・・・歴史上の重要な出来事、ことに科学の歴史上での重要な発見というものには、偶然がその発見に深く関与していると語られるものが多い。その中で特に顕著な例を挙げるとするならば、入浴中に湯船からあふれる湯を見て体積を発見したアルキメデス、林檎が木から落ちるのを見て万有引力を発見したニュートン、沸騰した湯からのぼる蒸気で上下するヤカンのフタから蒸気機関を発明したワットなどの逸話めいた発見談がそれにあたるであろう。これらのエピソードの真偽は別として、そういった日常の些細な出来事から偉大な発見をしたとしてもおかしくないほどの資質を持っていたと、それらの人々が評価されていることには変わりはないであろう。

 だが、歴史上の重要な出来事において偶然が深く関わっていたと思われる事例は、これにとどまらない。アメリカ大陸、正確には東インド諸島を発見したことで有名なコロンブスの航海は、もう一日陸地が見えるのが遅ければ、乗組員の反乱によって失敗していたと言われている。大航海時代という当時の時代を考えれば、彼がその発見をなさなくとも、別の航海者が同じように発見をしたであろうことは変わりない。が、運良く彼が反乱の直前に陸地にたどり着き、しかもそれが新大陸であったことは、大きく偶然が関わっていたことと思われる。さらに顕著な例もある。1822年、イギリスの医師であったギデオン・マンテルの妻メアリーは、夫の往診に付き添った際、道ばたの砂利の中から珍しい動物の歯の化石を発見した。やがて長い年月ののち、それは歯ではなく親指の爪であったことがわかるのであるが、それがきっかけとなって太古に繁栄を極めた爬虫類「恐竜」の研究が始まったことは、まさに一つの偶然から始まった出来事であると言えよう。

 このような例は、枚挙にいとまがない。私がここで言いたいことは、時に偶然の積み重ねは、人間を思わぬところへと導くことがある、ということである。その意味において、これから私が記録しようとしている一つの事件・・・平時から奇妙な事件に接することの多い我々東京都SMS第1小隊の歴史の中でも、とりわけその始まりから結末まで奇妙な経過をたどった、2088年夏のあの事件・・・もまた、そうした奇妙な偶然に全てを支配されたかのような事件であった。

 これを記録している現在、あの事件については全てが明らかとなっている。しかし・・・当時の私達は、今回の事件のそもそもの出発点となった出来事が、長野県の小さな山村において140年近い過去に起こっていた事実など、知る由もなかったのである・・・。




Extra Episode Vol.5

魔の山へ潜れ


−昭和20年 3月17日 長野県・牛首山山麓 大戸村−



 「うぅ〜・・・冷えるなぁ・・・」

 雨戸を開けて出てきた農家の男は、白い息を吐きながら、粗末な着物を着た体を振るわせた。高山地帯であるこのあたりは、3月といえどもまだまだ寒い。

 「そんじゃ、ま・・・お祈りすべぇ」

 男はそう言って、体を東へと向けた。そこにはちょうど、一つの大きな山があり、朝日がその山並みを照らし始めていた。

 「白神(しろかみ)様、今日もなにとぞ、お静かに・・・」

 彼は山に向かって手を合わせながら、熱心そうな様子でそう言った。

 「さて、飯食って畑へ出るべぇか」

 彼が振り返り、家の中に戻ろうとしたその時だった。

 「・・・?」

 彼は遠くから、エンジンの音のようなものが聞こえてくるのを聞いた。彼がその方向へ目をやると・・・

 ブロロロロロ・・・

 村への道を、荷台に幌のついたトラックがこちらに向かって走ってくるのが見えた。全部で3台。

 「なんだべか・・・」

 村からほとんど出たことのない彼も、もちろんトラックぐらい知っている。が、彼の記憶の限りでも、街から遠く離れ、特に地理的に重要でもないこの村には、トラックはおろか、自動車さえ来たことはない。

 「あんたぁ、ご飯だよぉ」

 その時、家の間口から彼の妻が顔を出し、彼を呼んだ。しかし、彼は振り返らずにトラックの動きをジッと見ている。

 「どうしたんだい?」

 その様子を見て、彼女も彼の隣にやってきた。

 「見な、トラックだ。こっちさ来る」

 「あれ、ほんとだべ」

 彼女もこちらへとやってくるトラックに気がつき、一緒に眺め始めた。そうしているあいだにも、トラックはどんどん近づいてくる。やはり、この村を目指しているらしい。そして・・・

 キィッ・・・ドヤドヤ・・・

 トラックが停まると同時に、カーキ色で統一した軍服を着た男達が、次々とトラックの荷台から降りてきた。

 「なんだぁ・・・!?」

 二人は仰天した様子でそれを見ているしかなかった。そうしていると、先頭のトラックの助手席から一人の軍人が降り立ち、彼らに向かって歩いてきた。そして、彼らの前に立つなり、彼は二人に言った。

 「帝国陸軍301部隊だ。特務のため、これよりこの村に協力を頼みたい」

 頼みたいとは言っているが、実際は命令そのものである。険しい顔つきのとおり、有無を言わさぬ口調だった。

 「兵隊さんが、こんな村になにを・・・」

 「特務だ。任務の内容については一切話せん。お前では話しにならん。この村の責任者を出せ」

 男は軍人の横暴な口振りに内心ではムッとしながらも、もちろんそれを表情には出さなかった。

 「おい、村長さ呼んでこい」

 傍らの妻にそう言うと、彼女はすぐにうなずいて村長の家へと走っていた。そんなあいだにも、騒ぎを聞きつけた村人達が起きてきたため、村の中がだんだん騒がしくなってくる。と・・・

 「わしが村長ですだ」

 妻に連れられ、村長がその場にやってきた。彼の姿を見ると、すぐに軍人は言った。

 「特務のため、牛首山の洞窟に向かう。山道に詳しい村人を、案内につけてほしいのだが」

 その言葉を聞いて、全員が驚きの表情を浮かべた。

 「白神様の祠へ入るんだべか!?」

 「そ、そったらおっかねえこと・・・いくら兵隊さんの言うことでも、こればっかりは・・・」

 村人達はおそれを強く浮かべた表情で、口々に言った。が・・・

 「皇軍の任務だ! 貴様ら、陛下に盾突くつもりか!?」

 軍人がそう言うなり、後ろに控えていた兵士達が一斉に三八式歩兵銃を構えた。一斉に悲鳴が上がる。

 「・・・仕方あんめえ。聞くしかないべ」

 「村長、けんど・・・」

 「白神様には悪いけんど、兵隊さんには逆らえねえ。わかりましただ」

 村長がそう言うのを聞いて、軍人は手を下げた。兵士達が一斉に銃を下ろす。

 「ただ、ちゃんと返してくだせえよ。見ての通りのちっこい村で、男手一人欠けてもやってけんもんで・・・」

 「洞窟の入り口まで案内してくれたらそれでいい。信用しろ」

 軍人がそう言ったので、村長はうなずき、最初に彼らを見つけた男に言った。

 「久蔵、頼めるか?」

 男はそれに、無言でうなずいた。

 「あんた!」

 彼の妻が、不安そうな様子で見る。

 「・・・村のためだ。しょうがあんめ。心配すんなって」

 そう言って、男は前に進み出た。

 「おらが案内しますだ」

 「わかった。さっそく出発する」

 軍人はそう言って振り返った。

 「総員、乗車!」

 彼が声を張り上げると、兵隊達は再びトラックに乗り込み始めた。

 「それではこの男、借りていくぞ。乗れ」

 軍人はぶっきらぼうに指図した。不安そうに見送る妻に、男は大丈夫だというように笑みを見せた。やがて、トラックは来たときと同じように彼らを乗せるとすぐに山の方へ走り去っていった。

 「兵隊さんがこの村さ来るとは、物騒なことになったなぁ」

 「はつ、心配すんな。久蔵はすぐに戻ってくるだ」

 村人達はそれを見送りながら、口々にそんなことをつぶやいた。

 「だども、白神様がお怒りにならなきゃええが・・・」

 村の老人が言った一言に、皆の顔が曇る。

 「今年は供えもんをもっと増やさなきゃなんめえ。東京じゃ空襲が始まったっちゅうし・・・まったく、ろくなことのない年じゃわい」

 村長はそう言って、朝日を浴びる山を不安げに見つめた。





 ・・・今となっては、その具体的な詳細までを知ることはかなわない。が、この過去に起こったひとつの事件が、今回の事件の根源的な始まりとなったことは疑いようがない。そして、この事件はそのまま人々の記憶から忘れ去られ、そのまま眠り続けるはずであったのだろう。

 だが・・・ある人物によって、その眠りは図らずも覚まされることとなった。それをもたらしたのは、やはりというのは失礼であるものの、個性あふれる人材によって構成された第1小隊の中でもとりわけ異彩を放つ人物・・・桐生亜矢隊員であった・・・。





 時は流れ、2088年、夏。太陽の熱に陽炎をあげる京葉高速道路のアスファルトの上を、一台の白いエアカーが軽快に疾走していた。

 「♪ Fire Fighting Fight a Fire Fire Fighting Fight a Fire・・・」

 充実したカーステレオから、軽快な音楽が流れてくる。

 「音楽、かけといていいですか?」

 指で軽くハンドルを叩きながら、小島は助手席に目を向けた。

 「かまわないよ・・・」

 助手席に座っていた亜矢は、視線を動かさずにそう言った。

 「悪いね・・・非番の日に、つきあってもらって・・・」

 「なぁに。実動員と管制員は一心同体。それに、亜矢さんとドライブできることになって断るような男はいないでしょう」

 「それは・・・光栄だね・・・」

 亜矢はそう言って、小さく笑みを浮かべた。

 「ところで、千葉に行くと聞いてますけど・・・千葉のどこなんです?」

 「茂原だよ・・・」





 「そこの角・・・左に曲がって・・・」

 「りょーかい!」

 亜矢の言うとおり、小島は角を左へと曲がった。

 「そこの大きな門の前・・・あそこに停めて」

 「あの家ですか」

 そのまま車を走らせた小島は、やがて立派な門を持った一軒の日本家屋の前に車を停めた。

 「着いたよ・・・」

 助手席から降り、ドアを閉めながら亜矢が言う。小島も運転席から出て、その家を眺めた。

 「はぁ〜・・・ずいぶん立派なお屋敷ですね」

 「江戸時代から続く・・・立派な家だそうだよ・・・」

 「何坪あるんだろう。蔵までありますよ」

 「そう・・・その蔵に・・・用があるんだよ・・・」

 「え?」

 小島が思わず顔を亜矢に向けたその時

 「どうも、桐生さんですね? ようこそ」

 門から着物を着た一人の中年の男が出てきて、亜矢に頭を下げた。

 「はい、桐生です。よろしくお願いします」

 「そちらの方は?」

 「私の同僚の・・・小島君です。今日は少し・・・手伝ってもらうことで・・・。小島君、この方がここのご主人の・・・呑村さんだよ」

 「よ、よろしく」

 恐縮しながら頭を下げる小島。

 「それでは・・・早速案内していただけますか」

 「ええ、もちろん。どうぞこちらへ」

 呑村の案内で、二人は門をくぐり、敷地の中へと足を踏み入れた。





 「これがその蔵なんですけどね」

 呑村が敷地の中に立つ古い蔵を前にそう言った。

 「これまた、立派な蔵ですね」

 小島が感嘆の声を発する。ここまで歩いてくる中で立派な造りの屋敷や見事な庭園を見てきたが、この蔵も年月を重ねた重さを感じさせる立派なものだった。

 「建てられたのは明治だそうですよ」

 「明治! はぁ、それは古いですね」

 「ええ。でも、さすがに300年近く経つと・・・。いろいろ修繕しながらやってきたんですが、それももう限界で・・・」

 「え? じゃあ、壊しちゃうんですか?」

 小島の言葉に、寂しそうに呑村はうなずいた。

 「私としても、子供のころからこの蔵にはいろいろと思い入れがありますからね。ご先祖様にも申し訳ないとは思うんですが、時間の流れだけは、如何ともしがたい・・・」

 「寂しいですね・・・。でも、蔵そのものが明治からたってるってことは、中に収められてるものは・・・」

 「膨大なものですよ。この家にも、何がどこにあるか、全部知っている人間はいないぐらいですから」

 「まるで正倉院ですね。で、亜矢さん。この蔵にどんな用が?」

 小島がそれまで黙っていた亜矢に顔を向けた。

 「小島君の言うとおり・・・この蔵の中にあるものに・・・用があるんだよ・・・」

 亜矢はそう言った。

 「この蔵が取り壊されることになって・・・呑村さんはここに収められているもの全て・・・東京の博物館に寄付することにしたんだよ」

 「それはまた、太っ腹ですね」

 「大したものはないと思いますけど、学問の役に立てばいいと思いまして・・・」

 呑村が照れたような表情をした。

 「その博物館に・・・私の友達が勤めているんだけどね・・・。少し・・・私にも手伝ってほしいと・・・頼まれたんだよ・・・」

 「ボランティアなんですか?」

 「友達から・・・お金はもらえないよ・・・。それに・・・古文書の分類や解読は・・・私にはパズルの一種だからね・・・」

 亜矢の言葉に、小島はため息をついた。

 「それでは・・・中に入れますか?」

 「ええ、ちょっと待って下さい」

 そう言って、呑村は頑丈そうなかんぬきのかけられた蔵の扉に近づき、手にした鍵でそれを外し、扉を開けた。

 「どうぞ」

 「それでは・・・」

 「お邪魔しまーす・・・」

 亜矢は平然と、小島はおっかなびっくりと、蔵の中に入っていった。

 蔵の中に入るなり、ひんやりとした空気と、少しかび臭い匂い、それに、異様なほどしーんとした空気が、周りを包んだ。

 「へぇ・・・俺、蔵ってはじめて入りますけど、こういうものなんですね」

 小島が興味深げにキョロキョロと見回す。灯りといえば明かりとりのための小さな窓から差し込む日光だけなので、蔵の中の闇に目が慣れるのには少し時間がかかった。

 「ちょっと待って下さい。裸電球ですけど、灯りをつけますので・・・」

 呑村の声が聞こえた直後、パチッという音とともに、蔵の中が淡いオレンジ色のほのかな灯りに包まれた。

 そして、そこに浮かび上がったのは、壁沿いを占拠するように積まれている、膨大な古い紙の山だった。

 「うひゃあ・・・想像以上だな・・・」

 その量には、小島も驚くしかなかった。

 「これ全部、亜矢さんが・・・?」

 「まさか・・・」

 亜矢は小さく笑った。

 「私が持っていくのは・・・この中の一部だよ・・・。残りはみんな・・・博物館が持っていくよ」

 「ご覧の通りでして・・・お目当てのものを探すには、骨が折れるかもしれませんが」

 「心配はいりません・・・。なんとか探しますので・・・」

 「そうですか。恐れ入ります」

 その時、蔵の扉から初老の男が顔を出した。

 「旦那様、そろそろお時間が・・・」

 「ああ、もうそんな時間か。すまない。すぐに行くから、用意しておいてくれ」

 呑村はそう言うと、二人に言った。

 「すいません。そろそろ仕事なので、いかなければ・・・。あと、お願いします。鍵はお預けしておきますので、終わったら家の者にでも預けてくれれば・・・」

 「わかりました・・・」

 「それじゃあ」

 呑村は亜矢に鍵を渡し、蔵から出ていった。

 「お仕事、何してるんです?」

 「市議会議員だそうだよ・・・」

 「どうりで・・・」

 小島は何の気なしにつぶやくと、蔵の中を見回した。

 「しかし、こりゃたしかに骨が折れそうですね。亜矢さんが探してるものが、どこにあるのやら・・・」

 「それは・・・心配いらない・・・」

 亜矢はそう言うと、懐から先端に水晶のついた振り子を取り出した。

 「・・・」

 亜矢が目を閉じて集中すると、それが淡い青い光を放ち、ある方向に先端を向けた。

 「こちらのようだよ・・・」

 「いつも思いますけど、便利ですね、魔法って」

 「小島君も・・・やってみるかい?」

 「遠慮しときます。もっと長生きしたいんで」

 二人はそんな言葉を交わしながら、蔵の奥へと足を進めていった。

 「ここのようだね・・・」

 振り子は目の前の紙の山を指していた。

 「この下に・・・埋まっているようだ」

 亜矢は振り子をしまうと、代わりにタオルと手袋を取りだし、同じものを小島にも渡す。

 「上の古文書の山をどけて・・・掘り出そう。患者さんを扱うぐらい・・・慎重にね」

 「わかりました」

 二人はタオルを顔に巻き、手袋をはめると、慎重な手つきで紙の山と格闘を始めた。巻き上がるほこりに目を細めながらも、なんとかその作業を終える。

 「あった・・・。これのはずだ」

 亜矢が積み重ねられた書物を取り出した。

 「どんなものなんです?」

 「ここの資料の中でも・・・戦前から戦後まもなくにかけてのものだろう・・・。どんなものかは・・・解読してみないとわからないけど・・・」

 亜矢はそう言いながら、別の紙の山を指さした。

 「小島君・・・そっちの資料を・・・まとめておいてくれないか? 言うまでもないけど・・・」

 「慎重に、でしょ? 可愛い女の子の患者さんぐらい丁寧に扱いますから、ご心配なく」

 小島のその言葉に苦笑しながら、亜矢はその書物の山の中の一冊を手にとった。その表紙に書かれている古い自体の文字を読んだ。

 「日記・・・か・・・」

 どうやらそれは、この家の昔の主人が書いた日記らしかった。それに少し興味を覚え、亜矢がパラパラとめくっていると・・・

 ハラッ・・・

 「?」

 ページの間から、一枚の折り畳まれた紙が床に落ちた。亜矢はそれを拾い、丁寧に広げてみた・・・。





 ・・・このとき、桐生隊員が手に入れた古い書物が、のちに大きな意味を持つことになろうなどということも、私たちはもちろん、当の彼女にもわかるはずもなかった。だが、さらに偶然の連鎖は続くことになる・・・。





 「山っ!?」

 翌日の朝のミーティング。全員の驚きの声が響いた。

 「そ。去年は海で、今年は山。理屈にはあってるだろ? 嬉しくないか?」

 小隈がのんびりと言った。

 「そ、そりゃあ、二年連続で慰安旅行に行けるっていうのはいいけど・・・」

 困惑した様子で、聡美が言った。

 「でも・・・どうせ隊長のことですから、ただの慰安旅行じゃないんでしょ?」

 圭介が言うと、小隈はニヤリと笑った。

 「当たり。去年と同じく、仕事のついでの慰安旅行だ」

 その言葉に、隊員達はため息をついた。

 「なんで俺達は、純粋な慰安旅行ができないんですか・・・」

 「しょうがないだろ、忙しいんだから。旅行ができるだけましさ。それにお前、今度は温泉だぞ温泉。疲れもゆっくりとれるだろうし・・・」

 不服そうな顔をする小島に、小隈はのんびりと言った。

 「それで、今回は何をするんですか? また何かのオプションパーツの試験ですか?」

 仁木がそう言ったが、小隈は首を振った。

 「いや、今回はそうじゃない。今回の目的は・・・訓練だ」

 「訓練?」

 全員が首を傾げる。

 「・・・俺達東京都SMSは、東京都とはついているが、実質的な管轄は関東一円だ。そしてその中には、栃木や群馬、埼玉の山間部も含まれているわけだが・・・こういった場所で起こった事故に対処する技術を身につけることが、今回の訓練の目的だ」

