ヒィィィィィン・・・

 大きなガラスの張られた窓の向こうを、大型の反重力旅客機が反重力エンジンの静かな音をたてながら、徐々に高度を増していく。そんな様を背景に、老若男女、それに様々な人種の人々が、ロビーを行き来する。その多くは、大きな旅行カバンを手にしていた。新東京国際空港。宇宙時代になってもなお、日本初の国際空港はその地位を維持していた。日本に着いた者、日本を離れる者。このロビーには、今も昔もそんな人々の思いが交錯している。

 カッカッカッカッ・・・

 そんな人々の中を、美しい青いストレートロングの髪を揺らせながら、一人の女が走り抜けていく。実年齢はそれほどではないのだろうが、知性の輝きをたたえる切れ長の目、それに理知的な顔立ちは、彼女をしっかりとした大人の女性に見せていた。格好こそ飾り気のない白いコートに身を包んでいたが、彼女の外面、内面から発散されるような魅力は、生彩を放つに十分なものだった。彼女を知る人間ならば、彼女がこのように少し取り乱したような様子を見せながら、前だけを見ながらロビーの人混みの中を駆け抜けていく姿は、珍しく映ったに違いない。やがて・・・彼女は、あるところで停まった。

 そこは、いくつもある搭乗ゲートの一つであった。ゲートの上に掲げられている電光掲示板には、それがロンドン・ヒースロー空港行きの飛行機の搭乗ゲートであることが示されていた。すでに搭乗が開始されたらしく、出国手続きを終え荷物を預けた乗客達が、ゾロゾロと列を作って乗り込んでいく。

 「・・・」

 彼女はわずかに乱れた息を整えながら、その人の列を凝視した。が、なかなか目的の相手が見つからず、次第に焦りが募っていく。と・・・

 「!!」

 彼女は見つけた。グレーのロングコートに身を包んだ青年の姿を。少し伸ばした灰色の髪を後ろで束ねた、端正な顔立ちに銀色のフレームのメガネをかけた青年の顔が、人混みから少しだけのぞいたのだった。それを認めると、彼女は思わず叫んでいた。

 「匠っ!!」

 その大きな声に、ロビーの多くの人の目が彼女に集中した。それは、青年も例外ではなかった。が、彼が彼女に向けた表情はまもなく流れる人混みに隠れ、見えなくなってしまった。

 「・・・」

 再び悲しい表情になり、彼女は人の列を黙って見つめるしかなかった。その時である。

 ヒュッ!

 「!」

 突然、人の列の中から何かが彼女に向かって飛んできた。慌てて彼女は前に走り出て、それをキャッチした。

 「これは・・・」

 それは、布に包まれた四角い物体だった。彼女が注意深くそれをといていくと、中からは、一冊の古びた本があらわれた。茶色の革張りの表紙の本で、表紙には「A Scandal in Bohemia」と書かれていた。

 「・・・!!」

 彼女はそれを見るなり、再び視線を搭乗ゲートの人の列に戻した。だが、すでに多くの人が搭乗を完了しているらしく、その人の列はだんだんと少なくなっていく。やがて・・・最後の一人が搭乗を終え、ゲートは職員によって閉鎖された。

 「匠・・・」

 彼女は小さくそうつぶやき、悲壮な表情で本を胸に抱きうつむいた。




第7話

〜October〜

霧の街から来た男


 「・・・っ・・・」

 カーテンの隙間から薄く朝日が射し込む部屋の中で、彼女は目を覚ました。ベッドから半身を起きあがらせ、窓際に置かれている時計に目をやる。午前6:52。いつもどおり、念のためにセットしてある目覚まし時計よりも早く、目を覚ますことができたようだ。

 「・・・またあの夢・・・」

 美しい青いストレートロングの髪をかきあげながら、彼女はつぶやいた。

 「・・・」

 彼女はしばらくそのままの姿勢でじっとしていたが、やがてベッドから降りた。白いパジャマの衣擦れの音が、静かな部屋の中に響く。彼女はクローゼットを開けると、まずスーツ姿に着替えた。そして、キッチンへと進み、朝食を作り始める。

 東京都SMS第1小隊副隊長、仁木葉子の一日は、いつものように始まった。





 プシュー・・・

 空気音がして、隊員オフィスの自動ドアが開いた。

 「おはよう」

 「おはようございます・・・」

 いつものように着崩れ一つない制服に身を包んだ仁木が入ってくると、自分の席についていた早番の亜矢は顔を向けて会釈した。左手には湯気のたつコーヒーカップ、右手には年代物とおぼしき書物と、早番業務を終えて完全にくつろいでいる様子だった。

 「「Discovery of Witchcraft」・・・「魔女術の暴露」?」

 「中世の魔女裁判の違法性について・・・16世紀のイギリスの著作家が書いた本です」

 「相変わらず勉強熱心ね」

 本の表紙を見て苦笑する仁木の目に、亜矢が読み終わったと思われる、彼女の机の上に置かれている新聞が入ってきた。

 「あ、今日はまだ読んでなかったわね・・・。何か気になる記事はあった?」

 「物騒なものはありませんでしたが・・・注目すべきものはあります・・・」

 そう言って亜矢はコーヒーカップを置き、ある記事を指さした。仁木はそれを手にとって読む。

 「ロンドン警視庁、特殊部隊設立を表明・・・?」

 見出しに書かれている文字をそのまま読んで、仁木は目を見張った。

 「私達と同じような運用思想の特殊部隊は・・・二年前にアメリカ・・・去年フランスでも設立されましたからね・・・。同じような治安維持組織が・・・イギリスで設立されるとしても・・・不思議ではないでしょう。具体的にどんなものになるか・・・少し、楽しみですね・・・」

 「そうね・・・」

 亜矢の言葉に応える仁木の様子は、どことなくうわのそらだった。





 霧に煙る街の中を、その黒塗りのエアカーは、滑るように進んでいく。道路沿いに見える建物は、世界の他の大都市と同じく金属質な感じのするものであったが、それでもこの街は、古き良き時代の様子を数多く留めていた。ひたすら上へ上へと伸びていったニューヨークのような街と違って、この街には古くからの歴史があるのである。エアカーを運転する青年からも、建物の間から時折ビッグ・ベンの鐘楼の姿が見えた。かつて日の沈まない国と呼ばれた、大英帝国の首都、ロンドン。こここそ、彼が暮らしている場所であった。

 やがて、彼の目の前に空にそびえ立つ大きなビルの姿が映った。彼はゆっくりとハンドルを切り、そのエントランスゲートへと車を進めていった。

 「IDカードをご提示下さい」

 ゲート備え付けの機械から、そんなメッセージが告げられる。彼は手慣れた手つきで金属製のカードを取り出すと、機械の差込口にそれを差し込んだ。

 「確認終了。お進み下さい」

 ゲートを塞いでいたバーが上がり、通行できるようになった。青年はアクセルを静かにふんで、建物の中にある地下駐車場へ車を進めた。

 青年が入っていったビルの近くには、ウェストミンスター国会議事堂の姿が見られる。そして、ゲートには「Scotland Yard」の文字があった。





 コンコン

 「尾崎です」

 「入りたまえ」

 金属製の自動ドアが多くのヤード内で、その部屋のドアは立派なマホガニーで作られていた。金属製のドアプレートには、「Superintendent Weridge」と記されていた。

 「失礼します」

 部屋の中に入った彼は、目の前の机にいる人物に、そのスーツ同様一分の乱れもない仕草でビシッと敬礼をした。

 「尾崎匠警部、命令により出頭しました」

 「楽にしてくれ」

 その言葉に、彼は敬礼の体勢を崩し、男の前に進み出た。

 「遅かったな?」

 「途中でストライド警部につかまりまして・・・。ご存じでしょう? 警部に先週女の子が産まれたのは。写真をさんざんみせびらかされましたよ」

 「なるほど。まあそれはいいとして・・・早速だが、辞令を読み上げよう」

 「はい」

 尾崎は再び直立不動の体勢をとった。それに小さくうなずき、男は一枚の書類を読み上げ始めた。

 「・・・辞令。尾崎匠警部。10月14日付をもって、日本・東京都特機保安隊第1小隊への二週間の研修を命じる」

 「拝命します!」

 再び敬礼をする尾崎。

 「休め。確認してくれ」

 そう言って、男は辞令の書かれた書類を尾崎に手渡した。尾崎はそれに目を通すと、彼に返した。

 「問題に思うところはありません」

 「よろしい。たしかに伝えたぞ。・・・そこにかけてくれ」

 そう言って、やや和やかな顔になって、尾崎の直接の上司であるウェリッジ警視は近くの応接用のイスを彼に勧めた。尾崎がそれにうなずいてイスにかけると、彼もテーブルを挟んで向かいに座った。

 「・・・急な話で、驚いたのではなかったかね?」

 彼はそう切り出した。

 「そうですね。特殊部隊の設立についてはぼくも、あつかましくもいろいろと意見を出させていただきましたが・・・自分がこの役に選ばれるとは、思ってませんでした」

 「誰をこの役に選ぶのか、やはり最後までもめたよ。うれしいことに最近のスコットランドヤードには、君のような優秀な人材が続々と入ってきているからな。しかし・・・会議の結果は、やはり君を行かせるべきだというものになった。日本が君の故郷だということを差し引いても、君はこの役目を引き受けるにふさわしい人間だ。上の人達も、そう判断してくれたよ」

 「恐れ入ります」

 「君の役目は、現在世界に三つある新体制治安維持組織の中でも、世界に先駆けて設立され、とりわけ多くの業績を上げている日本のSMSに赴き、しっかりとそのノウハウを学んでくるという重要なものだ。君が学んで持ち帰ってくることが、我々スコットランドヤードの特殊部隊「アーサリアン」をどのような姿にするかを決めるといっても、過言ではあるまい。大変な役目だが・・・」

 「もちろん、立派につとめてご覧に入れます。国王陛下のお顔に泥を塗らないためにも・・・」

 「フ・・・さすがに、それはおおげさだな」

 「確かにぼくは日本人ですが・・・日本には「郷に入りては郷に従え」という諺がありましてね。スコットランドヤードで働いている以上は、国王陛下とロンドン市民のために働くという気持ちは警視と変わりないと思っていますが」

 ウェリッジは小さく笑った。

 「いい心がけだ・・・あとで我々がもつSMS関係の資料を回そう。目を通しておいてほしい」

 「もちろんです。しかし・・・その必要は、ないかもしれませんね」

 「どういうことだ?」

 尾崎はその言葉にはこたえず、持っていたブリーフケースから一つのディスクと携帯端末を取り出した。彼がディスクを端末に入れて操作を行うと・・・画面には、膨大な量のデータが次々と表示されていった。そのほとんどは、SMSのこれまでの出動記録のようであった。

 「これまで個人的に集めたものです」

 「なるほど・・・。さすがに、いれこむだけのことはある。しかし、なぜここまで?」

 「憧れてるんですよ。かっこいいじゃないですか」

 子どものように屈託のない様子で、尾崎は言った。ウェリッジは苦笑すると、話題を変えた。

 「聞くところによると・・・ここに来てから一度も、日本には帰っていないそうじゃないか?」

 「帰る予定があったことは何度もあったんですけどね。そのたびにヒースロー空港のハイジャック事件やら、証券取引所へのサイバー攻撃やら、大きな事件が重なって・・・。バッドタイミングの連続で、帰れないまま今日に至ってるわけです」

 「それは気の毒な話だな。しかし、今回はその心配をすることはない。君は今回の仕事を、何にもまして優先させること。その間にロンドンで何が起ころうと、君は集中して自分の仕事にあたるように。わかっているね?」

 「ジャック・ザ・リッパーの事件のようなことが起こっても、ですか?」

 「もちろんだ。君の使命は、あんな事件が起こった場合でも速やかに解決するためのスペシャリスト集団を作るためのものなのだから」

 「プレッシャーを感じますね」

 そう言って、尾崎は小さく笑った。

 「ところで・・・これは個人的な話だが・・・」

 「なんです?」

 ウェリッジは腕組みをして言いにくそうな様子を見せたが、やがて言った。

 「・・・実はだな。来月、30年目の結婚記念日が来るのだが・・・」

 「それはおめでとうございます」

 「うむ。それでなんだが・・・今まで家を空けることが多く、妻には苦労ばかりかけてきたからな。指輪でも贈ってやろうと思っているのだが・・・」

 「結構な話じゃないですかそれがどうかしたんですか?」

 「あ、ああ・・・。実は、恥ずかしい話だが・・・長いこと、妻や娘に贈り物などしたことがないのだよ。喜んでもらえないものを贈るわけにはいかないが、品を選ぶ自分のセンスに自信がもてなくてね」

 「そんなことはないでしょう。どんなものでも、感謝の品として贈られればうれしいはずです」

 「そうだといいが・・・喜んでもらうにしても、とびきり喜んでほしい。そこで、指輪を選ぶのに君にもつきあってもらいたい」

 「それはかまいませんが・・・ぼくは男ですよ? 女の人に相談した方が・・・」

 「妻を驚かせたいからな。身内も含めて、妻の周りにいる人に相談はできんし・・・。もちろん課の女性達にも相談したが、口を揃えてそういうことなら君が適任だと言ったんだ。なんでも、クリスマスに結構なものをプレゼントして回ったとか」

 「純粋に感謝の品ですよ。変な下心はありません。限られた給料の中からいいものを選ぶのに苦労しましたけど」

 「それだよ。その目利きの腕を見込んで、君にお願いしたいんだ」

 「はあ・・・。それはまあ、かまいませんよ。部長のお願いですし」

 「そう言ってもらうと助かる。ありがとう」

 「ただ、その代わりといってはなんですが・・・」

 「何かね? もちろんお礼なら、それなりのかたちでするが・・・」

 「いえ。ただ、SMSの皆さんのところにお世話になるのに、手ぶらで行くのはよくないと・・・。あれ、少しゆずってもらえませんか? 以前部長のティーパーティーにお呼ばれしたときに出された、シロルの特級葉」

 尾崎はそう言って、屈託のない笑みを浮かべた。





 「教育実習? 何ですか、そりゃ」

 それから数日後。先ほど小隈が発した言葉に、小島が素っ頓狂な声を出した。

 「教育実習みたいなもん、ということだ」

 小隈はいつもののんびりした調子で、隊員達の顔を眺めた。

 「新聞でも発表されていることだが・・・俺達と同じような特殊部隊が、イギリスのロンドン警視庁、スコットランドヤードで設立されることになった。それについては、もちろん知っているな?」

 全員がうなずくのを確認し、小隈は続けた。

 「そういうことになったわけだが・・・「徒然草」の坊さんの話じゃないけど、何事にも先達はあらまほしきなりけり、というわけでね。来るべきロンドン警察新特殊部隊に必要なノウハウを勉強するために、光栄にもうちがそのモデルケースとして選ばれた。そういうわけで、刑事さんが一人、うちに勉強しに来ることになったから、仲良くしてもらいたい」

 「へえ。アメリカやフランスにもうちみたいな部隊があるっていうのに、わざわざうちを勉強先に選んでくれるってのは、光栄ですね。まあよそと大した差があるわけじゃないけど、一応一番歴史が古いし。老舗っていえば老舗ですよね」

 「明治の頃は・・・日本も国造りのために・・・なにかとイギリスを参考にしたらしいからね・・・。そのことを思えば・・・たしかに鼻が高いかもしれない・・・」

 それぞれ自分なりに喜ぶ小島と亜矢。しかし、

 「でも・・・その人が俺達の働きぶりを見て学んだことが、その特殊部隊に反映されるってことでもありますよね? 恥ずかしい失敗とか、絶対にできないな・・・」

 と圭介。

 「お手本にならないといけないんですよね・・・。そう考えると、なんだか緊張しちゃいます」

 「なんかプレッシャー・・・。教育実習っていうより、授業参観みたい」

 その言葉に、少し緊張を見せるひかると聡美。そんな彼らに、微笑を浮かべて仁木が言った。

 「そう固くなるものじゃないわよ。私達の実績は、私達が普段通りに努力することで生まれてるんだから、いつも通りにしていればいいの。変に意識したせいでミスをする方が、よっぽど怖いわ」

 「仁木の言うとおりだ。先方もいつも通りの我々を見て学びたいと言ってきている。授業参観と同じで、変にいいかっこしようと思って張り切ると失敗するぞ。まあ、お手本にされることを光栄にだけ思って、あとはいつもどおり、気を引き締めながら楽にしてればいいんだ」

 「今の言葉、その人が聞いたら呆れるかもしれませんね」

 苦笑しながら圭介が言った。

 「隊長・・・それで、その人はどのくらいの間・・・ここに滞在するのですか・・・?」

 亜矢の質問に、小隈はうなずいた。

 「うん。一応、二週間の予定だそうだ」

 「二週間? ちょっと短すぎやしませんか? たった二週間で完璧に分かるほど、俺達は底が浅いとでも思ってるんですかね?」

 「そう怒るな、小島。たしかに二週間というのは短いが、ロンドンも物騒になりつつあるらしい。むこうも早いところ特殊部隊を設立したいんだよ。もちろんこっちにくるのも、二週間でうちのノウハウを吸収する自信のある人材だ」

 「ハーイ、隊長! ずっと気になってましたけど、その教育実習の先生っていうのはどんな人なんですか?」

 聡美が元気よく手を上げる。

 「当然の質問だろうな。もちろん、だいたいの資料は受け取っている。見せよう」

 そう言って、近くにある端末を操作する小隈。すると、メインモニターに一人の青年の顔写真と、簡単な経歴が表示された。だが・・・

 「!?」

 それを見て、たった一人、一瞬だが大きく驚いた人物がいた。しかし、他の隊員達はモニターに集中していたため、彼女の動揺は彼らに気づかれることはなかった。

 「へぇ〜、かっこいい人じゃない」

 聡美がそんな感想を口にした。モニターの中には、整った顔立ちをした灰色の髪の青年の姿が映っていた。

 「日本人・・・なんですか?」

 一方、圭介は意外そうに言った。青年は明らかにイギリス人ではない。ロンドン警視庁からやってくる刑事が現地の人間でないというのだから、感想としてはこちらの方が普通だろう。

 「尾崎匠、26歳。山梨県甲府市出身。2082年、東京・帝洋大学文学部を卒業。同年、警察学校に入学し、2083年これを卒業。いずれについても成績は優秀。警察学校卒業後、ロンドン警視庁の採用試験に合格。緊急対策課に配属され、以降同課でめざましい業績をあげている。捜査を担当した事件は、2084年のヒースロー空港・シルダビア首相専用機ハイジャック事件、2086年のロンドン証券取引所サイバーテロ事件など」

 手元の経歴を読み上げる小隈。

 「めちゃくちゃエリートじゃないですか」

 「副隊長や亜矢さんならともかく・・・あたしたち、そんな人と話あわせられるかな?」

 怪訝そうな顔をする小島と聡美。

 「心配することはないだろう。写真の方はけっこうすましてるが、実際はなかなか面白い人らしい。案外お前達の方が、意気投合できるかもしれないぞ」

 それを和らげるように、小隈が言った。

 「とにかく、実際にお迎えしてみないとどういうことになるかわからない、ってことですよね。その人が来るのは、いつになるんですか?」

 「ちょうど来週。お前達もそのつもりでいた方がいい」

 圭介に対する小隈の答えに、全員が小さくうなずいた。

 「あの・・・歓迎のご用意とかは、どうしましょう?」

 ひかるがおずおずと手を上げた。

 「そうだな・・・。当日は空港への出迎えなんかはしなくていいと言っていたが・・・やっぱり、そっちはやった方がいいだろう。それについても、お前達に任せる。お祭り騒ぎはお前達の方が得意だからな。あんまり羽目を外さないようにしろよ」

