この物語は悲劇ではなく喜劇である

 この物語は恋の物語ではなく愛の物語である

 この物語は英雄譚ではない

 神話でも戦記でもない


 この物語は幸福な結末へと向かう愛の喜劇である





 空間を支配するのは闇・・・僅かな照明の明りが、会議用の長机の上に幹部の顔をぼんやりと浮かび上がらせるが、それでも尚、闇が圧倒的な勢力を維持し続けている。まるで、この会議室に集った者たちの意思を映すように。

 「ごほっ・・・」

 月野は胸に溜まった不快さを吐き出す様に咳き込み、そして手元にある書類を見ながら、この会議の召集人に問う。

 「これはどうゆう事だい・・・?」

 「書いてある通りですよ・・・祭司月野殿」

 へりくだった口調が、逆に癇に障る。それが余りにわざとらしいからだ。不愉快さを半分程度顕にして、月野は黒いスーツに身を包んだ男を睨み付けた。

 「その様な顔をしないでもらいたいですね」

 何処か見下した様な視線が返ってくる。細面だが全体的に骨ばった感じのある顔。眼鏡の奥の細い嫌な目つき。男の名は木亘理・・・落天宗幹部、「防衆」の一人。「惑乱の深緑」と異名をとる男だ。その男が、演技かぶれた仕草で手元の書類をつかむと立ち上がる。

 「不信任案。貴方達、現祭司の方々が犯した数々の失態を鑑みれば・・・これは其れほど奇異な提案ではないでしょう?」

 「・・・」

 別段、功績を上げた訳でも無しに誇らしげに語り始めるこの男に、月野は好い加減にうんざりしていた。故に、口も開かない。

 「我が組織の命運をかけた「黄泉孵り」作戦・・・この最重要作戦に於いてあってはならない情報の漏洩を許した上に、極めて大きなリスクを帯びて「エニグマ」なるものより取り入れた外部戦力は無能・・・莫大な資金を賭けた「がしゃどくろ」「子泣き爺」を失い、あろうことか祭司三木咲を死なせ、大祭司様・・・否、我らが王を護る事さえ出来なかった・・・」

 「・・・」

 熱弁する木亘理を冷めた目で見据える月野。何を、人事のように、と彼は内心思う。最も、そうやって反論したところで責任問題云々を出されることは目に見えている。

 「まあ、最早、過ぎたことは良いでしょう」

 三文芝居の演技っぽく、両手を広げて大きく首を横に振る木亘理。この木亘理という男、春の黄泉孵り作戦の前後から、シンパを増やし始めていた。どうも、この丁寧な物腰と、大げさなアクションが幹部の特に老人衆に受けたらしい。

 「確かに貴方達、現祭司があの作戦で犯したミスは重大なものです。ですが、それは最早過ぎたる事・・・それを責めても致し方無い事。ですが、現在進行形で続けられているミス・・・これを看過することは出来ますまい」

 「・・・」

 「兵員の最充填計画・・・先の作戦失敗で多くの同胞を失った我等落天宗にとって、それは重要な課題です。そして貴方達、現祭司の面々は失われた兵力を充填する為に新たな改造人間の開発を試みた・・・其処までは良いでしょう。しかし貴方達は莫大な資金を消費しているが、未だに其れに見合った成果を出していない」

 パチンと指を鳴らす木亘理。ディスク中央に設置された空中投影型のディスプレイに次々と異形の姿、そのデータが表示されていく。

 「・・・」

 特殊な増幅機器を利用して妖人の呪術能力を拡大するシステムや、護法妖怪を機動兵器・・・昨年春頃突如出現し、そして一年後忽然と消えた組織の残留物なのだが・・・の攻撃中枢として利用する手法・・・等など、ヘカトンケイル来訪後から更に研究がいくつか進められているが、何れも効果が上がっていない。

 「我々には豊かな金山が支える莫大な資金がありますが、それとて無尽蔵とは言えません・・・このままいたずらに浪費すれば何時か必ず底をつくでしょう」

 金山・・・甲州の金山などの例に在る様に日本には、かつて金脈が豊富に存在した。しかし、それも時と共に掘り尽くされ、或は採算効果の不一致から消えていった。しかし、落天宗は未だ豊富に金を産出する鉱山を無数に保有している上に特殊な治金技術が在るので、「資金」だけならば豊富なのだ。この豊富な財源を元手に、近年では犯罪組織を裏から操る・・・と言ったこともやっていたのだが・・・

 「詰まる所、祭司月野。我々は貴方達、現祭司の方々に最高指揮権を委ね続ける事に大きな不安を抱き、そして非常に危惧しているのです。此の侭では組織が立ち行かなくなる・・・と・・・いや、この落天宗が滅ぶ、と」

 「・・・」

 「我々、陽食の民の目的は、先人より受け継いだ大和民族絶滅の大願・・・それを果たせぬまま滅び去ったのでは、我等は先祖の待つ浄土へは旅立てますまい。故に・・・月野殿、我々は此れまでの失態の責任を御取りになられよ・・・と申し上げているのですよ。これ以上に失態を重ね、取り返しの無い傷を組織に負わせるその前に」

 長々と言葉を吐いた末に、唇の端を吊り上げて不愉快な笑みを浮かべる木亘理。ここが会議室でなく、自分が幹部でなかったら間違いなく股間を蹴り飛ばしていたであろう。そんなことを想像しながら月野は沈黙を続ける。流石に焦れたのか木亘理はそれを急かして来る。

 「何か、おっしゃられよ」

 「・・・あんたは、他に何か出来たかい?」

 月野は、感情を押し殺した口調で静かに問う。木亘理はその言葉の真意を計りかねたのか、訝しげに表情を歪める。

 (ああ・・・やはりな)

 月野は確信する。やはりこの男は賢そうに見せているが、それは見掛け倒しに過ぎないと。元々、この男は家柄だけで幹部になった、黄泉孵り作戦の前まではいることも判らない様な冴えない影の薄い人間だったのだ。

 「何を・・・?」

 「いいだろう。辞職しよう」

 月野は木亘理の疑問符に応えず、あっさりとそう言い放つ。同時に闇の中にざわめきが起きる。横に座っていた祭司・霜田も驚いた表情をして小声で問う。

 「何を・・・考えてらっしゃるの? 突然、そんな」

 「・・・ただし、条件がある」

 しかし月野は霜田の言葉を無視して発言を続ける。

 「一応、これでも良識はある。ここまでミスを犯せば、普通なら解雇なり処刑なりされても文句は言えない事ぐらい判る。だがね・・・この組織危急の時期に自分より無能な人間に後を任せて辞めてしまう・・・なんて無責任な人間でもないつもりだよ」

 そう言って、月野は苦笑を浮かべる。反して引き攣った笑みで問う木亘理。

 「無能とは・・・誰を指して仰られているのですかな?」

 「心当たりがある奴は言われなくても判ってるだろうさね・・・ま、差し当たって木亘理さん。あんたは無能じゃあないんだろう?」

 「愚問ですな。無能な人間が防衆に加われるわけもありますまい」

 「ふむ・・・なら証明が必要さね。後を継ぐ人間が無能じゃあ無いと判れば、俺たち現祭司も楽に隠居が出来るってもんだ」

 「ほう・・・ならば、どうやって証明します?」

 「そうさな・・・」

 月野は腕を組んで目を伏せる。黙考の振りだ。既に言葉は決まっている。

 「鬼神の抹殺・・・これを一週間以内に成し遂げれば、俺達は後任を任せるに足りると判断し、すっぱり辞めてやるよ」

 ざわめきが一際、大きくなる。木亘理は米噛みをヒク付かせながら問う。

 「その条件以外で辞めるつもりは無い・・・と?」

 「違うね。その条件なら止めてやろうって、譲歩してるのさ」

 「譲歩・・・ですと?」

 鸚鵡返しに言う木亘理。月野はその反応に些か飽きれた様に両手を広げると応える。

 「そうさ。それとも何か? 君ら防衆は何時からそう、居丈高に指図できるほど偉くなったんだ? 俺達、祭司は大祭司の名の下にあんたらのあらゆる発言を一蹴できる権限を持ってるんだぜ? 無論、捻じ伏せるだけの膂力も、な。それを行使しないのは、俺達が飽くまで"組織"だからだ・・・」

 にやりと笑う月野。しかし表情とは裏腹に瞳は刺す様な光を湛え、木亘理を真っ直ぐに見据える。木亘理は気圧されたらしく頬に汗を一筋流す。

 「どうする? ノらないってんなら、この話はお流れだな」

 「・・・良いでしょう。我々が鬼神、神野江瞬を倒した暁には、貴方が大祭司からお預かりしている組織の指揮権・・・必ず譲っていただきますよ?」

 「ああ・・・約束しよう」

 月野は静かに頷いた。




 「如何なさるお積りか・・・木亘理殿!」

 「鬼神を倒す等、一朝一夕ではゆかぬ事」

 「・・・若しも期日までに掌握できねば・・・彼らとの契約が」

 ヒステリックな声が闇の中に響く。何れも先程の会議に参加していた幹部の人間の一部だ。糾弾を受けるのは木亘理。しかし彼は余裕に満ちた笑みを浮かべている。

 「フフ、安心なさってください・・・全ては計算通り」

 しかし、その言葉は感銘を呼ばなかったのか、その場に居る人間が木亘理に向ける不信感は消え去らない。

 「・・・お聞かせ願おうか? 木亘理殿」

 「これを御覧なさい」

 そう言って指を弾く木亘理。それを合図に彼の側近の女性が一つのスーツケースを持ってきて、それを開ける。中には赤色の液で満たされたアンプルが封入されている。血液に似た色のそれは、淡い光に照らされ不気味に揺らめいている。

 「・・・これは?」

 「彼の御方より拝領したもの」

 「彼の・・・」

 木亘理が発した、謎の人物を指す言葉に、辺りに戦慄を帯びたざわめきが広がる。その反応に満足したのか木亘理は唇の端を吊り上げて笑うと、言葉を続ける。

 「これは彼の御方の命により我々専用に合成された特殊強化薬「魔醒血」・・・我々妖人の秘めたる能力を解放するもの・・・これを使用すれば鬼神など、恐れるに足りません」

 「なんと・・・」

 「俄かに信じがたい話ですな」

 必殺のアイテムも言葉のみでは心を掴む事は無い。

 「久々津!」

 「は・・・」

 「見せて差し上げろ・・・お前の新たなる力の有様を」

 「承知いたしました、木亘理様」

 論より証拠、とばかりに側近の女性に命じる木亘理。女性は畏まるとアンプルを注射し、闇の中、幹部たちから離れるように歩いていく。そして一定の距離のところで立ち止まると、木亘理はもう一度、指を弾いて言う。

 「・・・出でよ、牛鬼ども!!」

 『『『ブルルルオオオオオ!!!!!!』』』

 咆哮が上がり、闇の中から人に似た影が這い出してくる。牛に似た頭と、巌を思わせる巨躯を持った怪生物・・・護法妖怪牛鬼が十体、久々津を取り囲むように現れる。

 ざわ・・・ざわ・・・ざわ・・・

 対して久々津の体表も蠢く様に変化を遂げる。肌はプラスティックを思わせる硬質な質感のものに変化し、黄色と黒のストライプがその表面を覆う。眼球は真っ赤に染まった宝玉の様な形状へ変化し、同じものが額から一対、頬に一対現われる。更にスカートの下から節を持った足が二対現れ、その変化は終わる。久々津が変異したもの・・・それは蜘蛛に似た妖人だ。彼女は狂牛の群れと対峙する。

 「何をなさるお積りだ、木亘理殿!」

 「これから彼女が牛鬼どもを屍へと変えるのですよ」

 「久々津は確か女郎蜘蛛の妖人・・・護法妖怪とはいえ、剛力を誇る牛鬼相手では余りに危険すぎる!」

 「貴重な戦力を潰してしまう御積りか、木亘理殿!!」

 次々と非難の声を上げる幹部達。彼らが言うように、牛鬼の腕力は凄まじく、拳の一撃は巨岩すら砕き得る。対して女郎蜘蛛は、それほど腕力は強くはない。無音歩行や蜘蛛糸によるトラップの作成など、どちらかと言えば暗殺や偵察などの隠密任務に適した能力なのだ。いくら妖人が戦力として護法妖怪の上位にあるとはいえ、この様な対峙では彼女が引き裂かれるのは目に見えている。幹部たちの危惧も当然に思えたが・・・

 「先ほど言ったでしょう? 新たなる力を拝領した、と。まあ、御覧なさい・・・」

 木亘理は余裕に満ちた表情でそう言う。

 「やれい!」

 『ブルオオオオオオオオオオオオオ!!!!!!』

 狂牛達は雄叫びを上げると、蜘蛛の妖人に向かって襲い掛かった。





第一話

「神野江瞬最期の日?! 鬼神VSアスラ!」
(前編〜確執編〜)



 「・・・!」

 「ブラボーだ・・・久々津」

 「恐れ入ります」陰陽師

 辺りに散らばる肉の破片が黒い霧状になって空中へと溶け消えていく。その中央には平然と立つ久々津の姿があった。

 驚愕する幹部たち。対照的に木亘理は満悦そうに笑みを浮かべている。

 時間にして僅か210秒(主題歌とCM四本)。四分とかからずに強固な筋肉の鎧に覆われた牛鬼十体は、解体され完全にその原型を失っていた。

 戦慄はやがて歓喜へと変わり、賞賛が声となって上る。

 「素晴らしい! 木亘理殿! これは大変な功績ですぞ!!」

 「まさしくブラボー!」

 「こ・・・これならば、或は鬼神さえも!」

 「あいや、またれい!」

 しかし、それを鋭く制する声が響く。声の主は背がひどく曲がり顔には深い皺が刻み込まれていた。ここに集った面々の中でも最も年長の男・・・淵峰だ。最も、年長といっても木亘理より幾つか上であるに過ぎない。過去にあった陰陽寮との戦いで受けた呪詛返しを受けたことで寿命の一部を失い、実年齢以上に老化してしまったのだ。そのためか、彼は急進派の中でも異例の慎重さを持っていた。

 「それでも万が一、敗れた場合は如何いたすつもりだ、木亘理殿・・・!」

 しかし、ここまで来ると最早慎重を通り越して臆病ですらある。或は急進派という者達は既に大なり小なりこういった人間たちばかりなのかもしれない。口先ばかり尊大な言葉を並べ立て、その実、ひどく臆病な・・・

 しかし木亘理は不適に笑って指を振る。

 「この力を手に入れた今、我々が負けることは考えられません。ですが、万が一、飽くまで万が一ですが鬼神打倒に至らねば・・・簡単なことです。月野を倒してしまえばよい」

 「クーデターを起こすというのか・・・」

 「その通り・・・」

 自信たっぷりに頷く木亘理だが、幹部たちは、彼に同調しない。

 「だが! それでは民が納得すまい・・・」

 「今尚、あの臆病者ども支持する者の方が多いのだぞ!」

 「もしも戦いになれば被害は免れん・・・現状を鑑みればそれは余りに不味かろう」

 「簡単なことですわ」

 不意に空間に光が差し、澄んだ女性の声が響く。幹部たちは声の方へ一斉に振り向く。やがて扉が閉じ、その女性は一同の中心にゆっくりと歩いてくる。その姿を見て、木亘理と久々津を除く幹部たちは一様に驚愕の表情を浮かべる。

 「貴女は・・・」

 「祭司・・・霜田涼音!」

 「霜田です」

 ぺこりと御辞儀する女性。それは月野と共に現在祭司を務める三名の一人、霜田であった。

 「こ・・・これはいったいどういうことです! 木亘理殿!」

 「彼女はあちら側の人間ぞ!」

 「あら・・・私達は同じ落天宗の幹部ではありませんか」

 うろたえる幹部たちに向かってしっとりとした笑みを向ける霜田。

 「目的が一致すれば、派閥なんて関係ありませんもの」

 「その通り・・・彼女とは以前より連絡を取り合っていたのだ」

 頷いてそれを裏付ける木亘理。しかし、他の幹部たちは未だ納得できかねないのか不満じみた声を上げる。

 「しかし・・・」

 「私の目的は彼と共にいては決して叶えられないと悟ったのです」

 「目的とは・・・?!」

 「私が為したいのは主人と義父を殺した鬼神への復讐・・・」

 霜田の夫と義父・・・義父は先の"黄泉孵り"において死亡した祭司の一人、"斬嶽刀"の三木咲誠也。そして夫は三木咲誠也の息子、霜田(婿養子である)光。彼もまた祭司の一人であり、"雷公"の異名を持つ強力な術者だったが、彼もまた鬼神との戦いで命を落としていた。

 「その為に手段のきれい、きたないを選り好む積もりはありません。でしたらより確実なほうを選ぶのは当然の帰結でしょう?」

 「た・・・確かに」

 何処か釈然としないものを感じながら、霜田の柔和な表情の裏側から放たれる鬼気迫る雰囲気に圧倒される幹部たち。 

 「して、民を納得させるという手段とは・・・?!」

 ふと、思い出したように幹部の一人がそれを問うと、霜田はその幹部に向かって微笑んでから説明を始める。

 「簡単なことです。彼を反逆者に仕立て上げればいいのです。彼が組織を私物化し、命の危機に晒した・・・とすれば、大義名分は私たちのものです」

 「しかし・・・それを果たして納得するのか・・・?」

 「フ・・・その為の彼女でしょう」

 「?」

 頭の回りの遅さに流石にいらついた表情を見せる木亘理。しかし、彼は根気良く説明を続ける。

 「陽食五宗家の一つ霜田家の令嬢にして霜田流凍精剣の伝承者、祭司、"極光公主"霜田涼音・・・彼女の言葉ならばその説得力も大きいものでしょう」

 落天宗は多くの秘密結社がそうであるように、基本的には実力主義の社会だ。しかし、同時に"部族""集落"としての性格も多分に持ち合わせている為、強力な妖人を多数輩出する名門一族・・・特に陽食五宗家とよばれる家柄の持つ権威は大きい。木亘理は彼女の家柄が持つ威光により、力押しで納得させてしまおうと言うのだ。

