眼下数mの道路を、二車線の道路が一直線に通っている。そして、その道路の上を、大きさも形も色も様々なエアカーが、ビュンビュンと通り過ぎていく。

 「・・・」

 ややペンキが剥げ、錆の目立ち始めた歩道橋の手すりに寄りかかりながら、その少年は車の往来をジッと見つめていた。やがて、彼は傍らに置いてあったバッグの中から一枚の紙を取り出すと、それをゆっくりと折りたたみ始めた。

 「・・・」

 やがて出来上がったのは、紙飛行機だった。彼はそれを手にすると、軽く腕を持ち上げ・・・

 スッ・・・

 ふわりとした腕の動きから解き放たれた紙飛行機は、その手から滑り出すように離れていった。紙飛行機はそのまままっすぐに、ゆっくりときれいに飛んでいく。

 ヒュウ・・・

 そのとき、少し強い風が吹いた。その風にあおられたか、紙飛行機は急に右へと曲がって落下へ転じ、やがて、歩道の脇に並ぶ街路樹のかげへと飛んでいき、見えなくなってしまった。

 「・・・」

 少年はそれを見ても特に残念そうな表情を浮かべず、置いてあったバッグを肩に担ぐと、歩道橋を下り始めた。と・・・

 スッ・・・

 「・・・?」

 歩道橋を下りて歩道を歩き始めた彼の足元に、何かが落ちてきた。いや、それは滑り込んできたと言ったほうがいいだろう。それは、紙飛行機だった。首を傾げながらそれを拾い上げる少年。

 「・・・!」

 その紙飛行機を開いたとき、彼は驚いた表情を浮かべた。と、その時だった。

 「やはり・・・君のものかい・・・?」

 突然、背後から女性の声が聞こえた。驚いて彼が振り返ると・・・

 「誰が投げたのかと思ったけど・・・君しか見当たらなかったのでね・・・」

 そこには、濃い緑色の髪を長く伸ばした、美しい女性が立っていた。髪と同じ色の口紅を塗った唇に笑みを浮かべ、物憂げな瞳で彼を見つめている。どことなく、神秘的な印象を受ける女性だった。

 「よく飛ぶ紙飛行機だね・・・。でも・・・その紙で紙飛行機を折るというのは・・・ちょっともったいないと思うんだけど・・・」

 女性のその声に、少年は広げた紙飛行機を見つめた。そこにはたくさんの文字のほかにいくつもの赤いマルが描かれ、一番上には「92」と赤い文字で大きく書かれていた。

 「家に帰ってご両親に見せたほうが・・・喜んでくれると思うけれど・・・」

 女性はそう言った。しかし・・・

 「・・・」

 少年は無表情な目で彼女をちらりと見ると、その紙をバッグの中に押し込み、彼女に背を向けて歩いていってしまった。

 「・・・」

 彼女はその背中を見送りながら、苦笑いを浮かべて小さくため息をついた。

Extra Episode Vol.8

天使はときどき、嘘をつく


 「へぇ〜、92点の答案を紙飛行機に?」

 翌日の昼休み。昨日非番だった亜矢の話を聞いた圭介の驚きの言葉に、亜矢は小さくうなずいた。

 「なんだかもったいないですね。そんなに頭がいいのに・・・」

 ひかるもちょっと眉をひそめながらそう言う。すると、聡美もうなずいた。

 「ほんとほんと。あたしだったら学校終わったら全速力で家に帰って、親に自慢するけどなぁ」

 「だろうな。そんでもって、明日は雪が降るんじゃないかとか、そんなふうに大騒ぎされるんだろう?」

 「失礼ね! あたしだってテストで90点以上の点数とったことぐらいあるんだから! 図工でだけど・・・」

 やはり入った小島の茶々に、例のごとくわめく聡美。

 「でも、たしかにもったいない話ですよね。どこの学校なんでしょうかね、その子」

 「灰色のブレザータイプの制服だったね。どうやら、高校生だったようだけど・・・」

 亜矢が少年の姿を思い出しながら言う。すると、仁木が言った。

 「きっと、都立かもめ台高校の生徒ね。パトロールの途中で、同じ制服を着た生徒たちを見たことがあるわ」

 「かもめ台高校って言えば、都立高でもかなりレベルの高いとこだっていうな。その子も、さぞかし頭がいいんだろう」

 小隈もタバコをふかしながらそう言った。

 「でも、だからってそんな答案を紙飛行機にするなんて・・・」

 「親の方も、いい点を取るのが当たり前とか、そういう考え方になっちゃってるんじゃないかな、いつのまにか。親があんまり喜んでくれないと、子供もそんなもんなのかもしれないって思っちゃうのかもしれない」

 「やっぱり、誉めるときはちゃんと誉める、叱るときは叱るっていうのが、正しい教育方針ってことですかね。お前もよく心得とけよ、新座」

 「な・・・なんでそんなこと俺に言うんですか!?」

 「なんでって、この先そういうことを考えるようになるのがほとんど確実だからに決まってるじゃない。ねぇ、ひかるちゃん?」

 「・・・」

 聡美にそう言われ、顔を真っ赤にするひかるだった。



 夜の道路を、ブリティッシュグリーンに染められた一台のエアカーがヘッドライトを輝かせ走っている。その車内では・・・

 「・・・駅前で突然ナイフを振り回して通行人を襲った男は、午後7時20分ごろ、駅前派出所の警官によって逮捕されました。男に襲われた通行人のうち、市内の主婦・高平かおるさんが腹部を刺され、まもなく死亡しました。警察では男の犯行動機などについて取調べをすすめておりますが、男は犯行後突然意識を失ってしまい・・・」

 ラジオからは、ナイフを持った男がとある駅前で通行人を次々に襲ったというニュースが流れていた。

 「こういう事件は毎年必ず起こりますけど・・・今年もやっぱり・・・」

 「ああ・・・。しかし・・・犠牲者が出てしまったというのは残念だね・・・」

 ハンドルを握る圭介の言葉に、助手席の亜矢は小さく答えた。

 「・・・それにしても最近、こういう事件多くないですか? このあいだも地下鉄の駅で通り魔事件がありましたし、その前はホームで電車を待っていた人が後ろから線路に突き落とされて轢かれる事件・・・。今に始まったことじゃありませんけど、なんだか最近、そんな事件が増えてるような気がするんですけど・・・」

 「言われてみれば、たしかにそうだね・・・。夏の暑さのせいだけではないような気もするよ・・・」

 亜矢はそう言うと、圭介に顔を向けた。

 「・・・窓を開けてもいいかい?」

 「ええ・・・。でも、エアコンはちゃんと効いてますけど?」

 「私はどうも・・・エアコンの風というのが苦手でね・・・。わがままを言ってすまないけれど・・・」

 「ええ、いいですよ。そのほうが、体にいいかもしれないし・・・」

 圭介も笑顔でそう言った。亜矢は小さく頭を下げると、パワーウィンドウのスイッチを入れた。窓が開いていき、車内に少しひんやりした空気が吹き込んでくる。

 「だいぶ涼しくなってきたね・・・。夏も終わり・・・ということかな」

 窓の外を見ながら、亜矢はそんなことをつぶやいた。ちょうどウィンディも、小さな公園の前の交差点で止まる。と、その時だった。

 「・・・?」

 圭介と亜矢は同時に公園の方へ顔を向け、やがて顔を見合わせた。

 「亜矢さん・・・」

 「新座君にも・・・聞こえたかい?」

 「ええ。若い男の、怒鳴り声みたいなのが小さく・・・」

 圭介はうなずいた。

 「酔っ払いの喧嘩かもしれないけど・・・そうだとしても、ほうってはおけないね・・・」

 「ええ・・・停めます」

 圭介はウィンカーを作動させると、ひとまずウィンディを路肩に停めた。そして、亜矢とともにウィンディを下り、公園の中へと向かって駆け出していく。すると・・・

 「・・・!」

 やはり、怒鳴り声のようなものがよりはっきりと聞こえてきた。二人が公園の木の陰に隠れ、声の方向を見ると・・・

 「だからよぉ・・・金出せって言ってんじゃんかよ!」

 「おとなしく出せっての、こいつ!」

 公園の遊具の下で、見るからにあまり模範的とは言えない格好をした少年たちが、やはり模範的とは言えない言葉を吐きながら、誰かに詰め寄っているところだった。

 「これはまた・・・わかりやすいシチュエーションですね」

 「しかし・・・こうなると、ますますほうっておくわけにはいかないね・・・」

 「ええ・・・いきますか?」

 「・・・」

 亜矢が無言でうなずく。二人は木の陰からゆっくりと歩み出た。

 パッ!

 「!?」

 圭介が手に持っていた懐中電灯をつけると、少年たちはまぶしそうにこちらを向いた。

 「そこまでだ。その人から手を離すんだ」

 懐中電灯を向けながら、圭介は言った。

 「なんだてめぇらは!?」

 少年のうちの一人が、こちらをにらみつける。しかし・・・

 「お・・・おい、よせよ! こいつら・・・SMSだ!」

 別の少年が、二人の着ている制服に気づき、うろたえながら言った。他の少年たちも、動揺を見せ始める。

 「そうだ。なんなら、これも見せようか?」

 そう言って、SMS手帳を取り出して見せる圭介。

 「その人からすぐに手を離すべきだよ・・・。そうでないと・・・こちらもそれなりのことをするけれど・・・」

 ヒュオオオオオオ・・・

 亜矢がやや威圧的にそう言うと、どこからともなく真冬のように冷たい風が吹いてきた。

 「!!」

 その風と、その風以上に冷たい亜矢の視線に、不良達は文字通り蛇ににらまれたカエルのようになり、やがてあたふたと逃げ始めた。

 「待てっ!」

 それを追おうとする圭介。しかし、それを亜矢は無言で止めると・・・

 パラパラッ・・・

 なにかを地面の上にまいた。すると・・・

 ボコッ! ボコボコッ!

 地面の中から、鎧兜に身を包んだ屈強な男たちが、次々に現れる。

 「すまないが・・・手近の警察署へ連れていって・・・お説教でもさせてあげてほしい・・・」

 亜矢がそう言うと男たちは無言でうなずき、鎧をガシャガシャ鳴らしながら走り去っていった。

 「・・・やりすぎじゃないですか、亜矢さん?」

 やや顔色を青くしながら、圭介が言う。

 「フフッ・・・心配は要らないよ・・・」

 しかし亜矢は、少し楽しそうな声でそう言うだけであった。

 「そ、それより・・・」

 圭介は別の方向へ目を向けた。

 「大丈夫だったか?」

 そこには、先ほどの少年たちに絡まれていた少年がいた。亜矢の出したスパルトイに腰を抜かしてしまったのか、何も言えずに地面に尻餅をついてしまっていた。

 「だからやりすぎじゃないかって言ったんですよ・・・」

 「そうらしいね・・・。すまない、驚かせてしまって・・・」

 そう言って、手を差し伸べようとする亜矢。しかし、その手が途中で止まり、表情に驚きが浮かぶ。

 「? どうしたんですか、亜矢さん?」

 「君は・・・」



 「植村浩太君、17歳。都立かもめ台高校2年。住所は海上区鳩羽22−3。これで間違いないね?」

 先ほど少年が言った自分の氏名、年齢、住所を圭介は復唱した。少年は何も言わず、小さくうなずいた。

 「とにかく、怪我もなかったし、お金もとられなくてよかったよ。でも・・・今何時だと思ってるんだ? いろいろ遊びたい気持ちはわかるけど、こんな時間まで外をうろついてるっていうのは、さっきの連中といっしょにされても文句は言えないと思うけど・・・」

 圭介はダッシュボードの時計を見ながらそう言った。デジタル表示はまもなく、午前1時を刻もうとしている。

 「・・・」

 しかし、浩太は何も言わなかった。

 「・・・亜矢さん、どうですか?」

 圭介はため息をついてから、助手席で携帯電話に耳を当てている亜矢に尋ねた。しかし、亜矢はそれを耳から離し、首を振った。

 「ダメだね・・・誰も出ないよ・・・」

 「かけたってむだだよ。今夜は家には、誰もいないんだから・・・」

 浩太が小さく言った。

 「そういうことは先に言ってくれよ・・・。とにかく、家族の人には連絡しないと。携帯の番号、知ってるんだろ?」

 「・・・」

 しかし、浩太はまたしても答えなかった。

 「まったく・・・これじゃ家出少年と変わらないじゃないか」

 ため息をつく圭介。

 「まぁ・・・いいんじゃないかな。幸い何もなかったし・・・本人も反省しているようだし・・・」

 「そうですか・・・?」

 そう言ってなだめる亜矢に、圭介はやや疑わしげに言った。

 「とにかく・・・家に送ろう。大丈夫・・・この子はもう、あんなことはしないよ・・・」

 亜矢はやけに自信のある様子で言った。圭介はそれ以上は何も言えず、ひたすら車を走らせつづけた。そして・・・

 「ここでいいんだな?」

 ある家の前でウィンディを停め、圭介が尋ねると、浩太はうなずいた。車を降りる3人。

 「すご・・・」

 圭介は思わず、感嘆の声を漏らした。目の前にあったのは、明らかに裕福な住民の住みそうな豪華な一戸建ての家だったからだ。立派な門柱には「植村」の表札が掲げられている。しかし、どの窓にも明かりはなく、家は真っ暗だった。

 「それじゃあね・・・。もうこんな時間に・・・暗いところをうろついたりしてはだめだよ・・・」

 亜矢がそう言ったが、浩太は何も言わず門へと向かって歩き出した。

 「本当に気をつけろよ! ・・・いきましょうか、亜矢さん」

 「ああ・・・おやすみ」

 浩太の態度に呆れながらも、圭介はもう一度言うと亜矢とともに車に戻り出した。その時

 「あ・・・」

 小さな声が聞こえたので、振り返る二人。浩太がこちらを向いていた。

 「ありがとう・・・」

 小さな声でそれだけ言うと、彼は門柱をくぐって、家の中へと駆けていった。

 「ったく・・・本当に、可愛げがありませんね」

 そう言う圭介に、亜矢は小さく笑みを浮かべた。



 「それじゃ、とんだ不良少年だったってわけか、そいつ」

 翌日の朝。圭介と亜矢が保護した少年の話を聞いた小島はそう言った。

 「まぁ・・・あんな夜中に外をうろつくのは、たしかに誉められたことじゃないですけどね。でも、不良少年っていうのは、ちょっと・・・。たしかに可愛げはありませんでしたけど・・・」

 圭介はそう答えた。

 「でもその子が、このあいだ亜矢さんが会った紙飛行機の子だったんでしょう? わかりませんよね、そんな頭のいい子がそんなことをするなんて・・・」

 「頭がいいからといって、生活態度もいいとは限らないわよ」

 「成績はよくっても、家庭状況とは別だからな。何か複雑な事情があるのかもしれないけど・・・」

 ひかるの言葉に、仁木と小島がそう意見する。と、そのときだった。

 プシュー・・・

 「お邪魔するぜ。圭介か桐生さん、いるかい?」

 突然オフィスのドアが開き、楢崎が顔を出した。

 「おやっさん・・・どうしたんですか?」

 圭介が席を立つ。

 「昨日の夜間パトロールの当番は、お前と桐生さんだったな?」

 「ええ。そうでしたけどなにか?」

 「後部座席の床に、こんなものが落ちてたのをうちの奴が見つけたんだ。昨日乗せたっていうお客さんの落し物じゃないか?」

 そう言って楢崎は、手帳のようなものを圭介に渡した。

 「!」

 その表紙には、「都立かもめ台高校生徒手帳」という文字と、その校章が印刷されていた。パラパラとめくると、最後のページに生徒証が。そこに貼られていたのは、間違いなくあの浩太の顔写真だった。

 「あいつの生徒手帳ですよ。あのとき落としたんですね」

 「・・・」

 圭介の見せる生徒手帳に黙ってうなずく亜矢。

 「生徒手帳を落としたってのは、ちょっと困るだろうな」

 そう言ったのは、小隈だった。

 「新座、桐生。悪いがどっちか、手が空いたら届けに行ってあげてくれないか?」

 「はぁ・・・それはいいですけど・・・」

 と、そのときだった。

 ビーッ! ビーッ!