 「わかりました」

 「やっぱり、第一印象が大事だからね。第一小隊を好きになってもらえるように、みんなでがんばろー!!」

 「なんでお前が仕切ってんだよ・・・」

 小島が冷静につっこむ。

 「まあ、今日の朝礼で伝えることはそれくらいだ。浮ついた気分にならないように、各自気を引き締めて今日もがんばるように。以上だ」

 「よろしくお願いします!」

 全員の声が、朝のオフィスに響く。そして、今日も第一小隊の一日が始まった。

 「副隊長・・・この間の報告書を・・・持ってきましたが・・・」

 亜矢が報告書を持って、仁木の前に立った。しかし・・・

 「・・・」

 仁木はなにか考えているように、机の上に視線を落としていた。しかし、すぐに我に返り、亜矢の顔を見る。

 「ご、ごめんなさい。ちょっと考え事していて・・・」

 「いつもの副隊長らしく・・・ありませんね。悩み事があるのなら・・・私でよければ相談に乗りますが・・・」

 「大したことじゃないわ。ごめんなさい、気を使わせちゃって」

 「それなら・・・いいのですが・・・」

 亜矢はそう言うと、自分の机に戻っていった。仁木は報告書を持ったままため息をついたが、すぐに顔を引き締め、自分の仕事に集中し始めた。





 それから二日後のこと。

 「それじゃあ、お先に失礼します」

 圭介と小島がオフィスの面々に会釈をする。今日のナイトシフトは第3小隊の担当であるため、彼ら第1小隊は比較的早くに寮へ帰宅することができる。中でも圭介と小島の二人は、17時の勤務明けとともに帰宅することができた。もっとも、第2小隊だけでは手に負えないような非常事態が起これば、たとえ深夜だろうと飛び起きなければならないのだが。

 「はい、ご苦労さん。あ、そうだ。頼み事をしていいか?」

 去ろうとする二人を、思い出したように小隈が呼び止めた。

 「何でしょう?」

 「ひょっとしたら、寮の玄関に荷物が届いているかもしれない。もしそうだったら、この鍵で部屋を開けて中に運び込んでくれ」

 そう言って小隈に渡されたカードキーを見て、圭介は怪訝そうな顔をした。

 「104号室? 俺の部屋の隣じゃないですか?」

 「そういうこと。事情はあとで説明するから、とりあえず頼むわ」

 あっけらかんとした口調で頼まれ、首を傾げながら二人は出ていった。





 そして数分後。寮の玄関に着いた二人の目の前には、宅急便が置いていったと思われる数箱の大きな段ボール箱が置かれていた。

 「ほんとにありましたね・・・」

 首を傾げながら、二人はその段ボール箱に近づき、差出人の名前を見た。

 「! 尾崎匠って、たしか・・・」

 「ああ。今度うちにくる教育実習の先生だよな?」

 二人は顔を見合わせた。

 「その人の荷物がここにあって、しかも空き部屋になってる俺の隣の部屋に運んでおけってことは・・・ここに住むってことですか!?」

 「そうとしか考えられねえだろ・・・。たった二週間だってのに、俺達と一緒に寝起きまでしたいなんて・・・こりゃあ、本気で俺達について隅から隅まで知り尽くそうと気合い入れてるみたいだな」

 「・・・にしては、荷物が少ないですね・・・」

 「うちは半分公共組織の割には、福利厚生が充実してるからな。寮にはもとからいろいろな家具とか電機が置かれてるし・・・。2週間暮らすのに必要なものだけ用意すりゃいいんだろう。こっちの箱は衣類、これは・・・食器類だな。他のは身の回りの品らしい」

 箱に書かれている文字を見ながら、小島が言った。

 「隊長もちゃっかりしてるね・・・。これ運ばせるために、今日の5時の勤務明けを俺達にしたんだぜ、きっと」

 「しょうがないですよ。なんだかんだ言っても、荷物運びみたいな仕事は男向きの仕事だし。それにこれくらいの荷物なら俺達だけでも大してかかりませんよ」

 「ま、そりゃそうだろうがな。とりあえず運び込むのだけが仕事だ。さっさと終わらせて、ビール飲もうぜ。とりあえず、俺はこれ運ぶからお前そっち頼むわ」

 「それ割れ物ですよ。気をつけてくださいね」

 「わかってるっての」

 思い思いに荷物を抱え、二人は寮の中へと入っていった。





 それから5日が経った。いよいよ、スコットランドヤードからの「教育実習生」がやって来る日である。

 「うーん・・・」

 寮の玄関の前で、白いランニングウェアに身を包んだ圭介が大きく体を伸ばしていた。お客が来る日だろうとなんだろうと、日課である早朝ランニングに変わりはない。と、そこへ

 「おはよー!」

 後ろから元気な声がした。振り返ると、寮の中からグレーのランニングウェアの聡美が走り出てきた。

 「あ、おはようございます」

 「うーん! 今日も清々しい朝だねぇ! さって、準備体操準備体操」

 そう言って、圭介と並んで準備体操を始める聡美。いかにも元気が有り余ってるらしく、必要以上にオーバーでスピードの速いアクションである。

 「さて、と・・・それじゃあ今日もこのあいだと同じように、海上区二周レースで勝負よ!」

 ビシッ!と人差し指を圭介に向ける聡美。

 「望むところですよ。このあいだと同じように、今回も俺が勝たせてもらいますから」

 「甘いよ! いつまでも負けてるあたしだと思ったら大間違いだからね」

 そう言いながら、スタートラインとしている寮の門まで歩いていく二人。そこまで着くと、二人はスタートの姿勢をとった。

 「それじゃいくよ。位置について、よーい・・・」

 スタートダッシュに賭ける緊張感が最高潮に達した、その時だった。

 「それ、ぼくも参加させてもらおうか」

 「「!?」」

 ふいの背後からの声に、二人は思わずスタートのタイミングを外して前にのめった。驚いて振り返ると、そこには・・・

 「や、初めまして。今日からお世話になるよ」

 そこには、黒のランニングウェアに身を包んだ、やや伸ばした灰色の髪をもつ青年が、二人ににこやかな笑顔を向けて立っていた。

 「え・・・ええっ!? ひょっとして・・・尾崎さん!?」

 驚く圭介に、青年は笑顔でうなずいた。銀のフレームのスポーツタイプのメガネと、やや伸ばした後ろ髪を紐で結わえているのが印象的だ。

 「そう、尾崎匠だ。今日からご厄介になるよ。ええと・・・君が新座君で、君が岸本さんだったね? よろしく」

 「は、はい・・・」

 「よろしく・・・」

 そう言って差し出した手を、圭介と聡美は戸惑いながら握った。

 「いやぁ、やっぱり日本は暖かいねえ。ロンドンは十月ともなると、けっこう冷え込んでね・・・」

 「そんなことより、どうしてこんなところに?」

 「どうしても何も、研修視察は今日からじゃないか」

 青年はこともなげに言った。二人はその答えに呆気にとられたが、やがて質問を続けた。

 「いや、たしかにそうですけど・・・なんでこんな朝早くから?」

 「それに、いつのまにここに来てたんですか? そんなかっこにまで着替えて・・・」

 「昨日の真夜中、君たちを起こさないようにそっと自分の部屋に入ったのさ。ああそうだ。ぼくの荷物を運び込んでもらったみたいで、ありがとう」

 「はあ・・・」

 「小隈隊長から、君たちが早朝ランニングをやってると聞いてね。こりゃぼくも参加しない手はないって思って。とりあえず荷物の中からランニングウェアだけ引っぱり出したんだ。もちろん、参加させてくれるよね?」

 どうやら、おそろしくマイペースな人物らしい、と二人は思った。断ってもこの人は勝手についてきてしまうだろう。もちろん、断る理由もないが。

 「それはいいですけど・・・」

 「大丈夫ですか? こう見えても私達、かなりペース早いですよ」

 ちょっと余裕が出てきたのか、少し挑発的な態度をとる聡美。しかし、それに対しても尾崎は笑顔で返した。

 「こう見えても、ぼくも足にはちょっと自信があってね。お互いに、お手並み拝見といこうよ」

 尾崎は余裕満々だった。先ほどまで尾崎のマイペースぶりに唖然としていた二人も、こうなってくるとファイトが沸いてくる。

 「わかりました。それじゃあ、全力でいきますよ」

 「そうこないとね。それじゃあ、ぼくも並ばせてもらおう」

 そう言って、尾崎は二人と同じスタートラインに並んだ。

 「でもレースするのはいいですけど、道わかってるんですか?」

 「だいたいね。ここから海沿いの道に出て海上区を二周。スタートもゴールも、ここでいいんだね?」

 「それだけわかってれば十分ですよ」

 「用意はいいですか?」

 「ああ、いつでもOKだ」

 「それじゃあいきますよ。よーい・・・ドン!!」

 ダッ!

 こうして、3人のレースは始まった。





 それから、約45分後。

 ダダダダダダダダダダダッ!

 第1小隊の隊員寮めがけて全速力で走ってくる、二つの影があった。

 「クッ・・・!」

 そのうちの片方が、ラストスパートとばかりにその勢いを増した。徐々に、併走していた人物との差が開いていく。そして・・・

 ダッ!

 彼は、第1小隊の寮の門を通過した。ペースを落としながら、徐々にスピードを落とし、彼は止まった。

 「ハァ、ハァ、ハァ・・・」

 肩で息をしながら、彼は後ろを振り返った。後ろでも同じように、ランニングウェアを着た男が息をついていた。しかし、やがて彼は息を整えると、こちらへと歩いてきた。

 「いやぁ、さすがに鍛え抜いてるねぇ。特にラストスパート。あれじゃあ追いつけないよ」

 荒い息をしながらも、尾崎は笑顔を崩さず言った。そんな彼に、圭介も笑顔で返した。

 「いや・・・失礼ですけど・・・尾崎さんが・・・ここまでやるとは・・・思っても・・・みませんでしたよ・・・」

 合間合間に息をつぎながら、圭介は言った。そんな彼らのもとへ、少し遅れて聡美がやってきた。

 「ハァ、ハァ・・・。ふへぇ〜・・・」

 情けない声をあげて、バタンキューという感じで彼女は地面の上に大の字に転がってしまった。

 「大丈夫ですか? 聡美さん」

 そんな彼女を、二人が少し心配そうに見下ろす。聡美は力なく笑った。

 「ハハ・・・やっぱり男の人にはかなわないかな・・・。全然追いつけなかったよ・・・。尾崎さんもすごかったけど・・・新座君て、あんなに速く走れたんだね」

 「いやあ・・・火事場の馬鹿力ってやつです。どっちが先につくかで無我夢中になっただけですから、普通じゃあんな力は出せませんよ」

 「それに、岸本さんもすごいペースだったよ。びっくりした。さすがはSMS。実働員だけじゃなく、普段最前線には立たないメンバーまでいざというときに備えてここまで鍛えてるとはね。最後にものをいうのは体力っていう考え方が浸透しているってわけだ」

 感心したように尾崎が言う。明らかに過大評価な彼の感想を聞いて、二人は慌てた。

 「そ、そんなことありませんって!」

 「あたしたちはただ、好きで早朝トレーニングしてるってだけで・・・」

 しかし、尾崎は笑顔を崩さなかった。

 「いやぁ、おかげで早速こんな朝早くからいい汗を流すことができたよ。ついでに、SMSの皆さんの実力の一部もかいま見れたし。はじまりのはじまりからこんなに実のある体験ができるなんて、終わる頃には想像もつかないほどいろいろなことを勉強できるだろうなあ。ますます楽しみになってきたよ。ありがとう」

 「は、はあ・・・どういたしまして・・・」

 二人はそう言うしかなかった。

 「さて・・・それじゃあ、部屋に戻ろうかな。このランニングウェアを出しただけで、まだ箱の中に出してない荷物がたくさんあるし・・・。それじゃあ、お先に失礼するよ。ランニングにつきあわさせてもらって、本当にありがとう。朝礼の時に、また」

 そう言うと、尾崎は楽しげに寮に向かって歩いていき、あとには取り残されたように呆気にとられた圭介と聡美が残された。

 「どういう人なんでしょうね・・・」

 「とってもマイペースな人だってのはたしかね。それ考えると、誰かさんに似てると思わない?」

 「・・・隊長ですか?」

 聡美は黙ってうなずいた。たしかに、彼らの隊長である小隈も、時として彼らを呆気にとらせるような言動をとる。

 「でも、あれは隊長以上ですよ・・・」

 「そうだね。でも、悪い人じゃなさそうだし、少なくとも体力的にはただ者じゃないってことは、さっきのランニングでわかったし・・・なんとかなるんじゃないの?」

 「たしかに、少なくともこっちの迷惑になりそうなことはしなさそうですよね。けど・・・2週間かぁ・・・」

 悪い人ではなさそうだが、彼の言動にはこれからも振り回されることになるかもしれない。それを思うと、二人は少し不安の混じった複雑な笑みを交わし、黙って寮へと戻っていった。





 「よろしいでしょうか?」

 「どうぞ」

 ドアの向こうの声に、小隈が答える。すると、ドアが開き・・・

 「わあ・・・」

 ひかるが小さく声を挙げる。そこには、第1小隊の制服に身を包んだ尾崎が立っていた。

 「制服のサイズはどうです?」

 「はい、ピッタリですよ」

 「よく似合ってますよ」

 「ありがとう」

 口々に声を掛ける隊員達。しかし、それを小隈が遮った。

 「はいはい。まずは挨拶が先だ。尾崎君、こっちへ」

 「はい」

 小隈に呼ばれ、尾崎は彼の隣に立った。

 「・・・というわけで、今日から2週間、お前達と一緒に勉強してもらうことになった、教育実習生の・・・」

 「尾崎匠です! よろしくお願いします!」

 「教育実習生」という妙な紹介をされたことなど全く介することのない様子で、目の前に居並ぶ第1小隊の隊員達に元気よく挨拶をした。それを見た圭介と聡美は、やはり同じマイペース同士、波長が合うのかもしれないとそれぞれ思った。

 「・・・さて、まずは君の机だが・・・あれだ」

 そう言って、小隈はオフィス内に置かれている一つの机を指さした。通常、オフィスの中には七つの机が置かれている。すなわち、まるで円卓のように円形に並べられている隊員用の六つの机と、そこから少し離れた窓際に置かれている隊長用の机である。今はそれとは別に、「円卓」から少し離れた場所にもう一つの机が置かれていた。

 「悪いね。本来なら君もあの円卓に加えたかったが、あれは六つできれいな円になるようにデザインされているんだ。そういうわけで、予備の机をあそこに置くしかなかったんだ」

 「かまいませんよ。二週間だけいる人間のために、机を注文する必要なんてありませんからね。それよりも・・・位置は少し離れていても、ぼくはあの円卓に加えられていると思ってもよろしいのですね?」

 それを聞くと、小隈はニヤリと笑った。

 「もちろんだとも。我々は君を歓迎する。その代わりに・・・君には部下に対するものと同じ責任と義務を果たすことを期待する。よろしいか?」

 その言葉に、彼も小隈と同じ様な笑みを返した。

 「客としてではなく、部下として扱ってもらって結構です」

 「そう言ってもらうと助かる。お前達も、勤務中は仲間としての敬意を持って彼と接するように」

 「了解!」

 隊員全員が敬礼をした。

 「さて・・・自己紹介も終わったことだし、新人が来たときと同じように、まずはここの案内から始めるとするか・・・」

 そう言うと、小隈は隊員達を眺めて言った。

 「服部、彼の案内を頼めるか?」

 それに一瞬ひかるは戸惑ったが、すぐに返した。

 「はい! ご案内します」

 「ありがとう。エスコートつきでSMSの中を歩き回れるとはうれしいですね。それでは、失礼します。服部さん、お願いします。あ、そうだ」

 何かを思いだしたように声をあげると、彼は自分の机の上に置いてあった箱をひかるに手渡した。

 「ぼくの上司から、皆さんへのプレゼントです。最高級のシロルなので、お茶の時間に使って下さい」

 「わあ! ありがとうございます! 途中でキッチンにしまっておきましょう」

 「ええ。それじゃあ、いってきます」

 尾崎は隊員達に敬礼すると、ひかるのあとについてオフィスを出ていった。

 「・・・」

 オフィスの中は静かだったが、音もなく緊張がゆるむのが全員にわかった。

 「どうだ? 面白い青年だろう?」

 ややホッとしている隊員達に、小隈はニヤニヤしながら言った。

 「面白いというか・・・ちょっと変わってますよね」

 圭介が言った。

 「いきなりお前達の早朝ランニングにつきあったんだろ? やる気満々だよなあ」

 「ほんと、あれにはビックリしたよねえ、新座君」

 「ええ。しかも、危うく抜かされるところでしたよ」

 「そりゃあそうだろう。スコットランドヤードを代表してやって来たんだ。お前達と十分張り合えるだけの実力の持ち主にきまってるじゃないか」

 当然とばかりに、小隈が言う。

 「ええ。体力的には申し分ないと思いますし、この間紹介されたプロフィールでも、実際の捜査でも大活躍していることはわかります。でも・・・、なんていうか、普段の様子じゃそれほどすごい人には見えないんですよねえ」

 圭介の言葉に、聡美もうなずく。

 「人は見かけによらないっつーからな。現に隊長だって、普段はのんべんだらりんとしてるけど・・・」

 「小島、何か言ったか?」

 いつになく真剣な目で小隈ににらみをきかされ、小島は慌てた。

 「あ、いえ、なんでもありません!」

 「ですが・・・隊長に似ているのなら・・・いざとなったら大活躍ということも考えられますね・・・」

 亜矢は小島が言おうとしていたことを、もう少し穏やかな言い方で言った。今度は小隈も、何も言おうとはしなかった。

 「まあ、お手並み拝見というところだな。当分は彼には我々の仕事を見学してもらうが、そのうち実際の任務にも参加してもらう」

 「気になってたんですが・・・尾崎さんは、どういう役目で我々と一緒に働くんですか? 管制員としてですか? それとも、隊長代理として指揮を執るとか」

 だが、圭介の言葉に小隈は首を振った。

 「いや・・・実働員としてだ」

 その言葉に、全員が驚く。

 「じ、実働員って・・・尾崎さんも、VJを持ってるんですか!?」

 「向こうが独自開発したVJの試作機は、すでに完成しているらしい。まだ届いていないが・・・ちかいうちには、うちのガレージに届くだろう。彼がそのVJを装着して実戦データをとることも、今回の「教育実習」の目的らしいよ」

 「独自開発のVJか・・・どんなものなんだろう・・・」

 早速メカマニアとしての血が騒ぎだしたのか、圭介が目を輝かせてつぶやく。小隈達は「また始まった」と思いつつそれを眺めたが、

 「おしゃべりしてても始まらないわ。仕事を始めましょう」

 という、まとめ役としての仁木の声で、いつものように動き始めた。

 「・・・」

 その言葉を発した仁木を、それぞれ黙って見つめる小隈と亜矢の姿があった。





 「小島君、確認は終わった!?」

 「間違いありません! 残りはこの人達だけです!」

 「被災者の状況は?」

 「意識は失っていますが、体は無事です。シャッター・フィールドも展開。いつでも運び出せます!」

 仁木は小島と怒鳴りあうように被災者の確認をした。彼女は一人の女性を抱きかかえており、小島も一人の中年の男性を抱きかかえている。二人とも、意識は失われていた。

 ここは現在炎上中の高層マンション。深夜2:19。放火によるものと思われる大火災現場に駆けつけた第1小隊は、消防庁のファイヤージャケット隊とともに炎に包まれた建物からの住民の救出作業を行っていた。現在彼らがいるのは、最上階付近の地上47階。そして彼らが今抱きかかえている二人が、このマンションに取り残された最後の住人だった。

 「新座君、脱出路の確保を!」

 「了解!!」

 圭介はすぐさまバックパックから消火弾を取り出すと、炎が下から迫ってくるような階段に投げ込んだ。

 ボンッ!

