ガンガンガンガンガンガン!!

 コンクリートの壁をむき出しにした、装飾も素っ気もない薄暗い地下室。その中に、いくつもの銃声がやかましく響き渡っていた。

 銃声の主は3人・・・。強化ガラスで仕切られたそれぞれのブースに立ち、前方にあるターゲットに向けて、手に持った拳銃で一心不乱に射撃を行っている。目にはゴーグルを装着し、耳にはヘッドホンをつけているが、どうやら全員、女性らしい。

 ビーッ!!

 「そこまで!」

 ブザーの音に続いて、地下室の中に仁木の声が響いた。その声で、3人が射撃をやめる。ほどなくして、備え付けのモニターにいくつかの数字が表示された。

 「あ・・・惜っしーい!! もうちょっとだったのにぃ!!」

 「あ、危なかった・・・。もうちょっとで抜かれるとこだった・・・」

 頭から取ったゴーグルとヘッドホンを振り回しながら、モニターの前で悔しそうに叫んでいるのは聡美。その横で圭介が、ホッとした様子で胸をなで下ろしている。ちなみにモニターには

 岸本聡美 :42Point
 服部ひかる:33Point
 桐生亜矢 :37Point

 という数字が表示されている。

 「あと1ポイントで新座君と並べたのにぃ!!」

 なおもブー垂れる聡美。

 「私、一番成績が悪いですね。もっと頑張らないと・・・」

 恥ずかしげに言うひかる。しかし・・・

 「いや、30ポイントいけば十分だと思うぞ」

 その横に来た圭介が、ポンとその肩を叩いた。

 「そうですか・・・?」

 「そーそー、新座の言うとおりだぜ。ひかるちゃんの本業は、指揮車の中での仕事なんだから。射撃の腕前なんて、そんなに必要ないさ。あいつみたいに、同じ指揮車の中での仕事が本業なのにやたら射撃ができる方がおかしいんだって」

 そう言って、聡美の方を見る小島。

 「・・・小島さん、そういう台詞は、あたしのポイントを上回ってから言ってほしいわね」

 クルリと振り返った聡美は、少し挑発的な口調で言い返した。

 「グッ・・・う、うるせぇ! もともと俺は医者だから、銃を撃つより撃たれた方を治す方が得意なんだよ!」

 「銃が本業じゃないのはあたしだって同じだけど?」

 「はいはい、そこまでにしなさい」

 いつもの言い争いになりそうになっていたので、少し離れたところから見ていた仁木が手を叩きながら止めに入った。

 「これは射撃訓練です。ゲームではないんだから、ポイントの優劣でそんなに熱くならないの」

 「はぁい」

 借りてきた猫のようにおとなしくなる二人。

 「でも岸本さんの言うとおり、小島君はやっぱりもっと射撃訓練の必要があるわ。岸本さんに抜かれたのは岸本さんの腕だとしても・・・実働員としては、40ポイント以上の成績を期待したいところね」

 「す・・・すいません」

 少ししょげる小島だったが、その横で聡美が面白そうな顔をしてこちらを見ていることに気づき、無言でにらみつけた。

 「成績が39ポイント。あと2ポイントで、亜矢さんにも追いつかれるところだったわよ。強制はしないけど、もっと練習してほしいわね」

 「フ・・・私も・・・もう少し頑張ってみようかな・・・」

 それまで少し離れたところから見ていた亜矢が、ボソリとつぶやく。

 「うかうかしてらんないな・・・。了解しました。努力してみます」

 「その意気よ、がんばって」

 笑顔で小島の肩を叩く仁木。その時

 「おーい、終わったかぁ?」

 のんきな声がした。見ると、階段からゆっくりと小隈が降りてきた。

 「成績は?」

 「ご覧の通りです」

 仁木はモニターを指し示した。

 1位:仁木葉子  48Point
 2位:新座圭介  43Point
 3位:岸本聡美  42Point
 4位:小島佳樹  39Point
 5位:桐生亜矢  37Point
 6位:服部ひかる 33Point

 「なるほどねえ。健闘したな、岸本」

 「練習量が違いますって。当然当然」

 誇らしげに胸を張る聡美。

 「それよりも隊長・・・ご用があったのでは?」

 「あ、そうそう。ちょうどパトロールの時間だ。行ってこい」

 そう言って、聡美にウィンディのキーを投げ渡す小隈。

 「はい! 岸本聡美、定時パトロールに出発します!」

 キーを受け取り、ピッと敬礼をすると、聡美は階段を駆け上がっていった。

 「それじゃあ、俺達もオフィスに戻るとするか」

 「はいっ!」

 ゾロゾロとオフィスに戻り始める第1小隊。その途中、ひかるがなんとなく口を開いた。

 「あの・・・隊長」

 「なんだ?」

 「VJをもう一つ増やすわけにはいかないんでしょうか?」

 その言葉に、全員がひかるの顔を見た。

 「なぜそう思うの、服部さん?」

 代表して仁木が問う。

 「いえ・・・今日の射撃訓練の結果もそうだったんですけど・・・前から思ってたんです。聡美さんは射撃もうまいし、柔道の腕前も圭介君に負けないくらい強いですよね。実働員としてVJを着て働けば、きっと活躍できるはずなのに、どうしてそうしないのかなって・・・」

 「あ、それは俺も思ってた。救助任務ならともかく、鎮圧任務なら小島さんより聡美さんの方が、絶対役に立ちそうだよな」

 「なんだと新座!」

 「やめた方がいいよ・・・小島君」

 ひかるに対し素直すぎる相づちを打つ圭介。それに怒る小島と、止めに入る亜矢。小隈は黙って聞いていたが、やがて言った。

 「・・・たしかにそうだ。それができりゃ、どんなにいいとは思ってるんだが・・・」

 「何か問題があるんですか? 予算とか」

 ひかるが疑問の声をあげる。

 「いや。本気になってしつこく上に掛け合えば、VJのもう一つぐらいなんとか用意できると思う。問題があるのは、あいつの方だ」

 「聡美さんの・・・?」

 「閉所恐怖症なんだよ・・・」

 小隈に代わって、亜矢が答えた。それにうなずき、仁木があとを続ける。

 「彼女、小さい頃は家族と一緒に田舎のおじいちゃんの家で暮らしてたらしいわ。でも、あの元気すぎるところは昔も今も同じみたいで、よくいたずらしては怒られてたみたい。それである時、おじいちゃんを本気で怒らせるいたずらをしてしまって、離れにある古い蔵に一晩中閉じこめられたらしいわ。それ以来、狭いところが苦手なのよ、彼女」

 「笑っちゃうよな。自業自得だ自業自得」

 「小島君・・・笑うのは失礼だと思うが・・・」

 小島をたしなめる亜矢。

 「閉所恐怖症・・・たしかにVJって、ボンベからしっかり空気は通ってるのに、なんか息苦しい感じがしますもんね」

 「でも、かわいそうですね。自分で動きたいって思ってるのに、それができないって・・・」

 それぞれ聡美に対して、同情の言葉をつぶやく圭介とひかる。

 「一番残念がってるのはあいつだよ。でも、あいつはそれでへこたれるような奴じゃない。あいつは自分のポジションで、自分なりの結果を出している」

 小隈が言った。

 「あいつがVJを着られないのは、あいつも俺も残念なことだ。だが、無理をするわけにはいかないからな。やっぱりベストは、適材適所だ。そして現時点では、お前達がそれぞれ所属しているポジションは、ベストなものだと思っているが・・・お前達はどうだ?」

 「はい! そう思ってます!」

 「働きがいのある場所ですよ」

 それぞれに賛同の言葉を出す隊員達。小隈はそれを聞くと、うなずいた。

 「今のところ、ミスキャストはないらしいな。よかったよかった」




第8話

〜November〜

幻? 影? 迷宮研究所


 「こちらウィンディ。本部、応答願います」

 「はい、こちら本部です」

 ウィンディを運転しながら、聡美は分署に通信を入れた。

 「ただいま第8ブロックのパトロールを完了。これより第9ブロックのパトロールののち、本部に帰還します」

 「了解。気をつけて下さいね」

 そこで聡美は通信を切った。彼女はそのまま市街地を走り抜けていく。が、やがてある考えが頭に浮かび、車を路肩に止めると、近くにあった自販機に近づいていった。

 「ちょっとくらい、いいよね・・・」

 聡美は懐から財布を取り出すと、硬貨を自販機の中に入れていった。

 ガシャン!

 ボタンを押すと、勢いよくお茶の缶が落ちてきた。彼女はそれを拾い上げると、その場でプルタブを開け、口を付けた。

 「ハァ・・・」

 ため息をつきながら、息を吐いてあたりを見回す。駅前通りであったそこは買い物客でにぎわっていた。ビルの壁にはいたるところに、クリスマスツリーやサンタクロースを描いた垂れ幕が下がっている。

 「もうそんな時期か・・・。まだ一ヶ月以上もあるってのに、気が早いなぁ・・・」

 それを見ながら、彼女はそんなことをつぶやいた。そして直後、去年の今頃にもやはり同じ様なことを口にしていたなと思いだし、小さく苦笑したのだった。

 「・・・」

 彼女が「そのこと」に気づいたのは、その直後だった。道行く人々が、チラチラと自分を見ては通り過ぎて行くのである。

 考えてみれば、自分は今SMSの制服を着ているのである。そんな自分がこんなところでお茶を飲みながらボーっと突っ立っていては、さぼっていると思われてもしかたないだろう。普通の人なら「あの人達の仕事は大変だからな。たまにはお茶でも飲んで息抜きってのもしかたないだろう」とでも思って、黙って通り過ぎていくだろう。しかし中にはうるさい人だっている。「おたくの隊員がお茶を飲んでさぼっていた」などと、ご丁寧にもSMSに苦情の電話をいれるうるさい人もいるだろう。小隈隊長ならいざ知らず、副隊長のような真面目な人の耳に入ったら面倒なことになるかもしれない。

 「やば・・・」

 そこまで考え、聡美はお茶の残りをウィンディの中で飲むことにし、ウィンディに戻ろうとした。その時だった。

 ギュッ・・・

 「?」

 服の裾を、何かにつかまれた。彼女が驚いて、視線を下げると・・・そこには、彼女の制服の裾をつかんでこちらを見上げている女の子がいた。

 「あの・・・」

 「どうしたの?」

 聡美はしゃがみ込み、彼女と同じ視点になると、優しく語りかけた。

 「お姉さんは・・・おまわりさんですか?」

 「え・・・?」

 その質問に、聡美は戸惑った。

 「うーん・・・おまわりさんじゃないけど、似たようなお仕事・・・かな。どうして?」

 頭をかきながら、聡美は答えた。

 「お母さんに言われたの。道がわかんなくなったら、おまわりさんに聞いてって」

 その言葉に、聡美はその子の素性をだいたい把握した。

 「迷子になっちゃったの?」

 黙ってコクンとうなずく女の子。

 「どこに行きたいの?」

 「パパに、これを届けにいくの」

 そう言って、女の子はさげていたカバンから四角い包みを取り出した。どうやら、お弁当箱らしい。初めてのお使い、というやつだろうか。

 「そっか。これがないと、パパお腹すいちゃうもんね」

 少女はうなずいた。

 「いいわ。お姉ちゃんが連れてってあげる。パパが働いている会社の住所とか地図とか、わかんないかな?」

 その言葉に、女の子はパッと顔をかがやかせ、カバンの中から紙を取り出して聡美に渡した。どうやら、女の子の母親が書いたものらしく、「空間歪曲技術研究所」の住所と、そこまでの地図が書かれていた。

 「お父さん、あの研究所で働いてるんだ。すごいねぇ」

 聡美が驚きながら言うと、女の子は嬉しそうな顔をした。

 「あんまり遠くないけど、歩くとちょっと時間かかるかもね・・・」

 女の子を見ながら、聡美は言った。

 「いいわ。あの車で行きましょう。乗って」

 「ありがとう」

 ペコリと頭をさげる女の子。聡美は微笑ましい笑顔を浮かべた。

 「どういたしまして。あ、そうだ。ねぇ、お名前教えてくれないかな?」

 「木幡はるか、5才です」

 礼儀正しくあいさつをする女の子。それを見て、聡美も言った。

 「あたしは岸本聡美。よろしくね。それじゃあはるかちゃん、行きましょ」

 「うん!」

 元気よく返事をするはるか。聡美が助手席のドアを開けてやると、彼女はぴょこんと中に飛び乗った。聡美は運転席に座ると、通信を入れた。

 「こちらウィンディ。本部、応答して下さい」

 「こちら本部です。聡美さん、何かありましたか?」

 応答には、さきほどと同じくひかるが出た。

 「大事件じゃないんだけどね。お父さんのところにお弁当を届ける途中で迷子になった女の子を保護したから、ちょっと送ってくわ。場所は空間歪曲技術研究所。すぐに済むと思うけど、一応連絡しておこうと思って」

 「了解しました。隊長には伝えておきます」

 「頼んだよ。それじゃあね」

 聡美はそこで通信を切った。横をみると、はるかが不思議そうな顔でこっちを見ていた。

 「かっこいいでしょ? それじゃ、いくわよ」

 聡美はニッと笑うと、エンジンを勢いよくふかした。





 一方、同時刻・・・。都内港区、空間歪曲技術研究所。

 21世紀中頃に区画整理事業が集中して行われたため、東京の街は以前と比べてずっと整然と、美しいものに変貌していた。一つ一つの建物も、かなり余裕をもって建てられているようになっている。

 そして、そんな建物の一つ・・・。白亜の巨大な建造物、空間歪曲技術研究所は、そこにあった。

 その建物の裏口・・・業者のための資材搬入のための入り口に、一台のトラックが入っていった。

 「はーい、ご苦労さん」

 中にいた警備員が、トラックの運転席に近づいていった。窓が開き、運転手は彼の顔をちらりと見ると、伝票がわりの携帯端末を彼に手渡した。

 「ちょっと遅れたな」

 「途中で事故があってね。少しばかり道が混んでいた」

 「まあ、ほんの少しばかりだ。・・・よし、いいぞ」

 警備員は端末を運転手に返した。彼は小さく会釈をすると、入り口からさらに奥の駐車場までトラックを走らせ始めた。

 「めんどくせえな。最初っから強行突破すればよかったんじゃないのか?」

 やがて、助手席の男が不機嫌そうに言った。

 「バカを言うな臼井。この役目は我らの教義のための偉大なる使命なんだぞ。ギリギリまで奴らに知られてはまずいんだ。役目は慎重に果たせ。わかったな」

 「はいはい」

 そう答える男を横目に、運転席の男は腕は立つが気の短いこの男を連れてきたことが正しかったかどうか、一抹の不安を覚えた。





 「さ、着いたよ」

 白亜の建物の駐車場にウィンディを止め、聡美が言った。

 「パパ、ここでお仕事してるんだ・・・」

 彼女も研究所を初めて見るらしく、はるかは目を輝かせていた。

 「すごいねえ。さ、中に入ろう」

 聡美ははるかの手を引いて、研究所の中へと入っていった。





 一方そのころ・・・。

 「主任、この間のデータですが・・・」

 白衣を着た研究員が、眼鏡をかけた研究員に向かって資料を持って歩いてきた。

 「出たか。見せてみろ」

 「はい・・・」

 彼は資料を受け取ると、パラパラとめくって首を振った。

 「これじゃあ出力が弱すぎるな。空間崩壊の危険性がある。これじゃあ実用化は危険すぎる」

 「そうですよね・・・」

 「俺からもう一度、メーカーを当たってみる。君は別の仕事にかかってくれ」

 「わかりました」

 眼鏡の研究員は部下にそう指示を出すと、席についた。机の上には「主任研究員 木幡雄二」というプレートが乗っていた。机に着いた彼は、パソコンを前に作業を始める。その時だった。

 「ここじゃないんですよ。受け渡しはもう一つ向こうの部屋でやってるから、そっちへ行ってください」

 広い大型研究室の中に、研究員の声が響いた。そちらを見ると、一人の研究員が宅配便の従業員らしい男達を前に、困った顔をしていた。どうやら、機材の搬入をしにきたらしいが、部屋を間違えてしまったようだ。たしかにこの研究所で使う機材の引き渡しは、もう一つ向こうの部屋で行われている。しかし・・・

 「いえ、私達が用があるのはこの部屋なんです」

 「? どういうことです?」

 平然と言う男に、研究員はわけのわからない顔をした。その直後

 バババババババババババババ!!