 「おおぉ・・・」

 流石に此処まで説明を受ければ、彼らも理解に到り感嘆の声を上げる。

 「最も、その様な事態に陥るとは思えませんがね」

 木亘理は自信に溢れた口調でそう言って微笑を浮かべる。そして久々津の方を向くと、虚空を指差し朗々とした口調で告げる。

 「では往くのだ、久々津! 我々陽食の民、全ての者の為に神野江瞬、鬼神を倒すのだ!!」

 「はっ・・・」

 シュバッ・・・

 闇の中に消える久々津の姿。

 「さて・・・どうなるかしら」

 微かに笑みを浮かべ、霜田はそう呟いた。






 「ふぅ〜・・・さぶ」

 屋内とはいえ、寝起きは流石に冷え込む。と、言っても昨年同様、師走に関わらずそれほどは寒くないのだが。

 「ふあ〜あ・・・」

 欠伸を一つかましてから、京二は鏡を覗き込む。そこには逆に写った自分の顔。

 顔を滅茶苦茶に動かし、百面相をやってみる。珍妙な表情をした自分の顔が次々と鏡に映っていく。

 寝不足ではあるが、未だ目の下に隈は出来ていない。

 (・・・)

 人並外れた肝機能が疲労素を旨い塩梅に分解してくれているのだろう。もっとも、以前から余り沢山の睡眠時間を必要とはしないのだが。

 歯ブラシを口の中に突っ込み思い切り掻き混ぜる。直ぐに広がる血の味。市販のもので最も硬い毛先のもので磨けば、まあこうなる。だが、此れ位の刺激が無いと目覚めのブラッシングという感じがしないのだ。

 うがいと共に血の味を吐き出して、彼はキッチンに向かう。ほんのりと漂うブレッドに焦げ目が付く香り。ジジジ、と響くのはフライパンが卵を焼く音だろう。そして、その前には右手にフライ返しを構え、左手に握るストップウオッチを見つめる女性が立っている。

 「おはよう、瞬」

 「おはよう御座います。京二さん」

 にっこりと笑い、彼女は微笑む。何時もの様な陰陽寮の制服や、戦闘服ではなく彼女が身に付けるのはエプロンだ。

 (もっとも"ラ"じゃなくって、ちゃんと下にはセーターとジーパンだけどな)

 「? 何か言いました? 京二さん」

 「いや、なんでもない」

 にやりと、いやらしく笑い京二は椅子を引いて席に着く。それに一拍置いて、瞬が持つストップウオッチからアラームが鳴り響く。

 瞬はコンロの火を止めてフライパンに乗せてあった蓋を取り去ると、朝食定番メニュー・目玉焼きの出来具合を見る。卵はLサイズを二つ使ったもの。手間を省くための二人分だ。君の表面には薄い膜が生じ、黄身が寧ろピンク色に透けて見える。やや固め・・・それが京二の好みなのだ。

 彼女はフライ返しでそれを二つに割ると、皿に乗せ京二の前に置く。

 「サンク〜ス、美味そうだ」

 「有難う御座います」

 食パンも綺麗な狐色に焼けてトースターから飛び出す。今日の朝食はトースト二枚とポテトサラダ、目玉焼き、それから昨晩京二が作ったクリームシチューの残りを温めなおしたものだ。

 「んじゃ、頂きます」

 「頂きます」

 のんびりした、朝食。平凡な、平和な、そして充実した、毎日の日課だ。お互いの職業柄、夕食を一緒にとれる機会は余り無いのだが、朝のこの時間だけは、ほぼ毎日二人で過ごしている。

 「京二さん」

 「ん?」

 「今日の御予定に変更は?」

 「ああ。予定通り、今日は巣ノ上ホールで講演会だな。今日は一緒に来るんだろう?」

 「ええ、そういった場所でこそ私の護衛が必要ですから」

 「半ば公認でイチャイチャしろって言われてる感じだな」

 からかう様な京二の物言いに、瞬は少し顔を赤くして苦笑を浮かべる。彼女は京二のほうに顔を向けると、慣れた手つきでトーストにバターを塗布しながら応える。

 「医療部の話では京二さんが"彼"に変わる可能性は未だ無くなっていないそうです・・・だから、あの人たちが何らかの手段を講じて"彼"の覚醒を図ろうとした場合、速やかに対応し、それを阻止しなければいけません。その為に私は京二さんと行動を共にしているんです」

 「任務だからか?」

 「え・・・」

 口に咥えた人参スティックを上下に振りながらも上目遣いに、何処か寂しげな表情で問う京二。その問いに瞬は即答する事が出来ず、考え込んでしまう。バターをトースターに塗りこむ音だけがザリザリとした音がしばらく響くが・・・

 「・・・!」

 やがて彼女は京二の目が笑っている事に気づくとパッと赤面する。途端に京二の表情はいやらしく変わる。

 「・・・いじわるですね、京二さん」

 「フフフ、意地悪は伊万里京二48の反則技の一つだ」

 「もう・・・この間は48の暗殺技とか言っていませんでした?」

 「ナンセンス! そんな昔のことなんて覚えてないさ」

 立てた人差し指を顔の前で大きく振りながら、京二はそう切り返す。瞬は、更にもう一度頬を膨らませて「もう」と呟いた後、仕方ないといった感じの風情で苦笑する。

 笑いあう二人。だが・・・彼らは二人が共にいるもう一つの理由には触れない。触れようとしない。瞬が京二と行動を共にしなければ成らない三つ目の理由、それは・・・

 『伊万里京二の抹殺』

 若し伊万里京二の中に存在するもう一つの存在・・・"彼"の覚醒が起こった場合、これが完全なものになる前に、伊万里京二を抹殺せよ・・・それが、神野江瞬が陰陽寮より受けた命令であり、同時に・・・それは京二自身が望んだことでもあるのだ。

 (だが・・・)

 京二は、それが杞憂に終わると思っていた。だが、最近頻繁に見るあの悪夢が、彼に危惧を抱かせる。

 (そういえば・・・)

 京二は前回受けた検診の結果がまだ届いていない事を思い出す。例の事件以来、京二は陰陽寮によって定期的な検診を受けることを義務付けられている。前回は一週間ほど前だったのだが、その時の結果が未だ京二に伝えられていないのだ。

 (瞬に聞いてみるか・・・?)

 と、考える京二だが一瞬後に思いとどまる。長い説明・解説をされるのは少々忍びない。それに遅かれ早かれ何れ判る事を急いて貴重な時間を削るのは非効率的だ。

 「どうしたんです? 考え事なんか」

 不安そうに問う瞬の声に京二はハッとして笑いを返す。

 「今日の講演、どうやったら面倒くさくなくなるか・・・ってな」

 「駄目ですよ、京二さん。古の時代に失われた知恵と技を探求し、その原理を解き明かし、それを人に教え、啓蒙する事が貴方の、超考古学者伊万里京二のお仕事じゃないですか」

 「わかってるよ・・・」

 結局、地雷を踏んでしまう京二。

 「ま、Let It Be、為る様に為るさ」

 気楽そうに言ってから、京二はトーストの最後の一欠片を紅茶で飲み下した。

 「じゃ、ご馳走様」

 「お粗末さまです。あ、講演用のスーツは出してありますから。リビングにかけてあります」

 「悪いな。何から何まで」

 「それは言わない約束です。フフ、月並みですけど」






 『やってくれるな・・・』

 電話越しの声は、彼女が慕うものの、声。頷き、返す。

 「はい・・・木亘理様。全ては貴方のために」

 『フ・・・そういうことは言うものではない、恵美』

 「は・・・全ては陽食の民のために」

 『そうだ・・・頼むぞ』

 「わかっております・・・ですから木亘理様」

 声が上擦る。そして返ってくるのは優しい響の、声。

 『私も解っているよ・・・お前の気持ち』

 「お・・・恐れ入ります」

 『フフフ・・・がんばってくれ』

 「は・・・」

 彼女は静かに携帯電話を閉じる。そして指を中に走らせると・・・

 彼女の背後で無数の人影が蠢いた。





 「ふ〜・・・やれやれ」

 京二はそう言って、目の前の機械の前面に並ぶ緑色に点灯したボタンの一つを押す。一瞬の間も無く、機械の内部から賑やかな衝突音が響き、機械の下部に開く取り出し口に茶系のカラーで彩色された金属筒が転がり落ちてくる。

 「なんで、無糖の紅茶は無いんだ・・・」

 ぼやきながら彼はウーロン茶の缶を自販機から取り出すと、その飲み口を服の袖で拭いプルタブを起こす。予定されていたプログラムは滞り無く進行し、京二もギリギリまで駄々を捏ねてみたものの、流石に彼の要求は通らず、講演会は無事に終了を迎えた。

 そして、ここは巣ノ上ホールのロビー。京二はその一角にある休憩スペースで瞬が来るのを待っていた。彼女は護衛任務の一環として、ホール内の見回りを行っているらしく、京二は彼女が来るのを待っているのだ。

 京二はぐびり、と音を立て香ばしい香りと風味のあるその液体を飲み下す。本来は紅茶を入れたい所なのだが、流石に紅茶セットをこの様な場所で広げるわけには行かず、また無糖タイプの缶紅茶が無いのでウーロン茶で我慢しているのだ。

 ふと、何か背中に粟立つ様な感触を覚える。気配・・・そんな感じの雰囲気に気づいて振り向こうとする・・・が、それより早く響く、声。

 「伊万里先生・・・ですね」

 「ん・・・?」

 ハスキーがかった女性の声。京二は、あたかも呼ばれて初めて気づいたかのような、とぼけた調子で振り返る。

 それと同時に、ふっと鼻腔に漂う香水の香り。花の油から抽出されたものだったはず。

 花の香りを漂わせ、彼の背後に立っていたのは声色の通り女性である。外見から見て取れる年齢は、瞬と同じくらい。容姿は美女・・・といって差し支え無いだろう。薄い緑を帯びたストレートの髪をショートに切り揃えている。服は赤、或は赤紫に近い色のスーツに身を包んでいる。

 記憶を辿る・・・が、確か初対面の筈だ。

 「・・・その通りだが、何か御用かい? 美しいお嬢さん」

 「え・・・ま・・・はあ」

 京二の浮き世離れした気障っぽい対応に、困惑の色を浮かべる。が、彼女は直ぐに気を取り直すと丁寧にお辞儀をして名乗る。

 「初めまして。私、久津恵美と申します」

 「ふ〜ん・・・恵美、か。いい名前だ」

 「有難う御座います」

 「で、恵美ちゃん。俺に何か御用かい? あ、先に言っとくけどデートの申し込みなら残念ながらアウトだよ。今、彼女、待ってる最中だから」

 「あ、いえ、そう言う事では無くてですね・・・」

 引き攣った愛想笑いを浮かべて恵美は言う。どうやら彼女はある大学で考古学を研究する修士らしい。超考古学界でも著名である京二の講演を聞く為に今日は来たらしかったのだが・・・

 「詰まらない話で幻滅したかい?」

 自らを皮肉る様に言う京二。しかし恵美は頭を左右に振って応える。

 「いえ・・・そんなことありませんでした。無駄が省かれた簡潔で良いお話だったと思います。ただ・・・」

 「ダダ?」

 少し口ごもった恵美に、目を六角形にして鸚鵡返しに返す京二。

 「超考古学についてのお話が聞けなかったのは残念でした」

 「なんだ・・・キミ、こっち方面に興味があるの?」

 「はい、少しだけ」

 「はは・・・そりゃあ、悪い事したな」

 京二は苦笑して謝る。最も、これに関しては京二に罪が在る訳ではない。超考古学という学問の特性上、仕方の無いことだ。超考古学の発見には文化や社会基盤を引っ繰り返すような技術・事実・事物が多々存在する。その為、混乱が起きない様に学会と各国政府の合意の下、その研究成果がマスコミュニティによって報道され民間に流出することが極力避けられているのだ。

 その為、この様な一般にも公になっている様な講演会の場では、超考古学についての講演はまず行われないのだ。

 「もしかしたら、とは思ったのですが」

 「申し訳ないことをしたな。君みたいな美しいお嬢さんのご期待に応えられないとは俺もまだまだだね。ルールなんか無視すれば良かったかな?」

 眼鏡のブリッジを中指で押し上げて位置を直し、隣国の某有名俳優を思わせるアルカイックスマイルを浮かべる京二。しかし直ぐに何かに思い至ったらしく、彼の表情は真顔に戻り、人差し指を立てて言う。

 「と、言っても此処で超考古学について聞くのはナシだよ。ここで話して、君以外の奴らにもタダ聞きさせちゃうのは癪だからね。俺の話を聞きたければ、火曜日と金曜日には城北大学で講義をやってるから」

 軽やかに回る京二の舌。伊万里京二に搭載された三種の内臓回路の一つ、軟派回路が高速演算を始めているのだ。この働きにより彼は女性を誘う歯の浮く様な台詞を一ミリ秒で考え出すことが出来る(嘘)。

 しかし、それに対して恵美は困惑した笑みを浮かべて返答する。

 「い・・・いえ、お気遣いは結構です。私も人を待っていたのですが、偶然先生をお見かけしたんで少しお話を聞かせて頂こうかと思って・・・」

 「へえ、待ち人、ねぇ。もしかして彼氏ぃ?」

 京二は親指を立てるとおっさん臭い嫌らしい笑みを浮かべる・・・が、その時、後方から聞きなれた声が響く。

 「京二さん」

 腰の辺りまで伸ばした黒く艶のある髪を揺らしながら瞬が小走りでやってくる。京二は額に掌を当てて敬礼のポーズを取ると労いの言葉を彼女にかける。

 「おう、瞬。お疲れ」

 「京二さんもお疲れ様です。あら・・・其方の方は?」

 恵美の姿を見て、眉の両端を僅かに下げる瞬。それに対し、恵美は柔らかい微笑を浮かべると頭を下げて言う。

 「初めまして。私、久津恵美といいます」

 「わざわざ講演会に来てくれたという殊勝な女学生さんらしい」

 「そうなんですか・・・」

 名乗りと紹介の言葉に、僅かに表情を柔らかくする瞬。彼女もまた頭を下げて名乗る。

 「神野江瞬です。宜しく」

 「俺の愛しの君(マイハニィ)、というわけさ」

 「きょ・・・京二さん!」

 京二の紹介に、顔を赤くする瞬。すると恵美はそれまでとは少し違う意地悪な笑みを浮かべると京二に向かって言う。

 「伊万里先生ってずるい人なんですね。こんな綺麗な恋人がいるのに、私なんかにモーションをかけたりして」

 「京二さん・・・?」

 「や・・・それは社交辞令って奴だよ。可愛い女の子には取り敢えず声を掛けないと俺の流儀に反するからさ」

 苦しい言い訳(彼としては本心からそう思っているのだが)をする京二だが・・・恵美は更に意地悪な表情を、瞬は更に悲しげな表情を浮かべる。

 「それって逆に女の子を傷つけると思いますよ?」

 「京二さん・・・ここ暫らく落ち着いていたと思ってたのに」

 「それって、セクハラだと思います」

 「京二さん・・・セクハラです」

 「ぐはっ・・・」

 二人の女性の声が重なる。瞬からは言われ慣れた京二だが、流石に二人からの同時攻撃はダメージが大きかったのだろうか。胸を押え、がくりと膝を落とす。

 「大丈夫ですか?」

 恵美は苦笑を浮かべながらも心配そうに京二の顔を覗き込もうとするが、瞬によって肩を掴まれ、それを止められる。訝しげな表情を向ける恵美に瞬は人差し指を顔の前に立てて言う。

 「不用意に近寄っちゃ駄目です! 傷ついたフリをして、セクハラ行為をするつもりなんです」

 すると京二はゆっくりと立ち上がり、邪悪な・・・或は獣に似た表情を浮かべながら瞬の方へと向き直ると、同時に高笑いを発する。

 「フハハハハーッ!! 流石は瞬、見破ったか!」

 「京二さんの考えなんてお見通しです」

 「ならば、奥の手を見せよう!」

 そう言うと京二は頭上で合掌をつくり、膝を折り曲げて蟹股にすると、空中に向かって軽やかに飛び立つ。

 「48のセクハラ技の一つ・・・」

 まるでバナナの皮がすっぽ抜けるかの如く服を脱ぎ捨てる日本一有名な怪盗三世の様に。

 ゴ

 「止めて下さい公衆の面前で・・・」

 鈍い音色。そして瞬の手刀が京二の額に撃ち込まれ、戦闘機の編隊・・・もとい、変態の尖頭器は撃墜される。

 「ぐふう・・・やるな・・・瞬」

 「もう・・・やらないで下さい。京二さん」

 その様子を眺める様に見ながら、恵美は何処となく寂しそうに笑って言う。

 「仲が良いんですね・・・羨ましい」

 「・・・」

 無言で返す瞬。しかし、赤く染まった彼女の顔は「お恥ずかしい」と如実に語っている。やがて京二は復活し立ち上がると、スーツについた埃を叩いて落としながら言う。

 「さて・・・そろそろ帰るとするか。腹も減ったし何処かでメシ食っていこう」

 「え・・・あ、はい」

 「恵美ちゃんも、一緒にどうだい?」

 「い・・・いえ、お二人の邪魔をしちゃいけませんから、遠慮させて頂きます」

 そう言って愛想笑いを浮かべる恵美。背を向けて歩み去ろうとする二人の姿を見つめる彼女だが、数歩進んだところで京二が徐に振り返ると、思い出した様に言う。

 「あれ・・・? あんたも瞬を待ってたんじゃなかったのか・・・?」

 「え・・・?」

 京二の発言の意味が分からないといった風情で恵美。

 「あんたも瞬を待ってたんだろう・・・恵美ちゃん?」

 「先生、私には先生の仰ってる意味が分かりません・・・私は・・・」

 「笑止!」

 恵美の言葉の続きを鋭く遮る京二。彼は眼鏡のブリッジを中指で押し上げて位置を直しレンズの端をキラリと光らせると自信に満ちた声で言う。

 「"香り"で上手く誤魔化したつもりだろうが、この特製眼鏡アナライザーグラスの前で隠しとおせる積もりかな? あんたの正体なんて、さっくりお見通しだ・・・!」

 「!!」

 驚愕に身体を硬直させる恵美。瞬は既に京二の言葉に触発されて拳を前に構えたファイティングポーズを取っている。やがて・・・忌々しげな表情を浮かべる彼女の雰囲気は、がらりと大きく変貌する。普通の、女子大生のものから、酷く張り詰めた緊張感を漂わせる鋭いものへと。

