西暦2006年、日本は混沌の只中にあった
魔帝国の一大攻勢は陰陽寮本部の消滅と言う結果を以て終結し、
江戸の頃よりこの都市の霊的均衡を護ってきた
古き結界は長き役目に終止符を打たれ
崩壊した
勇気ある者達が、天から授かった魔法とその勇気で
地の底から這いだした古き冥府の神を討ち
自らを律し鍛えた者達が、大地から借りた霊力とその鍛えた心身で
大気の澱みから生じた古き化生の名で呼ばれる怪物を鎮めたことで
人類の存亡を火急に脅かす非物質界の災いは取り払われ
一時的な平穏を取り戻す事は成功したものの、
一千万の民を抱える都は
闇に対して無防備なままだった
また大規模な危機・災害が回避された一方で
中小規模の勢力、
特に「プレシャス」と呼ばれる超科学的器物の不正流通を行う組織群、
いわゆる「ネガティブシンジケード」の活発化は目を見張るものがあった。
これは国内地球防衛組織の元締めを担っていた陰陽寮本部が消失したことで、
これまで中小規模の組織の暗躍を未然に防いできた
未来事象予測システム「HIMICO」を中核とする監視ネットワークが機能不全に陥ったためでもあった。
更に陰陽寮本部が封印していた数多くのプレシャスが
本部潰滅に伴い散逸・流出したと言う噂が流れたことも、彼らの活発化に拍車をかけた。
東京郊外は陰陽寮の遺産を狙う「ネガティブ」同士や、
プレシャスの管理を目的とした超国家組織「サージェス財団」のエージェント達の抗争の場となり、治安は急激に悪化。
警視庁に於いて「SAUL」「レスキューポリス」を中核に応急的なネットワークシステムが立ち上げられたものの、
機動性の高い中小規模の組織に対し、芳しい結果を出せずにいた。
更に各地では魔帝国の勢力拡大も著しく、陰陽寮地方支部が次々と占拠されていったのも、この中小組織の活発化を助長した。
陰陽寮本部消滅の直後、間髪を入れず敢行された地方支部同時奇襲作戦。
電撃的に行われた当作戦担当者は陰陽寮からの離反者である半機械人間レイスクラーケン=役華凛であり、
弱点を熟知した彼女は、指揮系統の混乱した各地の支部を次々と陥落させた・・・
「エニグマ」を始めとした競合組織との衝突の激化により、
一時的に侵攻速度を緩める魔帝国地上侵攻艦隊だったが、
それは同時に、多くの力無き人々が巻き込まれる事を意味していた
塞がれた耳目
激化する組織間抗争
分断された日本各地の地球防衛組織やヒーロー達は
終わりの見えない防戦に、絶望的な孤軍奮闘を強いられていた・・・
磨き上げられた御影石が、景色の白に溶けていく。
短い二月は間も無く終わり、暦の上では春が訪れる。しかし東北の内陸に位置するこの盆地は、未だ刺す様な厳しい寒さと、降り積もる雪に覆われている。
辺りには目の前のそれと同様、家名が刻み込まれた石柱が白塗りとなって立ち並び、黒い礼服を白の斑で彩った参列者が五十と数名。
半数がいわゆる「人間」の姿だが、もう半数ほどが鳥や獣、地に這う虫や神話伝承に語られる幻想の生き物の意匠を備えた「怪人」の姿。
魔帝国の魔王を始め上級改造魔人と落天宗の祭司や守衆、落天宗同様魔帝国の傘下や同盟に降った組織の首領格や、その名代として訪れた大幹部たちだ。
ここは、墓場。
現世で最も彼岸に近い場所。
悪霊と妖怪を操り、自らの血肉に取り込む呪われた一族と、地の底より這いだした、伝説の化け物の姿を持つ魔なる帝国の軍勢の本拠地。
菱木村、日本地図から消えかかった過疎の村の片隅、人口千人の村民の共同墓地。
雪降り積もる真新しい墓石の横、法名塔には此処に新たに葬られる戦死者の法名が彫り込まれていた。
蛇道院藪衝法師――――平成17年1月2日没
かつて毒蛇の王と呼ばれた魔王の納骨式。最も、納められるべき遺骨は無い。
彼は、地上の風に溶けて消えた。
仮に残されていたとして、故郷へ持ち帰る当ては無く、供養する身寄りも其処には居ないが。
唯一、息子と呼べる存在も所在は不明。魔帝国に反旗を翻し、遺産の相続権を放棄している。
故に施主は彼の魔王の主であり、魔帝国元首・竜魔霊帝が務める。
―――――不快な顔だ。
内心毒吐いたのは、故人の冥福の為の祈りと読経を捧げる司祭。
幽玄の影と海魔の触手を備えた半機械人間、レイスクラーケン。
霊威神官に気に入られ、更に陰陽寮各地方支部攻略での功績を上げた事で、彼女は祭儀の一切を霊威神官の代行として取り仕切るポストを与えられた。
名実兼ね備えた魔帝国の幹部である。
しかし彼女は今、役華凛――――親から貰った人間の名前で呼ばれた頃を思い出していた。
経が終わると、焼香の儀式が始まる。最初は無論、施主からだ。
その顔はレイスクラーケンの、最も憎悪した女の顔だった。
催す不快感を必死に堪え務めて平静を保ちながら、気取られぬように顔を見やる。
醜い訳ではない。寧ろ、美しい、美し過ぎるとさえ言える面立ちだ。
だがレイスクラーケンはその顔が酷く嫌いだった。
それは彼女が未だ人であった頃から、幾度となく見せられてきた顔。
痛みを押し殺し、周囲の期待に応え様とする意志と苦悩を抱えた顔。
偽善者、優等生ぶりの顔。
切望してやまなかったモノを、そうと知らず掠め取っていった盗人の顔。
何時も嫉妬と引き裂かれそうな痛みと共に見てきた。
疎ましいだけの他の三人とは異なり、彼女にはいなければと思い、願い止まなかった。
そして、呪い、願いは、叶った。
再び燃え始めた富士火口に彼女が消えた時、悦びながら深い虚脱感に襲われ、その日は震えが止まらなかった。
幾度となく悪夢にうなされ、胸に石が詰まった様に苦しく、嘔吐を繰り返した。
どれほど嫌い憎んでも彼女は共に過ごした仲間だったのだ。そんな彼女を死に追いやった自分の裏切り行為に恐怖し、嫌悪した。だが――――
(気に入らない、気に入らない・・・・・・!)
今、一度その顔を目の当たりにした時、後悔の念は黒く渦巻く情念の中に溶けて消え、燻り掛けていた怒りと憎悪は再び昏く燃え始めた。
故人を偲ぶ列に、魔人や妖人を始めとした怪人たちが続く。
何れも各組織の大幹部級。歴戦の仮面ライダークラスの戦士でも、決死の覚悟が必要となる猛者達ばかりだ。
その彼らが、あの、軽薄でふざけた男の納骨式に参列しているのは、故人に思い入れがあるから等では無い。
一重に彼らが施主である竜魔霊帝を畏れ、彼女に忠誠を誓っているからだ。
かつてレイスクラーケン・・・・・・いや、役華凛が最も憎み、妬んだ女に。
胸を掻き毟る様な嫉妬に耐えかね、長く過ごした古巣を裏切り、友と同胞、挙句は自らのささやかな血肉さえ売り払い、手に出来る筈だった心の平穏。
手に入らぬばかりか、永遠に奪い去られようとしている。
許せなかった―――――いや、許して於いてはいけなかった。
それが、理不尽な逆恨みで在る事は自分が人間だった頃から充分に承知している。
だが、理性で判っていたとしても、感情は到底それを受け入れられない。
許容すると言う事は、自らを、生まれた意味から否定することなのだから。
レイスクラーケンは、既に知っていた。
呪う程に深く想った女と、目の前の竜魔霊帝が、同一の人物である事を。
教えてくれたのだ。数日前、久方振りに出会った旧友――――疎ましく思いながら、それでも友と呼べる彼女が。
やがて、鬱陶しく降り続けていた雪は止み、幹部怪人たちの焼香の列も無くなる。
そもそも、この程度の雪くらい魔帝国や落天宗の幹部クラスなら制御できる筈なのだ。雰囲気作りの為に、無駄に降らせていると言う魂胆が透けて見えて腹立たしい。
始めは無為で無意味と思えたこの儀式だったが、他の組織の幹部の顔が知れただけで収穫だったかもしれないと前向きに思う事で怒りを和らげる。
最も、何処も「悪の秘密結社」であることに変わりない。参列者の総てが「本人」とは限らないが。
「それでは皆さま。本日はこの様な天気の中、まことに有難うございました――――」
レイスクラーケンは段取りで予め決められた台詞を喋り、式を終わらせようとした。しかし・・・・・・
「あ、皆さん、寒いと思いますがもう少しだけ待って頂いて良いですか?」
涼やかに響く声がそれを止める。
「皆さま。今日は御足もとの悪い中、故人の為に集まっていただいて、誠に有難う御座います。彼も、安心して冥土への旅路に就けたことでしょう」
白々しく憎らしい顔。白々しく憎らしい声。それは神野江瞬、ここでは竜魔霊帝だ。何時の間にか手にはマイクを持っている。
「さて、彼の弔いも終わりそろそろ良い機会なので、皆様にお知らせしたい事があります。柿本さん、準備は?」
「おkッス」
赤ら顔で小太りの男が知らぬ間にテレビカメラのセッティングを完了させていた。確か落天宗幹部の――――
「では」
「はい陛下、視線こちらに。さん、にぃ、いち、キュウ!」
何をするのか。
状況を把握できたものは、この場に居合わせた歴戦の猛者達の中にも、そう多くは無かった筈だ。
何処からか、何時の間にか湧いて来た撮影スタッフと、報道陣――――の様なマイクを持ったスーツ姿の男達。彼らを前にして、竜魔霊帝は喋り始める。
「えー、皆さん今日は。魔帝国元首こと竜魔霊帝です。今日は皆様に重要なお知らせが在ります」
