「・・・よく頑張ったな。心配したぞ・・・」

 スーツを着た厳格そうな男は、目の前のベッドに寝ている女性にそう言った。しかし、女性の方は彼を見てクスリと笑った。

「やだあなた・・・泣いたの?」

 自分の目が赤くなっていることに気がつき、男は決まり悪そうに顔をそらした。

 「二人とも命が危ないって聞いて駆けつけて、どちらも無事だと聞いたんだ。緊張が切れたのも、当然だろう・・・?」

 「そうね、ありがと・・・」

 「体の方は、本当に大丈夫か?」

 「もちろん。あたし、これからママになるのよ? きっと楽しいことがたくさんあるはずなのに、ここで死ぬわけにいかないじゃないの」

 女性は笑ってみせたが、その表情には長時間の苦痛に耐えたことによる疲労の色が濃く見えた。

 「そんなことより、いい加減見てあげてよ。赤ちゃん」

 男はうなずくと、近くにあったベビーベッドにゆっくりと近づき、のぞき込んだ。ベッドの中には、生後間もない赤ちゃんが静かに眠っていた。

 「この子が・・・私達の子どもか」

 男は静かに言ったが、その胸には熱いものがこみ上げているようだった。

 「抱いても・・・いいか?」

 「当たり前じゃない。あなたと私の子どもなのよ?」

 父親はそれを聞くと、優しく手をさしのべ、ベッドから抱き上げた。

 「小さいな、本当に・・・」

 腕の中の赤ちゃんを見ながら、父親は小さくつぶやいた。

 「予定日よりずいぶん早かったからね・・・。本当に強いのは、この子よ。この小さな体で、ちゃんとお腹から出てこられたんだから・・・」

 「ああ・・・。小さいけど、確かに重い。やっと、父親になれたって実感が沸いてきたな・・・」

 父親は赤ちゃんを抱いたまま、病室の中をゆっくりと歩き回った。

 「ところで・・・その子の名前、ちゃんと考えてくれてるよね?」

 そんな彼に、母親は声をかけた。父親は赤ちゃんを抱いたまま、静かにイスにかけた。

 「当たり前だ。ちゃんと一ヶ月前から考えてある」

 「へぇ、そんな前から? 楽しみね。それじゃ、聞かせてもらおうかしら」

 「いいとも。ゴホン・・・」

 父親はわざとらしく咳払いをすると、口を開いた。

 「「ひかる」。 服部ひかる! いい名だろ?」

 母親はそれを聞いて、少し意外そうな顔をした。

 「なんだその顔は? イヤなのか?」

 「ううん・・・あなたにしては、いいセンスの名前じゃないかなって思うわ。あなたのことだから、もっと時代がかった名前をつけそうな感じで、ヒヤヒヤしてたんだけど・・・」

 「フン・・・。娘の名前なんだ。娘のことを考えてつけるに決まってるだろう」

 父親は少し憮然とした態度で言った。

 「ごめん。ところで、どうして「ひかる」って名前にしたの? どんな意味があって?」

 「名前の意味? もちろん、ある」

 父親はそう言うと、ゆっくりと話し始めた。

 「チャラチャラした名前は嫌いだから、やはりシンプルなものにしたかった。漠然とそう考えていたら、このあいだの満月の夜に、思いついたんだ。真っ暗な夜の闇の中でも光り輝いて、地上を照らす明るい満月。そんなふうに、周りが沈んでいてもこの子がいることで明るくなるような、そんな女の子。そんなふうにいつも光っていてほしいという願いを込めた名前だよ」

 「なるほどね・・・いいじゃない」

 「いいか?」

 「うん。よろしくね、ひかるちゃん」

 ベッドの上から、母親は赤ちゃんに声をかけた。

 「綺麗な赤い髪なんだな、この子・・・」

 赤ちゃんの頭に生えたわずかな産毛を優しくなでながら、父親は言った。

 「亡くなったお母様にそっくりだわ。もし他のところも似たなら、この子、きっとあたしより綺麗になるわよ」

 「そうかもな」

 「この子に振り向かないでよね」

 「何をバカなことを・・・」

 「フフ・・・冗談に決まってるじゃない」

 父親は赤ちゃんをベビーベッドに戻した。しばしの沈黙が流れる。

 「・・・いい子に育ってほしいわね」

 「いい子に決まってる。ただ・・・私はお前の自由奔放すぎるところが似るのは困るな」

 「あたしはただ、女として生まれたからには女ならではの幸せを追い求めたいだけよ。それを言うならあたしだって、あなたの頑固なところが似たら困るわ」

 「失礼な。私は自分にも他人にも厳しいだけだ」

 二人はそんな言葉を交わしたが、やがて、お互いに笑い出した。

 「この子は、どんな大人になるか・・・。学者か、政治家か・・・芸術家でもいいな」

 「ちょっと、早くも親バカ?」

 「将来を想像するのは自由だろう」

 「今から期待しすぎるのはかわいそうよ。あたしはむしろ、普通の人生を歩いてほしいわ。学校に通って、働いて、恋をたくさんして・・・できれば、あたしみたいに素敵な旦那さんと出会って結婚して、可愛い赤ちゃんを産んでほしいけど・・・」

 そこまで言って、母親は笑った。

 「なんだ?」

 「この子が結婚するなんて言い出したら、あなた猛反対しそうだなって思って・・・」

 「それこそ取り越し苦労というやつだ!」

 父親は憮然として言った。が、すぐに決まり悪そうにつぶやく。

 「ま、まぁ、相手がろくでもなかったりしたら、確かにな・・・」

 その雰囲気を破るように男は続けた。

 「ただできれば、なんでもいいから社会のために役立つ人間になってほしい。思いやりがあって、勇気があって、明るく女らしく元気があって、清く正しく美しく・・・」

 「ちょ、ちょっと・・・だから今から期待しすぎだって言ってるじゃないの。あんまりプレッシャーかけるようなことしないでよ。先行き不安なパパねぇ、ひかる」

 母親はベッドの中の赤ちゃんに言った。父親は困ったような顔をした。その時、ドアが開いて看護婦が顔を出した。

 「あの・・・申し訳ありませんが、そろそろ消灯の時間です。奥様も疲れているでしょうし、今日はこのあたりで・・・」

 「そうですね、すいません。今出ますから」

 父親がそう答えると、看護婦は出ていった。

 「それじゃあ、私は今日はこれで戻る。また明日の朝、ここに来るからな」

 「ずいぶんまめね。うれしいわ。だけどあんまり、病院の方をあけないでよ。任せっぱなしじゃ、内藤さんも大変だろうし」

 「わかってる。それと・・・西宮のお義父さんには、私から電話をしておく」

 「助かるわ。きっと電話の前で行ったり来たりしてるだろうから、早くしてあげて」

 「そうだな。それじゃあ、おやすみ。ゆっくり体力を取り戻してくれ」

 「ありがと。でも、もう一人おやすみを言う相手が・・・」

 父親はその言葉に気がつくと、ベビーベッドに近づいた。

 「おやすみ、ひかる・・・」

 父親は娘、そして母親に笑顔を向けると、病室を静かにあとにした。




第10話

〜January〜

服部家の事情


 「うん・・・そういうこと。本当にごめん、私も楽しみにしていたんだけど・・・。その代わり、近いうちに必ず・・・」

 ある夜。自室の電話の前で、懸命に誰かに謝っているひかるの姿があった。

 「・・・うん。そうだね・・・お父さんには」

 その時だった。突然、インターホンの音がした。

 「ひかる、ちょっといいか?」

 続いて、圭介の声が。

 「あ、ちょっと待ってて。お客さんが・・・」

 ひかるは一旦受話器から耳を外すと、ドアに向かって「今出ます!」と大きな声を出した。

 「あ、ごめん。そういうわけだから・・・。うん。お父さんによろしくね。それじゃあ・・・」

 ひかるはそう言うと電話を切り、ドアに小走りで駆け寄った。

 「やあ、ごめん」

 そこには、Yシャツを手に持った圭介の姿があった。

 「どうしたんですか?」

 「いや、ちょっと情けない話なんだけど・・・」

 圭介は恥ずかしそうに言ったが、続けた。

 「これ、直してほしいんだ」

 そう言って圭介が差し出したのは、真っ白なYシャツと、一個のボタンだった。

 「・・・とれちゃったんですか?」

 「クリーニングから戻ってきて、ハンガーにかけようとしたらな。我ながら情けないと思うけど、どうも・・・針仕事って苦手で・・・」

 困ったような表情で、上目遣いでひかるに頼む圭介。ひかるはクスリと笑うと、Yシャツとボタンを受け取った。

 「いいですよ。すぐにできますから、あがって待ってて下さい」

 「悪いな。機械いじりは得意なのに針仕事ができないなんて・・・もっと精進しなきゃだめだ」

 圭介は苦笑しながら、ひかるに勧められるまま部屋の中へとあがった。

 「ついでですから、お茶もいれますね」

 「あ・・・すまない」

 小さなテーブルの前に座り、圭介は恐縮したように頭を下げた。やがて、ひかるは紅茶のセットをテーブルの上に置き、引き出しの中から取り出したソーイングセットでとれたボタンを縫いつけ始めた。お茶にも手をつけず、その手元に注目する圭介。それに気づいたひかるは、圭介に言った。

 「どうぞ、先に飲んでて下さい」

 「お前に仕事やらせて、先に飲むわけにいくもんか。それに、次からは自分でできるようにしとかないと」

 ひかるはその言葉に微笑みながら、裁縫を続けた。やがて、ひかるは器用な手つきでしっかりとボタンを縫いつけた。

 「はい、できました」

 そう言って、丁寧にYシャツを折り畳んで圭介に返すひかる。

 「さすがだな。あっというまで、しっかり覚えるヒマもなかった」

 そう言って、圭介は笑った。そして二人は、テーブルの上の紅茶に手をつけた。

 「あ、そういえば・・・」

 突然、ひかるが立ち上がった。圭介は何事かと思っていたが、彼女は何かを持って戻ってきた。

 「このあいだの初詣の写真、できたんですよ」

 「あ、そうなの? 見せてくれよ」

 ひかるが持ってきたのは、3Dホログラフ写真のコンパクト投影機と、メモリーカードだった。さっそく、二人は投影機にメモリーカードを差し込んだ。投影機から光が出て、半透明の立像が浮かび上がる。スーツを着た圭介と、晴れ着を着たひかる。神社の前での一枚だった。

 「よく撮れてる。亜矢さんの腕も、けっこういいんだな」

 圭介はそう感想を漏らした。写真を撮ったのは、正月3日。圭介、ひかる、亜矢の3人に年明け最初の休みが与えられ、どうするかを話し合った結果、三人で初詣に行くという、当たり前と言えば当たり前な結果になったのである。しかし、服装には全員気を使い、特に亜矢が着物の着付けができることもあって、ひかると亜矢は晴れ着を着て初詣へと向かった。成人式以来久しぶりの晴れ着にひかるははしゃぎ、その様子が写真にもしっかりと現れていた。

 「この写真、何枚か作ったのか?」

 「ええ。焼き増しを頼んでおきました」

 「ありがと。しかし、今年も平和にいければいいんだけどな・・・」

 写真を見ながら、圭介はしみじみとつぶやいた。

 「そう言えばさっき、電話してたみたいだったけど・・・。悪かったな、話の邪魔しちゃって・・・」

 頭をかく圭介に、ひかるは軽く首を振って答えた。

 「お母さんに、お正月休みに帰れそうにないってことを報告してたんです」

 「・・・そうか。残念だよな、里帰りできないって・・・」

 そう言って、圭介は続けた。

 「俺はさ、ほら・・・家が練馬だから、帰ろうと思えばいつでも帰れるから、里帰りの楽しみなんてあんまりない。それでも、あんなやかましい家族でも長いこと離れて暮らせば、けっこう寂しいかな、とは思うけど」

 「そんな、やかましいだなんて・・・。お母さんにしかお会いしたことありませんけど、いいお母さんじゃないですか。圭介君が意識を失ったとき、真っ直ぐに駆けつけて・・・」

 「そりゃあ・・・な・・・。あれでも一応、母親だし・・・」

 そう言いながらも、圭介は照れたような表情をした。

 「しかし正直、正月休み先送りってのはショックだよなぁ・・・」

 圭介の言葉に、ひかるはコクンとうなずいた。

 その知らせは、つい先ほどの勤務開け前のミーティングで小隈の口から彼の部下達へ伝えられた。第2小隊が他の小隊に先駆け、VJ管制用システムのニューヴァージョンを試験的に導入。しかし、このシステムに致命的な欠陥が発見され、第2小隊はこのシステムの修正作業にモルモットとして協力せざるを得なくなったのである。そのため任務に出ることが不可能となり、向こう1週間ほどは、第1、第3小隊で関東を守らなければならなくなったのである。

 このため、予定されていた正月休みが先送りされるというとばっちりが第1小隊にふりかかることとなり、小島や聡美はおろか、仁木や亜矢まで不満を隠しきれない様子を小隈に見せることになった。しかし、上からの通達はどうしようもなく、小隊はこれに従わざるを得なかった。特にショックだったのはひかるで、2日後の里帰りを楽しみに荷造りまで整えていたのだから、そのショックはひとしおだった。

 「でも、里帰りできないわけじゃないから・・・元気出せよ」

 「はい・・・」

 「・・・それにさ」

 「?」

 圭介は何かを言いかけて、途中で口ごもった。ひかるが不思議そうに見ていると、圭介は何かを迷っているようだったが、続きを話し始めた。

 「・・・俺の実家でよければ・・・いつだって歓迎するぜ。なんか、お前を連れてこいってうるさくってさ・・・。勝手だよな」

 圭介は、やっとといった様子でそう言った。ひかるはそれに少し驚いたような表情を浮かべていたが、やがて

 「・・・おじゃましても・・・いいんですか・・・?」

 と、小さな声で圭介に言った。

 「あ、ああ・・・。歓迎のごちそうは・・・たぶん、お前の方がうまいだろうけどな・・・」

 圭介は照れた様子を隠すように、少しわざとらしく苦笑した。





 その日の夜・・・。

 「へぇ・・・なかなかいい色のカーテンね・・・」

 ある家のキッチン。オーブンの前に立ちながら、テレビのインテリア用品紹介の番組を見て、一人の主婦がつぶやいた。女性としては背が高く、その肌も若々しい。その主婦がそんなことをつぶやいている時だった。

