蜘蛛と
阿修羅と
『遠い魔の国』@
視界の左側で、赤黒く燃える円盤がゆっくりと大地の境界線に沈んでゆく。それは果たして日没と言って良いのだろうか。
そこは見下ろせば何処までも続く荒涼な砂漠だが、見上げても空は無く、岩肌が何処までも続き、その二つが遥か彼方で一つの線と成って交わる、岩盤に閉ざされ綴じられた世界だった。
天外魔境ならぬ、天蓋魔境。
大地と大地の端に日が消えていく事を、果たして日没と言って良いのか――――
「地底なのに――――日が暮れるんだな」
思わずエミーは口に出さずにはいられない。すると、彼女の後ろに立っていた男が笑う。
「最初は、そう思う。みんなね。私もそうさ」
耳触りまで慮った様な、心地よい低音。エミーは振り返らないが、屈託のない笑顔が想像できた。ウラ・ソーク・・・・・・浦
走駆を名乗る自称・日本人―――いや日本民族、だ。
「詳しい事は私も良くはしらないんだが」
彼はそう注釈を加えてから、あれは地球の『核』が太陽の霊力―――オーラで天井岩盤に投影されたものだと説明する。「魔の国」は、魔術の行使触媒である魔素に満ちた世界と聞く。地上では不可思議に思える現象も、当然のこととして起こりえるのだろう。
「スケールの大きい影絵、みたいなものか」
「そうだね。そうなる。だから「魔の国」では西から昇ったお日様が、東に沈むというわけさ。奇妙な世界、だろ?」
「・・・・・・」
聞き覚えのあるフレーズ。エミーはソークという男が日本人であることを承知する。焔色の逆立った髪に色白で彫の深い日本人離れした顔立ちだが、流石にこんな地の底に天才一家のテレビアニメが放映されているとは考えたくなかった。
そう・・・・・・ここは地の底、地獄に程近い場所。大地が煮えたマグマの海だった頃、其処に生じた泡が冷え固まって出来たとも、天空彼方から災いが訪れた時に、地の上の生き物を哀れんだ神が強大な通力によって開闢したとも言われる巨大な地下空洞。今、地上を侵略せしめんとする魔帝国ノアの本拠、“遠き魔の国(ダウンワールド)”だ。
故に、見下ろしても見上げても大地なのも、薄暗い太陽が東に沈むのも、“これでいい”のだ。
時空魔方陣に飲み込まれたエミーと元宗は気づいた時には何故か「魔の国」に漂着していた。
其処に、まるでタイミングを見計らった様に現れたのが、妖気満ちる「魔の国」に在って清浄な爽やかさを感じさせる奇妙な男、ウラ・ソーク。
彼は、このあたり一帯の領主で在り、自らの街へと案内すると申し出てきた。自らの属する勢力が間伐を交えている相手と知らないのか、或いは知った上で陥れる為の罠か――――余りの都合の良さに胡散臭さも感じたが、取り敢えず二人は申し出を受ける事にした。そうしなければならない理由が、それも極めて重大で命に関わる理由が二人にはあったのだ。
「どうやら月の出の前に辿り着けそうだ」
地の繋ぎ目に姿を隠しつつある地核の影を見ながら、ソークは安堵の息を漏らす。進行方向に巨大な壁の様に立っていた岩山の麓に、石の色をした帯の様なものが見えた。
「あれが、私が統治を与った、城塞都市ハジ」
誇る様にソーク。どうやら帯の様に見えるものは石造りの外壁らしい。目算からすればかなり高く築かれた外壁だ。更に接近すると中央に門らしきものも見える。
「ハジから先はRELの領土だ。キミたちは運が良かったよ」
「REL? 運が良い? どういうことだ?」
エミーは問い返す。彼が狸を演じているにせよ、今、自分たちは「魔の国」の予備知識を知らぬビギナーという設定だ。潜在的敵性を有する彼には暫くは気持ち良くチュートリアルを行って貰わなければ困る。だが水先案内人は、何処か面倒そうに焔色の髪を掻き回す。
「まあ、おいおい説明していくが、RELというのは簡単に言えば魔帝国との戦争状態にある、ちょっと人種差別の激しい国・・・・・・ってとこかな。ん・・・・・・そろそろ先行しよう。門を開けさせる」
ソークは少々わざとらしく話を切ると、キャビンを抜ける。間も無くクリスタニアの荷台から、機械仕掛けの騎馬に騎乗して外壁に向かって走っていく姿が見えた。
「良かったのか? エミー、これで」
黙して語らなかった元宗が問う。これまで黙っていたのは、敵に対して苛烈な彼が、冷静であると装うためだ。下手に口を開けば、魔帝国に対する敵意が言葉の端々に衝いて出かねない。だが彼は、別段寡黙な男の役の出来栄えを評価して欲しいわけではない。
「ああ、仕方ないだろう。ここは敵地だ。いつ露見しないとも限らないが・・・・・・少なくとも、相手が知らない内は利用させてもらおう」
「・・・・・・好きなやり方じゃねぇがな、あまり」
元宗の言葉にエミーは頷く。彼女もまた敵に自らの命運を預けるのは些か抵抗を感じていた。
「わかってる・・・・・・私だって、そうだ。だが、私たちに地上に戻る手段が無い以上、奴らを利用する他ない。何としても私たちは地上に戻らなければならない」
「そうだな、確かに」
最近、出会った頃に比べて殊に納得が速い。そして彼はキャビンの壁を叩きながら問う。
「戻れないんだよな、こいつじゃ? ドリルが付いてたみてぇだが・・・・・・」
「ああ、恐らく、な」
エミーは呻く。
ダメージを負い過ぎている所為もあるが、スペック的に考えて完調だったとしても、この厚い天の蓋を突破する事は出来ないだろう。多くの予算を費やしタイクーンの護衛機として完成したワルツ・ギアが地の底に閉じ込められたまま、目的を果たせない現状は些か苦々しかった。
「ま、それじゃ仕方ね。モノは考えようだ。ここで上手く立ち回れば奴らとの戦い、優位に進められるかもしれねぇしな」
「随分と切り替えが早いんだな――――お前は、人類の自由と平和を護る仮面ライダーじゃないのか?」
「だからさ。これまで攻められっぱなしだったろ? オレたちは奴らの事、何もわからないも同然だ。ここで一発、ガツンといきたいじゃないか」
「むぅ・・・・・・」
二度に渡る魔王との交戦・撃退により断片的な情報を得てはいるものの、何れも策謀と混沌を楽しむ魔の君主たちの言葉故、肝要な部分は何一つ判っていないと言って良い。いや、エミーの主である時空海賊シルエットXや、陰陽寮の局長神埼、或いは賢者と呼ばれる科学者たちは―――知っているのかもしれない。
『ニャ・・・・・・珍しく元宗が知的なこと言ってる』
不意に、猫を想わせる甲高い声が響き、声色通りの猫の様な白い生き物が現れる。共星霊獣“咬”・・・・・・アスラの肉体に宿りアスラの力を制御する一種の人工生命体。東洋呪術的に言えば管狐、西洋魔術的に言えば使い魔のようなものだが、彼の口から出るのは従者のモノとは程遠い。
『ま、四の五の言ったところで、結局、あいつについてかニャかったら、二人揃って道に迷ってジ・エンドだニャ』
「う・・・・・・」
「む・・・・・・」
元宗とエミーは言葉に詰まる。そう、これが危険な水先案内の申し入れを受けた最大の理由だ。土地勘のある場所でも明後日の方向に行ってしまう彼らだ。潜在的に敵だったとしても、あの時あの場所で彼に出会えなかったら、彼らは何時までも見知らぬ土地で彷徨うまま、だったのだ。
『ま、兎も角、言葉に甘えて休ませてもらうべきだニャ。二人とも連戦で身体がボロボロだからニャ』
「そうだな。確かに・・・・・・疲れた」
元宗の“魁”、“殿”への瞬間変身の特訓を始めてから「魔の国」に漂着するまで、時間的には一日と経っていないがまるで数年間戦い続けていたようにさえ思える。外傷こそ術で治癒したが、その分疲労は余計に募っている。
城壁の門が開かれ、その脇で焔色の髪の男が手を振るのが見えた。エミーは、彼の誘導に従ってクリスタニアを操作した。
小さな窓のガラス越しの風景に、銀色の月明かりに照らされた街が見えた。どうやら、一昼夜・・・・・・いや一夜昼寝ていたらしい。恐らくは、これでも高級な部類に入るのだろう強い毛質の毛布が身体の上に在ったが、それを捲らず室内の気配を探る。
ソークと言う男は総督を務めていると言うだけあり、観察力と気遣いの在る男だった。取り敢えず、諸々の雑事は後回しにして宿泊施設を提供してくれたのだ。街の中央からやや離れた、しかしそれなりに高級な部類だと判別できる宿。その、上等な部屋の中に自分の呼吸と心拍以外の生物の気配は感じられない。エミーは毛布をのけて、まだ頭と胸のあたりに残った気だるさを押し殺しながら立ち上がり、そして眠りに就く前の事を思い出す。
(この割符を見せてくれれば良い。それから、少ないがこれも持って行ってくれ。先立つものは必要だ)
ソークは一度、総督公邸―――つまり自宅に泊めようかと口にしたが、何故か直ぐに考えを改め、ここを選んでくれた。歓迎、警戒、その他諸々の思惑が見て取れたが、その時エミーはもう疲れ果て、考えを巡らせる余裕は無かった。それは、元宗も同じだったようで、彼らか落ち着いたら総督府に顔を出してくれとの話を聞いた後、そのままベッドに沈むように眠ってしまったのだ。
(拙かったな・・・・・・)
迂闊さに背に冷たいものが流れる。目を瞑る前と同じ天井が見えるから良かったものの、何らかの罠・・・・・・下手をしたらあの蛇の様なミミズの様な化け物の腹の中という可能性もあったのだ。
(あるな・・・・・・)
ソークが渡してくれた諸々も、欠品なくある。戦闘服と覆面もだ。エミーは急いでそれらを身につける。覆面は度重なる戦闘によりボロボロで、出来れば新しいものと交換したかったが、タイクーンとはぐれてしまった現状、望むべくもない。費用対効果が優れた代替品が手に入れば良いのだが。
体の臭いも些か気になる。地底世界の「魔の国」では火も水も貴重で、風呂など贅沢の極みらしい。昨晩はクリスタニアから持ち出したサバイバルセットの水を使わないシャンプーとボディソープでしのいだが、やはり流水を浴びないと汚れが纏わりついた感が在って気持ち悪い。
部屋から出ると、既に元宗が部屋の前で待っていた。足元には白い猫の様な生き物、コウ。
「おす」
『良く眠れたかニャ』
「あ、ああ。お早う・・・・・・と言うには些か微妙な時間だろうがな」
エミーは自嘲的に呟く。元宗がどのくらい前から起きていたかは判らないが、寝起きを待たれるというのは何となくばつが悪い。しかし元宗は首を左右に振る。
「いや、どうやらあってるらしいぜ。“おはよう”で」
「? どう言うことだ?」
「月が出てから街が賑わい出した。まァ、街に出れば判る。じゃ、ソークに会いに行こうぜ。起きぬけで悪いんだがな」
「いや・・・・・・そうだな」
元宗は何処かそわそわして見えた。短気なこの男の事だ。待つのも待たせるのも得意で無いのだろう。色々と生理的欲求もあったが、取り敢えず待ち惚けを食わせていた彼に報いてやらねばならない。
(しかし・・・・・・)
エミーは違和感を覚える。ただし、不快なものではない。全身、体幹から末端に至るまでの神経が研ぎ澄まされ、精神が充実している。肉体は傷と疲労を癒す為に渇ききっている筈なのに、それが余り気にならない。こんなことは何時以来だろうか。
「どうした?」
「あ、ああ・・・・・・すまない」
急かす短気な男は既に階を下りようとしていた。エミーは慌ててそれを追いかける。
宿を出ると、街は銀色の月光に照らされ冷たくも美しく浮かび上がって見えたが、成程元宗の言うとおり、多くの人々・・・・・・地上の人間と区別のつかないものから、禽獣或いは虫や蜥蜴の要素を備えるデミ・ヒューマノイドで賑わっていた。やはり、「魔の国」と呼ばれるだけあり夜こそ彼らの時間と言う訳らしい。
「驚いたな、こりゃ」
元宗の感嘆の声に、エミーも頷いて同意した。
「スターウォーズだな、まるで」
歩きながら、元宗がポツリと呟く。
道中、街の様子を興味と情報収集の両面を兼ねて観察した二人だったが、些か拍子ぬけしてしまっていた。
地上では、恐るべき伝説の数々で語られる地下世界、遠い魔の国。そんな場所に覇を唱える魔帝国の最前線に位置する城砦都市だ。さぞかし剣呑な瘴気漂う人外郷だろうと覚悟・・・・・・いや、期待をしていた。
だが――――
「おっと失礼」
「こちらこそ、すまない」
よそ見をしていてぶつかりかかったのに、穏やかな口調で道を譲ってくれるコオロギ顔の紳士。
「良いもん入ってるよ。どうだい、立派だろ?」「んー・・・主人の好物なんだけどぉ、も少しおまけしてよ」
蛙のような露店の主と、頭髪が蛇となったメデューサ風の若い主婦。
「まってよぉぉぉ!!」「こっちこいよぉぉ」
肌の色ではなく形態的に人種が異なる子供たちが元気一杯と言う有り様で駈けていく。
魔人だと確信出来る黒い気配を漂わせるものは殆ど見受けられず、街の人波からは、二人が慣れ親しんだ“殺気”と“敵意”がまるで感じられない。
ノスタルジックさを覚える穏やかな空気がそこには在った。
「つい目が泳いじまう。これじゃ、まるでおのぼりだぜ」
攻撃的な気配を感じない所為か、殆ど観光客の体である。冗談ともつかない元宗の言葉にエミーも思わず顔を綻ばせる。
「ソークが包んでくれたが、これでは何処で何を買えば良いか見当がつかんな」
「おいエミー、あそこで捌いてるヤツ、オレたちを襲った奴じゃねぇか?」
「ああ、私たちが遭遇した個体はもっと大型だと思うが・・・・・・成程、食用として用いられるのか・・・・・・」
ミミズの様な蛇の様な砂中生物が、牛を想わせる姿の店主が持つブロードソードのような大包丁で手際よく解体されていく。砂と同じ色の皮膚と紫の肉色はグロデスクで一見する限りとても食欲をそそるものではなかったが、これに関しては食文化の違いだろう。西洋で忌避されるタコを食う日本人や、カタツムリを食うフランス人、船と戦車以外なら何でも食べる中国人に、イギリス料理を食す英国人など地上でも似たようなものだ。
「モノは試しだ。食べてみるか? 元宗」
「いや、いい。どうせ食うんならソークに聞こうぜ。他所に行った時はソコに住んでる奴に聞いた方が良い」
臆病な事を聞こえが良い様に言って、薦めを断る元宗。
「正論だが、らしくないな。男ならなんでも試してみるものだろう?」
「なんだそりゃ。そうホイホイ、わけのわからんものを口に突っ込めるかよ」
「第一、ソークが本当のことを教えてくれるとは限らないだろう? ここは敵地で、奴は敵の軍勢なんだからな」
充分な警戒が必要なのだと、エミーは寧ろ自分を戒める様に言う。
「魔の国、か」
元宗は改めて周囲をぐるりと見回しながら言う。
「理解してるんだがな、油断しちゃいけねぇってのは」
「気持はわかるがな。だが、どう転ぶか判らん」
表面的には確かに穏やかに見える。だが、自分たちは未だ数十分とここを見ていないのだ。確かに治安は、「魔の国」の街と言うには余りに良すぎたが、街のそこかしこには憲兵と思しき剣呑な雰囲気と武器を携えた者が睨みを利かせている。決して、安全なばかりの場所では無いはずだ。
ソークは特に時間を指定しなかったので、二人は気の向くまま、一応は警戒をしつつ街を歩いて見て回った。途中、例によって食べ物なのかそうでないのかさえ判らないものを売りつけられそうになったが、何とかそれをかわしながら・・・・・・もはや完全に観光気分になりつつあった。
「なぁ」
疲労と混乱が落ち着き、思考が冷静になってくると疑問が生じる。エミーは半歩前を歩いていた元宗の背中に呼び掛ける。
「元宗、お前は気にならないのか?」
「ははっ」
エミーは、元宗の上げたその声が笑い声と気付くのに一瞬の時間が必要だった。笑い話になるようなことをしているつもりは一切無かったからだ。
「何がおかしい?」
「エミー、お前、前にも似たような切り出し方したよな? ・・・・・・『気にならないのか』って、な」
エミーは想い出す。随分と前に感じるが日数としてはほんの数日前だ。罪悪感に苛まれ、つい零れおちた本音。しかし、あの時と今はまた違う。
「そう、聞くってことは、お前は気になってるのか? それとも気にしてほしいのか?」
「キューアンドキューはやめろ、元宗」
要領を得ない遣り取り。弁が達者でないのがもどかしい。と言うより本心を言い当てられたのが些か悔しい。元宗のくせに生意気である。
エミーは暫時、自らその名前を口に出す事を逡巡したが・・・・・・やがて、自分から切り出さねばならないと意を固める。
「神野江、瞬のことだよ」
「ああ」
「お前は、確か・・・・・・あいつのことを想っていたんだろう?」
「・・・・・・照れ臭いことを聞くんだな」
元宗は顔を此方に向けないが、しかし彼の剃り込まれた頭部は、彼が上気していることをまるで隠せなかった。
「そうだな・・・・・・好きだった。うん・・・・・・いや、好きだ、と思っている」
元宗のモノの言い方は、随分と昔を懐かしむ様な響きがあった。そして、彼はぽつりぽつりと語り出す。
「オレはさ、今でこそこんなんだが・・・・・・昔はけっこう中途半端なヤツでさ。お袋は真言密教の高僧の令嬢、オヤジはヤクザの親分の倅――――まあ、身分違い、世界違いの駆け落ちの果てにオレは産まれたらしくってな。だから祖父さん達、オレにはそれぞれ稼業継いで欲しいって期待してたんだよ。だけどまあ、逃げちまったんだ」
「・・・・・・逃げた?」
不似合いな言葉に思わず問い返すと、彼は苦笑しながら答えた。
「そう。逃げたんだ。ガキだったからさ、そういうオレの意思を無視した期待ってのが重くって、鬱陶しくってさ。自分がやりたいこと・・・・・・いや、自分がやりたい筈だと思い込んでる楽な道に逃げちまったんだよ。まあ、楽な道っつても楽しかったが楽なだけじゃなかったぜ。仲間もいたし、一緒に笑って泣いて・・・・・・汗や血も流した」
逃げると言うネガティブな言葉を使いながら、彼の口調は忌むべきものを語るのではなく、何処か名残惜しむ様な優しくも悲しい響きがあった。
「何をやってたんだ・・・・・・?」
「音楽だよ。流行り好きの若造の定番だろ? バンド組んで、オレはキーボードやってたんだ」
「楽器が・・・・・・弾けたのか!」
「サプライズにしようと思ってたんだがな」
「充分に驚いたぞ・・・・・・」
腹底から吐き出す様に言うエミー。この無骨な男に楽器を、それも繊細な鍵盤楽器の取り合わせを夢想できる人間が果たしているだろうか。世間一般の常識から言えば、エレキギターやベース、ドラム、或いは木魚だろう。衝撃の過去を語った男は、しかし自嘲的に笑って言葉を続ける。
「でもまあ、結局は、な・・・・・・」
「何か、あったのか?」
「殺されたのさ・・・・・・バンドの仲間が。G.Kの中毒患者に」
「・・・・・・・・・・・・獄龍会か」
その名を口にするのにエミーは多くの努力と時間を要した。知らない訳でも思い出せない訳でもない。知るからこそエミーは、かつてを語る元宗の前で、忌まわしいその名前を口にするのが躊躇われてならなかったのだ。
グレムリン・キッス――――かつて、獄龍会という組織が造り出した、人を欲求と衝動の化け物へと変える麻薬・・・・・・いや魔薬。
「そいつ、オレのバンドのファンの奴でさ。ああ、これでも神戸では結構人気があったんだぜ?