そして彼女はこほんと小さく咳払いをすると、少し照れた様な顔で続けた。
「私、お嫁さんになります」
波佐見京一は今いるこの巨大なフォークタワーが好きだった。彼が幼い頃、この街を離れて間も無く建設された、この街の象徴的建物の一つ。中に何かが在るのではないかと想像させるロマン満ちた超高層ビル。何時か帰りたかった街のシンボル。波佐見は此処である男を待っていた。
議会堂の扉が開き、職務を終えた代議士たちが油ぎった臭いを引き摺りながらぞろぞろと出ていく。何時もの詰襟の特警服ではなく、スーツ姿なので彼らは誰も自分を気にとめない。
暫くすると彼の目的の男が出て来る。老壮と言って良い年齢の男だ。年相応に恰幅が良いが、背が高く姿勢も良い為、然程中年太りしては見えない。髪も色素は随分抜け落ちているが、量そのものは歳の割には豊かな為、いわゆるロマンスグレーと言う粋な色合いを生み、貫禄を醸し出している。
その、壮年の男も此方を見つけたのか、ポケットに突っこんでいた右手を引き抜いてそれを振りながら此方に歩いて来る。
「おう、“侯爵”じゃねぇか。怪我はもういいのかい?」
鷹揚に問う男に波佐見も親しげに答える。
「ええ、その節はご心配かけました。――――知事」
「色々大変みたいだったらしいじゃねぇか」
「其方ほどでは有りませんよ。事後処理含めてお疲れ様です」
「ま、ここで立ち話もなんだ。うめぇ寿司出す所があるから、そこでどうだ?」
「是非。ご相伴にあずかります」
波佐見は素直に追従した。
・・・・・・
知事が連れて来てくれたのは、彼の好みそうな粋で渋めの料亭だった。
「どうです? 議会の方は」
「いけねぇな。売国奴どもが随分と蔓延ってきやがった」
苦々しい表情。彼が差し向けてくる盃を任務中だと断りながら波佐見は問う。
「例の外国人参政権ですか」
「おお。だが外国人、程度なら未だマシだ。裏で糸引いてやがるのは大陸の奴らだけじゃねぇ。人外ども・・・・・・だ」
「外国人参政権ならぬ人外参政権、という訳ですか。ふふ」
「笑い話じゃねぇよ、おまえさん。黒岩の時は奴一人の独裁だったからどうにかなった様なもんだが・・・・・・奴らが議席を取って“今の正攻法”で都政、いや国ィ乗っ取ろうってんなら、コイツはちっとことじゃねぇか」
「ですねえ」
「っち・・・・・・たく、お前さんとの話は手応えがないぜ」
「インテリっぽい喋り方してますが、私、そんなに頭良くありませんから。参考意見は述べられませんよ」
「そういうことぁ堂々と言うもんじゃねぇよ」
波佐見ははははと愛想笑いでお茶を濁す。彼の性格を知っているので、それ以上は追及してこない。
「で、どうだったい? 巌崎のジイさんの欲しがってたモンは手に入ったのかい?」
「残念ながら。全く予想もしていなかった邪魔が入りまして。逃げ帰るだけでやっとでしたよ」
「予想してねぇ? そりゃ、お前さんの責任だぜ」
「仰る通り。全く、光山君には感謝の言葉も在りません」
苦笑して、忠告を甘んじて受ける波佐見。知事は呆れた様に言う。
「お前さん、また玻璃子嬢ちゃんに助けられたのか。好い加減、安心させてやれ」
「無茶をしている心算は無いんですが、もう一つ身体がついてこないんですよねぇ」
鍛え足り無いのですよと波佐見は続ける。
生身の肉体一つで立ち向かうと決めた時から、予想外が立ちはだかる事は常に予測していたが、「予想外」が相手だけに常に万策立てられる訳ではない。
「うん、まあいい。で、目的のモノは手に入らなかった、と」
「残念ながら実物は」
波佐見は肯いて言う。彼が依頼主から奪取を求められたものは二つ。“鬼神”と言う改造人間を生みだす要となる“赤雷石”と呼ばれる物質と、陰陽寮が極秘裏に開発していたBFロボの量産型。一方は所在を突き止める事も出来ず、もう一方は実物を目前にしながらあと一歩のところで手に入れる事が出来なかった。
「しかし私たち本隊が彼女の目を引いておいた分、伊都君が巧く動いてくれました」
「ほう、っつうてぇと・・・・・・あれか? 大仏さんか?」
「ええ、もう一つの本命、対馬沖に沈んでいた大如来吽の回収に成功しました。半島や大陸だけじゃなく我が国の巡視艇に見つかりそうになってビクビクしたそうですよ」
波佐見には光山のほかにもう一人腹心と言える部下が居た。伊都と呼ばれるその青年は、気弱だがその分慎重で、冷静辛辣な光山玻璃子共々暴走しがちな自分を良くフォローしてくれる。
「磁雷神を参考に聖武天皇が建立したと云う護国盧舎那大仏・・・・・・二度目の元寇の折に大陸の魔物と戦い、力を使い果たして海の藻屑となったと聞いたが。未だ生きていたとはねぇ」
「ええ。文字通り“生きて”いました。ただ――――戦闘によって破壊されたのか、経年劣化によって失われたのか判りませんが、外装部にかなりのダメージを負っていた様です。起動キーとなる陰陽一対の寶剣も、一方の陰の寶剣しか発見されませんでした」
「ま、ガワの修繕は巌崎のジイさんのところが何とかするだろ。剣の方も京都のうさんくせぇジジイどもの領分だ」
「その京都の御老人の件なんですが――――」
波佐見は本題に入る。わざわざ世間話をしに彼に会いに来た訳ではないのだ。
「やはり御老人達はこの東京を、人外の墓場にと考えている様です。件の移転計画もその一環でしょう。極秘裏に陛下にご行幸からお帰り頂く手筈も進めています」
「けっ・・・頭にカビ生えたジジイどもが。そんなに取り残された事が妬ましいかよ。てめぇらのクソつまらねぇプライドの為に一千万人に犠牲になれってか? ふざけやがって!!」
激昂する。独善的で自尊心が強いが、今の東京を愛し行く末を憂う男でもある。組織の方針は決定事項では無いとは言え、この街を戦場とする、という流れに彼が怒りを覚えるのも無理は無く、そして波佐見もそれに充分共感できた。
「当然、そんなことをさせるつもりは私にもありません。ゴルゴムやクライシスの時の様な悲劇を繰り返す訳には私もいきませんから」
あれから十五年。この街は人知れず人類の危機の最前線に在り続けたが、最悪の事態に陥るのだけは踏み止まってきた。これからもこの街の住人は裏の世界のカオスを知らないまま、表側のカオスの中で生きていけば良い。そう在るべきなのだ。
「頼むぞ京一。京都のジジイどもの動向は出来るだけ細かく伝えてくれ。俺の方も出来るだけの事はやろう。“軍団”も動かす」
「遂に“六波羅軍団”が動くのですか。中々、派手な事になりそうですね」
「流石に昔みてぇにバズーカぶっ放したり高級車大量にぶっ壊させる様な真似はさせらンねぇがな」
「判りました。我々“ハハヤギ”も全力を尽くしましょう。何も知らない子山羊を悪賢い狼どもから護る為に」
波佐見は決意を改める。そう、人外を――――人知の外に存在する異形の者達を、尽くこの国から、いやこの地球上から駆逐し尽くさねばならない。
その為だけに、今まで生きてきたのだから。
「ところで・・・・・・おまえさんは無事逃げ遂せた様だが、神埼のばあさん達は、どうなった?」
「恐らく、生きてはいないでしょう」
即答する波佐見だが、濁した答えで断定はしない。
「最期を見届けていないので何とも言えませんが、あのタイミングで脱出できたとは思えません。私がこうして生きているのも殆ど奇跡に近い訳ですし」
そう言いながらも波佐見は自分の言葉を信じ切れなかった。居城や母艦と運命を共にした指揮官が、後から唐突に現れる。古今、現実創作に関わらず良くあるパターンだ。
そもそも、自分自身の境遇と言うか立場自体、そんな感じである。弟同然だった従弟の京二も此方の業界に入ってきているらしいから、もし再会した時は「死んだ筈の肉親が秘密組織の幹部になって現れる」と言う月並みなシチュエーションが起こり得る訳で、それを考えると今から気恥ずかしくてならない。
その時、携帯の着信音が鳴り響く。副官光山からの緊急連絡だ。
「すいません、失礼します」
「おう、出てやんな」
断りを入れて着信ボタンを押すと、予想通り、怒りに満ちた、しかし冷たい副官の声が響く。
『侯爵、未だ完治なさっていないのですから出歩かれてはいけないと言われていた筈です。どちらにいらっしゃるのですか』
「ああ、すいません光山君。ちょっと病院食に飽きたので寿司をちょいとつまみに・・・・・・」
『御自重なさってください。普通なら未だベッドから起きるのも憚られるんですから』
「それより何か用があるのでは?」
『・・・・・・ええ。先程、魔帝国から声明の発表がありました。映像があるので送ります。あと、勝手に出歩かれた件に関しては後からちゃんと伺いますので』
「わ、わかりました」
副官の怒りは相当なものだった。それだけ心配してくれているのは有難かったが。波佐見は恐々としながらも送られてきた映像ファイルを開く。
携帯の液晶画面には、真っ白い雪景色の中、真黒な服と真黒な髪を風で揺らす美しい女性が、頬を薄ら赤く染めて映っていた。
先程から何度か話題になっている竜魔霊帝そのひとだ。そして中の人が弟分の恋人らしい。彼女は口を開いて宣言する。世界を驚天させる言葉を。
