ザボォォォォォン!!

 大きな水音と共に、視界が白い泡に包まれる。しかし、それはすぐに上の方へと上がっていき、すぐに別の色が目に飛び込んでくる。海底に広がる、美しい珊瑚礁。その鮮やかな色が、澄んだ海の水とデュアルカメラを通して、圭介の目に入ってきた。

「こちらの計器に異常はありません。圭介君、どうですか?」

 ヘルメットの中に、ひかるの声が響く。

「良好だ。浸水もない。それよりも・・・直接これを見せられないのが残念だな」

「大丈夫ですよ、見えてますから。本当に綺麗ですね・・・」

 圭介が見ているこの光景は、ひかるもVRコンピュータのバイザー越しに見ているのだろう。彼女の声は弾んでいた。

「さて、感心してないで、始めようぜ。仕事中だからな」

「はい。それでは、水中での機動性能テストから開始します。これから指示通りに動いて下さい。準備はいいですね?」

「ああ、いつでもOKだ」

「了解。まずは直進です。3秒後に10秒間の全速直進を行って下さい。3・・・2・・・1・・・スタート!」

 ゴボボッ! シュオオオオオオオ!!

 バックパックの代わりに背中に搭載された水中推進用ユニットが、空気音をたてて駆動を始める。白い航跡を描き、たちまち圭介の赤いVJは紺碧の海の中を魚雷のようなスピードで移動し始めた。

「イルカになったみたいだ・・・」

 沖縄の美しい海の中、圭介はそのスピード感を楽しんでいた。




第4話

〜July〜

第1小隊 南へ


 なぜ圭介を始めとするSMS第1小隊が、本来の管区である関東一円を離れ、遠く離れた南海の沖縄にいるのか。そもそもの始まりは、一週間前にさかのぼる。

「沖縄っ!?」

 勤務終了前のミーティングを行っている第1小隊のオフィスに、小隈と亜矢をのぞく全員の大声が響き渡った。

「そ・・・それってそれって、もしかして! ついにあたしたちにも慰安旅行が!?」

 興奮した様子で叫ぶ聡美。

「そうですよね隊長!?」

 そのままのテンションで、彼女は先ほど自分達に、後日小隊全員で沖縄へ行くことになるという知らせを伝えた小隈に身を乗り出して言った。

「んー・・・まあ、そうとも言えるような、言えないような・・・」

 頭をポリポリとかきながら、小隈はいつものようにのんびりした口調で言った。

「慰安旅行じゃなかったら沖縄なんかに何の用があるっていうんですか! ああ、SMSに配属になって早2年・・・ついにあたし達にも、夢の慰安旅行が!!」

「岸本さん、静かに。隊長の話は最後まで聞きなさい」

 明後日の方を向いて目をキラキラと輝かせる聡美に、仁木がため息をつきながら注意した。それによって、聡美が一応落ち着きを取り戻す。

「それで隊長・・・我々が沖縄に行くというのは、どんな目的で?」

「ああ。岸本には悪いが・・・これは一応仕事だ」

「えー!? 慰安旅行じゃないんですかあ!?」

 隊長のその言葉に、聡美は不平をむき出しにした。

「聡美君・・・話は最後まで・・・」

 今度は亜矢がそんな彼女を止めた。

「ゴホン・・・。どんな仕事かというと、スポンサー様の依頼を受けた格好だ」

「スポンサー?」

「そう。うちで使っているVJを製作している、松芝製作所・・・あそこが開発したVJの新しいオプションパーツのテストを、沖縄で行うことになったんだ」





 SMSは政府と民間企業が共同出資して運営を行っている組織である。かつての第3セクターのようなこの運営方法をとった第1の目的は、政府組織という枠組みを越えた柔軟な対応が、SMSという治安維持組織には何より求められたからである。しかし、この運営方法には、もう一つの理由が存在した。それは、至極単純なものである。すなわち、資金の調達であった。

 現代の超科学を原因とする様々な事件・事故に対応する。この目的を達するため、SMSにはVJを始めとする様々な最新鋭機材がそろっている。しかし、言うまでもなくこのような機材を揃え、そして維持していくには、他の組織とは比べものにならないほどの費用がかかるのである。きちんと政府から支給される予算だけでは、とてもではないが追いつかない。そこで、彼らにはスポンサーがついており、彼らからの援助はSMSの運営費において大きな比重を占めている。

 その中でも特に大きなスポンサーが、先ほど小隈が名前を出した松芝製作所である。この企業は創業当初は宇宙船用の精密部品製造を請け負っていた小さな製作所でしかなかったが、20年ほど前から始まった特殊強化装甲服、すなわちジャケット開発の流れに乗って急成長、この業界での第一人者になったという経歴をもつ企業である。この製作所が開発した装甲服の集大成とも言うべきものが、SMSの使用するVJなのである。彼らとSMSとの契約は、両者にとって大きな利益をもたらしていた。SMSの方は、彼らの開発するVJをどこよりも早く最新鋭で導入できるうえ、損傷した場合のアフターケアも受けやすい。また、VJ用の機材も一緒に回ってくるのである。松芝にとっては、SMSが実際にVJを使って活動することにより、貴重な実戦データを得ることができる。また、SMSがVJを使って活躍すればするほど、VJへの信頼とそれを作った松芝への評価は上がるのである。このように両者にとって利益となることが存在するために、SMSと松芝は創立以来の共存関係にあるのだった。





「オプション用パーツのテスト自体には、今までも何回かつきあいましたよね? 今回は、どんなパーツなんですか?」

 小島が質問をする。

「わざわざ沖縄でやると言っているんだ。どんなものか、おおかた想像はつくんじゃないのか?」

「もしかして・・・水中用のパーツですか?」

「当たりだ、新座。松芝の研究所で、今海上保安庁からの依頼で本格的な水中用のジャケットの製作を行っているらしい。そのデータ収集も兼ねたオプションパーツのテストを、沖縄でやることになったというわけだ」

「警察のポリスジャケット、消防のファイヤージャケットに続き、海保もジャケットを導入するんですか」

 仁木が少し意外そうに言った。

「まあ時勢の流れから言えば、無理な話ではないな。新座、着任初日に東京湾でVJを着たまま泳いだ人間として、意見はあるか?」

「あれは好きで泳いだわけじゃありませんよ・・・」

 迷惑そうな様子で言う圭介の横で、ひかるがクスリと笑った。

「でもそうですね・・・。たしかにVJは宇宙空間でも活動できるほど機密性は高いし、事実あの時も浸水などしませんでした。でも基本的にVJは鎧みたいなものですから、あれを着たまま泳ぐのはやっぱり大変ですよ。水中用のオプションパーツがあれば、VJは水の中でも思うように動けるようになれるでしょうから、個人的には欲しいと思いますね」

「ああ。あとは空を飛べるパーツでも完成すれば、VJは無敵だな」

 圭介の意見に、小島も同調する。が、その時それまで黙っていた亜矢が口を開いた。

「たしかに・・・そうかもね。でも・・・喜んでばかりもいられないよ・・・」

「どういうことです?」

「今まで私達に出動要請をしてきたのは・・・主に警察と消防・・・。でも、私達が水中でも活動できるようになったとしたら・・・海保からも出動要請が来るようになると・・・思うよ。少なくとも・・・海保に水中用ジャケットが配備されるまでは・・・ね」

「もっと出番が増えるってことですか・・・」

「まあ・・・大変なのは小島君達で・・・私やひかる君は管制をしていればいいだけだけどね・・・」

「桐生の言うとおりかもしれんが、それならそれでそうするしかないだろう。俺達はやっぱり、どんなときでもみんなのお役に立つ人達じゃなきゃだめなんだからな」

 小隈はそこで一旦その議論をしめた。

「・・・じゃあ、結局そのテストのためだけに沖縄に行くんですか? つまんないの・・・」

 ふてくされた表情で、聡美がほおづえをつく。

「まあ待て岸本。まだ話は終わってないぞ。よく考えてもみろ。ただ水中用ユニットの試験をするだけなら、周りを海で囲まれたここでだって問題はないだろうが」

「あ・・・そっか。それなら、どうして?」

 小隈の言葉に虚を突かれたように、ポカンとしながら聡美が尋ねた。

「俺も考えたんだよ。お前達の言うとおり、我々SMSは設立以来4年がたったが、まだ一度もお前達を慰安旅行に連れていっていない。設立後は治安維持組織としての実績を示さねばならなかったから、どうしても休養の類は後回しにされがちだった。だが・・・第2、第3小隊も設立され、今年はうちにも新座と服部が加わった。SMSもその活動に、だいぶ余裕が出てきたと思う。このことを部長に話したら、今度のことを提案してくれたんだ。というわけで・・・松芝の担当者の人に無理を言って、テストを沖縄でやらせてもらうことにした。一日二日の余裕をとった日程を組んだから、少しは楽しむことができると思う」

「それじゃあ・・・」

「仕事のついでに慰安旅行というわけだ。なんだかせわしない話で悪いが、これならどうだ、岸本?」

「賛成に決まってるじゃないですか! 夏の海、夏の沖縄なんて、最高ですよ!」

 聡美がはしゃぐ。他の隊員達も、思い思いにそのうれしさを表情に出していた。

「それで隊長、出発はいつなんですか!?」

「焦るな。お互いにいろいろ準備があるから、出発は一週間後だ。それまでに全員、個人的な用意はすませておくように。以上で、ここで伝えたいことは全てだ。他に何か聞きたいことは?」

「・・・」

「わかった。本日の勤務はこれまで。当直任務は第2小隊に引き継がれる。それでは、解散!」

「お疲れさまでした!」

 こうして、その日の勤務は終わった。

「海に行くなんて、何年ぶりかしら・・・」

「フ・・・沖縄か・・・。一度キジムナーを・・・見てみたいと思っていたんだ・・・」

「ねえねえひかるちゃん。今度の非番の日、空いてる?」

「空いてますけど・・・?」

「よかったら、一緒に水着買いにいかない?」

「えっ・・・そうですね。私、今水着がないから・・・選ぶの手伝ってくれませんか?」

「もちろん! 思いっきり似合うの見立ててあげるわ」

 それぞれに感想を口走りながら、隊員達はオフィスを後にした。





「いやあ、ついにこの時がきたなあ」

「小島さん、ずいぶんうれしそうですね」

 男子更衣室で着替えながら、圭介と小島が話していた。

「当たり前だろ? SMSに入って4年。ようやっとちゃんとした慰安旅行ができるんだから。それに・・・」

「それに?」

「目の保養」

「目の保養?」

「夏の海と言ったら、男にとって何が一番楽しみだ?」

「・・・」

 だいたい答えはわかってはいたが、黙ってしまう圭介。

「年の割に初々しいねえ、お前も・・・。さっきひかるちゃんが言ってただろう? 水着見に行くって。見たくないのか?」

「それは・・・」

「見たくないとは言わせないぞ。もしそうでないと言ったら、俺はお前を男とは認めん」

「小島さんに認められなくたって、どうってことないじゃないですか・・・」

「なんだと!」

「別に・・・なんでもありませんよ」

「で、結局どうなんだ? 見たいのか、見たくないのか?」

「そりゃあ・・・見たい気持ちはありますけど」

「素直じゃないな。まあいい。とにかく、これは絶好のチャンスだな。ひょっとしたらひかるちゃんだけじゃなく、亜矢さんや副隊長の水着姿も見られるかもしれないぞ」

「ひかるや聡美さんはともかく・・・亜矢さんや副隊長・・・水着着ますかね? 亜矢さんは肌を露出したがりませんし、副隊長も、あんまり水着着るような人には見えませんけど」

「たしかに着るかどうかは微妙なところだが、着たとしたらきっとすごいと思うぜ」

「そりゃあまあ、お二人ともスタイルはいいですけど・・・」

「とにかく、今回の旅行はきっと有意義なものになるぞ」

「・・・気になったんですけど、なんで聡美さんの名前は出さなかったんですか?」

「んなもの、決まってるだろうが。俺はあいつの強引な誘いで、ランニングだけじゃなくて水泳にも何度もつきあわされてるんだぞ? そのたびにあいつの色気も素っ気もない姿を見せられてるんだ」

「あ、あんまりな言い方ですね・・・」

「いいんだよ。それよりも、今から楽しみだ。あ、そうだ。帰ってボディボードの手入れしないとな」

 そう言って、着替えた制服をロッカーにしまい、更衣室から出ていこうとする小島。

「あ、待って下さいよ」

 慌てて圭介もそのあとを追う。二人がドアを開けると・・・

 ガチャ・・・

「「!!」」

「・・・」

 なんとそこには、聡美が腕組みをして仁王立ちをしていた。

「や、やあ・・・これはこれは、スポーツ万能美少女の岸本聡美さんじゃないですか?」

「ああら、光栄ね・・・。小島さんにそんな言葉をかけられるなんて・・・」

 聡美の口調は穏やかだったが、こめかみのあたりがピクピクと脈打っている。

「・・・いつから、ここにいたの?」

「ちょっと前から。そこのドア、もっといいものにしなきゃダメね。・・・丸聞こえだったわよ」

「そ、そうですか・・・」

 恐ろしい空気がその場を流れる。圭介はこの場から全力で逃げ出すか、あるいはジッとして嵐が過ぎるのを待つか、考えあぐねていた。一つだけ確かなのは、小島の運命はだいたい決まったということである。

「色気も素っ気もない姿で、悪うございましたね・・・」

「ア、アハハ・・・」

「まあ私は気にしてないけど・・・副隊長や亜矢さんが聞いたら、どういうことになるでしょうね・・・?」

「!! そ、それだけは勘弁!!」

「却下。それじゃ、シーユー♪」

 そう言うが早いか、聡美はダッシュでその場を走り去った。あの速度では、小島は追いつくことができない。小島は呆然とその場に立ちつくした。

「旅行に行くまで、生きていられるといいですね?」

 圭介が心から同情した様子で小島の肩を叩く。

「・・・それはお前も同じだろ?」

「俺は小島さんの話に軽く乗っただけですから。聡美さんは話を大きくして伝えるような人じゃありませんよ。まあ、ある程度は覚悟していますけど・・・」

「・・・」





 次の日は、小島にとって地獄のような日となった。更衣室での会話は、全て聡美の口から仁木、亜矢、ひかるの耳に入っていた。

 まず現れたのは、仁木である。「旅行に行くからといって浮かれすぎです!」といった内容の説教を約1時間、小島は彼女から受けることになった。

 精神的にかなりの疲労を受けた小島に、次は肉体的な疲労が襲いかかった。「沖縄旅行前の特別スイミングトレーニング」と称し、聡美は小島を海上区内にある大型トレーニングセンターに引きずっていった。ここで小島は約2時間もの間、休みなしに泳ぎ続けさせられるという苦行を課せられた。

 そして、その日の夜・・・。

「ちきしょー・・・沖縄に行くってのに、当分泳ぎたくなくなった・・・」

 肩をだるそうに動かしながら、小島が言った。

「大変でしたね・・・」

 スクリュードライバーの入ったグラスを、圭介が傾ける。小島に呼ばれた圭介は、彼の部屋で一緒に酒を飲んでいるのである。

「そういうお前はどうだったんだよ・・・?」

「ひかるにあれこれしつこく聞かれましたよ。それなりにこたえましたけど、沖縄では基本的にあいつの言うことを聞くってことで、手を打ってもらいました」

「ちぇっ・・・お前はいいよな」

「何言ってるんです。実から出たさびでしょう?」

「容赦ないな、お前・・・」

「それよりも、こんなところで酒なんか飲んでていいんですか?」

「しょうがないだろ? 気分が晴れないんだから」

「いや、ここにいたら危ないと思うんですが・・・」

「? 危ない・・・?」

「ええ、だってほら、まだ来てない人が・・・」

「!!」

 そのことに小島が気づいた、その時だった。

 コンコン・・・

 ドアにノックの音がした。その音に、二人はサッとそちらを向く。

「お、俺は隠れるからな! お前何とかしろ!」

「ムダですよ。ここは小島さんの部屋だし、隠れたってすぐに見つかっちゃいますって」

 二人がそんなことをしていると、ドアがゆっくりと開かれた。

「失礼するよ・・・」

 緑色のリップをつけた唇から、静かな声が漏れる。その声と共に、亜矢がゆっくりと部屋の中に入ってきた。

「部屋にいて・・・よかったよ・・・」

「あ、亜矢さん、その格好って・・・」

 二人はあっけにとられていた。亜矢は絹のようにしなやかな一枚の白い布を、全身にゆるやかに巻き付けた姿だった。どことなく、インドのサリーという民族衣装に似ている。その神秘的な美しさは、正常な神経の男ならば誰でも魅了されるものである。しかし、今の二人にはそれどころではなかった。亜矢がこのような格好をしているということが示す事実。それはただ一つ・・・「儀式」である。

「儀式に・・・つきあってもらおうと思ってね・・・」

「や、やっぱり!!」

「聡美君から・・・聞いたよ。なんでも・・・失礼なことを言ったらしいじゃないか・・・」

「ちょ、ちょっと待って下さい! その話なら、新座だって!」

「こ、小島さん! 何言うんです! 俺は小島さんがあんな話するから仕方なく・・・」

「確かに・・・新座君につきあってもらうという手も・・・あるんだけどね・・・」

「あ、亜矢さん!! 俺を売る気ですか、小島さん!?」

「新座、悪く思うな・・・」

「でも・・・やはり今回は小島君につきあってもらおう。新座君には・・・この間の降霊会に・・・つきあってもらったからね・・・」

「ええっ!?」

「た、助かった・・・」

 亜矢の言葉通り、この間圭介はひかるとともに、「降霊会」というものに出席させられた。これは19世紀のイギリスを中心に流行したもので、霊を呼び出す儀式を社交界に取り入れたパーティーの座興のようなものである。この降霊会の最中、圭介は心霊研究家としても有名なイギリスの有名作家、コナン・ドイルの霊を亜矢によって憑依させられた。その間のことは意識にないが、あとで聞いたところによると、圭介は声の調子まで変わり、それを見ていたひかるがあまりのこわさに泣きそうになったという。