 「ただいま」

 玄関のドアが開く音とともに、ややぶっきらぼうな男の声が、キッチンまで聞こえてきた。

 「あらやだ。もう帰ってきたの?」

 主婦はそうつぶやくと、階段を降りていった。玄関では腰を掛け、靴を脱ぐ男がいた。

 「お帰りなさい。早かったのね」

 「道がいつもより空いていた」

 やはりぶっきらぼうに言うと、男はさっさと奥の部屋へ歩いていってしまった。主婦はそれに苦笑し、あとに続く。やがて、その部屋で男はスーツやズボン、ネクタイを次々に脱ぎ始めた。主婦はそれを慣れた手つきで受け取りながら、ハンガーや洋服ダンスへしまっていく。

 「あ、そうだあなた。ひかるから電話がありましたよ?」

 その言葉に、それまで黙っていた男がサッと主婦の顔を見たが、すぐに元通り顔を落とし、部屋着に着替え始める。

 「そうか。それで?」

 「お正月休みが伸びたらしくて、明後日には帰って来られないって」

 主婦はあっけらかんと言ったが、その言葉に男は過剰とも言える反応を示した。

 「何だと!? そりゃどういうことだ!?」

 「仕事の事情よ、仕事の。仕方ないじゃないの」

 「仕事仕事って、今度の休みには帰ってこられると約束してたじゃないか! だいたい私達があいつのことを心配しているのは、その仕事のせいだぞ仕事の! 私はあいつを、ここまで親に心配かけさせるような親不孝者に育てた覚えはない!!」

 「仕事のせいであの子のせいじゃないでしょ? あなたが勝手に心配してるだけじゃない。それに、遅くなるけど今月中には必ず帰ってくるって言ってるんだから・・・。もう少し待ってあげなさいよ」

 「いーや!! 今度という今度は堪忍袋の緒が切れた!」

 男は機関銃のようにまくしたてると、急いで部屋着に着替え、2階へと上がっていった。

 「ちょっと! どうするつもりなの!?」

 主婦が彼を追って2階へあがると、彼は電話を手に持っていた。

 「もう我慢ならん! 私は東京へ行くぞ!!」

 「よしなさいよあなた! 娘の様子を見るだけに東京へ行くなんて!」

 「他にも用はある! 東京で谷先生の本の出版記念パーティーがある! 断るつもりだったが、気が変わった」

 「病院はどうするのよ!?」

 「入院してる動物の世話はお前や内藤さん達に任せる。2、3日休養だ!!」

 「か、勝手なこと言わないで! あたしはともかく、内藤さんまでそんなばからしいことの犠牲になるなんてまっぴらだわ!」

 「それにだ! お前の話によると、ひかるに悪い虫がついてるかもしれないんじゃないか!!」

 「失礼よ、決めつけるのは。悪い虫とは限らないじゃない。ひかるはあたしに似て、人を見る目はあるんですからね」

 「素直すぎるところもある。変な男にだまされてたりしたらどうするんだ!」

 「心配しすぎよ。とにかく、そんなことは・・・」

 そう言って、主婦はやめさせようとした。が、時既に遅し。男は既に、電話をかけてしまっていた。

 「あ、谷先生ですか? 服部です、どうも。この間お知らせいただいたパーティーの話ですけど・・・」

 うって変わって丁寧な様子で話す男の様子を見ながら、主婦はため息をついた。そして、しまいかけだった夫の服をタンスにしまうため、階下へと降りていった。

 「まったく、親バカにも程があるわ・・・とにかく、このままじゃ絶対に済ませられないわね・・・」

 主婦は密かな決意を胸にしたように言った。と、その時だった。小さな足音をたてて、彼女の足下に何かがすがりついてきた。

 「あ、ごめん。今ご飯にするから、ちょっと待っててね〜」

 主婦はそう言いながら、足下の白い子犬を両手で抱き上げ、キッチンへと戻り始めた。

 「お前も、ご主人様が恋しいよね・・・」





 それから、約一週間後・・・。第1小隊の分署から、寮へと戻ってくる一組の男女の姿があった。

 「やれやれ・・・第2小隊が出られないしわ寄せの待機任務だってのに、見事に何もないね」

 「いいじゃないですか。私達と第3小隊の皆さんだけじゃどうにもできないような事件が起こっても怖いですし・・・」

 「それもそうだけど」

 のんびり話をしながら戻ってくるのは、一足先にあがりとなった小島とひかるだった。

 「それにしても、里帰りが先延ばしになっちゃって残念だったね。旭川だっけ? ひかるちゃんのおうち」

 「はい」

 「いいなあ、旭川か・・・。まとまった休暇をもらったら、北海道食べ歩きの旅ってのも悪くないな・・・」

 小島がはるか北海道へ思いを馳せるような遠い目をしたとき、突然、一迅の強い風が、二人の横を吹き抜けた。と、ひかるの足が止まる。

 「どうしたの?」

 「目にゴミが入ったみたいで・・・」

 そう言って、目を閉じて涙をにじませながら手を目に持っていこうとするひかる。が、慌てて小島がその手をとってやめさせた。

 「ダメダメ。へたにこすると目に傷がついちゃう。こういうときこそ、救急担当実動員の出番でしょう」

 小島は自慢げに言うと、肩に下げていたバッグから清潔なガーゼを何枚か取り出した。

 「ちょっと我慢してて。すぐにとれるから」

 「はい・・・」

 ひかるはそう言って、小島に任せることにした。ひかるのまぶたを慎重に開き、角膜を傷つけないように慎重に小島がガーゼで目の中のゴミをとろうとした、その時だった。

 「・・・こらぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 「「?!」」

 突如響いた怒号に、小島は思わず治療をとめてひかるから離れ、その怒号の方向を向いた。その途端

 ドガァッ!!

 「グェェッ!!」

 一人のいかつい男が、いきなり小島にドロップキックを食らわせたのである。悲痛な悲鳴をあげ、吹き飛ばされる小島・・・。

 「こ、小島さん!!」

 突如起こった出来事に、なにがなんだかわからないといった様子のひかる。しかし男は、今度は手に持った竹刀で倒れた小島を容赦なくめった打ちにし始めた。

 「こいつめ! こいつめ!」

 「いて! 痛い痛い!! なっ、なんなんだよぉ!?」

 悲鳴を挙げながら、この理不尽な状況にパニックとなっている小島。一方、ひかるはその時やっと、小島を痛めつけている男の正体に気づいた。

 「お・・・お父さん!?」

 「人の大事な娘をたぶらかした挙げ句! 泣かせるとはどういうつもりだ貴様ぁ! その根性、この私が叩き直してくれる!!」

 そう言いながら、鬼神のように竹刀で小島を打ち据える男。それはまさしく、ひかるの父、服部辰雄だった。

 「やめてお父さん!! 小島さんになんてことするんですか!?」

 「ええいうるさいひかる! 邪魔だてするな!」

 辰雄は止めようとするひかるの手をふりほどいた。

 「人の娘を泣かすような奴は、この私が成敗してくれる!!」

 「誤解です!! 小島さんは私の目に入ったゴミをとろうとしただけで・・・」

 しかし、もはや辰雄はひかるの話に聞く耳など持ってはいなかった。自分では止められそうにないと思ったひかるは、泣きそうな顔でキョロキョロと辺りを見回した。と、そのときだった。

 「いや隊長。それは邪道ですって」

 「わかってないのはお前だよ新座。やっぱりすき焼きには卵を入れてこそ・・・」

 と、なぜかすき焼きに生卵を入れるかどうかで議論をしながら、小隈と圭介の二人がやってくる。

 「た、隊長! 圭介君! 助けて下さい!」

 その姿をみとめたひかるは、急いで二人に駆け寄った。

 「ん? どうした服部?」

 「そんなに慌てて・・・」

 のんきな様子の二人だったが、ひかるの向こうで小島が一人の男に竹刀でめった打ちにされているのに気づき、すぐに顔色が変わった。

 「ありゃりゃ、なんだ?」

 「んなこと気にしてる場合じゃありませんよ! 早く小島さんを助けないと!」

 そう言って、小島に駆け寄ろうとしたその時だった。

 「タァァァァァァァァァァ!!」

 突如その場に女性の叫び声が響いたかと思うと

 「奥義! 和牛鋭断!!」

 ドガァ!!

 「ギャアアアアアアア!!」

 小島を袋叩きにしていた辰雄は、竹刀ごと宙に舞っていた。そして、彼は見事に地面に落下し、そのまま気を失った。

 「ああもう! あたしとしたことが一度見失うなんて!」

 そこには、そんな言葉を吐きながら木でできた長刀をひと振るいする女性の姿があった。その姿を見て、またひかるが驚く。

 「お、お母さん!?」

 「ハァイ、久しぶりね、ひかる」

 そう言ってその女性、ひかるの母である服部都子は、器用にウィンクしてみせた。しかし、すぐに真剣な顔になってひかるに言う。

 「あなたはすぐにこの方の手当てをして」

 「は、はい!」

 慌ててひかるは、うめきながら地面に倒れ伏している小島に駆け寄った。一方都子は、気を失ったままの辰雄の首根っこをつかむと、そのままひきずって小隈と圭介の前に立った。

 「本当に申し訳ありませんでした!! うちのバカ亭主がとんでもないことを!!」

 都子はそう言って、二人にペコペコと頭を下げ始めた。

 「は、はぁ・・・」

 「・・・まぁ、こんなところで立ち話もなんですから・・・。詳しい話は、中でお聞かせ願えませんか?」

 何も言えない圭介に代わり、小隈はいつもののんびりした調子で、都子にそう告げた。





 「「・・・本当に、申し訳ありませんでした!!」」

 応接室の中に、二人の大人の謝罪の声がこだまする。

 「まぁまぁ、お二人ともお顔を上げて下さい。このままじゃ、お互い話しづらいでしょうからね」

 こちらに頭を下げたまま微動だにしない二人に、小隈はのんびりと声をかけた。二人はその指示に従う。

 「娘さんは自分達と離れて一人暮らし・・・しかも、危険な仕事の最前線で働いている。親御さんとして、心配になるのは当然でしょう」

 小隈は続けた。

 「しかしそれにしても・・・苦言になってしまいますが、いささかやりすぎと言わなきゃいけませんね」

 「もうしわけありませんでした!!」

 辰雄がもう一度頭を下げる。その横で、都子が恨めしそうな視線を自分の夫に向けた。

 「まったく、こんなに早とちりな人だとは思ってなかったわ。恥ずかしくてしょうがないわよ」

 「・・・すまん」

 「まあ・・・誤解されやすいといえば誤解されやすい状況だったそうですから、そう責めないで下さいよ。しかし・・・問題なのはお二人の娘さんの方でして・・・」

 その言葉に、二人は小隈の顔を見た。

 「やっぱり、ひかるが何か・・・」

 「「お父さんなんか大っ嫌い!!」だそうです。それだけ言って、部屋に閉じこもっちゃいました」

 小隈は淡々と言ったが、辰雄の方はハンマーで殴られたかのようなショックを受け、色調がモノクロになったまま硬直してしまった。

 「・・・お二人なら私などよりずっとよくわかってると思いますが、彼女は責任感が強くて、仲間思いですからね。自分がやったことみたいに気にしてるんでしょう」

 「・・・すいません。つくづくうちの亭主が迷惑をかけて・・・。あの、それで?」

 「今新座に説得させています。こと彼女のこととなると、私などより普段ペアを組んで働いているあいつに任せた方がずっといいですからね」

 「そうですか・・・。本当に、ご迷惑おかけしています」

 「あとのことは、我々に任せて下さい。失礼かもしれませんが、今お二人が出ていったりすると、彼女を刺激することになりかねませんから」

 「私も、そう思います。申し訳ありませんが・・・あとのこと、お任せしてよろしいでしょうか?」

 「部下の健全な精神状態の維持も、部下を任された者の務めですからね。大事な娘さんであることは重々理解しているつもりですから、どうか我々を信じて、お任せ下さい」

 「わかりました・・・。それでは、我々はこれで・・・。お仕事中お忙しいところ、大変失礼いたしました」

 「いえ、こちらこそ。・・・彼女に何か、伝えることはありませんか?」

 「はい・・・。申し訳ありませんが、私達、もう2日東京に滞在するつもりですので、機嫌を直したら連絡するようにお伝え願えませんか? これ、ホテルの電話番号です」

 そう言って、都子は小隈に番号を書いた紙を渡した。

 「たしかに。伝えておきます」

 「それとこれ・・・ひかるに渡してくれませんか?」

 続いて都子が渡したのは、手提げのついたプラスチック製の白い箱だった。

 「・・・何ですか?」

 怪訝そうな顔をして、小隈はその箱についていた覗き窓のようなスリットから中を見た。その直後、彼は納得したような顔をした。

 「ははあ、なるほど・・・。わかりました。確かにお届けしておきますよ」

 「これを渡せば、いくらか機嫌を取り戻すと思いますので・・・。いろいろお頼みしてすいませんでした。それでは、私達はこれで・・・」

 「ご迷惑をお掛けしました」

 「いえ、お気になさらずに。ご夫婦でごゆっくり東京をお楽しみ下さい」

 そう言って、小隈は分署から出ていく夫婦を見送った。

 「・・・世の中、どうにもわからんことがあるな・・・。ああいう二人から、どうして服部が生まれたんだか・・・」

 小隈は首を傾げながらつぶやいたが、すぐに手に提げた先ほどの箱に目を移す。

 「さて、新座の奴はうまくやってるかな・・・」

 そう言って彼は、分署から出て寮へと歩き出した。





 「アーッハッハッハッハッハッハ! キャハハハハッ、ハヒーッヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒヒ!」

 本来その部屋で発生すべき音ではない音が、その部屋を支配していた。その部屋の中は、色調で白が統一されていた。理由も何もない。医務室というのは、本来真っ白なものなのだから。

 そしてまた、医務室というのは静かであるべきである。それが今では、ある騒音によって支配されている。騒音の発生源は、床の上を文字通り笑い転げている女性・・・聡美である。彼女は笑いすぎで死ぬのではないかと心配しそうになるほど、笑い転げていた。

