第三話

謎の影

 何から話せばいいんだろう・・・

 そう・・・

 富士山の爆発は阻止された。大きな代償を支払って。

 あの日・・・陰陽寮職員に多くの犠牲を出したあの戦い・・・

 人の命に貴賎の差なんてない、そう言うけれど、

 あの日起こった人の「死」の中で、私の心を一番震わせたのは、

 神野江先輩の「死」だった。



 神野江先輩・・・

 鬼神に変わる私の先輩・・・

 生真面目なんだけど、ちょっと抜けてておっちょこちょいな所があって・・・

 凄い照れやさんで、直ぐに赤面しちゃう可愛いところがあって・・・

 でも施設の頃は問題児だった私の面倒をいやな顔一つせず良く見てくれた、

 優しくて、憧れの先輩。

 「お疲れ様、マリア」

 任務が終わった後、そう優しく言ってくれる先輩は・・・

 その日、帰って来なかった。

 帰ってきたのは、

 全身に深い傷を負って動けなくなった法師本韻元宗さんを乗せたボロボロになったアークチェイサーと、

 先輩が鬼神に変身したときに腰に巻いているベルト、御鬼宝輪の破片だけ・・・

 そして・・・血の涙を流す元宗さんの姿と、

 浮上しかけた魔の国の巨大要塞を押し留めた先輩の姿から・・・わたしたちは、

 先輩の死を、知らされたの。


でも・・・





 東北地方・・・日本の天井と呼ばれる北アルプスの中、四方を険しい山脈に囲まれた赤土の盆地がある。

 名は「菱木郷」。長く落天宗の本拠として多くの妖人を生み出してきたその地で異変が起こりつつあった。

 大和民族に復讐を誓った妖しの民、陽食。その歴史が一つの区切りを迎えようとしていた。

 常ならば、陽食の民の主が住まう屋敷・・・その大座敷から。

 「ゴホ・・・ゴホ・・・」

 大座敷・・・今は幹部の会議の場として使われるその場所・・・上座に座る男が息苦しそうに咳き込む。平均的以上には整った容貌を持つ、中肉中背の男。落天宗の現最高責任者を務める、祭司月野だ。やがて彼は拳で口元を拭うと、集まった幹部の一人・・・細目の神経質そうな男を睨みつけて問う。

 「・・・とりあえずわかりやすい説明をしてもらおうか? 一体、誰の許可を得てあんな大規模な部隊運用を行ったんだ?」

 「何のことですかな? 月野殿」

 慇懃且つ柔らかな口調で問い返す男。名は木亘理。月野を排し、自らが落天宗の指揮者になろうと目論む男だ。だが、木亘理に対して、月野は同様に柔和な調子で応じることは出来ない。語気も強く彼は言う。

 「とぼけなさんなよ。あれだけの騒ぎを起こしておいてしらばっくれられるものじゃあないさね・・・護法妖怪のみなら兎も角、妖人を複数展開させるような作戦は祭司の許可がいる・・・それを忘れてもらっては」

 「忘れてなどおりませんよ・・・月野殿。許可はきちんととってあります」

 「なに・・・?!」

 遮る様に言い放たれた木亘理の言葉。それに伴い、月野の顔が驚愕の表情に歪む。

 「そんなもの出した覚えは」

 そこまで呟いて、ハッとした様に幹部の一人に眼を向ける。美しい細身の女性・・・最高幹部・祭司の一人、霜田だ。月野は限りなく事実に近い自らの予測を尚も疑うように呟く。

 「・・・まさか」

 「ええ、御察しの通りですわ。私が出しておきました」

 「霜田、正気か?! 人手不足のこの時期に何故そんな真似を・・・!」

 こっくりと頷き、まるで他愛の無いことの様な言い方をする霜田に、月野は半ば叫ぶように問う。だが、返って来たのは不快そうに僅かに眉根を顰めた表情と、淡々とした冷たい言葉。

