「落ち着いて!! 列を乱さずに避難してください!!」

 アカデミーにたどりついたケイスケとアヤは、警備員たちとともに避難誘導にあたっていた。しかし、地面から伝わってくる振動・・・怪獣の足音・・・は、確実に大きくなってきている。それを感じている学生たちのパニックを抑えながら避難させることが、スムーズに運ぶはずもなかった。

 「ニイザ君・・・」

 そのとき、アヤが声をかけてきた。

 「なんですか、アヤさん!?」

 「怪獣がこの場所にも現れたということは・・・やはり、怪獣の目的は・・・」

 その言葉に、ケイスケはハッとした。

 「私は理事長を助けに行ってくる・・・。すまないがニイザ君、この場は・・・」

 しかし、ケイスケは首を振った。

 「いえ・・・俺に行かせてください。こんなときに男も女もありませんけど、この状況で誰かを探すのは、大変なことですから・・・」
 アヤはしばらくケイスケの目を見つめていたが、やがてうなずいた。

 「すまない・・・よろしく頼むよ」

 ケイスケはうなずくと、避難する学生たちの列とは逆に、彼らをかきわけながら建物の中へと駆けていった。



 「ハァ・・・ハァ・・・」

 息を切らせながら、ケイスケは階段を駆け上がる。緊急事態の常識として、エレベーターなど使えない。こういう時ばかりは、高層ビルというものを恨みたくなる。ケイスケはそんな場違いな考えを心から打ち消しながら、無心で階段を駆け上りつづけた。と、その途中の階で、彼は見知った人物と出くわした。

 「モリタさん!!」

 16階と17階の間の踊り場に、あのモリタが倒れ伏していた。

 「モリタさん! しっかりしてください!!」

 彼を助け起こすと、モリタは荒い息をつきながら答え始めた。

 「だ、大丈夫です・・・息が・・・切れただけですから・・・」

 ゼェゼェと息をしながら、汗だくの顔で彼は答えた。

 「用事があって3階へ下りたところで、怪獣が現れて・・・。理事長を助けるために、ここまできたのですが・・・」

 3階からここまで駆け上がるのは、小太りの彼には少し無茶な運動だったようだ。

 「ということは、理事長は、まだ・・・」

 「ええ・・・理事長は足が不自由なので、走って逃げることができません。おそらくまだ、理事長室に・・・」

 切れ切れにそう言うモリタ。

 「わかりました。理事長は私が助けに行きます。すみませんがモリタさんは、自力で下まで下りてくれませんか?」

 酷なことだとは思ったが、ケイスケはそう言うしかなかった。周囲には彼ら以外は誰もいない。付き添ってくれるような人がいない以上、モリタには一人で降りてもらうしかない。

 「わ、わかりました・・・お願いします・・・」

 モリタもまた、それは察してくれた。モリタは青ざめた顔でうなずくと、手すりにすがりつくような格好でヨロヨロと階段を下り始めた。ケイスケはその姿に罪悪感を抱きながらも、再び階段を駆け上がりはじめた。



 「ハァ・・・!」

 最上階まで上り終えたところで、ケイスケは息を大きく吐き出した。そして、その目の前にある廊下へと走り出そうとした、そのときだった。

 ズン!!

 「!?」

 大きな振動が建物に走り、ケイスケは危うく階段から転げ落ちそうになった。なんとかふんばり、驚きながら廊下の窓の向こうを覗くと・・・

 ヒィィィィィィィヨァァァァァァァァァァァァァ!!

 そこには、すぐそばまで迫った怪獣がこちらに向けて嘴を開き、あの耳障りな鳴き声を発している光景があった。

 「・・・!!」

 その光景に背筋を寒くするケイスケ。大きく開かれた嘴のその喉の奥には、青白い光が・・・

 「クッ・・・!!」

 その光が彼を包み込む寸前、彼は胸ポケットの中から取り出したもののスイッチを入れた。



 ドガァァァァァァァァァァァァァァァン!!

 「ニイザ君!!」

 避難誘導を続けていたアヤは、怪獣が吐き出した針状の光線がアカデミーの最上階を破壊するのを見て、一瞬すべての思考を忘れた。光線は最上階だけを確実に破壊し、それがその下の階まで波及することはなかった。しかし周囲ではそれによって、避難する学生たちがさらに恐慌をきたす。と、そのときだった。

 バッ!!

 破壊された最上階から、突然青く輝く光の玉が飛び出す。

 カッッッッッッッッッッ!!

 そしてそれは、空中で強い青い輝きを放ち、それが収まると・・・

 「シュワッ!!」

 ウルトラマンサムスが、そこには立っていた。

 「サムス・・・!!」

 その姿に息を呑むアヤ。

 「ジュワッ!!」

 最上階を破壊した怪獣に対して、怒りをあらわに力強いファイティングポーズをとるサムス。

 ヒィィィヨァァァァァァァ・・・

 怪獣もその登場に気づき、ゆっくりとその体を向ける。しかし・・・

 シュウウウウウウウ・・・

 サムスの目の前で、怪獣が青い霧に変わり始めた。

 「ジュワッ!!」

 逃がすまいと猛スピードで接近するサムス。しかし・・・

 ザァァァァァァァァァァァァッ・・・

 それも空しく、完全に青い霧となった怪獣は、これまでと同様に空へと昇り・・・そして、消えていった。

 「・・・」

 あとには呆然と空を見上げるサムスだけが残されたが・・・

 「シュワッ・・・!」

 カッ!!

 彼はその腕を体の前でクロスさせると、再び青い光の玉となり、滅茶苦茶に破壊された最上階へと飛んで消えていった。

 「・・・」

 アヤは呆然と、それを見つめていた。



 「ニイザーッ!!」

 「ニイザ君!!」

 人気のなくなった建物の中に、ケイスケの名を呼ぶ声が響く。しかし、それは空しく響くだけだった。

 「申し訳ありません、キャップ・・・。私が、あんなことをニイザ君に頼まなければ・・・」

 うつむくアヤ。

 「いや・・・おそらく俺も、同じ判断をしたはずだ。だが、それは俺がやるべき仕事だった。こういう仕事こそ、自分でやらなければならないはずだったのに・・・」

 オグマもつらそうな表情で言うが、やがて、顔を上げた。

 「だが、まだあきらめるな。ニイザが死んだとは思えない。どんな状況でも生還する・・・あいつは、そんな男じゃないか」

 「はい・・・」

 アヤはうなずくと、オグマとともに再び彼の名を呼び始めた。と、そのときだった。

 「! キャップ・・・」

 「どうした?」

 オグマに緊迫した声で言いながら、アヤは背後の階段を振り返った。

 「上の方から、音がしたような・・・」

 その声に、オグマも階段を見上げる。すると・・・

 コツ・・・コツ・・・

 たしかに階段から足音が聞こえてくる。それも、どうやら上から下りてくるらしい。二人が息を呑んで、それを見守っていると・・・

 コツ・・・

 「あ・・・キャップ! アヤさん!」

 頭のてっぺんからつま先まで埃にまみれたケイスケが、階段の踊り場に姿を現し、二人の顔を見て喜びの表情をした。

 「ニイザ!!」

 「ニイザ君!!」

 すぐに階段を駆け上がり、彼に近づく二人。

 「無事だったか・・・よかった・・・」

 「ええ・・・サムスに助けられました」

 埃まみれではあったが、ケイスケに外傷らしい外傷は見られなかった。しかし、ケイスケはすぐに顔を曇らす。

 「それより・・・」

 そう言って、ケイスケは背後を振り返った。彼は、一人の人物を背負っていた。

 「カジヤマ理事長・・・!!」

 二人は目を見張った。それは、カジヤマだったのだ。服はあちこちが破け、あちこちから血が流れ、さらに、意識も失っているらしく、グッタリとしている。

 「手を貸してください。すぐに病院へ運ばないと・・・」

 すぐに二人はうなずき、ケイスケに手を貸した。



 プシュー・・・

 「ただいま戻りました・・・」

 ミッション・ルームに戻ってきたコジマは、重苦しい表情でそう言った。

 「ご苦労様。早速で悪いが・・・もう一度、カジヤマ理事長の容態を説明してくれるか?」

 すでにミッション・ルームに集まっていたSAMSメンバー、それにムツを代表し、オグマが言った。コジマはすぐにうなずくと、口を開いた。

 「奇跡的にも、外傷は多いですが骨折や内臓の損傷はありません。心拍も呼吸も安定していて、命に別状はありません。ただ・・・頭を強く打っていて、依然意識不明の状態です。当分の間は、絶対安静が必要です。今はスグロ先輩が、全力で意識の回復に努めています」

 「そうか・・・わかった、コジマ。ご苦労様」

 オグマがそう言うと、コジマはため息をついて自分の席へと戻っていった。

 「まさか、こっちから出向いたとたんにこんなことになるなんて・・・」

 ケイスケが苦い顔つきでそう言う。

 「元気出してください。ケイスケ君がすぐに助けたおかげで、カジヤマさんは助かったんじゃないですか」

 ヒカルが慰めるようにそう言う。すると、ニキが言った。

 「ええ・・・でも、私たちの仮説を証明する結果にもなってしまったわね・・・」

 「怪獣は、カジヤマ理事長を狙っている・・・ということですね・・・?」

 アヤの言葉に、ニキはうなずいた。コジマも同意する。

 「式典の襲撃、パンタナル星の事件、それに、今回・・・。たしかに、怪獣とカジヤマ理事長のあいだになにかのつながりがあるっていうのは、こうなるといよいよ真実味を増してきますね」

 「でも、わっかんないなぁ。なんで怪獣はそこまでして、しつこくカジヤマ理事長の命を狙うんだろう。本人には、命を狙われるような覚えはなにもないんでしょう? まさか、調査隊のメンバーを皆殺しにしなきゃ気がすまないとか、そんな理由でもないだろうし・・・」

 サトミの疑問は、全員の疑問でもあった。それを聞いていたアヤが、オグマを見て言った。

「キャップ・・・本当にカジヤマ理事長には、心当たりがないのでしょうか・・・」

 その言葉に、オグマを除く全員が驚く。

 「アヤさん・・・それ、どういうこと?」

 「私たちが、理事長に狙われる心当たりについて尋ねたとき・・・わずかだけど、なにかを隠しているような・・・そんな印象を受けたんだよ。あくまで、印象に過ぎないけれど・・・」

 サトミにそう答えるアヤ。すると・・・

 「・・・お前も、そう思ったか」

 オグマの言葉に、再びメンバーが驚く。

 「お前もって・・・キャップも?」

 「ああ。俺のも、「そういう感じ」以上のものではなかったがな。印象とかそんなもので人を疑うのは、あんまりよくないと思うが・・・今回はどちらかというと、自分の感じたことの方を信じたくなる」

 その言葉に、メンバーが沈黙する。すると・・・

 「オグマ・・・すまないが、ちょっとマリナーベースを空ける」

 ムツが突然オグマにそう言って、足を踏み出した。

 「司令、どちらへ?」

 「わしなりに気になることがある。ちょっと極東基地まで行ってくる。留守は頼んだぞ」

 そう言って、ムツはミッション・ルームから出て行ってしまった。

 「なんでしょう、気になることって・・・」

 「さぁ・・・」

 ヒカルの言葉に、ケイスケは首をかしげた。

 「・・・とにかく、状況はあまり変わっていない」

 オグマの言葉に、全員が目を向ける。

 「怪獣はいまだ存在している。怪獣の狙いがカジヤマ理事長だとしたら、彼がまだ生きている以上、再び襲ってくる可能性は高い。それも考えて、彼を一般の病院ではなくこのマリナーベースのメディカルセンターに収容したわけだが・・・敵は神出鬼没だ。マリナーベースといえども、躊躇なく襲ってくるだろう。いつ怪獣が現れてもおかしくないように、全員、覚悟を決めておいてほしい」

