白一色が、四角く細長い空間を埋め尽くしている。それはもやもやと形を変えながらも、決してどこかへ移動したり薄まったりすることはない。それどころか、さらに密度を増している。もはや、何も見えない。だが・・・

 ガチャガチャガチャガチャ!!

 そこに響いてくる、金属質な響きの足音たち。それが止まると同時に、今度は大きな声が聞こえてくる。

 「うひゃあ! この階はまた一段とひどいですねえ」

 「全員、スコープ使用」

 「了解!」

 ガシャッ!

 再び金属音が響く。

 「検索開始します。亜矢さん、生体電流センサーの感度をアップさせて」

 「了解・・・」

 外に停車する指揮車の中の管制員の操作により、生体電流を感知するセンサーの感度が向上する。

 「・・・検索完了。J09号室に反応1確認。いくわよ!」

 「「了解!!」」

 ガチャガチャガチャガチャ!!

 煙の充満したマンションの廊下を、白、青、そして赤の影たちが、一斉に駆け始めた。


 バァン!!

 廊下のドアが強引に開かれると同時に、赤いVJが内部に飛び込む。

 「室内まで・・・」

 廊下同様、その部屋の室内にも白い煙が充満している。

 「XYZ線スコープ!!」

 赤いVJがバイザーの機能の一つをオンにする。それと同時に、網膜投影ディスプレイに室内の様子がクリアに映し出される。

 「・・・!!」

 注意深く視線を走らせていた赤いVJの目に、それは映った。ダイニングのテーブルの近くに倒れている、女性の姿。

 「要救助者、発見!」

 その言葉と同時に、玄関から中へと駆け込む赤いVJ。白、青のVJも、それに続く。

 「大丈夫ですか!?」

 すぐにダイニングへと至った赤いVJは、床の上にぐったりと倒れこんだ女性に声をかけた。が、返事はない。

 「・・・心拍はあるが、意識や呼吸はない。急いで担ぎ出さないと、危険だな」

 スコープで診断を下しながら、青いVJが言う。

 「了解、すぐに運び出すわよ」

 白いVJがそう言うと、青いVJは注意深くその体を担いだ。

 「小島君はこのまま外へ。センサーには他に反応はなかったけれど、私と新座君は念のため他の部屋も確認します」

 「了解!」

 「了解!」

 答えると、青いVJはすぐに飛び出していった。

 「いくわよ、新座君」

 「はい!」

 出て行こうとする白いVJに続こうとする赤いVJ、だが、その時だった。

 「・・・!」

 VJの聴覚センサーが、かすかな音を捉えた。

 「圭介君・・・」

 「・・・聞こえたか? お前にも・・・」

 「はい・・・」

 管制員と言葉を交わす赤いVJ。そのとき、また音が聞こえた。ほんのかすかな、しかし、聞き間違いではない音。赤いVJはそれを頼りに、音の発生源をたどったが、それは、すぐ近くであった。音の発生源・・・ダイニングのテーブルの下をのぞくと・・・

 「・・・!」

 そこには、灰色の物体が丸くなっていた。


ミニプレ

Dog or Cat?


 「ミ〜」

 昼下がりの第1小隊隊員オフィスに響く、なんとも気の緩む鳴き声。

 「はいはい、ちょっと待ってくださいねー」

 ひかるは優しくそう言いながら、それの前にしゃがみこんで、プラスチックでできた平たい皿を置いた。そして、もう片方の手に持っていた袋の中から、その中身を静かにその皿の中にあけてゆく。

 「さぁどうぞ。あんまり急いで食べちゃダメですよ」

 ひかるはそう言ったが、そのときにはすでに、彼女の目の前にいる黒と銀褐色の縞模様の小さく柔らかそうな物体は、一生懸命に皿の中に頭を突っ込んで、カリカリと音を立てながらその中のものを食べている。

 「・・・」

 ひかるはこの上なく優しく、そして幸せそうな表情で、目の前でドライフードを食べている仔猫を見つめていた。と、そのとき。

 「ひかる」

 背後からの声に振り向くと

 「お前も飲めよ。冷めちゃうぞ」

 圭介が自分の席から、湯気の立つマグカップを片手にそう言った。円卓に座るほかのメンバーも、微笑ましそうな表情でこちらを見ている。

 「あ、はい」

 ひかるは答えて立ち上がると、自分の席に戻った。机の上には、湯気の立つコーヒーの入ったマグカップが置かれている。ひかるは砂糖瓶から入れすぎない程度に砂糖を掬うと、コーヒーの中に入れてかき混ぜ始める。だが、右手ではスプーンを回しつつも、顔はどうしても床の上で夢中にドライフードを食べている仔猫に向いてしまう。

 「ほんとに可愛いよね。ぬいぐるみみたい」

 と、聡美も仔猫を見ながら顔をほころばせる。

 「え〜っと、この子ってどういう種類の猫ちゃんだっけ? TVとか写真だとよく見るんだけど・・・」

 「アメリカンショートヘアですね」

 「そうそう、それそれ。でもいいよね。可愛いんだけどそれだけじゃなくって、なんとなく気品もあってさ」

 聡美はマグカップを片手に、じっと仔猫を見ている。

 「ところでひかるちゃん。その子はまだ仔猫みたいだけど、もう大人と同じような餌で大丈夫なのかな? ミルクとかじゃなくていいの?」

 小島が餌を食べる仔猫を見ながらそう言う。

 「生まれて2ヶ月くらいからなら、もう大人の猫と同じ餌で大丈夫なんです。この子は3ヶ月らしいですけど、人間で言うならもう5歳くらいですからね。でも、このキャットフードは仔猫用です。成猫用のキャットフードよりも、栄養価が高いんですよ」