 「失礼な言い方はやめて頂戴、修造。私はこの作戦が、私たち落天宗のためになると判断したので許可しました」

 「なにを馬鹿な事を! 富士山は奴らの出入り口。あそこには手を出してはならないと先代からの・・・まさか!」

 「御察しなられた様ですな・・・その通りです」

 判断材料から予測される事態。それは、彼らが地底勢力と結託し、彼らの地上進出の一役を担ったと言う事。それは月野にとって予測はし得ても考えられない事態だったのだろう。木亘理によって成された肯定の言葉は月野に大きな衝撃を与えたようだった。

 「バカな・・・お前たち、陽食の民を奴らに売るつもりか?!」

 「人聞きの悪い事を言わないで頂戴、修造。彼らとは利害が一致したから協力・提携を結んでいるだけ。これまでも、こうやって組織を拡大してきたじゃない。何を今更、驚くことがあるの?」

 「それに民を売ろうとしているのは貴方でしょう・・・死に神に売り渡そうとしているのは。違いますかな? 祭司月野、いえ、“元”と言うべきですかな?」

 「約束の鬼神抹殺も果たさずオレを下ろすつもりか? 冗談は大概にしてくれないか・・・?」

 不愉快そうな物言いに、そう釘を刺す月野。彼の引退条件は、一週間以内の鬼神=神野江瞬の殺害だった。だが、木亘理は侮蔑の笑みを浮かべながら言う。

 「冗談のようなことをおっしゃられて入るのは貴方のほうだ・・・月野殿。これ以上、悪戯に先の見えぬ戦いを繰り返してどうなさる? 組織の地力は弱まり、民の心も疲れ果てている今・・・最早、貴方の古い考え方を支持するわけにはいきませぬ。確かに大和民族、陰陽寮、鬼神への復讐は我が一族の本願・・・だが、それは飽く迄も過去。陽食の民千人の命を預かるものとして、何時までも過去の怨讐に囚われ、一族を危機に晒し続ける訳には行きますまい」

 「組織としての本願を捨てるっていうのか?」

 木亘理の言うことは確かに、民の指導者として対極的には妥当なことであった。だが、それは飽く迄普通の民ならば、だ。陽食の民は一族それ自体が落天宗という闇の組織を成す特異な民族である。組織としての本来の目的を棄て地底勢力の傘下に下ることは民族のアイディンティティを失うにも等しい行為に思えた。だが・・・

 「何もそこまではいっておりません。確かに彼らと結ぶ故は、彼らの加護を受け、一族の安寧を手に入れる事ですが・・・彼らが地上への本格的侵攻を始めた暁には大和民族の根絶は彼らが行ってくれるでしょう。それに此れまでも様々な組織に同じ様な手引きはやってきたのですから何も問題ありますまい。事実、鬼神は彼らが滅ぼしてくれましたよ・・・4月に貴方達が招聘した「エニグマ」の不遜な男とは違って、ちゃんと」

 「な・・・鬼神が・・・倒された・・・だって・・・?」

 「本当よ。今頃、陰陽寮は大パニックになっているでしょうね。これまでも、暴走の果てに自滅・・・というのは在ったけど、今回のような形で完璧に倒されたのは初めてでしょうから」

 「と・・・言うわけで政権は交代ですな。月野元祭司」

 勝者の笑みを浮かべる木亘理。だが、月野は机を強く叩き、手元にあった湯飲みを倒しながら言う。

 「こんなのが認められるわけがない・・・ッ!」

 「何を異な事を。一週間以内に鬼神を倒す・・・それは果たされたではありませんか。約束を違えるつもりですか?」

 「同盟や加護などと奴らを今までの者たちと同列に考えるつもりかい・・・!! あいつらの目的は大和どころではない・・・人類そのものの殲滅だ! 我らとてその対象外ではない筈だぞ!!」