 「・・・」

 オグマの言葉に、メンバーはうなずいた。

 「なお、怪獣の呼称だが・・・」

 と、付け加えるようにオグマは言った。

 「キリュウの発案を容れて、防衛軍は今回の怪獣に「ペリュトン」という呼称をつけた。「ペリュトン」だ」

 オグマはそう言うと、パンと手を叩いた。

 「とりあえず、今日はここまで。怪獣がいつ現れるかわからんが、とりあえず、全員休息をとっておけ。特に、ニイザとキリュウ。お前たちはな。それじゃ、解散」

 「お疲れ様でした!!」

 一斉に敬礼をすると、メンバーたちはミッション・ルームから出て行った。

 「キャップの言うとおりですよ。ケイスケ君、今日も無茶なことしたんですから。ケイスケ君も理事長さんも助かったからよかったですけど、本当に心配したんですからね」

 ケイスケと並んで歩きながら、ヒカルはケイスケに言った。

 「ああ。だけど、気持ちはありがたいけど、そう心配されてばっかじゃSAMSの仕事なんか務まらないぜ。たまには大目に見てくれよ」

 「もう・・・」

 ヒカルはちょっと困ったような顔で言ったが、やがて黙り込んだ。

「・・・どうした?」

 ケイスケがちょっと心配そうな顔で、ヒカルに尋ねる。

 「あの怪獣・・・ペリュトンは、本当にカジヤマ理事長を狙っているんでしょうか?」

 「ああ・・・どういう理由があってかは知らないが、たぶん、そうなんだろう」

 ケイスケはうなずいた。すると、ヒカルは言った。

 「怪獣が特定の誰かを狙うなんて、まるで・・・」

 「まるで、なんだ?」

 「・・・いえ。なんでもありません」

 ヒカルは口をつぐみ、首を振った。



 「全員、揃っているかな?」

 ムツがミッション・ルームに姿を現したのは翌日、もはや日も傾き始めているときだった。

 「司令、もしかして、今お戻りに?」

 オグマが怪訝そうな顔で尋ねる。

 「ああ、少し手間がかかってな。しかし、その分の収穫はあった。すまんが誰か、お茶を一杯もらえんかな?」

 ムツがそう言うとすぐにヒカルがキッチンのほうへと歩いていく。やがて彼女は湯気の立つ湯飲みをもって戻ってきた。

 「どうぞ」

 「ありがとう」

 ヒカルから湯飲みを受け取ると、ムツはそれを冷まし、おいしそうに飲んでいった。

 「・・・フゥ。うまかった。なにしろ、あれからほとんど何も口にしていなかったからな」

 ムツはそう言いながら、湯飲みを脇へとどけた。

 「司令。司令の言っていた気になることというのは、いったい何なんですか?」

 オグマが尋ねると、ムツはうなずいた。

 「これから話す。とりあえず、席へついてくれ」

 ムツの言うとおり、とりあえず自分たちの席へつくメンバー。

 「・・・それでは、話すとしよう。これから話すことは、防衛軍でも機密事項とされていることだ。なにしろ、わしでさえ知らないことだったんじゃからな」

 「司令さえ知らなかったこと・・・?」

 その言葉に、メンバーはただならぬものを感じた。

 「オグマ、それに、キリュウ隊員。二人とも、昨日言っていたな。カジヤマ理事長は、何かを隠しているんじゃないか、と・・・」

 二人の顔を交互に見ながらそう言うムツ。二人は黙ってうなずいた。

 「結論から言おう。イエスかノーかで言えば・・・それは、イエスだ。前にお前たちに見せた、パンタナル星の事故報告書・・・あれにはひとつだけ、真実に反する重大なことが書かれていたのだ」

 「!?」

 その言葉に、メンバー全員が驚く。

 「それって・・・カジヤマ理事長が、嘘をついたってことですか!?」

 サトミの言葉に、ムツがうなずく。

 「いや、正確に言えば・・・彼は嘘はつかなかった。しかし、実際に事実として報じられたものは、捻じ曲げられたものだった」

 「どういうことです・・・?」

 ヒカルがそう言うと、ムツは持ってきたかばんの中から分厚い書類の束を取り出し、それをバサリと机の上に置いた。
 「これは、例の報告書のもととなった、カジヤマ隊長の調書だ。例の報告書はここに書かれている、事情聴取のときのカジヤマ隊長の発言をまとめたもので、これはその生データというわけだ。付箋をひとつつけておいた。そのページを見てくれ」

 ムツの言うとおり、書類の束の中に一枚だけ、付箋のつけられたページがあった。言われたとおりにオグマがそれを開き、全員がそこに書かれている文章を見つめた。

 「・・・!!」

 見る見るうちに、全員の顔が驚きに包まれる。

 「・・・わかったじゃろう? 報告書とその調書の、唯一の内容の違い。それは、そこに書かれているとおり・・・「カジヤマ隊長は脱出の際、一人の部下を見捨てて脱出ポッドに乗り込んだ」ということだ」



 
 「・・・長!! 隊長!!」

 闇に閉ざされていた意識が、どこからか聞こえてくる叫び声によって、だんだんと目覚めてくる。意識だけでなく、やがて自分自身の目も、うっすらと開くことができるようになった。

 はじめに飛び込んできたのは、フロントガラスに蜘蛛の巣のように縦横無尽に走る、白いヒビだった。目だけでなく、匂いの感覚も戻ってくる。金属のこげるようないやなにおいが鼻をつく。そして・・・

 「隊長!! しっかりしてください、隊長!!」

 隣で誰かが自分に叫びかけてくる。まだぼんやりとした意識で、そちらへと顔を向けると・・・

 「隊長!!」

 そこには、額から血を流したまま必死に叫んでいるキクカワの姿があった。

 「ここは・・・」

 ぼんやりとつぶやきながらも、だんだんと自分の置かれている状況を思い出す。今自分がいるのは、ホバートラックの中。それも、重力を足ではなく頭の方に感じる。そうだ、思い出した。私とキクカワは怪獣に追われ、怪獣の攻撃に巻き込まれて車がひっくり返り、少しの間、意識を失っていたのか・・・。

 「すまないキクカワ! 気を失っていた!!」

 「ええ、気を取り戻してくれてよかったです。でも、すぐに逃げないと!! 怪獣が来ます!!」

 その言葉が終わるか終わらないかというとき

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァ!!

 ズン!!

 あの怪獣の鳴き声と足音が、ほぼ同時に車内の自分達に伝わってくる。バックミラーだけは割れずにそのままだったが、今そこに映っているのは、こちらへ悠然と進み来る怪獣の逆さになった姿だ。

 「・・・ああ!! すぐに行くぞ!!」

 そう言って、ドアに手をかけるカジヤマ。幸い、衝撃でゆがんだりはしていないようだ。しかし・・・

 「待ってください、隊長!!」

 キクカワが叫んだ。

 「どうした!? まさか・・・」

 「すみません・・・足を挟まれました!! 身動きがとれません!!」

 キクカワは苦痛に顔をゆがませながら言った。カジヤマが彼の足元を見ると、衝撃によってゆがんだボディーに、彼の足は挟まれていた。

 「待ってろ!! すぐに外してやる!!」

 カジヤマはそう叫ぶと、すぐに彼の足に手をかけ、なんとか挟まれた箇所を外そうと試み始めた。

 「痛ぅ・・・!!」

 「すまない!! 少しの辛抱だ!!」

 キクカワを元気づけながら、作業を続けるカジヤマ。しかし、車体のゆがみが予想以上に複雑なのか、その足はいっこうに外れる気配がない。

 「くそっ、何か工具は・・・」

 カジヤマは焦りを浮かべながら車内を見渡したが、手近なところに適当なものは転がっていなかった。と、そのとき

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァ!!

 ズン!!

 「!!」

 再び、怪獣の声と足音。先ほどよりも、ずっと大きい。カジヤマがバックミラーを見ると・・・もう怪獣は、すぐそこまで迫っていた。

 「隊長、お願いします! 急いでください!!」

 キクカワが必死の叫びをあげる。さらに必死になって彼の足を外そうとするカジヤマ。しかし、足は外れない。

 ズン!!

 怪獣の一歩の振動が、車を揺らす。

 ズン!!

 「・・・」

 一歩一歩近づいてくる怪獣の気配が、まるで手に取るように感じ取れる。全身から気持ちの悪い汗が噴き出し、呼吸が我知らず荒くなり、思考がまるで、出口のない迷宮に迷い込んでしまったようになってくる。キクカワの必死の叫びも、まるで遠い世界の音のようだ。そして・・・

 ズン!!

 ヒィィィィィィヨァァァァァァァァァァァァァ!!

 怪獣の足音と叫び声。バックミラーを振り返ると、怪獣はもはや、すぐそばまで止まっていた。

 「・・・」

 カジヤマはピタリと、その手を止めた。

 「隊長・・・?」

 驚くほど静かに、キクカワが尋ねる。

 「・・・!!」

 ガチャッ!!

 次の瞬間、カジヤマはドアを開けるが早いか、車の外へと飛び出した。

 「隊長!!」

 背後から、キクカワの狂乱したような叫びが届く。

 「隊長!! 待ってください!! 見捨てないでください!!」

 背後からの叫びが、矢のように背中に突き刺さる。しかし、彼は振り向かなかった。振り向くわけには行かなかった。ただひたすら、目の前に鎮座しているスキッピオ号へと、その足を走らせた。背後からの叫びも、だんだん遠ざかっていく。

 バキバキバキッ!!

 「!?」

 と、そのとき、背後からすさまじい音がした。思わず振り返るカジヤマ。

 「!!」

 そのとき、カジヤマは恐怖に目を見張った。

 ヒィィィィィィィヨァァァァァァァァァァァァァ!!

 怪獣は鋭い爪の生えた3本の指のある手で逆さになったホバートラックをつかむと、それを持ち上げた。そして・・・

 バキッ!! ゴキッ!! グシャグシャッ!!

 怪獣はそれを自分のくちばしまで運ぶと、それをその中へ放り込んだ。くちばしを開閉させながら、それを喉の奥へと送り込んでいく。そのたびに外れたドアや搭載していた機材がその端から次々に落ち、すさまじい音をたてる。それに混じって、人間の悲鳴が聞こえたように、カジヤマには思えた。

 「・・・!!」

 しかし、再び走り出そうとするカジヤマ。そのとき

 ビィッ!!

 ドガァァァァァァァァァン!!

 「うわぁっ!!」

 またしても発射された光線が、後ろで炸裂した。その爆風によって、カジヤマは前方へと投げ出された。

 ドサッ!!

 「ぐぅっ・・・!!」

 胸から思い切り地面に叩きつけられ、一瞬呼吸が止まった。朦朧となる頭を上げるカジヤマ。その目の前には、ペイロードへの入り口が口を開けていた。

 「・・・!!」

 カジヤマは何も考えずよろよろと立ち上がると、足に激痛が走った。どうやら、先ほど地面に叩きつけられたときに折れてしまったらしい。しかし、止まることは許されない。一歩進むたびに激痛の走る足を必死で動かしながら、その中へと駆け込んでいった・・・。



 ピッ・・・ピッ・・・ピッ・・・

 メディカル・センターの集中治療室。心拍モニターが規則正しいリズムで電子音をたてながら、稲妻のような線をモニター上に移していく。その音も表示も規則正しいもので、これといった異常はない。しかし・・・

 「・・・」

 その部屋の中にいる看護婦は、ベッドに横たわっているカジヤマと、その状態をモニターする各種の医療機器から、片時も目を離していなかった。と、そのときだった。

 プシュー・・・

 集中治療室のドアが開き、誰かが入ってきた。看護婦がそちらを見ると・・・

 「ご苦労様」

 「医局長・・・」

 笑みを浮かべながら、メディカルセンター医局長のスグロ・サキが入ってきた。

 「容態はどう?」

 「まだ意識は戻りませんが、容態は安定しています。私がしっかり見ていますので、先生はご心配せず、仮眠をとっていてください」

 看護婦はそう言ったが、サキは苦笑を浮かべた。

 「そう思ったんだけど、不安な患者さんがいると、どうも眠れないのよね、昔から。ここにいたからってどうにでもなるものじゃないけど、悪いけど、一緒にいさせてもらえないかしら?」

 「それはかまいませんが・・・」

 看護婦の返事も聞かず、サキはそのときには椅子に座ってしまっていた。すると、看護婦は言った。

 「医局長、点滴の薬瓶があと一本しかないので、とってきます。留守をお願いできますか?」

 「ええ、まかせて。いってらっしゃい」

 看護婦はサキに見送られ、集中治療室から出て行った。カジヤマと二人きりとなったサキは、何も言わず、彼の顔を見つめた。と、そのときだった。

 「あら・・・?」

 彼女は何かに気づき、手を伸ばしてそっとカジヤマの目じりのあたりを指先で触った。そして、その指先についたものを、しげしげと眺めた。

 「涙・・・?」



 「そんな・・・! 昨日聞いた話では、キクカワ隊員は調査隊が怪獣に襲われたときに殉職したと・・・」

 信じられないというような表情で、ムツに詰め寄るケイスケ。しかし、ムツの表情は変わらなかった。

 「いや・・・そうではなかったのだ。そこに書かれていること、それが真実だ」

 「それなら、なぜあの報告書や昨日の話で、あの人は嘘をついたっていうんです!?」

 納得のいかない様子で叫ぶケイスケ。対してムツは、冷静な口調で言った。

 「・・・嘘というのは、本人がつきたいと思ってつくものだけではない。他人がそうすることを望み、本人もまた、それを断ることができずについてしまう嘘というものも、世の中にはあるんだ。特に・・・彼のような人間は」