「・・・というわけで、小島君・・・つきあってもらおうか・・・?」

 口調は依頼だったが、彼女はそう言って小島の服の襟をガシリとつかんだ。

「あ、あわわ・・・!」

「それじゃあ新座君・・・小島君を・・・貸してもらうよ」

「どうぞどうぞ。ご自由に使って下さい」

「に、新座!? てめえ!」

「小島さん、悪く思わないで下さい。ちなみに亜矢さん、今日の儀式は、どんなものなんです?」

「この間の降霊会で・・・人に霊を憑依せることに・・・自信がついたからね。今回は同じ系統の魔術でさらに進んで・・・「ブータの儀式」と呼ばれるものを・・・行おうと思っている・・・」

「ブータの儀式?」

「ヒンドゥーの秘術の一つでね・・・。インドでは死霊のことを「ブータ」と呼ぶんだけど・・・それを人間に乗り移らせて知りたいことを聞き出す・・・日本のイタコの口寄せと・・・似たようなものだね・・・」

「へえ・・・」

「本当は生きた人間ではなく・・・死体を使うんだけど・・・さすがに調達できないからね。小島君なら・・・大丈夫だよ」

「嫌だーっ!! 大丈夫じゃなーいっ!」

「フフ・・・安心したまえ小島君・・・。仕事に差し障りがでるようなことは・・・しないからね。ただ・・・少し疲れるかもしれない・・・。よかったら新座君・・・君も見に来ないか? 本式なら儀式の最後には・・・死体の首を切断するんだけど・・・残念ながらそれも見せられそうにない・・・。それでもいいなら・・・どうだい?」

「遠慮させていただきます!!」

 新座は頑として拒否した。一方、小島はもはや恐ろしさで声も出ない。 「それは残念・・・。それじゃ・・・お預かりしていこう。さあ小島君・・・今夜は・・・素敵な夜になりそうだよ・・・フフフ・・・」

「助けてくれーっ! ちきしょー新座!! 覚えとけーっ!!」

 亜矢にひきずられる小島の声は、だんだんと遠くなっていった。圭介は一人、合掌した。





 そして一週間後。旅行の日はやってきた。荷物は全てまとめて宿泊先に送られているため、第1小隊の面々は身一つと装備一式をもって現地へ向かえばよかったのだった。

 それ以前に、今回の旅行には連れていってもらえない整備班四十七士から少なからぬ不満の声が漏れるなどの事件が起こったが、これには圭介とひかるが説得にあたらされた。結局、おやっさんも説得に力を貸してくれたことにより、おやっさんへの泡盛と、抽選により四十七士から選ばれた十人へのお土産を隊員達のポケットマネーで買ってくることで、話はついた。

「わーっ!! 海だ海だーっ!!」

 はしゃいだ様子で、聡美が叫ぶ。飛行する指揮車の窓越しに、青い空と青い海、二つの青が彼らの目に飛び込んできた。

「ほんと、綺麗ね。天気が晴れてよかったわ」

「はしゃぐのはいいけど、運転ちゃんとしろよ。こんなところで落っこったら、しゃれにならねえよ」

 小島が注意する。亜矢の儀式のあとはさすがに魂が抜けたような状態であった彼も、なんとか少ししたら元の様子を取り戻し、無事にこの旅行に参加することができるようになっていた。

「わかってます! あたしだってこんなところで旅行台無しになんかしたくないもん」

「あー岸本、もうすぐ見えると思うが・・・あっ、あれだ。あの島」

 小隈が指さしたところには、他の島々よりは少し小さい島があった。

「小さい島ですね?」

「ちょっとした穴場なんだ」

「了解しました。着陸しまーす!!」

 そして、第1小隊を乗せた指揮車は、その島へ向かって降りていった。





「さて、到着だ。挨拶しに行くぞ」

「隊長・・・あたし達はここに泊まるんですか?」

 目の前にある建物を見ながら、聡美が言った。なにか失礼な言い方だが、決して建物は悪いとは言えない。むしろ、なかなか洒落た造りになっていると言えた。しかし、目と鼻の先に立派な高級ホテルがあっては、ややかすんでしまうのも無理はないと言えるだろう。宿やら何やらの準備は、珍しく小隈が全てやり、隊員達は「着いてからのお楽しみ」とだけ言われて、実際に来るまでどんなところか知らされていなかったのだ。

「ん? 岸本、まさかお前、ここまで来てあんな月並みなホテルに泊まろうと思ってたのか?」

「だって・・・」

「せっかく沖縄まで来たんだ。あんなホテルなら東京にも横浜にも、ニューヨークやパリにだってあるだろう? どうせなら郷土色を取り入れたこういう宿の方がいいとは思わんか?」

「郷土色を取り入れたって・・・隊長、ここに泊まったことあるんですか?」

「いよう、いらっしゃい!」

 小島が質問をしたその時、誰かの声が割り込んできた。見ると、度派手なアロハシャツにサングラスという、見るからに胡散臭そうな男が、宿の中から出てきて陽気に手を振りながら近づいてきた。

「SMS第1小隊ご一行様、ようこそ「南国ペンション ビッグウェーブ」へ! 小隈、感謝するよ。お前のおかげでこんなビッグなお客様をお泊めできるんだから」

「俺もそのビッグなお客の一人ってこと、忘れるなよ。久しぶりだな、佐原。それよりも・・・その格好、どうにかならんのか?」

「南国なんだ。これくらい派手な格好したってバチはあたらんだろう」

「相変わらずセンスがない男だな・・・。まあ、お前達にも紹介しよう。佐原和範。俺の高校からの付き合いで、日本中でペンションやりながら今に至ってるいいオッサンだ」

「あんまりな紹介だな・・・。まあいいや。とにかく、皆さんには私が最上級のおもてなしをしますから、よろしくおねがいします」

「ハ、ハア・・・よろしくおねがいします」

 呆気にとられる面々を代表して、仁木がとりあえず挨拶をした。

「さて・・・中を案内してもらおうか」

「ああ。とりあえず、洋室二人部屋二つ、和室二人部屋一つ、それに洋室一人部屋を用意した。それでいいんだな?」

「ああ。とりあえず、ペアはこっちで決めさせてもらった。仁木と桐生、岸本と服部、それに、小島と新座だ。この組み合わせで、不満のある者はないか?」

 一同は少し顔を見合わせたが、すぐに無言でうなずいた。

「それじゃあ、部屋はそれぞれのペアで決めてもらおうか」

「私は洋室の方がいいですね」

「うん。あたしもベッドの方が落ち着くな」

「俺はどっちでもいいぜ。新座、お前は?」

「俺もかまいませんよ。亜矢さん達が好きな方を選んで下さい」

「それなら・・・私達は和室を選ばせてもらおうか・・・」

「そうね、私もどっちかというと・・・」

「それじゃ決まりだな。仁木と桐生は和室。残りは洋室だ。それじゃ、テストの開始までは少し時間があるから、各自部屋で休むように。とりあえず、解散」





「あ〜あ、なんで野郎同士で同じ部屋なんだよ」

 ベッドの上で転がりながら、小島がつまらなそうに言った。

「俺達じゃなくったって、どこの世界に慰安旅行で男女一緒の部屋にする会社があります?」

 窓際に置かれたイスに座り、そこから見える海を見ながら、圭介が答えた。

「そりゃあそうだけどな・・・」

「大体仮にそれができたとしても、亜矢さんと同じ部屋になったりしたらどうするんです?」

「言うな! 思い出すじゃないか・・・」

 そう言って青くなる小島。

「副隊長、大丈夫ですかね・・・」

「副隊長なら心配ないだろ? 隊長もそう思って、二人をペアにしたんだろうよ。それよりもお前こそ、ひかるちゃんと同じ部屋でなくて残念じゃないのかよ?」

「別に・・・」

「無理すんなよ」

「無理なんかしてませんよ」

「可愛くないな、お前・・・。寝顔とか見てみたいと思わないのか?」

「一度見てるからいいです」

「何っ!? お前、そりゃどういうことだ!?」

 ガバッと起きあがり、圭介に怒鳴る小島。

「変な意味じゃないですよ。2週間ぐらい前の非番の日、一緒に寮の庭に飾る鉢植え探しに行ったときに、帰りのリニアウェイの中で見たってだけです」

「お前に寄りかかって寝てたのか!?」

「ま、まあ成り行き上・・・」

 そうつぶやく圭介の顔が赤くなる。

「な、なんてうらやましい奴なんだ・・・!!」

「小島さん、あんまり熱くならないでくださいよ・・・」

「あっ! てめえ、そういうこと言うか!? それが勝者の特権か!?」

「なんですか、その勝者の特権って?」

「うるさい! そういえばお前には、この間のお礼もしてなかったな! ここでたっぷりと返してやる! 覚悟しろぉ!!」

 そう言って、圭介に飛びかかる小島。

「や、やめてくださいよ!」

「うるせー! 幸せひけらかしやがって!」

「そんなつもりなんてありませんって!」

「今のお前は何やってもそう見えるんだよ!」

 部屋の中は大騒ぎとなってしまった。と、その時・・・

 コンコン・・・

「圭介君、入りますよ?」

 ひかるの声がした。床の上で取っ組み合いになっていた二人は、その声でハッとし、互いに離れる。

「あ、ああ、入ってもいいぞ」

 その声に応じて、ひかるがドアを開けて顔をのぞかせた。

「・・・? 何してたんです? 大きな音がしましたけど・・・」

 なぜか髪と息が乱れている男二人を、ひかるが首を傾げて見つめた。

「いや、何でもない。それよりも、何か用か?」

「そろそろテストを始めると、隊長が・・・」

「わかった、すぐに行く。先に行っててくれ」

「はい」

 そう言って、ひかるは先に行った。

「・・・行きますよ」

「わかってる!」

 ギロリと圭介をにらむ小島。

「・・・あとでビールおごれ。それで許してやる」

「なんでそうなるんです・・・。まあいいですよ。このあいだのことは、たしかに悪かったと思ってますからね」

 そう言って、部屋から出ていく二人。どうやら、小島を亜矢に引き渡すようなマネをしてしまったことについては、少し罪悪感を感じているらしい。





 それからすぐに、一行は指揮車に乗って、市街地の郊外にあるさびれた工場へとたどり着いた。

「こんなところで待ち合わせですか、隊長?」

 かなり長い間雨ざらしになっていただろう、薄汚れた工場をキョロキョロと見回しながら、聡美が言った。

「まあな。ほら、あそこに」

 小隈が示した方向には、建物とは対称的に、薄い緑色の清潔な作業着を着た男達が、こちらを向いてたたずんでいた。

「お待たせしました。わざわざここまで来てもらって、申し訳ありませんでした」

「いえ、我々はいっこうにかまいませんでしたよ。むしろ私達も、水は綺麗になったとはいえまだ海底にゴミなんかがたくさん落ちている東京湾よりは、この綺麗な海でテストをしたかったですからね。皆さんの苦労は伺っておりますから、休養を取りたいというお気持ちも十分理解できるつもりです」

「そういってもらえると助かります。さて・・・お前達、皆さんが今回水中用オプションパーツの開発を行っている松芝製作所の開発班の皆さんだ」

「松芝製作所技術5課所属、VJ用水中オプションパーツ「セルキー」開発班チーフの坂下です。よろしくおねがいします」

「よろしくおねがいします」

 第1小隊と開発班は、互いに頭を下げた。

「ところで・・・この工場は?」

「沖縄でテストを行うことになったので、急遽借り受けたんです。以前は自動車の部品製造工場として使われていましたが・・・ご覧の通り、長いこと動いていません。雨露がしのげて整備をするにもいい場所という条件では、ここが最適でしたので」

「お手数かけてすみません」

「いえいえ、いいんですよ。それじゃあ、早速ご覧になりますか?」

「ええ。我々も現物を見るのは初めてですので」

「それじゃあ、こちらに来て下さい」

 そう言って、彼らは第1小隊を先導し始めた。

「水中用パーツ・・・どんなのだろうな・・・」

 中でも、圭介の足は自然と速いものになっていった。

「圭介君、待って下さい!」

 慌ててそれにひかるが追いつこうとする。

「・・・あいつ、本っ当に腹立つな・・・」

「? 何かあったの? 小島君」

 そんな圭介を見て顔をしかめる小島と、怪訝そうな顔をする仁木であった。





「これが我々の開発した水中用オプションパーツシステム、「セルキー」です」

 坂下はそう言って、コンクリートの床の上に置かれたものを示した。それは、圭介達が想像していたものとは、少なからず異なったものだった。圭介達はもっと大きなユニットを想像していたが、実際にそこにあったのは、VJのバックパックに似た四角い物体と、いくつかの缶のような円筒形の物体だった。どちらも海をイメージしたアクアマリンの塗装が施されており、バックパックのようなものの側面には、洒落た字体の白い文字で「Selky」と書かれていた。

「これを全てあわせて、「セルキー」なんですか?」

「ええそうです。VJのハードポイントというものは、ご存じですよね?」

「はい。VJの関節部などいろいろなところに設けられている、追加装備装着のためのポイントのことですよね?」

「そうです。もともとハードポイントはこの「セルキー」のようなオプションを装着することを想定して設けたものですからね。この「セルキー」の各パーツをハードポイントに装着することで、VJは水中でも自由自在に動けるようになります」

 圭介の質問に、坂下は多少自信の含まれた口調で答えた。

「あの・・・「セルキー」って・・・どういう意味なんでしょうか?」

 いつもながら控えめな口調で、ひかるが質問した。しかし・・・

「セルキーというのは・・・妖精の名前なんだよ」

 それに答えたのは、亜矢だった。

「シェットランド諸島の伝承に出てくる・・・アザラシの妖精でね。普段はアザラシの皮を被っているけど・・・姿は人間そっくりで、美しいんだ。人間と恋に落ちたという伝説も・・・伝わっている」

「その通りです。お詳しいですね」

 坂下が驚いたように言った。

「へえ・・・なんだかロマンチックな名前ですね・・・」

「ほんと・・・」

 ひかると聡美がほのぼのとした笑みを浮かべる。

「女性の方にそう言ってもらえると、我々もうれしいですよ」

「うん、たしかにいい名前だと、私も思いますよ。ところで・・・これはもう動かせるんですか?」

「もちろん。始めますか?」

「お前達、どうする?」

「もちろん! 早くやりましょう」

「私も、いつでもOKですよ」

「ちょくら海中散歩といきましょうか」

 実働員3人は、意欲十分だった。

「それじゃあ・・・始めるとするか。全員、VJの起動準備にかかれ。坂下さん、よろしくお願いします」

「こちらこそ。ご協力感謝します」





 こうして、水中用パーツ「セルキー」を装着したVJは、現在沖縄の海でそのテストを行っているのだった。

「続いて方向転換性能のチェックを行います。指示する方向へ動いて下さい」

「了解!」

 そう答え、圭介は水中での直進高速移動をやめる。

「右!」

 ゴボッ! シュオオッ!!

 全身のハードポイントに装着された、小型のスクリューのような姿勢制御モジュールが、圭介を右へと移動させるためにそれぞれが自動的に角度を調節、力強い水流を作り、彼の思った方向へと、その体を素早く流した。

「下!」

「左!」

「上!」

 ひかるの指示する方向へ、圭介は機敏な動きを見せる。

「感触はどうですか、圭介君?」

「ああ。VJはもともとそういうものだけど、これだけ激しく動いても平気だな。それよりも、水中をこんな速さで動けることの方がずっと気持ちがいいよ」

「フフ・・・それなら、これからは私の指示から離れて動いてみますか?」

「え? いいのか?」

「ええ。ランダムに動いた時のデータ収集も、動作確認テストのリストの中には入っていますから」

「そうか・・・それじゃあ、お言葉に甘えようかな。それじゃあ、ちょっと好きにさせてもらうよ」

 そう言うが早いか、圭介は「セルキー」の性能の全てを確かめようとするかのように、急潜航や急浮上などの急激な機動を始めた。

「フフ・・・圭介君、楽しそうです」

 子どものように機動テストを楽しむ圭介の様子を見ながら、ひかるは微笑みを浮かべた。





 翌日の午後。観光地としては比較的すいているビーチに、第1小隊の面々の姿があった。テストは午前中で終わり、午後は休みとなったのである。

「準備いいですか、聡美さん?」

「いつでもいいよ」

「それじゃ、いきますよ」

 水着姿で彼の愛車、ファルコンに跨った圭介は、アクセルをふかした。すると・・・

 ブォォォォォォ!!

「うひゃああああああっ!?」

 バシャアアアアン!!

