうですか・・・」

「それじゃ、お迎えに行きましょう」

「失礼のないようにね。先輩だから」




 ウィンディから二人の人物が降りた。その直後、ウィンディは乗る者もいないというのに、勝手にガレージに向かって走っていった。

「だから副隊長、どうしてもダメなんですか? 一日でいいんですよ」

 茶色い髪の男が、先を行く青い髪の女性にすがりつくように言った。

「言ってるでしょう。この間休みをとったばかりじゃない」

 青い髪の女性は、すげもなくそう言った。

「こっちだって働きたいのはやまやまですよ。次の休みを前倒ししてほしいんです。スペーシーズが来日コンサートをするのは、十年ぶりなんですよ?」

「宇宙に行くのも海外旅行感覚になった時代よ。なかなか日本に来られない人達なら、こっちから見に行けばいいんじゃないかしら」

「ハア・・・俺の気持ちもわかってくださいよ。副隊長にだって、俺と同じ人間でしょう? 好きなアーティストの一人や二人いるでしょう?」

「もちろん。だけど私とあなたは、同じタイプの人間ではないわね。基本的に私は、仕事に生きる女だから」

「・・・もういいです。隊長に直談判しますから」

「そっちはもっと望み薄ね。隊長、洋楽にはまるで興味なしだから」

 その時、女性の足が止まった。

「どうしたんです?」

「小島君、敬礼!」

 サッと敬礼する女性。何かと思ってその向こうを覗いた男も、すぐに事情を察して同じ行動をとる。その視線の向こうには、敬礼をする二人の若者・・・圭介とひかるの姿があった。




「東京都特機保安隊第1小隊副隊長、仁木葉子です。よろしく」

 青いストレートロングの女性は、そう自己紹介した。涼しげな印象のある切れ長の目や、何事にも動じることのなさそうな整った顔立ちは、いかにも副隊長というポジションにふさわしい印象を与えた。

「東京都特機保安隊第1小隊実働員、小島佳樹。これからよろしく!」

 その隣に立っている男からは、それとは違って少し軽い印象を受ける。しかしこの場にいるということは、少なくとも人並み以上の実力を備えていることに他ならない。

「とりあえずこれで、全員の自己紹介は終わったな。あと一人非番のがいるけど、そっちはあとで自己紹介してくれればいい。何はともあれ、当初の希望が叶いこの第1小隊に配属されたことについて、おめでとうと言いたい。我々は心から、君たちを同じ使命に挑む仲間として認め、歓迎する。敬礼!」

 小隈隊長の号令によって、仁木以下の先輩隊員達が一斉に敬礼をする。それに応えて、新人二人も緊張の面もちで敬礼した。

「・・・と、正規の挨拶はここまで。これから、隊長として諸君に期待することを君たちに伝える。それを守ってこそ、優秀なSMS隊員と言えるだろう」

心して聞くように、といった重々しい口調で、隊長は言った。その言葉に、さらに新人の顔は緊張する。

「・・・我々の間では、これを「四つの「よく」」と呼んでいる」

「・・・?」

「よく食べる、よく寝る、よく働く、そして、仲良く。君たちに求めるのは、それだけだ」

 思いも寄らない内容に、二人は呆気にとられていた。一方、小島と聡美の二人は、かみ殺しきれない笑いを表情にたたえていた。その隣にいる仁木は、すました顔でじっとしている。

「以上で、歓迎の式は終わりだ。たった今から、君たちはSMSの隊員としての仕事についてもらう」

再び威厳のある口調に戻った小隈が、二人に言う。それにともない、二人の顔はまた緊張した。

「・・・とはいっても、俺達の仕事は基本的には緊急出動だから、普段はほとんどやることはない。何してもらおうかな・・・」

 隊長が考え始めたその時、聡美が手を挙げた。

「ハーイ、隊長!」

「なんだ岸本。また特訓か?」

「ハイ! 初日から初めてこそけじめがつくと思いますが」

「いきなりあのトレーニングにつきあわせるのは酷じゃないか?」

 小島が怪訝そうな顔で言う。

「そんなことじゃダメなんです! 日々の鍛錬が、本番での結果を生むんですから」

「それはそうだけどな・・・」

「まあ初日なんだから、楽してもいいと思うよ」

「隊長!」

「決めた。新座はVJの試着。服部は指揮車でシステム操作の練習。これでいいかな?」

「「はい!」」

「それじゃ、いってらっしゃい」

「「失礼します!」」

 敬礼をしてオフィスを出ていく二人。それを残念そうに見送る聡美。

「ちぇ。せっかく訓練してあげようと思ったのに・・・」

「オペレーターだって、いつ必要とされるかわからないじゃないですか! そういうときのために、体を鍛えなきゃいけないんです! VJの性能だけに頼ってちゃいけません!」

「よっぽど体を動かしたいみたいだな、岸本。小島、つきあってやれ」

「ええっ!? なんでですか!?」

「確かにVJの性能ばかりに頼るのはよくない。それに、この間お前が休みをとったとき、豊島区の怪獣園から一匹脱走して捕まえるのが大変だったの知ってるだろう?」

「アルタイルゴリラ・・・でしたっけ? 生後2ヶ月の赤ちゃんだってのに、すごい力でしたよね。さすがに副隊長だけじゃ足りなくて、第2小隊に応援頼んでやっとつかまえられたんですから。ほんと、あれって大変でしたよね、副隊長?」

 無言でうなずく仁木。

「そんなぁ・・・そんなの、悪いのは俺じゃなくてタイミングとそのゴリラの赤ん坊のせいじゃないですか!」

「それはそうだけどねえ。でも、さっき新人君達に「仲良く」って言っちゃったし。そう言った手前、やっぱり苦労はみんな仲良く公平にしなきゃだめだし、まずは先輩が率先して手本を見せるのが流儀でしょ?」

「な・・・隊長! 言ってることがメチャクチャですよ!」

「男がつべこべ言わない。岸本、よろしく」

「わかりましたぁ。さ、小島さんいきましょ。まずはランニング20周から」

「え、ちょ、ちょいまち・・・」

 しかし聡美は有無を言わさず小島の襟をつかむと、そのままズルズルと引きずって出ていってしまった。

「・・・やっと、静かになりましたね・・・」

 仁木が静かに口を開いた。

「俺はああいうにぎやかな方がいいんだけどな。仁木、君だってどっちかというとそうだろう?」

「それはまあ、そうですけどね・・・。それよりも隊長、今度の新人、どう思います?」

「・・・パッと見がどうでも、意外と頼りになるのがここの人間でしょ? 新人選びは部長がしっかりやってくれてるから、大丈夫だよ。何の心配もいらない。至らない部分は、現場で直していけばいいんだから」

「気楽に言ってくれますね・・・」

「まあよろしく頼むよ。今までみたいにね。俺も手伝うからさ」

 そう言って小隈は、タバコに火をつけた。




 ビュンッ!