 爆発音がして、炎が嘘のように静まり返る。

 「脱出!!」

 仁木の号令と共に、圭介を先頭に3人は一斉に屋上めがけて走り出した。

 ガンッ!

 熱で変形し開かなくなっていたドアを蹴破り、圭介達は屋上への脱出に成功した。しかし、炎は確実にこの屋上へも迫りつつある。冷静に周囲を見回していた仁木の目が、隣接するビルに止まった。NIBEQがたちまち彼女の思考に応える処理を行う。

 「29.8m・・・」

 網膜投影ディスプレイに表示された隣のビルへの距離を、仁木は静かにつぶやいた。

 「飛ぶわよ。全員、エネルギーを脚部に集中」

 「了解。サスペンション強化・・・」

 「エネルギー、脚部に集中。跳躍力最重視」

 亜矢とひかるの声が全員のヘルメット内に響くと同時に、力が脚にみなぎる。

 ダッ!!

 そうなるが早いか、3人は一斉に隣接するビルの屋上に向かって跳躍していた。炎に赤く染まる夜空に、白、青、赤のVJが飛翔する。

 ガチャッ! ガチャガチャ!!

 そして、それから数秒後。3体のVJは、無事にビルの屋上に着地していた。

 「指揮車へ。全員脱出に成功。これより負傷者を救急隊に引き渡します」

 「了解。ご苦労だった」

 小隈からの短い返事ののち、仁木はうしろの二人に振り返った。彼らが黙ってうなずくのを確認すると、彼らはビルの屋上から急いで階段を下りていった。





 「はい、どうぞ」

 「あ、ありがとうございます」

 仕事を終え、火災の消し止められたマンションの前に駐車している指揮車。並んで座っていた圭介とひかるに、尾崎が箱に入ったラムネの瓶を手渡した。

 「尾崎さんがこんなことすることないのに・・・」

 「いやあ、早速SMSの手際を拝見させてもらったからね。居候の身で勉強させてもらってるんだから、これぐらいはさせてくれよ」

 尾崎は笑顔でそう言った。そんな彼らの元に、現場の事後処理について消防隊の隊長と話し合ってきた仁木が戻ってきた。

 「あ、副隊長。どうぞ」

 「ありがとう・・・」

 仁木はちらりと彼を見て会釈すると、ぎこちなくラムネの瓶を受け取って近くに腰掛けた。全てのラムネの瓶を全員に渡し、自分の分もとると、尾崎は空になった箱を置いて自らも圭介の隣に腰掛けた。

 シュポッ!

 手慣れた手つきでラムネの栓を開けると、彼はそれをおいしそうに飲んだ。

 「なんだか・・・慣れてますね?」

 ひかるが不思議そうに言った。

 「子どもの頃はね。よく飲んだもんだよ」

 「どこに住んでいたんですか?」

 「一応、出身は甲府ってことになってるけどね。甲府に住み始めたのは、小学校を卒業してすぐからだった。それまではもっと山あいの小さな村で暮らしてたんだけど、毎年夏や秋になると、神社の境内でお祭りがあって・・・そのときにいつも飲んだんだ」

 「へえ・・・」

 「またここでこれを飲めるなんて、正直驚いたな」

 感慨深げに緑色の瓶を眺めると、尾崎はそれを傾けた。

 「うちの「勝利の美酒」、気に入ってもらえたようだな」

 その時、後ろからやはり瓶を持った小隈が現れた。

 「ええ。懐かしい味ですよ」

 「そりゃあよかった。これを気に入ってもらえれば、完璧にSMSの仲間入りだな」

 「光栄です」

 「それはともかく・・・我々の仕事を見た感想を、聞かせてもらおうか?」

 ラムネの瓶を飲み干し、小隈が尋ねた。

 「想像以上ですよ。これだけの困難な現場で、あれだけの手際の良さで任務を遂行できるというのは、さすがにSMSの中でも最高の部隊と呼ばれるだけはありますね。VJの性能、それを身につける実働員の能力、指揮車からの的確な情報支援・・・。どれをとっても、その全てが過不足なく結びついて、素晴らしい実績へとつながっているのでしょう」

 まさに絶賛といった感じだったが、その口調におせじらしい響きは何一つなかった。そこで彼は、少し離れたところに座っている仁木を見て言った。

 「特に・・・現場指揮官である仁木副隊長の的確な指揮ぶりには、目を見張るものがありますね。副隊長ならば、我々イギリスのSASも含めて、世界中のどの特殊部隊でも、立派な陣頭指揮を執れるでしょう」

 「スコットランドヤードの警部さんのお墨付きか。よかったな、仁木」

 仁木は嬉しそうに言う小隈に少し戸惑いつつ、尾崎の顔を見た。それに対してにっこりと笑顔を返す彼に、仁木はわずかな笑みを浮かべて

 「光栄です・・・」

 とつぶやいた。

 「隊長、撤収準備が整いました」

 指揮車の中から出てきた聡美が、小隈にそう報告した。

 「ああ。それじゃあ帰ろうか」

 「はい。それと、もう一つ。尾崎さんのVJが調整を終えて、成田に到着したそうです」

 「やっと着きましたか。結構手間がかかったみたいですね」

 聡美の報告を聞いて、尾崎が言った。

 「たぶん明日の朝一で、おやっさんたちが調整をしてくれるだろう。これで君も、我々と一緒に働けるな」

 「はい! がんばります!」

 「あ、そうだ尾崎さん。尾崎さんのVJについて、いろいろ詳しく知りたいんですけど・・・」

 「うん、もちろんかまわないさ。一応テストには関わってるから、少しは解説できると思うけど・・・」

 盛り上がる一同。そんな中・・・

 「・・・」

 仁木は尾崎を一瞥すると、黙って指揮車の中へと戻っていった。





 翌日。

 「これが・・・イギリスのVJ・・・」

 「そう。スコットランドヤードが来年発足予定の特殊部隊のために独自開発したVJ、通称「パーシヴァル」だ」

 尾崎が笑顔を浮かべて言う。彼らの目の前には、一体の黒いVJが静かに作業台に乗せられていた。第1小隊で使っているものよりも、さらに直線を多く取り入れたデザインのように見える。

 「はいよ。これがスペックデータだ」

 「すいません」

 圭介に頼まれていた楢崎が、「パーシヴァル」の各種データをプリントした紙を持ってきた。

 「・・・」

 黙ってそれに目を通す圭介。やがて、尾崎が言った。

 「君たちのVJと比較して、劣っている点や優れている点を指摘してほしいな」

 「いいんですか・・・?」

 「ああ。お世辞抜きで、率直な意見を聞きたい」

 圭介は少し考え、口を開いた。

 「・・・パワーや装甲など、いくつかの部分は明らかに俺達のVJをしのいでいますね。しかし・・・総合的に言えば、俺達のVJの方が優れているような・・・」

 「ご名答」

 圭介の答えに、尾崎は笑顔で拍手した。

 「たしかにパーシヴァルは、総合的な性能では君たちに道を譲るよ」

 「しかし・・・格別劣っているというわけでもありません。むしろ、俺達とは異なった運用法を前提において設計された結果・・・そういう風に見えます」

 「それも正解だ。このVJは、君たちのものより一つの用途に特化した傾向を持つ。ようするに・・・災害救助などよりも、犯罪鎮圧を念頭に置いているんだな」

 「どうりで・・・。それはそうと、これも気になっていたんですが・・・」

 そう言って圭介は、VJの右太股部に備え付けられているガンホルダーに収納されている拳銃を指さした。あきらかにそれは、SMSで使っているマルチリボルバーよりも大口径だった。

 「ずいぶんすごい武装ですね」

 「SASで使っている制式拳銃、MG80A2を改造した特別製のものだ。「マクシミリアンmk−2」と呼ばれている。君たちのマルチリボルバーと違って、射撃モードは実弾とショックの二つしかない。その実弾が、ちょっとね・・・」

 「口径は?」

 「9mmだ。ぼくもこんなごつい銃を持つことはないと思うんだけどね」

 尾崎は髪を掻き上げた。

 「どうしてこんな強力なパワーや銃が与えられているんですか?」

 「所変われば品変わると言ってね・・・君たちの管轄である関東地区と、ぼくたちの管轄であるロンドン地区とは、同じVJを投入すべき場所であるとはいっても、その事情がいくらか違うんだよ。守るべき街の性格が違えば、それを守るための道具も自ずと変わってくる」

 そう言って、尾崎は説明を始めた。

 「君たちの守っている関東には、非常に様々な施設が存在している。企業の研究所、化学工場、集合住宅・・・。そうした様々な施設で起きる様々な事件、事故を解決するために、君たちのVJには多彩な能力が備わっている。しかし・・・ロンドンは、君たちの担当する関東よりずっと狭い。そして、そこにある施設はほとんどが住宅街か商業施設。研究所や化学プラントなどは、ずっと郊外の街に置かれていることの方が多い。つまり、事故よりも事件の方が多い町だということだな」

 「・・・そんなに物騒な町なんですか、ロンドンは?」

 「いいや。さすがに夜にぼんやりとうろつくのはおすすめできないが、それでも住み良い街だよ。ただし・・・それは、今の状態が保てていればの話だ。世界的に進んでいる科学の急速な進歩と、それに伴うハイテク犯罪の増加。それは愛すべき霧の街、ロンドンにも着実に迫りつつある。そのために、スコットランドヤードも時代についていかなければならないんだよ」

 尾崎は「パーシヴァル」のガンホルダーに収納されている「マクシミリアンmk−2」を見つめた。

 「まあ、あんまりこいつは使いたくないけどね・・・」

 尾崎がそうつぶやいた、その時だった。

 ビーッ! ビーッ!

 突如、ガレージ内に警報が響き渡り出した。

 「出動・・・ですか」

 それにも動じず、尾崎がつぶやいた。

 「まいったな・・・こりゃ」

 なぜか、楢崎が頭をかく。

 「まいったって・・・どういうことです、おやっさん?」

 「いや・・・すまねえな圭介。お前、出られねえわ」

 「!?」

 楢崎のその言葉に、圭介は立ち上がった。

 「で、出られないってどういうことです!?」

 「警部さんのVJの調整を先にしたから、お前のVJの調整は後回しになって、今始めたばっかりなんだよ。どうやってもあと1時間はかかるなあ・・・」

 「そ、そんなぁ・・・」

 予想もつかないことに、落ち込む圭介。

 「す、すまないね、新座君」

 「いえ・・・尾崎さんが謝ることはありませんよ・・・。でも・・・」

 その時、ガレージの中に駆け込んでくる足音がいくつも入ってきた。

 「搭乗開始! すぐに出発だ」

 小隈の命令を受けて、次々に指揮車に乗り込んでいく隊員達。楢崎は彼に声をかけた。

 「すいません。圭介のVJが、まだ調整中で・・・」

 「出せませんか?」

 「すいませんねえ・・・」

 小隈は少し考えたが、やがて、作業台の上の「パーシヴァル」と、その横にいる尾崎とを交互に見て、笑顔を浮かべた。

 「おやっさん・・・このVJは、もう出せるんですよね?」

 「ええ、いつでも」

 それを確認すると、小隈は尾崎に顔を向けた。

 「行きたいかい?」

 「ええ、ぜひとも」

 尾崎はニヤリと笑い、すぐに返事を返した。

 「よし。おやっさん、すぐにこれを指揮車に運んで下さい」

 「アイアイサー」

 すぐに作業員が、モジュール毎に分解された「パーシヴァル」を指揮車に運び始めた。

 「初仕事だけど、あんまり固くならないように」

 「気を引き締めながら、楽にしてればいいんですよね?」

 「わかってるじゃないか」

 飲み込みのいい生徒でも見るかのような嬉しそうな目で、小隈は尾崎を見つめた。

 「隊長・・・出番はありませんけど、俺も行っていいですか?」

 「ああ、かまわんよ。気になるだろうからな」

 圭介を見つめる目も、それと似たようなものだった。





 ヒィィィィィィィン・・・

 静かな飛行音のする指揮車内。メンバーは皆、到着までの間に整えるべき準備に追われていた。移動中の風景としてはもはやおなじみとなったものだが、一つだけ違うことがあった。それは、装着を終えたVJが着席し待機しているシートに、本来真紅のVJを着た圭介が座っているべき場所に、黒いVJが座っていることだった。

 「通信回線のテストを行います。こちら服部。「パーシヴァル」、システムオールグリーン。尾崎さん、聞こえますか?」

 「了解。こちら尾崎、よく聞こえる。「パーシヴァル」の調子は良好だ」

 圭介の代わりに尾崎の管制作業を行うことになったひかるが、彼に呼びかけた。

 「でも、「パーシヴァル」の管制システムが私達のものと同じことには驚きました」

 「SMSのVJは、開発段階でソフト面でもいろいろと参考にしたからね。ここで使っている管制システムは優秀だよ。さすがだね、桐生さん」

 「どうも・・・」

 亜矢は短く礼を言った。

 「あの・・・私、SMSで仕事を始めてからまだ半年しか経っていませんから、もしかしたらうまくできないことがあるかもしれません。そんなことがないように頑張りますけど・・・」

 「「半年も」だよ。ぼくなんか、テストにはつきあっているけど実際にVJを着て任務に当たるのはこれが初めてなんだ。へまをするとしたら、たぶんぼくの方だな。VJにかけては君の方がずっと先輩なんだ。いつも通りにやってくれればそれでいい」

 「・・・はい! がんばります!」

 一方、ゲストシートではその様子を見つめている圭介の姿があった。

 「面白くなさそうだな、新座」

 「!?」

 ふいに声をかけられた方を見ると、そこには助手席からこちらを見ながらニヤニヤと笑いを浮かべている小隈の顔があった。

 「別に・・・面白くないとしたら、任務に出られないからですよ」

 「可愛くないなー」

 運転に集中してはいるが、やはり面白そうな笑いを浮かべながら聡美も言う。圭介は憮然とした表情になりながら、話題を変えることにした。

 「ところで隊長・・・事情も聞かずに乗り込んだはいいんですけど、何が起こってるんですか? 救助出動なのか鎮圧出動なのか、それも知りませんけど」

 「ん〜・・・一応、鎮圧出動に当てはまるんだがなあ。いまいちはっきりせんのだよ」

 「どういうことですか?」

 「つけばわかる。だが、どうやら銃が必要かも知れないな」

 「隊長、間もなく現場上空です」

 聡美の声が冷静に伝えた。

 「よし。全員、シートベルトを確認。降下する」





 「リアハッチ、開放します」

 ゴゥン・・・

 重い音がして、指揮車の車体最後部のハッチが開いていく。

 「VJ−1、VJ−2、オペレーションスタート」

 「これよりパーシヴァルをVJ−3として呼称します。よろしいですね?」

 「了解」

 「VJ−3、オペレーションスタート」

 仁木と小島、それに「パーシヴァル」を身にまとった尾崎は、ゆっくりとそこから外へと姿を現した。

 しかし、今彼らに視線を注ぐような人々はいない。その場にいる人々は、その場にいるある「生物」に視線を集中していて、彼らどころではないのだ。そしてそれは、他ならぬ第1小隊も同じだった。

 指揮車のモニター。VJとVRコンピュータの網膜投影ディスプレイに映ったもの。それは、倉庫街の道路上を占拠するかのように、とぐろを巻いてうねうねと動き回るどこまでも細長く伸びているピンク色の「物体」。そして、それを包囲しながらジッとにらみつけているポリスジャケット隊の姿だった。「物体」はそれ以前にかなり暴れていたらしく、あっちで倉庫の壁が砕け、こっちでフロントガラスの割れた車が横転しているという状況である。

 「な・・・なんですかあれは!?」

 それをモニターで見た圭介は、思わずそう叫んでいた。この仕事、奇怪なものにはいくらでも出会うことのできる仕事ではあるが、だからといってそれに慣れるというものでもないらしい。

 「見ての通りのものだよ」

 小隈は落ち着いて言ったが

 「見ての通りっていったって・・・」

 圭介は困惑した。モニターの中でうねうねとうごめいている気色の悪い物体は、生物であることには間違いないのだが、どうにも理解ができない非現実的な存在だった。

 「気持ちわる〜い・・・なにあれ? 使徒? ドーレム? ヘテロダイン?」

 モニターを見つめる聡美も、それを見てそんなことを言った。

 「お前もずいぶん古いことを知っているな岸本・・・。そうじゃない。畑の土ほじくりかえせば出てくる生き物だ。釣りの餌にも使うな」

 小隈はヒントらしきことを口にした。

 「まさか・・・ミミズ・・・ですか?」

 圭介は自分の答えに自信がもてなかった。そう。たしかにその生き物は、ミミズによく似ていた。いや、ミミズそのものだと言っていいだろう。しかし、その生物には彼の頭にあるミミズとそれとを結びつけることを妨げる要素があった。その大きさである。何重にも崩れたとぐろを巻いていて、正確な大きさは計り知れない。いったいどれだけの長さがあるのだろう。それほどまでに体の長い巨大ミミズなど、彼の頭にはそれまで考えにも登ったことがなかった。

 「その通りだ」

 しかし、小隈の声は彼の答えが正解であることを告げた。

 「なんで、あんなミミズが・・・。あんなバケモノみたいなミミズが、自然に生まれるはずがありません」

 「そりゃあそうだろうな」

 「やはり、どこかの会社が作りだした新生物なんでしょうか?」

 「それも、今のところはわからない。どこの会社も、全長数百mはあるオバケミミズが研究所から逃げ出したなんて通報はしてきてないからな」

 「それじゃあ・・・あいつはなんなんですか?」

 「新座。そいつを調べるのは、俺達が最初にやるべき仕事じゃないな」

 小隈は圭介に向き直って言った。

 「おそろしく長い体のミミズが町中で暴れているこの状況で、まず俺達がやるべき仕事はなにか? それはこのミミズについての情報を収集して、分析して、しかるのちに適切な手段をもってこいつを処分することだ。何がこいつを作り出したのか、たしかに気になることだがそれは俺達が第一にやるべき仕事じゃない。俺達がやるべきことは、一刻も早くこのミミズをどこかに追い出すなり殺すなりして、平和な日常を取り戻すことだ」

 「・・・そうでしたね。すいませんでした」

 「まあ、もちろん俺もこのバケモノミミズがどこから来て、どこへ行こうとしているかは気になるよ。しかし放っておく訳にもいかないからな。とりあえずは、どんな奴かその素性を知る手がかりだけ教えてもらって、あとはお引き取り願おう。仁木、わかっているな?」

 インカムのマイクを口に近づけ、小隈が言った。

 「はい。目標の細胞片を入手し、速やかに分析。その結果から対応策を導き出す。以上ですね?」

 「その通りだ。見かけはやたらでかくて細長い以外はただのミミズだが、体の中にどんな爆弾抱えているか知れない。下手に穴を開けて、有害な細菌でもまき散らされたらことだ。攻撃はスタンスティックによる威嚇をメイン。マルチブラスターはショックモードのみ使用を許可する。いいな?」

 「了解!!」

 3体のVJは、隊長の指示通りの行動の準備をした。

 「なんだか・・・不思議な感じですね」

 圭介がモニターを凝視しながら言った。

 「ちょっと離れた視点から見て学べることもある。お前も今日は特等席から、あいつらの働きぶりをしっかり見習うといい。それに、今日は特別だ。教育実習生の腕、一緒に見られるな」

 モニターに映る黒いVJを見つめながら、小隈は楽しそうに言った。





 「ナイフを使って、ミミズの表皮細胞の一部を削り取り、サンプルとして回収します」

 「手順は?」

 「二人でミミズの一部を押さえつけ、その間に速やかにもう一人が採取を行う・・・。これでどうかしら?」

 「問題ありません、副隊長」

 「あの・・・それで、あのミミズからつまみ食いする役目は、誰が・・・?」

 「こういう仕事は、以前からメスの扱いには慣れている人がやるべきだと思うけど・・・?」

 仁木と尾崎が、そろって小島を見つめた。

 「ちぇっ・・・結局そういう役回りですか」

 「ミミズを押さえつけるよりは楽な仕事でしょう? 腕前を見せてもらいましょうか、ドクター小島?」

 小島はやれやれといった様子で小さくかぶりを振ると、オプションとして携行していた小型ナイフの刃を広げた。

 「準備OK。いつでもいいですよ」

 「了解。それじゃあ尾崎さん、準備はいいですか?」

 「Sir, Yes Sir」

 尾崎が力強くうなずく。それを確認すると、仁木は走り出す体勢をとった。

 「任務開始! いきます!」

 ダッ!