 「・・・おい」

 「キャーッハッハッハッハッハッハッ!!」

 「おい(怒)!!」

 それを止めるべく、男の声が響き渡った。声の主である上半身裸になった男・・・小島は、叫びながら座っていたベッドから立ち上がろうとする。しかし・・・

 「ほら、じっとしてなさい。ずれちゃうでしょ。岸本さんも、人の不幸を楽しむのもそれくらいにしておきなさい」

 「・・・」

 「ハハハハヒヒヒ・・・ヒ・・・は、はぁい・・・あーおかし・・・」

 湿布を両手で持っている仁木に子どものように諭され、小島はしぶしぶながら再び座った。聡美も笑うのをやめ涙を拭い、呼吸を整えながらよろよろと床から立ち上がる。

 「人の不幸がそんなに面白いか!!」

 「だ、だってぇ・・・小島さんのその顔・・・プ、ププ・・・!」

 まだ含み笑いをする聡美。笑いをこらえようとしてるだけ先ほどよりましだったが、それでも失礼なことは変わりない。

 「ハァ〜・・・」

 小島はこれ以上怒るのもばかばかしくなり、悲しい気分になりながらため息をついた。今の彼は、端から見れば小島とはわからない姿になっている。なぜなら、顔はおろか体中いたるところに肌が見えなくなるほど湿布をベタベタと貼り付けまくったような、似非ミイラ男とも言えるような姿になっているからである。かろうじて茶色い髪の毛だけが、彼が小島であることの証明のようだった。

 「ねえ、亜矢さん・・・」

 小島は壁にもたれてそれまでの成り行きを傍観していた亜矢に言葉をかけた。

 「・・・なんだい?」

 その返事の声は、かすかに震えていた。小島はそれが、彼女も笑いを我慢しているためであることに気づいて、「亜矢さんお前もか」と言いたくなったが、それを我慢して先を続けた。

 「・・・いっつも思ってたんだけど、俺ってどうしてこうなんでしょう? もしかしたら、貧乏神かなんかがついてるんじゃないですか?」

 「・・・たしかに・・・正月早々こんな目に遭うなんて・・・小島君も・・・よくよく運のない人だね・・・」

 なんとか笑いをこらえ、いつもの無表情で亜矢は答え始めた。

 「・・・小島君の不幸は・・・憑き物の類の仕業ではないよ・・・」

 「だったら、なんだって言うんです?」

 「もって生まれた役割・・・かな」

 その答えに愕然とする小島。一方、それによってまた聡美が笑い出した。

 「アハハハハ! そっ、それじゃあ小島さんは、これから一生不幸にまみれる人生ってわけ!? かわいそー!!」

 「てめぇ岸本! 他人事だと思いやがって!!」

 「だって、他人事だもん」

 「ドガア!!」

 「いいかげんにしなさい!!」

 医務室内に響き渡ったのは、それまで黙々と小島の体に湿布を貼っていた仁木の声だった。

 「あなたたち、人が黙って手当てしてる横でごちゃごちゃと! けが人とその見舞いらしく、おとなしくしていられないの!?」

 珍しく仁木が感情的になって怒ったので、3人とも途端に借りてきた猫のようにおとなしくなる。

 「まったく・・・」

 仁木はため息をつきながら、湿布を小島の肩に貼りつけた。

 「あ、いや・・・副隊長みたいな美人に湿布を貼ってもらえるなんて、不幸続きの人生の中での貴重な楽しみの一つですよ、ええ」

 「どういたしまして。でも本当だったら、自分の体は自分で治してほしかったわね。男の人の体に湿布を貼るなんて・・・私も、ちょっと抵抗があるんだから・・・」

 恥ずかしさを隠すように、仁木がぼやく。小島は辰雄の竹刀攻撃で上半身を痛めつけられ、腕を曲げるだけでもギシギシと痛む有様で、自力で湿布を貼ることはできなかった。本当だったら、こういう仕事は同じ男の小隈か圭介にやってほしかったのだが、小隈はひかるの両親の話を聞く必要があり、圭介は部屋に閉じこもってしまったひかるの説得。必然的に仁木と亜矢、聡美の誰かがやるしかなくなったのだが、聡美はがさつだし、亜矢は湿布ではなく自分の研究した薬品を使いかねないのでどちらも小島が拒絶。結局仁木がやることになったのである。同じ屋根の下で暮らしているとはいえ、男の素肌の上に湿布を貼っていくという作業は、女性である仁木にはやりづらいものだったが、いたしかたのないことだった。

 「はい、これで最後よ」

 そう言って、仁木は最後の湿布を貼り付けた。

 「どうもすいません、副隊長。医者の不養生とは、よく言ったもんですよ」

 「まあ、今回ばかりは仕方ないわね。交通事故にでもあったとでも思って我慢しなさい」

 「そういう問題ですか・・・?」

 「この湿布は最近開発されたすごい湿布なんでしょ? 一日寝れば治るんだから、過ぎたことをグダグダ言っても仕方ないって」

 「お前なぁ・・・」

 「・・・それよりも問題なのは、ひかるちゃんの方でしょ?」

 聡美の言葉に、医務室内が静まり返る。

 「・・・まさか、あんなに娘思いなお父さんだったなんて、思いも寄らなかったわ・・・」

 その「あんなに」の結果である哀れな湿布まみれの男をしみじみと見ながら、仁木がつぶやいた。

 「ひかる君は・・・新座君が説得するだろうけれど・・・」

 「ご両親、もう2、3日東京に留まるみたいだから、このまんまじゃ済まないかもね・・・。もう一波乱二波乱あるかも・・・」

 「・・・俺、知〜らないっと」

 小島はそう言って、痛む体にうめきつつ、ベッドへと身を横たえた。





 一方その頃。寮のひかるの部屋の前では・・・。

 「なあ、いい加減に出てこいよ・・・。子どもじゃないんだから・・・」

 ドアの前で、説得に疲れ果てた圭介の姿があった。しかしその言葉にも、応答は返ってこない。

 「こういうことだってあるよ。親だって神様じゃない。人間なんだから、時には誤解で怒ったり、八つ当たりすることだってあるよ」

 「・・・あれが「こういうことだってある」で済むと思いますか・・・?」

 「・・・」

 圭介は少し黙ってしまった。そしてすぐに、嘘でもいいから言葉を継ぐべきだったことに気づき、自分のバカ正直さをこの時ばかりは呪った。再びしばし、沈黙の時間が流れる。

 「・・・怒りもしますよ」

 圭介がドアにもたれてしゃがみ込んでいると、ドアの向こうから小さな声が聞こえてきた。

 「・・・ああ、わかってるよ」

 圭介はそれに応えた。

 「・・・お父さんのせいで、小島さんはあんな目に遭うし、皆さんには迷惑をかけちゃうし・・・。もう私・・・皆さんに合わせる顔がありません。穴があったら入りたいです・・・」

 「穴に入ってなくても、部屋に閉じこもってるじゃないか・・・」

 圭介は頭をポリポリとかきつつも、ようやくひかるが話をする気になった様子を見せ始めたため、とりあえず胸をなで下ろした。

 「とにかく出てこいよ。小島さんの傷なんてすぐに治るし、本人も俺達も気にしちゃいない。お前がこのまま閉じこもってる方が、よっぽど困る」

 「・・・」

 ひかるの声が途切れる。が、やがて再び口を開き始めた。

 「・・・圭介君は、なぜ私がいないと困るんですか?」

 「・・・はい?」

 ひかるの質問の意図がとれず、思わず間抜けな声を出す圭介。

 「私がいないと困るっていうのは、私が圭介君の管制員だから・・・それだけだからですか? それとも・・・」

 ドアの向こうの声は、真剣に話していた。

 「・・・他にも、理由はあるんですか・・・?」

 「なっ・・・?! お前、何を突然・・・!?」

 「答えて下さい!!」

 突然予想もつかなかった、しかも答えの難しい質問をぶつけられ、圭介はたじろいだ。しかし、ドアの向こうの声は毅然としている。

 「・・・その・・・今まで、いろいろあったんだ。俺の考えてることがわかんないお前じゃないだろう・・・?」

 「そうじゃありません、圭介君・・・」

 ドアの向こうの声は、静かに言った。

 「・・・言葉で・・・圭介君の口から答えを聞きたいんです、私は・・・」

 その時、圭介はこの質問に対してごまかすことはできないことを悟った。自らの戸惑いや照れもあり、これまでうやむやにして、はっきりと伝えていなかったこと。はっきりさせなければならないことなのに、心のどこかで後回しにしてきたこと。それを今この場で、自分の口から伝えることを、ドアの向こうの相手は自分に求めている。

 「・・・」

 圭介は黙り込み、じっと考えていた。なぜひかるが急に、こんなことを求めてきたのかはわからない。だが、この質問から逃れることはできない。自分のためにもひかるのためにも、はっきりさせなければならない。それがひかるをここから出させるための、唯一の方法なのだろう。

 「・・・そうだよ。お前の言うとおりだ」

 圭介は、自分の心を整理しながら言うかのように、ゆっくりと口を開いた。

 「お前は、俺にとっていなくちゃならない大事な・・・恋人だよ。もちろん、仕事のパートナーとしてもお前がいなきゃこまるけど・・・お前がいなきゃこまるっていうのは、お前がいないと寂しいって思うし・・・お前と一緒にいてこそ、楽しいって思えることもたくさんあるから・・・」

 圭介はゆっくりとだが、心を込めて言葉をつむいだ。

 「出てこいよ・・・。みんなに・・・俺に迷惑かけたくないって思ってるなら・・・」

 圭介は小さくそう言った。

 カチャ・・・

 小さく、音がした。そして、ゆっくりとドアが開く。

 「・・・」

 ドアの向こうから、ひかるが恥ずかしそうに出てきた。

 「・・・ありがとう、圭介君・・・」

 その顔は、真っ赤に染まっていた。

 「・・・ったく・・・急に何言わせんだよ、お前は・・・」

 迷惑そうに言う圭介の顔も、彼女ほどではないにしても同様だった。その時だった。

 「あ、説得できたんだ」

 背後から声がした。見ると階段のところに、白いカゴのようなものをぶら下げた小隈がポカンと立っている。

 「あ、隊長・・・」

 「お前のことだから手こずってるかと思ったけど、なんとかなったか」

 どうやら小隈に先ほどの会話は聞かれていなかったらしく、圭介は密かに胸をなで下ろした。

 「・・・ええ、まあ。手こずらされましたけどね」

 圭介はそう言って、ひかると照れくさそうな視線を交わした。が、すぐにひかるが前に出る。

 「あの・・・隊長。すいませんでした!」

 「あのね、服部。親が子供の不始末で謝ることはあっても、子供が親の不始末で謝る必要なんてないんだから」

 「はあ・・・。あの・・・それで隊長、父と母は・・・?」

 「ホテルに戻ったよ。もう2、3日滞在するって言っていた。これ、ホテルの電話番号。機嫌を直したらかけてくれってさ。それと、これ・・・」

 電話番号のメモに続き、小隈は手にしたカゴを手渡した。

 「なんですか?」

 「いいから、開けてみろ」

 小隈から渡されたカゴを、ひかるは怪訝そうな顔で開いた。すると・・・

 バッ!

 「ひゃっ!?」

 突然飛び出してきた何かによって、ひかるは背中から転んでいた。その上には、一匹の白い子犬が乗り、彼女の顔をペロペロとなめていた。

 「ス、スノーウィ!?」

 ひかるは驚きながら体を起きあがらせ、その子犬を両手で優しく抱き上げた。

 「ちょっと見ないあいだに、大きくなったのね・・・」

 微笑みながら子犬を見つめ、その頭をなでるひかる。

 「ひかる、その子犬は?」

 「実家で飼ってるんです。真っ白な雪みたいだから、お母さんがスノーウィって名前を付けたんです」

 「なるほど」

 「でも、どうしてスノーウィがここに?」

 「お前がこっちに来てから、ちょっと元気がなかったそうだ。顔を見せてやりたくて連れてきたんだと」

 小隈はそう答えた。

 「でも、どうする? たしかこの寮、ペットは禁止のはず・・・」

 そう言って、ひかるを見つめる圭介。続いて、ひかるは小隈を見た。

 「・・・そんな目で俺を見るなよ・・・」

 どうやら、小隈もひかるの訴えかけるような視線は苦手らしい。

 「安心しろ。ダメならお前のお母さんから渡された時にそう言っているよ。そもそもうちの寮でペット禁止なのは、いつ出動がかかるかわからない不規則な生活で、ペットの世話がおろそかになるくらいなら・・・っていう理由からだ。ご両親が帰るときまでぐらいなら、別にかまわんだろう。動物アレルギーの奴もいないし・・・」

 「本当ですか!?」

 そう言ってはしゃぎ出すひかる。

 「よかったねぇ、スノーウィ! ちょっとの間だけど、また一緒にいられるよ」

 ひかるの腕の中で、スノーウィが嬉しそうに鳴いた。

 「そんじゃ、俺はこのへんでおいとまするよ。いつまでも署を抜け出してるわけにもいかんからな。服部、お前も心配かけたと思ってるなら、早く仁木達に元気な顔を見せてやれ」

 「はい・・・」

 ひかるは照れくさそうに言った。それにうなずくと、小隈は去っていった。

 「・・・まったく、隊長の言うとおりだぞ。副隊長達も心配してるだろうから、早く署に戻ろう」

 「はい。でも、ちょっと待ってて下さい。スノーウィにご飯をあげないと・・・」

 「ああ、たしかにそんな時間だな。早くしろよ」

 圭介の声を背に受けて、ひかるはスノーウィを連れて再び部屋へと戻っていった。

 「世話のかかる奴だよな・・・」

 小さく圭介がつぶやく。その脳裏に、自分に対する気持ちをはっきりと告白するように迫ってきたひかるの声がよみがえる。

 「あいつ・・・なんだって急にあんなこと・・・」

 鬼気迫る、といってもいいぐらい、いつになく気迫に満ちていたあの声を思い出しながら、圭介は腑に落ちないものを感じていた。





 一方同じ頃。都内にそびえ立つ高級ホテル「TSUDUREYA」の一室に、一人の夫婦の姿があった。もちろんその夫婦とは、ひかるの両親である服部辰雄・都子である。

 「今日という今日は、あなたの親バカぶりには呆れてものも言えないわよ!!」

 部屋の中をうろうろと歩き回りながら、都子は外にその声が漏れることも心配せず、怒りを目の前に座る夫へと向けていた。もちろん、このホテルの壁はそんなに薄くはないのだが。そんなことより、当の辰雄はいつもの亭主関白ぶりはどこへやら、神妙にしながらそれにあまんじていた。

 「非常識にもほどがあるわ! よりにもよって、ひかるの同僚の方を・・・それも、勘違いで叩きまくるなんて! そんなことしたら、あの子がどんな風に思うか、わかんなかったの!?」

 「・・・すまん」

 辰雄は先ほどからその調子で、反論しようとしていなかった。冷静になってみれば自分に非があるのは明白であるし、「お父さんなんか大っ嫌い!!」というひかるのメッセージにより、反論する気力も失せていたのである。