 「ククク・・・何を愚かなことを。この間、ヘカトンケイル殿がお見えに成られていたようですが・・・彼に何かを吹き込まれたのですかな? フフ・・・彼は彼で地上の覇権を狙われているのではありませんかな?」

 「なにぃ・・・」

 「くれぐれもお気をつけなられよ・・・月野殿。なまじ隣人の顔をしているものが敵・・・という事例は古今、決して珍しいことではありませんからね」

 神経を逆撫でする様に言う木亘理。月野の顔に刻まれる怒りの歪みが深くなっていく。

 「オレのダチを侮辱するつもりか?」

 「貴方がおっしゃる台詞ではありますまい・・・さて」

 今にも襲い掛からんとする月野に冷ややかに言い放つと、木亘理は指をぱちんと弾く。それと共に、大座敷に寄せていた幹部たちの多くが一斉に立ち上がり、懐から取り出した拳銃を一様に月野へ向ける。

 「!」

 「これ以上の議論はまた別の機会に。抵抗は止めて頂きましょう・・・無意味な血が流れますよ」

 「・・・わかったよ」

 相手が悪い、と思ったか諦めた様に言う月野。既に、幹部の大部分が木亘理に抱きこまれていたのだ。

 「ならば・・・」

 にやりと微笑み、月野を拘束するよう部下に命じる木亘理。だが・・・

 「オレは反抗させてもらうッ!!」

 ブワァアアアアアアアッ!!

 次の瞬間、彼の姿は天狗の妖人の姿に変わり、大座敷に強烈な突風を巻き起こしていた。






 鉄色の空から灰によく似た雪が降る。富士山の噴火の第一報がニュースで伝えられて今日で三日が経っていた。だが、その噴火が人為的に引き起こされたものである・・・という事を報じるメディアは、無い。それどころか噴火に際し、山頂に目撃された巨大建造物や空中爆発、人の姿に見えた溶岩ドームなど、そう言った事物についても一切触れていない。恐らく、情報操作を行っているのだろう。

 大きなソファに身を預け窓の外に広がる寒々とした空の様相を見上げながら、京二はそんなことを思った。

 「・・・まったく。国民の知る権利と報道の権利を奪うなよな」

 『?』

 「ああ、悪い。こっちの話だ」

 彼の顔の横には携帯電話。機種はbuのVICTシリーズ「V25SB」。スマート・ブレイン社製だ。

 『・・・・・・』

 「そうか・・・どうしても無理か」

 相手が告げた言葉が彼の意に沿わなかったらしい。少し残念そうに呟くが、すぐにフォローを入れる。

 「ああ、大丈夫だ。それなら仕方ないよ。無理は良くないし、な」

 『・・・』

 「良いって・・・気にするな。もともと、無茶だったわけだし。まあ、後はこっちでどうにかするよ」

 『・・・』

 「ああ・・・わかった。悪いな・・・じゃ、宜しく頼むよ。愛してるぜ、ベイベー」

 京二はそう言ってから通話を切ると、携帯をソファの上に無造作に放る。どうやら後は返事待ちのようだ。

 「ふぁ〜・・・ヒマだ」

 欠伸をする京二。冬休みに入ったため講義は無く、雪が降っている中、寒い思いをしてまでわざわざ研究室に行くほど彼は勤勉な性格をしていない。やりかけのテレビゲームの続きでもやって退屈な時間を潰そうかと考える。

 キンコ〜ン

 「ん」

 と、電子音のチャイムが来客を告げる。

 (来たか)

 雪降りしきる中の来訪者。だが京二は半ばそれを予期していた。

 ドアを開けると其処にはブレザー姿の少女が一人立っている。「凛とした」そう言う表現がよく似合う綺麗な顔立ちと、大きなリボンを使って頭の後ろで纏めた長い髪。背格好は大人びた雰囲気の容貌とは裏腹にかなり小さく、長身である京二の鳩尾ほどまでしか高さが無い。