 「それって、山岳救助隊の人と同じようなことをするってことですか?」

 ひかるが手を上げてそう言ったので、小隈はうなずいた。

 「そうだ。崖崩れで埋もれた車や、崖下に転落した車の中からどうやって人を助けるか。そういったことのノウハウを、長野県の本物の山岳救助隊の皆さんに教えてもらうんだ」

 「長野なんですか? 今回泊まる場所は」

 圭介がそう言ったので、小隈はモニターのスイッチを入れた。長野県の地図が映り、そのほぼ中央に光る赤い点がある。

 「長野県、霧原高原の大戸村というところだ」

 「!」

 その地名に亜矢が驚いたような表情を浮かべたが、誰もそれには気づかなかった。

 「ずいぶん田舎みたいですね・・・」

 「都会のど真ん中で暮らしてる奴が都会に行って骨休めできるか? いいところなんだぞ。空気はきれいだし、地酒もうまいし・・・」

 「行ったことあるんですか?」

 「二年前知り合いが、ここで小さな旅館を始めたんだよ。そのよしみで、今回はそこに泊まらせてもらう。なかなかよさげな旅館だぞ」

 例の如く、全ての段取りは小隈が決めてしまっているらしい。

 「隊長がそう言うなら・・・。でも、そんな訓練の必要があるとなると、ますます俺達の守備範囲広くなっちゃいそうですね」

 圭介が苦笑いしながら行った。

 「そして、ますます忙しくなるってわけだ。ま、仕方ないよ。もともと俺達に与えられた役割は、何でも屋さんだからね。それにこうしろってのは、部長の指示でね。部長も俺と同じく、ただで何かをしようって人間じゃないから・・・」

 小隈は天井を見上げながらそう言った。

 「ま、そういうわけで出発は5日後だ。それまでに、必要なものは各自揃えておくように。おやつの金額に制限はないからな。今朝のミーティングは以上だ。今日も一日、がんばっていこう」

 朝のミーティングはそれでお開きとなり、隊員達はそれぞれの仕事を始めた。

 「今度は山かぁ・・・。どうせなら、冬に行きたかったなぁ。そうすれば、スキーができたかもしれないのに」

 「いいじゃないですか。今年はかなり暑いですから、いい避暑になると思いますし・・・いろんなお花や野鳥も見ることができると思いますから、楽しみです」

 「そういうのも楽しみだけど、俺は山岳救助隊の使ってるジャケットが見てみたいな」

 「仕事熱心な奴だな、相変わらず。俺は何と言っても温泉だな。温泉とくれば・・・」

 「不純よ、小島君。それはそうと、高原の空気の中なら、読書も進みそうね・・・」

 思い思いにそんなことを口にする隊員達。そんな中・・・

 「隊長・・・自由時間は・・・どのぐらいあるのでしょうか・・・」

 亜矢が小隈のところまで来て、彼に尋ねた。

 「そうだな・・・。二日は用意してやりたいと思ってるけど・・・向こうでなんか、やりたいこととかあるの?」

 「それは・・・いえ、なんでもありません。失礼します・・・」

 そう言って亜矢は、自分の席へと戻っていった。

 「・・・」

 小隈はタバコに火をつけ、彼女の後ろ姿を眺めた。





 ・・・平時では隊員が一名か二名、交代で非番をとることが精一杯と思われるほど多忙であり、年末年始や夏休みを除き、全員が一斉に休みをとることもできないわれわれSMS第1小隊。若いとはいえ多忙な日常に徐々に疲れが蓄積していた隊員たちにとっては、いかなるかたちであれ、慰安旅行というものは貴重であった。こうして我々は、偶然の連鎖に導かれるまま、あの長野県大戸村に向かうことになったのである・・・。





 「全員、整列!」

 小隈の号令のもと、指揮車から降りた第1小隊は整列した。圭介、仁木、小島の3人は、首から下、VJまで装着済みである。そして、彼らの目の前には・・・

 「全員、敬礼!」

 やはり、首から下にオレンジのジャケットを身につけた男達が、同じくオレンジの制服に身を包んだ男達とともに、SMSとは異なった形の指揮車の前に整列し、敬礼をした。彼らに対し、小隈は敬礼をする。

 「東京都SMS第1小隊です。本日はお忙しい中、訓練に協力して下さることを感謝します」

 すると、先頭に立つ男が言った。

 「長野県警山岳救助隊第3中隊、隊長の菅原です。こちらこそ、本日はよろしくおねがいします」

 「よろしくお願いします!」

 第1小隊は敬礼をした。彼らこそ、訓練兼慰安旅行初日の今日、彼らに山岳救助の手ほどきをしてくれる長野県警山岳救助隊第3中隊である。

 「ジャケットだけじゃなくて指揮車まで持ってるなんて、私達と似てますね?」

 ひかるが少し驚いた様子で、隣に立つ圭介に小さな声で言った。

 「ジャケットの方は、世界中あちこちで使われている作業用ジャケット、ミーシャのカスタムバージョンだ。元が地形適応能力に優れてるから、山岳救助にはピッタリだろうな。で、指揮車の方もホバーラッセル車を改造したやつだ。俺達の指揮車みたいに空は飛べないけど、ほとんどあらゆる地形を走破できる。山じゃ電波が途切れるから、俺達と同じくジャケットも指揮車もタキオン発信式の通信装置を使ってる。ほかにも改造スノーモービルとかを持ってるらしいし、一つの部隊としては機材の多彩さは俺達に匹敵するかもな」

 「詳しいんですね?」

 感心したように言うひかるに、圭介はニヤリと笑いながら言う。

 「予習済み。そうでなくても、他の部隊の装備って気になるしな」

 「説明始まるわよ。私語をやめて」

 隣の仁木が小さくたしなめたので、二人とも黙って前に集中する。

 「では、菅原隊長から今回の訓練の日程について説明していただく。菅原隊長、お願いします」

 小隈が促すと菅原はうなずき、一歩前に出て手にしたファイルを読み上げ始めた。

 「皆さんのご活躍はお聞きしており、人員、装備ともに非常に充実したチームであると評価しております。よって、今回は小隈隊長からの要請もあり、初日から本格的な救助訓練を始めることを予定しています。まず皆さんには、これから1時間ほど山岳救助の基本をレクチャーさせていただきます。そのあとはここにいる曾根崎小隊長の第1小隊、安住小隊長の第2小隊が手本となり、実践訓練に入らせていただきます」

 よろしく、と言って、二人の小隊長が敬礼をした。

 「具体的な訓練の内容ですが、まずは基本となるロープやウインチを使った崖下への降下訓練。次に崖崩れの現場で二次災害を防ぎながら土砂に埋もれた被害者を救助する訓練。さらに・・・」

 訓練メニューを読み上げていく菅原。

 「マジかよ・・・初日からずいぶんとハードじゃないか・・・」

 「ホント・・・あたしたち、一応骨休めに来たんだよね・・・?」

 もちろん表情には出しはしなかったが、小島と聡美はうんざりしながら小さな声でそうつぶやいた。





 ・・・その後、初日としては確かにハードな訓練は幕を下ろした。そして私達は、本来ならばそれが本来の目的であるはずの骨休めのため、宿泊地である山村、大戸村に向かったのだった・・・。





 夕暮れの赤い木漏れ日の射す白樺の森を突き抜けるように走る道路を、指揮車は滑るように走っていた。

 「きれいね。高原に来たって感じがするわ」

 窓を過ぎ去っていく風景を見ながら、仁木が言った。

 「たしかに、骨休めにはもってこいみたいですね」

 圭介もうなずきながら同意する。

 「隊長、この道でいいんですよね?」

 ハンドルを動かしながら、聡美が尋ねた。

 「この辺には曲がり道なんてめったにないよ。いいからどんどん進んじゃいなさい。もうすぐこの林道も切れるし、そうすればすぐだ」

 「りょーかい」

 小隈のその言葉通り、やがて白樺の森が切れ、建物が目立ち始めた。しかし、それもちらほら、といった程度である。

 「のどかですね」

 レタスか何かが植わっている畑がよく視界に入る光景を見ながら、ひかるが言った。

 「ちょっとのどかすぎやしないかね」

 小島は少し退屈そうである。

 「このあたり、高原レタスが特産品なんでしょうか?」

 「そのようだね・・・」

 ガイドブックを見ながら、亜矢がうなずく。

 「よし、そこを左だ」

 やがて、少しはにぎやかになってきた村の中心部で小隈は指示を下した。聡美がその通りに曲がると、目の前に立派な瓦葺きの屋敷のような建物が見えてきた。

 「もしかして、あれがあたし達の宿?」

 「へ〜え、思ってたよりずっと立派じゃないですか」

 驚いたように言う聡美と小島。

 「あのね。俺を何だと思ってるの。知り合いのよしみだってだけで大事な部下をろくでもない宿に泊まらせると思うか?」

 「へへぇ、感謝します」

 平身低頭する小島。他のメンバーも笑顔を浮かべた。

 やがて、その旅館の前に指揮車は停まった。

 「よし、到着」

 「はぁ〜、やっとついた」

 「訓練のあとだから、けっこう疲れてるわね」

 「すぐに風呂に入ろうかな。汗のせいで髪が気持ち悪い」

 彼らはそんなことを言いながら、自分達の荷物を持って旅館の玄関へと入っていった。

 「あ、いらっしゃいませ!」

 ちょうど玄関にいた仲居が、正座して丁寧に頭を下げた。

 「どうも、お世話になります。東京から来たSMS第1小隊ですが」

 「あ・・・ちょっとお待ち下さい」

 小隈がそう言うと、仲居は慌ててその場から去り、すぐにここの経営者らしい男が彼女と一緒に現れた。

 「ようこそ、お待ちしてました。おひさしぶりです、小隈さん」

 「いえ、こちらこそ。どうです、景気の方は?」

 「ぼちぼちやってます。ようやく軌道に乗り始めたところで、こっからどんどん宣伝していきたいと思ってるんですがね」

 男と小隈は、親しそうな様子でそう話した。

 「・・・立ち話を続けるわけにはいきませんね。そちらが、小隈さんの部下の皆さんですか?」

 男が圭介達を見ながら言った。

 「ええ。いずれも選りすぐりの強者揃いですよ。お前達、この人がここのご主人の玉本さんだ」

 「初めまして」

 「お世話になります」

 「よろしくお願いします・・・」

 圭介達はそれぞれきちんと挨拶をした。

 「お噂はかねがね。うちでお泊めできるのが光栄です」

 「いやいや。芸能人じゃないんですから」

 「さて・・・それでは、お部屋にご案内しましょうか」

 そう言うと、玉本は自ら小隈の荷物を持った。

 「あ、いいですってば」

 「このぐらいのことはさせて下さい」

 「そちらの方も、お持ちします」

 「あ、すいません・・・」

 玉本と仲居達は、圭介達の荷物を持って歩き出した。

 「ご主人自ら荷物を運んでくれるなんて・・・」

 「なんか、隊長が偉い人に見える・・・」

 聡美と小島が驚いた表情で小隈を見た。

 「偉い人だと思ってないのか?」

 「え? あ、それは、その・・・」

 「早く行きましょう」

 仁木と亜矢がさっさと歩き出したので、小隈達も首をすくめて歩き出した。

 「・・・」

 が、ひかるだけは玄関で、何かをジッと見ていた。

 「おいどうした。ひかる、いくぞ」

 圭介が声をかけると、ひかるが我に返った。

 「あ、すいません」

 「何見てるんだ」

 「これなんですけど・・・」

 近づいてきた圭介に、ひかるはあるものを示した。それは、玄関の窓際に飾ってある置物だったのだが・・・

 「ムカデの置物・・・?」

 それは、とぐろを巻いた小さなムカデの置物だった。こんなところに置くには、あまり趣味がいいとは言えない。

 「珍しいですよね。こんな置物を玄関に置いておくなんて」

 「そうだな。普通なら招き猫だけでいいだろうし・・・」

 その招き猫は、ムカデの隣でしっかり自分の仕事をしていた。

 「なんか、意味があるのかもしれないな。あとで聞いてみよう」

 「そうですね」

 そう言って二人はその場を離れ、先に行った一行の後を追った。





 「こちらが、皆さんのお部屋となっております」

 小隈、圭介、小島の3人は、眺めのいい二階の和室に通された。

 「へぇ、眺めもいいじゃないですか」

 圭介が窓に近づき、外を見る。三角錐のような形をした山が、少しかすんで見えた。

 「ありがとうございます」

 「それにしても、今度は隊長も一緒で3人部屋ですか」

 小島が苦笑する。

 「しょうがないだろ。男女で雑魚寝するわけにはいかんし。大勢で寝たほうが楽しいだろ?」

 「それに、ひかるたちの部屋はすぐ隣なんですから、いこうと思えばいつでも行けるじゃないですか」

 ひかる達女子四人は、この部屋よりもう少し広い隣の和室に通された。

 「それはそうだけどなぁ・・・」

 「何か、お気に召さないことでも?」

 「いや、こっちの話です。それより・・・今日は少し静かですな」

 小隈がそう言うと、玉本は頭をかいた。

 「元より小さな旅館ですから、部屋数はそんなに多くないんですがね・・・。ここはスキー客が増える冬が稼ぎ時ですから、夏は空くことが多いんです。今日は皆さんの他には、やっぱり東京にある大学から来た先生と学生さん達の団体さんが泊まっているだけです」

 「もったいない話ですね。避暑地にはもってこいなのに」

 「ありがとうございます。いずれは、夏も稼ぎ時にして、部屋数ももっと増やしたいんですがね」

 「頑張って下さい。東京に帰ったら、もっと言いふらしますよ」

 「それはどうも」

 小隈の言葉に、玉本はありがたそうに笑った。

 「さて・・・それでは、この宿のことをご説明しましょうか。1階が4部屋、2階が5部屋となっておりまして、露天風呂はもちろん1階です。いつでも入れますので、好きなときにお入り下さい。それと・・・夕食は7時ということで、よろしいですね?」

 「ええ。女性陣には、俺から言っておきますので」

 「わかりました。それでは、ごゆっくりおくつろぎ下さい」

 玉本は頭を下げ、立ち上がろうとした。

 「あ、すいません」

 「なんでしょうか?」

 その時、圭介が彼を呼び止めた。

 「つまんないこと聞いちゃいますけど・・・」

 圭介は頭をかきながら言った。

 「玄関のところに、変わったムカデの置物が置いてありましたけど・・・あれって、なんなんですか?」

 「へぇ、そんなもの置いてあったんだ」

 「それは初耳だな」

 小島と小隈も、興味深そうな顔をする。

 「はぁ、やはり気になりますよね。あんなものが置いてあったら。お客さんにはよく訊かれるんですよ。旅館の玄関に置くには、我ながらちょっと不気味ですからね」

 玉本は苦笑した。

 「やっぱり、なにか意味が?」

 「ええ・・・。言ってしまえば、この土地独特の魔除けです」

 「魔除け?」

 「はい。この土地には、昔から「白神様」という山の神様を祀る独特な風習があるんです。日本のあちこちにある土地神信仰の一種のようなものなんですが・・・」

 玉本は窓に近づいた。

 「ほら、よく見えるでしょう。あの山、牛首山っていうんですがね・・・」

 そう言って、玉本は窓から見える山を指さした。

 「昔からあの山に住んでいる山の神様が、その白神様なんです。白い大きなムカデの姿をした神様なんですけどね。神様といっても、暴れ者の神様で・・・その神様が怒ると、牛首山で雪崩を起こして、麓の村を雪に埋もれさせていたという伝説があるんです。それを偶然この村を訪ねた偉い行者さんが調伏してくれたんです。ただ、殺したわけではなく封印するのが精一杯だったようで、その後は白神様を静めるためにそれを崇める慣わしができた・・・っていう話なんですよ。鹿島神宮にも地震を起こす大なまずを封印した鹿島大明神の話がありますけど、あれと似たような話ですね。実際、雪崩で全滅したような村は記録に残っていますし、この大戸村も何度か雪崩で深刻な被害を受けてますんで、そういう伝説が昔からあっても、おかしい話じゃないですね」

 「それじゃあ、あのムカデの置物は・・・」

 「ええ。白神様を怒らせないように、ああいう置物とかムカデを描いたお札なんかを、玄関に置いておくんですよ。今はやってませんけど、昔は牛首山に年に一度供え物をしにいく祭もあったそうですよ。今も祭はありますけど、儀式的なことはなくなってますね」

 「つまり、祭り上げることで何かをしてくれる神様じゃなくて、怒らないようになだめすかさなきゃならない神様なんですね? なんだか、迷惑な話だな・・・」

 「そうですね・・・」

 玉本も苦笑した。

 「玉本さんは、もとからこの村の人じゃないんですよね?」

 「はい。昔は静岡でレジャー関係の会社をやってたんですけど、本当は昔から宿の経営に憧れてましてね。4年ほど前にここで温泉が出たので会社を売ってこっちへ来て、旅館を始めたわけです。私以外にも、今この村で暮らしている人の七割くらいは、私のようにあとからこの村に来た人達ですよ」

 「それでも、言い伝えはしっかりと守ってるんですね」

 「私らみたいな仕事の人間は、縁起を大事にするんですよ。少なくなったとはいっても、元からの地元の人のこともありますからね。時代の最先端で働いている皆さんのような人達から見れば、非合理的に見えるかもしれませんけど・・・」

 「そんなことはありませんよ。ねえ、隊長」

 「うちにも一人、そういうのに詳しい奴がいましてね。そいつの影響で、うちは全員、けっこう縁起を気にするんですよ。なんであれ、昔からの伝統をバカにするのはよくありませんからね。けっこうなことだと思いますよ」

 「そうですか。そう言ってもらえるとありがたいです」

 「いえ。面白いお話をありがとうございました」

 圭介はそう言って、頭を下げた。

 「では、私はこれで・・・ああ、そうだ」

 途中で、玉本は振り返った。

 「この宿の近くに、その白神様を祀った神社があるんです。特に観光名所というわけでもなく、ひっそりとしてますが・・・よければ、行ってみるのもどうでしょう?」

 「そんなところがあるんですか。わかりました。あとで行ってみます」

 「それでは」

 そう言って、玉本は部屋から出ていった。

 「たしかに、面白い話だったな」

 「ええ。あとで亜矢さんにも聞かせてあげましょうよ。興味あるはずですから」

 「それにしても、ムカデの神様とはねぇ。たしかに、ムカデの神様じゃ何かいいことしてくれるとは思えないよなあ」

 三人はそんなことを話しながら、夕焼けに染まる牛首山を眺めた。

 「さて・・・と」

 圭介は腰を上げると、自分のバッグを開けて中からバスタオルやら何やらを取り出した。

 「なんか汗でベトベトするんで、早速風呂に入ってきます。二人は、どうします?」

 「俺はもうちょっと休んでから、このあたりを散歩してくるわ。さっき言ってた神社っての、ちょっと見てくるよ」

 「俺はちょっと横になるわ。なんか眠い」

 「そうですか。じゃ、お先に・・・」

 圭介はそう言って、タオルと浴衣を持って部屋を出ていった。





 「あれ・・・?」

 「あ・・・」

 「ありゃ」

 部屋を出たところで、圭介はひかると聡美にぶつかった。二人とも、圭介と同じくタオルと浴衣を持っている。

 「もしかして、ひかると聡美さんも?」

 「はい、お風呂です」

 「せっかくだから、一番風呂狙ってみようかな〜、なんて」

 そうして一緒になった3人は、階段を下りていった。

 「あ、そうだひかる。あのムカデの置物の意味、わかったぞ?」

 「本当ですか? 教えて下さい」

 「なになに? なんの話?」

 そんな話をしながら、3人は脱衣場の前にやってきた。圭介は藍の地に「男」と白く染め抜かれたのれん、ひかると聡美は朱の地に「女」と白く染め抜かれたのれんの前にそれぞれ立った。