 けたたましいサイレンが、分署の中に響き始める。

 「・・・っと、どうやらそれは後回しらしい。全員、出動準備だ」

 「了解!!」

 慌しく駆け出していく隊員たち。

 「隊長・・・この出動から戻ってきたら・・・私が行きます」

 「ん。そうしてくれ」

 亜矢の言葉に、小隈は軽くうなずいた。



 「すっかり遅くなってしまったね・・・」

 ハンドルを握りながら、亜矢は小さくつぶやいていた。道路の脇の歩道には、たわいないおしゃべりをしながら帰路についている灰色の制服の高校生たちの姿がいくつもあった。昼間の現場が長引き、結局ひまができたのは、もう下校時刻を回った頃だった。

 「部活か何かで・・・まだ残っていればいいんだけど・・・」

 亜矢はそう思いながら、学校の駐車場への入り口でハンドルを切った。



 「今、担任の者が呼びにいっていますので・・・」

 「ごゆっくり・・・。私は待てますので・・・」

 やや恐縮そうに言う校長に、亜矢は微笑を浮かべて答えた。生徒手帳を届けに来ただけなのだが、制服姿で来たため、校長室に通されて浩太を連れてくるのを待たされる羽目になってしまった。私服に着替えてくればよかったと、亜矢は心の中で苦笑いをしていた。

 「しかし・・・SMSの方がなぜ、うちの生徒の生徒手帳を? もしや、うちの生徒が何か問題でも・・・」

 心配そうに尋ねる校長。

 「パトロール中に偶然拾っただけです・・・。ご心配なく・・・」

 「そうですか・・・」

 亜矢の言葉に、安堵の表情を浮かべる校長。その時・・・

 「失礼します」

 ノックの音とともに、校長室のドアが開かれた。

 「呼んできました。さぁ、中に」

 担任に促されて中へ入ってきた浩太は、亜矢の顔を見て少し驚いた様子を見せた。それに微笑み返す亜矢。

 「この方が君の生徒手帳を拾ってくれたそうだ。さぁ、お礼を」

 「ありがとうございました・・・」

 校長に促され、頭を下げる浩太。

 「すみません、お手間をかけさせてしまって・・・。植村、気をつけるんだぞ。最近のお前は、どうも授業中にも身が入っていないようだし」

 「・・・」

 「先生、いいじゃないですか。お客様の前ですし・・・」

 「そ、そうですね。失礼しました・・・」

 校長にたしなめられ、恥ずかしそうに頭を下げる担任。

 「あまり・・・怒らないであげてください・・・。物を落とすのは・・・誰でもあることでしょうから・・・」

 亜矢は優しくそう言った。

 「ええ、そうですね・・・」

 「それでは、私はこれで・・・」

 「そうですか。あまりお構いもできませんで・・・」

 「いえ、おかまいなく。それでは・・・」

 「お気をつけて。植村。お前も帰っていいぞ」

 「はい。失礼します・・・」

 亜矢と浩太は頭を下げ、ともに校長室から出た。

 「・・・」

 「・・・」

 しばし無言のまま、並んで正面玄関へと歩く二人。やがてそこへ着くと、浩太は下駄箱へと歩み、自分の靴箱を開けた。しかし、亜矢はその場にとどまり、ジッとその姿を見ていた。

 「・・・なんですか? 来賓用の玄関なら、向こうですよ」

 無表情な顔で亜矢にそう言う浩太。すると・・・

 「・・・今の君の顔は・・・あまり高校生らしくないね・・・」

 亜矢はそう言った。浩太は鳩が豆鉄砲を食らったような表情をしたが、

 「・・・大きなお世話ですよ。どんな顔してたって、こっちの勝手じゃないですか。だいたい、高校生らしい顔なんてあるんですか? そんなの、大人の勝手な決めつけです」

 すぐにもとの表情へ戻り、黙って靴を履き始めた。

 「・・・」

 亜矢はそれを見ると、その場から離れた。



 「・・・」

 一人、高校の前のバス停でバスを待つ浩太。すると・・・

 ブォォォ・・・

 その目の前にバスではなく、ブリティッシュグリーンのエアカーが止まった。その助手席の窓が、ゆっくりと開き・・・

 「しばらく待つのだろう・・・? 乗っていかないかい・・・?」

 運転席から、亜矢がそう声をかけた。

 「・・・」

 浩太は黙ってそれを見ていたが・・・

 ガチャ・・・バンッ

 やがて、ドアを開いて助手席に乗り込んだ。ウィンディは静かに発車した。



 「おせっかいな人なんですね・・・」

 浩太が無表情にそう言う。

 「そう言われたのは初めてだね・・・」

 亜矢は小さく笑った。

 「でも・・・たしかにそうかもしれない・・・。まぁ・・・人助けが仕事だから・・・おせっかいぐらいでちょうどいいと・・・私は思いたいんだけどね・・・」

 「・・・」

 浩太は再び黙り込んだ。亜矢は何も言わず、車を運転しつづける。しばらくのあいだ、車内に沈黙が流れたが・・・

 「・・・どうして、あんなことをしたんだい?」

 亜矢がポツリと浩太に尋ねた。

 「・・・子供の悩み相談も、SMSの仕事なんですか?」

 「まぁ・・・人助けが仕事だから・・・必要ならば、ね。でも・・・」

 亜矢は小さく笑いながら言った。

 「誰かがその人らしくないことをしてるのを見ると・・・気にはならないかい? 君は答案を紙飛行機にして飛ばしたり・・・夜の街を意味もなくうろつくような人には・・・私には見えないけど・・・」

 「やっぱり、おせっかいな人なんですね・・・」

 浩太はやや呆れたような表情を浮かべた。

 「・・・親には不満はありません。少なくとも、僕は両親のことを尊敬できる人だと思っています」

 浩太はそう言った。

 「それならなぜ・・・答案を紙飛行機にして飛ばしたりしたんだい? ご両親は・・・君がいい成績をとったことを・・・喜んでくれないのかい?」

 あのときした質問を、亜矢はもう一度かけた。しかし、浩太は首を振った。

 「喜んでくれますよ。昔も、今も・・・。僕も自分なりに今まで一生懸命勉強してきたつもりですけど・・・勉強していい成績を出すと、親も喜んでくれたから・・・そういう理由もあったんです」

 「よくわかるよ・・・。誰の心にも・・・人に認められたいという気持ちはあるからね・・・。特に・・・自分の親には・・・」

 亜矢は深くうなずいた。

 「しかし・・・それならなぜ? 喧嘩でもしたのかい・・・?」

 しかし、浩太は首を振った。

 「そんなくだらないことじゃないですよ。ただ・・・」

 「ただ?」

 「・・・自分が今やってることが、本当に将来自分が生きるために役に立つのかなって・・・ちょっと、そんなことを考えただけです」

 浩太はつぶやくように言った。

 「どういうことかな・・・?」

 ようやく、浩太が話そうとしはじめたので、亜矢は促した。

 「今までずっと、一生懸命勉強してきました。親も先生もほめてくれるし、自分でもそれがうれしかったから・・・。でも・・・最近、それは本当に将来役に立つのか・・・信じられなくなってきたんです。そういうこと、ありませんか?」

 「・・・将来何が役に立つかなんてことは・・・誰にもわからないことだよ・・・。少なくとも私は・・・君たちに役に立たないことを何年もかけて教えるほど・・・学校は酔狂なところだとは思わないけどね・・・」

 期待していたような答えではなかったのか、浩太は亜矢のその言葉に少しがっかりしたような表情を浮かべたが、さらに語り始めた。

 「・・・僕には、兄がいるんです。6つ上で、もう社会人の・・・」

 その言葉に、亜矢は顔を向けた。

 「学生時代の兄は、今の僕なんかよりもっと頭のいい人でした。中学でも、高校でも、成績はトップでした。区の英文スピーチコンテストで優勝したことだってあります。大学に入ってからもそれは同じで、次席で卒業したぐらいです。僕はそんな兄を見てうらやましいと思いましたし、兄みたいになりたいと思って、自分なりに頑張って勉強してきました。けど・・・」

 「なんだい?」

 「大学を卒業して・・・兄は就職しました。知ってますよね? 株式会社秋月・・・」

 「一流の商事会社だね・・・。よかったじゃないか」

 「ええ・・・。両親も僕も、そのときはそれを喜びました。でも、それから半年とたたないうちに・・・兄が電話で、とんでもない話をしてきたんです。会社を辞めた、と・・・」

 浩太は目を伏せた。

 「兄は会社に勤めだしてから家を離れて一人暮らしを始めていましたし、会社でのことも、あまり話しませんでした。だから僕たちは本人からなんとか聞きだしたり、会社の人に連絡をとったりして、ようやく兄が会社でどう働いていたか、知ることができたんです」

 浩太はそこで、いったん息を継いだ。

 「・・・兄は、自分が学んできたことが会社で思うようにいかせないことに悩んでいたんです。あれだけ学校や大学で学んできたことは、会社ではほとんど役に立たなかった。それに・・・兄はもともと、人づきあいのうまい人ではありませんでした。大学まではそれでもなんとかなっていたんですが、会社では、コミュニケーションなしに仕事を進めることなんて、できませんでしたから・・・。そうして兄は・・・自分の力が思うように生かせないことや、職場での人間関係から思い悩んで・・・だんだん欠勤を重ねるようになって、ついに会社を辞めて、引きこもってしまったんです。ぼくたちはそんなことになるまで、そのことに気づいてあげられなかった・・・」

 「・・・」

 亜矢は黙ってその話を聞いていた。正直な話、よく耳にする話かもしれないと思った。話を聞く限りでは、これまでの人生は順風満帆で、挫折など味わったことはなかったろう。だからこそ、人生ではじめて壁にぶつかり、その前で崩れてしまったのかもしれない。

 「兄はすっかり、自信を失ってしまっていました。再び職場を得てもそこでまた挫折するかもしれないというおそれから、しばらくは新しい仕事を探すこともせず、ずっと部屋に引きこもっていたんです。両親はなんとか兄を立ち直らせようと、カウンセリングを受けさせたり、いろいろなことをしました。その甲斐あって・・・兄はある心理セラピストの先生の治療を受けたことでだんだんと回復していき、このあいだようやく、新しい会社への再就職が決まったんです」

 「それはよかったね・・・。今度こそその仕事が・・・君のお兄さんの天職となればよいが・・・」

 亜矢のその言葉に、浩太はうなずいたが・・・

 「でも、それからなんです。自分が今までしてきたこと、今していることが、本当に将来の役に立つのか、わからなくなったのは・・・」

 やがてそう言った。

 「僕にとって兄は、手本となる人間でした。兄のように頑張れば、きっとこれからも幸せに生きていける・・・。そう思いながら、兄の背中を追い続けていった。でも・・・あの兄でさえ、現実の壁にぶつかってしまった。それなら、それを目標にして生きてきた僕も、これから先の人生で同じことになるかもしれない」

 「だから・・・今までやってきたことは意味のないことだったと思うのかい? それはそっくり・・・君のお兄さんを否定することになってしまう」

 「そんなこと思ってません!」

 亜矢の言葉に、浩太は激しく言った。

 「・・・ただ、わからなくなっただけです。これから自分が、何をすればいいのか。今のままの自分じゃ、いつか兄のように、現実の壁にぶつかることになるんじゃないかって・・・」

 「いつか・・・ではないね。それは必ずぶつかるものだよ。誰にでも・・・むろん・・・君にもね」

 「それなら、なおのことです。僕にはこれといって、好きなものも何もないんです。どうすれば、その壁を乗り越えられるのか。そのためには、今から何をしておけばいいのか・・・それがわからないんです」

 亜矢は黙ってその言葉を聞いていたが・・・やがて、静かに言った。

 「それが君の悩みならば・・・残念だが、私にはそれを解決してあげることはできない。未来は誰にもわからない・・・。なぜなら・・・未来は人それぞれが作っていくものだからだよ。だからこそ・・・そこには絶対の答えや公式などは存在しない・・・」

 「じゃあ僕は・・・いったいどうすればいいんですか!」

 「一生懸命生きろ・・・としか、私には言えないね・・・。君の人生を幸福にするも不幸にするも・・・それは、全て君次第なんだから・・・」

 浩太はその言葉に決定的に失望したように、それからは何も言わなくなった。やがて・・・

 「着いたよ・・・」

 浩太の家の前に着くと、亜矢は静かにそう言った。

 「・・・」

 浩太は無言で少し頭を下げると、何も言わずウィンディから降り、自宅の門をくぐっていった。

 「・・・」

 亜矢は静かにそれを見ていたが・・・やがて、ウィンディをゆっくりと発進させた。



 それから数日後・・・。

 「・・・」

 亜矢はオフィスの自分の机に頬杖をついたまま、ややぼんやりした眼差しで目の前のパソコンの画面をじっと見つめていた。と・・・

 ポンッ・・・

 肩を軽く叩かれた。それに振り向くと・・・

 「あ・・・すいません、亜矢さん。何かお仕事してましたか?」

 そこには、コーヒーを載せたお盆を持ったひかるが立っていた。

 「いや・・・ちょっとぼんやりしていただけだよ・・・。おや・・・?」

 亜矢はいつのまにか、オフィス内に自分たち二人だけしかいなくなっていることに気がついた。

 「みんな・・・どこへ行ってしまったんだい・・・?」

 「圭介君は整備の仕事の手伝いにガレージにいきました。他のみんなは、武道場のほうへトレーニングに・・・」

 「そうかい・・・。まるで気がつかなかったよ。ダメだね・・・」

 「コーヒーお持ちしました。どうぞ」

 「すまないね・・・」

 亜矢は苦笑いを浮かべながら、コーヒーを手に取った。ひかるも自分のカップをとって、仁木の席に腰掛ける。

 「あの・・・亜矢さん」

 カップを両手で持ち、ひかるが遠慮がちにそう言った。

 「なんだい・・・?」

 「最近、そういう風にぼんやりしてること、多くありませんか? もし何か悩みとかあったら・・・私でよければ、話してほしいんですけど・・・」

 おそるおそるといった調子でそう尋ねるひかる。

 「そう・・・心配をかけさせてしまっているのなら・・・たしかにそれは・・・よくないね・・・」

 亜矢はフッと笑った。

 「でも・・・悩みとか心配とか・・・そういうのとは、少し違うんだ。自分ではどうにもならないことだとわかっていることについて・・・考えているんだ・・・」

 「どういう・・・ことですか?」

 きょとんとした表情のひかるに、亜矢はこのあいだ浩太を家に送った車中での話をかいつまんで話した。

 「・・・将来が不安で、何をすればいいのかわからない・・・ですか。たしかにそれは、深刻な悩みですけど・・・だからといって、私たちがそれに答えを出すことはできませんよね・・・」

 話を聞き終わり、ひかるは深刻そうな顔でそう言った。

 「うん・・・。本人にとっては・・・これからの人生を左右する問題だからね。適当なことを言ってしまえば・・・彼の人生を台無しにしかねない・・・」

 亜矢はそう言うと、ひかるの顔を見た。

 「ひかる君は・・・どうなんだい? たとえば・・・君はどうして、料理を始めようと思ったんだい?」

 「え・・・? 私・・・ですか?」

 ひかるは少し戸惑ったが、やがて話し始めた。

 「・・・私が小学校に入ったばかりの頃なんですけど・・・隣に住んでいたおじいさんが亡くなったんです。とっても優しいおじいさんだったから、とても悲しかったんですけど・・・でも、一緒に暮らしていたおばあさんはもっと悲しんだんです。おじいさんが亡くなってからすっかり元気を亡くしてしまったおばあさんを見るのが、私、すごく辛くて・・・。なんとかおばあさんを元気にさせてあげたくて、お母さんに相談したんです。そうしたら、お料理を作ってあげたらっていいんじゃないかと言われて・・・」

 ひかるは懐かしそうに目を細めた。

 「その頃の私は、まだ包丁も握ったことがありませんでした。だから、お母さんに教えられながら、おそるおそる作ったんです。オムレツでした。卵をかき混ぜるのも下手で、形もぐちゃぐちゃになっちゃいましたけど・・・一生懸命作ったんです。こんなものをおばあさんに出して本当に喜ぶのか、すっごく不安で・・・お母さんに背中を押されながら、やっとおばあさんにそれを出しました。おばあさんはそれを食べてくれて・・・おいしいって言ってくれたんです。そのときのおばあさんの笑顔、今でもよく覚えてます・・・」

 ひかるは本当にうれしそうな表情をした。

 「おばあさんがきれいに食べてくれたオムレツのお皿を洗いながら、お母さんが言ったんです。おいしいお料理は、どんな人でも幸せにできる。言葉の通じない外国の人でも、おいしい料理を作ってあげれば、きっと心は通じるって・・・。それで私、お料理って本当にすごいなって・・・そう思ったんです。それが、私がお料理を始めた理由でした」

 「なるほど・・・。ひかる君の作ってくれる料理のおいしさは・・・そこにルーツがあったんだね・・・」

 「そんな・・・。亜矢さんはどうなんですか? なぜ魔法を?」

 「それを話すと・・・それこそ日が暮れてしまうね・・・。でも・・・根本的なところでは、ひかる君と同じだよ・・・。どうすれば自分が・・・世の中の役に立てるか・・・それを探り続けた結果だよ・・・。でも・・・私は比較的早いうちに、それを見つけることができた。ひかる君も・・・それは同じだろう」

 亜矢はそう言うと、やや真剣な表情になった。

 「しかし・・・彼は違う。彼は今・・・道に迷っているんだ。しかし・・・人には、その人にしかできないことというものが・・・必ずある。きっかけでもいい・・・彼がそれを、早く見つけてくれれば・・・。ここ数日ぼんやりしていたのは・・・それは彼にしかできないことだとわかっていながら・・・そんなことを考えていたからさ・・・」

 「そうですか・・・。でも、本当にそうですよね・・・。焦るのもよくありませんけど・・・早く見つかるといいですよね・・・」

 二人は真剣な表情でそう言うと、静かにコーヒーを一口飲んだ。そのとき

 ビーッ! ビーッ!

 「!?」

 「!!」

 突然、サイレンが鳴り始めた。

 「ひかる君・・・」

 「はい!」

 急いで自分の席へと戻り、端末に表示されている情報を見るひかる。すると・・・

 「服部! 何が起こった!!」

 小隈以下他の隊員たちが、あわただしくオフィスへと駆け込んできた。



 ヒィィィィィン・・・ズン

 「ハッチ、オープン」

 ゴゥ・・・ン

 ひとまず道路わきの空き地に指揮車を着陸させると、聡美は慌しく後部ハッチのスイッチを入れた。

 「SMS第1小隊、出動します!」

 ガチャガチャガチャ!!

 そして、それが開ききらないうちに、仁木、小島、圭介が指揮車の中から出て行く。少し走って道路上へ出たところで、仁木たちは状況を確認した。

 現場はとある三車線の広い道路。しかしその道路のど真ん中には、何台ものパトカーたちがまるでバリケードのように横に停められていた。同時に警官たちがその道路に入ろうとする一般車両の誘導のための交通整理をすでに始めている。そして・・・

 ドガァァァァァァァン!!