 京二はその小柄な少女を知っていた。京二はにっこり微笑んで言う。

 「・・・やあ、なっちゃん。今日もちっちゃくって可愛いね」

 彼女・・・渡部奈津に会った時の決まり文句。挨拶のようなものだ。京二は彼女が体格の小ささに触れられるのが嫌いであり、強い拒絶反応を示すのを知っている。だが、根性の捻じ曲がった彼は、敢えてその挨拶を使い続けることで、彼女の反応を見て楽しんでいるのだ。だが・・・

 「・・・」

 何時もは憤慨する彼女だが、今日に限って何も言わない。複雑な・・・涙を堪えている様にも、憤怒を抑え込んでいる様にも見える表情で、ただ沈黙を守っていた。京二は少し困ったように苦笑を浮かべて言う。

 「まあ、入りなよ。立ち話も難だし」 

 「いえ・・・」

 首を左右に振る奈津。京二はふうと嘆息する。この少女は瞬に似て、日常では口数が少ない。ならば、とモードを元に戻していう。

 「こんな寒い日に一体何の御用件だい? アッシー?それともメッシー? もしかして俺の頭脳を借りに来た、とか? だけどいくら寒いからって、身体で暖めあうってのは、無しだぜ。そう言うのはレイジに頼むのが筋だ」

 セクハラ発言に、一瞬頬を赤く染める奈津。だが彼女は鉄の自制心で頬の紅潮を押さえ込むと、厳しい表情をする。

 「伊万里教授」

 真剣な眼差しが彼の顔に向けられ、奈津の声が静かに響く。京二は口元を僅かに歪める。

 「・・・冗談は無しって雰囲気だな。なっちゃん」

 「はい・・・直ぐに本部へいらしてください」

 奈津は京二の問いに肯定の頷きを以って答える。どうやら予想が当たったらしい。京二は嘆息していった。

 「・・・わかった。ちょっと待っててくれ。用意をするから」

 どうやら自分も暫らくここには帰れそうに無かった。





 闇の中に珈琲豆を挽く音色と仄かな香りが漂う。絶対的な闇を退けることの出来ない微かな明かりの中に浮かび上がる影が三つ。エプロンを着けた店主らしい長身の女。バイザー型のサングラスに白衣という出で立ちの男。黒い法衣を身に纏った女。

 ここは魔皇子亭。六大魔王の一人、妖麗楽士が経営する喫茶店。

 「・・・あれだけ手間をかけた作戦が失敗とはねェ。揃いも揃って駄目な男たち。フフ」

 嘲笑。それを発するのは黒い法衣を身に纏った女。少女の様な顔立ちとは裏腹に、その目には辺りの闇より深い暗黒を湛えている。

 「あら・・・その割には嬉しそうね、ダーナ」

 店主・・・妖麗楽士は黒衣の女にそう指摘すると女はくすくすと笑って答える。

 「あら・・・そうかしら? そんなこと無いわよ。あたしはただ可笑しいだけよ」

 その黒衣の女の名はダーナ・・・妖麗楽士と同じ六大魔王の一角、霊衣神官だ。

 「ま・・・確かに。魔帝国きっての武闘派三人があの様とは笑えるかもね。ハハ」

 そして霊衣神官の言葉に追随するように白衣の男もそう言ってバラバラに解したオムライスをスプーンで掬い美味そうに口に運ぶ。こちらもやはり魔王の一人。邪眼導師と呼ばれる男だ。妖麗楽士は馬鹿にするような二人の言葉に相槌を打って返す。

 「そうねぇ・・・ちょっと甘く見すぎたかしら。あの三人、ベクトルは違うけれどそれぞれプライドが高いから、つい相手を甘く見積もっちゃうのよね」

 「これだから体育会系はヤなのよ・・・まったく、学習能力ないのかしらね? これまで甘く見た連中が滅ぼされてきたの、百鬼戦将も煉獄剣王もちゃんと見てきたはずなのに・・・」