 ファルコンが急発進、それにつながれていたロープを握っていた聡美がそのスピードについていけずバランスを崩し転倒、盛大な水しぶきをあげて水中へ、という光景が、やや沖の方で見られた。

「さ、聡美さん! 大丈夫ですか!?」

 慌ててUターンして戻ってきた圭介。

「プハッ! な、なんとかね・・・」

 海面に顔を出し、笑顔を浮かべる聡美。

「すいません・・・もっとゆっくりでしたね。やっぱり、引っ張る方にもコツがいるな・・・」

「失敗は成功のもと! 次は頑張ろう!」

 そう言って、二人は再び水上スキーの用意にかかった。

「派手に転んだわねえ・・・」

 その様子をビーチから眺めている女性達の一人がつぶやいた。ビーチにはそれなりの数のパラソルが立っていたが、その下で日射しを避けている3人の姿は、一際生彩を放つものであった。

「大丈夫でしょうか・・・」

 黄色い水着を着た少女が、心配そうに言う。

「大丈夫だろう・・・スキーは転びながら・・・上達すると言うからね」

 3人の中で一人だけ水着を着ていない女性が、手に持った書物から目を離さずに言った。白いワンピースを身につけている。

「それは普通のスキーの話でしょ。でも、岸本さんなら心配はいらないわね」

 さきほどつぶやいた青いロングの女性がそう言った。パレオのついたワンピースタイプの水着を着ている。

「それよりも・・・新座君を貸してしまって・・・いいのかい?」

 書物から目を離し、亜矢がひかるに言った。

「聡美さん、前から水上スキーをやりたがってましたから・・・。それに、お休みの時間はまだありますし・・・」

「それじゃあ、今は手持ちぶさたってことね。それならどう? 一緒に泳がないかしら?」

「私・・・実家にいた頃はあまり泳いだことはないんですけど・・・」

「いいわよ。私が教えてあげる。せっかくかわいい水着も用意したのに、泳がないのは損だと思うけど」

「フ・・・副隊長も・・・意外とビーチでははしゃぎますね・・・」

「別にかまわないでしょ? それより、亜矢さんはどうなの? 水着は持ってきたはずなのに・・・」

「風が気持ちいいので・・・今日はここでゆっくりしますよ・・・」

「そう。それじゃあ、私達はいくわね。服部さん」

「はい」

 仁木とひかるは、海に向かって歩いていった。そして、亜矢が読書を再開してしばらくして・・・

「ねえねえ、今時間あるかな?」

 顔を上げると、いかにも遊び人風の男が二人、その場に立っていた。いつの時代も、この手の日本のビーチにはこの手の男達がいるようである。亜矢は本を閉じると、独特の微笑を浮かべて言った。

「・・・もう一人連れがいてね・・・。その子も一緒なら・・・私はかまわないけれど」

「もちろん!」

「可愛い子なら、何人だってかまわないさ!」

「フ・・・もちろん・・・可愛い子だよ・・・。ほら・・・出ておいで」

「「へ?」」

 水着を引っ張られる感覚に、男達は振り返った。視線を下げると・・・そこには、ぐっしょり水に濡れた防空頭巾ともんぺ姿の小さな女の子が、二人の水着を引っ張っていた。

「ねえ・・・私のおうち・・・どこ?」

 異常に青白い顔で、手も氷のように冷たいその女の子は、二人を見上げてそう言った。明らかにこの世の者ではない様子である。

「ギャ、ギャアアアアアアアアアアア!!」

 すさまじい叫びをあげ、二人は一目散に逃げ去っていった。女の子は、今度は亜矢の方を見た。

「いけない人達だね・・・。こんな可愛い子を見て・・・逃げ出すなんて・・・。それにしても・・・かわいそうだね。君はあの戦争から・・・ずっとおうちを探しているのかい?」

「うん・・・でも、見つからないの・・・。お姉ちゃんは・・・私のおうち・・・知ってる?」

 亜矢は微笑みを浮かべ、かたわらに置いてあったバッグから飴を取り出し、それを差し出した。

「ごめんね・・・私も・・・君のおうちは知らないんだ・・・。たぶん・・・ここにはもう・・・君のおうちはないと思うよ・・・」

「私・・・帰れないの?」

「そんなことは・・・ないよ。君の帰る場所は・・・ちゃんとある。だけどね・・・それは、私達と同じ世界にはないんだ。ここはもう・・・君のいる場所じゃないんだよ。お空の上に・・・君の帰る場所はある・・・。だから・・・もう泣くのはやめて・・・笑ってくれないかな・・・?」

 亜矢は優しい笑顔をうかべた。それを見た女の子は、亜矢の手から差し出された飴をおずおずと受け取ると、口に運んだ。

「・・・おいしい」

「・・・わかって・・・くれたかな?」

「うん・・・お姉ちゃん、ありがとう」

 そう言って、女の子は満面の笑顔を浮かべた。すると・・・彼女の体は光りだし、やがて、光りの粒子となって、空へと昇っていった。

「バイバイ・・・」

 それを優しい笑顔で見送り、亜矢は小さく手を振った。

「さすがだな」

 また声のした方向を見ると、そこには海岸の散歩から戻ってきた小隈がいた。

「さすがとは・・・どういう意味ですか?」

「二つの意味でだ。うるさい男を追い払う手際と、除霊の手際」

「隊長には・・・見えたのですか?」

「いや。俺は霊感なんぞとは無縁の男だからな。でも何をしていたかぐらいはわかった」

「そうですか・・・。フ・・・しかし隊長、今のは・・・二つとも間違っていますよ。まず・・・追い払ったわけではなく・・・試しただけです。あのくらいで逃げ出しては・・・私とつきあっていくのは・・・難しいでしょうから・・・」

「なるほど、それは正論だな」

「それに・・・私がしたのは・・・除霊ではありません。除霊とは・・・力ずくで霊をあの世に送ること・・・。私は説得したのですから・・・それは除霊ではなく・・・浄霊といいます」

「それは失礼したな。そっちの方の知識には疎いもんで」

「仕方ないでしょうね・・・。よかったら・・・隊長も・・・」

「遠慮しておこう。隣いいか?」

「どうぞ・・・」

 小隈は亜矢の横に座った。小隈はタバコをくゆらせ始め、亜矢は読書を再開する。

「どんな人だったんだ?」

「小さな・・・女の子でした・・・」

「そうか・・・。まだそんな子がいるんだな・・・」

「そうですね・・・」

「戦時中はこのあたりでも、いろいろ悲惨なことがあったらしい。150年近く経つというのに、まだその子のような人は、ここをさまよっているのか・・・」

「さまよう魂には・・・誰かが手をさしのべなければ・・・救われないのです・・・」

「俺には見えないが、他にもいるんだろう?」

「ええ・・・」

 そう言って、辺りを見回す亜矢。

「お前がよければ、できるだけ供養してやってほしい」

「もちろんです・・・。それができるのは・・・私ぐらいでしょうから・・・」

 そんなパラソルのところに、また来客が現れた。

「あ、隊長もひと休みですか」

 それは、小脇にボディボードを抱えた小島だった。

「帽子を被ってても、さすがに暑くなってな。ちょっと休憩だ。お前は?」

「さっきまではいい波があったんですけど・・・ここにきてさっぱりですよ。それまでは、ちょっとお休みですね」

「そうか。隣座れ」

「はい」

 こうしてパラソルの下では、三人の人影がのんびりした午後を楽しみ始めた。その時

「ヤッホー! たいちょぉ〜、みんなぁ〜!!」

 沖合から声がした。見ると、圭介の運転するファルコンに引かれ、聡美が見事に水上スキーを楽しんでいた。

「おー、うまくやってるなあ」

 小隈達は、とりあえず彼女に手を振りかえした。そして、タバコの煙を口から吐き出す。嫌な匂いのしない水蒸気なので、隣の二人は気にとめない。

「平和だねぇ・・・。お前達、来てよかったか?」

「フ・・・もちろん。ついさっき・・・素敵な出会いも・・・ありましたから」

「素敵な出会い?」

「お前が考えてるのとは違った出会いだ。知らん方がいい」

 南海の太陽の下、彼らはそれぞれの休暇を楽しんでいた。





 その日の夕方。ビーチを二人で散策する圭介とひかるの姿があった。

「ありませんね・・・」

「そうだな、意外に落ちてないもんだな・・・」

 二人はただ海岸を散歩しているわけではなかった。ひかるが最近テレビで「ヤシの実を使った室内インテリア作り」という特集番組を見て、それに興味をもったからである。そのため、二人は材料となるヤシの実が流れ着いていないかどうか、散歩しながら探しているのだった。

「なあ、ヤシの木なら街の中にも生えてるだろ? あれじゃダメなのか?」

「南の島から流れ着いたヤシの実が一番いいんです」

 番組のせいかもしれないが、ひかるは変なこだわりをもっていた。圭介は少し辟易したが、この旅行では彼女の言うことに従うことになっていたので、おとなしくつきあうことにした。

「それに・・・とっても綺麗じゃないですか」 「ああ・・・そうだな。本当に綺麗だ。海の入り日って・・・すごいな。なんていうか・・・言葉も出ないや。同じ海の上でも、海上区の夕日とは全然違う」

 二人が視線を向けた先には、水平線の向こうに沈みつつある大きく真っ赤な夕日があった。二人はそれを見ながら、ビーチを歩いていた。ひかるは圭介の手を握っていた。最初の頃はそのたびにうろたえていた圭介だったが、今はそれにも慣れている。

「あ・・・二つに分かれてるな・・・」

 やがて二人は、ビーチが二手に分かれているような場所に来た。

「どうしましょう・・・?」

「ヤシの実を探すのが先決なら、ここで一旦別々に探そうか?」

「そうですね・・・」

 そう言いながら、少し残念そうに手を離すひかる。

「それじゃあ、私はこっちを探します」

「ああ。気をつけろよ」





 流れ着いたヤシの実を探して、ひかるはかなり先の方までやって来ていた。

「ありませんねえ・・・」

 困ったような表情をして、顔を上げる。その視線の先には、岩場があった。

「行ってみますか・・・」

 十分気をつけるよう自分に言い聞かせ、彼女は岩場へと近づいていった。

「・・・っと。やっぱり、滑りますね・・・」

 水に濡れた岩場は、いくら気をつけても滑るものである。普段から臆病なひかるは、それ以上先に行くのが怖くなり、そこから岩場を見通すのみにした。幸い、その位置は岩場の全体を見通すことができた。

「ここにも・・・ないですか・・・。 ・・・あれ・・・?」

 ヤシの実は見つけられなかったひかるだが、その代わりに波打ち際に何かを見つけた。白い綿のようなものが、そこには漂着していたのだ。

「なんでしょう?」

 ひかるの中で、好奇心と恐怖心が戦いを始める。しばらくののち、勝ったのは好奇心の方だった。彼女は勇気を奮い立たせると、気をつけてその場まで降りていった。





「さて・・・見つけたはいいけど・・・」

 ヤシの実を片手に、圭介はつぶやいた。探していたようなヤシの実は、彼が海岸沿いを歩き出してからしばらくして、なんとか見つかった。今彼は、ひかると合流するためにもとの道を歩いている。

「あいつの行った方・・・先の方に岩場があったよな・・・。あんなところに行ってなきゃいいけど・・・」

 それを思うと、圭介の足は自然と速くなった。

「ちぇっ・・・やっぱり、分かれるんじゃなかったか・・・」

 やがて、圭介の足は駆け足になっていた。そして、彼が岩場まで近づき始めたその時、岩場の向こうから、何かを抱えたひかるが姿を現した。

「ひかる!」

 圭介は急いで駆け寄った。

「ほら、つかまれ」

「はい・・・。・・・っと」

 ひかるに手を貸し、岩場から降りるのを手伝ってやる。

「危ないじゃないか。岩場になんか行っちゃ」

「すいません・・・心配させちゃって」

「まあ、一人で行かせた俺のせいもあるからな。悪かった。ほら・・・ヤシの実、見つかったぜ。これでいいんだろう?」

 そう言って、手に持ったヤシの実を見せる圭介。

「わあ、ありがとう!」

「おやすいご用だ。それよりも・・・お前が抱えてるそれ、一体何だ?」

 圭介が、ひかるが抱えているものを指さして言った。見かけは、海水でぐっしょり湿った綿の塊、といったところだろうか。小型犬くらいの大きさで、全体的に羊のようにモコモコしている印象があり、薄汚れている。

「私にも、よくわからないんですけど・・・」

「ゴミなら捨てろよ。服が汚れるぞ」

「ゴミなんかじゃありません! だって、ほら・・・」

 そう言って、ひかるは手に持ったものの方向を変えて見せた。なんとそこには、二つのつぶらな「目」らしきものがついていたのだ。「それ」はその二つの「目」で圭介を見て、力のない「く〜」という声を出した。





 本来ならば、オーナーの佐原の作る沖縄料理に、全員が舌鼓を打っているはずの時刻。しかし、急遽それは取りやめになり、本来夕食をとるはずの宴会場は、ひかるが連れてきた謎の生物を見守る観察場と化していた。

「何なんだろう、この生き物・・・」

 聡美のもらした感想は、その場にいる者全員の感想だった。机の上には謎の生物が置かれ、心配そうな顔をしたひかるが、絶えずその背中を優しくなでていた。

 ひかるが連れてきたこの生物は、まず小隈達をびっくりさせたあと、浴場を借りてぬるま湯で全身を洗われることになった。その結果わかったのが、本来この生物の体色は淡い黄色であり、毛を刈り取る前の羊のように全身モコモコとしているということだった。

 その後、この生物はこの宴会場にとりあえず安置され、小島達の手によって分析されている。

「く〜・・・」

 ひかるになでられている生物は、先ほどから弱々しい声をあげていた。

「・・・ここだな」

 メディカルスコープを装着した小島が、血管の位置を確認しながら片手にもった注射器を慎重に近づける。

「気をつけて下さいね」

「お任せあれ」

 プスッ・・・

 その刺激に、一瞬生物はビクリと動いたが、すぐに止まった。一方、注射器の中には赤い血が入っていく。それを採取し終えると、すぐに小島は近くに置いてあったハンディアナライザーで分析にかかる。

「機材があって幸いでしたよ。仕事のついでの旅行で、よかったですね」

「そうだな。それよりも、早くこの生物が何なのか、はっきりさせてくれ」

「隊長がせかしたって、機械は早く動きませんよ。もうちょっと待って下さい。とりあえず、赤い血の通ってる生き物だってことはわかりましたけど」

 その時、宴会場に両手に様々な食材を抱えた佐原が入ってきた。

「とりあえず、うちにあるものはだいたい持ってきたぞ」

「すまないな、佐原。妙なお客さん連れてきちゃって・・・」

「気にすんなって。それにしても、さすが怪事件のエキスパート、SMSだな。妙なのが向こうから転がり込んでくるなんて・・・」

「そうかもな。いよいよ事件を呼び込むようになっちゃったか、俺達も・・・嫌だなあ」

「隊長! そんなこと言ってる場合じゃありませんよ」

 仁木が小隈を注意した。

「ああ、悪い。佐原、とりあえず、みんな並べてくれ」

「よしきた」

 テーブルの上に、佐原の持ってきた食材が並べられる。肉類、魚介類、野菜類、卵、乳製品・・・。さすがに宿だけあり、食材は豊富なようだ。

「さて・・・この中で、なにをこいつは食べるのか・・・」

 それらの食材を見ながら小隈が考えていると、ひかるが言った。

「ミルクを与えてみて下さい・・・。ほ乳類ならどんな動物の赤ちゃんも、ミルクで育ちますから・・・」

「それもそうだな。それじゃあ・・・」

「あ、ちょっと貸してくれませんか?」

 小隈が手にとったミルクは、ひかるに渡された。ひかるはその品質表示の部分を、注意深く読んだ。

「うん・・・低刺激性のもののようですね。これなら大丈夫です」

「すご〜い、ひかるちゃん! 獣医さんみたい」

「何言ってるの。服部さんのお家は、たしか獣医をやっているのよね」

「あ、そうなんだ」

「免許は持っていませんけど・・・父の手伝いはしてましたから・・・」

 そう言って照れたような表情をするひかる。しかし、すぐに真剣な表情にもどると、空き瓶の中にそれを入れ、お湯を使ってちょうどよい温度に温めると、再び生物のところに戻り、皿にミルクを移して、生物の前に置いた。

「飲んでくれるかな・・・」

 心配そうな様子で、それを見つめるひかる達。だが、その心配は杞憂に終わった。

 コクコクコク・・・

 生物はすぐに皿に頭をもたげ、ミルクを一生懸命飲み始めた。

「あっ、飲んだ飲んだ!」

 聡美の歓声とともに、宴会場の中に安堵のため息がもれる。

「とりあえず、ミルクを飲むことはわかったわけだな・・・」

「それじゃあ、ほ乳類なんでしょうか?」

「でも、こんな生き物、見たことありませんよ・・・」

 一応喜んだ面々だったが、それでも謎は謎として残る。その時、ハンディアナライザーから分析終了を告げる電子音がした。一斉に全員の視線が、装置とそこに表示されるデータを見つめる小島に注がれる。

「どうだ小島? 結果は出たか?」

「う〜ん・・・出たと言えば出たんですが・・・なんだか妙ですよ、これ」

「どこがどう妙なの?」

「さっきからだいたい体温が一定だっていうことから判断すれば、間違いなく恒温動物なんですよ。で、地球上の動物で恒温動物なのは鳥類かほ乳類のどちらかなんですが・・・この血液、どっちの血液にも似てません。強いて言えば、赤血球に核があるところが鳥類の血液に似ていると言えますけど・・・」

「骨格からは判断できないかしら?」

 仁木が質問した。

「そっちはもっと大変ですよ。なにしろ、骨格がないんですから。でも、脊髄の代わりに脊索っていう、脊髄の前段階みたいなものは背中にあるんです。CTスキャンで映るのも、何がどんな役割を果たしているのかわからない臓器ばかり」