 「流石は伊万里京二・・・下手な小細工は意味を成さなかったようね」





 柄の悪い男が人波を掻き分けて歩いていく。正確には人波が彼を避けて歩いている、と言った方は語弊が少ないだろうか。また、柄が悪いというよりは柄が悪く見える格好をした、と言った方が現在の男の有り様を的確に表現しているかもしれない。

 頭は燦然と輝くスキンヘッド。目は少しひびの入ったサングラスで隠して見えない。服装はパンクロック系のミュージシャンを思わせる黒いレザーのジャンパーにパンツ。無意味に付けられたスパイク状の装飾が厳つさを増していたが・・・肩をガックリと落として歩く彼の姿には覇気というものが見当たらなかった。

 「どこか判らない・・・」

 『間抜け』

 愕然と呟く彼に対し、何処からとも無く少女・・・あるいは小動物を思わせる高い音色で声が響く。男を避ける様にして歩く人並みの中には声の主はいない。直接彼の耳元に語りかけられているのだ。

 『全く、鞄をにゃくすにゃんてどうにかしてる。アレには財布やら地図やらIDカードが入ってたのに』

 「ぐううぅぅ・・・きっとあいつにぶつかられた時に放り投げたんだ」

 『人の所為にするのは元宗の悪い癖だ』

 呻く様に言うスキンヘッドの男を冷たくあしらう『声』。スキンヘッドの男・・・本韻元宗はさらに肩を落とす。

 「ううう」

 一昨日、あるいやな感じの男にぶつかられた後から何だか調子・・・というかバイオリズムやら運気が宜しくない。財布を無くしたのに始まり、携帯電話は電池切れで使用できず、バイクはガス欠・・・彼はある仕事を果たすために東京にある、とある機関に出向してきたのだが、それらを失くしてしまった為、探すことも報告することも帰還することも出来ず、正に八方塞なのだ。

 何度か交番や警察署に行ったのだが、その都度に凶悪犯と間違われて・・・というベタな展開が起こり脱兎の如く逃げ出す、の繰り返しだった。

 後は辛うじてポケットに入っていた小銭で空腹を癒し、公園のベンチで寒空の下震える膝を抱いて朝を待つのみ・・・である。

 「わ・・・侘びしい・・・」

 『ま・・・自業自得、仏教的に言えば因果応報だにゃ』

 「うるさい。俺は清く正しく生きてるぞ」

 『健全にゃ心は健全にゃ身体に宿る・・・元宗の格好は清く正しく生きてる奴の格好じゃにゃいにゃ』

 「畜生の分際で人の趣味をとやかく言うな・・・」

 『獣でも常識ぐらいわかる。それが趣味にゃら最悪だにゃぁ』

 「くう・・・このエセ猫野郎ぅ」

 『似非でも猫でも野郎でもにゃいぞ』

 「ああいえばこういいやがって」

 『賢く言えば揚げ足を取る、というにゃあ』

 淡々と返してくるのが逆に癇に障る。元宗は苦し紛れに言い返すが・・・

 「くそ・・・にゃあにゃあ五月蝿い」

 『じゃあ、元宗もピカピカ眩しい』

 「うぐぐぐぐ・・・」

 『どしたにゃ? もう言い返さんのかニャ?』

 言葉に詰まる元宗を挑発するように言う『声』。元宗は髪の毛の無い頭部に青筋を無数に浮かべて何か反論のネタを探すが、暫らくして立ち止まる。

 『どした〜? 急に立ち止まったりして』

 「これは・・・」

 元宗が立ち止まったのは、ある公会堂の前だった。名前は巣ノ上ホール。彼の目は其処に立てられた案内板の上に停まっていた。

 『にゃににゃに・・・バイオリン演奏会? 元宗には似合わにゃいにゃ』

 「違う。その横だ」

 『ん・・・三国道ワンマンショウ?』

 「逆だ、逆」

 『考古学講演会・・・古き時代への誘い・・・講師は安西幸助、伊崎恵子・・・伊万里京二・・・! 伊万里京二って!!』

 「ああ。あの伊万里京二だろう」

 元宗と『声』の主は「伊万里京二」の名前を知っていた。知識がその人間の顔と一致するわけではないので、その男が彼をこの苦境に立たせる元凶の男とは知らないのだが。兎も角、其処に伊万里京二という男がいるのなら、其処に出向先の人間、彼の知り合いの人間が居る公算も高かった。

 『じゃあ、瞬に会えるかもしれにゃい!!』

 「ああ・・・地獄に仏とはこのことだ!!」

 彼は、神野江瞬の知り合いでもあった。ガッツポーズを取る元宗。やっとこさ人並みの衣食住にありつける。そう思った矢先だった。会場から叫び声が響いたのは。

 「!!」

 それは一瞬のことだった。常人の耳ならば捉えられない、ごく短い時間の・・・しかし彼の耳が捉えたその声は、確かに助けを求める人間の声だった。

 『元宗!』

 「解ってる!!」

 元宗は『声』の警告が不要だとばかりに叫ぶと走り出す。その足元に光が生じ、それは跳躍するように地を駆ける猫を思わせる生き物へと変わる。

 「瞬にいいトコ見せてやるぜ!!」

 にやりと笑い、誰に言うでもなく独り言を呟く元宗。しかし、その表情には言葉に対応した軽薄な色は浮かんでいなかった。サングラスの奥の鋭い眼差しは厳しい視線で会場の先を見据えていた。

 空腹と疲労の所為か先ほどまでは気づかなかったが、緊張に意識が鋭敏化した今は感知することが出来る。会場内に三つの"気配"が生じ、各々が発する"波動"・・・放出される力が大きくなっていく。どれも、感じたことがある"気配"だ。

 一つは彼女。彼の同志。同じ務めを持ちながら、自分とは異なるスタンスで戦う、尊敬と慕情を抱く、女性。

 一つは奴ら。彼の敵。妖怪と融合し、その力を手に入れた復讐の一族。

 そしてもう一つは・・・

 (まさか奴なのか・・・?!)

 それは一昨日、彼が出会った不愉快な言動を繰り返したあの眼鏡の伊達男が放つ気配だった。




 ざわ・・・
  ざわ・・・
   ざわ・・・

 彼女の体内で何かが蠢き、細波が立つ様に皮膚の表面が変異し始める。
艶のある硬質の皮膚。昆虫を思わせる節を持ったそれを彩るのは黄色と黒の虎柄ストライプ。顔も口元を残して同様のものが覆い、ルビーかガーネットを思わせる鮮やかな紅色の単眼が八つ輝いている。そして、スカートの裾を裂いて四方に飛び出すのは脚。硬く艶の在る皮膚に覆われた細く長い四本の新たな脚。毒々しく、禍々しく、しかし美しいシンメトリーを画いた彼女の姿は即ち・・・

 「女郎蜘蛛・・・か」

 「そう。私は女郎蜘蛛の妖人、久々津恵美。神野江瞬・・・お前の命を頂きに来た」

 「京二さんではなく、私を・・・? 珍しいですね」

 「その通り・・・我々の方も些か状況が変わってきたのだ」

 瞬が僅かにいぶかしむ様に言うと恵美は嘲笑を浮かべて返す。彼女が『鬼神』となって間もない頃こそ頻繁に在ったが京二と出会って以降は殆ど無かった。そして恵美は嘲笑を浮かべたまま言葉を続ける。

 「だけど迂闊ね、鬼神。不用意に守るべき者の傍らを離れ、彼が身を危機に晒すとは・・・お前がここに来るまでの数分間、私がその気になれば容易に彼を連れ去ることが出来た」

 「迂闊なのは貴女です・・・久々津さん」

 だが、瞬は静かな口調でそれを否定する。

 「なに・・・?」

 「私からも忠告させて頂きます。敵戦力の過小評価は大きな敗北要因の一つでよ、久々津さん。過去に、それが原因で敗れた数多くの者達を私は知っています。私自身を侮って頂けるのは一向に構わないのですが、京二さんが低く見られるのは余り愉快ではありません」

 そこで一旦区切られる言葉。一拍置いて、彼女は淡々とした口調で説明を続ける。

 「京二さんは既に貴女の正体を見破っていました。あらかじめ貴女が妖人だと分かっていれば、例え数分間のラグがあったとしても、京二さんが貴女に囚われるとは思えません」

 「何を根拠に・・・!」

 「色々と答える事は出来ますが、簡潔に言えば、私が最も信頼する人間だから・・・では駄目ですか?」

 少し頬を赤くして言う瞬に、恵美は忌々しそうに眉根にしわを寄せる。

 「利いた風なことを」

 「あんたのその台詞こそ"聞いた様な"こと・・・だがな」

 そう、逆に嘲笑して言う京二。そんな彼に瞬は改めて感心した様に告げる。

 「でも京二さん・・・アナライザーグラス・・・本来、京二さんが地質・空間・機械の内部構造などの解析の為に考案していた簡易分析装置が完成し、しかも妖人を見破る機能まで持たされていたのには私も驚きました」

 「ん・・・あ、いや。そんな機能ついてないぜ」

 しかし、京二の返した答えは意外なる物だった。

 「え・・・?」

 「ハッタリだよ。一か八かでカマを賭けてみたのさ・・・でもまあ」

 京二は見透かす様に目を細め二人を見てから満面でイヤラシクほくそえむと言う。

 「アンダーの色はばっちりだけどな」

 「!!」「!!!」

 「きゃあっ!」

 「いやっ・・・!!」

 二人はパッと顔を赤く染めると素早く胸と下腹部を手で押える。それをまるで悪巧みが上手く行きつつある悪代官のような顔で満足そうに見る京二。

 「ククク・・・遅い・・・遅いよ! 全ては遅すぎる! ハハハハハハハ! 黒か!!」

 「貴様ッ!!」

 拳を固める恵美。

 
ピキィン!!

 「フッ・・・見える!!」

 「!!」

 意味深い台詞が一瞬恵美の動きを鈍らせる。彼女は拳を繰り出すがその愚直な一撃を、まるでブリッジをする様に極端に身体を逸らし軽やかに避ける京二。勝ち誇った眼差しが彼女の胸元に向けられ様としたその瞬間、京二は自分の足の裏が地面についていないことに気づく。

 「!!」

 宙に浮く京二の身体。いつの間にか、瞬によって脚を払れていたのだ。

 「馬鹿な・・・瞬! お前はしr」

 「セクハラは止めてください!!」

 喉に刃の様な手刀が振り下ろされ蛙の潰れた様な音色が響き地面に叩きつけられる京二。そしてその直後、上空から降下してきた恵美の膝が京二の人中に突き刺さる。

 「ハッタリ・・・なのに・・・」

 その言葉を最後に息絶えるセクハラモンスターことイマリジン(エロシ○ッカーの大幹部だ!注:嘘!)。

 (読み通りだ・・・!)

 
土ッ管!

 しかし満足そうな表情のまま、彼は大爆発して散る。

 共通の敵の前に敵対していた二人の女戦士は一時共闘し、そして勝利を収めた。だが、後に残されたのは虚しい静寂のみであった。

 「・・・」

 「・・・」

 沈黙・・・やがて・・・

 「・・・信頼に足るか?」

 「転化変身!!」

 恵美のツッコミをスルーして瞬は両腕を旋回させる。

 言葉によって、彼女の腹部に鬼の面の形をした巨大なバックルを持つベルト、御鬼宝輪が現れ、左右に開いた両の腕を反時計回りに身体の中心に向かって巻き込む・・・この動作によって御鬼宝輪が作動を開始する。上下に開く鬼の面。口の内部には白と黒に彩られた大陰大極の円盤。それが高速で回転を始めると共に赤く輝く光の粒子が噴き出し、彼女の身体を包んでいく。

 皮膚は漆黒・・・強靭な柔軟性を有する強化皮膚へと変貌し、その上を真紅の生態装甲が覆っていく。額が裂けて金色に輝く二本の角が飛び出し、眼球は銅を燃やした様な緑の光を灯しながら巨大な複眼状へ変形する。

 そして彼女の背後に黒いヴェールが広がる。黒髪の戦姫と仇名される所以、彼女の長い黒髪が、変身前の腰までの長さから膝丈まで伸びたのだ。

 「私は仮面ライダー鬼神。退きなさい、闇の使者よ。さもなくば死を与えます」

 赤い女戦士が蜘蛛の姿をした妖人にそう警告を発する。

 「今更格好を付けたところで・・・」

 しかし女郎蜘蛛の妖人・恵美は嘲笑し、鬼神の言葉を一笑に付す。そして右腕を上げて掌を京二に向けて翳す。

 「さっき、お前は『甘く見るな』と言ったな?」

 「?」

 「甘く見ているのはお前のほうだっ! 鬼神!!」

 澄んだ、高く鋭い音色が空中に響く。その刹那、稲妻の閃光が恵美と京二の間に虚空の轍を引く。鬼神の右手には天津剣の術で形成された雷の剣が握られていた。

 「糸繰りの術は私も少し嗜んでいます・・・その程度、見切れないとでも?」

 「そうか・・・そうだったな」

 ぱらり・・・と床に落ちる何か。目を凝らせば僅かに先端が焦げて黒くなった糸の様な物が見える。

 「ならば・・・こういうのはどうだ?!!」

 「はあっ!!」

 素早く腕を振り上げる恵美。だが鬼神は、彼女が技を放つより早く間合いに素早く踏み込んでくる。雷光の剣を振り上げる鬼神。

 「遅い!!」

 恵美はそう言い捨てると、合計六本の脚で床を蹴って飛翔する。軌跡だけを残し、虚空を切る雷。鬼神の一撃を軽やかにかわすと恵美は"空中"へ逆様に着地する。

 (糸を足場に・・・なら・・・!)

 鬼神の複眼は即座に状況を認識する。既に空中は彼女の"巣"であることを。張り巡らせた不可視の蜘蛛糸で巣を張り、それを足場代わりに着地したのだ。下手に飛び込むのは自ら罠に掛かることと同義。

 稲妻の剣を消し、代わりに胸の前で腕を交差させる鬼神。

 「焔花」

 ガシッ

 「えっ!?」

 炎の嵐を起こして周囲の巣を焼き払おうと試みた鬼神だが、それは為されず彼女の動きは静止する。突如、戦いの場と化したこの休憩スペースに割り込んできた人影が、彼女に抱きついたのだ。

 一瞬、影法師と思いかけた鬼神だが、すぐにそれが間違いであることを認識する。突如現れた乱入者・・・それはこのホールの来場客らしい一般の人間だった。しかし、その目に意識はなく、虚ろな眼差しだけが其処にあった。

 「な・・・なんだこいつら・・・?!」

 狼狽の声は何時も通り脈絡なく復活した京二からも上がる。其方の方へと目を向けると、彼女に抱きつく者と同様の、虚ろな目をした人々がこの余り広くない空間に詰め掛け始めていた。

 「"人形遣い"・・・それが私に与えられた異名。尸繰絃の術を操り、血肉を持ったまま人を傀儡と貸せるが故に」

 「呪法、尸繰絃(しかばねくりのいと)・・・?!」

 「知っているのか瞬?!」

 驚愕の響きを以って呟く鬼神。迫り狂う人間の奔流相手にコートで華麗にマタドールを決めながら京二は半ば条件反射的に問う。

 「もう使う人もいなくなって久しいと思っていましたが・・・死者の肉体に呪術で編んだ糸を接続し、霊的経路(チャクラ)に微弱な信号を送ることで、糸繰り人形の様に死体を操る術です」

 「成る程・・・蛙の解剖実験みたいなものか」

 京二同様、襲い掛かる傀儡人間たちを避けながら説明する瞬。

 「流石は鬼神・・・よく知っている」

 「ですが、尸繰絃は飽くまで死体を操る術・・・生きている人間の霊的エネルギーを操るに足る出力で信号を送れば、その伝達素材である糸が負荷に耐え切れず、切れてしまう・・・ですが彼らは間違いなく生きています」

 目に生気こそ宿らぬが、彼女の目は確かに彼らから呼吸音・心拍・体温・血流・生命エネルギーの反応を認識している。

 「何時までも我々が同じだと思うな・・・我々とて常に進歩しているのだ!!」

 付け根で合せ開いた掌を鬼神とは別の方向に向けると恵美は咆哮する。

 「錐雨!!」

 水滴が空中に発生し、次の瞬間それらは激しい弾雨となって人々に降り注ぐ。

 「くうっ・・・」

 跳躍する鬼神。彼女は自身の身体を術の斜線上に舞わせ盾にする。水の散弾が彼女の身体に激しく打ち込まれる。

 「く・・・」

 思わず漏れる呻きの声。力を分散させないまま彼女の身体に到達した術は思いのほか大きな衝撃を彼女の体内に打ち込む。しかしその反動を利用して空中で旋回すると、壁にヒールを突き刺して着地する。

 「天津剣!」

 鬼神は再び稲妻を生みそれを剣の形へと変える。何時もの様な太刀のようなサイズではなく、小太刀あるいは脇差と呼ばれる程度の短い刀身を持つ剣へと。

 「二刀ぉ流ぅっ」

 更に左手にもう一本形成される稲妻の剣。彼女は身を屈め、見据えると、ゾンビの群れの様に迫る人々の群れに突進する。

 「はああああああああああああああっ!!!」

 稲妻を帯びた真紅の影が人並みを駆け抜ける。鬼神が疾風のように行き過ぎると、直後それまで操られていた人々は意識を失い、崩れ落ちる。文字通り、操り糸が切られた人形の様に。一瞬にして、彼らを操る繰り糸を寸断して退けたのだ。

 「流石は鬼神・・・だが」

 「討つ!」

 進路を阻む人の壁はもう無い。鬼神は床を踏み切ると、倒れた人々を飛び越えるようにして直接恵美に切りかかる。しかしその瞬間、またしても視界に影が躍りこみ、彼女の進路を阻む。

 「な・・・」

 それは人間だった。いや、人間の女性の姿をしていた・・・と言った方が正しいだろう。それは彼女の前で姿を変える。頭が左右に割れて中からボウガンが出現し、猛烈な勢いで矢を放ってくる。

 「く・・・」

 咄嗟に雷の剣でそれを受け、そのまま振りぬいて頭部に生える弩を刎ねる。着地して改めてその人形を見つめる瞬。鼻腔に漂うのは微かに木材が焦げる独特の香り。それは精巧に人の形を模した物体・・・

 「アンドロイド・・・」

 「プラスティックと油に塗れたあの無粋な金属の塊と一緒にしないで貰おう。天然の素材を丹念に精製し、伝えられた巧の技で組み上げた機巧人形・・・西洋風に言えばオートマトンといったところだ」

 「要は人形遊びと言う訳か」

 京二は皮肉っぽくそう呟くが・・・

 
ザ・・・ザザ・・・ザザザザザザ・・・

 一斉に再び立ち上がる人々の群れ。しかし彼らの瞳に光が戻っていない。

 「糸は直ぐに張りなおすことが出来る」

 恵美はそう言うと、再び操られた人々を差し向けてくる。

 「くっ・・・」

 鬼神は襲いかかってくる人々の操り糸だけを狙い切り裂いていく。しかし、時折、その人の群れに紛れた"本物の人形"がそのギミック攻撃を仕掛け、彼女に傷を負わせる。

 ボウガンやチャクラムなどの飛び道具で攻撃してくるオートマトン。彼女にとってそれを避けることは容易い。だが、下手に避ければ流れ弾が京二を、人々を傷つけてしまう恐れがあった。

 「くそっ・・・どうにかならないのか?! 瞬!!」

 「せめてオートマトンだけでもどうにかなれば」

 八方塞状態に思わず叫んでくる京二だが、叫ばれた所で瞬にも対策は思い浮かばない。

 「お前のその目でも見分けられないのか?!」

 「生体反応が微弱な上に数が多すぎます! 時間をかければ出来ますけどこの混戦状況じゃ無理です!」

 「戦闘中にお喋りとは余裕だな!」

 不愉快そうに手を振り下ろし、指示を下す恵美。それと同時に前方三方向から矢が飛来する。右の剣で左の矢を切り捨て、右の肩アーマー・・・鬼衝角で右からの矢を弾き、前方から飛んできた矢を口で止め、矢尻を噛み砕く。

 更に前方から矢を追うように襲い掛かる傀儡。鋭く動く、しかし近接戦闘をしかけてくるそれは人か、人形か。一瞬の判断の惑い。返す刀で彼の全身に張り付く魔性の糸を切り裂く。だが・・・

 ズラァ・・・

 糸を切られた人形は動きを止めない。それは人ではなくオートマトン。肘から先が爆ぜて異様な色の刀が現れ彼女に向かってそれは突き出される。

 わき腹に一瞬走る鋭い痛みと、直後に押し寄せる熱。特殊な薬液・・・毒物が塗布されているのか、或は反呪詛の処理が施された刀か。

 何れにせよ殆ど問題ない。鬼神は左の雷の剣で人形の胴体を逆袈裟に切り下ろす。と・・・

 「!」

 
ドゴン!!