 ムツの謎めいた言葉に、ケイスケも静かになる。

 「さっきも言ったように、彼はこのとおり、真実を正直に告白した。しかし、その内容をそのまま世間へ公開することをよしとしない者達が、防衛軍内部やその周辺に存在したのだ」

 ムツはそう言うと、オグマに顔を向けた。

 「オグマ、あの事件のあと、カジヤマ隊長についてひそかに流れた噂話を覚えているか?」

 ムツの言葉にオグマは考え込むような様子を見せたが、やがて、何かを思い出したように言った。

 「そう言えば・・・カジヤマ隊長は部下を見捨てて自分だけ逃げ出したというデマが、あのあと短い間でしたが流れたことがありましたね」

 オグマ以外の人間には、その話は初耳だった。

 「防衛軍の内部でもごく一部でしか流れなかった話だ。民間に出回ったとしても、当時の世論は、彼に同情する人々が圧倒的で、そんな噂は彼を妬む者達の流したよくあるデマとして、相手にされなかっただろうな。だが実際・・・それはデマではなく、真実だったということだ」

 「どういうことですか?」

 「お前たちも知ってのとおり・・・カジヤマ隊長は、あの事件以前からただの防衛軍隊員ではなかった。彼は英雄であり、子供たちの憧れでもあった」

 ムツはそう言った。

 「しかし・・・英雄として語られるそんな人物が、生命の危機にさらされていたとはいえ、部下を見捨てて逃げ出したとなれば・・・どうなる?」

 「当然・・・その評判は地に落ちますね」

 ニキが冷静に言う。ムツはうなずく。

 「当時の・・・いや、現在もだが、防衛軍の宇宙開拓プロジェクトに参加する一部の将校たちと、彼らが進める数々のプロジェクトの恩恵に与っている大企業にとって、「宇宙の探検王」カジヤマ隊長のイメージによるところの利益は、決して無視できないものだった。カジヤマ隊長が部下を見捨てることで生き延びたなどという事実は、たとえどんな事情であったとしても、到底公開できるはずもなかった。もちろん、事故調査委員会のメンバーとしてカジヤマ隊長の事情聴取にあたった将校たちの中にも、そんな人間は含まれていた。そして、独自のルートでそのことを知った宇宙開拓プロジェクトの発注を受けている企業団体からの圧力もあり、彼らは行動に出た・・・」

 ケイスケ達は黙ってそれを聞いていた。

 「・・・もちろん、これは世間に対してはおろか、防衛軍内部ですら公式には認められていないことだ。この調書を手に入れるのにも、ずいぶん苦労したよ・・・」

 苦笑しながら机の上の調書に目を落とす。

 「しかし・・・」

 と、ケイスケが納得のいかない表情で言った。

 「事実が真実でないかたちで公表されて、今でもそれが明らかになっていないということは・・・カジヤマさんは、それに対して・・・」

 「・・・残念だが、そこまではわからなかったな。真実を明らかにすることを望まない者たちによって、彼が脅されたのか、買収されたのか、あるいは・・・自ら、一度は告白した真実を再び闇へ葬ったのか・・・」

 「・・・」

 ムツの言葉に、ケイスケは無言だった。

 「・・・それで、カジヤマ隊長が古今東西おなじみの「広報上の都合」ってやつに巻き込まれ、結果として、真実が闇に葬られたとして・・・それと今回の一連の事件とは、どんなつながりがあると思います?」

 やがて沈黙を破ったオグマの言葉に、ムツは椅子によりかかった。

 「うむ・・・。実際こうして、ひとつの重要な事実を暴き出すことには成功したわけだが・・・実際のところ、それがわかったところでペリュトンがなぜカジヤマ理事長を狙うのか、相変わらず決定的な理由はわからないわけだ」

 「・・・」

 「しかし・・・この事実を知ったとき、わしは昔起きたある事件を思い出した」

 「ある事件?」

 「これだ」

 バサッ

 そう言って、ムツは一冊の古いファイルを机の上に置いた。

 「これはまた、ずいぶん古いファイルですね」

 「極東基地の文書庫をあさって、ようやく見つけてきた」

 「このマークは、もしかして・・・」

 ニキがその表紙につけられた、流星をかたどったようなマークに気づく。

 「そうじゃ。これはかつての科学特捜隊が記録した事件記録だ」

 科学特捜隊。それは1960年代後半に活動し、地球に最初に現れた初代ウルトラマンとともに怪獣や宇宙人と戦った特捜チームの名前であり、SAMSにとっては大先輩、いや、ご先祖様と言ってもいいような存在である。

 「かつて科学特捜隊が戦った怪獣の中に、「高原竜ヒドラ」という怪獣がいた。このファイルは、そのヒドラについての科学特捜隊の記録だ」

 そう言ってムツは、そのファイルを広げた。1ページ目にあったのは、一匹の怪獣の写真だった。鋭い嘴と目をもつ猛禽そのものの頭。全身を覆う褐色の羽。背中に生えた巨大な翼。鷹に手足が生えたような、猛禽をそのまま怪獣にしたような怪獣であり、鳥に似ているという点ではあのペリュトンにも似ていた。

 「この怪獣についてなら、聞いたことがあります」

 そのとき、ニキが言った。

 「この怪獣は国道87号線を通るトラックを狙って襲撃していたため、科学特捜隊が攻撃を加えた。やがてウルトラマンが現れ、ヒドラと交戦したが、やがてヒドラは空へと飛び去り、それ以来、その姿を現していない・・・そうでしたね?」
 「さすがだな。よく勉強している」

 ムツが満足そうにうなずく。

 「でも、それとこれと何の関係があるんですか?」

 サトミが至極当然の質問をすると、ムツはうなずいて答えた。

 「さきほどニキ君が言ったとおり、ヒドラは伊豆の大室山から出現後、国道87号線を通るトラックを次々に襲い始めた。結局、公式に発表されることはなかったが・・・実はそれには、ある理由があった」

 「ある理由?」

 ムツはファイルを手にとった。

 「これによると・・・ヒドラが出現する少し前、科学特捜隊日本支部に一人の少年が現れたという。その少年はそのとき大室山での怪奇現象調査のため出動していたほかの隊員に代わり留守番をしていた女性隊員に、「高原竜ヒドラが暴れて大変なことになる」と警告していった。その後の調査でわかったことだが、その少年というのは、東京に住んでいた当時小学校三年生の男の子だった。大室山にあった大室公園はその完成時、その完成を記念した石像を建てることにし、そのデザインを全国の少年たちから募集したのだが・・・それに当選して建てられたのが、その少年のデザインしたヒドラの像だったんだよ」

 ムツがファイルにはさまれていた古い写真を取り出す。怪獣ヒドラがそのまま腹ばいになったポーズの巨大な石像が、丘の上にある写真だった。

 「・・・だが、その話には奇妙な点があった。ヒドラをデザインしたその少年だが・・・科特隊に現れる半年も前に、すでに亡くなっていた。しかもその死因というのが・・・国道87号線でトラックに轢かれるという交通事故によるものだった。しかも当時、そのひき逃げ犯はまだ捕まっていなかった・・・」

 「!」

 「ヒドラにその少年の霊がのりうつり・・・自分を殺した犯人のトラックを探していた・・・ということですか?」

 アヤが静かに尋ねる。

 「もちろん、公式にそんな発表ができるわけがなかったがな。しかし、科特隊を訪れたその少年の姿は、その女性隊員にしか見えなかった。警戒厳重な科特隊の建物に、ただの少年が忍び込めるはずもない。また、その女性隊員は、ヒドラが空へと去っていくとき、その背中に少年の霊が乗っているのを目撃したという。その後、問題のひき逃げ犯が自首してから、ヒドラは一度も姿を現してはいない。人間の霊が怪獣にのりうつる・・・わしも実際にそんなことが起きるのか、今までは半信半疑だったんだが・・・」

 ムツはファイルを閉じた。

 「今回の件について調べれば調べるほど、そういうこともあるんじゃないかという気持ちが、自分の中で強くなっていってな・・・。キリュウ君、たしか伝説の「ペリュトン」は、故郷から遠く離れた場所で死んだ旅人や船乗りの霊がそうなると言っていたな? 君もあの怪獣から何かを感じたから・・・その怪物の名を、あの怪獣につけたのではないか?」

 「・・・」

ムツの問いにアヤはしばらく黙っていたが、やがて、小さくうなずいた。他のメンバーも黙ってそれを見つめる。マリナーベースの中に、沈黙の時間が流れた。

 ビーッ!! ビーッ!!

 「!?」

 そのとき、突然ミッション・ルーム内のコンソールパネルが警告音を発し始めた。驚くメンバーだったが、すぐにヒカルがそれに駆け寄り、操作を始める。

 「どうした、ハットリ!」

 「マリナーベース上空に、巨大なエネルギー反応です! こ、これって・・・!!」

 モニターに映る増大していくエネルギー反応パターンを見つめながら、ヒカルは目を大きく見開いた。



 「ん?」

 ちょうどその頃、マリナーベースの第3ゲートの警備に立っていた一人の隊員が、空を見上げて小さくうなった。空から雷鳴のような、奇妙な音が聞こえたような気がしたからだ。

 ザザザザザザザザ・・・

 それは、気のせいなどではなかった。無数の虫たちが群を成して羽音をたてているような音とともに、不思議な青い霧のようなものがマリナーベース上空に発生し始めていた。

 「・・・!?」

 隊員はそれを見つめながら、いやな予感を味わっていた。しかしそうしている間にも、その青い霧のようなものは密集を始め、そして、徐々にある形を成していき・・・

 バッッッッッ!!

 青い閃光と共に、その姿を現した。

 ズゥゥゥゥゥゥゥゥン!!

 これまでと同じように、ゆっくりとではあるが、巨大な地響きと振動とともに着地する怪獣。足をとられた隊員は、思わず近くのフェンスに体をよりかけた。

 ヒィィィヨァァァァァァァァァァァッ!!

 悲鳴にも似た甲高い叫びをほとばしらせるペリュトン。周囲に悲鳴が響く中、隊員は自らも湧き上がる恐怖心を必死に抑えつつ、胸につけてあったレシーバーのスイッチを入れた。

 「ほ、本部! こちら南第3ゲート! ゲート付近に怪獣が出現しました! 繰り返します!!」



 ゲートの警備隊員は必死に自分の使命を全うしようとしていたが、ペリュトンのマリナーベースの目と鼻の先での出現は、その時点で基地内のほぼ全ての人間が知るところとなっていた。

 「まさか・・・こんなに早く現れるなんて・・・」

 ニキが信じられないという様子で、モニターに映る怪獣を見つめた。ペリュトンは基地の迎撃システムによる攻撃をものともせず、相変わらず一心に前へと進んでいる。

 「ハットリ、ペリュトンの進路は?」

 「基地の建物へ、まっすぐです。それも・・・メディカルセンターへ・・・」

 それまでの話を聞いていたメンバーにとって、それは決して驚くべきことではなかった。しかし、だからといって落ち着いていられる場合でもない。オグマはすぐにムツに振り返って言った。

 「司令、我々はすぐに出動しますが・・・」

 「わかっている。それ以外にも、重要なことはあるからな」

 ムツはうなずいた。

 「まずメディカルセンターに収容されている患者を、全員避難させねばならん。カジヤマ理事長も含めて・・・」

 メンバーはその言葉にうなずいた。

 「司令、あとを頼みます。それでは。いくぞ」

 「ラジャー!!」

 メンバーはザッと敬礼をすると、ミッション・ルームから駆け出していった。

 「・・・」

 ムツはそれを見送ると、自らも携帯電話のボタンを押しながら、足早に部屋から出て行った。



 ビーッ!! ビーッ!!
 「急ぐのよ! 怪獣はまっすぐにこちらへ向かっているわ!!」

 警報が響き渡り、人々が廊下を駆け抜けていく中、サキは毅然とした態度で患者たちの避難を指示していた。

 「避難の進行はどうなっているかしら?」

 「順調です。日ごろの訓練の成果が発揮されています。思ったよりも、ずっと順調に進んでいますよ」

 サキに問われた防衛軍の隊員は、避難する患者や職員の姿を見つめながらそう言った。もともと軍施設内の病院であるマリナーベースのメディカルセンターに勤める職員たちは、テロ、そして、今回のように怪獣や宇宙人による襲撃から患者たちを安全に避難させるための訓練を入念に受けている。患者たちはその職員たちによって、これといったパニックも起こさずスムーズに、それでいてスピーディに、避難していく。