 「へぇ〜」

 そう言って、机の上に置かれたキャットフードの袋を見る小島。なるほど、パッケージに書かれた「グルメン」という商品名の横には、ちゃんと「仔猫用」と書かれている。

 「服部さんに任せておけば、間違いはなさそうね」

 「そうですね・・・。出動で留守のときは・・・整備班の誰かに頼めばよいですし・・・」

 仁木が笑顔で言った言葉に、亜矢がうなずく。

 「それなら、伊藤さんあたりに頼んだらいいんじゃないか? たしかものすごい猫好きだったと思うが」

 圭介が思い出したように言うと、ひかるはうなずいた。

 「もう頼んでおきました。このキャットフードも、伊藤さんが家から持ってきてくれたものなんですよ」

 「そっか。さすがに準備がいいな」

 その言葉にひかるは照れたような表情を浮かべたが、やがて小島に尋ねた。

 「ところで小島さん・・・この子の飼い主の人は、どのぐらいで退院できるんでしょうか?」

 「うん。午前中に先輩に電話で聞いてみたんだけどね。煙をちょっと吸い込んだだけで、もう意識ははっきりしてるらしい。検査でも脳への影響なんかは見られなかったっていうし、入院は念のためってことで2,3日ぐらいらしいから、すぐに退院できるよ」

 「そうですか・・・よかった」

 胸をなでおろすひかる。それを見ながら、圭介は昨日のマンション火災のあとの経緯を思い出していた。

 圭介が助けた仔猫は、当然ながらあの部屋に倒れていた住人の飼い猫だった。住人は小島が救出した、一人暮らしの初老の女性。猫と一緒に避難しようと部屋の中を探し回っているうちに逃げ遅れ、煙に巻かれてしまったらしい。あのあとすぐに関東医大病院に運ばれたが、それなら心配することはないだろう。

 「ってことは、預かるのもその間だけってことか」

 「そうですね。ちょっと寂しいですけど・・・飼い主の方は、もっと寂しいでしょうから。それまでは、私たちで責任を持って世話をしないといけませんね」

 ひかるは少し寂しげな笑みを浮かべてうなずいた。飼い主が入院中の間、この仔猫を世話したいと言い出したのはひかるだった。近所の人に預けるにしても、あのマンションの住人は多かれ少なかれ火事の被害を被っており、とても他人の飼い猫の世話を焼ける状態ではない。かといって、あいにく女性には近在に親戚や友人がおらず、結局ひかるの提案と相成ったわけである。無論、無類の動物好き故から来る個人的欲求も少なからず含まれてはいただろうが、最終的にそれは小隈に「いいんじゃないの」の一言で承認された。これまでも、未知の雲形生物やら生きている人工台風など、およそ常識ハズレな生き物達を立派に世話してきたひかるである。ペットホテルなどに預けるよりはずっと丁寧な世話をするし、なおかつお金もかからない。本来隊員寮はペット禁止なのだが、度重なる例外という名の前例は、もはやそれに意味があるのかどうかを不明瞭なものにしていたのだった。

 「まぁしっかり頼むよ、服部。これも広い意味では、人助けだからね」

 窓際の席から、小隈ののんびりとした声が届く。と・・・

 「次のニュースです。爽やかな秋晴れの日が続いていますが、千葉県野田市の市立グリーンスポーツ公園では、日本フリスビードッグ協会主催のフリスビードッグ選手権が開かれました」

 ピクッ!

 目に見えて、ひかるが反応を示す。その視線はすぐに、つけっぱなしになっていたTVに釘付けになる。TV画面の中では、飼い主の投げたフリスビーを追って、芝生の上を犬たちが元気一杯に走り回っている。

 「・・・ひかる」

 「!! はッ、はい! なんでしょう!?」

 圭介に声をかけられ、我に返ったように振り返るひかる。

 「いや・・・別に用じゃないんだが。ただ、飲むか下ろすかどっちかにした方がいいんじゃないかと思って・・・」

 マグカップを口に運ぶ途中の姿勢のままのひかるを見ながら、圭介が言う。

 「・・・!!」

 ひかるは少しの間わたわたしていたが・・・結局、口をつけることなく再び机の上に戻した。

 「ほ〜んと、ひかるちゃんって、動物のこととなると夢中だよねぇ」

 「・・・」

 聡美が笑いながらそう言うと、ひかるは恥ずかしそうにうつむいてしまった。それを見て、圭介が言う。

 「別にいいじゃないですか」

 「あたしも別にいけないなんて言ってないよ。ひかるちゃんの長所だよ、長所」

 聡美は再び笑いながらコーヒーを一口飲んだが、そこでふと、何かを思い出したような顔をした。

 「・・・そうだ! 前から思ってたことなんだけどさ。ひかるちゃんって、結局のところ犬と猫、どっちの方が好きなの?」

 「え・・・?」

 突然聡美にそんなことを言われたひかるは、しばし呆然としていたが・・・床でまだドライフードを食べている仔猫とTVを、交互に見た。もっとも、TVの方はすでに別のニュースへと切り替わっていたが。

 「犬と・・・猫・・・どちらかですか・・・」

 一言一言、確認するように言葉を漏らすひかる。既にその目の焦点はその場の誰をもとらえてはおらず、その思考はただ己の内側にのみ向けられていた。完全に思考へと没入し、己に与えられた命題に取り組むひかる。だが・・・いっこうに、その口からは言葉が発せられない。やがて・・・仲間たちの見ている前で、彼女の体がぷるぷると小刻みに震え始める。

 「お・・・おい、ひかる?」

 圭介が異常に気がつき、声をかける。が・・・彼女はやはり、ただ思考に没入している。

 「ちょ、ちょっとひかるちゃん? あのね、そんなに真剣に考えなくていいんだよ? あたしは単純に、どっちかというとどっちが好きなのかな〜、ぐらいのレベルで訊いただけなんだから・・・」