「要するに、全く正体不明の生き物か・・・」

「不明ついでに、男の子か女の子も不明です」

「どういうことだ?」

「どうやら、カタツムリみたいに雌雄同体らしいです。こんな生き物、聞いたこともありませんよ。俺は人間の体が専門ですけどね、そうでない学者さん達でも、たぶん同じ事じゃないかと思いますよ」

 小隈達が頭を抱えた、その時だった。

 シャリ・・・シャリ・・・

「?」

 何かの音がする。小隈達が振り向くと、そこにはひかるの手からカットされたリンゴをかじっている生物の姿があった。

「すごい・・・リンゴも食べてる・・・」

「いろいろ試してみようと思ってな。大当たりだ」

 リンゴの皮をむきながら、佐原がニヤリと笑った。

「あ・・・歯が生えてるわね」

 その口元を見つめていた仁木が気づいた。

「噛みつかない?」

「大丈夫だと思います。さっきから、ずっとおとなしいですから」

 リンゴを食べる生物を、微笑みながらひかるが見つめた。

「フム・・・もしかしたらこいつ、何でも食べるのかもな。いろいろ試してみるか」

 そう言って、食材の山に向かう小隈。他の面々もそれに続く。





「何やってるんですか、みんなして?」

 後から宴会場に入ってきた圭介は、思わずそう言った。後ろに立っている亜矢も、怪訝そうな顔をしている。その声に、それぞれ様々な食材を持って生物の周りにいた小隈達は、思わず振り返った。

「なんだか変な眺めですけど」

「いや、こいつがなんでも食べるから、なんだかそれが面白くてな」

「隊長! おもちゃじゃありません! 生き物ですよ!」

 そんな隊長の発言に、ひかるが抗議の声をあげた。

「ああ、すまない。でも、もう満腹のようだな」

 生物はもう食べ物はいらないらしく、食べ物に興味を示さなくなっていた。

「なんでも食べるって、どんなもの食べたんです?」

「本当に何でもだよ。ミルク、リンゴ、米、鶏肉、アジの切り身、卵、ほうれん草・・・。人間並みに好き嫌いがないらしい」

「へえ・・・それはすごいな・・・」

「それよりも・・・お前達が戻ってきたということは・・・」

「ええ・・・その生物がなんなのか、わかりました」

「ほんとに!?」

 亜矢のその言葉に、全員が色めき立った。

「で、こいつは何なんだ?」

「予想以上にとんでもない生き物でしたよ。見て下さい」

 そう言って圭介は、数枚の紙を差し出した。彼と亜矢は、指揮車のコンピュータを使って生物についての情報を集めていたのである。その紙は、どうやら学術論文らしいものだった。写真が貼られており、そこには目の前に横たわっている生物と同じ生き物の姿が写っていた。

「おんなじ生き物だ! えっと・・・名前は「クリッター」?」

 聞き慣れない名前に、聡美が首を傾げる。

「あくまで・・・通称だよ。3年前に発見され・・・まだ学名さえつけられていない生物なんだからね」

「クリッターか・・・なんだか、どこかで聞いたことがあるような・・・」

「そう言えば、ニュースで見たことがあるわ。たしか高空に住んでいる、不定形生物の一種だって・・・」

 仁木が思い出したように言った。

「クリッターの目撃情報自体は・・・20世紀からあったんだよ。しかし・・・科学的に存在が証明されたのは・・・ほんの3年前。しかも、動きが素早くて知能の高い生物のため・・・捕獲例はまだないらしい・・・」

「つまり・・・実際の生態については何も分かっていない生き物ってことです。ミルクとリンゴと米と鶏肉とアジの切り身と卵とほうれん草を食べるとわかっただけでも、大変な発見ですよ」

 亜矢の言葉に、圭介が付け加える。

「へぇ〜・・・あたし達、すごい子と一緒にいるんだね。もしかして、学名に名前が残っちゃったりして?」

「俺達が第1発見者じゃないからな。それはないんじゃないのか?」

 興奮する聡美に、小島が冷静に言った。

「クリッター、か・・・。しかし、なんだかこいつには、見覚えがあるんだよな」

 生物を見つめながら、小隈が首を傾げた。

「フ・・・隊長、それはいい指摘ですね。実はクリッターには・・・私達が聞き慣れたもう一つの名前が・・・あるんです」

「もう一つの名前? 何だそれは」

「「きんと雲」ですよ・・・」

「きんと雲!?」

 その言葉に、全員が驚く。

「きんと雲って・・・あの孫悟空が乗ってる、乗れる雲のことですか?」

「その通り・・・。クリッターと「きんと雲」は同一のものとする学説があってね・・・。知能が高いから・・・昔の仙人が飼い慣らして使っていたんじゃないかとも・・・言われているんだ。私は眉唾と思っていたが・・・もしかしたら・・・本当かもしれないね・・・」

「なるほど、確かに似てるな。ということは、伝説の生き物ってことか・・・それはすごいな・・・」

 改めて、「きんと雲」を見つめる一同。

「それで、この子の状態はどうなんですか?」

「メディカルスコープで診た限り、外傷や内臓の損傷はない。ただ、かなり衰弱していたようだな。でも、さっきかなり食べたから、栄養補給の面では問題ないだろう。あとはゆっくり、体力回復してくれればいいが・・・」

「フム・・・大変なお客さんが舞い込んできたな、佐原」

「どうやら、そうらしいな」

「誰かこいつの面倒を見てやった方がいいと思うが・・・」

「あの・・・それは、私がやりたいと思います・・・」

 ひかるが手を挙げた。

「うん、あたしもそう思うよ。たぶんその子、ひかるちゃんに一番なついていると思うから」

「そうだな・・・。服部、頼めるか?」

「はい」

「よし。それじゃあきんと雲の面倒は服部が中心になって見ることにして、他は服部をサポートしてやること。わかったな?」

「はい!」

「そういうことなら、うちも協力させてもらおうか」

「協力? どんなことだ」

「いや、こういう場合、静かな環境の方がいいと思ってな。幸い、洋室が一つ空いているから、そこを使ってもらったらどうかって思って」

「なんだ佐原、ずいぶん太っ腹だな」

「昔からこうだ。失礼な奴だ、今頃気づいたか?」

「いや、感謝させてもらうよ。それじゃあ、服部は今夜からはその子と二人っきりだな。よろしく頼むぞ」

「はい! 頑張ります!」

「さて・・・きんと雲も飯を食ったんだ。俺達も飯にしようか」

「賛成!!」

「そんじゃあ佐原、よろしく頼むよ」

「了解了解。休暇中でも忙しそうなSMSの皆さんのために、腕をふるわせてもらいますよ」





 グゴ〜・・・グゴ〜・・・

「・・・うるさいなあ・・・」

 隣のベッドで盛大ないびきをあげつつ熟睡している小島を、圭介はにらみつけた。なぜか夜中に目が覚め、以来この状態である。時刻はもうすぐ3時になろうとしているから、かれこれ1時間になろうか。昨日はいびきなどかいていなかった小島が、今日はこの通りである。人間あんまり疲れると普段そうでない人もいびきをかくというのは、どうやら本当らしい。

「・・・」

 圭介はしばらく枕に頭を乗せて眠ろうと努めていたが、それは到底無理だった。ここにきてようやく彼は諦め、ベッドから身を起こした。彼はとりあえずドアを開け、部屋を出た。

「さて・・・と・・・」

 彼は廊下に出て、キョロキョロと辺りを見回した。夜中であるため、当然物音はしない。起きたはいいものの、何をしようか、彼にはよい考えがなかった。その時、ふと思ったことがあり、彼は右手へと足を進めていった。すると・・・

「あ、聡美さん」

「あれ、何してんの?」

 廊下の向こうから歩いてきた聡美と、彼はバッタリ出会った。が、聡美はすぐに、面白いことを思いついたようにニヤリと笑って、彼に言った。

「あ、な〜るほど。もしかして・・・夜這い?」

 ズルッ!!

 その言葉に、圭介は思いっきりこけそうになった。

「ずいぶんわかりやすいリアクションね・・・」

「何言ってるんですかあ!!」

 圭介は大声で聡美に怒鳴った。すると彼女は指を口にあてた。

「シー! 夜中は静かに!」

 圭介はばつの悪そうな顔になったが、やはり少し怒った顔で聡美をにらんだ。

「そんな怖い顔しないの。そっかあ、煮え切らないなあって思ってたけど・・・とうとう新座君も・・・。意外に大胆なのね」

「人の話を聞いて下さい!!」

 圭介はさっきよりは小さい声で、聡美に叫んだ。

「怒りますよ・・・」

「もう怒ってるじゃない。冗談よ冗談。マジになって怒ることないじゃないの」

「言っていい冗談と悪い冗談がありますよ。大体、作者にそんなシーン書く度胸なんてあるわけじゃないですか」

「それもそうね」

 ほっとけ。たしかに、そんなシーン書くわけにはいかないが。

「でもねえ・・・そんな風にきっぱり否定するっていうのも、男としてちょっと情けないとは思わない?」

「聡美さんまでそんなこと言いますか・・・。それじゃ逆に聞きますけど、聡美さんはそういうことされてうれしいんですか?」

「あたし? あたしはどっちかっていうと嫌ね。ムードもへったくれもないじゃない」

「へったくれって・・・。とにかく、だったら変なこと言ってからかわないでください」

「はいはい、悪かったわよ。でも、ひかるちゃんのところに行こうとしてるのは間違いないでしょ? この先にあるのは、ひかるちゃんの部屋なんだから」

「う・・・ま、まあ、それはそうですけど・・・」

 圭介は困ったように宙に視線を泳がせ、頭をかいた。

「小島さんのいびきがうるさくて・・・眠れないからちょっと様子見に行こうかと思って・・・」

「とかいって、やっぱり気になるんでしょう?」

「そりゃあ、まあ・・・。あいつには、はりきりすぎるところありますから・・・」

「素直じゃないなあ・・・」

「ほっといてください。それより、聡美さんこそ何してるんです?」

「新座君と同じ。ひかるちゃんの様子を見に行ったのよ」

「やっぱり。それで、どうしてました?」

「寝てたけど?」

「寝てた?「今夜は一晩中寝ないで面倒見ます!」とか言って張り切ってたのに・・・」

「仕方ないよ。あたしたちと違って、しっかり鍛えてるわけじゃないから、疲れるときは疲れるのよ。それに、あの子も一緒にすやすや寝てるみたいだったし、たぶんあのままでも大丈夫だと思う」

「そうですか・・・」

「それで? これからどうするの?」

 聡美が圭介の顔をのぞきこんだ。

「どうしましょうかねえ・・・部屋に戻っても、小島さん、まだああでしょうし・・・」

「迷うことないよ。そのまま行ったらいいじゃない」

「さ、聡美さん! んなことしたら、ほんとに夜這いになっちゃうじゃないですか!」

「どうせ何もしないんでしょ? だったらいいんじゃないの? ひかるちゃんの寝顔が見放題よ?」

「聡美さん・・・よく平気で俺にそんなこと勧められますね?」

「これも仲間への信頼よ、信頼。さ、行ってらっしゃい。副隊長には黙っとくからさ」

「人をおもちゃにしないでくださいよ・・・。んなことしたら、それこそひかるを怒らせちゃうじゃないですか」

「怒らせたことあるの?」

「一度だけ・・・。バイクの整備に夢中になって待ち合わせの時間に遅れて・・・弱りましたよ。機嫌は直さない、口はきかない、俺のコーヒーに砂糖をどっさり入れる・・・ひどい目に遭いました」

「普段おとなしい人ほど、怒ったらどうなるかわからない、か・・・。そういうこともあるか」

「とにかく、俺はやりません。ちょっと外をぶらついてきます。それじゃ、おやすみなさい」

 そう言って、圭介はその場から立ち去った。

「・・・真面目なんだから」

 聡美はいたずらっぽい笑みを浮かべると、自分の部屋へと戻っていった。





「ふう・・・ったく、どうしてうちの小隊は、ああいう人ばっかりなんだろう・・・」

 ため息をつきながら、外へ出た圭介はペンションを巡る小道を歩き出した。その夜は満月で、月明かりがあたりを照らし出している。潮風とさざ波の音が、わずかに届いてきた。圭介はそんな中を、ゆっくりと散歩しはじめた。

「降ってきそうな星空だな」

 圭介は空を見上げてそう思った。海上区で見るのとは比べものにならないほどの数の星が、空を埋め尽くしている。圭介はそれを見ながら、今なら何か、普段は思いつかないようなことも思いつくことができるような気がした。

「・・・」

 しかし、頭に浮かんでくるのはバイクの整備にかかる金をどうやって減らすかなど、日常のけちな悩みばかりであった。圭介は首をブンブンと振る。

「ダメだダメだ。もっと高尚なことを考えなきゃ。国際社会の動きとか、その中にあって日本が果たすべき役割とか・・・」

 圭介はそこまで言って、なんだかバカらしくなってきた。だいたい、自分がどれだけ考えたところで、国際社会が実際に動くことなどないのだ。圭介は思索をやめ、再び何も考えずにペンションの周りを散策しはじめた。

「・・・?」

 圭介がふと妙なものに気づいたのは、裏庭にさしかかった。

「・・・なんだこりゃ?」

 圭介の目の前にあったのは、一台の黒いエアカーだった。本来ならば、こんな場所に駐車するはずがない。駐車場はペンションの表にあるのだから、宿泊客もこんな場所に停めようとはしないだろう。なぜこんなところに車が停まっているのか、圭介は不審に思い、車の周りを回りながら調べ始めた。しかし、車自体には特に不審な点はなかった。

「一体・・・。 !?」

 その時圭介は、右手側に人の気配を感じ、とっさにそちらに振り返った。そこは完全にペンションの裏側で、ちょっとした木立になっている場所だった。

 ガサ・・・

 足下の草を踏む音が聞こえた。間違いなく、誰かがそこにいるらしい。圭介は唾を飲み込むと、足音をたてないように注意しながら手近の木の陰に隠れ、音の方向をうかがった。

 やはり、そこには一人の男がいた。灰色のスーツを着たやせ形の男がそこに立って何かをしているのが、月明かりでよく見えた。問題なのは、何をしているかである。

「何を持ってるんだ・・・?」

 圭介は男が持っているものに目をこらした。男は時折、それを目にあてている。やがて、それははっきりした。双眼鏡だ。男は双眼鏡を目にあて、何かを見ているらしい。男が向いている方向には、ペンションの建物しかない。そして、その角度から判断すると・・・

「あの部屋って・・・もしかして・・・」

 圭介はペンションの構造を完全に把握しているわけではない。しかし、大体男がのぞいているらしい部屋が誰の部屋か、それくらいは見当がついた。そこは、ひかるの部屋だったのである。灯りがついているが、それは彼女が灯りをつけたまま眠ってしまったせいであろう。しかし、そんなことはどうでもいい。

「あいつ・・・」

 深夜に怪しい男が一人、裏庭から双眼鏡でひかるの部屋をのぞいている。この事実から男が何者かを判断するならば、その答えは圭介でなくとも一つであろう。「変質者」もしくは「変態」である。そして、男であり、SMSの隊員であり、ひかるの恋人(と、周囲からは目されている)である圭介が、そんな現場に出くわしてとるべき行動もまた、一つに決まっていた。

「・・・」

 圭介は音をたてないようにこっそりと近寄っていくと、ある程度の距離まで来て、大声で叫んだ。

「おいお前! そんなところで何をしてるんだ!?」

「!?」

 当然男はびっくりして振り返り、圭介を見つめた。

「こんな夜中になにをしているんだと聞いてるんだ!!」

 圭介はもう一度声を張り上げた。しかし、それを聞くと男は・・・

 ダッ!!

 全速力で逃げ出した。

「待てっ!!」

 男がこういう行動をとることも、圭介は予想していた。そのため、男が走り出した直後、すぐにそのあとを追って走り出すことができた。深夜の空気に、二人の男が走る音がする。

「・・・妙だな」

 圭介は走りながら、そう思った。男の逃げ足は、意外に速い。SMSの隊員として鍛えられている圭介には遠く及ばないが、それでもなかなかの速さだ。変質者などというものはどうせまともな暮らしを送っていないだろうから、当然鍛えてなどなく、すぐに捕まえられるだろうと思っていた圭介の予想ははずれた。しかしそれでも、男と圭介との距離は確実に縮まっていく。男の方も、そろそろ疲れてきたようだ。

「観念しろ!!」

 圭介はもう一度叫んだ。すると、男は止まった。とうとう観念したか、と、当然圭介は思った。しかし・・・男のとった行動は、予想外のものだった。

「☆□○×△!!」

 男は何やらわけのわからないことを叫びながら懐から何かを取りだし、それを圭介に向けた。

「!?」

 圭介はそれを見て、一瞬理解できなかった。自分に向けられているもの。それはどうやら、拳銃のようである。そして・・・

 ダン!!