 白いVJが走り出す。それに続いて、尾崎の「パーシヴァル」も巨大ミミズめがけて走り出す。

 ガシッ!

 瞬く間に巨大ミミズのところまで駆け寄った仁木は、巨大な蛇を締め上げるように、頭だか尻尾だかはわからないが、とにかく末端部分に腕を回し動きを押さえた。ミミズは長さはどれほどあるかわからないほど長かったが、胴体の太さはせいぜい丸太程度。十分押さえつけることは可能だった。まるでゴムタイヤでも抱えているかのような弾力のある感触が、VJの腕の装甲板越しに伝わってくる。

 ガシッ!

 それに続いて、尾崎も仁木が押さえている場所から2mほど後ろの部分に同じように腕を回し、しっかりと動きを止めた。そのまま二人はゴムを引っ張るかのようにミミズの胴体を抱えたまま距離をとっていき、それによって二人の間のミミズの胴体がピーンと張りつめた。

 「小島君! 今よ!」

 「任せて下さい!」

 すでに二人の近くまで走ってきていた小島は、ナイフを手にピンと張ったミミズの胴体に近づいた。

 「はいはい痛くない痛くない・・・。すぐに終わるからねえ・・・じっとしててよ・・・」

 ササッ!

 まるで子どもに注射を打つときのような口振りだったが、それとは対称的に小島はメス代わりのナイフを鮮やかに振るい、ミミズの表皮細胞を数mmの厚さで切り取った。

 「オペ完了です」

 そうつぶやいた小島のもつナイフには、ミミズの肉片がこびりついていた。

 「よし! 離れます!」

 「了解!」

 仁木の言葉で、まず尾崎が胴体を抱え込んでいた腕を解いた。そして、それに続いて仁木もミミズから離れようとした、その時だった。

 シュルルルルッ!

 「! しまっ・・・!!」

 ミミズがすさまじい早さで動き、離れようとしていた仁木の体にグルグルと巻き付いたのだった。

 「副隊長!!」

 ギリ・・・ギリ・・・

 「! ック・・・!!」

 そのまま、仁木の体を締め付けるミミズ。仁木が苦痛の声をあげる。

 「! エネルギー配分、全身関節部に集中・・・!」

 このままでは彼女の身が危険だと判断した亜矢が、すぐさま関節部にエネルギーを集中する措置をとる。それによって、仁木はなんとか苦痛からは解放された。

 「・・・あ、ありがとう、亜矢さん・・・」

 「副隊長・・・抜け出せますか・・・?」

 グッ・・・

 全身に力を込め、なんとかミミズをふりほどこうとする仁木。しかし・・・

 「クッ・・・なんて力なの・・・! ダメ、ふりほどけそうにないわ」

 「隊長! ミミズの体を切断するなりして、副隊長を助けないと!」

 「傷つけないようにするとか、そんなこと言ってる場合じゃありませんよ!」  早口で圭介と聡美が、口々に隊長に訴えた。

 「むろんだ。小島、尾崎君、救出を頼む」

 「「了解!」」

 二人がうなずき、そのための機材を用意しようとしたその時だった。

 ズズズズズズ・・・

 なんと、ミミズが動き始めたのだ。

 「!?」

 「た、大変です! ミミズが・・・地面に潜ろうとしています!!」

 「パーシヴァル」のカメラから送られてくる映像を見たひかるが叫んだ。

 「クッ・・・!」

 仁木はなんとか脱出を試みようとするが、ミミズは彼女に巻き付いたまま、彼女を地中に引きずり込もうとしていた。

 「クッ! 二人とも、急げ!!」

 「わかってます! ミミズの分際で、副隊長を地面の中に連れ込むつもりかよ! そうはさせるか!!」

 バックパックから超振動カッターを取り出した小島が、それをうならせたその時だった。

 ズパァッ!!

 そんな音がした。

 「!?」

 その時、第1小隊の面々が見たもの。それは、綺麗に切断されてのたうつミミズの胴体、そして、その側で真っ赤に赤熱した、奇妙な「く」の字型の大型ナイフを持った、黒いVJの姿だった。

 ジャキッ!

 彼はそれを腰のケースに収納すると、力を失ったがいまだ絡みついているミミズに巻かれたまま呆然としている仁木に駆け寄った。

 ボトッ・・・ボトッ・・・

 彼は仁木に巻き付いたミミズをふりほどいてやった。ほどなくして、仁木は完全にミミズの緊縛から解き放たれた。

 「大丈夫ですか? 副隊長」

 君主に対する騎士のように恭しい態度で、彼は仁木にそう尋ねた。

 「・・・やるなぁ・・・」

 呆然としていた隊員達の中で、最初にそうつぶやいたのは小隈だった。

 「え、ええ・・・ありがとう」

 ようやく落ち着きを取り戻した仁木は、尾崎の言葉にそう答えた。その時だった。

 ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

 「!?」

 切断されてもまだ生きていたミミズの一部が、地面に開いた大きな穴に逃げ込もうとしていた。

 「・・・!」

 ガチャッ!

 それを見た仁木は、すぐさまマルチリボルバーを引き抜いた。

 「VJ−1、セーフティー・オフ」

 亜矢は隊長への確認もとらずに、すぐさま安全装置を解除した。そして、すぐさま穴に潜りつつある巨大ミミズにその銃口を向け、モードセレクトスイッチである撃鉄を引く。

 ダァン!

 仁木が一度だけ引き金を引くと、ミミズの表面の一部が黒い血しぶきをあげて飛び散った。しかし、それだけでミミズの動きを止められるはずもなく、ミミズは銃撃を受けたままなおも地面に潜り込んでいく。

 「野郎! 逃がすもんかよ! 亜矢さん、パワー最重視に!」

 小島がミミズに駆け寄り、その太い体をつかもうとしたが・・・

 「よせ、小島」

 小隈の声で、小島はそれをやめた。

 「逃げてもらった方が、今のところは被害が少なくて済む」

 3体のVJは、ズルズルと際限もなく穴に潜り込んでいくミミズをじっと見つめていた。やがて・・・その長い体は全て穴から地面の中へと潜り込み、周囲に静寂が戻った。

 「・・・仁木、具合を説明しろ」

 最初に口を開いたのは、やはり小隈だった。

 「はい。自動車6台全損。周辺の建物にも、シャッターの破損など被害が出ています。詳しく調べなければわかりませんが・・・」

 「そうじゃない。お前の具合だ」

 「は・・・はい。大丈夫です。ご心配をかけて、申し訳ありませんでした」

 「無事ならそれでいい。ありがとう、尾崎君」

 「いえ・・・それよりも、勝手にあのミミズの体を切断してしまって、すみませんでした」

 「仕方ないだろう。ああしなければ、仁木はミミズに土の中へ引きずり込まれてた。それにだ・・・」

 小隈は、モニターに映る尾崎のナイフによるミミズの切断面を見つめた。

 「たいしたナイフだな。懸念されていた細菌の流出なんかはない」

 切断面は真っ黒に焼けこげ、出血すらしていなかった。チベットの山岳民族の中でも、とりわけその屈強さを見込まれ、第二次大戦ではイギリス軍の傭兵として南方で日本軍と戦ったこともある山岳民族、「グルカ」。彼らが日常的に山刀のように使っている「く」の字型の独特の形をした大型ナイフ「ククリ」が、尾崎の「パーシヴァル」の固定武装の一つだった。しかも、それはただのナイフではなく、赤熱することによって切断すると同時に切断面を焼き、出血などを防ぐ力ももっているのである。

 ちなみに、切断されたミミズの体の一部は、すでに力つきて地面に横たわっていた。

 「しかし、どういう生き物なんでしょうね。ぶったぎった部分だけでも、10mはありますよ」

 「ミミズはいくつも心臓があるっていいますから・・・一部を切られたくらいじゃ死なないんですよ」

 それを見下ろしながら言った小島の言葉に、ひかるが返した。

 「でも、あんなの逃がしちゃって、本当によかったんですか?」

 「あんなのとここで決着つける方がよっぽど無謀だろうが、岸本。全長何mあるのかもわからんのだぞ。今の装備でとどめをさせるかどうか・・・。対抗策まで含めて、やつを丸裸にする必要がある。とりあえず、お疲れさん。特に尾崎君、初出動でご苦労だった。期待以上だったよ」

 「お役に立てて、光栄です」

 「うん。それじゃあ、撤収だ。誰か、そこに転がってるのを持って指揮車まで戻ってきてくれ」

 「了解。俺が持ってきますよ」

 「いいの?」

 「今回一番活躍してませんからね。荷物運びぐらいやらせてください」

 小島は肩をすくめると、太いロープを肩にひっかけるようにミミズの一部を担いで、ズルズルとひきずりながら指揮車へと戻っていった。

 「ぼくたちも戻りましょう、副隊長」

 「そうね・・・」

 尾崎に促され、仁木は彼と並んで歩き出した。

 「・・・もう一度、言わせてくれないかしら?」

 「何をです?」

 「・・・ありがとう」

 「・・・当然ですよ。男として、部下として、それに・・・」

 そこまで言って、尾崎は口をつぐんだ。





 「今日は災難だったな、仁木」

 目の前の書類にペタンとはんこを押しながら、小隈は言った。

 「・・・申し訳ありません。不覚でした」

 そう言って頭を下げる仁木。

 「お前は悪かないよ。幸い、大事にはいたらなかったしな。奴が逃げる前にお前が撃ち込んでくれた信号弾のおかげで、奴の居場所は探知できるし、むしろ誉めてやりたいよ。ただ・・・」

 「なにか?」

 「仁木、お前最近、疲れてないか?」

 仁木の顔を見ながら、小隈が言った。

 「いえ、私はあまり・・・」

 「そうかな? なんだか最近、ため息をついてることが多いように見えるが?」

 「それは・・・」

 別の原因があるのだったが、それを正直に言う気にはなれなかった。

 「最近の自分を振り返ってみろ。九月の事件以来、ここ一ヶ月は一週間に3、4回の出動が必ずあるハードスケジュールだ。新座達はしっかり休んでるからまだがんばれそうだが、お前の場合、あいつらと同じ仕事の上に報告書の作成やらなんやらの事務仕事が重なってる。今回ばかりは、いつもめんどくさがってお前にそれを押しつけてる自分を反省せにゃならんな」

 「いえ、私は・・・」

 「そういうわけだからさ。明日一日、休暇をとりなよ」

 やや強引にも思えたが、小隈はそう言った。

 「休暇・・・ですか? しかし、ミミズ事件が片づかないうちには・・・」

 「もちろん、なんかあったらすぐに呼ぶことになると思う。けどな、やっぱり休みは必要だって、今のお前には」

 「はぁ・・・」

 そうまで言われると、仁木も断るわけにはいかなかった。

 「そういや、明日は尾崎君も休暇だったな。そうだ、東京案内でもしてあげたらどうだ? 彼となら、いい気分転換になると思うが・・・」

 「! 隊長・・・!」

 仁木は一瞬驚いた表情を見せたが、すぐに元の冷静な表情に戻った。

 「ま、どう過ごすかはお前の勝手だよ。とにかく、大事にならないうちに、体は休めとけ」

 「・・・了解しました。休暇は、ありがたくお受けします。それでは、今日はこれで・・・」

 「ああ。ご苦労さん」

 小隈の言葉を背に受けながら、仁木は敬礼をして出口へと歩き出した。

 「仁木」

 と、オフィスのドアが開いたところで、小隈は彼女を呼び止めた。

 「いつも言ってることだが、気を引き締めて楽にしとけよ。必要以上に肩に力を入れるのは、疲れるからな」

 「・・・失礼します」

 彼女が一歩踏み出すと、ドアはゆっくりと閉まって彼女の姿を隠した。





 プシュー・・・

 空気音がして、オフィスの自動ドアが開く。それと同時に、やや疲れた表情の仁木が中から出てきた。

 「・・・」

 彼女がオフィスを出て、廊下を曲がったその時だった。

 スッ・・・

 「!」

 「お疲れさまです」

 そこには、紙コップに入ったコーヒーを片手に持ち、もう一個のコーヒーを仁木に差し出しながら仁木ににっこりと微笑みかける尾崎がいた。

 「・・・ありがとう」

 仁木はそれを受け取ると、少し冷まして口へと運んだ。

 「お怪我がなくて、本当によかった」

 「・・・」

 仁木は湯気の立つコーヒーをじっと見つめていたが、やがて、尾崎の顔を見た。

 「・・・どうして、こういうことになったのかしら? 聞かせてもらえる?」

 「・・・!」

 その言葉に、尾崎の表情が少し変わった。それにかまわず、仁木は腕時計に目をやった。

 「勤務時間は過ぎたわ。仕事とプライベートは、きっちりわけることにしてるから」

 その言葉に、尾崎は少し笑うと、彼女に言った。

 「・・・そういうことなら、ぼくもそうしよう」

 そう言うと、尾崎は仁木と向かい合った。

 「お久しぶり、葉子。驚いたかな?」

 「当たり前でしょう? あなたが来るって知ったとき、どんな顔をしてあなたに会えばいいか、わからなかったんだから・・・」

 そう言って、仁木は尾崎の目を見た。尾崎は真剣な顔になった。

 「やはり・・・気にしていたんだ」

 そう言うと、尾崎は飲み干したコーヒーのカップを、ヒョイと放り投げた。それは見事に、廊下の片隅に置いてあるゴミ箱の中へ入った。

 「さっきの質問だけど、ぼくがここに来たのは、ぼくの手の届かないところにいる人達の決定だよ。別に、ぼくが頼み込んでこうしてもらったわけじゃない」

 尾崎は続けた。

 「明日は、休暇なんだよね?」

 それを聞いた仁木の表情が少し変わった。

 「・・・隊長に、なにか変なことを言ったんじゃないでしょうね?」

 「まさか。君がそういうことは嫌いだっていうことは、わかってるからね。隊長が君に休暇をあげたのは、純粋に君のことを気遣ってのことだと思うよ。でも、これはお互いにとってちょうどいいと思う」

 尾崎は再び仁木の目を見つめた。

 「君と話をしたいんだ、時間をかけて」

 「・・・」

 自分の目を見ながら諭すような口調で言う尾崎に、仁木はやがてうなずいた。

 「・・・わかったわ」

 「ありがとう。それじゃ、明日9時半頃にぼくの部屋の前に来てくれないかな」

 仁木がその言葉にうなずくと、尾崎は笑顔を浮かべて歩き始めた。

 「それじゃあおやすみ、葉子。また明日」

 仁木はそう言って去りゆく尾崎の背中を見つめた。

 「・・・」

 仁木は複雑そうな表情で、コップの中のコーヒーを飲み干した。





 翌日。時刻、午前9:43。

 コンコン

 尾崎の部屋のドアを、ノックする音がした。

 「はーいはい」

 ガチャ

 尾崎がドアを開けると・・・

 「ごめんなさい。あると思ってたイヤリングが、なかなか見つからなくて・・・」

 そう言って、髪をわずかにかきあげる仁木の姿がそこにはあった。

 「かまわないよ。それじゃあ・・・行こうか」

 そう言って、尾崎も部屋の中から出てきた。

 「行きたい場所、ある?」

 「特にないわ。昔からそうだったじゃない。デートコースなんていつでもあなた任せだったわよ」

 「ああ、そうだったね。それじゃあ、今日もそれでいいかな?」

 「どうせ考えてあるんでしょう? 私はそう思って特に考えてないわよ」

 「それじゃあ、決まりだね」

 「でも、そんなもの持ってるなら、だいたいどこにいくつもりかはわかってるわ」

 仁木はそう言って、リュックサック以外にも布で包まれた細長いものを持った尾崎を見た。しかし尾崎はニッと笑うと、先を進み始めた。仁木はほうっとため息をついたが、すぐにその後ろを歩き始めた。





 それから二人は、かつて一緒に通っていた大学、いきつけの喫茶店、輸入雑貨店などを回ったが・・・

 「結局、ここに着くのね・・・」

 仁木はそう言って、ため息をついた。

 「そりゃあそうさ。ここに来ないでデートにはならないでしょ、ぼくたちの場合」

 手に持った長い物をポンポンと叩きながら、尾崎は言った。

 そこは、都内にある多奈河という河だった。それなりに川幅のある大きな河で、水量も豊富である。二人は今、その河川敷に並んで立っている。周囲にはものも言わず、黙々と釣り糸の先に神経を集中している釣り人達の姿がちらほらと見られた。

 「さあて、それじゃあぼくらも始めるとするか。前はバカみたいに釣れたんだけど、今はどうかな・・・」

 そう言って、布にくるんでいた釣り竿を取り出し、リュックから取り出した仕掛けをそれにつけはじめる尾崎。一方仁木は、その隣に腰掛けた。

 「・・・」

 二人とも言葉を交わすことなく、静かな時間が河川敷に流れる。

 「こんなふうにしていると、何も変わってないみたいに思えるね。大学にいた頃も、ぼくはこうしてのんびり釣り糸を垂れて、君は隣で推理小説を読んで、時々文学論とか好きな作家の手法とか、そういうことで議論を戦わせたりしてたっけね」

 と、やがて仁木がハンドバッグを開け、中から何かを取りだした。

 「まず・・・これをお返しするわ」

 そう言って仁木が取り出したのは、紫色の布に包まれた、四角い物体だった。

 「あの時のままなんだね・・・」

 「あなたがこれを投げて中身を確認したあとは、一切触ってないわ」

 仁木は布をほどいた。その下から、「A Scandal in Bohemia」と書かれた古い本が姿を現す。

 「・・・君は、ぼくがあの時これを投げ渡したのを、どう解釈した?」

 「・・・手切れ金・・・かしらね、悪い言い方だけど。こんな大事なものを、私に投げ渡して行ってしまうんだから・・・」

 「たしかに君の言うとおり、これはぼくの宝物だよ。オークションで競り落とした時のことは、今でもハッキリと思い出せるよ。僕の一番好きな作品の、初版本なんだからね」

 そう言って尾崎は、仁木の手の中にあるコナン・ドイル作のシャーロック・ホームズシリーズの一つ、「ボヘミアの醜聞」の初版本を大事そうに見た。

 「・・・だけど、これを手切れ金だと受け取られたとしたら、それは少し残念だね。ぼくは君のことを、そんなに安い女だと思ってない。ぼくはあの頃と同じで、今でも君のことを誰よりも大切な人だと思ってる」