インディースだったけどな。だけどまあ、その時、思ったんだ。アスラでもヤクザの跡目でも・・・・・・オレがあの時、選んでれば。痛い目見るの我慢してれば・・・・・・仲間が、やられずに済んだんじゃねぇかって。まあ、結局・・・・・・オレはアスラを選んだんだが・・・・・・要するに復讐の為にって形になっちまったしな・・・・・・」
(復讐・・・・・・いや)
エミーは何故、「仏法を守護し悪霊・妖怪を駆滅する修羅退魔法師」が香港マフィアの潰滅に関わったのかを理解した。エミーは思う。元宗自身は気づいていないが、彼の感情は復讐心によるものではない。自らの無力に対する後悔と、贖い。
「えぇと、何の話だったっけか・・・・・・そうだ、瞬の話だった、な。そう・・・・・・で、瞬。神野江瞬が出てくるんだ。オレの前に」
元宗は逸れた話を引き戻す。神野江瞬――――本韻元宗の思い人。仮面ライダー鬼神。そして、竜魔霊帝。
「あいつはさ・・・・・・簡単に言うと、忠実なヤツなんだよ」
「忠実・・・・・・」
「そ・・・・・・直向き、真摯、生真面目、実直・・・・・・まあ、あんま言葉しらねぇから他に言いようがねぇんだが、そんなヤツなんだよ。だからさ・・・・・・フラフラしてて大切なモン失くしちまったオレには、あの頃の・・・・・・鬼神の任務に忠実な瞬が、何より目指すべき目標で・・・・・・憧れで・・・・・・ああならなきゃならねぇ・・・・・・そう思ったんだ」
彼の、頑なさの理由の一端を、最近の柔和さの真相が其処に見えた。
――――始めからそうだったのではなく。
――――始めからそうだったのだ。
「だけどさ、タマに任務で共同戦線張ってさ、肩並べたり背中預けあったりしてるウチにさ・・・・・・あいつも、迷って悩んで・・・・・・ってやってるのが解ったんだよ。あいつがっ・・・・・・てか、陰陽寮が戦ってる妖人ってやつらはさ、言っちまえば大昔の被害者でよ。まぁ、ぶっちゃけ気持はわからねぇでも無いんだよ」
「元宗・・・・・・・・・・・・」
「殺された無念、奪われた無念、何も出来なかった無念・・・・・・そういうのがさ。あいつも同じでさ・・・・・・特に鬼神ってのは何代も何十代も、記憶を受け継いでいくもんだから・・・・・・そんな奴らを殺しちまわなけりゃいけねぇって思いに、何時も悩まされてた。他にも、陰陽寮ってのはさ・・・・・・多くを護る為に何かを犠牲にしなきゃならねぇってのも、少なくなかったんだ。殺したくない奴らを殺し、護りたい奴を護れねぇ・・・・・・そんなことが在る度にあいつは言うのさ・・・・・・『私が仮面ライダーなら』って」
きっと、それは幻想。仮面ライダーだとしても、守りたい者を護り、倒したい者だけを斃せる訳ではないことは知っていた筈。だが、そう思わねば救われない、憧憬。
「だけどあいつはならなかった。誰も、あいつにそうなることを望んじゃいなかったから。あいつは望まれたものにしかならない。オレだってそうさ・・・・・・オレはあいつに、あいつのままで居てほしかった。あいつの在り方が、オレの目標であり、生き様だったから。あいつに憧れてなきゃ、まともでいられなかったから。だけどあいつの思いは解ってた・・・・・・だから、オレが代わりになろうと思ったんだ。もう、オレはあいつが好きになってたからな。あいつのために代わりに仮面ライダーになってやる・・・・・・そうすりゃ、あいつと思いを共有できる・・・・・・なりたかったあいつになれる・・・・・・そう思ったんだ」
そして元宗はフッと笑う。酷く、寂しそうに。虚しそうに。
「もしかしたら、あいつが竜魔霊帝なんてやってるのも・・・・・・誰かにそれを望まれたからかも、しれないな」
そして柄にもなく言う言葉は、真相への肉迫を予感させた。マスカレイド、或いはプレイヤーが魔王を演じるロールプレイング、ならばゲームマスターは一体――――
「お前は、それが平気なのか・・・・・・?」
仮面ライダー鬼神、神野江瞬。彼女の真実を知った時、彼女を慕っていたマリアと言う変身忍者は酷く取り乱し、何故と虚しき問いを投げかけていた。彼、本韻元宗もまた、そう言った類の感情を神野江瞬に抱いていた筈だ。
元宗は、天の方を眺める様にしながら応える。
「・・・・・・平気じゃあねぇさ。驚いたし、今でも良くわかんねぇから混乱してる。今、この場にあいつがいたら・・・・・・問い詰めてやりてぇよ。だけど、まあ・・・・・・」
「今、気にしても仕方がない・・・・・・と?」
「ま・・・・・・一度、経験しちまったからな、そう言うのは」
あっけらかんと言って、彼は振り返る。その顔にはニヤリと意地悪げな笑み。
「第一、今オレにウジウジ悩まれたら、あんたが色々困るだろ? オレたちは、今、お互いしか頼れねぇんだし」
「・・・・・・・・・・・・そうか」
エミーは頷く。元宗の言葉は素直に嬉しかった。だが不安でもあった。好ましいとさえ思える彼の性分ゆえに、重荷を背負込んでしまわないか。「屁だ」と言っていられる内は良い。だが彼は、その性分ゆえに知らず、勝ち過ぎる荷を抱え込んでしまうのではないか――――
「頼りにしてるぜ、エミー」
「あ、ああ・・・・・・私も頼りにしているよ、元宗」
照れ臭い様な話を恥じるそぶりも見せずにしてみせ、それに自覚した様子も無く歩調を緩め横に並んでくる相棒に、しかしエミーは明朗に答えられなかった。
結局、二人が総督府に辿り着いたのは夜半を過ぎてからだった。
方向音痴の例に漏れず、街の彼方此方を歩き回った挙句と言うわけだ。途中長話しながら・・・・・・というのも大きい。
総督府は、東西に長い城塞都市の中央からやや西側に位置する。東端のエリアは一般市民立ち入り禁止の軍事施設なので、居住区のほぼ全域を見渡せる、統治機関としてはモアベターな位置にあると言えた。街は最前線の城塞都市とは思えない和やかで快活な雰囲気同様、総督府も軍事色を殆ど感じさせない――――淡い色の煉瓦色で覆われた洋館。明治から残る文化財といった雰囲気の建物だ。
地上、と言うよりは日本の市役所と殆ど変らない受付で割符を見せると、暫くの後、応接室に通される。だが、其処に現れたのは総督であるソーク・ウラではなく、白いローブを着た黒髪の若い男。一見して地上人と変わりない姿をしているが、ローブの裾から六本の尾の様なものが出て引きずっている。男は総督補佐官を務めるクオレイン=バーゼルラルドと名乗った。
「すいませんね、総督はちょっと外出中なんで――――まあ、粗茶ですが良ければどうぞ」
痩せ気味で黒目がちの男は、申し訳なさそうに愛想笑いを浮かべて、湯呑を二人の目の前におく。
「・・・・・・」
「・・・・・・むぅ」
二人は一瞬、対応に苦慮した。ボケと受け取り突っ込むべきか、朴訥な罠を指摘するべきか、生真面目な二人は即断しかねた。
クオレインがお茶だと言って差し出したのは、あからさまに不気味な紫色に染まる液体だった。好意的に見ても「劇物」、平等に見ても「廃液」、悪意を持ってみれば「ネタフリ」である。取り敢えず、この件に関しては保留する事で二人の意見は一致した。
「ところでクオレイン、ソークの戻りはどれ位になるだろう?」
さりげなく紫色に染まったティーカップを視界に入らない位置に離しながらエミーはクオレインにと言う。
「こっちの都合で訪ねてきた身分で申し訳ないんだが、余り時間は無駄にしたくない」
「えぇと、出たのが日の入り前でしたからね・・・・・・何時もならもう戻ってる筈なんですが」
「解らない、ということか」
「すいませんね。決して気ままな人・・・・・・と言う訳じゃないんですが、ここ暫らく宵の口から砂漠に出る、と言うのが日課になってるんですよ。まったく何をやっているのやら、最近、公務が滞り気味で困ったものです」
申し訳なさそうに苦笑を浮かべるクオレイン。嘘を付いている様に見えないが、罠であれ待たされるという事実に変わりはないらしい。
「むぅ・・・・・・」
「・・・・・・待つしかないか」
宥めすかす様に言う元宗に、クオレインも安堵の表情を浮かべる。
「そうして貰えると助かりますヨ。何でも総督、お二人にどうしても聞いてもらいたい話があるとか」
「どうしても、だと?」
反芻する様に問い返すとクオレインはかぶりを縦に振る。
「ええ、らしいです。詳しくは聞いてませんが、大体は解ります。お聞きになりたい、ですか?」
「・・・・・・出来れば、な」
「わかりました、では――――」
どうやらお喋り好きな男らしい。促された彼は意気揚々と口を開く。だが、用意された言葉が彼の口から出る事は無い。
「んがっ?!」
突如として、元宗が彼を床に組み伏せたのだ。突然の暴行にクオレインは反応すら出来ない。
「元宗?!」
エミーは一瞬、この男が何か企んだを元宗が見抜いたのかと考えた。しかし、
「伏せてろ――――――!」
鋭く警告を発されると同時に、窓を突き破って黒い塊が飛び込んでくる。爆弾と認識できた瞬間には、元宗がそれを掴み、一切躊躇いの無い動作で窓の向こうに投げ返していた。直後、空中で起こる爆発。襲いかかる衝撃波を、元宗は仁王立ちで受け止める。
「元宗、怪我は!!」
「大事ない。それよりも・・・」
「!」
細かい破片が皮膚を掠め、血が飛沫となって辺りに散っていたが、元宗は一顧だにせず、ただ空中に燃え盛る炎・・・・・・いや、その中に浮かぶ黒い影を見据えていた。
「・・・・・・・・・・・・やりおるな、貴様」
しゃがれた男の声。炎を背景に尚、鮮やかに映える赤い翼を背負った黒い鉄色の鳥人が其処にいた。
「何者だ、貴様」
「カカカ・・・・・・戦場に於かれては先ず自ら名乗るのが古来より武人の習わし、そうでは無いかね? 若者」
嗤う黒い鉄の鳥。元宗は舌を打ち、元より細い目を更に細める。
「不意を打ち、無差別、それも武人の習わしか?」
「カカカ、それは戦士の習わしよ!!」
黒い鉄の鳥は胸に装着していた先程窓を突き破って投げ込まれてきたものと同型の爆弾を外すと、再びそれを投げつけてくる。
「エミー、後ろを頼む。・・・・・・修羅、変身!!」
元宗の両手が一瞬の内に幾つもの印相を結び、最後に智拳印を結ぶと、彼の全身に刻まれた経文が発光し、法力によって彼の姿を変えていく。紫と金色の強化皮膚。頭部の三面に配された三対の複眼と、額に輝く蓮華と独鈷を組み合わせた冠。修羅の力を体現する六臂。
「おう、その姿は・・・・・・仮面ライダー!!!」
「そうだ・・・・・・オレはアスラ、仮面ライダーだ!!」
仮面ライダーアスラは窓から飛び出すと、同時に阿修羅神掌を翼に変える。直後、彼の姿は霞と消え、空中で再び爆炎が生じ、気付いた時には鉄の鳥に肉迫している。彼の超高速が爆弾の迎撃と鉄の鳥への接近を一瞬で実現したのだ。
「速い・・・・・・しかも、仮面ライダーが飛翔するか!!」
「オレは名乗ったぞ。貴様は何者だ! 黒き鳥の魔人!」
「良かろう。我が名は半機械人間ジェットコンドル――――飛空する仮面ライダー、仮面ライダーアスラよ! その力、見させて貰うぞ!!」
そう高らかに宣言すると彼は短刀を両手に構え、そして二人の鳥人は空中で交差する。
「おぉ、これは凄い」
「・・・・・・」
感嘆の声を上げるのは鼻の頭を赤くし涙目となったクオレイン。組み伏せられた時、床に顔面をぶつけたらしい。鈍臭い男だ。
この鈍臭い男の言うとおり、空中では苛烈なドッグファイトが繰り広げられていた。
スピードは圧倒的にアスラが上。だが爆弾を保有するジェットコンドル相手に距離を開けるわけには行かず、近接戦闘を挑むが、黒い鉄の鳥もさるもの。高い技量と無駄の無い動作で、速度で上回るアスラと拮抗している。
(早すぎる――――)
或いは自分たちが遅すぎたと言うべきか。エミーは苦々しく思う。もう、追手が差し向けられているとは――――しかし、それにしては妙にクオレインと言うこの男、落ち着き払い過ぎている。「魔の国」ではこのような事が茶飯事でもおかしくは無いが。
拮抗していた戦いは、徐々にアスラ有利に推移していく。アスラ魁との戦闘は、言うなれば意思を持つ弾丸。いや、砲弾との決闘だ。達人には撃ち出された銃弾を避け、或いは切断するという変態的妙技を会得したものもいるが、彼らとて至近から絶え間なく撃ち込まれれば徐々に疲労し技は精度を失っていく。
当然の結果として、黒い鳥人の鉄鎧には無数の浅く無い傷が刻まれていく。
「ぐ・・・・・・強い。ならば“誘いの剣(ブリンガーソード)”、出でよ!!」
ダガーを捨てた彼の手に風が渦を成して集まり、一振りの長剣を形成する。装飾は殆ど施されておらずシンプルだが、一目見て、強い魔力が施されていると判る。恐らくはジェットコンドルの奥の手なのだろう。アスラもまたそれを察したのか、一度大きく羽ばたいて高く舞うと、霊気噴進翼を再び阿修羅神掌に変形させ・・・・・・高速で回転を始める。
「行くぞ!」
ドリルの様に竜巻の様に、猛烈な破壊気流を纏い急降下してくるアスラ。ジェットコンドルも、ブリンガーソードから立ち上る魔力を更に増大させながら飛翔する。
「修羅烈風脚!!」
「ぬおおおおおコンドルフィニッシュ!!!」
「そ・こ・ま・で!!!!」
猛烈な破壊力を持つ必殺技同士の激突、それによるどちらか一方の敗北、それが決すると思われた瞬間、鋭く静止する声が響き、そして衝突の寸前で静止する。
暴風のスピンキックを防いだのは氷の結晶を想わせる白い盾。黒き魔剣を止めるのは雷光迸る黄金の剣。焔色の髪をした空色の鎧を纏う青年が、仮面ライダーと魔人の激突を塞き止めていた。
「お、総督」
「・・・!」
エミーは息を飲んだ。
彼女の眼には、仮面ライダーと魔人、両者とも衝突すれば何れか一方が確実に落命する、十二分に必殺の威力を持った奥義を繰り出した様に見えた。
しかしソーク・ウラは、その二大必殺技を完全に受け止め切ったのだ。恐るべき戦闘力を持っている事は間違い無かった。
バチっとショートした様な音を起こし二人は弾き返され、ハジ総督ソークは真下に在った建物の屋根に着地する。
そして彼は呆れた様な表情を黒い鉄の鳥に向ける。
「・・・・・・ジェット卿、何度も同じ事を言わせないでくれ。これまでそうやって何人再起不能にしたか忘れたのか?」
「何、心配は要らぬ。此度ばかりは卿の望み通りの男の様だぞ。いや、20年ぶりに死ぬかと思ったわ。カカカカカカ・・・・・・」
「貴方に死なれても困るんだ。お願いだから自重してくれ」
大きくため息をついたソークは、今度はアスラに向き直る。
「取り敢えず総督府に戻ってくれないか? 街のみんなが驚いている」
見れば様々な顔立ちの住民が、一様に不安な表情を浮かべ空を見上げていた。
警戒しつつ応接室に戻ったアスラに向けられたのは、焔色の髪の踊るソークの頭頂部だった。
「驚かせて申し訳ない。彼も悪気があってやったわけじゃないんだ。ただ、どうしても乱暴でね・・・・・・」
「お前の差し金じゃねぇのか?」
「まさか・・・・・・とは言っても、俄かには信じては貰えないだろうね」
元宗の率直過ぎる問いにソークは苦笑を浮かべる。
「まぁな。あんたはお偉いさんなんだろ? 魔帝国の」
「偉いかどうかは判らないが、確かに彼――――ジェットコンドルの上役、管理責任者であるのは事実だ。それに差し金、と言う表現も在る意味で間違ってはいない」
「在る意味で・・・・・・だと?」
いぶかしむと、ソークは深く肯いて答える。
「どうか聞きいれて欲しい事、お願いがある。ジェットコンドルの暴走も、それに関しての事なんだ」
「そう言えばクオレインもそんなこと言ってたな。何か、面倒くさそうな感じだが」
「結論から言おう」
元宗の言葉を汲む様に、彼は単刀直入に言う。
「君たちにこの街を護ってほしい」
「なに・・・・・・?」
エミーは眉を顰める。見れば元宗も薄いそれを同様に顰めていた。これまでの例から突拍子も無い無茶振りに備えていただけに、逆に拍子抜けしてしまったのだ。そして同時にソークの意図が掴みかねた。
「・・・・・・何故それを私達に? 見ず知らずの、敵かも判らない奴らに。守って欲しいという事は狙われているということだろう? スパイかもしれないぞ」
「それはないよ。ありえない」
ハハハと軽やかに笑い否定するソーク。
「本物のスパイなら、砂蟲だらけの砂漠の真ん中で立ち往生する様な間抜けな真似はしないよ。あんな場所にいると言う事は「魔の国」に不慣れな渡来人ということだ」
そして地上人総督府は真剣な眼差しで二人を見つめて言う。
「君達に頼む理由だったね。・・・・・・・・・・・・君達が地上人だからだよ」
「? どう言う意味だ」
「そのままの意味さ。街は、見てくれたかい? ハジは・・・・・・良い街だろ?」
そう聞いて彼は窓の方に目を向ける。先程見た時は、月明かりに浮かび上がる街並みと人々の群れが見えた。それに、元宗が頷いて応える。
「・・・・・・ああ。昭和30年代って感じだ。最近流行りのな」
「最近? 流行り? ・・・・・・・まあ、取り敢えず褒め言葉って受け取っておくよ。だけど、この街は“当たり前”じゃない」
ソークの表情に苦渋が色濃く浮かぶ。一瞬、十歳以上老けて見えた。言葉の詰まった上司を補佐する様に、副官のクオレインが言葉を継ぐ。
「「魔の国」の社会は弱肉強食が基本だ。強いものの意思が何にも優先されて罷り通る。強いものは平等に評価されるが、弱い者は平等に虐げられる。ハジには地上人が結構いただろう? 地上人は大抵は脆弱だから、他の街ではあんな風に表へ出れない。労働の為の奴隷か、或いは食用か・・・・・・家畜同然に扱われる。いや、地上人だけじゃない。弱ければ他の民族どころか魔人だって、そう扱われる。それが「魔の国」における律法。だから総督は力で正義を勝ち取り、自由を買い取ったのさ。私や、彼らの・・・・・・」
「まさか・・・・・・」
忌まわしい事実に元宗は呻く。
「「魔の国」に棲む、魔人以外の人種の殆どは敗戦国の捕虜か、或いは“人狩り”によってさらわれてきた“奴隷”たちだ。そう、この街の住人の半分以上も、名目上は総督の所有する奴隷という扱いなのさ」
軽い口調だが、副官の顔も眼も笑ってはいない。顔に深く落ちた影はフードによるモノだけでは無い筈だ。
「後の残りは生存競争に疲れ、逃げ込んできた者たち。ボクもその一人。数年前に祖国を失くしてね・・・・・・「魔の国」で彷徨っていたところを彼に買われたという訳さ」
「だが――――そう簡単に話はすすまなかったのだよ。残念ながらな」
しゃがれ声が皮肉めいた言葉を紡ぐ。両腕を胸の前で組んだまま言うのはジェットコンドルだ。そして、それを受ける様にしてソークは自嘲的な、自虐的な笑みを浮かべる。
「まぁ、簡単に言えば力不足だったんだよ。やはり既存の価値観を打破するのは難しくってね。強い風当たりの所為で私が貰えた土地・・・・・・というのが、この国境付近、最前線の危険地帯と言うわけさ。だから、この街は常に大きな危険を抱えている」
「・・・・・・RELか」
「ああ。共和制天魔族首長連合――――“天魔族”以外の人種に対する極端な排他性を持つ“敵国”だ。だけど危険なのは彼らだけじゃない。この街の存在自体を快く思ってない連中が国内にもいる。ベトニウス教団を始めとしたユピテル神話系各派教団、吸血鬼や夢魔などの地上人が食料として不可欠な夜魔族、帝国議会内の主戦派議員――――彼らは“弱肉強食”の秩序が崩れるのを嫌う」
「つまり、そいつらからこの街の人間を護ってほしい、そう言う訳か」
ソークは深く肯いて応える。
「ああ。護る為に、力を貸してほしい。「魔の国」の正義に支配されていない、強い、同胞の力を。ジェットコンドルが君達を襲ったのも、その力を見極める為の事。本当にすまなかった」
「クァクァクァ、すまんな。そう言う事なのだ」
他人ごとの様に鷹揚に笑うジェットコンドル。確かに、言われて見れば思い当たる節は在った。最初に投げ込まれた爆弾からして時限信管など用いず、近接信管を使用していれば初手で勝負が付いていた筈だ。
「ジェットコンドルもクオレインも手練だ。私もそれなりに力は持っている・・・・・・だが、それだけでは足りないんだ」
拳を強く握り締めるソーク。優しげな顔立ちに苦悩の色が深い眉間の皺となって刻まれていた。
「ここに生まれた子供たちは、太陽の温かさも穏やかな風の香りも、澄んだ空の青さも知らず、それが当然だと思い込んだまま、多くが成人を迎えることが出来ない。異郷にかどわかされている事も知らないまま、戦いに巻き込まれ、猛烈な疫病に侵され、命を落としていく。だけど・・・・・・だから、私は護りたいんだ。少しでも穏やかに、人が人がましく生ける様に」
それは、ささやかだが大それていて、優しくも痛切な願い。ソークは再び頭を深く下げる。
「頼む、元宗、エミー・・・・・・力を貸してほしい。お願いだ」
誇りも、生きる希望も奪い去られる痛苦と悲しみ。エミーは、それを充分に理解出来た。いや、知っていたと表現した方がより的確だろう。
自分が、今の自分である為のルーツの記憶、或いは――――呪縛。だが、だからこそ、エミは首を左右に振る。
「すまない。私達は、力になれない」
「エミー!!」
予想通り、咎めるように元宗。しかし、エミーは是が非でも折れる訳にはいかない。
「私達には、地上に帰ってやらねばならない事がある。彼らの期待に応える訳には・・・・・・いかないんだ」
胸を苛む痛み。それを抑えつけて、エミーは肺腑から言葉を絞り出す。
「元宗、お前の気持ちは判る。だが、こいつらのやろうとしていることは言っては悪いがゴールの無いマラソンだ。一体、どれだけの時間と労力がいるか検討もつかんぞ」
「しかし・・・・・・出来ねぇよ! 見捨てることなんざ!!」
「見捨てる? 馬鹿を言うな。これは怪人に襲われている人間を助けるのとは訳が違う! お前達、仮面ライダーが難民支援を行うか? 紛争に介入するか? 過激派のテロを阻止するか? 否、だろう? それは、どれも“人類”が“自由意思”で“思い描く平和”の為にやっていることだからだ!! だったらこれも同じ事だ! これは悪の組織の侵略なんかじゃない、「魔の国」と言う土地の、社会と、民族の問題だ!