 なんと、前方から車を次々と跳ね飛ばしながら、一台の大型タンクローリーがこちらへと逆走してくるではないか。それによって跳ね飛ばされた車や、それを避けようとしてハンドル操作を誤り横転した車によって、前方の道路は大混乱となっていた。そんな悲惨な状況も、車体が激しく損傷することも省みることもなく、タンクローリーはひたすらこちらめがけて突っ走ってくる。

 その日第1小隊分署に入ってきた知らせは、衝撃的なものだった。午後1:37。都内・駒込にあるドライ・ライトスタンドへドライ・ライトの補給のためにやってきたドライ・ライト会社のタンクローリーを何者かが強奪し、そのまま走り出したというのだ。スタンドのタンクにドライ・ライトを移す前に奪われたため、当然そのタンクの中にはドライ・ライトが満載されている。にもかかわらず犯人はそんなことなどおかまいなしにタンクローリーを暴走させ、次々と車を跳ね飛ばしながら暴走を続けていた。警察は、タンクローリーを被害の少ない郊外の国道へと誘い出して停める作戦を提案。パトカーなどかなりの犠牲を出しながらも、その誘導に成功した。そして、その最終段階・・・そこには、警察からの参加要請を受けた第1小隊の姿があった。

 「ったく・・・なんて奴だ。自分が乗ってるものの積荷がなんなのか、わかってるのか」

 圭介がその姿を見ながら悪態をつく。タンクローリーはドライ・ライトスタンドに到着後すぐに強奪されたため、積荷のドライ・ライトはそのタンクの中に満タンの状態で入っている。

 「亜矢さん、もしあのドライ・ライトが反応を起こしたら・・・」

 「ああ・・・。積荷のドライ・ライトは、一般燃料用のものだ。ひかる君たちの最初の事件の時みたいな高純度のものではないが・・・急激に気化すれば、危険なレベルの熱量を放出することにはかわりない。もしあのタンクローリーが横転でもしたら・・・」

 ひかるの声に、亜矢は考えられる最悪の事態を語った。

 「つまり、あのタンクローリーをできるだけ傷つけずに止めなきゃいけないわけだな。こりゃまた難儀な・・・」

 そう言って、頭を掻く仕草をする小島。

 「第3小隊の春日さんが持ってるテンタクルアンカーがあればなあ。あれならたくさんのワイヤーで、タンクローリーを絡め取ることもできるんだけど・・・」

 「ないものねだりをしてもしょうがないだろ。第3小隊を呼ぶには、時間がなさ過ぎる。アイディアとしちゃたしかにいいが・・・」

 聡美の言葉に、小島がそう言う。しかし・・・

 「・・・いえ。いけるかもしれないわ」

 少し考え込んでいた仁木がそう言ったので、小島と圭介が彼女に振り返った。

 「いける、って・・・」

 「犯人が制止に応じないのなら、力ずくで止めるしかないけど・・・小島君の言うとおり、あのタンクローリーは横転させたりすることなく、可能な限り無傷のまま止めなければならないわ。そのための理想的な方法は・・・あのタンクローリーを、真正面から受け止めてしまうことよ」

 仁木がそう言うと、二人は驚いた。

 「ま、真正面からって・・・いくらVJでも、あんなでかいタンクローリーに猛スピードでぶつかられたら、受け止めるどころじゃ・・・」

 「もちろん、まともにぶつかってはダメよ。でも・・・」

 そう言って、仁木は自分の考えたアイディアを語った。



 ゴォォォォォォォォォ!!

 轟音をあげながら、前方から迫ってくるタンクローリー。

 「停まれ!! 停まれぇっ!!」

 パトカー脇の警官達が、手持ちのハンドマイクを使って必死に制止の言葉を叫ぶ。しかし・・・

 ゴォォォォォォォォォォッ!!

 タンクローリーは停まるどころか、逆にさらにスピードを増して突っ込んできた。

 「う・・・うわっ!!」

 警官達がとっさに身を横へと躍らせた直後

 ドガァァァァァァァァァァァァン!!

 タンクローリーはバリケード代わりのパトカーに猛然とぶつかった。すさまじい音がこだまし、ぶつかられた車はガラスと車体の破片をまきちらしながら、コマのように激しく回転しながら吹き飛ばされた。パトカーを吹き飛ばし、なおも突進を続けるタンクローリー。しかし・・・

 「・・・」

 ガチャッ・・・

 その前方に、白と青の強化装甲服に身を包んだ二人の人物が立ちはだかる。

 「新座君・・・準備はいい?」

 仁木がその場に姿の見えない圭介に尋ねる。

 「準備OKです。そっちも、お願いしますよ」

 「まかせとけって。正直、おっかないけどな・・・」

 通信機の向こうの圭介に、小島は苦笑い交じりでそう言った。

 「来るわよ・・・」

 仁木の声に、再び目の前の出来事に集中する小島。タンクローリーは、前方数十mにまで迫っていた。

 「・・・」

 仁木の遠くを見つめようとする意思に、NIBEQが直ちに反応、デュアルカメラのピントを調節する。仁木の網膜投影ディスプレイに、運転席でハンドルを握る人物の姿が映し出された。

 タンクローリーを運転していたのは、20代後半ぐらいの男だった。外見上はこれといって兇悪そうなところのない、どこにでもいそうな男だった。ただ・・・その目には、明らかに普通の人間には見られない光が宿っている。精神錯乱者のそれにも似た目を見つめながら、仁木は言った。

 「亜矢さん、脚部と腕部のパワー最重視。小島君も、準備して」

 「了解・・・」

 「了解」

 仁木も小島も、片手に握ったものをさらにしっかりと握り締める。

 ゴォォォォォォォォォッ!!

 タンクローリーはすでに目前。しかし、車はスピードを落とさない。そして、その衝突の直前・・・

 「今よ!!」

 バッ!!

 仁木の合図で二人は左右へと飛んだ。

 ビンッ!!

 それと同時に、2本のワイヤーが二人の間にピンと張られる。

 ジャギィィィィィィィィィィィィィン!!

 その二人の間へとタンクローリーは突っ込んだ。ボコボコに傷ついたタンクローリーのボンネットが、2本のワイヤーに食い込み、悲鳴のような金属音をたてる。

 ガギィィィィィィィィッ!!

 「っ・・・!!」

 「ぐぅっ・・・!!」

 一方、仁木と小島は歯をくいしばりながら、ワイヤーを握る腕と、地面にしっかり立とうとする足に、渾身の力を込めていた。ワイヤーはそれぞれのVJの袖口から伸びていた。2人は互いにそれぞれのアンカーショットのワイヤーの先端を持ってピンと張らせ、その2本のワイヤーによって、突進してくるタンクローリーを真正面から受け止めたのである。空母に着艦した戦闘機を減速させるため、その車輪にワイヤーをひっかけるのと同じ原理である。しかし・・・

 ガガガガガガガガガガガ!!

 ワイヤーに邪魔をされながらも、タンクローリーはなおも突進しようとする。それによって、仁木と小島はすさまじい力でひきずられる。ワイヤーを離さず、なんとか姿勢を維持している二人だったが、力を込めている足がアスファルトを砕きながら、長い溝を穿っていく。

 「くっ・・・新座!!」

 小島が悲鳴にも似た声を発したときだった。

 ヒィィィィィィン!!

 タンクローリーの真上に、指揮車が飛来してピッタリと並走しはじめる。

 「・・・」

 その屋根の上では、真下のタンクローリーの屋根を見つめ、タイミングをうかがう赤いVJの姿があった。



 その男の顔は、蒼白だった。汗がダラダラと額から流れ、手は小刻みに震えている。不安に満ちた目は絶えず左右にキョロキョロと動き、ワイヤーでタンクローリーを止めようとしている二体のVJが視界に入ってくる。

 「ま・・・まだなんですか? まだやらなければいけないんですか・・・?」

 震える声で、まるで誰かに尋ねるようにつぶやく男。しかし・・・

 「わ、わかりました・・・。言うとおりにします・・・」

 男は震えながらうなずくと、震える手でさらにしっかりとハンドルを握り、アクセルを踏み込んだ。

 ゴォォォォォォォォォ・・・

 エンジンの回転音がさらに上がり、ワイヤーで押さえられた車体を強引に前へと進めさせようとする。と、そのときだった。

 バンッ!!

 「!?」

 突如、大きな音がして頭の上の天井が大きくへこんだ。思わず顔を天井に向ける男。すると・・・

 ベキッ!!

 「!?」

 突然、金属で覆われた赤い拳が、天井を突き破って飛び込んできた。あまりのことに、狭い運転席の中で思わず身を引く男。しかし・・・

 ベキベキッ・・・

 赤い拳は自ら開けた穴の端をつかむと、それを手がかりに天井を引っぺがし始めた。すさまじい力で天井がはがされていくが、そこから覗いたのは青空だけではなかった。

 「東京都SMS第1小隊だ! すぐに車を止めろ!!」

 車の屋根の上にかがみこんだ赤いVJが、デュアルカメラを輝かせながら力強く言い放つ。

 「ひぃっ・・・!!」

 情けのない悲鳴をあげる男。しかし・・・

 「・・・!!」

 すぐに元通り運転席に座り、アクセルを踏もうとする。

 「!! このっ・・・!!」

 しかし、それを見た圭介の動きは素早かった。片手に持っていたスタンスティックを素早く持ち上げ、男の体に押し付けようとする。が・・・

 「ウッ・・・!」

 男は急にうめき声のような声を出すと、そのままガクリとなった。

 「!?」

 圭介はそれを見て、屋根に開けた穴から運転席へと入り込んだ。

 「意識がない・・・」

 目の前で突然男が意識を失ってしまい、圭介はいぶかしげに男を見た。が・・・

 「新座君!!」

 仁木の声に気を取り戻し、ハッと前方を見る。すでに目前に、渋滞した車の列が迫っており、このままでは突っ込んでしまう。圭介は急いで男の体をどけると、運転席に座り、アクセルを思い切り踏み込んだ。

 ブシュウウウウウウウウウ!!

 強烈なエアブレーキが各所から噴き出し、タンクローリーのスピードを下げていく。しかし、それでもなお車の列は迫ってくる。

 「副隊長! 小島さん!」

 アクセルを目一杯踏み込みながら、圭介が叫ぶ。

 「くっ・・・!!」

 「うぉぉぉぉぉ!! 俺よ、奮い立て!! なぜ、ベストを、尽くさないのかぁぁぁぁぁ!!」

 仁木と小島がそれぞれ最後の力を振り絞り、渾身の力を腕と足に込める。強烈な負荷に関節部のアクチュエーターが悲鳴をあげるが、二人は力をゆるめなかった。

 ゴォォォォォォォォッ・・・

 タンクローリーが、徐々にそのスピードを落としていく。そして・・・

 フシュウウウウウウウウ・・・

 渋滞した車の列にあと10m少しというところで、ようやくタンクローリーは停車した。

 「ふぅっ・・・」

 なんとか、最悪の事態だけは回避できたことを実感し、息をつく圭介。

 「やりましたね、圭介君!!」

 「ああ・・・」

 息をつきながら、喜ぶひかるの声に答える圭介。外からも、警察や市民の喜びの声が聞こえてくる。

 「副隊長、小島さん・・・大丈夫ですか?」

 「ああ、なんとかな。もうクタクタだよ・・・」

 「VJにも負担をかけてしまったわ。楢崎さんに謝っておかないと・・・」

 「大丈夫ですよ。名誉の負傷なら、むしろ喜んでくれますって。なんとかこれで、一件落着でしょうか?」

 「そうだな。現場検証が終わったら、撤収だ。と、その前に・・・警察に犯人を引き渡さなければならないな。新座、悪いが・・・」

 「ええ、わかりました」

 圭介はそう言うと、隣で意識を失っている男に視線を落とした。



 一方その頃。一時騒然となっていた現場は落ち着きを取り戻し、事故を起こした車両の撤去と交通整理、それに、事故車からの負傷者の救出が始まっていた。沿道には騒ぎを聞きつけた野次馬が集まり、整理の警官の肩越しに、現場の様子を物見高く見ている。

 「・・・」

 銀縁の眼鏡をかけた男が、その後列から現場を見ていたが・・・彼は眼鏡をスッと直すと、野次馬たちの中から離れていった。



 「いやぁ、わざわざおいでいただいてありがとうございました」

 事件から一夜が明けた次の日。中野の警察病院の廊下に、捜査部の村松の案内を受けながら歩く圭介、亜矢の姿があった。

 「いえ。こっちも事件の経過は気になりますから。それより、あの男は・・・」

 圭介が村松に尋ねる。

 「ええ。電話でもお話しましたが・・・まだ意識が戻っていません・・・」

 圭介は怪訝そうな顔をした。

 「俺の目の前で、突然意識を失ったように見えましたが・・・なぜ目覚めないんですか?」

 「お医者さんの話では、体や脳に異常はないそうですが、なにか精神的な原因によって、まだ目を覚ますことができないそうです。それがなんなのかは、詳しく調べなければわからないようですが・・・」

 「・・・」

 村松が代わって答える。考え込む亜矢。そうしているうちに、三人は病室の前へ来ていた。

 「どうぞ、お入りになってください」

 「はい・・・」

 「失礼します」

 ゆっくりと病室の中へと入る圭介と亜矢。病室の中には、ベッドが一つだけ置かれていた。そしてその上に、あのタンクローリーを運転していた男が眠っていた。一見して死んでいるようにも見えるが、傍らに置かれた心電図は、規則正しい波形を描いている。

 「あれからずっと、こんな状態でして・・・」

 ドアを閉めながら、村松が言う。圭介と亜矢は、ゆっくりとベッドへと近づいた。寝顔を見る限りでは、ごく普通の若者に見える。と・・・

 「すみません・・・」

 「・・・?」

 突然男が口を開いて何かをつぶやいたので、二人は耳を男の顔に近づけた。

 「すみません・・・。でも・・・言われたとおりにはしました・・・。これで・・・いいんですよね・・・」

 「・・・?」

 思わず顔を見合わせる二人。すると、村松が言った。

 「意識はないんですが、時々そんなふうにうわごとを言うんですよ。何か事件とも関係があるかもしれませんが・・・」

 「・・・彼の身元は、判明したのですか・・・?」

 「はい。なにしろ、所持品がほとんどなかったので苦労しましたが・・・つい先ほど、なんとかわかりましたよ」

 亜矢が尋ねると、村松はうなずいた。

 「本名・植村正臣。年齢、25歳。都内にあるシステム開発メーカーに勤める会社員です」

 「植村・・・?」

 その名前に、亜矢が妙な表情を浮かべる。

 「なにか?」

 「いえ・・・なんでもありません。それで・・・今回の事件につながる動機のようなものは・・・?」

 「ええ、それなんですが・・・」

 村松は頭をかいた。

 「彼の経歴については、まったく不審なところはありません。今回の犯行につながるような前歴や危険な性癖とは、まったく無縁なのです。これは一連の突発的殺人事件のほかの犯人たちも同じで、我々も頭を悩ませているのですが・・・」

 「それじゃあ、彼らのほかにも誰か真犯人がいると?」

 「その可能性は高いと思います。先ほどのうわごとの内容も、そういうふうにとることもできますから・・・。しかし、やはり彼が目を覚ましてくれないと、詳しいことはわかりませんね。今までにつかまった犯人たちも同じことで、みな逮捕の寸前突然意識を失ってしまい、こんな状態なんですよ・・・」

 植村を見つめる村松。

 「ほかにはなにか・・・」

 「残念ながら、あとははっきりしたことは・・・。所持品も、これだけだったので・・・」

 そう言って村松は、ポリ袋に入れられた何かを取り出した。

 「なんですか、それは?」

 「人形です。マスコットと言ったほうがいいかな。とにかく、こんなものを大事そうに持っていました。特に変わったところはないようですが、しかし・・・」

 「なにか・・・?」

 「はい・・・。実は、これと同じ物を、他の犯人たちも持っていたのです」

 「本当ですか?」

 思わぬ事実に、圭介が驚いた。

 「ええ・・・。一連の事件の犯人たちはみな、このマスコットを大事そうにもっていました。この男にしても、懐の中に、大事そうに・・・」

 「・・・」

 「ちょっと・・・いいですか?」

 「ええ、どうぞ」

 亜矢にそれを手渡す村松。ポリ袋の中に入っていたのは、毛糸で織られた小さなマスコット人形だった。

 「・・・」

 「変なもの持ってたんですね。これは・・・天使・・・かな?」

 圭介がそれを見ながらつぶやく。たしかにそれは、白衣を身に纏い、背中に小さな翼をはやした、かわいらしい天使をかたどっているように見えた。

 「それと、身元が判明したことで、家族がいることも判明しました。少し前に連絡しましたので、もうすぐこの病院へ来ると思いますが・・・」

 と、村松が言ったそのときだった。ノックの音がしてドアが少し開き、ナースが顔を出した。

 「失礼します。患者さんのご家族がお見えになりました」

 「おお、噂をすれば・・・。入ってもらってください」

 村松がそう言うとナースはうなずき、ドアを大きく開けた。すると・・・

 「正臣・・・!」

 一人の年かさの女が、悲壮感を顔一杯に漂わせた表情で、小走りに部屋の中へと駆け込んできた。

 「正臣! 目を開けて! なんでこんなバカなことを・・・」

 目を覚まさない植村の体にすがりつき、すすり泣きを始める女。それに続いて、スーツに身を包んだ初老の男が入ってきた。身なりはよく、平均以上の暮らしをしている人物に見えた。