『私、お嫁さんになります』
波佐見はお茶を噴いた。
『この様な場で不謹慎に思われる方もいらっしゃるかと思います。しかし、これは帝国の為にその身を捧げた邪眼導師マナの冥福を祈るこの日だからこそ行うべき宣言なのです』
聳え、立ち並ぶ巨大な摩天楼と、その下に広がる東京以上に渾沌とした街並み。西洋的風情と、アジア的な色彩が混じり合う此処は中華人民共和国、特別行政区香港―――――
かつて、西洋列強の帝国主義の拡大により東アジアから切り離されていた200余りの島々。海上交通の要衝として栄え、二十世紀後半には世界有数の貿易都市に発展した。97年、中華人民共和国に返還されて以降も、特区と言う形で本国とは一線を画した社会システムを維持し続け、今に至る。
陰陽寮本部消滅から約一月半。京子と、そして五人の仮面ライダーを乗せた仮面ライダー支援用ビークル・ライダーキャリア2世はこの街に滞在していた。
魔帝国との戦いで傷付いた五人のライダーが戦う力を取り戻す為に――――だ。
暫く前まで、ライダーキャリアに同乗していた女医の手で瀕死の縁に在ったライダー達五人は一命を取り留めた。しかし、その後すぐに彼らが現役に復帰する事が不可能だと言う事をその女医から告げられたのだ・・・・・・
・・・・・・
―――――・・・一ヵ月半前
「“取り敢えず死なない様に”は出来たと思うわ」
執刀医である女医は酷く疲れた様にそう言った。
「知っていると思うけど、彼らの身体に埋め込まれたものは生身とそうでない部分を反発させ、拒絶反応を起こさせる、言うなれば改造人間に重度の膠原病を発症させる様なものよ。それであたしが出来たのは、その病根を取り除く事と、それによって傷付いた体組織を修復する事。勿論、医者として最善を尽くしたけど、完全に問題が無くなったわけではないわ」
悪性腫瘍を思わせる白い肉の塊がガラスケースの薬液の中を不気味に漂っていた。
邪眼導師によって埋め込まれた“罠”であり“枷”。彼らが正規の手続きを踏まず洗脳を脱した場合のみ発動する様仕組まれた安全装置。改造人間分解振動波発生装置。
このライダー達の身体に寄生する様に巧妙に隠された毒芽は、死の花を咲かす直前に、命を司る女帝の手で摘み取られた。
だがライダーの命を支えるエンプレスは神妙な表情を浮かべる。ネアカで知られる彼女が、この様な顔を見せるのだ。いやでも不安を覚えてしまう。
「問題は“歪み”よ」
彼女が告げたのは思いもよらないものだった。
「歪み、ぎっくり腰の様なものですか?」
「遠からずも無く、と言う感じね」
彼ら仮面ライダーの身体にヘルニアが起こっていると考えると何かシュールなものがあった。
しかし―――――
「だけどそう楽観出来るものじゃないのよ。この歪みと言うのは生の部分と改造部分が乖離してしまった所為でバランスが崩れて起こったもの・・・・・・フィットしなくなったと言ったら判り易いかしら。成長によって義手が合わなくなる様な、或いは詰め物が歯から抜け落ちたりする様な感じね。彼らは各組織の最先端技術で改造された存在だから、強力だけど同時にとても繊細で、その所為で歪みが全身に波及し潜伏している・・・・・・特に人工臓器の割合が大きい三人は顕著ね」
そう言って彼女が指し示したのはエル=エリアとパトリオット=マクガイア、そしてジハード=カシム。京子は胸に嫌なものが込み上げる様な錯覚を覚えた。
「結論から言えば、彼らはもう戦う事は出来ない。安静にしている今なら問題は無いけど、もし変身して生体機能が活性化すれば、歪みは広がり、体組織は綻び、破壊されていく」
では、もはやと呟き問う京子に彼女は冷徹な医師の表情で肯いた。
「一医者として、彼らが戦うのを許す事は出来ないわ。今回だって、実質ギリギリだったから」
其処に居るのは何時ものお喋りと悪戯が好きな彼女では無かった。その雰囲気が、告げる言葉以上に良弁に事態の深刻さを語る。
「リハビリを続ければ在る程度元に戻るかもしれないけど、常に爆弾が付きまとう――――そう肝に銘じておいて。ゴメンねこれくらいしか力になれなくって」
「いえ、二宮先生。私はあの人を救って貰っただけで満足です。本当にありがとうございました」
妥協や気遣いで無く京子は本心から女医二宮瑠魅に礼を言った。実際、異なる技術体系で改造された五人に並行して治療を行い、命を繋ぎとめただけでも神業と言える技術が振われているのだ。そして彼女の説明が正しいならば、恐らく、五人に改造手術を施した技術者達でも完治させるのは難しいだろう。
確かに毒蛇の魔王が残した災いは、猛毒と言うに相応しい厄介なものだった。彼らが戦えないと言う事実も、人を護る事を仕事としている者として残念ではあった。
しかしそれ以上に、愛するものが、一度死んだと思っていた男が、二度と命を賭けた戦場に戻らなくて良いと言う事実は、恋人としては嬉しくも在った。
生きていてくれた、それだけで京子は満足だったのだ。しかし――――
「待ってくれ、先生・・・ッ」
「・・・・・・ジイサンみたいなことをやれ、だって? 勘弁だぜ、先生」
「ああ、俺たちは寝ている訳にはいかない」
浅黒い肌をした二人の青年が部屋の入口に立っていた。しかし一方はインド人、もう一方はアラブ人だ。
「カシム、それに・・・・・・えぇと・・・」
「ルドラ、で良い。人間の時の名前、忘れているからな」
インド風の青年――――というよりは少年以上青年未満程度の歳くらいだろうか――――が答える。
「ルドラ、カシム、二人とも未だ安静にしていなくちゃ・・・・・・」
「そう言う訳にはいかないよ、京子。俺達にはやるべき使命がある」
カシムは案じる言葉を甘えと振り払う様に拳を握る。
因みに今彼らは日本語で喋っている。自由騎士が取り出した胡散臭い翻訳食品の効能が作用し続けているらしい。
二人の仮面ライダーは執刀医に使命感漲る双眸を向ける。其処には病みあがりの弱弱しさなど微塵もない。
「どうにかならないか、二宮先生」
「力が在るのに、ただ眠っている訳にはいかんだろうよ・・・・・・なあ」
「参ったわね・・・・・・そんな目をされると何とかしてあげたくなっちゃうじゃない」
医師二宮の顔も苦渋に満ちていた。彼女も仮面ライダーと呼ばれる男を肉親に持つ。彼らの思いは痛いほど判るのだろう。
京子は出来得るなら縛り付けてでも戦いから遠ざけたかった。彼らはきっと動ける内は例え死ぬ事が判っていても、再起できなかったとしても戦いに赴く。
自らの身体に爪とキバを与えられたモノの使命として。だが―――――
「なんとかなりませんか、瑠魅先生。戦えなければ、彼らは彼らでなくなってしまう」
京子も痛切に問う。正直、戦って欲しくは無かった。だが彼らの性分を知る以上、それを避ける術は無い。ならば出来得る限り生存性が高くなる選択をしたかった。
「一つ、手が無いでもないよ」
そう言って現れる桐生春樹。和服の上に白衣と言う冗談の様な出で立ちの男だが、その頭脳は世界の宝だ。
「東洋医学的な手法ならば或いは事態を打開できるかもしれない」
「本当ですか?!」
興奮気味に問う二人のライダーに、桐生は落ち着くよう勧めてから説明を始める。
「患部を点として捉え、それを取り除く事を旨とする西洋医学に対し、人体を面として把握する事で相互作用を認識し、人体が本来持つ力を促進するのが東洋医学――――中医学だ。鍼灸や按摩、生薬、そして気功と言った肉体と精神の内面に作用する中医学ならば、全身に生じた“歪み”を解消するのに有効かもしれない。実際、全身に大怪我を負い外科的手法では再起不能と匙を投げられた患者が、中医学の手法で驚くべき早期に完治したと言う例もある。試してみる価値はあるだろう」
「成程・・・・・・」
確かに不協和音を奏でる全身に再び均衡を取り戻すには最適な手法かもしてない。まさにぎっくり腰、ヘルニアの解消には最適である。しかし、京子は直ぐに問題に気付いた。
「ですが―――――」
「安心したまえ」
人工知能に生じた懸念を先読みする桐生春樹。天才の肩書は伊達では無い。
「彼らを診てくれる様な中医師に一人心当たりがある。香港―――――そこの下町で開業しているらしい」
周到に答えを用意していた。
・・・・・・・・・
その様な訳で香港に着いて一月半。しかし、その間、収穫は一切無かった。
今日も歩き疲れてヤサに帰る。ライダーキャリアは貨物船に偽装して港に停泊させて在った。
「お帰り、お疲れ様」
「ゴメン、今日も手掛かりなしなんだ・・・・・・」
労い出迎えてくれるカシムに京子は謝罪する。今、彼らは一秒も無駄に出来ないと、身体を復調させる為にライダーキャリア内でリハビリに励んでいた。
「いいんだ。君にばかり苦労をかけている。謝るべきは俺達の方だ」
「あう・・・」
帰ったら愛するものが出迎える。そのシチュエーションが生みだす多幸感で人工知能がハングアップしかかるが、人並みの幸せに浸っている場合では無い。
急がなければ、彼らは戦う力を取り戻す前に戦場に戻りかねない。実際、今目の前に居る男は縋る手を振り払って死地に突撃して行った前科がある。急がなければならない。