 「・・・ハァ」

 都子はため息をついた。こんな相手にいつまでも説教をしていても、こちらが疲れるだけである。それに、説教などしなくても十分懲りているようだ。

 「と・に・か・く! もう絶対に、勝手にひかるの前に現れちゃダメよ! 谷先生の出版パーティーに出たらすぐに、北海道に帰る! いつまでも、内藤さんに病院を任せておくわけにはいかないんだから!」

 都子はきつくそう言った。「内藤さん」というのは、彼らの経営する動物病院に勤めている獣医である。動物病院は辰雄、都子、それに内藤さんの3人で動いているのだが、辰雄は二人に病院を任せて東京へ出ていってしまった。辰雄を野放しにしておくわけにはいかない。そう判断した都子は病院を臨時休業にして、入院している動物の世話を内藤さんに任せて彼のあとを追ったのである。途中までは完全に尾行できていた都子だったが、不覚にも、途中で彼の姿を見失ってしまった。そのことが、あの悲劇を生んだのである。

 「わかった・・・」

 辰雄は力なくそう答えた。





 翌日の朝。海上区の海に面した環状道路を走っている青年がいた。

 「けっこう早いな、お前・・・」

 もちろん、それは圭介である。だが今日の彼には、パートナーがいた。首をひもでつながれ、圭介の先を元気よく駆ける白い子犬。スノーウィーである。

 スノーウィはとても元気な犬であり、朝になると主人を散歩に連れ出すため、寝ている人の上で跳ねたり、顔をなめたりする。そのことを知っていたひかるは、その役目を圭介に頼んだのだった。特に圭介も断る理由もなく、彼はスノーウィを連れて朝のジョギングに出発した。最初はこの子犬が自分のペースについていけるかと心配したが、まもなく、それは杞憂だったことを思い知らされた。スノーウィは普段の彼を上回るスピードで、疲れ知らずに走っているのである。

 「さて、そろそろ小休止だな。あの公園でいったん休むぞ」

 「ワン!」

 返事をするかのように、スノーウィは鳴いた。主人が信頼する相手にもなつくらしく、スノーウィは圭介の言うこともよく聞いた。しつけもよくできているらしい。

 「フゥ・・・」

 公園に着き、圭介はベンチに座って息をついた。スノーウィは、公園の池に身を乗り出して、ピチャピチャと水を飲んでいる。

 「落ちるんじゃないぞー」

 圭介がそう言うと、スノーウィは「そんなにドジじゃない」とでも抗議するように、こちらを振り向いて少しうなった。圭介はそれがおかしくて小さく笑ったが、スノーウィは意に介さず、再び水を飲みだした。

 「・・・」

 圭介も、持ってきたペットボトルからミネラルウォーターを傾ける。と・・・

 「・・・?」

 なんとなく、目が公園の茂みに止まった。なぜだかは最初はわからなかったが、妙な気配がすることにすぐに気がつく。圭介はそれを見つめ、どうすべきかしばし迷ったが・・・やがて、小さく笑うと声をかけた。

 「・・・そんなところにいないで、出てきて下さいよ」

 応答はなかった。が、しばしの間を置いて、ガサガサと音をたてながら、見覚えのある男が出てきた。ひかるの父、辰雄である。

 「・・・よくわかったな・・・」

 「よかったら、おかけ下さい」

 そんな辰雄の登場を気にかけることなく、圭介はベンチのスペースを少しあけた。

 「・・・」

 無言のまま、辰雄はそこに座る。しばしの静寂が流れたが、やがて口を開いたのは、圭介だった。

 「初めまして・・・ですね。新座圭介と言います。SMSでのポジションは、実動員。服部さんとは、コンビを組んで働かせてもらっています。よろしくお願いします」

 そう言って、圭介は頭を下げた。

 「初めまして・・・新座君。服部辰雄だ。知っているとは思うが、旭川で動物病院を経営している。娘がいつも、お世話になっているようで・・・」

 「いえ・・・。こっちこそ、世話になり通しです」

 「・・・それと・・・」

 辰雄は続けた。

 「・・・娘・・・ひかるのことは、いつものように呼んでくれないか?」

 「! ・・・」

 その言葉に、圭介は驚いたがすぐにもとの表情に戻った。そんな彼に、辰雄はなおも続ける。

 「娘とは・・・ただの仕事仲間ではないのだろう?」

 「・・・はい」

 嘘をついてもしかたがないし、そうする必要もない。圭介は、正直に答えた。

 「おつきあいさせて・・・もらっています」

 圭介はおそるおそる言った。しかし・・・

 「そうか・・・。よかった・・・」

 辰雄は安らいだ表情で言った。しかし、圭介にはそれが意外で仕方がなかった。

 「あの・・・? それは、どういう・・・」

 「・・・わかっているとは思うが、あの子は必要以上に内気でな・・・。私があの子に立派な女性になってほしくて、厳しくしつけをしたせいもあるが・・・」

 「いえ・・・。娘さんは・・・ひかるは、十分素晴らしい女性ですよ。優しくて、責任感があって、努力家で・・・。僕も、隊の仲間も、助けられています」

 話の流れが見えないままだったが、圭介はそう言った。同時に、厳格そうなこの父親のもとで育てられたのなら、ひかるがああいう性格に育っても不思議はないと納得もしていた。

 「そう言ってくれると、ありがたい。・・・だがそのせいか、あいつは必要以上に内気な性格に育ってしまった。もともと妻に似て好奇心の強い子なのだが・・・何をしようとするにも、私の許可を得てからしようとする。抑圧するようなつもりはなかったが、どうやら、私のしつけが厳しすぎたようだ」

 「そんな・・・」

 「いや、そうなのだ。娘は私を慕ってくれたが、同時に、普通以上に恐れるようにもなってしまった。やりたいことなら、それが悪いことでないかぎり、私はなんでも許してやるのに・・・」

 辰雄は、一旦言葉を切った。

 「・・・その悪い結果の一つなのだが・・・。娘は・・・恋をすることにも消極的だった・・・」

 「・・・」

 圭介は、黙って辰雄の話に聞き入った。

 「あいつも、普通の女の子だ。人に恋をしたこともあるだろう。妻が、あいつの同級生から聞いた話だが・・・中学や高校の頃、何度か告白を受けたこともあるらしい・・・。だが・・・あいつは家では・・・少なくとも私の前では、そんな話をすることがなかった。・・・自分が恋をしたこと、恋をした相手のこと・・・。それを私が認めてくれないのではないかと、あいつはそのことまで後込みするようになってしまった・・・」

 「・・・」

 「それを知ったとき、私はどうしようもなく不安になった。もちろん、娘が恋した相手がろくでもない男だったりしたら、私はそれに反対するだろう。だが・・・娘が私のせいで、恋をすることにも必要以上に内気になって、そのまま一生を終えるようなことになったら・・・。私も親として、娘の幸せを願っている。愛した男と結婚することだけが女の幸せでないことはもちろんだが・・・その幸せの一つを、私の厳しすぎたしつけのために娘が得られないとしたら・・・。私はそのとき、自分のしてきたことを激しく後悔した」

 そこまで辛そうに辰雄は語ったが、そこでその表情が少し明るくなった。

 「・・・だが、去年になって、明るいニュースがあった。電話で、ひかるが言ったそうなんだよ。「好きな人ができた」と・・・」

 「・・・」

 「私には怖くて言えなかったのだろう。妻にそう言った時も、やっとという調子で言ったらしい。私は、とても安心することができた。娘が恋という意味で、とうとう誰かを好きになれたことに・・・」

 辰雄は淡々と語り続ける。

 「だが、それと同時に、新しい不安が芽生えた」

 辰雄の表情が、再び少し暗くなる。

 「娘は、恋に深く踏み込んだことがない・・・。したがって経験もなく、下手をすればひどい男にだまされるのではないか・・・。そんな不安だ。娘が恋をした相手は、果たしてどんな男なのか・・・。今度は、それを知りたいという気持ちが強まっていった。しかし、それをひかるに聞くわけにはいかない。そんなことをしたら・・・また私に反対されるのではないかというおそれから、せっかく踏み込んだ恋からあいつは逃げ出してしまうかもしれない」

 「・・・」

 辰雄は遠いところを見るような口調でそう言った。

 「あいつが里帰りしたときに、そのことを慎重に、ゆっくりと話し合うつもりだった。そのときを、私は待ち続けたが・・・仕事が忙しく、あいつはなかなか帰ってこられなかった。ようやく正月休みをとられると思ったら、急にそれは延期になってしまった。恥ずかしい話だが・・・私はとうとういても立ってもいられず、用事にかこつけて、東京まで来てしまった・・・」

 圭介はそれに対してどんな顔をすればいいのかわからず、思わずうろたえて目をあちこちに走らせてしまった。

 「だが・・・それは、私の取り越し苦労だったようだ・・・」

 その時、辰雄は圭介の心を知ってか知らずか、優しい顔で圭介を見つめながら言った。

 「・・・君とは初めて会うし、君のことは何も知らない。だが・・・君が信頼できる人間であるということは、自信をもって言える。長い間、仕事でいろいろな人と出会ったからかもしれないが、人を見る目には自信があるつもりだ」

 「あ、ありがとうございます・・・」

 圭介は戸惑いつつも、とりあえずそうお礼を言っていた。

 「妻の言ったとおりのようだ・・・。娘には、何の心配もいらない」

 そう言うと、辰雄は頭を下げた。

 「娘と・・・よい付き合いを続けて下さい」

 「!! そ、そんな! おと・・・!」

 「お父さん」と思わず言いかけて、圭介は踏みとどまった。そんな呼び方で目の前の相手を呼ぶことを相手が認めてくれるか、自信はないのだから。

 「・・・いいのだよ。君の思っている呼び方で呼んでもらって」

 全てわかりきった様子で、辰雄は笑顔で言った。

 「え? あ・・・は、はぁ・・・。す、すいません・・・」

 圭介は戸惑いながら、呼吸を整えた。

 「こ、こちらこそ、よろしくお願いします。・・・お・・・おとう・・・さん・・・」

 VJで化学工場の大火災の中へ飛び込んでいく時でも、こんな緊張はしまい。清水の舞台から飛び降りるような心境でそう言った圭介は、その時そう思った。先ほどの言葉通り、辰雄はニコニコと笑いながら、その呼び名を受け止めてくれた。

 しばしの沈黙が流れた。が、やがて、辰雄によってその静寂は破られた。

 「・・・新座君」

 「はっ! はいっ!!」

 「初対面の君に、こんなことを聞くのは失礼極まりないと思うのだが・・・」

 そう言う辰雄の顔は、極めて真剣だった。

 「どっ、どうぞ! なんでも聞いて下さい!!」

 気圧されながら圭介は答えたが、内心、どんなことを聞かれるのか不安でしかたがない。一方、辰雄はうなずいてから再び口を開いた。

 「君は・・・ひかると結婚するつもりは、あるかね・・・?」

 「!??」

 その言葉は、再び圭介を激しく動揺させた。もちろん、「結婚する気はありません」などと答えるわけには死んでもならないし、第一、そんな答えを出すつもりもない。実感はないし、真剣に考えたこともなかったが・・・ひかるとなら結婚してもいいし、幸せに暮らしていけるという自信もある。普段のひかるの圭介に対する態度からしても、ひかるが圭介に「結婚して下さい!!」と言ってくる事態も、ないとは言い切れないだろう。その時にイエスかノーかと聞かれたら、ノーをとることなど考えられない。圭介は混乱する頭でなんとかそこまで思い当たり、結論を出した。

 「は、はい!! もちろんです!!」

 圭介は、正直に答えた。それが正しい選択かどうかは考えずに。辰雄はそれを黙って受け止めたが・・・

 「そうか・・・」

 何度もうなずきながら、辰雄は言った。もちろんその答えが、即結婚するということに結びつかないことは、辰雄も重々承知しているだろう。予定は未定であって、決定ではないのだから。もっとも圭介にとっては、限りなく決定に近い予定である。

 「ど、どうも・・・」

 「すまないな・・・娘に恋人が現れたら、一つだけはっきりさせておきたいことだったんだ・・・」

 辰雄はしみじみと言った。その時だった。

 「コラァァァァァァァァァァァァ!!」

 すさまじい叫びが聞こえた。二人が驚いてそちらを見ると、なんと、昨日と同じように木でできた長刀を振りかざし、都子がこちらへと向かって来るではないか。その勢いは猛烈で、アッという間に至近距離まで近づいてきた。

 「テェェェェェェェェェ!!」

 烈迫の気合いで、都子が長刀を振るう。

 カァァァァァァン!!

 木でできた物同士がぶつかり合う乾いた音が、朝の公園に響き渡った。圭介が見ると、そこにはどこから取り出したのか、木刀で都子の長刀を受け止める辰雄の姿があった。

 「くっ・・・!? なんのつもりだ、都子!?」

 「なんのつもりですって!? それが、人の寝てる間にホテル抜け出してこんなところにいる人の台詞!?」

 どうやら、辰雄は都子が寝ている隙に抜けだし、圭介のところまでやってきたようだ。たしかに、昨日あんなことをしていては、外出禁止令が出されていても当然と言えるだろう。

 「おまけに、今度は新座さんを亡き者にしたいわけ!? なんて人なのかしらまったく!!」

 「ちっ、違う! 私は新座君と話しに来ただけだ!!」

 「問答無用!! 覚悟ぉーっ!!」

 カァン! カァン! カァン!!

 続けざまに響く木の音。互いに叫びながらすさまじい立ち回りを演じるこの夫婦を見ながら、圭介は本当にこの二人からあのひかるが生まれてきたのだろうかと、疑問に思わざるを得なかった。が、すぐに間に入り、仲裁を始める。

 「は、初めましてお母さん!! とにかく、やめて下さい!! お父さんの言っていることは本当なんですから!!」

 「あら初めまして新座さん!! でも、今度という今度はもう許しません!! そこをお退きになって下さい!!」

 そう言って、圭介を押しのけて戦いを続行する都子。人の話を全然聞いていない。

 「タァァァァァァ!!」

 カァァァァン!!

 「うわっ!!」

 気合い一閃、都子の跳ね上げた長刀の切っ先が、見事に辰雄の木刀をはじき飛ばした。

 「フッフッフ・・・同じ二天一流でも、私の方が二段上なのよ・・・?」

 「くっ・・・!」

 倒れ込んだ辰雄の眼前に、長刀を突きつける都子。

 「さあ、覚悟なさい!!」

 そう言って、都子が振り上げた長刀を振り下ろした、その時だった。

 カァン!!