この土地の社会の枠組みの在り方そのものなんだ!! お前達「仮面ライダー」の、「正義の味方」の言う「自由と平和」のこの土地での在り方なんだよ・・・・・・。それに介入すると言う事は、奴が、REXUSが言っていた様に本当の意味で「魔の国」にとっての怪人となることと同じだ!」
エミーは理屈を捲し立てた。元宗を説得する為以上に、自らの感情を断ち切る為。
「く・・・・・・う・・・・・・」
応と答えるべき男は、それでも戸惑い苦しげに言葉を探し、人が固めた決意を揺さぶる。そう言う男なのだ。理屈で総てを割り切れるほど器用で情の浅い男では無い。
「どう言った事情があるかは解らないが」
だが結論を待たず、ソークが口を開く。
「君達は地上に戻る事は出来ない」
「え・・・・・・?」
エミーは血の気の引く音を聞いた。ソークが口にしたのは予想もしなかった――――いや、予見しつつも敢えて眼を逸らして於いた可能性、悪夢。
「まさか――――」
方便で在って欲しい。「魔の国」に留める為の下手な方便、そうで在って欲しいと言うエミーの願いは、これまで見た事の無い様な真摯な眼差しに砕かれる。
「すまない、エミー。出来るなら、可能な限りの支援はしたい。だけど、それは出来ない。出来るなら、私は街の人たちをこの過酷な風土に留まらせる様な真似はしない」
「確かに・・・・・・確かにそうだ、が」
方法が在れば、既にこのソークと言う男ならばモーセの故事をなぞっていてもおかしくは無い。
「魔人は戦闘力に優れる半面、生産能力が著しく低い。他人種は社会基盤を支える重要な労働力であり、資源なんだ。だから、「魔の国」に於いて魔人以外の種族の出入国は極めて厳しく制限される。私も力を認められ、騎士としての称号を得ているが・・・・・・それは変わらない」
「!・・・・・・」
考えてみれば、当然の話だ。感情で納得できるかは別問題だが、地上でも近代以前、社会の最底辺に押し込められた人々は、同じ様に扱われてきた。しかし――――
「国の官僚さんに、こんなコト聞くのも難だが――――強行突破は出来ないのか?」
元宗が問う。彼らしい、強引且つシンプルな作戦。しかしソークは首を縦に振らない。元宗は声に警戒の色を含んで問う。
「止めるからか? お前達が」
「いや・・・・・・君達の件は未だ上には報告していない。私が目こぼしする位は出来る。そして君達と、君達の乗ってきたあのマシンがあれば、或いは可能だろう。だが、止めた方が良い」
「何故か、聞こう」
「例え国境を越えたとしても、「魔の国」――――この“世界”が君達の脱出を阻む」
海を割れなかったモーセは、その理由を語る。
「「魔の国」から地上に赴く為の手段は大きく分けて三つ。地殻内の通路を利用する方法と、マントル対流を利用して火山から出る方法と、空間の歪みを利用した所謂ところのワープ。だが、今はその何れも利用できない」
ソークは人差し指を立てる。
「先ず地殻内通路。これは現存しているものの殆どが、デルザー敗北の後、地上側から封印された為、物理的に通行不能だ」
「攻撃とは時に反撃のリスクを負う。我々は、それを最悪の形で被った」
黒翼の老兵は懐かしみ、同時に悔む様に漏らす。エミーは今になって漸く思い出す。デルザーには記録に残されていない2人の“13人目”が居る事を。ソークは更に親指を立てる。
「次にマントル対流を利用する方法。不可能では無いがとても困難と言える。マントル内を移動可能な“船”が手に入らない。殆どが軍用に徴発されているし、一から建造するにしても莫大な予算が必要だ。それに仮に手に入ったとしても今の時期は対流の影響で、地上まで浮上できない」
そしてソークは中指を立てる。
「三つめのワープは・・・・・・恐らく最も危険を伴うだろう」
ソークの声は、これまでより重く低く響く。
「詳しい説明は省くが、「魔の国」は地球の地殻内に存在していると同時に、地上とは位相がずれた異次元にも跨って存在する、文字通りの異世界だと思って欲しい」
「それがどういう関係があるんだ・・・・・・?」
「最近、「魔の国」が存在する次元に近しい異世界で大きな異変が起こった」
「異世界?」
「ああ。「魔の国」に極めて似通った世界――――“冥獣”と呼ばれる生物が棲息する“地底冥府インフェルシア”と、地球と表裏一体の関係にある裏地球、“クライシス帝国”が支配する“怪魔界”だ。地底冥府インフェルシアは盟主たる冥獣帝が天空聖者と相打ちになり封印されたに留まったが――――怪魔界はクライシス皇帝以下、ゴルゴム世紀王によって完全に消滅したらしい」
「カカカ・・・・・・次元世界そのものを破壊するとは暗黒結社ゴルゴム恐れるべし、よのう」
渇いた笑い声を上げるのはジェットコンドル。
「兎も角だ。近隣する二つの異世界に起こった大異変は、「魔の国」が存在する次元にも影響を与え、空間を不安定にしている。これが凪に戻るまで、空間跳躍は使用すれば何処に飛ばされるか判らない非常に危険な状態となっている。どうした、エミー? 顔色が悪いな」
問われて初めて、エミーは体温が極度に下がり、その割に気持ちの悪い汗が滲みだしている事に気付いた。
元宗は良く判っていない様な難しい表情をしているが、エミーはソークの説明に、これまで疑念を抱いていた幾つかの事が腑に落ちついた。
そして、自分達が置かれている恐るべき事態にも、漸く気づく事が出来た。
「それは・・・・・・何時の話だ?」
「空間が安定するのが、かい?」
「いや、異世界に異変が起こったのは・・・・・・・・・何時だ?」
問いながら、予想でも予感でも予測でも無く、次にこの聖者の様な男の口から吐き出される絶望を、エミーは殆ど確信していた。
「地底冥府の方は今年、怪魔界は去年か一昨年の筈だ」
焼き鏝で頭を割られる様な衝撃に意識が遠のき掛ける。しかし、エミーは自らを鼓舞し、微かな希望に縋って質問する。
「ソーク、お前が地底に来たのは何歳の時だ?」
「唐突だな。えぇと・・・・・・「魔の国」では余り暦が巧く機能してないから曖昧なんだが・・・・・・多分、15年前。5歳の頃かな」
「生まれは?」
「昭和43年8月15日、長崎――――」
「平成・・・・・・って知ってるか?」
「心静かな事、それとも国の軍事システムのことか?」
「いや・・・・・・」
腹部に白熱した鉄杖を押し込まれ、其処から電流が絶えず流し込まれている様な痛みと不快感が在った。彼の答える事実の総てが事実ならば、それはもはや絶望でさえ無い。その事象を正確に余すことなく表現し伝え得る日本語をエミーは知らない。絶望の噴出したパンドラの箱の底には未だ希望が残されていた。エミーは一縷の望みを賭けて、絶望の内で留まるよう祈りながら、最後の質問を行う。
「もう一つ聞かせて貰うが・・・・・・地上と「魔の国」の時差は?」
「時差?」
「「魔の国」は時間の流れが地上と違うとか・・・・・・そう言う話は無いのか? 次元がずれているのだろう?」
縋る様にエミー。アルケニーウィザードが細い糸を頼るとは些か皮肉なものだ。だが如来や菩薩と言うより明王を想わせる髪型の男は、首を左右に振って糸を断ち切る。
「いや、調べた限りではそう言う事は無いと思う。太陰暦を使っているから暦上のズレは何週か単位であると思うが、浦島太郎みたいにはならない筈だ。あれ・・・・・・どうしたんだい?」
「す・・・・・・すまない。少し、時間をくれ。さっきの返事も・・・・・・兎に角、今は時間がほしい」
頭を抱えながら悪夢にうなされる様に答える。もはや、この場にいる事さえ憚られた。出来得るならば悪夢であるか、このまま意識を失い続け悪夢を見続ける方が余程良かったかもしれない。
エミーは意識を失わず持ち堪えた自分の精神力が、酷く疎ましかった。
彼女が確信した恐るべき事実、それは――――ここが、1990年前後。現在、西暦2006年から見て約15年前の「魔の国」である、と言う事だった。
「過去・・・・・・だと?」
驚かないで聞いて欲しいと予め告げた上で説明したとは言え、元宗は予想より遥かに冷静な反応を示した。
取り敢えず再び道に迷いながら宿に戻ったあと、エミーは室内外に盗聴の気配が無い事を丹念に確かめた上で元宗にその事実を話した。自分達は単に「魔の国」に空間的な跳躍、所謂ワープしただけでない可能性がある事を。
「確かなのか? つまり、タイムスリップしちまった・・・・・・ってことだろ?」
「判らない。情報が少なすぎる」
エミーは頭を振る。ソークには嘘を吐く理由があるし、彼女にはそれを疑う理由がある。だが今は真偽を確かめる術が無い。それに(もし嘘だとしても)彼らがここを15年前だと偽る理由が判らない。ソークや彼の腹心たちは冷静な人物に見える。助力を求める相手に、今が過去の時間軸に在ると伝える事がどう言う意味を持つか判らない筈は無いだろう。
「「魔の国」へのワープだけでもウルトラキューだからな。不思議じゃねぇか・・・何が起きても」
「それを言うならウルトラCだ・・・・・・」
疲労感に満ち溢れた声で突っ込む。しかし確かに何が起こっても不思議ではない。あの時、時空魔方陣の影響で空間が極度にアンバランスな状態と化していた。彼の言う通り通常で起こり得ない自体は既に起きてしまっているのだから。
「兎も角だ・・・・・・やはり私達はここに関わることは出来ない。出来るだけ早く元の時代に戻らないと・・・・・・」
「見捨てろって言うのか、あいつらを」
元宗は非難と遺憾に満ちた表情で問う。
「どんな思惑が在るかわからねぇが、あいつがオレたちを助けてくれたのは事実だぜ。それに報いなきゃならねぇんじゃねぇのか? オレたちは」
「・・・・・・判っている。それは判っているよ・・・・・・元宗。だが、今はそんなことを言っている場合じゃないんだ」
恩、と言う言葉を出されるとエミーは弱い。彼女が時空海賊の一味として今の自分を徹しているのは、一重にキャプテン・シルエットXに対する恩由縁だ。施された恩を返さない不義は彼女の最も嫌うところであった。だが・・・・・・
「それに――――今が15年前なら、ここで魔帝国を叩いておけば、地上侵攻を潰せるんじゃねぇか? そうすれば瞬も――――」
「ば・・・・・・馬鹿な!! それだけは駄目だ!!!!!」
爆弾発言、それもTNT爆薬満載のトラックで火事場に飛び込む様な発言に、エミーは思わず叫ぶ。
「何を考えているんだお前は!! 当然、解っていると思ったから説明しなかったのに!! タイムパラドックスも知らないのか!!!」
「・・・・・・枯れ葉に擬態するカマキリの一種か?」
「違う!!
いいか元宗、私達はこの時代にとっては未来人にあたる。本来なら居てはいけない人間なんだ。居ない筈の人間が存在し続ければ、過去は変わり続け・・・・・・私達の存在した時間そのものが消えてなくなってしまうかもしれない。タイムトラベルによる因果関係の崩壊が起こってしまう・・・・・・これがタイムパラドックスだ」
「つ・・・・・・つまりどう言う事だ? ど、ドラえもん」
『自分は猫じゃニャいニャ・・・・・・』
元宗が腹を叩くと、それに促されて白猫の様な生き物、コウが現れる。
『結論から言えば、元宗がここでニャにかすると元宗自身が消えちゃうかもしれニャいってこと』
「なッ?!」
『それか、帰るべき現代が元宗の知ってる現代とは全く違うものにニャるかもしれニャい』
「ニャニャ、じゃなくて、ななっ?!」
『飽く迄も可能性だけどニャ』
猫の鳴き声に良く似た舌足らずな説明に肯いて、エミーはそれを引き継ぐ。
「コウの言う通り通りだ。時間と空間のシステムは未だ完全には解明されていない。時間改変は触れてはならない悪魔の領域なんだ」
エミーは出来る限り迫力を込める。彼を、仮面ライダーアスラを、世界の破壊者にさせる訳にはいかないのだ。
「ちょっと待ってくれ。だったらもう歴史は変わってんじゃないのか? 要するにオレたちがここに居ること自体、“在り得ない”んだろう?」
「それは―――――」
言葉に詰まるエミー。確かに彼の言う通りだ。しかし、それでも危険な賭けにベットし続ける訳にはいかない。エミーは必死に言葉をかき集める。
「お、恐らく、今はまだ歴史の大筋に関わっていないからだろう。だが、これから先、重大な事件に巻き込まれればどうなるか解らない。元宗、ウラやこの街の人々の事を本気で思うなら、私達は此処を直ぐ離れるべきだ。確かに今は重大な時間改編に及んでいないかもしれないが、積み重なった変更がどんな波及効果を及ぼすかわからない。ミクロの時間軸のずれが何れは星雲をも吹き飛ばすエネルギーを生み出すかもしれない」
「・・・・・・!」
息を飲み、判り易く驚いて見せる元宗。多少、誇張した説明が功を奏したらしい。
エミーは爆弾を解体する事が出来た事に安堵するが、同時に事態の困難さを再認して、愕然とした精神状態に引き戻される。
「どうすれば良いんだ・・・・・・どうしてこうなった・・・・・・」
呻く様に自問するエミー。
現代への帰還。エミーはそれを是が非でも成し遂げねばならない。感情や理屈の介在する余地は無く、どの様な障害を越えてでも。
だが、その手段がまるで見当がつかなかった。そもそもタイムスリップと言う現象それ自体が不可能の代名詞の様なものなのだ。
時間跳躍の要因は幾つも考えられたし、不可逆に流れる時間を遡行出来たのだから、順行は多少なら容易な筈だ。
しかし、それは「逆行」に比べれば「多少」容易であるというだけで、基準となるハードルが高過ぎる事に代わりは無いのだ。
「クリスタニアにタイムスリップ機能は付いてないのか?」
「付いていたら苦労はしないよ」
エミーは首を振って言う。
実際には、此方に飛ばされた時の空間変動のデータをサンプリングして、そこから時空魔方陣の呪式を逆算し、それをスペルエミュレータで走らせれば、擬似的に状況を再現できるかもしれない。
しかし、今回のタイムスリップは恐らくはイレギュラーな結果の筈だ。その上、不安定化していると言う「魔の国」の時空間環境を考慮すると、とても都合よく現代に戻れるとは思えない。
「いっそ寝て待つってのはどうだ?」
「寝る?」
「果報は寝て待てって言うだろ? だからさ、タイムカプセルみたいに埋まっとくってのはどうだ? あるだろ? 冷凍睡眠とかの装置が」
「成程、悪くない」
エミーは唸る。彼にしては良いアイディアに思えた。
クリスタニアには恒星間航行用のコールドスリープ装置が備わっている。これも次元速度対応装置同様、シルエットXが無理に導入した装置だ。彼のシルエットスーツ同様、生命維持系のシステムは極めて強固に造られているので、時空間移動を経てクリスタニアがボロボロになった今でも、15年程度なら問題なく稼働する筈だ。
冷凍睡眠により体内の時を止めたまま眠り過ごせば、未来へ時を跨ぐ事と結果は変わらないだろう。技術的困難はゼロ――――しかし、それには乗り越えなければならない課題が一つ在る。
「それで・・・・・・何処に埋まる? 15年安眠できる場所が、何処にある?」
「!」
元宗も遅れて気づく。穏やかに見える砂の荒野も、その底には凶暴な砂蟲が巣くい、仮初の平和を装うハジの街も、その実は極めて軍事的な目的で建設された城砦都市。強大な魔力と戦闘力を持つ魔人達が跋扈し、意思を持った災害である魔王が支配する、地上よりも遥かに長いスパンと大きな規模で戦乱と闘争に暮れ明ける、混沌の異世界。
ここ「魔の国」では、何処に存在していても破壊される危険性がある。安全地帯は恐らく無い。
「良い考えだと思ったんだがな」
「・・・・・・ああ」
今の空間的に不安定な「魔の国」で時間跳躍を行うより遥かにリスクは低いだろうが、それでも分の悪い賭けである事に変わりない。
再び目を開けた時、そこが現代で無く彼岸だったでは困るのだ。
「とにかく、一度私達が始めに来た場所に行ってみよう。何か手掛かりがつかめるかもしれない」
元宗は頷きそれを了承した。
結果から言えば、徒労に終わったと評する事が出来るだろう。
砂蟲の巣である砂漠を平穏に旅するには専用の装備が施された機械馬――――魔獣の革や筋・骨を加工したものを材料に造られた、魔力で動く機械仕掛けの馬型ロボット――――が必要だと聞いた二人は、翌日街でレンタルして漂着地点へと調査に向かった。
しかし、引き上がったハードルを飛び越えるに足る手掛かりを見つける事は出来なかった。空虚な砂海の景観があるだけで、シルエットスーツに搭載された探査装置でも砂蟲と巣穴しか発見できなかった。時空間の歪みも、電磁場の乱れも、この世界についてのデータが揃っていない現状ではまるで参考にならないのだ。一応、後ほど解析を行う為に周囲の環境データをサンプリングしてから、二人はハジに引き返すことにした。
「・・・・・・しかし、妙だな」
「何が、だ?」
道中、機械馬を巧みに操りながら元宗がポツリと呟く。エミーに言わせれば、「魔の国」総てが“奇妙”の塊の様なものなのだが。
「いやさ、あの時空魔方陣だったか? あれに飲み込まれたのはオレたちだけじゃなかっただろ? 陰陽寮本部とか、オメガ魔獣とかどうなったかと思ってさ」
「う・・・おっと、恐らく空間の断層で素粒子レヴェルまで分解された筈だ」
エミーは元宗の問いに、素っ気無い口調で答える。つくづく頭脳労働以外はソツなくこなす奴だと癪に思ってしまう。乗馬の経験が無いエミーの機械馬にはコウが憑依して操ってくれているのだ。
「宇宙空間と言うのは光速で膨張しているからな。今いる空間から別の空間に移動すると言うのは、簡単に言えば高速ですれ違う新幹線から新幹線に飛び乗る様なものだ。下手をしなくても、普通は粉々になる」
「・・・・・・良く、オレたち無事だったな」
青い顔をする元宗。エミーは、少し得意げに答える。
「一応、時空海賊だからな。次元速度対応装置が護ってくれたんだ」
「そか。やっぱ、すげえマシン持ってるんだな。礼、言っとかなきゃな。有難う」
感嘆と感謝の言葉を告げる元宗。だが、実際のところ薄氷を踏む様な賭けだった。
予算問題から搭載見送りも検討された次元速度対応装置だが、これすら時空破断から完全に護ってくれると言う保証は無かったのだ。
あの時、素粒子となって消えたもの達と同様、時空の狭間に消滅していたかもしれないのだ。
(だが、もしあの時――――手を伸ばしていなければ)
不意に、禍々しい後悔の念が、脳裏を過る。
(いや、いや・・・・・・何を考えているんだ、私は)
時に煩わしささえ感じる覆面だったが、エミーは改めて感謝する。自分の肌に体温を感じない。きっと今、自分の顔は蒼白になっていただろう。
内なる悪魔が囁いていた。だが、それは気づいてはいけない事、思ってはならない想い。
邪念、文字通りの邪まな念を振り払う様に頭を振うと、流石に心配したように元宗は聞いて来る。
「どぉした? 大丈夫か?」
「あ、ああ、大丈夫だ。それより・・・・・・感謝してくれるんなら帰るための手立て、お前も考えてくれ」
エミーは誤魔化し取り繕った。
彼が、今の自分の心の内を知れば、きっと自責の念に駆られ、後悔するだろう。
だが、内心を隠したのは彼を慮ってではない。
あの時、空魔方陣に飲み込まれかけた彼を助けなければ、自分はシルエットXの傍に在る事が出来、時間を破綻させる危険性を産む事も無かっただろう。しかし、それは飽く迄も結果論に過ぎない。
それなのに、一瞬でも“お前さえいなければ”――――そんな呪う様な想いに駆られた自分が、エミーは堪らなく嫌だった。
(私は・・・・・・所詮・・・・・・)
「地上に戻る手段かぁ」
そんな相棒の腐った本性も知らず、元宗は言われたままに無い頭を捻ってくれている。
(・・・・・・元宗)
自らの頭の回転の遅さを自覚し、敢えて深く考えない彼の性分は、今のエミーには酷く有り難かった。
「天井ぶち抜けば良いってもんじゃ無いんだよな。聞いた限りじゃ」
「次元の位相がずれているらしいからな。真上に掘り進んで地上に出れるとも限らんようだ。それに結界がある」
「やっぱ、手当たりしだいしかないんじゃねぇの? 地上への通路をさ。忘れられてるとこ、在るかも解らんぜ」
「そんなウッカリ、在ってたまるか。まぁ・・・・・・無いとは言い切れんが、余り期待するべきじゃないだろう。そもそも通路を一つでも見つけられるかさえ解らないんだ」
「じゃ、船ってヤツをかっぱらうか? 海賊だからそう言うの得意だろ?」
上手い事言ったとばかりに得意満面。しかしエミーは深く、深く溜息を吐く。
「そんな事を言うから、お前は馬鹿って言われるんだ。だから、荒事を起こしたら歴史が蝶の羽ばたきで桶屋が儲かるって言っただろ?」
「・・・・・・うぅむ」
唸る元宗。本当に理解出来ていたのか些か疑わしいが、深くは突っ込まない。
「しかし、こうなると八方塞だな」
言葉とは裏腹にあっけらかんと言う元宗。彼はニヤリと笑って問いかける。
「いっそ割り切って、覚悟して、此処で暮らしてくか?」
「・・・・・・馬鹿を言うな」
「そうでもないさ。結構、上手くいくと思うぜ。オレとあんたなら」
突拍子も先見性も無い彼の発言が、今のエミーにはひどく甘美に感じられる。
きっと、余りに絶望的な状況に鬱々としていた所為だと自覚し様とする。それに、自分にはそんな台詞を言われる資格が無い。
「無理だ、無理だよ・・・・・・元宗。私には、それは選べない」
少女の夢想の一つを振り払い、エミーは絞り出す様に言う。
「私は帰る。帰らなければならない。奴の下に、帰らなければならないんだ・・・・・・絶対に」
「あいつが、シルエットXが待ってるからか?」
エミーは首を振る。そう在って欲しいと、思慕する念は確かに在ったが。
「違うよ。多分、奴は待ってなんかくれない・・・」
「な・・・・・・」
「『お前には関係ない』」
ト書きを読む様に平板に告げられる断絶の言葉。ギョッとする元宗。無論、エミーは本心では無く、微苦笑を浮かべて訂正する。
「冗談だ。いや・・・・・・お前と私が、その一言で済ませられる間柄だったら、楽だったかもな」
「馬鹿言うな」
「元宗・・・・・・?」
思い掛けない反論。彼の顔は、怒り――――敵と相対する時の烈日の様な怒りでは無い、静かで深い、或いは涙を堪える様な怒りの表情が浮かんでいた。
「アンタは、何時も黙って、一人で抱え込んで、辛そうじゃねぇか。気にしねぇ、問い詰めねぇとは言ったが・・・・・・やっぱ、我慢出来ねぇ」
機械馬を止める元宗。真っ直ぐな眼差し。駆け引き無く、本心から身を案じてくれている。
「オレはバカだから、顔色だけで考えを見抜く様な器用な真似はしてやれない。だから聞かせてくれ。溜め込んで辛そうにする位なら吐き出してくれ。オレたちはここではお互いしか頼りにしちゃいけないんだろう? だったら、もっと頼ってくれ」
先程まで有難かったマスクが今はもう疎ましかった。彼の信頼に応えられず、自らを偽り続けねばならないのが辛かった。
しかし、真実を晒す事で彼との間に築いたものが失われるのは、もっと恐ろしかった。
エミーは苦しげに、声を絞り出す。
「頼ってるよ・・・・・・だから、お前は何時も一番傷だらけなんじゃないか」
誰よりも多くの痛みを引き受けて戦うこの男に、これ以上の負担と混乱を与える訳にはいかなかった。
自分には彼ほど戦えるだけの力は無い。だから、彼が戦える間は、常に彼が全力を出せる様にフォローするのがこの世界における自分の役目なのだから。
「私がしかめっ面なのは、家系的なものだ。先祖も、一族もみんなこうだから。だから、気にしないで欲しい。お願いだ」
「エミー・・・・・・」
「もう、行こう。月が頭上に来るまでには街に帰りたい」
エミーは馬を再び歩かせ始める。これ以上話せば、どれほど自制していても口を滑らせてしまいそうだった。
元宗はそれでも納得できないのか、引き結んだ口を歪め、眉間に皺を寄せる。だが、彼の沈黙の抗議は長くは続かない。
重い爆発音の様なものが、砂の水面の揺れと共に背後から襲ってくる。
「?!」
「そこのお二人ぃぃぃ逃げてくださぁぁぁぁぁぁぁぁい!!!!」
そして悲鳴とも警告ともつかない女の必死な声が響き、直後、耳喧しい駆動音と共に機械馬が一騎駆け抜けていく。同時に二人は切迫する脅威を目の当たりにした。
「?!」
「!!?」
巨大な海原の様な砂漠の渇ききった水面が、津波の様にうねり昂っている。
「な・・・・・・なんじゃありゃあ!!!」
「す、砂蟲だ!!!!」
高さ十数メートルに達する巨大な波。しかし津波で無い事を二人は直ぐに認識する。
ザトウクジラほどある巨大な軟体生物が、目算し切れないほどの群れを為し、砂色の体表をくねらせながら押し寄せて来ているのだ。
獲物は恐らく先程の女。だが、自分達を避けてくれる様にはとても思えない。
「不味いぞ・・・・・・」
「言われるまでも無いッ」
二人も機械馬に拍車をかける。一頭や二頭程度なら漂着直後の疲労困憊時でも何とかなったかもしれない。だが万全に近い今のコンディションでも、雲霞を体現して大挙するあの砂海の王者の群れに飲み込まれれば、餌になる以外の未来が想像できない。最もタイムパラドックスを考えれば一匹でも殺すのは不味いのだが。
「す、すいませんお騒がせしてぇ」
先行していた騎馬には直ぐに追いついた。機械馬の上に乗っていたフードを目深にかぶった人物が、間延びした謝罪と共に頭をぺこりと下げる。中世風の旅人衣装に黒いフード付きのマントと言う出で立ち。顔はフードの下に更に何かマスクでも着けているのか薄暗く良く見えないが、体型と声色から女性である――――かなり大柄ではあるが。
彼女の乗っている機械馬は、二人の者に比べて余り良い品質のものでは無いらしく、動作が鈍くぎこちない。錆びや汚れがこびり付き、外装が歪んでいるのかギアの油が切れているのか常に軋むような音を立て、防音処理も施されていないらしく地面を蹴る音も二人の機械馬に比べると随分自己主張が激しかった。
やはり、彼女の騒々しさが砂蟲の怒りを招いたらしい。
元宗がフードの女に向かって手を伸ばしながら叫ぶ。
「こっちに飛び移れ!! その馬は不味い!!」
「は・・・はいっ」
(しまった!!)