 そんな音をたて、一つの赤い影が飛翔する。次の瞬間、ガレージの屋根の上にたたずむ赤いVJの姿があった。

「どうだ、そいつの具合は?」

 先ほどからその性能を試すように激しい機動を繰り返す赤いVJに、楢崎は声をかけた。

「すごいですね。消防隊で使ってたFJとは、性能が段違いですよ」

「そりゃあそうだろうな。とりあえず、降りてきてくれ。微妙な調整をすれば、もっと動きがよくなるさ」

「わかりました」

 屋根から軽々と着地するVJ。中庭に置かれた急ごしらえの作業台に腰掛けると、まずヘルメットを外し、次にVJの前が扉のように開く。VJを体から外すと、圭介は作業台から降りた。すぐに整備班が駆けつけ、スーツの調整作業に入る。

「これからこれを着て働けるかと思うと、わくわくしますよ」

「ほどほどにな。気持ちは分かるが、一応これは仕事の道具なんだから」

 その時だった。

 ビーッ! ビーッ!

 施設内に警報音が響き渡る。すぐに全員が、ハッとした顔で空を見上げる。

「東京消防庁より出動要請! 湾岸スペースポート第3トンネルにて、火災事故が発生! 多数のけが人が出ている模様! 第1小隊は至急オフィスに集合!」

 聡美の声で、緊急出動を告げる声が響く。

「俺、いってきます!」

「調整は後回しだな。すぐに指揮車に乗っけておく」

「助かります!」

 そう言って、その場から駆け出す圭介。オフィスに向かう途中、ガレージから走ってきたひかると合流する。

「出勤初日から出動なんて・・・」

「だいたい予想はしてたけどね・・・」

 二人がオフィスに入ると、すでに隊長達が集合していた。

「早かったな。緊急を要する事態なので、手短に状況を説明する。今から20分前、湾岸地区の湾岸スペースポートに通じる第3トンネルで玉突き事故が発生した。20台以上の車が衝突して、多数のけが人が出ているうえ、衝突した車両によって入り口がふさがれ、救助が非常に困難な状況になっている。それだけでも十分我々が出動する必要はあるのだが・・・もう一つ、深刻な問題がある」

 その言葉に応じて、小隈の顔も深刻さの度合いを増す。目の前に並ぶ隊員達を前に、言葉を続ける。

「閉じこめられたトンネル内に、エネルギー局の金星軌道資源衛星から輸送されてきた高純度ドライ・ライトを積んだ大型トラックがある」

「!!」

 その情報に、全員の顔が張りつめる。

「知っての通り、高純度ドライ・ライトはエネルギー源として破格の高効率を誇る。しかし・・・密閉された空間で気化すると、周囲を灼熱地獄に変えるという恐ろしい性質もあわせもっている。そんなことになっては、トンネル内に閉じこめられている人達はひとたまりもない。現在第2小隊が現地で活動中だが、我々に支援を要請してきた。目的はトンネル内部に潜入、人命救助を行いつつ、高純度ドライ・ライトの気化を防ぐことだ。以上が、今回の任務の概要だ。質問は?」

「あの・・・いいですか?」

 遠慮がちにひかるが手を挙げる。

「出動しなければならないのはわかります・・・。でも、今の状態でVJを稼働できるのでしょうか?」

 ひかるの質問の意味は、すぐに全員が理解した。ひかるのポジションである、管制員という仕事。それは、VJという精密機械を常にサポートする役割である。

 VJは現代科学の粋を集めて作られた、災害救助・治安維持用の外骨格型強化装甲服である。しかしハイテクを用いて作られた複雑な機械である以上、実際にそれを着て活動する実働員がその機能の全てを管理することは不可能である。VJではそれらの管理機能は大幅にオートメーション化されているが、どうしても人の力を借りなければならない部分がある。そんなVJを100%の力で活動させるため、指揮車から状況に応じてVJの状態をモニター、外部から管制するのが、管制員の仕事である。また、彼らの仕事はそれだけではなく、指揮車にいる隊長と実働員達との間のパイプラインを果たさなければならない。こちらの仕事の方が、VJの管制業務よりも重要と言えるだろう。

 しかし現状では、VJは三つあるにも関わらず、その管制を行う管制員はひかる一人しかいない。一人で三機のVJの管制を行うのは、ベテランの管制員でも無理であろう。ましてや、ひかるは今日配属されたばかりの新人である。彼女の言葉通り、状況から言って現在の第1小隊では、出動は不可能だろう。

「もう一人の管制員の方がいればすぐに出られますけど・・・非番なんでしょう? 呼び出すのも、すぐにというわけにはいかないでしょうし・・・」

 しかし、隊長はこともなげに答えた。

「いや、出動は可能だ」

「え・・・? 隊長、まさか一人で三機の管制をしろって言うんじゃ・・・」

 ひかるより先に、無茶だという顔で圭介が言った。しかし、隊長はかぶりをふる。

「そんな無茶は言わんよ。そうじゃなくて、ほら・・・」

 そう言って隊長は、ゆっくりと指を指した。どうやら、二人の背後を指さしているらしい。

「・・・?」

 怪訝な顔で顔を見合わせ、後ろを振り返る二人。すると・・・

「お待たせしました・・・」

 そこには、濃い緑色の髪をした女性が一人、いつのまにか立っていたのだった。

「うわぁ!!」

「ひゃあ!!」

 いつのまにか背後に立っていた女性に、ひかるだけでなく圭介までもが大きな声で驚いてしまった。先輩隊員達はそれほどではなかったが、やはり驚きの表情を浮かべていた。

「ああ、驚いた。どっちかっていうと、ひかるちゃんの声の方が半分以上かな」

「ホント、いつものことだけど、どっから入って来るんだろ・・・」

「亜矢さん! いきなり人のうしろに立つのはやめなさいと言ったでしょう?」

 聡美、小島、仁木が口々に言う。しかし、圭介とひかるの二人は今だにそのショックから立ち直っていないようで、呆気にとられた顔をしている。

「とりこんでいるようでしたから・・・邪魔をしてはいけないと思いまして・・・」

「ハア・・・。もういいわ。二人とも、彼女が管制員の桐生亜矢さん。今まで私と小島君のVJの管制を担当していたのよ」

「桐生です。よろしく・・・」

 無表情のまま、その女性は手を差し出してきた。よく見ると、彼女は無表情でもかなりの美貌の持ち主だった。しかしそれ以上に、彼女の発散する雰囲気のようなものの力がものすごい。新人二人は、それに圧倒されながらも一応その手を握っていった。

「よ、よろしく・・・」

「よろしくおねがいします・・・」

 しかしその手を握った途端、二人はギョッとした表情を出した。春だというのに、彼女の手は冬の外を歩いてきたように冷たかったのである。髪と同じ色の濃いグリーンの口紅をつけた唇に、その反応を楽しむかのような微かな笑みがうかぶ。