(しかし一概に香港と言っても、広過ぎるよ・・・・・・桐生先生)
日本で「エニグマ」と戦う仮面ライダーヴァリアントやセラフを支援する為に二宮医師と共に帰国した心の恩師に恨み事を呟く京子。
本来、ロボット刑事の量産タイプとして開発された彼女は優秀な調査能力を持つ。様々な超考古遺物を発見出来たのも、この機能の応用によるものだ。だから普通なら人一人探し出すのは訳が無い筈なのだが、改造人間も看てくれる中医師―――――その手掛かりは何故かまるで掴むことが出来なかったのだ。
(せめて、マリアがいてくれれば・・・・・・)
忍者である彼女が同行してくれていれば、調査能力は飛躍的に拡大しただろう。しかし、彼女は日本に残った。
『わたしでは力になれない』
力無くそう告げ、ライダーキャリアから去って行く彼女を、京子は引き留める事が出来なかった。
だが、今にしてみれば無理にでも連れてくるべきだったと京子後悔した。別れてから暫くして、日本にいる渡部奈津から緊急の連絡が届いたからだ。
『マリアが大怪我を負った』そして『彼女が変身能力を失った』と――――――
魔帝国を襲撃した際、彼女は変身する事が出来ず、逆に返り討ちにあってしまったらしい。幸い命に別条は無かったらしいが、彼女の心にのしかかるショックは更に大きいモノになってしまったらしく、最近は無二の親友であった奈津の言葉にさえ上の空と言う有り様らしい。
親や家族の様に慕っていた人々との急な死別。そして裏切り。帰る場所の喪失・・・・・・忍者としては優し過ぎる彼女の心には、立て続けに起こった一連の事件は辛すぎたのだ。
そして京子は、原因の一端が自分に在る事も知っていた。
マリアの病的な男嫌いは“人格未形成時の心的外傷”に起因するものらしく、それは同時に同性への友情の域を越えた思慕の念、愛情や強い依存性も生みだしている。一種の同性愛者と言って良いだろう。そして彼女の猟奇的愛情が、自分にも向けられている事を京子は知っていた。
カシム・・・・・・死に別れた筈の恋人との再会という事態は、京子自身以上にマリアに衝撃を与えたのかもしれなかった。
また、大好きな人が奪われた、と。
そして、また大好きな人が裏切った、と。
(無事で居てね・・・・・・)
虫が良いとはわかっていながら、願わずにはいられなかった。
「おい、ケーコ。モニタルームに来てくれ! 変な通信が入ってやがる!!」
太く大きな声、アメリカ人のマクガイア=仮面ライダーパトリオットだ。彼はアメリカ人らしく何時も大袈裟で喧しかったが、今回の声色は酷い緊急性がある事を感じさせた。
「これは・・・・・・」
モニターには何処からか強制的に送信された映像が映し出されていた。それは雪景色の中、佇む良く知った黒髪の女。
そして彼女は、今の名前を名乗るようになってから毎度の様に口にしていた突飛な事を今日もまた通告した。
『お嫁さんになる、結婚する、とは言え、それは飽く迄も結果の一つに過ぎません』
大切な後輩が受けるショックは更に大きいモノになりそうだった。
『我々、魔帝国ノアは地上侵攻に当たり重要な戦略目的の一つとして竜王六遺物と言われる古代の宝器を探しています』
レイスクラーケン、役華凛が竜魔霊帝の正体を知ったのは、数週間前、旧友で会ったマリアとの再会においてだった。
彼女はその日の事を回想する。
・・・・・・
その日、ビルの屋上から変わり果てた古巣を見下ろしても、何の感慨も湧かない自分の心に、レイスクラーケンは落胆していた。
あそこには欲して止まなかった総てがあった筈なのだ。それにも関わらず、彼女の心にはこれといった際立った感情が湧きおこってこない。
肉体こそ機械と魔物を取り込んだ異形に成り果てたもののまだ心だけは残っているものと思っていたからだ。
「まぁるい・・・」
レイスは童謡でも口ずさむ様に小さく呟いた。眼下には奇妙な形の湖が暗い色の湖水を静かに湛え、佇んでいた。
まるでコンパスで描かれた様な綺麗な円形の湖――――作為的な水たまり。
水面の広がるその場所は少し前まで、かつての古巣が在った場所だ。
それが巨大な水瓶の様な池に変ってしまった詳しい状況を彼女は知らされていない。だが邪眼導師の竜魔霊帝勅命による作戦行動中のことで、その際に生じた“何か”が、陰陽寮本部とその周囲の物質を根こそぎ奪い取り消し去ってしまったのだ。
あの異様に丸い湖は、それによって出来たクレーターに雨や雪、地下水や上下水が流れ込んで出来たものだ。
表向き、犠牲者はゼロとされている。地下のガスだまりの爆発によるもので、職員は三が日全員休暇中だったと。
だが、公表される事実と秘匿される実態には大きな隔たりがある。そして陰陽寮本部の消滅は東京の様相を大きく様変わりさせた。
表向き街はバレンタインを控えて賑わう例年と変わらない。
巨大災害が在った後にも関わらない図太さを見せるが、第6感以降の感覚を持つ者ならばその変化を鋭敏に感知しているだろう。
東京―――その前身である江戸から引き継いだ都を霊的に守護する為に築かれた結界、その要石の一つを陰陽寮は兼ねていたのだ。
それが消滅したのだから当然、結界は決壊し一定の均衡を保っていた霊場は乱れ、大地に走る竜脈も少しずつ歪み、無数の霊たちが淀む様にこの人口過密都市に集まりつつある。
鬼や魔法使い達によって大きな怪異の発生源が二つ消えた事で今は辛うじて均衡を保ってはいるが長くは続かないだろう。
富士の噴煙による日照時間・日照量の減少は闇と長い黄昏を生み、長い黄昏は即ち逢う魔が時を引き延ばし怪異の生成を促す。
ある情報筋によれば三途の河が増水し、警戒水位を超えたと言う観測報告もあると言う。
やがて東京は近いうちに人々の心が病み廃れ、犯罪の発生件数が急増し、日中でも妖怪や魔物が自然発生する魔都と化すだろう。
それが地上侵攻艦隊の現在進める、日本制圧の橋頭保を作るための「魔界都市東京計画」第一段階。
魔素充ち満ちた瘴気漂うこの街は落天宗本拠地に続く魔人たちの入植の地となる。恐らく多くの血が流れる事になるだろう。
「ふ・・・・・・ん」
正直、そんなものはどうでも良かった。こんな田舎者の集まりの街が、地獄と同義となろうと、其処でどれほどの人が死のうと、もう自分には関係の無いことだと思っていた。
レイスクラーケンは踵を返す。別段、何か用が在って来た訳では無かった。過密スケジュールで組んでいた仕事に合間が出来たから、何となく気の赴くままに様子を見にきただけなのだ。
(挨拶・・・しなくちゃね)
一応、この東京における魔帝国の前線基地、コスプレ喫茶・魔皇子亭に顔を出して帰らねばなるまい。組織に属する以上は、そう言った上下関係が欠かせないのは人間も魔人も余り変わるところはない。人脈もまた力の一部なのだと霊威神官は説く。余り人付き合いが得意でないレイスにとって、難儀な話である。
そんな事を徒然に思い、その場を離れようとしたその時、背後に気配を感じる。
「リンちゃん」
振り返るより早く、人で在った頃の名前を呼ばれる。思い出して少し苦笑してしまう。そう言えば彼女は背中から驚かすのが好きだった。悪戯好きの少女の顔を思い浮かべながらレイスは振り返る。
「!」
だが直後レイスは余りに明白な事実を、声に出して確かめずにはいられなかった。
「マリア・・・・・・ですか?」
レイスは自身の認識に確証を持てなかった。そんな彼女の疑念を晴らすのは、力なく頷く少女。か細い、枯葉を散らす木枯しの様な声が漏れ響く。
「久しぶりだねリンちゃん」
「・・・うん」
柔らかそうな癖のある金髪と、鮮やかな青い瞳、そして幼さを多分に残す顔立ち。それは間違いなくレイスが、未だ“役華凛”と呼ばれていた頃の同僚。そしておない歳の友人、マリアだった。だが――――しかしと言わねばならない。
「大丈夫・・・?」
今は敵同士、それが念頭に在りながらレイスは問わずにはいられなかった。それほどまでに旧友の様相は一変していた。
頬は扱け、眼の下には隈が色濃く浮かび、金色の髪も良く見れば荒れて絡まっている。自らの名前のレイス――――亡霊の二文字は寧ろ今のマリアにこそ相応しいとさえ思えた。
「はは最近ねごはんがあんまり美味しくないんだダイエットには良いんだけどねーあはぁ」
「そう・・・」
明朗快活だった少女が、今その顔に笑みに成り損なった痛々しいモノを浮かべている。短く受け答えたまま、レイスは言葉を失ってしまった。
無口で陰鬱な少女と、口数が減り暗くなってしまった少女は、暫くの間、沈黙していた。お互い、向き合っていながら視線を交わす事なく、眼を伏せ俯いていた。
居た堪れない。
落胆するほどに自分の心に何も残さなかった古巣の壊滅――――しかし、この旧友には心と体を病ませるほどの傷となったのだ。
自分は、その一因となってしまった。憎らしく、疎ましく思っていた筈なのに、その事実は酷く重くのしかかった。
だが、やがて言葉を発するのは元が良く喋る方。彼女は今にも泣き出しそうな顔を浮かべて言う。
「酷いよリンちゃん。わたしたち裏切っただけじゃなくって先輩まで連れてくなんて!!!」
「え? え? え?」