 「!?」

 長刀は、木刀によって受け止められた。しかし、それを持っているのは辰雄ではなく・・・その前に割り込んだ圭介だった。

 「に、新座さん!?」

 「・・・話を聞いて下さい。これ以上続けるのなら、例えお母さんでも容赦しませんよ」

 鋭い視線で言い放つ圭介。それを見て、都子は我に返ったように長刀を下ろした。





 「そうだったんですか・・・。すみません、私の早とちりで・・・」

 ベンチに座っている人数は、3人に増えていた。圭介を挟んで、辰雄と都子がその両側に座っているのである。

 「だから言っただろうが。人の話も聞かんで・・・」

 「元はと言えば、あなたが黙ってホテルを抜け出したのが悪いのよ!? 誤解されても文句は言えないはずでしょ!!」

 「まあまあ。また喧嘩するのはよしましょうよ、ね?」

 圭介に取りなされて、静まる夫婦。

 「とにかく、またご迷惑をかけてしまったようで・・・。これじゃあひかるを、また怒らせてしまいますわ」

 「ここでお二人に会ったことは、黙っておきますよ」

 「そうしてくれると助かります・・・」

 「しかし・・」

 「何ですか?」

 「失礼な質問だとは思うのですが・・・お二人は、いつもこんなことを・・・?」

 言葉通り失礼な質問だとは思ったが、圭介にはいつもこのようなすさまじい夫婦喧嘩が繰り返されるような環境でひかるが育ったのかどうかが、どうしても気になってしかたがなかった。その質問に、二人は赤くなってうつむく。

 「いえ、そんなことは・・・。ただおわかりだと思いますけど、この人、ひかるのことになると周りが見えなくなるでしょう?」

 「・・・」

 「何をしでかすかわからないから、いつも私が見張ってるんです。ああいうことになるのは・・・この人が暴走するのを止めるときだけです」

 「それならいいんですが・・・」

 とりあえず、圭介はその答えに納得した。

 「・・・それじゃ、あなた」

 「ああ」

 そう言うと、都子は立ち上がった。それに続いて、辰雄も立ち上がる。

 「それでは、私達はこのあたりで失礼します。お仕事があるんでしょう?」

 「え? ええ、そうですね・・・」

 圭介は腕時計を見た。そろそろ寮に戻って、身支度を整えた方がよいようだ。

 「いろいろご迷惑をかけて、すいませんでした。あ、それから・・・」

 「?」

 「ひかるの様子は、どうでしたか・・・?」

 「機嫌は直ったみたいです。でも・・・相変わらずお父さんのことには・・・」

 「・・・」

 「ま、しかたがありませんわね。自業自得なんですから。・・・でも、この人も度は過ぎていますけど、ひかるのことは親として本当に大事に思っているんです。そのことだけは・・・」

 「わかっています。あまりいつまでもお父さんのことを責めないように、なんとか説得してみせますから・・・」

 「・・・すまない」

 辰雄はそう言って頭を下げた。

 「ありがとうございます。それでは・・・」

 「ええ、また・・・」

 公園から去っていく二人を、圭介は手を振って見送った。

 「・・・フゥ」

 ドッと疲れを感じ、圭介はベンチに座り込んだ。こんなに疲れた朝は初めてだ。辰雄と都子は実際は仲の良い夫婦のようだが・・・慣れていないと、彼らと接するのはとても疲れることのようだ。

 ふと足下を見ると、スノーウィがズボンの裾に噛みついて引っ張っている。早く出発しようとせがんでいるようだ。

 「・・・わかった、今いくよ。お前が見かけよりタフなわけが、なんとなくわかったような気がする」

 圭介は首輪のひもを握ると、なんとか走り出した。引っ張るスノーウィの力が、さっきよりずっと強く感じられた。





 「ほぉ、あの嬢ちゃんの親御さんが、そんなとんでもないとはな」

 灰皿にタバコを押しつけながら、楢崎はそう言った。灰皿の中の吸い殻の数は、これで二本に増える。

 作業場からの音が聞こえてくる、ガレージ内の休憩室。簡素なテーブルを挟んで、楢崎と圭介は話をしていた。休憩室は質素なつくりで、テーブルとイスと簡単な給湯器の他は、使われていない空のロッカーが三つ並んでいるだけである。

 「二人とも、二天一流の有段者らしいですよ。ひかるを見てると、とてもそんな人達から生まれたとは思えませんよ」

 「自分達がそうだから、娘はおしとやかに育てたかったんだろうよ」

 楢崎はタバコに火をつけた。

 「・・・で? 結局お前は、何を俺に聞きたいんだ?」

 「わかりませんか? あの時はああ言っちゃいましたけど、そういうことは改めて、お母さんやひかるのいる前ではっきり宣言しておかなきゃいけないんじゃないかと思って・・・」

 圭介はそう言った。出動がなさそうなので、整備班の仕事を手伝うついでに、楢崎に相談をしに来たのである。

 「ほう、もうそこまで考えてるのか。どうも話がいきなり飛躍しちまった感じだが・・・」

 「あの時お父さんが俺に聞いたのは、こっちに結婚の意志があるかどうかだけなんです。それを許すかどうかわからないうちに、お母さんが乱入してきちゃって・・・。もし俺が結婚相手としてお父さんが認められないような人間だったら、なんて考えると、不安でしょうがありませんよ」

 ため息をつく圭介に、楢崎はフッと笑った。

 「ようやく、嬢ちゃんとの付き合い方を真剣に考え始めたようだな・・・」

 「・・・当たり前です。いつまでも、うやむやにするのはよくないし・・・」

 圭介はそう言いながら、ひかるがあの時、自分に自分達の関係がどういうものかをはっきり宣言することを求めたのも、両親がやって来たことをきっかけに、そのことをはっきりさせなければならないと、ひかるもまた考えた結果だったのかもしれない、と、なんとなく思った。

 「だが、それをなんで俺に聞く?」

 「決まってます。ここの人間で、結婚していて子どももいるのは、おやっさんだけでしょう?」

 「なるほどな・・・」

 楢崎は納得した。

 「おやっさんの息子さんや娘さんも、結婚してもおかしくない年でしょう?」

 「・・・息子はお前と同い年。娘は二十歳だ。まだ早いかもしれねえが・・・そんなことを言い出しても、おかしくない頃だな・・・」

 「今の俺の立場も親の立場も経験しているおやっさんだからこそ、お願いしてるんですよ」

 それを確認して、圭介は言った。

 「おやっさん、一つ気になってるんですけど・・・父親が、娘の結婚相手に求めることって、なんですか?」

 真っ直ぐに楢崎の目を見て尋ねる圭介。楢崎はうつむいてその視線をそらしたが、やがて、顔を上げて言った。

 「・・・そんなもん、いちいちあげていったらキリがねえ。極端な話、完全無欠のスーパーマンであった方がいい。・・・ああ、それはそれで、つきあいづれえがな。二つ三つぐらい、欠点はあったほうがいい」

 「俺が聞いてるのは、そんなことじゃありませんよ!」

 「わかってる。まあ聞け。結局のところ、親が自分の娘を任せる相手に求めることなんて、たった一つだ。娘を幸せにしてくれること。それだけだ」

 楢崎は、再びタバコを灰皿に押しつけた。

 「まあそのためには、いろいろ条件があるがな。そいつが信頼できる人間かどうかとか、収入はどのくらいとか、いざというとき頼りになる奴かどうかとか・・・。そのへんは、親にとってだいぶ違うと思うけどな。詳しいことは、俺も知らん」

 「・・・それじゃあ、結局のところ、俺はどうすればいいんです?」

 「そんなことにビクビクしてねえで、胸張ってりゃいい。お前に娘を任せてもいいかと聞かれたら、間髪入れず自信をもって「はい!!」と言ってやれ。そのときにどんなことを求められてもだ。たとえ自分にはできないことを求められても、平気で「もちろん」と言い返してやれ。いつものお前みたいに、バカ正直に答えるんじゃねえぞ」

 楢崎の言葉を、圭介は真剣に受け止めていた。

 「・・・圭介。親にとっちゃな、娘の結婚相手なんて、手塩にかけて育ててきた娘を盗りに来た泥棒みたいなもんでもあるんだ。泥棒が盗む前からびびっててどうする。欲しいものはどんなことが待ち受けてようが、それを乗り越えて盗んでやる。そのぐらいの気概がなくっちゃ、盗まれる側にしても、おとなしく盗まれるわけにはいかないだろう?」

 「・・・」

 おとなしく聞いていた圭介だったが、やがて、口を開いた。

 「・・・そうですよね。びびってる場合じゃないんだ。わかりましたよ、おやっさん。本気でひかると一緒になりたいって思うのなら、どんなこと言われたってそんなもの、取るに足らないことですよね」

 「おう。その意気だ。ふっきれたか?」

 「はい。ありがとうございました」

 そう言って、圭介は立ち上がった。

 「圭介」

 去ろうとする圭介の背中に、楢崎は声をかけた。

 「結婚を真剣に考えるなら、いいことを教えてやる」

 その声に、圭介は振り返った。

 「タバコはやらんことだ。家族にいい顔はされんし、体にも悪い」

 「だったら、なぜ吸ってるんです?」

 「わかっちゃいるけどやめられない、ってやつだ」

 そう言って、楢崎は笑った。

 「タバコの楽しみを知らんうちに忠告しておく。知ったときには、もう手遅れだ」

 「貴重な箴言、ありがとうございます」

 圭介は笑顔でそう言うと、手を振ってガレージから出ていった。

 「・・・やれやれ」

 楢崎はそう言うと立ち上がり、使われていないロッカーへと歩いていった。

 「さて、と・・・」

 ロッカーの前で立ち止まり、彼は一呼吸した。

 「こんなところで」

 ガチャ

 「ワッ!!」

 「お前達は」

 ガチャ

 「ゲッ!!」

 「何をしてやがるんだ?」

 ガチャ

 「・・・」

 右から左へと移動しながら、ロッカーを次々に開けていく楢崎。空だったはずの三つのロッカーには、なんと聡美、小島、そして亜矢までが窮屈そうに入っていたのである。

 「出てこい」

 それがわかっていたように驚きもせず、楢崎はロッカーから出るように指示した。苦労しながらロッカーから出てくる三人。間抜けな光景である。

 「いてて・・・。どうしてわかったのぉ?」

 「あー、息苦しかった・・・」

 「・・・さすが」

 それぞれそんなことをつぶやく三人。楢崎は彼らをにらみつけた。

 「圭介は気づいてなかったみたいだが、なんだかロッカーから話し声みたいなのが聞こえてきたんだ。おおかた、お前達二人が桐生さんに頼んで、魔法かなんかであのロッカーの中に忍び込んだんだろう?」

 「エヘヘ・・・あ、当たり・・・」

 「よくわかりましたね、おやっさん・・・」

 「バカヤロウ!!」

 ごまかそうと笑う聡美、小島を、楢崎は一喝した。

 「いくら出動がないからって、あんなところで人の話を盗み聞きするなんてとんでもない話だ!! お前らは三流タブロイドの記者か!? 関東一円の平和を守る正義の味方だろうが!! お前らの運営費を払ってる世間の皆さんがこんなことを知ったら、どんな顔するかわかってんのか!? ひとの色恋沙汰に首突っ込んでるヒマがあったら、射撃訓練の一つでもしてやがれ!!」

 「「ヒ、ヒィィィィィィ!!」」

 機関銃のごとき楢崎の攻勢に、すくみ上がる二人。そんな二人を無視して、今度は楢崎は亜矢に顔を向けた。

 「桐生さんよ・・・。あんたも、こんなことしていいと思ってんのか?」

 「・・・すみません・・・」

 「この二人が余計な野次馬根性で突っ走るのを止めるのが、あんたや副隊長さんの仕事だろうが」

 「・・・おっしゃるとおりです」

 いつも通り真摯な態度で、楢崎の言葉を受け止め謝る亜矢。他の二人も、シュンとした顔をしている。それを見た楢崎は、ため息をついた。

 「ま、しかたねぇ。あの二人のことが気にかかるのは、わからんでもないからな。隊長さんや副隊長さんには、黙っておいてやる」

 「あ、ありがとうございます!!」

 助かったといった様子で、小島が言った。他の二人も、それぞれ安堵の笑みを浮かべる。

 「で、でもおやっさん・・・」

 「なんだ?」

 聡美の声に、楢崎はそちらを向いた。

 「新座君に、あんなこと言っちゃってよかったの? 新座君は、ひかるちゃんを無理矢理奪うような人じゃないけど・・・」

 それにうなずく他の二人。

 「いいんだよ。あいつはもともと、こういうことにかけちゃ積極性が足りないんだ。それがここにきて、ようやくしっかりしなきゃならないって気分になりはじめてる。だったら、それを後押ししてやらない手はないだろうが」

 「う〜ん・・・そういうものかなぁ」

 「そういうものなんだ。欲しいものは、何をしてでも手に入れる。本気にするかは別として、勢いぐらいはそのぐらいでなきゃダメだ。昔の人だって、そういう意味の格言を残してる」

 「格言? どんなの?」

 「お前のものは俺のもの、俺のものは俺のもの、ってな」

 ニヤリと笑う楢崎。小島、聡美はおろか、亜矢までが絶句した。





 その翌日のことである。午前9時。既にオフィスには全員が入り、いつも通りの仕事が始まろうとしている。

 「なあ、ひかる・・・」

 圭介が、隣の席のひかるに声をかけた。

 「あれから、ホテルに電話をかけたのか?」

 「・・・」

 ひかるはしばらく黙っていたが、やがて、黙ってうなずいた。

 「お母さんとは・・・お話ししました」

 「・・・お父さんとは?」

 ひかるは首を振る。

 「もう絶対、口を利きたくありません・・・」

 そんなひかるを見て、圭介はため息をついた。

 「気持ちはわかるよ。だけどさ・・・そろそろ、許してあげなよ。きっと、ちゃんと反省していると思うし・・・」

 「・・・いくら圭介君の言うことでも、これだけは聞けません!! あんなお父さんなんて・・・!」

 そんな様子を、他の隊員達は見て見ぬ振りをしている。

 「隊長、よろしいのですか・・・?」

 書類を小隈の机に置き、仁木が言った。

 「ほっておけ。VJを着て動いている間だけが、管制員と実動員の関係じゃないだろう?」

 「・・・はい」

 「あれだって、実動員と管制員の健全な関係維持のためだ。邪魔しても得にはならん」

 小隈は書類に判を押して返した。

 「そうですね・・・」

 仁木は少し笑うと、席へ戻ろうとした。その時だった。聡美の机の上の電話が、突然鳴りだした。

 「はい、特機保安隊第1小隊です。あ、警視庁の・・・。はい・・・はい。そうですか。それで? その逃げ出した動物というのは・・・」

 全員が、聡美の会話に耳を傾ける。

 「・・・わかりました。すぐに出動します」

 そう言って、聡美は電話を切った。

 「何だって?」

 「警視庁からです。国立新生物研究所で開発された新生物を乗せたトラックが、高速道路上で横転。新生物が逃走したそうです。その捕獲作戦に参加要請が」

 「どんな生物だ? 危険性は?」

 「あるにはある・・・みたいです」

 聡美の返答は、少し曖昧だった。

 「どういうことだ?」

 「馬の遺伝子を使った生物だそうです。だから性質もよく似ていて、不用意に後ろから近づいたら、蹴飛ばされるらしい、と・・・。あと、スピードやジャンプ力も並じゃなくて、ポリスジャケット隊も苦戦しているそうです。追って指揮車に、生物のデータも転送されると」