実に彼らしい行為。だが、エミーがその迂闊さに気付いた時は既に遅く、女は馬を捨て宙に舞っていた。存外に躊躇いが無い。それとも「魔の国」の女はみな、こうなのかもしれない。
「掴まりますっ!!」
「応っ」
最早、この時点で制止する訳にも行かなかった。サーカスのブランコ曲芸の様に空中で女の手を取った元宗は、そのまま軽々と引き寄せ、馬の背に着地させる。
一方、騎手によって辛うじて真っ直ぐ走っていたポンコツ機械馬は制御を失い、フラフラ蛇行しながら失速し、砂蟲津波に吸い込まれていく。
「くっ・・・・・・止まらんか!」
薄々予想はしていたが、先の迂闊な行為に合わせて如何にも悔やまれ、エミーは毒づいた。獲物=縄張りの侵犯者である壊れた機械馬を壊しつくしても、大砂海の王者の怒りは鎮まらない。
『元宗、飛んで逃げるべきだニャ』
「あら、未だ誰かいらっしゃったんで? どちらですか?」
提案する猫に似た声の主を探してフードの女がキョロキョロ見回すと、それに応えて機械馬の頭に白い小動物が姿を現す。
『自分はコウ』
「あら可愛い。私は――――グレ・・・」
「コウ、馬鹿な事を言うな! 買えるだけの資金が無いからレンタルなんだぞ」
弛緩した会話に付き合う時間は無い。金銭面にシビアなエミーだが、それを抜きにしても切実だった。イレギュラーである自分達は、植物の様にささやかにしか世界に関わってはならないのだ。尾を引き易い金銭トラブルは出来る限り避けたかった。
『背に腹は代えられニャいと思うけどニャ。どうする元宗?』
「むぅ・・・・・・」
「貴方は空が飛べるんですね。鳥魔族の方には見えませんが、天魔族・・・?」
「呑気だな、あんた」
背後に無数の顎門迫る緊急事態に、飽く迄もこのフード女はふわんふわんとした喋り方だ。
「何処に翼をしまってるんですか? わぁ、凄く立派な背筋ですねぇ、私の彼もなかなか凄いんですけど、貴方も良い身体してますねぇ、ゲッターチームに入りませんか?」
「な・・・ちょ・・・うぉ・・・はひ・・・や、止めろ・・・・・・!! アッ――――――!」
元宗の口から吐き出される今まで聞いたことも無い様な悲鳴。犯人は嬉しそうな笑みを浮かべた口元だけが覗くフードの女。細くしなやかな指先を元宗の厚く広い背中に這わせ、妖蟲の様に撫で回しているのだ。
「実は、ハジの街に居る恋人に会いに来たんですけど、ちょっとお互い仕事が忙しくって、なかなか会えないものですから、こうやって無理して会いにきたんですけど・・・・・・やっぱり、もうちょっとしっかり計画を練らないと駄目ですねぇ。ねぇ、聞いてます? 元宗さん」
「何をやってるんだアンタは!!」
エミーは我慢できず怒鳴り声を上げる。
「時と場合を考えろ! 死にたいのか!!」
「あ、ゴメンなさい。ちょっとご無沙汰なものですから、ついムラムラと・・・・・・」
「恥知らずな事を恥ずかしげも無く言うな!!」
「恥らう様な歳でも無いでしょう・・・?」
(駄目だ、こいつ・・・・・・速く何とかしないと)
エミーは彼女が“魔人”である事を確信する。会話の切り返しが霊威神官や邪眼導師に良く似ている。人が困惑している様を見て悦びを覚える様に、優性遺伝的にサディズムを発露する者たち。
「コウ、ストームファングで行けないか?」
エミーもエミーで本性である貧乏性を発露する。元宗がアスラに変身することで、コウの憑依合体は単なる機械のコントロールだけでなく、機能のアップグレードも可能になる。地上・現代では元宗所有の市販バイクに憑依合体する事で、他のライダー達のバイクに匹敵する超マシン「ストームファング」が誕生するのだ。しかし白ネコの顔は馬の頭の上で難色を示す。
『車輪じゃニャいからスピードでニャいかもニャ』
「昔は馬に合体してたんだろ?」
『今みたいに急ぐ事は少ニャかったニャ』
「くっ・・・成程、判った」
渋り具合を見てエミーは察する。この猫の様な生き物は、その姿通りの物臭な性分をしている訳ではない。極めて合理的なだけなのだ。
「くそっ、もう時間が無い! エミー!!」
フード女の精神攻撃から正気に戻った元宗が叫ぶ。
「お代でしたら私が出しておきますわ。私の所為で飛んだ災難に巻き込んだ様ですから。あ」
「どうした?」
「飛んだ災難から飛んで逃げる・・・・・・なんちゃて、ふふ」
「よし、仕方無い! 元宗頼む!」
フード女の妄言を無視して方針が遅まきながらに決定する。己に対する幻滅を蹴り捨てる様にエミーも元宗に向かって飛ぶ。
「修羅・・・変、身!」
それに一拍遅れて元宗は仏法を武力と神通力で守護する天部、阿修羅の威力と形態を備えた改造人間の姿に変身する。
「せまいですねぇ・・・・・・でも、暖かい」
「ぐぅ・・・・・・」
馬の背に三人が詰めている上に、一人が変身によって体積を膨張させたので余計に狭苦しい。だが残された時間は僅かで不平を言っている暇は無い。
仮面ライダーアスラは鞍の上に立ち上がる。
「チェンジ! 魁!!」
気迫の声に依って背に負う四本のギミックアームが翼に変形し、彼は二人を抱えると、その巨大な翼を羽ばたかせ空中へ舞い上がる。
強敵との戦いの時の様に音の壁を削る様な速度では無く、負担をかけない様緩やかな、しかし砂蟲に追いつかれない程度の加速度で。
下方から怨嗟を想わせる砂蟲の鳴き声が聞こえる。
彼らは互いの身体を足場に絡み合う様にしながら空中まで追ってきたが、
やがて重量を支え切れなくなり――――
砂上に屹立した砂蟲の楼閣は、
古い格言通りに崩れ去っていく。
「はぁ・・・・・・」
アスラに抱えられながら、エミーは腹の深いところから息を吐き出す。
「まったく、本当に飛んだ災難だった。しっかり馬の代金は払って貰うからな」
「解ってますよぅ。でも、土壌の改良と国境警備を兼ねて赤水晶砂漠から移入したんですけど・・・・・・ちょっと危険でしたね」
「は・・・・・・?」
「さ、元宗さん、ハジへ急ぎましょ。砂蟲を捕えて食べる大型の魔鳥も出る筈ですから。余り悠長できませんよ」
「お、おお」
最も悠長な喋り方をする女が早急を求める、この奇妙な構図に元宗は戸惑いながらも翼からオーラジェットを噴射した。
フード女の警告した魔鳥は結局エンカウントする事無く、三人はハジに辿り着く事が出来た。
「あら、良く見れば仮面ライダーさんなんですねぇ」
着地するなりフードの女は、珍しげに仮面ライダーアスラを眺めまわした。
今は翼を四本のギミックアームに戻し背中に畳み込んだ、アスラのベーシックで、最も仮面ライダーらしい姿だ。とは言え頭の三方向に顔とアズキ色に金色と言うカラーリングは、顔一つに黒や赤が多いライダーの中では文字通り異色ではあるだろうが。
因みに飛行形態はアスラ・魁、修羅神掌のパーツを右腕に集めて巨大ガントレット化したハードパンチャー形態はアスラ・殿と言うが、この形態は特別な名前は無く、単純に仮面ライダーアスラと呼ばれている。
アスラは自分の身体を見下ろしながらフード女に問う。
「・・・・・・この間も思ったんだが、「魔の国」でもこのナリと名前は有名なのか?」
「それは、もう」
何故か楽しそうに肯くフード女。
「「魔の国」有数の戦闘集団・デルザーを潰滅させたのは伝説になってますから。恐るべき髑髏の戦士。大首領の落胤。地上の死神・・・・・・などと、それはそれは、恐れられてます」
何やら剣呑な異名が連なる。ゴシップが伝達する過程で過剰になっていくのが見て取れる。
邪眼導師がそのコピーを創ろうと考えたのも、わからない話では無い。
「あんたは平気なのかよ」
「私は、もっともっと怖いものですから」
変身解除した元宗の問いにフードの女魔人は嘯く様な台詞で答える。と、其処に・・・・・・
「お、元宗かい? 砂蟲が少し暴れたみたいだったけど、無事なようで何よりだ」
蹄が砂を叩く音と共に、焔色の髪を揺らしながら彼は現れる。
「ソーク」
「調べ物があって街を出たと聞いたが、何か見つかったのかい?」
「いや、さっぱりだ。それよりアンタは?」
「あ、ああ、私はちょっとな・・・・・・」
元宗の問いに言葉を濁すソーク。疑念を覚えエミーは重ねる様に問う。
「そう言えば、私達がここに漂着してきた時も、何をしてたんだ? 国境の街の総督ならパトロールは逆方向が普通じゃないのか?」
「だ、だからちょっと、野暮用だよ」
感情を顕わに下手糞な誤魔化し方をするソーク。何気なく聞いたつもりだったが、彼にとっては些か都合の悪い秘め事らしい。
「あ、あまり詮索しないでほしいな。それこそ野暮だろう?」
「あら、私の事が野暮用ですか? 野暮ったいことを言うんですね」
ソークの問いに対する様に、フード女の声が、酷く意地の悪そうな言葉を紡いだ。
「?!!!」
ソークは心底ギョッとした表情を浮かべ振り返ろうとして、失敗する。いつのまにか彼の背後に忍び寄ったフード女が抱きついたのだ。
「んぐわっ」
どさどさっと二つ音がして、ソークとフード女は砂上に落馬する。
「お久しぶりソーク、会いたかった!」
「な・・・・・・ちょ・・・待って・・・人が見ているッ!!」
フード女は人目も憚らず指先を首筋や鎧の縁に忍び込ませたり、キスをかまそうとしたり、元宗に行った恥知らずの行為が児戯同然と思える様な、熱烈極まる行為を敢行し様とする。
理性の男、城砦都市総督はそれを遮ろうと試みているが、どうにも本気では無い。
『彼も男だニャ』
コウはエミーの内心を代弁する様にポツリと呟き、煙の様に姿を消す。
「や、や、やめてくれ、やめてください、へいか!!」
「あん」
国境守備を仰せつかった男の、半ば侵略を受け入れた生温い、しかし一定の効果を有する反抗は、女の顔を隠していたフードを捲り上げる。
そして明らかになった外套の舌の顔を見たエミーは、思わず酸素中毒しそうなほど息を飲む。
「!!」
「な・・・なんだと・・・」
照れて顔を隠しながらチラチラ見ていた元宗も驚きの声を上げる。
端正な美しい面立ち。切れ長で奥二重気味の眼にアレクサンドライトを想わせる深い赤を帯びた黒い瞳。そして絹の様に濡れた烏の羽衣の様に艶やかな黒く長い髪。
二人は、その顔を良く知っていた。
「しゅ・・・」
言いかけた元宗の口に手を当て、その名前が出るのを防ぐ。
(ちょ・・・どういうことだ・・・・・・)
(わ・・・・・・わからん。いや、恐らく・・・)
エミーは察する。元宗が言いかけた名前の女は、彼女を僭称し自分達の前に立ちはだかった。では彼女が偽、であるならば、そう目の前に居るこのフードの女こそ・・・・・・
「や、止めてください陛下! このような場所で!」
「貴方こそ、この姿で会う時は陛下ではなくグレイスと呼んで・・・そう言ったでしょう?」
(・・・・・・竜魔霊帝、本人!)
六大魔王が「閣下」と呼ばれる中で魔帝国においてユアマジェスティと呼ばれる人物は一人しかいない。竜討万魔霊長皇帝その人だ。何故、こんなところにこんな恰好で、ボロ馬を乗り回しながらやってきて、まるで・・・・・・いや恋人そのものの様にソークといちゃついているかはエミーの思考能力では推察できなかったが、彼女が竜魔霊帝・・・・・・神野江瞬が演じている人物本人であることは確信を以て理解出来た。
「貴方はまた“影”だけを残して・・・・・・ケルノヌス卿に叱られますよ!」
(ケルノヌス! 死天騎士か・・・・・・)
現代に於いて魔帝国地上侵攻艦隊の長を務める男の名前だ。
「心にもない意地悪な事を言うんですね、ソーク。貴方だって、来るって解ってるから公務をほったらかして見に来てくれてるんでしょ、何時も」
「グレイス・・・・・・」
見つめ合う二人。彼らだけの、非積極的だが強い排他性を有する異空間が完成する。その領域に否応なく巻き込まれたモノは、魔素みちたりた「魔の国」の空気よりも余程居心地の悪さを感じざるを得ない。元宗は元宗で、元思い人に瓜二つの女が、元思い人に似ても似つかぬ様な言動を取っている事に、不気味なものを見る様な顔をしている。
「う・・・・・・」
流石にその生温かい視線に居た堪れなくなったのか、ソークは主でもある彼女に提案する。
「・・・・・・取り敢えず、此処では難があります。総督府に行きましょう。話はそれからです」
「そうですね。無理な旅をして私も疲れました」
勿論、貴方の部屋で等と相変わらず衆目我関せずと言わんばかりの注釈を付け加え、生真面目そうな恋人を狼狽させからかう魔帝国の皇帝。
「まるで逆だな・・・・・・これでは」
思わず口に出してぼやいてしまうエミー。慌てて口を噤むが、彼らだけの世界に浸る二人は元より鈍い元宗は何が逆なのか、と聞いて来る様子は無い。
(逆セク・・・・・・)
男が女に行ういわゆる“正”の方のセクハラならば法に訴えるという手段がある。暴力による抑止も有効だろう。
だが、“逆”の場合は、この時代から15年以上未来においても、行う側の常識と良識に期待する以外の方法が無いというのが現状だ。行き過ぎたジェンダーフリーがもたらす弊害だと、慎み深い女性像を大切にするエミーは思わずにはいられなかった。
「カカカカカ・・・・・・」
鷹揚に、好々爺の態で笑うジェットコンドル。機械馬の代金支払いを求めて詰めかけた所、彼の世間話に捕まってしまったのだ。
「いや、失敬。しかし、それは災難だったのう」
尚も愉快そうに笑いを押し殺しながら彼は例の奇妙な色の飲料を差し出してくる。エミーはそれをやんわり断りながら問い返した。
「何時も、ああなのか。彼女は」
「彼の御仁は足の生えたパンドラの箱、魔王の中の魔王、故のう」
鳥の半機械人間は翼のような腕を組みながら唸る。
「大変なんだな」
エミーは心底から同情の言葉を述べる。が、しかしジェットコンドルは首を振る。
「苦労しておるのは総督よ。彼の御仁が御出座しあそばされる時期は、春先の猫の様に尻の座りが悪うなる。今日か明日か、どの方向から、どのように来るか、どんなトラブルを引き連れてくるか、無駄に気を散らかして仕事に手が付かんようになりおる」
情景が自分の事の様に在り在りと眼に浮かんだ。そこに元宗が半ば問う様に指摘する。
「先に手紙でも書いて送れば良いンじゃねぇか」
「・・・・・・切手を貼れば手紙が必ず届く訳でも無いとは思うが」
「然り」
ここは危険が跳梁跋扈する文字通りの人外魔境。郵便事故の確率を殆ど無視して良く、どんな僻地にも一週間以内に手紙が届く日本とは環境が異なる。
「それに、お互い会いたいからと衝動に身を任せられる身分でも無いのだよ」
「・・・・・・なるほど、それでローマの休日と言う訳か」
「ヘプバーンに例えるには些かトウが経ち過ぎているがな」
還暦を五回分だと続けるジェットコンドル。予め魔人が長命だと言う事を知っていたので、寧ろ彼が地上風俗でのモノの例えに切り返せた事の方が驚きであった。
それは兎も角、王宮での退屈な暮らしに飽いた我儘な王族が、身分を隠し街へと繰り出す――――古くは物語の材として、今ではゴシップのネタとして好まれるエピソードだ。
しかし――――
「彼女ならば少しくらい我儘を押し通せるものではないのか? その方が建設的だし、恐らくは楽だと思うのだが」
「そう上手くはいかんのだよ。大っぴらに口に出すのは憚れるが、この国の中枢を牛耳っとる連中が、揃いも揃って二人の交際を快く思っておらんのだ」
「どうしてまた?」
「陛下は即位以前より夫を持たぬ処女帝じゃ。彼女の婚姻は政治的に大きな意味合いを持つ。今の評議会は和平派と主戦派に割れておるのじゃが、双方利用したがっておる点では一致しておる。和平派はREL有力者との婚姻による講和・併合の成立。主戦派は英雄豪傑を伴侶とする事で挙国一致の象徴――――とな」
「少なくとも主戦派の要求には合致しているんじゃないのか。奴はえらく強いじゃねぇか。自分の縄張りブン獲れるくらいによ」
「文字通りの弱肉強食、とはいかんのだよ。元宗」
ジェットコンドルは唸る様に言う。
「総督は魔人では無い。それどころか肉に一切の手を加えていない生身の地上人じゃ」
「やはり、そうなのか? 奴は生身なのか?」
元宗は予見しつつも、その事実に驚きが隠せない様だった。無理も無い。ライダーと魔人、二体の必殺攻撃を同時に受け止めて平然としていたのだ。地上にはそこまで埒外な人間はいない。
「うむ。恐るべきことに奴は生身のまま魔人を圧倒する力を有しておる。だが、それが逆にいかんのじゃ」
「逆に? 強いと不都合な弱肉強食? 矛盾してねぇか?」
「まぁのう・・・・・・魔帝国はその名の通り魔人が支配する国じゃ。大成するには魔人として生まれるか、持って生まれた血肉を棄て大きなリスクを背負って魔の眷族に加わる以外ない。つまり支配種族になれるのはごく僅かなのじゃ。しかし、総督の様に生身のまま魔人に匹敵する様な者が皇帝の夫に選ばれてみよ・・・・・・大衆・衆愚というものは得てして物事の都合のよい面しか見ないもの。我も続けと国内の非魔人種族が後に続こうとするかもしれん。そうなれば万一にもデモクラシーは起こるまいが、国体は崩壊、最悪の場合内戦状態に入るじゃろう。新たなる強い支配者を産む混乱と闘争は、本来我が国としては歓迎すべきものなのじゃが、如何せん時と場合が悪い」
「今、何か不味いのか?」
示唆的に言うジェットコンドルだったが、エミーは察する事が出来ず問い返す。
「REL、天魔の一族と戦争状態にある、というのはさっき聞いたであろう?」
「ああ、しかし――――」
先程のソークの物言いでは寧ろ国内の敵の方が手強い、そんな口ぶりだった。
だが、ジェットコンドルは思いがけない事実を告げる。
「選民を自認する奴ら天魔の連帯感は強く固い。また、奴らは他の魔人族には無い独自の術がある。今は帝国が優勢ではあるが、数の利と秩序を失えば忽ちに戦況は回天するじゃろう」
思いがけない事実だった。2005年現代、強力な六大魔王を地上に送り込み、数々の地底国家を支配する魔帝国ノア。僅か十五年前に同じ「魔の国」内にそれに匹敵する大国が在った事に。
「それにのぅ、総督が地上人である以上、彼自身避けられない問題が付いて回る」
元宗が何かに気付いたのかハッとして言う。
「寿命か・・・・・・!」
「左様」
ジェットコンドルは頭を上下に振る。
(そうか・・・・・・)
元宗が横恋慕した相手も、恋人との間にその問題を抱えていた。周りからは死なないのではないか、等と思われていた節もあるが。兎も角、だから察する事が出来たのだろう。
「ソークは地上人じゃ。今、やつが如何程に強靭かろうと、彼奴に与えられた天寿は百年にも満たぬ。千年の時を生きる魔王の伴侶となるには余りに釣り合いが取れん。半機械の肉体を手に入れるなり、夜魔の眷族に加わるなりすれば話は別なのじゃろうが、頑として人間であろうとし続けている。そして、恐らくは陛下も、その様な奴の性分を愛しておるのであろう」
「愛・・・・・・か」
エミーはポツリと言う。RELの件とは別の意味で思いがけない、言葉。聞くとは思わなかった、言葉。
「お前達、魔人でも“愛”という概念を持つんだな」
「うむ。ま、個体差はあるがの」
黒い羽毛に覆われ顔色は判らなかったが、照れ臭そうにジェットコンドルは言う。
「永き時を与えられた我ら魔人は、その分、地上人の様に多くの子を為す事が出来ない。それ故、短く少ない恋の時代に濃く深く愛を注ぐ。自身の永き生涯を無為とせぬ為、証を遺す為」
エミーは同僚が偶に口にしていた言葉を思い出す。
「人は、一人では生きていけない・・・・・・か」
「うむ。それ故、我らは“悪魔”でも“魔獣”でもなく“魔人”なのであろう」
深く肯き、老魔人はそう続けた。生い立ちに恵まれなかったエミーも、それを痛感して知っている。
「随分とお喋りなんですね」
不意に、声が響きジェットコンドルのこめかみに銃が衝き付けられる。
「要求はなんですかな?」
「鳥も鳴かずば撃たれまい。ばきゅん」
諸手上げた黒鳥の魔人。しかし暗殺者は無慈悲にも引き金を絞り、銃声と共にジェットコンドルは胸を押えながら崩れ落ちる。そして、そこに現れた暗殺者の姿を見て、エミーは驚愕した。
「へ・・・・・・いか?」
「そこで切るの、止めて下さいません?」
潰れた餡饅の様に膨れ崩した顔で抗議する竜魔霊帝。その手に在ったのは指で形作った世界で最も簡素なイミテーションガンだ。
エミーが驚いたのは彼女の突然の出現とヒットマン紛いの行動にではない。「魔の国」を支配する大帝国の長のその姿に、だ。
彼女の姿は先程の旅人風フード付きマントから打って変わり、あらゆる穢れを飲み込むかのような深淵の闇色に染め抜かれた生地に、微かな生命の存在すら否定する髑髏の様な白をあしらった、実に魔界の帝王に相応しくない姿だった。
「・・・へいか・・・グレイス、何なのです? そのお姿は」
げんなりしてエミーが問うと、常識を知らぬその女は何様のつもりか愚者を哀れむ様に問い返す。
「ジパングでは未だ珍しいですか? これはメイドの制服ですよ」
「は、はぁ・・・・・・それは、まあ、わかりますが・・・・・・」
日本で英国風女中の恰好が流行となったのは90年代末からだが、90年代初頭も一応認知はされていた筈だ。
「どうしてまた、そんな恰好を?」
「勿論、ソークが悦ぶと思って♪」
何か卑猥なニュアンスを感じるのは考え過ぎだろうか。グレイスは無邪気を強調する様に、楽しげに続ける。
「実を言うと昔取った杵柄、という奴なんですが、義兄が男はみんなこれが好きだと言うので、義兄の家で侍女をしていた頃のモノを引っ張り出して来たんです。どうです、似合います?」
「え、あ・・・・・・まぁ」
曖昧に肯くエミーだが、実際のところ長身のモデル体型なので、どのような恰好も様になる。長い髪も今は後ろでみつあみにしているので違和感が無い。
飽く迄も社会的肩書や、彼女自身の先入観を度外視すれば、の話だが。
「嘴と尾羽があれば完璧で御座いますな」
「あら」
畏れ多くも無茶な不足を指摘するのは空砲より更に安全なピストルで暗殺された筈の鳥魔人。
「まぁ、鳩胸は完璧ですがな」
「うふふ、これには自身がありますから」
そう言ってグイッと胸を張るグレイス。
瓜二つの神野江瞬同様、丘陵と表現するには余りに隆起著しい二つの膨らみが、エミーの上に重厚な敗北感となって圧し掛かり、フラットに近い胸が逆アーチを描きそうにさえなる。
(マリア、やはりお前だけが私の心の友だったよ・・・・・・)
遥かな時の彼方で待つ友人にエミーは心で語りかけたが、虚しさだけが酷く募るだけだった。携帯のアンテナは当然、圏外を示している。
「でも嘴と尾羽は用意できませんね」
「それは残念。さぞお美しくなれたでしょうに」
「でも、ソークの好みじゃないと思いますし・・・・・・どう思います? 元宗さん」
「あ・・・いや、うん?」
急に照準を向けられ素っ頓狂な声を上げる元宗。何時もは並みの怪人より厳つい素顔を、緩く溶いた葛湯の様に蕩けさせている。
「くちばし、どう思います?」
「あ、え、あ・・・・・・ああ、良いと思う」
「だらしないぞ、アホ」
そこはかとなく不快、ムカついてエミーは脇腹を小突く。
「おおおぅ・・・・・・っと、阿呆はねぇだろ、阿呆は」
「うるさい。それよりグレイス――――」
憤慨する元宗からそっぽ向く様にエミーはグレイスを見る。
「何故あのような・・・貴方の魔力なら砂蟲くらいどうとでも成った筈だが」
糾弾・弾劾であると同時に、本人であるかを確かめる為にエミーは問う。だが、グレイスが返したのは彼女ら“魔人”が好む、何が愉快なのか判らない、含む様な微笑。そして、侍女の姿をした竜魔霊帝は逆に問い返してくる。
「ふふ・・・・・・恋人の逢瀬に軍団を引き連れる者が地上にはいらっしゃって?」
「成程、随分と立派な心掛けをお持ちの様だ」
はぐらかす様な皮肉めいた問いに、皮肉を込めた称賛を贈るエミー。
「いえいえ、本体のまま会いにきたりしたら部下にばれちゃいますから、一時的に切り離してるだけですよ」
(やはりか・・・・・・)
半ば予想していたとはいえ、エミーは些か落胆する。公私を区別し、魔王の力を使うのは公共奉仕に限ると心がけている訳では無いらしい。エミーは改めて彼ら魔人が、利己的に、自己本位に定向進化した生物だと言う事を理解した。
「ですから今、私は並みの魔人以下の力も出ないんです」
(ならば・・・・・・では・・・・・・まさか)
エミーは漸く察する事が出来た。
初めてあった時、彼女が竜魔霊帝で在る事に気付けなかった――――より正確に言えば災害と形容される強大な魔力を微塵も感じなかった理由を。
そして、現代に於いて神野江瞬が彼女に成り代わっている真相を。
(そんな・・・・・・)
エミーは愕然とした。
(そんなバカな!!)