 聡美も軽く冷や汗を流しながら言う。だが・・・

 「気楽になんて・・・答えられません・・・。犬と・・・猫・・・どっちが好きかなんて・・・」

 そう答えるひかるの言葉は、どこか虚ろな響きをもっていた。言葉だけでなく、表情もますます虚ろさを増し、震えもさらに強まっている・・・。

 「犬・・・猫・・・イヌ・・・ネコ・・・いぬ・・・ねこ・・・」

 「お・・・おい、ヤバイぞ!?」

 「ひかる!! おい、しっかりしろ!! もういいから!!」

 圭介がひかるの両肩を掴んで揺さぶる圭介。だが、ひかるは虚ろな表情のまま、ただ「いぬ」と「ねこ」という単語を繰り返している。

 「ま、まずい! おい岸本! どうすんだよ!?」

 「そ、そんな・・・あたしはほんとに、気軽にどっちが好きか訊いただけなのに・・・」

 青ざめる聡美。と・・・

 「・・・桐生」

 小隈が短くそう言うと、亜矢が黙ってうなずき、すっと立ち上がった。そして、目を閉じてゆっくりと呼吸を整えると・・・

 「喝ッ!!」

 かん、とオフィスに響き渡る声。それが響き渡った瞬間、圭介達にはオフィスの中の空気が一気にさっと引き締まったように思えた。

 「・・・!!」

 すると・・・ひかるがハッと我に返ったような表情になり、「いぬ」と「ねこ」の反復をやめる。震えもぴたりと止まった。

 「あ・・・わ、私・・・」

 「ひかる君・・・無理に決めることはないよ。君にとってはどちらも捨てがたいものだということは・・・よくわかったからね」

 そう言うと亜矢は、わずかに優しく笑った。

 「は・・・はい。ごめんなさい、皆さん」

 ひかるはぺこりと頭を下げた。

 「あ、謝ることないよひかるちゃん。こいつがあんなこと言ったのが悪いんだから。ほら、お前もなんとか言え」

 「う、うん・・・。ごめん、ひかるちゃん。まさか、ここまで真剣に考え込んじゃうなんて、思ってもみなかったから・・・」

 「そんな・・・でも、すみません。私・・・犬と猫どっちかなんて、どうしても決められなくて・・・」

 「いいんだよ、ひかる。亜矢さんの言うとおり、どっちも大好きなのはわかるけど、無理に決めることなんてないんだからさ」

 圭介がそう言うと、ひかるは恥ずかしそうにわずかにうなずいた。

 「ま、服部には今後そういう類の質問は禁止だな。文字通り究極の選択ってわけだ。服部にとっての犬と猫ほどなのは滅多にないだろうけど、どっちか決めることのできないものなんて、誰にだってあるだろうよ」

 小隈の言葉にうなずくと、今度は仁木が口を開く。

 「そもそも、どっちか決める必要なんてないのよ。犬も猫もどっちも好きなら好きで、それで結構じゃない」

 「それはそうですけどね。あたしはただ、「強いて言うなら」ぐらいのつもりで訊いただけなんですよぅ」

 聡美が情けない声でそう言と、小島が椅子にもたれながら言った。

 「まぁ、そういう類の質問はそんなもんさ。野球かサッカー、カレーかラーメン、年上か年下、ロングヘアーかショートカット、連邦かジオン・・・どっちを選んだっていいし、どっちも好きでも嫌いでも、どう答えたって正解も間違いもないんだからな」

 「挙げる例がだんだんおかしくなっていったような気がするね・・・」

 亜矢が訝しげな表情を浮かべる。

 「要するに、それなら気楽に答えろってことですよ。遊びみたいなもんですね。ひかるちゃんみたいに、どうしても気楽になんか答えられないって人もいるだろうけど・・・」

 「・・・」

 「ところで、言いだしっぺのお前はどうなんだよ? 犬と猫、どっちが好きかって訊かれて、どう答えるんだ?」

 「え?」

 質問を逆に返され、聡美は一瞬戸惑ったが・・・

 「そうだね・・・。ひかるちゃんには悪いけど、あたしは犬も猫も好きではあるけど、どっちかに特に思い入れがあるってわけでもないし・・・どっちも飼ったことないからね。でも、強いて言うなら・・・犬かなぁ」

 「ふぅん、犬か。そりゃまたどうして」

 「まぁ・・・性格の違い、かな。勝手なイメージかもしれないけど、猫ってなんとなく、素っ気ない感じがするんだよね。犬はさ、飼い主が愛情をもって接すれば接するほど、懐いてくれそうな感じがするし・・・。こういうふうにただ見てるだけなら、猫もかわいいなぁって思うけど・・・実際に飼ってみるとなると、やりがいっていうか、そういうのを感じられそうなのは犬っていう気がするんだよね。ごめんねひかるちゃん。イメージだけでこんなこと言っちゃって」

 自分の言葉でさっきの騒動を招いたためか、ひかるを強く気にしている様子を見せる聡美。だが、ひかるは笑みを浮かべて首を振った。

 「いえ・・・。一概に言い切ることはできませんけど、犬と猫でそういう性格の違いみたいなものがあるのは、本当ですから・・・」

 ひかるがそう言うと、仁木がうなずいた。

 「性格というより、歩んできた歴史の違いね。もともと群れで行動する動物だった狼が先祖の犬と違って、猫の先祖の山猫は今の猫と同じく、元から群れでは行動しない動物だったから・・・。猫は気ままで犬は忠実というのは、服部さんも言うとおり一概には言い切れないでしょうけど、あると言っても間違いではないでしょうね」

 「なるほど。それじゃあ副隊長は、どっちの方が好きなんですか?」

 「そうね・・・。個人として飼うなら・・・やっぱり、猫かしら」

 と、それを聞いたメンバーの顔を見て、仁木が訝しげな表情をする。

 「・・・なに? その「やっぱり」みたいな顔は」

 「いや・・・なんとなく、副隊長には犬より猫のほうが似合うような感じがして・・・」

 圭介が頭をかきながら言うと、聡美と小島もうなずく。

 「うんうん。やっぱり、そういうイメージあるよね。副隊長ってクールでかっこいいけど、そういうところって猫にもあるし」

 「ああ。副隊長とロシアンブルーあたりの組み合わせって、すごく絵になると思いますよ」

 「あ、それわかります!」

 ひかるがぱんと手を叩いて嬉しそうな顔をする。

 「・・・私にそんなイメージがあるのかどうかは別として・・・なんとなく猫のほうが好きだというのはたしかね。犬が嫌いというわけではないけど、猫の方が私も猫も互いの時間を大事にできるというか・・・おかしいわよね。自分の時間を大事にしたいのなら、最初からペットなんて飼わない方がいいのに・・・」