糾弾するマリア。しかし、それには身に覚えの無い罪状まで含まれていた。
確かに自分は自らの願いを叶える為に、欲望を達成させる為に友を裏切った。それは認めるべき事だ。だが後半部分は認める以前に意味が解らない。
「先輩? 連れていく? どういう・・・」
「リンちゃんでしょ?先輩を魔帝国に連れてったの!!」
「何の話か・・・・・・わからないんだけど」
確かにマリアが先輩と慕う人間の一人が失われる遠因となった事は認めるが、しかし連れて行く云々に関してはまるで理解できない。
レイスは彼女との間に明らかな情報の齟齬があることを認めた。
だが、あの暗く碧い瞳には自分の姿が罪を認めず無罪を主張する被告人と映ったのだろう。怒りと嘆きの綯い交ぜになった叫びが乾いた空を震わせる。
「嘘だッ!嘘だよっ!!先輩はあんなことをする人じゃないもん!!」
「先輩・・・・・・相模さんが、相模さんに・・・何か?」
マリアにとって先輩と言う人間は彼女だけであろう。だが、マリアは首を左右に振ってそうじゃないと否定する。
「違う違うよ何を言ってるのリンちゃん本部が消えたのは神野江先輩がでも!!違う!!」
「・・・・・・神野江さん・・・が? どういうこと? どうして?」
意味は判らなかったが、それでも彼女の口から衝いて出た名前にレイスは思わず戸惑い、驚く。
「そうだよ先輩はそんなことをする人なんかじゃない!!大首領なんかじゃない!!先輩は竜魔霊帝なんかじゃない先輩は先輩なんだから!!」
マリアの言葉は支離滅裂なものだったが、「友人・華凛」としての付き合いの長いレイスには大まかに理解する事が出来た。
しかしレイスが何より驚いたのは、マリアが訴えたいのであろう神野江瞬の凶行についてではなく、それ以前、神野江瞬の生存についてだ。
(神野江先輩が・・・生きている?!)
血が熱く沸き、勢いよく四肢の末端に流れ込むのを感じたのは恐らく錯覚ではない。
富士の火口に消えた筈の彼女。鬼神の命の要、御鬼宝輪を破壊され、全ての力を絞り出して消えた筈の神野江瞬、その彼女が、やはり生きていたと言うのか。
無論、予想していなかった訳ではない。
この元同僚の言葉を信じるならば、あの不自然なまでに良く似た魔人の皇帝は、やはり疑っていた通りの人物に間違いなかったのだ。
しかし、である。
「リンちゃんが先輩を連れて行ったんだッ!!!」
見当外れた言葉の羅列。この心を病んだ少女は、自分が憎んで止まないあの女を魔の国に紹介し引き入れたと思っているのか。
「・・・ふ」
レイスは俄かに口元を歪め、笑いを零す。
「ふふふ・・・あはははは・・・あはははははははははははは」
そして絞り出す様に哄笑し始める。最初、驚いた様な表情を浮かべたマリアだったが、次第に訝しむような顔になり、馬鹿にされ嘲笑われているとでも思ったのか、眉を顰めて問う。
「何がッ何がおかしいのリンちゃん」
「嬉しくって」
「え?」
レイスは偽りない心からの言葉を告げた。しかしマリアは察しえなかったらしい。だから彼女は説明してやる。自分が喜び溢れている理由を。
「・・・新しい・・・目標が出来たから・・・生きる、為の。それが・・・嬉しくって」
レイスは切れ切れな言葉で綴り、旧友にそう答えた。
持つべきモノは友、等という陳腐な言い回しがあるが、つくづく思わされる。
かつて同僚だった頃は煩わしささえ覚えたが、敵味方に分かれた今は有益な情報源だ。
妖麗楽士――――地上侵攻艦隊諜報局長を甘いな、と思う。
一陰陽師でしか無かった自分の裏切りと違い、陰陽寮最強戦力である「鬼神」が敵組織の首領と同一人物であったと言う事実。
それは魔帝国の皇室スキャンダルと言うだけでなく、陰陽寮どころかその上層組織にも責任問題の累が及ぶ重大な不祥事だ。
だから「あちら側からは漏れないだろう」という希望的観測、甲斐被りがあったのかもしれない。だが、それは人間の衝動的な行動を度外視していると言わざるを得ない。
現に、此処にも一人感情故に理性や理屈を度外視した人間がいるにも拘らず、些か甘い見通しと言うべきものだ。
(いや・・・・・・)
或いは、それも計算に入れたものかもしれない。
(何のために?)
思考は何時もここで行き詰る。竜魔霊帝の正体を神野江瞬と疑いながら、マリアの言葉を聞くまで確信に至れなかったのも、この「何のため」・・・つまり「理由」が解らなかったからだ。
「そうやってワケわかんないこと言ってしらばっくれるのリンちゃん?」
「くれるも・・・なにも・・・マリア、私に何の利益が・・・あるって言うの?」
強い語調で問うマリアにレイスは逆に問い返す。そう、自分にはそうする理由が無い。若し半機械人間となる交換条件がそれならば即座に断っていただろう。
「だって、私は、強く、強くなりたかった。誰よりも・・・あの人よりも・・・それなのに、あの人を、一緒に連れて行くわけ無いでしょう。むしろ・・・こっちが聞きたいくらい。なんで、陛下・・・いえ竜魔霊帝を、神野江さんがやってるのかしら」
促される様にマリアは暫時、黙考する。
「・・・・・・影武者にするため?」
マリアの発言に、レイスは首を左右に振る。
「NON、彼女は竜魔霊帝と呼べるだけの力を持ってる。影武者に本物同等の力を与えるとは思えない。それに魔人はトップが率先する行動原則を持っている。影武者は有り得ない。――――じゃあ最初から彼女は竜魔霊帝だった、というのは」
「NON。先輩は風見さんが子供のころ連れてきた。あの仮面ライダーV3が見落とす筈が無いよそれに幾らなんでも効率悪いし――――」
マリアの言う通りだった。あの男は慧眼と言う言葉を体現した様な男だ。若しくは深謀遠慮による可能性も否めなくは無いが。
「じゃあ、先輩、まさか自分から望んで・・・?」
「NON、彼女がそう言う人間じゃない事は貴女が一番知ってるはずよ、マリア。あの人は、何より誰より期待と願いを裏切る・・・・・・裏切れる人ではない」
頬の肉が引き攣る。神野江瞬とは、そうなのだ。憎悪を覚えるまでに、そうだったのだ。
皮肉を交えた筈の言葉は、自らの思い至った最悪の結論に青ざめていたマリアにとって幾らか慰みにはなったらしく、小さな安堵の息をついている。
だが、消去法によって求められたレイスの結論は、再びマリアを奈落へと追い詰める。
「つまりは・・・・・・彼女に多大な影響を与えられて、彼女が竜魔霊帝になることで大きな利を得る事が出来る。そんな人物・・・」
「まさか・・・」
ハッとするマリア。この情報で彼女が思い浮かべる事が出来る男の名は一つしかない。
「――――伊万里京二」
どちらとなく、その名を口にする。
「でもまさかそんな・・・・・・・・・ううん」
マリアはうわ言の様な呟きを俄かに洩らし始める。否定しながらも、思い当たる節が、レイスが持ち得ぬ確信に近付ける情報を持っているらしい。
「何か、知ってるの・・・・・・? マリア」
「マナ君が言ってた」
「邪眼導師――――閣下が?」
うんと小さく呟いてマリアは言う。
「竜魔霊帝が、竜王を蘇らそうとしてるって。六遺物を集めろって。でも、まさか、そんな」
「そう・・・・・・六遺物――――それが『竜王』を、蘇らせるための鍵、なのね・・・・・・」
「あ・・・・・・」
「・・・・・・糸が・・・つながったんじゃ、ない?」
マリアは驚嘆に声を漏らす事も出来ない。だが、彼女とて気づいていなかった訳ではあるまい。
薄々、その答えが頭の中に在りながら敢えて目を逸らしていたのだ。彼女のメンタリティを慮ればその理由も判る。
嫌いだ、不潔だ、セクハラだと言ってもあの邪まな正義感の男を仲間だと思っていたかったのだろう。
だが彼女の愕然と悲痛を予見しながら、レイスは敢えて断言した。
「神野江さんが竜魔霊帝になり・・・・・・竜王を復活させようと・・・してる。彼女にそれを、させ、尚且つ・・・・・・利益を得られるのは・・・・・・伊万里教授――――いえ、竜王本人しかいない」
状況証拠は、一つの結論を導き出す。だが、例え状況証拠が揃わなくとも誰かが「伊万里京二の仕業だ」と密告すれば、在り得ると思えただろう。
皮肉な事に、あのいかがわしい男は“いかがわしさ”の一点に関しては恐るべき信頼性を持っている。
「そんな・・・・・・あの時、逃がしたのは・・・・・・間違い、だったの?」
マリアの顔に後悔の影がより濃く落ちる。どうやら伊万里京二の逃亡は彼女らが手引きしていたらしい。あの渾世魔王を解き放つとは随分と切羽詰まっていたらしい。
打ちひしがれる彼女の姿は、レイスクラーケンに暗い悦びを与えた。
何時も彼女は、病弱で虚弱な自分を、こうやって上から見下ろして他人事のように笑っていた。
それが酷く堪らなかった。今、こうやって意趣を返せる喜びに、レイスは魔人となる道を選択した自分を称賛した。
「ふふふ・・・・・・マリア、心配しなくて、いい・・・わよ?」
レイスクラーケンは余裕と格の違いを見せつける様に、ゆったり笑いながら気遣う様に告げる。
「必ず・・・・・・神野江さんは・・・・・・貴女の所に返してあげる。あの、邪悪な竜の王から・・・・・・」