 爆発が起こる。鬼神と人形を中心に、ごく小規模の爆発が。いや・・・爆発がごく小規模だったのではない。薄く仄かに光る光の幕に閉ざされ、爆発が広域に広がらなかったのだ。

 「つくづく、納得させられる」

 半ば飽きれた様に呟く恵美。

 「先人たちが倒しあぐねた訳だ。まさか咄嗟に内向きの結界を張るとはな」

 「はあ・・・はあ・・・」

 炎が消え、鬼神が現れる。火力が限定空間に集中したため、彼女が帯びる傷は多い。長い黒髪も焦げて所々、パーマネント化している。

 (危なかった・・・)

 剣をオートマトンに撃ち込んだ瞬間、彼女の嗅覚を初めとした超越的な五感と、霊的知覚・・・第六感が危険を察知し、彼女に半ば反射的に防御結界の術・鏡宵明を行わせたのだ。自分を爆発から護る為ではなく、裏返すことで自分の周囲にのみ破壊を留め周囲に被害を出さない為に。

 「だが、神野江瞬・・・お前の代で鬼神は滅ぶよ」

 「なん・・・ですって・・・?」

 不意に放たれた言葉の真意を問い返す瞬。恵美は嘲る様に鼻を鳴らして言う。

 「鬼神が人を庇い、傷つくとはな!!」

 人並みを縫い、直接鬼神に襲い掛かる蜘蛛糸。鋭い切れ味を誇る繊維が彼女の四肢に絡みつき締め上げる。剣から受けた毒と、爆発のダメージで動きに精彩を欠いた鬼神にそれを回避することは出来なかったのだ。

 「冗談か何かと思ったが・・・本当だったようだ」

 糸によって紡がれ宙に舞い上がる鬼神の身体。

 「かつて鬼神とは無慈悲な殺戮マシーンだったと聞く。我々落天宗のみならず妖怪・悪霊・・・闇に棲む存在と見れば一切の私情を交えることなく最短最速の手段を選択し、それによって生じるどれ程の犠牲も厭わず、その圧倒的な力を持って破壊を遂行してきた。氷の様に冷たく、しかし炎の様に淡々と焼き尽くす力・・・それこそが我々、陽食の民の悲願を専念以上に渡って阻み続けたものだったはずだ・・・だが、神野江瞬。貴様は違う・・・いや、変わってしまったようだ。情に流され勝機を逃す俗物へと」

 やや興奮した風情で語る恵美の言葉を瞬は静かに聴いていた。だが、やがて・・・

 「それが・・・いけませんか?」

 彼女は静かに問い返した。

 「誰かを思い・・・誰かを護ることを目的として戦い・・・その過程で私が傷つく。それがいけないことですか?」

 「な・・・?!」

 今度は恵美が瞬の答えの意味を理解できない。だが瞬は、それを無視して言葉を続ける。

 「貴方の言うとおり私は俗物・・・一人の人間に過ぎません。ですが、無慈悲な殺戮機械でなく人間だからこそ、私には支えてくれる人がいます。支えてくれる人がいる限り、私は倒れません」

 「戯言を!!」

 「焔飛燕!!」

 指を弾く瞬。生じた火花が燃え上がり、それが鳥の姿を取りながら恵美に向かって襲い掛かる。だが、その炎の軌跡の先に立ち塞がる傀儡。

 「うおおおおおおおっ」

 ブチブチブチィ!

 「なにっ?!」

 鬼神は咆哮を上げると糸を引きちぎり、火の鳥を追走して立ち塞がった人形めがけて突進する。そして背中から炎を人形に押し込むように叩き付ける。

 「鏡宵明!!」

 
ドゴン!!

 再び球状の炎。結界に閉ざされた内側で起こる威力の集中した爆発が、今度は恵美をも巻き込んで造り出された。

 炎の中から二人の女戦士が再び現れる。

 「き・・・きさま・・・」

 怨嗟の呻きの様な声を上げる恵美。対して鬼神は平然とした調子で言う。

 「・・・貴女が喋っている間に見抜かせていただきました」

 そう言う彼女の目に幾条もの光が走る。左右の複眼だけでなく、額に備わる単眼も、だ。対峙した敵を高速で解析する際、彼女の目はしばしばこう言った発光現象を起こす。

 「貴女は人形を自在に操ることは出来ても、仕掛けられた爆弾までは起爆できない」

 「ば・・・馬鹿な・・・」

 「自由に起爆できるならわざわざこんな手の込んだことをしなくても、一般人に紛れ込ませ変身前の私に近付かせれば、簡単に目的は達成できるはずです。恐らく人形を造り、それを操るまでは一連の術なのでしょうけど、爆弾は後付けの機能・・・違いますか?」

 「く・・・」

 押し黙る恵美。それは鬼神が言った言葉が図星であることを意味していた。人形に取り付けられた爆弾は飽くまでトラップ。最初から爆発させる目的で取り付けられたものではなかった。遠隔起爆スイッチも有るには有ったが、一括処分のためのものであり、この場でそれを行えば恵美自身も危険だった。

 「私は後、三十は耐えられます」

 「何・・・?」

 不意に放たれた鬼神の言葉を恵美は理解できなかった。

 「私はこの程度の爆発なら三十回耐え切れると確信しています。貴女は何度ですか? 恵美さん」

 「馬鹿な・・・」

 愕然と呟く恵美。

 「さっきの方法で・・・機巧人形全てを破壊するつもりか・・・!?」

 「ええ。それが一番、安全だと思いますから」

 答える瞬。その声は穏やかで、尚且つ固い覚悟の意志を秘めている。自らも死の危機に晒す危険な賭け。それを平然と行おうと試みる鬼神に恵美は激しい戦慄を覚える。

 「貴様・・・正気か・・・?!」

 「痛みに耐えられる人間が痛みに耐える・・・それの何処に可笑しい所がありますか?」

 「っ・・・!」

 上擦った口調で問う恵美に、対して静かに質問で返す鬼神。彼女は自らがこの先、自分が採る行動に一切の疑問も、躊躇も抱いていなかった。それ故に、彼女の言動を恵美は理解することは出来なかった。そして次に彼女が発した言葉は、より一層恵美の理解の範疇を超えるものだった。

 「・・・退いてください。久々津恵美さん」

 「何・・・?」

 「貴女がこれ以上人々を傷つけ、私たちに敵対するというのなら・・・私達は貴女を殺さなければなりません。ですが・・・ここで退くというのなら、私は貴女を追ってまで攻撃するつもりはありません」

 「見逃す・・・というのか・・・?」

 「婉曲表現を使わなければ、そういうことになります」

 鬼神の言葉に沈黙する恵美。しばらく、彼女は鬼神の顔を六つの赤い瞳で見ていたが、やがて其処に激しい光が灯る。それと同時に・・・
「ふ・・・ふざけるなッ!!」

 激昂の声を上げる恵美。

 「見逃すだと・・・? 殺すつもりはないだと・・・? ふざけるな、神野江瞬! そして私を侮るなッ!! 私は誇り高き落天宗の戦士久々津恵美だぞ!! 殺されるのはわたしではなく貴様だ!! そして私は貴様を見逃しはしないッ!!」 

 激しい怒りを絶叫に変えて噴き出す恵美。

 「四の五の考えるのは止めだ! 貴様を殺す!!」

 それと同時に再び襲い掛かってくる傀儡と化した人々。しかし鬼神は宣言通りその一体に狙いを定め、顔面を掴み、群集を擦り抜けていく。数が多いとは言え、鬼神に比べて速度は格段に遅く動きも単調・・・既に動作パターンを読み取った彼女にとって、軽やかに避け恵美に直接攻撃を掛けるのは容易いことだ。

 「私は・・・! 警告しました!!」

 「舐・め・る・な!!」 

 恵美は吼えると妖力を両の掌に集め、術をくみ上げる。

 「内海時化(うちうみのしけ)!!」

 術が創造した超物理エネルギーが解き放たれる。それは光学的に捉える事は出来ないが、確かに其処に在り、鬼神に向かって飛んでくる。鬼神の目はそれさえも見ることが出来たが、彼女は先ほど同様に回避行動を取らず、自らの身体で受け止める。

 一瞬、閃光が迸る。それは恵美が放った術の呪術効果と、鬼神のレジスト能力の激突によって放たれる余剰エネルギー。拮抗は一秒にも満たない。

 「私は負けるわけにはいかん!! あの方のためにも!!」

 「!!」

 恵美の言葉に一瞬の動揺を見せる鬼神。それが隙となり押し切られる対呪術抵抗力。見えざる呪いの牙が彼女の身体に深々と食い込む。

 「う・・・くぁぁぁああっ!!」

 激しい痛みが全身を駆け巡る。術が彼女の鬼神を捉えた直後、彼女の体内で何かが暴れ始めたのだ。それは全身の筋肉を引き裂き、骨を押し潰す様な感覚。何かが彼女の中で破壊の意思を持って蠢きだしていた。

 「こ・・・これは・・・まさか・・・水を・・・?!」

 「そうだ!! 鬼神とはいえ、元は人間! 人体の七割を占める水が貴様の身体を引き裂く!! 見えざる糸で万物を傀儡と化す! これが人形遣い、久々津の真髄だ!!」

 「ウ・・・ああ・・・あああああっ」

 鬼神の全身が異様な形状に歪み、血管が木の根のように浮かび上がり脈打つ。

 「強固な生体装甲に守られた貴様も、内側から、それも命を司る水に攻撃されたのではどう処することも出来まい!! そのまま内側より水に食い破られるがいい!!」

 「瞬!!」

 「!」

 鋭く響く京二の声。鬼神は痛みを堪えながらも彼の方を見る。京二は胸に手を当てると叫ぶように言う。

 「雷だ!!」

 「は・・・はい!!」

 短い言葉を鬼神は即座に理解したらしい。鬼神はカッと掌を開く。

 「ぐ・・・う・・・ううううううっ」

 その五本の指の間に黄金の光が走り、稲妻を生み出す鬼神。だが、それは太刀の姿にも小太刀の姿にも、また弓の姿にも纏まることはなく、無数の放電となって辺りに飛び散っている。

 「ははは! 無様だな、鬼神!! そして哀れな姿を晒したまま死ね!!」

 「ぬ・・・ああああああああああっ!!」

 しかし鬼神は、稲妻の帯びた掌を恵美にではなく自らの胸に叩きつける。全身に金色の電光が無数に走り、髪の毛が逆立つ。

 「馬鹿な・・・自分の身体に・・・?!」

 自殺行為・・・一瞬そう考えた恵美だが、それを指示した京二の余裕ある表情にそれが間違いであることを察知する。スパークは、未だに彼女の全身で起こっているが、内側から彼女を苛んでいた水のうねりは何時の間にか収まっている。

 「な・・・」

 「あなたの同胞が教えてくれた戦い方です。京二さんが思い出させてくれました」

 絶句する恵美に静かに答える鬼神。間も無く恵美は思い至る。

 「! 阿吽雷雲か・・・!」

 「はい。彼らの連携技・・・水の流れを電気で操る・・・言うのは簡単ですが、自分の身体で試して成功するかどうかはちょっとした賭けでした」

 「狂っている・・・」

 「見た目より無茶をしているつもりはありませんけど・・・ねぇ、京二さん」

 相槌を求められると京二は口笛を吹き鳴らし、指を振って言う。

 「ああ。ま・・・その無茶、日本じゃあ二番目だろうからな」

 「ええ・・・あの人には勝てません」

 恐らく笑っているのだろう。瞬はそういって頷く。鬼神は以前脊髄を切り裂かれた時、同じように体内に電流を流し神経パルスの代替をさせたことがある。それを覚えていた京二は、同様に電流を操ることで電磁的な流体制御が可能であると閃いたのだ。

 「く・・・流石は鬼神だ・・・だが・・・」

 苦虫を噛み潰す様な恵美の声。感情の色がより濃く言葉に篭る。

 (これは怒り・・・いえ・・・)

 「私は負けるわけにはいかん! あの人のためにも!!」

 (・・・やっぱり)

 恵美の身体から放出される力が急激に膨張していく。彼女の思いに呼応して。

 ドクン

 何かが、この空間の何処かで脈打つ。

 「・・・?!」

 「!!」

 異変を察知する京二と鬼神。そして、その直後だった。

 「ウオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 ドクン ドクン!!

 「・・・っ?! あ・・・くぅ・・・?!」

 ドクン!! ドクン!! ドクン!!!

 「・・・っ・・・ガッ・・・ぐぅっ・・・?!」

 彼女が突然、頭を抱える様にして苦しみ始めたのは。






 久々津恵美。年齢は二十三歳。落天宗が擁する妖人の一人。融合している妖怪は、人間の女性の身体に蜘蛛の肢を持った妖怪、女郎蜘蛛。派閥は急進派に属し、組織内での格付けは中堅クラスの上層に位置する幹部候補の一人。だが、彼女の地位は、彼女の属する派閥、彼女の年齢から考えて異例の速度での昇進といえた。何故ならば、急進派に属するものの多くが純潔の陽食一族でないため、彼らの活動意欲の原動力になっている大和民族への復讐心が薄く、そのため自己鍛錬の精神に欠けるため能力の成長が遅く、若年時に戦死してしまうことが多い。結果、急進派の上級クラスは年齢が高いもので占められてしまうのだが、彼女は違っていた。彼女は、常に自らの鍛錬を怠らず、また術のみ、妖人としての特殊能力のみと偏ることなく、両方の研鑽を繰り返し、既に扱うものがいなくなって久しい古呪術も体得した。実戦における戦果も優れたもので、他の地下組織の改造人間を何人も葬り、陰陽寮のスタッフにも犠牲者を出している。
 この、急進派らしからぬ特長は、彼女が生来の急進派でないことを意味している。本来彼女の生家である久々津家は人形師の一族として代々人形神楽を行ってきた保守派に属する家系だった。『祭』を組織の軸に据える落天宗に於いて久々津家は少なくとも、裕福と呼ばれるだけの資産を抱える名家の一つであったが、それも彼女の先々代、即ち彼女の祖父の代で終わりを告げる。彼女の祖父は、有り体に言えば「マッドサイエンティスト」そう呼ばれる類の人間だった。より強く・・・より大きく・・・彼は代々伝わる人形技術に取り憑かれ、次第に巨大な、そして強力な機巧人形を作り出していった。最初のうちは・・・戦力として喜んでいた落天宗だが、次第に彼の狂気は常軌を逸し始める。
 呪力をその動力源とする久々津家の人形・・・やがてそれは、力を得る為に妖人そのものを喰らい動くような代物へと変貌を遂げる。彼の狂気に上層部が気づいたときは既に遅く、十数人の妖人がその人形に喰らわれ、その血液は歯車輪を回す動力源へと化していた。製作者さえ自らの餌としたその人形は、恐るべき戦闘力をもって暴れ狂ったが・・・最終的に祭司達の手で完全に破壊され、その設計図は封印。試作型は解体処理が行われた。結局、この事件で死亡した妖人は餌となったものを含めて八十三名。重軽傷者は3百名に及ぶ被害を出し、その責任によって恵美の父親は死刑。財産も没収され、後継者である恵美も叛乱を考慮し、永久投獄される筈だった・・・
 だが、それを救ったのが、久々津家とは古い付き合いがあり、恵美の母親の遠縁でも会った木亘理家の当代・・・木亘理盛雄だった。彼は、恵美を幼い頃から妹のように可愛がっており、当時既に幹部だった彼の根回しにより大幅な減刑が行われ、彼女は救われたのだった。
 それ以来、彼女は急進派の一員として・・・しかし、命を救ってくれた木亘理の恩に報いるため自己鍛錬を続け、遂に、彼女の出自や年齢を跳ね除け、幹部候補にまで上り詰めることに成功したのだった。そして、彼女にそれを成さしめたのは、単に恩義からだけではなかった。木亘理盛雄・・・彼は決して優れた人間性を持つ男ではなかったが、彼女に対しては優しく、そして大きな存在であった。即ち彼女は・・・