 突然、男達のうちの一人が自動小銃を取り出し、それを天井に向かって乱射した。

 「キャーッ!!」

 たちまち、研究室の中が絶叫で満たされる。

 「全員、じっとしていろ!!」

 いつのまにか、他の男達もそれぞれ自動小銃を取り出し、あたりに向けていた。その声と黒光りする銃口に、研究室の中が静まり返る。

 「じっとしていれば、当分のあいだは危害を加えないことを約束しよう。この研究室の責任者は誰だ?」

 リーダー格らしき男が、声を張り上げた。

 「・・・私だ」

 静かな声で、ゆっくりと木幡が前に進み出た。

 「主任・・・」

 「静かにしていろ。大丈夫だ」

 足下に伏せている部下にそう言うと、彼は毅然とした態度で男の前に立った。

 「・・・私が、ここの主任研究員をしている者だ。これはいったいどういう真似だ? この研究室の中で銃を乱射するなんて、正気の沙汰とは思えないが?」

 「肝が据わってるじゃねえか、主任さん。いきなり俺達に向かって、正気の沙汰じゃない、とはねえ」

 「臼井、黙ってろ」

 リーダー格の男がそう言うと、一番若いその男は黙り込んだ。

 「失礼をした。別に正気を失っていると思われてもかまわないが、我々にも一応は理性が存在している。そのことは、理解しておいてもらおうか」

 「何者だ・・・何が目的なんだ?」

 木幡は恐れることなく、男をにらみつけた。

 「申し遅れた。我々はこの世を正しい方向へと導く教団「シヴァの使徒」のメンバー。私はこの作戦部隊のリーダーを務める草加だ。よろしく」

 男はそう言ってお辞儀をした。

 「さて・・・目的の方はと言えば・・・。協力してもらおうか。部下と、自分の命を失いたくないのなら」

 草加は木幡の目を、じっとのぞき込んだ。





 「木幡主任ですか。主任でしたら、第1大型研究室で研究を行っています。壁沿いに案内プレートが設けられていますので、そちらの方向にお進み下さい」

 「わかりました。いこ、はるかちゃん」

 「うん!」

 受付嬢からはるかの父の居場所を聞いた二人は、研究所の中を歩き出した。企業と違って研究所はあまり人の出入りが激しくないらしく、大きな研究所であるのに研究者以外の人達とすれ違うことはなかった。

 「大きなところだね、お姉ちゃん」

 「そうだねー・・・あ、ここで曲がるんだ」

 案内プレートを見つけた聡美は、そこで指示通りに右へと曲がった。と、その時だった。

 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ!!

 突如、激しく地面が揺れだしたのである。

 「きゃっ!」

 「はるかちゃん!」

 とっさに聡美は、彼女をかばうように床へと倒れ込み、じっとしていた。やがて・・・揺れは収まった。

 「地震・・・かな? 大きかったなあ・・・。はるかちゃん、大丈夫?」

 「うん。ありがとう、お姉ちゃん」

 聡美の体の下から出てきたはるかは、笑顔でお礼を言った。

 「ここは何もないからよかったけど・・・研究室の中、大丈夫だったかな」

 はるかを不安にさせないため、聡美はその考えを口には出さなかった。

 「いこ、はるかちゃん。早くしないと、パパ、お腹ぺこぺこになっちゃうよ」

 「うん!」





 「なんてことをするんだ! そんなことをしたら・・・」

 「ここは誰も入れない、誰も抜け出すことのできないラビリンスと化す・・・。そうでしょう?」

 木幡が言おうとした言葉の先を、草加が続けた。

 「お前達・・・!」

 「私達はこれが目当てでこの研究所をターゲットに選んだんですよ。もちろん、この機械がどんなものかは、十分熟知しています」

 そう言う二人の前には、ハムスターが中に入って転がす車輪のような形をした機械が置いてあった。

 「ホームメイロ・・・空間の配置を入れ替えて、ある一帯を迷路化する機械・・・。ついに空間歪曲技術も、一般家庭のおもちゃにまで使われるようになりましたか。しかし・・・こういう使い方については、思いついていましたかね?」

 目の前の機械を見つめながら、草加はそう言った。

 「この車輪を回転させればさせるほど、空間の配置は複雑なものとなり、抜け出すことのできない迷宮となっていく・・・。なかなか面白い物を発明してくれました」

 「クッ・・・! お前達は、何をするつもりなんだ!?」

 「まあまあ。先を急がずに。あなたにはもう2、3、やってもらうことが残っているんですから」





 「ええーーーーっ!?」

 ひかるのその言葉を聞いた第1小隊は、ほぼ一様にそんな言葉を発した。

 「服部、もう一度言ってくれないか?」

 確認の意味で、小隈は尋ねた。

 「で、ですから・・・聡美さんは迷子の子を保護して、空間歪曲技術研究所に送っていったと・・・」

 ひかるはもう一度答えた。

 「あんのバカ・・・なんて間の悪い・・・」

 小島が頭を抱える。つい5分前、空間歪曲技術研究所から、研究所が武装集団に占拠されたとの情報が入ってきたのである。そしてその直後、ひかるの口から聡美が迷子の女の子とともにその研究所に向かってしまったらしいことが語られたのだった。

 「岸本さんが悪いわけじゃないわ。タイミングが悪かっただけよ」

 「その通りだ。とりあえず、第1小隊は対策本部に移動。詳しい情報を収集しつつ、行動の準備に入る。服部は岸本に連絡をとってみてくれ」

 「はい!」

 「第1小隊、出動!!」

 いつものように走り出す第1小隊。その時、圭介がふと振り返った。

 「あ・・・そう言えば、聡美さんがいないけど、どうやって現場まで・・・」

 「俺じゃ不服か? 新座」

 そのつぶやきを聞き漏らさなかった小隈が、ボソッと言った。

 「え? あ、いやその・・・隊長が指揮車の運転をするんですか?」

 「岸本が来るまでは、運転も俺の仕事だったんだよ。あの頃は大変だったなぁ」

 その言葉に、仁木達先輩隊員達は感慨深げにうなずいてみせたのだった。





 それから、約20分後・・・。

 「・・・このような理由で、我々は愚かなる警察、SMSに対しての戦いをここに始める。要求が聞き入れられない場合、我々はここにいる研究員達を道連れに、この建物ごと自爆し、殉教するつもりである」

 モニターの男は、淡々と語っていた。その後ろには銃を構える男達と、おびえている研究員達の姿が映っている。

 「・・・しかし、我々も世間の常識というものは一応心得ているつもりだ。この国では、何をするにも手続きが必要であるということも。よって我々は、そちらが要求を実現するまでの猶予として、10時間の時間を与えるものとする。現在時刻は、ちょうど10時。すなわち、午後8時までに我らの偉大なる教祖、秋宮光明様を解放することが、そちらに対する我々の要求である。この要求が刻限までに聞き入れられなかった場合、我々は自爆する。それまでは、我々は人質に絶対に手をつけないことを保証する。なお、実力行使によって我々のこの作戦を阻止しようとした場合にも、それは同じである。失敗に終わることは目に見えているが・・・。それでは、誠意ある返答を期待する」

 ブツッ!

 モニターの映像が消えた。

 「・・・というわけだ。どう思う? 小隈」

 リモコンを手に持った陸奥は、落ち着いた声で尋ねた。

 「最近はあまり聞かない話でしたね。カルト教団によるテロ・・・交渉は?」

 「ネゴシエーターが電話で行っているが・・・連中、妥協する様子はないな」

 「それはそうでしょうね。妥協させようとするのは、時間の無駄だと思いますよ」

 小隈の声も、落ち着き払ったものだった。その後ろで、仁木が手にした資料を読み上げる。

 「シヴァの使徒・・・3年前に東京で結成された、過激派終末思想新興宗教団体。破壊の神シヴァを信奉し、その信徒としての使命としてこれまでいくつもの破壊工作を繰り広げてきた。昨年秋、教祖秋宮光明を破壊活動防止法違反により逮捕。以後、一部の信者達がゲリラ的な活動を続けていた・・・」

 陸奥の後ろにいた、警察の制服を着た男がうなずいた。

 「さっきの映像でも見てもらったとおり、連中は8時までに教祖を拘置所から解放することを求めてきています。これに対する対応として、第1小隊の意見をうかがいたいのですが・・・」

 今回の事件の指揮を執っている、警視庁特殊部隊SRPの最高責任者、麻木警視正と、小隈は紹介されていた。その問いに、小隈は表情を変えずに言った。

 「交渉で解決できるのなら、それにこしたことはないでしょう。しかし・・・」

 そうして、小隈は続けた。

 「相手は自爆すらいとわない狂信者達。見たところ、我々が要求を本気で飲むと連中が思っているようには思えません。先ほど主犯格と思しき男のデータを見ましたが・・・どうも教祖より教義・・・すなわち、破壊行為の方が大事なような男らしいですね。交渉はもちろん手を尽くさなければなりませんが・・・それが限界ならば、人質の精神状態も考え、迅速に彼らを救出するためにも、我々や警察の皆さんが介入することもやむを得ないと思います。いかがです?」

 小隈はうしろに控える自分の部下達を振り返りながら言った。

 「安心しました。その方針は我々も同じです。SRPも、現在強行突入の準備を行っております。第1小隊の皆さんには、深刻な事態が発生した場合に対する備えとして待機していてもらいたいのですが・・・」

 「もちろん、協力しますよ。頑張りましょう。しかしですねえ・・・」

 小隈はポリポリと頭をかいた。

 「何か?」

 「いや、連中の言っていたことが気になりましてね。我々の突入を許すようなことも言ってましたでしょ? 何かあると考えた方がいいんじゃないかと思いまして。爆弾以外にも、よほど自信のある武器を持ち込んでるとか」

 「その可能性は、我々も想定しています。十分に装備を調えて出動しますので、ご安心を」

 「それならなにもいうことはありませんが・・・」

 小隈がそう言ったとき、彼らがいた会議室のドアが開き、ひかるが入ってきた。

 「失礼します!」

 「どうだった、服部?」

 その言葉に、ひかるは首を振った。

 「ダメです。ウィンディからの応答、いまだに返ってきません。やはり、もう研究所の中に入ってしまったんじゃないかと・・・」

 「あいつの持ってるSナビは呼び出してみたか?」

 「はい。でも・・・電波障害がひどくて、なかなか通じません」

 VJに使われている高価なタキオン通信装置とは異なり、隊員が持つ携帯通信装置であるSナビは、従来の通信装置と同じく電波を通信媒体としている。

 「妙だな・・・研究所の中で、何かおかしなことが起こっているのかもしれない。通信の電圧をもっと高くして、もう一度試してみろ」

 「了解!」

 ひかるはそう答えると、再び出ていってしまった。

 「部下の方が研究所の中に閉じこめられてしまっているとは・・・ご心配でしょう?」

 心配そうに言う麻木だったが

 「気の毒ですよ。タイミングが最悪です。まあでも・・・たぶん、あいつなら大丈夫でしょう」

 小隈は大して心配もしていない、といった様子で答えた。

 「隊長はああ言ってるけど・・・どうかなあ。やっぱりまずいだろ」

 その言葉に、小島が首を傾げた。

 「小島さんが聡美さんの心配するなんて珍しいですね」

 「そりゃあな。状況が状況だ。たしかにあいつは強いけど、武装したカルト野郎達相手じゃいくらなんでもヤバイだろ。アメリカのアクション映画じゃあるまいし、一人でテロリスト全滅させるなんて、そんなふうにうまくいかないだろうし・・・」

 「問題は他にもあるわ。岸本さんだけならともかく・・・」

 「子どもも連れてますからね・・・。自分の身だけならまだしも、その子も一緒に守らなきゃならないとなると、これは難しいな・・・」

 仁木の心配に、圭介もうなずく。

 「あ、そうか。そうだったよな。ったく・・・タイミング悪いことずくめだぜ」

 「こんなことなら・・・聡美君に自衛のために・・・炎や雷の精霊召喚の術を教えておくべきだったかな・・・」

 彼女なりに真剣に聡美の身を案じているらしく、深刻そうな顔をしてつぶやく亜矢。

 「勘弁して下さいよ・・・。これ以上あいつがそういうの身につけたら、こっちの身がもちませんって・・・」

 普段何かと聡美の行動によって被害を受けている小島が、心底うんざりした様子で言った。そしてその横では、圭介と仁木が心の中で「同感だ」と、強くうなずいていたのだった。





 「あーもぉぉ!! どーなってんのよぉぉぉ!!」

 彼女自身は正確なカウントをしていなかったが、ちょうど60回目の曲がり角で、聡美は我慢の限界だというように叫び声をあげていた。

 「なんなのよこれ・・・絶対におかしいって・・・。魔空空間か幻夢界か不思議時空か、はたまたゴルゴムの仕業・・・?」

 聡美は呼吸を整えながら、呆然とつぶやいた。研究所に入ってから、かれこれ1時間半はたとうとしている。廊下の壁についている案内プレートの示す方向に進んでいけば、どんなにこの研究所が広かったとしても、目的の研究室にたどりつくまでは10分もかからないはずだろう。

 しかし、実際はどういうことだろう。その通りに進んでいるにも関わらず、1時間以上歩いているというのにいっこうに彼女たちは目的の研究室までたどり着くことができずにいた。

 「お姉ちゃん・・・」

 自分の足下からの声に、聡美はハッとして下を向いた。見ると、はるかが心配そうな顔でこちらを見上げていた。

 「あ・・・ご、ごめん。大声出しちゃって」

 「まだお父さんのところにつかないの・・・?」

 「うん・・・おかしいよね。どうなっちゃってんのかな」

 しかし、聡美はわざと明るい顔をして言った。

 「だけど、心配いらないって! あたしがちゃんと、お父さんのところまで連れてってあげるから。そうだ、はるかちゃん、足疲れてない?」

 その言葉に、はるかは小さくうなずいた。聡美はうなずくと、背中を彼女に向けてかがみこんだ。

 「ほら、おんぶしてあげるから。遠慮しないで」

 はるかはそれを見ると顔を輝かせ、ピョンとその背中におぶさってきた。

 「よっ、と。さ、出発しんこー!!」

 「オー!!」

 聡美は元気よく声をあげると、はるかを背負って歩き始めた。

 「軽いなぁ・・・。小さい子おんぶするのって、こういう感じなんだ・・・」

 親戚の中でも最年少で、それまで自分より小さい子どもをおんぶするような経験がなかった聡美は、はるかをおぶってそんな感想をもった。自然に、頬がゆるむ。それと同時に、背中の感触から、昔自分が同じようにおぶわれていたときの記憶がおぼろげに蘇ってきた。

 「あの時、こういう感じだったのかな・・・お父さん」

 しかし、聡美の思考はすぐに現実へと戻った。

 「頼れるのは、あたししかいないんだものね・・・!」

 実際の重さとは裏腹に、心に感じる小さな少女の重さを感じつつ、聡美はキッと顔を引き締めて前をにらみつけた。





 一方、そのころ・・・

 「アルファ、ブラボー、チャーリー各小隊! 応答せよ! どうした!? 応答せよ!!」

 警察・SMS合同の救出作戦本部では、警察のオペレーターが通信機を前に必死に声をあげていた。

 「3小隊が同時に音信途絶になるとは・・・」

 麻木は愕然とした様子で言った。

 「やはり、何かありますね」

 その後ろに立っていた小隈も、いつもよりも真剣な口調で言った。麻木はそれを聞くと、振り返って尋ねた。

 「何が起こっていると思います? 部下達は・・・無事でしょうか?」

 「今のところはなんとも・・・。中で何が起こっているかは、完全に闇の中ですから。しかし・・・妙なことに気づきませんか?」

 「妙なこと?」

 「中にいるはずの人達ですよ」

 その言葉を聞いて、麻木は考えた。

 「研究所の人間が、一人も出てこない・・・」

 「その通りです」

 小隈はうなずいた。

 「奴らが占拠したのは、研究所の中でも最奥部の第一大型研究室とその周辺・・・。それ以外の場所にいた人達は騒ぎに気づけば、死にものぐるいで研究所の外に逃げ出してくるはずです。しかし・・・これまでのところで、研究所の中から出てきた人達の数は異常に少ない・・・。正面ロビーにいた人達と、受付嬢ぐらいです。まるで・・・あの研究所の中から出られないようになったみたいに・・・」

 モニターの中の研究所を見ながら、小隈は言った。

 「研究所から出られない? まさか。中の人達にとって、研究所は隅まで知っている職場なんですよ?」

 「どんな原因かは知りませんが、あの研究所の中で占拠事件以外にもう一つ、何か大きな事件が起こっていることは間違いありませんね。中にいるうちやあなた方の部下と無線連絡がとれないことも、おそらくはそれと関係が・・・」

 「失礼します! 研究所の大木所長がお見えになりました!」

 警官の声に振り向くと、そこには作戦本部に入ってきた初老の男が立っていた。

 「遅くなりました。空間歪曲技術研究所所長、大木昭彦です」

 男はそう言って、小隈と麻木に挨拶をした。

 「ご苦労様です。たしか、名古屋で行われていた研究発表会に出席していらしたとか・・・」

 「はい。事件のことを知り、急いで戻って参りました。それで・・・最新の状況は、どのようになっているのですか?」

 「依然として、危険な状態です。第一大型研究室は、まだ連中に占拠されています」

 「ああ、なんということだ・・・。木幡君や他の研究員達は、無事なんだろうか・・・」

 「犯人達から何の連絡もありませんが・・・おそらくは、今のところ危害は加えられていないでしょう。所長が難を逃れたことが、せめてもの幸いです。実は・・・研究所の中で妙なことが起こっているらしいのです」

 そう言って小隈は、突入したSRP隊員達も含め、研究所の中の人々と完全に音信途絶になっている事態を説明した。

 「普通では考えられないことですが、何かが起こっているのは確実です。研究所で研究中の装置か何かで、このような事態に結びつきそうなものはありませんでしたか?」

 大木はじっと考えていたが、やがて、顔を上げた。

 「もしかしたら・・・」

 「何か?」

 「ちょうど第一研究室で研究中の新製品がありました。「ホームメイロ」という装置なのですが・・・もしかしたら・・・」

 「ホームメイロ?」

 「家庭用迷路化装置・・・とでも申しましょうか。最近では空間歪曲技術もかなりの進歩を遂げ、従来の分野だけでなく、家庭やレジャーなど、より人々の暮らしに近い場所にもこの技術を送り込むことができるメドがたってきました。「ホームメイロ」は、その試作品として作ったもので、わかりやすく言うならば、どんな家庭でも迷路にしてしまい、手軽に迷路遊びを楽しむための装置なのです」