 仁木は苦笑いを浮かべながらそう言ったが、ひかるは首を振った。

 「おかしくなんかないと思います。そういうつき合い方も、ペットにはあると思いますから」

 ひかるの言葉に、他のメンバーもうなずいた。

 「亜矢さんはどっちなんですか? 犬派、それとも・・・」

 「私も・・・猫だね」

 ここまでくれば、誰も自分に話題が振られることは予測済みだろう。亜矢の返答は、すぐに返ってきた。が・・・

 「・・・私も・・・イメージとして猫好きなのかい・・・?」

 先ほどの仁木の時と同じような顔をするメンバーに、亜矢は言った。

 「え、ええ・・・クールでかっこいいってところは、亜矢さんにもあるイメージですから」

 「ただ、副隊長とはちょっと違うんですよね。副隊長はロシアンブルーとかシャムネコとか、ヨーロッパの猫みたいなイメージがありますけど、亜矢さんはどっちかというと、古式ゆかしい日本の白猫、っていうイメージがあるんですよね」

 仁木と亜矢は、どちらも猫というイメージがある。飼うとしたらどんな猫かという想像だけでなく、本人達自身にもそんなイメージがあるのである。仁木がクールで気品のある西洋の高級な品種の猫なら、亜矢はどこか仇っぽい魅力のある日本伝統の白猫。勝手なイメージではあるが、小島達はそんなイメージを抱かずにはいられなかった。

 「なるほどね・・・。たしかに和猫は好きだし・・・誉め言葉と受け取っておくよ・・・」

 「でも、亜矢さんはどうして猫が好きなんですか?」

 ひかるがそう問うと・・・

 「・・・おもしろい、からかな・・・」

 「おもしろい・・・?」

 亜矢の答えに、メンバーは首をかしげた。

 「可愛いとかならわかるけど、おもしろいって?」

 「行動がおもしろいから好きってことですか?」

 意味がよくわからずにそう尋ねると・・・

 「猫はおもしろいよ・・・化けるからね」

 見るものを凍りつかせるようなあの笑みを浮かべながら、亜矢はより詳しく答えてみせた。

 (ああ、そっちか)

メンバーはそれに背筋をゾッとさせつつも、同時に納得もしていた。それはつまり、こう思えるようになれば彼女とうまくつきあっているという事実でもあったのだが。しかし、亜矢はそんなメンバーにかまうことなく続ける。

 「その昔・・・この国には、「猫は化け物草子にかかせない」などという言葉まであったらしいね。講談の鍋島や有馬の猫騒動の例を挙げるまでもなく・・・日本には昔から、猫にまつわる怪談、奇談がいっぱいだよ。いや・・・日本だけには限らないね。例えば、中国の浙江省金華地方の猫は「金華猫」と呼ばれ・・・人に飼われることわずか3年にして妖怪となるという。ヨーロッパには「ケット・シー」という猫の妖精がいるけれど・・・彼らなどは、自分達の国を持っているからね。それから・・・」

 と、なおも怪猫談義を続けようとする亜矢だが・・・

 「・・・妖怪になるから好きなんですか?」

 複雑そうな表情で自分を見るひかるに、亜矢は一瞬目を丸くしたが・・・

 「・・・ごめん、気を悪くしたかな。もちろん、普通に可愛いと思う気持ちもあるけれど・・・私は、文化的な背景まで含めて、猫が好きなんだよ」

 優しい笑顔を浮かべながら、そう言った。

 「たしかに・・・猫が妖怪扱いされることは、ひかる君のような人にはとんでもないことかもしれないね・・・。でもね・・・「妖怪になる」ということは、悪いイメージばかりではないんだよ。いや・・・むしろ、その逆かもしれない」

 「どういうことですか・・・?」

 「妖怪というのはね・・・恐れられたり、怖がられたりするだけじゃなく・・・愛される存在でもあるんだよ」

 亜矢はそう言った。

 「キリスト教圏には・・・「悪魔」という存在がある。悪魔も妖怪と同じように恐れられるけど・・・ただそれだけだ。悪魔はね・・・ただ恐れられ、怖がられ、忌み嫌われるだけの存在だ。だけどね・・・妖怪は違う。妖怪もたしかに、恐れられたり怖がられたりしてきたけど・・・同時に、広く長く愛されてきたんだよ。考えてごらん・・・。化け猫と言えば、河童や天狗と同じく・・・誰でも知っている妖怪じゃないか。悪魔はキリスト教という土台の元に永く語られているけれど・・・妖怪には、そんなしっかりした土台はない。だけども化け猫は・・・ずっと昔から今まで、最もポピュラーな妖怪の一つだ。ただ怖いだけ、恐ろしいだけの存在が・・・こんなに永く、語り継がれるはずがないじゃないか」

 「それだけじゃ・・・ないんですか?」

 「そう・・・。昔の不思議が不思議でなくなって久しい今の時代でも・・・化け猫や河童、天狗といえば、誰でもその姿をイメージできる。そんな、今でも生き残っている妖怪というのは・・・言ってみれば、キャラクターのようなものだね」

 「キャラクターって・・・アニメやマンガに出てくるみたいな?」

 聡美がそう言うと、亜矢はうなずいた。

 「そういうものの元祖であると・・・言ってもいいかもしれないね。彼らは怖いだけ、恐ろしいだけじゃなく・・・愛されているからこそ、今でも生きているんだよ。それも、人気者としてね・・・」