「フフ・・・君が新座圭介君で・・・君が、服部ひかる君・・・だね?」

 何を考えているのかわからない楽しげな表情のまま、二人の顔を見ながら亜矢が言った。

「そ、そうですけど・・・」

「資料をご覧になってたんですか?」

 まだ自己紹介もしていないのに彼女が自分達のことを知っていたことで、二人はさらに驚いた。

「君たちが来ることは・・・ずっと前からわかっていたことなんだよ・・・。そう、ずっと前から・・・ね」

 彼女から発せられる異様な雰囲気は、ますます強まるばかりだった。さらに後ずさる二人。

「はい、おしゃべりはそこまで」

 隊長が手を叩く。

「とにかく、これで第1小隊全員集合。出動には何の支障もない。それでは、出動!!」

 隊長が号令を発すると、すぐに仁木達が飛び出していく。桐生からのショックで呆気にとられていた二人は、それにやや遅れて出ていった。




「反重力エンジン、異常なし」

「よし。それでは、発進!!」

 隊長が号令を発する。飛行機のような操縦桿を握った聡美が、ゆっくりとそれを引いていく。

 ヒィィィィィィン・・・

 静かな音がして、わずかに車体が揺れる。しかし、それもすぐにおさまった。

「もう・・・飛んでるんですか?」

「そういうこと。ほら」

 隣に立っている小島が、小さな窓を指さした。そこから下をのぞくと、先ほどまで指揮車が格納されていたガレージの屋根はどんどん小さくなっていっている。

「ほとんど揺れませんね」

「最新の反重力技術ってのは大したもんだよ。たぶん、世界一快適な乗り物じゃないかな」

「あなたたち、おしゃべりしてないでVJを装着しなさい」

 その声の方向に顔を向けると、普段はおろしている青い髪をアップにまとめた仁木の姿があった。すでに首から下には、VJの装備が装着されている。

「世界一ってわけじゃないけど、この指揮車は速さも自慢なんだから。ただでさえ現場は近いから、着くのはあっという間よ。急いで」

 そう言いながら、備え付けの金属製の棚に置かれているヘルメットを手に取る仁木。それを頭にかぶると、自動的にヘルメットは仁木の頭に装着され、首から下のジャケットと接続された。それを横目で見ながら、二人も装着にとりかかる。

「真面目な人ですね」

「あれでなきゃ、いろんな意味でもっと魅力的なんだけどね。まあ、真面目一辺倒と誤解しちゃダメだぞ。一応、しゃれの通じる人であることは言っておこう」

 小声でやりとりしながら、二人は装着を進める。一方その向かい側では、VRコンピュータの起動作業を行うひかると亜矢の姿があった。

「服部君」

 ヘルメットをかぶって作業を行いながら、隣のひかるへ声をかける亜矢。

「は、はい!」

 さっきまでのこともあり、ひかるの声にはどうしても隠しきれないおびえのようなものが含まれていた。しかしそれにかまわず、亜矢は続ける。

「話したいことがあれば・・・今言ってほしいな。現場に着いたら・・・それどころじゃなくなるから・・・」

 先ほどまでと同じ、静かな口調だった。しかし、初めて会ったときに発散していた異様な雰囲気は、不思議と消えていた。

「あ・・・」

「システムでわからないところとか・・・」

 そのことに戸惑うひかるに、さらに具体的に問う亜矢。どうやら、純粋に先輩としてひかるのことを気遣ってくれているようだ。そのことにひかるは気づくと、少し落ち着きを取り戻して答えた。

「・・・そういうのはありません。でも・・・」

「でも?」

「桐生さんて、すごいんですね。たった一人で、二機のVJの管制をしてきたんですから」

 その言葉に、バイザーから露出した亜矢の口元が、フッと微笑を浮かべるのが見えた。

「別に・・・私がすごいわけじゃないよ・・・」

「え・・・?」

「VJを使っている副隊長や小島君・・・。二人が私のことを信頼しながら動いてくれる・・・。私もそれにこたえられるように、精一杯のことをする・・・。そうしていると・・・自然にうまくいくものなんだよ。私も二人も・・・特別にすごいわけではないよ・・・」

「・・・」

「覚えておいて・・・くれるかな。実働員と管制員は・・・それが一番いい関係なんだ」

「・・・ハイ! ありがとうございます、先輩!」

「先輩・・・か。フフッ・・・」

 再び亜矢が微笑を漏らす。

「そんな言い方は・・・しなくて結構だよ・・・。亜矢、で・・・いいんだ」

「そうですか・・・? でも、先輩だし・・・わかりました。それじゃ、亜矢さんと呼んでいいですか?」

「フ・・・君は遠慮深いんだね・・・。でもいいよ。みんなも・・・そう呼ぶことだしね・・・。そのかわり・・・私も、ひかる君と呼ばせてもらおうか」

「もちろんです」

「ありがとう・・・。これからよろしく、ひかる君」

「ハイ! 亜矢さん!」

 その時、聡美の声がした。

「現場上空です。これより降下しますので、シートベルトを締めて下さい」

 その言葉に、指揮車内の全員が従う。まもなく、再び静かな振動が起こる。それと同時に、地面がゆっくりと近づいていった。

ズ・・・ン・・・

 静かで重い音とともに、指揮車は現場に着陸した。車体の壁を通して、外から人間の怒号や悲鳴、緊急車両のサイレンの音などが聞こえてくる。それらの音が、隊員達の頭にここは現場なのだという実感と、そこから来る緊張感を生み出す。

 一方、ドライバーとして無事に現場まで人員を輸送することを終えた聡美は、もう一つの役割にとりかかる。

「こちら第1小隊。第2小隊指揮車、応答して下さい」

「こちら第2小隊。支援に応えていただき、感謝します」

「状況データの転送を、お願いできますか?」

「了解。ただいまより転送します」

 先行している第2小隊の指揮車から、現在の状況を示す様々なデータが転送されてくる。そのデータはVJの網膜投影ディスプレイや、VRコンピュータのヘルメットにも転送されている。それらのデータを見ながら、小隈が言う。

「救助作業自体は、比較的順調に進んでいるようだな・・・」

「はい。救助作業は我々と消防庁が引き続き行います。第1小隊には、要請通りトンネル内のドライ・ライトの処理をお願いします」

「わかった。直ちに出動する」

 そう言って、回線をVJとVRコンピュータにつなぐ隊長。

「諸君、言うは易し行うは難し、というのがピッタリな状況だ。ドライ・ライトの気化を阻止する。内容は簡単だが、実行は非常に困難で危険な任務だ。しかし、それが任務である以上、絶対に成功させなければならない。諸君らの健闘を祈る・・・」

 普段ならそこで隊長の言葉は終わるが、今回は彼はさらに続けた。

「特に新任の二人には、初出動としては非常に困難な任務であると思う。しかし、だからといって逃げることや実力を発揮できないこと、あるいはその逆に、無茶をして命を落とすことは君たちには許されない。ベストを尽くし、無事に帰還すること。これが君たちのやらなければならない、もう一つの仕事だ。了解したか?」

「・・・ハイ!!」

「了解しました!!」

 勢いよく返事をする、圭介とひかる。

「よし・・・それでは、出動!!」

「SMS第1小隊、出動します!!」

 仁木の声と共に、三機のVJが立ち上がる。それと同時に聡美がスイッチを入れると、車体の後部ハッチが音をたてて、ゆっくりと開き始めた。

ガチャ・・・

 金属音をたて、三機のVJがゆっくりとそれに向かって歩いていく。ひかるはバイザー越しに、その様を見つめていた。

「・・・ひかる」

「!」

 彼女のヘルメットにその声が届いたのは、その時だった。声の主は、専用回線を使って話しかけてきた圭介だった。

「初めて会った日に、いきなり命預けることになっちゃったけど・・・」

「・・・」

「・・・よろしく頼むな」

「・・・任せて下さい! 私も・・・SMSの隊員なんですから!」

 圭介の返答はなかった。しかしその代わり、ひかるはバイザー越しに、赤いVJが無言で手を挙げるのを見た。

「・・・」

 ヘルメットの下で、笑顔を浮かべるひかる。その時、隣で亜矢の声がした。

「VJ−1、VJ−2、オペレーションスタート」

 その声に、すぐにひかるの表情は元に戻った。そして、同じく口にする。

「VJ−3、オペレーションスタート」

 完全に開いた後部ハッチから、白、青、赤と綺麗にトリコロールカラーの揃ったVJが陽光のもとに姿を現し、その体を輝かせた。




 VJのモニター越しに圭介の目に入ってきたのは、凄絶な光景だった。けたたましい音をたてる、無数の緊急車両。飛び交う怒号。そして、怪物の口のようにその入り口から煙を吐き出しているトンネル。地上の地獄とは、このことだろう。3年間の消防士生活でも、これほどすさまじい現場に直面したのは、1、2回ほどしかない。配属初日にこんな現場に出動することになるとは、今日になるまで、いや、一時間前まで想像もしていなかった。