 本物であることの証拠にそれは火を噴き、圭介の足下の草がパッと飛び散った。さすがにこれには、圭介も仰天した。ただの変質者だと思っていた相手が、いきなり拳銃を取り出して撃ってきたのである。

「・・・」

「・・・」

 男は拳銃を向けたまま、圭介はそれによって動きを封じられたまま、どちらも動きをとめてにらみあっていた。しかし、圭介の方は、冷静さを取り戻しつつあった。さすがにいつも怪事件にぶつかっているSMSの隊員は、どんな奇妙な状況でもすぐに頭の切り替えができる。圭介は頭の中で、打開策を考え始めていた。

 男がなぜ拳銃を持っているかは、この際考えてもしかたがない。問題なのは、どうするかだ。どうやら男の方もできるだけ面倒なことは起こしたくないらしく、その気になれば丸腰の圭介をいつでも撃ち殺すことはできるのに、それをしようとはしない。一刻も早く、この場から逃げ出したいらしい。一方、圭介の方はそうはいかなかった。拳銃を持った危険な男となれば、変質者以上に逃がすわけにはいかない。丸腰ではあっても、なんとかして捕まえたい。そう考えていた。

「・・・!」

 最初に動いたのは、男の方だった。突然背中を向けると、一目散に逃げ出したのだった。一方、圭介もすぐに行動に移る。足下に落ちていたこぶし大の石を拾い上げると、それを力一杯投げつけた。

「この野郎っ!!」

 ドコッ・・・

 重い音がした。どうやら、男の背中に当たったらしい。男はうめき声をあげると、地面に倒れた。その拍子に、手から拳銃が飛んでいった。チャンス到来とばかりに、圭介は駆けだした。

「逃がすかっ!!」

 再び立ち上がって走り出そうとする男に、圭介は食らいついた。二人は絡み合って地面に転がる。そして、取っ組み合いの乱闘が始まった。

 バキッ!

 ドカッ!

 月明かりの中、二人の男が殴り合う。またしても圭介は意外に思った。さすがに圭介ほどではないが、その男も意外に強かったのである。一体こいつは何者なのか、殴り合いの中圭介は疑問に思った。

「おりゃあっ!!」

 バキッ!!

 圭介が繰り出した渾身のストレートが、男の顔面に炸裂した。それによって男は後ろ向きに吹き飛ばされ、地面に倒れ込んだ。

「今のでグロッキーだろう。おとなしくしてもらおうか」

 そう言って、男に近寄る圭介。しかし、そこで男はまたしても予想外の行動に出た。

 ボンッ!!

「!?」

 なんと、男がカプセル状の何かを地面に投げつけたかと思うとそれが爆発し、濃い煙があたりに充満したのである。

「ゲホッ、ゲホッ!! く、くそっ!?」

 煙にむせながら、圭介は手探りでその中を進んだ。しかし、男の姿は見つからない。やがて・・・

 シュウウウウウ・・・

 静かな空気音をたてて走り去る赤いテールライトを圭介が見たのは、ようやく煙幕の中から脱出したときだった。

「くそっ!・・・取り逃がした。何なんだあいつ・・・忍者かよ」

 煙に染みる目を拭いながら、悔しそうに圭介はつぶやいた。その時にはすでに煙幕も薄まり、周囲の様子は見通せるようになっていた。圭介はしばらく立ちすくんでいたが、やがてあることを思い出し、あたりの地面の上を見渡した。そして・・・

「・・・」

 圭介は、地面の上に落ちていたそれを拾い上げた。手の上で月の光を鈍く反射する拳銃は、その見た目なりの重量感を手に伝えていた。

「とりあえず・・・まんまとしてやられたってわけじゃ・・・なさそうだな」

 圭介はその拳銃から弾倉を取り出すと、それを持ってペンションに戻っていった。





「・・・」

 テーブルの上に置かれ、黒光りする拳銃を、圭介、小隈、仁木の三人は、黙って見つめていた。

「間違いありませんね・・・。中国製の68式自動拳銃・・・通称「黄星」です。東南アジアを中心に、安価に出回っている型ですね・・・」

 拳銃を見つめながら、仁木が言った。

「まったく・・・本当に俺達は、こっちから事件を呼び込むようになっちゃったのかねえ・・・」

 イスに寄りかかりながら、小隈がつぶやいた。

「しかし、無事でなによりだった。びっくりしたろう?」

「当たり前です。変質者だと思ってた奴が、銃やらスモーク弾やらを次々に出してくるんですから」

「ま、そりゃあそうだろう。で? お前はどう思うんだ? そいつの正体」

「こっちが聞きたいくらいですよ。忍者だかスパイだか知りませんけど、とにかくまともな奴じゃないってことなら変質者とかわりませんね。体力や格闘技の技術も、それなりにあったみたいですし・・・」

「不穏な話だな・・・。所詮俺達に、本当に休める場所はないってことか」

「それよりも・・・手配の方はどうなったんですか?」

「もちろん、頼んでおいたわ。銃を持った犯罪者となると、県警が動いてくれるらしいけど・・・」

「おいおい、そんな物騒なもの、テーブルの上に置いておかないでくれよ」

 サラダボウルを運びながら、佐原が少し迷惑そうに言った。ここはダイニング。彼は今、朝食の用意真っ最中なのだ。

「おお、すまんすまん。他のお客さんもいるんだしな」

 慌てて小隈が、その拳銃をしまった。

「しかしこの島も、とうとうそういう物騒な連中がうろつくようになっちまったか・・・」

 サラダボウルを置きながら、嘆くように佐原が言った。

「今までこんなことはなかったんだろう?」

「当たり前だ。もしそうだったとしたら、のんきにペンションなんかやってられるか」

「そうだろうな・・・。それで、そいつはどんな奴だったんだ?」

「東洋人だったのは間違いないですけど・・・日本人じゃないと思います。別の国の言葉で叫んでました」

「ふうん・・・」

「問題なのは、その男がなぜ服部さんの部屋をのぞいていたかということですね。女としても許せませんけど・・・」

「思ったんですけど・・・当然、あいつはただの変質者じゃないですよね。だとしたら、目的はひかるじゃなくて・・・」

 その時だった。

「圭介君! 大丈夫だったんですか!?」

 走ってくる足音とともに、ひかるが圭介のもとに駆け寄ってきた。その後ろからは、聡美もマイペースでついてくる。

「ああ・・・おはよう」

「何があったか聞きました! 圭介君、また危ない目に・・・」

 そう言って、泣きそうになるひかる。

「泣くな、泣くなって・・・。この通り無事なんだから・・・」

「その怪しい人・・・銃を持っていたんでしょう・・・?」

「ああ・・・。まさか夜の散歩に出てあんな目に遭うとは思ってなかったけどな」

「ありがとう・・・圭介君」

 そう言って、にっこり笑って圭介を見つめるひかる。見る間に圭介の顔が赤くなる。

「い、いいって・・・。無事だったんだから・・・」

 小隈は顔色も変えずそれをボーっと見つめ、仁木は困ったように視線をそらす。

「そんなことより・・・ひょっとしてお前、今起きたのか?」

 圭介は話題を変えることにした。その言葉に、ひかるは少し恨めしそうな顔で聡美を見た。

「聡美さん、ひどいんです・・・。起こしてくれればよかったのに・・・」

「ア、アハハ・・・起こそうかな〜、とも思ったんだけどね・・・。気持ちよさそうに寝てたし、起こして知らせても心配するだけかなあって思ったから・・・」

「起こしてくれない方がよっぽど困ります!」

「ご、ごめん・・・」

「ひかる、俺は大丈夫なんだから、それぐらいにしてあげなよ。・・・それよりも、きんと雲はどうなったんだ?」

 圭介は先ほどから気になっていたことを口にした。その言葉に、ひかるが気がついた。

「あ・・・そうでした」

「元気になったのか?」

「はい。く〜ちゃん!」

 ひかるがそう叫ぶと

「く〜」

 フヨフヨ・・・といった感じで、黄色い物体が空を飛んできて、ひかるの腕の中に飛び込んできた。

「へえ・・・一日でこんなに・・・」

 ひかるの腕の中で元気に動き回るきんと雲を、圭介は感心したように見つめた。

「よくなついてるわね」

「すっかりお母さんだな」

 仁木と小隈の言葉に、ひかるは少し顔を赤らめた。

「それにしても・・・「く〜ちゃん」って、何だ?」

 気になったことを圭介が尋ねた。

「この子の名前です。決まってるじゃないですか。雲みたいですし、「く〜」って鳴きますし・・・」

「・・・まあいいや。結構しっくりくると思うし、その名前」

 実際よりも幼く見える外見と同じく、名前の発想もなんか単純だな、と圭介は正直思ったが、もちろんそれを口に出すことはなかった。しっくりくるという言葉も、嘘ではなかった。

「ふああ・・・おはよう」

「おはよう・・・」

 ダイニングには最後に、小島と亜矢がそろって降りてきた。

「聞いたぜ新座。水くさいな。俺に声をかけてくれれば、そんな奴を取り逃がすこともなかっただろうに」

「いびきかいて寝てたくせに、よく言いますよ。でも・・・夜の散歩をすることになったのはそのいびきのおかげですから、そのへんは感謝しますよ」

「ちぇっ。誉めてんのかよ、それ?」

「フ・・・小島君のいびきがなければ・・・ひかる君がどんな目に遭っていたか・・・わからなかったからね。お手柄だったね・・・小島君・・・」

「亜矢さんまで、んなこと言いますか・・・」

 その時、佐原が焼きたてのパンの入ったバケットを持って再びダイニングにやってきた。

「皆さんそろったみたいですね。それじゃ、朝食を用意します。お飲物は、何がいいですか?」

「コーヒー3つ、紅茶を4つ、お願いできますか?」

 全員の代わりに、ひかるが答えた。

「わかりました。すぐ用意します」

「あ、私も手伝います」

「え・・・そんな、お客さんはゆっくりしててください」

「みんなそれぞれ、お砂糖の加減とか、いろいろありますから・・・」

「・・・そうですか。それじゃあ、それだけでも・・・」

 そう言って、佐原とともにひかるも厨房の方へ消えていった。

「ゆっくりすればいいのにな・・・。やっぱり、はりきりすぎだよ」

 ひかるを見送りながら、圭介がつぶやいた。そんな彼の隣に、聡美が座ってささやいた。

「やったじゃない、新座君! 夜這いなんかするより、よっぽど男を上げたね」

「まだそんなこと・・・」

 圭介はうるさそうな顔をした。

「そんな顔することないじゃないの。運が良かったわね。おかげで白馬の王子様になれたんだから」

「不謹慎です。銃持った怪しい男がうろついてるんですよ? これのどこが運がいいんですか? ひょっとしたら俺達、またやっかいなことに巻き込まれはじめてるんじゃないですか?」

「う〜ん・・・それは確かにその通りかもね。やだなあ、あたしたちって、ほんとにどこへ行っても休みはないのかな」

 そう言いながら、聡美はサラダボウルのレタスを一口かじった。





 朝食後、ダイニングを借りて臨時の善後策検討会議が開かれていた。

「・・・というわけで、本来の新型機材のテストを兼ねながらの楽しい慰安旅行は、どうやらとんでもない方向に進みつつあるらしい。突然の訪問者である「く〜ちゃん」、それに、服部の部屋をのぞいていた普通じゃない変質者・・・。これらの事態に対して、休暇中であるとはいえ、SMSのメンバーである我々が動かないわけにもいかんだろう」

「やっぱり首を突っ込むんですか、隊長?」

 小隈の言葉に、小島が少しだるそうな声で尋ねた。

「仕方あるまい。小島、SMSの基本的使命を言ってみろ」

「市民生活を脅かすあらゆる脅威から市民の人命および財産を守り、治安を維持すること。以上です」

「正解だ。銃を持った男がうろついていたということだけ考えても、十分それには当てはまるだろう。管区なんてものは、所詮建前だ。一応正義の味方である俺達は、どこにいたって人のために尽くさなきゃならん」

「それに、ことはそれだけで収まりそうにないわ。さっきも新座君が言いかけたみたいに・・・たぶんその男の目的は服部さんではなくて、「く〜ちゃん」だったんじゃないかしら?」

「く〜ちゃんに・・・?」

 仁木の言葉に、思わず膝の上でおとなしくしている「く〜ちゃん」をなでる手を止めるひかる。

「きんと雲は、捕獲例のない貴重な動物だというから・・・狙われる理由は十分あると思うわ」

「でも副隊長・・・そうだとしても、そのことが知られるのが早いんじゃないですか? く〜ちゃんがここに運ばれてきたのは昨日のことですし、あたし達、外にく〜ちゃんがいるってこと、特に漏らしてませんよ?」

 聡美が疑問の声を発した。

「そこなのよね・・・。たしかに情報が伝わるのが早すぎるわ。でも、銃を持った男が現れる理由としては、それ以外は考えられないのよね・・・」

「そもそも・・・きんと雲が海岸に漂着していたというのが・・・奇妙な話だね」

 それまで黙っていた亜矢が、口を開いた。

「どういうことです、亜矢さん?」

「これを見てくれたまえ・・・」

 そう言って亜矢は、テーブルの上に世界地図を広げた。あちこちに赤いマークがされている。

「少し気になって・・・クリッターの目撃情報があった地点を・・・マークしてみたんだ。クリッターは世界中の空にいるようだけど・・・これを見ると・・・特に山岳部での目撃情報が多いことがわかる・・・。もしかしたらクリッターは・・・時には山岳部に留まることも・・・あるんじゃないかな・・・?」

「ヒマラヤ・・・ロッキー・・・アルプス・・・それに崑崙山脈・・・ほんとだ。山岳部に集中してますね」

 亜矢の言うとおり、赤いマーカーは世界中の山岳部で集中して見られた。

「高空で生きる生物だから・・・一定の場所に留まるにしても・・・高い場所を選びたがるんだろう・・・」

「それとく〜ちゃんが海岸に流れ着いていたのと、どんな関係があるんですか?」

「私が言いたいのは・・・クリッターが低い場所に降りてくるようなことは・・・ほとんどないということだよ。まして・・・海に落ちるなんてことは・・・」

「く〜ちゃんは子どもだから、力が足りなくて落ちてきたんじゃないですか?」

「たしかに・・・それも考えられるが・・・どうもひっかかるね・・・」

 亜矢は視線を落とした。

「たしかに、今まで捕まえられなかった生き物がこんなところにいるっていうことが、そもそも妙な話ではあるな・・・。やっぱり、看過してはおけんな・・・」

 そう言って小隈は腕組みをして考えた後、言った。

「よし。やっぱり、この事件は捜査しなければならんだろう。かといって、テストの方を放っておくわけにもいかない・・・。そこで、人員をわけようと思う。テストを行う班と、捜査を行う班だ」

「あの・・・捜査の方は、私にやらせてもらえませんか?」

 ひかるが手を挙げた。

「うん・・・やっぱりそう来ると思った。母親代わりとして、確かに適任だな」

「それなら、俺もやりますよ」

 今度は圭介が手を挙げた。

「圭介君、いいんですか・・・? テスト、あんなに楽しんでいたのに・・・」

「逃げた奴の尻尾つかむ方が先だ。あんな風に逃げられたんじゃ、こっちもおさまりつかないからな。どのみち、管制員のお前抜きじゃVJは満足に動かないし・・・つきあうよ」

「ありがとう・・・」

「よし、それじゃ、捜査班はお前達二人で決まりだ」

「え? 俺達二人だけですか?」

 圭介が驚いて言った。

「残りの奴らまで捜査にかり出すと、テストに支障が出るからな。そういうわけで、元々の第1小隊メンバーはテスト、新座と服部は捜査にあたれ。それじゃあ、今日はそういうシフトで動こう。どんなことがわかったかは、俺達が帰ってきてから報告してもらおうか」





「う〜ん・・・」

 相変わらずペンションのダイニングを借り、二人は何事か悩んでいた。時刻は午後2:30。

「・・・なあ。お前、一体どこから来たんだよ?」

 困ったように圭介が、ひかるのそばをフヨフヨと漂っている「く〜ちゃん」に尋ねた。しかし、当然「く〜ちゃん」はつぶらな瞳をしばたかせ、「く〜?」と鳴くだけであった。圭介はため息をつくと、再びテーブルの上に広げている地図に目を落とした。

「やっぱりここに、何かあるのかな?」

「ですね・・・」

 圭介がボールペンの先で示した一つの島に視線をあわせ、ひかるもうなずいた。

「お二人さん、難しい顔して、やっぱり詰まってるんですか?」

 そこへグラスを拭きながら、佐原がやってきた。

「すいません、テーブルお借りしちゃって・・・」

「いいんですよ。他のお客さんはみんな出かけて静かなんですから。それより・・・聞き込みの方は、成果なかったんですか?」

「県警の皆さんも、あらかた聞いていったみたいでしたから。やっぱり、ここは平和ですね。不穏な話は、全くありませんでしたよ」

「そうでしょうね。小さな島ですし、怪しい奴がいたらすぐに広まりますよ」

「だから、聞き込みは早めに切り上げて、他の方向から探ってみることにしたんです。とりあえずは、こいつがどこから来たのか・・・それだけでもわかればと思って」

「く〜ちゃん」を見ながら、圭介が言った。

「他の方向ですか。それで、どんなことをしているんです?」

「海流を調べているんです」

 圭介の代わりに、ひかるが答えた。

「海流?」

「はい。く〜ちゃんが流れ着いていた海岸に、どんな潮の流れが流れているのか・・・。それをたどれば、もしかしたらく〜ちゃんがどこから来たのかわかるかもしれないと思って・・・」