 「人気者・・・ですか?」

 「そう・・・。たとえば、鍋島の猫騒動などは、猫が怨念を自分に託して自害した主人の仇討ち話だ。鍋島と並び、「日本三大怪猫伝」に数えられる有馬や岡崎の猫騒動も同じような構造の話だし・・・徳島県阿南のお松大権現に伝わるお松の化け猫の話も、似たようなものだね。主人の無念を継いで化け猫となり、その仇討ちをするというのは・・・講談の化け物話によく見られる筋書きだよ。要するに・・・忠臣蔵の赤穂浪士と、そう変わらないんだ。日本人は昔から・・・この手の話が大好きだからね・・・」

 「・・・」

 「副隊長も言ったように・・・猫はもともと群れを成さない生き物だから、犬ほど人間には懐かない。気ままといえば気ままで、何を考えているかわからないところもあるから・・・そんなところも、化け猫誕生の理由ではあったろうね。ただ・・・それはそれで、日本独自の猫の愛し方だったと言うことができる」

 亜矢はそう言うと、小さく笑った。

 「私が猫が好きな最大の理由は・・・そんなところにある。ひかる君から見れば・・・邪道かもしれないけどね」

 が、ひかるはやがて言った。

 「いいえ・・・。ちょっと変わってるとは思いますけど・・・そういう見方も、猫が好きっていうことには変わりないんですよね。邪道なんかじゃありません。そういうのは、私が決めることでもありませんけど・・・」

 「そうかい・・・ありがとう、ひかる君」

 ひかるはそう言って、照れ笑いのような笑みを浮かべた。亜矢もまた、安心したように笑みを漏らす。

 「文化的なところまで含めて猫が好きなんて、亜矢さんらしいな」

 「うん。でもこれで、犬派1人、猫派2人、両方好き派1人かぁ・・・。押されてるなぁ、犬派」

 「そんな、勝負じゃないんですから・・・」

 と、圭介が言うと、聡美が彼の顔を見た。

 「わかってるけどさぁ、やっぱりそういうのはあるじゃないの。そう言う新座君はどうなのよ?」

 「ええっと・・・ですね」

 圭介はなぜか、ひかるをチラチラと見ながら口を濁したが・・・

 「みんなが話してる間、考えてみたんですけど・・・やっぱり俺も、両方好きってことで・・・」

 「圭介君もですか?」

 「あっ、ずるい」

 「この話題にかこつけて、ひかるちゃんの中での好感度アップ狙う気だな? お前いつから、そんなに計算高くなった?」

 聡美と小島の言葉に、圭介は憮然とする。

 「なんでそうなるんですか。聡美さんの言った通り気楽に考えてみたけど、結局どっちも可愛いっていう結論に達しただけです。それがいけないって言うなら・・・ひかるにも、どっちか決めてもらわなきゃならなくなりますよ?」

 「え・・・? やっぱり、どっちか決めないとダメですか・・・?」

 「ワーッ!! 冗談だって新座! アリですアリ! 両方好きで大変結構!!」

 「ひかるちゃんも、両方好きでいいんだから! だから、ね? ね?」

 圭介の言葉に、必死で叫ぶ小島と聡美。

 「・・・だそうだ。どっちも好きでいいんだよ、ひかる」

 「よかったです」

 笑顔でそう言う圭介に、安堵の笑みを浮かべるひかる。

 (こいつめ・・・やっぱり、知恵つけてきてやがる・・・)

 (新座君・・・おそろしい子!!)

 恨めしそうな顔で圭介を見る小島と聡美を見ながら、仁木はため息をついた。

 「さっきも言ったのに、変な言いがかりをつけるからよ。小島君こそ、どちらが好きなの?」

 「あ、ああ、そうですね・・・。俺の場合・・・」

 小島はそれによって我に返ったが・・・

 「・・・まぁ、犬・・・なんですよね・・・」

 横目で聡美を見ながら、口ごもりつつ答える。

 「なんでそんな風に嫌そうに答えるのよ?」

 聡美が憮然としてそう言う。もちろん、大体の理由は想像の通りだが。

 「聡美君に失礼だよ、小島君・・・。理由はどうあれ・・・君は犬のほうが好きだと・・・そういうことじゃないか」

 「まぁ・・・そうなんですけどね」

 「だったら、それでいいじゃないですか。で、小島さんは犬のどんなところが好きなんですか?」

 「まぁ、普通に犬のほうが可愛いと思うっていうのもあるんだけど・・・俺の場合は、「貢献度」が決め手かな」

 「貢献度?」

 ひかるが首を傾げる。

 「ほら、犬ってさ、いろんなところで人間の役に立ってくれてるじゃない。警察犬とか、盲導犬とか。災害救助犬なんかとは、一緒に仕事をしたこともあるじゃないか」

 「ああ、そういえばありましたね」

 たしかに、第1小隊には以前、とある土砂崩れの現場で土砂に埋もれた人の発見・救助のため、災害救助犬と共同作業を行った経験があった。その結果、派遣されてきた災害救助犬は埋もれた人の位置を見事に割り出し、生存者の存在は絶望的と思われた状況で、見事に1人の生存者の救助に成功したのである。その優れた能力に、第1小隊は自分達の装備だけではまだまだ及ばないものがあることを実感し、災害救助犬に対して深い感謝と畏敬の念を感じた。

 「猫が役立たずだなんてことは絶対にないですけど・・・いざというとき頼りになるパートナーっていえば、やっぱり犬なんじゃないでしょうかね。医者として盲導犬は本当に偉いと思いますし、災害救助犬や警察犬なんかは、俺たちと同じ救助・捜査のプロって言ってもいいじゃないですか」