 「逃げた動物の捕獲か。任務としては、楽な方だな」

 「まあ、とにかく行ってみよう。第1小隊、出動」

 小隈の号令のもと、第1小隊はオフィスから飛び出した。





 ガチャガチャガチャガチャ・・・

 ビルの谷間に、VJが地面を蹴りつける金属質の音が響く。疾駆するのは、白いVJ。仁木である。そしてその前方を、奇妙な生物が猛スピードで走っていた。

 「なんてスピードなのかしら・・・」

 走りながら、仁木はそのスピードに驚いていた。VJの設定をスピード最優先にし、80kmのスピードで走っているというのに、追跡するのがやっとである。

 一方、前方を走っている生物。こんな生物は、今まで見たこともない。一言で言えば、竹竿である。一本の竹竿が、目の前をピョンピョンと跳ねながら猛スピードで走っている。しかし、それはただの竹竿ではない、よく見ると、その上端には馬によく似た頭がついている。そしてその下端には、やはり馬のような蹄がついていた。その生物はその蹄でパカパカと音をたてながら地面を蹴り、細い体をしならせながら、猛スピードで突っ走っているのである。

 「追いかけっこではかないそうにないわ! 準備はいいわね、小島君!」

 「いつでもどうぞ!!」

 通信の向こうから、小島の声が返ってくる。この道は一本道であり、この先にはこの生物を捕まえるため、小島が待機しているはずである。

 「そっちにいくわよ!!」

 仁木がそう言ったとき、彼女の目にも前方で待ち受ける、青いVJを着た小島の姿が映った。

 「よっしゃあ! どっからでも来い!!」

 そう言って、サッカーのキーパーのような姿勢をとる小島。彼に向かって、生物はまっしぐらに駆けてくる。

 ドガッ!!

 物同士がぶつかり合う、激しい音がした。だが・・・

 「ドワアアアアッ!?」

 仁木の目に映ったのは、生物にぶつかってはじき飛ばされる小島の姿だった。

 「小島君!? ・・・なんて生き物!」

 「仁木、かまわん。追跡を続けろ」

 「りょ、了解・・・」

 小隈の指示により、追跡を続ける仁木。

 「大丈夫、まだ手はある・・・」

 仁木は自分にそう言い聞かせた。この先にはさらに、圭介が待ちかまえている。そこで今度こそ捕まえる。





 「マルチブラスター、アクティブ。システムを確認してくれ」

 「了解。大丈夫です。リキッドポリマー、噴射準備完了」

 「よし」

 圭介は右手首下に取り付けたマルチブラスターのノズルを構え、うなずいた。間もなく、仁木に追われてここまでやってくるだろう。そこへこのリキッドポリマーを吹きつければ、足を止めることができる。そうすれば、捕獲も簡単だろう。

 「新座君、そっちにいくわ!!」

 「了解!!」

 圭介は身構えた。すると、こっちに向かってくる生物と、それを追いかける仁木の姿が入ってきた。見る見るうちに、彼我の距離は接近する。

 「今だっ!!」

 圭介は、マルチブラスターを噴射しようとした。と、その時だった。

 カッ!!

 なんと、生物は地面を蹄で蹴って、空中高く飛び上がったのである。

 「!?」

 それは、圭介にとって信じられない光景だった。驚いている一瞬の間に、生物は圭介の頭上を越え、その背後に着地していた。だが・・・その時には圭介は、スイッチを入れてしまっていた。当然、噴射されたリキッドポリマーは・・・

 ブシャアアアアアアアアア!!

 「キャアアアアア!?」

 ・・・仁木に降りかかることになったのである。

 「ふ、副隊長!?」

 えらいことをしてしまったと、圭介は激しく後悔した。その背後では、去っていく生物のパカパカという蹄の音が、あざ笑うかのように響いていた。

 「・・・作戦中止」

 あっけらかんとした小隈の声が聞こえた。圭介はがっくりする間もなく、リキッドポリマーにまみれた仁木のもとへ駆け寄った。

 「す、すいません! 大丈夫ですか、副隊長!?」

 「・・・いいのよ。悪気はなかったんだから・・・」

 仁木はそう言ったが、彼女はリキッドポリマーによって身動きがとれないまま、静かな怒りのこもった声で答えた。圭介はVJのヘルメットの下の顔を青ざめさせながら、なんとか仁木の体を自由にしようとし始めた。しかし、リキッドポリマーは圭介がよく知っている通りの粘着性を発揮し、焦る圭介の心とは裏腹に、いっこうに剥がれようとはしなかった。





 一時退却。第1小隊はそれを余儀なくされた。

 「ウマタケ、か。そのまんまというか、馬鹿馬鹿しいというか・・・」

 毎度毎度、最近の遺伝子工学の研究施設が作り出す生き物は、その発想からネーミングまで訳の分からないものが多すぎる。居酒屋で思いついた生き物を手当たり次第に作っているのではないか。小隈はディスプレイに映るその生物のデータを見ながら、そう思った。

 「でも、たしかに理に適った生物ではあるようですよ」

 仁木がそう言った。

 「このデータにもありますが・・・竹という植物は、植物の中でも非常に生命力の強い、強靱な植物ですから。乗り物より速く丈夫な乗用生物というコンセプトなら、たしかに正しい選択かもしれません」

 仁木の言うとおり、ウマタケはその外見や間抜けな名前とは反して、なかなか優れた生き物だった。

 本来は、来るべき他惑星開発計画に備えて、乗り物よりも速く、体質が強靱な乗用の動物として生み出された実験動物だった。そしてウマタケは、そのための資質を備えている。竹という植物の遺伝子は、それにより彼らに強靱な生命力を与えている。それだけでなく、竹は柔軟性に優れた植物でもある。そのために彼らのスプリング状の筋肉は非常にしなやかで、彼らの高いスピードやジャンプ力の原動力となっているのである。

 「ミスマッチに見えるものも、案外うまくいったりするんだね。明太子とマヨネーズみたいに」

 データを見ながら、聡美が感心する。

 「で、どうするんです? パワーもスピードも、ジャンプ力もある。あれを捕まえるのは、至難の業ですよ? おまけに、3頭もいるんですから」

 先ほどウマタケに吹き飛ばされ、身をもってそのパワーを味わった小島が言った。彼の言葉通り、逃げ出したウマタケは全部で3頭。依然として都内を元気に走り回っているようだが、首についている発信機のおかげで、その居場所は特定できる。かといって、このままいつまでも野放しにしておけるはずがない。

 「うむ・・・どうするか・・・」

 小隈が腕を組んで考え出した。オフィス内に沈黙が流れる。その時だった。

 「どうも。やっと終わりましたよ・・・って、あれ?」

 作業服姿の圭介は、入ってくるなり中の沈黙にたじろいだ。が、すぐに仁木に向かって言う。

 「副隊長。リキッドポリマーのVJからの引き剥がし、作業完了しました」

 圭介は先ほどまで、ガレージで他の整備員達から文句を言われつつ、溶剤を使って仁木のVJにこびりついたリキッドポリマーの引き剥がしを行っていたのである。

 「ありがとう。そんなところに立ってないで、早く座りなさい」

 仁木は笑顔でそう言った。もうお怒りも解けているらしい。圭介はホッとしつつ、自分の席へ戻った。

 「で、何の話をしてたんです?」

 「見りゃわかるだろ? あいつをどうやったら捕まえられるか、って話だ」

 モニターを顎でしゃくりながら、小島はそう言った。

 「さて、全員揃ったところで、議論再開だ。今し方考えたんだが・・・」

 小隈はそう切り出した。

 「当たり前と言ったら当たり前だが・・・。麻酔弾を撃ち込んで眠らせる、っていうのはどうだろう?」

 小隈の言葉に、オフィスの中の全員がキョトンとした。

 「そりゃあ、まあ・・・。たしかに、定石と言えば定石ですけど・・・」

 小島は戸惑いながらも続けた。

 「あれに弾を当てるのは、もっと至難の業ですよ? 考えてもみてください。あいつの外見は、完璧竹竿だ。太さ10cmもないあいつの細い体に、あいつに警戒されない距離から当てるなんて・・・」

 「小島、もっと仲間の腕を信頼してやれよ」

 小隈は不敵に笑うと、仁木に顔を向けた。

 「・・・できるな、仁木?」

 仁木は突然話をふられて戸惑ったが、すぐに答え始めた。

 「そ、そうですね・・・。ウマタケに警戒されない距離が、どのくらいかわかりませんけれど・・・。「ヨイチ」の性能なら、2kmくらいなら十分可能です」

 「そうか・・・。副隊長の腕と、あのスナイパーライフルなら、それくらいはできるかもな」

 小島が相づちをうつ。しかし・・・

 「あの・・・」

 ひかるが、遠慮がちに手を上げた。

 「なんだ、服部?」

 「たぶん・・・その作戦は、難しいと思います・・・」

 ひかるは、小隈を申し訳なさそうに見てから言った。

 「難しいって、どういうこと、ひかるちゃん?」

 「副隊長が弾を命中させることができても・・・肝心の麻酔弾を作るのが、難しいんです」

 ひかるは淡々とそう言った。

 「生き物によって、安全に眠らせる麻酔薬の量は微妙に異なります。体の大きさとか、体重とか、特有の体質とか、そういうことをあわせて考えて、慎重に調合しなければいけません。それに、同じ生き物でも個体差とかその日の体調とか、微妙な変化にあわせて量は調節しなければいけません」

 動物の体について詳しいひかるの意見を、全員は黙って耳を傾けていた。

 「でも、ウマタケは生まれたばかりの新しい生き物です。わかっていないデータも多くて、安全な調合法と適正量を考えるのは、とても難しいと思います・・・。動物の麻酔経験が豊富な人でもなければ・・・」

 圭介は黙ってそれを聞いていたが、やがて言った。

 「・・・それなら、問題はないんじゃないか?」

 「え・・・?」

 「そういう経験者なら、お前もよく知ってる人がいるだろ? お前にそういう知識を教えてくれた人が・・・」

 「!!」

 その言葉に、ひかるが驚く。

 「おい、新座。その人って・・・」

 「ひかるのお父さんですよ」

 そう言って、圭介はひかるに向いた。

 「前にお前、話してくれたよな? お父さんは東京の大学の獣医学科で麻酔を勉強してから、しばらく関西の動物園で働いたって。地元の北海道に戻ってから今でも、動物の麻酔に関しては第一人者だって・・・あれは嘘か?」

 「・・・」

 ひかるは恨めしそうな顔で見つつも、首を振った。圭介はそれを見てうなずくと、小隈に言った。

 「隊長、ひかるのお父さんに、協力をお願いしましょう。指示に従って、小島さんのカラドリウスで麻酔薬を調合。「ヨイチ」の麻酔弾に詰めて狙う。この作戦でどうでしょうか?」

 小隈はしばらく考えていたが、やがてうなずいた。

 「・・・いいだろう。他に、意見のある者は?」

 「・・・」

 異議は出なかった。

 「よし。それでは準備にかかろう。岸本は、服部のお父さんに連絡。たぶん、まだホテルTSUDUREYAにいるはずだ」

 「了解」

 「他の者は、自分達の装備の確認をしておけ。以上だ。解散」

 その言葉に応じて、隊員達は慌ただしく動き出す。

 グィッ・・・

 そでを引っ張られ、圭介は振り返った。そこには、こちらを恨めしげに見上げているひかるの顔があった。

 「なんだ?」

 「・・・圭介君、ずるいです・・・」

 ひかるは小さく言った。

 「・・・そう言うなって。気持ちは分かるが、お父さんにも名誉挽回のチャンスをあげてやってもいいんじゃないか?」

 「・・・圭介君は、なんでそんなにお父さんをかばうんですか?」

 ひかるの言葉に、圭介は少し戸惑ったが、やがて小さく笑って言った。

 「俺はお前と知り合ってまだ一年も経ってないけど、それでもお前に嫌われるのは嫌だ。お前をここまで育ててくれたお父さんだったら、なおのことだって思うと、な・・・」

 その言葉にひかるは少し驚いた表情を浮かべ、うつむいた。圭介はそれを見てしょうがないなという表情をしたが、踵を返して言った。

 「いくぞひかる。早く装備を調えないと」

 そう言って、圭介は歩き出そうとした。

 「あ、待って下さい!!」

 ひかるはそのあとを、慌てて追いかけた。





 それから、約2時間後・・・。日比谷公園の林の中に、第1小隊の指揮車が静かに鎮座していた。

 「こちら仁木。「ヨイチ」、NIBEQとの連動、OK・・・ターゲット・ロック、完了」

 指揮車の上に腹這いになり、専用のスナイパーライフル「ヨイチ」を構えた白いVJの姿があった。彼女の目に投影されるデュアルカメラからの映像には、公園内の噴水の側にたたずみ、のんきに水を飲んでいるウマタケの姿があった。さすがに走り疲れたらしく、ここで一休みといったところか。そしてそのウマタケには、仁木の構える「ヨイチ」の照準が、ぴったりと合わせられていた。

 「こちら指揮車、了解。小島、新座、配置についたか?」

 「こちら小島。いつでもどうぞ」

 「こちら新座。スタンバイオーケーです」

 小島と圭介は、ウマタケの警戒距離ぎりぎりに待機している。それぞれ、急ごしらえで作ったスーパーネットランチャーを持っている。これは要するに、特殊素材でできた投網を発射するもので、万が一仁木の狙撃が外れたときにはすかさず駆け寄り、これでからめ取るために彼らは配置されているのである。

 「よし・・・。それじゃ、いってみようか」

 「了解・・・狙撃します」

 ガチャン!!