「ははあ、なるほど。さすがですね」

「そこまではよかったんですけど・・・」

「何か問題が?」

「ええ。きんと雲は高い山に留まることのある生き物らしいんですけど・・・この辺りの島には、そんな山はないんですよね」

「沖縄は火山性の島ではなくて、珊瑚礁の島ですからね。確かに山も川もありませんよ。もしかしたら、ずっと遠くから流れてきたんじゃないですか?」

「でも、まだ子どものく〜ちゃんが、そんなに長い距離を流されて生きていられるとは思えませんから・・・。やっぱり、この近くの島だと思いますけど・・・」

「あ、なるほど。たしかに、それはそうですね・・・」

 佐原はグラスを置き、二人がにらんでいる地図を見た。

「それで、大体潮の流れはわかったんですか?」

「ええ。あの海岸に流れてくる海流を逆にたどると・・・可能性がある島は、ここくらいです」

 そう言って圭介がボールペンの先で「和冦島」と書かれた島を指した。

「でも、ここにも高い山はないんですよね・・・。無人島らしいですね、ここ」

「ええ。この辺りにしてはその辺りの海底の地形は複雑で、ところどころ浅くなってるんです。よほど長くこの辺りで漁をやってる奴じゃなきゃ、危なくって近寄りもしませんよ。海に通じている大きな洞窟があることは知られてますけどね。昔は海賊がその辺りを根城にしていたらしくて、それが島の名前の由来になってますが。大したものはないし、観光地にもなってませんよ」

「そうですか・・・。何かこの島について、変な噂とか、ありますか?」

「いや別に・・・あ、待てよ・・・」

 そう言って、佐原が何か思い出したような顔になった。

「あるんですか?」

「今思い出したんですけどね。2週間ばかり前、うちに魚を届けてる漁師が言ってた話なんですけど。なんでもその日の漁じゃ、この島の近くじゃろくに釣果があがらなくって、しかたなくその和冦島の近くまで行ったらしいんですよ。真夜中の漁だったんですけどね。それで、そこで漁を初めて30分ぐらいしたとき、突然船に大きなうねりがかかって、驚いて甲板に行ってみると・・・」

「何が見えたんです?」

「そいつが言うにはですね、あれは絶対潜水艦だったって」

「潜水艦?」

「ええ。黒光りする金属の塊が、水面からヌーッと出てきて、また潜っていったって・・・。俺はそんなバカな話があるかと笑ったんですけどね。鯨かなにか見間違えたんじゃないかって。このあたりじゃよく見かけますからね。そしたらそいつ、絶対に見間違えなんかじゃないって怒って。たしかに長いこと漁師をやっているらしいし、嘘をついたことは一度もない男なんですけど・・・さすがに潜水艦を見たなんて話、信じられないでしょう?」

「ええ・・・」

「でも、場合が場合ですよ。きんと雲と怪しい男が出てきたら、次は何が起こったって不思議じゃないでしょう」

「そりゃあまあ、そうですけどね」

「ありがとうございます、佐原さん。ひかる、いくぞ」

「あ、待って圭介君! どこに行くんですか?」

「何となく糸口が見えてきたような気がする。病院にいって、ちょっと設備を貸してもらおう。く〜ちゃんを検査してもらうんだ」

 そう言って、二人はダイニングから出ていった。

「・・・本当に忙しそうだな。気の毒に・・・」

 佐原はそれを見送ると、ダイニングのテーブル拭きに取りかかった。





 そして、その日の夕刻。テストから戻ってきた小隈達に、圭介とひかるが調査結果の報告を行っていた。

「ふ〜ん・・・」

 圭介から渡されたレントゲン写真を見ながら、小隈が息をついた。レントゲン写真の被写体は「く〜ちゃん」であり、他の動物で言えば腹部に当たる部分に、奇妙な白い点が写っている。

「これが、発信機だって?」

「ええ、間違いありません。一定の間隔でタキオンを発信しています」

 圭介はそう答えた。

「件の男はこの発信機の発するタキオンをたどって、ここまでやってきたということか・・・。つまり元からこういう事態を想定して、こんな装置を飲み込ませておいた・・・」

「そう思います」

「なるほど。それで、お前はこうしてそろった材料を元に、どんな推理を組み立てた?」

「はい。たぶん、こういうことだと思います。きんと雲は何らかの方法によって、例の男によって捕獲された。一人では無理だと思いますので、たぶん例の男には複数の仲間がいると思います。ひょっとしたら捕まえたのはこの子だけじゃなくて、他にもいるのかもしれません。しかしこの子はどうにか脱走することに成功し、途中で力つきて海に落ち、あの岩場に流れ着いた。そこを俺達に保護され、そしてそれを追って、例の男もやってきた・・・」

「そして、その男達がきんと雲をつかまえて閉じこめてあるのが、その島だと言うのね?」

「そう思います」

 仁木の言葉に、圭介はうなずいた。

「話をまとめると、こういうことだろう? 例の島には、密猟団か何かのアジトがある。そしてそいつらによって、きんと雲達は拘束されている」

「簡単に言ってしまえばそうでしょう。どうでしょうか?」

「うん・・・突飛な話かもしれないが、可能性はないと言い切れないな。潜水艇が値下がりして、今や自家用レジャー潜水艇なんてものも車より安く買える時代だ。潜水艦を見たって話も、バカげた話とは思えんな・・・」

「どうします?」

「・・・やってみようか。その島に何かありそうなことには変わりないし・・・。お前達はどう思う?」

「私は、やってみる価値はあると思います」

「私も・・・賛成です」

「そうですね。やっぱり黙って見過ごすわけにはいかないし・・・俺はやります」

「あたしも賛成。く〜ちゃんの仲間が捕まってるとしたら、ほっておけないもんね」

 その言葉を聞いて、小隈はうなずいた。

「よし。それじゃ決まりだな。SMS第1小隊は、明日和冦島の強行偵察を行う。場合によっては、島を占拠している集団の拘束も行う。時刻は・・・夜襲が一番だろうな。明け方を狙おう。そういうわけで、全員、準備を早めに済ませて今夜は早く寝ること。異存はないな?」

「了解!!」

 全員が小隈に力強く答えた。

「それじゃ解散」

 そう言って、小隈はどこかに立ち去ろうとした。

「隊長、どちらへ?」

「夕飯にはまだ時間あるからな。ちょっと考えがあるから、出かけてくるわ」

「考え?」

「ああ。もしかしたら、一石二鳥になるかもしれないぞ」

 そう言って小隈は、片眉を上げてニヤリと笑った。それを見た仁木は、それが小隈が何かを企んでいるときの仕草だということを知っていた。





 そして、翌日の明け方・・・。島の沖合数十キロの海面上に、静かにホバリングする指揮車の姿があった。

「く〜ちゃん、ごめんね。お仕事だから・・・」

 VRコンピュータでVJのチェックを行いながら、じゃれついてくるく〜ちゃんをひかるが懸命になだめていた。

「隊長、目標の島をとらえました」

 聡美の声とともに、モニターに和冦島の姿が浮かぶ。

「よし。さてと・・・全員、鬼ヶ島に乗り込む準備はできたか?」

 小隈は後ろを振り返って、そう声をかけた。すでに仁木達は、VJの装着を終えている。

「VJ−1、VJ−2、システムに異常なし・・・」

「VJ−3、システムに異常なし」

 亜矢とひかるがVJの状態を報告した。小隈はそれを聞くと、今度は別の方向へ振り返った。めったに使われることのない、指揮車のゲストシート。そこには、作業服を着た坂下の姿があった。

「無理を言ってすいませんね、坂下さん」

「いえ・・・。しかし、いきなりセルキーを本番に投入すると聞かされたときには、正直、驚きましたね」

 坂下は苦笑しながら言った。昨日の夕方6時頃、ホテルにいた彼は突然小隈の訪問を受けた。彼の目的は、和冦島の偵察にセルキーを使用したいので、それを許可してもらいたいということであった。性能に自信を持っているとはいえ、今だテスト段階にあるパーツを実際の任務に投入しようというこの要請に、もちろん坂下は戸惑った。しかし、小隈から今回の任務にセルキーはうってつけであると言われ、しかも、貴重な現場でのデータも収集できると説得され、彼は首を縦に振ることになった。そのため、彼のすぐ側にいる3体のVJは、全て水中推進用ユニットと姿勢制御ユニットを装着したものとなっている。

「しかし・・・私がここにいて、邪魔ではないでしょうか?」

「とんでもない。VJもセルキーも、あなたの会社が作ったものです。自分のところが作った機械がどんな使われ方をしているか・・・気になるでしょう?」

「はあ、それはたしかに・・・」

「ご心配なく。我々と一緒にいれば、それが遺憾なく発揮されていることを証明してご覧に入れますよ。特等席でお楽しみ下さい」

 小隈は穏やかな笑みを浮かべた。

「隊長、具体的に作戦はどう進めるんですか?」

 聡美が質問をした。

「・・・岸本、お前にクイズだ」

「はい?」

「鬼ヶ島についた桃太郎は、どのお供に何をさせたでしょうか?」

「え? え〜と・・・それって関係あるんですか?」

「チッチッチッチッチ・・・」

「わ、わかりました! え、えっとたしか・・・キジを先に行かせて鬼達の様子を・・・」

「はい、正解。よくできました」

 小隈はそう言うと、仁木に顔を向けた。

「仁木」

「はい」

「お前がキジだ。先行しろ」

 VJのヘルメットの下で、仁木は小さく笑った。

「了解。よかった、キジで・・・」

 そう言って仁木は立ち上がり、指揮車後部にあるハッチに進んでいった。

「ハッチ、開けます!」

 聡美がスイッチを入れると、後部ハッチはゆっくりと開き、プラットフォームになった。それと同時に、真っ暗な海上を流れる潮風が、指揮車の中にも吹き込んでくる。それを受けながら、仁木はプラットフォームぎりぎりの場所に立った。

「VJ−1、オペレーションスタート」

「仁木葉子、出動します!」

 そう言って、彼女はプラットフォームからその身を投げた。

 ザボォォォォォン!!

 あっというまに白いVJは、夜の暗い海の中へと沈んだ。

「セルキー、駆動開始します。一時通信をカットします」

 ゴボッ! ・・・シュオオオオオオオ!!

 静かな音をたてて、仁木のVJは海面下を疾走し始めた。

「・・・VJ−1、ただいま巡航速度に到達。約40ノットで目標に向かって航行中・・・」

 仁木のVJをモニターする亜矢が報告する。それを聞くと小隈は黙ってうなずき、坂下に言った。

「以前から思っていましたが、セルキーはずいぶん静かですよね」

「海保から提示された想定される運用状況の中に、不審船に気づかれることなく乗り移る、というものがあったんです。音で気づかれるわけにはいきませんからね。姿勢制御用ユニットは別ですが、背部の推進用ユニットにはスーパー・キャタピラー推進システムを採用しています」

「スーパー・キャタピラー推進システム?」

「言ってみれば、水のジェット噴射ですよ。スクリューで水をかき回すわけじゃないですから、発生する音は格段に静かです。前身のキャタピラー推進システムは20世紀末の大型原潜に採用されていましたけど、セルキーに使ってあるものは当然、段違いに効率がいいですよ」

「なるほど。やっぱりたいしたものですね、そちらの技術力は」

「いえ・・・それよりも、こうして実際の任務にあたって、セルキーに不都合なことはありませんか?」

 指揮車に残ったVJ・・・すなわち、圭介と小島に顔を向けて、坂下が尋ねた。

「え?」

「そ、そうですね・・・」

 急に話を振られ、二人は戸惑った。しかし、すぐに答え始める。

「一つ、いいですか・・・?」

「ええどうぞ。実戦となれば、テストではわからない問題点も出てくるでしょうから、遠慮なく言って下さい」

「そうですか・・・。セルキー自体の性能には、何の不満も感じていません。しかし、強いて不満をあげるなら・・・セルキーの推進用ユニットを背中に搭載することと引き替えに、バックパックを外さなければならないところが、いたいですね・・・」

 圭介の指摘は、もっともなことだった。たしかにVJ本体は、優れた機械である。しかしそれが実際に活動する場合、その活躍はVJ本体の性能もさることながら、その背中に装備するバックパック内部に収納されている多数の機材によるところが大きい。これらのオプションをのぞけば、VJの固定装備はマルチリボルバーとスタンスティックのみ。この装備だけでは、せっかくのVJの高性能も発揮できない。VJは多数のオプション機材があってこそ、様々な状況に対応できる本来の性能を発揮できるのだ。

 しかし、セルキーはその推進用ユニット装着のため、バックパックを背中から取り外し、そこにユニットを装着しなければならない。大型のユニットを装着する場所がそこしかないとはいえ、これは大きな犠牲である。

「それは、かねてから我々も考えていました・・・」

 坂下は考え込みながら言った。

「バックパックの機材とVJ、それに皆さんが一つになったときこそ、VJが最大の力を発揮できることはよく理解しているつもりです。セルキーがいかに水中での優れた性能を約束してくれるとはいえ、それはバックパックの穴を埋めるほどのものではありません・・・」

「すいません・・・」

「あなたが謝ることはありませんよ。大丈夫です。セルキーはまだまだ成長段階にあるシステムです。今後改良を続けて小型化すれば、バックパックの両サイドに装着することも可能になるでしょう。そうすれば、バックパックもセルキーも、お互いの利点を損なうことなく共存できるでしょう」

 そこで、坂下は小隈に顔を向けた。

「しかし・・・大丈夫なんでしょうか? 今回の任務は、固定装備だけで遂行できるものなのでしょうか?」

 坂下は不安げに小隈に尋ねた。しかし、小隈は眉一つ動かさなかった。

「そうですねえ・・・。なにしろ、鬼が出るか蛇が出るか今のところはまったくわからないのですから・・・私の口からはなんとも・・・」

「そんな・・・」

 呆れた様子で何か言おうとする坂下を、小隈は制した。

「理解してほしいのですが・・・我々は、鬼が出るか蛇が出るかわからない、そういう状況のために働いているんです。ありがたいことに、そんな状況に可能な限り対処するために、新しい機械をいろいろと回してもらってます。しかし、装備に甘えてばかりいるほど、我々は怠け者ではないつもりです」

 真剣な口調でそう語る小隈に、坂下は何も言えなかった。小隈は続ける。

「どんなに優れた機械があっても、それを使うのは我々です。そして我々は、どんな機械よりも優れているつもりです。機械がなければ、ない頭で知恵を絞ってなんとかする。古い言い方ですが、それが我々の心意気ってものなんですよ」

 小隈の声は自信に満ちていた。坂下は思わず、指揮車に乗り込んでいる隊員達を見回した。小隈と聡美をのぞくメンバーは、VJとVRコンピュータのヘルメットで、その表情を伺い知ることはできない。しかし、全員が隊長の言葉通り、自分達の仕事に自信と誇りを持っていることは、はっきりと見て取れた。

「・・・やはり頼もしいですね、SMSの皆さんは・・・」

 感嘆したように、坂下は言った。

「おそれいります」

 その時、指揮車の通信機が音をたてた。

「隊長、目標の洞窟入り口に到達しました。かなり大きな洞窟ですね」

 仁木からの通信だった。

「了解。慎重にいけ」





 洞窟は、直接海と通じているものだった。夜の海も相当暗いものであったが、洞窟の内部はさらに暗い。おまけに、海からの水が洞窟に流れ込んでいるので、水流もかなり速い。

「やはり、不自然ね」

 水中を移動しながら、仁木はつぶやいた。洞窟内部の天然の水路の幅は意外に広く、水深も深い。あまり大型の潜水艇でもなければ、圭介の推理通り、この天然の水路を移動することは不可能ではないだろう。不自然だとつぶやいたのは、どうもこの水路は、元からあったものに手が加えられたような形跡があったからだった。

「どこまで続いているのかしら・・・」

 水路は洞窟のずっと奥まで延びている。かなり長いようだ。仁木がそれでも航行を続けると・・・やがて、前方に薄い灯りが見えてきた。

「・・・!」

 仁木はセルキーのスピードを調整し、可能な限り音を立てないように慎重に進んでいった。

 やがて、それまでは道路の幅くらいであった水路が、グッと広くなった。そこまで来た仁木は、慎重にVJを浮上させ、水面の上に顔を出した。

「! これは・・・」

 大当たりだ、と、仁木は思った。彼女の目に映ったもの。それは、明らかに天然の洞窟などではなかった。コンクリートで固められた、小規模な港のような施設。そこに接岸する、2隻の潜水艇。そして、多数の大型コンテナと、それらの間を行き交う男達と作業用車両。間違いなくそれは、何かの荷物を集積し、運び出すために設けられた秘密のドックだった。

「ここではまずい・・・」

 仁木はその光景に見とれることなく、短く辺りを見回した。見ると、右手の岩壁の方に海中から突き出した大きな岩がある。それを確認すると、彼女は再び潜り、その方向に向かって進み始めた。





「当たりだな、新座」

 モニターに映る、仁木のVJからの映像を見て、小隈は言った。

「隊長、受信状態はどうですか?」

 海中から突き出した岩の影に隠れながら、仁木はその映像を指揮車に送り届けていた。

「ああ、よく見えるよ。左手側に、妙なコンテナが見えるな。ズームしてくれるか?」

「了解」

 問題のコンテナがアップになる。そのコンテナは、ただの金属の箱ではなかった。強いて言えば、虫かごをそのまま大きくして、金属製にしたようなものといったところか。つまりは、「檻」である。そのため、その格子の隙間から、中にいる「もの」の姿が確認できた。

「!!」

 その様子に、全員が息を呑んだ。檻の中には、数匹のオランウータンがじっとしていた。

「隊長・・・これだけではないようです」

 そう言って、仁木のカメラアングルが変わり、別の場所に置かれているコンテナの様子が映る。そこには、しなやかな体をもったヒョウの一種が落ち着かない様子で檻の中を行ったり来たりしている様が映っていた。

「隊長・・・!」

 聡美の言葉に小隈はうなずき、インカムのマイクを口元に近づけた。

「・・・この任務の最終的な内容が定まった。これより第1小隊は目標の施設に奇襲をかけ、密猟団とおぼしき集団を速やかに拘束、しかるのちに拘束されている貴重な野生動物を保護する」

「了解!!」

 小隊全員が、力強い声をあげた。

「なお、マルチブラスターのモードは、ショックモードかドリームモードを使用。可能な限り負傷者は出すな。流れ弾で動物達が傷つくことも避けるように。以上、何か質問は?」

「・・・」

「それじゃ、いってらっしゃい」

 圭介と小島のVJが立ち上がり、再び開いたプラットフォームへと歩いていく。

「あ、隊長、一ついいですか?」

「なんだ?」

「俺と新座、どっちがイヌで、どっちがサルなんでしょうか?」

「俺はサルは嫌ですよ」

「俺だって」

「・・・どっちでもいいだろうが。早く行け」

「VJ−2、オペレーションスタート」

「VJ−3、オペレーションスタート」

「小島佳樹、出ます!!」

「新座圭介、行きます!!」

 ザボザボォォォォォォォォォン!!