 小島がそう言うと、メンバーは一様に考え込むような表情をした。

 「なるほど・・・。それはたしかに、一理あるわね・・・」

 「たしかに・・・。人間の実生活への貢献度という点ならば・・・これは犬に軍配が上がるだろうね・・・」

 「災害救助犬にも、状況によっていろいろな種類がありますし・・・麻薬探知犬や爆弾探知犬っていうのもありますからね」

 「さすがにそういうことは、猫には無理だもんな・・・」

 「う〜む・・・小島さんにしては、実に理論的な答え・・・」

 「お前のコメントだけは余計だ!」

 圭介達の言葉に得意げな表情をしていた小島だったが、最後の聡美のコメントはやはり聞き漏らさなかった。と・・・

 「いやいや、全員もっともだよ。犬派2人、猫派2人、両方好き派2人。思ったとおり、きれいに分かれたじゃないか」

 それまで議論には参加せずに黙って部下を見ていた小隈が、満足そうな笑みを浮かべながらそんなことを言った。

 「思った通りって・・・隊長、こんな風になることがわかってたって言うんですか?」

 「うん、だいたいね」

 圭介の言葉に、あっさりとうなずく小隈。彼以外の全員が腑に落ちない顔をする。

 「そんなに予想しやすかったですかね・・・」

 「いや、実を言うとね。この間、TVでちょうど今の話題について面白いことを言っていたのを見たんだよ」

 「犬か猫か・・・っていうことですか?」

 「うん。で、その話で聞いたことにしたがって、自分の中で大体の予想を立てたんだが・・・桐生を除けば、全員見事正解」

 「ほんとですか?」

 「私を除けばというのが・・・気になりますが・・・」

 「どんなことを言ってたんですか? そのTVで」

 興味を持ったように身を乗り出す圭介達。小隈はそれを見て、また満足そうな表情を浮かべた。

 「なに、たいしたことじゃないんだよ。要するに、人間っていうのは自分にはないものをもったものに心魅かれる、ってことさ。それは誰でも、何かしら覚えはあるだろう?」

 「え、ええまぁ・・・。でも、それと犬好きか猫好きかってことと、どんな関係があるんですか?」

 話が見えずに怪訝そうな顔をする部下を、小隈はこの上なく楽しそうな表情で見回した。

 「簡単だよ。つまりね、犬が好きって奴は自分は猫みたいで、逆に猫が好きって奴は犬みたいな奴ってことさ」

 「何ですか? 犬みたいとか、猫みたいって・・・」

 「さっき言ってたじゃないか。猫は気ままで、犬は忠実だって」

 小隈はそう言うと、小島と聡美を見た。

 「つまり、犬が好きな奴は猫っぽく気ままな性格で・・・」

 そう言って、今度は仁木と亜矢に目を向ける。

 「猫が好きな奴はそういう気ままな生き方ができない、どうしても真面目を通してしまいがちな人間だと・・・そう言ってたってわけだ」

 「「気まま・・・」」

 「「真面目を通しがち・・・」」

 互いに顔を見合わせる小島・聡美と仁木・亜矢。が・・・

 「そ・・・そんなの、なんの根拠もないじゃないですか!!」

 「そうですよ!! 犬好きか猫好きかで人間の本質まで語られたら、たまったもんじゃありませんって!!」

 聡美と小島が、ほぼ同時に机を叩いて立ち上がる。

 「俺に怒るなよ。それに、大体当たってるじゃないか。特にお前達なんか、仕事中でもかなり自由を謳歌しているように見えるけど」

 「グッ・・・!」

 それに動じることなく小隈がのんびりと返した言葉に、喉に何か詰まらせたような顔をする2人。

 「か、仮にそうだったとしても、亜矢さんはどうなんですか!?」

 が・・・それでもなおも言う聡美。しかし・・・

 「・・・それはつまり・・・私は真面目ではない、ということかい・・・?」

 言葉そのものが冷たさを含んでいるような声が、聡美の背後からかけられる。

 「ス、スイマセン。デモ、ソウイウイミデハナクテデスネ・・・」

 とても振り返ることなどできず、硬直しながらロボットのような片言口調で答えるしかない聡美。

 「それもさっき言っただろう。桐生を除けば、って」

 小隈のその言葉に、聡美のうなじに突き刺さる氷のような視線が消える。

 「なに、俺も桐生が不真面目だなんていうつもりはない。呪いとかは勘弁してくれよ。それはともかくとして・・・たしかに俺も、その基準で言えば、どちらかというと桐生は猫系人間のような気がするな。この中で一番変わった趣味を持っている奴といえば、やっぱりお前になるだろう?」

 「それは確かに・・・否定しません」

 亜矢は素直にうなずいた。

 「それなのに桐生が猫好きっていうのは、やっぱりその理由が特別だからじゃないかな。理由そのものが一風変わってるなら、結果が普通とは違ったっておかしくはないだろう? 何事にも例外ってものはあるさ」

 「・・・」

 小隈の言葉に、メンバーは納得したような決してそうでないような表情を向け合った。と・・・

 「あの・・・」

 控えめな声に振り返ると、そこではひかるが小さく手を上げていた。

 「もしそういうことだとすると・・・私と圭介君は、どういう人間ということになるんですか?」

 「そうですよ。俺たちは犬も猫も、どっちも好きなんですから」

 圭介も隣でうなずく。

 「そうだな・・・。まぁ、普通に考えるならその中間・・・いや、どっちも好きということなら、どっちもよくできてるってことじゃないかな」

 小隈はあっけらかんと答えた。すると、仁木もうなずく。

 「そうね。私もたしかに、自分は性格が固すぎるんじゃないかって思うことがあるし・・・小島君や岸本さんはその逆に、もっと仕事の方にウェイトを向けてもいいんじゃないかと思うし」

 「ちゃ、ちゃんと頑張ってますってば!!」

 「ひどい・・・副隊長(涙)」

 慌てたり半泣きになったりする2名をよそに、小隈がそのあとを継ぐ。

 「その点、お前達2人はうまくそのバランスが取れてるんじゃないかな。多少犬寄り・・・つまり、真面目すぎなところもあるけど、仁木ほどではない。岸本や小島のように悪ふざけの過ぎるところもないし・・・」