 「それに、ちょうど搬送に困難な重態の患者さんがいなかったことも幸いしています」

 隊員はそれに加えて言った。たしかに、ちょうどそのときのメディカルセンターには、こういったことが起こったときに避難が困難と思われるような重傷・重態の患者は収容されていなかった。そういった人々はつい昨日、ムツからの指示で極東基地のメディカルセンターや、他の民間病院へと移送され、実質的にメディカルセンターはガラガラの状態だったのだ。重態の患者を設備の整ったこのセンターから移送するというこの急な指示には反対する医師や看護婦もいたが、実際こんな状況になった今となっては、正しい指示と言えた。

 「いえ、重態の患者さんがいないわけじゃないわ。一人だけ・・・まだ意識が戻らない患者さんがいるの。彼を搬送しなければ、避難が完了したとはいえないわ」

 そう。昨日の宇宙開拓アカデミーでの怪獣の襲撃事件に巻き込まれ、意識不明の状態で運び込まれてきたあの患者。重症患者を他の病院へ移すようにとのムツの指示は、彼が運び込まれてからすぐに出されたものだった。ムツは自らメディカルセンターに出向いてサキにその指示を伝えるとともに、その理由として、彼が怪獣に狙われており、そのために今度はこのメディカルセンターが怪獣に襲われるかもしれないという危険性を、彼女に正直に話していた。

 サキはそんな危険を呼び込む可能性のある患者を自分たちのところで引き取るというその話を聞いても、怒ることはなかった。彼女は医師であり、同時にまた、防衛軍の一員でもある。たとえ受け入れることで自らにも危険が及ぶかもしれないからといって、傷つき、助けを必要としている人を拒絶することなど、彼女にはできなかった。もし収容を断って民間の病院へ彼を押し付けていたとしたら、怪獣はそちらへ現れ、多くの被害を出しただろう。自分たちの危険よりも、彼女にはそちらの方が許せないことであった。そしてそれはムツも同じことであり、だからこそ彼をここへ収容し、重症患者を他の病院へ避難させるという措置をとったのだ。マリナーベース内にあるこの病院はある意味、世界でもっとも強固な守りをもつ安全な病院だ。自分たちが受け入れる以上の選択はない。SAMSやムツも、事となれば全力で彼を守ろうとするだろう。それならば、自分たちにもそうする義務がある。サキはその指示を受け入れ、医師たちを説得し、来るべきこのときのための用意を整えていた。

 「早くあの患者さんも避難させないと・・・」

 と、そのときだった。

 「先生―っ!!」

 切羽詰ったような声に振り返ると、看護婦が慌てた様子でこちらへ走ってくるところだった。

 「どうしたの? あなたはあの患者さんのそばにいるはずでしょう?」

 「大変なんです! その患者さんが・・・いなくなってしまって・・・」

 「なんですって!?」

 サキの顔が、見る見る蒼白になっていった。



 「カジヤマ理事長がいなくなった!?」

 発進前のチェックを進めるSAMSルークのコクピット内。ムツから入ってきた通信にオグマがあげた声に、ヒカル、アヤ、サトミが驚いて振り返る。

 「怪獣が現れた際の振動と警報で、驚いた医師と看護婦が一時集中治療室から出た短い間に、いつのまにか意識を取り戻して抜け出してしまったらしい。今センターの職員たちが、全力で探しているところだ。わしもそっちへ向かっている」

 「急いで探し出してください。怪獣の出現で彼が目覚めたとしたら、彼は・・・」

 「わかっている。すまないが、時間稼ぎを頼む」

 「任せてください。司令も、あまり無理はしないでください」

 「ああ。それではな」

 通信はそこで切れた。

 「チェックは完了したか?」

 それを終えると、オグマは3人へと尋ねた。

 「「「はい!!」」」

 3人から元気な返事が返ってくる。

 「よし。それじゃあ、出るとするか」

 「了解!!」

 「FOURTH GATE OPEN! FOURTH GATE OPEN!」

 4番発進ゲートが開き、夕焼け空がその先に広がる。

「4番ゲート、開放完了」

 「了解。エンジン最大出力。SAMSナイト、発進!!」

 バシュウウウウウウウウウウ!!

 ケイスケがスロットルを思い切り引くと、SAMSナイトは夕空へと飛び立っていった。それに続いて・・・

 「最終チェック完了。全機能、異常なし」

 「了解。SAMSビショップ、出ます!!」

 バシュウウウウウウウウウウウウ!!

 2番発進ゲートからはSAMSビショップが発進する。そして、最後にマリナーベース屋上の大型ハッチ、1番発進ゲートが開き、SAMSルークが赤い夕日の光に機体を赤く染める。

 「全周囲レーダー、順調に作動しています」

 「各種観測機器、異常なし・・・」

 「エンジン出力、異常なしです」

 「よし、SAMSルーク、発進!!」

 ゴォォォォォォォォォォ・・・・

 機体下部から火を噴き、48mの巨体がゆっくりと浮上していく。そして、高度が十分にとれると推進用エンジンに切り替わり、SAMSナイト、SAMSビショップのあとを追う。



 ヒィィィィィヨァァァァァァァァ!!

 絶叫のような鳴き声をあげながらズンズン進むペリュトン。

 バシュッ!! ババシュッ!!

 基地防衛用のターボレーザー砲が火を噴き、青い羽毛に包まれたペリュトンの体で爆発する。しかし、ペリュトンはそれをものともせず、攻撃するつもりもないように、それを無視しながらただひたすらメディカルセンターへと進んでいく。と、そのとき

 ギィィィィィィィィィィィン!!

 突如空から聞こえてきた爆音に、ペリュトンが顔を向ける。すると、そこにはこちらへと接近してくるSAMSナイトとSAMSビショップの姿があった。

 「メディカルセンターに接近される前に決着をつけるのよ!」

 「「了解!!」」

 ギィィィィィィィィィン!!

 二つの戦闘機は二手に分かれ、両サイドから怪獣に対して接近した。

 バシュッ!! ババシュッ!!

 外れたとしても地上に被害が出ないよう、可能な限り水平方向からの攻撃を仕掛けるSAMSナイトとビショップ。

 ドガァァァァァァァン!!

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァ!!

 怪獣が叫びをあげ、一瞬動きを止める。しかし、すぐに再びその足を踏み出す。

 「チッ!!」

 「キャップ! 今のうちに怪獣の前方へ回りこんで、反重力ウォールを展開してください!!」

 「わかった。キシモト」

 「了解!!」

 ニキの要請を受けたルークは怪獣の前方へと回り込み、それと対峙するようなかたちで静止した。そして

 バシュウウウウウウウウウ!!

 SAMSルークの機首から、青く広い光の壁が地上までを覆う。

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァァ!!

 それを見たペリュトンはその歩みを止め、ジッと反重力ウォールを見つめたが・・・

 ビーッ!! ビーッ!!

 ドガァァァァァァァァァン!!

 「っく!!」

 嘴を大きく開くと、それに向かって針状の光線を連発し始めた。展開を続けながらそれに耐えるSAMSルークのコクピットに、大きな衝撃が走る。

 「やめろぉ!!」

 カチッ!!

 ババシュッ!!

 ケイスケが叫びとともにレーザーを発射する。それは見事に命中したが、怪獣はそれにかまわず、反重力ウォールを破壊するため、ただひたすら光線を吐きつづける。その猛攻に耐える反重力ウォールに、光線が炸裂するたびに激しく火花が散る。

 「やられっぱなしでたまるかぁ!!」

 ババババババババババババ!!

 サトミは負けじとトリガーを引き、機首から発射されたレーザーバルカンが次々にペリュトンへ命中する。



 「いた!?」

 「ダメです!! 見つかりません!!」

 一方、メディカルセンター内。懸命の捜索にも関わらず、まだカジヤマの行方はわからなかった。

 「1階から5階まではくまなく探した。そうなると、残りは・・・」

と、上に続く階段を見上げながらサキが言いかけたそのときだった。

 「スグロ医局長!!」

 階段の下のほうから、彼女を呼ぶ声がした。見ると、ムツがこちらへと駆け上がってくるところだった。

 「司令!! ここは危険です!!」

 「わかっている! それよりも、カジヤマ理事長は!?」

 サキを制しながら、ムツは有無を言わさず尋ねた。

 「1階から5階・・・それに、地下室はくまなく探しましたが、見つかりませんでした。メディカルセンターから出ていないとすれば、残るは・・・」

 そう言って、上へと続く階段を見上げるサキ。ムツはそれを見ると、すぐにそれを駆け上がりはじめた。

 「司令!!」

 サキたちもすぐにそのあとを追う。



 バンッ!!

 階段の行き止まりにあったドアを開けると、そこに広がっていたのはコンクリートの床も無機質な、メディカルセンターの屋上だった。

 ドゴォォォォォォォン!!

 ヒィィィィィィィィヨァァァァァァァァ!!

 ドアを開けるなり真っ先に耳に入ったのは、そこからあまり離れていないところで行われている、SAMSとペリュトンとの戦いの轟音だった。音だけでなく、反重力ウォールで必死に怪獣をセンターへ近づけさせまいとするSAMSと、それを破ろうとするペリュトンの姿が、そこからはよく見えた。そして・・・

 「・・・!!」

 夕日に照らされる屋上の、転落防止用の柵のそば。そこに一人の男が立ち、ジッとその光景を見つめていた。着ている白い検査着が、夕日に赤く染まっている。

 「カジヤマ理事長・・・!!」

 その姿を認めたムツは、思わずその名を呼んだ。名前を呼ばれたカジヤマは、ゆっくりと彼らへ顔を向けた。

 「理事長! ここは危険です! すぐに避難を・・・」

 カジヤマに駆け寄ろうとするムツたち。しかし・・・

 カチャッ・・・

 「!?」

 「・・・近づかないでください」

 カジヤマが幽霊のようにつぶやき、取り出したものを見て、ムツたちはその足を止めた。それは、一丁の拳銃だった。どうやら、非常用にメディカルセンター内に保管されていたものを持ち出していたらしい。

 「・・・」

 そして、彼はゆっくりとその銃口を、自分のこめかみに押し付けた。

 「理事長! バカなことはやめてください!!」

 しかし、カジヤマはそのまま言った。

 「・・・あの怪獣の狙いがなんなのか、もうわかっているのでしょう。どれだけ逃げたところで、あの怪獣は私の命をとらない限り、どこまでも追ってくる・・・。そしてそのたびに・・・他の人々までが犠牲になる。そんなことを、いつまでも続けるわけにはいきません。ここで、終わらせなければ・・・」

 「だからといって、あなたが死ななければならない理由にはならない! だからこそ私の部下たちも戦っているのです! それを無駄にするつもりですか!?」

 ムツはペリュトンと戦っているSAMSを示しながら激しく言った。しかし、カジヤマは首を振る。

 「こうまでしていただけることには、感謝しています。しかし・・・もういいのです。あなたたちも、あの方たちも・・・もう避難してください。死ぬのは、私だけでなければなりません」

 「カジヤマ理事長!!」

 「これは・・・私の贖罪なのです」

 その言葉を聞いたムツは、驚きの表情を浮かべた。

 「理事長、やはりあなたは・・・」

 「ご存知のようですね・・・。1年前のあの日・・・私は一人の部下を見捨てて、生き長らえました。怪獣に追われていたとはいえ・・・負傷した彼を一緒に連れて脱出することは、不可能ではなかったはずです。しかし・・・私はそれができなかった。自分の命のことばかりで頭がいっぱいになり・・・助けを求める彼の言葉を背に、一人で逃げ出したのです」

 「・・・たとえそうだとしても、それは生きるためにとった行動です。誰がどう非難しようとも・・・誰もがもつ生への執念を否定することなど、誰にもできません」

 「・・・罪はそれだけではありません。そうまでして生き長らえたのならば、せめてその罪を世界に明かし、償いの日々を送らなければならない・・・。しかし、私はそれさえもできなかった。心の弱さに負け、一度は明かそうと開いた口を再び閉ざしてしまったどころか・・・地位も名誉もある人間としての生活を、捨てることができずにいる・・・。私が何よりも許せないのは・・・私自身の、その弱さなのです」

 カジヤマはペリュトンの姿を見つめた。

 「あの怪獣が現れたとき・・・私にはすぐに、「彼」が戻ってきたのだとわかりました。自分さえ断罪することのできないこの私に代わり、あの怪獣の体を借りた「彼」が自ら、私に罰を下すために戻ってきたのだ、と・・・。それからも私は悩みましたが・・・ようやくに、その決心がついたところなのです。ですから・・・私をこのままにしておいてください」

 と、そのときだった。

 ドガァァァァァァァァァァァァァァン!!