 「どうも・・・このたびは、うちの息子がご迷惑をおかけしまして・・・。植村正臣の父、植村和幸です」

 そう言って、男は深々と頭を下げた。

 「警視庁の村松です。おいでいただき、ありがとうございます」

 「いえ。それよりも・・・昨日の事件で、あのタンクローリーを運転していたのが正臣だったというのは・・・」

 「ええ、残念ながら・・・。こちらの方が、現行犯で逮捕しましたので・・・」

 「申し遅れました。東京都SMS第1小隊実動員、新座圭介です。こちらは・・・」

 「同じく、管制員の桐生亜矢です・・・」

 和幸に自己紹介をする二人。

 「そうですか・・・。こんなことになれば誰でもそう思うかもしれませんが・・・とても、信じられません・・・」

 そう言ってうなだれる和幸。

 「おいでいただいたところいきなりで失礼ですが・・・彼が今回のようなことをした動機について、なにか心当たりは・・・」

 和幸に尋ねる村松。しかし、和幸は力なく首を振った。

 「いえ・・・申し訳ありませんが・・・。息子も今は家を出て、一人暮らしをしているので、昔ほどには今の正臣を知らないのです。それに・・・正臣はもともと、内気ですが根気強く、真面目な性格です。社会のルールを破るようなことは、なによりも嫌っていたはずなのに・・・」

 と、そのときだった。

 コツ・・・

 病室の入り口で、足音が聞こえた。全員が振り返ると・・・

 「遅くなってごめん、父さん・・・」

 「おお、来たか浩太」

 そう言って、病室に入ってきた人物を見る和幸。と・・・

 「あ・・・!」

 「・・・」

 病室内にいた亜矢の姿を見て、浩太は驚きの表情を浮かべた。



 やや雲の多い空から、うっすらと白い光が降り注いでいる。あちこちに緑豊かな植物が植えられた庭の中を、義足をつけた患者や車椅子の患者が、医師やナースに付き添われ、リハビリのためにゆっくりと歩いている。静かな時の流れる病院の中庭の一角に置かれたベンチ。圭介にあとをまかせ病室を抜け出してきた亜矢は、浩太と一緒にそこに腰掛けていた。

 「苗字が同じだったから・・・もしかしたらとは思ったけどね・・・」

 亜矢は静かに浩太に言った。

 「それでは・・・このあいだ言っていたお兄さんというのは・・・彼のことなんだね・・・?」

 亜矢の言葉に、浩太は黙ってうなずいた。

 「すみません・・・。まさか兄が、こんなことをするなんて・・・」

 「君が気にすることはないよ・・・。ただ・・・」

 「ただ?」

 「君にも聞きたいんだ・・・。君のお兄さんがこんなことをすることになった動機に・・・何か心当たりはないか・・・」

 亜矢は浩太を見た。

 「君のお父さんの話を聞く限りでは・・・とてもあんなことをするような人ではないようだが・・・君は何か、知らないかい・・・?」

 浩太は、ゆっくりと言った・

 「父は・・・今の兄のことは、よく知りませんよ。一人暮らしをするようになってから、どちらもお互いにあまり会う機会がなかったし・・・。兄が会社を辞めたときも、そのことを軽率だといって怒りましたし・・・」

 「このあいだも聞いたけれど・・・お兄さんは、再就職に成功していたのだったね・・・」

 「ええ・・・。つい2ヶ月ぐらい前に・・・。それまでは会社を辞めてから引きこもりがちだったんですが、なんとか、それを乗り越えて・・・」

 「それなのに・・・なぜそんなことを・・・」

 「・・・」

 黙りこむ浩太。亜矢はアプローチを変える意味で、何かを取り出した。

 「お兄さんの所持品は・・・これだけだったそうだ・・・。何か・・・心当たりはないかな・・・?」

 それは、あの天使のマスコットだった。村松に頼んで借りたものである。すると・・・

 「あ・・・見たことはありますよ。前に兄に会いに行ったときに、大事そうに持っていました」

 浩太がそう言った。

 「男のくせになんでこんなもの大事に持ってるのか、変に思って尋ねたんですが・・・これは、お守りだって・・・」

 「お守り・・・?」

 「ええ・・・。これをもっていると、自分に自信が持てる。自分のするべきことがわかる・・・そう言っていました」

 「・・・」

 亜矢は黙ってそのマスコットを見つめた。

 「このマスコットをどこで手に入れたか・・・話してはくれなかったかな?」

 「別に、通信販売とかで売ってる怪しい開運グッズなんかじゃありません。ほら、このあいだ話した、心理セラピスト・・・その先生にもらったとか・・・。そういう治療法なんだって・・・」

 「・・・」



 ガチャッ

 「はい、開きましたよ」

 ドアのカギを開け、初老の管理人はそう言った。

 「それじゃあ、お帰りのときにまたお声をかけてください」

 「ご協力、感謝します・・・」

 頭を下げる亜矢と圭介にうなずき、彼は去っていった。

 「入ろう、新座君・・・」

 「ええ・・・」

 お互いにうなずくと、亜矢と圭介は正臣の住んでいたアパートの部屋へと踏み込んだ。

 パッ

 玄関に入るとセンサーが反応し、自動的に室内に明かりがともる。二人は靴を脱ぐと、玄関から中へあがりこんだ。

 「・・・」

 部屋に入った亜矢は、リビングの中を見回した。

 「ちょっと殺風景ですけど・・・見たところ、あんまり変わった所はないようですね」

 圭介が部屋の印象を語る。たしかに部屋は必要最小限のものしか置かれておらず、住人の趣味を感じさせるものはあまりない少し殺風景なものだったが、少なくとも、一般人の部屋とそれほど違った印象をもたせるようなものではなかった。

 「もう警察が調べ終わってるみたいですけど・・・まだ何か見つかりますかね?」

 「やってみなければ・・・わからないね・・・」

 圭介の言葉通り、すでにこの部屋は警察による捜索を受けていた。が、もともと狭い部屋の上に、あまりものも置かれていなかったということで、捜査はすぐに終わり、その結果、めぼしいものも見つからなかった。

 「私はこの部屋を探すから・・・新座君は、クローゼットのほうを・・・」

 「わかりました」

 うなずき、その場から離れる圭介。亜矢はそれを見送ると、机に目を向けた。他は整然としているこの部屋だが、パソコンの置かれたこの机は仕事場としても使っていたのか、書類や本やディスクやらが少し乱雑に積み重ねられていた。亜矢はまず、それにとりかかることにした。

 「・・・」

 書類の山を整理しながら、一つずつ、黙々とチェックをしていく亜矢。と、その時・・・

 「・・・!」

 一枚の書類を手にしたとき、彼女の動きが止まった。

 「新座君」

 亜矢が呼ぶと、圭介はすぐに隣の部屋から戻ってきた。

 「なにか見つかりましたか、亜矢さん?」

 「村松さんに頼んで・・・他の事件の犯人たちの最近の経歴について、調べてほしいのだけど・・・」

 そう言う亜矢の手には、ホームページをプリントアウトしたものらしき紙が握られていた。



 「重村メンタルクリニック?」

 「ええ、そうです。犯人たちの最近の行動を詳しくチェックした結果わかったんですが・・・犯人たちはみな、そのメンタルクリニックへの通院暦があったんです」

 自動運転のウィンディの運転席で、送られてきた資料を手にしながら、圭介は分署の小隈に報告をした。

 「それも、ただ同じ病院に通っていただけでなく、主治医も同じ人物だったようです。年齢、性別、職業など、他には何の共通点もない犯人たちが、唯一そのことについては共通していて・・・」

 「ふむ・・・。それで、その病院が今回の事件になにか関わっていると?」

 「断定はできませんが、気になることは確かです。それで、今そのメンタルクリニックへ向かっているところなのですが・・・」

 助手席では亜矢が、無言で前方を見つめている。

 「わかった。好きなように捜査を進めてくれ。何かわかったら、また連絡してくれ」

 「了解しました。それじゃあ」

 圭介はそう言うと、通信を切った。

 「やっぱり、その病院はなにか事件と関わりがあるんでしょうかね・・・」

 小隈がした質問と同じものを、圭介は亜矢に尋ねた。しかし、亜矢は黙って前方を見つめるだけだった。

 「まもなく、目的地に到着します」

 ウィンディのアナウンスが、その事実を告げた。



 「重村メンタルクリニック」を尋ねた二人は、応接室に通された。それほど大きくもないビルの2階にある医院だったが、内装は落ち着きと清潔感のあるもので、穏やかな音楽が小さく流れていた。やがて、クリニックの院長がいくつかのカルテを持って部屋に入ってきた。

 「おっしゃるとおりです。たしかに、その方たちは皆この病院で治療を行った患者さんでした」

 カルテを眺めながら、院長はそう言った。

 「それで・・・その主治医を務めていた先生は、今どちらに?」

 圭介が尋ねると、院長は弱った顔をした。

 「それなんですが・・・つい先日から、連絡がとれなくなってしまっていて・・・。我々も困っているんですよ。彼は優秀なセラピストでしたから、彼の治療を受けるために遠くからやってくる患者さんもいるもので・・・」

 圭介と亜矢は、顔を見合わせた。

 「すみませんが・・・その先生について、履歴書か何かは・・・」

 「ええ。ここにあります。どうぞ」

 そう言って、院長はカルテと一緒に持ってきた履歴書を亜矢に手渡した。

 「森谷篤志・・・」

 亜矢は履歴書に書かれたセラピストの名を読み上げた。その横には、細めのフレームの眼鏡をかけた、やや無機質な顔の男の写真が載せられている。

 「2年ほど前から当院で働いておりまして・・・今までにもたくさんの患者さんの治療にあたって成果を残してきました。セラピストとして、彼はとても優秀ですよ」

 「彼の治療を受けるために来る人というのは、具体的にはどんな人なのですか?」

 圭介がそう言うと、院長はやや渋い顔をした。

 「患者さんのプライバシーにも関わることなので、詳しく申し上げることはできないのですが・・・何かのきっかけで、自分に対する自信を失ってしまった人というのが、彼の担当する患者さんには一番多かったですね。普通の人でも、何か大きな失敗をしたときなどに自分がどうしようもなくダメな人間に思え、一時的に何もする気力がなくなってしまうことがありますが・・・」

 「つまりは、その傾向が特に強い人・・・ということですか?」

 「ええ、そうです。そういう方はその症状が激しいと、ひどい鬱状態に陥ったり、自殺してしまうこともありますので・・・そういった患者さんを励まし、生きる自信を回復させることも、我々の仕事の一つなのです」

 院長はそう言った。

 「それで、彼の治療を受けた人たちは、その後・・・」

 「先ほど申し上げましたとおり、彼は優秀なセラピストでした。先ほど申し上げたような症状がかなり強い患者さんでも、たくさんの患者さんが彼の治療によって回復し、学校や会社など、社会への復帰を遂げることができました」

 圭介と亜矢は、顔を見合わせた。院長の話を聞く限りは、よい人物のようだが・・・。

 「その先生がいなくなってしまったことについて・・・何か心当たりは・・・?」

 「いえ・・・。何しろ真面目でしたから、今まで無断欠勤などしたこともないのです。私からもお願いします。なんとか、彼を探し出してください・・・」

 逆に圭介と亜矢は、院長から頼まれることになってしまった。



 「・・・というわけなんです」

 分署に戻ってきた圭介は、報告を締めくくった。

 「犯人たちの共通点は見つかったが、そのカギと思われる男は行方不明・・・か。不可解な話だな」

 小隈がそれを聞いてうなる。

 「その先生の家に行ってみれば、なにかわかるんじゃないですか?」

 ひかるが尋ねるが、圭介は首を振った。

 「履歴書に書いてあった住所に行ってみたんだけど・・・すでにマンションの部屋を引き払ったあとだったんだ。転居届も出されていないし、どこへ行ったのかは全くわからない」

 「ますます怪しいね」

 聡美が眉をひそめる。

 「もう一つの手がかりはどうなっているの? 例の、天使のマスコットは・・・」

 「すでに科学部の方へ回して、分析をしてもらっています。何かわかれば、むこうから連絡がくるはずなんですけど・・・」

 仁木の問いに答える圭介。

 「それで、亜矢さんはどこへ行ったんだよ?」

 なぜか亜矢は圭介と一緒には戻ってこなかったので、小島が尋ねた。

 「本部に行きました。なんだか、調べ物をしたいとかで・・・」



 その頃、亜矢はSMS本部の情報センターのカウンターに座っていた。

 「お待たせしました」

 SMS情報部職員が、一枚のハードコピーを持ってきた。

 「森谷という苗字の心理学関係者・・・ということで、よろしかったですね?」

 確認する職員に、亜矢は無言でうなずいた。

 「検索の結果該当したのは、この人物だけでした。ご覧になってください」

 そう言って、ハードコピーを渡す職員。

 「・・・!」

 そこに載せられていた写真を見て、亜矢の表情が変わる。

 「思い出しました・・・。たしかに・・・この人物です・・・」

 「そうですか。よかった」

 職員はホッと胸をなでおろすと、ハードコピーに記された人物について説明を始めた。

 「森谷明彦。精神医学博士で元・東都精神病院院長。特に催眠術とそれが人間の脳に及ぼす作用の研究について、世界的な権威と呼ばれた人物ですが、12年前に公職を離れています。しかし、それは自ら辞めたというものではなく・・・」

 「・・・彼の提唱した療法が、学会によって危険なものとされ・・・追放同然に学会、医療界から姿を消した・・・」

 職員が言おうとしたことを亜矢が言ったので、彼は驚いた。

 「ご存知だったんですか? それならわざわざ、ここへ来なくても・・・」

 「いえ・・・。たしか・・・森谷という名前のそんな学者がいたということを・・・ぼんやりと覚えていただけです・・・。その心理療法がどんなものだったのかも・・・詳しい内容までは覚えていなかったので・・・」

 「そうですか。それなら、まだお役に立てそうですね。その研究がどんなものだったからも、我々で調べることができますが・・・」

 「お願いします・・・。それと、もう一つお願いしたいのですが・・・」

 「なんでしょう?」

 「彼の家族についても、詳しく調べたいのです。特に・・・彼の子供について・・・」

 「わかりました。すいませんが、またもう少しお待ちください」

 そう言って、職員は席を離れていった。

 「・・・」

 待つ間、亜矢はハードコピーをジッと見つめていた。



 「あ、いたいた」

 運転席の助手席から外をうかがっていた聡美は、本部前に立つ亜矢の姿を見つけて声を出した。運転をしていた小島もそれに気づき、ウィンディを本部前の路肩に停車させる。

 「ありがとう・・・。悪かったね、迎えに来てもらって・・・」

 後部座席に乗り込みながら、亜矢は言った。

 「これぐらいお安い御用ですって、亜矢さん」

 「そうそう。それより、重大なことがわかったって、どういうことなの?」

 亜矢からの連絡を受けて彼女を迎えに来た二人は、そのことを気にしていた。

 「重大なことかどうかは・・・まだわからないけどね・・・。これからある場所へ・・・向かってほしいんだ・・・。これが・・・その住所・・・」

 亜矢はそう言って、一枚の紙を小島に手渡した。



 ブォォォォォ・・・

 やがて・・・都内のとある閑静な住宅街に建つ一軒の屋敷の前に、ウィンディは停車した。

 「はぁ〜・・・大きなお屋敷だなぁ」

 車から降りた小島がそれを見上げ、感嘆したような声を出す。

 「やはりここで・・・間違いないようだね・・・」

 石造りの門柱にかけられた表札の文字を見ながら、亜矢がつぶやく。表札には「森谷」と書かれていた。

 「それじゃここが、その森谷っていうお医者さんの?」

 「ああ、実家だよ・・・。7年前に彼の父、森谷明彦氏が亡くなった後・・・彼が相続したらしい。彼自身は、もうもぬけの殻になっているマンションで暮らしていたので・・・この7年間、ここは無人らしいけど・・・」

 ギィッ・・・

 亜矢はそう言って、鉄の格子の門をきしませながら押し開けた。

 「入って大丈夫なの?」

 「警察の許可は得ているからね・・・。悪いけど・・・二人もついてきてくれるかな? 中は広そうだから・・・」

 どうやら亜矢は、中を捜索するために二人を呼んだらしい。返事も聞かずに彼女は敷地へと入っていってしまったが、二人はすぐにそのあとを追った。



 ギシッ・・・ギシッ・・・

 古い板張りの床を踏みしめるたびに、きしむ音がする。亜矢はゆっくりと足を進めながら、次の部屋を目指していた。すでにいくつかの部屋を見回っていたが、空家になってから使われた様子のない埃のかぶった部屋ばかりで、特にめぼしいものはなにも見つからない。2階や地下の部屋を捜索している小島と聡美からも、何かを見つけたという声はなかった。

 「1階は・・・ここが最後のようだね・・・」

 とうとう最後の部屋の前にたどり着き、亜矢がつぶやく。今までの部屋のドアは全て木でできていたが、その部屋のドアだけは観音開きの金属製のもので、一見すると倉庫の扉のようにも見えた。

 「・・・」

 ガチャ・・・

 そのドアハンドルに手をかけて押し下げる亜矢。鍵はかかっていなかった。

 ギィ・・・

 重い扉を開けながら亜矢は足を踏み入れた。部屋はかなりの広さだったが、室内は闇に閉ざされていてよく見えない。亜矢はその場に少し立ち尽くして眼が慣れるのを待つと、やがて周囲を見回して壁のスイッチに気がつき、それに手を伸ばした。

 パチッ!