 軽口を叩きながらも、二体のVJは海へと潜った。続けて、亜矢とひかるがどちらもセルキーを使った航行に入ったことを報告する。

「いつも、こんな感じなんですか・・・?」

 気になった坂下が、小隈に尋ねた。

「ご心配なく。やることはやってくれますよ」

 小隈はニヤリと笑った。そして、インカムに向かって伝える。

「仁木、二人がそっちに着くまで時間がある。それまで、仕事を頼もうか」

「どんなことですか?」

「ちょっと大変だけどな・・・」

 そして、小隈はその内容を仁木に伝えた。

「5分でできるか?」

「3分下さい」

「了解した」





「そこで止まりなさい」

 秘密のドック内に入り、スピードを落としつつあった二人の耳に、仁木からの通信が入った。その言葉通りに、二人は水中で止まった。やがて、左手側の方向から仁木の白いVJが現れた。

「これで全員集合ね。襲撃をかけるわよ」

「へへっ、なんだかワクワクしますね」

「あんまり調子に乗らないでよ。相手がどんな武器を持っているか、まだわからないわ」

「隊長、実際にどういう戦法でいきますか?」

「そうだなあ・・・」

 圭介からの質問に、小隈は3D映像で表示されたドック内の見取り図を見ながら思案した。情報収集能力に優れた仁木のVJから送られたデータを解析し、3Dで表現したもの。3体のVJの網膜投影ディスプレイにも、同じものが表示されているはずである。データが完全ではないため、末端の部分などわからない部分はあるが、作戦をたてるには現状でもまったく問題はなかった。

「・・・よし。まず、海中から勢いよく飛び出して、この地点に上陸。相手が驚いている隙に、できるだけたくさん眠らせろ」

 小隈が一地点を指して言った。そこは、潜水艇が停泊している場所からは正反対の位置にあった。

「それから?」

「そこで全員眠らせられればそれがベストなんだが・・・数が多かった場合、そのうち反撃してくるだろう。それに対処しながら、こっちの方へ追い込んでいく・・・」

 ポインターを、潜水艇の方へと動かす。

「・・・あとは、どうすればいいかわかるな?」

「了解しました!!」

 スピーカーの向こうから、力強い声が返ってきた。

「あの・・・一ついいですか?」

 坂下が手を挙げた。

「もちろん。助言があれば遠慮なく言って下さい」

「上陸した後は、セルキーを外して下さい」

「いいんですか?」

「陸上では邪魔になりますから・・・。外した分、機動性は上がります。それに、伝説のセルキーは、陸の上ではアザラシの皮を脱いで人間の姿になるんです・・・」

 そう言って、坂下は笑みを浮かべた。

「聞いたとおりだ。皮を脱いで身軽になれ。それと、桐生、服部」

「「はい」」

「VJの腕部へのパワー配分を抑えろ。ニュートラルでも、VJに殴られれば骨が折れる。3人とも、いいな?」

「ええ」

「悪人でも、ケガさせるのは気持ちよくありませんからね」

「了解しました・・・」

「了解。パワー配分、70%落とします」

 そして、準備は整った。3体のVJは、ドック内の海底に身を潜める。

「準備はいいな? それでは・・・鬼退治開始!!」

「セルキー、最大出力!!」

「いっくぞぉっ!!」

 ゴボッ!! シュオオオオオオオオオオッ!!

 3体のVJは互いに距離をとって、矢のような速さで水面を目指す。そして

 バッシャアアアアアアアアン!!

 3つの輝く鎧が、水面からトビウオのように飛び出した。そのすさまじい水音に、ドック内で作業をしていた男達は、驚いて一斉にそちらの方を向いた。

 ガチャッ!! ガチャッ!!

 3体のVJが、次々にコンクリートの岸の上に着地した。





「セルキー、イジェクト」

「セルキー、切り離します!!」

 バシュッ!! ガランガラン!!

 3体のVJからセルキーの各パーツが切り離され、地面に落ちて乾いた音をたてた。

 ガチャッ!!

 それと同時に、3体のVJはマルチリボルバーを引き抜いた。

「VJ−1、VJ−2、セーフティー・オフ」

「VJ−3、セーフティー・オフ」

 安全装置は解除された。しかし、圭介は銃を構えながらとまどった。

「隊長・・・構えちゃいましたけど、投降を呼びかけるメッセージぐらいだしてもよかったんじゃないですか?」

「う〜ん、それでもよかったんだけど・・・「おとなしくしろ」って言ったって、日本語、通じそうにないだろう?」

 たしかに3人の周りであわてふためき逃げ出そうとしている男達は、アジア系ではあるが皆日本語ではない言葉でわめいている。

「だったら、「フリーズ」とか、「ホールドアップ」とか・・・」

「たとえそれでおとなしくしてくれても、縛り上げたりするのに手間がかかるだろう? この人達には悪いけど、眠ってもらおうよ」

「そんな、乱暴な・・・」

「・・・仕方ないわ。小島君、新座君、リボルバーをドリームモードにセット。始めるわよ」

「・・・了解」

 リボルバーのセレクター表示が、「D」に変わる。ドリームモードは、即効性麻酔弾発射モード。撃たれればその場で眠りにつき、3時間は深い眠りに落ちる。3人はそれにセットすると、逃げまどう男達に向かってリボルバーの引き金を引き始めた。

「ワァッ!! ・・・グゥ・・・」

「ギャヒィッ!! ・・・グゥ・・・」

 命中した男達は、次々に倒れては眠りにつく。3体のVJがほぼ無抵抗の男達に対して容赦なく銃弾を浴びせている様は、端から見ればジェノサイドのそれである。

「かわいそうですね・・・」

 VJのヘルメットの中に、ひかるの声が響く。

「殺してるわけじゃないし・・・それに、しょうがないよ。悪い奴らなんだから・・・」

「でも・・・」

「・・・まあ言ってる俺も、ちっとも納得してないけど」

「新座、気をつけろ!!」

 そんな会話をしていた圭介の耳に、小島の声が飛び込んできた。見ると、左側のコンテナの陰から、マシンガンをもった男が飛び出してきた。

 ガガガガガガガガガガ!!

 男はマシンガンを乱射した。

「! ・・・ック!!」

 VJの装甲越しに、銃弾が命中する音が激しく響く。

「圭介君! 大丈夫ですか!?」

「あ、ああ、平気だ。それよりも、銃弾の分析を頼む」

「了解!!」

 ひかるは圭介のVJに命中した銃弾から、使用されたマシンガンの形式を調べた。

「・・・ロシア製で広く出回っているツボレフ70です。このマシンガンの弾なら、VJの装甲は完全に防いでくれます」

「安心した。とりあえず向こうも撃ってきてくれるなら、いくらか罪悪感も薄れる」

 そう言いながら、圭介はリボルバーを構えた。弾が通じないとわかれば、こんな余裕のある台詞も吐ける。

「☆□○×△!!」

 銃弾の通じない金属の鎧に、マシンガンの男はパニックを起こし、なおも激しくマシンガンを浴びせる。

 ガガガガガガガガガガガガ!!

「こいつ! 寝てる奴らや動物に流れ弾が当たったらどうすんだ!!」

 男はわけもわからず撃っているだけだろうが、その銃弾を受ける圭介には、それがひどく無神経な行動に見えた。引き金に指をかけようとした、その時

 ビュンッ!

 ガッ!

 突然、男の背後に白い影が舞い、男の首筋に一撃を叩き込み、地面に昏倒させた。一瞬のことだったが、それは仁木の行動だった。

「副隊長」

「銃を撃つよりは、当て身で気絶させた方が気は楽でしょ?」

 倒れた男からマシンガンを拾うと、仁木はマガジンを取り出して海に投げ込んだ。





「さすが、副隊長だな」

 マルチリボルバーのマガジンを取り替えながら、先ほどの仁木の動きを見ていた小島が言った。と、その時

 グォォォォォォォォォッ!!

 何かがこちらに向かってくるエンジン音が聞こえた。小島がその方向を見ると・・・一台のコンテナ輸送用の作業車両が、彼に向かって突っ込んできていた。

「度胸のある奴がいたか。亜矢さん」

「了解」

 小島は落ち着いて亜矢に声をかけた。亜矢はそれだけで、両腕にエネルギーを集中し、サスペンションの衝撃吸収力を強化するという設定の変更を行う。

「どうも」

 小島は軽く礼を言うと、作業車両に向かってどっしりと構え、腰を低くした。

 ガッシィィィィィィィィィィン!!

 すさまじい金属音がした。次の瞬間そこにあったのは、作業車両を両手で受け止める小島の姿と、それによって動きを封じられた作業車両の姿だった。

「運転手さんは、無駄な抵抗をやめておりなさい。さもないと、一緒に沈んでもらいますよ」

 その言葉が通じたのか、そうでないのかは知らないが、運転手は運転席から転げ落ちるように出てくると、一目散に逃げ出した。

「それでよし。よっこら・・・」

 ゴゴゴ・・・

 小島が腕にさらに力を入れると、作業車両は軽々と持ち上げられた。

「・・・しょっと!」

 バッシャアアアアン!!

 彼はそれを、ヒョイと海に投げ捨てた。盛大な水しぶきをあげ、ずぶずぶと沈んでいく作業車両。運転していた男は逃げる途中振り返った時にそれを見て、さらに顔を青くして逃げていった。

「やることが派手だね・・・小島君」

「かなわないってこと見せつければ、無駄な抵抗しなくなると思って。副隊長、今の男も、潜水艇の方に逃げていきましたよ」

 小島がそう報告した時には、あたりの銃声はおさまっていた。

「順調にいっているようね。このまま潜水艇に追い込みます。各自、間隔を保って前進。極力発砲は控え、武器だけを使用不能にすること」

「「了解」」

 3体のVJは、仕上げに向けて進み始めた。





 一方、指揮車では3Dモニターに、現在の状況がリアルタイムで表示されている。青い3つの点は、それぞれSMSのVJ。停泊している潜水艇のある方向へ押されているいくつもの赤い点は、敵を示す。赤い点が潜水艇に向かって青い点によって追い立てられている様子は、狩りを彷彿とさせる。しかし、それを見つめる小隈達は、決して今の状況を狩りなどとはとらえていない。

「もうすぐ終わりそうです」

 その証拠に、そう坂下に告げる小隈の口調には、これといった感情はこもっていなかった。

「さすがですね・・・。余裕の勝利ですか」

「余裕・・・というのはうぬぼれですね。これはゲームではないんですから。ただ・・・向こうさんにとってみれば、相手が悪かったとしか言えません。我ながら不公平な感じもしますが・・・しかたないでしょう」

「ええ・・・。しかし、優れたチームワークですね」

「恐縮です」





 恐慌をきたした男達は、何人かがマシンガンを乱射するものの、残りは皆潜水艇に向かって死にものぐるいで走っている。一方、3体のVJはその銃弾をものともせず、前進を続ける。

「無駄な抵抗はやめなさい!!」

 仁木がリボルバーをかまえた。しかし、銃撃は止まない。

「・・・仕方がない」

 ガァンガァンガァン!!

 仁木のリボルバーが、麻酔弾を発射した。全ての弾が外れることなく、マシンガンの射手達に命中して、眠りの世界へ彼らを導いた。

「大詰めよ。突入!」

 その一声で、全員が突入を開始する。が、その直後

「!! 止まりなさい!!」

 3体のVJは突進をやめた。その視線の先には、一つの大きな金属の筒のようなものを持った男が、半ばやけくそのように怒り狂った表情で立っていた。

「散開!」

 ボッ!

 仁木が叫んだのとそれが火を噴いたのは、ほぼ同時だった。

 ボガァン!!

 発射された砲弾は、見当違いの場所に当たって爆発した。

「ロケットランチャー・・・たぶん、ここの火器の中で一番ね。あれを食らったら、VJでも無傷じゃすまないわ」

「あんなものこんなところでぶっ放して・・・洞窟だってこと忘れてるのか?」

「やけくそになってるんですよ」

 圭介はスタンスティックを引き抜いた。

「俺が突進かけます」

「小島君、続いて」

「了解しました」

「よーし・・・それじゃあ、いくぞ!」

 ダッ!

 圭介はニュートラルモードのまま、男に向かって突進した。バックパックのないぶん、動きは軽快である。

「タァッ!」

 ガンッ!

 圭介は男に対応の時間を与えず急接近、電流を流していないスタンスティックで、男の持っていたロケットランチャーを宙に跳ね上げた。

「新座、俺に任せろ!!」

 ガッ!

 すかさず接近した小島が、男の首筋に一撃をくらわせる。それによって男はあっけなくのびてしまった。

「小島さん、すいません・・・あれ?」

 倒れた男の顔を見て、圭介が素っ頓狂な顔を上げた。

「どしたあ?」

「こいつですよ! ひかるの部屋をのぞいてた奴!」

「なぬ!?」

「・・・こいつは、俺の手で借りを返してやりたかったですね」

「悪いな。どうしようか、こいつ? 海に投げ込むか?」

「この間趣味で精製した・・・金丹を服用してもらうというのも・・・いいかもね・・・」

「や、やめてください! そんなことをするほど、私は怒ってませんから・・・」

「私的制裁はよしなさい・・・。それよりも、仕事が先よ」

 私的制裁を加えかねない小島と亜矢を、ひかると仁木が静止した。ちなみに金丹というのは、中国の神仙思想において不老長寿の秘薬とされるもので、その実態は水銀などの重金属の化合物である。

「それは残念・・・」

「ひかるちゃんの優しさに感謝してほしいな、こいつには。そういえば、副隊長、連中は?」

 いつのまにか、敵はその場からいなくなっていた。

「残ったのはみんな、どちらかに乗り込んだわ。予定通りよ」

 仁木が二隻の潜水艇を指さす。

「それじゃ、最後の仕上げ。あなたたち、空いてるコンテナを持ってきて、フタをしちゃいなさい」

「「了解」」





 そして、それから間もなく。潜水艇のハッチの上には、大きなコンテナが漬け物石のようにフタをするかたちで置かれた。

「これでよし、と」

 潜水艇の上から飛び降り、圭介は仁木に近づいた。

「今頃、中じゃ大騒ぎでしょうね。動かないんですから」

「隊長のアイディア、大当たりだったわね。スクリューさえ壊してしまえば、大きな入れ物として使えるんだから」

 仁木の言葉通り、すでに二隻の潜水艇のスクリューは破壊され、身動きがとれなくなっていた。仁木が他の二人が到着するまでの間、破壊を行っておいたのだ。

 3体のVJに潜水艇の方に向かって追い立てられれば、密猟団に残された道は、潜水艇に乗って海に逃げることのみ。そのために潜水艇に乗った密猟団を待っていたのは、もう潜水艇は動けないという事実だった。それに気づいたときには時すでに遅く、ハッチの上には重いコンテナが。彼らは自ら、牢屋の中に入ってしまったのである。密猟団がVJに対抗できるだけの武器を持っていなかったこともあり、密猟団をここへ自分から入らざるを得ない状況に追い込むという当初の作戦は、見事に成功した。

「隊長、たった今、犯人達の拘束が完了しました」

「ご苦労だった。こっちは県警に連絡してからそっちに向かう。とりあえず、眠っている連中を一カ所にまとめておいてくれ」

「了解」

 そこで一旦通信は切れた。

「先月のゴルゴンより、ずっと楽な相手でしたね」

 小島が二人の会話に加わる。

「そうね。とりあえず、隊長から頼まれたことをやりましょう」

「「了解」」

 奇襲開始から、10分足らずの間に起こった出来事だった。





 シュポッ!