 しかし、これが現実なのである。圭介はそれを受け止め、対処することを仕事とする人間なのだ。

「いくわよ」

 仁木の声が耳に入ってくる。圭介は静かにうなずくと、小島とともにトンネルの入り口へと走っていった。

「ご苦労様です!!」

 トンネルの入り口では、黄色いVJに身を包んだ第2小隊の副隊長が立っていた。3人は彼に向けて敬礼する。

「こちらこそ。状況はこの通り、ひどいものです。幸い、救助自体は順調に進んでいますが、例のものが・・・。突破口は啓開してありますので、そこから内部へと突入して下さい」

「了解しました」

「健闘を祈ります!!」

副隊長の敬礼に答え、3人はトンネルの内部へと突入していった。




 トンネルの中は、さらに壮絶な状況だった。衝突を起こし、無惨な形でひしゃげている車の数々。その脇では、そこから救出された人間が、救命隊の手によって懸命の応急処置を受けている。その向こうでは、FJ(ファイヤー・ジャケット)に身を包んだ消防士達が、いまだ炎上を続けているトラックに放水を行っている。

 3人はその光景を横目で見ながら、トンネルの奥へと突進する。圭介は思わずその作業に加わりたいという衝動にかられたが、それを押しとどめた。

「今の俺は・・・SMSの実働員なんだ・・・」

 やがて、3人は現場へと到着した。まだ消防隊も救命隊も、この場には到着していない。3人の周囲では、炎が燃え盛っている。事前に与えられたデータによると、どうやら事故を起こした車両の中には、宇宙から輸送されてきたゼム油を積んだトラックもあったらしい。この火災は、それが爆発炎上した結果だろう。トラック自体は、影も形もなくなっていた。

 そしてそんな火の海の中に、件の輸送トラックはあった。爆発炎上しなかったことは、まさに不幸中の幸いとしか言いようがない。

「消火が先決よ! マルチブラスター、構え!」

 仁木のその声とともに、3機のVJが同時に別々の方向へ右腕を構える。そこには、大型ホースのノズルのようなものが取り付けられていた。

「消火開始!!」

 ブシャアアアアアアアア!!

 3機のVJの腕のノズルから、白い泡状のものが高圧で噴射され、炎へと襲いかかっていった。それを浴びて、炎の勢いが弱まっていく。

「小島君、救助を! 新座君は荷台のタンクを調べて!」

「「了解!!」」

 それを見逃さず、小島がトラックの運転席に駆け寄り、慎重ながら手際よく運転席から運転手を救出する。そして、周囲のあらゆる環境の影響を軽減するフィールドを形成する「シャッター・フィールド」を展開すると、彼の診断にかかった。小島のVJのメディカル・スコープが輝き、瞬時に状態を分析する。

「状態は?」

「外傷や内蔵の損傷はありません。しかし、高熱によって意識を失い、比較的重いやけどを負っています。脱水症状も深刻ですね・・・。一刻も早く搬送しないと」

 一方、圭介は荷台に飛びつき、高純度ドライライトの状態をチェックした。それを見て、ヘルメットの下の顔がゆがむ。

「大変です! タンクの一部に亀裂が入っています! そこから高温の空気が入り、すでにドライ・ライトの気化が始まっています!!」

 圭介が覗いているその亀裂からは、荷台の内部でシュウシュウと蒸気をたてながら気化しつつある金色の物体の姿が見えた。彼がよじ登っているそのタンクも、気化するドライライトの熱によって高温化している。

「速乾性ポリマーを使って亀裂を塞いで! 少しでも気化を遅らせるのよ!」

「了解!!」

 その指示通り、バックパックから速乾性ポリマーを取り出し、粘土のようなその白い塊を亀裂へと詰めていく圭介。ポリマーはすぐに乾き、亀裂を完璧に塞ぐ効果をもつ。

 その時だった。

 ドガァァァァァァァン!!

「うわぁっ!!」

 彼らが来た方向で、巨大な爆発が起こった。まだ燃料を積んだ車両が残っていたらしい。その爆風によって、炎が勢いを盛り返す。もはや、3機の力では消し止めるにはあまりにも勢いが強い。

「クッ・・・!」

 なんとか体勢を立て直した圭介が、炎をにらみつける。VJのモニターに表示される数字が、瞬く間に上昇する。高純度ドライ・ライトは、密閉された高温の空間では急激に気化、温度を上昇させる。そうして熱せられた空気によって、またドライ・ライトが気化し・・・。その悪循環である。このままでは、高い耐熱性能を誇るSMSのVJでも、実働員の生命に危険が及ぶ。「シャッター・フィールド」も、絶対ではない。負傷者の体は、さらに危険な状態である。

「絶対絶命・・・だな。何度目かの」

「落ち着きなさい。なんとか突破口を・・・」

 このような状況下でも、さすがに先輩二人は冷静さを失わない。もちろん、十分な緊迫感も、今がどれだけ危機的な状況かという意識も、十分に持ち合わせている。




 一方、トンネルの外に置かれている指揮車でも、その危機的状況はモニターされていた。

「仁木、トラックを動かせるか?」

 インカムを通して、小隈が指示をする。確かに炎の勢いはすさまじいが、全員がトラックに乗って強行突破できれば、この危機的状況は脱出できる。さすがに玉突き衝突を起こした車両たちが通せんぼをしている入り口までは無理だろうが、途中まで脱出できれば、あとは消防隊や救助隊と共同で行動できる。

「動くかどうか確かめます!」

 そう言って、仁木がトラックの運転席に座る。キーはさしたままだったので、それをひねる。

 カチッ! カチッ!・・・

 しかし、運転席にはむなしくキーの音が響くだけだった。エンジンは、まったくかからない。

「ダメです! 周囲の熱でオーバーヒートを起こしています!」

 トラックでの脱出という選択肢は、ここで絶たれた。

「隊長、このままでは・・・!」

 緊迫した顔で、聡美が隊長の指示を仰ぐ。小隈は先ほどからモニターの映像をにらみながら、状況を打開する術を案じていた。

「・・・他に利用できるものは・・・」

 一方、運転席の後ろの管制ブースでも

「圭介君・・・」

 悲痛な声で、ひかるがつぶやく。バイザー越しに、3号機のカメラがとらえている圭介の視点からの映像が投影されている。そこから圭介の置かれている状況の危険さや、追いつめられている圭介の心が、直に伝わってくるように感じた。想像を絶するプレッシャー。ひかるはそれを感じていた。