 「そんじゃ、ごゆっくり」

 「覗かないでよね?」

 聡美の言葉に、圭介は脱衣場に入ろうとして思わずずっこけた。

 「あのね・・・小島さんじゃないんですから、そんなことするわけないじゃないですか」

 困ったような表情を浮かべながら、圭介は言った。

 「ん〜・・・そういうとこ、全然変わってないね。前にも言ったじゃない。そうやってキッパリ断言しちゃうのも、男としてどうかなって思うけど? ねえ、ひかるちゃん?」

 「え!? そ、その・・・」

 突然話をふられ、ひかるは真っ赤になって下を向いてしまった。

 「ひかるまで困らせないで下さいよ・・・。いったいどうすればいいってんです?」

 「そんなの、自分で考えてよ。女に訊くことじゃないわ。やっぱり新座君は、もっと女心を勉強する必要があるね。それじゃ、頑張って」

 言いたい放題言った挙げ句、わけのわからない励ましの言葉を残して、聡美は女湯に入っていってしまった。

 「・・・」

 よほど恥ずかしかったのか、ひかるも下を向いたまま、何も言わずそそくさとそれに続く。

 「なんなんだよ、一体・・・」

 圭介はブツブツ言いながら、男湯へと入っていった。





 脱衣場に入り、服を脱いでタオルを腰に巻くと、圭介は引き戸を開けて露天風呂へと足を踏み出した。

 「おー・・・けっこう広いじゃん」

 白い湯気に包まれた岩風呂を見渡し、圭介は満足そうにそう言った。

 「ん?」

 と、圭介は湯気の向こうに二つの人影が見えるのに気がついた。

 「先客さんがいるのかな・・・」

 先ほどの玉本の話によると、今日の宿泊客は圭介達の他には東京の大学の団体さんだけだという。小隈と小島はまだ部屋にいるはずだから、先に入っているとすれば、その団体さんの誰かだろう。そんなことを考えながら、圭介は近くにあった手桶でお湯を汲み、自分の体を流した。その音で圭介が入ってきたのが、向こうの二人にもわかったようだ。それを終えると、圭介は風呂に入り、その真ん中へと進んでいった。

 「どうです、湯加減・・・」

 と、そこにいた二人に声をかけかけて、圭介は固まった。

 「は・・・」

 それは、そこにいた二人も同じだった。

 「・・・」

 「・・・」

 「・・・」

 しばし、竹のパイプからお湯が注ぐ音以外、露天風呂に沈黙が流れたが・・・

 「「キャーーーーーーーーーーッ!!」」

 やがて、その二人・・・「ひかると聡美」の悲鳴が、露天風呂に響き渡った。





 「ん?」

 散歩に出かけようとして、露天風呂の前を通りかかった小隈の耳に、悲鳴のような声が聞こえてきた。彼はその場にしばらく立っていたが・・・

 「あ・・・」

 とつぶやいて、小さく口を開いた。

 「そういや、言うの忘れてたな・・・」

 彼は参ったという様子で頭をかいたが・・・

 「ま、いっか・・・」

 のんびりとそうつぶやくと、スリッパをペタペタと鳴らしながら玄関へ歩き始めた。





 「いやっはっは・・・」

 湯煙の立ちのぼる露天風呂に、聡美の乾いた笑いが響く。

 「まさか、混浴だったとはねぇ・・・」

 「ったく・・・隊長も、なんでこんな肝心なこと言わないんだ・・・」

 「忘れてたんじゃないでしょうか・・・」

 パニックも一段落し、圭介とひかる、聡美は露天風呂の中央にある大きな石を挟んで、背中合わせに話をしていた。まったくの予想外の遭遇だったが、どちらも男性、女性として重要な部分はタオルで覆い隠していたのは、不幸中の幸いというところだろう。

 「作者も作者だ。某有名ラブコメマンガの一幕みたいなシーンを、この小説に入れる必要なんてないだろうに・・・」

 顔を半分お湯につけながら、圭介はそんなことを思った。

 「でもさ、これはこれでいいんじゃない?」

 と、唐突に聡美が明るい声で言った。

 「いいって、どういうことです?」

 「せっかくだからさ・・・ひかるちゃんに背中流してもらいなよ、新座君」

 その言葉に、思わず圭介とひかるは驚いた。

 「な・・・なに言ってるんです!」

 「こういうときでもなきゃ、そんなチャンスないじゃない。ねえ、ひかるちゃん。ひかるちゃんだって、ちょっとはやってみたいと思ったことあるんじゃない?」

 「わ、私は・・・その・・・」

 ひかるは真っ赤になってうつむいたが、やがて小さくうなずいた。

 「ほら。ひかるちゃんだってやりたいって言ってるんだから」

 「い、いくらひかるがやりたいって言ってもですね・・・」

 なおも煮え切らない様子の圭介。それを見て、聡美が声を張り上げた。

 「あぁもう!! こうなったら、今日という今日は言わせてもらうよ!!」

 その勢いに、思わず圭介は圧倒された。

 「もうハッキリ言っちゃう! ひかるちゃんも新座君も、今時天然記念物ものの清い関係ぶりにもほどがあるのよ!!」

 バスタオルを体に巻いたまま、聡美は仁王立ちで二人を見下ろした。

 「いくら二人がそれでいいって言ってもね、仮にも結婚の約束までした二人がいまだにこんなことで引っ込み思案になってるのは、この先を考えると不安でしょうがないのよ! まさかとは思うけど・・・キスは済ませてるんでしょうね?」

 「そ、それは・・・」

 「えっと・・・」

 圭介もひかるも、赤くなってうつむく。それを見て、聡美は呆れ顔になった。

 「呆れた・・・。じゃあ、いまだに二人とも、せいぜい抱き合うとか手を繋ぐとか、そのぐらいで止まってるわけ?」

 「は・・・はい」

 聡美は頭を抱えた。

 「・・・あたしも結婚してるわけじゃないから、偉いこと言えた義理じゃないけど・・・あたしとしては、二人の将来がとっても心配なわけ。今のまんまで結婚して大丈夫なのか。世間一般の新婚夫婦がよくやるみたいに、「ご飯にする? 食事にする? それともメシ?」とかできるのか・・・」

 「それじゃ全部ご飯じゃないですか・・・」

 「それに、聡美さんの考える新婚夫婦像、なんだか間違ってますよ・・・」

 さすがに、それにはツッコミを入れざるを得ない二人だったが・・・

 「問答無用! とにかくこの機会を利用して、ちょっとずつ世間一般の恋人同士の感覚を学ぶのよ! というわけで、まずは背中を流すところからいってみよう!!」

 ビシッ!と洗い場に指を指す聡美。

 「言ってることがメチャクチャです・・・」

 「でも・・・どうする、ひかる?」

 圭介はひかると顔を見合わせた。

 「はい・・・でも・・・」

 ひかるはうつむきながらも言った。

 「私も・・・せっかくですから、お背中を流してあげたいんですけど・・・ダメですか?」

 健全な男ならば、ノーという選択肢など思い浮かぶはずもない言葉だった。そして圭介もまた、奥手ではあるが健全な男なのである。

 「あ・・・ああ、わかった。お願いするよ・・・」

 圭介はそう言って、ザバリと湯船から身を起こした。

 「あの・・・」

 と、ひかるが遠慮がちな声で言う。

 「あんまり、私の方は見ないで下さい。その・・・最近、太っちゃって・・・」

 圭介はその言葉に苦笑しかけたが、笑うとひかるが怒ると思ったので、我慢した。

 「わかったわかった。振り返らないからさ」

 そう言って、圭介は湯船から上がり、ひかるもそれに続いて、二人で洗い場に向かう。

 「そ・・・それじゃ、いきますね。痛かったら、言って下さい・・・」

 「あ・・・ああ。頼むよ・・・」

 ひかるはタオルに石鹸をこすりつけて泡立てると、それで圭介の背中を流し始めた。

 「・・・けっこう、肩幅あるんですね・・・」

 「うん・・・服着てると、どうもわからないみたいだな・・・」

 聡美はそんな二人を見ながら、のんびりと湯につかっていた。

 「うんうん。これでこそ、健全な現代のカップルだね♪」





 旅館のちょうど裏に回る道を抜け、小隈は雑木林の中を通る道を歩いていた。さながら、鎮守の森という感じである。

 「あった・・・」

 やがて、彼の前に鳥居が現れ、彼はそれをくぐって中へと入っていった。

 「はぁ〜・・・」

 そして、目の前に現れた建物を見て、意味もなくため息をついた。

 思っていたより、ずっと大きな神社だった。ただ、それが立派かどうかとなると簡単にはうなずけない。

 「これだけの建物だと、維持するのも大変なんだろうなぁ・・・」

 そろそろ修繕の必要があるんじゃないかと思うような神社を見ながら、そんなことをつぶやくと、小隈はさらに近づいていった。

 「なるほど・・・」

 神社の軒先の下には、ムカデの絵の描かれた木の板がかけられていた。玉本が言ったとおり、ここが白神信仰の総本山、といったところなのだろう。さきほどの鳥居にも、その名もずばり「白神神社」と書かれていた。

 「・・・」

 小隈は賽銭箱を見ると、ポケットから財布をとりだした。が・・・

 「あちゃあ・・・」

 それの中身を覗いて、顔をしかめた。当然、旅先では何が起こるかわからないので札はそれなりに持ってきてはいたが、小銭の持ち合わせが全くと言っていいほどなかった。

 「・・・」

 小隈は財布から一万円札を眺めて、しばし眺めていたが・・・

 チャリンチャリン・・・ガラガラガラ・・・パンッパンッ

 結局、それを財布に戻して代わりに所持していた全ての小銭である137円を賽銭箱に放り投げ、鈴を鳴らして手を打って拝んだ。

 「・・・」

 お寒い金額にしては妙に長い間手を合わせていたが、やがて小隈は顔を上げた。すると・・・

 「・・・」

 いつのまにか、近くにホウキを持った老人が立っていた。

 「あ、どうも・・・」

 小隈は愛想良く頭を下げたが、老人はニコリともせず、黙ったまま小隈を見ていた。見るからに頑固そうな老人である。体は骨と皮ばかりといったかなりやせぎす、頭には既に一本の毛も生えていない。だが、眼光だけは妙に鋭い。

 「ここの、宮司さんかなんかですか?」

 が、小隈はそれにひるむことはなかった。その様子を見て、老人は黙ってうなずくと小隈に近づいてきた。

 「あんた、観光客じゃろ? 珍しいもんじゃな。ここは見てのとおり、へんぴな場所にあるから、土地の者以外が来ることなどほとんどない」

 「観光とはちょっと違うんですがね・・・東京から来ました。そこの宿の主人が、私の知り合いでしてね。その人から聞いたもんで、ちょっと」

 「何を祈願した?」

 「いろいろです。業務安全無病息災必勝祈願家内安全商売繁盛交通安全合格祈願安産祈願・・・ほかにもいろいろ」

 お経のようにズラズラと願い事の名を連ね、小隈は夕焼け空を見上げた。

 「それにしても・・・もったいないですなぁ。こんなに立派なお社なのに」

 と、小隈は背後の神社を振り返って言った。

 「いいところなんですから、もっと人の目に触れてもいいのに」

 「これでいいんじゃ。観光名所になどなって、観光客なんぞの目にさらされるよりは・・・」

 目の前に観光客の一種である小隈がいるというのに、気にする様子もなくそう言う老人。小隈はそれを気にする様子もなく、彼に尋ねた。

 「しかし・・・今の村の人達も、七割方よそからやってきた人だっていうじゃないですか」

 「そうじゃ・・・。昔はこの社ももっと立派だったんじゃが・・・20世紀の戦争の後で昔からの村人はみんな都会に行き・・・白神様の信仰も、廃れていってしまった・・・」

 老人は温泉宿の方を見ながら言った。

 「・・・高原野菜っちゅう産業ができて、何年か前には温泉も出た。ずっと昔に比べれば、村の暮らしはずっと豊かになったが・・・新しいものっちゅうものは、なんでも古いものを押しのけよる・・・」

 老人はそう言って、うなだれた。

 「・・・都会に住んでいても、そういうのは少しはわかりますよ。ほんと、豊かってのは、どういうことを言うんでしょうかね・・・」

 小隈はそう言って、赤く照らされる牛首山を見た。

 「・・・今頃、怒ってるんでしょうかね。白神様は」

 小隈のその言葉に、老人は応えず、立てかけてあったホウキを手に持ち、立ち去ろうとした。が・・・

 「・・・誰も本気にしやせんが・・・怒っとるぞ」

 その間際、老人はそれだけ言って、神社の離れに立っている家へと歩いていった。体はやせ細っていたが、足取りは実にかくしゃくとしていた。

 「・・・」

 小隈はその後ろ姿を見送ると、改めて神社を見た。古びた板に描かれたムカデが、ジッとこちらを見下ろしていた。





 「ふぃー・・・」

 部屋の引き戸を開け、圭介は男部屋に戻ってきた。そのまま部屋に置いてある冷蔵庫を開け、麦茶のペットボトルを開けて飲みながら、窓を開けて火照った体を風にさらす。

 「ん・・・出たのか?」

 と、それに気づいて畳の上に寝ていた小島がムックリと起きあがった。

 「ええ。いいお湯でしたよ。出た後ちょっと、マッサージチェアでくつろいだりしてましたけど」

 圭介がさっぱりした顔で小島に言う。小島は時計を見た。

 「あ、もうこんな時間か。俺も、メシの前に入ってくるかな」

 そう言って、小島は風呂に入る仕度を始めた。そんな小島に、圭介は声をかける。

 「あ、ちょっと・・・」

 「なんだ?」

 「風呂に入るんだったら、ちょっと気をつけてほしいことがあるんですけどね」

 「なんだよ?」

 風呂の仕度をしながら、小島は尋ねた。そんな彼に、圭介は言う。

 「隊長は言ってなかったんですけど、ここ・・・混浴なんです。ですから、入るときには先客に気をつけて・・・」

 「ふ〜ん、混浴か・・・」

 と、小島は何気なく言ったが・・・

 「・・・なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ!?」

 すぐにすさまじい形相で、圭介につかみかかった。

 「お、お前今なんて言った!?」

 「で、ですから混浴だと・・・」

 その言葉に、小島はさらに声を大きくした。

 「なんだとぉ!? お前、なんでそんな肝心なこと教えなかったぁ!?」

 「だ、だから風呂にはいるまで俺も知らなかったんですってば! おかげで、ひかると聡美さんと一緒に入る羽目になっちゃって・・・」

 小島の興奮にさらなる拍車がかかった。

 「な、なにぃぃぃぃぃ!? ひかるちゃんと混浴だとぉ!?」

 「え、ええ・・・」

 さらに言えば背中まで流してもらったのだが、さすがにそれは言えなかった。

 「くぅっ・・・そんなことも知らずこんなところで眠り呆けていたとは、小島佳樹一生の不覚・・・! 今日ほどお前をその窓からたたき落としてやりたいと思ったことはないが・・・」

 拳を固く握りしめ、悔恨に満ちた表情でうなるように言う小島。

 「今はそんな場合ではない! 新座! 副隊長と亜矢さんは、まだ入ってないな!?」

 「いえ。俺達と入れ違いになるみたいに、二人とも入っていきましたけど」

 すると、小島はそれを聞くなりタオルと浴衣をひっつかみ、部屋から飛び出していった。

 「節操がないんだから、もう・・・」

 圭介は呆れながら、小島の出ていった引き戸を見つめた。





 ドタドタといううるさい足音がするのも気にせず、小島は二階の廊下を走り抜け、さらに階段を駆け下り、露天風呂の入り口めがけて一階の廊下を駆け抜ける! だが・・・

 「おや・・・どうしたんだい? 小島君・・・」

 「そんなに慌てなくても、まだ夕食には時間があるから、ゆっくり入れるわよ?」

 すっかり温まり頬を紅潮させた浴衣姿の仁木と亜矢が、ちょうどいいタイミングでのれんをくぐり出てきたことで、小島の最後の希望は木っ端微塵に打ち砕かれた。無論、その直後、ロボライダーに変身できるのではないかというほどの悲しみを込めた小島の叫びが旅館中に響き渡ったのは、言うまでもない。

 「言い忘れてたけど、ま、これでよかったかな・・・」

 ちょうどよく散歩から戻ってきた小隈が、それを見て大体の事情を察し、つぶやいた。





 ・・・女である私にとっては、男性のみが理解できるであろう混浴という特殊な状況のもつ貴重性と、そこから得られる利益がどれほど大きいのか、残念ながら理解することはできない。が・・・少なくとも、このときの小島隊員にとっては、それは計り知れない喪失感と後悔を彼にもたらすものであったのだろう。このときの彼の無念が反動となり、のちに今回の事件の先頭を務めるがごときあのような行動につながっていったのかどうかは定かではない。だがそれはともかくとして・・・運命の歯車は、なおも結末に向けて止まることなく回り続けたのであった・・・。





 それから数時間後・・・

 骨の髄まで染み渡るような心地よい湯の熱さに歓喜のうなりをあげながら、小隈は湯船へゆっくりと体をつけていった。

 カラカラ・・・

 と、首までつかったところで、背後の脱衣場から引き戸の開く音と、ペタペタという足音が聞こえた。

 「・・・」

 が、小隈は振り返ることはなかった。今日の女性客は彼の部下である仁木達だけであり、彼女たちはもう入ってしまっている。もう一組の宿泊客である大学の団体さんは男ばかりだというので、期待するだけムダである。

 「よろしいですか?」

 その思いのとおり、後ろから聞こえてきたのは男の声だった。

 「どうぞ。いいお湯加減ですよ」

 小隈は振り返ることもなくそう言った。

 「それでは・・・」

 男はそう言うと手桶でお湯を汲み、自分の体に流すと、小隈から少し離れたところで湯船に体を沈めた。

 「あぁ〜っ・・・」

 思った通り、男は小隈と同じぐらいの年の中年の男だった。湯に浸かりながら、やはり気持ちよさそうなうなりをあげる。

 「・・・」

 二人はそのまましばらく、のんびりと湯に浸かっていたが・・・

 「あの・・・」

 その男が話しかけてきたので、小隈は顔を向けた。

 「もしかして・・・SMSの隊長さんでしょうか?」

 「ええ、そうですけど」

 小隈は素っ気なく答えた。が、男の方はうれしそうな顔をした。

 「やっぱりそうですか。表にテレビで見た指揮車は停まってますし、ここのご主人から皆さんが泊まっていると聞きましたので・・・光栄です」

 「それはどうも。もしかしてそちらさん・・・東京の大学から来た教授さんかなにかですか?」

 男はそれに驚いた。

 「そうです。よくわかりましたね?」

 「今日の宿泊客は、私達とそちらさんだけみたいですからね。ところで・・・こちらへは、どんな用で? ゼミの旅行かなにかですか?」

 すると、男は首を振った。

 「いえ、そうじゃありません。調査のためです」

 「調査? 仕事ですか」

 「ええ。あ、申し遅れました。私、東都大学地質学部の助教授の西岡と言います。どうぞよろしく」

 西岡はそう言って、頭を下げた。

 「こちらこそ。東京都SMS第1小隊の隊長やってます、小隈と言います」

 「よろしく。そちらは、隊の慰安旅行か何かですか?」

 「半分はそうなんですけどね。どうせ山に行くってんで、山岳救助訓練も日程に入ってるんですよ。ただじゃ休めないのが、私らの仕事のつらいところでね」

 「それはそれは。やはり大変なのですね」

 「ええ。でもまぁ、若い奴らばかりなので、これでも骨休めにはなってます。ところで、さきほど調査と言いましたが・・・このあたりに、変わった地層かなんかがあるんですか?」

 「いえ、地層じゃないんです。鍾乳洞を調べるんですよ」

 「鍾乳洞? このあたりに、そんなものがあるんですか?」

 「ええ。ちょうどあの山の中腹あたりに・・・」

 湯の中から右手を上げ、西岡は月明かりに浮かぶ牛首山を指さした。





 「白神様の祠?」

 「地元の人は、そう呼んでいるらしいよ」

 向かい合って座る仁木に、小隈はコーヒー牛乳を飲みながらそう言った。二人とも、マッサージチェアにかけてくつろいでいる。

 「件の白神信仰の聖地みたいな場所さ。白神様そのものが住んでいるとされていて、地元の人すらたたりを恐れて近寄らないそうだ」

 「まだ日本にも、そんな場所があったんですね。ビルに囲まれた街で、最新科学の絡む事件や事故を相手にしている日常を送っていると、思いにもかけませんが・・・」

 「前時代的だと思うか?」

 「いえ。そういった言い伝えや禁忌も、日本の美しい文化の一部ではないですか」

 仁木のその言葉に、小隈は笑った。

 「そうだな・・・」

 「でもその鍾乳洞・・・そんなに広いのですか?」

 「広いと言うより、長いみたいだ。総延長は9kmは超えるらしく、道筋も複雑らしい。地の底まで続いているみたいな洞窟だから、「黄泉の岩屋」なんていう別名もあるそうだ。謎めいた神様の住みかとしては格好の場所だな」