 仁木がライフルの槓棹を引く。それと同時に、辰雄によって製作された麻酔薬を詰めたダートが、銃身へと送り込まれた。





 仁木の見ている映像は、そのまま指揮車内のディスプレイに映し出されている。その映像を固唾を呑んで見つめているのは、小隈達四人以外だけではない。同乗している辰雄・都子夫妻もそうである。

 「うまくいくでしょうか?」

 聡美が振り返り、心配そうな顔で言う。

 「・・・患者を殺すわけにはいきません。あの麻酔薬には、そうしないための全てを注ぎました。それだけです」

 辰雄はモニターをにらみつけるように見ながらそう言った。ふと振り返り、管制ブースの方を見る。そこには、こちらを見ているひかるの姿があった。二人は一瞬目を合わせたが、すぐにひかるは慌てたように視線を逸らしてしまった。

 「・・・」

 辰雄は悲しそうな顔をした。が、その肩に手が乗せられる。

 「・・・大丈夫なんでしょう?」

 妻の言葉に、辰雄は力強くうなずいた。

 「当たり前だ。これが、私の仕事なんだから」





 仁木は、ライフルを構えたまま微動だにしなかった。モニターに映るウマタケは、一ヶ所に留まってはいるが、絶えずピョンピョンと飛び跳ねている。そのたびにNIBEQと連動した両腕が照準を補正するが、このままではいつまでたってもらちがあかない。

 「・・・」

 仁木は待った。狙撃手には何よりも、チャンスを待つために長い時間を堪え忍ぶ忍耐力と、それを乗り越えてやって来た一瞬のチャンスを逃さないことが要求される。仁木はそれを熟知していた。

 と、唐突にその時は訪れた。噴水のそばに立ち、ウマタケはその細い体をしならせて、口を水につけていた。

 「・・・撃ちます」

 仁木はそうつぶやき、引き金にかけた指に力を込めた。

 「ヨイチ」は完全消音機構が備えられているため、銃声は一切発生しない。彼女の目に、ウマタケが一瞬ビクリと身をすくませるのが映った。だが、ウマタケは倒れることなく、そのままピョンピョンと跳ね回っている。

 「まだ元気だよ!?」

 聡美が思わず叫んだ。麻酔薬の量が少なかったのか? 第1小隊のメンバーは思わずそう思ったが・・・

 「・・・命中してすぐに倒れたりしたら、量が多すぎます」

 辰雄が静かに言った。

 「そういうことだ。小島、新座。刺激しない程度の距離まで近づいて、様子を見ろ」

 「「了解」」

 小隈の指示を受けて、小島と圭介は遠巻きにして見守る。と・・・ウマタケはビクビクと体を振るわせると、突然倒れた。

 「確認」

 すぐさま二人が駆け寄り、状態のチェックを行う。圭介は体に刺さっていた麻酔ダートを引き抜き、小島はバイザーのメディカルスコープを使って、ウマタケの状態を確認した。その頭に近寄り、目を開かせる。

 「どうだ?」

 「心拍の異常や、筋肉の弛緩などは見られません。うまい具合に、中枢神経系だけがマヒしているようです。瞳孔が少し拡大しているようですけど、このくらいなら許容範囲だと思います」

 指揮車のモニターには、小島から送られてくる映像が映っている。小隈は後ろを振り返ったが、彼に対して辰雄は、黙ってうなずいた。

 「よし、どうやら成功のようだ。慎重に回収しろ」

 「了解! これでやっと一頭ですね」

 嬉しそうな声が返ってくる。それは、指揮車の中にも安堵の雰囲気をもたらした。その中で辰雄は、再び振り返った。

 「・・・」

 そこには、ヘルメットをはずしてこちらを見ているひかるがいた。彼女はどんな表情をしたらいいのかわからないように戸惑っていたが、そんな彼女に、辰雄は優しい微笑みをなげかけた。

 「・・・」

 ひかるはそれを見て少しうつむいたが、やがて、小さな微笑みを浮かべて、静かに頭を下げた。





 その後、第1小隊は二つ目の反応を追って、都内の野菜市場へ。そこへ乱入し、ニンジンをむさぼり食っていた二頭目を一頭目と同じように眠らせ、捕獲することに成功した。捕獲された二頭のウマタケは、そのまま宇宙開発事業団の研究所へ向かうトラックに乗せられていった。そして、第1小隊は最後の反応を追って、最後のウマタケの居場所にたどりついた。だが、それは予想もつかない場所にいたのである。





 「なんだって、あんな場所にいるんだよ・・・」

 ビルの下に立ち、カメラの望遠モードで入ってくる映像を見ながら、圭介は呆れた。目の前にあるのは、建設中の超高層ビル。どこをどう昇ったのか知らないが、最後のウマタケはなんと、そのてっぺんにある大型作業クレーンの上でピョンピョン飛び跳ねているのである。

 「よくあんなところにいられるもんだ」

 小島達も呆れ顔である。

 「隊長、どうしましょう?」

 仁木が困ったように言った。

 「そうだな・・・。たしかに危ない場所にいるが、かといってこれ以外の方法はないし・・・」

 通信の向こうで小隈は考えていたが、やがて言った。

 「よし、こうしよう。仁木は隣のビルの屋上に上って、そこで狙撃態勢を整えろ。小島と新座は、万が一の時の備えだ。二人とも屋上へ行って、刺激しない程度の距離を保って待て」

 「「「了解」」」

 小隈の指示を受け、3人はそれぞれの場所に散っていった。





 鉄骨でできた、無骨な大型クレーン。天国への階段のように空に向かって傾いているその上を、ウマタケは戯れているかのようにピョンピョンと跳ね回っていた。

 「ああくそ! ピョンピョン飛び回るんじゃねえよ! こっちはお前のせいで気が気じゃないんだぞ!」

 イライラした様子で小島が言う。

 「気持ちはわかりますけど小島さん、落ち着いて下さいよ。俺達の仕事は、副隊長が撃ったあとなんですから」

 小島をいさめつつも、圭介自身、ウマタケの無鉄砲な行動には肝を冷やしていた。よほど自分の運動神経に自信があるらしいが、こんなところで跳ね回るのは危険極まりない。ハラハラしながら、早く仁木が引き金を引く瞬間を、圭介は待っていた。





 一方、イライラしているのは圭介だけではなかった。

 「やっぱり、風がきついわね・・・」

 圭介達やウマタケのいるビルの隣に立つ高層ビルの屋上。貯水タンクの上に腹這いになり、仁木は照準をつけていた。しかし、やってくる前に予想していたが、ここでの狙撃はこれまでと比べてだいぶ難しかった。

 高いところは風が強い。これは誰でも知っていることだが、その風が今の仁木にとって大敵となっていた。いかに風といえども、発射した銃弾の進路をわずかに狂わす力をもっている。そのわずかな狂いが、命取りとなる。今回使っている麻酔ダートは、通常のライフル弾よりもずっと風の影響を受けやすい。ましてや、標的となるウマタケは、地面に立った竹竿のようなものである。ただでさえ当てるのが難しいのに、この強風はひどい悪条件である。しかし、仁木としてはやるしかない。

 「風が止むのを、待つしかない・・・」

 仁木は気まぐれな風が吹き止むその瞬間を待っていた。今度はその瞬間が狙撃のチャンスとなるだろう。二つのビルの間に、長い時間が流れた・・・。

 ・・・と、唐突に、風が止んだ。

 「・・・撃ちます!」

 その瞬間を見逃さず、仁木は引き金を引いた。と、その時だった。

 ビュウゥ!!

 引き金を引くと同時に、止んだときと同じように、唐突に特に強い風が吹き抜けたのである。

 (しまった!?)

 仁木はVJのヘルメットの下で、後悔の表情を浮かべた。





 ヒュンッ!!

 仁木の撃った麻酔ダートは、やはりその風の影響を受け、ウマタケの体から数cmと離れていない距離をかすめて飛んでいった。

 「すみません! 外しました!!」

 仁木の声が、全員の耳に響く。が、仁木の外した銃弾は、ウマタケに動揺を与えるのには十分だった。

 「ブヒヒヒヒヒン!!?」

 体をかすめた銃弾にウマタケは激しく驚き、一層ピョンピョンと飛び跳ねた。そして・・・

 「ああっ!?」

 なんと、ウマタケがクレーンからビルの下へ、飛び降りてしまった。

 「間に合えっ!!」

 ボシュッ!!

 すぐさま屋上の縁まで駆け寄った小島が、ネットランチャーを発射する。だが、発射された投網を落下するウマタケは運悪くすり抜け、なおも落ちていってしまった。

 「くっ!!」

 ダッ!!

 その時、圭介が予想もつかない行動に出た。なんと、ウマタケを追ってビルから飛び降りたのである。

 「に、新座ぁーっ!!」

 「圭介君っ!!」

 指揮車の中に悲鳴がこだまする。驚くより先に縁に駆け寄り、下を見つめる小島。いくらVJとはいえ、この高さから落ちればひとたまりもないだろう。

 だが、圭介はただ落下に身を任せてはいなかった。全身に設けられたジャンプ中の姿勢制御用スラスターを吹かし、落下の速度を速めていたのだ。そして・・・

 ガシッ!!

 ついにウマタケに追いつき、その細い体をつかんだ。

 「こら、おとなしくしろ! ここに入ってるんだ!!」

 圭介はバックパックを開くと、その中に暴れるウマタケを押し込んだ。だが、その途端に網膜投影ディスプレイに大量のエラーメッセージが表示される。

 「BACKPACK SYSTEM ERROR: SYSTEM REJECT THE FOREIGN SUBSTANCE」

 「くっ! ひかる、これって・・・」

 猛スピードで落下しながらも、圭介はひかるに連絡をとった。

 「バックパックに異物を混入したから、システムが安定しないんです!!」

 通信の向こうから、ひかるの混乱した声が返ってくる。

 「なあ、一応聞くが、バックパックの中にパラシュートって・・・」

 「そんなもの入ってません!! 圭介君のバカァ!!」

 ひかるの声は、もう泣き声になっていた。

 「だろうな・・・」

 圭介はそう言うと、ひかるに指示した。

 「ひかる! 恨み言は後で聞く! すぐにシステムを立て直してくれ!!」

 「えっ!?」

 「頼む!!」

 「はっ・・・はい!!」

 圭介の必死の言葉にひかるはすぐにうなずき、自分の持てる力全てをシステムの沈静化に傾けた。その間にも、どんどん地面は近づいてくる。

 「まだか!?」

 「も、もうすぐ・・・」

 ひかるがそう言った時、既に地面までは50mほどになっていた。その時だった。

 「BACKPACK SYSTEM : SYSTEM REBOOT COMPLETED」

 システムが再起動したことを示すメッセージが、ディスプレイに映った。

 「や、やりました!!」

 「サンキュー、ひかる!」

 圭介はそう言いながら、目的のモジュールを選択した。

 「真空砲、アクティブ!!」

 バックパックのハッチが開き、中から真空砲が飛び出した。圭介はそれを右手に装着し、スラスターを吹かせて、右腕を下にした不自然な姿勢となった。地面との距離は、5m。

 「Bモード、最大出力!! 発射ぁ!!」

 ドバァァァァァァァァァン!!

 圧縮空気の放たれる角度を広く設定した真空砲から、地面に向かって空気の砲弾が発射された。それはすさまじい力で地面にぶつかり、落下していた圭介のスピードを相殺した。そして・・・

 スタッ

 「フゥ・・・危なかった」

 なんとか地面に降り立った圭介は、ため息をついて真空砲をしまった。

 「圭介君・・・大丈夫なんですか・・・?」

 通信の向こうから、半泣き声のひかるの声が聞こえてきた。

 「ああ、ごめん・・・。なんとかしなきゃって、それだけで頭が一杯になって、ちょっと張り切りすぎちゃった、な・・・」

 今度ばかりは本当に心配をかけてしまったなと、圭介は反省していた。落ちたウマタケを追って自分も飛び降りるなど、我ながらなんという無茶をしたのだろうか。機転をきかせて切り抜けたとはいえ、一歩間違えば間違いなく死ぬところだっただろう。

 「あー、新座。やっちゃってからなんだが、そこまで仕事熱心になる必要はないぞ。俺は部下の二階級特進なんぞ望まないからな」

 「す、すいません・・・」

 「いいから、さっさと指揮車に戻ってこい。それで、ウマタケはどうなった?」

 「ああ、まだバックパックに入ってますが・・・」

 そう言って、圭介は視線を背中に向けた。なんだか、バックパックの内側から、ドンドンと叩かれているような振動が伝わってくる。

 「・・・ピンピンしてます。恩知らずな奴・・・」

 「しかたないな。バックパックごと、研究所に移送するしかない。とにかく、一度指揮車に戻ってくれ」

 「はい」

 圭介はそう答えると、トボトボと指揮車へ向けて歩き出した。





 「圭介君のバカァッ!! ・・・ック・・・!」

 戻ってきた圭介を見るなり、ひかるはまだVJを身につけたままの圭介の胸に体を預けて、周囲の視線をはばからずに泣き出した。

 「悪かった! 悪かったから、ここで泣くのはやめてくれ! 文句ならあとでいくらでも聞くから!」

 圭介は慌てながら、ひかるをなだめはじめた。圭介にとって何よりも苦手な、今のような状態のひかる。罪の意識にグサグサと胸を刺されながら、「あれだけ注意していながら、なぜまたやってしまったのか」と、圭介は激しい後悔を覚えていた。

 「いーや、お前が悪いぞ新座」

 その声に振り返ると、遅れて戻ってきた小島、それに仁木が立っていた。

 「前にも言ったろうが。相手も助けて自分も助かる方法を考えろって。いくらなんでも、ありゃ無茶だ」

 「救助のためとはいえ後先考えずに飛び込むのは、新座君の悪い癖よ」

 そう言われて、圭介は困ったような顔をした。

 「すいません・・・。でも、考えましたよ。ウマタケを空中で捕まえて、激突直前に真空砲でブレーキをかけるって・・・。ただ、ウマタケをバックパックに突っ込んだらエラーが生じたってのは、計算外でしたけど」

 「当たり前じゃないですか! とにかく、無茶なことはやめて下さい! エラーを直してる間、すごく心配したんですから・・・あのまま圭介君が地面に落ちちゃったら・・・ック・・・」