 「どうやってそんなことを?」

 「積み木の家を崩して、別の形に組み直すように・・・空間同士の接続をねじまげて、本来の接続とは別な場所につながるようにするのです。例えば、リビングとキッチンの間にあるドアの空間のつながりをねじ曲げて、リビングのドアを開けたらそこはキッチンではなく、玄関だった・・・というようなことになるのです」

 「なるほど・・・」

 「やっかいなのは・・・あの装置はただ空間同士の接続をねじまげるだけでなく、同じ空間をいくつも複製して、それをつなぎ合わせることによって無数の組み合わせを実現できるということです。装置をあまりにも強く作動させると・・・その建物は無数の部屋をもつ、二度と出られぬ巨大迷宮になってしまうでしょう」

 「巨大迷宮」という言葉に、全員の顔が張りつめる。

 「なるほど・・・そういうことか」

 小隈がなんとはなしにつぶやいた。

 「あの中がでかい迷路になってるから、中の人達は外へ出られない。同じように、外から中に入ったが最後、進退困窮する・・・。今のあそこは、難攻不落の要塞も同じ、か」

 「犯人にとってはあと8時間、自分達のいる研究室に踏み込まれなければいいわけですからね・・・。研究所内を迷宮化させてしまうというのは、突飛ですが確かに理にかなった方法でしょう」

 仁木が冷静に分析してみせた。

 「こういう異常事態に対して、俺達はどう反撃するか。それを考えるのが、俺達の仕事だ。仁木、桐生、小島」

 「「「ハッ」」」

 「SRPとも協力して、大至急対策案をひねり出してくれ。対策が仕上がり次第、SMSは行動に移る」

 「了解しました」

 仁木達は敬礼すると、作戦本部内の情報管制室に向かっていった。

 「あの・・・俺達は何をすればいいんですか?」

 対策案を考えることを命じられなかった圭介は、ひかるとともに戸惑った様子で小隈に尋ねた。

 「いい機会・・・というのは、ちょっと不謹慎だが・・・。お前達には、別にやっておいてもらいたい仕事がある」

 小隈はまじめな顔で、二人の顔を見つめた。





 その部屋のドアを開けたとたん、二人の耳には様々な声が飛び込んできた。泣き声、叫び声、怒りの声、悲しみの声・・・。耳に飛び込んできたそれらの声に、思わず圭介とひかるは息をのんだ。

 対策本部と同じビルの中の一室。そこには、事件の知らせを受けて駆けつけてきた、空間歪曲技術研究所の職員達の家族達が集まっていた。ある者は泣き叫びながら、ある者は魂が抜けたように押し黙ったまま、テレビに映る現場の状況を食い入るように見つめている。

 「あ・・・ご苦労様です」

 部屋に入ってきた二人を見て、ドアの近くに立っていた年若い警察官が、二人に敬礼をした。

 「こちらこそ、ご苦労様です」

 圭介とひかるは、彼に敬礼を返した。

 「・・・辛い場所ですね、ここは・・・」

 沈痛な顔で部屋の中を見回し、圭介は言った。

 「はい・・・研究所の中がどんなことになっているか、まだわかりませんか?」

 「今のところ、詳しいことは何も・・・」

 「そうですか・・・。研究所の中で何が起こっているか、一刻も早くご家族の方たちにお知らせしたいのですが・・・」

 「それは、私達も同じです」

 沈痛な顔で言う警察官に、ひかるは言った。

 「木幡由美子さんという方にお会いしに来たのですが・・・どこにいます?」

 「木幡さん・・・ですか。その方なら・・・」

 警察官は、首を回した。

 「あそこで彼女と一緒にいる方が、たしかその方だったと思います」

 「ありがとうございます。ひかる、いくぞ」

 ひかるはうなずき、圭介のあとについていった。





 その女性は、両手で顔を覆ったまま、下を向いてうなだれていた。その前では一人の新米女性警察官が彼女を落ち着かせようと、懸命に話しかけていた。

 「大丈夫ですか・・・?」

 ひかるが心配そうに声をかける。その言葉に、女性よりも警察官の方が先に反応した。

 「あっ! ご、ご苦労様です」

 慌てて敬礼をする警察官。圭介は返礼をすると、彼女に言った。

 「ここは我々に、任せてくれませんか?」

 「は・・・はい! よろしくお願いします」

 そう言って、彼女は少し下がり、彼らに場所を空けた。圭介とひかるはうなずくと、静かに女性の前に立った。

 「木幡由美子さん・・・ですね?」

 ひかるの優しい声に、女性はゆっくりと顔を上げた。泣きはらしたように、その目は真っ赤だった。

 「はい・・・。す、すみません、ひどい顔で・・・」

 女性は目をごしごしとこすると、二人の顔を見た。

 「このたびは、大変なことになってしまって・・・お察しいたします。私は東京都特機保安隊第1小隊所属、新座圭介実動員です。こちらは服部ひかる管制員」

 「はじめまして。お察しいたします」

 二人は丁寧にあいさつをした。

 「特機保安隊の方ですか・・・! 娘が・・・はるかが、皆さんの同僚の方と一緒にいるというのは、本当なのでしょうか!?」

 二人がSMSの隊員であることを知るやいなや、由美子は二人に強く尋ねてきた。

 「はい・・・。最後の連絡では、二人は一緒に研究所の中に入っていったと思われます。おそらく、まだ研究所の中に・・・」

 「ああ、なんてこと・・・。あの子にお使いなんか頼まなければ、あの子までこんなことに巻き込んでしまうなんて・・・」

 由美子は再び顔を覆い、うつむいた。

 「ご自分を責めないで下さい。だんなさんと娘さんが、二人ともあの研究所の中に閉じこめられてしまったのは、本当にお気の毒です。しかし、私達や警察は、必ず一人の死傷者も出さず、研究所の方々も、奥さんの娘さんも助けてみせます」

 「それに・・・娘さんと一緒にいる岸本聡美隊員は、SMSの隊員の名に恥じない、頼りになる隊員です。彼女と一緒にいる限り、娘さんの無事は保証できます。私達は、彼女を信じます。ですから・・・由美子さん、あなたも、私達を信じてもらえないでしょうか?」

 二人は言い聞かせるように、由美子に言った。由美子は黙ってそれを聞いていたが、やがて、顔を上げた。

 「・・・わかりました。夫と娘を・・・よろしくお願いします」

 深々と頭を下げる由美子。圭介とひかるは、それに対して頭を下げた。

 「今しばらくはつらい時間が続くかもしれませんが・・・どうか、辛抱して下さい。人質は必ず、我々が助け出します。それでは・・・我々はこれで」

 「失礼します」

 二人はそう言うと、もう一度会釈をして歩き出した。

 「一人の死傷者も出さない・・・か」

 歩きながら、圭介はひかるに言った。

 「ずいぶん頼もしいことを約束したな」

 「圭介君は、そのつもりじゃないんですか?」

 ひかるはとがめるような目で圭介を見た。

 「そうじゃない。もちろん、絶対に死傷者は出させないつもりだ。絶対にテロリストなんかに、犠牲者は出させない」

 「それだったら・・・」

 「お前にしては強気なことを言った。それがちょっと、意外に思っただけだ。気を悪くしたなら謝るよ」

 「だって・・・そうしなきゃならないじゃないですか。ここにいる人達を、もっと悲しい目に遭わせる訳にはいきませんから・・・」

 「そうだな・・・」

 部屋の中にいる人達の顔を一人ずつ見渡しながら、ひかるは決意のこもった視線で圭介を見た。

 「お気をつけて!」

 部屋に入ったとき彼らを出迎えた警官が、彼らに別れの挨拶をした。二人がそれに対して礼を返し、部屋から出ると・・・

 「どうだ? この部屋の感想は」

 そこには、小隈が立っていた。

 「隊長・・・」

 「おっしゃるとおりでした・・・。俺達は、一度こういう場所を経験しておいた方がよいようですね・・・」

 その言葉に、小隈はうなずいた。

 「事件や事故の解決に向かう俺達の背中には、いつもここにいるような人達の期待と願いが向けられている。いつもは見えないその期待を、こうして実際に感じるのも、SMSの隊員として必要なことだ。そのこと、しっかりわかったか?」

 「プレッシャーにも似ています・・・。でも、投げ出すわけにも、応えられないわけにもいきません」

 「一人の死傷者も出さない。そう約束しました」

 「それでいい。俺達はただ、期待に応えるだけだ。いくぞ、新座、服部。対策案がだいたいまとまった。準備にとりかかる」

 「「了解」」

 二人は小隈のあとにつき、対策本部へと足を向けた。





 「寝ちゃったか・・・」

 聡美は傍らで横になり、安らかな寝息をたてているはるかの顔を見て、小さく微笑みを浮かべた。

 ここは研究所内の食堂のようだった。いくつものテーブルと、厨房があるが、人間は一人もいなかった。時刻はすでにお昼を過ぎ、二人は空腹になっていた。そこで聡美は、ひかるに教えてもらった四川風チャーハンを作ってはるかとともに昼食をとったのである。それからすぐに、お腹が一杯になった満足感からはるかはイスの上に横になって眠ってしまい、聡美は一人、その寝顔を見つめていた。

 「それにしても・・・外はどうなってるんだろ・・・」

 しかし、彼女の頭の中にはやはり、いつまでも研究所の中をグルグルと回っていることに対する不安が、常につきまとっていた。SMSの隊員とはいえ、なぜこんなことになったのか、一体何が起こっているのかもわからずに、このような状況に置かれているのは、本当に神経を疲れさせる。

 「あたし達・・・これからどうなるんだろ・・・」

 先の見えない不安から、聡美は一人、足を抱え込んだ。と、その時だった。

 pipipipipipi・・・・

 突如、室内に電子音が響き始めた。

 「!?」

 聡美はビクリと跳ね上がったが、すぐに音の出所を探し始めた。やがて彼女が気づいたのは、その音は彼女の制服の内ポケットから出ているものだということだった。彼女は慌ててポケットを探り、音の主・・・Sナビを取り出した。発信元を見ると、「第1小隊指揮車」と表示されていた。

 「今まで通じなかったのに・・・!」

 当然ながら、聡美はこんな事態になってから、何度もこれを使って外部と連絡をとろうとしていた。しかし、そのたびに電波障害で連絡はとれず、いつしかあきらめていたのである。そんな中、突然指揮車から連絡が入ったことに、聡美は驚きと同時に喜びを感じた。緊張した手で、スイッチを押す。

 「はい、こちら岸本・・・!」

 「あ・・・通じました! 聡美さん、聞こえますか!?」

 ノイズがひどかったが、電話の向こうから聞こえてくるのはまぎれもなく、ひかるの声だった。

 「ひ、ひかるちゃ〜ん!!」

 仲間とこうして話ができることの喜びに、思わず聡美は情けない声を出してしまった。

 「聡美さん、そちらはどうなっていますか? 無事なんですか?」

 「う、うん・・・。無事は無事だけど・・・どうなってんの、これ!? いくら歩き回っても、どこがどこだかわからなくて・・・! いったい、何が起こってるの!?」

 伝えたいことは山ほどあったが、聡美は興奮から、それをうまく伝えることができなかった。

 「落ち着いて下さい! それは・・・あ、ちょっと待って下さい。隊長に代わります」

 ひかるの声が一時途切れ、今度は小隈の声がSナビから聞こえてきた。

 「岸本、小隈だ。そっちはどうなってる?」

 「た、たいちょぉ〜! どうなってるんですか、これぇ! まるで迷路じゃないですか!」

 「落ち着け。そうか、やっぱり迷路になっているか・・・」

 「や、やっぱりって、どういうことですか?」

 「いいか。これから何が起こってるか伝える。よく聞くんだ」

 その言葉に、聡美はコクコクとうなずいた。

 そして、小隈の口から、現在何が起きているかが聡美に伝えられた。空間歪曲技術研究所がカルト集団に占拠されたこと。彼らは爆弾をもっており、8時に自ら自爆するつもりであること。警察やSMSの突入を防ぐため、開発中の道具を使って研究所内を巨大迷宮に変えてしまったこと。聡美はその全てを、驚きつつも理解していった。

 「・・・以上が、今起こっていることのだいたいのあらましだ。突入したSRPの3個小隊も、連絡を絶ってしまった。今は俺達SMS第1小隊が、SRPの追加3小隊と突入準備を整えているところだ」

 「だいたい、どうなってるかわかりました。でも、まさかこんなことになってるなんて・・・」

 「災難だったな。ところで、今どこにいる?」

 「食堂・・・ってことはわかるんですけど・・・どこなんだか・・・」

 聡美はあたりを見回して言った。

 「隊長のお話だと、今この研究所の中には同じ部屋がいくつもあって、それがバラバラにつながってるっていう状況なんでしょ? それじゃあ、あたしたちが今どこにいるかなんて・・・」

 「そうだな・・・残念だ。それと、木幡はるかちゃんは、一緒にいるんだな」

 「はい。今隣で眠ってます」

 隣で眠るはるかを見ながら、聡美は答えた。

 「そうか。お母さんが心配している」

 「そうでしょうね・・・。だんなさんと娘さんが、同時に人質になってしまったようなものですから・・・」

 はるかの母の心を思うと、聡美は胸が痛んだ。

 「岸本、お前には別命を下す」

 「別命・・・ですか?」

 「そうだ。はるかちゃんを連れて、研究所から脱出すること。それが不可能ならば、我々が事件を鎮圧するまで、はるかちゃんを守り抜くこと。それが、お前の任務だ。できるな?」

 「・・・もちろん! 岸本聡美、木幡はるかちゃんの警護任務を必ず達成いたします!」

 聡美はキリッとした顔になって宣言した。

 「いい返事だ。うまくいけば、任務中に俺達と合流できるかもしれない。あまりあてにしないで待っていてくれ」

 「はい!」

 その時、電話の向こうから小隈の小さな笑い声が聞こえてきた。

 「な・・・なんですか?」

 「いや・・・もしかしたら、お前が残念に思ってるんじゃないかと思ってな・・・」

 「残念って・・・何が?」

 「実働員でなくても、いつ体を動かすことで必要とされるかわからない・・・。いつもそう言ってるお前にとっちゃ、今のこの状況はまたとないチャンスなんじゃないか?」

 聡美はその言葉に、少し考え込んだ。

 「・・・そうですね。たしかに、テロリストのど真ん中にたった一人、なんてこんなアメリカ映画みたいなシチュエーション、普通じゃありえない。いつものあたしだったら、一人でテロリスト全滅させちゃう!くらいのこと、言ってるかも・・・」

 「言わないのか?」

 「言えないでしょう。一人ならまだしも、はるかちゃんをそんな危ない目に遭わせるわけにはいきません」

 「・・・安心したよ、岸本。思ってたより、ずっとオトナだな、お前」

 「ひっどーい! 隊長! あたしって、そんなに子どもっぽく見えますか!?」

 「ほら。お前のそういうところが、子どもっぽくみられるんだよ」

 ぐうの音も出ず、聡美はムッとした顔で黙り込んだ。

 「あたしをからかってなんかいないで、さっさと助けに来て下さいよ」

 「ああ、ちょっとおしゃべりが過ぎたな。もちろん、そうするよ。それでは、これから突入を行う。一旦通信を切るが、Sナビのチャンネルはそのままにしておけ。いつでも連絡できるように」

 「わかりました。それじゃあ、健闘を祈ります」

 「ああ。そっちも、無事でな」

 そこで、通信は切れた。聡美はSナビをじっと見つめていたが、やがて、それを胸ポケットの中にしまった。そして、腰のホルスターから護身用拳銃であるガードダガーを取り出す。

 「麻酔弾がマガジン3つ分、合計21発。ショックモード用のバッテリーが一つ・・・。5、6人くらいだったら、バッタリ出くわしてもなんとか相手にできるかな・・・」

 テーブルの上にガードダガーのマガジンなどを並べて、聡美は考えた。ガードダガーはマルチリボルバーの簡易版のような拳銃で、麻酔弾発射モードとショックモードの二つしかない、殺傷能力をもたない武器である。今のところ聡美が持っている武器は、これだけだった。

 「誰とお話ししてたの・・・?」

 背後からの声に、聡美は振り返った。そこには、目を覚ましたはるかがいた。

 「あ・・・ご、ごめん。起こしちゃった?」

 慌ててガードダガーをしまいながら、聡美が答える。

 「うん。でも、もう眠くない・・・。お友達とお話してたの?」

 「うん・・・あたしの大切なお友達。あたしたちが困ってるから、すぐに助けにきてくれるって」

 「本当?」

 「うん。だからさ、あたし達も出発しよ。疲れてない?」

 「うん、大丈夫! はるか、歩けるよ」

 「そっか。それじゃあ、一緒に歩こ。しゅっぱーつ!」

 聡美は自らを奮い立たせる意味で、元気よく叫んだ。





 バラバラバラバラバラバラ・・・

 上空を轟音をたてて、疑似反重力ヘリ達が飛び回る。各テレビ局のマークをつけたそれらのヘリを、研究所前で青いVJが顔を上げて見上げていた。

 「なにしてるんですか?」

 そんな様子の小島に、VJを装着した圭介が声をかけた。

 「なあ、占拠されてる研究室の中にも、テレビあると思うか?」

 「え? ・・・あるんじゃないですか、たぶん」

 首を傾げながらも、圭介は答えた。

 「つーことは、俺達があいつら相手に手をこまねいてるのも、あいつらはテレビを見て知ってるわけだろう?」

 「うーん・・・たぶん、そうじゃないですか。それがどうしたんです?」

 「癪じゃねえか。今頃連中、自分達が仕掛けたトラップに俺達が手こずってるのを中で見ながら、俺達をせせら笑ってるんじゃないか?」

 その言葉に、圭介は一瞬だまったが、すぐに言った。

 「笑わせとけばいいじゃないですか?」

 「悔しくないのかよ、お前?」

 「そりゃあ、少しは癪ですけどね。でも、しょうがないじゃないですか。癪に思ったところで、どうにでもなるものでもないし。別に俺は、笑われることなんかなんとも思っちゃいませんよ。あそこに閉じこめられてる人を助けるためなら、笑われようがバカにされようが、俺はなんだってやりますよ。風体なんか気にしてられない」