 ざわざわざわ

  ざわざわざわ

   ざわざわざわ

 自らの迂闊さを呪う鬼神。周囲に張り巡らされた糸と傀儡に気を取られ、恵美の身体に起こっていた変異を完全に見落としていたのだ。恵美は頭を抑え、悶え苦しんでいる。彼女の全身を覆う甲殻の皮膚には無数の亀裂が走り、赤黒く血が滲み出している。

 「興奮しすぎて血管プッチンしたか・・・?」

 「いえ・・・違います!」

 京二の場違いに場をおちゃらかす台詞を否定する鬼神。例によって彼女の目は、既に恵美の体内を蝕む変異を克明に捉えている。潮の満ちに合わせ波が浜を蝕む様に、久々津恵美を構成する"モノ"が変貌していく。

 「妖怪の力が・・・彼女の身体を侵食しています・・・!!」

 鬼神・・・瞬にはその現象に見覚えがあった。最も、『彼女』の体験ではない。『彼女以前に鬼神となったもの』の記憶が、この状況に喚起され彼女の中で再生しているのだ。

 「これはキャパシティを越えた妖力を行使したことによるオーバーロード現象です。本来の彼女が持つ以上の力を連続行使した上に精神的安定に失調を来たした為、妖人の力の根源である妖怪の魂との融合が彼女自身の自己保存限界を上回る形で進行し、融合の制御維持を行っていた咒符チップが過負荷によって破損したんです」

 「要するに堤防が決壊したと・・・そういうことだな」

 「はい・・・そうなれば霊体総量の絶対値で上回る妖怪の魂は最終的に彼女のパーソナリティさえ飲み込み、媒介となる彼女の肉体そのものを変質させながら通常空間に現出します。つまり、女郎蜘蛛の妖人から、妖怪・女郎蜘蛛そのものへ変化するんです」

 「ば・・・馬鹿な・・・」

 歪に変形していく恵美の身体。まるで自分の身体に起こったことが未だに信じられないように彼女は愕然と呟く。

 「恵美さん、変身を解除してください・・・今なら未だ戻って来れる筈です」

 「ぐ・・・がああ・・・私は・・・私は力を・・・授かった・・・筈だ・・・」

 「どのような処置が施されたのかは知りませんが、それは多分錯覚です。もっと早くに気づくべきでした。本来、尸繰弦が、死者を数名しか操れないのは技術的な問題よりも、出力的な問題からくるもの・・・それにも拘らず、三十人も、その上意識を奪っているとはいえ生きたままで操るなんて祭司クラスの方でも単独では不可能です。しかし貴女の妖力は決して祭司に到達していない・・・平均よりやや上のレベルでしかありません」

 「そ・・・そんな・・・そんなことが・・・く・・・あ・・・ぐああ・・・」

 更に進行する恵美の変化。彼女の身体から放出される圧迫感が増し、床を、天井を、壁を蜘蛛糸が覆っていく。急激な変化の苦しみに悶える恵美の肩を彼女は掴み呼びかける。

 「早く戻ってください! 闇に心も身体も食べられるつもりですか!!」

 「ぐううっ!! 出来る・・・ものかッ!!」

 バッと鬼神と恵美の間に赤い飛沫が舞う。恵美が振り下ろした脚の一本が、その先端に付いた鎌が、鬼神の胸を切り裂いた。最早、意思とは関係なく、妖怪と化しつつある彼女の肉体が反射的に攻撃を行っているのだ。

 「がああ・・・ああっ!!! 私は・・・あの人の思いに・・・応えなければならない・・・グ・・・ウ・・・グアアアッ!!」

 「う・・・く・・・くうう」

 「瞬!!」

 「大丈夫・・・です」

 赤い生体装甲を一際赤く染め抜きながら鬼神は京二に応える。繰り返し振り下ろされる鎌に、既にいくつも傷が彼女に刻み込まれていた。だが、鬼神はそれでも恵美の肩を離さない。その様子を京二は、不安な表情を見せるのではなく、強い自身に満ちた目で見据え、親指を立てて言う。

 「ファイトだ、瞬!!」

 「はいっ!!」

 頷く鬼神。そして彼女は力を集中し恵美に向かって注ぎ始める。外部から直接妖怪の魂部分に干渉を行い、侵食率を減衰させようと試みているのだ。

 「あ・・・あぐ・・・な・・・何故だ・・・」

 「え・・・?」

 苦悶と嗚咽。それに突然疑問の言葉が混じる。

 「何故お前は・・・敵である私に・・・手を差し伸べる・・・?」

 「それは・・・貴女も、私と同じ人間だから・・・」

 彼女は優しく囁く様に、まるで子守唄を歌うように、恵美に向かって言う。

 「私は・・・妖人だぞ・・・妖人を滅ぼすのが・・・貴様の・・・使命ではないのか・・・?」

 「それは"鬼神の"使命であって、"私の"使命ではありません。私の使命は、人を護る事です」

 「私が・・・私が・・・人間だというのか・・・こんな・・・歪に捻じ曲がった私が・・・っ!!」

 「貴女にも大切な人が・・・守りたい何かがあるでしょう?」

 「う・・・あ・・・ぐう・・・」

 思い起こす恵美。大切な人、守りたいもの・・・自身にとってのそれは・・・

 「それがある限り・・・貴女は私にとって護るべき人間です」

 「ぎ・・・偽善をぉ」

 「・・・偽善でも、かまいません。ただ私は、私と同じように誰かを好きになって、誰かを大切に思う人を、護りたいだけです。見捨てるのは・・・きっと諦めることと同じだから」

 「・・・」

 無表情な仮面の奥に、恵美は瞬の素顔を見たような気がした。顔を赤く染め、目に涙を溜めた彼女の素顔を。それは朦朧とした意識が見せた幻影だったかもしれない。あるいは注ぎ込まれた彼女の力を通じ彼女の心が意識に投影されたのか。

 「だから諦めないで下さい! 意識を強く持って! 貴女が貴女である事を捨てないで!!」

 「ぐ・・・くうううっ・・・」

 意識を引き戻そうと試みる恵美。怪物から人間へ・・・だがその時、虚空より声が響く。それは悪魔の声だった。

 『戻られては困るな』

 「?!!」

 「き・・・木亘理様・・・」

 それは恵美にとって聞き覚えのある声だった。彼女が主として使える男・・・そして・・・

 『悪いが久々津、君にはそこで死んでもらう。魔醒血の副作用を連中に知られると少々困ったことになるからね』

 「な・・・」

 言葉を失う恵美。虚空から響く声は彼女が回復するのを待たず、言葉を告げる。

 『無論、君の死には名誉の花を添えさせてもらうから心配しないでいい』

 「そんな・・・私は・・・私は貴方のために・・・貴方が思いに応えてくれると言うから・・・実験台となり・・・鬼神に戦いを挑み・・・命を賭けたのに・・・」

 『相変わらず鈍いな、恵美』

 悲痛な叫びに対し呆れた様な、そして嘲る様な不快な響きの声が虚空から返ってくる。

 『だから、命を賭けて鬼神を倒してもらう・・・そう言っただろう? 大丈夫、何も難しいことは無い。君はただ後五分、そこに鬼神を足止めしてくれるだけで良い』

 その瞬間、辺りに倒れる傀儡の中から一斉に、カチリという硬い音が響く。

 「まさか・・・木亘理様・・・爆弾を」

 『ハハハ、思ったより察しが早いじゃないか。そう・・・この状況下なら、今の鬼神は結界を内向きにして自分に火力を集中させるしかないだろう? これなら幾ら鬼神とはいえ消し炭も残らないだろう』

 そして響き渡る哄笑。その瞬間、銃声が響き、倒れる傀儡の一体が砕けた木片を散らす。内部には壊れかけた通信装置。京二が怒りの形相で銃口から紫煙を漂わせていた。

 『ザ・・・これは・・・これは・・・ザザ・・・伊万里様ではありませんか・・・相変わらずデンジャラスなお方ですね・・・もしも爆弾が暴発したらどうするおつもりで?』

 ノイズ交じりの不明瞭な声。しかし、人を食ったような皮肉っぽい響きだ。しかし京二は頭を振るとニヤリと口元のみに笑みを浮かべて答える。

 「悪いが心配無用だ。あんた木亘理とか言ったな?」

 『ええ。ザザ・・・黄泉孵り作戦中に一度お会いしましたが・・・』

 「あんたの声は覚えた。女心を弄び犠牲を強いる様な外道を俺が許さん」 

 淡々とした口調。京二の顔も、口調も何時もと変わらぬ静かな自身を湛えた笑顔だった。だが、瞳孔が大きく開いたその瞳の奥には確かに怒りが炎となって煌々と燃えている。京二は人形を指差すと通信機を通して遠く離れた彼方にいる木亘理に継げる。

 「覚悟しておけ・・・あんたは俺が必ず後悔させてやる。道を外したことを・・・この世に生まれ出でたことを。俺を怒らせたことを! 女を裏切ったことをだッ!!」

 『フフ・・・恋人の影に隠れているような貴方に何を言われる筋合いも無いとは思いますがね。まあ・・・良いでしょう、覚えておきますよ』

 「ああ・・・じゃああんたは俺が殺す。この俺の手で、な」

 拳を握る京二。らしからぬ怒りを込めたその雰囲気に、瞬は不安そうに、恵美は呆然と彼の姿を見つめる。

 「京二さん・・・」

 「伊万里・・・京二・・・」

 対して人形越しに返ってくるのは嘲り。

 『ハハハ・・・竜王の力から逃げた貴方にそれが出来るとは思えませんがね。ま、いいでしょう・・・徒労を好むなら頑張られて下さい』

 「・・・逃げたのはお前達だろう。闇に逃げたのは!」

 『フ・・・どう思おうが個々人の勝手でしょうが・・・それについて論議している場合では無いと思いますよ? 私も・・・貴方も・・・ほら、もう後四分足らずで爆発しますよ?』

 「く・・・」

 京二は腕時計に目を落とす。リミットは告げられた時間から数えて残り三分四十三秒。

 『では・・・私も執務がありますので、これで。では御機嫌よ「木亘理様!!」

 別れを告げようとする木亘理の言葉を恵美の叫びが遮る。

 「嘘だと・・・嘘だと言ってください! 神野江瞬に投稿させるためのブラフだと言って下さい、木亘理様!!」

 悲痛な訴え。部下として、女として信じて来た者に裏切られた恵美の顔は青ざめ、目の淵には涙が溢れんばかりに溜まっている。しかし鬼気迫る彼女の言葉は届かないのか、返ってくる答えは沈黙。やがて、ノイズに混じり木亘理の声は響く。

 『フフフ・・・恵美。私が君に嘘をついたことがあるかい?』

 「・・・!」

 父の様に、兄の様に接してきた者が往々にして使用するこの言葉は、今の状況下には余りに不似合いだった。だが・・・その言葉は、本来の状況で使用されたのと殆ど変わらない効果を彼女の精神に及ぼした。最も、ベクトルは180度逆向きであったが・・・

 『それから聞かれなかったから教えなかったけどね』

 そして、木亘理は更なる残酷な事実を彼女に伝える。

 『私はね、君みたいなコを他に何人も飼っていたんだよ。父親がスパイだった火輪小枝。秘宝を盗んで駆け落ちし結局処刑された兄を持つ桐谷芳子。敵組織のウィルス攻撃を受け保菌者となって多くの被害者を出した母を持つ東海林暁・・・みんな私の良い手駒になってくれたよ。ま・・・みんなもう死んでしまったがね』

 「不幸な境遇のコばかりだな・・・」

 『ククク・・・流石は伊万里殿、良い所に目を付ける。私はね、不幸な境遇の女の子が大好きなのさ。特に家族の所為で凋落した寂しい薄幸の少女たちが、ね。今風に言えば萌えると言うのかな? ククク・・・そして不幸になった女の子が再び幸せを掴み掛けた所でまたどん底に落ちていく様が大好きなんだよ』

 「な・・・」

 最早、恵美の顔は死人のように青く、涙はボロボロと頬より零れ落ちていた。人形から高笑いが響く。

 『ハハハハハハハハハハ! それだよ恵美! その顔を見るために随分とまあ手間を掛けさせてもらったよ!!』 

 「まさか・・・祖父を狂わせたのも・・・!」

 『ほう・・・察しが早いな! その通りだよ・・・君のお爺様を狂わせたのも、小枝の父親を間諜に仕立て上げたのも、芳子の兄をそそのかしたのも、暁の母親の感染を知らせなかったのも・・・全ては私の差し金さ・・・! 私の大好きな不幸な少女を作り出すための、な!!』

 「そんな・・・そんな・・・貴方が! 貴方がッ!!」

 『やはり待った甲斐があったな! クククク・・・最高だ! リビドーが満たされる!!』

 「嘘だ・・・嘘だ!! 嘘だァァァアアアッ!!!」

 絶叫する恵美。しかし、冷徹に、冷酷に、木亘理の声は響き渡る。

 『言ったろう・・・私は君に本当のことしか言わない・・・とね』

 「うわあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ」

 鬼哭。涙が流れ落ち、激しい叫びと共に彼女の全身に皹が広がっていく。

 『ハハハハハ! 愛していたよ恵美! 君の事は忘れない・・・じゃあ、さようならだ』

 「・・・木亘理さん」

 『!・・・これは黒髪の戦姫、鬼神殿。どうなされましたかね?』

 名前を呼ばれ、少し意外そうに返す木亘理。瞬は彼を呼びつけたが、数秒の間沈黙し、やがて・・・

 「貴方は・・・いいえ、なんでもありません」

 『?・・・ま、いいでしょう。では、あなた方の最期の有様は後ほどゆっくり拝見させて頂きますよ』

 何故か口籠った鬼神に木亘理は疑問符を浮かべると、あまり興味を覚えなかったのかすぐに納得する。

 『では、今度こそ御機嫌よう。最後の二分強、楽しまれてください』

 そしてその言葉を最後に途切れる木亘理の声。後には恵美の啜り泣きのみが響く。

 「くそっ・・・」

 壁に拳を叩きつける京二。爪が掌に食い込んで血が滲み出している。

 「そんな・・・そんな・・・あんまり・・・だ・・・」

 「恵美さん!!」

 絶望に支配された恵美の身体には亀裂が縦横に走り、今にも砕け散りそうになっていた。そしてその亀裂から噴き出してくる瘴気。既に彼女の完全な妖怪化は避けられないかと思われた・・・だが・・・

 「大丈夫」

 「え・・・?」

 驚きの声を上げる恵美。京二が、そっと優しく彼女を抱きしめたのだ。

 「京二さん・・・?!」

 鬼神もまた何か言いかけるが、遮る様に差し出された彼の赤く染まる掌に、押し黙る。京二はニッと笑うと言葉を続ける。

 「だぁいじょうぶ・・・俺はあんたの味方だ。だから大丈夫だ。戻って来い・・・そんなナリじゃ、折角の美人が台無しだ」

 「やめろ・・・貴様は・・・私たちを裏切った・・・」

 「俺は伊万里京二さ。それ以外の何者でもないよ。伊万里京二はイイ女の味方だ」

 「嫌だ! 私は・・・私はっ!! 優しくするな・・・! お前も・・・お前も私を騙すんだ・・・!!」

 バシュッ!!