「え?!」
驚きの中に混じる期待の表情。本当に、この旧友は忍者と言うには幼く、そして愚かだ。レイスクラーケンは口角を吊り上げ、見下ろす様にしながら言葉を続ける。
「違ったわ・・・・・・『送ってあげる』と言った方が良いかしら」
「!!」
漸く、言葉の真意を理解したのか、マリアの顔から緩みが抜け、慄然とした心境が見て取れた。
「先に、待っていて・・・・・・頂戴ね。時間が・・・かかるかもしれないけど・・・・・・きっと、必ず、そっちに・・・・・・送り、届けてあげるから」
レイスクラーケンは、役華凛の姿から、頭部に十の触手を持つ、虚ろに白い悪霊―――――半機械人間の姿に一瞬で変身する。
マリアも仮に忍者を名乗っているのならば解っていた筈だ。必要以上に情報を知り過ぎた者は、それを利用する者に殺されると言う事を。
「う・・・・・・吹けよ木枯し、木枯し・・・!!」
甘い女忍者は一拍遅れる様に、背中の忍者刀を鞘鳴りさせて化身しようとする。しかし―――――
「え・・・・・・?」
通常なら吹きこむ一陣の風が彼女の姿を変える筈だが、しかしキタキツネの化身忍者はそこに現れず、戸惑う新氏マリアの姿のみが在った。
「え、え、え?」
彼女は何度も刀を抜き差しし甲高い納刀音を立てるが、彼女の全身の細胞はまるで戦闘形態に移行しようとしない。
「ふ・・・・・・」
笑いがこみ上げる。この姦しい女の不幸が、ただ痛々しいまでに消沈しただけでは無いとは。レイスクラーケンは殊更に大袈裟に、事実を告げる。
「マリア、貴女、変身する力を、戦う力を失ったのね・・・・・・!!!」
「うそ・・・・・・やだ・・・そんな・・・なんで・・・どうして・・・・・・」
見っとも無く取り乱すマリアに、レイスは触手を展ばし、彼女の手に絡め、足を捉え、首を締めあげる。
「あう・・・あ・・・あぁ・・・・・・くぅ・・・・・・」
本来の彼女ならば、変身など出来無くても避けられる様な攻撃だったが、冷静さ、いや完全に自失状態になった今の彼女は、抵抗しようと言う気概さえ見せなかった。
「ふふふ・・・・・・あなたは・・・本当、価値の無い・・・・・・人間。誰の役にも立てず・・・・・・自らの思いも・・・果たせず・・・・・・無念の中で・・・・・・逝きなさい・・・・・・」
触手にゆっくりと力を込めると、弛緩した筋肉は抵抗する事無くそれを受け入れ、彼女の細い骨格は軋みを上げる。
「ああ・・・・・・あ・・・あう・・・くぁ・・・あ・・・・・・」
直ぐに逝かせるつもりは無かった。痛みの中で自分の無力さを充分に噛み締めさせた上で、だ。肉体だけでなく、心も蹂躙し尽くしてこそ、これまで受け続けて来た屈辱を返せる。
これはマリアだけで無い。相模京子にも、渡部奈津にも、神野江瞬にも、同じ様に心と身体を嬲りつくしてやらなければならない。
「ほら・・・・・・もっと、抵抗しないと・・・・・・万が一、助かった時に・・・・・・また、死にたくなる・・・・・・わよ」
先程まで感じていた悔恨の念は、濃く黒い歓喜の衝動に完全に塗り潰されていた。これが、魔人―――――
誰かを痛め、苦しめる事で、恐ろしい程の快楽が全身を震わせる。
「あ・・・・・・うう・・・・・・くぅぅぅ・・・」
マリアは既に口から泡を吹き、目は焦点が定まらず意識を失う寸前だった。
つまらない。意識を失った後では、何も面白い事は無い。やはり意識が在る内に必死に抵抗し恐怖を抱きながら逝かなければ。
それこそを、何より見たいのだから。
何か良い手は無いか。そう考え、触手に込める力を緩めようとした瞬間―――――
「戦風双連斬!!!」
風車の様に舞う二刀一刃が触手をバラバラに切り刻む。
「ッ・・・!! 貴方は!!」
「義理によって、見過ごす事は出来ない」
白い仮面に白マントの騎士が、意識を失ったマリアを抱えて其処に立っていた。
赤い複眼と二対のスリット、一対のアンテナだけのシンプルなマスクの造型と、骨格を思わせるプロテクターのディテール。
地上侵攻艦隊内で配布された資料に、彼のデータは存在していた。
「・・・・・・仮面ライダーREXUS!」
「今は、超神REXUSを名乗っている」
白騎士は右手でマリアを抱きかかえ、彼女を護る様に左手に持った双刀の切っ先を向ける。
「邪魔を・・・・・・なさるのですか・・・・・・? 裏切りの王子」
「君に裏切りを指摘されるのは心外だ」
「そう、ですね・・・・・・」
確かにお互い離反者であることに違いは無い。自分は力を求める為に魔人の側へ、彼は力を持ちながら人類の側へと対照的だが。
「彼女には義理がある。みすみす、見殺しにする気にはなれない。そして引きたまえレイスクラーケン。挑まれない限り戦うつもりは無い」
「フフフ・・・・・・お優しいんですね。でも・・・・・・」
レイスクラーケンは切られた触手を再生させる。功績を上げ昇格した事で、より強力な改造手術を受け、再生能力が格段に向上していた。
「勝てる、お積りなのが・・・・・・癇に障りますね・・・・・・たかが六本腕に勝てなかった貴方が・・・・・・この十の触手の本気に・・・・・・耐えられるのかしら?」
「試すつもりならばやるが良い。私には君のソレが彼のアレの半分も凄いとは思えないが、な」
超神REXUSはマリアを寝かせると、双剣を分離させて両手に持ち応戦態勢をとる。レイスクラーケンは其処に十の触手を唸らせて襲いかかるが――――
「・・・・・・なんて、ね」
「む!!」
レイスクラーケンは口から黒い霧を吐き出し、それをREXUSに浴びせ掛ける。
頭足類の触手を持つ様に、頭足類の煙幕を発する能力も彼女には備わっている。
電磁的に、そして霊的に感覚器官を阻害する毒霧だ。最もREXUSには殆ど効果が無いだろうが。
「・・・・・・貴方とやりあっても・・・・・・こちらに徳は・・・・・・ありませんからね。ですが、何れは・・・・・・覚悟して下さいね・・・」
レイスクラーケンはそう告げて、退く。
強化されたとはいえ、今、彼と戦っても勝てる可能性は高く無い。
案の定、REXUSは追ってこようとはしなかったので、雌伏の時を経て何れ妬ましいこの男を殺すと心に決め、レイスクラーケンは撤退した。
・・・・・・
戦わずに逃げたのは屈辱だったが、それ以上に収穫は在った。
竜魔霊帝が神野江瞬であると言う事実。竜王六遺物と言う強力なアイテムの存在。
この情報を知る自分は他の魔人達に対しアドバンテージを得ていると言えるだろう。
上手く立ち回れば霊威神官ら魔王達の上に立ち、あのREXUSや竜魔霊帝を倒せるだろう。
怪しき伊万里京二の影も気になるが、力を手に入れ仕掛けられた罠を打ち破ってやれば良い。
レイスはそう目論んでいた。
しかし―――――――
「遺物の目録は後ほどお知らせ致しますが、もしこれらを集め献上して下さる方がいらっしゃれば、その対価として魔帝国の全権をお譲り致します。結婚する、とは詰まりはそう言う事」
直ぐに彼女は悪巧みにおいて、相手が一枚上手で在る事を悟った。
「竜王六遺物を集め、その意思を持つならば私も含め、魔帝国はその方に捧げられるでしょう」
時空海賊母艦フェザー・タイクーン、ラウンジ―――――
『・・・・・・どのような組織に属し、どの様な思想を持っていようと構いません。古の大ソロモン王の様に魔を鎮め僕とし、支配を望むか平穏を望むか、それは貴方次第です』
モニターに映った魔帝国皇帝が結婚宣言をしているのを聞きながら、二人の男がカードゲームに興じていた。
宇宙刑事警察機構からは組織の戦艦を無断使用し海賊として活動する宇宙犯罪者として、魔帝国からは組織の軍事活動を妨害するテロリストとして、或いはSGS財団からは地球に数千年眠っていた危険な秘宝を所有するネガティブシンジケートとして、正義・悪何れの陣営からも指名手配、或いは賞金首として懸賞金がかけられてしまったこの一味は、最近、頻繁に襲撃を受けていた。
しかし、ここ二日ほどは索敵範囲内に怪しい影が映る事も無かった。
操船や警戒、補修作業は予めプログラムされていた人格・思考・記憶パターンを魔術的にエミュレートする自動人形が行ってくれる為、この船の実際の乗組員である二人は持て余すだけの暇があった。しかし、それも一方の怒りの声で突然、或いは必然的に破られる。
「そろそろ詳しい説明をしてほしいな」
半ば憤慨する様に、声を荒げるのは金髪の青年。ジーンズに皮のジャケットをラフに着こなすと言う若者らしい出で立ちだが、星とハートを模ったプラスティック製のフレームを持つ色眼鏡が、雰囲気を間抜けなものへと台無しにしている。
それに対し、徹仮面を被ったこの海賊母艦のキャプテン、シルエットXは口の前で手を組んだまま抑揚の無い声で返す。
「必要無い」
「・・・・・・好い加減、ふざけてないで欲しいな」
悪ふざけを体現した様な奇妙な眼鏡の奥で青年のやや幼く見える顔が怒りに歪む。
「彼女があんなこと言ってるのに、この期に及んで、未だこんな事を続けるつもりかい? 大体、何の意味が在るのさ。あれはどう言った意味なわけさ?」
「いずれわかるさ。自由騎士」