 洞窟内のドックに、心地よい音が響き渡る。

「どうぞ・・・」

「あ、ありがとうございます・・・」

 亜矢から渡されたラムネを、坂下は受け取った。周りではSMSの面々が、同じものを飲んでいる。どうやらこれが、一仕事終えた後の第1小隊のしきたりのようなものらしい、と、坂下は感じた。

「ここにだいたい20人、潜水艇の中には30人くらい。あわせてだいたい50人ちょっとというところか。このぐらいの規模の施設なら、妥当な数かな・・・」

 眠らされたまま縛られ、一カ所に集められている密猟団を見ながら、小隈が言った。続いて彼は、他の隊員達が見つめている檻に目を移した。

「ひどいことしますね・・・」

 小島の言葉は、全員が感じていたものだった。檻の中には、雲のような形をした奇妙な生き物が、大勢ひしめきあっていたのである。その檻に近づいて、ひかるは「く〜ちゃん」とともに、悲しい目で彼らを見つめていた。

「それにしても気になるのは・・・こいつらをどうやって捕まえたかってことだな」

「そうですね・・・。今まで捕獲例のない動物を、どうやって捕まえたのか・・・」

 小隈と仁木が首を傾げたその時

「割と単純な手だったみたいですよ」

 先ほどまでその場を離れ、ドック内にあった施設の家捜しをしていた圭介が、何かを両脇に抱えて戻ってきた。

「新座、何かあったか」

「ええ。まず、これです」

 圭介がそう言って差し出したのが、金属製のボウルに入った、メレンゲ状のフワフワした物体だった。

「なんだこりゃ?」

 小島がそう言ったが、圭介がそれに答えるより早く、「く〜ちゃん」がそのボウルに向かって飛んでいき、中にある物体を食べ始めた。

「猫にマタタビ・・・ということかい?」

「そういうことですね。結局、餌でおびき寄せたってわけです。どうやってこんなものこしらえたかはわかりませんけど」

 一心不乱にボウルの中のものを食べる「く〜ちゃん」を見ながら、圭介が言った。

「それで、そのノートパソコンは?」

 圭介が持っているノートパソコンを、仁木が指さした。

「戦利品です。探してたものですよ。見ててください」

 そう言って、圭介はパソコンを立ち上げ、何か操作を行った。モニターの上にこの近辺と思われる地図と、いくつもの赤い光点が映る。

「トレーサーか?」

「よっぽど逃がしたくなかったんでしょうね。かなりつぎこんだ高性能なものです。赤い点が地図中央に集中しているのは・・・つまりは、ここに発信機を飲み込まされたきんと雲が全員いるっていうことです」

 檻の中につかまっているきんと雲を見る圭介。

「さて、と・・・」

 一通りの報告を聞いた小隈は、飲み終わったラムネの瓶を地面に置き、近くにあったコンテナに寄りかかった。

「お前達の意見を聞きたい。これからこいつらを、どうするかだ」

「・・・」

 隊長の言葉に、全員が聞き入る。

「こいつらは今までに捕獲されたことのない、本当に珍しい生き物だ。このまま俺達が学会に引き渡せば、詳しい調査がなされて、もっといろいろなことがわかるだろう。しかしだ・・・」

 小隈はタバコに火をつけた。

「このままこいつらを、逃がしてやりたいという気持ちもある」

「・・・」

 隊長の言葉に、隊員達は黙って耳を傾けた。

「ここでこいつらを逃がしてやっても、いずれ調査が進み、こいつらの仲間が捕獲されて調査される時がくるだろう。だが・・・せめてそれまでの間は、好きなように空を泳がせてやってもいいと思う。このままでは、こいつらを捕まえているのが密猟団から学者さん達に変わるだけで、どうもあまりいい気分はしないからな」

「学者さんに嫌われるか、動物愛護団体に嫌われるか、どっちかを選べということですか」

 小島の言葉に、小隈はうなずいた。

「そういうことだな。小島、お前はどう思う?」

「こう見えても医者のはしくれですからね。医学も科学の一つなら、その進歩を望む心はありますよ。ただ、俺は動物園が嫌いでしてね。檻に入れられてる動物を見るのは、見るに耐えなくって・・・」

「学者に嫌われるな?」

「最近の動物愛護団体は割と過激ですよ? そんな連中に嫌われたくありません」

 小島はそう言って笑った。

「桐生、お前は? 一応お前も学者だろうが」

「フ・・・そうですね・・・。もしも逃がして文句を言われるようなことがあれば・・・これを渡せば、いくらかは矛先が鈍るでしょう・・・」

 そう言って亜矢が懐から取り出したのは、数枚の記録ディスクだった。

「それは?」

「ひかる君と一緒に作った・・・「く〜ちゃん」の観察記録です。おそらく世界中で・・・これに勝るデータは・・・ないでしょう」

「なるほど。新座はどうだ?」

「亜矢さんと同じです。これがあれば、この子達の行動は完璧にトレースできますし」

 そう言って、手に持ったノートパソコンを示した。

「岸本は?」

「あたしはもうちょっとこの子達が謎の生き物のままでいてほしいから、逃がす方に賛成です」

「何なんだその理由は・・・。まあいい。仁木の意見は?」

「服部さんの判断に従います。この件に関しては、一番決定権があると思いますから」

 そう言って、「く〜ちゃん」を抱いているひかるを見る仁木。

「わ、私ですか・・・?」

「そうだな、たしかにその通りだ」

 小隈の言葉に、全員がうなずく。ひかるは戸惑った様子で、抱きかかえている「く〜ちゃん」、檻の中に入っている彼(?)の仲間、そして自分の仲間と視線を移し、考えた。

「・・・」

「どうだ?」

 やがて、彼女はゆっくりと顔を上げて答えた。

「・・・逃がしてあげてください」

「そうすると、く〜ちゃんともお別れだぞ? いいんだな」

 ひかるは腕の中の「く〜ちゃん」を見つめて、黙ってうなずいた。

「・・・わかった」

 そう言って、小隈は隊員達に向き直った。

「いいか、俺達の任務中に、アクシデントが起こった。小島のVJに突っ込んできた作業車両がハンドルを誤り、きんと雲をおさめた檻に激突。その拍子に檻が壊れて、俺達が捕まえる間もなく、きんと雲達はみんな空に逃げていってしまった・・・」

「俺に作業車両が突っ込んできたところまでは当たってますけど・・・理由までこいつらのせいにするんですか?」

「いくら悪者でも、濡れ衣まで着せるのは、ちょっと・・・」

 小島と聡美が気が引ける様子でつぶやく。

「こいつらだけじゃなくって、オランウータンやらヒョウやらまで密猟してたんだ。そのくらいの償いは、してもらってもいいんじゃないかな? それとも、お前達の誰かが不始末やらかしてそういうことになったとするか?」

 タバコを吹かしながらこともなげに言う小隈の様子は、いつものように隊員達を呆れさせ、反論しようという言葉をなくさせた。

「決まりだな。すいませんが坂下さん、あなたにも・・・」

 坂下に向き直り、小隈が頼んだ。

「ええ、今言った通りの出来事が起こった。もちろん、そうしておきますよ」

「すいませんね」

「お気持ちはわかりますよ。私もセルキーの開発に打ち込んだのも、子どもの頃に見たイルカの姿に憧れたことが大きな理由でしたからね。やはり生き物は、自由に動き回っているほうが美しいですよ」

 坂下はそう言ってにこやかに微笑んだ。

「ご理解、感謝します。さて、それじゃあこの檻を海岸に運ぶぞ。県警が来るまでそんなにのんびりしてられない。手早くやろう」





 東の空が、わずかに白み始めている。第1小隊の面々は潮風に吹かれながら、洞窟の中からきんと雲達の入っている檻を海岸に運び出した。

「よし、ここでいいだろう。仁木、頼む」

 仁木が護身用ショックガンを構え、檻についている電子ロック錠に向けて放った。

 バシュッ!

 バァン!

 電子ロックがショートを起こした。小隈はそれを確認すると檻に近寄り、その扉に手をかけた。

「それじゃ、いくぞ」

 全員がうなずく。

 ギィ・・・

 重い音とともに、鉄でできた扉が開く。すると・・・

 ザァァァァァァァ!!

 中から待ちかねたように、きんと雲達が飛び出してきた。そして、一気に空に向かって昇っていく。

「やっぱり、雲も空に帰りたいんだな。元気でやれよ!」

「じゃーねー!!」

 空に向かって叫ぶ小島と聡美。その横で、仁木と亜矢が穏やかな表情で空を見上げている。

「あ・・・」

「く〜ちゃん」を抱きかかえていたひかるのところに、数匹のきんと雲が近寄ってきた。

「ひかる」

 圭介が側に近づき、彼女に声をかける。

「はい・・・」

 ひかるはうなずくと、「く〜ちゃん」を抱きかかえていた手をゆるめた。その手からすり抜けた「く〜ちゃん」は、仲間に近づく。

「く〜・・・?」

「く〜」

 きんと雲達は、お互いに人間にはわからない方法で意思のやりとりをしているように見えた。

「く〜・・・」

 それを終えたらしい「く〜ちゃん」は、悲しそうな鳴き声をあげてひかるの顔の前にフヨフヨと近づいた。

「お別れです、く〜ちゃん・・・」

「く〜・・・」

 さらに近づこうとする「く〜ちゃん」を制止し、ひかるが言った。

「離れたくないの・・・? ありがとう・・・」

「く〜・・・」

「でも・・・ここでお別れしなければならないんです。く〜ちゃんだけ、私と一緒にいるわけにはいかないから・・・」

「く〜・・・」

「わかってください・・・お願いだから・・・。ね?」

 ひかるはそう呼びかけた。すると、「く〜ちゃん」はそのまま静かにひかるから離れだした。

「そう・・・そのまま、みんなと一緒に空に・・・」

 やがて、「く〜ちゃん」は周りにいる数匹の仲間と少しのやりとりをして、再びひかるの方を向いた。

「く〜・・・」

「・・・さようなら・・・」

 ひかるはなんとか、笑顔をしようとした。それを見た「く〜ちゃん」は・・・

「くー!」

 一声大きく鳴くと、くるりと方向を変え、仲間と一緒にゆっくりと空に昇っていった。一度も、振り返らずに・・・。

「さようなら・・・」

 ひかるはその姿を見送りながら、小さくもう一度つぶやいた。彼女が見送っている間に、彼らの姿はどんどん小さくなっていき・・・やがて、うっすらと明るくなりかかった空の色にとけ込み、やがて、見えなくなった。

「・・・」

 ひかるは彼らが去った空を、じっと見つめた。

「・・・」

 そのひかるの横顔を、じっと見つめる男がいた。圭介である。

「・・・なんですか、圭介君?」

「あっ、い、いや・・・泣かないのか?」

 最初こそ慌てつつ、冷静に圭介はひかるに尋ねた。

「なんですかそれ・・・泣いた方がいいみたいな・・・」

「いや、そういうわけじゃ・・・」

 少し憮然とした様子で言うひかるに、圭介は再び慌てた。そんな彼の反応を楽しむように、ひかるはケロリと笑顔に戻った。

「泣きません! 悲しいお別れは、いやですから・・・」

 そう言うひかるの顔を、圭介は少し驚いたような顔で見た。

「? どうしたんですか?」

「いや・・・なんでもない」

 ひかるの横に並びながら、圭介は彼女から視線を外し、一緒に空を見つめた。

 (ちょっとは、よくなってきたかな・・・)

 圭介はそんなことを思っていた。





「・・・というわけで、これがお土産です」

 ガレージの休憩室の粗末なテーブルの上に並べられた数々のお土産を前に、ひかると並んだ圭介が得意げに言った。それを見つめる四十七士達の間から、オオッ! というどよめきの声が漏れる。

「お前ら、その泡盛と干物だけは残しとけ。あとはきっちり分けるんだ。浅ましいことするんじゃねえぞ」

「ヘイッ!!」

 その言葉と同時に、一斉に整備員達はそれに群がった。そして、数分の後・・・それぞれの手に戦利品を獲た整備員達はそれを持って自分のロッカーまで戻っていき、机の上には楢崎の指定した泡盛と干物だけが残っていた。

「ありがとな。うちの若い奴らも、これで生活に一時の張りが出る」

「棚からぼた餅、って感じですからね。感謝されるのはありがたいですけど」

「まあつまり、こういうことだな。お前達は鬼退治ならぬ密猟団退治をして、そのお礼に島の皆さんからあんなものもらったってことだな?」

「まあ、そういうことです。どうしてももらってくれって言われて、断りきれなくて・・・なあ?」

「ええ・・・」

「それで、お前らが退治した密猟団っていうのは、どんな奴らだったんだ?」

「詳しいことはまだ捜査中ですが、かなり大規模な組織みたいです。俺達がおさえたのは、連中の輸送拠点の一つだったようですけど、あそこにあったデータから、密輸ルートの特定が可能らしいですから、今後の捜査は順調に進むと思いますよ」

 沖縄から戻ってきて、整備班四十七士に約束の土産を渡した圭介とひかるは、楢崎とそんな会話をしていた。

「しかし、お前さん達も災難だったな? 骨休めに行った先でも仕事する羽目になるなんて」

「たしかに大変でしたけどね。銃持った男と素手で渡り合うわ、小島さんや聡美さんには変なこと言われるわ・・・」

「いい思い出じゃねえか」

 そう言ってカラカラと笑う楢崎の様子は、まったくの他人事、といった感じだった。

「笑い事じゃありませんって・・・。まあ、みんなにとって楽しい旅行であったことに違いはありませんね。聡美さんはマリンスポーツを満喫したって言ってましたし、小島さんはビーチで目の保養ができたとかなんとか・・・」

「何言ってやがんだ、あの兄ちゃん・・・」

「隊長も副隊長も、楽しんでたみたいですよね? そう言えば亜矢さん、いろいろな人に会えたとか言ってましたけど、そんなにいろいろな人に会ってましたっけ?」

「ひかる・・・亜矢さんの場合「いろいろな人」の定義が広いんだよ。生きてない人でも、「いろいろな人」の範疇に入るからなあ・・・」

 首を傾げるひかるに、圭介は首を振りながら言った。

「でも、特に嬉しかったのはですね」

「何だ?」

「特別ボーナスですよ」

「特別ボーナスゥ?」

 嬉しそうな顔で笑顔を向けあう圭介とひかるに、素っ頓狂な声を出す楢崎。

「たった今陸奥部長から連絡があって、勤務外の働きではあったけれど、特別ボーナスを出してくれるそうなんです」

「ははぁ、なるほど・・・減俸中の二人には、ありがたい話だな」

「おやっさん・・・その通りですけど、もうちょっとオブラートに包んだものの言い方はできませんか?」

 ストレートな言い方をする楢崎に、圭介とひかるは少しムッとする。

「嘘をつかない機械とつきあってる俺達技術屋は、正直なことしか言わねえんだよ。それよりもだ・・・」

 二人の視線を軽くかわし、楢崎はガレージに置かれてる3体のVJに目を移した。

「いい土産持ってきたくれたからな。いつも以上に気合い入れて整備しておくから、そっちの方は安心して任せてくれや」

 楢崎はイスをきしませてゆっくりと立ち上がった。

「はい! お願いします!!」

 二人はそんな楢崎に敬礼をした。彼はそれに軽く手を振ると、ガレージの方へ歩いていった。

「さて、戻ろう」

「はい」

 二人も踵を返し、ガレージから外に出た。白い雲のところどころ浮かぶ青空が、二人の目に飛び込む。

「・・・」

 二人はオフィスのある本舎までの道を歩き始めた。

「あれからさ・・・」

「え?」

「よく空見てるよな、お前・・・」

 視線を上げて歩くひかるに、圭介が言った。

「やっぱり、寂しいか?」

「寂しくはありません・・・。でも・・・また会えるんじゃないかって思うと、つい空を見ちゃうんです・・・」

 ひかるはそう答えた。

「・・・そのうち、あいつらは謎の生き物ではなくなるさ。そうしたら、もっと気軽に会うことができるようになるかもしれない。お前のく〜ちゃんも、もしかしたら・・・」

「そうですね・・・」

 ひかるは笑顔で圭介の横顔を見た。

「楽しかったですね・・・」

「そうだな・・・」

「お昼、佐原さんから教わった沖縄料理を試してみようと思ってるんですけど・・・」

「おっ、そいつはいいな。たっぷり作ってくれよ」

「はい!」

 二人は、再び白い雲に顔を上げ、分署へと足を進めていった。


関連用語

・きんと雲

 カラーコミックス第4巻「きんとフード」に登場した生物。「西遊記」で、孫悟空が乗って空を自由自在に駆けめぐるあれである。ドラえもんによれば、きんと雲は高い山に住む珍しい生き物らしく、「きんとフード」という特製の餌でおびき寄せることができる。非常に速いスピードで空を飛ぶが、のび太でさえ苦労の末乗れたところを見ると、それほど乗りこなすのが難しいというわけではなさそうである。

 きんと雲とクリッターが同一のものという設定を始め、本作で登場したきんと雲の設定は全くのオリジナルである。クリッターとは高空に生息するとされる謎の生命体の名前であり、不定型な姿をしている。目撃情報は多数存在し、ビデオ、カメラに収められたこともしばしばである。


次回予告

 聡美「さぁ〜って、次回の「Predawn」は〜っ♪」

 小島「小島です」

 聡美「なぁんだ、小島さんかぁ」

 小島「なんだってのはなんなんだよ!? ・・・まあいいか。予告でまで
    騒ぐのはやめにしよう。そんなことよりもさ、ちょっと金貸してくれよ」

 聡美「はぁ? なにそれ? よく予告で金貸してくれなんて言えますね」

 小島「しょうがねえだろうが。ちょうどよかったんだから」

 聡美「却下。私だって、来週ヘルメスのスニーカーの限定モデルが出るん
    ですから、資金は温存しておかないといけないんです」

 小島「そこをなんとか! 十万でいいんだ!」

 聡美「なおさら却下! 何に使うんですか? そんなお金」

 小島「お前と同じで趣味だ、趣味。ギターの限定モデル」

 聡美「聞く耳持ちません。お金に困ってるっていう近況報告は済ませたん
    ですから、さっさと次回のタイトル言っちゃってください」

 小島「ちぇっ・・・。次回、「第5話 機械仕掛けの恋心」」

 聡美「それでオッケー。お金は貸してあげられないけど、これならどうぞ」

 小島「あ、あんパン・・・? うわっ!? んがぐぐ!」

 聡美「上出来上出来。それじゃあ次回も見て下さいね〜!」


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