 「立派な心がけね、新座君」

 その時、白いVJを身につけた仁木が指揮車の中から出てきた。手には「童子切安綱」を携えている。

 「一番に優先すべきは、人質の無事の救出よ。そのためには、どんな卑怯な手でも使うくらいの意気込みは必要ね」

 「だからって・・・刀まで持ち出すんですか?」

 「さすがに、これを人の血で濡らすつもりはないわ。ただ、峰打ちぐらいには使えるから、持っていけって隊長に言われて」

 そう言って、仁木は童子切安綱を腰に固定した。

 「相手は自爆覚悟のテロリストです。追いつめられれば何をするかわからない。いつも以上に、いざというときの判断の早さが要求されます。二人とも、いつも以上にそのことを頭に置いておくように」

 仁木が敬語口調で二人に口を利くときは、副隊長としての命令を伝えるときである。圭介と小島は、ピッと敬礼をした。

 「それにしても・・・やっぱり、ひも付きってのはかっこわるくないですかね?」

 小島が、自分の腰から伸びているものを見て言った。彼の腰には、いつものVJにはついていないパーツが取り付けられた。ケーブルをコイル状に巻き付けた、ウィンチのようなもの。そこからケーブルが伸び、指揮車とつながっていた。

 「しょうがないでしょ。これが命綱になるんだから」

 仁木の言葉に、圭介が無言でうなずく。そんな二人の腰にも、同じパーツがついていた。

 「そんなら小島、お前だけはこいつを外していくか?」

 背後から聞こえてきた低い声に振り返る3人。そこには、サングラスをかけた楢崎が立っていた。

 「あ、お疲れさまです。おやっさん」

 真っ先に頭を下げる圭介。仁木と圭介もそれにならう。

 「まあ、現場に呼び出されるのはかまわねえんだが・・・お前さん達も大変だな」

 「仕事ですからね。それよりも楢崎さん・・・このケーブルの総延長は、どれぐらいなんでしょうか?」

 仁木が質問をする。

 「そうさな・・・なにしろ急な話だったからな。8kmが限度だ」

 「8kmですか・・・」

 「すまねえな。中がどのぐらいややこしい迷路になってるかもわからねえんだろ?」

 楢崎は研究所を一瞥した。

 「ええ・・・。もしかしたら、総延長は8km以上に及ぶかもしれませんね・・・」

 「まあ、とりあえずはこれで勘弁してくれ。今若い奴らに方々駆け回らせて、ケーブルを調達させてる。うまくいけば、もっとずっと長いケーブルを用意できるだろうさ」

 「苦労をかけます」

 「なあに。そんなことよか・・・あの元気印の姉ちゃん、あそこに閉じこめられてるそうじゃねえか」

 「ええ・・・なんとも間の悪いことで・・・」

 「できるだけ早く助けてやれ。頼んだぞ、お前ら」

 「は・・・はい」

 「おおそうだ。忘れるとこだった。小島、例のやつができたから持ってきたぜ」

 「ほんとですか!?」

 その言葉に目の色を変える小島。楢崎が後ろに声を掛けると、一人の整備員が何かを持ってやって来た。

 「はい、おまっとさん」

 整備員は小島にそれを手渡した。それは、警察で使っているショットガンによく似た銃だった。

 「カラドリウスの薬品カプセル用ショットランチャーですか」

 興味のありそうな様子で圭介が言う。

 「いくら俺が銃が苦手でも、手で投げるよりはこれで撃った方が命中率は高いからな。でも、ずいぶんと早くできましたね」

 あれこれとそれをいじりながら、小島が意外そうな様子で楢崎に尋ねた。

 「まあ、名前こそ「オルム」なんてもっともらしい名前がついてるが、警察で使ってる催涙弾用ショットランチャーをちょっと改造しただけだからな。お前が考えてる通りの使い道なら、こいつで十分なはずだぜ」

 「恐れ入ります」

 小島はペコリと頭を下げた。

 「それじゃあ、俺は先に待機させてもらうぜ。がんばれよ」

 ポンポンと小島と圭介の肩を叩くと、楢崎は行ってしまった。

 「8kmかぁ・・・たしかに、足りないかもしれませんね・・・」

 ケーブルを見つめながら、圭介が言った。

 各VJがつけているこのケーブル。これは、動力用ケーブルであるが、もう一つの役割がある。それは、命綱である。そもそも、なぜこんなものをつけて突入を行うことになったのか。それは、亜矢の発案によるものだった。彼女の言葉によると、着想はギリシア神話の怪物ミノタウロス退治の伝説から得たものである。

 ミノタウロス。それはギリシア神話に登場する、雄牛の頭に人間の体をもつクレタ島の怪物である。この怪物はクレタ島のミノス王の后が雄牛と交わって生まれたもので、成長するに従って手の着けられない怪物となっていった。しかたなくミノス王は名工ダイダロスに命じて迷宮ラビュリントスを作り彼をその奥深く閉じこめ、さらに生け贄として毎年、アテナイから少年少女を7人ずつミノタウロスに捧げた。この話を聞いた英雄テセウスは生け贄に混じってミノタウロス退治に乗り込んだ。これは見事に成功したが、テセウスはその後、脱出不可能と言われた大迷宮からの脱出にも成功した。出発前、テセウスに恋をしたミノス王の娘、アリアドネは、彼に糸を渡すという知恵を授けていた。つまり、糸の端を迷宮の入り口にしばりつけ、糸を伸ばしながら迷宮の奥に進む。そしてミノタウロスを退治した後、テセウスはこの糸をたぐって迷宮から脱出することに成功したのである。

 この伝説からヒントを得た亜矢は、同じ方法を試みることにした。つまり、各VJに糸ならぬケーブルを持たせ、それを伸ばしながら先へと進むのである。研究所の中がどんな迷宮になっているかわからないが、もし研究室にたどり着けずにやむなく引き返すことになっても、このケーブルをたどっていけば用意に外へと出られるはずである。このアイデアは実行に移され、急遽呼び出された楢崎達によって、VJにケーブルが取り付けられたのである。同じものは追加投入されるSRP3個小隊のジャケットにもとりつけられている。

 「聡美さんの話からすると、絶対中は総延長8km以上の迷宮ですよ・・・」

 「そうかもしれないけど、やるしかないわ。それに、これが失敗したとしてももう一つの手があることを、忘れてはいけないわね。いずれにしても、みんな期待してくれてるわ。二人とも、がんばりましょう」

 「「はい」」

 圭介と小島がうなずいたとき、ヘルメット内に呼び出し音が響いた。

 「そろそろ1時だ。予定通り、突入を開始する。3人とも、準備はいいな?」

 「はい」

 「OKです」

 「いつでもいけますよ」

 「よし。それでは、突入開始」

 「VJ−1、VJ−2・・・オペレーションスタート」

 「VJ−3、オペレーションスタート」

 3体のVJは、ゆっくりとその足を踏み出し始めた。見守る警察官達から、激励の言葉が浴びせられるなか、第1小隊はSRPとともに研究所の中へと入っていった。





 一方、そのころ・・・

 キィ・・・

 「ここは・・・どうかな・・・」

 聡美はドアをほんの少し開けて、中をうかがった。外との交信から、30分が過ぎていた。依然として二人は脱出のため歩き続けていたが、自分達が本当に出口に向かっているのかさえわからない状況だった。幸か不幸か、テロリストを含めたこの研究所内の人間とも出会っていない。聡美は注意深くドアを開けながら、とりあえず前へ前へと進んでいた。

 「倉庫か・・・」

 その部屋の中は、実験に使う様々な機材の倉庫のようであった。薄暗い倉庫の中にゆっくりと入っていく二人。

 「お姉ちゃん、ここ、狭くてほこりっぽいよ・・・」

 「うん。あたしも、狭いのは苦手なんだけどね・・・。だけど、ちょっとやらなきゃならないことが・・・」

 そう言って、機械の山の中を探り始める聡美。

 「何してるの?」

 「危ない奴らもうろついてるっていうから、何か役に立つものはないかなって思ってね。あ、大丈夫よ。はるかちゃんは、絶対にこのあたしが守ってみせるんだから」

 聡美はにこやかな笑みをはるかに向けると、再び武器になりそうなものの探索を続けた。

 10分ほどそんなことが続き、倉庫の中の捜索は終わった。鉄パイプ一本でも見つかればいいと思ったのだが、倉庫はつい最近整理したばかりらしく、女の腕では持ち上げられないような重い機械類以外は、武器になりそうなものは何一つなかった。

 「結局、これだけか・・・」

 聡美は手に持ったロープを見つめて、ためいきをついた。倉庫をくまなく探したが、自分にとって役に立ちそうだと感じたものは、このロープだけだ。これとて、もし犯人と出くわし、取り押さえた後でその犯人を縛り上げるために必要だと判断したからで、結局肝心の、犯人を取り押さえるという行動そのもので役に立ちそうなものは、この倉庫の中にはなかった。

 「待たせちゃってごめんね。もう行こう。ここには大したものはなかったわ」

 聡美ははるかの手を握ると、その倉庫から出ていった。





 「隊長、突入開始から、どれくらい経ちましたか?」

 「あと5分で、2時間になる・・・」

 仁木の質問に、小隈は静かに答えた。突入開始から、約2時間。相変わらず、第1小隊の隊員達はマルチリボルバーを構えながら、巨大迷宮と化した研究所内を歩いていた。

 研究所の中は、想像を絶する巨大迷宮となっていた。一度踏み込んでしまったら、二度と出られないという印象が強い。「命綱」をつけてきてよかったと、突入メンバー達は改めて感じた。

 途中、研究所の中をさまよっていた研究員達やSRP隊員達を何人か発見。彼らを自分達のケーブルをたどって入り口まで戻るように指示しながら、第1小隊はSRPと手分けをして迷宮探索を続けていた。

 「あと5時間か・・・」

 仁木は心の中で思った。残された時間も、あと5時間。まだ半分も残っているという感情よりは、もう半分も時間を使ってしまったという焦りの思いの方が、仁木の心の中では大きかった。

 「らちがあきませんね・・・」

 イライラが隠せない様子で、小島が言う。

 「このままやみくもに探索を続けても、研究室にたどり着けるかどうか・・・」

 圭介も焦りと不安を感じているようだった。部下二人の言葉を聞きながら、仁木は決意した。

 「隊長・・・」

 「あ、すまん仁木。本部から通信が入った。ちょっと待っててくれ」

 仁木の言葉を、小隈が遮る。ヘルメットの中には、小隈が誰かと受け答えをしている声が微かに聞こえてきた。

 「あ・・・はい。そうですか、見つかりましたか。それじゃあさっそく、その方に現場まで来てもらうってことで・・・はい。よろしくお願いします」

 連絡が終わったようで、小隈は再び声を出した。

 「それで? なんだ、仁木?」

 「いえ、あとでよろしいです。それよりも、今の連絡は?」

 「朗報だ。もう一つの手の、メドが立ったぞ」

 その言葉に、圭介達は色めき立った。

 「本当ですか!?」

 「ああ。これでやみくもに、迷路の中をうろつきまわらなくても済む。本部からの命令は、現場でそのまま待機とのことだ。とりあえず、待っていてくれ」

 「了解」

 「ところで仁木、お前の用事は?」

 「このままやみくもに歩き回ってもムダと考え、一度引き返すべきだと言おうと思ったのですが・・・問題ありませんね。第1小隊、現場で待機します。休憩よ、小島君、新座君」

 「ふぃ〜・・・やっと息抜きできるぜ」

 「VJ着ながら2時間ぶっ通しで歩くってのは、やっぱり疲れますよね」

 「こういうこともあるのよ。今度からVJを装着しての長時間行軍訓練も、訓練メニューに入れようかしら」

 「よしてくださいよ、副隊長・・・」

 職務熱心な自分達の上司を見ながら、ためいきをつく小島。圭介は苦笑した。





 「よくお越し下さいました。こちらへどうぞ」

 指揮車の中へ入ってきた男を、小隈はにこやかに迎え入れた。着崩れていないスーツをビシッと身につけたその男は、小隈の側に立つと彼に名刺を渡した。

 「大沢ライフセービング、開発部門責任者の永井です。よろしくお願いします。この度は、大変なことになって・・・」

 永井と名乗る男は、紳士的な態度だった。

 「大変なことですよ。我々としても、この状況を打破するためにはどんな手でも使うつもりですが・・・そのために、あなた方の力が必要なのです」

 「ありがたいお言葉です。人命救助用の機材の製作・販売を業務とする我が社にとって、これ以上うれしいことはありませんからね・・・もちろん、ご協力しますよ」

 「ご協力、感謝します。早速ですが、例の機材というものを見せてもらえませんか?」

 「ええ、もちろん。この中に入っています」

 そう言って、持ってきたブリーフケースをポンポンと叩く永井。興味深そうな様子で、ひかると亜矢も近づいてきた。

 「もともとは、落盤などによってふさがれたトンネル内などに潜入させ、内部の状況を確かめるために開発した機械なのですが・・・今回のようなケースでも、十分対応できるはずです。これが我が社の開発した、閉鎖環境探索用ロボットです」

 そう言って、永井がブリーフケースを開けた、その直後。

 「キャアアアアアアア!!」

 ひかるが悲鳴を挙げ、亜矢に抱きつく。

 「大丈夫だ、ひかる君・・・ロボットだよ・・・」

 その亜矢の方は平然とした顔をして、ボソリと言った。その彼女が見つめる先・・・ブリーフケースの中には、一つの小型ロボットが丁寧にしまわれていた。問題なのは、その形状である。

 「すみません! 女性の方がいらっしゃられるということを、すっかり忘れておりました。申し訳ありません・・・」

 永井がすまなそうな顔をして謝る。彼の前に置かれているブリーフケースの中には、ゴキブリそっくりの形をした小型ロボットが一匹、収められていたのだった。

 「ど・・・どうしてゴキブリの形なんですか?」

 亜矢の後ろに隠れ、まだびくつきながらひかるが尋ねる。

 「単純な理由なのですが・・・壁や天井も自由に動き回ることができ、どんな狭い隙間にも入り込むことが可能であることが、性能として要求されたんです。それを実現できる最適の形を追求していったら・・・自然とゴキブリの姿になってしまったんです」

 「なるほど。たしかに、理にかなってますな」

 「だからって、こんなに似せなくても・・・」

 「飛ぶことは・・・できないんですか?」

 「そこまでは再現していません」

 「な、何言うんですか、亜矢さん!!」

 メタリックであるという以外は、ほとんど本物と見間違うばかりの姿のこのメカゴキブリ。それが羽根を広げて飛ぶあの禍々しい姿を想像しそうになり、慌ててひかるはその考えを頭から振り払った。

 「まあとにかく・・・役に立ちそうですね。詳しい機能の説明をして下さい」

 「はい。このメカゴキブリ・・・商品化のあかつきには「コックサーチ」という名で売り出そうと思ってるんですが、これは時速120kmで疾走しながら、体内に内蔵された分子サイズの極小発信機を進路上に投下していきます。発信機が発信する電波は、専用の受信機で受信し、モニターが可能。そのデータをもとに、研究所内のマッピングが可能となります」

 「つまり・・・そのゴキブリが落としていく発信機の反応をつなぎ合わせていけば・・・研究所内の地図を作ることが可能・・・というわけですね」

 「そういうことです」

 「しかし、一匹ではあの大迷宮をくまなく探索するには、時間がかかりすぎます」

 「その点もご安心下さい。これはあくまでサンプルで、試作品として製作したもの全て、137体を持ってきました。これを全て研究所内に放して走らせれば、どんなに中がややこしい迷宮になっていたとしても、1時間あれば完全に内部構造を把握することが可能となるでしょう」

 「ひゃ、137体・・・!!」

 137体のメカゴキブリが一斉に研究所の中に放たれ、ワサワサと疾走する。またもそんな様子を想像したひかるは、気が遠くなりそうになった。

 「研究所の中にいる人に、服部みたいなゴキブリ嫌いがいたらその人には気の毒だが・・・仕方ないだろう。永井さん、よろしくお願いします」

 「わかりました。それでは、準備にかかります」

 永井は会釈をすると、指揮車から出ていった。

 「お前達は、仁木達にこのことを伝えてやれ」

 「はい・・・」

 ひかると亜矢は、VRコンピュータの置いてある自分達のブースに歩いていった。

 「今まで働いてきて、一番辛いなって思いました・・・」

 VRコンピュータのヘルメットを装着しながら、ひかるが弱々しい声で言う。

 「苦手な人には・・・辛いだろうね」

 亜矢が静かに答えた。

 「亜矢さんは平気なんですね、ゴキブリ・・・」

 「まあね・・・」

 「亜矢さんには、苦手なものってあるんですか?」

 「フ・・・ひかる君。苦手なもののない人など・・・この世にはいないよ。もちろん・・・この私も例外じゃない・・・」

 「・・・」

 ひかるは一瞬、亜矢にとって何が苦手なのかが気になったが、すぐに仕事に意識を集中し、作業にとりかかった。





 「はああ・・・どうなってんのかしら」

 はるかを背中におぶったまま、聡美はため息をついた。小隈から連絡を受けて、研究所の中から出ようと歩き始めてから数時間がたっている。しかし、出口はおろか、自分達が今どこにいるのかもわからなかった。

 「今にも不思議ソングが聞こえてきそうだわ、ハァ・・・」

 「出口・・・わからないの?」

 肩から顔をのぞかせ、はるかが不安そうに尋ねる。

 「うん・・・」

 はるかをあまり不安にさせたくなかったが、元気づけるために適当な言葉も浮かばず、聡美は黙り込んでしまった。と、そのときだった。

 「!!」

 ふと顔を上げたとき、聡美は気づいた。

 「ハ・・・ハハ・・・アハハハハハ!!」

 突然笑い出す聡美。はるかは何が起こったのかとびっくりした。

 「お、お姉ちゃん、どうしたの?」

 「ハハハ・・・ご、ごめん・・・。今度という今度は、ほんとにあたしってバカだなって思っちゃって・・・」

 笑いを抑えながら聡美は言った。そして、あるところを指さす。

 「なんで気づかなかったんだろ! 窓から出ればいいんじゃない!」

 そこには、廊下の窓にはめられた、大きなガラス窓があった。

 「あれを割って、外へ飛び出せばいいのよ!」

 「大丈夫なの・・・?」

 不安そうな顔をするはるか。

 「ここに入ってから一回も、階段は上ってないでしょ? 普通に考えたら、あたしたちは一階にいるってことじゃない」

 聡美はそう言ったが、自分でも不安があった。たしかに自分達は、まだ1階にいるはずである。しかし、空間のゆがみというものが、もし横方向だけでなく縦方向にまで広がっているとしたら・・・いつのまにか、自分達は3階にいた、などということもありうる。窓から飛び出したら、そこは3階の空だった、ということも考えられる。しかし・・・

 「この研究所は、元から3階建てのはず・・・。もしここが3階で、そこから飛び降りたとしても・・・あたしなら、なんとかなる」

 自分の足に自信をもたせ、聡美は顔を上げ、ガードダガーを引き抜いた。

 「はるかちゃん・・・ちょっとさがってて」

 聡美の言いつけ通り、少し後ろに下がるはるか。聡美は窓に向けて、ガードダガーを構えた。

 「ほんとは窓なんか壊しちゃ、いけないんだけどね・・・!」

 バシュッ!!