「ひかる君・・・落ち着いて」

 今にも泣き出してしまいそうなひかるの耳に、亜矢の落ち着いた声が入ってきた。

「みんなと同じように・・・私達にもミスは許されないんだ。私達が管制を誤れば・・・新座君達は命を落としてしまうかもしれない・・・。自分の役目を果たすことが君の仕事・・・みんなを助けることだ。・・・わかったね?」

「・・・ハイ! すみませんでした!」

 ひかるはバイザーに隠された目を、涙を閉じこめるようにギュッとつぶると、気を引き締めた。

 その時、小隈もまた、何かを思いついたように目を見開いた。

「岸本、この一帯の地下状況をモニターしてくれ」

「はい!」

 小隈の指示ですぐに聡美が操作を行うと、小隈の前にある3Dモニターにトンネル付近の地下施設の状況が映し出される。

「・・・」

 小隈はその図をにらみつける。湾岸地区一帯は、20年ほど前に再開発事業が集中して行われた過去を持つ。そのため、道路や上下水道などのインフラ設備が、集中して設置されているのが特徴となっている。25年前に、日本初である本格的宇宙港、湾岸スペースポートが開港したとき、その周辺施設として一斉に作られたのだ。あとのメンテナンスのことを考え、それらの施設は非常に密接した距離にある。小隈の目は、トンネルのすぐ隣に並行して設置されているある施設に注がれていた。

「・・・少々乱暴だが、この手しかないな・・・。全員、よく聞け」

 隊長の言葉に、全員が耳をそばだてる。

「これから少し乱暴な手段を使って、そこからの脱出を強行する。責任は俺がとるから、つまらないことを考えずに集中すること。それでは説明する。今お前たちがいるトンネルは、ちょうど真西から真東へ向かって走っている。そしてお前たちから見て左側・・・つまり、壁をはさんだすぐ北側に、大型の下水道がある」

 小隈の見ているモニターの映像が、各VJに転送される。たしかに、トンネルと並行するかたちで、大型の下水道が設けられている。

「これを使って、ドライ・ライトのタンクをイカダの要領で海まで流す」

「!!」

 小隈の奇想天外な作戦に、隊員たちは驚いた。

「その大きさのタンクなら、浮力は問題ない。下水道の水深も十分。手元のデータによれば、輸送トラックのタンクはクリステン製・・・急激な温度変化による劣化に強い金属だな。水につけても、ひび割れが起こるようなことはない。この考えの実行を妨げるような要素はない。下水道にタンクを浮かべ、そのまま東京湾へと流す」

 その内容に隊員たちは驚いていたが、やがて、仁木が言った。

「現状では、それしかないでしょうね・・・。了解しました。その案を実行します」

「詳しい手順の説明は必要か?」

「4年も副隊長として働いていれば、状況判断も身につきますよ・・・」

 作戦の目的を聞いたことで、すでに仁木の頭の中には具体的な筋書きができているらしい。

「そうか。それでは、一任しよう」

 その時、圭介が声を発した。

「しかし・・・その作戦を実行するには、トンネルの壁を壊さなければなりませんが・・・」

「新座君、そのカギはあなたの装備よ」

「俺の装備?」

「そう。あなたのVJには、私たちのVJにはない障害撤去用の特殊機材が装備されているわ。それを使えば、壁を壊してトンネルと下水道との間の道を作ることは可能よ」

「そう・・・ですか。わかりました」

「時間がないわ。すぐにはじめましょう。全員、ありったけの消火弾を用意して!」

 仁木のその言葉で、3人は両手に消火弾を握る。

「投擲!!」

 号令により、一斉に消火弾を投げ始める。手榴弾のような形状の消火弾は、火の中に飛び込むと爆発してそれを消火する。爆発によって生じる二酸化炭素が炎を弱めるのだ。3体のVJは、次々に消火弾を投げていく。やがてそれがおさまると、炎の勢いはいくらか弱まっていた。

「これで少しは時間稼ぎできるわ。今のうちに作業をします。小島君は負傷者の応急処置を続けて。私は超振動カッターで、タンクを荷台から切り離し。新座君は、壁の爆破作業にかかって。急ぐわよ!」

 一斉にそれぞれの持ち場にかかる隊員たち。圭介は北側の壁に走り寄った。

「ひかる、ここを破壊すればいいのか?」

「はい。その壁を挟んで3m隔てたところに、下水道が流れています」

 VJのディスプレイに、見取り図が投影されてくる。

「わかった。俺の装備品の一覧を出してくれ」

「覚えていないんですか?」

「念のためだよ。急いでくれ」

 その言葉に応じて見取り図が消え、代わりに圭介のVJに装備されている品のリストが表示される。

「ええと・・・そうだな。この状況なら・・・ウェッジシューターを使おう」

「分かってるようだな」

 突然隊長の声が割り込んでくる。どうやら、装備の選択は正解らしい。圭介はヘルメットの下で安堵の笑みを浮かべたが、すぐに真剣な表情に戻る。圭介はバックパックに腕を伸ばし、ウェッジシューターをとりだそうとするが、網膜投影ディスプレイには、自分が望んでいるものとは全く違う機器ばかりが表示、選択されてしまう。

「くそっ!ウェッジシューターのモジュールがセレクトされないぞ! ひかる、どうなってんだ!」

「バックパックシステムのNIBEQの動作が安定してません!」

「じゃあどうすればいい!! くそっ、あれでもない、これでもないっ!!」

「圭介君、焦らないで! 焦るとシステムに負担が・・・」

「新座、落ち着け。右を見てみろ」

 小隈の落ち着いた声が聞こえてきた。その言葉通り、右を見てみると、そこには負傷者の手当てを続ける小島と、チェーンソーに似た超振動カッターでタンクをトラックの荷台から切り離そうとしている仁木の姿があった。それを見て、圭介はハッとした。

「与えられた役目を果たすのがお前達の役目だ。時間がない。手早くやれ」

「・・・了解」

 圭介はそう答えると、VJのヘルメットの中で目を閉じ、深い呼吸を一つついた。そして目を開くと、いくつものモジュールの中から目指す機材のものがピタリと安定して選択された。

「ウェッジシューター、アクティブ」

 VJの背中に装備されているバックパックの上部ハッチが開く。圭介はその中からせり出してきた円筒形の物体を取り出すと、それを肩に乗せた。




 常識的に考えれば、兵士や登山家が背負うような大きさのバックパックの中に、そんな長い物体が入りきるはずがない。しかし、この時代の科学技術はそれすらも可能としている。空間歪曲技術。早い話が、空間をゆがめることによって実際の数十倍もの収納スペースを確保する技術であり、現代科学の中でも特に最新鋭のものである。後に発明されることになる「四次元ポケット」という道具に比べれば、携帯性や収納スペースの点ではるかに劣りはするものの、このバックパックとそこに収納される多数の機材によって、VJは一騎当千の活躍をすることができるのである。

 今圭介が取り出した物体は、バズーカ砲にそっくりだった。使い方もよく似ており、弾を後ろから込めて、引き金を引く。しかしこの機材、ウェッジシューターにはバズーカと異なる点が二つある。一つは、装填する弾。長さが砲身と同じくらいある。もう一つはその使い方で、壁に砲口を密着させて発射するのである。圭介はその長い砲弾を込めると、壁に砲口を密着させた。

「打ち込みます!」

「反動がきついですから、気をつけて下さい」

「了解!!」

 ドンッ!!