 小隈はコーヒー牛乳を一口飲んだ。

 「それほど大きな鍾乳洞が、今まで調査もされずにいたというのは、ちょっと信じられませんね」

 「調査はされていたらしいよ、大正時代にね。ただ、当時はまだ装備が未発達だったから、ほんの一部までしか進むことができなかったそうだ。そのあとは戦後のごたごたで忘れ去られ、へんぴな場所だから、地元の人達以外の口にのぼることもなかった。こうして白神様の祠は、昨今まれにみる秘境となったわけだ」

 「それでは、その地質学部の人達は、明日その秘境に踏み込むわけですね?」

 「大正時代の調査資料が最近見つかって、ちょっとした騒ぎになったらしい。昔だったら白神様のたたりを恐れる村人達が許さなかっただろうけど、今となってはそれを信じてる昔からの村人は完全に少数派だからね。これも時代の流れなのかな」

 小隈はそう言うとコーヒー牛乳を飲み干し、顔を横に向けた。

 「・・・」

 「・・・」

 「・・・」

 そこでは、テーブルを囲んで圭介、ひかる、聡美がトランプを手に持ち、真剣な表情でにらんでいた。

 「それじゃお前ら、もういいな?」

 自分の目の前に座る3人に、小島は声をかけた。

 「そんじゃ、オープン!」

 小島がそう言うと、3人は一斉に自分の持っていたものをテーブルの上に置いた。

 「へっへ〜、悪いけど今回はあたしの勝ちだね。10が三つに8が二つ! 紛うことなき正真正銘のフルハウスだよ!!」

 聡美が得意げに言う。彼女の目の前のテーブルには、その通りの5枚のトランプが並べられていた。しかし・・・

 「すいません・・・私、フォーカードなんですけど・・・」

 ひかるがいつもの遠慮がちな声で言った。

 「んなっ!?」

 聡美が驚いて彼女の前を見ると、そこにはクイーンが4枚とスペードのキングが並べられていた。

 「そ、そんなぁ・・・。また今回もひかるちゃんの勝ち? 強すぎるよ〜・・・」

 「文句言うな。ひかるちゃんの強さは正真正銘本物だぞ」

 「わかってるよ。ひかるちゃんはいかさまなんかできる人間じゃないし。だけどさ〜・・・」

 「そ、それにまだ圭介君の役を見てないじゃないですか。ね?」

 そう言って、置かれた圭介の手札を見るひかる。しかし・・・

 「・・・お前の勝ちだよ。またノーペアだ」

 圭介はうんざりした様子で言った。目の前のカードはまるでバラバラである。

 「す、すいません・・・。あの、小島さん、今度は私がディーラーをやりますから・・・」

 四人は先ほどからポーカーに興じていたが、よほどひかるが強いのか、いまいち盛り上がりに欠けているようだ。小隈はそれを見ると、仁木に言った。

 「桐生の姿が見えないが、どうした?」

 「部屋に残ってなにかしていましたが・・・」

 言葉を濁す仁木を見てから、小隈は圭介達に言った。

 「お〜い、お前達」

 その声に、圭介達が振り向く。

 「今日は初日、ごくろうさん。明日は訓練はない。一日まるまる休みだ。思う存分羽を伸ばしていいが、羽目ははずすなよ」

 「了解っ!!」

 圭介達はその言葉に、うれしそうに敬礼をしてみせた。





 一方その頃。女部屋では・・・

 「やはり・・・そうか。あの山が・・・」

 亜矢が古い書物を広げながら、窓の外にうっすらと見える牛首山の輪郭を見た。





 ・・・こうして、慰安旅行初日は終わった。そして、結末となるあの日が訪れたのである・・・。





 翌日。午前9時24分。

 「二人とも、準備はできたな?」

 「「はいっ!」」

 小隈は目の前に立つ圭介とひかるに言った。二人とも、動きやすい格好に着替えている。

 「でも隊長。釣りに行くっていっても、竿とかはどうするんです?」

 「そこんところはノープロブレム。玉本さんが近くの店にレンタル頼んであるから、行く途中で受け取る。いくぞ」

 3人はそろって玄関で靴を履き、旅館の外へと出た。すると・・・

 ププーッ!

 クラクションの音に、3人は振り返った。すると、旅館の駐車場から道路に出る出口のところで、荷物を屋根の上に満載した3台のランドクルーザーが立ち往生していた。

 「なんだ・・・?」

 「行ってみますか?」

 少し気になったので、3人はそちらに向かった。だんだん様子がはっきりしてわかったのは、誰かが先頭の車の前に立ちふさがり、数人が彼を説得しようとしているらしいということだった。

 「ありゃりゃ・・・」

 小隈はその光景を見て、呆れたような表情をした。

 「おじいさん、そこをどいてくださいよ」

 「ならん! 白神様の祠に入るなんぞ、とんでもないことじゃ!!」

 車を通せんぼしていたのは、あの神社の老人。そして若者達と一緒に彼を説得しようとしているのは、西岡助教授だった。

 「あのぉ・・・おとりこみ中すいませんけど・・・」

 話に割り込んできた小隈の顔を見て、老人と西岡はハッとした顔で彼に詰め寄った。

 「おお、あんたは!! あんたからもなんとか言ってくれ!! この不届き者達が、よりにもよって白神様の祠に入ろうなどと言っとるんじゃ!!」

 「ですから! 役場の許可はちゃんと取ってるって言ってるじゃないですか!! 小隈さん、すいませんけど、説得を手伝ってくれませんか?」

 「役場がなんじゃ! 誰が許そうと、白神様の祠に入ることは許されん!!」

 二人の口論の間に挟まれ、小隈は空を見上げた。

 「どうなってるんです・・・?」

 「さあ・・・」

 その様子に身を引きながらも、圭介とひかるはことの成り行きを見守るしかない。

 「あのですね。お気持ちはわかるんですけど、許可が出ちゃってる以上は私らにはどうこう言う資格はないわけで。そこ、どいてもらえません?」

 小隈はそう言って老人に頭を下げたが、老人はますますいきりたった。

 「なんじゃと!? あんたまでこいつらの味方をするのか!?」

 「味方とかそういうことじゃなくてですね・・・」

 「もういい! こうなれば、わし一人でも止めてみせるわ!!」

 老人はそう言うなり、手にした杖を振り上げ、ランドクルーザーの窓ガラスめがけて振り下ろそうとした。

 「!!」

 止めるひまはなく、誰もが息を呑んだ、その時だった。

 ボキッ!

 「!?」

 乾いた音が、周囲に響いた。

 「今・・・ボキッていいましたよね・・・?」

 「ああ・・・たしかに聞こえた」

 圭介とひかるが唖然とする。そして・・・

 カラン・・・

 杖が道路に転がる音と同時に・・・

 「ぐおおおおおっ!!」

 老人もまた地面に転がり、腰を押さえて悶絶し始めた。

 「あちゃあ・・・」

 小隈はそれを見て、手を頭に当てた。すると・・・

 「親父! 何やってるんだよ!?」

 驚いたような声の方向に振り返ると、泥に汚れた作業服とキャップという格好の50代くらいの男が、慌てて走ってきた。

 「ええい! なんのこれしき! そこをどけ高志!!」

 「無茶言うなよ! 血圧注意されてるんだから!!」

 「血圧がなんじゃ! こいつらが祠に踏み込めば、白神様が怒って暴れ出すんじゃぞ! 最近、牛首山から妙なうなりが聞こえる。ありゃあ、白神様かもしれん・・・」

 「また親父の白神様が始まった・・・」

 「白神様をバカにするでない! とにかく、放せはな・・・せ・・・グッ・・・」

 と、突然老人は糸が切れたようにうなだれ、動かなくなってしまった。

 「大変です!!」

 すぐにひかると圭介が駆け寄り、状態を見る。

 「・・・大丈夫です。脈もありますし、呼吸もちゃんとしてます」

 ひかるの言葉に、その場にいた者達はほっとした。

 「すみません、うちの父がご迷惑をおかけして・・・。もともと血圧が高いのを注意されてるのに・・・」

 どうやら、老人の息子らしい男は、すまなそうに全員に謝った。

 「・・・服部、すまないが小島をつれてきてくれないか?」

 「わかりました!」

 小隈の言葉を聞いて、すぐにひかるは旅館へと戻っていった。

 「この人は、私達に任せておいてください。皆さんはかまわず調査に」

 小隈の言葉に西岡達は戸惑っていたが、やがて、うなずいた。

 「お願いします。それでは・・・」

 西岡達はランドクルーザーに乗り込み、旅館から走り出ていった。

 「すみません。ご迷惑をおかけして・・・」

 「お気になさらず。こういうのも我々の仕事ですから」

 小隈と男がそんな話をしていると、ひかるが小島を連れて戻ってきた。話を聞いたのか、仁木に亜矢、聡美も一緒についてきて、第1小隊勢揃いとなった。

 「小島さん、この人です」

 「はいよ。ちょっとそこどいて」

 小島は診療用具を取り出すと、老人の体を診察し始めた。それを見て、男が小隈の顔を見る。

 「あの・・・皆さんは・・・?」

 「東京のSMS第1小隊です。ご心配なさらずとも、こいつの腕は信用してくださってけっこうです。小島、どうだ?」

 あれこれと診ていた小島だったが、顔を上げて言った。

 「血圧の急上昇からくる一時的な失神ですね。腰の方はぎっくり腰です。どっちにしても、とりあえず安静が必要になりますね」

 小隈はその言葉にうなずいた。すると、男が言った。

 「それなら、私の家に運ばせて下さい。すぐ近くですので」

 「わかりました」

 「それと・・・よろしければ、私の家に起こしいただけませんか? たいしたことはできませんが、ご迷惑をかけたお詫びと、診て下さったお礼をしたいので・・・」

 「・・・お前達、どうする?」

 小隈は後ろを振り返って言った。全員、別に断る理由もないのでうなずく。

 「わかりました。それじゃ・・・お邪魔させていただきます」





 「とりあえず、血圧の方は薬出しておきます。食後に飲むように言っておいてください。腰の方はここじゃどうにもできないんで、お早めに接骨院なんかに」

 「ご迷惑をおかけしました」

 薬を差し出す小島に、男は頭を下げた。

 ここは、老人と男の家。神社の離れに立っていたあの家である。農村特有の大きな日本家屋で、彼と第1小隊、それに布団に寝かされた老人のいるこの部屋も、畳十畳はある広い部屋だった。

 「まったく・・・どこであの大学の皆さんのことを聞いて、あんなことに及んだのやら・・・。穴があったら入りたい。皆さんに頭が上がりませんよ」

 男の名は宮島高志といって、あの老人の息子。神社の後は継がず、レタスを栽培しながら農協の仕事もしているらしい。

 「おかまいなく。好きなだけ上げて下さい」

 小隈はのんびりとそう言った。

 「さて・・・それでは、こちらに来ていただけませんか? 家内に、小豆ぜんざいを用意させてますので」

 「そうですか、すみませんね。よし、お前達、いくぞ」

 「はい!」

 心なしかうれしそうに、第1小隊は立ち上がった。





 「どうぞ。お口に合いますかどうか・・・」

 宮島の妻らしき女性は、座卓の前に座った第一小隊の前に湯気の立つ小豆ぜんざいを並べていった。

 「ごちそうになります。こいつら、みんな甘いものには目がありませんから・・・。いただいてよろしいですか?」

 「ええ、どうぞお召し上がり下さい」

 「それじゃ・・・」

 「いただきまーす!」

 そう言うが早いか、メンバーはすぐに箸をとり、黒く濁った椀の中に箸を伸ばし始めた。

 「うん・・・甘くておいしー!」

 「京都のぜんざいとは小豆が違うようですけど・・・おいしいですね」

 「本当。違いがよくわかるわ」

 「作り方、教えてもらいたいです・・・」

 特に女性陣には好評のようだ。無論、圭介と小島もおいしそうに食べている。それを見て、夫婦はほっとした様子を浮かべた。

 「・・・こちらは、かなり歴史のある家のようですね・・・」

 椀から顔を上げて、欄間の上に並べられているいくつもの肖像写真を見ながら、仁木がふと言った。

 「詳しいところは我々にもわからないのですが・・・この家の起源そのものは、平安時代にまでさかのぼるみたいです」

 宮島がそう言ったので、メンバーは驚きの表情を浮かべた。

 「平安時代から!?」

 「由緒ある家柄なんですね・・・」

 聡美と小島がそう言うと、宮島は照れたような表情をした。

 「じゃあその頃から、この神社の宮司さんを?」

 圭介の言葉に、宮島はうなずいた。

 「この村の原型となった集落がこのあたりにできた頃に、先祖もこのあたりに移り住んだそうですから、おそらくは・・・」

 「やっぱり、昔からあったんですね。白神様信仰っていうのは・・・」

 小隈がぼんやりとそうつぶやいた。

 「そんだけ連綿と続いてきたものなら、よそものにそれを荒らされたくない・・・親父さんの気持ちも、わかるような気がしますよ」

 「いえ、親父はやり過ぎなんですよ。こんな時代だってのに、なにかこの村にあるたびに、白神様の祟りだとか大騒ぎするんですから。私も白神様のことは子どもの頃から親父に聞かされてきましたし、白神様をバカにしているわけではないのですが・・・親父のやってることは行き過ぎです」

 宮島は眉をひそめた。

 「宮島さんは・・・かまわないとお思いなんですか?」

 「できれば、そっとしておいてほしいと思います。今まであの祠を守ってきたご先祖様にも、申し訳なく思っていますよ。でも・・・学問的に見たあの洞窟の貴重性とか、調査の必要性とか・・・そういうことも、よくわかりますから」

 「以前・・・どこかでお勉強を・・・?」

 宮島の口振りから察して、亜矢はそんなことを尋ねた。

 「はい・・・。若い頃は歴史学専攻で院に入っていたこともあるんですよ。結局、途中であきらめてここへ戻って、今じゃ農業をやってるんですけど・・・」

 宮島は恥ずかしそうに言った。

 「こうして畑仕事をするようになったあとでも歴史への夢が捨てきれなくて・・・このあたりの郷土研究をしながら、この村の歴史をまとめようとしているんですよ」

 その言葉に、亜矢が顔を上げた。

 「それは興味深いですが・・・よろしければ・・・少しそれを・・・拝見できないでしょうか?」

 「え・・・? それはかまいませんが、まだまとめている途中で、見せるようなものでは・・・」

 「すいません。こいつはそういうのが三度のメシより好きなので・・・お願いできますか?」

 小隈もそう言ったので、宮島はわかりましたと言って席を立ち、やがて資料を抱えて戻ってきた。ちょうど全員、ぜんざいを食べ終わっていたので、資料は座卓の上に並べられた。

 「どうぞ。集めた資料のほんの一部ですが・・・」

 「拝見します・・・」

 亜矢はそう言うと、獲物をとらえた猛禽のごとき鋭い目で資料を読み始めた。

 「亜矢さん、燃え始めちゃったね・・・」

 「そうですね・・・」

 「ああなると、止められないわね・・・」

 ひかる達がそんな様子を見ながらひそひそ話をする。と・・・

 「・・・」

 亜矢の手が、一冊の書物のあるページで止まり、一心不乱にそれを凝視し始める。

 「どうかなさいましたか?」

 そのただならぬ様子に、宮島がおそるおそる声をかけた。すると、亜矢は彼の顔を見て尋ねた。

 「この記録・・・昭和20年3月17日・・・旧日本軍の部隊が・・・この村にやってきたとありますが・・・」

 亜矢がその書物の一部を指さしながら言った。どうやらそれは、当時の村長の日記らしい。

 「ああ、それですね。たしかにそれは、この村の歴史の中でも特に変わった出来事ですね」

 宮島はそう言いながらうなずいた。

 「これは・・・事実なのですか?」

 「はい。実際、東京の国立国会図書館や公文書館に行って、当時の記録を探してみたんです。ええと・・・あ、これですこれです」

 資料の山を漁り、宮島は一枚のコピーを取りだした。

 「奇跡的に焼却を免れた資料の中に、その出動記録があるんです。たしかにその前日深夜、帝国陸軍歩兵第27連隊の第3中隊が、東京からこの村に出動したという記録が残っています」

 「その部隊は・・・一体何のために・・・?」

 渡されたコピーから顔を上げ、亜矢がなおも尋ねた。メンバーはなぜ亜矢がこの話題に食い下がるのかわからず、怪訝そうな顔でそれを見ている。すると、その質問を受けた宮島は眉根を寄せた。

 「それなんですが・・・。肝心のその目的までは、わからないのです・・・」

 「わからない・・・」

 「はい。その出動について残されていたのは、単純に出動したという事実についての記録だけです。部隊の目的や編成など、詳しいことについての記録はありません。おそらく機密に関わることですから、あったとしても、焼却されてこの世にはないでしょう」

 亜矢はそれを聞いて、手元の書物に目を戻した。

 「この日記によれば・・・部隊は五日ほどこの村に駐屯し・・・それから去っていったそうですね・・・?」

 「ええ。そのあいだ、村人はかなり迷惑したそうですけど」

 「そのあいだ、彼らはどこで何をしていたのか・・・」

 亜矢はそうつぶやきながら、さらに日記を読み進めた。そして、あることに気づく。

 「彼らは・・・牛首山の洞窟で活動を行っていたようですね・・・」

 その言葉に、全員が驚いて亜矢の顔を見て、次に宮島の顔を見た。

 「はい・・・どうやら、そのようですね。彼らは村人の一人を白神様の祠へと案内させ、そこでしばらくのあいだ、何かをやっていたようです。もちろん村人は案内させたところで村へ返したので、村人は誰一人、彼らが何をしていたのか知ることなどできませんでした」

 「・・・」

 亜矢は少し考え込んだ。すると、今度は宮島が口を開いた。

 「それから半年ほどして、戦争は終わったわけですが・・・こうなると、誰でも思いつく仮説がありますよね?」

 亜矢の考えはわかっているというように、宮島は言った。が・・・

 「日本軍の軍資金、あるいは、軍事機密・・・ですか」

 小隈が代わって答えた。その言葉に、メンバー達は驚いた。

 「軍資金!?」

 「それって・・・つまり・・・」

 そして、声を合わせるように聡美と小島が叫んだ。

 「「宝物っ!?」」

 その叫びに、仁木はゆっくりとうなずいた。

 「たしかに・・・事実であれ嘘であれ・・・そういう謎めいた話が伝わっているならば、そのように解釈する人もいるでしょうね」

 「徳川埋蔵金とか、豊臣家の隠し財宝みたいに・・・ですか?」

 圭介の言葉に、仁木は黙ってうなずいた。

 「親父があの祠に入ろうとする者や、そこに入ること自体をあそこまで嫌うのは・・・そういうこともあるからなんですよ」

 宮島がポツリと言った。

 「いつの頃からか・・・今お話しした日本軍の話が、どこからか広まりましてね。あの祠の奥には、日本軍の残したすごいお宝がある・・・そんな話に目を聞きつけてやってくるような人間が、ごくたまに、ちらほらとこの村にやってくるようになったんです。親父は若い頃からそんな人間を見つけては、ときには喧嘩腰で片っ端から追い返していったそうです。どんな具合かは、先ほどの騒ぎでおわかりになると思いますが」