 バリィィィィィン!!

 聡美が引き金を引くと同時に光線が発射され、窓は粉々に砕け散った。

 「ここまでは成功・・・と。はるかちゃん、おいで」

 聡美ははるかをこちらへ来させると、彼女を背中に背負った。

 「あぶないかも知れないから、しっかりつかまっててね」

 「うん・・・」

 はるかの小さな手が、聡美の肩をギュッとつかんだ。窓に歩み寄る聡美。窓の向こうには、研究所の中庭が見える。飛び越えたその先には、自由が待っている。そう思うと、聡美はこれまでの苦労を忘れられるような感じがした。

 「さ、それじゃいくよ!」

 窓枠のへりに足をかけ、聡美は背中に回した両手でしっかりとはるかを押さえた。

 「聡美、いっきまーす!!」

 ダッ!

 窓枠のへりを蹴り、窓から飛び出す聡美。次の瞬間には、彼女は中庭の芝生の上に着地しているはずだった。しかし・・・

 スタッ・・・

 「!?」

 そこは、中庭ではなかった。窓から外へ飛び出したはずの聡美だったが、なんと、着地したのはもとの廊下であった。

 「ど・・・どーなってんのよーっ!?」

 混乱しながら振り返ると、そこには先ほど飛び出したはずの割れた窓が・・・。

 「なにこれ・・・廊下から飛び出したはずなのに・・・」

 呆然とつぶやく聡美。窓から飛び出したはずなのに、なぜかその窓から廊下に飛び込んでしまったようなかたちで、元の場所へ戻ってしまったのだ。ちょうど、鏡の中に飛び込んだとしたら同じ様な感覚を味わうことになるだろうか。空間と空間のつながりのねじれは、想像以上にひどいものらしい。

 「・・・もうやだ・・・」

 ポツリとつぶやき、床にへたりこんでうずくまる聡美。この方法には期待していただけにその落胆は大きく、元気が最大の取り柄である彼女も、これには完全に気力を失ってしまったらしい。

 「・・・お姉ちゃん・・・」

 聡美の背中から降りたはるかが、心配そうな声で彼女の肩を叩く。しかし、それにも聡美は顔を上げなかった。

 「お姉ちゃん・・・出口は? パパは・・・?」

 「・・・ごめんね、はるかちゃん・・・。出口にも・・・パパにも・・・連れていってあげられないかもしれない・・・」

 聡美はそう言うと、ガバリとはるかを抱きしめ、そのままうずくまっていた。はるかに対して彼女が初めて出した、弱音だった。

 「あたし・・・ちょっと疲れちゃった・・・」

 聡美はそう言って目を閉じ・・・意識は闇へと消えていった。





 ザァァァァァァァァァァァァ・・・

 「・・・?」

 葉ずれの音で、あたしは目を覚ました。顔を上げると、そこにはたくさんの朱色の実をならせた木の枝が茂っていた。

 「ここって・・・」

 もちろん、忘れるはずがない。ここは・・・小さい頃住んでいた、おじいちゃんの家の裏山だ。そこにある大きな柿の木の下が、私のお気に入りの場所だった。でも・・・

 「どうしてここに・・・?」

 そう言いながら、両手を見ると・・・そこには、いつもよりもずっと小さな手があった。

 「!?」

 私は驚いて、その手を自分の顔に当てて、輪郭をなぞった。なんだか、いつもの私とは違う。そして、目を落とすと・・・

 「あ・・・」

 あたしは、体操服を着ていた。小学校の頃、ほとんどユニフォームみたいだったもの。胸には「4−3 岸本」と書かれた名札がついていた。さらに・・・

 足下には、銀色の紙で作られた、「2」と書かれた丸いメダルが転がっていた。それを見た瞬間、あたしは自分がなぜここにいるのか、なにをしていたのか、そして、どんな気持ちでいたのか・・・全てを思い出した。その途端・・・

 「・・・ック・・・」

 悔しさが再び胸にこみ上げ、熱い涙が目から流れ始めた。と、その時だった。

 ガサ・・・

 目の前の茂みが、なぜか揺れた。

 「!?」

 私は驚き、茂みをにらみつけた。すると・・・

 「ばあ」

 茂みから、ゴリラのような顔をしたおじさんが、ヌッと顔を出した。あたしはそれに少し驚いたが、すぐに顔を背けた。

 「やっぱりここにいたか。探したぞ、聡美。こんなとこで、着替えもしないで」

 おじさんは、大きな体で茂みから出てきて、近づいてきた。なぜか、長い棒を持っていた。

 「お父さん、なんでここ知ってんの? あたししか知らないはずなのに」

 あたしは少し驚いたけど、すぐに答えた。あたしのお父さん。足が短くて、ゴリラそっくりだけど、優しくて強いお父さん。お父さんはあたしの隣に来た。

 「なに言ってんだ。ここはもともと、俺の隠れ家だったんだぞ」

 お父さんはそう言うと、手に持った長い棒で枝をつつき始めた。ほどなくして、柿の実が一個、ポトリと落ちてきた。お父さんはそれをキャッチするとあたしの隣に座って、それを差し出した。

 「いらない」

 けど、あたしは首を振った。

 「この時期のはうまいぞ。食ってみろよ」

 「いらないものはいらない!」

 お父さんは苦笑いしながら、それにかじりついた。しばらくは、お父さんもあたしも、何も言わなかった。けど・・・

 「まだふてくされてんのか?」

 あたしの顔を見て、お父さんは言った。あたしは黙ってうなずいた。

 「贅沢な奴だな。俺なんか、どんだけ頑張ったって二位になるのがやっとだったってのに」

 お父さんは落ちていたメダルを拾って言った。

 四年生の秋の大運動会。あたしは初めて、400mリレーで一位になることができなかった。春に鹿児島から転校してきたアンカーの子がすごく早くて、追いつけなかったのだ。

 「二位じゃ意味がないの! 一位じゃなきゃ意味がないんだ!!」

 あたしはたまらずに叫んだ。それだけ、あたしは悔しかったのだ。

 「・・・困った奴だ。聡美って名前は、賢くってきれいな女の子になってほしくてつけたっていうのに、お前ときたらとんだおてんばだな」

 「知らないよ、そんなこと」

 あたしはそう言ってそっぽを向いた。

 「一位じゃなかったら、なんの意味もないんだ。二位だってビリだって、一位じゃなきゃ、みんなおんなじなんだ・・・」

 あたしはそういってうずくまった。

 「・・・」

 お父さんは柿から口を離すと、何かを言うためにこっちに顔を向けた・・・。





 どれだけの時間がたったのか、聡美にもわからない。それほどの時間はたっていないはずだったが、空間がねじれて距離感というものがマヒしたこの空間では、時間の感覚も正常には働かなかった。ただ聡美ははるかを抱きしめたまま、うずくまっていた。

 「夢・・・なの? なんであんな昔のこと・・・」

 pipipipipipipi・・・

 Sナビが音を立てたのは、ちょうどその時だった。

 「・・・」

 目覚めた聡美は、重たい手つきでそのスイッチをいれる。

 「はい・・・」

 「小隈だ。そっちはどうなっている?」

 Sナビの向こうからは、小隈の声が聞こえてきた。

 「隊長・・・」

 「何だ?」

 「あたし・・・ダメかもしれません・・・」

 聡美はボソボソとつぶやいた。

 「・・・どうしたっていうんだ?」

 いつもと違うそんな様子にも、平然と尋ね返す小隈。

 「いくら歩き回っても・・・出口が見つからないんです。さっきは廊下から窓の向こうに飛び出そうとしたんですけど・・・また廊下に戻っちゃって・・・」

 異常な状況を伝える聡美。しかし、小隈は少し黙ったあと、答えた。

 「そうか。引き続き、脱出に努力しろ」

 小隈の言葉は、少し冷徹な響きさえ混じっていた。その言葉に、これまで沈んでいたような聡美が、反応を見せた。

 「・・・隊長!」

 「なんだ?」

 「出口が・・・出口が見つからないんですよ!? 研究所の他の人達にだって、一人も・・・!」

 感情が爆発したように叫ぶ聡美。

 「・・・わかっている。それがどうかしたか?」

 小隈の口調は、さらに事務的なものだった。

 「それがどうしたっ、て・・・! 隊長は、あたしがどんな気持ちでいるかわかって・・・」

 「辛いだろうな。それはわかっている。だが、だからといって、それがどうした」

 「!?」

 「お前がいくら辛く思おうと、現状に不安を覚えようと、現実は何一つ変わりはしない。そんなことに弱音を吐いているヒマがあったら、立ち上がって歩き続けろ」

 「!!」

 「隊長、そういう言い方って・・・」

 途中でひかるが何か言おうとしたのが聞こえたが、亜矢か誰かに止められたのか、それは途中で遮られた。

 「お前はSMSの隊員であり、俺の部下だ。そしてお前は、俺から女の子一人を連れてその研究所から脱出するという命令を受けた。拝命した以上は、どんなことがあってもその仕事を責任を持ってやりとげる。俺はお前達に、いつもそれを期待してきたはずだが?」

 Sナビを持つ手が震えていた。

 「弱音を吐くなら、そこでじっとしていろ。事件解決のメドがついたから、遅かれ早かれお前を救出することはできる。だが、それなら一般人と変わりない。SMSの隊員であるという自覚が少しでもあるなら、任務を続けろ」

 小隈の言葉に聡美は黙っていたが、やがて、声を発した。

 「・・・はい! 申し訳ありませんでした!」

 パシッ!

 そこで彼女は、Sナビごしにその音が聞こえぐらい、自分の頬をピシャリと叩いて気合いを入れた。

 「岸本聡美・・・SMS隊員として、根性を見せます!!」

 聡美の声には、自信と決意が満ちていた。

 「・・・その意気だ。引き続きお前に、任務の継続を命令する。いいな?」

 「はい!」

 「よし、いい返事だ。お前から元気と根性をとっぱらったら、何も残らないからな」

 「たいちょおー!! それはひどいですよ!! あたしにだって、元気と根性以外の取り柄ぐらいあるんですからね!」

 聡美は憮然とした様子で言ったが、すぐに笑顔に戻った。

 「まあでも・・・元気と根性が一番のセールスポイントなのには違いないんですけど」

 「それじゃあ、そういうお前に朗報だ。今現在、お前のいるその巨大迷宮を探査する活動が行われている」

 「探査・・・? それって、どういうことですか?」

 「うん。走りながら道筋をモニターしていくゴキブリ型ロボットを大量に放ってだな、この研究所の隅々まで走らせて、研究所の中の正確な地図を作ってしまおうっていう寸法だ」

 「ゴ・・・ゴキブリ型?」

 「なんだ岸本? いまさらゴキブリぐらいでびびるお前じゃないだろう?」

 「それはまあ、そうですけど・・・」

 「それでだ。もう何十分かすれば、完全に迷宮内の構造は把握できる。そうすれば、あとは最奥部の第1大型研究室に仁木達が突入して、ホームメイロの動作を解除すれば、この研究所は元に戻る。そうすれば、お前達もなんなく出ることができるだろう」

 「はぁ・・・そうなんですか、わかりました。でも、それまでここでジッとしてるのもなんなので・・・できるだけ、自力で脱出できるように頑張ってみます」

 「そうしてくれ。それじゃあ、一旦通信を切るぞ。また何かあったら、通信を入れてくれ」

 「わかりました。それじゃあ、頑張って下さい」

 「そっちもな」

 こうして、通信は切れた。聡美はかたわらで壁に寄りかかって座っていたはるかに声をかけた。

 「はるかちゃん、もうすぐ、あたしのお友達が助けに来るから、もう少し頑張れる?」

 「うん、頑張れる・・・」

 はるかはさすがに疲れているようだが、まだ歩ける気力はあるようだ。それに、いざとなれば自分が背負って歩けばいい。聡美はそう考え、彼女の頭をなでた。

 「えらいよ、はるかちゃん。それじゃあ、また出発!」





 「聡美さんは、偉いですよね・・・」

 管制作業を一息つきながら、ひかるが言った。

 「どうしてそう思うんだ、服部?」

 「きっと心細いはずなのに、ちゃんと女の子を守りながら歩き続けられるって、すごいことだと思います。私が同じことになったら、聡美さんみたいにちゃんとできるか、自信がありませんね・・・」

 ひかるの言葉に小隈は少し考えたが、すぐに口を開いた。

 「まあ、たしかに見上げたことではあるかもな。しかし俺としては、うちの小隊は俺も含めて、全員ああいう状況下でもしっかりと動けることを望みたいんだが・・・」

 「あ・・・す、すいません! 私も、がんばりますから!」

 「いや、何も今すぐあいつみたいになれとは言っていないよ。しかしだ・・・ああいう状況に置かれたのが岸本だったっていうのは、不幸中の幸いだったかもな。俺達の中で一番打たれ強くて、根性があるのはあいつなんだから・・・」

 小隈はタバコに火をつけた。

 「それに・・・あいつがこの仕事にかけている思いってものも、一番強いかもしれない。あいつは、何が何でもSMSに入りたがっていたからなあ・・・」

 「え・・・そうなんですか? でも、どうして・・・?」

 「ああ、そうか・・・。ひかる君は・・・まだ、知らなかったんだね・・・」

 亜矢がひかるの顔を見た。

 「え・・・?」

 「絶対にSMSに入って、人の役に立つ・・・。聡美君には・・・どうしてもそうしなければならない・・・理由があったんだよ」

 亜矢は静かに言った。





 「亡くなっていたんですか? 聡美さんのお父さん・・・」

 「6年前の、夏にな・・・」

 圭介の言葉に、小島はバックパックの中から取り出した水分補給用のミネラルウォーターを飲みながら答えた。待機時間が続く中、話題はこの研究所の中に取り残されている聡美のことへ移っていた。

 「彼女のお父さんは、北九州市警の巡査部長だったらしいわ・・・」

 小島の言葉を、仁木が続ける。

 「6年前の夏、台風21号が九州に上陸して、大きな被害をもたらしたことがあった。彼女のお父さんは、その時に増水した川で溺れた子どもを助けるために、川に飛び込んだのよ。子どもを助けて、川に流されながら、なんとかその子どもを助けることはできた。でも・・・」

 「流されてる途中、川に架かってた橋の橋脚に、子どもをかばってぶつかったらしい。その時折れた肋骨が、内蔵に刺さってな・・・。病院に運ばれたときは、すでに手遅れだったらしい」

 「そんなことがあったんですか・・・」

 仁木達の話に、圭介はそう言うしかなかった。

 「彼女はその時、県の陸上選手権に出るために博多に行っていて、お父さんの最期に立ち会うことができなかったらしいわ・・・。今でもそのことを、後悔しているみたい」

 「だからなんだよな。あいつがやたらに、いつ必要にされてもいいように訓練にこだわるのは・・・。あいつは人の役に立つことで、お父さんの最期に立ち会えなかったことを償おうとしているんだよ・・・」

 仁木と小島は静かに言った。

 「聡美さんにも、辛いことがあったんですね・・・。でも・・・不安ですね」

 圭介の言葉に、仁木と小島は彼を見た。

 「聡美さんが頑張ろうとしている理由が、そういうことなら・・・聡美さん、その気持ちのために焦って、取り返しのつかないことになってしまうかもしれませんよ・・・? もし、そういうことになったら・・・」