 「だとしたら・・・なぜこれを渡したの?」

 仁木が真剣な顔で尋ねた。

 「・・・本当は、これはちゃんと君に自分の手で渡したかったんだ」

 尾崎はそう答えた。

 「初めての海外での暮らしは、正直不安だった。だから自分の宝物は、自分が一番信頼している人に預かっていてもらいたかったんだよ。でも、その前に出発の時間がきてしまった。しかたがないから、ああいうかたちで渡すしかなかったけど・・・」

 そう言って、尾崎は頭をかいた。

 「君はどう思っていたかわからないけど・・・あの時のぼくは、君のしたことに怒ってなんかいなかった。君と話す時間があったら、ちゃんとそのことを伝えて、その気持ちの証明として、これを手渡すつもりだった。それができなかったのは、とても残念だよ。それどころか、かえってこの四年の間、君の心にわだかまりを作らせてしまったことも・・・」

 「・・・」

 仁木は黙ってそれを聞いていた。

 「ごめん」

 「謝らなければならないのは・・・私の方よ。四年間悩んだのも・・・全部、自分のせい。なぜあの時、あなたにちゃんと話さなかったのか・・・それを悔やんでいたわ」





 −4年前 東京・早稲田警察学校−

 「特殊部隊・・・ですか?」

 夕日の射し込む部屋の中、女性警察官候補生の制服を着たその女性は、目の前の机に座る男にそう尋ねた。凛とした雰囲気は、同年代の女性よりもずっと大人らしさを感じさせる。

 「うむ」

 警察学校の校長である稲田充は、そう言ってうなずいた。

 「君も知っているだろう? 残念ながら我々警視庁は、他の政府組織と同じく、爆発的な発展を遂げる科学と、それにともなって発生するハイテク犯罪や速やかな収拾が困難な事故や災害への対応に追いつくことが難しくなってきている。そして、それに対処するための最新鋭機材を備えた特殊部隊の編成が、我々警視庁を中心に急ピッチで進められている」

 「はい、聞いたことはあります。たしか、予定されている名前は特機保安隊・・・略称は、SMS、でしたか」

 「その通りだ。すでにその運用方針も定まり、必要な機材の開発も完了しつつある。残る段階は、それを扱う人材・・・」

 「・・・」

 「この早稲田校を始めとする全国各地の警察学校には、そのための人材として各校一名を推薦してほしいという依頼が来ている」

 「それが・・・ここでは私、ということでしょうか」

 「そうだ、仁木候補生。そういうことになる」

 「・・・校長、ご存じとは思いますが、私は・・・」

 「わかっている。尾崎候補生とともに、スコットランドヤードの採用試験に合格している。もちろん君には、この推薦を断る権利がある。それを知っての話なのだ」

 仁木はうつむいた。

 「・・・なぜ、私を・・・」

 「新体制治安維持組織設立委員会の出してきた条件は、かなり厳しい。それをクリアできる優秀な能力の持ち主は、我が校では君と尾崎君しかいないのだ」

 「尾崎候補生には・・・」

 「まだだ。君の次に話す」

 「・・・」

 部屋の中に、しばしの沈黙が流れる。

 「・・・今回の推薦によって試験を受け、合格した者は、SMSの副隊長となるそうだ」

 「!」

 稲田の言葉に、仁木は驚いた。

 「それならば、なおのこと・・・。私はまだ、警察官にもなっていない若輩です」

 「だからこそだよ」

 稲田は言った。

 「求められているのは、ただ優秀な人材ではない。彼らは次の世代のSMS、次の次の世代のSMSを引っ張っていける人材を欲しがっているのだ」

 「・・・」

 「SMSは、これまでの治安維持組織の枠組みを越えたこれまでにない組織になる。その組織を手探りで作っていき、やがては後進を率いていける資質を持つ人間を、彼らは欲しがっている。私の知る限りではこの校の中では、それは君と尾崎候補生、二人だけだ」

 「・・・なぜ、私に最初にその話を?」

 仁木は質問した。

 「君も知っての通り・・・彼は、スコットランドヤードへの配属を心から望んでいるからな。もちろん、それは君も同じだが・・・」

 「比較の問題で言えば、私のスコットランドヤードに対する思い入れは、尾崎候補生のそれより少ない・・・。そう判断したからでしょうか?」

 「そうだ」

 稲田は眉一つ動かさず言った。

 「君は以前言っていたね。自分を必要としてくれる最高の職場で、人々を守る仕事をしたい、と」

 「はい。スコットランドヤードは、それに見合う場所だと考えています」

 「私もそう思うよ。しかし・・・SMSもまた、君を必要としているのだ」

 「・・・」

 「これは私の勝手な観測だが・・・SMSという組織には、スコットランドヤードを天秤にかけるだけの値打ちがあると思う。我々警視庁も彼らに負けるわけにはいかないが・・・SMSがこの日本の治安を維持していくためにとても重要な役割を果たしていくことは、ほぼ間違いないことだと私は確信している」

 「・・・」

 仁木は黙っていたが・・・  「・・・少し、考える時間を下さい・・・」

 稲田はそれにうなずき、資料を差し出した。

 「届いている資料だ。それと、二日後に説明会がある。受験者の決定は3週間後だ。時間は足りるかね?」

 「それだけあれば・・・」

 「決めるのは君だ。ゆっくり考えなさい」

 そう言って、稲田は微笑んだ。

 「これだけは言っておこう。SMSだろうとスコットランドヤードだろうと、君ならばどこででも立派にやっていけるだろう。私は君のような熱意にあふれた人材が、我々と同じく市民の平和な日常を守るための仕事につくことを願っていることを本当に嬉しく思う。君がどんな選択をしようとも、私はそれが正しいと判断するよ。頑張ってくれたまえ、仁木候補生」

 「失礼します!」

 仁木は敬礼をすると、その部屋から出ていった。

 「・・・」

 彼女は少し歩いて壁に寄りかかり、小脇に抱えていた資料の入った大判の封筒をじっと見つめたまま、しばらくそこにたたずんでいた。





 「・・・結局、私はそのまま、スコットランドヤードからSMSへ、目指す道を変えた・・・」

 「・・・」

 「あなたと話をしなければならないことは、あの時もわかってた。でも・・・それが、とても怖かった。自分にとって本当に大事なのは、あなたなのか、自分の将来の夢なのか・・・。悩んだ末に、今の道を選んだけど・・・あなたに話もせずに、あなたの夢を裏切ってしまったことを、ずっと悔やんでたわ」

 尾崎は釣り糸の先を見つめながら、じっと仁木の話に聞き入っていた。

 「その選択に、後悔はしていないんだろう・・・?」

 仁木はその言葉に、黙ってうなずいた。

 「そうだろうな・・・。もしそうだったら・・・この四年はなんだったんだってことになっちゃう。でもさ・・・それなら、よかったじゃないか」

 「あなたはあの時・・・どう思った?」

 「・・・ちょっと、不満に思ったかな。約束をすっぽかされたみたいでさ」

 「そうね・・・そう思われても当然だわ。でもあの時は・・・あなたに相談するのが本当に怖かった。あなたと一緒にスコットランドヤードで働くことも、私の願いだったけど・・・警察官になろうとした最初の理由は・・・やっぱり、一人でも多くの人に必要とされて、その人達のために働くことだったから・・・」

 「それが君の夢なら、ぼくは何も言わないよ」

 尾崎はそう言った。

 「君と一緒にスコットランドヤードで働くことは、ぼくの夢だった。けど、それは君の夢も、ぼくと同じだったときの話だよ。君を無理矢理、ぼくの夢につきあわせるつもりなんて、全くなかったからね。君に君の追いたい夢があるなら、ぼくはぼくだけで叶えられる夢を追う。それだけだよ」

 「匠・・・」

 「あの時のことで、お互いに心にひっかかるものを抱えながら四年間生きることになったけど・・・結局、それで正解だったんだと思う。今の君は、あの頃の君よりずっといきいきしているように見えるよ」

 「ありがとう・・・いろいろ苦労してるけど、SMSはたぶん、天職なんだと思う。それに・・・あなただって、すごくいきいきしているわ」

 「それはどうも・・・。つまり・・・お互い、選択に間違いはなかったわけだ」

 「そういうことになるかしらね・・・」

 仁木はそう言うと、笑顔を向けた。

 「ありがとう、匠・・・。全部話したおかげで、やっと、本当の自分に戻れたみたいな気がするわ」

 「それならなによりだね」

 そう言って、二人は笑顔を向けあった。

 「昨日、隊長に言われたのよ・・・。もっと肩の力を抜けって。あなたに何も言わずに自分の道を変えてしまったことの罪悪感を忘れるために、必要以上に仕事にのめり込んでいたのかもしれない・・・」

 仁木はそう言うと、苦笑いを浮かべた。

 「端から見たら、きっとかわいげのない女だったんでしょうね、私・・・」

 「そんなことはないさ」

 尾崎は笑顔でそれを否定した。

 「なんでも一生懸命やってる人は、誰だってきれいだよ。それに、君はこの仕事が好きなんだろう? それが、一番大事なことだと思うよ」

 「・・・そうね、ありがとう・・・」

 その時だった。

 パシャッ!

 水音をたてて、釣り糸の先の浮きが急に沈んだ。

 「! 来たっ!」

 尾崎は急に真剣な顔になると、釣り竿を握りしめた。

 「ク・・・クッ・・・へぇ、ずいぶん当たりがいいねえ・・・」

 しかし、余裕の笑みを浮かべながら釣り糸の先を見つめる。

 「逃がしゃしないよ・・・それっ!」

 バシャッ!

 尾崎が力を込めると、水中から勢いよく魚が飛び出してきた。

 ポスッ・・・

 そしてそれは・・・仁木がいつのまにか持っていた網の中に綺麗に入り込んだ。

 「お見事」

 「四年経ってもこういうことは体が覚えてるものね・・・」

 「そりゃあそうさ。今まで何回こういうデートをしたと思ってるの?」

 「デートをするのはいいんだけど・・・あなたの釣りの助手になるなんて、つきあい始めた頃には思いもしなかったわ」

 「いいのいいの。やっぱり君は、ぼくの最高の」

 そう言ってにこやかに笑う尾崎。仁木はピチピチとはねる魚の入った網を持ったまま、それに苦笑を返した。





 一方そのころ。第1小隊のオフィスでは・・・。

 「はいよ、お茶はいりましたぁ」

 軽い調子でオフィスに入ってきた小島が、お盆の上のお茶をメンバーの机の上に置いていく。

 「今日のおやつはカステラだよ〜」

 続いて入ってきた聡美も、お盆の上のカステラを置いていく。今日のお茶の当番は、この二人である。

 「あ、ご苦労様」

 「それじゃあ、いただきます」

 午後3時。SMS第1小隊のオフィスでは、和やかなお茶の時間が過ぎていた。

 「平和だねぇ〜・・・」

 お茶をすすってため息をついた聡美が、しみじみと言った。

 「まぁそうだな。物騒な事件もないし、こないだのミミズもまだ地面の中でお昼寝中。おかげでこんなふうにのんきにしていられるけど」

 「今あのミミズに起きられても、ちょっと困りますよね」

 そう言って圭介は、主のいない仁木の机をちらりと見た。

 「やはり私達には・・・副隊長の指揮が必要不可欠だからね・・・。たしかに副隊長が非番でいないとなると・・・少し不安だね・・・」

 「でも副隊長なら、部屋にいるんじゃないの?」

 聡美の言うとおり、普段非番の日の場合、仁木は部屋で静かに過ごすことの多いタイプである。無駄なく何でもこなす性格はその買い物でも現れるため、ショッピングでも無駄な寄り道などはしないので、外を長い時間出歩くことは少ないのだ。

 「いや・・・今日は外へ出かけているようだが・・・」

 亜矢がそれを否定した。

 「もしかして・・・尾崎さんと一緒に出かけてるんでしょうか?」

 そう言いながら、ひかるがやはり空いている尾崎の机を見た。

 「副隊長が尾崎さんと? まさか」

 だが、小島は笑いながらそう言った。

 「小島君・・・それは少し・・・失礼ではないかな・・・」

 「そうです。副隊長だって素敵な女の人なんですから、男の人と一緒に出かけることだって・・・」

 亜矢とひかるにほぼ同時に詰め寄られ、たじろぐ小島。

 「それに・・・案外尾崎さんみたいな人が、副隊長のタイプだったりしてね」

 そんなことを聡美が言っていると

 「のんきだねぇ、お前達は」

 突然声がした。振り返ると、いつの間にか資料をもった小隈がオフィスのドアの所に立っていた。

 「俺のお茶は?」

 「あ・・・机の上に置いてあります」

 聡美の答えにうなずくと、小隈は黙って自分の席について、お茶をすすりはじめた。

 「まあ、仁木も尾崎君もいないし、今事件が起こってもらっても俺達としては困るんだけど」

 「隊長、そんなに俺達だけじゃ頼りないなら、どちらか一人でも残しておいたらよかったんじゃないですか?」

 「小島、別に頼りないってわけじゃない。いざとなったら、俺が事細かに指揮を執るさ。仁木はこの間の非番も緊急出動でつぶされたから、今回は何があっても気分転換してもらわなきゃならなかった。あいつはよく働いてくれるけど、過労になんかさせたくないからな」

 「隊長・・・」

 「なんだ、新座?」

 「尾崎さんも一緒に非番にしたのは、何か考えがあったからなんですか?」

 「別に。深い考えがあったわけじゃないさ」

 小隈はたばこを吹かしながらそう言った。

 「あの二人、一緒に出かけたのか?」

 「さあ・・・詳しくは知りませんけど」

 「ふうん・・・」

 小隈の唇に笑みらしきものがわずかに浮かんだが、それに気づいた者はいなかった。

 「それよりも・・・例のミミズについて、いろいろ面白いことがわかったぞ」

 小隈は手に持った資料をひらひらさせた。

 「何の資料です?」

 「帝洋大生物工学研究所から、送ったミミズの細胞の鑑定結果が来た」

 その言葉に、隊員達の視線が釘付けになる。

 「さて、それじゃあ鑑定結果をかいつまんで説明しよう」

 小隈は書類に目を走らせながら、ゆっくりとしゃべりはじめた。

 「え〜・・・まずわかったのは、やはりあのミミズは自然に生まれた生き物じゃない、ってことだ」

 しかし、その言葉に驚く者はいなかった。

 「隊長、そんなのはわざわざ鑑定してもらわなくったって、おおかた予想がつきますよ」

 「あのミミズがどうしてあんなに大きくなったのか、その理由が知りたいんです」

 「そうせっつくな、新座、服部。話には順序ってものがあるんだ。それについては、これから話すさ」

 やや間を置いて、小隈は続けた。

 「・・・問題のミミズの巨大化については、原因と考えられるものが二つ存在する。まず第一に、問題のミミズの細胞片から取り出した遺伝子には、明らかに遺伝子操作が加えられている。そしてもう一つ・・・あのミミズの細胞片の中に、特殊な物質が検出されたそうだ」

 「特殊な物質?」

 「ハニーゼリオン・・・というらしい」

 「「ハニーゼリオン?」」

 「こういうことに関しては、お前達の方が詳しいだろう?」

 ほぼ同時に物質の名前を聞き返した亜矢と小島を順に見ながら、小隈が言った。

 「はい。たしか、細胞分裂を活性化させて生物の急成長を促進する、テロメラーゼに似た特性ももつホルモン物質ですよね」

 「よくわかんないけど・・・要するに、その物質を食べたりしたら、体が大きくなるってこと?」

 「ま、簡単に言えばそういうことになるわな」

 「遺伝子操作と特殊物質・・・。その相乗効果で、あのミミズはあんなにでかくなったってことですか・・・」

 そう言う圭介の横で、ひかるは怪訝そうな顔をしていた。

 「でも・・・それでもおかしいです。だとしたら、どこの誰がわざわざあんな大きなミミズを作ったんでしょう?」

 「そういえばさ、ミミズを放すと畑の土の質がよくなるっていうよね」

 と聡美が言ったが、

 「そりゃ事実だけどな。だからって、あんなでかいミミズなんか放したら畑がよくなるどころか、穴だらけになるに決まってるだろが。そんなもの、わざわざ企業が作るとは考えられないな」

 小島がかぶりをふった。

 「でも、わかりませんよ。今の会社は、何が売れるかわからないままとりあえずいろんなもの作ってるってところありますから」

 圭介はそう言って、隊長に質問した。

 「まだどこの会社からも、ああいう生き物が逃げ出した、っていう通報はないんですよね」

 「黙ってる、って可能性もあるけど、今のところそういう通報はない。あのミミズは、どこの馬の骨かまったくわからないんだ」

 「出所はわからなくても・・・なぜこの間はあそこに現れたのか・・・その予想はつくね」

 自分の机の上の端末を操作しながら、亜矢が言った。

 「亜矢さん、何か思い当たることでも?」

 亜矢は静かにうなずいた。

 「この間の事件の報告を見ていて・・・気になったことがあったんだよ。今わかったことで・・・謎が解けた」

 やがて、亜矢の端末のモニター上に何かの表が映し出された。

 「なんですか・・・これ」

 「この間ミミズが現れたのは、倉庫街だった・・・。その中で一カ所だけ・・・特に被害の大きかった倉庫があった。そこに収められていた・・・商品のリストだよ・・・」

 その表は、「アットグングン」という文字によってほとんど占められていた。

 「アットグングン?」

 「聞いたことあります・・・。たしか、生き物を急成長させる特殊栄養剤、でしたよね」

 ひかるが言った。亜矢がうなずく。

 「そう・・・。そして、その「アットグングン」の成分表が・・・これ」

 モニターの表示が切り替わり、成分表が映し出される。それは、その商品の主成分が「ハニーゼリオン」であることを示していた。

 「あのミミズは、ハニーゼリオンを狙ってあの倉庫に現れた、ってわけか・・・」

 「たぶんその通りだろう」

 「だとしたら、話は簡単なんじゃないですか?」

 小島が手を上げた。

 「あいつの好物がわかった以上、こっちはそれを使ってあいつをおびき寄せて、攻撃を加えればいいと思います」

 「もちろんその通りだ。今手配して、おびき寄せ用の相当量のハニーゼリオンを用意させているところだよ。ただ・・・」

 「ただ?」

 「具体的にどう攻撃するかは、まだ決まっていない。下手に攻撃するわけにはいかないからな。それについてはこれから、情報部とも意見交換しながらまとめよう。仁木や尾崎君の意見も聞きたいし・・・ズズズ」