 宮島はそう言って苦笑した。だが、ひかるが腑に落ちない表情で言った。

 「でも、それぐらいでおとなしく帰る人ばかりじゃ・・・」

 「ええ。財宝があるかもしれないとなると、万難を排してそれに突き進もうとする・・・宝に目がくらんだ人間には、そういうところがありますからね。本当にあるかどうかもわからないのに人を動かすんですから、財宝の魔力ってのは恐いものですよ。もちろん、親父の警告など気にもとめずに洞窟に入るような人間が、大半だったそうです」

 「それで、財宝は・・・?」

 俄然気になってきた様子で、小島が身を乗り出して尋ねた。だが、宮島は苦笑しながら言った。

 「見つかっていたら、この村はもっと有名になっていますよ。この村にも詳しく知っている人間はいませんが、あの祠は中はかなり複雑で、道が狭かったり地下水が貯まったりしていて先に進めないところも多いようです。そういうわけで、たいがいの人間は途中で諦め、かなり奥まで進んだ人も、徒労に終わってます。そういうのを見てきたおかげで、今じゃこの村の人間にもその存在を信じているような人間はいませんよ」

 「なぁんだ、がっかり・・・」

 「財宝伝説というのは、そういうものよ。なにより、理屈に合わないわ。隠すほどのものがあったなら、どうして徳川幕府も日本軍も滅びたというのよ?」

 仁木がにべもなくそう言う。

 「ま、負けた後に再起を図るための準備かもしれないじゃないですか!」

 「そ、そうですよ!」

 まだ財宝を諦められないのか、小島と聡美がなおも食い下がる。

 「そういうふうに理由をつけて諦められないような人が、今でもどこかの山を掘っているんじゃないかしら?」

 「副隊長・・・財宝になんか恨みでもあるんですか?」

 「どうしてそう、夢も希望もないこと言うんです?」

 「情熱を傾けていい夢と傾けるべきでない夢があると言っているのよ、私は」

 じと目で仁木を見つめる小島と聡美に対し、クールに言い放つ仁木。

 「まぁまぁ・・・こんなことでケンカするのも、ばからしいじゃないですか」

 「そうですよ。とにかく、やめてください」

 なんとなく場が険悪になってきたので、圭介とひかるがなんとかとりなした。たしかにばからしいと思ったのか、3人とも黙り込んだ。

 「宮島さん自身は、どう思ってるんです? 財宝について・・・」

 小隈がのんびりとそう言ったので、宮島は答えた。

 「そうですね・・・。できれば、なければいいと思いますね。親父ほどではありませんが、あの祠にむやみに人が入るのは、よくないと思いますから・・・。たとえあったにせよ、軍が隠したものであるなら、物騒なものじゃないとは限りませんからね。とても、自分から掘りに行こうなんて・・・」

 「・・・」

 苦笑する宮島。小隈と亜矢はどちらということもなく顔を向けあい、黙って顔を見合わせた。





 「隠すつもりは・・・ありませんでした・・・」

 亜矢はそう言って、畳の上に一冊の書物を大事そうに置いた。

 「ただ・・・確証なしに動くことは・・・よくありませんでしたから」

 亜矢の置いた書物を中心に、メンバーは車座になって座っていた。

 宮島の家をあとにした第1小隊は、そのまま宿に戻り、女部屋に集まっていた。

 「これは・・・?」

 亜矢がかばんから取り出した書物を見ながら、圭介が尋ねた。

 「このあいだ・・・博物館に勤める友達に頼まれ・・・ある家の蔵を訪ねて・・・そこにある資料の一部を解読することになったんだ・・・。そのときに持ってきた資料の・・・一部だよ」

 「あ、このあいだのあれですね?」

 そのとき同行した小島の言葉に、亜矢はうなずいて続けた。

 「これは・・・その当時の主人の日記なのだが・・・そこに、件の部隊のことが書いてあった・・・。それが・・・興味を持ったきっかけだよ・・・」

 そう言って亜矢は、あるページを開いて指さした。

 「ほら・・・昭和20年3月17日・・・ここに、その時の様子が詳しく書いてある・・・」

 一同はおしくらまんじゅうのようになってそのページを凝視した。古い文体で読みづらかったが、なるほど、たしかにそんなことが書いてあるようだった。

 「でも、どうしてその人がそんなことをこの日記に? どんな人だったんですか?」

 ひかるの疑問に、亜矢はうなずいて答えた。

 「それは・・・当時この人が、実際にその作業に携わったからだよ・・・」

 亜矢の言葉に、圭介達は驚いた。

 「作業に携わったって・・・」

 亜矢はかばんからさらに別のものを取り出した。顔写真と経歴らしきものの載った書類である。

 「呑村幸吉。当時はまだ彼の父親が呑村家の当主ではあったけれど、彼はその長男だった。厳格な父の薦めで、彼は陸軍兵学校に入って士官となり、のちに帝都に駐留する一部隊の指揮官となった・・・。そして・・・彼は昭和20年3月14日・・・大本営からある部隊の任務に協力するよう・・・命令を下された。その部隊こそ・・・陸軍301部隊。関東軍に属する部隊だった・・・」

 「関東軍って・・・なんですか?」

 ひかるが首を傾げて言うと、仁木がそれに答えた。

 「昔の満州・・・中国とソ連の国境近い、中国東北部に駐留していた大日本帝国の方面軍の通称よ」

 「じゃあその部隊は、中国から日本に戻ってきたんですね?」

 亜矢はうなずいた。

 「昭和20年ともなると・・・大陸でも南方でも・・・日本の敗北は決定的なものになっていったからね・・・。関東軍も、徐々に撤退せざるをえなかった・・・。301部隊も・・・そうして日本へ戻ってきたのだろう」

 亜矢は日記に目を戻した。

 「そして、問題の任務では・・・大尉であった彼の仕事は・・・自分の部隊を使って祠の内部を調査し・・・その報告をまとめ・・・鍾乳洞の中の構造図を作ることだった・・・」

 「鍾乳洞の中の見取り図を作るって・・・そんなことが必要って事は、つまり・・・」

 小島が興奮気味に言うと、亜矢は微笑を浮かべた。

 「そう・・・。何かを「隠す」ために・・・必要だったんだよ・・・」

 亜矢の言葉に、全員が少なからず興奮を覚えた。

 「そ、それで!? 肝心の、何を隠したのか、それは書いてないわけ!?」

 聡美が身を乗り出して尋ねる。が、亜矢は残念そうに首を振った。

 「肝心のそれがなんなのか・・・実際に知っていたのは、301部隊の最高責任者である鮫島中佐・・・それに、彼に命令を下した大本営だけのようだ。「それ」がしまわれた箱には厳重に鍵がかけられ・・・呑村大尉も含め、実際に作業に携わった兵士達すら・・・その正体を知ることは、かなわなかったらしい・・・」

 「でも・・・その何かがしまわれた箱とかから、どんなものが入ってたか、だいたいの見当はつかないんですか?」

 「箱の大きさや重さから考えれば・・・それほど大きいものではなかったらしい。少なくとも・・・新型爆弾などではなさそうだね・・・」

 「なんなんだろうな? やっぱり、金塊とか、宝石とか・・・」

 「財宝とは限らないよ? 日本軍が隠したとしたら、もしかしたら日本軍の新兵器とかかもしれない」

 「新兵器? どんなのです?」

 「そうだなぁ・・・たとえば、ドリル戦艦の設計図とか鉄人の設計図とか、自省回路をもった戦闘アンドロイドとか・・・」

 「なんですか? それ?」

 「マンガの見過ぎよ・・・」

 と、日記を読んでいた亜矢は、そこで再び口を開いた。

 「私の調べたことなのだが・・・そこには、301部隊の特殊性が関わっているようだ・・・」

 「特殊性?」

 亜矢はうなずき、再び別の資料を取り出した。

 「陸軍301部隊・・・。それは、関東軍には所属していたが・・・彼らの敵である中国共産党の軍隊と戦うような前線部隊ではなく・・・ある特殊な任務を行うのが仕事だった」

 「特殊な任務?」

 「彼らの仕事は、戦うことではなく・・・他の部隊が戦って、占領した後のことだった。彼らの仕事は・・・占領地の市民や建物から、金や宝石、あるいは美術品といったものを「徴収」すること・・・つまり、「略奪」がその任務だったんだよ」

 その言葉に、圭介達は驚いた。

 「つまり、「強盗部隊」ってことですか」

 「ひどいです・・・」

 圭介とひかるが顔をしかめる。

 「・・・戦争という行為そのものの目的が、相手の国の領地を略奪するものよ。戦争は、国家による略奪行為と言い換えることができるわ。およそ戦争をやったことのある国ならば、それに例外はないでしょうけど・・・かつては私達の国もそういうことに加担していたのだから、反省しなければならない行為ね・・・」

 仁木もまた、表情を険しくした。それにうなずき、亜矢は続けた。

 「301部隊がそういった任務を行う部隊であったなら・・・当然、そういった行為で手に入れた物資を管理する仕事も行っていたはず・・・。そう考えるならば・・・祠に隠されたものの正体についても・・・少しは推測ができないでしょうか?」

 亜矢がそう言うと、それまで黙っていた小隈が口を開いた。

 「・・・中国で没収した金や宝石、その他美術品等価値あるもの・・・か?」

 「大陸での敗色が濃厚になってきたので、それまでに没収した物資を本国に引き揚げることにした・・・というわけ?」

 仁木が続けてそう言ったので、亜矢はうなずいた。

 「でも・・・それならなぜ鍾乳洞に? 保管するだけなら、東京でも十分なんじゃ・・・」

 だが、亜矢は小島のその質問を予想していたように答えた。

 「問題の作業が行われた日のちょうど一週間前・・・何が起こったと思う?」

 「え・・・? 一週間前っていうと、3月10日ですよね・・・?」

 圭介達が考え込む。すると、仁木が静かに言った。

 「・・・東京大空襲ね」

 その言葉に亜矢はうなずき、圭介達はハッとした。

 「その日の一週間前・・・東京上空に344機のB29の大編隊が飛来し・・・100万発もの爆弾を落としていった・・・。犠牲者は、10万人以上に及んだそうだよ・・・」

 亜矢の声も、犠牲者を悼むかのように沈んだものとなる。

 「・・・問題の物資が貴重なものだとするなら・・・日に日に空襲が本格化していく首都には置いておけない・・・。そんな思惑で・・・その物資も学童疎開と同じように・・・首都を離れた場所に疎開されることになったんじゃないかな・・・」

 「だからって、鍾乳洞なんですか?」

 「あれほど極秘で隠した物資だからね・・・。相当重要な物だと見て・・・間違いないだろう。保管するにしても・・・可能な限り人目につかない場所に隠す必要がある・・・」

 「その点、祟りを恐れて地元の人間が近寄らない洞窟ってのは、たしかに理想的かもしれないな。それに、鍾乳洞の奥は天然の冷蔵庫みたいなもんだ。件の物資がもしも美術品だったとしたら・・・そういう条件も加えて、一石二鳥・・・か」

 小隈が天井を見上げながらつぶやいた。しばらく沈黙が続いたが、やがて、圭介が口を開いた。

 「それで・・・? その物資のその後については、なにか書かれていないんですか?」

 「この日記には・・・それについて詳しいことは書かれていない。任務を終えるとすぐに・・・301部隊は彼の部隊とは別に、東京へと戻っていったらしい。その後のことはわからず・・・それからおよそ半年後、終戦となった・・・」

 亜矢は日記を閉じた。

 「私が調べたところによると・・・最高責任者である鮫島中佐をはじめ・・・301部隊の重要人物は皆・・・終戦のその日に、自決を遂げたらしい・・・。それを見つける以外の、問題の物資の正体を知る術は・・・永久に失われたんだ・・・」

 その場が重い沈黙に包まれる。やがて、仁木が口を開いた。

 「たしかに、信憑性はかなり高い話のようね・・・」

 その言葉に、小島と聡美が顔を向けた。

 「副隊長、財宝伝説なんて信じないんじゃなかったんですか?」

 「信憑性は高い、と言っただけよ」

 意外と負けず嫌いなのか、仁木はそう言ってそっぽを向いた。

 「でも残念だなぁ。あの山に財宝が埋まってるかもしれないってのに、その隠し場所を知る手がかりがないだなんて」

 「そうですね。せめて、その時の地図でも残ってれば・・・」

 「宝の地図かぁ・・・。でもなぁ、そんなもの、とっくに処分されちゃってるだろうし・・・」

 ため息をつく聡美、ひかる、圭介。と・・・

 パサッ・・・

 彼らの目の前に、一枚の細長い紙が広げられた。

 「・・・?」

 一瞬、それが何かはわからなかったが・・・彼らはすぐに、目を丸くして叫んだ。

 「・・・ぁぁああああああああああああーーーーーーーー!!?」

 そして・・・全員の視線が亜矢に注がれると、亜矢は楽しくて仕方がないというような表情で、笑いをかみ殺していた。

 「そう・・・宝の地図は・・・ここにある・・・」

 彼女の言葉通り・・・広げられたその紙には、ギザギザとした複雑な曲線がいくつも描かれていた。そして、その最も奥と思われる場所に・・・朱色で「×」と書かれていたのだ。

 「おそらく・・・極秘任務とはいえほとんど詳細を語らず、自分や部下達を高慢に扱った301部隊に・・・頭にきたのだろうね・・・。301部隊に渡したものとは別に・・・もう一枚、「宝の地図」を用意しておいたんだ・・・。戦争が終わって、ゴタゴタが一段落したら・・・自分達の手で掘り起こすために・・・」

 「でも、これがここにあるってことは・・・」

 「・・・呑村大尉は戦後は父と同じく市議会議員となったけれど・・・昭和26年・・・肺結核のために亡くなっている・・・。そしてそのまま・・・この地図はあの蔵の中で、眠り続けていたんだよ・・・」

 が、亜矢が最後までしゃべり終わる前に、小島が興奮に満ちた叫びを上げた。

 「すごいお手柄ですよ亜矢さぁん!!」

 「これで財宝はあたしたちのもの!!」

 小島と聡美は肩を組みながら、部屋の中を踊り始めた。

 「すごいぞひかる。本物の宝の地図だよ・・・」

 「わくわくしますね・・・」

 二人ほどではないが、圭介とひかるもまた、子どものような表情で宝の地図を見つめた。が、そんな彼らに仁木が言った。

 「あなた達・・・まさか、探す気?」

 その言葉に、小島と聡美は踊りをやめて言い放った。

 「探す気かですって!? つまんないこと聞かないで下さいよ、副隊長!!」

 「あの山に財宝が眠っている!! そして、その在処を示した地図は俺達の手の中に!! これはもう、神様が俺達に財宝を見つけろって言ってるようなもんじゃないですか!!」

 その言葉に、仁木は頭を抱えた。

 「あのね・・・おそらくあの山は、国有地よ。見つけたところで、私達のものになるわけじゃないんだから」

 「それでも拾得物扱いなら、1割はもらえるんですよ? 10億だったら1億だ!!」

 「それに、こういうものは早い者勝ちですよ!! お前の物は俺の物、俺の物は俺の物っていう精神です!!」

 「そんな無茶な理屈通らないわよ。財宝の正体が、もし中国の人達の金や美術品だったりしたら、当然中国に返すことになるわ。だいたい、どうやって洞窟の奥まで進んで探すつもり? まさか、VJを・・・」

 「せっかくVJを持ってきてるのに、それを使わない手なんてないじゃないですか! これも神の思し召しですよ!」

 「公組織ではないけど、私達の活動には市民のお金も使われているのよ? 仕事以外の目的でVJを運用するなんて・・・」

 「かつて戦争のために失われた人類全ての財産・・・それを見つけようってんですよ? VJを運用するに値する、崇高なる目的じゃありませんか!」

 論理的に話す仁木と、それに対して立て板に水という様子で屁理屈を並べ対抗する小島と聡美。それをしりめに、圭介は亜矢に尋ねた。

 「亜矢さんはどうなんです? 探すことに・・・」

 「ここまで来た以上は・・・探してみたいと思うのが人情だろう? もっとも私は・・・隠された物資の値打ちなどより・・・その正体そのものに興味があるのだけどね・・・。謎があれば・・・暴きたくなる。科学者というのは・・・そういう人種だよ。君やひかる君こそ・・・どうなんだい?」

 亜矢に尋ねられ、二人は照れ笑いを浮かべた。

 「実は・・・俺も見つけてみたいです。子どもの頃に読んだスチーブンソンとかジュール・ベルヌとか、そういうのが意識に刷り込まれちゃって・・・。埋まっている宝を掘り出すのは、男だったら誰もが一度は夢見ることじゃないですか」

 「私も・・・今までいろいろな体験をしてきましたけど、宝物を見つけられるかもしれないっていうのは、きっとこれを逃がしたら二度とないような気がして・・・」

 亜矢はその言葉に微笑を浮かべた。仁木達の問答がまだ続く中、圭介達は小隈を見た。

 「隊長はどうなんです? 探すことについては・・・」

 「そりゃあ、お前らの言うことはわかるけどさ・・・」

 小隈は煙草に火をつけた。

 「なんか忘れてないか?」

 「なにかって?」

 「だからさ・・・」

 小隈はタバコを吸うと、口から細く煙を吐き出した。

 「もしあの祠に宝があるとしたら・・・もう遅いんじゃないかな? たぶん、だいぶ奥まで進んじゃってるよ? 午前中に出発した、東都大学地質学部のみなさん」

 その言葉に、小島と聡美も屁理屈をやめてハッとした。が・・・

 「隊長!! すぐにあたし達も出ましょう!!」

 「ここまで来て、何も知らない連中に先を越されちゃたまりません!!」

 「おいおい・・・」

 詰め寄ってくる小島と聡美に、小隈は身を引きながら呆れ顔をした。と・・・

 「あのぉ・・・小隈さん」

 いつのまにか、女部屋の入り口に玉本が立っていた。

 「おとりこみ中でしたか?」

 「あ、すいません。いえ、こっちのことで。ところで、なにか?」

 「電話が入っているんですが。山岳救助隊の、菅原隊長さんという方からなんですが」

 玉本は片手に受話器を持ったまま、小隈にそう告げた。

 「あぁ、菅原さんですか。なんだろな・・・すいません、代わって下さい」

 「どうぞ」

 玉本は受話器を小隈に渡すと、部屋から去っていった。メンバーもひとまずは、静粛になる。そんな中、小隈は受話器をとった。

 「はい代わりました、小隈です。どうも、菅原さん。なにか・・・?」

 と、小隈の眉が少し動いた。

 「・・・えぇ? ほんとですか、それは・・・。はい・・・はい。わかりました。え? ええ、わかってます。ご心配なく。すぐに向かいますので、それじゃ・・・」

 そう言って、小隈は電話を切った。

 「隊長、なにかあったのですか?」

 「こんなときにぃ!!」

 冷静に尋ねる仁木と、ひどく悔しがる小島と聡美。

 「まいったね、どうも・・・」

 だが、小隈は呆れたような表情で頭をかいた。





 ・・・もしもこのとき、その電話が入らなければ・・・やはり今回の事件は、そこで終わっていたであろう。だが・・・時に運命は、途中下車を許さない。そしてまた、その電話こそが、私たちを結末へと導く最後の偶然となったのである・・・。