 ひときわ大きな音が、怪獣とSAMSとの戦闘現場から聞こえてきた。見ると、SAMSルークの機体が黒煙を吐き、反重力ウォールも消滅してしまっていた。



 「ドライ・ライトエンジンにオーバーロード発生!! 出力、急低下中です!! 飛行のためのエネルギーを維持できません!!」

 ペリュトンの猛攻によってついに致命的なダメージを受けたSAMSルーク。火花があちこちで散り、警報が鳴り響くコクピットの中でヒカルが報告する。

 「くっ・・・やむをえん、不時着だ」

 「了解・・・!」

 オグマ同様悔しそうな表情のまま奥歯をかみ締め、サトミはうなずいた。黒煙を噴きながらも、ゆっくりと高度を下げていく。

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァ!!

 ズン!!

 一方、今まで自分の行く手をさえぎっていた光の壁がなくなり、ペリュトンは再び前進を始めた。もはや、その前に立ちふさがるものはなにもない。いや・・・

 「このっ! 止まれっての!!」

 バシュッ!! バシュッ!!

 SAMSビショップとSAMSナイトは、まだ果敢にその足を止めようと攻撃を続けていた。しかし、やはりその攻撃はペリュトンには通用していないようだ。

 「くそっ・・・!! お前は・・・本当に、あの調査隊の隊員なのか? それなら・・・」

 ケイスケは歯をかみ締めながら、キャノピーの向こうのペリュトンをにらんだ。

 「俺たちと同じ、防衛軍の隊員だった・・・人間だったときの誇りや心はなくなったというのか!? 心まで怪獣になってしまったと・・・そうだというのか!?」

 「!!」

 ピタッ・・・

 ケイスケがそう叫んだとき、唐突にペリュトンの動きが止まった。

 「!!」

 ヒィィィィヨァァァァァァ・・・

 怪獣はやや静かな鳴き声をあげ、首を回して周囲の燃え盛る建物をゆっくりと見回し始めた。

 「お前・・・」

 ケイスケは驚きながらも、怪獣への攻撃の手を止め、周囲を旋回し始めた。しかし・・・

 ・・・ヒィィィィィィィヨァァァァァァァァァァァ!!

 怪獣は突然激しく首を振ると、天に向かって甲高い叫びをあげ、巨大な翼を大きく広げた。そして・・・

 クッ!!

 その顔を、ケイスケのSAMSナイトへ向けた。

 「!?」

 ケイスケが操縦桿を切ろうとしたときには、すでに怪獣は嘴を大きく開けていた。

 ビィィィッ!!

 ドガァァァァァァァァン!!

 「うわっ!!」

 ペリュトンの吐いた光線が、SAMSナイトの右翼に命中した。たちまち翼が黒煙を吐き、機動が不安定になる。

 「ニイザ君!!」

 「ニイザ!!」

 「くっ・・・すみません!! 不時着します!!」

 今にも失速しそうな機体を懸命に操り、ケイスケは不時着を試み始めた。



 ズン・・・ズン・・・

 ケイスケのSAMSナイトを撃墜したペリュトンは、再び進撃を始めた。その一歩一歩の振動が、さらに大きなものになっていく。

 「カジヤマ理事長!!」

 ムツたちはまだその説得をあきらめず、彼をその場から避難させようとしていた。しかし、カジヤマはその言葉が聞こえていないかのように、銃をこめかみにあてたまま、近づいてくる怪獣の姿をジッと見つめるだけだった。

 「・・・スグロ医局長、君たちは先に逃げるんだ。これ以上君たちを危険な目には遭わせられん」

 ムツは背後に立つサキたちに言った。

 「そんな、司令!!」

 それを拒否しようと詰め寄ろうとする医師と看護婦。しかし・・・

 「司令の言うとおりにしなさい。あなたたちはすぐに、安全な場所へ逃げるのよ。ここには、私が残るわ」

 サキがそれをさえぎり、彼女たちに言った。

 「!?」

 「スグロ医局長!!」

 その言葉に彼女の部下たちは驚き、ムツは怒ったような表情を彼女に向けた。

 「私にはこのメディカルセンターに収容された全ての患者さんと、ここで働く全ての部下たちの命を守る義務と責任があります。たとえ司令の命令だとしても・・・その義務を放棄しなければならないような命令は、承服しかねます」

 「・・・」

 ムツの目を見据えて毅然と言い放つサキに、彼は沈黙した。

 「・・・もう一度言うわ。今すぐ逃げなさい。早く行って、不安がっている患者さんたちを安心させてあげて。私たちもすぐに行くわ」

 にっこり笑ってそう言うサキ。医師たちは無言で少しの間たたずんでいたが、やがて、深く頭を下げると屋上から出て行った。

 「・・・」

 ムツは残ったサキと言葉を交わすと、再びカジヤマへ目を戻した。しかしそのときには、ペリュトンもまた一層、この屋上へと近づいていた。

 「カジヤマ理事長!!」

 ムツは再びその名を呼んだ。しかし、やはり彼は動こうとはしない。力づくでも連れて行きたいところだが、銃を突きつけていたのでは、どうしようもない。

 「まもなく「彼」は、ここへ来ます。あなたたちまで巻き添えにはできない。さぁ、早く・・・」

 二人に背を向けたまま、カジヤマは再び言った。ムツは少し沈黙したが、やがて言った。

 「・・・私もこの基地の司令として、多くの部下を持っています。その全てが、私にとってはあなたのかつての部下たちと同じく、かけがえのない存在です。それを自分のために失ったとしたら・・・私も、自分を許すことはできないでしょう。しかし・・・」

 ムツは言った。

 「だからといって・・・自らの命を絶つことは本当に、その償いになるのですか? あんな姿になったとしても、かつてはあなたの部下であった彼に、上司であったあなたを殺させようというのですか! そしてそれは、本当に正しいのですか!?」

 「!!」

 その言葉に、カジヤマの肩がビクリと震えた。

 「あなたが部下を見殺しにして生き延びたというのなら、そうまでして生き長らえたその命をこんなことで捨てていいはずがない!! あなたが償いをしなければならないというのなら・・・それは、生き続けてこそできることです!!」

 「わ、私は・・・私は・・・!」

 ブルブルと震え始めるカジヤマ。ムツとサキが近づこうとした、そのときだった。

 ヒィィィィィィヨァァァァァァァァァ!!

 ズズゥゥゥゥゥゥゥゥゥン!!

 「!?」

 「うわっ!?」

 「きゃあっ!?」

 突如屋上を襲った、下から突き上げるような巨大な振動に足を取られ、3人はコンクリートの床の上に転倒した。なんとか起き上がりながら、柵の向こうへ視線をやると・・・

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァァァ!!

 ペリュトンがメディカルセンターの目と鼻の先に立ち、叫び声をあげた。



 「くっ、リーダー!! すぐに止めないと!!」

 ペリュトンがその翼を羽ばたかせて一気にメディカルセンターの前まで移動したのを見て、コジマの焦りはピークに達していた。しかし・・・

 「ダメよ! 屋上にはまだ司令たちがいる!! 怪獣があそこまで近づいてしまっていては、発砲はできないわ!!」

 ニキのモニターには、まだムツたちの残るメディカルセンター屋上の様子が映し出されていた。

 「しかし・・・このまま黙って見ているなんて!」

 コジマが悲痛な声をあげた、そのときだった。

 ヒィィィィヨァァァァァァァァァァァ!!

 怪獣がひときわ甲高い叫びをあげ、その右腕を振り上げる。

 「司令!!」

 「先輩!!」

 二人がコクピットの中で叫んだ、そのときだった。

 カッッッッッッッッッッッッッッ!!

 「!?」

 青くまばゆい光が、あたり一帯を一瞬にして覆い尽くした。



 「・・・!?」

 屋上にいたムツたちは、突如ひらめいた青い閃光に目を覆った。その中で・・・

 「シュワッ!!」

 ドガァァァァァァァァァァァッ!!

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァァッ!!

 力強い叫び声、とてつもなく重い物同士がぶつかりあう音、そして、怪獣の叫びが、連続してその耳に轟いた。やがて光がおさまり、目を覆っていた手をゆっくりとどけると・・・

 「・・・!!」

 青い巨人が倒れこんだ怪獣を前に、ゆっくりと力強いファイティングポーズをとっていた。



 「やはり、お前にはまだ、心があるんだな・・・」

 変身すると同時に放った体当たりにより、地面へと倒れこんだ怪獣を見下ろしながら、ケイスケは思った。その間にも、怪獣は砂埃をあげながら、体を起き上がらせようとしていた。

 「信じていた上司に裏切られ、そのために命を失った・・・。どれだけ辛く、悲しく・・・そして、彼を憎く思っているか・・・お前の気持ちは、よくわかっているつもりだ。復讐は何も生み出さない・・・そんな一般論は、その苦しみの前では、結局はなんの意味ももたないということも・・・」

 怪獣は巨大な翼を広げながら、その上半身をもたげる。

 「だがそれでも・・・目の前で人の命が奪われようとしているのを、黙って見ているわけにはいかない!! たとえどんな理由があっても・・・どんな罪があっても・・・俺たちは、人を守らなければならないんだ!!」

 ヒィィィィィィィヨァァァァァァァァァァァッ!!

 そして、ペリュトンは全身から砂埃を振り落としながら、勢いよく立ち上がった。

 「シュワッ!!」

 ウルトラマンサムスは力強い叫びとともに、勇ましく怪獣と向き合った。



 「サムス・・・来てくれたのね」

 これまでと同じく、自分たちの危機に突然現れ、怪獣の手からムツたちを助けてくれたサムスを見つめながら、ニキはつぶやいた。その目の前では、ペリュトンとサムスによる激しい戦いが繰り広げられていた。

 「ジュワッ!!」

 ドォン!! ドォン!! ドォン!!

 すばやく怪獣の懐へと飛び込んだサムスが、連続パンチをその胸に叩き込む。強力なパンチを連続して受けたペリュトンは、短く鳴いて後ろへと間合いを取った。

 ビィィィッ!!

 そして嘴を開き、針状の光線を発射する。

 「シュワッ!!」

 バチッ! バチッ!!

 しかしサムスは、次々と襲い掛かってくる光線を光る両手で弾いた。

 シュシュッ!!

 そして、そのお返しとして右腕から連続して光弾を発射した。だが・・・

 スッ・・・

 「!!」

 怪獣の体が一瞬薄いガス状になったかと思うと、サムスの光弾はその体を突き抜けてしまった。

 「シュワッ!!」

 ダッ!!

 サムスは地を蹴り、怪獣へと飛びかかった。そしてその勢いのまま、空中から渾身のパンチを怪獣へと振り下ろす。しかし・・・

 ブワッ!!

 怪獣はその全身をガス化させると、その攻撃をすり抜け、サムスの背後へと回った。

 ヒィィィィヨァァァァァァァァ!!

 そして、再びサムスの背後で実体を取り戻すと、翼を広げてジャンプし、上空からサムスにキックを見舞った。

 ドガァッ!!

 「ジュワァッ!!」

 体重の乗ったキックを背中に受け、地面へと倒れこむサムス。すぐに立ち上がるが・・・

 ギィィィィィィィィィィン!!

 ドガァッ!!

 「ダァッ!!」

 ペリュトンから飛行しながらの体当たりを受け、今度は仰向けに倒されることになった。

 ギィィィィィィィィィィン!!

 ペリュトンはUターンをして戻ってくると、今度は上空から仰向けになったサムスを踏みつけようとした。と、そのときだった。

 バシュバシュバシュッ!!

 ドガドガァァァァァァァァァァァン!!


 ヒィィィィヨァァァァァァァァァ!!