それは、余りに納得し難かった。
大理不尽罷り通るこの世界ならば、それ自体珍しい話では無いかもしれない。
だが、彼女の感性は決してそれを受け入れなかった。
胸に生じる不快な衝動。敵意と言う逃げ道を見つけたそれを、エミーは言葉として吐き出すしか無かった。
「だとしたら・・・・・・随分と不用意なことだな。軽率極まりない」
「何とかなったから良いじゃないですか、うふふ」
射殺す様な視線をぶつけたつもりだったが、「魔の国」の皇帝はそれを微風の様にすり抜ける。
脳に駆け上がる血流の量が跳ね上がったが、エミーは飽く迄も平静を装った。
「偶然、な。もし私達と会わなければ、どうなっていたか解らない。一応、あなたが本体なのだろう? 切り離された魔力はどうなる? どうするつもりだったんだ?」
「もし、なんて考えてもしかたないと思いますけど」
「指導者を名乗るならば、ifは常に想定するべきではないのか? 竜魔霊帝陛下」
「・・・・・・エミーさん」
ぷうと頬を膨らませる。そして、小首を傾げる童女のような仕草でグレイスは問う。
「何かと突っかかるんですね? 私の事、もしかしてお嫌いです?」
撫でる、と言う表現では生温い。
ガリガリと音を立てて神経が逆さに引き掻かれ、腹に湧き上がった熱い液状のモノが、左心房の早鐘の様な脈動によって全身に流れ込み、体温を際限なく上昇させていく。
何故、お前の様な女の為に――――その言葉が舌先まで出かけたが、
「エミー・・・」
案じて名を呼ぶ太い声と、厳つい顔に似合わぬ心配そうな表情に、彼女は吐露しそうになった激情を飲み下して、踵を返す。
「すまんが、気分が悪い。今後の事も考えなければならないから、失礼させていただく」
きっと自分は今酷い顔をしているだろう。エミーはその自覚が在った。
「どうしたんだ? 何を怒ってるんだエミー」
いからせた肩に野太い声が降りかかる。中座した事を非難するのではなく、心配し案じてくれている優しい口調。
しかし、エミーは彼の気遣いに感謝を覚えるのではなく、察しの悪さに怒りを膨らせた。
「元宗、お前は何も感じないのか? 嫌じゃないのか!? そんなに・・・鈍感なのか?!!」
「少し落ち付け、エミー」
周囲を気にして宥め様とする元宗だが、逆に火を注ぐ。エミーは彼の胸倉を掴みと糾弾する様に問う。
「お前は、神野江瞬が、あんな奴の代わりにされるのが許せるのか?!」
「あんな奴って・・・・・・」
困惑の表情を浮かべる元宗。
「空気の読めない変な女だとは思うぜ、確かにな。だが気にする程じゃねぇだろ、それほどはよう。第一、あのソークの彼女なんだから、度を越してアレな訳でもないだろうよ。第一、地上の方がよっぽどムカつく奴が多かったじゃないか」
「論点はそこじゃない、バカ!」
カッとなって胸板を叩くが厚い鉄の塊の様なそれは僅か程も小揺るぎしない。何時もは頼もしく見える彼の体躯も、今は癪に障る。
「私は神野江があのバカ女の代役をやらされてるのが許せないって言ってるんだ!!!」
「瞬が・・・身代わり? グレイスの? どう言う事だ?」
常々彼の愚直さを美徳だと考えているエミーだが、今の彼女にはそれが愚鈍さに映っていた。何故この男との会話は、こうも要領を得ないのか。
「判らないのか? あの女は、多分、きっと、近い内に“死ぬ”」
「!!」
細い目をかっと見開く元宗。矢張りと言うか、当然の様に予想もしていなかったのだろう。
「状況は総て物語っている。神野江瞬が竜魔霊帝を僭称しなければならなかったのか? 何故、衣と威を借るだけの彼女が他の魔王を上回る力を持つか? 何故、神野江の遺体が見つからなかったか? 答えは簡単だ。グレイスと言うあの頭の湧いた女は、あのまま竜魔霊帝の力を切り離したまま、死ぬ。そして遺された力の依り代に、神野江は選ばれてしまったんだ。何者か・・・・・・竜魔霊帝が存命である事で利益を得る誰かによってな」
「そんな・・・まさか、可能なのか? そんなことが!」
「実例を見ただろう? 条件が揃えば魔王の力の受け渡しは出来る、と」
「! 受け渡しが・・・出来る? 受け渡し・・・可能」
元宗が考え込む様に言葉を反芻する。しかし考えるまでも無く、つい先日――――時間軸の上では15年近く先の話だが――――REXUSの身体を乗っ取った大首領の亡霊は、REXUSが邪眼導師のクローンであることを利用して邪眼導師から魔王の力も奪った。それは元宗自身が最も至近距離で目撃した筈だ。
「んん・・・? 可能・・・受け渡しが? ええっと・・・待て・・・・・・それじゃ・・・」
「何を待てと言うんだ! 結論は出ているだろう!!」
エミーは吠える様に言う。
「それに・・・・・・お前が知る神野江瞬は“バダンの復讐”を誓い妄執に捉われる様な女か? 違うだろう?!」
それは問い掛けであると同時に、恫喝であり、懇願だった。エミーは、あの亡者の戯言を認める訳にはいかなかった。
脳裏に過る、幾つもの悲痛な顔―――――
「そうでなければ・・・・・・私は耐えられん。でなければ、報われん」
「エミー・・・」
寂しさと悲しみを幾つものメールに認めた少女をエミーは知っている。
道化を装いながら、友の安否を酷く気に賭けた青年を知っている。
自らの総てを賭け、居なくなった彼女に“代わろう”として男を知っている。
そして、彼女の為に戦おうと願った目の前に居る男の熱情を、エミーは知った。
そして多くの者に想いを寄せられていた彼女もまた、それに真摯に応え様とする女だった。
「私は・・・・・・許せない。認めたくない。お前や、あいつらが必死に戦う理由が、あの軽率な女の我儘の所為だっていうのが」
「優しいんだな、お前は本当によ」
思い掛けない言葉が返ってくる。鬼女の様に怒りを吐き出していた自分を評するには、余りに相応しく無い言葉。
だが、彼の表情は慈しむ聖職者のそれでは無く、辛苦を共有する聖人のそれを想わせた。
「だけど、違うんじゃねぇか? いや、違うと思うぜ。少なくともオレは、な」
「え・・・」
不意な言葉は続く。理屈を並べたてられた先程の彼とは逆に、今度は自分が彼の言葉の真意を把握できない。
彼は何処か自信が無さそうに、半ば問いかける様に言葉を続ける。
「あいつは皇帝様なんだろ、「魔の国」の? つまり一番知ってる筈だ、「魔の国」の事をよ。そんでここにのさばるのは、弱肉強食の獣の掟。一つの間違いが、命を簡単に毟り取るヤバい世界らしいじゃねぇか。お前の言う様な適当な覚悟で、こんなヤバい世界で手放せるか? 身を護る力をよ」
「あ・・・」
「あいつは、多分あいつなりに真剣に好きな男に会いに来たんだよ。方法の良し悪しは別として、な。お前だって、シルエットXの為に戦ってやってるんだろ? 必死でな」
胸が酷く痛かった。
彼女に向けられていた刺々しい怒りが、今、自分に向かって逆流してくるのが実感できた。
自身の都合、身勝手な感情に衝き動かされていたのは何も彼女だけでは無い。
自分自身も、何も代わりはしなかったのだ。大切な何かの為に、何かに犠牲を求める。それはエミー自身が元宗に強いた事と何も変わらなかった。
エミーが知る「訪れるべき未来」の為に、今救えるかもしれない命を、救えるかもしれない思いと力に見捨てさせようとしたのだ。
「私は・・・・・・」
罪悪感と気恥ずかしさが入り混じる。
「元宗――――」
「ン?」
「これからは、お前の思う様にしてくれて、良い。お前が此処に残ってこの地の地上人の為に戦うと言うのなら、私はもう、それを止めないよ」
「何言ってんだお前? もしかして、怒ったのか? お前の言った事違うっつたから」
「馬鹿、違うよ。私もお前に付き合うさ。お前ひとりじゃ、どうしようもないし、私一人でもどうにもならないからな」
「な・・・・・・良いのかよオマエ? 待ってるんじゃないのか? あいつらが。っつうか、お前はあいつが――――」
元宗の口に手を当て言葉を遮ると、エミーは首を左右に振って言う。
「良いんだ。私は眼中に入ってなんかいないから。私が奴の為に戦ってるのは、奴が求めたからじゃない。私が、そうしたいと思ったからだ。奴に恩を、返す為に・・・・・・」
「恩・・・・・・」
「ああ、命を・・・・・・いや、私と言う人間の総てを、あいつらに救われた。だから、あいつが取り戻そうとしているモノの為に、私は戦わなければならない。だから何としても私は戻らなければならない。それが、私の使命だと思っていた」
切々と語るエミーを、元宗は一言も発する事無く、静かに見つめていた。
「だけど、それは――――本当は私の願い、我儘だったんだ。恩義とか、あいつの為とか、言い繕って、正統化して、責任逃れして。でも、本当はただ私が、そうしていたいだけ。帰る場所を失うのが怖かったから・・・・・・誰かに必要とされたかったから・・・・・・棄てられるのは、もう嫌だから・・・・・・」
忘れようと封をしていた記憶が蘇り、目尻が熱くなる。
「すまない・・・・・・すまない、元宗。世界の為とか自由だ平和だとか言っておいて、本当は只、私の都合でお前の善意を利用しようとしてただけなんだ。それを今、漸く自覚したよ・・・・・・何て愚かで、みっともない女なんだろうな、私は」
自虐しつくす様な言葉を吐くエミーに、元宗は頭を振って応える。
「同じだよ、オレだって」
厳つい顔に似合わぬ柔和な笑み。立てた親指で自分を指して、彼は努めて朗らかであろうとしながら言う。
「言っただろ? オレが仮面ライダー名乗るのも、そんな大それた理由じゃないことをよ。寧ろ安心してるぜ、本心が聞けてな」
そして照れ臭そうに眼を逸らしながら白状する。
「まぁずっと気になってたんだ、本当はな。気にしねぇ、詮索しねぇと言いながら女々しい事この上ねぇが。だから、有難い・・・・・・そう思っている」
「・・・・・・元宗」
「それによ、オレにとっても大事な場所なんだ・・・・・・あの時代はな。だから困るぜ、簡単に諦めてもらっちゃ。どうにもならねぇんだからな、お前が言う通りオレ一人じゃ。逆立ちしたって帰る方法見つけられねぇ。間違いなくな」
手入れ不足で薄く産毛の生えて来た坊主頭を、彼は戒める様にバシバシと叩きながら、苦笑する。
「何、コイツは使えたもんじゃねぇが、痛い目の代わり位は出来る。相談相手には役者不足かも知れねぇが、悩みを抱え込んでねぇで聞かせてくれよ。今見たいにな」
「有難う、本当に・・・・・・」
嬉しさと、後悔。最初に出会った時から血の中に澱みこびり付いていた不信と敵意が、解ける様に解けて消えていく。最初から、こうしていれば良かった。この、頑固だが善良な男を信じれば良かった。そうすれば、彼に長く不安と不満を抱かせず済んだのに。彼の存在に、癒されているのが判った。
しかし、同時に苦しかった。
信じてくれた彼に偽りの姿を見せなければならない事実が、エミーの心を苛んだ。
この穏やかな時間と思いが何時か終わりを迎える事をエミーは知っていた。彼女自身が、そう望み決めたからだ。
総てが終わったら、「エミー」という存在は消えてしまおうと、始めからいなかったことにしてしまおうと。
それでも躊躇われたのは、今のこの一瞬が、エミーが何より求めて来たものだったからかもしれない。
孤独で無いと言う実感と、それによる充足。
このマスクを外してしまえば、良心の呵責は消える。しかし、同時に穏やかな時間は二度と訪れなくなるかもしれない。
(だけど―――――)
彼は、信じてくれと言った。頼ってくれとも。この思いを打ち明けず、騙したまま過ごすのは、それこそ彼への裏切りではないのか。
いや、彼を騙し裏切り続ける事を、そして疑い続ける事を、エミーはもう耐えられなかった。
(きっと、彼なら――――)
受け入れてくれる。
自分が誰であろうと。何であろうと。
恋した女にさえ敵意の眼を向けた狭量な男は、もうここには居ないのだ。
「元宗――――」
エミーはうなじの処に在る覆面のホックに手をかけながら、彼の名を呼ぶ。
「これまでだ――――」
「あ!」
太く大きな声が、エミーの言葉を遮って元宗の腹底から吐き出される。
「?!?!!」
不意を突かれエミーが目を白黒させながら元宗の顔を見ると、彼自身何かに驚いた様に目と口をカッと大開きにしていた。やがて、飛び出さんとばかりに見開かれた眼を此方に向けると、やや興奮気味の口調で喋り始める。
「さっきから何か引っかかってたんだが、判った!」
「??!?!」
主語を省いた言葉にはエミーも流石にこの単純な男の真意を察せず、訝しげに――――いや困惑しながら言葉の続きを待つしかない。しかし、
「オレたち、もしかしてラッキーなんじゃねぇか?」
「は」
言葉は更に要領を得ず、疑問符を並べるしかない。
「だってそうだろ? グレイスから竜魔霊帝の力が切り離せるんなら、現在(いま)の瞬から引っぺがす事も出来るってのが道理じゃねぇか。なら、何とか奴から方法を聞き出せれば――――」
「そうか・・・・・・」
漸く理解するエミー。これでは何時もとあべこべだが、これは言葉足らずな説明が悪い。兎も角、である。
「神野江を救出し、更に魔帝国の首領を・・・力を削ぐ事が出来る。だが―――――」
エミーは感心しつつ、呆れると言う、彼女自身形容し難い心持だった。
確かに元宗の発想はエミーの盲点を突いたが、それは飽く迄も無事に現代に帰れれば、いや厳密に言えば「無事な現代に無事に帰れれば」を前提とした話なのだ。
しかし、これで良いのかもしれない。 理不尽さ不条理さばかりに目を向けて嘆き、思考の迷宮に嵌って立ち止まるよりは、サッと切り替えて成功の眼がありそうな問題を先に解決する方が遥かに建設的だ。
「だが、どうやって聞き出す? 訳の判らない地上人に、そう易々と生命線を明かすとは思えないぞ?」
「むぅ・・・・・・」
渋い顔をする元宗。だが、彼は直ぐに何かに気づき、そして躊躇いがちに言う。
「・・・・・・ソークの信用が得られれば、或いは」
「奴らを騙す――――いや、方便を使うというべきか」
思い掛けない発言に内心驚きを隠せなかった。
「兎も角、一度戻って考えを纏めよう。何れにせよ、リスクが大きい。即決は出来ない」
言いながら複雑な気持ちだった。もう既に、それを言い出す機会は完全に逸してしまっている。
お互いのタイミングの悪さを恨めしく思うエミーだったが、しかし同時に安堵の気持ちも少なく無かった。
(落ち着いたら、改めて言おう)
緩めに決意を固めると、宿へ――――と言うよりは多分宿が在るだろうと思われる方向に歩き始める。
「だが、余り時間は残されていない。決断は急がなければ」
『その通りだ。もう君達に残されている時間は少ない』
自戒を込めたエミーの呟きに答えたのは、隣を歩く相棒では無かった。
「?!!?」
「?!」
元宗のモノでは無い男の声が、何処からか響く。
確かに耳に聞こえた声の筈なのに、何処から聞こえたのか判らず、二人は辺りを見回す。
街は何時の間にか人影が見えなくなっており、無人の静寂の中に、ソレは突如浮かび上がる。
「オーロラ・・・?」
光とも影ともつかない、揺らぐ水面の様に、目の前の空間に幾重に折り重なった波紋が生じ、水死人が仄暗い水の底から浮かび上がる様に、禁忌なる者が御簾の向こうから姿を現す様に、不気味な、としか表現できない人影がゆらりと実体を結ぶ。
ベージュ色のフェルト帽とコート、太く野暮ったい黒縁の眼鏡・・・・・・一昔以上前の映画に出てきそうな風体をした、壮年の男の姿。
極光と呼ぶには余りに不吉な色調の光が消えると、その妖しい男だけがその場に残った。
「・・・・・・何者だ」
元宗が細い目を更に細め問う。すると、その妖しい男はオペラ歌手が歌い上げる様に、酷く芝居がかった大仰な口調で名乗った。
「私は――――予言者!」
名乗りを聞きながら、エミーはまるで不安感と不快感を拭えなかった。
突如として虚空から現れた登場の異様さからだけではない。特異な恰好と変質者を思わせる不気味な微笑みを浮かべる“濃厚さ”を持ちながら、同時に陽炎か追水の様に、見えた其処に存在しないかのような不確かな空虚感。その違和感が、酷く不気味で不快なのだ。
「この世界は――――仮面ライダーを必要としている。いや! 仮面ライダーを必要とする様に“なってしまった”」
怪しげな微笑を浮かべた男は、此方の心の準備終わる前に話を始める。
「だが、この世界には仮面ライダーが存在しない。その結果、物語が破綻し世界が崩壊しようとしている! だから、君は引き寄せられたのだ」
「何を言っている・・・・・・いや、貴様は何を知っている!?」
吼えるエミーだが、この怪しげな男はまるで意に介さず――――興味を持っていないのではない、エミーの存在そのものを認識していないかのように――――話の展開についてこれず、沈黙を守る元宗を、“阿修羅(戦い続ける者)”の名を冠する仮面ライダーに、熱っぽい視線を向け続けている。
「君が物語を支えるのだ、仮面ライダーアスラ。でなければ、この“世界”は“十年紀”を待たずして破壊されてしまう」
そして男はポケットから一枚カードを取り出すとそれを元宗に向かって投げる。流石に慌てて取り落とす様な間抜けはせず、元宗は器用にキャッチする。
「これは・・・・・・」
片側が真っ黒で、もう片側にはタイクーン船内でシルエットXと自由騎士が年甲斐も無く興じていたカードゲームの様な、必要以上に凝った、何かの機械をデザイン化した様な模様が描かれたカードだった。妖しい男の雰囲気は、時空海賊一味の男達に通じるものが在ったが、この状況下で幾らなんでも遊戯用のカードを手渡したりはすまい。
「しかるべき時、それが必要になる! この世界を破壊から護ってくれ仮面ライダー!!」
命令とも懇願ともつかない、いやそれは彼の自称を信じるならば“予言”。男が元宗へ言葉を預け終えると、彼が現れた時と同じ様に再び周囲の空間が幾重にも揺らめき始める。
「ちょ・・・ちょっと待て!! 未だ聞きたい事が・・・!!」
制止するエミーだが、オーロラは彼女の意を介さず男を飲み込む。そして、霞む様に消えると其処に男の姿は消えてなくなっていた。
後は、元宗の手元に残る一枚のカードだけが彼が夢幻では無いことを示すだけだった。
城砦都市ハジの行政機関であり駐留軍の指令本部である総督府は、ハジが旧ダウンワールド王国領のミドラと呼ばれていた頃、この地を支配していた魔人の居城を帝国が接収、改築したものだ。防災上の関係から三階建て以上の建造物が殆ど存在しないハジ市内に在って、唯一5階を越える階層を持った建造物である。
地上に於いて差して珍しくない高さで在るものの、平らな街並みの中に聳え立つ支配者の居城は、モダンな洋館を思わせる外観で在りながら、名実に相応しい威容を誇って見えた。
この総督府は、市制への窓口であり、職員が業務を行うオフィスであり、駐留軍の本部で在り、総督の官邸であり、ハジにおける行政機能のほぼ総てを集中管理する施設だと言えた。
館の主、ソーク=ウラの執務室は地上五階に在り、其処に魔帝国騎士であり城砦都市ハジ総督であるソークへの客として、一人の男が招かれていた。
来客用の椅子に腰を下ろした彼は、美しい光沢を持つ黒いローブを見に纏い、フードを目深に被り顔は見えなかった。
本来、通常の来客ならば下の階に在る応接室を使う。
しかし、総督府の一般職員が通常立ち入る事の出来ない総督執務室に彼が通されたのは、ジェットコンドルと仮面ライダーアスラの戦いで応接室が使えなくなったからではない。
「ここには聞き耳を立てる者も、覗き見する者もいません。フードを取っていただいて結構ですよ、マントル特使」
「そのようですな。では失礼して」
マントル特使、そう呼ばれた男は促されてフードを外す。其処に密会となった理由が在った。
「今の両国の関係を思えば止む無しとは言え、面倒なものですな」
彼の容姿は、地上人のものに良く似ていたが、明らかに地上人――――ホモ・サピエンスでは無かった。
顔立ちはアングロサクソン、ギリシャ・ローマ系の白人に近似した彫りの深いハッキリした造型だったが、その肌色は青みを帯びた黒で、頭髪は鉄の様な光沢を帯びたブロンド。目は光彩が黒で瞳孔の奥が炎の様に赤い。そして、背中からは髪と同じ鉄色の羽毛を生やした翼が一対大きく広がる。
“天魔”
「魔の国」に多様に存在する魔人種族の一つで、「魔の国」において魔帝国と唯一敵対する“敵国”、共和制天魔族首長連合――――RELをほぼ単民族で構成する。彼らは独自の民族宗教で極めて強固に結束すると同時に、他種族に対する非常に強烈な排他意識を持ち、2000年ほど前に「魔の国」に現れて以来、常に他勢力と戦い、現在も旧ダウンワールド王国領の領有権を巡り魔帝国との間で交戦状態にある。
「先ずは大統領名代として感謝の言葉を」
「いえ、特使。感謝したいのは此方の方です」
ハジ総督ソークは、その穏やかな雰囲気のある顔に更に柔和な笑みを浮かべてマントルに応えた。
「私も、どの様な手段であれ、この戦いは早急に集結させたかった。ダウンワールドが斃れて十数年、我々は血を流し過ぎた。闘争が「魔の国」最大の律法とは言え――――多くのモノが大切なモノの多くを失った」