 小隈はお茶の残りを飲み干した。

 「やっぱり、殺すしかないんですか?」

 ひかるが眉をひそめて言った。それに対して、圭介が腕組みをして言う。

 「そうだな。たしかに、あんな化け物でも生き物だけど・・・」

 「しょうがないと思うよ。あんなに体の長いオバケミミズなんて、飼うにしても大変そうだし・・・」

 「同感だな」

 聡美の意見に小島もうなずく。

 「ま、今日のところはミミズもおとなしくしてるようだし・・・うちらも一緒にのんびりいこう」





 「悪いけど、ちょっと待っててもらえないかな?」

 「ハイ、カシコマリマシタ」

 運転席に向かって話しかける尾崎。乗車拒否などすることがなく、お客が待てと言えば長時間でも待っていてくれるロボット制御の無人タクシーは、非常に評判がいい。

 「もう帰るのかと思ったわ」

 すでにタクシーを降りていた仁木は、尾崎にそう言った。

 「ご飯を食べてそのまま帰るんじゃ、ちょっと味気ないだろ?」

 尾崎はそう言って肩をすくめてみせた。並んで歩き始める。

 「でも安心したよ。健康なお食事ぶりも健在だったね、葉子」

 「・・・意地悪・・・」

 仁木はボソッと言って、照れと恨めしさのこもった視線を尾崎に向けた。普段の彼女では絶対に見ることのできない、子どものような表情である。

 「そんな目でぼくを見ない。恥ずかしいならあんなに食べなきゃいいじゃないか」

 「それができないの知ってて、わざと私の好きなスペイン料理店なんかに入ったんじゃないの! ほんとにずるいんだから、あなたは・・・」

 「君のあの食事ぶりは、小隊のみんなも知っているのかい?」

 「・・・知られちゃったわ。困ったことにね」

 ハア・・・とため息をつく仁木。

 「ふうん・・・」

 「なによ?」

 「いや・・・大学の頃は、君の本当の食事ぶりを知っていたのはぼくだけだった。あの頃はそのことにちょっと優越感感じてたんだけどね」

 「変なこと自慢に思わないで!」

 そっぽを向く仁木。

 「そう子どもっぽく怒らないでよ。いつもの君らしくもないな」

 「怒らせてるのはどっちよ」

 「まあまあ。でもね・・・やっぱり安心したよ」

 「何に?」

 「君の食事ぶりまでみんなが知ってるってことは、それだけ小隊が一致団結してるってことじゃないかな」

 「・・・他人事だと思ってるでしょう。私だって悩んでるんだから」

 「あのね、葉子・・・」

 そう言って、尾崎は彼女の肩にポンと手を置いた。

 「昔から言ってるだろう? あれは欠点なんかじゃないって」

 「みんなもそう言ってくれるわ。けどね・・・実際にこうなってみないとわからないものよ、私の気持ちなんて・・・」

 「・・・ハア」

 今度は尾崎がため息をつく。そして、彼女の方を向いた。

 「・・・よろしい。よしんば、君の大食いが欠点だったとしよう」

 「?」

 「時には欠点も魅力に見えることもあるもんだよ。こんな話、聞いたことないかな?」

 尾崎はそう言って、ニヤリと笑った。

 「あるところに、何をとっても完璧な女性がいた。美しさ、性格、知性・・・どれをとってもね」

 「・・・」

 「さて、幸運なことにこの女性とデートをする機会に恵まれた青年がいた。当然彼は喜び勇んでデートに臨んだよ。ところがね・・・全然盛り上がらないんだ。その青年と女性の趣味が合わなかったわけじゃない。なぜか、青年がしゃべろうとしないんだ。なぜだと思う?」

 「・・・完璧すぎたから?」

 しばらくの思案ののち、仁木が答えた。

 「ご名答。青年にとって、あまりにもその女性は完璧だった。だから逆に、自分との距離を感じちゃったんだな。ところが・・・青年はその女性の何かを見て、急に彼女を身近に感じて自然に話すことができるようになったんだ。なぜだと思う?」

 「・・・」

 仁木は考えたが、かぶりをふった。

 「・・・ヒントが少なすぎるわ。そんなの、答えられるわけないじゃないの」

 「降参だね。それじゃあ、教えてあげよう。実はね・・・何気なく彼女の脚を見たときに、彼は気づいたんだよ」

 「何に?」

 「彼女の履いていたストッキングが、伝線していたんだ」

 そう言って、微笑む尾崎。仁木は呆れた。

 「なんだ・・・そんなこと・・・」

 「そんなことでも、彼にとっては大きなことだったんだよ。ストッキングが伝線してて、しかもそれに気づいていない。そんな些細なことだけで、彼は彼女をそれまでよりずっと身近に感じることができたんだ」

 それからしばらく、二人は歩き続けた。

 「・・・一つ、確認してもいいかしら?」

 「なんだい?」

 「交際を申し込んだのは・・・あなたの方だったわよね?」

 尾崎はクスリと笑った。

 「何をいまさら・・・。そうだよ、その通りだよ。いかにも、つきあってほしいと言ったのはぼくの方だ」

 「まさか・・・私の大食いを見て、私とつきあおうと思ったんじゃないでしょうね・・・」

 そう言って、少し怖い目つきで尾崎を見る仁木。

 「だから、そういう目はやめてくれって。残念だけど、君の食事ぶりを知ったのは君とつきあってからのこと。それは君だって知っているだろう?」

 「・・・」

 無言でうなずく仁木。

 「恥ずかしがるのは勝手だけど・・・そんなに気にすることはないよ。君の食事ぶりは、誰が何と言ったって君のチャームポイントさ。ぼくが保証する」

 「頼りない保証ね・・・」

 そう言って仁木は、苦笑した。

 「ねえ・・・」

 「ん?」

 「前から聞こうと思ってたけど・・・あなた、私のどこを見てつきあおうと思ったの?」

 その質問に、尾崎は笑った。

 「なぜ笑うの?」

 「だってさ・・・今頃そんなこと聞くんだもの」

 「だって・・・あなた、あの時ただ「つきあってください!」って、頭下げただけじゃないの」

 「それならなんであの時、「私のどこが好きになったの?」って聞かなかったの?」

 「それは・・・あの時にはもう親しい仲になってたし・・・あなたが信じられる人だってことはわかってたから・・・それでいいかな、って思って・・・。やっぱり変だったわね、あの頃の私・・・」

 「ふうん・・・だったら、それでいいんじゃないの?」

 そう言って、ツカツカと先に行き始める尾崎。

 「ちょっと! はぐらかさないでよ!」

 慌ててそれを追う仁木。

 「それは愚問だよ、葉子。答えは、「いろいろと」さ」

 「何よそれ・・・」

 「とにかく君はぼくにとって魅力的だった。そして、今でも。それだけだよ。そんなことよりもさ・・・ついたよ」

 そう言って、尾崎は一件の店の前で立ち止まった。

 「ここは・・・」

 仁木はそれを見て少し驚いた。貴金属やアクセサリーを取り扱う高級店だったのだ。

 「さ、入ろう」

 そう言って、尾崎はさっさと中に入っていってしまった。

 「あ、待ってよ・・・」

 仁木は慌ててそれに続いた。





 美しい装飾が施された店内では、パリッとした身なりのいい店員達が、カップルを始めとする様々なお客達に対して丁寧に応対していた。そんな中を仁木は、ばつの悪そうな顔で尾崎の後につきながら歩いていた。

 「ね、ねえ・・・こんなところに入って、どういうつもりなの?」

 尾崎の袖を引っ張る。しかし尾崎はかまわずに、店員に話しかけた。

 「すいません。女性に指輪をプレゼントしたいんですけど・・・」

 「それでしたら、このカウンターに置かれている指輪などいかがでしょうか?」

 やや年かさの女性店員は、そう言って目の前のカウンターに置かれている指輪の数々を指さした。

 「それじゃあ・・・選んでよ。予算は40万から60万の間ね」

 そう言って、尾崎は仁木をカウンターの前に立たせた。

 「ちょ・・・ちょっと! 指輪を選べって・・・どういうことよ?」

 「プレゼントするに決まってるだろう?」

 「!! そ・・・そ・・・それって・・・つ、つ、つまり・・・」

 その言葉に、仁木はますます混乱した。

 「こ、困るわよ! あなたって、ほんとに何考えてるのよ! 私達まだ仕事があるし、お互いにやりたいことだって・・・つまり・・・そ、その・・・」

 しどろもどろになる仁木。めったにみられない様子である。そんな彼女を、尾崎はじっと見つめていたが・・・

 「・・・フッ・・・」

 やがて、小さく笑った。

 「!? な、なぜ笑うのよ!? 真剣に考えてるの!?」

 仁木はその反応が信じられず、思わず声を荒げてしまった。

 「シーッ!」

 指を口に当てる尾崎。

 「他のお客さんもいるんだから・・・」

 恨めしそうな視線を尾崎に向ける仁木。

 「怒らせたのはあなたよ・・・」

 「ごめんごめん。いや・・・君が勘違いしてくれたのが、うれしくってね・・・」

 そう言って微笑む尾崎。仁木はますますわけがわからなくなった。

 「か、勘違いって、一体どういうこと?」

 「プロポーズだと思った?」

 「!!」

 その言葉に、仁木は驚いた。

 「そ・・・そうじゃないの?」

 「今から買おうとしている指輪は、君に贈るものじゃないんだよ」

 その言葉に、仁木はさらに驚いたが、すぐに顔を真っ赤にして踵を返した。

 「お、おい! 待ってくれよ!」

 「最っ低! こんなからかいかたするなんて!!」

 怒って帰ろうとする仁木を、慌てて尾崎は引き留めた。

 「ごめん! 本当にごめん! ちょっと君の反応を見てみたかっただけなんだ!」

 平謝りする尾崎。仁木はその前でしばらくの間、怖い表情をしていた。

 「あなたっていう人は・・・どういうつもりなのかしら」

 「ごめん!」

 仁木はそう言うと、フウッとため息をつき、肩を落とした。

 「・・・もういいわ。それで? なぜ私をここに?」

 「いや・・・実は、スコットランドヤードの上司がもうすぐ30年目の結婚記念日を迎えるんだけど・・・そのプレゼントの指輪探しを頼まれちゃってね」

 それを聞くと仁木は目を丸くしたが、すぐに言葉を返した。

 「だから、私に手伝ってほしいと・・・?」

 「ロンドンじゃいいのが見つからなかったんだ。指輪みたいに高いものになると、めったなものは選べないからね。日本に行くついでに、君に手伝ってもらおうと思ってたんだ」

 「呆れたわね・・・だったら、最初からそう言えばいいじゃない」

 「ほんとにごめん! 君がこんなに怒るとは思わなかったんだ」

 「なんであんな紛らわしい言い方をしたの?」

 「たしかに悪かったけど・・・ちょっと、試してみたかったんだよ」

 尾崎は真面目な口調で言った。

 「ああいう言い方をして、君がプロポーズだと誤解してくれるかどうか・・・でも、安心したよ」

 「・・・ひどい人。女をそんなふうに試すものじゃないわよ」

 「・・・もし今のが、ほんとに君へのプロポーズだったとしたら、どうしてた?」

 その言葉に、仁木はハッとした顔になったが、すぐに視線を床に落とした。

 「そんなこと・・・」

 「・・・イヤかい?」

 「! そ、そんなこと・・・今急に言われたって・・・」

 仁木は顔を赤らめた。

 「君さえよければ、ぼくはいつでも君を迎え入れるつもりでいるけど・・・」

 「・・・イヤじゃないわ。だけど・・・」

 落ち着きを取り戻し始めた仁木は、だんだんと話し始めた。

 「今はまだ、お互いに職場があるし、別々にやりたいこともあると思う・・・。だから、今はまだ一緒になるべきじゃないと思うの・・・」

 「そうかい・・・」

 「ごめんなさい・・・結婚の話なんて、考えてもいなかった・・・」

 「謝ることはないよ。たしかに唐突すぎた。仕事もやりたいこともあるのは、ぼくも同じだからね。ただぼくは、君が勘違いしてくれるかどうかで、君の気持ちを少し知りたかっただけなんだ。ごめん。君の方も、ぼくのことをまだ恋人だと思ってくれている。それを確認できただけでも、満足だよ」

 「ねえ・・・」

 「何?」

 「あなたは・・・いつか冗談抜きで、今みたいなことをするつもりなの?」

 「・・・もちろん」

 そう言って尾崎は、にっこりと笑った。

 「・・・ありがとう」

 仁木はそう言うと、ガラスケースに向かい合った。

 「さ、さあ、早く選んじゃいましょう。ゆっくりしてると遅くなっちゃいそうだから・・・」

 それまでの会話が恥ずかしくなってきたのか、仁木の頬はやや赤くなっていた。尾崎はそれを見てクスリと笑ったが、すぐにその隣にやってきて、彼女の仕事を手伝い始めた。





 それから4日後・・・。

 「はい・・・わかりました。こちらも作戦を始めます」

 指揮車の中。聡美はそう言って、通信を切った。

 「隊長、藤沢スタジアムの方の準備は完了したそうです」

 「そうか。それじゃあ、作戦開始だな」

 小隈は自分の席から後ろを振り返った。

 「・・・というわけで、これからミミズ殲滅作戦を開始する。全員、準備はいいな?」

 その声に、実働員、管制員は全員うなずいた。

 「よし。それでは、作戦の手順をもう一度説明する」

 そう言って、小隈は手元の端末を操作した。首都圏内の地図が浮かび上がる。

 「現在我々がいるのがここ・・・芝公園だ」

 地図の一点が示される。そこは、現在第1小隊が待機している新東京タワー付近の芝公園だった。

 「例のミミズは現在、ここの地下で眠っているようだ。まずは奴を、地上へ誘い出すことから始める。そのため、マンホールを使って地下に奴の好物、ハニーゼリオンのにおいを流す。そして・・・出てきたところを、この指揮車にくくりつけたハニーゼリオンを使って目的地まで誘導する」

 小隈の言うとおり、今指揮車にはトレーラーのように、ハニーゼリオンを乗せた自走コンテナがくくりつけられていた。

 「隊長、ほんとにこんなのであいつを誘導できるんでしょうかね? 昔のマンガで馬の鼻先にニンジンをぶらさげて思った通りの方向へ歩かせるなんてことやってましたけど、そんなふうにうまくいくかなあ・・・」

 小島が疑問を発した。小隈達のたてた作戦は、基本的には彼が出した例となんら変わりない。つまり、好物のにおいに誘われて出てきたミミズの前を、ハニーゼリオンを持ったまま走ることによって、ミミズを目的地まで誘導するのである。

 「大丈夫。ミミズは馬よりもずっと単純な生き物さ。あいつがデカイだけで他は普通のミミズと変わりないのなら・・・な」

 「そういう条件つきですか・・・」

 小島はため息をついた。

 「心配するな。きっとうまくいく。それよりも大事なのは、岸本、お前の運転だ。コンテナつきで走るのは、いつもとは勝手が違うだろうが・・・」

 「任せて下さいよ隊長! あたしのドライビングテクニックにかかれば、それぐらいおちゃらかほいほいです」

 「おちゃのこさいさいだろ。まあお手柔らかに頼むぜ。転倒だけはしないでくれよ」

 小島のその言葉に、聡美がキッとにらみつける。一方、小隈はそれにかまわず説明を続ける。

 「さて・・・奴を先導したまま、我々はここ、藤沢スタジアムまで奴を誘導する」

 マップ上に進行ルートが示される。その終着点は、藤沢スタジアムとなっていた。40年ほど前に、あるプロ野球団のホームグラウンドとして建設されたスタジアムだったが、老朽化が進んでいるため、来年の春に取り壊されることになっている場所である。

 「・・・ここで、奴を焼き殺す」

 小隈はそう言った。

 「隊長、質問です」

 「聞こう」

 「その焼き殺すために使う、「気候集中装置」という装置・・・一体どんなものなんですか?」

 圭介の質問に、小隈はうなずいた。

 「かなりシンプルなネーミングだよ。そのままの意味だ。要するに、ある一帯の天気を一カ所に集中するための道具だ。サンプルを持ってきた」

 そう言って、小隈は長いホースのついた、消火栓のような金属製の円筒を取り出した。

 「例えばだ。東京全体で雨が降っていたとする。そこである一帯にこのホースでグルッと囲み、スイッチを入れる。そうすると、そのホースに囲まれた一帯に、東京中の雨が集中して降り注ぐことになる」

 「それって、すごく便利ですね。街に降る雪を野原とかに集中すれば、雪かきとか雪おろしとか、そういうことしなくて済みますよね」

 北海道出身者らしい意見をひかるが口にする。

 「そういうことだ。まあ、使い道はそれだけじゃない。渇水が起きてる地域にこれを使って他の地域から雨をわけてもらう、なんて使い方だってできる。天気を操るも同然なんだから、便利なのは当たり前だがな」

 「便利な道具なのはわかりましたけど・・・それを使って、どうやって焼き殺すんです?」

 「焼き殺すというのは正確ではない。正確には、「乾かす」んだ」

 小隈が手元の端末を操作する。すると、今度は藤沢スタジアムの立体映像が投影される。

 「現在藤沢スタジアムのグラウンドは、現在グルッとこのホースで囲まれている。我々は奴を誘導し、このグラウンドにまで誘い込む。それと同時にスタジアムの入り口に設けられた鋼鉄のシャッターが閉まり、奴をグラウンドの中に閉じこめる。これが作戦の第一段階だ」

 モニターには、その作戦のシミュレーション映像が浮かんでいる。

 「そして、第二段階に入る。気候集中装置の力の見せどころだ。気候集中装置で集中できるのは、雨や雪だけじゃない。日射しだって集中することができる」

 再び操作を行う小隈。すると、シミュレーション上の藤沢スタジアムに光が降り注ぎ始める。

 「スタジアムを中心に半径5kmの地域の日射しを、スタジアムのグラウンドに集中して降り注ぐ。幸い、天気は快晴だ。一帯は夜みたいに暗くなってしまうが、その代わり、グラウンド内は強烈な日射しによって砂漠みたいに高温・乾燥の環境となる」

 「な〜るほど。それでミミズをカラカラに干からびさせちゃうのね」

 「夏とか、よくアスファルトの道路の上に間違って出てきて、そのまま干からびて死んじゃったミミズを見るよな」

 聡美と小島が感想をもらす。

 「作戦の着想はそれだ」

 「でも隊長、それなら俺達の役目は、ミミズをスタジアムに誘導しただけで終わりなんじゃないですか?」

 圭介が質問する。

 「そういきたいところだが・・・残念ながら、俺達はもう一働きしなきゃならない」

 「どういうことです?」

 「何しろ、発明されて間もない道具だ。気候集中装置のホースは、グラウンドを囲うだけの長さで精一杯だった。できればスタジアムを丸ごと囲って、巨大なフライパンに仕立て上げたかったんだが・・・」

 そう言って、小隈は再び操作を行う。グラウンドをぐるりと取り囲むスタジアムの観客席の最前列、グラウンドを囲むように、多数の人間が配置されている。

 「現在スタジアムには第2、第3小隊、それにポリスジャケット隊がこのように配置されている。全員実弾込めた銃器を装備している。現場に到着後、我々もこの配置に参加する。我々の任務は、フライパンと化したグラウンドから必死になって観客席にはい上がってこようとするミミズを、グラウンドに追い返すことだ」

 「つまり俺達の役目は、ふきこぼれるかもしれない鍋の番みたいなものですか」

 「ま、そういうことだな」

 圭介の例えに、小隈はうなずいた。

 「相変わらず妙な任務だが、これが仕事なんだから仕方ない。いつも通り、全員しっかりと取り組んでもらいたい。以上だ。それでは、これより作戦を開始する」

 こうして、第1小隊のミミズ誘き出し作戦は開始された。





 それから1時間後・・・。

 「たいちょぉ〜、まだですか〜?」

 運転席でハンドルをコツコツと指で叩きながら、聡美が退屈しきった様子で言った。

 「しょうがないだろう。ミミズが出てくるまでは、こっちも動きようがない」

 イスにもたれたまま小隈が答える。作戦開始から1時間。当初の予定通り、マンホールを使って地下にハニーゼリオンのにおいを流しているのだが、ミミズが地上に現れる気配はない。

 「やっぱり最初に音をあげたのはお前か。どら焼きの頃から進歩してないな」

 そう言ったのは小島だ。

 「だって退屈なんだもん」

 「子どもかお前は。我慢しろ。俺だってディスクとか持ってくればよかったと思ってんだから」

 そんなやりとりをする二人。当然、いつでも動けるように全員準備済み。実働員達はVJを装着しているし、管制員の二人はヘッドアップディスプレイ(ヘルメット)を装着している。