 目の前の岩肌にポッカリと開いている、大きな穴。そこには、いまや風雨でボロボロになったしめ縄が、幽霊の如く引っかかっていた。

 「まさか、現場がこことはなぁ・・・」

 圭介はそう言って、頭をかいた。そう。山岳救助隊の菅原の要請で彼らが駆けつけた現場とは、牛首山の中腹にある、あの白神様の祠だったのだ。

 「こいつはいよいよ、俺達に運が回ってきたってことだよな!!」

 「うんうん!! それ以外に考えられないよ!! 目の前にダンジョン! その奥に財宝! 何から何まで、ぜ〜んぶそろったシチュエーションじゃない!!」

 小島と聡美は意気を上げながらそう言うと、仁木に振り返った。

 「どうです、副隊長? これでもまだ探すべきじゃないと?」

 その言葉に、仁木は小さく「クッ」とうなったが、やがて苦笑いして答えた。

 「・・・負けたわ。たしかにこうなったら、探すしか道はないようね・・・」

 その言葉に、二人は「やりぃ」と言ってパンとハイタッチした。

 「亜矢さんが手に入れた日記に、その財宝についての記述と宝の地図があった・・・。この大戸村が慰安旅行の旅行先に選ばれた・・・。そして・・・私達がこの祠に入らなければならないような事態が発生した・・・。どれも紛れもなく、偶然起こった出来事だわ。私は、偶然が重なることは二回までは信じることにしているけれど・・・それを超えたら、なんらかの作為の結果か、あまり使いたい言葉ではないけど・・・運命と呼ばれるものの仕業のどちらかだと、信じなければならないわね」

 彼女なりの合理的考え方から、彼女はそういう結論に達したらしい。しかし・・・

 「でも、忘れないでほしいわ」

 仁木がそう言ったので、全員彼女を見た。

 「私達がこの祠に入らなければならないのは、すでに調査のために入った大学の研究チームからの連絡が途絶え、彼らを捜索・救助する必要があるからよ。宝探しは全ての学生を救助してから。それだけは、絶対に忘れないように」

 彼らがここへ来た理由は、彼女の言ったとおりだった。西岡助教授率いる東都大学の研究チームはあの騒ぎの後、予定通りこの祠へと到着。装備を調え、地上との交信班を残して西岡助教授自らが学生達を率いてこの祠の中に入った。事前に洞窟の中にコックサーチを放ち、洞窟の中の正確な見取り図を作った上での調査であるため、不測の事態でも起こらない限り、道に迷ったりするはずもなかった。

 だが・・・帰還予定の3時間を過ぎても、彼らは戻らなかった。さらに5時間、6時間が経過したが、彼らは戻らない。洞窟の中であるため電波式の通信装置は用をなさず、地上班は調査班に何か起こったと判断し、山岳救助隊に救援を要請、そしてその菅原隊長が、旅館に泊まっていた第1小隊にも協力を仰いだのだった。

 「わかってますよ。人命と財宝とどっちが重いかぐらいは、あえて訊くまでもないでしょう?」

 圭介がそう言ったので、ひかるや小島達もうなずいた。それを見て、仁木もうなずく。

 「ありがとう。その良心を確かめたかったのよ」

 すると、その時山岳救助隊の指揮車から小隈が戻ってきた。

 「よし、全員指揮車に戻れ。ミーティング始めるぞ」





 「これが、洞窟の見取り図だ」

 小隈がそう言うと同時に、モニターに洞窟の見取り図が映し出される。言うまでもなく、最新版だ。

 「見てのとおり、この洞窟はかなり複雑に木の枝のように道が分かれている。が・・・こうして見ると、その構造は入り口から続く広い道が途中で3本に分かれ、それを基本としていくつもの道が伸び、ところどころで別の道とつながっている・・・という感じだ」

 「ややこしい道ですね」

 仁木、圭介と同じく、VJを装着し終えた小島が言う。

 「調査の事前の予定では、調査班もこの道筋に従い途中で三つに分かれ、それぞれの道の先を調査することになっていた。だから我々も、そういう方法で調査する」

 「じゃあ、俺達も一人ずつ分かれて探すってことですか・・・?」

 圭介がいくぶん不安げな様子で尋ねる。だが、小隈は首を振った。

 「いや。第1小隊はいつもどおり、3人で行動する。普段一緒に行動しているチームをばらすのはよくない」

 「じゃあ、分かれて行動するっていうのは・・・」

 「山岳救助隊にはミーシャ改を装備した隊員3人で一つの小隊が二つ存在する。洞窟の左側の道は曽根崎小隊長の小隊が、右側の道は安住小隊長の小隊が、それぞれ捜索を担当する。俺達の担当は・・・最も広い、真ん中の道だ」

 モニターにそれぞれの小隊が担当する道が色分けして表示され、真ん中の道が点滅した。

 「この道を、俺達は担当する。調査隊が持っている物で頼りになるのは、それぞれバックパックに入れていたビーコンの出す発信電波だけだ。各自、センサーの検知するものに最大限の注意を払いながら進め。以上だ。出動しろ」

 「第1小隊、出動します!!」

 3体のVJは一斉に立ち上がると指揮車から降り、洞窟の入り口へと歩いていった。そこにはすでに、山岳救助隊のミーシャ改部隊も勢揃いしていた。

 「SMS第1小隊です、お待たせしました」

 仁木達はそう言って、敬礼をした。山岳救助隊もそれに返礼を返す。

 「こちらこそ。中央道の捜索、よろしくお願いします」

 「了解しています。全力で捜索を行いますので、よろしく」

 「それでは・・・捜索開始します!」

 そして、彼らは伝説の祠の中へと、足を踏み入れた・・・。





 「うひゃ〜・・・まるで大聖堂(カテドラル)だな、こりゃ・・・」

 小島が頭上からまるでつららのように垂れ下がる無数の見事な鍾乳石を見ながら、感嘆の声を上げた。

 途中の道で山岳救助隊と三手に分かれ、第1小隊のみで進みはじめてから、5分と少し経過した。狭い道を抜けていきなり目の前に広がったホールのような場所の見事な光景に、第1小隊は思わず足を止めて見入った。

 「見事な鍾乳石と石筍ですね」

 「さながら水と時が作り上げた、壮麗な自然の宮殿ね。私には財宝よりも、こんな場所を見ることができたことの方がうれしいけど・・・」

 「まぁまぁ、そう言わずに。早く仕事を終わらせて、まだ見ぬ財宝を発見しちゃいましょう!」

 小島は意気揚々とそう言うと、足を踏み出そうとした。が・・・

 ツルッ!!

 「わわわっ!?」

 突然滑って転びそうになり、慌ててふんばってこらえた。

 「くれぐれも足下には気をつけて下さいよ、小島さん。水に濡れた石灰石の地面は、滑りやすいんですから」

 「わ・・・わかっとるわい!」

 注意する圭介と言い返す小島、そしてかぶりを振る仁木。全員、足下には山岳救助隊の提供してくれたアイゼンをつけているが、それでも慎重に足を進めていた。

 「見とれてばかりもいられないし・・・先に進むわよ」

 仁木がそう言って、足を踏み出そうとしたその時だった。

 ピッ! ピッ!

 「!!」

 唐突に、断続的な電子音が聞こえてきた。それを聞いた仁木はすぐに報告する。

 「こちら仁木! 調査隊のビーコンのものと思われる発信電波をとらえました!」

 「よし。行って確認しろ」

 「了解。いくわよ、小島君、新座君」

 仁木と小島が足を踏み出し、圭介もそれに続こうとする。そのとき・・・

 ザザザ・・・

 「・・・?」

 背後で何か物音を感じ、圭介は立ち止まって後ろを振り返った。だがそこには、ライトに照らし出されるクリーム色の鍾乳石の洞窟しかなく、その光はその先の暗闇に飲み込まれていた。

 「どうしたんですか?」

 圭介が突然振り返ったことで、ひかるは尋ねたが・・・

 「いや・・・気のせいだ、たぶん」

 圭介はそう言うと、すぐに二人のあとを追い始めた。





 「注意して。すぐ近くにいるはずよ」

 デュアルカメラとライトを点灯させ、彼らは捜索を行っていた。

 「誰かいませんかーっ!?」

 圭介が声を張り上げて叫ぶが、その声に応える者はなく、複雑極まりない構造の洞窟に反響し、不気味な反響のしかたをして返ってくるだけであった。

 「おかしいな・・・」

 「反応はすぐ近くなのにな・・・」

 ディスプレイに表示される情報と、ライトの照らす先を交互に見ながら、小島が首を傾げる。すると・・・

 「・・・ちょっと! こっちへ来て!」

 突然仁木の叫びがしたので、二人は彼女のところまで駆けた。そこでは彼女がひざまづき、なにかをライトで照らしていた。

 「調査隊のバックパックだわ・・・」

 それは、放置されたバックパックだった。

 「こっちにもありますよ!」

 周りを見回していた圭介も、同様に放置されたバックパックを見つけた。

 「西岡・・・西岡助教授のものみたいですね」

 バックパックについているタグを見て、小島が言った。だが、肝心の西岡も、もう一つのバックパックの主である学生の姿も、そこにはなかった。3人はしばしその場で沈黙する。

 「・・・こんな洞窟の奥深くで、装備のほとんどが入ったバックパックを放り出すなんて・・・」

 「一体、何があったんでしょう?」

 小島と圭介は仁木を見たが、彼女も何も言わなかった。なぜそうなったか、原因は見当がつかなかった。いや・・・全員の頭にちらりとかすめることはあったが、全員が「まさか」と思い、口には出さなかった。

 「・・・亜矢さん。他のセンサーはカットしてもいいから、私のVJのサーモセンサーの感度を最大限に上げて」

 「了解・・・」

 しばしののち、仁木が発した指示に亜矢は従い、言われたとおりの設定を行った。センサー類が特に強化された仁木のVJが一つのセンサーに力を集中すれば、無数の岩壁に阻まれた洞窟の中でも、かなりの範囲を検索できるだろう。すると・・・

 ピピッ!

 検知範囲ギリギリのポイントで、わずかに赤い反応が光った。

 「・・・とらえた! 亜矢さん、今のポイントをマップに記録して、全員のVJに転送して」

 「了解・・・」

 やがて、全員のディスプレイのマップに、その熱源の位置が表示される。

 「この熱源を目指します。急ぐわよ」

 圭介と小島はうなずきバックパックを拾うと、すぐに彼女と共に問題の熱源を目指して急ぎ始めた。





 彼らがそこに到着したのは、およそ数分後のことであった。

 「誰かいませんかーっ!?」

 「西岡さーんっ!!」

 彼らは大声をあげながら、そこへと入っていった。すると・・・

 「!!」

 ライトに、うずくまる二人の男が照らし出された。

 「西岡さん!!」

 二人の男はライトの明かりに呆然としていたが・・・その声を聞くと同時に、わめき声とも泣き声ともつかないようなわけのわからない叫びをあげて、彼らにぶつかるように駆け寄ってきた。

 「もう大丈夫です。もう大丈夫ですから・・・」

 仁木達は半ばパニック状態にある二人を、努めて落ち着かせた。やがて、二人が落ち着き話ができるような状態になってから、彼らは二人を近くに腰掛けさせ、話を聞くことにした。

 「ご無事でよかったです。発見できて、本当によかった・・・」

 圭介が安堵のため息を漏らしながらそう言う。装備を投げ出しているので着の身着のままといった感じだが、外傷もなく、とりあえず二人とも、元気そうではあった。

 「しかし・・・何があったんですか?」

 「途中でお二人のバックパックを拾いましたが・・・」

 が、話がそこに及ぶと、再び二人は恐怖に顔を引きつらせた。

 「私達にも・・・何が何やら・・・」

 やがて、西岡はポツリポツリと話し始めた。

 「私達があの場所にさしかかったとき・・・突然向こうの穴から、真っ赤に輝く目が・・・」

 「目・・・?」

 その言葉に、3人は顔を見合わせた。

 「よくはわかりませんでした。でも・・・目としか思えないんです。ところが・・・よく正体を見定める前に、それは・・・私達に、襲いかかってきたんです!!」

 西岡と一緒にいた学生は、そのときのことを思い出したのか、頭を抱えて小さく悲鳴を挙げた。よほど恐ろしい目にあったらしい。

 「装備を振り捨て、わけもわからず逃げだし・・・気がついたらここへ・・・。今の場所もわからず、途方に暮れていたところに、みなさんが・・・」

 「・・・わかりました。もう大丈夫です。ご安心下さい。ところで、お二人の他に学生さんは・・・?」

 もう一度安心するよう呼びかけ、仁木は気になることを尋ねた。その言葉に、西岡はうなずく。

 「もう一人、原口君という院生が一緒にいたのですが・・・。あのときに、私達とは別な方向に逃げたため、どこへ行ったのか・・・。お願いです、彼も見つけて下さい!」

 仁木はうなずいた。

 「もちろんです。しかしその前に、皆さんを洞窟の外へお連れしなければ・・・」

 仁木はそう言うと、通信回線を開いた。

 「SMS第1小隊より曽根崎小隊、安住小隊へ。遭難者2名を発見。外傷その他はなく、いたって健康です。これより地上にお送りします」

 「曽根崎小隊、了解。こちらも捜索を続けます」

 だが、続く安住小隊からは、思いも寄らぬ報告が返ってきた。

 「こちら安住小隊。こちらもたった今、遭難者3名を発見いたしました」

 続く報告では、その中には原口という学生も含まれていることがわかり、西岡らはほっとした。さらに・・・

 「どうやら、そちらと我々の部隊の距離は近いようです。一旦合流しましょう」

 どうやら、奥へ奥へと進むうちに、いつのまにか第1小隊と安住小隊の距離は近づいていた。しかも、それぞれの部隊のいる場所は、細くはあるが一本の道でつながっていた。

 「了解しました。一旦合流しましょう」





 こうしてまもなく、二つの小隊は合流し、別れ別れになっていた学生達は再会を喜んだ。が、幸運なことはさらに続いた。合流のまさにその途中、曽根崎小隊も洞窟の中をさまよっていた二人の学生を保護したことを報告してきた。これにより、行方不明となっていた七名の調査班は全員、無事に発見された。

 「これで、任務完了ですね。地上に戻りましょう」

 安住小隊長はそう言った。だが、仁木は言った。

 「はい。ですが・・・」

 「なにか?」

 「・・・なぜこのようなことが起こったのか、我々としてはそれが気になります。可能ならば、我々はそれを調査してから地上へ戻りたいのですが・・・」

 仁木のその言葉に、圭介と小島は顔を見合わせた。

 「たしかにそれは気になりますが・・・よろしいのですか?」

 「はい。もちろん、皆さんはこの方々の救助が任務ですので、ここで任務完了としていただいて結構です。原因究明は、私達がやりますので。その代わり、この方達を安全に地上へと送り届けることを、お願いします」

 安住は考えていたが、やがてうなずいた。

 「・・・了解しました。我々と同様、皆さんには皆さんの得意とする仕事があるでしょうから。どうぞ、お気をつけて」

 「感謝します」

 安住は仁木と敬礼を交わすと、それではお先にと言ってもと来た道を戻り始めた。やがて、暗闇に包まれた洞窟には、第1小隊のみが残された。

 「副隊長も、なかなかやるじゃないですか」

 「たしかにそういう名目なら、思う存分この洞窟の中を調べられますしね」

 ニヤニヤしながらそう言う小島と、感心したように言う圭介。だが、仁木は目を閉じて言った。

 「・・・原因が気になるのは本当よ。私達としては、そこまで調査する必要があるわ」

 「そうですよね。こういう洞窟の調査は何度もしてる人達みたいですけど、どうしてこんなことになったのか・・・気になります」

 ひかるもその意見には同意する。

 「それに、私達がこれからやろうとしていることは、本来ならば任務外の行動。何が起こったとしても、それは全て私達が責任をとらなければならない。山岳救助隊の人達を巻き込むわけにはいかないわ」

 「なるほど。それもそうですね」

 圭介はうなずいた。そこで、小隈が口を開く。

 「さて・・・始めたくてウズウズしてる奴もいるようだから、始めよっか。桐生、「宝の地図」を出せ」

 「了解・・・」

 全員のマップに、新たな赤い点が表示される。先ほどまでの遭難者を捜すためのマップは、こうして「宝の地図」に早変わりした。

 「ここまで進んできましたが・・・まだもうしばらく・・・進む必要があるようですね」

 「よし。それでは・・・土地神の伝説の残る洞窟に眠る、失われし財宝を求め・・・トレジャーハンティング、状況を開始せよ!」

 「オオーーーーーッ!!」

 さりげなく盛り上げるようなニュアンスのある小隈の号令のもと、洞窟と地上の指揮車の中に、力強くときの声があがった・・・。





 それから数十分後・・・。

 「まだつかないのかよ・・・。ほんとに洞窟のどん詰まりに隠したんだな。任務とはいえ、よくもまぁこんなところまで・・・」

 細い道を歩きながら、小島がうんざりしたような声を出した。まもなくあれから一時間になろうとしているが、洞窟は想像以上に長く深いため、まだ目的地にはついていない。時に濡れた岩の斜面をよじ登り、時に流れる地下水に腰までつかりながら、彼らは前進を続けていた。

 「価値あるものを手に入れるためには、それなりの苦労はつきものよ。歩くぐらい、苦労のうちに入らないと思いなさい」

 平然とそう言う仁木。

 「それに、ここまで歩いてきたおかげで、残りはもう少しですよ」

 「宝の地図」に表示される現在位置と目的地との距離を確認して、圭介が機嫌良くそう言った。その言葉に、小島も気力を取り戻す。

 「よーっし! 待ってろよお宝! すぐに行くからな! ワッハハハハハ!!」

 小島の無駄な高笑いが、洞窟の闇にこだまする。と、その時聡美が言った。

 「ねぇねぇ。もし隠されてるのがホントに値打ちのあるお宝で、さらにその一部があたしたちのものになるとしたら、みんな何する? あたしはとりあえず、欲しいスポーツ用品はみんな買い占めだね。そのあと、ヨーロッパや南米にサッカー観戦旅行〜♪」

 その言葉に、メンバーはそれぞれ妄想を膨らませる。

 「俺は欲しい楽器と好きなアーティストのアルバム全部ゲット。当然、LPレコードも。さらにアメリカやヨーロッパのロックコンサートツアー巡りでキマリだな」

 「俺は、できればファルコンのエンジンをもっとパワーのあるやつに買い換えたいですね。それも、できれば最高時速250kmまで狙える、タチバナモータース製のサイクロン250とか・・・」

 「私は、植物園にスプリンクラーをつけたいです。そうすれば、だいぶお花の世話が楽になると思いますから」

 「財宝の値打ちよりも・・・正体の方に興味があるけど・・・。まだ手元にない魔導書が・・・いくつかあるから・・・。「ラジエルの書」、「エクノ書」、「アルベルツス」・・・それに、「グリモリウム・ウェルム」・・・」

 「俺はとりあえず、ゴルフクラブ新調しようかなぁ。このあいだいいの見つけたし・・・」

 「隊長まで・・・。捕らぬ狸の皮算用じゃない」

 「そう言う副隊長は、何が欲しいんです?」

 仁木はうっとうなったが、

 「ジャック・フットレルの全集・・・一つだけ揃えていないのがあるわ・・・」

 やがて、小さくそう言った。

 そうこうしているうちに急に目の前が開け、彼らがたどり着いたのは、広い空間だった。東京ドーム、とまではいかないが、大きな体育館ぐらいの広さはあるドーム状の空間が広がっていた。

 「広いところに出ましたね」

 圭介がつぶやき、位置を確認する。どうやら、宝の隠されている場所は、この空間の向こうらしい。圭介が前を見据えると、そこにはトンネルほどの大きさの穴がポッカリと開いていた。

 「どうやら、あの穴の向こうにお宝があるみたいですよ」

 「ヒャッホー!! ついに俺達はたどり着いたんだ!!」

 小島がそう言って先を歩き出し、圭介と仁木がそれに続く。全員の高揚感が、いよいよピークに達しようとしていた。

 「いやぁ、それなりに難儀したけど、宝探しとしちゃ思ったより楽だったな。ゲームとか小説とか、そういうのだと宝を守るモンスターとかボスキャラとかが絶対いるんだけど」

 小島がそんなことをのんきに言いながら歩いていた、そのときだった。

 ザザザ・・・

 「・・・!?」

 突然、妙な物音を聞きつけて小島が立ち止まり、それにつられて後ろの二人も立ち止まる。

 「なぁ・・・今、変な音が聞こえなかったか?」

 小島は振り返ってそう言った。だが・・・

 「・・・」

 圭介と仁木は、硬直したまま何も答えなかった。

 「お、おい、どうしたんだよ・・・?」

 すると、圭介がゆっくりと指を小島の後ろに向け、小さな声で言った。

 「こ、小島さん、うしろ・・・」

 嫌な予感がしながらも、小島がうしろを振り返ると・・・

 彼の背後にある穴に、らんらんと輝く赤い光が四つ、音もなく浮かんでいた。

 「!!」

 小島が声にならない声をあげ、思わず後ずさると・・・

 シャアアアアアア・・・

 シャワーのような音をたてながら、「それ」は姿を現した。肉眼ならばその赤い光しかわからないだろうが、高性能なデュアルカメラには、徐々に穴の向こうから姿を現すその姿をつぶさに見ることができた。

 まず出てきたのは、頭だった。それだけで圭介達の背丈ほどはある。頭頂部には二本の触覚が生え、その下にはつり上がった巨大な複眼が。それが、赤い光の正体であった。さらにその下には、両端に左右に開閉する鋭い牙を持った、大きな口・・・。そんなパーツのついた頭が、なんと二つも穴の向こうから姿を現した。その頭には、蛇腹状のうろこに覆われた長い体が続く。日光のない洞窟の奥深くで生きているためか、真っ赤な両眼以外は、全身が真っ白であった。その両脇には、ワサワサと動く気味の悪い側足が無数に生え、絶えず動いていた。

 頭が二つあるのだから、これはそれぞれ別個の個体であるはずだ。彼らにとって、それは暗黙の了解だった。だが、さらに穴の向こうから出てきた体は、それを裏切るさらに非常識なものである。二つの頭から続く体は、その先で、さらに大きな一つの体につながっていたのである。正確に言えば、一つの体から、二つの頭が伸びているのだ。

 「双頭の白い大ムカデ」・・・それが、その生き物を現すのにもっともふさわしい言葉だった。

 「ひかる・・・見えてるか?」

 「はい・・・見てます」

 呆然とした様子で、圭介はひかると言葉を交わした。

 「なんだと思う? こいつ・・・」

 「ムカデ・・・ですね。白くて、すごく大きな・・・。もしかして・・・!」

 その言葉の先は、小隈が継いだ。

 「白神様・・・か」

 それは、全員の頭に浮かんでいた言葉だった。

 「西洋の伝説では・・・財宝や黄金には・・・それを守るドラゴンや巨人、その他の怪物は・・・つきものだからね」

 そんな亜矢の言葉を裏付けるように・・・

 キシャアアアアアアアア!!