シルエットXは飽く迄も説明するつもりが無い様だった。自分は総てを察している。そんな自負心が、仮面の下から透けて見える。想えば彼は初めてあった時からそうだった。
常に余裕たっぷりで、あらゆる難問に平然と解答出来そうな、実際出来てしまう信頼感。しかし、それが今、自由騎士の中で揺らいで居た。それは―――――
「エミーちゃんがああなったのも、貴方の計画通りなのか?」
「!」
自動人形のエミー達は、未だ彼女のパーソナルデータをエミュレートして船内で稼働している。しかし、マスターと言えるエミー本人は一ヵ月半前、竜魔霊帝が引き起こしたと言う時空破断にアスラと共に飲み込まれ消えた。いや、死んだと言うべきだろう。総てをエネルギーに分解すると言う時空破断システム=時空魔方陣。それに飲み込まれて生きているとは思えない。
「説明するまでも無いだろう?」
「ふざけるなッ!!」
自由騎士はシルエットXを殴り飛ばす。座っていた椅子から弾き落とされ、彼はラウンジの床に仰向けに倒れる。
「貴方はッ、そんな人じゃ無いだろ? 彼女はオレたちの仲間だったじゃないか!! それを見殺しにする様な事をして、雪辱も晴らさない!! どうしたって言うんだよ!!」
「あんたこそ、らしく無い。もっとクールに構えていろよ」
「出来るならやってるさ!! だけど・・・・・・出来る訳無いだろ?!」
奇妙な形の眼鏡の下に涙が伝っていた。女々しいとは解っていても、自由騎士は彼女らの不憫に涙を止められなかった。
「オレは彼女を助けるって言うから貴方に協力したんだ。彼女は、大事な友達だから・・・・・・でも、その彼女がどうしてあんな事になってる? そして、どうして貴方が居ながらエミーちゃんは死ななきゃならなかった?! 解らない事ばかりだ!! 面倒臭いじゃ無くって、ちゃんと説明してくれよ・・・・・・頼むから」
「すまない」
シルエットXは立ちあがり、そして告げる。
「悪いとは思っている。だが、あと少しだけ何も聞かずに付き合ってくれ。その時が来れば、必ず話す」
「・・・・・・」
仮面の所為で、顔は見えなかったが、シルエットXは耐える様に拳を握りしめていた。その所為でレアなカードが拉げてしまっている。
「解ったよ」
自由騎士は折れる。結局、彼は自らが納得しない限り決して考えを変える事はしない。自らの正義にのみしか動かないのだ。
「殴って悪かったよ。ただ、どうしても我慢出来なかったんだ」
「わかっている。有難う」
シルエットXは、そう言って頭を下げた。
風景は輪郭を失ってぼやけ、色彩が抜け落ち冬枯れの様相を呈する。
指先は血の気を失くして青く冷たく、爪は割れ、あかぎれて、使い古した皮手袋の様に擦り切れている。
泣き腫らした目が刺す様に痛い。耳の奥では鐘を打ち鳴らす様な重い音が唸り続けている。胃にはえぐみのある何かが堰となって詰まった様で、時折強い吐き気を催す。
絶え間無い悪寒と、頭痛と、関節の疼痛によって生じる強い倦怠感。嘔吐によって口腔が荒れ、息をするだけでヒリヒリと痛む。
深刻だなと自覚するのは、全身を覆う不快と苦痛に出なく、それに抵抗しようと言う気力が湧き上がってこない事だ。
心が萎えると言うのはこう言う事だろうと、実感するが、生まれて初めての体験に感動は覚えない。
駅伝、道半ばで倒れた走者。甲子園、コールドゲームで打ち負かされた投手。或いは全米オープン、最後の一打が空振りに終わったゴルファー―――――
彼は、羞恥と屈辱、挫折感からどうやって立ち上がるのだろう。再び凛然と立ち上がれた切っ掛けは何処に在ったのだろうか。
どうでもいい。
もう、どうにも出来ない事だ。
力を失い、存在意義を失った自分が、そんな事を考えても仕方が無い。
自分には、もう、大切な人の傍に居る資格さえ無いのだから。
・・・・・・暫く前、奈津が見舞いに来てくれた。
多忙な中、僅かな時間を圧して来てくれた事は嬉しかった。
ずっと会いたくて、あのちょっときつい目の、小柄な彼女を抱きしめたくて堪らなかった。
しかし、会えなかった。顔を合わせる事を拒絶したからだ。
会う事が出来なかった。
大切な場所と人を護れなかった申し訳なさ。
もう、一緒に戦う事が出来ない辛さ。
そして、あの時、本当に来て欲しかった時に来てくれなかった事への怒り―――――
どうして、どうして私じゃないのか。
あの人たちなのか
私とでは無く、あの人たちと一緒に居る方が良いのか。
渡部奈津だけではない。
相模京子も
神野江瞬も―――――!
みんな、何故、自分とではないのか。
そんな風に、今まで感じた事が無い様な激しい嫉妬と憎悪を、大切な人と、その大切な人が大切に思う人へ向けてしまった。
きっと、彼女らはそんなことは思っていないだろう。自分が愛する彼女らは、そんな人達では無い。
自分の浅ましさを、思う通りにならない彼女らの行動に映して見ているだけだ。
幾つもの感情が込み上げ、心臓が張り裂け、脊髄が焼き切れそうだった。
自分の愚かさに
自分の弱さに
情けなくさえなって、生きる事さえ辛かったが、自ら命を断つ勇気と気力さえ、もう湧いては来なかった。
「マリア」
自分の名を呼ぶ声がする。
幾つもの禍根だけを残し、勝手に満足して消えて逝った毒蛇の舌と目を持つ魔王―――――彼に良く似た声と顔を持った少年だった。
ルゥ。仮面ライダー、いや超神REXUSこと、魔人ルー・R・ルーフ。総てを失う事となった元凶の一つ。
「・・・・・・また、食べていなかったようだな。無理にでも何か入れなければ、身体が保たないぞ」
「いらない。食べたく無い」
どうせ食べた所で大半を吐き戻してしまうだけだ。最早、肉体そのものが活力を拒絶していると言って良い。
「ねぇ」
「・・・・・・どうした? マリア」
「何時まで此処に居るつもりだ・・・・・・とか、しっかりしろ、とか言わないの?」
ここ―――――ルゥが拠点として使用している邪眼導師の秘密研究所に、マリアは二週間以上居座っていた。怪我は既に癒え、看護の必要が無くなったマリアは、しかし迎えに来た奈津を拒み、帰ろうとしなかった。ルゥはそれを何も言わず受け入れ、殆ど廃人と化したマリアの世話を献身的に行った。
ルゥは首を左右に振って応える。
「言っても良いが、私が何か言った所で、何も解決はしないだろう。君にそのつもりがあるのなら、手を貸し、励ましの言葉を贈ろう。知りたいと願うなら、この耳目で見聞きしたものを教えよう。だが、君に立ち上がる気構えが無いのに、私だけが逸っても、仕方が在るまい。ならば、君が自ら立ち上がるその時を待つのみだ」
「・・・・・・もう、立ち上がれないかもしれないのに?」
「キミは私が芽吹きを望み撒いた種では無い。君自身の願い、思いは例外なく君の為のものだ。君がそれを諦めるならば、私に口を出す筋合いは無い」
「じゃあ、どうして助けたの? 放っておかなかったの? 私は、多分、自分自身の事が、もうどうでもよくなってるのに」
「キミのその思いが、一時的なもので無いとは限るまい。結論は急がなくても良い。死ねば思い返す機会も無くなるのだから」
「生きてるだけ、幸せ・・・・・・か」
自らの存在意義を見失ったマリアには、もう理解できない概念だった。だが――――――
『えー、皆さん今日は。魔帝国元首こと竜魔霊帝です。今日は皆様に重要なお知らせが在ります』
突然、テレビの電源がオンになり、聞きなれた声が響き、見慣れた顔が映る。
「・・・・・・神野江先輩?!」
意図せず映しだされた彼女の顔にマリアは困惑した。久し振りに見た彼女は、やはり大好きだった彼女のままで、何処か照れたように、しかし朗々と演説する様に何か言っていた。
混乱する頭は、彼女の言葉を半分しか理解できなかったが、それで充分だった。
『では、どうかお願いします。私を、捧げさせて下さい』
彼女は言った。竜王六遺物を集めれば願いが叶うと。確かに、生きているだけで幸せだったかもしれない。彼女は直ぐに、それを実感する。
「遂に動き出したか。竜魔霊帝陛下・・・・・・これは、忙しくなりそうだな」
苦い表情を浮かべるルゥ。彼は申し訳なさそうな顔を此方に向ける。
「マリア、すまないが暫く私は此処を留守にする。君の世話を出来ないのは心苦しいが、当面、生活出来る備えは蓄えてある。好きに使ってくれて構わない」
「待って・・・・・・」
部屋を出て行こうとするルゥを引き留める。
「どうした、マリア」
「さっき言ったよね。立ち上がるなら、力を貸してくれるって」
「ああ」
「じゃあ教えて。力を取り戻す方法があるのなら・・・・・・」
「君も、六遺物争奪戦に加わると言うのか」
懸念を含む様に問うルゥに、マリアは肯く。
ルゥが罠を危惧しているのは判った。上手い話が在る筈が無い。
だが、彼女の告げた言葉は今のマリアには酷く甘美なものに感じられた。
甘い毒、それと気づきながらマリアは枯れた心身が芯より潤い、今まで死んでいた自分が新なる自分に真に生まれ変わった様にさえ思えた。
頼ってくれたのだ。手を広げて求めてくれているのだ。厳しく突き放し、非積極的に待つのではなく、呼びかけてくれたのだ。
(神野江先輩は私を求めてくれている・・・!)