 背中にレーザー砲を浴び、ペリュトンが失速して墜落する。

 「大丈夫か!? サムス!!」

 それを放ったのはSAMSビショップだった。立ち上がりながら、すぐ近くを飛びぬけていくビショップにうなずくサムス。ペリュトンもまた再び立ち上がり、再び両者が対峙する。しかし・・・

 シュウウウウウウ・・・

 突如、ペリュトンの体から青い霧が発生し始めた。

 「また逃げる気か!?」

 それを見たコジマが、周囲を見回しながら言う。

 「いえ・・・これは、逃げようとしているんじゃないわ」

 しかし、ニキは霧の発生の仕方から、これまでとは様子が違うことに気がついた。

 「ジュワッ・・・!」

 その間にも、青い霧は発生しつづけていく。それはペリュトン自身の体を包み隠し、それどころか、周囲一帯をも覆い隠すように、あとからあとから発生する。瞬く間にサムスの周囲も、青い霧に包まれる。サムスは警戒の様子を見せながら、首を回して周囲の状況を把握しようとする。しかし・・・

 ヒィィィィヨァァァァァァァァァァ!!

 ガギィッ!!

 「ジュワッ!!」

 濃い霧の向こうからペリュトンの鳴き声が聞こえたと思った瞬間、サムスの胸元を、その鋭い爪が切り裂いた。火花が散り、叫びをあげのけぞるサムス。だが

 ズガッ!!

 「ジュワッ!!」

 思わず後ろへよろけたところへ、背中に鋭い嘴のひと突きが突き立てられる。

 「シュワッ!!」

 なんとか足を踏ん張り、見えない敵からの攻撃に備えようと、周囲を包む濃い青い霧に目を凝らすサムス。しかし・・・

 ビィィ!! ビィィ!! ビィィ!! ビィィィ!!

 ドガドガドガドガァァァァァァァァァン!!

 「ジュワァァァァァァァァァァァッ!!」

 四方八方から飛んできた針状の光線が、サムスに次々と命中し、爆発する。サムスはなすすべもなく、その攻撃を受けてしまった。

 ズゥゥゥゥゥゥン!!

 サムスは少しふらついたあと、膝から崩れ落ちるように地面に倒れこんでしまった。

 シュウウウウ・・・

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァァ!!

 やがて、霧が晴れると・・・ペリュトンがかちどきのような甲高い叫びをあげていた。



 「サムス!!」

 霧が晴れた直後、SAMSビショップのコジマとニキの目に飛び込んできたのは、地面の上に倒れこんでいるサムスと、それをしりめに再びメディカルセンターへと歩みだそうとするペリュトンの姿だった。先ほどまでは彼ら自身も青い霧に視界を奪われ、飛行を続けるのがやっとだったのだ。

 「サムス、立ち上がってくれ!!」

 地面の上に倒れこんでいるサムスに呼びかけるコジマ。しかし・・・

 「ジュワッ・・・!」

 ペリュトンの攻撃によって受けたダメージが深刻なのか、サムスは必死に立ち上がろうとしているものの、起き上がれずにいた。その胸のカラータイマーも、点滅を始めている。一方、ペリュトンもこれ以上サムスにはかまっていられないというように、彼に背を向けてメディカルセンターへ進みつつある。

 「私たちだけでも止めなければ・・・!!」

 バシュッ!! バシュッ!!

 SAMSビショップは果敢に攻撃を仕掛け、その背中にハイパワーレーザー砲を撃ちこむ。しかし、やはりペリュトンの歩みは止まることがない。

 「ちくしょう! もう一発!!」

 コジマはビショップを旋回させ、もう一度背後からの攻撃を試みる。しかし・・・

 「ダメよ! また近づいてしまった。今撃ったら・・・」

 ニキがメディカルセンターの屋上のすぐそばまで接近したペリュトンを見ながら、悔しそうに言う。今撃てば、その被害はメディカルセンターのムツ達にも及んでしまうだろう。

 「くそっ・・・これまでだっていうのかよ・・・」

 コジマも悔しそうに、眼下の様子を見つめた。



 ヒィィィィヨァァァァァァァァァァァ!!

 目の前では、見上げるほどの巨大な怪鳥が甲高い叫びをあげていた。

 「くっ・・・!!」

 バシュッバシュッバシュッ!!

 ムツは奥歯をかみ締めると、持っていたパルサーガンの引き金を怪獣に向かって引いた。銃口から次々に光弾が発射され、怪獣に命中する。しかし、怪獣にはなんの効果もないようだ。

 「カジヤマ理事長! 早くこちらへ!!」

 銃を撃ちながら叫ぶムツ。しかし、カジヤマはすでに拳銃は降ろしているものの、怪獣を見上げたまま、その場を動こうとしない。

 「カジヤマ理事長!!」

 銃を撃つのをやめ、カジヤマを強引に連れ戻そうと走り出そうとするムツ。しかし・・・

 「ダメです司令!! 危険すぎます!!」

 サキが必死にしがみつき、それを止めようとする。彼女の言うとおり、もはや怪獣は彼らの目の前に立っていた。

 「放すんだ!! 早く理事長を・・・」

 「怪獣が近づきすぎています!! これ以上は危険すぎます!!」

 ズン!!

 そのときだった。再び怪獣が一歩前進し、メディカルセンターと接触するかというところまで近づいた。

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァァ・・・

 屋上を見下ろしながら、静かな声で鳴くペリュトン。メディカルセンターの屋上も、その大きさの前では胸元ほどまでしかない。

 「・・・」

 一方、カジヤマも黙ったまま、その顔を見上げていた。

 「・・・ついに、来るべき時が来たようだ。それがこんなかたちで来るとは思わなかったが・・・そんなことはどうでもいい。ここまで落ち着いて、この現実を受け入れられるということは・・・やはり私も自分の中で、覚悟はできていたようだ」

 カジヤマは怪獣を見上げたまま、そうつぶやいた。

 「だが、それでいい。私は罪を犯した。それに対して罰が下されるのは、当然のことだろう。そして、それを下すのがお前というのは、まさにふさわしいだろう」

 「・・・」

 「私に対する恨み、憎しみ・・・それは、どのぐらいのものなのだろう。おそらく、その全てを受けるには、私の命は小さすぎるだろう。しかし・・・私はそれを、受け入れなければならない。全ては、私の弱さが招いたことだ。だから・・・その償いは、私の命ひとつだけにしてほしい。もうこれで、終わりにしてほしい。いまさらお前に何を頼める身でもないが・・・頼む」

 ヒィィィィィ・・・

 怪獣はその場で立ち止まったまま、しばらくカジヤマを見下ろしていた。ムツやサキが懸命に逃げるように後ろから叫んでいるが、カジヤマにはその叫びも耳に入らず、ジッと怪獣を見上げていた。そして・・・

 ヒィィィィヨァァァァァァァァァァァァァ!!

 ペリュトンは甲高い叫びをあげながら、体をのけぞらせるように頭を大きく振り上げた。



 怪獣は頭を頂点にまで振り上げると・・・

 ゴォォォォォォォォォォッ!!

 その銛のように鋭い嘴を、屋上・・・いや、カジヤマの頭上へと、轟音をあげながら振り下ろした。

 「・・・」

 しかし、カジヤマは身じろぎもせず、ただそこへ立っていた。

 「理事長!!」

 「理事長!!」

 ムツとサキの叫びが、屋上に響く。

 「司令!!」

 「先輩!!」

 不時着して地上からそれを見ていたオグマ、ヒカル、サトミ、アヤ。それに、SAMSビショップのニキとコジマも、それを見て悲鳴をあげる。怪獣が嘴を屋上へと振り下ろせば、ムツたちも無事ではすまない。

 「・・・!!」

 まだ立ち上がれないサムスも、必死でそれを止めようとするが、届かない腕を伸ばすことぐらいしかできない。それぞれの目に、怪獣の鋭い嘴が振り下ろされる光景が、まるでスローモーションのようにゆっくりと映る。



 「・・・」

 ふと、カジヤマが目を開けると・・・彼の目にはまだ、東京湾の向こうに沈み行く夕日が映っていた。足元のコンクリートの床の感触も、たしかに感じる。そして・・・

 「!!」

 彼が顔を少し上げると・・・彼の頭から30cmと離れていないところに、鋭い嘴の先端が、夕日の光を浴びて鈍く輝いていた。そして、その長い嘴の元には、怪獣の巨大な頭があった。

 ペリュトンは、その嘴をカジヤマに突き刺すその寸前で止めた姿勢のまま、その場に立ち尽くしていた。

 「なぜ・・・だ」

 呆然と怪獣を見上げながら、カジヤマはつぶやいた。もうほんの少し嘴を下ろしさえすれば、その嘴はメディカルセンターの屋上ごと、彼の体を刺し貫いていただろう。にもかかわらず・・・怪獣の嘴は、彼の頭に触れるか触れないかというところで止められていた。

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァ・・・

 ゴ・・・

 怪獣は物悲しい鳴き声を発すると、ゆっくりと上体を持ち上げた。それによって、嘴も離れていく。

 「なぜなんだ!? なぜ私を殺さない!?」

 怪獣に向かって叫ぶカジヤマ。しかし・・・

 ヒィィィヨァァァァァァ・・・

 怪獣は再び物悲しい鳴き声をあげて、カジヤマを見下ろした。

 「・・・そうか。これが・・・お前の求める「償い」か・・・」

 そのとき・・・

 ガラガラガラァッ!!

 「ジュワッ!!」

 背中に降り積もった瓦礫を振り落としながら、ようやくサムスが立ち上がり、ペリュトンに対してファイティングポーズをとる。

 ヒィィィィヨァァァァァァァァ・・・

 ズン・・・

 それに気がついたペリュトンが、ゆっくりと振り返る。夕日に照らされるメディカルセンターの前で、再び相対するサムスとペリュトン。しかし・・・

 「・・・?」

 ペリュトンの様子がおかしいことに、サムスはすぐに気がついた。こちらに体を向けたまま、攻撃の様子も威嚇の様子もどちらも見せることなく、ただ黙って立っている。いや・・・

 ヒィィィ・・・

 正確には、嘴から低い鳴き声を絶えず発していた。

 「どうしたんでしょう・・・」

 「ウム・・・」

 地上のオグマ達も、訝しげにその様子を見守る。少しの間、サムスとペリュトンは相対したまま、ジッと立ち尽くしていた・・・ように見えた。

 「・・・」

 サムスがゆっくりとうなずいたのは、それからすぐのことであった。そして・・・

 ガシッ・・・

 サムスは両手首を腰の前でクロスさせた。その両腕を、円を描くようにゆっくりと上へと回していく。点滅するカラータイマーが、その輝きを増した。そして・・・

 「シュワッ!!」

 カァァァァァァァァァァァァァァァァッ!!

 サムスは両腕を十字にクロスさせ、テラニウム光線を放った。その腕から、まばゆい銀色の光が走る。しかし・・・

 バババババババババババババ!!

 ヒィィィィィィヨァァァァァァァァァァァァ!!

 ペリュトンはテラニウム光線をよけもせず、防ぎもせず・・・ただ翼と腕とを大きく広げ、一身に受けた。

 「えっ!?」

 「そんな・・・どうして!?」

 その光景を目にし、驚くオグマ達。その目の前で・・・

 ボォッ!!

 テラニウム光線が直撃したペリュトンの胸から、青い炎があがった。

 ゴォォォォォォォォッ!!

 それはあっというまに怪獣の全身に燃え広がっていく。

 ヒィィィィィヨァァァァァァァァァァァァァァァァァァ・・・

 青い炎に包まれながら、怪獣は翼と腕を大きく広げ、天に向かってひときわ大きな叫びをあげた。

 「リーダー!! あれを!!」

 コジマが地上を指差しながら叫ぶ。炎に包まれながら、一歩も動くことのない怪獣。夕日を浴びて、その足元から長い影が伸びている。その怪獣の本来の影ではない、人間のかたちをした影が。しかし・・・

 「影が・・・!!」

 ニキはその光景を見て、息を呑んだ。夕日に加え炎の光が加わり、ますますその濃さを増しているペリュトンの影。その影が、少しずつ人間のかたちから、怪獣そのもののかたちへと変わっていくのだ。そして・・・

 ヒィィィィィィィィィ・・・

 横笛のように高く響く鳴き声を残し・・・怪獣は、燃え尽きてその姿を消した。さきほどまでそれがそこに立っていたことを証明するものは、何一つ残らなかった。

 「・・・」

 夕日に照らされ、体を紅く染めているサムス。カラータイマーを点滅させたまま、彼はしばらくそこにたたずんでいたが・・・

 「・・・シュワッ!!」

 ヒィィィィィィィィィィィィィィィィン!!