 「・・・彼女も、そのことはわかっているつもりらしいわ。でも・・・実際こういうことになると、どうなるかはわからないわね・・・」

 「基本的に、あいつは無鉄砲だからな・・・。いざとなると、周りが見えなくなることがあるかもしれない。お前が言うとおり、こういうときにあいつが一人で突っ走ったりしたら、一番あぶないのはあいつだ・・・」

 口々につぶやく圭介達。

 「迷宮内の探索が早く終わるのを待つしかないかしら・・・」

 「でも副隊長・・・待機し始めてからもう1時間半は経ちますよ。もたもたしてたら、タイムリミットが・・・」

 その時、VJの通信機が音をたてた。

 「はい、仁木です」

 「待機ご苦労。十分疲れはとったな? 出発だ」

 その言葉に、全員の顔に緊張が走った。

 「探査が完了したんですか?」

 「たった今だ。ロボットに搭載されていた生命反応探知センサーのデータから、多数の生命反応が集中している部屋が見つかった。おそらく、そこに犯人と人質達がいる。ただちにそこへ向かい、犯人を速やかに捕らえろ」

 「了解しました。新座君、小島君、出発するわよ」

 「「了解!」」

 3人はそれぞれ立ち上がり、ヘルメットを頭に装着した。

 「マップデータを転送します」

 ひかるの声とともに、網膜投影ディスプレイから迷宮と化した研究所内の地図が映し出される。それを見て、圭介は驚いた。

 「うひゃあ・・・なんだよ、これ・・・」

 そこに映っていたのは、不気味にねじくれたスクリューのようなかたちをした、網の目のような道の数々だった。

 「俺達、こんなところを歩いてたんですね」

 「入ったら最後、抜け出せないってのも無理ないよな、これじゃ・・・」

 マップを見た圭介と小島が感想をもらす。

 「もうこっちには地図があるんだから、いくら複雑な迷宮でも怖くはないわ。それよりも、隊長・・・」

 「わかっている。目標地点は・・・ここだ。SRPの皆さんとは、ここで合流しろ」

 小隈の声と共に、ちょうど複雑に入り組んだ通路の奥の奥に、一つの輝く点がある部屋が表示された。

 「了解しました。SMS第1小隊、ただちに救出任務を再開します」

 「よっしゃあ! 今までさんざ歩き回らされたお礼はたっぷりしてやるぞ! 首を洗って待ってろよ、宗教オタク!」

 「・・・口を慎んで下さいよ。誰かに聞かれたらどうするんです」

 「意気込みは買うけど、あんまり手荒な真似はしないでよ」

 「わかってますって。俺の本業は何です? 医者ですよ、医者」

 「・・・出発します!」

 仁木の号令と共に、3体のVJは再び歩き始めた。





 一方その頃。第一大型研究室。

 カルト教団の武装した信徒達に占拠された研究室内では、やはり重苦しい空気が流れていた。信徒達の持つ銃がわずかに動いただけでも、女性研究員など心理的に追いつめられている人達は、ビクリと体を震わせ、恐怖に顔をゆがめる。

 「あ〜あ、ひまだなあ」

 そんな中、一人の男の声が響いた。机の上に慇懃な様子で腰掛け、タバコを吸っていた男。そんな彼に、草加が注意した。

 「静かにしろ、臼井。つくづくお前は落ち着かん奴だな」

 「どうも。でもね、ここに入ってから大体7時間。いい加減ジッとしてたばこ吹かしてるのにも、飽きてきたんですよ」

 臼井は悪びれる様子もなく、そう言った。

 「外の奴らが要求を受け入れなければ、我々はあと3時間でこの爆弾を使って殉教するのだぞ?」

 傍らに置いてある、巨大なドラム缶のような爆弾を叩きながら、草加は言った。

 「受け入れなければ・・・? 草加さん・・・あんた、外の奴らが本気でそんな要求受け入れると思ってんのかい? 俺はてっきり、ここにいる奴らはみんな俺も含めて、端っから殉教するつもりでここにいるんだと思ってたけどね」

 「!」

 「奴らはきっと、俺達の言うことなんか聞きやしない。死にものぐるいで俺達をつぶしにかかってくるだろう。俺はその時に連中と戦って、派手に討ち死にするつもりさ」

 臼井はタバコを机に押しつけてもみ消した。

 「だからさ・・・最後の時までは、自分の思うとおりにやりたいわけよ。でもね・・・間抜けなことに、最後の酒にするはずだったブランデーを、家に置いてきちまった。ブランデーはないかもしれないが、他の酒ぐらいはここの食堂あたりにあるかもしれない。それを取りに行きたいんだが・・・」

 臼井の言葉に、草加はため息をついた。

 「・・・好きにしろ」

 「サンキュー。話が分かるね」

 「待て、ついでだ。俺も行く」

 その時もう一人、大柄な男が立ち上がった。

 「あ? 何の用だよ、西尾?」

 「トイレだ」

 「チェッ・・・」

 舌打ちをし、もう一人の男と出ていこうとする臼井。だが・・・

 「ちょっと待て。これをつけて行け」

 そう言って草加が差し出したのは、長いロープだった。

 「おいおい・・・犬じゃあるまいし・・・」

 「研究室から一歩出れば、そこは死のラビリンスだぞ? 迷ったまま本懐を遂げられなくてもいいのか?」

 「・・・チッ・・・わかったよ」

 そう言って、臼井と西尾はロープを腰に巻き付けた。

 「戻るときは、それをたぐり寄せるんだぞ」

 「ガキじゃねえんだ。そんぐらいわかってるよ。そんじゃ、行ってくるぜ」

 そう言って、二人は研究室から出ていった。

 「・・・後悔してるよ、あいつを連れてきたことを・・・。協調性のない部下を持つと、苦労するな」

 そう言って、草加は傍らの木幡を見た。

 「・・・知らないな。経験がないから・・・」

 「・・・そうか。それは失礼した。あなたは恵まれてるんだな、主任」

 草加に目も合わせずに言う木幡に、草加は微笑を浮かべた。





 「元気出しては見たものの・・・やっぱり、元気だけじゃ状況は変わらないよねぇ・・・」

 聡美は歩きながら、そんなことを考えていた。小隈からの叱咤で元気は出たし、まもなく仲間達が助けに来るという希望もある。その足取りはだいぶ軽くはなっていたが、それでも研究所の中が巨大迷宮になっているという事実に変わりはなく、聡美とはるかの二人は歩き続けていた。

 「あれ・・・?」

 聡美と手を繋いでいたはるかが声を出したのは、そんな時だった。

 「どうしたの、はるかちゃん?」

 「ねえ、あれなあに?」

 はるかが指を指した。前方は左への曲がり角になっている。しかし、奇妙なところが一つあった。廊下の上に、一本のロープが垂れているのである。

 「・・・? なんだろう?」

 不思議に思った聡美は、曲がり角に向かって歩いていった。

 「危ないかもしれないから、はるかちゃんはここでジッとしてて」

 廊下の角で、聡美ははるかに言い聞かせた。うなずくはるか。聡美は廊下からそっと顔を出し、曲がり角の左を見た。

 そこには、意外なものがあった。

 一人の男が、こちらに背を向けて歩いていた。奇妙なのは、男の格好である。スーツ姿でもなければ、白衣の研究者でもない。紛れもない戦闘用のスウェットスーツを身につけた、男なのである。彼はなぜかロープを腰に巻き付け、何かを探しているようにキョロキョロとあたりを見回しながら、自動小銃を肩に掛けて歩いていた。

 それを見て、聡美は一瞬判断に時間をかけた。

 (これって・・・! どうしよう。後戻りする? でも、進むにはこの道しか・・・)

 その結果、とった行動は一つだった。

 「・・・!」

 聡美は急いで廊下の角の影に隠れると、ガードダガーを取り出し、ショックモード用のバッテリーを装填した。

 「いい? 絶対に動いちゃダメよ?」

 はるかの目をのぞき込みながら、聡美は真剣な口調で言った。それにはるかがうなずくのを確認すると、聡美は銃を構え、足音を忍ばせながらゆっくりと廊下の影から出てきた。そして・・・

 「動くな!!」

 聡美が放った言葉に、男がビクリと震えるのが見えた。そして、顔とともに銃を背後に回そうとしたが・・・

 バシュッ!

 聡美の放ったショックビームが、その足下に当たった。

 「振り向くな! 銃を捨てて両手を挙げて、ゆっくりと後ろに下がれ! 今度動いたら、当てるぞ」

 聡美の言葉に、男は動くのをやめた。そして、自動小銃を床に捨てると、手を挙げながらゆっくりと後ずさりしてきた。



 「そう・・・そのままだ」

 こっちへ後ろ向きに進んでくる男に、自身も銃を構えながらゆっくりと近づいていく聡美。やがて、二人は接触しあえるところまで来た。

 「その腰にある物騒なものも、外させてもらうよ」

 聡美は片手で銃を突きつけながら、もう片方の手で腰のホルスターから拳銃を抜き取り、自分の後ろへと投げ捨てた。

 「・・・てめえ、SMSだな・・・? なんでVJを着てない奴がここにいるんだ?」

 首をやや後ろに向け、男は初めて口を利いた。

 「関係ないでしょ、そんな理由。悪のあるところ必ず現れ、悪の行われるところ必ずゆく。これで満足?」

 「ケッ・・・正義の味方に理由はいらないってかい」

 悪態をつく男にかまわず、聡美は言った。

 「おとなしくしていれば、拘束するだけに留めるわ。あなたには悪いけど、手と足を拘束させてもらう。お互いに面倒なことになりたくなければ、黙って従うことね。両手をゆっくり、腰の後ろへ」

 「へいへいわかりましたよ・・・。正義の味方のお嬢さんにはかなわねえや」

 そう言って、男が腰に手を回し始めた。聡美は銃を突きつけながらも、片手で懐を探って電子手錠を取り出そうと、一瞬男から目を離した。その時だった。

 シュッ!!

 「!?」

 突然起こった出来事に、聡美の頭は理解しきれなかった。ただ、体だけが反射的に動き、上半身を後ろに反らせた。そして、彼女のすぐ鼻先を、銀色の刃がかすめたのである。

 男は手を後ろに回すと見せかけて、懐に隠し持っていたナイフを振るったのである。聡美はそれを紙一重でかわしたが、その動きによって全身のバランスが崩れていた。

 「ヒャハァッ!!」

 そこへ奇声をあげ、男がキックを蹴りこむ。

 ドガッ!

 「グッ!」

 壁にたたきつけられ、うめき声をあげる聡美。しかし、男の動きは素早かった。

 ガシッ!

 男は片手で聡美の首根っこを押さえつけて壁に押しつけ、ナイフを首筋に突きつけていた。

 「悪いな。悪役は悪役らしく、こういう手を使わなきゃならないもんでね」

 男はそう言った。

 「クッ・・・!」

 「このまま絞め殺されるのと、ナイフで刺されるのとどっちがいい? どっちにしても、あんたには死んでもらうことになるぜ。人質を殺すわけにゃいかねえが、あんたなら外の連中への見せしめに最適だ。名誉の殉職ってわけだよ。VJつけてなきゃ、SMSもただの人だな」

 男は今の自分の行為を心底楽しんでいるようだった。聡美はそれに嫌悪感を覚えつつも、動くことができなかった。少しでも動けば、この男は容赦なくナイフを首に突き刺すだろう。

 (こいつ・・・! でも、殺されるわけにはいかない! あたしが殺されたら・・・)

 聡美は男をにらみつけた。

 「リクエストがないなら、こっちの好みにさせてもらうぜ。そうだな、どっちがいいだろう・・・」

 男がそんなことを言い始めた、その時だった。

 「お姉ちゃん!!」

 突如、廊下に少女の声が響いた。目をそちらに動かすと、廊下の角からはるかが出てきていた。

 「!?」

 それに驚いたのは、男の方だった。そして、一瞬隙が生まれたのである。

 ドガッ!!

 「グオッ!!」

 その隙を見逃す聡美ではなかった。間髪入れず、男の腹に強烈な膝蹴りを叩き込んだ。それによって前屈みとなり苦しむ男。

 「隠れてなさい!!」

 はるかの方を見ることなく、聡美は叫んだ。そして、今度はナイフを持った男の手に強烈なチョップを叩き込む。

 バシッ!!

 それによって、男は手からナイフを落とした。

 「タアアッ!!」

 バキッ!!

 トドメとばかりに、聡美は正拳を男の顔に叩き込んだ。

 「グオオッ!!」

 うめき声をあげて吹き飛ばされる男。しかし、彼もそのままではいなかった。  「このアマッ!!」

 たまたま近くに落ちていた銃を拾い、彼女に銃口を向けたのだ。

 ダンッ!!

 銃声が、廊下に響いた。

 「・・・」

 やがて、そこに立っていたのは、ガードダガーを構えた聡美だった。男の方はといえば、麻酔弾で撃たれたため、早くも眠りについている。

 「ふぅ・・・」

 聡美はガードダガーをホルスターにしまい、男を見下ろした。

 「あたしたちをなめないでよね。VJを着て動くだけが、SMSの隊員の全部じゃないんだから・・・」

 男を見下ろし、聡美はそうつぶやいた。

 「お、お姉ちゃん・・・!!」

 「ダメじゃないの! 隠れてなきゃ・・・!?」

 聡美は振り返ってそう言おうとしたが、背後にあった光景に、凍りついた。

 そこには・・・一人の大柄な男につかまり、銃を突きつけられているはるかの姿があった。

 (仲間がいたの・・・!?)

 だが、そう思う間もなく、

 「銃を捨てて、手を上げてもらおうか・・・」

 男は無表情にそう言った。しかたなく、聡美はガードダガーをホルスターから抜いて、廊下に投げ捨てた。

 「大したものだ」

 倒れたままの臼井を見ながら、男はわずかに表情らしきものを見せながら言った。倒れた男と同じく、彼も腰になぜかロープを巻き付けていた。

 「どうしろっての?」

 うんざりした表情で、聡美は男に尋ねた。

 「とりあえず、ついてきてもらおう。俺の前を歩け」

 「こいつはどうすんのよ?」

 「あとで仲間を迎えによこす。まさか、殺しちゃいないだろうな?」

 「そんな武器は持ってないわよ」

 そう言いながら、聡美は男の方へと歩いていった。

 「お姉ちゃん・・・」

 すれ違いざま、はるかが不安に満ちた表情を見せた。が、聡美は満面の笑みを浮かべて答えた。

 「大丈夫。なんとかなるから・・・」

 そう言って聡美は、銃を持った男の前を歩かされ始めた。





 「あいつら、遅いな・・・」

 研究室を占拠している男の一人が言った。

 「食堂かトイレを探すのに手間取ってるんだろう。放っておけ。そのうち戻ってくる」

 草加は何かのスイッチらしい機械を手でもてあそびながらそう答えた。その時だった。

 プシュー・・・

 エアーの音と共に、研究室のドアが開いた。そこに立っていたのは、臼井ではなく、ショートカットの見慣れない女だった。

 「!? 貴様は・・・!」

 一斉に銃口が彼女に向けられる。だが、彼女は平然と言った。

 「撃たないでよね。せっかくおとなしくしてるんだから」

 「SMSの女です。なぜかこの子供と一緒に、この中をうろついていました」

 その後ろから、はるかを抱えた西尾が入ってきた。それを見て、草加はだいたいのことを理解した。一方、人質の中で木幡がはるかの姿を見て声を上げた。

 「はるか!!」

 「お父さん!!」

 それを見て、草加がニヤリと笑う。

 「ほお・・・世の中には、奇遇なこともあるものですね」

 木幡は草加から顔を背けた。

 「臼井は?」

 「やられました。さすがに殺されてはいませんが」

 「わかった。おい、臼井を迎えに行ってやれ」

 その声で、二人の男がロープをたどって部屋から出ていった。そのあとで、草加が聡美に近づく。

 「珍しいお客さんをつれてきてくれてありがとう。SMSの人間がここにいるとは・・・名前は?」

 「東京都SMS第1小隊所属、岸本聡美。はるかちゃんやお父さん達に手出ししてみなさい、ただじゃすませないから」

 勇ましく言い放つ聡美。

 「一体、どうやって入り込んだんだ?」

 「巻き込まれたのよ。ちょうどここに来た途端に、あんた達がわけのわからない機械でここを迷宮に変えちゃったから、出るに出られなくなったわけ。でも、それが幸いしたわね。少なくとも、一矢報いることができたわ」

 銃口を向けられながらも、聡美は物怖じすることなく続けた。

 「おとなしく投降しなさい。もうすぐあたしの仲間もここに到着する。あんた達の企みも、これまでよ」

 しかし、草加は平然として答えた。

 「君も出しゃばりな人だな。黙って救助を待っていればいいものを・・・」

 「助けを待ってるだけでいい立場の人間じゃないからね。ただ今は、自分の間抜けさ加減に愛想尽かしてるけど」

 「なるほど・・・さすがは正義の味方だ。しかし・・・人を助ける前に、自分のことを考えるべきだったな」

 そう言いながら、草加は自らも銃を抜いて聡美に向ける。

 「感心したよ。SMSは我々が思っていたよりも、ずっと勇敢な組織のようだ。実働員でない君のような若い女性隊員でも、いざとなれば一人でも危険な現場に飛び込む・・・。すばらしい勇敢さだ。君のような勇敢な隊員ならば、きっと君の仲間達もその死を悼むに違いない・・・」

 引き金に指をかける草加。他の男達も、彼女に銃を向けた。

 「・・・若い女性隊員でも、ですって・・・?」

 しかし、聡美はおびえの様子も見せずに、彼にそう言った。

 「女だからって、何なのよ? あたしたちの仕事に、男も女もないわよ。女を甘く見ると、ひどい目に遭うわよ。この服の持ち主みたいにね」

 「君の勇敢な態度に敬意を表する。勇敢な最期だよ。さようなら」

 男達は引き金を引く指に力を込めた。

 「ごめん、みんな・・・やっぱりあたし、もっと落ち着いた方がよかったね・・・」

 聡美は、そんなことを思った。





 ガガガガガガガガ!!