 「京二さん!!」

 鮮血が飛び散り、辺りを赤く染める。悲鳴を上げる鬼神だが、京二は尚も手でそれを制止する。

 頭を抑え、脚を出鱈目に振り回し、錯乱状態に陥る恵美。彼女はもう、うわ言の様にただ悲痛な声を上げ続けるのみ。

 「もう嫌だ・・・男なんて・・・もう・・・私に近づくな・・・私を傷つけるな・・・」

 足先についた鎌が空気を切り裂く。直撃すれば人間の首さえ刈り取りそうな刃の嵐の中を、京二は平然と掻い潜り恵美に近づいていく。今にも飛び出し、彼の足を止めようとする鬼神にただ微笑み「大丈夫だ」と告げて、彼は進んでいく。

 腕に切り傷が刻まれ、髪の毛が飛び、耳たぶが割れる。頬にも傷が浮かび、スーツの前が裂けて血が噴き出す。だが京二は、それでも歩みを止めない。

 「男が誰も彼もあんな外道とは思われたくないからな」

 しれっと平時の行動を棚に上げつつも、真剣な眼差しで、しかし優しい顔で彼は再び恵美の間近に迫る。

 鬼神は思い返し、胸が痛くなるのを感じる。

 そう・・・京二という男はこうなのだ。誰かのため・・・特に女性のためならば、そして常に自身の主義に則った生き方をするためならば、どんなに自身の命が危険であろうと、それを貫く男なのだ。何時もはブラフやハッタリばかりで惑わすことばかりやっている男だが、こんな時だけは彼も本気で真剣なのだ。鬼神・・・瞬はそんな生き方に惹かれ、またその危なっかしい彼の生き方を守っていかなければと、彼女は心に決めたのだ。

 だが、だからこそ、心が痛かった。彼を独占したいと思う「恋人としての瞬」と、彼の行き方を支え守っていこうと誓う「仮面ライダーとしての瞬」が互いにせめぎ合い、場違いだと解っているのに、心に痛みを与え、何も考えられなくしてしまう。

 「あんな男なんて忘れてしまえ。悲劇に悲観するな。確かにあんたの境遇は不幸で絶望的だ。だけど、それで自分がもう駄目だ、なんて思ったらそれこそお終いだ。大丈夫・・・あんたより辛い目にあって、それでも立ち直れる奴だっているんだ」

 「え・・・?」
 「其処にいる瞬だって、自分の親父さんに殺されかけ、更にその親父さんを殺したヒトに育てられたんだ。だけどあいつはシッカリいい女になってる。何せ俺のマイハニィだからな。だから大丈夫・・・あんたなら立ち直れる」

 「京二さん・・・」

 「苦しいこと、辛いことがあんたを磨き、綺麗にしてくれる。そうなれば、あんたなら本当にいい男を選り取りみどりだ・・・あんな外道なんてなんでもないような本当にいい男が見つかる・・・絶対にだ!!」

 「本当に・・・か?」

 「ああ! 日本を代表する天才超考古学者、伊万里京二が言うことだ。間違いないさ・・・だから、諦めるな」

 優しく、静かに響く京二の言葉。やがて・・・彼女の内側で起こっていた胎動は静かに収まり・・・ひび割れた女郎蜘蛛の体表はバラバラと零れ落ちていき、中からは本来の恵美の姿が、涙を激しく流しながら現れる。

 「う・・・ううぅ・・・うぁぁぁああああん・・・」

 青く燃える残骸の中で、恵美は京二にしがみつき、泣いた。

 (後で怖いなぁ・・・)

 そして京二は格好付けすぎたことに内心後悔し、仮面ライダーの名前が現す通り仮面の様な無表情な鬼神の顔をちらりと見るが、彼女はそれに気づくとぷいと目を逸らす。後で御機嫌取りが大変そうだが、まあそれも恋愛関係の妙味というものだ。

 残された時間は既に一分を割っていた。





 さて・・・一方で本韻元宗は。

 遠くに見えるのは再建が始まった東京タワー。四月に破壊されたビルも、随分と修復が終わっている。空は青。風はひどく冷たい。

 【屋上】・・・振り返れば出入り口にはそう書いてある。

 「道に迷ったァァァァ!!!!!!!!!!!!」

 『アホだにゃあ』

 『アホー』

 白い猫のような生物と、黒いカラスの声が寒空に響かなかった。






 55秒

 「で・・・どうする? 全員運び出している時間はないぞ」

 52秒

 「私に考えがあります・・・恵美さん」

 「え?」
5
 0秒

 「死にたい・・・ですか?」

 「・・・! 私は・・・」

 「早く・・・応えてください」

 45秒

 「私は・・・死にたくない・・・!!」

 「結構です。では、私の周囲にオートマトンを。人々は遠くへ離し解放してください」

 「な・・・貴様は・・・」

 「いいから早く。生きたいなら、急いで!!」

 40秒

 「く・・・薬が切れた・・・もう・・・」

 「大丈夫・・・貴方なら出来ます。忘れないで。貴方は京二さんが信じた人なんだから」

 「よくわからない・・・だけど!!」

 36秒

 「よし・・・グッジョブだ!!」

 「はあ・・・はあ・・・無茶を・・・させる・・・」

 「御免なさい。時間がなかったから」

 「大体お前は見破っていたんだろう・・・?」

 「・・・はったりです」

 「な・・・?!」

 「でぇっ?!」

 30秒

 「あんなに早く見破れるわけないじゃないですか。京二さんの受け売りです・・・驚きました?」

 「瞬・・・心臓に悪いぞ・・・」

 「何時もハラハラさせられるお返しです・・・さ、離れてください。余波が出ないか私も自身がありませんから」

 「どうするつもりだ・・・?」

 「さっき言ったとおりですよ・・・結界を逆向きにして、防ぎます」

 24秒

 「瞬・・・結界を二重にして内側は通常通りに出来ないか?」

 「・・・二重だと力が分散しちゃいますし、複雑になりますから巧くいかないかもしれません。ですから・・・」

 「だが・・・」

 「大丈夫ですよ・・・京二さん。私は鬼神・・・仮面ライダー鬼神です。京二さんがくれた指輪もありますから、これくらい大丈夫です」

 20秒

 「そうか・・・なら・・・」

 「京二さん・・・? は・・・離れてください!!」

 「大丈夫なんだろう? だったら俺がここにいてもいいじゃないか、な?」

 「ちょ・・・何やってるんですか! 恵美さん・・・京二さんを!!」

 15秒

 「無理だよ・・・その男を動かすなんて。それに私も、もう動けない」

 「そんな・・・」

 「フフフ・・・しゅぅ〜ん、自分だけ痛い目見るのを諦めるんだな。俺に痛い目見せたくなければ・・・わかるな?」

 10秒 

 「脅迫です。もう・・・頑固なんですから」

 8

 「瞬、お前には負ける」

 6

 「さっきの件も含めて後で覚えておいてくださいね、京二さん」

 5「フフフ・・・楽しみにしておこう」

 4「もう・・・もう・・・」

 3「さ・・・頑張れ! 瞬!!」

 2「はいっ!!」

 1「!!!!!」


 怒轟音(どごおん)



 炎が煙に変わり、やがてそれも溶けて消える。火災報知器が作動し、警報ベルが声高に鳴り響く。

 「うぇっふぉん・・・」

 毬藻の様な髪型の眼鏡と顔を煤けさせた男がわざとらしく咳き込み、口から煙を吐き出す。そして彼はその出で立ちで眼鏡をクイと上げ格好付けると歌うように呟く。

 「フ・・・暴れん坊の羊は眠りな」

 「暴れん坊なのは羊じゃなくて京二さんの頭です。何やってるんですか」

 珍奇な言葉を発する京二に対し冷静な声で入る突っ込み。京二は詰まらなそうに唇を尖らせると、頭についた巨大な黒い毬藻を外しながら答える。

 「いやさ・・・爆発したらアフロだろうと思ってね」

 胸ポケットからハンカチを取り出して顔についた煤を拭き取りながら京二は余り応えになっていない答えを返す。

 「と言うか何時の間に装着したんだ? 貴様は・・・?!」

 「不用意に聞かないでください・・・恵美さん。また48の・・・とか言うつもりですから」

 「ぐ・・・先に言うな、瞬」

 既に変身を解除した瞬に言葉の先を取られて呻き声を上げる京二。

 「言ったでしょう? 京二さんの考えてることなんてお見通しだって」

 「ハッタリは見破れないくせに・・・」

 いじけた様に言う京二だが・・・

 「恵美さん、大丈夫ですか?」

 「あ・・・ああ・・・未だ力は入らないが・・・」

 「良かった」

 にっこりと恵美に向かって微笑む瞬。お約束通り、さらりとスルーされてしまう。

 「しくしく・・・さんじゅうろく」

 (4949なら72か1296か2401だろう・・・)

 嘘泣きしながら駄洒落をかます京二にうっかり突っ込みをいれそうになる恵美。しかし彼女はそれを堪えると瞬に習いそれを無視すると、改めて呆れたような口ぶりで感想を述べる。

 「だが良く耐えられたものだな・・・下手したらアフロじゃ済まなかった筈だ」

 「フ・・・その時不思議なことが起こったのさ」

 京二はころりと表情を変え自身満面にナレーション調で断言する。

 「出鱈目を言わないで下さい・・・」

 だが、解説マニアの瞬には納得できないらしく、それは即座に否定すると説明を始める。文字数の都合上、彼女の口による端折るが要点をまとめれば京二に預けておいた剣飯綱と鏡宵明の術が込められた札が役に立ったようだ。剣飯綱で真空を作り出すことで爆発力を弱めると同時に、結界を三重に張ることで防御能力を更に高めたのだ。

 「・・・あの一瞬でそれをやった上にかつらまで被っていたのか・・・やはり侮れん男だな・・・伊万里京二」

 素直に感心し、見直したように言う恵美だが、当の京二は苦虫を噛み潰したような顔である。

 「全く無粋だな、瞬。そういう見えない努力は本来口にするものじゃないのに・・・」

 「フフフ・・・照れなくていいじゃないですか、京二さん。私は京二さんがタダのナンパな人だと思われるのは嫌なんです」

 「なんか微妙に失礼じゃないか・・・瞬?」

 「京二さんの気のせいですよ」

 非難を上げる京二に瞬はくすくすと笑ってやり過ごす。

 (でも・・・)

 瞬は子供のように膨れっ面をする京二の横顔を見て思う。

 (・・・それだけじゃ、ないんですよね)

 表情とは裏腹に、心の内側に沸き起こる冷たい感情。

 爆発の瞬間・・・彼女は京二から力が流れ込んでくるのを感じていた。それが、彼女の左手の薬指に嵌められた指輪を介して結界の力を強めたのだ。そして、恵美を抱きとめたとき。彼女の内側で急膨張していた"闇"の力が京二の内側に流れ込んでいるのを鬼神の目は見逃してはいなかった。

 (竜王・・・)

 同化能力。創造能力。あの、化物たちの王との戦いを思い起こす。あれは、確かに竜王の力の一部の発現だ。それを・・・京二は気づいているのだろうか。

 「で・・・どうする? これから」

 「わからない・・・でも・・・もう・・・あそこには帰れない」

 「じゃあ・・・」

 瞬の心配そうな表情を見てから恵美は苦笑を浮かべる。

 「正直、どうすればいいか判らない。これまでずっとあの人の命令だけを聞いて・・・きいて」

 言葉が詰まり、目を閉じる恵美。つーっと涙が頬に一筋線を引く。

 「・・・うっうう・・・」

 「ああ・・・っ」

 「うええええ・・・」

 感極まったのか、再び泣き始める恵美。瞬は眉の両端を下げると、宥める様に彼女の頭を撫でる。

 「まるで姉妹だな」

 「もう・・・茶化さないで下さい。大丈夫・・・大丈夫ですよ。恵美さん」

 「うえっ・・・うえっく・・・うっく・・・」

 困った様な顔をさらに赤く染めつつも、瞬は暫らく恵美の頭を撫で続けた。

 程なくして落ち着いたのか、恵美は瞬が差し出したハンカチで目の淵を拭い、あまつさえ高い音を立てて鼻を噛む。

 「ひっく・・・すまない。取り乱してしまって」

 「ま・・・男女関係なんてそう簡単に割り切れるものでも無いし、な。まあ・・・気長に付き合っていくしかないだろう」

 「それで・・・これからどうしますか? 宜しければ陰陽寮のほうで何とかするよう便宜を図りますが・・・」

 瞬がそう言うと、しかし恵美は首を左右に振る。

 「好意は有難い。だが、もうこれ以上迷惑はかけられない。それにさっきまでは敵対していた相手だからな・・・私は流石に其処までは割り切れないよ」

 「・・・」

 瞬は思わず沈黙する。そう・・・彼ら落天宗を構成する陽食一族の大和民族、そしてその尖兵であった鬼神と陰陽寮に対する敵意は根深い。京二が彼らの復讐心を扇動していた闇の意思の根源である存在、"竜王"を否定して以降、敵意は薄らいできているとは言え、本来ならば易々と和解出来る間柄ではないのだ。それに、敵と戦い倒すことがそもそも彼ら妖人の・・・改造人間の存在意義なのだから・・・

 だが恵美は苦笑を浮かべて、つとめて明るく言う。

 「・・・そう、深刻な顔はしないでくれ」

 「恵美さん・・・」

 「お前たちが教えてくれたんじゃないか・・・諦めるな・・・って。どうにかなるさ・・・多分、きっと」

 「ああ・・・Let It Be、為る様に為るさ」

 「・・・BEATLESか」

 「YES」

 「フフ・・・」

 笑う恵美。そして彼女はまだ指に絡みついていた糸を外しながら言う。

 「さっき、これからどうするって言ったよな?」

 「ええ・・・」

 「決めたよ・・・これからどうするかを考えようと思う」

 「そう・・・ですか」

 瞬も嬉しそうに笑う。そして恵美は強い光のこもった目で力強く言う。

 「これまでずっとあの人の人形だったからな・・・だからこれからは自分で考え、自分で決めていこうと思う」

 「そうか・・・ならここに行ってみるといい」

 京二はそう言ってメモ帳を取り出すと何かを書いて破り、それを渡す。其処に描き出されたのは地図と番地、その場所の名前だった。

 「豊島区うみねこ台・・・ここは?」

 「ああ・・・その筋ではちょっとした有名な喫茶店だ。そこならあんたみたいな境遇の奴を匿ってくれる筈だ。何せ其処のマスターは・・・」

 「?」

 そう言いかけて一度口ごもる京二。訝しげに恵美は京二を見るが、彼は不敵に笑って、続ける。

 「説明は面倒くさい。ま、行けばわかる」

 「???」

 「迷ったときにはそこに行ってみるといい。其処のマスターなら・・・きっと力になってくれるはずさ」

 「すまない・・・何から何まで」

 恵美は頭を深々と下げる。

 「なに・・・気にするな。伊万里京二は美女のみあいててててて」

 瞬が京二の足を無表情で踏みつけ、それ以上の発言を許さない。その様子を羨ましそうに眺めてから、恵美は二人に別れを告げる。

 「では・・・な。何時か、恩は返すよ」

 「フフ・・・じゃあ、な」

 「・・・御機嫌よう」

 「ああ・・・お前たちも息災でな」

 そう言って恵美は振り向くと角を曲がりそのさして広くないスペースから消えていった。その様子を見て京二はポツリと呟く。

 「これで、二十七人か・・・『おやっさん』には世話になるな」

 「ええ・・・どうしても倒さざるを得ない人もいましたが・・・」

 相槌を打つと、表情を曇らせ僅かに俯く瞬。そんな彼女の頭を撫でながら京二は静かに言う。

 「やはり・・・あいつらも人間だからな・・・割り切れないこともあるさ」

 「それでも・・・私は・・・」

 「判ってるさ・・・お前がそうしたいなら、そうすれば、いい」

 京二は苦笑に近い微笑を浮かべてゆっくりという。

 四月の戦い以降、瞬と京二はずっとこうやって戦ってきた。陰陽寮にも、落天宗にも気取られないよう、これまでただ戦うだけの相手であった妖人と話し、説得し、理解を求めてきた。同じように感じ、同じように誰かを守る存在であることを。そして殺しあわずに済むように・・・と。

 その過程で、どうしても戦い、決着を付けざるを得ない者達も何人もいたが、二人はその為に出来うる限りの努力をしてきた。それが正しいやり方かはわからない。或は偽善かもしれない。だが、それでも瞬が選んだその困難な道を京二は否定するつもりは無かった。

 そして京二は想像し、少しだけ笑う。あの場所で死んだはずの同胞と出会い、面食らう恵美の顔を。其処には彼女らもいるはずだ。火輪や桐生、東海林・・・木亘理に運命を弄ばれた少女たち。彼女らも瞬と戦い・・・しかし長い説得の末、理解し剣を収めてくれた。

 不意にぐうと腹の虫が泣く。京二は瞬の顔を見ると苦笑を浮かべて言う。

 「・・・ふう、腹減ったな。さすがに」

 「もう、京二さんたら・・・」

 「どこかによって帰ろう。この時間なら結構すいてるだろう」

 時計は既に2時を回っていた。昼には少々遅いが、待ち時間がない分、良いかもしれない。瞬は頷くと答える。

 「事後処理と報告が済んでからですよ」

 「わかってるよ」

 そう言ってから、二人が歩き出そうとした瞬間である・・・

 「きゃあああああああっ!!」

 突然響く甲高い叫び声。それは紛れもなく恵美のもの。そして去った筈の彼女が宙吊りになって戻ってくる。

 「・・・いかさねえよ。おまえら」

 低く、怒りのこもった声に伴って京二と同じくらいの背丈をしたハゲ・・・もとい影が入ってくる。鋲打ちの黒い革ジャケットを羽織るがっしりした長身。厳つい表情に、頭部は燦然と輝くスキンヘッド。その姿は京二にとって見覚えのあるものだった。

 「げ・・・元宗さん!!」

 しかし、京二が口を開くより早く、瞬の口からその言葉が発された。男は唇の端を大きく吊り上げ歯を見せて笑う。

 「久しぶりだな・・・瞬」





 どしゃっと音を立てて恵美の身体が床に落とされる。

 「あ・・・ぐああ・・・」

 「恵美さん・・・恵美さん」

 即座に恵美の傍に駆け寄ると微かに痙攣する彼女の上半身を瞬は抱き上げる。

 「・・・ひどい」

 相当強く掴まれたのだろう。彼女の頭部には太く赤い爪痕が、痛々しく浮かび上がっていた。だが、瞬は直ぐにほっと胸を撫で下ろす。意識は失っているが辛うじて血管や頭蓋骨に問題は起こっていないようではあった。

 瞬は一拍置いてから、表情を厳しくして男の顔を見上げる。

 「何をするんです・・・元宗さん」

 「おいおい・・・そりゃこっちの台詞だ、瞬」

 元宗、そう呼ばれた男は苦虫を噛み潰した様な不愉快そうな顔で瞬を見下ろして言う。険しい視線のぶつかり合い。一方の瞬は今にも炎を上げそうな、もう一方の元宗は凍て付き尖った光を各々の目に灯し、それを視線という光条にかえて空中でぶつかり合わせている。
 そこに、響く京二の声。

 「よお、久しぶりだな。はげ」

 場を茶化すような声。その声色か、言葉の内容か、あるいは両者かは分からないが、覚えた怒りを青筋という形で髪の無い頭部に浮かべ元宗は京二を見る。

 「剃ったんだって、いっただろう」

 どうやら後者だったらしい。だが京二はそれを無視する。

 「・・・あんたが瞬の知り合いとは、な」

 「京二さん・・・彼を御存知なんですか?」

 「ああ、一昨日ちょっとな」

 頷く京二。彼は2日前、カラス型の怪人というか怪生物に襲われた一件を結局瞬に話していなかったのだ。もっとも結局、詳しく語らないので瞬には何のことかはわからないのだが。

 「あの時は世話になったな」

 「お互いにな・・・だが、お前が伊万里京二だとは思わなかった」

 「そう言えばお互い名乗っていなかったな」

 不敵に笑いかける京二。その瞬間、彼の顔面に拳が突き刺さった。

 「京二さん!!」

 悲鳴を上げる瞬。だが、それは錯覚だった。元宗の拳は京二がいつの間にか拾い上げていたアフロのかつらに埋まり、京二の顔面には届いていない。

 冗談のような手段で拳を受け止めた京二。だが、彼の表情は冗談を言うそれではなかった。眼鏡の奥から鋭い視線を放ち、真意を問う。

 「・・・なんのつもりだ」

 「何のつもりだ・・・だと? 瞬を誑かした様な奴が、何のつもりだ、だと?」

 「「たぶらかした?」」

 瞬と、京二の声がダブる。

 「ああ? そうだろう?! 鬼神が妖人を助けるだと? あまつさえ、その無事に安堵する・・・だと? 誑かしたとしか、考えられんだろう!! 伊万里京二・・・いや、竜王!!」