 部屋に電気が灯り、一瞬にして全てが明らかになる。

 「!」

 亜矢はその光景を見て、少し驚きの表情を浮かべた。そこにはいくつもの大きな実験用のテーブルが置かれ、壁面には所狭しと様々な実験機材や計器、コンピュータが並べられていた。

 「森谷博士・・・自宅にも実験室を持っていたのか・・・」

 亜矢は少し歩みを進めて、実験用のテーブルの上を見つめた。埃まみれだった他の部屋とは異なり、そのテーブルを始めとして、実験室の中はきれいに掃除されていた。

 「最近まで使われていたようだね・・・」

 室内のほかのものも見てそうつぶやくと、亜矢はSナビを取り出した。

 「小島君、聡美君・・・1階の突き当たりにある部屋に来てくれないか・・・」



 「じゃあ、森谷篤志はずっとここで何かの研究をしていたと?」

 小島がそう尋ねると、亜矢はうなずいた。

 「そうとしか考えられない・・・。おそらく・・・彼の父である森谷博士の研究を・・・ここで継続していたんだろう・・・」

 「森谷博士の研究を? それって、まさか・・・」

 小島が驚いた様子を見せる。

 「なになに? 小島さんも、その森谷って人がどんなことしたか知ってるの?」

 「ああ、医学界じゃ有名な事件さ。大きなニュースにもなったから、一般の人にも有名なはずだが・・・お前、覚えてないのか?」

 小島がそう尋ねるが、聡美は首を横に振った。

 「ちぇっ、だから昔の事件は勉強しとけって言ってるんだよ」

 「そんなこと言ったって、昔の事件っていってもたくさんありすぎるんだから、いちいち覚えられるわけないじゃない」

 「まぁまぁ・・・。私も調べるまでは・・・忘れていたんだから。私が順を追って説明するよ・・・」

 亜矢はそう言って口を開いた。

 「この屋敷の主、森谷明彦氏は・・・催眠術とそれが人間の脳に及ぼす作用の研究について、かつて世界的な権威と呼ばれた精神医学博士だった・・・。そのことは、車の中で話したね?」

 「うん」

 「彼はいくつかの精神障害について効果的な催眠療法を発見し・・・その分野の医師としての名声をほしいままにしていた・・・。ところが、今から13年前・・・彼の人生の歯車は、大きく狂ってしまった・・・」

 「13年前?」

 「彼はある装置を発明したんだ。治療が困難といわれるある精神障害の患者を治療するため、強力な催眠波を患者の脳に浴びせ、強い自己暗示をかけることによってその精神を正常なものへと矯正するという装置・・・。彼はこの装置を使って、その精神障害を治そうとした」

 小島がそう言う。

 「だが・・・当然ながら、それは患者の脳に大きな影響を及ぼす危険性があった。精神障害の治療という目的上・・・それを確かめるには人体実験をするほかはなかった・・・。当時はまだ・・・擬似電子人体モデルも完成していなかったからね・・・」

 亜矢はうなずいて、そのあとを続けた。

 「しかし・・・それにまったがかかった。彼の研究が一部の精神医学者達に知られ、その危険性を糾弾されたんだ・・・。彼らによって森谷博士の研究は公に知られることになり・・・彼は医師会からその装置の研究の凍結を命令された。しかし・・・その精神障害の治療は、彼にとっては医師となってからの悲願だった。そして・・・ついに彼は、越えてはならない一線を越えてしまった・・・」

 「え・・・?」

 聡美が驚いたように目を見開く。そんな彼女に、小島が言った。

 「自分の病院の入院患者だったその精神障害の患者に、その装置を使ったんだよ。もちろん、独断でな」

 「! それで、結果は・・・?」

 「・・・失敗だった・・・。患者はさらに精神に変調をきたして暴れまわり・・・一日と経たないうちに、そのまま衰弱死したんだ・・・」

 亜矢はつぶやくようにそう言った。

 「実験の失敗は助手を務めていた医師の告発によって、すぐに明るみに出ることになった。彼はそのまま刑事告訴され、結局禁固刑だけは免れたものの院長の職からは下ろされ、医師免許も剥奪された。失意のうちに彼は、医学界から姿を消したんだ・・・。「東都精神病院事件」という・・・有名な事件だよ」

 「そんなことがあったんだ・・・。それで、それから森谷博士は?」

 「表舞台に出てくることがなかったからね・・・詳しいことはわからない。7年前に亡くなっていることがわかっているだけだよ。ただ、自宅にもこんな研究室を持っていたということは・・・もしかしたら、医学界から追放されたあとも、あの装置の研究を続けていたのかもしれない・・・」

 「ああ、問題なのはそれだ。でも、あの森谷博士に子供がいたなんて・・・。どんな男だったんです、森谷篤志という男は?」

 「情報部で、できる限りの資料は集めてきたけどね・・・」

 そう言って亜矢は、いくつかの資料を取り出した。

 「彼は幼い頃に母親を亡くし・・・ずっと森谷博士と二人で暮らしてきたらしい・・・。彼も父親と同じく精神医学者の道を志し・・・森谷博士が事件を起こしたときには・・・ちょうど研修医として働いていたようだ・・・。森谷博士のことで、彼もいろいろと嫌がらせにあったようだけど・・・彼はそれでも父親を目標として勉強を続け・・・医師免許を取得した。医師としての腕も若いながら森谷博士に負けないほどで・・・将来を嘱望されていたらしい・・・。だが、ちょうどその頃森谷博士が亡くなり・・・遺産を相続した彼は決まりかけていた大学病院への就職の話を蹴り・・・小さな個人クリニックだった重村メンタルクリニックへと就職した。彼はそれからずっと・・・あそこで働いていたんだよ・・・」

 資料に書かれている内容を要約する亜矢。

 「しかし・・・この研究室はつい最近まで使われていたようだ・・・。もし彼が、父親の研究を引き継いでここで続けていたとしたら・・・」

 「やっぱり、今までの事件はその人が起こしたものなのかな?」

 「断定はできないが・・・その可能性は高いね・・・」

 亜矢はうなずいた。

 「もし森谷篤志が・・・父親の研究をそのまま引き継いで続け・・・何らかのかたちでそれを実現したとしたら・・・。この研究室の中に何か残されていないか・・・手分けして探してみよう・・・」

 亜矢の言葉に小島と聡美はうなずき、研究室の中を歩き回り始めた。



 一方そのころ。屋敷の外では・・・

 ブォォォォォ・・・

 一台のエアカーがやってきて、屋敷の壁沿いに止まった。

 「つ、つきました。ほかにも誰か、もうここへ来ているようですが・・・」

 運転席の男はおどおどした表情で、自分の車の前に停車しているウィンディを見てそう言った。

 「SMSが感づいたようですね・・・。やはり、やってきて正解でした・・・」

 どこからともなく、男の耳に声が聞こえてきた。車内のどこにも、ほかに人の姿などないにも関わらず・・・。

 「そ、それで、これからどうすれば・・・」

 「先ほど言ったとおりにすればよいのです。大丈夫、私の言うとおりにすれば問題はないのです」

 「し、しかし・・・」

 男はおびえきった様子で、車の後部を振り返った。

 「何をしているのです。さぁ、早く降りて、トランクの中のものを運び出しなさい」

 「で・・・できません。そんな・・・おそろしいこと・・・」

 「私はあなたのためを思って言っているのです。今まで私が言ってきたことに、間違いはありましたか?」

 「い、いえ・・・そんなことは・・・」

 「それとも・・・私の言うことを無視して行動する勇気が、あなたにはあるのですか?」

 「・・・」

 男は汗をダラダラと流し、顔面を蒼白にしたまましばらく黙っていたが・・・

 「・・・」

 ガチャッ・・・

 ゆっくりとドアを開け、おぼつかない足取りで外へと踏み出し、トランクのドアを開けるべく後部へと向かって歩き出した。

 「そうです・・・あなたは私の言うとおりにしていればいいのです・・・」

 男の耳に、声が聞こえる。その胸には、首から紐で提げられた天使のマスコットがゆれていた・・・。



 「ゴホゴホッ! ちょっと小島さん、書類を調べるんだったらもっと丁寧にやってよね!」

 「しょうがねえだろ! こんなに山積みにされてるんだから」

 「やりかたってもんがあるでしょうが。いいからあたしにもやらせてみなさいって」

 研究室の片隅でいつものように口喧嘩をしながら書類の山と格闘している聡美と小島。亜矢はそれを見て苦笑を浮かべたが、目の前のパソコンに目を落とした。

 「・・・」

 亜矢はそれを見つめると、黙ってスイッチを入れた。モニターに灯が灯り、OS起動画面ののちにパスワード入力画面が映し出される。

 カチャカチャ・・・

 亜矢は手元の篤志の資料を見ながら、そのイニシャルや生年月日を入力してみた。しかし・・・

 「Error」

 画面には繰り返し、それが表示されるだけだった。

 「パスワード管理はしっかりしているようだね・・・。それなら・・・」

 スッ・・・

 亜矢は懐から、ケースに入った一枚のディスクを取り出した。亜矢はディスクをケースから取り出し、パソコンのドライブに挿入した。すると・・・

 ザッ・・・ザザッ・・・

 パソコンの画面に、ノイズが走り始める。すると・・・

 カタカタカタ・・・

 パスワード入力のフォームに、ひとりでに文字が入力されていく。そして・・・

 「System OK」

 そんな文字が表示され、亜矢は中に入ることに成功した。

 「・・・」

 亜矢は口元に笑みを浮かべながら、操作を続けた。

 「亜矢さん、そっちはどう?」

 やがて、書類漁りを一時やめて近づいてきた聡美が尋ねた。

 「うん・・・これはちょっと厄介だね・・・。特殊な方法で・・・ハードディスク内の情報を全て消去している・・・」

 「それじゃあ・・・」

 「いや・・・心配は要らないよ・・・。このぐらいのことなら・・・ね」

 カタカタカタカタ・・・

 亜矢はそう言うと、めまぐるしい速さでキーボードを叩き始めた。すると、再び何かのプログラムが動き始め・・・

 パッ!

 画面の中に次々と、何かのファイルが出現してくる。

 「ふぇぇ、すごい。どんどん復活してくよ・・・。さすが亜矢さん・・・」

 「とりあえず、ウィルススキャンをしながら保存していこう・・・。詳しい分析は・・・分署に戻ってからだ・・・」

 亜矢はそう言いながら、ディスクを入れ替えて聡美に顔を向けた。

 「そっちの方は・・・どうなっているんだい?」

 「中身に目を通すのは小島さんにやってもらって、あたしはそれっぽいのを取り出して見せるだけ。専門的なことは、あたしじゃダメだからね・・・。でも、あんまりよくないみたい。重要な書類は、もう燃やしちゃったんじゃないかな・・・」

 「そう・・・」

 亜矢はそう言って、書類の山と格闘している小島を見た。と、そのとき・・・

 「!」

 「? どうしたの、亜矢さん?」

 亜矢が何かに驚いたような表情を浮かべたので、聡美が尋ねた。が、亜矢はそれに答えず、懐に手を入れて何かを取り出した。

 それは、管狐の入っている竹筒だった。それが激しく震えている。亜矢は急いで、そのふたを開けた。すると・・・

 「コンッ!!」

 中から管狐が飛び出して、亜矢の目の前に立った。

 「コンッ!! コンコン!!」

 亜矢の前で、何かを必死に訴えているような管狐。すると・・・

 「なんだって・・・!?」

 亜矢が驚いた表情を浮かべる。すると・・・

 「ん?・・・ワーッ!!」

 突如、小島が大声をあげた。なんと、部屋の入り口からうっすらと煙が流れ込み始めているではないか。

 「管狐が言っている・・・この屋敷が、燃え始めていると・・・!」

 「か、火事ぃ!? こっ、小島さん!!」

 「お、落ち着け! 慌てるな! こういうときこそ落ち着いて、まずはガスの元栓を・・・」

 そう言う小島も、どう見ても慌てている。だが・・・

 「二人とも、落ち着いて・・・。一刻も早く、ここから脱出するんだ・・・」

 亜矢の冷静な声が、二人を落ち着かせた。

 「う、うん・・・。でも、資料は・・・?」

 「これだけ持ち出せればそれでいい・・・。今は逃げる方が先決だ・・・」

 保存の終わったディスクをドライブから取り出す亜矢。二人も、それにうなずいた。

 「よし・・・いくよ」

 ダッ!

 部屋の外へ飛び出す3人。すると・・・

 ゴォォォォォォォォォッ・・・

 廊下やほかの部屋はすでに、炎に包まれていた。

 「げぇっ!? いつのまに、こんな・・・」

 「んなこと気にしてる場合か! 早くしないと、ほんとに焼け死ぬぞ!」

 「で、でも、ここをどうやって・・・」

 すでにかなりの部分が炎に包まれている廊下を見つめる聡美。すると・・・

 ピッ!

 亜矢が熊野権現のお札を取り出した。そして・・・

 「八咫烏!!」

 シュッ! ボゥッ!

 「ガァァッ!!」

 亜矢がそれを投げると、それはたちまち燃え上がり、真っ赤な羽毛に包まれた三本足のカラスが炎の中から現れた。

 「八咫烏・・・突風で、通り道を作ってほしい・・・」

 「ガァッ!!」

 バサバサバサッ!!

 亜矢から頼まれると、八咫烏は一目散に飛んでいった。そして・・・

 「ガァァッ!!」

 バサバサバサバサバサ!!

 ビュオオオオオオオオオ!!

 八咫烏がすさまじい速さで翼を羽ばたかせると、すさまじい突風が生じ・・・廊下を包んでいた炎が、掻き消えた。

 「す、すごい・・・!」

 「今のうちに、早く・・・。またすぐに燃え上がってくるよ・・・」

 「おっし・・・!」

 3人はうなずくと、八咫烏とともに炎の一時的に消えた廊下を全速力で走り始めた。



 「みーんな、燃えちゃったね・・・」

 「ああ。書類のほうも、少しでも持ち出すべきだったなぁ・・・」

 数十分後。全焼した屋敷のあとの前に立ってつぶやく聡美と小島の姿があった。

 「一番重要なデータは持ち出せたから・・・大丈夫だよ。何より大事なのは・・・命だよ・・・」

 亜矢が後ろから近づきながらそう言う。その手には、例のディスクが握られていた。うなずく二人。と・・・

 「災難だったな」

 うしろからの声に振り向くと、小隈、それに、ヘルメットを脱いだVJ姿の仁木と圭介が立っていた。

 「皆さん、大丈夫でしたか?」

 「うん、やけどひとつないから安心して。これも亜矢さんがいてくれたおかげだよ」

 聡美の言葉に、亜矢もうなずく。

 「いや・・・それよりも隊長・・・火事の原因は・・・」

 「ああ。大方の予想はついてると思うが、放火らしい」

 「やっぱり。もともと火の気のあるようなところじゃないですからね」

 小島がそう言うと、仁木はさらに言った。

 「それだけじゃないわ。今少し調べてみたんだけど、このあたりの空気から揮発性の燃料に含まれる成分が検出されたの。おそらくそれをまいて火をつけたのね。出火から燃え尽きるまでの短い時間を考えても、それは間違いないと思うわ。こんなものも落ちていたし」

 そう言って仁木は、手に持っていたものを持ち上げた。それは、灯油などを入れるポリ容器だったが、明らかに灯油などとは違う刺激臭がそこからはあがっていた。

 「それに、出火直後にここから走り去る車の目撃情報もありました。目撃者がナンバーを控えていたので、今警察と捜査部が全力で洗い出しをしていますよ」

 圭介もそう言った。と、そのとき・・・

 「隊長―っ!!」

 小隈を呼ぶ声に振り返ると、指揮車からひかるが走ってこっちに向かってくるところだった。

 「どうした、ひかる? そんなに慌てて」

 「それが・・・大変なんです。たった今・・・警察から連絡があって・・・」

 息を整えながら一言ずつ言うひかる。

 「ここから走り去ったっていう車が・・・事故を起こしてるのが見つかったそうです。対向車線の大型トラックに頭からぶつかって・・・ドライバーの人は即死だそうです」

 「!!」

 その言葉に、全員が驚きの表情を浮かべる。

 「くそっ! 一体どうなってるんだ・・・」

 悔しそうにそう言う小島。しかし、亜矢は冷静に言った。

 「大丈夫・・・。犯人の側にもこれ以上犠牲を出さないためにも・・・このデータをすぐに分析しなければ・・・」

 持ち出したディスクを手にそう言う亜矢の目には、強い光が満ちていた。



 一方そのころ。とある薄暗い部屋では・・・

 ザァァァァァァ・・・

 砂嵐しか映さないようになったモニターを前に、いすに座った男が一人黙して考えにふけっていた。

 「SMSが動き出したか・・・。さすがに早いな・・・」

 男はそうつぶやくと、メガネを直した。

 「だが・・・誰にも邪魔させるものか。見ていてくれ、父さん。父さんと僕の研究成果が、新しい世界を作るんだ・・・」

 その視線の先には、一人の初老の男を写した写真が、壁にとめられていた・・・。



 「例の情報の分析ができたって!?」

 聡美がそう叫びながらオフィスに入ってくると、すでに全員が集合していた。

 「ああ。今から桐生が説明するところだ。ま、席へつけ」

 小隈がそう言って手招きすると、聡美はうなずいて自分の席へと戻った。

 「よろしいでしょうか・・・?」

 「ああ、はじめてくれ」

 全員がそろったところで、亜矢は説明を始めることにした。

 「それでは・・・はじめます。森谷博士の屋敷のパソコンから入手した情報の分析が・・・さきほど終了しました。それとほぼ同じくして・・・」

 そう言いながら、亜矢は何かを取り出した。それは、例の天使のマスコットだった。

 「科学部から・・・このマスコットについての分析結果も届きました。まずは・・・こちらから説明をさせていただきます・・・」

 亜矢はそう言うと、端末のキーボードを少し叩いた。すると、モニターに何かの機械らしき小さな物体の写真が映し出された。

 「これは?」

 「マスコットの中に仕込まれていた・・・非常に小さな機械です。科学部が調べてみたところ・・・これは、ある種の電波の受発信装置のようです」

 「電波の受発信装置・・・詳しく説明してくれないか?」

 「あの屋敷のパソコンから入手した研究資料から・・・この機械の具体的な性能について、調べることができました・・・」

 亜矢はそう言って、説明を続けた。

 「この機械には・・・脳内電流をとらえる受信装置がついています。この機械はそれを受信すると、まずそれをどこかへと転送。受信側はその情報を分析したのち、新たに情報を転送し・・・この機械を中継して、逆にその情報を脳内に送り込むことができるようです」