 「わかった! なんとかするから泣きやんでくれよ!」

 その様子を見て苦笑する、指揮車内のメンバー達。

 「隊長、聡美君、どうぞ・・・」

 「あ、ありがとう」

 「ん。まあ、いつもあんな感じなんですけど・・・大目に見てやって下さい」

 亜矢から渡されたラムネを開けながら、小隈が服部夫妻に言った。

 「桐生、服部さん達にもラムネを。・・・いかがですか、娘さんの仕事ぶりを見て」

 亜矢に辰雄達にもラムネを振る舞うように指示し、小隈は言った。

 「驚きましたわ。あの子があんなに頑張れるなんて・・・。この人は反対してましたけど、やっぱり送り出してよかったみたいですね。ねえ、あなた。・・・あ、すみません」

 「ああ・・・。すみません、もう2本いただけませんか?」

 辰雄は亜矢に言ってもう2本ラムネを受け取ると、それを持って圭介とひかるのところに歩いていった。

 「あ・・・お父さん」

 圭介はそれに気づくと、姿勢を正した。ひかるも、なんとか泣くのをやめる。

 「・・・」

 二人の前に立ったまま、何も言わない辰雄。

 「すいません・・・。俺の無茶のせいで、ひかるに心配をかけさせてしまって・・・」

 「・・・」

 圭介は、そう辰雄に謝った。

 「自分でも、悪い癖だと思っています。絶対に直していって、ひかるにも皆にも心配をかけないようにしていきます。ですから・・・」

 「・・・人には誰でも、欠点はある。それを直していくのも大事だが・・・君の場合は、もっと大切なことがある」

 そう言うと、辰雄はひかるに向き直った。

 「ひかる。お前の仕事ぶり、しっかり見させてもらったぞ」

 「お父さん・・・」

 「きっと、これまでも今日と同じように、しっかり新座君を支えてきたのだろう。立派に、役に立っているんだな・・・」

 「は、はい・・・」

 「これからも、新座君を支えてやってくれ・・・ご苦労様」

 辰雄はそう言うと、ラムネをひかるに渡した。すると、今度は圭介に向き直った。

 「あまり娘に心配をかけさせるようなことはしてほしくないが・・・」

 「す、すいません・・・」

 頭を下げるしかない圭介。

 「あそこまでのことができるのは、君が私の娘を信じてくれているからだと思う。娘をそこまで信じて、命を預けてくれる人がいるということは、親としてもこんなにうれしいことはない・・・。君になら、いつでも娘を任せられるだろう。これからも、娘をよろしく頼む・・・ご苦労様」

 そう言って、辰雄は圭介にもラムネを手渡し、頭を下げた。

 「ハッ・・・ハイ!! こちらこそ、よろしくお願いします!!」

 すかさず、圭介も頭を下げた。

 「ありゃ〜・・・なんか、あたしたちすごく邪魔な感じ・・・」

 「そうだね・・・」

 「あれってさ、結婚してもいいってことかな・・・?」

 「そうだろうね・・・」

 「なんか、すごい現場に居合わせちゃってるね・・・ハハ・・・」

 「岸本」

 「ハッ、ハイ!?」

 「乾杯の音頭をとれ」

 亜矢と話していたところに、小隈から命令されてたじろぐ聡美。

 「えっ!? で、でも・・・」

 「いいから」

 小隈に押され、聡美はとりあえず瓶を掲げた。

 「そ、それじゃあ皆さん! 任務の無事成功を祝って! それと・・・幸せなお二人のために!」

 「さ、聡美さん!!」

 その言葉に、顔を真っ赤にして叫ぶ圭介。その隣で、ひかるはさらに顔を赤くしている。

 「かんぱ〜い!!」

 それにかまわず、聡美は乾杯の声をあげていた。





 翌日。羽田空港のロビーにひかるの一家、それに圭介の姿があった。昨夜は両親の招待で、TSUDUREYA内にある高級レストランで食事をとり、四人はより親睦を深めていた。結婚を考えているという話も改めて話し、快く承諾してもらったことに、圭介とひかるは胸をなで下ろした。

 「すみませんね。仕事があるのに、わざわざ見送りに来てもらって・・・」

 都子が言った。

 「当たり前じゃないですか。それに、バックパックはウマタケと一緒につくばの研究所に送られてしまって、お昼にならないと帰ってこないので・・・。それまでは、出動したくてもできませんよ」

 そう言って、圭介は苦笑した。

 「大変だったわね、昨日は・・・」

 「まあ、あれが僕達の日常みたいなものです」

 「お体だけには気をつけてくださいね。ひかる、あなたも新座さんの体調には、しっかり気を使うのよ?」

 「はい!」

 「お、お母さん! 自分の健康管理ぐらい、自分でできますよ!」

 圭介は慌てたように言った。

 「ひかる、スノーウィを・・・」

 圭介が言うと、ひかるはうなずき、足下でじゃれていたスノーウィを抱え上げた。

 「またお別れね、スノーウィ。・・・ちゃんと、お母さんの言うことを聞いてね?」

 スノーウィは寂しげに鳴いた。ひかるも寂しげな笑顔を浮かべたが、ペット用のケージにスノーウィをいれた。

 「・・・じゃあね」

 そう言うと、ひかるはそれを母に渡した。

 「お母さん、スノーウィをよろしく・・・」

 「もちろん。また寂しがるだろうけど、我慢するように言い聞かせるわ。・・・それじゃあ、ひかる、新座さん。いろいろ迷惑かけたけど、ありがとう。おかげで、楽しかったわ」

 「うん・・・」

 「またいつでも来て下さい」

 「それじゃあ、私達はこれで・・・。ほら、あなたも黙ってないで、何か言いなさいよ」

 「・・・」

 それまで黙っていた夫を前に無理矢理押し出す都子。

 「・・・新座君」

 「はっ、はい」

 緊張しながら、圭介は答えた。いくら親睦を深めても、どうしても緊張は残っている。

 「・・・時間ができたら、ぜひ北海道まで遊びに来てくれ。私達は待っているよ」

 「はい! 喜んで!」

 圭介は元気よく返事した。それにうなずく辰雄。

 「あの・・・僕からも、お父さんにお願いしたいことが・・・」

 その言葉に、辰雄は不思議そうな顔をした。

 「なにかね? 私としては、なんでも言ってもらいたいが・・・」

 「いえ、大したお願いではないんです。実は・・・結婚の話までしてしまったあとでなんですけど・・・今すぐひかると結婚したいとは、僕は思いません」

 「・・・」

 ひかる達は、黙ってそれを聞いていた。

 「もちろん、結婚まで許して下さったことには感謝していますし、ひかる以外と結婚するなんてことも、考えられません。ただ・・・いくら僕達の間の信頼が深くても、僕達はまだ、出会って1年もたっていません。お互いに知らないことも多い。将来も不安定だし、結婚といっても、まだしっかりと実感をもてないというのが、本音です・・・。ついこの間まで、自分達が恋人かどうかということも、しっかり確信していませんでしたから・・・。今のような中途半端な状態で、結婚を急ぎたくはないんです。ですから・・・もっとお互いを知るための、結婚するためにふさわしい関係を作るための時間を、僕達にください。お願いします・・・」

 圭介は、そう言って頭を下げた。

 「圭介君・・・」

 それを見たひかるも、頭を下げる。

 「私からも・・・お願いします!」

 「・・・」

 二人は黙っていたが、やがて、辰雄が言った。

 「顔を上げてくれ、二人とも」

 その言葉に応じて、圭介とひかるは頭を上げた。

 「君の言うとおりだ。無論私達も、それを急がせるつもりはない。焦らず、ゆっくりといけばいい。二人とも若いし、時間はたくさんあるのだから」

 「それにあなた達にはわからないかもしれないけど、夫婦になってからじゃ味わえない楽しみっていうのも、恋人っていう関係にはあるのよ。今のうちに、それを楽しんでおきなさい。なにがそうだったかは、あとになってわかるから・・・。ね、あなた?」

 都子の言葉に、辰雄は珍しく照れくさそうに微笑んだ。

 「ありがとうございます!」

 圭介とひかるが、笑顔でそう言ったその時だった。

 「11:03 羽田発千歳行き305便、間もなく搭乗を開始します。乗客の方は・・・」

 ロビーに、二人の乗る飛行機の搭乗開始を告げるアナウンスが流れた。

 「そろそろ、時間みたいね・・・」

 「ああ・・・」

 二人はそう言うと、置いてあった旅行カバンを持った。

 「それでは元気でな、ひかる、新座君。がんばってくれ。行こう、都子・・・」

 そう言うと、辰雄はさっさと歩いていってしまった。

 「あ、ちょっと! まったくもう・・・。それじゃあ、二人とも、お元気で。これからも、テレビ見ながら応援するわね。じゃあね!」

 「さようなら!」

 「元気でね!」

 そう言うと、都子は辰雄のあとを追っていった。

 「・・・フゥ」

 二人が見えなくなってから、圭介は倒れ込むように近くにあった長椅子に腰掛けた。その隣に、ひかるが座る。

 「なんか疲れた・・・」

 圭介はそうつぶやいた。

 「圭介君・・・」

 「なんだ?」

 横を見ると、ひかるが怒ったような表情をしていた。

 「な、なんだよ? そんな顔して・・・」

 「もしかして、私の知らないところで、お父さんやお母さんに会ってたんじゃないですか?」

 「・・・やっぱりわかるか?」

 「わかりますよ、昨日のお食事だって、初対面と思えないぐらい自然にお話してましたし・・・。黙ってるなんて、ひどいです・・・」

 「ごめん。でも、あの時のお前、まだ怒ってたから・・・。下手に刺激するような話はしない方がいいかなって思って・・・」

 ひかるは怒った顔をしていたが、徐々にそれを解いていった。

 「・・・今度から、そういうことはしないでくださいね・・・?」

 「ああ。そうするよ。約束だ」

 そう言うと、圭介は立ち上がった。

 「さて、お見送りも済んだし、そろそろ帰ろう」

 「はい」

 歩き出した圭介の隣に回り、自然に手を繋ぐひかる。

 「あの・・・圭介君」

 「なんだ?」

 「本当に・・・いいんですか?」

 「・・・結婚のことか?」

 圭介はひかるの顔を見た。真っ赤になっている。

 「イヤか?」

 「い・・・イヤなわけないじゃないですか! ただ、その・・・あんまり急に話が進んじゃって、自分でも、心の整理が・・・」

 「戸惑ってんのは、俺も同じだ。本当はお前にもその意志があるのか確認してから、改めてその話をしようと思ってたんだけど・・・まさか昨日の指揮車の中で、あんなこと言われるとはなぁ」

 圭介は顔を上げた。

 「ま、心配するな。今のところは、全部トントン拍子に進んでるし、いざとなっても俺がなんとかする。ここまで来たんだ。あとはハッピーエンドまで突っ走るだけだよ。お前が俺と並んで走ってくれれば、きっと幸せにしてやれる。約束だ」

 圭介はそう言ってひかるを見た。その時彼は、ひかるが今までとは違った目で圭介を見ていることに気がついた。

 「な・・・なんだよ?」

 「圭介君・・・今日はなんだか、頼もしいです・・・」

 ボーっとした目で圭介を見つめるひかる。

 「なんだそりゃ・・・いつもは頼りないっていうのかよ?」

 「あ・・・そういうことじゃなくって、なんて言ったらいいのか・・・。うまく言えないんですけど、とにかく今の圭介君なら、本当にどんなことが起きても頼れそうな気がするんです」

 「そ、そうか・・・ありがとう」

 圭介はとまどいつつも、その言葉を受け入れた。ひかるは手をつないでいたのを、今度は腕を抱いた。

 「・・・時間も時間だ。署に戻る途中で、飯でも食おう。おごらせてくれ」

 「はい!」

 二人はそう言いながら、ターミナルから出ていった。おりしも、二人の頭上高くを、巨大な旅客機が青い空を飛んでいった。




関連用語紹介

・ウマタケ

 てんとうむしコミックス1巻「走れ! ウマタケ」に登場した、馬と竹の合いの子。22世紀の遺伝子工学が生み出した新種の生物である。その名の通り、馬と竹をあわせたような姿で、外見は全くの竹竿。上端に馬のような頭がついていて、下端に蹄がついている。体が一本の竹竿のようなものなので、当然走るときは体をバネのようにしならせ、跳ねながら走る。しかしその能力は見かけとは裏腹に優秀で、かなりのスピードとジャンプ力をもち、絶対に転ぶことがない。蹄のすぐ上あたりに平行に突き出した棒状の突起があり、乗るときはこれに足をかけ、両手でウマタケにしがみつく、という格好になる。竹の遺伝子が組み込んであるがれっきとした動物であり、好物であるニンジンをはじめとして餌も食べるし、排泄もする。

 反面、使われた馬の遺伝子がサラブレッドのものだったのか、非常にプライドが高いという性格をもつ。そのため、土足はおろか、靴下が汚れていただけでも、乗ることを拒否してけっ飛ばすという困った習性がある。そのような場合は靴下を新しいものに履き替え、好物であるニンジンを使って機嫌をとりながら、ソロソロと乗るのがベストである。


次回予告

 聡美「さぁ〜って、次回の「Predawn」は〜っ♪」

 小島「やれやれ。やっとまた俺の出番が回ってきたな」

 亜矢「・・・」

 聡美「あれ? なんで二人なの?」

 小島「ああ、ひどい話だよ。残り話数の関係上、全員に予告の出番を平等にわけるには、
    こうするしかないんだってさ。新座やひかるちゃんは、ソロで出番があったって
    いうのに・・・」

 亜矢「仕方がないよ・・・。この小説の主役は・・・彼らなんだからね・・・」

 聡美「そーゆーこと・・・かな? でも、こういう出し方をするしかないってのも、
    やっぱりもうすぐ最終回なんだねぇ」

 亜矢「しかし・・・今度の話は・・・またずいぶんな展開だね・・・」

 小島「ほんとだよね。まあ、あの二人のことなら祝福するけど・・・。
    作者もこの小説を書き始めた時点では、こんな話を書くことになるとは
    思ってなかったらしいよ。色恋沙汰を描くにしても、パトレイバーに倣って、
    もっとプラトニックな関係を・・・」

 聡美「ストーップ!! そういう裏事情を、ここで開かさないでよ!」

 小島「ああ、ごめん」

 亜矢「しかし・・・こういうことを言うのは不謹慎だけど・・・あまりに幸せすぎる
    ような・・・」

 小島「そうだよな。最終回も近いことだし、クライマックスを盛り上げるためにも、
    ここらで最強の敵とかが現れたりしてな」

 聡美「最終回が近いからとか、そういう推測の仕方をしないの! もう予告いくよ! 
    小島さん、次回のタイトルは?」

 小島「え〜っと、次回、第11話「強襲のキャッシュ」・・・」

 聡美「うわぁ、それっぽい! まあでも、最終回目指してガンバロー!
    それでは、ハッ!」

 ポイッ! ゴクッ!

 聡美「んがぐぐ!!」

 小島「亜矢さん、次回の俺の運勢、どうなってます?」

 亜矢「どれ・・・占ってあげよう・・・」

 聡美「・・・ってヲイ!! 人が体張って頑張ってんだからしっかり見れ!!」


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