 力強い叫びとともに地を蹴り、大空へと飛び立った。そしてその姿は、すぐに夕空へと溶け込んで、見えなくなってしまった。



 「終わった・・・のでしょうか」

 呆然とつぶやくサキ。ムツはうなずいた。

 「・・・ああ。「復讐」はな。しかし・・・」

 そう言って、ムツは前を見つめた。

 「「償い」は、これからなのだろう。きっと・・・」

 ムツはそう言うと、ゆっくりと前へ歩き出した。そして、少し歩いたところで立ち止まる。

 「理事長・・・」

 彼は目の前で両手を地面をついたまま、ひざまづくような様子で動かないカジヤマに声をかけた。

 「・・・」

 カジヤマは、答えなかった。顔を地面に向けたまま、何も言わない。その肩は絶えず、震えていた。そのとき

 pipipipipi!

 ムツの持っていたリストシーバーが、小さな音をたてた。ムツがスイッチを入れると・・・

 「オグマです。司令、ご無事ですか?」

 小型モニターに映ったオグマは、開口一番そう言った。

 「・・・ああ。かすり傷一つない。わしもスグロ君も・・・理事長もな」

 「そうですか、よかった。すぐに迎えに行きます」

 「いや、その必要はないよ。ちゃんと自分の足で戻れる。わしらの心配はいいから、被害状況の確認を始めてくれ。けが人がいたらすぐに治療ができるように、スグロ君に伝えておく」

 「了解しました。それでは、また後ほど・・・」

 「ウム。ご苦労だったな。ありがとう」

 ムツは笑みを浮かべてスイッチを切った。

 「・・・さて、また忙しくなるな。すまんが、頼むよ」

 「はい!」

 いつのまにかその後ろに立っていたサキは、ムツの言葉に笑顔でうなずいた。ムツはそれに微笑み返すと、かがみこんでカジヤマの肩を叩いた。

 「理事長・・・立ってください。やらなければならないことがあります。我々にも・・・あなたにも」

 「・・・」

 カジヤマはその言葉を聞くと・・・ゆっくりと、立ち上がった。



 戦いは終わった。そして、それからまもなく夜がやってきた。ペリュトンの進撃によって少なくないダメージを負ったマリナーベースであるが、早くもそのあちこちでは、修復のための槌音が力強く夜の空気に響き始めていた。

 「コーヒーが入りましたよ」

 外の喧騒とは無縁なほど静まり返っているミッション・ルームにヒカルの声が響いたのは、ちょうどそんなときだった。

 「おう、サンキュー」

 「ありがと、ヒカルちゃん」

 「助かるわ」

 口々に礼を言いながら、彼女の運んできたお盆の上からそれぞれ自分のマグカップをとっていくメンバー。最後にアヤにそれを渡すと、ヒカルは自らの席についた。思い思いにコーヒーに口をつけるメンバー。

 「・・・結局、なんでペリュトンは、あんなことをしたんだろう・・・」

 と、サトミが思い出したように言った。事件が終わってからすでに数時間が経っていたが、なぜかそれまで、その疑問を口にするものはいなかった。復旧作業の支援に追われ、ミッション・ルームに戻ってきてからも、メンバーの口数は少なかった。

 「あんなこと・・・か」

 コジマがつぶやく。その言葉には、いろいろな謎が含まれているような気がした。なぜペリュトンはカジヤマを狙いつづけたのか。なぜペリュトンは、カジヤマを殺さなかったのか。そして・・・なぜ自ら死を選んだのか。

 「・・・あの怪獣に、キクカワ隊員の魂が乗り移っていたのだとしたら・・・」

 ケイスケが口を開いた。

 「やっぱり、心が残っていたんじゃないでしょうか。カジヤマさんに対する、恨みや怒りだけでなく・・・信じたいという心が、どこかに。最後に裏切られたとしても、彼にとってカジヤマさんは・・・たしかに、尊敬すべき人物だったはずです」
 「だから・・・殺せなかったんですか?」

 ヒカルの言葉に、ケイスケはゆっくりと首を振った。

 「殺せなかったんじゃなく・・・殺さなかったんだと思う。宇宙開拓アカデミーの時、ペリュトンは確実にカジヤマさんを殺すつもりでいた。でも・・・あのとき、自分の死で償いをしようと自分の身をさらしたカジヤマさんを見て、チャンスをあげることにしたんだと思う」

 「チャンス?」

 「死をもって償うというのが正しいかどうかは別として・・・彼に本気で償いたいという意志があるかどうか、それを確かめたかったんだと思う。あの時、カジヤマさんがあの嘴から少しでも逃げようとする・・・つまり、彼の考える「償い」から逃げようとしたなら、ペリュトンは容赦なく、屋上を破壊したはずだ」

 「もしそうなったとしても・・・彼の怒りは、おさまりはしなかっただろうね・・・。もしかしたら・・・そのまま、全てを破壊しようとしたかもしれない・・・」

 アヤがうなずきながら言う。

 「・・・でも、彼は逃げなかった。自分の身を犠牲にすることで、全てを終わらせたいと本気で考えていた。ペリュトンはそれを見て、彼の覚悟が本物であることを認めた・・・ということか」

 オグマがそう言った。

 「だが、ペリュトンは・・・彼の命を奪ってそれでよしとするような納得の仕方はしなかった。その代わりに・・・彼にもっと重い償いを課した」

 「もっと重い償い?」

 「生きることだよ」

 オグマは言った。

 「自分の部下を犠牲にしてまで生き長らえた。これからの彼はその自責だけでなく、社会に対してもそのことを隠してきた罪をも懺悔し、生きていかなければならない」

 オグマはそう言って、机の上に置いてあった書類を手にした。

 「・・・先ほど入ってきた知らせだ。正式な発表は明日の午後になるようだが・・・パンタナル星の一件に関して、カジヤマさんは真実を全て明らかにし、遺族全てに謝罪をするそうだ。宇宙開拓アカデミーの理事長の座も、退くらしい。宇宙開拓事業団や防衛軍の一部メンバーからは最後まで反対の声があったそうだが・・・結局、カジヤマ氏本人の強い希望と司令達の後押しで、そういうことになったそうだ」

 その言葉に、メンバーが驚きの表情を浮かべる。

 「贖罪の覚悟を固めた彼を見て、ペリュトン・・・いや、「彼」は彼がそうすることを確信したのだろう。そして、死ぬまでの一生をその罪を背負いながら生きることを・・・」

 「・・・」

 「決して、彼を許したわけじゃない。「彼」はたしかに復讐を遂げ、カジヤマ理事長を殺したんだ。「彼」を見捨てて逃げた、あのときの彼を・・・。その本懐を遂げたから、彼はあんな最期を選んだ。怪獣に身をやつしてまで復讐しようとすることでさえ、誇り高い彼にとっては、そもそも耐えがたいことだったはずだ」

 すると、ニキが言った。

 「・・・ペリュトンが燃えて消えていくとき、その影が人間のものから、怪獣のものへ戻っていくのを見ました。彼は・・・怪獣の体から解き放たれ、救われたということなのでしょうか?」

 「救われたかどうか・・・か。彼自身は救われたのかもしれないが・・・遺族たちはまだ、本当のことを知らない。カジヤマさんを含めて、あの事件に関わった全ての人間が本当の意味で救われるまでは・・・きっと、長い時間がかかるだろう」

 オグマはそう言うと、タバコに火をつけた。

 「ひとつのことが終わり、ひとつのことが始まった・・・。俺たちが目にしたのは、そういうことだったんだよ」
 静まり返った部屋の中、オグマの声が乾いて響いた。



 さわやかな輝きを帯びている、午前の太陽の光。それを浴びながら、一台の高級乗用車が高速道路の上を走り抜けていく。運転席には、防衛軍の制服を着た若い隊員。そして、会話が聞こえないようにそことは間仕切りがされた後部座席には、二人の男が座っていた。

 「私が初めて外宇宙調査隊の隊長となり・・・部下をもったのは、私が35歳の時・・・第31次外宇宙調査隊のときでした」

 革張りのシートに腰を下ろし、両手を膝の上で組んだまま、カジヤマは傍らに座るムツに言った。

 「部下をもつということは、それまでの私の夢のひとつでした。それがかなったときの喜びは、今でも忘れません。しかし・・・それはその喜びと同時に、この世には自分の死よりも恐ろしいものがあるということを、私に教えることにもなりました。つまり・・・部下を自分のミスのためになくし、なおかつ自分が生き延びてしまったら・・・ということです」

 「・・・ええ、それは恐ろしいことです。防衛軍で部下をもつ者なら誰でも、同じ恐れを抱くでしょう。むしろ・・・それを感じない人間に、部下の命を預かる資格はない・・・そう考えることも、できるかもしれませんな」

 ムツはうなずいた。

 「・・・だからこそ私は、自分のために部下が犠牲になることがあってはならないと心に誓いました。そのために、自分が命を落とすことになったとしても・・・。そして、部下が命の危険にさらされたときは、どんなことをしてでも助けることを心に誓い、常にそれを守ることを自分に律してきたのです」

 「ええ・・・信じますよ。あなたは外宇宙調査隊長の隊長を5度務めたが・・・最後の調査を除くほかの調査では、部下の隊員たち全員を、怪我や病気一つなく帰還させた。特に3度目となった第34次調査隊のトモス星調査の時には・・・嵐の海の上に不時着した部下を助けるため、危険を顧みず自らそこへ降り、彼を助けた。あなたが宇宙の英雄として一般にも知られるようになったきっかけでしたな。そしてそれ以外にも、あなたが隊長としての責務を果たし、部下の命を救った例は、一つや二つではない。だからこそ、あの事件の後でもあなたへの評価は揺らがなかった」

 その言葉に、カジヤマは小さくうなずいた。

 「あの頃は、世間からの評判などどうでもよかったのです。ただ、部下を自分のために失いたくない・・・その一念だけで、そうしてきたのです。そして気がつくと・・・私は「宇宙の探検王」などと呼ばれ、実際以上の人間として、世間から見られるようになっていました。私は努めてそれを気にしないようにしましたが・・・いつのまにか、私もまた、私自身を実際以上に見るようになっていたようです。自分の命への執着を捨て、部下のためならば命を投げ出せる人間になることができた・・・。いつしかそんなふうに自分を見るようになっていました。そんなときに起こったのが・・・パンタナル星の事件でした」

 「・・・」

 カジヤマは視線を落とした。

 「なぜあの時、キクカワを置いて逃げてしまったのか・・・。ただ、思い知らされたのは・・・自分自身がもつ、命への執着でした。部下を見捨てたという行為そのものへの罪悪感ももちろんですが・・・すでに捨て去ったと思っていたそれを、あんなかたちで目の前に突きつけられた・・・そのことにもまた、これまで築き上げてきたものが一気に崩れるような、そんな思いを感じました」

 ムツは黙って聞いていたが、やがて言った。

 「命への執着は、決して弱さなどではありませんよ。誰もがもっているものですし、無理に捨て去ることもない。こう言ってはなんですが・・・完全に命への執着を捨てた人間というのも、私には強いとは思えませんな。事実、私の部下たちは、「人を助けて自分も助かる」をモットーにしています。理想主義かもしれませんがね」

 ムツは一拍置くと、続けた。

 「・・・それにあなたは、結局は口をつぐんでしまったとはいえ、一度は自分の罪を明らかにしようと・・・罪を償おうとした。それを止めさせた大きな要因は、「広報上の都合」です。あなた一人が悪いと責めることは、誰にもできないはずです」
 すると、カジヤマは首を振った。

 「いえ・・・防衛軍や企業からの圧力があったとしても、マスコミにリークするなり、真実を伝えるための方法は、いくらでもあったはずです」

 「・・・」

 「もし、私が一人で生きている人間なら・・・私は迷わず、そうしたでしょう。しかし・・・私には妻と、息子がいました」

 カジヤマは言った。

 「自分ひとりが罪を負うなら、どこまででも償うことができたと思います。しかし・・・私が犯した罪のために、関係のない妻や息子までが、重い十字架を背負うことになる・・・。それは到底、耐えることのできないものでした。事件の後、一度は真相を公表しようと決意した私でしたが・・・憔悴した私を励ます妻や息子の姿の姿を見て、その決意は鈍りました」