 「人間の思考を読み取ったり、逆に送り込むことのできる機械・・・ということ?」

 仁木の言葉に、亜矢はうなずいた。

 「ええ・・・。しかも・・・その送り込む機能の強さは相当なもので・・・一種の催眠効果をもともなうもののようです・・・」

 「つまり、催眠電波発生装置か・・・」

 「はい・・・。情報部に依頼して、「東都精神病院事件」の際に押収された森谷博士の研究資料と比較してみたところ・・・この機械には間違いなく、森谷博士の開発した装置と同じ原理が使用されていることが判明しました。患者の思考を絶えずモニターし・・・その思考を補正するために、外部から強制的にその脳波を操作するという・・・森谷博士の治療装置の応用ですね・・・」

 「それじゃ・・・一連の事件の犯人には、この装置を通じて犯罪を犯すように「指令」が与えられていたということですか?」

 「その可能性は・・・高いと思うね・・・。犯人たちが陥っている昏睡状態も・・・おそらくは、強力な催眠暗示をかけられたことによるものじゃないかな・・・口封じ代わりに・・・。そしてその犯人はおそらく・・・森谷博士の息子、森谷篤志・・・」

 亜矢の言葉に、オフィスの中が沈黙に包まれる。

 「桐生・・・これ以上この機械による犯罪を出さないための対抗策は、考えているか?」

 小隈がたずねると、亜矢は力強くうなずいた。

 「このマスコットを持っている人に「指令」を送るためには・・・当然、電波を出さなければなりません。今、その電波の発信源と受信先の位置を探知する装置を製造中です・・・。それが完成すれば・・・次に指令電波が出された場合に発信源をとらえ、急行することができるでしょう。後手に回ってしまうので・・・時間との勝負となりますが・・・。それと・・・森谷の治療を受けて、あのマスコットをもらった患者からマスコットを回収することも・・・忘れずにやっておかなければ・・・」

 「わかった。その方針でいこう」

 「了解・・・」



 数日後・・・。

 「・・・」

 学校からの帰り道。浮かない表情のまま歩く浩太の姿があった。彼が曲がり角にさしかかった、そのとき

 ドンッ!

 「うわっ!」

 突然、曲がり角の陰から飛び出してきた男にぶつかられ、彼は尻餅をついた。

 「痛てて・・・」

 「す、すいません! 大丈夫ですか!?」

 ぶつかってきた男が、浩太に謝る。

 「え、ええ。大丈夫ですよ」

 「すいません、ちょっと急いでたもので・・・。ああ、荷物が・・・」

 見ると、路上には男の持っていたバッグから散乱したものが散らばっていた。

 「手伝いますよ」

 「すいません・・・」

 散らばったものを拾うのを手伝い始める浩太。が・・・

 「!?」

 あるものに手を伸ばしたとたん、彼の手が止まった。それは・・・天使のマスコットだった。次の瞬間

 カッ!

 天使のマスコットの両目が、妖しく赤く輝いた。その瞬間・・・

 「・・・」

 ドサッ・・・

 彼はその場で意識を失い、倒れ込んでしまった。

 スッ・・・

 浩太にぶつかった男は天使のマスコットを拾い上げ、メガネを指で押し上げながら倒れた浩太を冷ややかに見下ろした・・・。



 翌日・・・。

 「うーん・・・今日もいい天気だっ!!」

 グラウンドのど真ん中、雲ひとつない青空から降り注ぐ太陽の光を全身に浴びながら、ジャージ姿の聡美が大きく伸びをした。

 「気持ちよさそうなのはいいけどよ。こっちはお前と違って低血圧気味なんだ。まだ体のほうが起きてないんだから、朝からランニングなんて、付き合わされるこっちの身にもなってくれよ・・・」

 しかしその隣では、小島がよく晴れた青空とはまるで対照的な表情をしてたたずんでいる。棺桶から引きずり出された吸血鬼のごとき風情である。

 「それが小島さんの問題だって言ってんの! 正義の味方が低血圧なんてかっこつかないじゃないの! 早朝の出動で体の動きが悪くて任務失敗なんてことになったら目も当てられないじゃない! だからあたしがこうして、それを叩きなおそうとしてるんじゃないの! ありがたく思ってよ!」

 「俺はお前のその方針が問題だって言いたいぜ! なんでもかんでも根性で解決できるとでも思ってんのか! お前みたいな高血圧人間とは精神のつくりが違うんだよ!」

 「だ・・・誰が高血圧人間よ!」

 「そうやってすぐ怒るのが高血圧だって言ってんだ!」

 不毛な口論を始める二人。と、そのとき・・・

 「またですか・・・。二人とも、朝っぱらから口げんかなんてしないでくださいよ」

 いつのまにか近くに来ていた圭介が、うんざりしたように言った。その後ろでは、ひかるも眉をひそめている。二人とも、スポーツウェアに着替えていた。

 「ひかるがせっかく作ってくれた朝ごはんのカロリー、こんなことで無駄に消耗する気ですか?」

 「「すみません・・・」」

 まるで先生のようにそう言う圭介の言葉に、とたんに二人がしゅんとなる。

 「圭介君、もういいですからランニング始めましょうよ」

 「そうだな・・・。はじめましょうか、二人とも」

 「オッケー!」

 「ま、いい加減あきらめるか・・・」

 そう言って、ぞろぞろとグラウンドを歩き出す4人。と・・・

 「あれ・・・?」

 突然、ひかるが立ち止まった。

 「どうした?」

 「見てください。門のところに、人が・・・」

 ひかるが、分署の敷地へと入る門を指差す。たしかにそこには、誰かが立っていた。

 「誰だろう? こんな朝早くから・・・」

 「行ってみようぜ」

 そちらへと足を向ける4人。やがて、その人物の顔が見えるようになると・・・

 「お前・・・!」

 圭介が驚きの表情を浮かべた。そこに立っていた人物・・・制服姿の浩太・・・は、彼らを見ると礼儀正しく頭を下げた。



 コンコン

 「亜矢さん、仁木です。ちょっといいかしら?」

 分署の化学実験室の前。この部屋の黒いドアを、仁木が叩いた。

 「どうぞ・・・」

 中から亜矢の静かな声が聞こえた。

 「お邪魔します・・・」

 なぜか他人の部屋に入るような感覚を覚えるのは、この部屋が事実上、亜矢のプライベートルームのようになっていることからだろう。

 「副隊長・・・おはようございます・・・」

 様々な機材に囲まれた研究室の奥、大きなテーブルを前に腰掛けた亜矢が、仁木にそう言った。

 「おはよう。聞いたわ。ゆうべは徹夜したそうね」

 仁木はそう言いながら、彼女のところへと歩いていった。

 「ええ・・・。夜直の最中に・・・これが完成したと報告がありましてね・・・。そのうちのひとつを預かって・・・テストをしていたんです」

 亜矢はそう言って、目の前のテーブルに置かれている機械をなでた。外見は市販の携帯ラジオとさして変わらない。

 「それが・・・。それで、その機械で例の指令電波を捉えることができるの?」

 仁木が肝心のことを問う質問をする。すると・・・

 「ええ、そのことなのですが・・・」

 なぜか亜矢が、深刻な表情をした。と、そのとき

 コンコン

 「亜矢さん、いますか?」

 再びノックの音がして、ひかるの声がした。

 「ああ・・・いるよ。入りたまえ」

 亜矢がそう言うと、ドアががちゃりと開かれた。

 「お邪魔します・・・」

 そこから顔を出す圭介たち4人。

 「あなたたち・・・ランニングに出かけたんじゃなかったの?」

 仁木がそれを見てきょとんとした表情をした。

 「いえ、それが・・・」

 「こいつが、亜矢さんに大事な話があるといって・・・」

 圭介がそう言うと

 スッ・・・

 「おはようございます・・・」

 4人のあいだをすり抜けて、浩太が現れた。

 「植村君・・・」

 「実は・・・あれから思い出したことがあるんです。もしかしたら、皆さんの捜査に役に立つかもしれないと思って・・・」

 「本当なの?」

 仁木の言葉に、浩太はうなずいた。

 「はい。できれば、皆さん全員に聞いてほしいことなんですけど・・・」

 「そう・・・わかったよ。隊長は・・・どこにいるかな?」

 「オフィスで新聞読んでると思いますけど?」

 「それじゃあ・・・先にオフィスへ案内してあげてくれないかな・・・。私は・・・少ししたらすぐに行くから・・・」

 「わかりました。それじゃ、こっちに来てくれ」

 4人は浩太とともに、部屋から出て行った。仁木もそれに続こうとするが・・・

 「副隊長・・・」

 彼女は背後からの亜矢の声に呼び止められた。

 「なに?」

 「頼みたいことが・・・あるのですが・・・」

 仁木が振り返ると、亜矢はとても真剣な表情をしていた。



 「おっそいなぁ・・・。何してるんだろ、亜矢さんも副隊長も」

 オフィスの中、聡美はやや待ちくたびれたような表情でそう言った。

 「なにか実験してたみたいですから、きっとその後片付けですよ。すぐに来ますよ、きっと」

 「うん・・・」

 ひかるがそう言うと、聡美もうなずいて黙った。

 「・・・?」

 と、圭介はふと浩太を見て怪訝そうな表情をした。

 「どうした?」

 「いえ、別に・・・」

 小島の言葉をはぐらかしながらも、圭介は違和感を感じた。浩太は用意された椅子に座ったまま、ひざの上に持っていたバッグを乗せて、ただ黙って前を見つめている。しかし・・・その静かに座っている姿が、なぜか圭介には不気味に思えた。

 「やぁ・・・お待たせ」

 亜矢がそう言って入ってきたのは、そんなときだった。仁木もそのうしろについて入ってくる。

 「遅いですよ、亜矢さん」

 「すまないね・・・」

 亜矢は小さく笑みを浮かべると、仁木とともに自分の席へとついた。

 「よし、これで全員そろったわけだな。そういうわけだから・・・話してもらえるかな? 君の思い出した話というのを・・・」

 それを見届けると、それまで黙っていた小隈がそう言った。

 「・・・」

 だが、浩太は黙ったまま何も言おうとしない。

 「おい・・・どうしたんだ? 話をするんじゃなかったのかよ」

 メンバーが怪訝そうな表情をする中、圭介が不思議そうに尋ねる。すると・・・

 バッ!

 浩太はいきなり、半分口の開いていたバッグから何かを取り出した。

 「!?」

 圭介たちの目が、大きく見開かれる。それは、なにやら信管のようなものが取りつけられた長方形の物体・・・一見したところでは、紛れもなく「爆弾」だった。

 「・・・」

 その爆弾を両手で掲げる浩太。そしてそのまま、それを床へと叩きつけようとする。いきなり起こった出来事に、圭介たちはまったく動くことができない。そのときだった。

 「やめるんだ!!」

 亜矢が大きな声で、力強く叫んだ。

 ピタッ!

 そのとたん、浩太の動きがピタリと止まる。さらに・・・

 プシュー・・・

 オフィスの自動ドアが開く音がしたかと思うと

 ビュンッ!

 突然、一迅の風がオフィスへと飛び込んできた。そして、次の瞬間には・・・

 ガシッ!

 「!?」

 浩太の腕は、白い金属の装甲で覆われた腕によってつかまれた。

 「おとなしく・・・しなさい!!」

 浩太の背後から彼の腕をつかみ、拘束しようとする白いVJ。それは・・・仁木だった。そうしているあいだにも・・・

 ギリッ!

 「ぐあっ!」

 仁木は浩太の右の手首をつかむとすばやくそれを後ろ手にねじりあげ、すばやく爆弾を取り上げた。

 「新座君!!」

 「はっ、はい!!」

 仁木に呼ばれ、慌てて駆け寄る圭介。

 「受け取るのよ! 慎重にね!」

 「は、はい!!」

 仁木は手に持った爆弾を、慎重に圭介に手渡した。

 「うがああああああ!!」

 「くっ・・・!」

 しかし、浩太は獣のような叫びをあげながらなおも暴れようとする。とても正気ではない。その力はVJを着ている仁木を驚かせるほどだ。と・・・

 ポロッ・・・

 「あれは・・・!」

 暴れる浩太の襟が乱れ、そこから何かがこぼれ出た。それは・・・天使のマスコットだった。浩太は紐で結んだ天使のマスコットを、首からネックレスのように提げていたのである。

 「副隊長・・・しっかりと押さえていてください。憑物を落とします・・・」

 亜矢はそう言うとつかつかと浩太に歩み寄り、そのマスコットに手をかけた。そして・・・

 ブツッ!

 力いっぱい引きちぎると、それを床にたたきつけた。そして・・・

 チャキッ! バシュウッ!!

 息つくまもなく腰のライフガードを抜くと、床にたたきつけた天使のマスコットに躊躇なくショックビームを浴びせた。天使のマスコットの頭が爆発し、金臭い煙がそこから立ち昇る。すると・・・

 「うっ・・・」

 ガクッ・・・

 浩太は糸の切れた操り人形のように、とたんに動かなくなった。

 「もう・・・大丈夫。憑物は・・・落ちました・・・」

 ライフガードをホルスターにしまいながら、亜矢はそう言った。仁木もゆっくりと、浩太の体を自分の席の椅子に座らせてあげた。

 「あ・・・あの、亜矢さん・・・。何がどうなってるのか・・・」

 やっとという様子で、聡美がそう言う。他のメンバーも皆、呆けたような表情を浮かべている。が・・・

 「その前に、その子をなんとかしないとな。小島、医務室へ運んでやれ。話はそれからでもいい」

 いち早く落ち着きを取り戻したらしい小隈の言葉に、亜矢は無言でうなずき、小島は慌てて動き出した。



 「・・・大丈夫です。ここの機材で調べられる範囲で言えば、なんの異常もありませんよ」

 ベッドに寝かされた浩太を横目に小島の言った言葉に、全員がホッとした表情を浮かべる。

 「まぁそれも・・・当然だろうね・・・。彼は・・・操られていただけなんだから・・・」

 静かにそう言う亜矢。すると、聡美が言った。

 「亜矢さんはなにもかもわかってるみたいだけど・・・あたしたちには、何がなにやら」

 「ちゃんと説明してください、亜矢さん」

 ひかるもそう言ったので、亜矢はうなずいた。

 「もちろん・・・これから説明するよ・・・」

 「まずわかんないのは、これですよ。どうして副隊長が二人もいるんですか?」

 小島がそう言いながら、横を見る。そこにはいつもの隊員服を着た仁木と、ヘルメットを脱いだVJ姿の仁木・・・二人の彼女が並んで立っていた。

 「それについては・・・簡単なことだよ・・・」

 「亜矢さん、種明かしをしてあげて」

 VJを着た仁木の言葉に笑みを浮かべると、亜矢は隊員服姿の仁木に顔を向けた。

 「もういいよ」

 「コン!」

 と、隊員服の仁木が奇妙な声でそう言った直後

 クルンッ!