 砲弾が撃ち込まれた壁と、砲身の末尾から白い煙が上る。大きな反動を、なんとか圭介はこらえた。ウェッジシューターを壁から離すと、砲弾は見事に、壁の中に杭のように埋め込まれていた。

「第1弾打ち込み成功。ひかる、何発打ち込めばいい?」

「待って下さい・・・6発です」

「わかった」

 次の砲弾を装填しながら、圭介が答える。そしてすぐに、先ほど砲弾を埋め込んだ場所から間隔を置いて、次の砲弾を打ち込む。それを全部で6回続け、壁には6発の砲弾が埋め込まれた。

「セット完了。これより爆破する」

「了解。距離を十分にとってください」

 言われるまでもなく、壁から離れる圭介。十分に距離を取ると、ウェッジシューターについている赤いボタンに指を掛ける。

「うまくいってくれよ・・・」

 思わず唾を飲み込み、緊張に満ちたままそのスイッチを入れる。その直後

 ドガドガドガドガドガドガァァァァァァァァァン!!

 いくつもの爆発が起こり、壁が白い煙に包まれる。

(崩れないか・・・?)

 その勢いに、思わず不安になりながら煙に包まれたトンネルの壁をにらみつける圭介。やがて、煙がだんだんと晴れていくと・・・そこには、壁面にポッカリと開いた巨大な開口部があった。

 これこそが、ウェッジシューターの役割である。ウェッジシューターは一見バズーカ砲に見えるが、実際はれっきとした障害除去のための爆破用機材である。砲弾のように見えるのも実際は高性能の指向性爆薬で、これを壁に打ち込み爆破することによって、局所的に壁に穴を開けることができるのである。

「よし!!」

 すかさず開口部へ突進する。

「これか・・・」

 圭介の前方に、勢いよく流れる用水路が見える。

「リキッドポリマーで、壁面を固めて下さい!!」

「ああ、いくぞ!」

 圭介は右腕のマルチブラスターを構えた。強引に壁を爆破して作った即席のトンネルは、爆破されたままの壁がむき出しで、このままでは崩落しかねない。そこで、速乾性ポリマーの液状版であるリキッドポリマーを壁面に吹きつけて、補強を行うのだ。

 ブシャアアアアアアアア!!

 マルチブラスターのノズルから、勢いよくリキッドポリマーが噴射される。ベトベトした白い液体が壁面に吹きかかると、たちまちのうちに固まっていった。圭介はその作業を丁寧かつ迅速に行っていく。ほどなくして、即席のトンネルは完成した。

「上出来だ。すぐにタンクに戻れ」

 隊長の言葉にうなずき、トラックのあるところへと駆け戻る圭介。しかし、そこでも作業は終わりかけていた。

「ありがとう。こっちも終わったわ」

 大型の電気鋸である超振動カッターを持った白いVJが言う。すでにドライライトのタンクは彼女の手によって、トラックの荷台から切り離されていた。

「荷台から下ろすわよ。私がこっちを持つから、あなたはそっちへ。亜矢さん、服部さん、パワーを両腕部に集中」

「「了解」」

 仁木がタンクの前部へ、圭介がタンクの後部に周り、それぞれタンクをつかむ。それと同時に、エネルギー配分は両腕部へ最優先で供給される。

「いくわよ! せーの!!」

「ウォォォォッ!!」

 腰に力を入れ、二人がタンクを持ち上げる。すると、数十トンはある巨大なタンクが、二機のVJによって持ち上げられた。二人はそのまま慎重にタンクを荷台から下ろし、地面の上に置く。

「これが最後の準備。フリクションレスガスをタンクに吹きつける」

 バックパックから小型のガスボンベを取り出し、タンクに吹きつけていく二人。ボンベの中には、一般には「スベールガス」の名で知られるガスが入っている。このガスを吹きつけられた物体は、摩擦がほぼ0と等しくなる。要するに、氷の塊よりも滑りやすい物体となるのである。巨大なコンクリートの塊など、大きな障害物を除去するためには欠かせない道具である。間もなく、二人はタンクへの吹きつけを完了した。試しに少し押してみると、巨大なタンクがスッと動いた。

「・・・いけるわね。小島君!」

 仁木が小島を呼ぶと、自走式担架に乗せた患者とともに、小島がやってきた。

「それでは、脱出を開始します。これからタンクとともに下水道へ入り、タンクを下水道へ投下、海へ流します。同時に下水道を通って、負傷者を外へと搬送します」

「はい!」

「しかし、一つ問題が・・・」

「・・・」

「・・・タンクをただ下水道に放り込んでそのままにしておくわけにはいきません。無事に海まで流れても、それから浸水して沈んでしまう恐れもあります・・・」

「つまり、誰かが一緒に流されて、タンクのお守りをする必要がある・・・ってことですね?」

「そういうことね・・・」

 小島の言葉に、仁木がうなずく。

「小島君はその人を連れて脱出しなければならないから、その役からは除外ね。つまり、私か・・・」

「俺がやります!!」

 力強い声とともに、圭介が手を挙げた。

「・・・早いわね」

 仁木がそうつぶやいた。どうやら、彼が手を挙げることは予想済みだったらしい。

「大変な仕事よ?」

「そんなのはわかっています。しかし、流される人以外の二人は、脱出に成功しても引き続き救出作業に当たるわけでしょう? その時その場にいて役に立つのは、俺よりも副隊長だと思いますが」

「謙虚なのね」

「我ながら正しい状況分析だと思いますが」

「・・・」

 仁木はしばらく考えていたが、やがてうなずいた。

「悪いわね。初日から大変な仕事で・・・」

「ここで働くことの大変さに、初日も何もないでしょう?」

「・・・わかったわ。それじゃ、頼むわよ。脱出開始!!」

 巨大なタンクとやけどを負った負傷者を連れた3人が進行を始める。圭介が作った即席のトンネルを通り、一行は下水道のほとりに到着した。

「・・・意外に、流れが速いですね・・・」

 下水道を見た圭介が、まずそんな感想をもらした。確かに目の前の下水道は水量も豊富で、ちょっとした渓流並の速さでゴウゴウと流れている。

「やっぱり代わる?」

「・・・いまさら引っ込みつかないでしょう。かっこわるいですから」

 そう言って、タンクへとよじ登る圭介。もとからタンクに取り付けられている把手を、しっかりと握りしめる。唯一の救いは、汚水処理システムが完璧に作動しているため、流れている水はそのまま飲んでも大丈夫なほど浄化されている、ということだろう。

「かっこよくなくてもいいのに・・・」

 そんな圭介を見ながら、心配そうに眉をひそめるひかる。

「それじゃ、お願いします」

「また地面の上で会おう」

「自分の力とVJの性能を信じるのよ。それじゃ、いくわね」

 そう言って、タンクに手をかける仁木。そして

 ゴオッ!

 一気にタンクを押す。

 バッシャアアアアアン!!