 うんざりとした感じだが、飽く迄他人事の様に言う霊衣神官。邪眼導師も彼女の言に頷きながら言う。

 「ま、ヌァザもダグザも脳みそ筋肉っぽいし、ケルノヌスは空っぽだろうケド・・・そう言えば、その三人の姿が見えないようだけどどうしたんだい?」

 「ヌァザは打ち直し(治療)中。ダグザは部隊の撤収作業で艦隊のほうに。ケルノヌスは本国へ戻ったわ」

 「本国に?」

 「ええ。陛下に御報告にいったわ」

 「こっぴどくしかられそうね」

 愉快そうに言う霊衣神官。彼ら六大魔王は、その名の通り元は彼らの本拠地である「魔の国」に一定の規模の魔人のコミュニティを従える長だ。魔帝国ノアと言う国は帝政国家であると同時に、そう言ったコミュニティが複数集まり魔帝国元首である竜魔霊帝のもとに合衆した一種の連合国家・・・かつての日本の武家政権=幕府を思っていただくと解り易い・・・でもある。地上侵攻の指揮者として集まった彼ら六人は同胞であると同時に、帝国内での発言力を高めるために競い合う政敵でもあるのだ。

 「そうねぇ」

 それ故に妖麗楽士の返事は曖昧なものだ。

 「だけどあの鬼神って奴の力は凄かったねぇ」

 と、思い出した様に邪眼導師が言う。

 「まさかhugでエヴィルアークを押し戻すとは・・・彼女の恋人が思いやられるよ」

 「あの力ってちょっと厄介じゃないかしら? 妖怪さんたちの話によれば、あれって代替わりするものなんでしょ? 今の内に叩いた方が後顧の憂いがなくなるんじゃないかしら」

 霊衣神官は余り積極的な雰囲気ではないものの、そう提案する。エヴィルアーク・・・彼らの地上侵略の要となる超弩級の移動要塞エヴィルアーク。この日本最大の火山そのものを破壊しながら浮上しようとした超巨大構造物を押し戻し、更に六人の魔王が力を結集して形成した障壁遮断結界を消滅させた鬼神の力は彼らさえ戦慄させるに足りるものだった。

 「え〜・・・」

 しかし邪眼導師はまるで子供の様に口を尖らせ、不満の声を上げる。

 「僕らで有効に使ったほうがお得だよ。“彼ら”みたいにさ」

 「“彼ら”・・・」

 「『type C‐MR』ね・・・」

 霊衣神官と妖麗楽士の二人の目に冷ややかな光が走る。『type C‐MR』・・・エヴィルアーク浮上計画の開始に先んじて邪眼導師が提出した幾つかの新兵器開発計画の一つである。そして魔王達が言う“彼ら”とは、地上侵攻計画始動に当たって手に入れたあるマテリアル・・・極度に破損していたそれらをリファインし、更にカスタマイズを加え実戦での使用を可能にした“改造人間兵器”のことだ。その性能・有効性は未だ開発途上でありながら死天騎士や百鬼戦将、煉獄剣王の三名から高い評価を受けている。だが、霊衣神官は不信感も顕に言う。