 彼女はその場で宙返りをした。すると・・・

 「コン!」

 次の瞬間には隊員服姿の仁木はそこにはなく、管狐がちょこんと座っていた。

 「敵を欺くには、まず・・・ってわけか」

 「そういうことですね・・・」

 亜矢はそう言いながら、肩に飛び乗り頬擦りをしてくる管狐の背中を、指で優しくなでた。

 「つまり亜矢さんは、最初からこうなることを予測していたってことですか?」

 圭介が尋ねる。

 「全て予測していたわけではないけどね・・・。まさか爆弾を持っていたとまでは・・・。でも・・・そのために副隊長にVJを着て待機してもらっていたのは・・・無駄ではなかったようですね」

 「ええ・・・。でも亜矢さん、私もあなたに言われるようにやっただけで、詳しい事情はわからないわ。順を追って説明して」

 仁木のその言葉にうなずき、亜矢は口を開いた。

 「実は・・・こういうことが起こるかもしれないということは・・・彼が来る少し前にはわかっていました。理由は・・・これです」

 そう言って亜矢が取り出したのは・・・例の、電波探知機だった。

 「昨日の夜から・・・この探知機の性能テストをしていたのだけれど・・・彼が来る少し前に・・・突然これが・・・大きな反応を見せた。しかもその発信先は・・・この分署のすぐ近くじゃないか・・・。私も驚いたけれど・・・その直後に、彼が突然やってきた・・・。もしかしたらとは思ったけれど・・・どうもあのときの目は、いつもの彼のものではなかったからね・・・」

 圭介は、やはり気のせいではなかったかと、あの時感じた違和感の正体を悟った。

 「それで亜矢さんは、浩太が何者かに操られて俺たちを殺しにきたと、そう判断したんですね?」

 ベッドの上で眠る浩太を見ながら、圭介が言った。

 「私たち全員の前で話すことに・・・こだわっていたからね。おそらく犯人は・・・私たちを道連れに、彼を自爆させるつもりだったのだろう・・・。犯人に気取られるわけにはいかなかったから・・・先にオフィスへと案内してもらったんだ。そのあいだに・・・副隊長にVJを装着してもらっていたんだよ・・・。そして私は・・・副隊長に変身させた管狐と一緒に部屋に入って・・・彼に行動のきっかけを与えたんだ・・・」

 「なぁるほど。そういうことだったんだ」

 聡美が納得したように深くうなずく。しかし、ひかるはまだしっくりしないという表情を浮かべていた。

 「でも・・・なぜ浩太君があのマスコットを? あのマスコットが危険だっていうことは、わかってたはずなのに・・・」

 「詳しいことは・・・彼が目覚めてから聞かないとわからないけどね・・・。でも・・・だいたいの想像はつくよ・・・」

 浩太の顔を見ながら亜矢は言った。

 「今回観測された電波は・・・非常に強いものだった。今までの事件で使われた電波のデータがないからわからないが・・・おそらく今回使われたのは、今までよりもさらに強力な催眠電波のはずだ。本人の意思に関係なく・・・人間を完全に催眠状態にし・・・意のままに操るほどにね・・・。彼はあのマスコットをなんらかの方法で無理やり渡されて催眠電波を浴びせられ・・・そのまま、爆弾を渡されて私たちのところへ向かわされたんだろう・・・」

 「卑劣な野郎ですね、犯人は。このあいだ俺たちを屋敷ごと焼き殺そうとしたときといい、自分の手を汚さずそんなことをしようとするなんて、最低な奴らの中でもさらに最低な奴のすることですよ」

 小島が吐き捨てるようにそう言う。

 「・・・だが、その卑劣な奴の陰謀もここまでだろう。そうなんだろう? 桐生」

 それまで黙っていた小隈が、一通り聞くと亜矢に言った。亜矢はうなずいた。

 「今回の電波の発信によって・・・発信源のデータもとることができました。情報部に分析を頼めば・・・すぐにその場所を特定することができるでしょう」

 「よし。とりあえず彼を病院へ移し、爆弾を警察の爆発物処理班に引き取ってもらおう。犯人探しはそれからだ。全員、準備を整えておけ」

 小隈の言葉に全員がうなずいた、そのときだった。

 Trrrr・・・

 医務室に置かれていた電話が、突然鳴り始めた。一番近くに立っていた聡美が、その受話器をとる。

 「はい、東京都SMS第1小隊ですが・・・あ、はい。かわります」

 聡美はそう言って、受話器を小隈に差し出した。

 「部長です。なにか、事件らしいですけど」

 「いやな予感がするな・・・」

 顔をしかめながら、それを受け取る小隈。

 「もしもし、かわりました。それで・・・はい、はい・・・本当ですか? わかりました。準備が整い次第、出発することにします」

 小隈はそう言うと受話器を切り、全員に顔を向けた。

 「たった今、科学部に設置されていた例の電波探知機が、今までになく広範囲に放射される例の指令電波をとらえたそうだ。犯人が何か始めようとしているのは間違いない」

 その言葉にメンバーは一瞬驚きの表情を浮かべたが、すぐに冷静な表情を取り戻す。

 「何を考えているかはしらんが、これ以上の犠牲を出すわけにはいかない。第1小隊、出動! 神様面して天使たちを動かしてる元締めを捕まえるぞ」

 「了解!!」

 メンバーはきれいにそろった敬礼をした。



 コンクリートの壁に囲まれた、薄暗い部屋の中。壁にはずらりと機械類が並び、ランプを点滅させ、うなりをあげている。

 「・・・」

 それらの機械のうち、とりわけ大きなものの前で、一人の男が操作を行っていた。

 「これでよし・・・。準備は整った・・・」

 彼はそうつぶやくと、少し視線をあげた。そこにはなぜか、一人の男の遺影が飾られていた。一面を機械に占拠されたこの部屋には、ひどく場違いな印象を受ける。

 「いよいよだよ、父さん。父さんが考え、僕が発展させたあの研究が、この病んだ世界を破壊し、新たな世界を作るための土台を作るんだ・・・」

 遺影に向かって呼びかけるようにそうつぶやく男。その目には、明らかな狂気の光が宿っている。

 「それじゃあ・・・天使たちに命令を下そう・・・」

 スッ・・・

 彼はそうつぶやくと、懐から何かのリモコンスイッチを取り出した。

 「天使たちよ・・・今こそ、再生のときだ!」

 男がスイッチに親指をかけ、力強く押そうとしたそのとき

 バグッ!!

 「!?」

 突如、男の背後で派手な音がした。驚いて振り返ると、部屋の入り口である大きな鋼鉄の扉が吹き飛んでいた。そして・・・

 ガチャガチャガチャ!!

 舞い上がった埃の向こうから、何かが部屋へと突入してきた。そして・・・

 「SMSよ!! 森谷篤志! あなたを破壊活動防止法違反の容疑で逮捕します!!」

 部屋に突入してきた3体のVJの先頭を務める白いVJが叫ぶ。同時に、その後ろに控える赤と青のVJが、マルチリボルバーを向けた。

 「SMSか・・・意外と、早かったね・・・」

 しかし、男は再び冷静さを取り戻し、薄笑いをうかべながらそう言った。

 「お前の出した電波が、ここを教えてくれたんだ!」

 「何を企んでたかはしらないが・・・ここで終わりだ! おとなしくしろ!」

 圭介と小島が叫ぶ。3体のVJは、じりじりと森谷に迫り始めた。が・・・

 「それ以上近づかない方がいい・・・。これを押すことになるからね・・・」

 そう言って森谷は、手に持ったスイッチを見せた。

 「なんだ、それは・・・」

 「・・・さっき出した電波は、あらかじめ僕のもとに集めておいた患者たちを、いろいろな場所へ散らせるための指令さ。そしてその患者たちは・・・君たちのところへ送り込んだあの子に持たせたものと同じ爆弾を、みな携帯している・・・」

 「なに!?」

 その言葉に驚く3人。

 「そしてこのスイッチは・・・あらかじめ吹き込んでおいた次の指令を、患者たちに伝える指令電波を発するためのスイッチ・・・。僕がこれを押せば・・・都内各地に散った患者たちは、その場で指令を実行する・・・。それがどんなものかは・・・頭のいい君たちならば、言わなくてもわかると思うけどね・・・」

 全員の脳裏に、都内各地での大爆発、それによる多数の犠牲者という最悪の事態がよぎる。

 「わかるのなら・・・その物騒なものを下げたらどうかな?」

 「くっ・・・!!」

 悔しそうにうめき、マルチリボルバーを下ろす3人。そのとき

 「なぜ、そんなことをするんだい・・・?」

 部屋の中に、第1小隊の3人のものでも森谷のものでもない女の声が響いた。森谷は少し驚いた表情を浮かべたが、やがて仁木を見て笑みを浮かべた。

 「ああ、あなたですか。桐生亜矢さん・・・」

 その声は、亜矢のものだった。仁木のVJの外部スピーカーを通して、彼女が声を発したのだった。

 「私のことを・・・知っているようだね・・・」

 「当然でしょう。専門のシステム工学や化学だけでなく、あらゆる分野において目覚しい研究成果を出し続ける天才科学者にして、SMS第1小隊の管制員・・・。科学者であなたを知らない人がいるとしたら、その方がおかしいでしょう」

 「君が科学者だというのなら・・・なぜこんなことをするんだい?」

 亜矢はもう一度言った。

 「私も・・・君のお父さんについては知っている・・・。彼のしたことは、科学者として許されることではなかった・・・。君がお父さんと同じく科学者としての道を選んだのなら・・・なぜその過ちから学ばず・・・こんなことをするんだい・・・」

 すると、森谷はがっかりしたような表情を浮かべた。

 「父が誤っていた? 僕は、そんなことは一度も考えたことはありませんよ」

 森谷はそう言った。

 「父は優れた精神病の医師だった。そして、その使命に誰よりも忠実だっただけです」

 「患者の脳を機械で操作する・・・そんなものは、治療とは言わない。人としての尊厳を奪い・・・ふみにじっているだけだ。たとえそれが・・・彼にとっての、医師としての純粋な使命感からきたものだったとしても・・・ね」

 亜矢は静かな怒りのこもった声で言った。

 「・・・もし、父に間違いがあったとするならば、「患者」というものをあまりに狭く定義していたことです。治療すべきなのは、患者だけではない。いや・・・この狂った現代では、全ての人間が「患者」であると言ってもいい。医師としてカウンセリングに当たるようになり、僕はそのことに気づいたのです・・・」

 しかし、森谷はかまわずに言った。

 「病院の僕の診察室には、毎日たくさんの患者が訪れました。そしてその誰もが、同じことを口にしたのです。自分に自信がもてない。自分の選択に自信がもてない。自分がこれからどうすればいいのかわからない・・・」

 「・・・」

 「こうも同じ悩みを持つ患者が毎日やってくることの原因について、私は考えました。そして、すぐに気がついたのです。個人の自由を追求し続けた結果、現代社会はあまりにも自由になりすぎた。無数のモノと情報とがあふれかえり、その中を生きていく中、人はあらゆる状況で膨大な選択肢の中からの選択を迫られ続ける。そんなことを繰り返していくうちに、本当にしたいことはなにか、本当にほしいものはなにかということがわからなくなり、やがては自分とはなにかさえわからなくなり、何もすることができなくなってしまう・・・。ひたすら広大な荒野の中に置き去りにされた人間のようなものです。私の患者たちは・・・「現代」というそんな時代によって、病気となったのです」

 「たしかに、そんな人たちがいるのは事実だ。だが・・・そんな人たちを使って犯罪を犯させたのはお前だろう! お前、それでも医者か!!」

 小島がそう言う。だが、森谷は笑みを浮かべた。

 「たしかに彼らには、僕の開発した装置の実験台となってもらいました。催眠電波の効果は、彼らのような人のほうがよく働きますから・・・」

 「貴様・・・!」

 「落ち着いて」

 一歩進み出ようとする圭介を、仁木が制した。

 「勘違いしてもらっては困りますよ。僕は彼らをただ実験台として使って捨ててしまうような無慈悲な人間じゃない。実験台となってもらう前に、楽しい時間を提供してあげたのですから」

 「なんだと・・・」

 「・・・桐生さんも、あの子から彼のお兄さんの話は聞いたでしょう。彼は特に重い患者でした。中学、高校、大学と、常にトップの成績を誇りながら、いざ飛び込んだ社会では思うように実力が発揮できず、悩みがさらに悩みを呼び、自宅に引きこもり、その結果クビ・・・。そのために完全に自信を失い、これから自分が何をすればいいのかわからなかった・・・。そんな彼に、私はあの「天使」を与えました。それから彼がどうなったかは、あなたも知っているはずだ」

 「・・・」

 「「天使」に埋め込まれた装置に、なぜ発信装置だけでなく受信装置がついているのか、おわかりでしょう。あれはその時々の患者の脳からの情報を引き出すためのものです。その情報は私のもとに転送されてくる。自分が何をすればわからないといっても、実はそれがないわけではなく、深層意識の中にはちゃんと「自分はこうしたい」という意志が眠っているのです。患者たちは、それを掘り起こすことができないだけです。私は送られてきた情報の中から彼らの代わりにその意志を掘り起こし、「天使のみちびき」として彼らの脳に伝える・・・。自分が何をなすべきかの指針をもたない彼らは、それにしたがって行動する。自分に自信をもてない彼らには、自分より他者からの言葉のほうが信頼できますからね・・・。しかしそれは、「天の声」などではない。彼ら自信の「内なる声」を、「天の声」と信じて実行しているだけです。しかしそれは、本来彼らのものであり、ひいては自分自身を信じて行動することでもある。自分自身を信じて行動すれば、その行動には自信や意欲が生まれ、用意や準備も念入りになる。そうなれば・・・よほど運が悪くない限り、たいていのことはうまくいくものです」

 「しかし患者たちは・・・それを自分自身の声ではなく、「天使」からの声だと思い込む・・・。そしてそれに従い成功が重なることで、ますます「天使の声」を信じ・・・それを頼るようになり・・・やがてはそれを絶対のものと思うようになる。そこに君が犯罪の指令を送れば・・・それは強迫観念となって、彼らをそれをやらなければすまないところにまで追い込むことになる・・・」

 「彼らはそれを悪魔からの指令とは思わず・・・天使の声だと信じて実行していたのね・・・」

 森谷の言葉から亜矢が組み立てた推理を聞いて、仁木がそう言った。

 「天使だろうと悪魔だろうと、そんなことは彼らにとっては問題ではありませんよ。彼らに必要だったのは、道を示してくれるもの。僕はその役割を果たし、彼らに成功を重ねる日々を提供してあげた。それとも彼らにあのまま、暗闇の中でうずくまったまま動けないような苦しみを味わう日々を続けさせてあげたほうがよかったとでも?」

 「ふざけるな! 結局お前がしたことは、患者に自信を与えることでもなきゃ、患者を治すことでもないじゃないか!」

 小島が叫ぶ。すると、森谷は言った。

 「・・・たしかに、僕のしたことは治療ではないかもしれません。本当の治療は、これから始まるのですからね・・・」

 森谷は手に持ったスイッチをちらりと見た。

 「今までのように一人一人の患者に「天使」を与えるだけでは、いつまでたっても追いつきません。対症療法に過ぎないのですよ。なにしろ、「患者」は日本中・・・いや、世界中にいるのですからね。それを治療するためには、まず「原因」を取り除かなくてはなりません。患者を道に迷わせるあらゆるものを生み出す、「原因」を・・・」

 「そのために、街を爆破するつもりか!」

 「そんなことをしたところで・・・君の言う「原因」はなくなりはしないよ・・・」

 圭介と亜矢がそう言う。しかし、森谷は笑った。

 「現代の抱えるこの病・・・その原因が何なのか、気づいている人間が僕だけであるはずがない。このスイッチは、彼らにそれを伝える狼煙をあげるためのもの・・・。私がそれをあげれば、必ず誰かがそれを引き継いでくれる。そうなれば・・・いずれ原因は取り除かれる・・・」

 「幻想を・・・!」

 「それから、全ての人が「天使のみちびき」に従うようになれば・・・本当の理想郷が生まれる。迷うことも、選択を誤ることもない、誰もが正しく生きることのできる、本当の理想郷が・・・フ、フフ、フヒヒヒヒ・・・」

 言葉を語るうちに、森谷の表情はどんどん狂気を濃くしたものになってゆく。

 「ちぃっ・・・いかれてやがるぜ」

 小島はそれを見ながら舌打ちをした。

 「おしゃべりはもうこれぐらいでいいだろう。わかるとは思うが、僕にはスイッチを押すのを待ってやる義理など本来ないのでね。このあたりで、狼煙をあげさせてもらうよ・・・」

 「ま・・・待て!!」

 スイッチを押す仕草をする森谷に、全員が戦慄の表情を浮かべる。

 「ひかる!!」

 圭介が叫んだ、その直後だった。

 カチッ!!

 森谷がスイッチを押す。だが・・・

 「・・・!?」

 途端に、森谷の表情がおかしくなった。落ち着かない表情で、手にしたスイッチと、背後にある機械とを交互に見る。

 「な、なんだ・・・どうした? なぜ指令が発せられない・・・」

 スイッチを押して指令を発すると、同時に背後の機械がそれを知らせる電子音を発するはずだった。しかし、背後の機械はなんの音も発さない。それどころか・・・先ほどまで明滅していたランプが、いつのまにか全て消えてしまっている。と、そのとき・・・

 「な、なんとか間に合いました・・・」

 また別の声が、圭介の外部スピーカーから出た。それは、ひかるの声だった。

 「ほ、本当か? 間に合わないかと思ったけど・・・」

 「心配させて、すいませんでした。でも、もう大丈夫です」

 ひかると言葉を交わす圭介。仁木と小島も、ホッと肩を落とす。

 「な・・・なんだ? なにをした、お前ら!?」

 先ほどまでの余裕が嘘のように、半狂乱になって叫ぶ森谷。すると、ひかるが言った。

 「指令を発する機械のプログラムに、建物のケーブルを通してハッキングさせてもらいました。もう何をやっても、その機械で指令を出すことはできませんよ」

 かわいい声でそんなことを言うひかる。

 「な・・・なんだと!?」

 「君に呼びかけて話をしたのは・・・そのための時間稼ぎをするためだったんだよ・・・。そのために、できるだけ長引かせようとしたのだけれど・・・よくできたね、ひかる君」

 「はい! ありがとうございます!」

 指揮車の中、こちらに笑みを浮かべる亜矢にひかるは頭を下げた。

 「隊長、確認してみましたけど、都内のどこでも爆発などは起こってません」

 一方、都内の状況をネットワークを通じてすばやく確認した聡美が、小隈にそう報告した。

 「わかった。・・・というわけだ。お前の切り札は、完全に奪われた。おとなしくしろ」

 小隈の低い声が、仁木の外部スピーカーを通じて発せられる。

 「い・・・いやだ・・・!」

 森谷はぶるぶると震えながら、狂ったように首を振った。

 「僕は・・・僕は、この狂った現代の病を治すんだ! こんな・・・こんなことが・・・!」

 「おとなしくしなさい!」

 ジャキッ!

 スタンスティックを抜き、突進の準備をする仁木。圭介と小島も、それにならう。と・・・

 「くそっ、くそぉーっ!! 僕の計画を・・・よくも、よくもーっ!!」

 バッ!!