 大きな水音と共に、タンクが下水道に落下する。それと同時に、高温になっていたタンクが水に接触することによって、すさまじい水蒸気が発生する。しかし、それも一瞬の事で、タンクはそのままかなりの勢いで流されていった。

「クッ・・・!」

 想像していた以上の勢いに、VJのヘルメットの下で圭介は歯をくいしばった。少しでも力を抜けば、振り落とされてしまうだろう。

 ガンッ!!

 鈍い金属音とともに、タンクがコンクリートの岸にぶつかり、強引に向きを変える。下水道はタンクはおろか、ボートを流すことさえ想定されて作られたものではない。その流れもまっすぐなものではなく、何カ所か曲がっているところがある。また、タンク自体ももちろん水に浮かべることなど想定していないので、舵などついてはいない。ただ流れに身を任せて、岸にぶつかりながら方向を変えるしかない。

「保ってくれよ・・・」

 岸にぶつかることによってタンクに穴が開かないかどうか、それだけが気がかりだった。そんなことになれば、タンクは瞬く間に水没してしまう。

 そんなことを考えている間にも、タンクは下水道を海へ向かって疾走する。その途中、やはり何回か岸に激突する。

 ガツンッ!!

 ひときわ大きな衝撃が走った。

「今のはきつかったな・・・」

 その時顔を上げた圭介の目に、前方の光が目に入った。

「! 出口か・・・!」

 把手を握る手に、さらに力がこもる。さいわい、その出口までは一本道。これ以上岸にぶつかる心配はないようである。

「いけっ・・・!」

 その言葉通り、タンクは水上を疾走し、そして、光に包まれた。




 バッシャアアアアアアアアン!!

 ひかるの耳に、そんな激しい水音が飛び込んでくる。それと同時に、先ほどまで圭介のVJのデュアルカメラから転送されていた映像がブラックアウトし、砂嵐状態になる。

「!? 圭介君!? 応答して下さい! 圭介君!!」

 ひかるが大声で、圭介に通信を送る。しかし、なかなか応答は返ってこない。そんな状態が、何分間も続く。

「圭介君! 聞こえますか!? 応答して・・・!!」

 だんだんと声が涙声になっていくひかる。隣にいた亜矢が、その肩に手を置こうとしたその時・・・

 ザザ・・・ザーッ

 ノイズ音とともに、ひかるのバイザーに青い空が映った。ゆりかもめが数羽、のんびりと空を舞っている。

「!」

 その直後、声が入ってきた。

「・・・こちら新座。指揮車、応答して下さい」

 圭介の声だった。

「・・・!」

 ヘルメットの下のひかるの顔が、満面の笑顔に包まれる。彼女がそのまま何も言えずにいると、亜矢がポンと肩を叩いた。それに我に返ると、声を発した。

「・・・こちら指揮車。圭介君、大丈夫ですか・・・?」

「ああ。着水のショックは、けっこうきつかったけどな。そんなことより・・・泣くなよ」

 涙声になっていることに、圭介は気づいていた。

「だって・・・」

「あのなあ・・・きっとこれからは、危ない目に遭い通しだぞ? その度に泣かれてちゃ、こっちだってたまんないよ」

「せっかく無事に任務遂行できたんだ。できれば、明るい声で迎えてほしいんだけどな?」

「・・・はい。ご苦労様でした」

 振り絞るように、明るい声を出すひかる。その声を聞いて、圭介は人知れず安堵の笑みをもらした。

「小隈だ。ご苦労だったな」

 その時、通信に小隈の声が割り込んできた。

「あ・・・すみません」

「いいのいいの。いい働きだったよ。本当に、そっちは大丈夫か?」

「ええ。VJの頑丈さは大したものですね。これから泳いでタンクにとりついて、損傷がないかチェックします」

「悪いな。もう海上保安庁には連絡してあるから、もうすぐ回収船が来ると思う。それまで辛抱していてくれ」

「了解しました。それで、副隊長と小島さんは?」

「負傷者は無事に救急隊に引き渡した。今は引き続き救助作業にあたってる」

「俺も戻ったら、すぐに参加します」

「いや、その必要はないよ」

「しかし・・・」

「なんだかんだ言っても、今日は初日だ。初日として働く分は、十分すぎるほど働いてくれたよ。お前達二人の今日の仕事は、これでおしまい。回収船が来たら、ゆっくりしててくれ」

「はあ・・・」

「それじゃ、ご苦労さん」

 それっきり、通信は切れてしまった。圭介は波間にプカプカ浮かんでいたが、やがて近くに浮かんでいるタンクに向かって泳ぎ始めた。さすがにVJを着たまま泳ぐのは苦労したが、それでもなんとかタンクまで泳ぎ着き、周囲を調べ始める。岸にぶつかったあとがいくつかついていたが、へこんでいるだけでなんとか穴が開くようなことにはなっていない。圭介は安心すると、タンクについているはしごを伝って水から上がり、タンクの上に座り込んだ。

 プシュウウウ・・・

 空気音と共に、VJのヘルメットを外す。途端に、潮風が顔に吹いてきた。VJの内部は常に常温に保たれているが、いつのまにか汗にまみれていた。海水に浸かったため、タンクは金属としての平常の温度を取り戻している。圭介は安心して、タンクの上に寝転がった。

「・・・とりあえず・・・シャワー浴びたいな」

 頭上を飛び回るゆりかもめを見上げながら、圭介はそんなことをつぶやいた。




 それから一時間後・・・。

「・・・」

「・・・」

 適当に置かれていた鉄骨に並んで腰掛け、惚けたような表情で現場を見ている圭介とひかるの姿があった。

 すでに、危機的状況は過ぎ去っていた。確かに深刻な事故ではあったが、ドライライトの問題さえ解決すれば、あとは普通に救助作業を行っていけばよかった。SMS第1小隊の活躍により最大の問題が片づいたことで、その作業は急ピッチで進み、いましがた、最後のけが人が救急車で搬送されていった。火災もほぼ消し止められ、緊急車両は現場を離れつつある。残っているのは、トンネル内から事故車両を引き出している民間の作業車、交通整理を行っている警察車両、そして、彼らSMSのメンバーである。そのSMSも、今は撤収準備を行っている。圭介とひかるは他の隊員より早く任務が終わったためすでに準備は終わり、今はこうして他のメンバーの準備が終わるのを、ぼんやりとしながら待っているのである。

「大変な一日でしたね・・・」

「・・・まあな」

 なんとなくひかるが話しかける。それにやはりなんとなく答えた圭介の髪は濡れていた。現場でシャワーを浴びられるはずもなく、その代わりに指揮車に戻ってからペットボトルに入った水を頭からかぶったのである。消防士時代から慣れっこのことだ。

「でも・・・なんだか自信がつきました。私、なんとかやっていけそうです」

「そうだな。思ってたより、ずっと頼りになったよ。けどな・・・」

「・・・?」

「気の弱いのを、なんとかしてかないとな」

「それは生まれつきです! ・・・だけど、そうですよね。直していかないと・・・」

「手伝うよ。役に立てるかわからないけど」

 再び、視線を目の前で行われている現場の後始末に向ける二人。その時だった。

 ピタッ・・・

「うわぁっ!?」

「ひゃあっ!?」

 突然二人の頬に、同時に冷たいものが押し当てられた。びっくりして振り返る。すると、圭介の背後には仁木が、ひかるの背後には亜矢が、それぞれ立っていた。二人とも、両手に冷たく冷やされた緑色の瓶を持っている。どうやら、先ほど頬に押し当てられたものはこれらしい。