 「・・・私ははっきり言って“あれ”を信用する気にはなれないわ」

 「どうしてさ? 性能は中々だと思うよ。何せ、基礎(モト)が良いし」

 対照的に気楽な雰囲気で言う邪眼導師。だが、霊衣神官は首を左右に振る。

 「だからこそ・・・よ。だからこそ、貴方が思ってるほど上手く行くとは思えないわ」

 「女の勘・・・かい?」

 「そうね。それと経験則かしら」

 「よくわかんないな・・・君はちょっと心配性すぎるよ。ネェ、ホーリィ?」

 「う〜ん・・・そうねぇ」

 Trrrrrrr・・・

 同意を求められ、何かを答えようとした妖麗楽士だが、それを遮る様にカウンターの電話が鳴り響く。

 「あら、ちょっと待ってね・・・ああ・・・ケルノヌス。なぁに・・・はいはい・・・マックリールとダーナがいるわ・・・うん、判ったわ。うん・・・じゃ、」

 「ケルノヌスから?」

 本国に帰還している死天騎士から指令が入ったらしい。妖麗楽士は霊衣神官の問いに頷く。

 「ええ。どちらかに仕事をしてもらいたいんだけど良いかしら?」

 「仕事の中身によるわね」

 そう答える霊衣神官は余り乗り気ではなさそうに見える。

 「この間、協力者になってくれたコいるでしょ?」

 「よく言うよ・・・音楽聞かせて洗脳したんじゃないか・・・たしかエンノとかいったよね」

 エンノ・・・役華凛のことだ。苦笑交じりの邪眼導師の指摘に妖麗楽士は答える。

 「心の奥底にでも、そういった要素がないと、あそこまで綺麗にトチ狂ってくれないわ。まぁ・・・それはともかく、彼女が教えてくれた陰陽寮の施設を攻撃しろ・・・ですって。やっぱり彼もあの力は危険だって思ったみたい」

 「えぇ〜・・・勿体無い」

 ひどく惜しそうに言う邪眼導師。だが一方、霊衣神官はぱっと手を広げると白けた様に言う。

 「悪いけど、私はパスさせてもらうわ・・・」

 「どうしたんだいダーナ?」

 邪眼導師はその真意を問うと彼女は頬の辺りに含みのある微妙な笑みを浮かべて答える。

 「気分が乗らないのよ。他にちょっとやりたいことがあってね」

 「ふぅん・・・そう」

 納得したのか否か判らないが、邪眼導師は了承の意を示し頷く。

 「なら、ボクがやるよ、ホーリィ」

 「助かるわ・・・マックリール。じゃ、それはサービスね」

 そう言って妖麗楽士はオムライスの皿を指差すとウインクする。

 「じゃあ、御馳走になるよ。まあ・・・全ては陛下と帝国のため・・・さ。それに、あれのテストをやりたいからね。渡りに船さ・・・」

 「アレ・・・?」

 「“未来からの遺産”だよ」

 「『CODE‐ARTIFICIAL WHITE DEMON』・・・あれを使うの?」

 「うん」

 あっけらかんと答える邪眼導師。彼が未来からの遺産という矛盾した言葉で表現したそれは、『type C‐MR』を含んだ兵器開発計画で提出した新兵器の一つだ。最も、『CODE‐ARTIFICIAL WHITE DEMON』にせよ『type C‐MR』にせよ、“新規開発”というよりは“修復・改良”に近い。元々、彼が死天騎士に依頼されていた一連の兵器開発計画は、エヴィルアークの浮上に万が一失敗した場合の代替兵力確保のため、地上に存在する“マテリアル”を“修復・改良”して利用する・・・というものだった。

 「流石に先の時代から来ただけあって、地上人が作ったものにしては良く出来てるからね。それに“彼ら”の改造をやる際の参考になると思って」

 「悪趣味ねぇ・・・というか、忠誠心云々より貴方の場合其方がメインなんでしょう?」

 妖麗楽士の指摘に苦笑する邪眼導師。

 「はは・・・ばれたか。ケルノヌスには黙っといてね」

 「仕方ないわね」

 やれやれ、と嘆息する妖麗楽士。邪眼導師はハンドペーパーで口元を拭うと立ち上がる。

 「じゃ・・・仕込みに行くとするかな」





 「・・・落ちついて聞いて頂戴。プロフェッサー伊万里」

 「そわそわ」

 「・・・プロフェッサー」

 相変わらずの茶化す様な態度。わざとらしい同様の素振りは、鋭い口調と視線に制され、かき消される。姿勢を正す伊万里京二。

 「・・・失敬」

 ここは陰陽寮局長である神崎紅葉の執務室。オフィスディスクの前に座るのは当然、この部屋の主である神崎紅葉。その前には彼女の命令で召喚された伊万里京二。そして彼の背後には三方を閉ざす様に可憐な助成の姿をした陰陽術の番人が三名・・・彼をここまで連れてきた渡部奈津、そして金髪碧眼の少女、新氏マリア、ぼさぼさの髪に長身、眼鏡、白衣といった出で立ちの相模京子・・・即ち二人の員数を欠いたトップ5の女戦士たちが立っている。