 森谷は狂ったように叫ぶと、何かを近くの棚から取り出した。

 「!!」

 「あれは!?」

 それを見た3人の動きが止まる。

 「みんな・・・みんな狂ってやがる! 燃やしてやる・・・みんな燃やしてやるぞぉ!!」

 狂気の光を目に浮かべながら、それを片手で持ち上げる森谷。それは、浩太が持ち込んだものと同じ、あの爆弾だった。

 「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 狂ったような叫びを上げ、手に持った爆弾を投げようとする森谷。爆弾で自分もろとも、圭介たちを吹き飛ばすつもりだ。と、そのとき

 「アンカーショット!!」

 ボシュッ!!

 小島が即座に左腕を持ち上げ、アンカーショットを発射した。

 ドカッ!!

 「ぎゃっ!!」

 その先端の分銅が森谷の手首を打ち据え、爆弾がその手からこぼれ落ちる。

 「うぉぉぉぉぉぉぉ!!」

 と、そのときにはすでに圭介が飛び出していた。そして・・・

 ガシッ!!

 両手をいっぱいに突き出した姿勢のまま、見事空中でその爆弾をキャッチ。飛び込み前転で床に着地した。

 「な・・・なにっ!?」

 狼狽する森谷。と・・・

 ビュンッ!!

 「!?」

 そのとき、彼の目の前に仁木が風のように急接近してきた。そして・・・

 ビシッ!!

 「!・・・」

 ドサッ・・・

 首筋への手刀で森谷は意識を失い、その場に崩れ落ちた。

 「ふぅっ・・・危なかった」

 小島がアンカーを収納しながら、ホッとしたようにそう言う。

 「ええ。とっさのことながら、うまくいったものだわ・・・」

 足元の森谷を見つめながら、仁木もそう言った。

 「ほんとですよ。俺たちを巻き添えに自爆しようなんて、本当にとんでもない奴・・・」

 圭介がそう言いながら、手元の爆弾を見たそのときだった。

 「!?」

 なんと、爆弾についている何かのランプが、赤く点滅しているではないか。

 「け、圭介君!! その爆弾、時限スイッチが入ってます!!」

 「「なにぃぃぃぃ!?」」

 デュアルカメラからその情報を読み取ったひかるの言葉に、小島と聡美が叫びをあげる。

 「お、落ち着いて! 服部さん、爆発までの時間は!?」

 仁木も必死で落ち着かせようとしながら、ひかるにたずねる。

 「そ、そこまでは・・・」

 ひかるはそう言ったが、自爆しようとしてスイッチを入れたのだからそう長い時間ではないことは、誰の目にも明らかだった。とても解体する時間などなさそうだ。

 「・・・!!」

 爆弾をもったまま、少し黙っていた圭介だったが・・・

 ガチャァァァァァァァン!!

 「!?」

 何を思ったか、爆弾を抱えたまま近くの窓を突き破った。

 「け、圭介君、何してるんですか!?」

 「いいから、腕部エネルギー最重視だ! 早くしろ!!」

 「はっ、はい!!」

 言われるままに操作をするひかる。たちまち、圭介のVJの両腕に力がみなぎる。そして・・・

 「うぉりゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 ブンッ!!

 圭介はあらん限りの力で、爆弾を空高く投げ飛ばした。たちまち、青空へと吸い込まれていく爆弾。その直後

 カッ!!

 ドガァァァァァァァァァァァァァン!!

 デュアルカメラの視界が一瞬真っ白に染まったかと思うと、少し遅れて、耳をつんざくような爆音が周囲の空気に響き渡った。

 「・・・」

 ガチャッ・・・

 やがて、それがおさまると・・・圭介は力なく、足元の草むらにしゃがみこんだ。

 「圭介君! 圭介君、大丈夫ですか!?」

 「ああ、なんとかな・・・。サンキュ」

 ひかるの言葉に苦笑を浮かべながら答える圭介。と、何か音が聞こえてきた。

 「・・・?」

 圭介がそちらに目を向けると・・・何台ものパトカーが、彼らのいる古い送信施設に続く道路へと入ってくるところだった。



 送信施設の前の狭い空き地には、何台ものパトカーが回転灯を回しながら止まっていた。そこから降りてきた警官たちは、早速検分を始めている。

 「午後2:17、容疑者、森谷篤志の身柄を確保。ここに引き渡します」

 「たしかに、身柄を預かります。ご苦労様でした」

 その横で、小隈と所轄の警察の警部補が敬礼を交わしている。それと同時に、手錠をはめられた森谷が、取り押さえていた圭介から警官たちのもとへと引き渡された。第1小隊は脇でその様子を黙って見ていたが・・・

 「残念ですよ・・・。父と同じく・・・結局私も、また邪魔をされた・・・」

 第1小隊を振り返り、森谷はゆがんだ笑みを浮かべた。

 「・・・だが、あなたたちもすぐに思い知るはずだ。あなたたちが今まで相手にしてきた、そして、これから相手にすることになる犯罪や事故・・・。それを起こすのは全て、あまりに混沌としたこの現代によって病に冒された人々だ。行き場を失い暴走した彼らのエネルギーが犯罪となり、心の隙間を埋めようとする欲望が奇怪な道具を次々と生み出し、暴走の果てに事故を起こす・・・。それらをひとつずつ解決するだけでは、対症療法に過ぎない。あなた達が本当に相手をしているのは、この狂った現代そのものだ。それを治療しない限り・・・人間は、永遠に苦しみ続けることになる・・・」

 無言でそれを聞く第1小隊。と・・・

 ザッ・・・

 その中から、亜矢が前に一歩進み出した。

 「たしかに・・・私たちが戦っている本当の相手は・・・この「時代」そのものなのかもしれない・・・。しかし・・・私達は君のように、自分たちだけでそれをなんとかしようとは思わない・・・」

 亜矢は力強く言った。

 「時代は、そこに生きる全ての人たちが作ってきたものだ・・・。同じ時代に生きる全ての人たちが・・・自分たちの生きる時代を少しでもよくしようと努力してきた・・・。そしてそれは・・・これからも続いていく。私たちの力は小さいかもしれないが・・・私たちは、私たちのこの仕事が、この時代を少しでもよくしていき・・・次の時代へとつなげていくことができると信じる・・・。だから私たちは戦う。そうして時代をつなげていった果てに・・・全ての人々が皆自分らしく、幸せに暮らすことのできる時代が訪れることを信じて・・・」

 亜矢の背後のほかの隊員たちも、その言葉に深くうなずいた。

 「・・・」

 森谷は何も言わず、ただ形容しがたい笑みを浮かべるだけだった。そして・・・

 「・・・いこうか」

 警部補に促され、彼はおとなしくパトカーに乗り込んだ。

 バンッ! ブォォォォォォォォ・・・

 「・・・」

 走り去ってゆくパトカーの姿を、第1小隊はそれぞれに表情を浮かべながら、ジッと見送った・・・。



 ブォォォォォ・・・

 数週間後・・・ブリティッシュグリーンの車体を紅く染めながら、夕日に染まった空の下、道路を滑るように走るウィンディの姿があった。

 「窓、開けてもいいかな・・・」

 「ええ、どうぞ」

 助手席の亜矢の言葉に、圭介はうなずいた。亜矢が少し窓を開けると、外の空気が車内に吹き込んできた。

 「あ・・・けっこう涼しいですね・・・」

 「さっき夕立があったからね・・・多少気温が下がったんじゃないかな・・・」

 「そうですね。これならクーラーいらなそうだし、健康のために、一度切りますか」

 圭介はそう言うとクーラーのスイッチを切り、自分も窓ガラスを開けた。独特の香りのする夏の夕暮れの空気を感じながら、圭介と亜矢はパトロールを続けていた。

 「そういえば亜矢さん・・・例の一連の事件の犯人で、森谷の暗示で昏睡状態になった人、どうなってるんですか?」

 思い出したように圭介が尋ねると、亜矢は微笑を浮かべた。

 「心配はいらないよ・・・。暗示を解く方法はすでに見つかっているし・・・それによって彼らは、次々に目覚めている・・・。今頃はもう・・・みんな目覚めているんじゃないかな・・・」

 「そうですか・・・よかった」

 圭介は安堵の表情を浮かべたが、すぐにその表情が曇る。

 「しかし・・・今回は本当に、後味の悪い事件でしたね。彼らだってあんなことをされなければ、犯罪なんて犯す人たちじゃなかったでしょうに・・・」

 「そうだね・・・」

 「浩太については、どうなんです? 罪には問われるんですか?」

 思い出したように圭介が言う。浩太はあのあと病院に移され検査を受けたが、小島の診察どおり特に異常は見られず、すぐに意識を取り戻して退院したという。それからのち、彼の姿はまだ見ていない。

 「科学部の調べでわかったことだが・・・やはり彼の持たされた「天使」は、他の犯人に渡されていたものとは異なっていた・・・。より催眠効果が強化されていて・・・自信喪失がそれほど重くない人や、まったくない人にも効果を及ぼすものらしい・・・」

 「つまり、本人の意思とはまったく関係なしに相手を操れる装置だったってことですか?」

 「森谷が患者さんを実験台に得たデータをもとに・・・改良したのだろう。彼はゆくゆくは・・・それを使ってもっと多くの人を「天使のみちびき」によって動かそうとしていたのかもしれない・・・。そこまでいくと・・・もはや「みちびき」ですらないけどね」

 「そうですね・・・。でも、ということは・・・操られていた浩太には、あの件に関しては責任がない、ということですか?」

 「そういうことだね・・・。おそらく・・・罪に問われることはないだろう・・・」

 「よかった・・・」

 と、そのとき。前方の交差点の信号が、黄色に変わった。ブレーキを踏み、徐々にスピードを落としていくウィンディ。やがて、停止線ぴったりで止まった。と・・・

 目の前の横断歩道を、おばあさんを載せた車椅子を押しながら、一人の少年がわたり始めた。

 「! 亜矢さん、あれ・・・」

 「ほぅ・・・!」

 それを見た二人は、驚いた。それは、浩太だったのである。

 「!!」

 それは、浩太の方も同じだった。よく目立つブリティッシュグリーンのエアカーを見て、彼もその中の二人に気がついたようだ。やがて彼らが横断歩道を渡り、信号が青になると、圭介はウィンディを少し離れた路肩に停車させた。二人が車を降りると、浩太の方も車椅子を押しながらやってきた。

 「どうも・・・」

 車椅子の車輪が滑らないようにロックをすると、浩太はやや恥ずかしそうに挨拶をした。

 「やぁ・・・」

 「ひさしぶり。しかし、どうしたんだ?」

 車椅子のおばあさんと一緒にいる浩太を見て、圭介はそう尋ねた。

 「学校でやってるボランティアに参加させてもらってるんですよ。こうして近くの老人ホームのお年寄りの散歩相手とか、お話し相手になったり、そういうことを・・・」

 「浩太ちゃんの知り合いなのかい?」

 「そうだよ。前に話した、僕の命の恩人だよ」

 たずねてくるおばあさんに、浩太は優しい笑みを浮かべてそう言った。

 「けっこう慣れてるみたいだな?」

 「はじめてから一週間になりましたからね。ホームの人たちも、ほんとにいい人ばっかりですから・・・」

 「浩太ちゃんはすごく聞き上手なんですよ。どんな話でも真剣に、楽しそうに聞いてくれるから、つい私たちも長話しちゃって・・・」

 「そんなことないよ。おばあちゃんたちの話、とっても面白いんだからさ。こっちがついつい聞き入っちゃうんだよ」

 亜矢はそんな浩太の姿に、微笑を浮かべた。

 「君も・・・自分のやりたいことを見つけられたのかな・・・?」

 浩太はその言葉に一瞬真顔になったが、やがて微笑を浮かべ、ちょっとうつむいた。

 「・・・まだわかんないですよ。たしかにボランティアの仕事は楽しいけど、楽しいからって、それを仕事にしていいのかっていうのはあるし・・・」

 「それはたしかにそうだな」

 圭介がうなずく。すると、浩太は顔を上げた。

 「・・・でも最近はできるだけいろいろなことをやってみようって思ってるんです。土日には近くのお寺の仕事の手伝いをしながら、住職さんのお話を聞いたり・・・。これだって、将来のためになるかわかりませんけど・・・でも、無駄なことじゃないと思います。とにかく外へ出て、いろいろやってみる。黙ってあれこれ考えてるよりは、そうしていろいろやってみた方が、結局は自分のやりたいことが早く見つかるんじゃないかって・・・そう思うようになったんです。幸い、時間はまだたくさんあるみたいですしね・・・」

 「そうだよ。人生まだまだ、先は長いんだからゆっくりいけばいいのよ」

 「おばあちゃんがそう言うと、なんだか説得力あるなぁ・・・」

 その言葉に、浩太たちは笑みを浮かべた。

 「もちろん、勉強も続けてますし、大学にもいくと思います。なりたいもの、やりたいことを見つけるのは、それからでも遅くはないんじゃないかなって・・・」

 「そうだね・・・。人には必ず・・・その人にふさわしい仕事や、やるべきことがある・・・。それを見つけるのは難しいことだけれども・・・求め続ければ、きっと見つかるはずだ。今の君なら・・・きっとそれは叶うよ・・・」

 「うん・・・ありがとう、桐生さん」

 浩太の目を見て優しく言う亜矢に、浩太は笑みを浮かべて頭を下げた。

 「・・・それじゃおばあちゃん、そろそろ戻ろうか。もうすぐ、晩御飯だしね」

 「そうだね。それじゃあ、失礼します」

 「失礼します。桐生さんたちも、お仕事頑張ってくださいね」

 「ああ・・・頑張るんだよ」

 「頑張れよ」

 手を振る圭介たちを背に、浩太は車椅子を押しながらゆっくりと去っていった。

 「・・・行きましょうか、亜矢さん」

 「そうだね・・・」

 二人はそれをしばし見送っていたが、やがて車に乗り込み、再び発進した。

 「やっぱり・・・普通はああいうふうに迷いながら、自分のやりたいことを見つけていくものなんですよね・・・」

 やがて、ハンドルを握りながら圭介がしみじみとつぶやいた。

 「人の生き方に・・・こうでなければいけないというものはないよ・・・。大事なのは・・・「こうありたい」という自分の姿をもって・・・それを目指し続けることだよ。まっすぐに歩こうと、さんざん迷おうと・・・いつかはたどりつくものさ。目指すものを求め続ける心を・・・はっきりと持っていさえすればね・・・」

 前方を見据えてそんなことを言う亜矢。圭介は微笑を浮かべてうなずいた。と・・・

 「ところで新座君・・・帰ったら・・・紙飛行機を折ってみないかい・・・?」

 亜矢がそんなことを言った。

 「え・・・? なんで急に・・・」

 「フッ・・・ひさしぶりにやってみたくなってね・・・。どちらが飛ぶか・・・競争しないかい?」

 圭介は少し戸惑ったが・・・

 「・・・いいですよ。受けて立ちましょう。言っときますけど亜矢さん、俺は小学生のとき、紙飛行機作りに関しちゃ誰にも負けたことはありませんでしたからね。覚悟してくださいよ」

 やがて、不敵な笑みを浮かべてそう答えた。

 「フ・・・お手並み拝見と・・・いこうかな」

 ニヤリといつもの笑みを浮かべる亜矢。二人を乗せたウィンディは、夕闇の中を滑るように駆け抜けていった。


関連用語紹介

・ミチビキエンゼル

 てんとうむしコミックス第3巻「ミチビキエンゼル」に登場。天使の形をした、手にはめるかたちの人形、いわゆるパペットで、これを手にはめていると選択を求められる状況において一番有効な答えを教えてくれる。どう考えても未来を予知しているとしか思えないが、この手の道具は秘密道具では珍しくはない。とりあえずその答えにしたがっていればたしかに災難を避けることはできるのだが、静香ちゃんの家から帰って早く宿題をさせるため、静香ちゃんにアカンベエをするようにのび太に命令をするなど、何かを優先させるために他を犠牲にするようなことも言う。加えて紅茶に入れる砂糖の量にまで口出ししてくるので、おせっかいが過ぎる。さらに一度手にはめると、誰かがそれを外すまで自分では外すことができないなど、いろいろと問題を抱えた道具である。

 作品中に登場するミチビキエンゼルは、パペットではなくマスコット型。その頭部には身につけている者の思考を読み取る受信装置と、指令をその脳に送り込む発信装置とが組み込まれている。また、その助言も未来予知ではなく、本人の意識化にある潜在願望を読み取り、それを「天の声」として伝えるというものである。したがって、必ずしも的中するとは限らない。


おまけコーナー(対談式あとがき)

作者「影月」

聡美「聡美の」

2人「「おまけコーナー!!」」

作者「Extra Episode Vol.8、みなさんいかがでしたでしょうか?」

聡美「それにしても、前回から間開いたよねぇ。Vol.7載せたの11月じゃない。そのあいだ、ミニプレで学園恋愛ものやったり戦隊ものやったり、やりたい放題だったけど」

作者「ヴァリアントも書きたかったし、いろいろあったんですよ。それに戦隊のときは、あなただって生き生きしてたじゃないですか」

聡美「そりゃ楽しめたけどさ。あたしの夢の話だったのに、なんであたしがレッドじゃなくてイエローなわけ? あたし別に、カレーフェチなんかじゃないんだからね!」

作者「わかってますよ。ただ、あれです。雰囲気」

聡美「・・・」

作者「まぁ、次のEXの筋もいくつかできあがってますし、ヴァリアント劇場版後編も書かなきゃいけませんからね。今後もどうか、よろしくお願いします」

聡美「あ! 勝手にしめるな!!」


トップに戻る

inserted by FC2 system