 足元を見つめるカジヤマ。いつのまにか、車は高速道路を降りて、一般道を走り始めていた。

 「そしてそのあいだに・・・大きな出来事が起こりました。息子が、外宇宙調査隊の隊員に選ばれたのです」

 「・・・」

 「息子が隊員に選ばれたのは、あくまで息子自身の実力です。私が言うべきことではありませんが、息子は外宇宙調査隊の隊員として必要な資質を、全て備えています。そんな一人の若者の輝かしい未来が、父親の犯した、本人とはまったく関係のない過ちによって閉ざされるようなことになったら・・・これほどの不幸はないでしょう。自分を正当化するための理屈に過ぎないと感じるかもしれませんが、私が口を閉ざしたのは・・・わが身かわいさや「広報上の都合」などより、それが最大の理由でした」

 ムツはそれを聞いても、腹を立てることはなかった。ムツにも妻はいるし、防衛軍の隊員ではないが、子供たちがいる。子供のためならなんでもする。英雄だろうと凡人だろうと、正常な親とはそういうものだと、ムツは思っていた。

 「・・・奥さんや息子さんには、お話したのですか?」

 ムツの言葉に、カジヤマはうなずいた。

 「ええ・・・昨日の夜に」

 「それで?」

 「・・・怒られましたよ、当然。これまでも、これからも、妻と息子にあれほど怒られることは、おそらくないでしょう」

 カジヤマはそう言って苦笑した。

 「特に息子は、大きなショックを受けていたようです。しかし・・・二人とも、私がこれからどうするかについては、賛成してくれました」

 「・・・」

 「・・・やはり私は、強い男などではなかった。結局私は、家族さえ信じることができなかったんです。一番心を開ける存在であるべきはずの家族にさえ、私は自分の過ちを打ち明けることができなかった。私はそれを社会に明らかにすることで、妻や息子までがその罪を負うことを恐れていた。そんなものは乗り越えられるし、これからも私に妻として、息子としてついてきてくれる・・・昨日の夜、二人はそんな言葉を私にかけてくれました。それほど、本当の彼らは強い人間だったというのに・・・。あのときの私がもっているべきだったものを、いまさらながら、二人に教えられたような気がしました」

 カジヤマはそう言うと、顔を上げた。

 「・・・私はもう、逃げることも恐れることもしません。私は今度こそ、本当に強い人間にならなければならない・・・。自分のためにも、妻のためにも、息子のためにも・・・そしてなにより、死んでいった部下たちのために・・・」

 カジヤマの言葉に、ムツはゆっくりとうなずいた。

 「今のあなたなら・・・きっと、それができるはずでしょう。辛い道でしょうが・・・」

 と、そのとき・・・

 「司令、到着しました」

 後部座席に、ドライバーの隊員の声が響いた。車はゆっくりとスピードを落とし、やがて、一軒のマンションの前で、完全に止まった。

 「・・・ありがとうございました。それでは、行ってきます・・・」

 カジヤマはそう言うと、ドアに手をかけながらムツに頭を下げた。

 「・・・終わるまで、ここで待っていましょうか?」

 しかし、カジヤマは首を振った。

 「ここまで送っていただき、話まで聞いてもらっただけで十分すぎます。ここから先は、私だけで進まなければなりません。それが、償いなのですから・・・」

 「そうですな・・・」

 「それでは」

 カジヤマはそう言うと、ドアを開けて車から降り、マンションの玄関へと歩き出した。車の窓から、黙ってそれを見つめるムツ。

 「・・・司令、出してよろしいですか?」

 しかし、ムツはドライバーのその言葉に首を振った。

 「いや・・・すまんが、もうちょっとここに停めておいてくれ」

 ムツの視線の先・・・マンションの玄関の前では、数人の小さな女の子たちがボール遊びをしていた。カジヤマはそちらへ向かって、ゆっくりと歩いていく。と、女の子の一人が投げそこなったボールが、彼の方へと転がってきた。ボールを拾い上げ、優しい笑みを浮かべながら、それをとりに来た女の子に返すカジヤマ。すると、お昼ご飯ができたことを知らせにきたのだろう、玄関からその女の子の母親らしき女性が出てきた。そして・・・その女性はそこに立っていたカジヤマの姿を見て、驚くような表情を浮かべた。カジヤマは彼女に対して、丁寧に頭を下げた。

 「・・・すまなかったな、もういい。出してくれ」

 ムツが口元に笑みを浮かべながらそう言うと、車はゆっくりと走り出した。



 「・・・「パンタナル星事件」の真相公表は、なおも各方面へ波紋を広げています。防衛軍極東基地は事件のさらなる真相究明のため調査委員会の設置を決定。1年前の事件の真相隠蔽に関わった防衛軍内外の人物の調査に全力を尽くすと発表しました・・・」

 「・・・悪いけど、消してくれないか?」

 ハンドルを握りながらケイスケが無表情に言ったその言葉に、ヒカルは黙って従った。ラジオの声が消え、ウィンディの車内が静かさを取り戻す。

 あの日からすでに、1週間以上が経過した。言葉どおり、カジヤマは宇宙開拓アカデミー理事長を辞任すると同時に、1年前の事件についての真相を公表。英雄とされてきた人物のした行為と、それが一部の人間の利益のために隠蔽されたことに、人々は大きな衝撃を受けている。

 「・・・大きな騒ぎになりそうですね」

 「ああ・・・。事件隠蔽に関わった防衛軍メンバーの更迭は免れないだろうし・・・宇宙開拓事業にも、少なくない影響が出るのは避けられないだろうな・・・」

 ヒカルがぽつりと言った言葉に、ケイスケはうなずいた。

 「ケイスケ君・・・」

 「なんだ?」

 ヒカルの言葉に、ケイスケはちらりと彼女に視線を向けた。膝の上で握った両手を、じっと見つめている。

 「・・・生きるっていうことは・・・本当は、すごく怖いことなのかもしれないんですね・・・」

 「・・・どうしてそう思うんだ?」

 「カジヤマさんは、防衛軍の立派な隊員だったんですよね?」

 「ああ、そうだ。あんなことをしたとはいっても、あの人が外宇宙調査隊時代に残した数々の功績まで嘘だったわけじゃない。それに、あの人が本当の卑怯者だったなら・・・死ぬまでこのことを隠しながら、「英雄」として生きたと思う。自分の犯した過ち・・・それも、部下を捨てて自分だけ逃げ帰ったなんてことを明かして、罪を償おうなんて・・・本当に強い人じゃなきゃ、できることじゃないよ」

 ケイスケの言葉に、ヒカルはうなずいた。

 「私も、そう思います。でも・・・だからこそ、怖いんです」

 ヒカルは言った。

 「自分の命を捨てても、部下の命は助ける・・・そう心に誓っていた、そんな強い人でも・・・本当にそういう状況に立たされたときには、それとはまったく逆の行動をとってしまうかもしれない・・・。人間が「生きたい」と思う気持ちは、時にはそんなことを引き起こす・・・私には、それが怖いんです」

 ケイスケは黙ってそれを聞いていたが、やがて言った。

 「・・・たしかに、それは怖いことかもしれないな。でもな、ヒカル。だからって、そうまでして生き延びようとする人間の本能を嫌ったり、悪いものと考えたりはするなよ」

 「わかってます。そういう本能がなければ、きっと人間はここまでこられなかったとも思います。でも・・・」

 ヒカルはまだなにか言いたそうに言葉を濁し、うつむいた。ケイスケは前を見つめて言った。

 「・・・もしかしたら、そういうときに俺も同じような行動をとるんじゃないか。それだけじゃなく、自分もそういう行動をとってしまうんじゃないか。お前が怖いと思っているのは、本当はそういうことなんじゃないか?」

 「!!」

 ヒカルはその言葉にハッと顔を上げ、視線を落ち着きなくあちこちに走らせた。しかし、しばらくそうしたあとで再びうつむきながら・・・

 「ごめんなさい・・・」

 と、消え入りそうな声で言った。

 「何を謝ってるんだよ・・・」

 ケイスケは彼女には顔を向けずに言った。

 「・・・信じたいと・・・信じなきゃって、思うんです。もし私が命の危険にさらされたときには、きっとケイスケ君は助けてくれるって。それに・・・もしケイスケ君がそういうことになったら、私は絶対にケイスケ君を助けようって・・・。でも・・・きっとケイスケ君がそうしてくれる、きっと私はそれができると、信じようとするたびに・・・それを心のどこかで信じきれない私がいるんです。もしかしたら、本当にそういうことになったときにケイスケ君は助けてくれないかもしれないし・・・私がケイスケ君を置いて逃げてしまうかもしれない。そんなふうに、自分の一番大事な人のことも、その人を助けなければならない自分も完全に信じることができない自分が、すごく汚い人間に思えて・・・」

 一言ずつ搾り出すように言うヒカル。ケイスケは黙ってそれを聞いていたが、微笑を浮かべて言った。

 「だから、謝る必要なんてないんだよ。いつも言ってるけど、お前は何でも深刻に考えすぎなんだよ」

 「だって・・・」

 「それに・・・そういうことなら、俺だって同じだ」

 「!!」

 その言葉に、ヒカルは先ほどよりもショックを受けた表情を見せた。

 「ごめんな。嘘でもいいから、「俺はどんなときでもお前を必ず守る」って言ったほうがよかったのかもしれない。けど・・・その気持ちを正直に話してくれたお前には、俺も正直に答えないといけないと思ったから・・・」

 ケイスケは静かに言った。

 「お前や俺だけじゃない。多かれ少なかれ、今はみんな同じことを考えてると思うよ。リーダーもアヤさんも、コジマさんもサトミさんも・・・」

 「キャップや司令も・・・ですか?」

 ケイスケはうなずき、言った。

 「特にだと思うよ。キャップたちと俺たちとじゃ、立場がぜんぜん違うから。もちろん、キャップや司令みたいな立場の人がそんなことを口にできるわけがないけど。不安とか迷いとか、そういうのを部下の前では出さない・・・いや、出せないのが、指揮官っていう仕事だと思うから・・・」

 「・・・」

 ヒカルは黙り込んだ。

 「・・・元気を出せよ、ヒカル。たしかに情けないけど、自分の身を投げ打ってでも人を助けられるって100%言い切れる奴は、いないかもしれない。けどな・・・」

 ケイスケはヒカルを見つめて言った。

 「お前はそれで、俺達をもう信じられなくなったか?」

 ヒカルはその言葉にハッとした表情を浮かべ、すぐに首を強く振った。

 「そんなわけないじゃないですか!! たとえ100%言い切れないとしても・・・それでもみんな、誰かを助けたいと願ってるんですから。みんながそう思っている限り・・・私は、その気持ちを信じてあげたいと思います」

 「ああ、そうだ。俺もそれは同じだよ。裏切られるかもしれないからって、信じることをやめちゃいけないんだよ。たしかに人間は、自分だけでも生きようっていう本能があったから、今まで生きてこられたのかもしれない。だけど、もし自分のことだけを考えるだけの動物だったらきっと、とっくに滅びていただろうな。人間が今まで生きてこられたのは・・・それと同じぐらい、誰かを助けたいと思ってきたからだと思う。100%信じることはできないかもしれないけど、それだけの価値はきっとあるはずだよ。少なくとも俺はこれからもそう信じたいし、だからこの仕事を続けていきたいと思う」

 ケイスケがそう言うと、ヒカルはゆっくりとうなずいた。

 「私も・・・そう思います。ごめんなさい、ケイスケ君。こんなこと聞いてもらっちゃって・・・」

 「だから、いちいち謝るなっての。話したいことがあるなら、できるだけ話してくれよ。その・・・パートナーだからな」

 やや尻切れトンボになるケイスケの声。ヒカルはそれを聞いて小さく笑みを浮かべ、コクンとうなずいた。ケイスケはそれを見届けると、再びラジオをつけた。カーステレオから、緩やかなフルートの旋律が流れ始める。しばらく車内には、フルートの音だけが流れる。やがてケイスケがふと見ると、ヒカルは助手席のシートにもたれて、うつらうつらしていた。

 「眠いなら寝てもいいぞ。運転なら俺がちゃんとするから・・・」

 「で、でも・・・」

 「遠慮するなって」

 少し逡巡していたヒカルだったが、やがて小さく「すみません・・・」というと、シートのヘッドレストに頭をもたれさせ、目を閉じた。やがて助手席からは、小さな寝息が聞こえ始めた。ケイスケは少し苦笑すると、ハンドルを握りなおし、力のこもった視線で前方を見据えた。どこまでも続く青い空の中、鳥の群れが自由に羽ばたきながら飛んでいくのが見えた。



死ぬよりも、生きている方が余程辛いときが何度もある。
それでもなお生きていかねばならないし、また、生きる以上は努力しなければならない。
−喜劇俳優 榎本健一(1904〜1970)−





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