 「!!・・・」

 「竜王・・・だと?」

 驚愕を表情に映す瞬と静かに問い返す京二。元宗は頷くと言葉を続ける。

 「そうさ・・・お前は落天宗の支配者、全ての妖怪の根源たるもの、またの名を竜王! 封殺されたと聞いていたが・・・どうやら違うらしい。騙された様だな・・・瞬!」

 「京二さんは・・・京二さんです!」

 「違うな・・・既に伊万里京二の身体から放たれる気配は人間のものじゃねえ・・・」

 「!」

 「図星のようだな・・・瞬。鬼神の目はアスラの目に比べて解析能力で上回るんだからな。気づいていないとは言わせねぇ。そして伊万里京二の変化に関わらず、それを報告しなかったのは瞬、お前が竜王に誑かされ操られているからに他ならない。そうじゃなけりゃあ鬼神である瞬、お前が妖人を助ける理由がねぇ!」

 そう言って指差す元宗。瞬はその指先を睨みつけ、暫らく押し黙っていた。だがやがて、口元に微笑を浮かべると、答える。

 「貴方の言うとおり京二さんの身体の異変には気づいていました・・・私だけじゃない、京二さん自身も気づいていたはずです」

 瞬が其処まで言って区切り、京二のほうを見てお互いに頷きあう。

 「ですが、京二さんは京二さんのままです。何も・・・何処も、変わっていません。それに、恵美さんや・・・多くの妖人を倒さなかったのは、私自身が望み、求めた、私自身の意思によるものです」

 「それは・・・それはお前が操られているから気づかないだけだ!! 瞬、昔のお前はそんなやつじゃなかったはずだ!! 鬼神の使命・・・それを果たすためなら感情を切り捨てられる・・・そんなクールな女だったじゃねえか!! 一体、どうしちまったんだ?!」

 その言葉を聞いた直後、瞬の目がフッと冷たい色を湛えたものにかわる。既に半年以上一緒に暮らしている京二も数度しか見たことの無い目だ。

 「・・・私を侮らないでください。私は・・・低く見られるのは好きじゃ在りません」

 そして、視線以上に冷えた瞬の声。空気そのものを凍らせて行く様な彼女の気配に、元宗はたじろぐ様な素振りを見せる。

 「私は人間です・・・人間である以上騙されることは在ります。ですが同時に・・・私は貴方が言うように鬼神です。鬼神はその性質上、誰かに意識を操られるようには"出来ていません"。それは・・・修羅退魔法師・・・アスラである貴方が良く知るところでしょう?」

 「く・・・だが、お前は明らかに以前のお前とは違う!! お前は・・・お前は・・・!」

 「元宗さん・・・私が変わった、と思うならそれは私が進歩したからです。貴方は昔の私が感情を切り捨てられる・・・といいました。ですが京二さんと出会って思ったんです。私は感情から逃げているだけなんじゃないかって・・・今の私は、自分の感情に向き合い、その上で、戦っています!」

 「く・・・ぐ・・・」

 元宗の頭に浮かぶ血管の数が増え、茹蛸の様に赤くなっていく。そしてやがて叫ぶように言う。

 「もういい・・・もういい!!」

 その目には複雑な感情が浮かび、京二を見ている。

 「・・・お前と話していても埒が開かん! こいつを・・・竜王を倒せば、お前が操られているかそうじゃないか判る!!」

 その余りに短絡的な答えに京二は驚くより笑ってしまう。

 「おいおい・・・お前の勘違いならどうするつもりだ」

 「黙れ・・・お前が半分人間じゃないことはもう判ってるんだよ」

 「落ち着いてください、元宗さん!」

 「お前こそ冷静になれ!」

 ヒートアップする元宗が、逆に瞬を糾弾する。

 「疑わしきは滅ぼせ・・・陰陽寮(鬼神)も高野山(アスラ)も、ずっとそうしてきたことだ!! 竜王がどれだけ危険な存在か判らないお前じゃないだろう!! 仮に今、蘇っていないとしても・・・蘇る可能性と!予兆と!証拠がある現状ならば!! こいつを殺すことにためらう理由など無いはずだ!! そして・・・それを実行するためにいるのが、俺たちだろう?! 違うか!!」

 「京二さんは・・・んぐっ」

 言いかけた瞬の口を京二の手が塞ぐ。これ以上言わなくていいとウインクして伝えると、徐に彼は目つきを悪役特有の見下した冷たいものに変え、それを元宗に向ける。

 「・・・言わせておけば好き勝手いいやがって。好い加減、ムカついて来たぜ。そんなに俺を悪役にしたいか・・・」

 「な・・・?」

 ざわり、と何か違和感が空気中に広がる。

 「そんなに俺が化物であって欲しいかって、人間じゃない力を見たいかって聞いてるんだ・・・?!」

 「お前・・・何を!?」

 「復活する前・・・と考えてたんだろうが、ブブー、残念! 少し遅かったな」

 その瞬間、京二の身体を中心に激しい光が生じる。

 「京二さん?!」

 余りの発光に目を塞ぐ二人の改造人間。京二の姿は激しい光に消えるがやがて・・・

 「馬鹿な・・・覚醒するってのか?!」

 「そうだ・・・見るがいい、これが・・・!!」

 やがて光が収まり其処に現れたのは片方がブルー、もう片方がレッドに染められた・・・

 プシュ

 コーラだった。右側がP社の、左側がC社の。そして京二は指で器用に塞いでおいた飲み口を元宗に向けると、それを外す。

 「竜閃光!」

 ブシャアアアアアアアアア!!

 「くあっ・・・く・・・てめぇ、何のつもりだ?!!」

 「そのハゲ頭、ちょっと冷やしてやろうと思ってな。落ち着けよ・・・俺より先にお前が『怒る!!』とかいってメタリックな感じに変身しそうだ」

 黒ずんだ液体に塗れた元宗は怒りの声を発するが、返ってくるのは対照的に冷静な声だ。

 「ま・・・その髪型(笑)なら赤青よりも銀一色に蒸着した方が似合いそうだがな。ハハハ、はげ男の銀粉ショー、超絶卑猥だ、『セクハラです』!!」

 キメ台詞を先に言われてポカンとする瞬だが、二人のやり取りはその間も進んでいく。

 「サバ・・・違う、ハゲじゃねえ!! 何度言ったら判る!!」

 「可哀想にな・・・そんな細かいこと気にしていたから禿げてしまったのか。ホレ、海藻食べろ。ものみんたも良いって言ってるぞ」

 京二は「むじゃら〜」と何処かの根性ロボットを思わせる口調で言いながら何処からかヒジキを取り出しかつらの様に元宗の頭に被せる。

 「て・・・てめぇ・・・」

 一方、口調ではなく外見が件の根性ロボットのようになっている元宗は遂に頭部から湯気を上げ始める。

 「海藻が効くのはハゲじゃなくって白髪に、だ・・・じゃねぇ!!!!」

 そう言って頭に乗っているヒジキを床に投げ捨てる元宗。しかし律儀に突っ込んでしまうところが彼の悲しいサガか。

 「オイオイ、これはボロボロボディにもいいんだぞ」

 「それはヒジキじゃなくてモズクだ!!」

 「ま、とにかくこれは君のヒジキィ〜♪」

 「人をおちょくってるとぶっ殺すぞ!!」

 拾い上げ再び頭の上に乗せようとした京二だが素早く払い落とされてしまう。尚、良いこの皆さんは食べ物をおもちゃにしてはいけません。これは悪い大人の見本です。まあ、それは良しとして(良くはないが)、元宗に胸元をつかみ上げられる京二。だが彼は余裕の表情を浮かべて忠告する。

 「『ぶっ殺す』って思ったときは既に行動を終えておかないと立派なギャングになれないぜペッシ・・・じゃないと」

 「誰がペッシだ! 俺はヤクザじゃねえ!!」

 「・・・ま、勘違いされても仕方ないと思うが、な」

 拳を握る元宗。彼の怒りは爆発寸前だ。だが京二の口元に一際邪悪な笑みが生まれる。そして瞬に対する一瞬の目配せ。そして次の瞬間、再び人が怒涛をなしてこの狭い空間に押し寄せてくる。

 「な・・・なっ?!」

 「動くな、テロリスト!!」

 一斉に元宗に向けられる銃口。押し寄せてきたのは無数の警察官だった。呆気にとられる元宗は呆然として京二を放してしまう。

 「御協力、有難う御座います! 伊万里教授」

 「ご苦労さん。こいつが女の子に乱暴を働いた不逞の輩だ」

 ピッと二本指を額に当てて敬礼を返す京二。豆を鉄砲どころか機関銃で喰らった鳩の様な顔をした元宗は慌てて弁明しようとするが。

 「オ・・・オレは何もしてねえぞ!!」

 「嘘をつくな爆弾テロの犯人め!!」

 「爆弾を使わせるな!! 一気にひっとらえろおおおおおお!!」

 「や・・・やめろぉぉぉぉぉ」

 聞く耳を持たない警官たちは、元宗に一気に殺到する。

 「うわ、瞬・・・! ちょ、待ってくれ! くそ・・・この・・・ゲドォォォォ!!!」

 抵抗する元宗と警官たちの乱闘が始まる。もみくちゃにされ、物量に押し潰されて行く元宗の悲鳴を聞きながら、京二と瞬はそのドサクサに恵美を連れてエスケイプした。

 「おのれぇぇぇぇぇ」

 悪役っぽい絶叫が巣上ホールに木霊した。ギャフンEND、である。






 最も、話は未だ終わらない。

 ホールを脱出した後、京二たちはタクシーを拾いある場所に来ていた。

 其処は京二が恵美に行くよう勧めた例の・・・大宇宙の名を冠する喫茶店だ。京二は其処のマスター・・・喫茶店の名前の全てを現す通称"おやっさん"と呼ばれる男に例によって端折った説明と休めるような部屋を借して貰える様に交渉をした。

 "おやっさん"は京二の極度に細部を省いた説明にも速やかな理解を示し快諾すると、三人を来客用だという寝室に案内した。

 「感謝するよ・・・おやっさん」

 「何、いつものことだ。慣れているよ」

 そう言って"おやっさん"は笑うと珈琲でも入れてこよう、と店の方へ戻っていった。

 「ふう・・・あー、面白かった」

 やっと人心地付き、京二は額に張り付いた汗を掌で拭うと、満足そうにそう言う。瞬は恵美の身体を傍のベッドに寝かせると咎める様に言う。

 「無茶なさらないで下さい。怪我じゃ済まなかったらどうするつもりですか?」

 「なぁに・・・大丈夫さ。あいつ、多分本気じゃないから。今のところは、な」

 「え・・・? それって・・・」

 「ま、それよりあいつとお前が知り合いとはちょっとばかり驚いたよ」

 はぐらかす様に言う京二。瞬は少しの間、納得出来ない様な顔をしていたが、直ぐに追求を諦める。言葉じゃなく、フィーリングで理解しろ、と暗に示されたサインを感じたからだ。

 「私も、です。この前言っていた方って元宗さんのことだったんですね」

 「ああ」

 頷く京二。一昨日、京二はとある場所で巨大なカラスの様な化物に襲われたのだが、丁度その時居合わせたのがスキンヘッドの男・本韻元宗だった。彼は襲い掛かってきたカラスの化物に対し、仮面ライダーの姿に変身した・・・

 「・・・結局あいつは一体何なんだ? 高野山とか言ってたが、仏教系の同業者って考えていいのか? あの元宗ってのは」

 「はい・・・彼はアスラ・・・密教真言の総本山である高野山が取りまとめる仏教系の退魔士集団、退魔衆連会・・・そこで長い年月を賭けて培われてきた、闇から生まれる異形の存在を駆滅するための力を受け継ぐ方です」

 「陰陽寮で言うお前みたいなものか・・・瞬」

 『そうニャのだ』

 「?!」

 不意に発された聞きなれない声。それは京二の足元から響いてきた。見れば其処にはいつの間にか白い猫のような小動物がちょこんと座っている。

 「コウ・・・ちゃん?!」

 『お久しぶり、瞬』

 瞬が驚いたように言うと、その白い動物・・・コウは人間の言葉を発してそれに答える。一方京二は唐突に叫んで言う。

 「ね・・・猫が喋ってるー」

 『あんた、わざとらしい』

 しかし、棒読みの台詞をコウは即座に突っ込んでくる。京二は真顔になると指を立てて言う。

 「ま・・・一応、非現実だ、と認識しておかないとな」

 『よくわかんニャいが・・・』

 疲れたような声を発するコウ。

 『ま・・・京二だったかニャ? 一応、始めまして。自分はコウ。アスラのサポートをする共星霊獣ニャのだ』

 「キョウセイレイジュウ? あいつの身体に共生する獣って事か・・・? なんか」

 『まあ、性質は似たようニャもんだけど、字がちょこっと違うニャ。"星ヲ共ニスル霊ノ獣"と書いて共星霊獣と読むんだニャ』

 「成る程・・・生態だけでなく運命も共にする、と。苦労するな、あんた」

 『理解が早くて助かるニャ・・・もう、大変で、大変で・・・』

 「彼は鬼神で言う、御鬼宝輪と同じ働きを持っています」

 「ん・・・」

 と、瞬が説明モードに入る。話の途切れるタイミングを狙っていたらしい。この説明マニアめ・・・と思うが、別段聞かない理由も無いので京二は静聴を決める。因みに御鬼宝輪とは瞬の腹部に埋め込まれた鬼神の力を制御する一種の安全装置だ。

 「アスラと鬼神の力の根源は本質的に非常に近しいものだったんです。それを人間が扱うには、素体となる方の適正に加え何らかの制御装置を必要とするんですが、高野山では御鬼宝輪では無く彼らのような人工的に造り出されたんです。彼らはアスラの身体に共生しアスラの力を貰う代わり、アスラのエネルギー制御を行ったり、分身を生み出して戦闘などでのサポートを行ったりするんです」

 「ふぅん、つまりは"なっちゃん"とこの"リリィ姐さん"みたいなものか」

 『う〜ん・・・あのヒトは自然発生の妖怪で自分は人造の生命体だから、厳密というか微妙には違うんだけど、大まかに言えば、ま、そう言うことにニャるかニャ』

 京二は顎に手を当て何かを考えるようなポーズを取るとコウに向かって問う。

 「と、言うことは要するに、あいつの言いつけで俺たちを追ってきた・・・って訳か?」

 『ちゃうニャ。あいつと豚箱は入るよりも、あんたらと喋った方が楽しそうだからこっち来たんだ。ま、心配しニャいでいいよ。自分もさっきの元宗は馬鹿だニャ・・・と思ってたところだから・・・しかしまあ』

 コウはため息のようなものを一つ吐くと京二を見上げて言う。

 『全く、あんたは無茶するヒトだにゃ・・・一体、ニャにをどうやれば元宗をポリスメンに捕まえさせられるのやら・・・』

 「ああ・・・瞬とあいつがヒートアップしてる時に警察に電話を入れたのさ。ホール内で爆発音が在り、ホール内の人間が昏倒し、この間のビル爆破事件の現場近くにいた人相の悪い男が女性に暴行を振るっているって・・・」

 京二は一際凶悪な笑みを浮かべる。彼は何一つ嘘を吐かずに、しかし自身の思惑通り警察官に元宗が犯人だと思わせたのだ。元宗自身がやったのは恵美に対する暴行のみにもかかわらず。

 『この悪人・・・』

 「クックック・・・正義の為なら鬼となる、伊万里京二此処に在り、だ。まあ、後は時間の問題だったな・・・火災報知器が作動していたから、まあ後は五分五分の賭けだった」

 『どっちかって言うと鬼畜だニャ。あんたきっと畜生道に落ちるニャ』

 「フン・・・あいつの自業自得だ。女の子の頭を無雑作に鷲掴みすとは許せん」

 京二が憤慨する様に言うと、コウは頭を垂れ所在なさそうに返す。

 『まあ、熱くニャってたとはいえ、確かにあれはちょっとやりすぎかニャ〜と思う』

 「全くけしからん。あいつはサービスというものがわかっていない」

 『は?』

 「普通、鷲掴みするなら相場はヴォイnガシリ

 京二は背後から首を鷲掴みにされ、言葉を止める。寒い東京の冬を更に寒くするような気配の方向に京二は恐怖で振り向くことが出来ない。

 「京二さん・・・それ以上言うとセクハラですよ」

 「お・・・OK! 解ったからシャイニングフィンガーは止めてくれ」

 京二は瞬の堪忍袋の紐を切る前に下らない戯言を吐くのを止める。と、その時である・・・

 「ぅう・・・うん・・・」

 先ほどまで意識を失っていたセクハラの標的が声を上げる。瞬は京二を放すと恵美に駆け寄る。

 「恵美さん・・・」

 「う・・・ぅぅうう・・・」

 彼女は呻くように息を吐きながらやがて目を開いていき・・・

 「う・・・」

 身体を起こすと、周囲を見回す。目の前には心配そうに自分を見つめる美しい容姿の女性、神野江瞬。かなり上方にはイヤラシイ目つきの男、伊万里京二の顔。眼下には明らかに猫とは異なる白い猫に似た生物。

 「?」

 「うぇぇぇぇぇぇん」

 「?」

 「??」

 「?!?!」

 突然泣き出した恵美を前に程度の違いこそあれ驚き狼狽する一匹と二人。瞬は慌てて彼女の頭を撫でて宥めようとするが・・・

 「大丈夫です。安心してください。もう怖い人はいませんから」

 「ううう・・・違う・・・違うんだ、神野江ぇ・・・今までのが夢じゃなかったなんて・・・本当は夢かもって思っていたのに・・・目を覚ませば・・・何もかも元通りだったら良いなって・・・なのに・・・やっぱり私は・・・裏切られていたんだ・・・な」

 「恵美さん・・・」

 途切れ途切れの言葉で嘆く様に言う恵美の言葉に、瞬は俯き表情を曇らせる。過去なんて簡単には割り切れない。それが偽りだったとしても幸せだったなら尚更だ。自分は割り切ることが出来た。父が怪人であったことも。その父が目の前で殺されたことも。そしてもう一人の父親であった人が父親を殺したということも。