マリアの心は、都合よく事実を曲解した。
そうしなければ、二度と立ち上がれないほど彼女の心身は萎え切ってしまっていたのだ。
甘い言葉に縋る。それは疲れ果てた彼女の心の自己防衛本能だった。
「いいだろう。ならば那須高原を訪ねると良い」
「那須・・・・・・栃木? 其処に何が在ると言うの?」
「・・・・・・妖怪だ。元来霊場だったが、富士を中心とした大結界によって鎮められ、最近までは観光地として賑わっていた。しかし陰陽寮本部が消滅し結界が途切れた事で、再び悪霊や妖怪が集まりつつある。本部機能を代行する京都の陰陽寮近畿支部は魔帝国との抗争と西日本の護りを重点に置く余り、東日本に手が回っていない。今は未だ雑多な低級妖怪程度しか発生していない様だが、規模が大きくなり悪霊が霊団を成せば周囲に及ぶ被害は甚大なものになるだろう」
「それと、私の変身能力と、何の関係が在るの?」
「・・・・・・すまないが勝手に君の身体を調べさせて貰った。君の変身能力喪失は心因性のものだと考えて言い」
マリアは咎めなかった。そして、明かされた事実に然程、衝撃は受けなかった。恐らくそうだろうと、半ば予測していた。
「度重なる精神への負荷が、変身の際に分泌される脳内ホルモンの受容体をブロックしている。これを解消するには、簡単に言えば自信を取り戻せばいい。自分は出来ると、立ち上がれると」
「その為に、戦って自信をつけろって言うのね」
「ああ。精神的なリハビリテーションと肉体的なトレーニングを行うには実戦が最も効率的だ。私の肉体にも、その記憶が刻み込まれている」
マリアは苦笑する。特訓。前時代的な無茶な鍛錬法。
超神等と名乗っていても、鬱寸前の変身能力ももたない少女を其処に送り込もうなどと言う発想をする辺り、血肉に刻まれた因業は根深い。
だが――――――
「それしかないっていうなら、やってやろうじゃないの・・・・・・」
失った総てのモノを取り戻す為に、少女は再び両足に力を込めた。
・・・・・・
少女は力を取り戻す為に再び立ち上がり、彼の元を去って行った。
果たして此れで良かったのだろうか。ルゥの心に一抹の不安がよぎる。
力は自分自身がそうであったように、所詮は術、道具でしか無い。
だが、彼女に立ち上がる気力を再び取り戻させるには力に縋らせる他、ルゥには思いつかなかった。
彼女から大切なものを奪い去った元凶である自分が何を言っても、それは白々しい綺麗事に過ぎないから。
マリアは既に力を求め、自らを見失った者を良く知っている筈だ。だから、溺れる事は無いと信じたかった。
その場所が、何処にあるのか多くのモノが知っている。
だが、“そこ”が何処にあるのか、誰も知らない。
人々の傍近くに寄り添う様に存在しながら、遠く彼方に在るモノの様に全貌を掴ませない。
真っ暗な闇の中に浮かび、悪意と熱意の根を地下深くに張り巡らせるソレは「エニグマ」、そう呼ばれる者達のこの国での拠点。
即ち、「エニグマ」日本支部だ。
この日、この日本支部の最高責任者である「司令」、或いは「博士」と呼ばれる男は、上機嫌に笑っていた。
「博士」、そう呼ばれる様に彼は研究者だ。しかも「狂える」という接頭語をつけられる類の。彼は表面的には穏和で、冷静で、理知的で、ユーモアも理解し、ウィットに富む会話も出来る、やや常識は欠くものの、良識を知る人間だったが、確かに紛う事無く狂える科学者だと言えただろう。最も、研究者と言うものは大なり小なり内なる狂気の化け物を飼うものだ。
彼は、その内なる狂気―――――或いはカルマと言うべきか―――――が人より遥かに大きく、尚且つそれを御し得る力量を持つ、持つと自負する研究者だった。
その彼が喜悦に浸るのは、当然ながら、彼の興味を引く研究材料を見つけた時に他ならない。
未知を解体し、その内側を理解し、支配する。それが彼の本質であり、「博士」の称号は彼を的確に表した言葉だと言えた。
司令室のモニターでは先程から同じ映像がリピートされている。黒髪の女が、日本最古のお伽噺に描かれる月の姫君の様に、難題と引き換えの婚姻契約を告げていた。或いは、竜を呼ぶ秘宝にて総ての願いを叶える冒険譚の様でもある。集める者の数が前者より一つ多く、後者ととるなら一つ数が少ないが。
『この様な場で不謹慎に思われる方もいらっしゃるかと思います。
しかし、これは帝国の為にその身を捧げた邪眼導師マナの冥福を祈るこの日だからこそ行うべき宣言なのです。
お嫁さんになる、結婚する、とは言え、それは飽く迄も結果の一つに過ぎません。
我々、魔帝国ノアは地上侵攻に当たり重要な戦略目的の一つとして竜王六遺物と言われる古代の宝器を探しています。
遺物の目録は後ほどお知らせ致しますが、もしこれらを集め献上して下さる方がいらっしゃれば、その対価として魔帝国の全権をお譲り致します。
結婚する、とは詰まりはそう言う事。
竜王六遺物を集め、その意思を持つならば私も含め、魔帝国はその方に捧げられるでしょう。
どのような組織に属し、どの様な思想を持っていようと構いません。
古の大ソロモン王の様に魔を鎮め僕とし、支配を望むか平穏を望むか、それは貴方次第です。
では、どうかお願いします。私を、捧げさせて下さい』
この宣言は、一定の規模、そして能力を持つ組織や個人の総てに強制的に送信されていた。
「―――――中々、大胆な真似をするものですね。彼女も」
「フフ、いや面白いよ。実に、面白い」
呆れた表情を極力抑えようと務める副司令に、「博士」―――――メルカトルは笑いながら言う。
「六遺物、実に興味深い。人員を割く余裕はあるかね? 此方で探してみるのも面白いかもしれないよ」
「・・・・・・まさか司令、まさかですが彼女にご興味がお有りで?」
「いや、未だ身を固めたい欲求は無いよ。まあ彼ら魔帝国の技術や魔人のサンプルが手に入ると言うのなら、それも悪くは無いが、寧ろ私は六遺物とやらの方に興味があるね。仮にも組織の長が、それを総て賭けても良いと嘯く程の品。実に興味深いじゃないか」
目を輝かせるメルカトル。狂気、とは子供の様な無邪気さ、或いは好奇心と置き換えても良い。人間を人間たらしめる性質。
「或いは、そうやって付加価値を付ける事で、それに目を向けようとしている・・・・・・ということかもしれないいね。何れにせよ、彼女の思惑を知るには乗ってやるべきかな」
「では、プランの立案と人員の選出は作戦部に回しておきましょう。そう、多くは割けませんが」
「ああ、解ってる。飽く迄も見つかればラッキー程度で良い。頼むよ」
恐らく謎の解明には大きな困難と労力を伴うだろう。悪意ある妨害を幾つも仕掛けてくるだろう。
だが、だからこそそれを解き明かす楽しみは大きくなるのだ。