 蛇のような音を出し、大ムカデは二つの頭を突き出して引っ込めた。威嚇しているようである。

 「・・・言い伝え通り、あんまり友好的な神様じゃないみたいですね・・・」

 が、小隈の言葉でかえって彼らは冷静になることができた。まず、圭介が真空砲とマルチリボルバーを装備する。

 「だから、昔からの言い伝えやいましめはバカにしてはいけないのね・・・」

 少しうんざりした口調ながらも、仁木がヨイチを取り出して弾を装填した。

 「ダンジョンがあって、その奥にお宝があって・・・ついでに、それを守るモンスターまでいる。これじゃまるっきりRPGの世界ですよ・・・」

 小島もまたぼやきながら、オルムを取り出し薬品カプセルを装填した。フル武装となった第1小隊が、大ムカデと対峙する。

 「でも・・・神様なんかと戦って、大丈夫なんでしょうか?」

 「そうだね・・・「神殺し」って奴でしょ、これ?」

 その様子を見ながら、ひかると聡美が怪訝そうな顔をする。だが・・・

 「あれが敬うべき神様に見えるか? それにな! 供え物をしないと悪さをするような神様は、退治しちまった方がいいんだよ!」

 「それに・・・あれは神様などではないよ・・・。神聖さや魔力など・・・微塵も感じられないからね・・・。ただの・・・巨大なムカデだ・・・」

 小島と亜矢がそう言う。最後に、小隈が言った。

 「息の根まで止めなくていい。撃退しろ」

 「了解。あんなものを殺せるかどうか、私達にも自信はありませんから・・・」

 「あの・・・鍾乳石を傷つけるのは法律で禁じられてるはずですから・・・」

 「ああ、わかってる。できるだけ周囲に被害が及ばないように極力なんとかするけど・・・」

 「悪いけどひかるちゃん、そういうのはあの神様に言ってくれないか?」

 一斉にそれぞれの武器を大ムカデに向ける3人。だが、先手を打ったのは向こうの方だった。

 ジャッ!!

 「!?」

 ベシャッ!!

 突然、大ムカデの片方の頭が何かを吐き出した。突然かつ予想外の攻撃に小島は対応できず、とっさにかばった右腕とヘルメットの一部に、それがかかる。

 「小島さん!!」

 すぐに駆け寄った圭介は驚いた。

 ジュウウウウウ・・・

 右腕とヘルメットの装甲に付着したタールのような黒い液体が、そんな音をたてながら白い煙をあげていたからである。

 「くそっ、なんだこりゃ!?」

 「新座君、すぐに処置を! 私が注意を引きつけるわ!!」

 「了解! 小島さん、こっちへ!!」

 小島を引きずるようにして、圭介は彼を近くの岩陰につれていった。

 「マルチブラスター、放水開始!!」

 ブシャアアアアアアア!!

 マルチブラスターから勢いよく噴射された水が、装甲についた黒い液体を吹き飛ばしていく。やがて、それは完了した。

 「と・・・とれたか?」

 「はい。でも・・・」

 液体の付着した部分の装甲は、ただれたようになっていた。

 「・・・溶解液ですね。注意しないと」

 「悪役の武器だな・・・」

 二人はうなずくと、すぐに岩陰から飛び出して仁木の支援に向かった。

 「ターゲット・ロック・・・」

 大ムカデが吐きかけてくる溶解液をかわしながらも、仁木は岩陰に隠れ、ヨイチの狙いを左の頭の眉間に定めた。

 「発射!」

 音もなく高速のライフル弾が発射される。しかし・・・

 キンッ!

 なんと、銃弾は乾いた音をたてて弾かれた。

 「!? なんて固い皮膚・・・!」

 その直後、大ムカデが溶解液を吐き彼女の隠れていた岩に命中した。すぐにその岩から離れる仁木。

 「真空砲、Gモード! 発射!!」

 ガガガガガガガガガガガガガガ!!

 圭介がガトリングモードの真空砲を発射する。しかし、大ムカデの固い皮膚はそれをも通すことはなかった。

 「こうなったら焼き殺してやるぜ!! くらえ! 鎌倉ザンボ・・・」

 オルムを構える小島。だが・・・

 「ストーップ!! 何考えてるんですか小島さん!!」

 「こんなところで使って、私達も一緒に焼き殺す気!?」

 血相を変えて圭介と仁木が止める。

 「そんなこと言ったって、そっちの武器も効かないんじゃ・・・。焼き殺すのがダメなら、氷河期ガンダー君で・・・」

 「却下却下!!」

 「どんな薬でもこんな密閉された空間で使ったら、何が起こるかわからないわ!!」

 そんな彼らをしりめに、形勢有利をみてとったのか、大ムカデはさらに積極的な行動にうってでた。

 ドガッ!!

 「うわっ!?」

 ザザザザザザザザザ!!

 「くっ!!」

 鋭い顎で食らいつこうとし、巨大な体で押しつぶそうとする。巨体の割にはすばやい動きだ。

 「くそっ! こんな奴、どうやって相手にすれば・・・」

 圭介が頭の攻撃をかわしながらうめく。

 「・・・」

 小隈はその様子をジッと見ていたが・・・

 「・・・デカイといってもムカデには違いない。頭そのものには、こっちに大きく分があるはずだ」

 彼はそう言った。

 「そんなこと言ったって、隊長・・・」

 「こんな常識外れの奴に、どんな・・・」

 「怪物退治の英雄ってのはな、みんな頭を使ってやっつけてるんだよ。スサノオノミコトだって、ペルセウスだってな。・・・仁木、新座、よく聞け。まず二つの頭を・・・」

 そして小隈は、彼の考えた戦法を伝授した。仁木と圭介は、その奇想天外さに目を丸くした。

 「・・・ってのはどうだ?」

 「・・・こんな戦い方、聞いたことありませんよ。でも・・・こうなりゃなんでもありですね」

 「時には定石を外すことも定石となりうる・・・ということですか。了解しました、やってみます! 新座君、いくわよ! 小島君、なにかあったらサポートお願い!」

 「了解!」

 そして彼らは、行動に移った。マルチリボルバーで注意を引きながら、仁木が左翼に、圭介が右翼に回る。それを追うように、二つの首もそれぞれ彼らの方向に伸びた。

 「スタート!」

 その言葉を合図に、二人はそれぞれ反対方向へと走りだした。首もそれを追って動く。そして、二人がすれ違うと、同時にムカデの二本の首も交差することになった。

 「圭介君、今です!!」

 「わかってるって!」

 圭介はそう言うと、膝を曲げて一気に跳躍した。そして・・・

 スルッ!!

 首と首と胴体の交差点に出来た三角形のポケットをスルリとくぐり、ムカデの首の下に着地する。

 シャアアアアア!!

 それを追ってムカデの首もよく動き、そのポケットをくぐった。だが・・・

 「かかった!!」

 圭介が力強い声をあげる。

 ギュウウウウッ・・・

 キシャアアアアアアアア!!

 二つの頭が苦しそうな叫びをあげる。そう、ムカデは圭介達の動きを別個に追ううちに、自ら二本の首を玉結びに結んでしまったのである。圭介達は指で糸を結ぶときの糸の動きをイメージしながら、巧みにムカデの首を誘導したのだ。

 「くらえ!!」

 ドドドドドドドドドドド!!

 苦しみのあまりのけぞり、それによって露わになったムカデの腹部に、圭介は真空砲を連続で叩き込んだ。腹部は柔らかいのか、ムカデがさらに叫ぶ。

 「ここなら・・・!」

 仁木がムカデの頭部のある一点を狙い、引き金を引いた。直後、銃弾が一つの頭の片目を撃ち抜く。目を撃ち抜かれた頭はさらに悶絶し、もう片方の頭とぶつかり、混乱に拍車をかけていた。

 「さてと・・・仕上げは俺といきますか!!」

 混乱しているムカデの正面に、小島が立ってオルムを構えた。

 「小島さん!!」

 「だから言っているでしょ!!」

 「実害を伴わないものじゃなきゃいいんでしょ? カラドリウスを甘く見ないで下さいよね」

 小島はそう言うと、新しく薬品カプセルを取り出し、それをオルムに装填する。

 「二人とも、バイザーを下ろして!」

 小島がバイザーを下ろし、二人も言われるがままバイザーを下ろした。その直後、小島は引き金に指をかけた。

 「くらえ! 特殊照明弾・目つぶしザラガス君1号!!」

 ボシュッ!!

 小島が引き金を引き、カプセルが発射される。そして・・・

 カッッッッッッッッッッッ!!

 絡み合った二つの頭の目の前で、それは強烈な閃光を放った。

 キシャアアアアアアアアアアア!!

 これによって混乱の極みに達したのか、大ムカデは激しくのたうち、動き始めた。慌てて3人は離れる。そして・・・

 ザザザザザザザザ・・・

 戦意を失ったように、大ムカデはズルズルともと来た穴へと戻り始めた。

 「逃げるぞ!!」

 慌てて圭介達がそれを追い、穴を抜ける。その直後・・・

 ザッパァァァァァァァン!!

 「!」

 激しい水音とともに、彼らの体に水しぶきがかかった。

 そこはそれまで彼らが戦っていたほどの広さはなかったが、十分広い空間であった。しかし、なにより彼らの目を引いたのは・・・そこを流れる「川」だった。正確に言えば、地下水脈が渓流並の早さで、さらに地下深くまで流れているのだ。そして・・・

 ドドド・・・

 激しい水音とともに大ムカデの白い体が、それが流れる先の闇へと消えていくのが、ほんのわずかだが見え、すぐに消えた。

 「逃げた・・・」

 圭介が呆然とつぶやく。水の流れはかなり激しく、とても追うことはできそうにない。

 「あれで死ぬかな・・・?」

 聡美がポツリとつぶやく。だが、小隈は首を振った。

 「何百年も生きてきたような奴だ。あのぐらいのことじゃくたばらんだろう。それに、ここは奴の家みたいなもんなんだからな。深追いは得策じゃない」

 「放っておいて、大丈夫でしょうか?」

 ひかるが心配そうに言う。だが、小隈はその心配の必要も少ないと思った。

 「これまでだって、表には出ずに伝説の中の存在として恐れられてきたんだからな。いまさら、外へ出て暴れようと考えるとは思えんが・・・」

 「ザラガス君の光に相当まいってましたからね。闇の中で生きてきたから、強い光には弱いんじゃないかっていう読み通りでしたけど・・・あのぶんじゃ、太陽の下へ出てくるのもしんどいでしょう。かなりの色白でしたし」

 冗談交じりに小島が言う。

 「おそらくは、ムカデかそれに似た節足動物の一種が、突然変異を起こしてここの環境に適応していたのね・・・。あんな生き物でも、殺すのは忍びないわ。去る者は追わず。追いたくても、これでは追えないけど・・・」

 仁木がそう言いながら、銃をしまう。と、そこで圭介がハッと気がつく。

 「・・・そうだ! 小島さん、お宝!」

 ムカデとの対決で誰の頭からも飛んでいたことが、再び彼らの頭に戻ってきた。

 「よーし、ここだな! 探せ探せーっ!!」

 そう言って、洞窟の中を走り回り始める圭介と小島。仁木はそれにため息をつきながらも、自分もそれを探し始めた。と・・・

 「もしかして・・・これじゃないかしら?」

 洞窟の隅っこへと歩いていた仁木が、何かを発見した。

 「見つかったんですか!?」

 すぐに二人が殺到してくる。

 「ほら・・・」

 そこには確かに、かなり古びた鉄の箱が置かれていた。

 「おお・・・!」

 「これはまさしく・・・!」

 3人はその近くにかがみ込み、箱を調べ始めた。

 「この紋章・・・!」

 と、圭介が箱に彫り込まれている菊をかたどった紋を見つけた。

 「菊の御紋・・・たしかに、皇族のものでなければ、かつての皇軍のものかもしれないわね・・・」

 仁木もそれを見ながらうなずく。

 「うわぁ〜・・・ホントにあったよ・・・」

 「すごいです・・・。私、まだ信じられません・・・」

 「どうやら・・・事実だったようだね・・・。ホッとした・・・」

 指揮車のメンバー達も、送られてくる映像に見入る。

 「小島さん! 見とれてないで早く開けてよ!!」

 「おお、そうだな!! いよいよご開帳、っと・・・ありゃ?」

 と、箱を見て小島が素っ頓狂な声をあげた。

 「どうしたの?」

 「この箱・・・鍵がないぞ! フタは全部、ボルトで固定されてる!」

 「ええーーーっ!?」

 「ずいぶん厳重なものね・・・」

 だが、その時圭介が進み出た。

 「ボルトぐらいなんだっていうんです。俺に任せて下さい」

 圭介はそう言うと工具箱を取り出し、その中からスパナを取り出した。

 「さび付いてますけど・・・なんとかなりそうです」

 圭介はボルトにスパナを当てては、一本一本それを外し始めた。ボルトが一本外れるたびに、皆の胸の高鳴りが強くなっていく。そして・・・

 カラン・・・

 最後のボルトが、ついに外れた。

 「よっしゃあ! さぁて、開けるぞぉ!! 楽器にアルバムにレコード、ロックコンサート巡り・・・」

 「ランニングウェア、スニーカー特別限定モデル、スノーボード、サッカーボール公式モデル、それに、サッカー観戦ツアー・・・」

 「ファルコンのエンジン・・・」

 「植物園にスプリンクラー・・・」

 皆が皆、最高潮に達した期待を胸に抱く。そして、小島が箱のふたに手をかける。

 「いくぞ・・・オープン!!」

 ギィィ・・・!

 錆びついた音をたて、箱がゆっくりと開かれた。そして・・・ついにその中身が明らかとなる!

 「・・・」

 「・・・」

 「・・・」

 それを見た誰もが、最初に沈黙という反応を示した。だが、その直後には・・・

 「「ギャアアアアアアア!!」」

 「「キャアアアアアアア!!」」

 洞窟では小島と圭介、指揮車では聡美とひかるが悲鳴をあげ・・・

 「ほぅ・・・!」

 亜矢は興味深げに眉を上げ・・・

 「これは・・・いったい・・・?」

 仁木は唖然とし・・・

 「おやまぁ・・・」

 小隈は気の抜けた声で、ただそう言った。各人の反応は、皆それぞれではあったが・・・それが彼らの予想していたものとはあまりに大きく異なっていたことは、疑いようのない事実だった・・・。





 「・・・」

 ガレージの隅に仕切られた整備班休憩室。その日も整備班の誰よりも早くやってきた楢崎は、簡素なパイプ椅子に腰掛け、タバコを吸いながら新聞を読んでいた。外からは整備員達の話し声や、始業前の点検を行う金属の触れあう音が聞こえてくる。いつもの朝と同じく、整備員達は出勤するとすぐにこの休憩室へ足を向け、楢崎に挨拶をしていった。

 「おはようございます! おやっさん!」

 またドアが開き、若い整備員が二人入ってきて、しっかりと頭を下げた。楢崎もうなずき返す。すると、二人は持っていた新聞を出した。

 「おやっさん、見ました!? この新聞!?」

 「たしか、昨日帰ってきたはずですよね!?」

 興奮気味に言う二人。

 「わかってるからいちいち騒ぐな」

 楢崎もそう言いながら、読んでいた新聞を彼らに見せた。

 「あいつらの出勤もそろそろだ。お前らは騒がず、点検しながら待ってろ。VJや機材の点検、入念にやるぞ。いいな?」

 「へいっ!!」

 二人はそう言うと、再び頭を下げて休憩室から出ていった。

 「ったく・・・」

 楢崎はそう言って、再び新聞に目を戻した。と・・・

 ザワ・・・

 にわかに、休憩室の外が騒がしくなった。楢崎が目を向けると、整備員達がガレージの入り口から誰かを迎え入れながら、はやしたてているのが見えた。

 「来たか・・・」

 楢崎はそうつぶやくと立ち上がり、休憩室のドアを開けて外へ出た。彼の姿を見てその誰かを取り囲んでいた整備員達はスッと道をあけた。

 「よぉ、おかえり」

 楢崎はそこにいた二人にそう声をかけた。

 「このとおり、戻りました。なんか、すごい歓迎でびっくりしましたけど」

 「お土産、いっぱい持ってきました。皆さん全員に行き渡るかどうか、わからないんですけど・・・」

 圭介とひかるはそう言って、両手に持った紙袋を上げて見せた。それを見た整備員達から、歓声の声があがる。

 「なに、気にすることはねぇ。すまねえな。とりあえず、こっちに運んでくれ」

 「はい」

 楢崎はそう言って二人を休憩室に招いた。

 「とりあえず、おやっさんに買ってきたものですね。まず、これ地酒なんですけど・・・」

 そう言って、圭介は一升瓶を取り出した。

 「かなりきついんで、気をつけて下さいね。小島さんや聡美さんはなんてことなく呑んでましたけど。同じものを整備班にも何本か買ってきましたので、渡しといて下さい」

 「おぅ、すまねえな。さっそく家に帰って女房と呑んでみるわ」

 「それと、これおつまみになると思いますけど、向こうの高原野菜の漬け物です。どれもおいしかったので、食べてみて下さい。あと、これ・・・」

 そう言って、ひかるはアスパラガスを大きくしたような真っ直ぐな緑の植物を取り出した。

 「ねまがり竹っていう山菜なんです。皮をむいて味噌和えにしたり、お刺身として食べるとおいしいらしいです。作り方を教わってきたので、あとで作ってもってきますね」

 「ほぉ、そいつは食ったことがないな。ありがとう、嬢ちゃん」

 楢崎はそう言うと、視線を横に向けた。整備員達が窓ガラスにへばりつき、中を覗いている。

 「てめえら、仕事しろ!」

 楢崎の一喝で、彼らは蜘蛛の子を散らすように散っていった。

 「・・・さて、まぁ座れや」

 楢崎が席を勧めたので、二人は席に着いた。

 「・・・とりあえず、ご苦労さんだったな」

 二人はその言葉に少しきょとんとしたが、やがて小さく笑った。

 「どうした?」

 「いえ・・・一応俺達、骨休めに行ったんですけど・・・」

 「ご苦労様って言われるの、なんだかおかしいなって思って・・・」

 その言葉を聞いて、楢崎も笑みを浮かべた。

 「それもそうだな。でも、今回もとんでもない旅行になっちまったのは間違いねえだろ? 気の毒にもうらやましくも思えるがな」

 楢崎はそう言って、新聞をバサッと机の上に広げた。

 「見な。どこもかしこも、大評判だ」

 楢崎が指さしたところには、皆大きな見出しが踊っていた。

 「SMS第1小隊、お手柄!」

 「140年の眠りから覚めた考古学的発見」

 「学会に一大センセーション」

 そんな見出しの数々である。二人はそれを見ながらうなずいた。

 「みたいですね」

 「まだ実感がわかないんですけど・・・」

 二人はそう言って、照れ笑いを浮かべた。

 「一応、新聞とかじゃ偶然発見したってことになってるが・・・」

 楢崎は新聞から目を上げて言った。

 「・・・そうじゃねえんだろ?」

 その言葉に、二人はギクリとした。が、やがて圭介が苦笑しながら言う。

 「やっぱり、わかりますか?」

 「・・・小島のVJの装甲、どうやったらあんなふうに溶ける? ただの偶然で見つけたにしちゃ、ずいぶん紆余曲折があったように見えるがな?」

 楢崎はニヤリと笑った。

 「・・・はい。いろいろ偶然が重なったんですけど・・・」

 「亜矢さんが事前に入手していた宝の地図をたどったら、あれに行き着いたんですよ。おやっさんの言うとおり、偶然見つけたんじゃなくて、最初から探すつもりで見つけたんです。まぁ、その宝の地図を見つけたのも偶然でしたから、偶然見つけたっていうのはあながち嘘でもないんですけどね。何があったか詳しく説明するのは、話すと長いんでまた今度。一応、黙ってて下さいよ? 表向きは偶然見つけたってことになってるんですから」