「ええ。大統領も、その悲劇を終わらせる為に、理解してくれました。ですがそれは総督、貴方の尽力が無ければ成り立たなかったでしょう。霊長皇帝陛下と親しい貴方が幾度となく上奏して下さったお陰です。長きに渡った両国の戦いも間も無く終結する」
「それだけ戦いを終息させたいと願うものが両国に多くいたのです」
密談――――それは、10年以上続く両国間の戦争を終結させる為のモノだった。
長期に渡る戦いは既に両国を大きく疲弊させていた。
生命力が強く死に辛い魔人達も、その出生率の低さゆえに徐々に数を減らし、それ以外の脆弱な人種の状況は更に悪い。
更に強力な魔術や新兵器の開発競争は過熱し、一度の会戦で一つの都市が市民ごと消え去る事も珍しく無くなった。
魔の国に、地上の様な交戦規定は存在しない。
全力を尽くし滅ぼし合う事が唯一のルールだからだ。
だが、戦い、闘い、そして死ぬ事が魔の国の定めとは言え、このまま戦いが続けばやがて全てが滅びつくしてしまうだろう。
ソークは、その悲劇的未来を回避したかった。
彼が庇護の対象とする地上人や非魔人種族だけで無い。魔人達も護りたかった。
「貴方がた和平派が接触して下さったのは私にとってこれ以上ない僥倖でした。この魔の国では、多くの力無い民が虐げられ死んでいる。それがこの世界の定めとは言え、叶うならば助け出したい。そう願ってやまないのです」
「その、貴方の美しい願いの結実が、この街なのですね。拝見させていただきましたが、貴方がどれだけの愛を以てこの街を治めていらっしゃるか一目で判る。これほど活気溢れた人々は我が母国の都市にもそう見かけない」
「買い被りですよ特使。彼らの本来在るべき姿です。私はそれを手助けしたに過ぎません。人が人らしく生きる事、それが私の純粋な願いなのです」
「人が人らしく・・・・・・良い言葉ですな。我らが主も『在るべきままに在れ』と教えております。最も私は母国の同胞にしてみれば、不信心者なのだそうですが」
「フフ・・・・・・私も、戦い勝ち取る事を是とするベトニウスの神の信奉者達からすれば、軟弱な裏切りものなのでしょう」
「だが、隣人を思う貴方の様な方がいらっしゃったからこそ、私は母国を救う事が出来る」
「お互いに、ですね」
焔色の髪を持つ地上人と、鉄色の髪を持つ天魔は共に聖者の様な微笑みを浮かべ在った。
幾度かに渡る協議によって深めたお互いの理解。彼らはお互いの国を救う為という同じ志を持った二人だった。
コツコツと扉を叩く音が響く。
「お茶を、お持ちしました」
「!」
驚いた表情を浮かべるマントル。機密の為、これまで協議中この執務室を誰かが訪ねると言う事は無かったのだ。
「安心して下さい特使。以前からの約束、覚えておいでですか?」
「約束・・・・・・?」
「失礼します」
マントルの解答を待たず、扉は開き背の高いメイドが入ってくる。
黒く長い髪が特徴的な美しい女だった。マントルは、始め呆然としていたが、やがて彼女の顔を認識すると、激しく驚いた顔となった。
「ま、ま、まさか・・・・・・!」
「ふふ、ふふふっ・・・・・・やっぱり、これって素敵ね。驚いた顔、好きだわ。貴方も最初はこんな風に驚いたものね、総督?」
「陛下、ご自重を」
引き攣った笑顔でソークはメイドを窘め、驚いた顔のまま硬直するマントルに向き直る。
「失礼しました。ご察しの通り、彼女が魔帝国ノア元首、帝国最高評議会議長、帝国全軍司令、竜討万魔霊長皇帝陛下であらせられます」
「ご紹介与りました。ソークの妻、グレイス=ウラです。もとい、ソークはジパングの人だから、浦グレイスです」
「・・・・・・ですから陛下、自重を」
直訴を繰り返すソーク。「冗談を」ではなく「自重を」と言うあたり彼も満更では無いのだろうが。唯我独尊の帝も、流石に繰り返される恋人の懇願に空気を読み、神妙な顔つきとなってマントルに顔を向ける。
「失礼しましたマントル特使。改めまして、お初お目に掛かります。私が竜魔霊帝・・・グレイ=ベトニウス=エオニマク=ヌワイエス=ノア。近しい者からはグレイスと呼ばれています」
「私は共和制天魔族首長連合元首、統一大魔大統領ソフィア=アカトリエル=ヤ=イェホド=ゼバオト閣下直属の特命大使、マントル=シャリバー=ジーアース。お目にかかれて光栄ですグレイス陛下。よろしければマントル、とお呼び下さい」
「判りましたマントル。フフ・・・・・・それにしても私も彼女も長い名前で思わず舌を噛みそうになるわね」
「大統領閣下も署名の際に良く嘆いておられました。ただソフィアで良いのに、と」
「そうですね。私もただグレイスで在れば良いのに、と良く思います」
薄い自嘲的な笑みを浮かべるグレイス。マントルは直ぐに落ち着くと、察したように問う。
「しかし陛下、そのお姿はやはり」
「ええ、竜魔霊帝として来れば敵味方問わず多くの者に気づかれますからね。必要な処置です」
グレイスは魔王としての力を切り離して来た理由を語る。
「両国は現在、暫定的な停戦協定を結んではいますが、国境付近の城砦都市に敵国の元首が現れたとなれば――――和平どころの話ではなくなりますからね。それに和平交渉が明るみに出れば、両国とも国内の反発が小さく無いでしょう。貴方がたは宗教的問題が大きいでしょうし、我が国も戦争継続を願う者が多い。私も、弱肉強食を国是とする帝国の長としては、闘争が続く事を望んで然るべきなのでしょう」
グレイスは告げる。竜魔霊帝(じぶん)は、魔王すら統べる大魔王。この魔の国に於ける魔人の中の魔人――――闘争と破壊の権化なのだ、と。
警告とも脅しともつかない発言に、二人の平和主義者は冷たい汗を滲ませ唾を飲み込む。しかし、グレイスはそんな二人の反応を見て楽しむ様に笑い、そして続ける。
「予め言っておきますが、私が和平交渉に応え様と思ったのは、貴方やソークの様に大義や使命感からではありません。また、一国の主としての判断によるものでもありません。ごく個人的な感情、事情によるものです。もう理解されていると思いますが、私は此処に居るソークを一人の女として愛しています」
「・・・・・・」
「私が皇帝に即位して既に300年近く経ちますが、戦いに明け暮れる日々は、流石に私も飽き疲れました。ですがソークの存在は私の枯れ果てた心を潤し、灰色にみえた世界を明るく照らしてくれました。私の願いはただ一つ、彼の傍らで共に生きる事。連合と帝国の和平は、その為に必要だと思ったから承諾したのです。別に、貴方がたの心情を理解したと言う訳ではない事、肝に命じておいてください」
「結構です。それで充分です。陛下、貴方がこのソーク殿を愛してくれている、その事実こそがこの「魔の国」に平穏をもたらすのですから」
天魔はその鉄色の髪を何度も上下に振りながら満面の笑みを浮かべる。
「しかし総督、貴方も果報者ですな。女の方に此処まで言って貰えるとは、冥利に尽きましょう」
「特使、からかわないで頂きたい。陛下もその、あまりぶち上げられても体面と言うものがあるのですから・・・・・・」
「良いでは無いですか。愛は目に見えないものですから、こうして判り易くアピールしないと。それよりも、貴方は言ってない言葉が在る筈ですよ。私だけに言わせたら、まるで貴方が私の事を利用するジゴロみたいに見えますから、さ早く」
「ジゴロって・・・・・・何処で覚えられたんですか、そんな言葉。それより言ってない言葉って・・・・・・」
「和平を求める理由ですよ。人々を護る為、以外で」
グレイスはジッとソークの目を見つめる。頬に差した朱と潤んだ瞳は、男として生まれた人間ならば、余程の朴念仁で無い限り、彼女の求める者を理解させただろう。
ソークは頬を指先で掻きながら苦しげに言う。
「・・・・・・仕方ないですね。私は貴方ほど羞恥心が薄く無いんですよ。それに非公式とはいえ、真面目な場なんですからね」
「そんな言葉は要りませんから、さんはい」
恋人と言うよりは、厄介な女教師か、或いは子離れできない母親の様にグレイスは急かして言う。ソークは尚も抵抗が在る様子だったが、マントルにまでニヤニヤと期待の視線を送られては抵抗出来ないと観念する。聖者の顔と、使徒の姿を持ってはいるが、飽く迄彼も魔人なのだ。
「・・・あー、ごほん。和平を私が求めるのは、陛下の心と体の安寧をお守りしたいからです。帝国に仕える騎士として。彼女を愛する一人の男として」
「良く出来ました、流石は勇者です。ナイスブレイブ!」
「ナイスブレイブ!」
「からかわないでください陛下、マントル特使まで・・・!」
ソークは色白だった顔を髪と同じくらい赤くして囃す二人に抗議する。
「さて――――」
グレイスの表情が改まり、真剣な眼差しが二人を交互に見る。
「冗談はここまでにして――――詳しい内容を伺いましょう」
グレイスは二人から和平交渉の現在まで進捗状況の詳細を聞いた。
戦後補償と、停戦協定の詳細。
両国元首による同時和平宣言。
平和調停を目的とした帝国連合合同の第三軍の発足計画。
両国の交流を担う貿易都市の設置計画。
そして、両国首脳会談の日時――――
それらが総督と特使二人から交互に口頭で説明された。書面は無い。
「良く判りました。有難う。首脳会談の日時は、それで都合がつく様に何とか調整してみましょう」
「判りました。感謝いたします、陛下」
「お互いの為です。ふふ」
口頭での約束だが、「魔の国」、こと魔人にとっては絶対的なものだ。
書面が無いのは露見の可能性を減らす為だけではなく、魔人という存在が、本質的に一度結んだ契約を破る事が出来ないからだ。
それから幾つかの事項の確認が行われたが、凡そ恙無く進行した。
「では、約束の日に――――再び見えましょう」
こうして、帝国皇帝を交えての和平交渉は秘密裏に終了した。
マントルは、魔術で造り出した照明で照らしながら暗い通路を歩いていた。
下水道とも、洞窟ともつかない中途半端に整備された石造りの道だった。
ここは地の底に存在する「魔の国」の更に地下。ハジの西、数キロ。特命大使マントルは会談を終えて直ぐにハジを発った。
出来得る事ならば、あの平和な街で平和な空気を満喫したかった。天魔の姿を地上人の姿に偽る術を彼は覚えていたが、万が一の場合に自分自身の存在が火種になる事を恐れ、早々に出発したのだ。
無論、停戦中とは言え事実上戦時下に在る両国だ。通常の手段で国境を越える事は出来ない。
和平交渉の地をハジに選んだのは、ソークと言う人物が居たからだけではない。
あのハジという都市の成り立ちも大きく関わっていた。
かつて、この地を大魔王ガルバー――――ダウンワールド王国が支配していた頃、ハジの領主を任じられていた魔人は、闘争を好む魔人に在って考えられないほど慎重で、臆病な人物だった。彼は自らの城に幾つもの隠し通路を造り、常に逃げおおせる事が出来る様に備えていた。
しかしそれらの隠し通路は王国が滅び、この地を帝国が治める様になると、そのどさくさで詳細が判らなくなり、放置されていた。
勇者ソークは、中央から疎まれ半ば左遷される様な形で辺境ハジに封じられたと表向きにはなっているが、その実、地下に多くの逃げ道を備えたこの防災都市が下賜されるよう、竜魔霊帝と和平派の臣下が工作を行ったのだ。今回の様に、秘密裏に自分の様な大使を招く為。万が一の場合、市民を逃がす径路を確保する為。
ソーク=ウラ。
彼は連合・帝国両国で「勇者」として知られる。
脆弱な人の身で「魔王」を討ち果たした者。
かつて連合に属した魔王、“殲滅知事”ハイランド=オーナンを斃した英雄。
強大過ぎる戦果は、彼の身を帝国内で極めて不安定なものにしている。
人を愛するあの優しい男が、そのささやかで真っ当な願いを叶えるのは両国の和平以上の困難を強いられるだろう。
(伴侶も、あの方ですしね)
お互い気苦労が絶えぬものだと同類を思ってマントルは苦笑する。
「ナニが――――おかしいんだいィ? 弾道男爵サンよ――――」
「!!」
暗闇から響く声は錆びた金属を擦り合わせる様な不快なものだった。それが酷く語尾を伸ばした喋り方をするので、常軌を逸した不快さを生み出していた。
闇の中から揺らめく様に声の主は姿を現す。細く吊り上がった目と、鉤爪の様な鷲鼻の天魔の男だった。
「そりゃ――――おかしいかもなァ。国を裏切る算段はよォ――――この売国奴がァ」
「貴様は・・・・・・空爆師団長、ウラニア=ダービークロケット! 何故ここに!! いや、何故ここを知っている!」
マントルは男を知っていた。男の、虐殺を好む残虐な人となりと、この男がこの場所に居る筈がないと言う事実を。いや、知っているつもりだった。
ウラニアは裂けた様に口角を吊り上げて嘲笑する。
「決まってんだろォ――――オイ、そりャ――――おめぇ、露見したからに決まってんだろォ――――大統領とォ――――お前らのォ――――背信とォ売国行為がよォ―――――」
「ば、バカな・・・・・・!!」
「バカっておめぇが、かよ――――? おっとぉ、大統領じゃなかった――――元ォ――――大統領閣下ァ、だったなぁ――――」
マントルは羽の付け根に、虫が這う様な不快感を覚えた。
「元・・・・・・? 貴様ら、閣下に、ソフィア閣下を、まさか」
「おぅ、まさか――――も、まさか、よ。おっ死んだぜぇ――――ソフィア閣下ってばよォ。おめぇさんが異国でバカンス中にィ――――オレらの大将ォ――――アフヘマハマシト様にィ―――――ヤられちまったよォ――――」
「な・・・ば・・・・・・バカな!!」
強烈な衝撃を受け思考が纏まらない。連合国内で同じ話をされれば、「バカな」は一笑に付す一言になっただろう。だが、自分達以外知る筈の無いこの隠し通路が知られていると言う事実は、和平交渉の露見と、本国での何らかの政変が起こった事実を裏付けていた。
少なくとも、大統領ソフィアの身に何かが起こったのは間違い無いだろう―――――
「まぁ――――おめぇも後を、追って貰うがなァ――――じゃあな、マントルの兄さんよ」
暗闇の中に攻撃魔術の灯火が無数に浮かび上がる。
―――――ソフィアが存命ならば、未だ自分に売国奴・異端者としての討伐命令が出ている筈が無いのだから。
「おのれぇぇぇぇぇ!!!」
「ヒヒヒ―――――死ねぃ」
哄笑と共に号令が下され、怒り猛るマントルに、魔力の閃光が降り注いだ。
国境・城砦都市ハジより北東に1万キロ―――――共和制天魔族首長連合首都エテメナキ・シティ。
天魔の民族宗教の教理に基づき、都市そのものが神殿としての機能を備える様設計された一大計画都市。
整然と立ち並んだ漆黒の建造物群は美術的にも優れ、「魔の国」三大美都に数えられる。
その首都の上空に、この都市で唯一儀式的意味合いを持たない建造物が存在する。それは「空中官邸(フライトハウス)」と呼ばれていた。
その名の通り、浮遊石による重力中和で半永久的に中空に留まり続ける黒檀の宮殿は、平時は国家元首・大魔大統領の住まいで在り、有事の際は連合軍旗艦として全軍総帥座乗艦として前線に赴く事も可能な小型且つ高性能な機動要塞でもある。指令本部として必要十分な指揮通信機能と最新鋭の魔術兵装による高い攻撃力、連合軍主力空中戦艦の主砲を退ける強固な防御結界を備え、更に内部には大統領の近衛である優秀な天魔達がSPとして控え防備も十全だった。
しかし――――
その無敵の「空中官邸」に爆発が起こる。
結界を貫く事は容易ではない。艶めく黒の壁面を吹き飛ばしたのは外部からの攻撃では無く、内部からだった。
高位の魔術武装を行った大統領SPが、いやSPだった者達の黒く焼け焦げた亡骸が、官邸前にばら撒かれる。化学反応と爆炎魔術の複合型爆弾による内部からの爆破。それを彼らSPは自らの命を呈して防ぎ、破壊力の大半を屋外に逃がし切ることに成功した。しかし、それにより彼らの殆どが一瞬で命を落としてしまった。
官邸中枢部、大統領執務室の大扉が蹴破られ、SPとは異なる武装をした天魔達が傾れ込み、魔術用ロッドの機能を兼用する黒い装飾拳銃の銃口が、部屋の中央で厳しい表情を浮かべる女に向けられた。地上人に換算すれば三十代合半程度。適度な年齢が、元の造型の良さに美しさの深みを持たせている。
熟れている、と言って良いだろう。だが、妖艶なイメージは無く、天魔族特有の鉄色の髪は短く刈り込まれ、化粧気も薄いので寧ろ清潔感が溢れている。
彼女こそが、この「魔の国」において魔帝国ノアと相対する唯一の強国・共和制天魔族首長連合の長、大魔大統領ソフィアであった。
「此処を何処と心得る!!」
「控えよ、狼藉者ども!!」
大統領の左右に立つ双子の様な似通った容姿をした国務長官と国防長官が怒声を張り上げる。
しかしフルフェイスで顔を隠しさながらロボットの様相を見せる侵入者たちはまるで反応を見せない。彼らは銃口を突き付けたままだ。
「神聖な大統領官邸に攻め入るとは不逞の輩共め!! 我らが成敗してくれる!!」
「応!!」
血気逸る二人の長官は腰に差していたサーベルを引き抜くと、刀身に魔力付与(エンチャント)を行い、刃を光線の様に輝かせる。
彼らは必殺剣を掲げ、自らの尊厳を死守すべく多勢に特攻をかけようとしたが、それは制止される。
「待ちなさい、二人とも」
「閣下!?」
二人の閣僚の声を黙殺し、大統領は侵入者の黒い人山の向うに鋭い視線を向ける。
「この程度の手勢で私を討てるとは思っていないでしょう? 姿を見せなさい、アフヘマハマシト国家公安局長官」
「無論。露払いだよ、閣下」
侵入者たちが整然とした動作で二つに分かれ、生じた道に一人の男が現れた。痩せた背の高い、シャープな顔立ちをした、眼鏡をかけた男だ。やはり、というか無論、彼の頭髪も鉄色で肌は青みを帯びた黒。背中には一対の翼が在る。
「ザラキ=アフヘマハマシト公安委員長・・・・・・ならば彼らは特別機密警察か!」
「如何にも、国防長官」
嘲りを多分に含んだ笑みが男の顔に浮かぶ。
ザラキ=アフヘマハマシト国家公安局長官――――在り体に言えばスパイや思想犯罪者を取り締まる秘密警察であり、宗教国家としての側面の強い連合に於いては中世欧州の異端審問官としての性質も有する連合国家公安局の長。天魔の民族宗教の元締めである「神殿」の信任も厚い、連合における事実上のナンバー2だ。
「何故! 何故?! 国家を守護すべき特警が何故国の要足る大統領閣下に銃口を向ける!! ザラキ公安委員長」
「公安如きがクーデターのつもりか!!」
抑えつけられた怒りが今にも迸ろうかと吼えかかるイリン国務長官とクァディシン国防長官。しかしザラキは泰然とそれに応える。
「お静かに。お二人とも閣下の腹心を自負されるなら、ご自分の胸にお聞きになれば良い。貴方達はご存じの筈だ・・・・・・閣下が国家反逆と異端の嫌疑をかけられた理由を」
「!!」
驚嘆の表情を浮かべる二人の長官。ザラキは見透かす様に笑って告げる。
「兵は拙速を尊ぶと中つ国の偉人が申している様に、些か手続きは簡略しましたが、これはクーデター等では無く正統な弾劾と断罪なのですよ」
「理解しているの?」
ソフィアは問い返す。彼が自分達の企みを既に大部分察していると判断した上で。
「このまま帝国との戦いが続けば仮に勝てたとして――――我が国も立て直し不能な大きな傷を負う事になるでしょう。それこそ、主に対する裏切りです」
「貴女とも在ろうお方がその様な弱気だから蒙昧な思想に取り付かれるのです。それは助命嘆願ですかな?」
「いいえ、警告よ。貴方への」
「か・・・閣下」
二人の長官の顔が恐怖、いや畏怖を抱いたものになる。
ザラキは、その肩書に見合う理知、或いは狡猾さを持った男だった。
彼我の戦力差は理解しているだろう。しかし、敢えて挑んだ事を考えれば何らかの勝算を付けて来たであろうことは想像に難くない。
ソフィアもまた、国家元首と言う地位に相応しい見識を持っていたから、其処までは察する事は出来た。しかし、敢えて挑発に彼女は乗る。
「二人とも下がりなさい。下らぬ野心に取り付かれた者を処断せねばなりません」
「フフ、出来ますかな? 貴女に」
「言葉で理解できぬのであれば、その目で見て理解なさい。この「魔の国」の―――――極なる者の力を!」
彼女は立ち上がる。それ以上、下賤の男に見下ろさせない為に。天魔もまた魔人。誇りと恐怖と契約、その三つの要素こそが彼らを超生物たらしめているのだから。
黒衣の侵入者たち、公安局の特警達が紙きれの様に吹き飛んでいく。
大魔大統領とは万魔霊長皇帝と同じ魔王さえ統べる魔王、即ち大魔王。大魔王が臨戦態勢に入る、それだけで、その場に相応しからぬ者は排除されるのだ。
その場に残されるのは二人の腹心と、一人の逆臣のみ。ザラキは余裕の笑みを浮かべているが、その頬には汗が一筋伝う。
「今なら未だ間に合いますよ、公安委員長」
「フ・・・・・・何もかもが遅いのですよ。閣下ッ!!」
ザラキの頭上に黒く輝く円盤が現れる。天魔が「魔の国」に来る以前の名残。力を行使する時に発現する、穢れた光。
「来たれ! 集え! 我が僕!! 欠けたる魔身を一為る神体と為せ!!」
「! この力は!!」
ソフィアは大統領官邸の外に猛烈なエネルギーの高まりを察知する。次の瞬間、防御魔法を展開すると同時に周囲が光に包まれる。
ドワォ!!