 「小島さんて、意外に我慢強いんだよな」

 「お医者さんですからね。手術の時って、長時間集中力をもたせるのが大事だっていいますから・・・。だからじゃないですか?」

 「あ、なるほど。言われてみればそうだな」

 そんな二人を横目に、圭介とひかるが話していると・・・

 「草餅はいらないかい・・・? 季節外れだけど・・・」

 なぜかそれを食べながら、亜矢が草餅をひかるに差し出した。

 「い、いただきます・・・。けど亜矢さん、なんでこんなもの・・・」

 「フ・・・こんなこともあろうかと・・・というやつだよ・・・」

 「まあ、釣りは気長にやるもんです。ゆっくり待ちましょうよ」

 極めてシャープな印象の「パーシヴァル」の装着員とは思えないようなのんびりした調子で、尾崎が場を和める。

 「でも・・・長時間集中力を持続させるのは・・・難しいことです」

 亜矢が言った。

 「どうでしょう、尾崎さん・・・。イギリスで聞いた・・・面白いお話などあれば・・・また聞かせてもらえないでしょうか・・・?」

 亜矢の発言に、全員が驚いた。亜矢がこういう提案をするとは、誰にも予想できなかったのだ。

 「・・・でも、それいいかもしれませんね」

 ひかるが賛成する。尾崎はかなりウィットに富んだ男で、これまでもお茶の時間などにはイギリスで仕入れた面白いジョークや笑い話などを聞かせては、小隊のメンバーを笑わせていたのだった。

 「面白い話・・・? そ、そうだなあ・・・」

 いきなりの提案に苦笑しながら戸惑っていた尾崎だったが、やがて考え始めた。

 「・・・そうだ、あの話がいい」

 ポンと手を叩き、楽しそうに言う尾崎。

 「まだ何か面白い話があるんですか?」

 退屈していただけに、その話に食いつく聡美。

 「そうそう。とっておきの話がまだ残っていたんだ」

 「へえ、それは俺も興味あるな」

 しまいには小隈までがその話に身を乗りだした。やはり彼も退屈していたらしい。

 「ゴホン・・・それじゃあ、ご披露しますか」

 それらしき身振りをしたあとで、尾崎は話を始めた。

 「・・・ある晴れた日。ある男が道を歩いていました。すると道の向こうから、一人の男がこちらに歩いてくるのが見えました。ところが、その男を見て彼は驚きました」

 尾崎はそこで話を切り、こちらを見つめる隊員達をひとしきり眺め渡してから、話を続けた。

 「なぜかというと、その男はどういう訳か、たっぷり水の入った赤い洗面器を頭に乗っけたまま、それをこぼさないようにゆっくりと歩いてくるのです。彼は勇気を奮って、洗面器の男に尋ねました。「あなたはどうしてそんな赤い洗面器なんか頭に乗せて歩いてるんですか?」

と・・・」  再び話を切る尾崎。しかし、それから何も話さなくなったので、やがてたまらず聡美が言った。

 「それで? その洗面器の人はなんて答えたんですか?」

 「そこでクイズ。その理由を当ててみて下さい」

 尾崎は楽しそうに言いながら、聡美を見た。聡美はしばらく考え込んだが・・・

 「・・・ダメ! 全っ然わかんないよ!」

 匙を投げた。それから尾崎は小島、圭介、ひかるを順に見ていったが・・・

 「勘弁して下さい」

 「わかりませんよ・・・」

 「降参です・・・」

 という具合だった。

 「亜矢さんは?」

 「ふむ・・・これは難しい謎だね・・・。エメラルド・タブレットの碑文のようだ・・・」

 と、相変わらず奇妙な比喩を使って考え込んだが・・・

 「もう少し・・・考える時間がほしい・・・」

 と言ってパスした。

 「それじゃ、副隊長ですね」

 今度は仁木の方を向く尾崎。心なしか、言葉に期待がこもっている。仁木の方はそれまでずっと考え込んでいたようだが、やがて顔を上げた。

 「・・・それはつまり、こういうことじゃないかしら」

 どうやら、彼女は答えを思いついたらしい。仁木がその続きを言おうとした、その時

 ズゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!

 突如、巨大な地響きが指揮車を揺らし始めた。

 「来たか!」

 「あーもう! もうちょっとで答えが聞けたのに!!」

 「そんなこと言ってる場合か! さっさと発車準備しろ!」

 「わ、わかってますよ! そっちこそちゃんとシートベルト確認して下さい!」

 「気になるなあ、答え・・・」

 「そうですね・・・」

 「フム・・・もう少しでわかりそうなのだが・・・」

 「みんな、そのことは今は忘れなさい」

 「あとで教えてあげますよ」

 思い思いに言葉をかわしつつ、いよいよ作戦は本当の始まりを迎えた。





 バクッ!!

 そんな音をたてて地面が弾け飛び、地中から巨大なピンク色の物体が突如として出現する。

 「うひゃあ! きたきた!」

 「まだ出すなよ。タイミングはこちらで指示する」

 はやりそうな聡美を、隣の小隈が制止する。一方、その長大な体をズルズルと地中からあらわしつつあるミミズ。その体長は、ゆうに700mは越えているだろう。

 「ひょっとしたら、1kmぐらいあるかもな・・・」

 映像の中のミミズを見ながら、改めて圭介はそう思った。一方、ミミズは指揮車の後部に連結された自走コンテナに気づいたらしく、その体を伸縮させながらこちらへと近づき始めた。

 「気がついた!」

 「さあ、食らいついてくれよ」

 そうこうしているうちにも、どんどんミミズは近づいてくる。そして・・・

 シャーッ!!

 その巨大な口を開け、コンテナにかぶりつこうとした、その時だった。

 「今だ!」

 「了解!!」

 ギュオンッ!!

 指揮車が急発進した。

 ドガッ!!

 それによってミミズはかぶりつく対象を失い、地面に頭をぶつけることになった。一方、指揮車はそこから少し離れたところに止まった。

 「よし。いいぞ」

 「いてて・・・おい岸本、もうちょっとお手柔らかにいけないのかよ?」

 どうやら急発進時に頭をシートのヘッドレストにぶつけたらしく、小島が不満そうな声で文句を言った。

 「しょうがないでしょ。そういつもいつもこの指揮車は乗り心地のいいものじゃないんですから」

 「だからってなあ・・・」

 「これからスタジアムまで、ずっとこんな感じなんでしょうか?」

 ひかるが不安そうな声で言った。

 「んー、ひかるちゃんには悪いけど、ちょっとした絶叫マシーンみたいになるわね」

 「はああ・・・」

 「ひかる、あんまりしゃべるな。舌咬むぞ」

 そう言ったのは圭介だった。

 「シートベルトしっかり締めて、シートに深く座ってれば大丈夫だ」

 「・・・はい!」

 「追いかけてきたわ。全員、備えて」

 仁木の報告通り、ミミズは猛スピードでこちらに向かってきていた。

 「いい子だ、しっかりついてこいよ。岸本、頼んだぞ」

 ポンと聡美の肩を叩く小隈。

 「了解! さてと・・・天才ドライバー岸本聡美の本領発揮といきますか!」

 気合いの入った顔で、聡美はハンドルを握りしめた。





 ギュオオオオオオ!!

 すさまじいうなりをあげて、指揮車がスピードを落とさずT字路を急ターンする。

 「うーん、爽快爽快!」

 楽しそうに言う聡美の顔は、楽しんでいるとしか思えなかった。

 「ちょっと待てぇ岸本! 今のは明らかに不必要な動きだぞ! スピード落として曲がりゃいいじゃないか!」

 小島が怒りの叫びをあげる。

 「今のぐらい、ほんの序の口よ。あれ? もしかして小島さん、絶叫マシーン苦手?」

 「・・・悪かったな。生まれてこのかた、ジェットコースターは避けてきたんだよ」

 「それならショック療法! これを機に克服しよー!!」

 ギュオオオオオオオ!!

 再び急カーブ。

 「や、やめろおお!!」

 絶叫する小島。

 「副隊長・・・止めさせなくていいんですか?」

 「ああなったらなに言ってもムダよ・・・。それに、あのミミズ結構速いわ」

 網膜投影ディスプレイに映るミミズを見ながら、仁木はためいきをついた。指揮車は100km近い速さで走っているのに、ミミズはつかず離れず追いすがってくる。

 「スピードを落とすわけにはいかないわ。小島君には気の毒だけど・・・」

 「それよりも新座君」

 「はい?」

 尾崎に声をかけられ、彼の方を向く圭介。

 「小島君は絶叫していられるから、まだいい方だと思うけど・・・」

 「・・・!」

 すぐに圭介は、尾崎の言葉の内容に気がついた。先ほどから一言も口を利いていない人物が、約2名。

 「ひかる、亜矢さん、大丈夫ですか?」

 心配そうに声をかける圭介。

 「私は・・・問題ないよ・・・」

 「私も・・・大丈夫です・・・」

 亜矢の声は、いつもと同じく冷静だった。しかし、ひかるの声はその内容通りに受け取っていいのか疑問に思わざるをえないほど、か細いものだった。

 「ひ、ひかる! 大丈夫かよ!? もしかして、酔ったか?」

 「だ、大丈夫です・・・。昔から、乗り物酔いだけにはかかりませんでしたから・・・。でも、やっぱり辛いですね・・・」

 「無理はするなよ。尾崎さん、ひかるがこうなったら、もしかしたら俺達出られないかもしれませんけど・・・」

 「ぼくはいっこうにかまわないよ。しかたのないことだからね」

 「すいません・・・」

 「気にすることないよ」

 尾崎が笑顔でそう言った、その時だった。

 「よし。ゴールが見えたぞ」

 小隈の声がした。見ると、「ゴール」である藤沢スタジアムは、すでに目の前に迫っていた。





 「いっくよー! つっこめぇーっ!!」

 楽しそうに叫びながら、聡美は指揮車を藤沢スタジアムの中へと突入させていった。そのあとに続いて、巨大ミミズもスタジアムの中へと入ってくる。

 「こちら第1小隊指揮車! 目標のスタジアム内への誘導を開始! 日照集中準備を要請する」

 運転に集中している聡美に代わり、小隈が現地で待機中だった部隊に連絡を入れた。

 「了解。気候集中装置、いつでも作動可能です」

 「了解。これよりそちらの援護に回る」

 そう言って、小隈は通信を切った。

 「よーし。岸本、コンテナを切り離して指揮車を観客席に上げろ」

 「了解!」

 ガチャン!

 スイッチを押すと同時に、指揮車に連結されていたコンテナが切り離される。球場のセンター奥に放置されたコンテナに向かって、ミミズは突進してきた。

 「餌に食いついたな。第1小隊、出動開始」

 小隈がそう言った頃には、指揮車はすでに観客席へと上がっており、VJ達が動き出そうとしていた。

 ゴゥン・・・

 後部ハッチが開き、第1小隊のVJが観客席へと進み出てくる。

 「ひかる、本当に大丈夫か?」

 先ほどまでのジェットコースターのような道程を経たひかるを気遣い、圭介が声をかける。

 「は、はい! 大丈夫です。これからお仕事なのに、その前にへばっちゃったりしたら・・・」

 「無理はするなよ」

 「本当に大丈夫です! ちゃんとやってみせますから」

 元気よく答えてみせるひかる。その言葉にどうやら無理はないらしく、管制作業は順調に行われているようだ。しかも、今回はいつものように圭介一人の管制を行っているのではなく、尾崎のパーシヴァルの管制も行っているのだ。

 (あいつも・・・ちゃんと成長してるんだな・・・)

 圭介はそんなことを思った。配属されてから半年。気の弱いところや必要以上に控えめなところなどはあまり変わってはいないが、管制員としての技量や状況判断といった能力は確実にレベルアップしているらしいということを、圭介は感じた。そして、それに比べて自分は実働員としてどれほどの成長を遂げたのかということも気になったが、それは自分では知ることのできない問題だった。

 「どうやら、心配は無用みたいだね」

 圭介の隣に並んだ黒いVJが声をかけた。圭介はそれに対し黙ってうなずくと、グラウンドの方に目を向けた。

 そこには、見るもおぞましい光景が広がっていた。気候集中装置のホースに囲まれたグラウンドは今も青い芝によって覆い尽くされているはずだった。しかし今は、グラウンドの中に進入してきた巨大ミミズがうねうねと複雑なとぐろをまいて動き回り、その7割がピンク色の体に覆い隠され、緑の芝は見えなくなっていた。鍋の中でおそろしく長いピンク色の麺がゆでられているようなその光景は、はっきり言って直視しづらいグロテスクさである。

 「隊長・・・早くやっちゃいましょうよ。これ以上こいつを視界に入れたくない」

 「同感だね・・・」

 うんざりした調子の小島と亜矢。他のメンバーもそれは同じだった。

 「まだだ。まだ奴の体がスタジアムに入りきってない」

 グラウンドの中は巨大ミミズの体によってほぼ占領されていた。これでもまだその全てが入っていないのかと思うと、全員背筋が寒くなる。その時だった。

 「こちら第2小隊。巨大ミミズ、完全にスタジアム内に進入を確認」

 第2小隊からの通信がはいった。

 「了解。作戦開始。入り口閉鎖と同時に、日照集中開始!」

 小隈の号令とともに、作戦の最終段階が始まった。

 ガシャーン!!

 まず、轟音とともに球場の入り口に用意されていた鋼鉄製のシャッターが閉ざされた。これによってミミズは退路を断たれることになったが、それに気づくことなく、なおもコンテナの中のハニーゼリオンをむさぼっている。そして・・・

 カッ!!

 突如として、グラウンドの上空から強烈な日射しが降り注ぎ始める。焼き殺す、というほどではないが、灼熱の砂漠並の強烈な日射が、グラウンドに閉じこめられた巨大ミミズに襲いかかった。

 シャアアアアアアアッ!!

 その日射しを浴び、たちまちミミズが悶え苦しみ始める。普段は湿った土の中で活動するミミズにとって、体を乾燥させるこの日射しを浴びることは、身を焼かれるにも等しい苦しみだろう。その日射しが襲いかかるグラウンドから、安全な観客席へとミミズはその体を伸ばし、はい上がろうとする。だが・・・

 「阻止しろ!!」

 バチッ!!

 その抵抗は、ズラリと観客席の最前列に並んだSMSと警察の隊員達によって阻まれていた。

 「上がらせやしないぜ!!」

 小島はスタンスティックを振るいながらそう叫んだ。高圧電流を浴びると、ミミズはたまらずグラウンドへともどってしまう。

 「これならいけますね」

 マルチリボルバーを連射しながら、圭介が言った。

 「でも、やはり油断ならないわね。特別に高くされたこのフェンスを乗り越えてくるなんて・・・」

 専用にカスタマイズされたスタンスティックを振るいながら、仁木は少し驚いていた。彼女の言うとおり、今回の作戦のためにグラウンドと観客席を隔てるフェンスには鉄の板を追加して、より高さを上げ、さらに電流を流している。そんな措置をとっているにもかかわらず、ミミズはグラウンドからはい上がろうとしてきた。生きるために必死とはいえ、その能力には舌を巻く。

 「タフなミミズだな! まだ干物にならないのかよ!」

 スタンスティックを振るいながら、小島が悪態をついた。





 そんな戦いが、30分あまり続いた。

 「テイッ!!」

 バチッ!!

 圭介のふるったスタンスティックが、フェンスをよじ登ろうとしたミミズの体を打ち払った。

 「副隊長! きりがありませんよ!」

 同じようにスタンスティックを握りしめた小島が叫ぶ。しかし、仁木は首を振った。

 「いえ・・・着実に体力は奪われつつあるわ。フェンスを乗り越えようとする回数も、だんだん少なくなっていっている・・・」

 彼女の言うとおり、強烈な日射を受けてミミズの体は乾燥し、動きが鈍くなってきた。

 「完全に乾燥させるまで、もうひと頑張りのはず・・・」

 「その通りですよ。がんばりましょう」

 そう言って9mm口径の「マクシミリアンmk−2」を連射しているのは尾崎である。第1小隊のマルチリボルバーより大口径の銃弾を喰らったミミズの体は、どす黒い体液をふりまいてちぎれ飛ぶ。尾崎はマクシミリアンとスタンスティックを器用に使い分けながら、ミミズを観客席にはい上がらせないために尽力していた。

 「研修の尾崎君だってこう言ってるんだ。弱音を吐いてる場合じゃないぞ」

 小隈の声がマイク越しに耳に入る。

 「わ・・・わかってますよ!」

 「たしかに・・・弱ってきてる。いけますよ」

 小島と圭介が、自分を奮い立たせるようにそう言った、その時だった。

 ギュルッ!!

 「!!」

 なんと、最後に力を振り絞るかのように、ミミズがその体をフェンスから乗り出してきたのだ。

 「いけない!!」

 「援護します!!」

 即座に仁木と尾崎が接近し、その体に攻撃を加える。

 「ヤァッ!!」

 バチィッ!!

 火花をあげるスタンスティックがミミズの体を打ち据え、再びミミズがフェンスの向こうに体をうねらせてもどろうとする。しかし・・・今回は、今までとは少し違った。

 ギュルッ!!

 「!?」

 なんと、ミミズはその寸前に尾崎の胴体にぐるりと絡むと、このあいだ仁木を地中に引きずり込もうとしたときのように、彼をそのままグラウンドへと引きずりこんでしまったのである。

 「尾崎さん!!」

 第1小隊の全員が叫ぶ。

 「そ、装着員の生命維持最優先! 設定を切り替えます!」

 しかし、ここでもひかるは半年の成長をかいま見せた。即座にパーシヴァルの設定を、ミミズの体に締め付けられても大丈夫なように変更する。

 「・・・やらせない!」

 仁木はそう叫ぶと、フェンスの上に飛び乗った。  「尾崎君! 無事なの!? 返事をしなさい!!」

 仁木が叫ぶ。すると、幾重にもとぐろを巻き、うねうねと動くミミズの重なった体の中から、黒い腕がにょっきりと突き出された。

 「一応・・・無事です!」

 そんな声が、ヘルメットの中に響く。しかし、仁木はその言葉に表情をゆるめることなく、左腕をその腕にサッと向けた。

 「アンカーショット!!」

 ボシュッ!!

 仁木のVJの左腕の袖からワイヤーが射出され、その黒い腕めがけて突き進む。そして・・・

 ガチャッ!!

 先端に分銅のついたそれは、グルグルとパーシヴァルの黒い腕に巻き付いた。

 「!・・・」

 ギリッ・・・

 すかさず仁木はそのワイヤーをつかむと、引き戻そうと力をこめた。

 「小島、新座、援護しろ」

 「「了解!!」」

 即座に小島と圭介はフェンスに飛び乗り、マルチリボルバーを構えた。

 ガガガガガガガガガガガガガガ!!

 フルオートに設定されたマルチリボルバーが火を噴く。弾丸は一つ残らずミミズに命中し、ミミズは苦しげに悶えた。

 「!・・・ヤアアッ!!」

 ガチャッ!!

 仁木が叫びとともに、最大限の力でワイヤーを引いた、その時だった。

 ズボッ!!

 ミミズのいましめから解き放たれた黒いVJは仁木のワイヤーによって、一本釣りされた魚のように、グラウンドから観客席へと放物線を描いて戻ってきた。

 ガチャッ!!