「お疲れさま」

 そう言って、瓶を圭介に差し出す仁木。その顔は、今までに見たことのない穏やかな笑顔だった。いつも冷静沈着で、クールな表情を崩さない副隊長でもこんな顔をするのかと圭介は意外に思ったが、それを表情には出さなかった。同じようにひかるに瓶を手渡す亜矢も、同じように優しい笑顔を浮かべていた。

「あ・・・ありがとうございます」

「いただきます・・・」

 そう言っておじぎをし、瓶を受け取る二人。中には飲み物が入っているが、二人は瓶を受け取って面食らった。ちょっと変わったかたちの瓶で、飲み口には王冠もコルクもついていない。ビー玉で栓がしてあるのだ。

「あの・・・これ、どうやって開けるんですか?」

 戸惑った様子でひかるが質問する。

「やっぱり知らないか・・・。これ、ラムネっていってね、隊長お気に入りの飲み物なの。ずっと昔からある飲み物なんだけど、だいぶ前から廃れちゃって、今は作ってるところも少ないから、知らないのも無理はないわね」

「こうやって開けるんだよ・・・」

 そう言って亜矢が、瓶を地面に置く。そして、瓶のフタについていたプラスチックの器具を飲み口に押し当てると、力を込めて押した。

 シュポッ!

 気持ちのいい音がして、飲み口をふさいでいたビー玉が瓶の中へ落ちる。それと同時に、中の飲み物がシュワシュワと音をたて、一部が吹き出してきた。どうやら、炭酸飲料の一種らしい。それがおさまると、亜矢は手慣れた様子で瓶を口に運んだ。それに続いて仁木も栓を開け、同じようにラムネを飲む。

「やってみなさい」

 二人を見ていた圭介とひかるは、見よう見まねでそれをやってみた。特に難しいことではないので、難なく二人と同じように栓を開け、飲み物を口にすることができた。

「おいしい・・・」

「ああ・・・」

 しかし、一気に飲もうと瓶を傾けると、中のビー玉が転がって飲み口をふさいでしまう。

「なかなか飲めないでしょう?」

 その様子を見ながら、微笑みを浮かべて仁木が言った。

「ええ・・・。でも、なんだか好きですね、こういうの」

「私も・・・」

 それを聞いて、亜矢が微笑を浮かべる。

「ということは・・・二人とも、やっぱり向いているね・・・」

「え?」

「うちのメンバーはね、みんなこれが好きなのよ。なぜだか知らないけどね」

「隠れた適性・・・みたいなものですか?」

「そういうことかもしれないわね。もちろん、これが好きじゃないからってどうこうするわけじゃないけど」

「些細なことだけどね・・・」

「でも、安心しました。これからも、うまくやっていけそうですね」

 四人は笑顔を浮かべ、ラムネの瓶を傾けた。

「そうだ・・・。二人にも、これを渡しておこう・・・」

 そう言って亜矢が懐から取り出したのは、細い金色の鎖のついた、美しいアクアマリンの宝石のようなものだった。

「わぁ! きれい・・・」

「これは何ですか?」

「アミュレット・・・つまり、お守りだね。小隊のみんなには・・・全員渡してあるんだ」

 ちらと仁木を見る亜矢。仁木はその視線に答えて、二人に渡されたものと同じアミュレットを懐から出して見せた。

「ありがとうございます・・・けど、こういうのはできれば出動前に渡してほしかったですね」

「・・・忘れてたんだ」

 無表情のまま答える亜矢と、呆気にとられる圭介。そして、それを見ながら苦笑する仁木とひかる。やがて、ラムネの瓶を空にした仁木が二人に言った。

「あなた達、もう少しここにいてもいいけど、15分以内には戻ってきてね。指揮車で簡単な反省をしたあとで、署に戻ります。・・・それじゃ、お疲れさま。行きましょ、亜矢さん」

「はい。それじゃ・・・」  そう言って、仁木と亜矢はその場から離れていった。あとには先ほどと同じように、圭介とひかるが残された。

「・・・疲れたな」

 なんとはなしに、圭介がポツリとつぶやく。

「出動がなければ、時間を見つけて寮の部屋に足りないものを買いそろえようと思ってたんですけど・・・」

「そんなのは明日でもできるさ。隊長の言ってたことは守ろう。四つの「よく」の一、よく寝る。今日は早く寝よ。寮に引っ越したばかりで、よく眠れるかどうかわからないけど・・・」

「そうですね・・・」

 やがて、圭介は残り少なくなったラムネの瓶を掲げた。ひかるはそれを見て不思議そうな顔をしたが、圭介がお前もやれというような目を向けたので、黙ってそれに従った。

「お疲れさま。それと、これからよろしく」

「・・・こちらこそ」

「「乾杯!」」

 カン!

 二人は瓶を軽くかち合わせると、瓶の中に残ったラムネを一気に飲み干し、お互いに笑顔を向けあった。


関連用語紹介

・ドライ・ライト

 てんとうむしコミックス第33巻「地底のドライ・ライト」に登場。二酸化炭素を固体化してドライアイスにするように、太陽光エネルギーを固体化したもので、22世紀のエネルギーの主力として利用されている。金色に輝く鉱石状の物質で、気化することによって熱を発する。結晶化時の太陽光のエネルギーが強いほど、純度は高いようである。原作に登場したドライ・ライトは、ドラえもんが野比家の庭の地下に設けた鉱脈で真夏の日射しを結晶化したもの。

 本作中に登場する高純度ドライ・ライトは、ドライ・ライトとしては最高の品質水準を誇るもので、金星付近に設置された資源衛星鉱山において生成されている。発するエネルギーも膨大で、主に大規模発電所で発電用燃料として用いられるが、危険な性質をあわせもっていることは作中の通りである。


次回予告

聡美「さぁ〜って、次回の「Predawn」は〜っ♪」

圭介「さ、聡美さん、いきなりなんですか!?」

聡美「なにって、次回予告よ。なんだか知らないけど管理人にやれって言われて」

圭介「だからって、その始まり方ってまんまサザ・・・」

聡美「皆まで言わない。そこまで知ってるんなら、やりかたわかってるでしょ? 今日は新座君の番よ」

圭介「えっ!? し、しかたないなあ・・・。えっと・・・新座です。とりあえず今のところは、寮の

  部屋に足りない物を買い足してます。そのうち実家からエアバイクも持ってきてチューンナップ再開し

  たいと思ってます・・・って、なんで俺の近況報告を・・・」

聡美「それが鉄則。続けて続けて」

圭介「続けてったって・・・3本立てじゃないですよ、この小説」

聡美「あ、そうか。それじゃしょうがないから、次回のタイトル」

圭介「え? はあ・・・「第2話 和菓子の侵略」の一本です・・・って、なんかしっくりきませんね」

聡美「しょうがないよ。それじゃしめるのはあたしね(ガサゴソ)」

圭介「さ、聡美さん! あんパンなんか取り出して、まさか・・・!」

聡美「それでは次回も見て下さいね〜! (ポイッ! ゴクッ!) んがぐぐ!」

圭介「・・・とっくの昔にじゃんけんに変わってますって・・・」


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