遅れてくる爆音。
「空中官邸」は小規模ながらも無敵の空中要塞であった。その中枢に構える大魔大統領が「魔の国」に於いて万魔霊長皇帝しか比肩し得ない大魔王だったからだけではない。彼女の玉座として天魔の威信に賭けて建造された最高の魔城だったからだ。しかし、今やそれは基部の重力中和装置を遺して消滅した。もっともソフィアと二人の長官は、強力な魔力結界で傷一つ無かったが。
「あれは・・・」
見上げたエテメナキ・シティの空に異様な物体が浮かんでいた。それは五つの竜の首。一つの身体から生じた怒り猛る竜の首。
無数の竜の頭を持つ魔獣に多頭蛇竜(ヒュドラ)が在るが、現れたそれはヒュドラ等では無かった。
それは巨大な人の姿をしていた。全長にして数十メートル。その手足の先端と胸の中央がそれぞれ竜の頭で在り、胴体と四肢はそれぞれの竜の身体が絡み合って形を成しており、人間の頭に当たる部分には肉が盛り上がって瘤になった様な頭部と見えなくもないものが突き出していた。
そしてアフヘマハマシトは、その五頭竜の巨人の前に浮かんでいた。
「フフフ・・・・・・素晴らしい威力でしょう? 「智慧ある竜」達のドラゴンブレスは」
「バカな・・・・・・竜の魔重巨人だと!」
「真竜族が、どうして貴方に・・・・・・?!」
ザラキが竜の巨人の中に吸い込まれて消える。
身体能力と魔力で他の魔人に劣る天魔が、「魔の国」に於ける二大勢力の一つと成り得た理由の一つ。天魔のみが行使できる僕とした魔獣を魔重巨人、ネフィリマジンへと合体させる秘術だ。しかし、この術を行使するには合体させる為の魔獣を支配下に置かなければならない。これまで最上位の者は魔王に匹敵する戦闘力を持ち、極めて誇り高い「智慧ある竜」を術式に組み込めた前例は殆ど存在しない。竜巨人の中に吸収されたザラキが応える。
『協力してくれたのですよ。彼らも帝国に・・・・・・いえ、竜討万魔霊長皇帝に恨みがありますから』
「語るに落ちたな、公安委員長!」
「閣下を異端者と貶めた口で“踏みつけられた蛇”の末裔と契りを結んだか! 恥知らず!!」
義憤により罵る二人の長官。天魔の民族宗教の教理に於いて、「智慧ある竜」もまた滅ぼすべき異種知性。大いなる敵の一つに過ぎないのだから。
しかしザラキは嗤って言う。
『はははは・・・・・・教理? 秩序? それは今日からこの私を意味する言葉になるのです!! さぁ、死ぬが良い!!』
五つの竜の口が開き、其処から竜の吐息(ドラゴンブレス)が解き放たれる。
右腕の赤竜が赤い炎を、左腕の青竜は青い稲妻、右足の緑竜は緑の毒霧、左足の白竜は白い吹雪を、そして胴体の黒竜は漆黒の何か――――
物理的・魔術的両面で多大な破壊力を有するエネルギーの嵐が襲いかかってくる。
ソフィアは再び結界を張って対応するが―――――先程官邸を吹き飛ばした時とは一段上の破壊力に、結界は砕け散る。
しかし結界は、崩壊の代償に五重ブレスを相殺し切り、ソフィアは尚も傷一つ負っていない。
「流石に・・・・・・想像以上の力ね。でもこの程度では私の命には届かないわ」
『未だ未だ、これからですよ。さあ、私の真の力―――――量りなさい!』
五つの竜の口が開き、今度は何か言葉を紡ぎ始める。会話用の言語では無い。それは天魔に古くから伝わる神代の言語。授けられた奇跡の力を行使する為の、所謂ところの呪文。
「これは竜言語魔法では無く、天魔法術・・・・・・“竜討”万魔霊長皇帝への怨恨、成程そう言う事ね」
一人納得している間に五つの竜口が詠唱する五つの天魔法術は完成する。
五つの口を頂点にペンタグラムが描き出され、星の中央に生まれた眩い光の塊が解き放たれる。
再度、防御結界を展開するソフィアだが、五重ブレスを上回る破壊エネルギーを相殺し切れず呆気なく割れ砕ける。
『はははははははは・・・!』
ザラキのエコーのかかった高笑いが辺りに響く。
爆炎が散ると、全身に焦げ目をつけたソフィアが現れる。二人の長官も流石に無事だったが、それでも辛うじてと言う状態で膝を衝き、息を吐き散らしている。如何にソフィアが大魔王の力を持っていても、“魔人”の姿のままでは質量的に“魔重巨人”に対抗するのは難しいのだ。
「・・・・・・良く理解できました。では、お見せしましょう。力の一端を!」
ソフィアは大魔大統領としての責務を果たす為、職責と共に預けられた権能の行使を宣言する。
光に包まれ箒星の様に天へ駆けていくソフィア。中空の在る一点で彼女を包む光が爆発的に広がると、直後、其処に巨大な円盤が出現する。
鈍く鉄色に輝く無数の翼から成る、差し渡し1kmの、輝く飛行物体。空中官邸より遥かに大きい。
それこそが、「魔の国」の災害の一つの極点である大魔大統領の第一戦闘形態だった。
『私の背に隠れていなさい』
円盤の下部から引力光線(トラクタービーム)が放射され、二人の長官が吸い上げられる。
『準備はよろしいようですね。では閣下、お覚悟を――――』
逆転した圧倒的物量差に怖じるでもなくザラキは再び天魔法術の五重詠唱で攻撃を仕掛けるが、破壊魔力は命中する所か届く前に霞の様に溶けて消える。
『な――――』
『消えなさい。その過ぎたる野心と共に』
円盤と翼の全面に無数の碧玉の様な結晶体が生じる。それは、夥しい数の瞼が開いた様に見えた。次の瞬間、無数の眼は強烈な閃光を放ち――――
『ぐ・・・ぐああああああああああっ?!』
五頭竜の魔重巨人の身体は蚕食される様に風穴が穿たれ見る間に削り取られていく。
そして巨体を支える為に常に高エネルギーを満たす竜の内臓器官が破壊されると、内側から膨れ上がった炎によって全身が弾け爆発する。
一キロに及ぶ巨体に備わる数万の砲口から放たれた神罰の雷光は反逆者に抵抗の暇を与えず折伏したかに見えた。
「や・・・・・・やったか?」
「いや――――あれは!!」
炎と煙の中から現れる人影は、ザラキ。先程とは逆に、今度は彼が恐るべき破壊力に晒されながら傷一つ帯びていない。
「バカな・・・・・・! どうして・・・!」
「はははは・・・・・・閣下、いま貴方が滅ぼしたのは抜け殻に過ぎません」
「なに?!」
「彼らの血と肉と力は、今私の中に生きています――――この力によって」
そう言って彼は背後から一本の棒の様なものを取り出す。
それは、巨大な肉食獣の牙を思わせる湾曲した杖で、表面には細かなレリーフが施されていた。
「フフフ・・・・・・そして閣下、貴方の魔力も」
「まさか、それは――――」
「そう、見つけ出したのですよ。帝国初代皇帝が封じた竜の王の遺物の一つ―――――万物を取り込み自らの血肉に変える力、『王者の杖』」
ザラキが、それを天に翳すと青い光が杖の先端に灯り、大魔大統領の巨体から其処に何かが吸い寄せられていく。
『ああああああああ・・・っ!!』
「はははははは! 素晴らしい!! 素晴らしい!!! 元閣下!! 御覧なさい!! この暗き地の底に永遠の王国を築く待望の王の誕生です!!!」
大魔大統領の力と肉体が砕け、無数の粒子に分解されながら「王者の杖」を介しザラキに吸収されていく。
見よ――――彼の力は比類なく満ち溢れ、天を貫かんとばかりに燃え立ち昇る。「魔の国」が滅び砕けんとばかりに打ち震え、魔素満ちる大気が戦慄いて荒れ狂う。
対照的に、二人の長官に抱き支えられながら降りて来たソフィアは冬風に晒された老木の様に皮膚は枯れ朽ち、憔悴を極めている。
「ははははは・・・・・・流石の大魔大統領閣下も為す術無しとは恐るべき力だ。そして貴方に通用したと言う事は、当然、竜魔霊帝にも通用するということ。総てを吸収する竜王の牙と、並ぶ者無き大魔王の力、この二つを手に入れた私は、もはや神――――と言っても過言ではない! 素晴らしい・・・・・・実に素晴らしい!!」
「う・・・・・・く・・・三日天下の夢を見る事ね・・・・・・ザラキ、アフヘマハマシト・・・!」
「おや、未だ喋る気力を残していましたか。ははは、遺言ですか? 良いでしょう、私が見届け人となりましょう」
「フフ・・・・・・勝ち誇ると良いわ、ザラキ。例え私や竜魔霊帝を斃したとしても・・・・・・勇者が、メサイアが・・・・・・貴方を討つわ。2000年前、私たち天魔がこの「魔の国」に封じられた時と同じ様に・・・・・・驕れる我ら「密告者」は、神より中つ国に遣わされた嬰児により――――討ち払われるわ」
「はははは・・・・・・何を仰るかと思えば。全能なる主の大いなる失策のことですか。はははは、ご心配なく――――既に手は打ってありますよ」
神の如き光を纏う男が、悪魔より悪しき笑みを浮かべて告げる。
「天の国への餞別に教えてあげましょう。私が貴方の企みを知る事が出来たのは、帝国に“協力者”がいたからですよ」
「な・・・」
「ははは、愚かな者達だ。勇者が賢明にも戦いを終わらせようと願っていたのに。やはり魔人は野蛮で救いようの無い種だ・・・・・・一人残らず折伏してやることこそ、やはりこの地に遣わされた我らが使命なのですよ」
立ち昇る光の中に無数の影が不気味に揺らめく。
「貴方は・・・・・・」
「勇者は死ぬ。彼が護ろうとした者達によって。竜魔霊帝も死ぬ。私の手で。そして―――――仮面ライダーも、死ぬ」
かつて聞いた男の声が、ザラキの声に重なった。
出かけようとしていたエミーのところに、ソークの副官クオレインが訪ねて来たのは月が昇ってから間もない時間だった。
「こんな所に移ったのか。探したよ」
優男が呆れた様な顔で薄汚れた床や低い天井を見回す。
生活費の節約の為、ソークが用意してくれた宿を引き払い、より安い宿に二人は拠点を移していた。クリスタニアにも最低限の居住スペースはあり、そちらを使えばコストはゼロなのだが、流石に男女二人で使う訳にはいかないし、市街中央から離れた基地内では利便性が悪かった。
「こんなところ、とは何だ。こんなところとは。古いなりに、手入れは行き届いているんだ」
「いや、ゴメンよ。そう言うつもりじゃ無くってさ。それよりアスラ――――元宗は?」
「奴ならもう出たよ。砂蟲漁は朝が早いからな」
「ああ、彼も仕事を見つけたんだったね。成程、彼、力仕事得意そうだからピッタリだね」
エミーは同意して肯く。ソークから渡された当面の生活費も危うくなってきたので、二人は為るべく歴史の大筋を変えない様な仕事をすることにしたのだ。
「エミーはお針子と――――」
「お前の処(総督府)の食堂で料理をしている」
「うん、エミー。君が来てから美味しくなったって好評だよ。材料自体は同じもの使ってるのにね」
「私の故郷は昔、貧しい土地だったからな。女は幼い頃から少なく悪い食材を活かす術を母親から叩きこまれるんだ」
自嘲気味に言うエミー。マスタ・エミーとなってからは呪わしくて仕方無かった故郷の記憶が、今は生きる為の手段となっているのが皮肉めいて感じた。
「成程ね。似た様な環境でも文化の違いと言うのはやっぱり大きいんだな」
「文化?」
「味を楽しむと言うのは地上人独特の文化なんだ。地底種族の多くは取り敢えず腹さえ膨れさせる事だけを考えてるからね。地上に比べて食文化が余り進歩してないんだ。貴族趣味の夜魔族なんかは美食気取りしてるけど、結局は素材をそのまま啜るだけだから他の魔人と変わりはしないんだ。ハハ」
「笑えないな・・・・・・」
貴族を皮肉った吸血鬼の逸話が、この地の底では事実として厳然と存在する。「魔の国」――――確かに文字通りの世界なのだろう。
「しかし、美味いと言ってくれると矢張り嬉しいな。私の雇い主は魔人に負けず劣らずの悪食でな。造り甲斐が無かったんだ」
そう言って空笑いするエミー。思えばシルエットXも魔人の様な男だった。
「元宗に手料理振舞って上げればいいんじゃないかな? 恋人・・・・・・では無いんだろうけど」
「あ、ああ・・・・・・恋人、ではないからな」
城砦都市の総督補佐官は男女の組を見れば直ぐに恋人関係と勘繰る安直な人間では無かった。
「まあ、仮に作ってやるにせよ、今の仮暮らしじゃ碌なものが作れないからな」
「まともな住まいを得るには纏まった資金が必要だろ?」
「ああ、だからこうやって今から仕事に出る所なんだ」
「ん、勤労意欲熱心で感心だ。だけど、私たちに協力してくれれば住居も充分な報酬も用意出来るんだけれどね」
「――――それが目的と言う訳じゃないからな。気持は有難いが」
ハジ総督府が慈善事業団体で無い事に、エミーは別段不服を持っていなかった。クオレインはエミーの真意を慮ったのか残念そうに問う。
「やはり、地上に帰る決意は変わらないか」
「・・・・・・いや、未だ決めかねているだけだ」
エミーは首を左右に振り応える。
「すまない、期待を持たせる様な事をして」
「構わないさ。今は一応、休戦中だからね。即、戦力が欲しいってわけじゃないからね。もしそうなら、もっと熱心にやっているよ」
屈託なく笑って見せるクオレイン。
気を使わせまいとしているのだろうが、逆に罪悪感を募らせる。
だが、エミーには罪悪感を推して聞いておかねばならない事が在った。
「済まないついでにもう一つ、グレイスとの面会の件は・・・」
「う〜ん・・・・・・暫くの間は無理かな」
申し訳なさそうに言うクオレイン。元宗の気付いた「神野江瞬を元に戻す方法」の手掛かりを得るべく、グレイスとの面会を彼に申請していたのだ。
総督補佐官クオレインは苦笑しながら告げる。
「あれでも一応、この国一番のVIPだからね。色々と面倒なのさ。ゴメンよ」
「いや、無理を言ったのは此方だ。気にしないで欲しい」
エミーは先程彼が言った言葉を返す様に応える。
「機会が在れば、この間の無礼を詫びたいと思っただけだ」
「私から伝えておくよ。・・・・・・伝える機会があるかわからないけど」
「・・・・・・成程な」
人の良さそうな男の渋い苦笑に、余人近寄り難き雰囲気が在ったのだろうことが推察された。
「あ、そうだ」
少しわざとらしく何かを想い出した様にクオレインは呟く。
「ソークが『どうしても地上に帰りたいなら』ってことで資料を預けてくれたんだけど、見る?」
「! 在るのか? 手段が」
「・・・・・・可能性、の段階なんだけどね」
「構わない。聞かせてくれ」
「うん、じゃあこれを見てくれ」
そう言って取り出したのは一枚の地図だった。そして、それはエミーにも見覚えのある南の島の地図だった。
世界最南端の島。氷に閉ざされた大陸。地上に於いて唯一何れの国家の領土でも無い大地。即ち、南極大陸。その一点、南緯85度50分
東経65度47分に赤い印が描き示されている。
「これは、到達不能極か・・・・・・?」
海からの距離が最も遠くなる地点、それが到達困難極、或いは到達不能極と呼ばれる場所だ。
「そう、ここに繋がる大穴があるんだけど、それが塞がっていない可能性があるんだ」
「どう言う事だ?」
「正確には開きかかっていると言った方が良いかな。その大穴は、かつてこの地を支配していた「魔の国」最大の国家、ダウンワールド王国が地上侵攻の為に使用していたものなんだ」
「ダウンワールド・・・・・・」
聞き覚えある名前だ。地の底に在る「魔の国」を指して呼ぶもう一つの名前。そして、クオレインの言った通り、かつて地上を侵略・支配しようとした軍勢だ。
「ダウンワールド王国と言うのは、アクマ主義――――悪を行う事を薦め、より悪しき者に仕える事もまた、悪しき行いとして励賛する独自の思想を持った国で、要するに国家元首である大魔王ガルバーへの個人崇拝で成り立っていた国家だったんだけど・・・・・・権力の集中が国家の腐敗を招くのは地上も「魔の国」も同じで、地上の社会主義国家同様ダウンワールド王国も徐々に国力を衰えさせていったんだよ」
(自浄作用を失った国の末路か・・・・・・)
内部淘汰・競争が起こらなくなった集団の末路は、凡そ似た様なものだ。今のこの時期、丁度地上で崩壊しているソビエトや、現代の日本国――――そしてエミー自身の故郷も。
「で、その打開の為に地上を侵攻し、新たな国土を手に入れようとしたんだけど――――反抗勢力が国内から現れてね。革命勢力、と言っても良い。地上人とアクマ主義者――――アクマ族との間に強い力を持って生まれた魔人と、彼の意気に通じる二人の魔人。そして大魔王ガルバーの支配に反旗を翻した「平和党」と呼ばれる勢力。で、三人の魔人が地上侵攻作戦の指揮官を討ち、「魔の国」側の平和党勢力が、件の大穴を封印し地上へ兵力を揚陸できなくしてしまったんだ。これによって王国の地上侵攻計画は頓挫し、その一年後、大魔王も地上で討ち死にしてしまうんだけど・・・・・・残念ながら、ここでハッピーエンドには為らなかったんだ」
「・・・・・・」
エミーは、この顛末も情報として知っていた。ダウンワールドの、本国からの軍勢による地上侵攻が失敗に終わった後、大魔王ガルバーと呼ばれる存在はどの様な手段を用いたのか、地上の土着妖怪達を地上侵攻の軍勢として纏め上げたのだ。それも、結局は失敗に終わる。一方、クオレインは、その時期の「魔の国」側の状況を解説する。
「反抗勢力の旗頭になった三人の魔人、彼らは指揮官を討つことに成功したんだけど、その時、彼らもまた討ち死に――――死んで無いと言う話もあるけど、少なくとも現在まで消息は掴めてない。まあ、居なくなったものだから、反抗勢力は次第に結束力を弱めていってね。で、生き馬の目を抜き、血で血を洗う弱肉強食の「魔の国」。国力の弱まった彼の地を二頭の獅子が逃す筈も無く・・・・・・我が国とRELの侵攻を受けて、王国の国土はズタズタに引き裂かれ、「魔の国(ダウンワールド)」の名を冠する古き王国ごと彼ら平和党は「魔の国」から消えてしまったんだ。・・・・・・話を戻そう。彼ら平和党は大穴に結界を張って封印を施したのは良いんだけどね、余りに規模が大き過ぎたのか経年劣化で結界の力が弱まっているらしい。貼り直す人間もいないから、通れる可能性があるかもしれないんだ」
「成程、大体判った」
長口上で喉が渇いたのか水差しから勝手に水を飲むクオレインにエミーは肯く。彼女は、このハジの総督補佐官が何を言ったか、そして何を言いたいのか凡そ察していた。
「つまり、私たちに先に見て来い・・・と言いたいんだろう?」
「フフ、話が早い。言った通り「かもしれない」のレヴェルの話でね。開いてたら極秘裏に地上帰還の為に使う予定なんだけど、何分、場所が場所でね。こっちの地図も見てくれ。ここがハジ、そしてここが南の大穴だ」
取り出したもう一枚の地図の二点を指しながらクオレインは言う。方向音痴のエミーではあるが、彼が何を言いたいのかは、もう地図を見る前に殆ど判っていた。案の定、件の大穴は魔帝国側とREL側の国境が入り組んだ辺りに存在していた。
「今はRELとは休戦中だからね。調査とは言え正規の兵が国境地帯をウロウロするのは些か以上に不味い。だけど君達「旅人」なら・・・・・・まあ、掴まって奴隷にされるか、最悪殺されるかくらいだ」
「・・・・・・捨て石になれ、と言う訳か。随分と正直に言うものだな」
「開いてれば儲けもの、開いて無くても仕方ないって言う程度のものだからね。どうしても君達に命を賭けて欲しい訳じゃないからね」
「ふむ・・・・・・」
エミーは黙考する。
90年以降に南極で行方不明者・身元不明者が多数発見されたと言う記録は表と裏、どちらの世界・社会にも無い。
自分達が調査に行かなくても彼らの性分から、人々を護る手立ては総て確認する筈だ、と言う事を考慮すれば其処から導き出される結果は、十中八九決まっている。
結界は開いていないか、仮に開いていたとして安全に人を通せるレヴェルでは無い。結果は、行く前から予測できた。
しかし――――
「どうする?」
「行こう。後で元宗に確認してみるが、一応、行くと言う事で話を進めさせてくれ」
「いいのかい? 危険だよ」
人の良さそうな顔を心配そうに曇らせるクオレイン。エミーはフッと鼻を鳴らす様に笑って応える。
「・・・・・・「魔の国」に危険で無いと保証できる場所があるのか?」
「Ok、判った。助かるよ、エミー」
苦笑を浮かべるとクオレインは三枚目の地図を取り出して見せる。
「これはハジの地下から件の大穴近くまで続く地下通路の見取り図だ」
「どうしてこんなものが?」
「元々、ここを治めていたのが魔人としては随分と小心で臆病な男だったらしくってね。脱出用に幾つも隠し通路を用意していたらしい。王国が滅んだ時のドサクサで記録の殆どが散逸してしまったんだけど、ソークが中心となって収集してね。まあ、RELも恐らく情報は殆ど掴んでない筈だ。知っていたらとっくに使っている筈だからね」
「・・・・・・」
無論、脱出用では無く奇襲用に、だろう。本来ならば彼らも、「戦利品」として献上すべきところなのだろうが、ソークとグレイスの関係から察するに、恐らくは黙認ないし彼女の指示と言う線も無くは無い。そんな事を取り留めなく考えていると、クオレインが地下通路の説明を再開する。
「網目状に広大に広がっていて、少々複雑な構造になっているけど、指示通りに進めば大穴のかなり近くまでいける筈だ」
葉脈の様な複雑な地下通路の中に赤くピックアップされた径路が一筋記されていた。
「ただ、造られて大分経つから妖火(ウィスプ)なんかの低級霊や粘獣(スライム)とかが発生しているかもしれないから、道中は充分注意して欲しい。アイテムはしっかり整えておくんだ。武器は装備しないと意味が無いからね」
同僚が歓びそうな台詞だと思いながら、彼は案内人の忠告に素直に肯いた。
無数の銛が突き刺さった砂蟲を吊り下げた船が砂漠の空を飛ぶ。
ハジの重要な産業の一つである砂蟲漁は、地上における鯨漁に良く似た業態をとっていた。 屈強な男たちが専用の装備を積んだ船に乗り込み、荒ぶる海の王者に戦いを挑む。 但し船は浮遊機関を搭載する浮舟で、王者は砂の海を回遊する、限りなく末端に近い竜の眷族だが。
砂蟲は、その毒々しい紫色の肉を食用として用いるだけでなく、全身を様々な用途に用いられる。 砂中遊泳を可能にする微細且つ強靭な繊毛に覆われた表皮は砂上船の船底に用いられるほか、防寒・防刃作用の高い防具の材料となる。超音波の反響により物体を認識する感覚器官は、アクティブソナーの中核となる生態素材で在り、筋繊維や神経線維は機械馬等の自動人形の部品としても用いられる。内臓は薬品の原料となるほか、大型で高齢の砂蟲からは魔道機器の動力として充分な純度と出力を持ったクリスタルが採取されることもある。
蟲漁船・ゴールドバード号の本日の漁は大量と評する事が出来た。
ワイヤーによって吊り下げられた砂蟲の全長は35メートルに達し、重量も重力中和限界の500トン近い。
大型の個体は肉の味こそ落ちるが、それ以外の利益が補って余りある。
ゴールドバード号船長オッティは上機嫌で新入りの禿げたのだか剃ったのだかのツルツルした頭を水掻きの付いた手で叩いた。
「やるじゃねぇか、力を自慢するだけはあるぜ」
「っつうか自慢するところが無いんだけどな、他に」
元宗は卑下する様な台詞を、しかし屈託なく笑いながら返す。
「いや、助かったぜ。お前さんの火事場の馬鹿力が無けりゃ何人か砂の中に引きずり込まれてたかわからねぇ。礼を言うぜ」
蛙に似た顔を深々と下げるオッティ。元宗は困った様に言う。
「止してくれ。やっただけさ、やる事を普通にな。それにオレがいなくったって、あんたらなら上手くやったさ」
「言わせてやんなよ。「魔の国」は他所者には辛い土地だ。助けあい、感謝しあわねぇと忽ち死んじまうんだ」
そう言うのは船員の一人で、地上人・・・・・・スラブ系の大男。
「そうか。じゃあ感謝しないとな、オレも。こんな素人を船に乗せてくれた上に、最初の漁で大漁だ。有難過ぎる巡り合わせだぜ」
「ははは、きっとお前さんには漁師の星が輝いてるんだぜ。きっとな」
「有難いんだか有難く無いんだか、そりゃ」
本職でやるつもりが無い元宗にとって、その評には些か困惑せずにはいられなかった。
「しかし、大変だなあんたらも」
「何がだよゲン」
「いや、こんな危ない場所に無理やり連れてこられて、こんな危ない仕事させられて」
元宗の言葉に、男たちは顔を見合わせて頓狂な顔をしていたが、やがて誰かが笑いだすと堰を切った様な爆笑となる。
「ハハハ。日本は今、平和で豊かな国だって話だからそう思うかもしれないが、命を賭けなきゃ食っていけないってのは何処でも同じさ」
「俺たちは寧ろ運が良い方だぜ。ハジは治安も税も余程マシだ。確かにヤバい怪物とか身近だが、地上だって似た様なもんだ」
「大体、お前だって同じ様なもんだろ? ここに来ちまった以上」
「そうか、そりゃな」
元宗もまた笑って応える。しかし、笑いがおさまると男達の一人がしんみりと呟く。
「・・・・・・それでも悲しく無いっては言えねぇけどな」
「やっぱり故郷に帰れねえってのは辛いさ。婚約者の居た奴、カカアの腹に生まれてくるガキが居た奴。親に孝行しながら家業継ごうと思ってたやつ。故郷を思わない奴なんていねぇさ。いや・・・・・・帰れねえからこそ、強く思っちまうもんさ」
「ま、だけど今はあの街もオレたちの大事な帰る場所さ。この中にも、「魔の国」で生まれた奴や、あの街で新しい家族をつくった奴だっている。やっぱな、家族ってのは良い。守るべきモノがあると励みと強みになるからな。お前さんはいないのかい、そんなのは」
「うーん・・・・・・居る様な、居ない様な、だな・・・・・・」
元宗が言葉を濁していると、彼の胸元から携帯電話の着信音が鳴り響く。携帯電話どころか一般の電話回線さえ存在しない「魔の国」で呼び出しが出来るのは、言うまでも無くエミーが改造したからだ。クリスタニア中継でかなり広範囲で通話出来るらしい。
「どうした、エミー? 仕事中だぞ」
電話に出た元宗の口調は憮然としていた。連絡は急を要する時にと決めていたにも関わらず、エミーは頻繁にメールを送り現状を確認してきたからだ。
しかし彼の顔には直ぐに緊張感が漲り、真剣な口調となる。