 その言葉に打ちのめされる猫系人間2人。

 「桐生も普通に当てはめれば、新座や服部と同じかもしれんな。ただ、お前の場合は2人と違って、逆に猫寄りだとは思うが」

 「なるほど・・・」

 それをしりめに小隈の言った言葉に、納得したようにうなずく亜矢。

 「可もなく不可もなく・・・ってことですか」

 なんとも言えない表情でそう言う圭介。

 「そうじゃないって。バランスがとれてるってことと、特徴がないってこととは全くの別物だ。むしろ、誇ってもいいぐらいだ」

 小隈はそう言うと、全員を見回した。

 「それに、さっきも言ったがきれいに分かれたじゃないか。犬だけでもダメなら、猫だけでもダメ。俺たちみたいなチームは、共通規格の既製品の寄せ集めじゃあ用を成さないんだよ。俺たちがそういうのじゃないってことは、こんなお遊びでも一応は証明されたと考えてもいいんじゃないかね」

 「そうですかねえ・・・」

 やはり腑に落ちない表情を浮かべるメンバー。と・・・

 「・・・って、隊長。そんなこと言って、うまくはぐらかそうとしてません?」

 小島が思い出したようにそう言って、小隈を半目で見る。

 「仮にも上司をそんな目で見るのは感心しないな、小島。俺が何をはぐらかすって言うんだ?」

 「惚けてもダメですよ。ここまで来たら、隊長にも答えてもらわなきゃ」

 「そうだね。あたしたちにだけそんなこと言って、自分だけ答えないってことの方が、よっぽど感心しませんよ」

 聡美もそう言うと、2人は小隈に詰め寄った。

 「さぁ、答えてください!!」

 「隊長は、犬派ですか? それとも猫派?」

 小隈は2人の顔を交互に見たが、やがてため息をついた。

 「・・・お前達もつまんないこと気にするねえ。こんなおじさんが犬が好きだろうと猫が好きだろうと、そんなのはどうだっていいだろう」

 「この期に及んでよくもそんなことが言えますね・・・」

 「ことは単にペットの好みの問題じゃないって言い出したのは、どこの誰ですか!」

 怖い顔をして、さらに顔を近づける2人。小隈はもう一度、ため息をついた。

 「・・・冗談だよ。もちろん、俺だって答えは決まってるよ」

 「それじゃ改めて聞かせてもらいましょうか。隊長は犬派ですか? それとも猫派ですか?」

 全員が小隈を見つめる中・・・彼は口を開いた。

 「・・・あえて言おう。どちらでもないと」

 「「ずるい」」

 その回答とほぼ同時に、しかめ面をする小島と聡美。

 「なんだそりゃ。俺はお前達と同じように、気楽に考えてそう結論を出しただけだぞ。それでどうしてずるいなんて言われなきゃならん?」

 「だってずるいじゃないですか。あたしたちには散々あんなこと言っておいて、自分はどっちでもないなんて」

 「まぁ、大体予想はしていましたけどね。でもやっぱりずるいですよ。新座とひかるちゃんはまだいいです。でも隊長が今この場でそんな答えを言うのは、どっちととらえられることからも逃げようとしているように聞こえたって、文句は言えませんよ」

 2人がそう言うと、小隈はさらに呆れたような表情をした。

 「心外だなぁ。そっちが何と言おうと、こっちは正直に答えたまでなんだからしょうがないだろうが」

 と・・・

 「あの・・・」

 再び、ひかるが控えめな声と同様に小さく手を上げる。

 「お、服部。お前は信じてくれるか?」

 「は、はい・・・」

 「ひかるちゃぁん・・・」

 困ったような顔で彼女を見る聡美と小島。しかし、ひかるはなおも言った。

 「信じますけど・・・一つ、訊きたいんです。どっちでもないということは・・・隊長は、犬も猫も好きではない・・・ということですか?」

 なるほど。たしかに「どちらでもない」というのは、「どちらも決められないほど好き」というのとは違う。

 「まぁ・・・そういうことだろうな。でも、だからって勘違いしないでほしい。それは、どっちも嫌いということでは絶対にないぞ。俺だって犬や猫はかわいいと思うし、生き物として大事にしなきゃいけないと思う」

 「それじゃあ、どちらでもないというのは・・・?」

 「まぁ・・・つまるところ、こういうことだ。俺にはね、犬や猫よりも楽しいものがあるから、どっちが好きとも言えないと・・・こういうわけだよ」

 「犬や猫より・・・楽しいもの?」

 首を傾げるひかる。小隈はそれには答えず、ただニヤニヤと笑いながら圭介達の顔を見回した。

 「!! まさか・・・」

 と、全員がそれを見て、同じ考えに行き着く。

 「そう・・・そのまさかだよ」

 小隈は一層愉快そうに笑いながら、言葉を続ける。

 「だってそうだろう? こうも個性派揃いで見てて飽きない連中に囲まれてたら、犬も猫も必要ないじゃないか。だから、どっちでもないんだよ。いやぁ、素晴らしい部下達に囲まれて俺は幸せだよ、ほんとに」

 (この人は・・・!!)

 言葉どおりに、実に満ち足りた表情で笑う上司を見つめながら、彼らは例外なくこう思った。

 やはり、ずるいと。



 「本当に、ありがとうございました・・・」

 「いえ、どういたしまして」

 「どうか、お元気で・・・」

 夕焼けに染まる街の中、小さなペット用のケージを胸に抱いて深々とお辞儀をする、上品そうな初老の女性。それに対して、私服姿の圭介とひかるも、礼儀正しく頭を下げた。

 「それでは・・・」

 頭を上げ、振り返ろうとする女性。そのとき・・・

 「ミ〜・・・」

 どことなく寂しそうな鳴き声が、ケージの中から小さく聞こえてきた。足を止める女性。

 「・・・!」

 ひかるはそれを聞いて、寂しそうな表情を浮かべたが・・・やがて、努めて笑顔を見せた。

 「バイバイ・・・」

 そう言って、小さく手を振るひかる。女性はそれにもう一度一礼すると、後ろに停まっていたロボットタクシーに乗り込んだ。

 ブォォォォォォォォ・・・

 そして・・・彼女と仔猫を乗せたタクシーは、夕陽の中へと走り去っていった・・・。

 「・・・行っちゃったな」

 「はい・・・」

 それを見送り、2人はつぶやくようにそう言った。

 「あの人・・・有名なデザイナーなんだって?」

 「はい。新しいマンションが見つかるまでは、ペットも大丈夫なホテルで暮らすそうです」

 「そっか。あの猫のことも、ほんとに可愛がってるみたいだし・・・それなら、何の心配もいらないな」

 圭介はそう言うと、ポケットから車のキーを取り出し、体の向きを変えた。

 「それじゃ・・・行こうか」

 「はい・・・」

 歩き出す圭介のあとについていく2人。やがて、彼らは小島から借りた車に乗り込んだ。エンジンをかけ、ゆっくりと発進するエアカー。赤く染まった街を滑るように走る車内は、静かだった。