 銃声がしたが、聡美にはそれが遠い別の世界のことのように思われた。しかし・・・

 それと同時に襲ってくるはずの死は、彼女にはもたらされなかった。その代わりに・・・

 「・・・大丈夫か? ったく、余計な手間かけさせるな」

 聞き覚えのある憎まれ口が、彼女の耳に飛び込んできた。そして、目を開けた彼女が見たものは、目の前に立ちはだかる青いVJの姿だった。

 「小島・・・さん?」

 そして、それだけに終わらなかった。

 バシュバシュバシュバシュ!!

 ショックガンの発射音と、男達の悲鳴が聞こえた直後、足音が研究室内に入ってきた。

 「そこまでだ!!」

 「大丈夫ですか、聡美さん!?」

 それは、マルチリボルバーを構えて入ってきた仁木と圭介だった。さらに、

 「SRPだ!! 銃を捨てろ!!」

 SRPの隊員達が素早く人質と犯人達の間に割り込み、一列にシールドを構えながら壁となりながら犯人達に銃口を向けていた。

 「み、みんな・・・」

 「ケガはないかよ?」

 「だ、大丈夫・・・それよりも、はるかちゃんは?」

 「見ろよ、無事だ」

 そう言って小島が顎でしゃくった先には、SRP隊員によって殴られ倒れている西尾と、彼らに抱きかかえられているはるかの姿があった。

 「よかった・・・」

 「だけど、ヘマしたな。敵につかまっちまうなんて・・・」

 「一生懸命やったんだけどね・・・ごめん」

 「・・・まあいいや。お前を怒るのは、隊長の仕事だからな」

 「小島君! 岸本さんを連れて、早く外へ出て!」

 「了解! つかまってろよ!」

 小島は聡美を抱きかかえると、研究室から風のように出ていった。

 「な、なんだと・・・!!」

 一瞬の逆転に、草加は顔を青ざめた。研究室を占拠していた信徒達は仁木と圭介、それにSRPの射撃によって軒並み倒され、残っているのは草加と数人の部下達だけだった。

 「チェックメイトよ。おとなしく投降すれば、引き金は引きません」

 静かな声で、仁木はそう通達した。草加達はせっぱ詰まった顔をしていたが・・・

 バッ!

 突然、懐から何かを取りだした。

 「動くな! これが何かわかるだろう!?」

 男達全員が手にしていたもの。それは、何かのスイッチだった。

 「!!」

 二人はすぐに、その正体に気がついた。それは、研究室のほぼ中央、二人と男達の間に置かれている、巨大なドラム缶のような物体・・・爆弾の起爆スイッチだったのだ。それを見たSMS、SRPが動きを止める。

 「お前達がそれを撃ったとしても、我々の誰かがその間に必ずボタンを押す! そうすれば、お前達もろとも木っ端みじんとなる!」

 それを聞いたSMSの二人は黙っていたが、やがて、顔を見合わせた。

 「・・・」

 カシャ・・・

 そして、二人はマルチリボルバーを右もものホルスターに格納した。SRPも銃をしまう。

 「そう、それでいいんだ・・・」

 おびえを隠しながらほくそ笑む草加。しかし、次の瞬間・・・

 ダッ!!

 突如、仁木のVJがダッシュをかけた。男達は何が起こったかわからず、スイッチを押すことができなかった。

 「ヤアアッ!!」

 ズパッ!!

 仁木は爆弾とすれ違いざまに、腰の「童子切安綱」を抜いてそれに居合い切りをかけた。その見事な太刀筋に、爆弾は起爆装置ごと真っ二つになった。

 「なにいっ!?」

 目の前で起きたことが信じられず、ただ驚く男達。しかし、なおも思いがけない行動が続いた。

 ブシャアアアアアアアアア!!

 今度は圭介のVJが、マルチブラスターから大量の水を爆弾に向かって吹きかけ始めたのである。あっというまにびしょ濡れになり、詰め込まれた火薬のその内部まで水が浸透していく・・・。

 「こ、こんな・・・」

 男達は爆破スイッチを手にしたまま、呆然となった。しかし、今それを押したとしても、爆弾は爆発することはないだろう。どんなに高性能なものであっても、それが火薬である限り、水によってしけってしまえば爆発に至ることはないのだから・・・。

 圭介が男達に言った。びしょ濡れとなった男達は呆然としていたが・・・

 バッ!!

 突如かがみ込むと、何かを担いで再び起きあがった。

 「こうなったら、これで貴様達ごとここを吹き飛ばしてやる!!」

 それは、ロケットランチャーだった。

 「78式徹甲RPG(対戦車ロケット砲)?」

 「どこであんなもの・・・」

 二人はVJも破壊しかねないその武器に驚きつつも、その往生際の悪さに呆れていた。と、その時だった。

 「往生際が悪いってんだよ!」

 突如割り込んできた怒鳴り声に一同が振り返ると、研究室の入り口に、「オルム」を構えた小島の姿があった。が、彼はその叫びと同時に、引き金を引いた。

 ボンッ!!

 発射音とともに発射された薬品カプセルは、男達の寸前で爆発し、中に入っていた薬品が男達へとふりかかった。

 「グワァァァァァァァァ!!」

 液体を浴び、すさまじい悲鳴をあげて倒れる男達。その直後だった。

 「グワァァァァ!! かっ、かゆい!! かゆいぃぃぃぃぃ!!」

 そんなふうに絶叫しながら、男達は体中の至る所を激しくかきむしっていた。

 「よっしゃ。早速役に立ったな、オルム」

 オルムを収めながら、小島は男達を見下ろして言った。

 「小島さん・・・何したんです?」

 「さては、カラドリウスでまた何か変な薬品を作ったのね?」

 犯人達の尋常じゃない様子を見て、二人が尋ねる。

 「変な薬品とは心外ですね。これ以上戦意喪失にうってつけなものはないと思いますけど」

 「いいから説明しなさい」

 「はいはい。これぞ俺と亜矢さんが苦心して作り上げた強化アレルギー誘発剤・・・名付けて、「夏の贈り物モスキラス君1号」です!!」

 「また変なネーミングを・・・そんなことより、なんなんですかアレルギー誘発剤って」

 「読んで字の如く、アレルギー反応を誘発する薬だ。特製のこいつを浴びると、夏にヤブ蚊に食われたときの数百倍にあたる、耐え難いかゆみを引き起こす」

 「え、えげつない・・・」

 「むごいわね・・・」

 圭介と仁木は、この薬品の実験台となってしまって悶え苦しむ男達に同情した。SRPの隊員達も呆然としている。

 「まぁ、心配することありませんよ。効果は二分で切れますから。その前に、とっとと武装解除しちゃいましょう」

 「あんまりこういうことはやめてよね・・・。とにかく、武装解除しましょう。お願いします」

 3人はSRPとともに床に落ちていた起爆スイッチとロケット砲を回収し、悶え苦しむ男達に手錠をかけると、周囲でやはり呆然としている人質達に言った。

 「・・・もう大丈夫です。犯人は、我々が押さえました」

 その声に、研究室内は水を打ったように静まり返ったが・・・やがて、すさまじい歓声が響き渡った。

 「隊長、状況は終了しました」

 喜んで感謝の言葉を叫んだり、握手を求めてきたりする人質達に応対しながら、仁木は忙しそうに報告した。

 「ご苦労さん。やっぱり、幕切れはあっけないものだな・・・」

 「そうですね・・・」

 そう言って、仁木は苦笑した。





 陽はすっかりと落ち、周囲のビルの窓にも灯りが灯っている。カルト教団の狂信者達によって占拠されていた空間歪曲技術研究所は、その中でその白い姿を浮かび上がらせていた。

 周囲はいまだ、騒々しい。警察車両の鳴らすサイレン。上空を行き交うヘリ。事件の解決を伝える報道などで、周囲はごった返していた。そんな中、第1小隊の指揮車の前に、一群の集団がいた。

 「おかげさまで、こうして家族全員無事です。ありがとうございました」

 「本当に、なんとお礼を言ってよいのか・・・」

 この上ない嬉しさを顔全体に浮かべ、木幡夫妻は目の前に立つ第1小隊に深々と頭を下げた。

 「そんなに恐縮しないで下さい。俺達は、一人の死傷者も出さずに助けてみせるっていう約束を守っただけですから・・・」

 「新座の言うとおりです。正義の味方は、約束を破らないのが大原則ですからね。もちろん、我々としても任務を無事達成できたのは喜ばしい限りですよ。木幡さんもはるかちゃんも、今日はいろいろとあってひどく疲れてるでしょう。ゆっくり休んで下さい」

 小隈はにこやかな顔で言った。それにうなずく木幡。

 「はい、そうさせてもらいます。本当にありがとうございました。それでは、僕達はこれで・・・」

 「ほら、はるか」

 母に促され、それまで彼女の後ろに隠れていたはるかが、おずおずと前に出てきた。

 「聡美君も・・・」

 「う、うん・・・」

 亜矢に押されるかたちで、聡美も前に出る。彼女はかがみ込んで、はるかと同じ視点に立った。

 「今日は大変だったね、はるかちゃん」

 「うん・・・。とっても疲れたけど・・・でも、お姉ちゃんがいてくれたからがんばれた。パパを助けてくれてありがとう、お姉ちゃん」

 そう言って、ペコリと頭を下げるはるか。

 「アハハ・・・やだなあ、はるかちゃん。あたしはただ、こんなに可愛いはるかちゃんに、悲しい顔をしてほしくなかっただけだよ」

 そう言って、聡美は両手をはるかの頬に寄せた。

 「パパの言うことを聞いて、いい子でいるんだよ?」

 「うん!」

 「あ、そうだ。ねえ、あのお弁当は?」

 その言葉に、はるかは小さく首を振った。

 「まだあげてないの?」

 「だって・・・」

 「今日ここへ来たのは、パパにお弁当届けるためでしょ? 一度やろうとしたことは、最後までやるのが大事なんだから」

 聡美にそう言われたはるかはしばらくためらっていたが、やがて肩に提げたバッグから、お弁当を取り出して父に差し出した。

 「はいパパ、お弁当・・・」

 それを、木幡は優しい笑顔で受け取った。

 「ありがとう、はるか。今日はお昼を食べてないから、とってもお腹ペコペコだよ。お家に帰ったら、一緒に食べようね」

 「うん!」

 はるかは元気に答えると、再び聡美に向き直った。

 「お姉ちゃん・・・」

 「なあに?」

 「あのね、はるか、決めたの。大きくなったら、お姉ちゃんみたいに強い女の人になって、今日のパパ達みたいに困ってる人を助ける!」

 「えっ・・・!?」

 聡美はその言葉に驚き、仲間達とはるかの両親の顔を交互に見た。しかし、どちらも微笑ましい笑顔を浮かべているだけである。やがて、少し困った様子で聡美は言った。

 「そっかあ・・・お姉ちゃんみたいに、ねえ・・・」

 「どうすれば、お姉ちゃんみたいになれるの?」

 「う〜ん、そうだなあ・・・」

 聡美はしばらく考えていたが、やがて答えた。

 「そうだねえ・・・いつもお外を走り回るとか、好き嫌いしないで何でも食べるとか、いろいろあるけど・・・一番大事なのは、いつも元気でいることかな」

 「元気?」

 「そう。どんなに悲しいことがあっても、めげたりしないで元気でいること。他の人が悲しい顔をしてても、自分が元気でいれば、そのうち周りも元気になれるから。それが、あたしみたいになる秘訣かな」

 「元気・・・わかった。これからはずっと、いつでも元気でいるね」

 「それじゃあ、お姉ちゃんと約束だ」

 そう言って、聡美は小指をはるかに差し出した。はるかも自分の小指を絡ませる。

 「指切りげんまん、うそついたら針千本飲〜ますっ!」

 約束を交わし、聡美は彼女に微笑みかけた。

 「それじゃあ、頑張ってね。あたしもこれから、はるかちゃんやみんなのために頑張るから、応援してね」

 「うん! バイバイ、お姉ちゃん!!」

 そして、はるかは両親に手を引かれ、手を振りながら去っていった。その姿が見えなくなるまで、聡美は手を振り続けていた。

 「・・・聞いたかよ、今の話。末恐ろしいなあ・・・」

 やがて誰ともなく口を開いたのは、小島だった。声をかけられた圭介が苦笑する。

 「ちょっとそれ、どういう意味よお・・・」

 怖い顔で振り向く聡美。

 「これから先、お前みたいな奴がもう一人増えるかと思うと、気が気じゃなくってね・・・」

 「あ、そ。そういうこと言いますか、小島さん・・・」

 いつものように口げんかになりそうだったので、早めに小隈が仲裁に入る。

 「まあまあ。将来有望な人材が手に入りそうで、結構な話じゃないか」

 「隊長・・・」

 「まあなんだ。とにかく、今日はみんな、ご苦労様だった。特に岸本。あの状況で小さな子を一人で守ったことは、SMS隊員として評価できる。立派だったぞ」

 「ありがとうございまっす!」

 うれしそうに敬礼をする聡美。

 「でも聡美さん、ほんとにすごいですよね。たった一人で何人も相手をやっつけちゃうんですから。特に廊下で倒れてた男。格闘した末にやっつけたんでしょう?」

 圭介が感心した様子で言った。すると、聡美はうれしさを隠さずに言った。

 「えへへ・・・まあ、あたしにかかれば怪獣一食・・・ってところかな?」

 「それを言うなら鎧袖一触(がいしゅういっしょく)よ」

 すかさず仁木が言葉の間違いを正す。しかし、さらに隊員達は言った。

 「ほんとにすごいです、聡美さん! 尊敬します!」

 「ちょっと無茶だったと言えなくもないけど・・・日頃の訓練の結果は十分に出せたみたいね。やれるだけのことはしたと思うし、立派だわ」

 「やはり聡美君に・・・精霊召喚の術を教える必要は・・・ないようだね」

 ひかるたちも口々に聡美の行動を褒め称えた。

 「いやあ・・・そんなことある・・・かな? アハハ」

 照れながら笑う聡美。

 「ま、そのことについちゃ、俺も異論はないな」

 珍しく、小島も彼女を認めるような発言をした。

 「あれえ? 小島さんがそんなこと言うなんて、めっずらしー」

 「うるせえな。実力は素直に認めるよ。けどよ、精神の方はまだまだだな。一人で敵と渡り合うなんて、勇ましすぎるぜ。お前の場合、もうちょっとおしとやかになった方がちょうどいいくらいだな」

 「う・・・お、大きなお世話よ!」

 聡美は恥ずかしそうにそう言ったが、撃たれると思った瞬間同じ様なことを考えていたため、素直にそれに反論することができなかった。と、その時である。

 「小隈さーん!」

 小隈を呼ぶ声がした。その声に全員がそちらの方を向くと、永井が走ってくるのが見えた。

 「ああ永井さん。今日は本当に、ありがとうございました。おかげで、無事に任務を遂行することができました」

 「ええ、それは我々も本当によかったと思ってます。お役に立てたことは、本当にうれしいですよ。しかしですね・・・」

 「何か?」

 曇った表情の永井に尋ねる小隈。

 「いえ、それが・・・。研究所の探索に使ったコックサーチ137体のうち、一体だけどうしても行方がつかめないんですよ。137体もあるとはいっても、会社にとっては大事な試作品ですからね。一体でもなくすとおおごとでして。ほとほと困ってしまって・・・」

 「それはそれは。何でしたら、手伝いましょうか?」

 「いえ、皆さんにそんな手間をかけさせるわけにはいきませんよ。しかし、どうしましょう。こう広い場所だと、どこにいるのか・・・」

 永井が下を向いてため息をついた、その時だった。

 カサ・・・

 「・・・?」

 足になにか違和感を感じて、ひかるが下を向いた。

 「キャアアアアアアアアアア!!」

 突然、絹を裂くような悲鳴が夜空に響き渡り、その場にいた全員が心臓が止まりそうになるほど驚いた。

 「なんだよひかる!? どうしたんだよ!?」

 圭介が少し怒ったような様子で言う。

 「ゴ、ゴゴゴ、ゴキブリです!!」

 恐怖の余り硬直しながら震える声でひかるが言う。見ると、彼女の左足に金属でできたゴキブリが張り付いていた。

 「あ、それですそれです!」

 それを見て、永井が喜びの声をあげる。

 「あんまり大声出すなよ。ゴキブリったって、本物じゃないじゃないか・・・」

 「怖いものは怖いんですぅ!! 早く取って下さい!!」

 怒りと恐怖が混じったような声で叫ぶひかる。圭介はため息をつきながら、なんなくそれを取って永井に手渡した。

 「はいどうぞ」

 「ありがとうございます。いや、見つかってほんとによかった。これで安心して社に帰れますよ。それでは、このへんで。ご活躍を期待していますよ」

 そう言って、永井は去っていった。

 「誰でも怖いのがあるのはわかるけど、お前のは度が過ぎるぞ」

 「そんなこと言っても・・・」

 「そう言うなって、新座。ゴキブリ見て怖がってる方が、ずっと女の子らしいじゃないか」

 「あら・・・? それって、私達が女らしくないってことかしら、小島君?」

 「そうだね・・・。そこのところ・・・ハッキリ言ってもらいたいね・・・」

 にこやかな顔で迫る仁木達。小島はそれにたじろいだ。

 「いや・・・副隊長達はみんなそれぞれ、誰にも負けない女らしさをお持ちで・・・」

 そんなことを言う小島を見ながら、小隈は一人、タバコに火をつけた。

 「世の中なかなかちょうどよくはいかないもんだね。服部と岸本、二人足したぐらいがちょうどいいんだけどなあ・・・」

 小隈のつぶやきは、騒ぐ彼の部下達のおかげで、彼らの耳に入ることはなかった。





 「あれ・・・? ここって・・・」

 あたしはまた、あの場所にいた。お気に入りの場所だった、おじいちゃんの家の裏山にある大きな柿の木が、目の前にある。ただ、この間と違うのは・・・四年生のあたしとお父さんはやっぱりその下に並んで座ってて、あたしは今のまま、SMSの制服を着て、ちょっと離れた所に立っている。すぐ側で見ているのに、二人はあたしには気づいてないみたい。