「ああ、判った。成程・・・・・・そうか。ああ、多分大丈夫だ。構わない。ああ。ああ、それで良い。じゃあ、準備は頼む。じゃ、あとでな」
電話を切ると、砂の海の男たちは一様にニヤニヤと生温かい目を向けていた。元宗はたじろぎながら問う。
「な、なんだよ気持ちわりィ」
「なんだお前、ちゃんと居るんじゃねぇか。コレもんだろ、今の?」
「そんな色めいたもんじゃねぇよ」
三本しか無い指の端を立てて言うオッティに元宗は慌てた様に首を振りながら応える。
「仲間っつうか同士みたいなもんだからな。言っとくが」
「まあ、照れんなよ。男と女なんて為るようにしかならねぇんだからよ。それにさっき言ったじゃねぇか、励みになるってな。男にゃそれしかねぇんだから」
「からかうなよ、一応オレは禁欲を旨とする坊さんなんだからな」
坊主頭を指しながら抗議する元宗だが、男達の野卑た笑いは意に介さない。元宗も、抗弁が無理だと悟ったのか、その場の雰囲気に流される様に一緒に笑う。
そうこうしている間に、視界には彼らの第二の故郷が見えてくる。
「よーし、おまえら持ち場に戻れ。気を抜くなよぉぉ」
元宗は他の船員に携帯電話の事を聞かれて返答に窮していたが、オッティの号令に救われる。荷下しと入港の準備だ。
オッティは、その蛙に良く似た大きなギョロ目を空に向けながら呟く様に言う。
「しかし、今日は運が良いなぁ」
「また、か?」
「いや大漁って話がだけじゃない。鬼岩鳥(ロック)が出やがら無かったからよ」
「ロック・・・?」
「ああ。ここいらの砂漠に出る巨大な魔鳥さ。砂蟲を喰うんだが、船を襲う事も少なくねぇ」
「そう言えば、前にもそんな話聞いたな・・・」
それはグレイスを助けた時、彼女が砂漠を離れるよう急かして言ったものと同じだった。
砂蟲を捕食するのだから、相当な大型なのだろう。
「ああ、そうだ。すまない船長、明日から暫く――――」
何か引っかかる様な気がした元宗だが、自身の頭の回転速度を自覚する彼は直ぐに考えるのを止め、当面に置いて必要な手続きに取り掛かった。
ソークは執務室の扉のドアノブに手をかける。室内には人の気配。
ここ数日の例からすれば、グレイスが立場も考えず、しかし甲斐甲斐しく室内の掃除をしている筈だ。
基本、几帳面で整頓を心がけている為、大袈裟に掃除をする必要は無いのだが、彼女は恋人の為に何かしたくて仕方ないらしい。
それが嬉しくも在り、構ってやれない多忙さが申し訳なくもある。折角、休暇をつくって忍んできたと言うのに忙しくて殆ど何もしてやれていない。
「おかえり、総督」
扉を開くと馴染みの声が出迎える。しかし、それは彼が愛する女性のものではない。
「なんだ、クオレイン。君か」
「露骨に不満そうな顔をしたね、キミ」
憮然とした表情を浮かべる補佐官にソークは苦笑で返す。
「すまない。グレイスだと思ってね」
「ふふ、勇者殿も色ボケかい?」
「否定はしきれないな。だが口外するのはやめてくれよ」
面映ゆい思いでソークは腹心で在り友人である彼に依頼する。
「それで、首尾はどうだった?」
「ああ、快諾してくれたよ。殆ど即答だった」
腕利きの来訪者達は、共に戦う事には難色を示した様だったが、帰還の為の調査には協力してくれるらしい。
「そうか・・・・・・それは有難いな」
「でも、もしかしたらそのまま帰ってしまうかもしれないよ?」
クオレインの忠告に、ソークは首を左右に振った。
「それならそれで仕方が無いさ。彼らにも役目――――いや使命があるだろうからね」
「仮面ライダー・・・・・・か。君が勇者、であるみたいな、ね」
皮肉っぽく言うクオレイン。しかし、それは彼の過剰な期待の現れだということをソークは知っていた。
「ははは、止めてくれ。ただ俺がやりたい事をやった後に、たまたまそう呼ばれる様になっただけさ」
「それでも、人の身で魔王を倒すなんて、それこそ神に選ばれし救世主しか出来ない事さ」
「俺は運が良かっただけの、只の人間さ。勇者や救世主なんて大それたものじゃない」
謙遜している心算は無かった。自身の事だから良くわかるのだ。
魔王ハイランドを運よく倒した事で勇者などと呼ばれている自分だが、少しでも何かを間違っていれば、成人すら迎えず何処かでのたれ人で居た筈なのだ。
自分もまた、過酷な「魔の国」と言う環境に何とか立ち向かうしかない一人の人間なのだ。
だが、ソークが頑なに「人間」であろうと願う事に補佐官は不服を唱える。
「・・・・・・好い加減、素直に受け入れてほしいな。君に“そう”在る事を期待している人がどれだけいるか、知らない訳じゃ無いだろう?」
「・・・・・・」
勇者、救世主として自分の偶像が人々の間で大きくなっている事をソークは知っていた。この過酷な「魔の国」において、心が弱い者には依り縋る何かが必要な時も在る事を。
しかし――――
「ソーク。考え直す事は出来ないかな?」
「・・・・・・和平交渉の件か?」
肯くクオレイン。補佐官と言う立場上、彼もまたソークがグレイスと共に天魔との和平交渉を進めている事を知っていた。
「君なら出来る筈だ。天魔の魔王も、帝国の魔王も、みんな打倒して、ここに理想郷を築く事が」
大それた発言だったが、しかしクオレインの真剣な眼差しは信じていると物語っていた。
「そんなことは不可能さ、クオレイン。仮に出来たとしても何の意味も無い」
「意味が無い・・・・・・?」
クオレインは怪訝な顔をする。ソークは肯いて言った。
「俺がもしそんなことをして「魔の国」に君臨したとしても、それじゃ今までの「魔の国」と何も変わりはしない。変えなきゃいけないのさ。この和平交渉が成功したとしても、恒久的に戦争が無くなる訳じゃない事は判っている。だけど、僅かな時間さえあれば、チャンスは在る筈なんだ。変えられるチャンスが・・・・・・戦い傷つけ合う事でしか生きる事が出来ない魔人に、それ以外の喜びが在るってことを知って貰うチャンスが」
「それこそ、不可能だよ。無理だ・・・・・・出来っこない」
「いや、出来るさ。グレイスが良い例じゃないか。「魔の国」で最も強大な魔人がそうなれたんだ。他の魔人が出来ない筈は無いんだ」
彼女は自分にとっては特別な存在だったが、魔人と言う種族においては能力を除けば、その気質は決して逸脱した存在では無かった筈だ。切っ掛けさえ在れば、誰もが彼女の様に戦いで失われる者の中に、自らの闘争本能を満たすより大切な存在を見いだせる様になる筈なのだ。ソークは、そう固く信じていた。
「・・・・・・判った。そうだった。キミは決めたら絶対にリセットしない男だったね。仕方ない、これは諦めるとするよ」
「すまない。君には苦労をかける」
「良いさ。報恩だよ」
そう言いながら、クオレインは落胆したように苦笑を浮かべた。
「と言う訳で、勝手なんだが明日から暫く休ませていただく」
エミーが職場の女達に告げると、次々に不満の声が上がった。
エミーが総督府の食堂で働き始めて程なく、厨房スタッフの就業時間が前後にそれぞれ一時間、合計二時間延長された。
彼女の料理の腕前は、彼女の一族では平均より上程度のものなのだが、世間一般からすれば、かなり高額の対価を得られる程度の所謂「一流のプロ」並みだった為、スタッフのレヴェルの底上げの為に、エミーを講師とした講習の時間が設けられたのだ。
都合がつかない者は通常通りの出勤で構わないのだが、「福利厚生の充実の為」と言う総督お墨付きで延長分の賃金が出される事となった為、出席率は悪く無い。
その講義の席でエミーは暫く休職する事を告げたのだった。
「新しいレシピ、未だ美味く造れないのに」
「すまない。どうしても、急ぎ開けなければならないんだ。一応、マニュアルは残しておく。口頭指示より判り易いとは言えないが、多少はマシだと思う」
「えー・・・」
「・・・・・・新入りに重要な部分を丸投げする事に少しは抵抗を感じてくれ」
諦念感在り余る厨房スタッフの姿勢にエミーは辟易しながらも、快感の様なものを覚えていた。
面倒でも理不尽でも誰かに頼られると言うのはやぶさかではない。
しかし同時に不安も覚える。
見回した厨房は誇り一つ無く磨きあげられ、用具も整頓されている。しかし彼女がこの職場に来た当初はそうでは無かった。
「魔の国」在来生物の体液がこびり付いたり、焦げた鍋が放置されていたり、中途半端な食材の切れ端が散乱していたりと、それまでエミーが見聞してきた「魔の国」の中の何処よりも「魔界」「地獄」「冥府」「黄泉」と言った場所のイメージに近しい場所だった。
エミーが職場環境改善の為に先ず取り組んだのは掃除だった。
元宗を呼び付け「男子厨房に入るべからず」等と時代錯誤をのたまう彼を強引にアスラに変身させ、彼女もまたシルエットスーツを装徹し、計十二本となった腕を千手観音の如く振り回して、「魔の国」に現出した邪神の眷族の如き「穢れ」を浄化して言ったのだ。
彼女達の多くは「妥協」の二文字に支配されていた。
ここは異世界だから、自分達が住んでいた世界とは別の法則が働く世界だから、思う様に為らなくても仕方ない。
無理に押し通して疲れるよりも、上手く流れに乗って無難に済ませてしまった方が良いと。
しかし、簡単に折れてしまえる弱さとは、拘らない強かさなのかもしれない。固く拘泥する分、脆い自身を省みてエミーは思う。
「そんな訳でエミーが暫く休む訳なんだけど――――」
厨房スタッフ全員に向かってチーフである半吸血鬼のパトリシアが良く通る声で言う。
「彼女の穴埋めに新人が入ってくれます」
「え・・・・・・?!」
嫌な予感が過った。休職の申請をしたばかりなのに余りに手回しが良過ぎる。都合が良い、即ちご都合主義的展開の時、何時も世界は自分の心を衰耗させる。
「じゃ、入ってきてー」
「グレイスです。宜しくお願いします♪」
(やっぱりか―――――)
愕然とするエミー。
現れたのは、炎さえ凍りつかせる極地の吹雪の様な、冷たい静謐さを秘めた真っ白な――――割烹着を身に纏った魔帝国国家元首。
「グレイス・・・・・・どうしてここに?」
「どうしてって、決まってるじゃないですか。お詫びですよ、お詫び。この間、貴女を怒らせちゃったみたいだったから、少しでも貴女のフォローが出来る様にって☆」
「フォロー、ねえ」
無駄に愛想を振りまく彼女の顔を、エミーは蜘蛛の単眼を思わせる冷たい視線で見つめる。すると、白磁の様なグレイスの頬に浮かび流れ落ちる汗粒一滴。
「べ・・・・・・別に面白半分で首を突っ込んだ訳じゃありませんからね!」
「そうか」
エミーは深く深く、地の底に在ると言うこの「魔の国」より更に深く沈み込みたい気分だった。
「何? 知り合いなの?」
問うパトリシア。半吸血鬼、と言う何か在りそうな出自を背負っているが、どうやら此処の面子で最古参と言うだけで、他と同じ雇われの主婦Aに過ぎないらしく、グレイスの正体に関しては特に説明を受けていないらしい。
「まあ、そうだな・・・・・・知り合い、かな」
「知り合いなんて、そんな軽いものじゃありませんよ。命の恩人なんですよ。助けてくれたんです。機械馬二台分100万ディナルのお値段で」
「・・・・・・具体的な金額を言うのは止めてくれ」
パトリシアは何の事か判らないらしく、吸血鬼の血による歳不相応に可愛らしい顔を不思議そうにさせていた。
だが、エミーは砂の藻屑と消えた大金の事を思うと、胸が苦しくてならなかった。
「・・・・・・一応聞いておくが、料理とか出来るのか? 何か、凄く下手そうなイメージがあるんだが」
「あ、失礼なこと言いますね。これでも元メイドなんですよ。瀟洒にして完璧なメイド長・・・・・・と言う訳には参りませんが、まぁそれなりに一通りは」
「細かい事を言う様だが、メイドを雇う様な屋敷でメイドに料理を作らせるなんてあるのか?」
「まぁそれなりには」
明後日の方向を見ながら誤魔化すグレイス。どうにも適当に口から出るままに喋っている節がある。
「と言うか良いのか? 面会を申請したら手続きやら調整やらで難しいと聞いていたが・・・・・・忙しいんじゃ無いのか?」
「ん? あれ? そうなんですか? 面会、今してるから良いんじゃないですか?」
「いや、そうじゃなくって・・・」
「ああ、えーと、ハイ。大丈夫です。今は暇になっちゃって・・・じゃなくって暇だからこうやって恋人の処に何するでもなく遊びに来てるんですよ。あ、暇するの飽きたから暇潰しにお手伝いする訳じゃありませんからね、勘違いしないでくださいね、ふふん」
「うう・・・・・・」
頭が痛くなる様だった。
「まあきっと、彼も付き合い長いですから、気を使ってくれたんじゃないかと思います。水入らずと言う奴ですよ」
「そんなもん、かな? そうなのかな・・・?」
今一つ、腑に落ちかねないエミーだった。だが、彼女が長々と懊悩する事を魔人の暴君陛下が許す筈が無かった。
「そんなことより、教えてくださいよ、料理! 上手なんでしょ? ソークと同じジパングの人なんでしょ?」
「あ、ああ・・・」
日本の人間、そう呼ばれるのには些か抵抗が在った。広い意味で見れば、間違い無く日本の人間であるし、事実日本国籍も持っている――――しかし
「「魔の国」の材料を使ったジパング料理、教えてください。恋人として、やっぱり好きな人の母国の料理はおさえておきたいですからネ」
「・・・・・・わかった。明日からは居なくなるから、この一日でマスターさせてやる・・・!」
どちらにせよ、今は考えている暇は無かった。愛する者の為に何かをしたいと言う思い。それを助ける事は吝かでは無いばかりか、寧ろ応援してやりたいものだったからだ。
「料理と言うのは、パズルの様なものだ。必要なのは想像力と応用力。決められたリソースを使って、どれだけ理想――――最大公約数に近づける事が出来るかだ。あれが出来ないから無理だ、これが出来ないから諦めよう、何て材料を選り好みするのは、まあ下策だと言えるな。後は清潔で使い勝手の良い様に整頓された器材があれば、どうとでもなる」
「妥協しろ、拘るな・・・・・・と言う事ですか」
「別に美食家みたいな贅沢者を相手にしている訳じゃないからな。一定の体裁さえ整っていれば、後は人の舌と言うのは適応してくれるものだ。それに日本料理というのは、在る程度の揺らぎは受け入れる余裕と言うか曖昧さがある料理だからな。ぶっちゃけた話、出汁と味噌と醤油さえあれば、形だけは日本風の料理になる」
エミーは言いつつ、食品保存用の大型冷蔵庫――――と言っても電気式ではなく、氷の咒符で温度を保つ仕組みなのだが――――から四角い容器を持ってくる。
「これは地上から持ってきた味噌だ。非常時の為にクリスタニアに備蓄していたんだが、今はこれから麹菌を取り出して此方で採れる豆を原料に「魔の国」風味噌を製作中だ」
「凄い・・・! これで何時でもソークのふるさとの味が再現できるんですね!」
顔を上気させ、興奮気味に問うグレイス。恋人が喜ぶ事が何より嬉しい、そんな思いが伝わってくるようだった。
ソーク・ウラと言う男ならば彼女が心を尽くしてくれると言う事実のみで手放しに喜んでくれそうだったが、エミーはそれを口に出して彼女の意気を殺ぐほど無粋では無かった。
「勿論、上手く行けばの話だ。最も、上手く行かなかったとしても、在る程度の体裁を整えられるように教えておこう。やるからには徹底的に、だからな。取り敢えずソークは長崎出身だった筈だから、砂糖多めに、結構甘口に、が良い筈だ」
「成程、砂糖多めに、ですね。あまあま、と・・・」
メモに書き記しながら感心するグレイス。
空気を読みグレイスとのやり取りを黙って見守っていたパトリシアにエミーは目配せをする。半吸血鬼はそれで察したように他のスタッフに向かって言う。
「じゃ、みんなエミーせんせの講義、暫く間が開くからちゃんと聞いとくよーにね」
「はーい」
「りょうかーい」
「お願いしますっ」
スタッフはそれぞれやる気の度合いこそ違うが、了解の答えを返す。
(何とかなるだろう)
エミーは彼らの様子を見ながら楽観的に、そう思う。
彼女らは異郷の地に連れてこられて、その日を生きる事に精一杯だっただけだ。
寝て働いていれば悩みを忘れられる男達とは違い、彼女達はずっと先までの不安が見えてしまっていたのだろう。
パトリシアはその沈滞した状況を打破する機会を伺い続けていたらしく、エミーは起爆剤として利用されたのだ。
(取り敢えず、その旨を由としよう)
エミーは彼女らの健やかな生活を既に願い始めていた。
闇の中に蠢く影――――ありきたりな表現だが、文字の通り無数の影が闇の中で地を破り這い出る時を待って蠢動していた。
その、脈動する黒の中に死神の様な貌が浮かび上がっている。鷲鼻に細い目。裂けて吊りあがった口。陰気で不吉な顔立ち。鉄色の翼が黒く闇を映すので、彼の姿は今まさに魂を狩りに飛び立たんとする冥府の王の使いそのものだった。
ウラニア=ダービークロケット―――――実際彼は、城砦都市ハジにとって死の使いであると言って差し支えが無かっただろう。
間も無く彼は、騒乱の新たな口火を切るのだから。鎮静化に向かいつつある地の底の巨大空洞だったが、上手く行けば再び地獄の有り様へと廻天する。
ウラニアの不気味な顔を、不気味に照らしているのは、中空に不気味に浮かぶ、不気味な紋様の描かれた一枚の咒符だった。
「首尾は――――いいですかァ――――ねぇ?」
裂け目の様な口が大きく割れ、酷く語尾を引き延ばした喋り方でウラニアは、光芒を放つその札に話しかける。
『ああ、問題無い』
札は極端に甲高く、抑揚の無い無機質な声色で応える。通信用の魔力が込められた咒符。組み込まれた呪式が音声をリアルタイムで変換しているのだ。
「情報ではァ、仮面ライダ―――――が居るってェ――――聞いたが―――――?」
重要な情報は通話先の相手から既に送られてきていた。仮面ライダーがハジに滞在していると言う情報も、である。
勇名を誇ったデルザーを潰滅・敗走させ、怪魔界を存在した次元ごと消滅させた仮面ライダー達の存在は、「魔の国」においても伝説的だ。
作戦遂行において充分に警戒しておかなければならない存在だった。下手をしたら失敗どころか全滅の可能性も考えられた。しかし―――――
『奴ならハジを離れたよ』
「へェ――――そりゃ、なんとも都合ォ―――のよろしィこってェ」
『所詮、奴らは“地上の人類”の自由と平和を護る者に過ぎないからな・・・』
感情の乗らない機械的音声だが、言葉に含まれる険までそぎ落とす事は出来なかったようだ。
「別に――――俺ァ、ど―――――――ォでも良いがなァ。蛮族どもォ―――ブっ・・・殺せりゃ――――」
『っ・・・』
息を飲む音が、言葉にならない音声として出力される。
しかし、実際のところウラニアは安堵していた。嗜虐趣味は魔人の種族的特徴だが、それでも命在ってのもの種だ。
殺戮と言うものは誰にも邪魔されず一方的であれば在るほど良い。
“勇者”がどうにかなり“仮面ライダー”が去ると言うのなら、最早あの城砦都市は、堅牢な牢獄でしか無い。
哀れな程弱く、何も知らない子羊達は、毛皮どころか血も肉も毟り取られ一匹残らず屠り殺されるのだ。
「ハハハ、アンタは――――生かしておいてェやるさァ―――。約束だからなァ――――」
『ハジにはそちらからの難民も多い。家族や大切な人を奪われた憎悪を心の底に沈めている者も多いだろう。・・・・・・貴様も精々、気をつける事だな』
「ハ。下等どもが何匹恨んでようがァ――――どうってこたァ――――ねぇ―――――――なァ――――――――」
狂える信徒は、教義によって自らの嗜虐心を肯定される。ウラニアは心の底から地底の蛮族を侮蔑し、嘲る。札の先の声の主は、最早狂人には付き合えぬと沈黙した。
「うらっ!!」
気迫の声と共に振り下ろされた杖が飛んできた火の玉――――天の国にも迎えられず、地獄にも落ちる事を許されず現世を彷徨う死者の霊魂、妖火(ウィスプ)を叩き砕く。
『おおおお・・・』
か細い嘆きの声を残し無数の火の粉となって消え散る妖火。
地下通路はクオレインの言った通り、妖火や粘獣、大百足等の光を嫌う魔獣の巣窟だった。
「うっし・・・」
元宗は辺りを見回して魔獣の群れの全滅を確認すると、得物である僧侶の杖を腰のベルトに下げたホルダーに収める。
今回、地下通路探索に当たり購入した武器だ。剣や手斧の様なより攻撃的な武器で無いのは、クオレインから手渡された支度金が不足していたからでは無く、購入時に「お客様では装備できません」と告げられたからだ。厳密には“装備しても使い物にならない”らしいのだが。
「使い勝手は悪くない様だな」
「ああ、面白いな。馴染むと言うか、手になった感じだ。この棒きれが」
地底と言う自然環境上、地上に比べて「魔の国」では多量の火と水が必要となる鉄工業が発達しにくかった。また戦争による流通制限や危険な野生生物による交易の阻害などにより、高度な工業製品は地上以上に限られた地域でしか手に入れられない貴重品だった。
その為、民生用として売買される武器防具は低度な質を補う為、魔術的措置で強化しているのだが、その多くは強化効率を引き上げる為に代償として装備制限が施されており、長年の戦乱で技術が先鋭化していった結果、各宗教機関で認定される職種(クラス)や階級(レヴェル)、種族、性別等、条件と合致すれば及第された威力を発揮できるが、それ以外の者が装備すれば拾った棒きれの方が余程マシと言う状況にまでなってしまったらしい。
「まあ、ぶん殴った方が早いんだがな。素手で」
身も蓋もない事を打ち上げる元宗にエミーは苦笑する。事実その通りなのだ。守銭奴・・・もとい、倹約家のエミーがこの様な一見無駄な買い物をしたのは後で色々と参考にするためだ。この、地上への通路探索もそうである。
「結局、閉まってるんだろ? 大穴ってのは」
「恐らくな。だが、行ってみるだけでも価値はある。結界が緩んでいるというのは大なり小なり事実だろうからな。そのデータが得られれば、帰る為のヒントが得られるかもしれない」
「帰る、か」
「・・・・・・やはり気になるか? あの“予言者”の言葉が」
突如、「魔の国」に現れた不気味な男の言葉が過る。不気味な言葉が預けられた。『「物語」の為に「呼び出された」』と――――
「まぁ、な。お前が言うからオレはここに来たのは偶然だと思ってた。だから、お前が帰ろうと思うんなら、それに付き合おうと思ってたが、偶然じゃ無く必然として、何か目的が在って呼び出されたんなら、突き止めなきゃなんねぇんじゃないのかと思ってな。例え、何かの罠だったとしても」
「・・・・・・元宗、お前がそう思って残ると言うのなら、私には止める力も、言葉も無いよ」
もう、結論を先延ばしにする事は出来なかった。自分達はもう、1990年と言う時間に大きく干渉しつつある。あの不気味な男の言う事が本当なのならば、それはもう避け得ない事実として決定してしまっているのかもしれない。
覚悟を決めなければならなかった。
15年後の過去に。
未来に在る、帰るべき場所に。
エミーはクオレインから貰った地図を回して見ながら、鉛の様に重くなった言葉を吐いた。
「ところで・・・・・・ここは何処だ?」
最も、既に仮住まいに帰る道さえ判らなくなっていたのだが。
つづく
ロボット図鑑
魔竜合体
ゴウリュウキング
天魔に伝わる秘術によって使役・合体させられた魔獣を魔重巨人と呼ぶ。
このゴウリュウキングは五頭のドラゴンが合体した魔重巨人で在り、五つの口から発射されるドラゴンブレスは主力戦艦を一撃で撃沈する破壊力を持ち、全身を覆うドラゴンスケイルの装甲は物理的・魔術的何れの攻撃も強力に弾き返す強度を持つ。
本来、誇り高い竜族が天魔に使役されるケースは極めて稀な事である。
護国仏神
大如来吽
西暦745年、光明皇后らの発案を受け聖武天皇の命により建造された護国盧舎那大仏。
当時頻発していた疫病や飢饉等、災害の原因の一つであった古い妖怪や土着の神を封じ鎮める事を目的に、聖徳太子が残した磁雷神の設計図を基に、より仏教の衣装を強く取り入れ開発された。
外観は名前の通りである。
海賊機士
クリスタニア
スーパーロボットの量産化を目指して試作された機動兵器
スーパーロボットの戦闘力と立体的な運用性を実現しつつ、極めて劣悪なコストパフォーマンスの解消を目指している。
最大の特徴は内部構造が内骨格型のメインボディと外骨格型のフレキシブルアームドアーマーに分かれていることである。
全高18メートルと、スーパーロボットとしては小型の部類に入るボーイ級より更に小型だが、三機の機動兵器ワルツ・ギアに分離する機能を備え、更にトレーラー形態に変形する事も可能など、非常に柔軟性の高い運用性を持つ。
多くのスーパーロボットが変形合体用の機構・武装を機体内部に格納するのに対し、クリスタニアはそれらの機能を武装と装甲を兼ねたフレキシブルアームドアーマーに担わせる事で、機体の剛性を保ちつつ、複雑な変形も可能にしている。18メートルサイズの人型ロボットが可変式のパワードスーツを装着していると言えばわかり易いだろう。
時空海賊一味が実験運用している機体は高速爆撃機ジェットカルナック、水中探査機アクアウォルス、地底潜行車ランドゴーンの三体に分離可能だが、戦術目的によるFAAの変更も将来的には考えられており、よりフレキシビリティの高い運用も可能となる。
また、分離時のそれぞれの機体にエーテル場相転移エンジンを内蔵しているため、総合出力は平均的なスーパーロボットに匹敵し、十分な装備や運用技術さえあれば、巨大化した怪生物にも対抗しうる。
人体の機能の再現を目指しているため、優秀な機動性能と運動性能、マンマシンインターフェースの高いフィードバック性能を有するが、やはり小型であるため防御能力は低く、スーパーロボットの命題のひとつである「攻撃目標となる」は実現できていない。
しかし時空海賊一味では、戦隊が運用する最大規模のロボット・ベース級を上回るサイズのバトルタイクーンが「的」「盾」としての任務を受け持つため、おおよその目的は達成されているといえるだろう。