 「技術屋の口を信じろって」

 楢崎はそう言って笑うと、再び新聞に目を落とした。

 「しかし・・・見つかるまでは、どんなお宝だと思ってたんだ?」

 「日本軍が中国で略奪した金銀とか美術品とか・・・そんなもんです。正体があれだったってわかったときには、なにがなんだかわかりませんでしたけど・・・」

 「小島さんとか聡美さんとか、私達よりも中身に期待してましたから・・・まだショック受けてるんです」

 二人がそう言ってため息をついた。

 「たなぼたで手に入れられるものに、あんまり期待しちゃいけねえよ。ま、若いお前らにそう言っても、無駄だろうな。どうしても期待しちまうか」

 楢崎は新聞に載っている写真を見た。

 「それにしても、とんだオチだったな。探してたお宝の中身が、まさか仏さん・・・それも、何十万年も昔の仏さんだったなんて・・・」

 圭介とひかるは、まったくだというように深くうなずいた。写真の中には、四個の古ぼけた奇妙な頭蓋骨が、楢崎を見ていた・・・。





 ・・・人にとって、何が宝物となりうるかは、一人一人の個人の価値観によって異なる。それに対する思い入れが強ければ、家族の写る一枚の写真ですら、その人間にとっては宝物となりうるのである。飢餓の極致にある人間は、無数のダイヤモンドよりも一枚のパンに比較にならない価値を見いだすであろう。なにが財宝となるか。その価値を決めるものは、相対的な個人の価値観と状況に過ぎないということを、私はこの事件から学ぶことになった。

 日本軍の運び込んだ機密物資は、たしかにそこに存在した。だが・・・そこに収められていたものは、我々の想像をはるかに超えたものであった。そこには、ほぼ完全な状態の四個の頭蓋骨が収められていたのだ。形状は奇妙ではあったが、いずれも、人のものであった・・・。この事実は我々を驚愕させ、一部の隊員を茫然自失へ追い込んだ。だが・・・紛れもなくこの人骨は、財宝であったのである・・・。





 1929年12月2日。中国・北京近郊の周口店にある洞窟から、保存状態が比較的完全な原人の頭蓋骨が発見され、この発見は世界に一大センセーションを巻き起こした。そう・・・周口店上洞人、学名「ホモ・エレクトス・ペキネンシス」いわゆる「北京原人」の化石の発見である。さらに10年後、この地からは新たに三つの頭蓋骨化石が発見された。だが・・・中国ではすでに1937年、蘆溝橋事件を発端とした日中戦争が勃発、大陸では日本軍と中国共産党・国民党連合軍による戦闘が激化していた。そんな中1941年、日本軍は真珠湾攻撃を行い、太平洋戦争が始まった。戦禍を避けるため、保存されていた北京原人の頭蓋骨化石は周口店の作業員によってアメリカに送られ保管されることに決定。11月、四つの頭蓋骨は移送のため二つの箱に収められ、北京協和病院総務長の事務室に届けられた。だが・・・そこからセキュリティルームへ移送する途中、化石は行方不明になり、以後、人々の目の前から完全に姿を消してしまったのである・・・。これが、歴史上の巨大なミステリーの一つである、「北京原人頭蓋骨化石失踪事件」の概要である。以後、その消息に関しては粉末にされ漢方薬の材料にされてしまったという奇想天外なものも含め実に多様な説が展開されたものの、その行方はようとして知れなかったのである・・・。





 ・・・殺人事件に巻き込まれ、人里離れた山中に埋められた被害者の遺体が、ひょんなことから発見され事件が明るみに出る、というケースはいくつも存在する。犯人によって見つからないはずの場所に埋められた遺体が発見される不思議・・・その理由を「死者が呼んでいるのだ」という超自然的な原因に求める者はおり、私個人としても、そうでなければ説明のできないケースをいくつか知っており、頭からそれを否定することはできない。そして・・・今回もまた、そうした超自然的なものが働いた可能性を、私は頭からぬぐい去ることができない。一人を除いて、北京原人の謎についての知識などまるで持たない我々が、様々な偶然に導かれるかのように、洞窟奥深くに眠っていたあの化石を発見したことは、おそるべき偶然の連鎖でなければ、そのような理由でしか説明のできないほど、信じられない出来事であった。そう・・・旧日本軍301部隊という犯人によって、歴史の表舞台から抹殺された太古の人々が、我々を呼んだかのように・・・。





 我々にとって幸いであったのは、小隊の中でもとりわけ博識であった桐生亜矢隊員が、北京原人の謎、そして、北京原人の骨格の特徴もまた、知識としてもっていたことである。発見された頭蓋骨の特徴から、彼女は即座にこれを北京原人の化石であると看破。人類史上まれにみる、全人類にとっての非常に貴重な文化遺産であるというこの化石の歴史的価値を知った我々は、これを慎重に地上へと移送。ただちに東京の研究機関に連絡した。あまりに突然かつ思わぬ場所から発見されたため、研究員達は半信半疑であったが、彼らの鑑定によってまぎれもなくこの化石は、あの北京原人の化石であることが判明した。かくして、この化石は我々よりも一足早く、東京へと移送されていった・・・。

 その後この化石を巡り世間がどのように動いているか、詳しく書くには及ばないであろう。化石を先に東京に送り、引き続き大戸村で休暇を過ごしながら、我々はテレビの報道ぶりとそれが伝えるハチの巣をつついたような学会の動きを見ながら、改めて自分達が発見したもののもつ価値、そして、あれが紛れもなく「財宝」であったことを思い知ったのである。





 以上が、奇妙な力に動かされるままのように展開した、第1小隊の歴史の中にあってもとりわけ特異な事件となった「牛首山財宝伝説事件」の全貌である。現在、無事東京へと戻ってきた我々は、報道陣の執拗な追跡にあいながらも、通常の業務に戻っている。あの化石を発見した経緯は結局一般には偶然の結果として公表され、事前に我々が入手していた宝の地図に従ってそれを捜索し、現地の神と恐れられるムカデの突然変異体との対決の末、ついにそれを発見したというヨーロッパの英雄伝説のごときその真実は、我々と一部の上層部の胸の内に秘められることとなった。財宝が存在したという事実のみならば観光客を集めるのみにとどまるであろうが、それに怪物までついてくるとなれば、果たして現地の観光はどのようになるのか、とても予想はできない。それを考えると、やはりこれは、全てを明らかにするべきことではないのかもしれない。私としては、あの怪物がこれまでの長い年月と同様、これからもあの洞窟を住みかとして、お互いがお互いを知らぬままひっそりと生きていくことを、どちらの利益ともなる関係として望むほかない・・・。

 今回の事件は結果としては、人類史上の宝である化石を発見するという素晴らしい成果をあげることができた。しかし・・・私個人としては、やはり今回の事件はVJを運用し、隊として取り組むべき事件ではなかったと反省したい。我々があの捜索の途上で直面した怪物との対決という危険な事態のように、一般市民の平和と秩序を守ることにその力を傾倒すべきSMSがそれ以外の目的のために、一歩間違えば壊滅の危機に直面するようなことは、絶対に回避すべき事である。財宝のようにその価値が不確かなものではなく、なによりも貴いものであるはずである市民の命と安全。これこそが、我々にとってはなによりの「宝」でなければならない。このことを今回の事件から得られる教訓として改めて胸に刻みながら、この記録を終わりとする。





 「・・・フゥ」

 仁木はキーボードを打ち続けていた手を止め、文書を保存すると、ため息をつきながら自分の肩を揉んだ。

 「お疲れさまです・・・」

 その時、横から亜矢が湯気の立つコーヒーの入ったマグカップを差し出してきた。

 「ありがとう」

 仁木はそれを受け取ると、冷ましながらゆっくりと口へと運んだ。

 「報告書ですか・・・?」

 隣の席に座り同じものを飲みながら、亜矢が尋ねた。だが、仁木は首を振った。

 「報告書は別に作ってあるわ。これはあくまで、個人的な記録。強いて言うなら、備忘録ね。これからの仕事で必要になってくることがあったときのためにつけているんだけど・・・」

 仁木はそう言いながら、モニターに映っている文章を見つめた。

 「・・・さすがに、この記録ばかりは将来必要になることはなさそうね・・・。あまりにも突飛すぎて・・・」

 「そうですね・・・」

 ため息をつきながら仁木の言った言葉に、亜矢は小さく笑いを浮かべた。

 「それにしても・・・」

 と言いながら、仁木は前方へ目をやった。

 「あの二人は、いつになったら元通りになるのかしら?」

 仁木の視線の先には、自分の席について明後日の方を見ながら、どこかポカンとした様子の小島と聡美が座っていた。魂が抜けているかのようである。

 「あれが発見されてから・・・ずっとあの調子ですからね・・・。あれだけあの中身に期待していたぶん・・・裏切られたショックは・・・それなりだったんでしょう・・・」

 「それでは理由にならないわ。帰ってきてからまだ出動はないけど、もしそうなったとき、あれじゃまともに働けないんじゃないかと思うと、気が気じゃなくて・・・」

 深刻そうにつぶやく仁木。だが、亜矢は二人を見ながらやんわりとした口調で言った。

 「心配は・・・いらないでしょう。二人とも・・・私達と同じくプロです・・・。むしろ・・・仕事が立ち直るきっかけになるのではないでしょうか・・・」

 その言葉に、仁木は少し笑みを浮かべてうなずいた。

 「それは言えるわね。それにしても、万人にとって価値のある宝なんてものは、やはりあまりないものなのね。少なくともあなたにとっては、大変な価値があったと思うけど・・・」

 亜矢は何も言わず、微笑を浮かべてうなずいた。普段接している者でなければわからないほどであるが、あれ以来彼女はすこぶる上機嫌だ。今回の件で一番得をしたのは、彼女なのかもしれない。仁木はそんなことを思った。

 「さて・・仕事に戻ろうかしら」

 仁木はそう言うと、パソコンの横に置いてあった書類を手に、小隈の席まで歩いていった。

 「隊長、報告書です」

 「おう」

 小隈はそれを受け取ると、ジッと目を通し始めた。

 「悪いね。今回は特に書きづらかったろ?」

 「いえ。それに、たしかに今回の一件は、現地の観光産業への影響を考えれば、全てを公表すべき種類のものではありませんし」

 仁木はそう言って苦笑した。やがて、小隈はそれを読み終わると仁木に返した。

 「優秀な女性が部下にいるってことには、感謝しなきゃいかんな、ホント。ご苦労だった。これで出してくれ」

 「了解しました」

 仁木はそれを受け取ると、敬礼をした。

 「それにしても・・・」

 小隈はぼんやりとつぶやいた。

 「やっぱり世の中には行っちゃならない場所、触れちゃならないことってのがあるんだねぇ。今回はつくづくそれが身に染みたよ」

 「はぁ・・・」

 「これからあの村、どうなっていくのかなぁ。原人饅頭とか、原人せんべいとか、安易な商売始めたりしないといいけど・・・たぶん無駄だろうなぁ・・・」

 小隈はそんなことを言うと、「あ、そうだ」と言って引き出しを開けて何かを取りだした。

 「悪いんだけど、これ、玄関に貼っといてくれないかなぁ?」

 小隈の取り出したそれを見て、仁木は呆気にとられた表情をした。

 「ムカデのお札ですか・・・?」

 「俺達、一応神様と戦っちゃったからね。神仏物の怪の類の仕返しはこわいよ〜?」

 小隈はゾッとするような笑みを浮かべながら、ムカデの絵の描かれたお札をヒラヒラさせた。





 縁側の向こうから、ヒグラシの哀しげな鳴き声と涼しい風が入り、夕焼けに照らされた牛首山のシルエットが目に入ってくる。

 「・・・」

 老人は布団から半身を起こしながら、その光景をジッと眺めていた。

 スッ・・・

 そのとき、ふすまが開く音がして、彼の息子が薬を持って入ってきた。

 「親父、薬の時間だぞ」

 「・・・」

 老人は頑固そうな表情で彼を一瞥すると、再び縁側から見える風景に目をやった。

 「・・・村の様子はどうだ?」

 まだ腰が治っておらず、自由に歩くこともままならない老人は、息子にそう尋ねた。

 「早くもお宝発見の効果が見えてきたね。どこの宿も予約がいっぱいだし、国道も急に車が増えだしたよ。温泉と野菜以外は、なんにもない村なのにな。いつかはおさまると思うけど、しばらくはこの村の観光も潤うんじゃないかな」

 だが、老人は言った。

 「ばかもんばかりじゃ・・・。白神様のお山から出た宝をだしにしたこんな稼ぎを続けていれば、いつか必ず白神様がお怒りになるぞ!」

 「また始まった・・・。別にいいじゃないか。それに、救出されたとは言え一時は遭難騒ぎまであの祠では起こったんだ。危険だからってあそこは一般には閉鎖されたし、少なくともあの祠が観光名所になるようなことはないから、安心しろよ親父」

 「フン!」

 不機嫌そうにそっぽを向く父に苦笑すると、薬置いとくからと言って息子は出ていった。

 「・・・」

 老人は再び、夕焼けに黒いシルエットとして浮かぶ牛首山を見つめた。

 グォォォォ・・・

 地鳴りだろうか。かすかに低いうなりの音が、そこから聞こえてきたような気がした。






関連用語紹介

・白神様

 大長編、劇場版「ドラえもん のび太の創世日記」に登場した双頭の白い巨大ムカデ。自分だけの地球を作ることができる「創世セット」でのび太が創造した地球に棲息していた謎の生物であり、のび太の地球の文明レベルが大和時代(村の建物は弥生式の竪穴式住居であるにもかかわらず、村人達の格好や兵士の鎧は大和時代のものという変な時代)レベルの頃にのび太達の前に現れた。とある地方の雪山にある黄泉の岩屋と呼ばれる洞窟に棲息しており、麓の村の人々からは「白神様」と呼ばれ恐れられている。村が凶作におそわれ、そのいけにえが差し出された際に出現し、「無敵矛と盾全自動式」を装備したドラえもんとのび太と戦った。巨大な体はかなり柔軟に動くらしく、さらに口からは毒液を吐く。が、知能の方はさほどでもないらしく、静香の指示でドラとのび太はその二つの首を誘導し結んでしまうことに成功。これによって戦意を失ったらしく、すごすごと洞窟に戻っていった直後岩が崩れ、追跡は不可能となった。のび太の地球では昆虫が進化退化放射線源の進化放射線を偶然浴びたことで脊椎動物だけでなく昆虫も進化、知能を持った昆虫人まで登場したが、生物学的には唇脚綱に分類されるムカデは昆虫とは別種の生き物なので、詳細は不明なものの、進化放射線の影響とは関係なしに進化を遂げた、のび太の地球独自のイレギュラーな生物だったのだろうと推測される。なお、静香の観察記録にとれば、体長は30mほどらしい。

 なお、本作中に登場する「白神様」は、オリジナルと容姿、能力とも全く同じである。



・宝探し

 本作品の中心的なテーマとなった「宝探し」は、「ドラえもん」では頻出するテーマの一つである。てんとうむしコミックスだけでも、「宝星」「宝探しごっこセット」、「珍加羅峠の宝物」「南海の大冒険」「地底の国探検」など数多くのエピソードが存在する。また、「のび太の大魔境」「のび太の海底鬼岩城」「のび太の南海大冒険」は、その冒険の目的がそもそも宝探しであった作品である。たいていの場合宝探しは失敗に終わるが、「宝星」、「珍加羅峠の宝物」では結果的に大金を手にすることに成功している。「宝星」でのび太が述べている「埋まっている宝を掘り出すのはぼくの一生の夢なんだ」という言葉こそ、F先生にこれほどまでの宝探しエピソードを描かせた情熱を表す言葉であろう。ちなみにこの言葉に対するドラの「まずしい夢だなあ」という言葉はなんとも冷めている・・・。


おまけコーナー(対談式あとがき)

 作者「影月」

 聡美「聡美の」

 二人「「おまけコーナー!!」」

 作者「さて皆さん、Extra Episode第5弾、いかがでしたでしょうか?」

 聡美「相変わらず脈絡ないよねぇ。あたしたちに宝探しまでさせるなんて」

 作者「けっこうのってたじゃないですか」

 聡美「あんたがそういう風に書いたからでしょ!」

 作者「まあまあ。上にも書いたとおり、宝探しはドラえもんじゃあおなじみのテーマ
    ですし。パトレイバーでも似たようなことはやってるんですから」

 聡美「・・・まあいいけど。それで、今回もいろいろと参考にしたんじゃない?」

 作者「それはもう、かなりいろいろと。ドラえもん本編からは「創世日記」に出てきた
    白い双頭巨大ムカデなんてマイナーなキャラ引っぱり出してきたし」

 聡美「グレート・フィンガーとどっちがマイナーだろ・・・」

 作者「副隊長の報告書形式というスタイルは、パトレイバーの押井守脚本でおなじみの
    ものですね。あと、「ゴジラ」とか「大怪獣バラン」とか・・・」

 聡美「もーわけわかんないね。勝手にやってって感じ」

 作者「実際、かなり勝手にやってます。とりあえず今回は、かなり面白いものが書けたと
    思いますが、そのあたりはやっぱり皆さんに判断をゆだねましょう。というわけで、
    今回も最後の一言、お願いします」

 聡美「はいはい。え〜っと・・・さようなら! みなさんさようなら!!・・・って、何これ?」

 作者「わからない人は身近のゴジラファンに聞いて下さい。それではまた、次回があれば
    お会いしましょう!」


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