 「・・・やっぱり、寂しいか?」

 やがて・・・しばらく走ったところで、圭介が前方に視線を向けたままそう言った。ひかるは少し驚いたような表情で彼の横顔を見たが、やがて、小さくうなずいた。

 「・・・ダメですよね、こんなふうにすぐに情が移っちゃうんですから」

 「・・・」

 圭介は、ただ黙ってそれを聞いたが・・・突然ウインカーを点滅させ、交差点を右へと曲がっていった。

 「け、圭介君、どうしたんですか? 海上区へは左折ですよ?」

 「いいんだ。寄り道だよ」

 突然の圭介の行動に戸惑うひかるだったが、どこか有無を言わさぬ響きの彼の言葉に、おとなしく見守ることにした。

 そうしている間にも、車はとある駅前の商店街へと入っていった。夕食の材料を買い求める人々で商店街は混雑していたが・・・やがて、圭介は車をある店の前に停めた。

 「すぐに戻ってくるから、ここで待っててくれ」

 圭介はハザードランプをつけながらそう言うが早いか、呆気にとられるひかるを尻目に、車から降りていった。そして、そのまま彼が入っていったのは・・・

 「おもちゃ屋さん・・・?」

 そこは、小さなおもちゃ屋だった。その店と圭介という組み合わせの意味がどうしてもわからず、ひかるは彼が入っていった店のドアをただ見つめていた。

 やがて・・・言葉どおり、5分としないうちに再びドアが開き、圭介が中から出てきた。入ってきたときと違うのは・・・片手に、白い包み紙に包まれた何かを持っていることである。

 「け、圭介君?」

 「ほら」

 圭介は運転席に乗り込みながら、素っ気なくそれをひかるに渡した。それだけすると、圭介はサイドブレーキを下ろしてシフトレバーを操作すると、すぐにその店の前から発車した。

 「え、え〜と・・・」

 なんとなく有無を言わさぬ様子だったので受け取ってしまったが、それっきり圭介は何も言わない。救いを求めるような視線を向けても、肝心の圭介は運転に集中している。

 「・・・」

 ひかるは再び、手の中の包みに視線を向けた。どうやら、プレゼントらしいことは間違いないらしい。ひかるはしばらくそれと圭介の横顔を交互に見たが、やがて、丁寧に包み紙をはがし始める。ガサゴソという音が、少しの間車内に響いたが・・・

 「あ・・・!」

 やがて、ひかるの声とともにそれが止まる。ひかるは目と口を大きくしたまま、包装紙の中から現れたものを見つめている。

 「そっくりだろう?」

 やはり視線は前方に向けたまま、圭介がようやくそう言った。

 包装紙の中から現れたのは・・・猫のぬいぐるみだった。それも、ただのぬいぐるみではない。模様から色から、何もかもあの仔猫にそっくりな、アメリカンショートヘアの猫のぬいぐるみだったのだ。

 「圭介君、これ・・・!」

 「・・・この商店街に、最近よく行くパーツショップがあってな。昨日の非番にも行ってきたんだけど、帰り道であの店のショーウィンドウに飾られてるのを偶然見つけた。買うかどうか迷ったんだが・・・」

 圭介はそう言って笑った。一方、ひかるは申し訳なさそうに縮こまる。

 「すみません。気を使ってもらってしまって・・・」

 「気にするなよ。それとも、いらなかったか?」

 圭介がそう言うと、ひかるはすぐに首をぶんぶんと振った。

 「そ、そんなはずないじゃありませんか! あ・・・ありがとう・・・」

 「・・・考えてみれば最近、お前になにかプレゼントしてあげたこと、しばらくなかったからな。もう少しすればクリスマスで、お前の誕生日だけど・・・それまでは、それで我慢してくれ」

 「そんな・・・。でも、本当に嬉しいです。大事にしますね」

 ひかるは笑顔を浮かべると、ぬいぐるみを思い切りギュッと胸に抱き寄せた。

 「・・・」

 圭介は笑みを浮かべ、再び視線を前に向けた。

 「・・・あっ」

 と、突然圭介が妙な声を出し、ひかるの持っているぬいぐるみを見た。

 「どうしたんですか・・・?」

 不思議そうな表情を浮かべ、首を傾げるひかる。しかし・・・

 「・・・いや、なんでもない」

 「・・?」

 少し歯切れの悪い返事をする圭介。

 (・・・まずいな。ひかるがあんなもの持って帰って来たところを、小島さんや聡美さんなんかに見られでもしたら・・・。理由はすぐにばれるだろうし、そうなったら・・・)

 格好のおもちゃとして、ひかるともどもいいだけ冷やかされるに違いない。買ってあげたことには後悔などないが・・・せめて、寮に戻るときはもう一度包装紙に包んでもらうか。そんなことを見ながら、圭介はちらりと視線を助手席にやったが・・・そこには、ぬいぐるみを膝の上においてそれを撫でたりしながら、とても楽しそうな表情を浮かべるひかるの姿があった。

 「・・・」

 圭介は結局何も言わず、苦笑いしながら視線を元に戻した。

 (・・・ま、いっか。その時はその時だ)

 それでも、できれば見つからなければいいなと思いながら、圭介はわずかにアクセルを踏み込んだ。夕焼けに赤く染まる海の上を走る巨大な橋を、白いエアカーは一直線に駆け抜けていった。


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