 だが其れは"特別"だということを、彼女は知っている。誰もが自分の様に割り切ることができないことを。否、知っているだけ、だったのかもしれない。だが・・・

 「ふ・・・ぅうん・・・っく、っく」

 やがて恵美は落ち着く。それにしても涙脆い女の子である。泣き過ぎて脱水症状を引き起こさないか危惧した京二が何処にしまっていたのか、先ほど元宗にぶっ掛けたコーラの残りを差し出すが、恵美はぶんぶんと首を横に振ってそれを断る。

 「・・・すまない。何度も何度も取り乱してしまって・・・もう、大丈夫・・・自分で選んだんだ・・・後悔してないし、絶望もしてない・・・でも・・・痛くって・・・ただ痛くって」

 「いいんです。今は・・・」

 「ゴメン・・・有難う・・・」

 そして恵美は、今度は瞬の胸に抱き付く様にして、静かに泣き始めた。

 (・・・辛い時ほど笑おうぜ、カモンボーイ・・・か。ま、今は泣くといい)

 京二は口の中で小さく歌うと、部屋を後にした。






 「私も最初は悩んだものさ」

 カウンター奥でコップを拭いていた"おやっさん"が唐突に、そう言う。京二は特別に入れてもらった紅茶を啜りながら、彼にしては珍しい、驚いたような素振りを見せる。

 「おやっさんも・・・? 信じられないな」

 「買い被られては困るよ、伊万里君」

 マスターは苦笑を浮かべるとそれに答えて言う。

 「私だって中身は只の人間なんだからね。悩みもすれば涙も流す・・・だが、何時かは乗り越えられるものさ・・・君が連れてきたコだ。きっと大丈夫だろう」

 「さっきも言ったが・・・何時もすまないな。おやっさん」

 「何、逆に助かっているよ。君達は私に出来ないことをやってくれているからね・・・」

 「フフ・・・"おやっさん"がそう言ってくれると嬉しいね」

 『死なせたほうが楽って説もあるニャ』

 皿に張られた牛乳をチロチロと舐めながら何処か冷めたような声で言うコウ。しかし京二は微笑を浮かべて答える。

 「解ってないな、コウ。確かに苦しんで生きるよりも諦めて死を選んだ方が"楽"かもしれない。だがな・・・それは"幸せ"とは同義じゃあない」

 『・・・別にあんたが他人様の幸せを気遣う必要ニャいとおもうけど』

 京二はカップに残った紅茶をくいと飲み干してウインクする。

 「フ・・・俺は格好付けなんでね」

 『・・・よくわかんニャい』

 「口で説明するようなことじゃないさ。フィーリングだよ、フィーリング。なあ、おやっさん」

 「ま・・・そういうことかな」

 彫りの深い顔に笑顔を浮かべるマスター。コウは今一理解しがたい二人のやり取りに思わずため息をつく。

 『全く・・・あんたらは臭くてやってられニャいニャ。臭さ最高潮だニャ。ギップリャ、だニャ』

 「フフフ・・・」

 「む・・・きたかな」

 マスターがそう呟いて振り返る。

 ガチャリ

 と、硬い音を立ててカウンター奥の扉が開き、瞬が現れる。

 「ご苦労さん・・・恵美は?」

 「泣き疲れて眠りました」

 「お約束だな」

 医学や解剖学、人間科学にも造詣が深いというマスターの見立てでも命に別状は無いと言う話だが、やはり肉体的にかなりの負担があったのだろう。

 マスターは瞬にカップを見せて問う。

 「何か飲むかい?」

 「有難う御座います・・・じゃあ、ココアを」

 「OK」

 マスターはそう言ってココアの粉が入った缶を探し始める。

 「で・・・どうする? これから」

 「本部に行きます。報告しなくちゃいけませんから」

 「ん・・・そうか・・・だが・・・」

 少し不安そうに表情を曇らせる京二。恵美を始め此れまで二人が説得した妖人の件を懸念しているのだ。

 「大丈夫です・・・少しくらい怒られるのは覚悟の上ですから」

 「・・・今回は俺も付き合うよ。"そそのかした"者としてはこれくらいの責任は取らないとな」

 「責任取るって・・・伊万里君、やっとプロポーズかい?」

 と、カップから湯気を燻らせながらマスターが冗談めかして聞いてくる。瞬は思わず顔を赤らめると、非難するように声を上げる。

 「マ・・・マスター!!」

 「おやっさん、瞬を余りからかわないでくれ」

 そう言って子供をあやす様に瞬の頭を撫でる京二。瞬は少しふてくされたように「もう」と言って赤い顔のままココアのカップに口をつける。

 「ハハハハ・・・相変わらずだな」

 「ま・・・その手の話は未だ、もうちょっとな」

 少し自嘲を含んだ苦笑を浮かべる京二。と、それまで話を静観していたコウが牛乳の皿から顔を上げると問う。

 『ニャあ、瞬と京二は恋人どうしニャのか?』

 少し調子はずれの問いに京二は眉を潜め、瞬は照れてさらに顔を赤くする。

 「んまあ、有り体に言えばそうかな。それがどうかしたのか?」

 『自分、獣だから人間の恋愛感情って良く判らニャいニャ。だから、確認しとこうと思って』

 「ふ〜ん・・・」

 結局、この白い動物の真意は良く解らなかったが、別段深い意味は無いだろうと判断し、京二は深く考えない。もっとも、後々に深くはないが、大きな意味を帯びてきたりするのだが。

 それは兎も角・・・

 (腹減ったな)

 そう言えば、トラブル続きで結局、何も食べてないことを思い出す。瞬が飲むココアの香ばしい香りに腹の虫がまた動き出したらしい。

 「・・・じゃ、おやっさん。何か美味しいもの頂戴」

 「ここはレストランじゃないんだが・・・ま、いいか」

 そう言って厨房のほうへ行くマスターの後姿を京二は見送った。






 暗い、室内・・・落天宗に属する妖人、その幹部クラスのものに与えられる執務室だ。闇に住まう彼らに光は余り必要ない。だが、其処には光が灯っていた。

 白と黒の荒れ狂う・・・砂嵐となった画面を男はただ静かに見ている。骨ばった顔立ちと細い目。そして淵の薄い眼鏡。何処か酷薄そうな雰囲気を醸し出す男・・・

 木亘理・・・先ほど残酷な策を弄し恵美ともども鬼神を葬ろうとした男だ。狂喜に満ちた声で残酷な言葉を紡ぎ、恵美を絶望の淵に陥れた男・・・だが、今の彼の細い目の中には、そういった類の光は映っていなかった。何処か寂しげな、色・・・

 「・・・策士策に溺れ、残念といったところかしら・・・?」

 不意に、背後から涼やかな女性の声が響く。振り返れば其処には巫女姿の女性が。木亘理は不快さの表現を眉根を僅かに歪めるだけに留めて言う。

 「ノックも無しに入ってこられるのは如何なものかな・・・? 霜田殿」

 「あら・・・これは御免なさい。でも、そろそろ私の出番だと思ったのですが・・・」

 余り悪びれる様子もなく、霜田はそう答えて微笑みを浮かべる。

 「・・・」

 木亘理は何も返さず沈黙するが、霜田は慇懃にしかし嘲笑するように尚も言葉を続ける。

 「やっぱり、過激派らしく乱暴な手段に訴えることになりましたわね」

 「・・・致し方在りませんが・・・決行の際には、頼みますよ」

 「ええ・・・解っていますわ。主人と義父の、仇を討つ為ですもの・・・でも」

 霜田はやや上目遣いに木亘理を見上げる。木亘理は無表情のままでその視線を受けるが・・・

 「随分寂しそうですのね? やっぱり、同胞を騙すのはお辛い? それとも・・・」

 ざわり、と室内の空気が変わる。

 「本当にお辛いのは、お気に入りを棄てなければならなかった・・・」

 シュカッ・・・

 髪の毛が舞って散り、霜田の言葉は止まる。彼女の喉元に鋭い枝先の様な剣が突きつけられているのだ。鬼気迫る表情で木亘理は言う。

 「・・・これ以上の無駄話は勘繰られる恐れがあります。そろそろ帰って頂きたい」

 「ウフフ・・・せっかちですのね。そんなに怖い顔をしなくても宜しいじゃないですか」

 樹木の剣を掴む霜田。一瞬でその表面は白く霜に覆われる。

 「ですが、貴方の仰ることも御もっともですので、これで返らせていただきますわ」

 微笑み・・・慈母の様な、と評されるその微笑みも木亘理には不気味で妖艶なものに見えた。彼女は振り返るとそのまま部屋を出て行く。

 やがて手にした剣は枯れて萎びると、無数の欠片に成って砕け散る。

 「・・・おのれっ」

 木亘理はデスクに拳を振り下ろした。






 都内某所・・・喫茶店"魔皇子亭"

 暗い、店内。"おやっさん"の店が、星が散りばめられた大宇宙ならば、こちらは暗黒ガスに満たされた、宇宙。未だ四時を僅かに過ぎたばかりに関わらず、店内には闇が漂っている。それも、瘴気や、妖気と形容したくなるような、身体に張り付き体温を奪い取り、ともすれば窒息に至りそうな、闇が。

 カラン・・・と鐘のなる音。扉が開き僅かに光が差し込む。それと同時に入ってくる人影。

 「あら・・・いらっしゃい・・・」

 艶っぽい声がカウンターから響く。人影・・・白いスーツに身を包んだ中年の紳士は、マスターと思しい女性を見ると、感情の無い顔で言う。

 「・・・結局、このように落ち着いたのか・・・酔狂だな、モリガン」

 「ええ・・・彼らがそうしている様に、ね。フフ、ちょっと凝ってみたのよ。それより折角の喫茶店なんだから・・・何か注文しなさいな」

 喫茶店というには不似合いな妖艶さで微笑む女マスター・・・いや、妖麗楽士モリガン。だが白スーツの紳士は無愛想な表情を殆ど変えずに返す。

 「いらん。不死の肉体に命を繋ぐ為の食物など不要だ。それはお前も知っている筈だ・・・モリガン」

 「珈琲の一つも嗜まないなんてつまらない男ね。それに此方での名前は盛岸聖子っていうのよ? ケルノヌス」

 「世を忍ぶ名前か・・・だが、このような場所にまともな客など来る筈もあるまい」

 「あら・・・失礼ねぇ。私はまともじゃないって言うの? ケルノヌス」

 不意に闇の中から声が響く。裏返った甲高い男の声。声の方を見れば、其処には先客の姿が在った。炎の様に赤いドレスに身を包んだ巨漢・・・

 「煉獄剣王、貴様か」

 「はぁい。それより、失礼じゃなくって? まともじゃないって」

 「その様な姿でほざいている時点でまともではあるまい」

 そう言って一瞥するケルノヌス。確かに煉獄剣王のその姿は大いに世間ずれしたものであった。だが、そうやって冷静に言う死天騎士に煉獄剣王は呆れた様に溜め息をつく。

 「相変わらず無粋なのね。理を詰めるだけで人生面白い?  世の中にはケレンというものが必要なのよ」

 「下らん・・・それよりも現状はどうなっている? その為に危険を犯し、この様な場所にこの様な酔狂な施設を建造したのだぞ」

 それに対し、今度は妖麗楽士がため息をつく。

 「もう・・・野暮な上にせっかちね。そんなんじゃ女の子に持てないわよ」

 「ま・・・あんたはもう萎びてるから関係ないかもしれないけど」

 「そんなことないのよ・・・ちゃんと下は」

 下世話に笑いあう煉獄剣王と妖麗楽士の二人だが、死天騎士の鋭い視線が射る。

 「・・・モリガン」

 「はい、はい・・・解っているわよ」

 生返事を返すと妖麗楽士はカウンターしたから何かを取り出す。黒い革状のものが張られた板・・・MENUと表面にメッキで描かれているが・・・開くと中には赤一面に黒で文字が書かれている。それは料理や飲み物の料金表などではない・・・地球上のどの民族が使うものとも異なる文字・・・超古代の文明に携わるものならば或いは良く似た文字に見覚えあるかもしれないが・・・である。

 だが、死天騎士はその文字で記された文面の内容を速やかに読み取っていく。

 「ふむ・・・奴らはやはり実力行使で組織を掌握するつもりか」

 「らしいわね。彼女を倒すのに失敗したそうよ。まあ、予想通りだけど」

 妖麗楽士はそう言って、ガラス皿を煉獄剣王の前に差し出す。煉獄剣王が注文していたものだが、それはくすんだ緑色に染まるゲル状の塊だった・・・彼は蛇やら百足やらが装飾されている不気味な匙を取ると、それを一掬いし、口に運ぶ。

 「う〜ん、おいし。あんたの抹茶プリンは最高ね」

 「ありがと」

 そして妖麗楽士がカウンターに戻るのを待ってから死面騎士は彼女に問う。

 「奴らにタウリンペーストを渡しておいた筈だが・・・効果は芳しくなかったようだな」

 「鍛えた技以外のものに頼ろうって言う性根が良くないのよ」

 抹茶プリンを口に運びながら茶化す様に言う煉獄剣王。妖麗楽士は頷くと苦笑いと嘲笑を交えるようにして言う。

 「まあ元々、彼らが使ってたものに手を加えただけの試作品だもの。過度の期待は出来ないわ・・・でも、使い様によっては強力な怪物を生み出せそうよ」

 「へえ」

 机を叩いて相槌を打つ煉獄剣王。死天騎士も無反応ながら、そこはかとなく興味がありそうに妖麗楽士を見ている。

 「投与された一人が妖怪化しかけたらしいわ。まあ、何とか持ち直しちゃったみたいだけど。確実に妖怪化できるようになれば、便利なんじゃないかしら」

 「そうねぇ・・・戻っちゃった、ってのが気になるけど、どう思う? ケルの字」

 意見を求められ、死天騎士は数秒考えた後、呟くように言う。

 「・・・恐らく濃度と親和性の問題か。だが私は専門では無いからな・・・詳しい所までは判らん」

 「わたしもそっち方面は駄目なの。でもマックリールが喜びそうね。後でデータを送っておいて上げましょうか」

 妖麗楽士が聞くと死天騎士は頭を左右に振り、答える。

 「それは私がやっておこう。アレの現状を見に行かねばならないからな」

 「多忙ねぇ・・・所でアレって何よ?」

 妖麗楽士は僅かに表情を曇らせて言う。

 「というか彼らね。私は彼らを使うのは余り気が進まないんだけど・・・」

 「浮上には間に合うまいが、若しもの時の保険だ。全てとまで贅沢は言わんが一体でも確実に稼動するものがあれば話は別だろう」

 死天騎士の言葉に対し、そこはかとなく納得出来ない様な表情の妖麗楽士。だが、やがてため息をついて妥協を示す。

 「・・・ま、いいわ。じゃ、データの方はお願いね」

 「ああ」

 「そう言えば・・・」

 思い出したように言う妖麗楽士。死天騎士はその陰気な視線を彼女の顔に向ける。

 「直接、彼女にぶつけるのは誰にしたの? 旨く選ばないと後で面倒になりそうだけど・・・」

 「うむ・・・それならば百鬼戦将にやってもらう」

 「あら・・・私にやらせてくれないの?」

 煉獄剣王が問うものの、しかし死天騎士はむっつりとした表情で左右に首を振って答える。

 「既に決定していたことだ。それに遊撃を得意とする貴様のゲヘナブレイドより、拠点攻撃能力の高い奴の「紅蓮」の方が適しているだろう」

 「力押しをやるの・・・? 美学の無い戦い方ね」

 「戦術的には、な。だが、戦略的には妥当だろう」

 「・・・どうしても、駄目?」

 「決定事項だ」

 「面白みのない男ね」

 ぼやく煉獄剣王だが死天騎士は慣れた風情で聞き流す。そこに興味深そうに身を乗り出して聞いてくる妖麗楽士。

 「何か彼女とやりたいわけでもあるの? それともダグザへの対抗意識?」

 「・・・そこの骸骨男に輪をかけて無愛想なあいつに功を取られたくないだけ・・・っていうのはあるけど、彼女とはちょっとした因縁があるのよ。出来た・・・って言った方が正しいかしらね。だからちょっと戦ってみたかったんだけど・・・」

 スプーンを皿の上に乗せる煉獄剣王。彼は立ち上がると、代金を机の上に置く。

 「ま・・・無理なら良いわ。総司令官サマのお達しじゃ、仕方ないものね。残念だけど諦めるとするわ。じゃね」

 一息にそう言って彼は店を出て行く。

 「後で面倒そうね・・・彼」

 空になったガラス皿を下げようと、先ほどまで煉獄剣王が座っていた席に歩み寄る妖麗楽士。彼女がそれらに触れると、皿は真っ二つに割れ、スプーンは溶けるように変形する。それを見て再びため息をつく妖麗楽士。

 「ああ言ってた割にはやる気満々だもの・・・やっぱりオカマってねちっこいのがデフォルトなのかしら?」

 「・・・知らん。だがやる事が判っている分、賢しい霊衣神官や突拍子の無い邪眼導師よりは御し易かろうな」

 「御し易かろうなって、あなたね・・・」

 呆れた様に鸚鵡返しする妖麗楽士。だが死天騎士は飽くまでも表情を変えない。

 「取り敢えず目的さえ果たせば後は如何様にでもなる。後詰さえしくじらねば問題あるまい」

 「それはそうだろうけど・・・結局、やることになるのは私なのよ」

 「・・・仕方在るまい。全ては陛下の・・・帝国のためだ」

 「・・・わかっているわよ。もう、仕方ないわね」

 「すまん」

 そう、ぶっきら棒な調子で謝る死天騎士に妖麗楽士は少し目を丸くするが、すぐに微笑を浮かべて言う。

 「フフ・・・良いわよ。でもすまないついでに珈琲を飲みなさい。それで許したげるから」

 そう言って妖麗楽士は髑髏の模様が画かれたカップを取り出し、悪魔の様に黒く地獄の様に熱く接吻の様に甘いと言うその液体を注いでいく。

 「・・・仕方在るまい」

 「何か気に障るわね・・・美味しいって評判なのよ」

 「何処のだ」

 客足の無い店内を見回しつつ彼は湯気を上げるカップに口を付ける。妖麗楽士はカウンターに肘を突くと彼のその様子を眺めながら呟くように言う。

 「取り敢えずは・・・私達のお城を浮上させないと、ね」

 「ああ・・・」

 甘い・・・そう評された液体は、しかし彼の口の中にまろやかな苦味を香りと共に広げていった。




<つづく>


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