 「一位じゃなかったら、なんの意味もないんだ。二位だってビリだって、一位じゃなきゃ、みんなおんなじなんだ・・・」

 四年生のあたしは、そう言ってうずくまってしまった。

 「・・・」

 お父さんはかじっていた柿の実を口から離し、四年生のあたしに顔を向けた。

 「そうか・・・。一位以外なら、みんな同じか」

 コクンとうなずく小さなあたし。

 「だったらなんで、お前は最後まで走ったんだ?」

 「え・・・?」

 小さなあたしは、ポカンとした顔でお父さんを見た。

 「一位じゃなきゃ意味がないんだろう? だったら、一位になれないってわかったところで、走るのやめればよかったんじゃないか」

 「そんな・・・」

 「なんでそのまんま走り続けたんだ? ムダだってわかってるのに」

 「ムダなんかじゃない!!」

 小さなあたしは叫んだ。

 「・・・一位になれないのは嫌だけど・・・走るのやめたら、ビリになっちゃう・・・」

 あたしは小さな声で言った。お父さんはそれを見て、面白そうな顔をした。

 「なんだ。やっぱり三位よりは二位、ビリよりは三位の方がいいんじゃないか」

 お父さんのその言葉に、小さいあたしは恨めしそうな顔をした。それを見て、お父さんは笑った。

 「そんな顔をするな。みんなそうに決まってる。お前は最後まで諦めずにゴールまで走った。ただ、相手の方が早くて、たまたまお前が二位になっただけだ。ビリになるのが嫌だとか、理由なんてものはたいしたもんじゃない。ゴールまで自分の力出し切って走ることが、一番肝心なんだよ」

 「そんなの、当たり前のことじゃない」

 「そうだ、当たり前のことだ。だけどな、聡美・・・」

 お父さんはうなずいてから続けた。

 「・・・大人になると、途中で走るのをやめちゃう奴もいるんだよ」

 「大人もかけっこするの?」

 「ああ、そうだ。いろんなことで競争する。足の速さに限らずな。だけどな、大人の中にはお前と違って、途中で走るのをやめたり、最初から走ろうとしないのもいるんだよ」

 「え? なんで? ビリになっちゃってもいいの?」

 よくわからないという顔で、小さいあたしはそう言った。

 「なんでだろうな? 理由はそれぞれだけど・・・まあ簡単に言えば、走るのが苦しくなるからかな」

 「走ってる間は苦しいなんて、当たり前だよ。あたしたちはそれを我慢しながらゴールまで一生懸命走ってるのに、苦しいからやめるなんて、大人ってそんなに弱いの?」

 「弱いっていうのは、ちょっとかわいそうだな。大人のやる競争っていうのは、400mリレーよりもずっと苦しいことがたくさんあるんだ」

 「ふぅん・・・あたし、よくわかんない」

 「ハハハ・・・まだわかんなくてもいい。誰だって、ほっといても大人にはなる。そうなれば、いやでもその苦しいことってのがわかるさ」

 「大人って苦しいんだ・・・。やだなぁ。あたし、あんまり大人になりたくない・・・」

 そう言ったあたしの頭に、お父さんはポンと手を置いた。

 「そう言うなって。大人にだって、楽しいことはたくさんある。それどころか、苦しいことよりそっちの方がずっと多いはずさ。俺を見てみろ。苦しそうに見えるか?」

 「ううん。だけどお父さんは、きっと楽に生きてきたからそう見えるんだよ」

 あたしがそう言ったその時、お父さんはいきなりあたしの頭にヘッドロックをかけた。

 「親不孝者め〜! 俺がここまで来るのに、どんだけ苦労したかもしらんで〜!」

 「アダダダダダダダダ!! やめてやめて! 頭が割れるぅ〜!!」

 懸命にバタつくあたし。少しして、お父さんはヘッドロックを解いた。

 「う〜・・・なにするんだよぉ〜・・・」

 「とにかくだ! こう見えても俺は学校を卒業して、お巡りさんになって、お前達が生まれて今までの間に、人並み以上に頑張ってきたっていう自信がある。走るのをやめたことなんて、一度もないんだ」

 「ふぅん・・・」

 「聡美、よく覚えておけ。どんなに苦しくっても、走ることだけは簡単にやめるな。自分が走れるうちは走り続ける、やれるときにはやるってことが、一生懸命生きてるってことだし、ただの「大きな人」じゃない、本当の「大人」ってことなんだよ」

 お父さんは笑顔でそう言った。

 「じゃあ、どうしても苦しくって、もうだめだって思ったときは、どうすればいいの?」

 「そういうときは自分と相談して、ここで走るのをやめてあとで後悔しないかどうか、じっくり考えるんだ。止まるのはそれからだ。まだ走れるのにやめてあとで後悔するのは、一生懸命走って結局二位だったときより、ずっと悔しいんだぞ?」

 「うん、なんとなくわかる・・・」

 あたしはうなずいた。

 「聡美、お前はたしかに頭は悪いかもしれないけど、走り続けるための最高の武器をもっている」



 「頭が悪いってのは余計だよぉ・・・。でもなに? あたしの武器って」

 「元気と根性。それだけあれば、どんなに苦しくたって、途中で止まることはないはずだ」

 「元気と・・・根性?」

 問い返すあたしに、お父さんはにっこり微笑み返した。あたしはしばらく、一人でその言葉をかみしめていたけど・・・

 「・・・元気と根性、か。わかった、お父さん! あたし、何があっても諦めない! 負けて落ち込んでも、次は勝てるように頑張る!」

 「そうだ。二つしかないお前の武器だ。大事にしろよ」

 その言葉を聞いて、あたしはほっぺたを膨らませた。

 「ひどい! あたしにだって、もっと取り柄はあるんだからね!」

 「ほぅ、そりゃ楽しみだな。早いところ、その取り柄ってやつを見せてほしいもんだ。できれば、勉強に役立つものだとうれしいんだけど」

 「うぅ〜・・・」

 グゥゥ〜・・・

 小さなあたしがうなるのとほぼ同時に、お腹の虫も同じくらいの声を出した。

 「だから柿でも食っとけって言ったんだよ」

 お父さんが笑いながら言った。あたしはそれに、そっぽを向いた。

 「さて、お家に帰ろう。お母さんがお前のために、特大トンカツ揚げる用意してるんだから」

 それを聞いたあたしの目が、キラ〜ン!と光った。

 「トンカツ!? ほんと!?」

 「ああそうだ。本物の黒豚だぞ。早くいけ」

 「ヒャッホ〜!!」

 あたしはひどく嬉しそうな叫びをあげて、猛スピードで山を駆け下りていった。

 「やれやれ・・・」

 お父さんは困ったような顔でため息をつくと、自分も腰を上げて、ゆっくりと歩き始めた。

 「あ・・・」

 それまで見ていたあたしは、それを見てたまらない気分になった。

 「お父さん!!」

 去っていくお父さんの背中に、あたしは大きな声で叫んだ。だけど・・・

 「・・・」

 お父さんは、振り返らない。やっぱり、あたしの姿は見えてないのかな・・・でも・・・

 「お父さん!! あたし、ちゃんと走ってるよ!!」

 あたしは叫ばずにはいられなかった。

 「あたし、相変わらずバカだし、お父さんが死んだときにも一緒にいてあげられなかった親不孝者だけど・・・お父さんみたいになりたくて、一生懸命勉強して、警察官になって、それから、SMSの隊員にもなったんだよ!! お父さんが言ったとおり、たくさん苦しいことあったけど、元気と根性で、みんな乗り切ってきた!! 今日はちょっと、弱音吐いちゃったけど・・・でも、止まらなかった。悔しいけど、やっぱりあたしの一番の取り柄って、元気と根性だけみたいだね・・・」

 「・・・」

 「大人って、やっぱり損だね。あの頃お父さんにしてたみたいに、すぐに寄りかかって甘えたり、しかってもらったりしてもらえるわけじゃないんだから・・・。だけど、楽しいこともたくさんある。今のあたしには、少なくとも一人の命を助けることができたっていう自信があるんだ。これで・・・これでいいんだよね、お父さん! あたしはこのまんま、この道をまっすぐ走ればいいんだよね!!」

 あたしが自分の思ってることを全部ぶつけるみたいに、そう言ったその時・・・

 スッ・・・

 「・・・!」

 お父さんは、黙って片手を上げて、指で○を作った。めんどくさがりやのお父さんは、あたしが新聞とかお茶とかもっていってあげても、「ありがとう」とか「よくできました」とかいう代わりに、あのサインで済ませちゃってたっけ・・・。

 「もう・・・」

 すぐに、お父さんは木の間の道に入って、見えなくなってしまった。最後まで振り返らなくて、どんな顔をしていたのかもわからなかった。だけど・・・

 お父さんは、きっと笑っていた。あたしには、そんな気がした。あたしの話を聞くとき、お父さんはいつも、笑って聞いてくれてたんだから・・・。

 「ありがとう・・・お父さん」

 胸をついてそんな言葉が出ると・・・あたしの周りは、まぶしい光に包まれていった・・・。





 「・・・」

 あたしは目を覚ました。やっぱり、夢だったんだ・・・。

 「あ・・・」

 起きあがって枕を見ると、濡れたあとがついていた。目に手をやると、そこにも湿り気を感じた。どうも・・・寝てる間に、泣いちゃってたみたいだ。

 「やだなぁ・・・」

 あたしは一人で苦笑いした。と、視界に電話が入ってきた。

 「・・・」

 それを見てあることを思いついたあたしは、壁に掛かっている時計を見た。朝6時。この時間なら、もう起きてるかな・・・。あたしはそう思って、電話のダイヤルを入れていった。

 Trrrrrrrr・・・

 しばしの呼び出し音のあと、向こうは電話に出た。

 「・・・あ、お母さん? あたし。ひっさしぶり〜! ごめんね、朝っぱらから」

 久しぶりに聞く声に、あたしの声も弾む。

 「いや、大したことじゃないのよ。たださ・・・今朝、お父さんの夢を見たから、ちょっとね・・・懐かしかったなぁ。・・・え? そんなんじゃないよぉ、お説教なんかされなかったって。ただ、昔のことを夢で見ただけ」

 9月のお父さんの命日、墓参りにいけなかったから、親不孝な娘を夢の中まで叱りに来たんじゃないか。笑いながらそう言うお母さんに、あたしは苦笑いしながら答えた。

 「・・・だけど、そうかもね。忙しい忙しいって言ってばっかりで、あたしってすごい親不孝者かも・・・。近いうち、まとまった休暇とって、そっちに戻るよ・・・うん」

 お母さんはそれを聞いて、うれしそうな声を出した。

 「・・・あたし? うん、大丈夫。アスリートとしても自分の健康管理は義務だし、頼りになるみんなもいるからね。兄貴とかおばあちゃんは? ・・・そう、よかった。心配いらなそうね」

 家族の近況を聞いて、あたしもホッとした。

 「それじゃ、そろそろ切るね。そっちも朝は忙しいだろうから。・・・うん、じゃあね」

 あたしはそう言って、電話を切った。

 「・・・」

 受話器を置いたあたしの目に、サイドボードの上に乗っているスニーカーが映った。毎朝のランニングに備えての、寝る前の靴磨きは眠かったけど昨日も欠かさなかった。

 「・・・よし!」

 あたしはそれを見ると、一気に準備を進めた。顔を洗って、パジャマを脱いで、ランニングウェアに着替える。そして、スニーカーをひっつかんで玄関でそれを履くと、勢いよく玄関から外へと飛び出した。

 「ン〜ッ!!」

 うなりながら、あたしは思いっきり体を伸ばした。朝の空気は、やっぱり気持ちいい。代わりになるものは、なにもないくらいに。

 「あ、聡美さん。おはようございます」

 その声に振り返ると、あたしと同じようなかっこうをした新座君が立っていた。

 「おっはよー」

 あたしたちは二人で、柔軟体操を始めた。と、それをやりながら、新座君が眉をひそめて話しかけてきた。

 「だいじょぶなんですか? 昨日のことで、疲れてるんじゃ」

 「なーに言ってんのよ!!」

 あたしは笑いながら、バンと新座君の背中を叩いた。

 「あのぐらいでへばってちゃ、SMSはやってられないよ! 雨が降ろうと槍が降ろうと、岸本聡美は走るのをやめないんだから!」

 「はぁ。なんか聡美さん、いつにもましてハイテンションですね」

 「あ、わかる? へっへ〜、実はすんごくいいことがあって、メチャクチャ機嫌がいいんだぁ。今だったら小島さんにお金貸してって言われても、二つ返事で貸してあげちゃうかも!」

 「そんなにですか? なにがあったんです? 教えて下さいよ」

 「ダ〜メ。女の秘密。・・・でもそうね。競争であたしに勝ったら、教えてあげてもいいわよ?」

 あたしがそう言うと、新座君は面白そうな顔をした。

 「今日はすごい自信ですね。いいでしょ、その勝負、受けてたとうじゃありませんか」

 「フッフッフ、いつものあたしと同じだと思ったら大間違いだからね。あたしの真の実力ってやつを、思う存分見せてやろうじゃないの」

 どっちも不敵な笑みを浮かべながら、あたしたちはスタートライン代わりの寮の門までやってきた。

 「ルールはいつもの海上区二周レースね?」

 「アイアイサー」

 「それじゃいくわよ。レディ〜・・・」

 「ゴー!!」

 あたしと新座君は、一斉に地面を蹴った。悪いけど、今日は絶対に勝たせてもらうからね・・・。




関連用語解説

・ホームメイロ

 てんとうむしコミックス第18巻「ホームメイロ」に登場。車輪状の形状をした道具で、回転させるとその建物の中の空間をねじ曲げ、迷路にする力をもつ。回転させる回数が多いほど空間は複雑にねじ曲がり、脱出の難しい迷宮となる。劇中ではのび太が調子に乗ってフル回転させてしまい、ギリシア神話のラビュリントスのような大迷宮になってしまった。おかげでのび太、ドラえもん、ママの3人はそこからの脱出が不可能となり、あやうく家の中で遭難死という羽目になりかけた。

 大迷宮と化した野比家内は、やたらに長い廊下や無数のふすまやドア、階段の立ち並ぶ不気味な空間であり、さながら「宇宙刑事シリーズ」の魔空空間(または幻夢界、不思議時空)のようであった。異常なのはその見た目だけでなく、部屋の窓から外へ逃げ出そうと飛び出したのび太が、窓を通って着地した場所が同じ部屋、などという異常事態が発生した。


次回予告

 聡美「さぁ〜って、次回のPredawnは〜っ♪」

 楢崎「やぁれやれ・・・妙なところに呼ばれちまったな」

 聡美「ゲッ! お、おやっさんなんですか!?」

 楢崎「俺だったらどうだってんだ?」

 聡美「い、いえ・・・。ただ、おやっさんが出てくるとは思わなかったから
    ・・・。だってほら、おやっさんって、サザ○さんだったらノリ○ケさん
    みたいなもんだから・・・」

 楢崎「なんだと! てめぇ、俺だって第1小隊の人間なんだぞ! いつも
    てめぇらの機械を修理してやってるのはどこの誰だ!?」

 聡美「あうぅ、すいませんでしたぁ! 整備員様は神様ですぅ〜!」

 楢崎「だいたいお前は、人に対する敬意ってもんがなっちゃいねえ! 
    ちったぁ嬢ちゃんを見習え! いいか、人に敬意を表すときはなぁ・・・」

 聡美「ちょ、ちょ〜っとタンマ! そういうの、次回タイトルコールしてからに
    してくれない?」

 楢崎「む・・・そうだな。あんまり待たせちゃいけねえや。そんじゃ、次回
    「狙われた聖夜」」

 聡美「はぁ、これで一安心。それじゃあ、次回も見て下さいねぇ〜♪(ガサゴソ)」

 ガシッ!

 楢崎「岸本・・・おめぇ、何しようとしてる?」

 聡美「な、何って、恒例のあんパンを・・・」

 楢崎「呆れた野郎だ! 人に対する態度だけじゃなく、食べ物をおもちゃにするなんざ、
    俺はな、開いた口がふさがらねえぞ・・・」

 聡美「あ、あの・・・」

 楢崎「こっちへ来い! 俺がみっちりしつけ直してやる!」

 ズルズルズル・・・

 聡美「ヒィ〜ン!! 主役までやったのに、どうしてこんな目にぃ〜!?」


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