 片膝をついて着地したVJに、第1小隊のVJ達が駆け寄る。

 「大丈夫ですか、尾崎さん!?」

 「尾崎さん!」

 しかし、すぐに尾崎は立ち上がった。

 「いやぁ、面倒をかけてしまった。ごめんね」

 のんきな声の尾崎に、小隊全員が安堵のため息をもらす。

 「無事ならいいんですけどね・・・」

 「うん、本当に大丈夫だよ。いい一本釣りでしたよ、副隊長」

 「・・・ありがとう。無事でよかった。でも、本当に喜ぶのは作戦が終わってからにしましょう。みんな、気を抜かないで。いいわね?」

 「ハイッ!」

 元気のよい声ととともに、第1小隊は再び観客席の最前列に向かった。





 「それでは、次のニュースです」

 3Dモニターの中のアナウンサーは、落ち着いた声でそう言った。

 「SMS、警視庁合同で行われた、巨大ミミズ殲滅作戦から3日が経ちました。作戦の行われた藤沢スタジアムでは、現在も民間業者による死体処理作業が行われており・・・」

 モニターには藤沢スタジアムの中継映像が映っている。巨大なスタジアムのグラウンドの中に、異常に長い褐色の物体がとぐろを巻いてその体を横たえている。

 「秋でよかったなあ・・・」

 「なぜです?」

 「いや。あのスタジアムは住宅地に近いから、夏だったりしたら死臭がひどくて、絶対抗議の電話がじゃんじゃんかかってきただろうなと思ってね。脱臭剤くらいじゃ全然足りないよ」

 「なるほど。言えてますね。でもあれだけカラカラに乾いてちゃ、死臭がすることもないでしょうけど・・・」

 オフィスのモニターの中のそんな映像を見ながら、小隈と尾崎はぼんやりとそんな会話を交わしていた。

 ニュースが伝えているとおり、あの作戦から3日がたっていた。スタジアム内に閉じこめた巨大ミミズを、集中した太陽熱によって乾燥させ、丸干しにして殺してしまう。そんな奇妙な作戦は功を奏し、かつて小島が例えたように、巨大ミミズは真夏に間違ってアスファルトの道路の上に出てきて、そのまま漢方薬のようにひからびてしまったミミズそっくりの姿を、スタジアムの中にさらしていた。体の芯までカリカリに乾燥してしまったため、幸いにして死臭をまき散らすことなく、死体を粉末状に崩してはトラックに乗せて処理場まで運搬するという作業は順調に進んでいる。

 「そういえば、あれがどうして生まれたのか、原因はわかったんですか?」

 「うちの捜査部と警察が合同で調べて、ようやくわかったよ。これが呆れた話なんだが・・・聞きたいかい?」

 「ぜひ」

 尾崎がそう言うと、小隈は一枚の写真を取り出した。

 「原因はこの男さ。チャールトン・ダイウィン。63歳。アメリカ資本の遺伝子産業の会社「パラソル」の日本支社の開発技術部長だ」

 「あの悪名高い「パラソル」ですか。顧客のニーズに合わせてどんな生き物でも作ってしまうために、国連の遺伝子技術規制委員会から目をつけられている・・・。それじゃあ、あれは会社ぐるみの・・・」

 しかし、小隈は首を振った。

 「いいや。今回は、上の人間達も知らなかったらしい。どうやらこの人、腕はよかったらしいが、根っからのマッドサイエンティストだったらしい。顧客の注文よりも自分の趣味で生き物を作り出すことに熱中していたから、会社も近く更迭するつもりだったらしいが・・・」

 「知らないうちに、あんなものを作っていた・・・?」

 「なにしろ、知らないところで作っていたわけだから、発覚が遅れた。そのうえ、ただでさえイメージダウンに悩んでいる会社が不祥事を隠そうとしたらしいんだよ。俺は生まれてこのかた、会社なんかで働いたことなんかないから、経営者の気持ちなんてわからないが、バカなことをしたもんだよ。恥の上塗りだ」

 「そういうものですよ。結局、大騒ぎの始末をするのは、我々ですけど・・・」

 苦笑しながら、尾崎はテレビに目を戻した。

 「しかしあれだけのでかさじゃあ・・・全部終わるまで時間かかるでしょうね。この撤去作業」

 「そうだな」

 「ところで・・・あれ、どこに捨ててるんです?」

 「今まではゴミ処分場に運んでいたんだけどね・・・昨日、面白いことがわかったんだよ」

 小隈は手元に置いてあった資料を取り出した。

 「あの巨大ミミズの粉末だけど・・・肥料として非常に優れてるってことが、学者先生達の研究でわかったそうだ。うちの経理部門に腕のたつ奴がいれば、うまく売りさばいて今回の作戦にかかった経費のもとぐらいはとれるかもしれないな」

 「へええ・・・。でかくてもミミズはミミズですね。死してなお畑の役に立つなんて、なかなか見上げた奴じゃないですか」

 仁木か誰かがいればこの脳天気な会話を少しとがめるようなことがあったかもしれないが、今のところ、オフィスにいるのはこのマイペースな二人だけである。

 「しかし、君も残念だったな。研修の最後の任務が、ミミズの丸干し作戦とは・・・。俺達としては、もっと土産話として自慢になりそうな任務をこなさせてあげたかったのが親心なんだけど・・・」

 小隈は苦笑しながら頭をかいた。

 「気にしないで下さいよ。ぼくはむしろ、喜んでます。あんな巨大ミミズのように想像を超えた事件が発生しても、即座にそれに対する対応策を考え、チームワークで事件を速やかに解決する・・・。それこそがSMSという特殊部隊の、最大の武器であると、ぼくはこの2週間で学びましたが・・・違いますか?」

 笑顔で言う尾崎に、小隈はうなずいた。

 「たしかに、俺達の売りはそれだな。俺達に求められてることがそれだから、イヤでも実践しなきゃならんのだが・・・それだけ学んでもらえれば、正直言って俺が教えられるようなことはないなあ」

 「光栄です。第1小隊は最高のチームでしたよ。イギリスでこんなチームを組めるように、帰ったら全力を尽くします」

 「うん、期待してるよ。でも、あんまり頑張りすぎないようにね」

 小隈はそう言うと、タバコを取り出した。

 「吸うかい?」

 「せっかくですから・・・いただきましょうか」

 尾崎がタバコを箱からとって口に運ぶと同時に、小隈がライターをつけて寄せた。

 「い、いいですって、そんなこと・・・」

 「水くさいぞ。未来の隊長」

 小隈のその言葉に、尾崎は照れながらもタバコの先に火をつけてもらった。その時だった。

 「パーティーの準備ができました!」

 勢いよくドアを開けて入ってきたのは、聡美とひかるである。

 「おお、やっとできたか」

 「七面鳥が焼けるのに時間がかかっちゃって・・・すいません。待ちくたびれちゃいましたか?」

 「そんなことはないよ。やっぱり、僕達も手伝った方がよかったんじゃ・・・」

 「何言ってるんですか尾崎さん。パーティーの主役がパーティー手伝ってどうするんです。ささっ、こっちへどうぞ」

 せかすように尾崎を誘導する聡美。苦笑しながら尾崎は小隈、ひかるとともに、研修期間最後の日を、彼のために小隊が開いてくれたパーティーへの出席で終えようとしていた・・・。





 「ごちそうさまー・・・」

 カタリ、と皿にカップを置き、聡美はなんとなく首を巡らした。周囲では同じように、お茶の時間を終えようとしているメンバーがくつろいでいた。

 「短い間でも、一緒に働いてた人がいなくなっちゃうのって、やっぱり寂しいなあ・・・」

 聡美が見た場所には、昨日まで置かれていた尾崎の机はすでになかった。

 「たしかにそうですよね。尾崎さんからもらった紅茶も、今日のこの分で最後だし・・・」

 「えっ? そうなの?」

 圭介の言葉に、聡美が少し驚いた声で言う。ひかるは小さくうなずいた。

 「おいしかったですよね。日本でもどこかで手に入れられないかどうか、今度調べてみます」

 「そっかぁ・・・。紅茶もなくなっちゃったとなると、ますます名残惜しいね。尾崎さんがいる間に、マラソン対決、一回勝ちたかったなぁ・・・」

 「なんだ。お前結局一勝もできなかったのかよ」

 それまで黙っていた小島が口を挟む。

 「13戦のうち、新座君が7勝6敗。あたしなんて0勝13敗よ。ほとんど新座君と尾崎さんのタイマン勝負みたいになっちゃって、つまんないったらありゃしない。新座君、あたしもっと体鍛えて、絶対勝ってみせるからね」

 「ハ、ハハ・・・」

 圭介に対し、静かに闘志の炎を燃やす聡美。その勢いに、圭介は圧倒されながら苦笑するしかなかった。

 「まぁ・・・尾崎君がいなくなったのは確かに寂しいが、これがもともとだ。お前達がいれば、どのみちここは騒がしい場所なんだからな」

 新聞を読んでいた小隈がそう言った。

 「そう言えば隊長、尾崎さんとパーティーの前に話してたみたいですけど・・・」

 圭介が質問をする。

 「なんだ?」

 「尾崎さん、俺達のこと、どういう風に思っていたんでしょうね?」

 圭介のその言葉を機に、全員の視線が小隈に集まる。

 「・・・情けないなぁ、お前達も。外からの評判なんか気にするもんじゃないぞ」

 「そうはいっても・・・尾崎さんは俺達から新部隊の設立のためのノウハウを学ぶためにここで働いたわけですから、俺達からどういうことを学んでくれたか、気になることじゃないですか」

 圭介の言葉に、全員がうなずく。小隈はひとしきりその顔を眺め渡したが、やがて言った。

 「・・・心配するな。お前達は最高のチームだ。尾崎君はそう言ってくれたよ」

 その言葉に、隊員達の顔に安堵の笑みが浮かんだ。それを見た小隈は、ふと時計を見上げた。

 「尾崎君は、まだ飛行機の中かな・・・」

 ぼんやりとつぶやく小隈。尾崎は今日の昼前、彼ら第1小隊に見送られ、この分署をあとにしたのである。

 「さて・・・お皿、下げるわよ」

 「あ、すいません副隊長」

 ゆっくりと席から立ち上がった仁木は、そう言って全員のカップをお盆に乗せはじめた。彼女はそれを持ったままオフィスを出ていき、キッチンへと歩いていった。

 「アーーーーーーーーーーーッ!!!」

 その直後、オフィスの中にすさまじい叫び声が響き渡った。

 「な、なんなんだよ!? いきなりデカイ声あげるんじゃねえよ!!」

 「聡美君・・・今のはあまりにも・・・マナー違反が過ぎるんじゃないかな・・・」

 このはた迷惑な叫び声に、それぞれ叫び声の主である聡美に対して怒りの表情を見せる小島と亜矢。しかし、聡美はそれどころではないといった顔で、彼らに言い返した。

 「忘れてたのよ! 大事なこと!」

 「だ、大事なことって・・・なんですか?」

 聡美の叫び声でしばらくショック状態になっていたひかるが、ようやく声を出した。

 「あの話よ! 赤い洗面器の男の話! あの話のオチ、まだ聞かせてもらってなぁい!!」

 再び大声で叫ぶ聡美。その言葉に、オフィスの中の空気が一瞬、ハッとしたように静まり返った。





 Trrrrrrrr・・・

 彼女の胸ポケットに入っているウェアラブルフォンが鳴ったのは、彼女がキッチンでカップを洗っていた時だった。急いで手を拭き、スイッチをいれる。

 「はい、仁木ですが・・・」

 「やあ。ちょっと早めだけど・・・ご機嫌いかが?」

 電話の声に、仁木は少し驚きつつも、すぐに答えを返した。

 「小隊のみんなは少し寂しがってたけど・・・あの子達ならすぐに元通りになるわ」

 「フフッ・・・そういう言い方、すっかりいいお姉さんだね」

 「・・・仕方ないじゃないの。私が隊長の次に年長なんだから、そういう意味でもしっかりしないと・・・。それに、あなただって私と同い年でしょう?」

 少しムッとした様子で、仁木は言い返した。

 「それはごもっとも。失礼したよ」

 「あなたの方はどうなの? またロンドンに帰る気分は?」

 電話の向こうでは少し考えていたようだったが、やがて声が返ってきた。

 「向こうには向こうの楽しみがあるからね。一概に寂しいとは言えないけど・・・また君と離れるのは、やっぱり寂しいかな」

 「光栄ね」

 仁木はそう言って、わずかに笑った。電話の向こうからも、小さく笑い声が漏れる。

 「君が選んだリング、しっかりと上司にお届けするよ。たぶん、気に入ってもらえると思う」

 「しっかり頼んだわよ」

 「あ、それと・・・」

 「?」

 「ぼくが今度来る時は、今度は君の分を選ぶ番だから。今のうちに、選んでおいてほしいんだけど」

 「!!」

 仁木はその言葉に唖然としたが、やがて、返した。

 「・・・うんと高いのを選んでおくわ。覚悟しててね」

 「それは厳しいお話だね・・・」

 「・・・冗談よ。あなたの懐具合を考えて、そこそこのを選んでおくわ」

 「バカにしないでくれよ。こう見えても、結構給料はいいんだからね。遠慮せずに、ドンと来なよ」

 憮然とした様子で言う電話の声。仁木はそれがおかしく、小さく笑った。

 「あ・・・悪い。そろそろ代わらなきゃ。これ、機内電話でね。後ろがつかえてるから・・・」

 「それなら、代わってあげたほうがいいわね」

 「それじゃあ、これで失礼するよ。ロンドンに帰ったら、また電話していいかな?」

 「・・・時差を考えてよ。私達には睡眠時間は貴重なんですから」

 「もちろん。それじゃあ、切るよ。ありがとう。いろいろとお世話になって・・・」

 「お礼を言うのはこっちよ。楽しい2週間だったわ。向こうでも、頑張ってね」

 「ああ。頑張りましょう、お互いに。それではお元気で。仁木副隊長」

 「こちらこそ。未来の隊長」

 プツッ・・・

 電話は切れた。仁木はしばらく黙ってウェアラブルフォンを見つめていたが、やがて洗い物を再開し、それを終えてキッチンの外へ出た。

 「あ、副隊長」

 彼女が外へ出ると、小隈をのぞく全員と出くわした。全員、スポーツウェアに着替えている。

 「あなた達、トレーニング?」

 「ランニングです」

 「言い出したのは例によってこいつ。俺達は巻き添えですよ」

 迷惑そうな顔で聡美を見る小島。

 「なぁに言ってるんです。尾崎さんがイギリスに帰って、いよいよイギリスでも特殊部隊が誕生するんですよ! その特殊部隊に負けないように、私達はもっともっと鍛錬に励まないと! ボヤボヤしてると、追い抜かれちゃいますよ」

 「別にかまわないだろうが。よそはよそ、うちはうち。特殊部隊同士で実績競ったって、とくに損得があるわけじゃなし。俺達は俺達なりに頑張ってりゃいいんじゃないの」

 「そういうのがいけないんですって! それにこれからも尾崎さんみたいに「教育実習生」が来るかもしれないじゃないですか。その時のためにも、やっぱりあたしたちは見本となる先輩として恥ずかしくない力をつけておく必要が・・・」

 例によってギャーギャーと騒ぎ始める小島と聡美。

 「新座君、ひかる君・・・先に行ってようか・・・」

 「そうですね」

 それを横目に、亜矢達はのんびりと先に進もうとした。

 「副隊長も、一緒にやりませんか? この際メンツは多い方がトレーニングにも張りが出るし・・・」

 圭介の誘いに、仁木はうなずいた。

 「いいわ。着替えてくるから、先に行ってて」

 そう言うと、仁木は更衣室の方へと去っていった。

 「それじゃいきましょうか」

 「そうだね・・・」

 「副隊長、なんだかうれしそうじゃありませんでしたか?」

 仁木の去っていった後ろを気にしながら、ひかるが言った。

 「うれしそうって・・・副隊長、別に笑ってなかったけど、どうして?」

 「うまく言えませんけど・・・なんだか、うれしそうな感じがして・・・」

 「気のせいじゃないか? 俺にはいつもの副隊長に見えたけど」

 「そうですか?」

 「うれしければ必ずしも笑顔を浮かべるというものでは・・・ないからね。ひかる君の言うとおり・・・なにかうれしいことがあったのかもしれない・・・」

 「そこまで言うならそうかもしれませんけど・・・副隊長、ティーカップを洗ってただけだよな。そんなにうれしいことがあったとは思えないけど・・・」

 首を傾げながら歩く圭介とひかる。その後ろを、無表情のままついていく亜矢と、相変わらず騒いでいる聡美と小島。仁木の言うとおり、やはり彼らはすぐに元通りになったようだ。




関連用語

・全長1kmの大ミミズ

 てんとうむしコミックス第45巻「ガラパ星から来た男」登場。その名の通り、全長1kmの大ミミズ。未来デパートのガラパ星生物進化研究所の開発技術部長ダイウィン博士が作った新生物の一つ。こんなのがいたら本当に気色悪いと思う。博士はマッドサイエンティストだったらしく、このほかにも巨大食虫植物などというもっと物騒なものを作っていた。



・アットグングン

 てんとうむしコミックス第38巻「時計はタマゴからかえる」に登場。しかし実際はこの話よりも、ドラえもんの道具を多数収載したいわゆる「大百科」シリーズによく記載されていることで有名。動物、植物を問わず、あらゆる生物をその名の通りアッという間に成長させる効果を持つ特殊栄養剤。

 なお、主成分がハニーゼリオンであるというのは全くのオリジナル。ハニーゼリオン自体は、某特撮番組に登場した、生物の巨大化作用をもつ薬品である。



・気候集中装置

 てんとうむしコミックス第43巻「まわりのお天気集めよう」に登場。消火栓か消火器のような形の円筒に、ホースが連結されている。この円筒を始点・終点にホースを円状に連結し、設定をしてスイッチを入れると、ホースでできた円内には指定した範囲の気候を集めることができる。数キロ四方の雨を一箇所に集めて地域内を晴れにしたり、やはり一定範囲の日照を集めて短時間で洗濯物を乾かす、といったように、使い道は多く非常に便利。


次回予告

 聡美「さぁ〜って、次回のPredawnは〜っ♪」

 圭介「新座です」

 聡美「あ、また新座君なんだ」

 圭介「一巡しちゃいましたからね。また出番と相成りました。よろしく」

 聡美「それはいいんだけどさ、なんだか今回の話って、あたしたちの
    影薄くなかった?」

 圭介「しょうがないじゃないですか。副隊長と尾崎さんのお話なんですから」

 聡美「それはそうだけどさ・・・。特に新座君とひかるちゃん、亜矢さんの
   影が薄かったような・・・」

 圭介「そ、それを言わないで下さい!」

 聡美「ごめんごめん。ま、でもまだ先はあるんだし、活躍のチャンスなんて
   いくらでもあるって。気にしないで予告行こうよ」

 圭介「トッホッホ・・・。次回、「幻? 影? 迷宮研究所」。お楽しみに」

 聡美「あ、そう言えば次回の話、あたしがメインだって作者が言ってたわね」

 圭介「そうなんですか? 聡美さん、メインじゃなくても十分目立ってる気がしますけど」

 聡美「そんなこと言わないでよ。あたしだってスポットライトを浴びたいんだから」

 圭介「はいはい。あんまり出番持ってかないでくださいよ」

 聡美「わかってるわかってる。あたしは後輩思いの優し〜い先輩なんですから♪」

 圭介「・・・」

 聡美「よぉ〜っし! 次回のために景気づけよ! 新座君、離れたところからこれ投げて!」

 圭介「まだやってたんですか、あんパン・・・。前にも言いましたけど、とっくの昔にじゃんけんに
    変わってますって・・・」

 聡美「つべこべ言わないの。ミュージック、スタート!」

 (♪ヒゲダンスのテーマ)

 圭介「・・・聡美さん、ほんとはいったいいくつなんです?」

 (ギュウ)  聡美「・・・言うてはならんことを言うのはこの口か? ん?」

 圭介「・・・ごめんなはい。わかりまひたから、そのへをはなひてふらはい」

 聡美「よろしい。さっきからごちゃごちゃうるさいのよ新座君は。さっさと投げて」

 圭介「はいはい。それじゃあ、いきますよ」

 ポイッ! パクッ!

 聡美「ンガググ!」(喜びのヒゲダンス)

 圭介「これでいいのかなぁ、うちの小隊・・・ハァ」


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