 話が出来る状態になったのを見逃さず、神崎は問う様に京二に言う。

 「もう、察しているかもしれないわね・・・」

 「ああ・・・」

 頷く京二。彼は一度、背後に控える美しい女性たちの顔を見る。表情を無くす為に。或いは見せない為に敢えて感情を押し殺したような表情。それを見て彼はちいさく息を吐くと、ほぼ確信を持って問い返す。

 「瞬に何か在ったんだろう?」

 「ええ。単刀直入に、結論から言うわ、プロフェッサー」

 「ああ・・・」

 「神野江瞬が死にました」

 「!!」

 京二の言葉が途切れる。常に斜に構え、飄々としているこの男も、流石に自身の恋人の訃報を聞いて平常ではいられないらしい。また、神崎が告げたその言葉は、彼の背後に立つ女戦士たちの心の琴線にも触れたらしい。マリアの啜る様な泣き声を中心に悲哀の呻きが響く。しかし神崎は無慈悲に言葉を続ける。

 「正確には昨日午前0608、富士山頂上火口から約1キロの地点で、富士山の活動と共に発生した地割れに飲み込まれ戦闘時消息不明に」

 それは、神野江瞬が死という事実に至るまでの過程。

 「その後、周辺の捜査、SPDによる個人霊子情報(アストラルデータ)の追跡を行いましたが彼女を発見することは出来ませんでした。そして、消息を絶った際の状況から私達は陰陽寮特務派遣執行員・神野江瞬が高確率で既に死んでいる・・・と判断します」

 「・・・」

 京二は、神崎の説明に目を見開き静かに聞いていた。神崎は流石に居た堪れないのか、沈痛な面持ちで言う。

 「信じられないのは解かるわ・・・でも、これを見て」

 「これは・・・」

 執務室の上に置かれる石の様な複数の塊。京二はそれらに見覚えがあった。瞬が鬼神へと転化変身を行う際に彼女の腹部に現出するベルト型の呪術的器物・・・それの鬼瓦を思わせる造形が施されたバックル部分だ。だが、かつて黒灰色だったそれは、風化しかかった砂岩の様に色あせ、割れて幾つかの欠片に成り果てていた。

 「あいつの・・・か?」

 破片の一つをつかみ上げ呟くように問う、京二。指の間からポロポロと欠片が零れ落ちていく。神崎は頷いて答える。

 「彼女の遺品に当たるわね。消息を絶った場所の周囲で発見されたわ」

 「ベルトが壊れている・・・ってのか?」

 「ええ・・・これは御鬼宝輪。知っていると思うけど・・・これは鬼神の力を制御する為に必要不可欠なものなの。分析の結果、何か特殊な呪詛作用を持つ物質で貫かれたことが判ったわ・・・」

 「貫かれた・・・」

 「そう。瞬の身体ごとね。恐らく、腹から背中に抜けて、串刺しするように」

 「!!」

 流石の京二も、その絶望的な事実に動揺を隠せないのか目を大きく見開く。

 「そして落下した先にはマグマが滾る大地の裂け目・・・鬼神の力を失った彼女が助かる見込みは先ず無い」

 「う・・・うう・・・うえええん・・・」

 泣き声。無論京二ではない。感情の濁流を堪えきれず、マリアは京子にしがみつき、泣き始めたのだ。奈津も拳を握り、激しい怒りと悲しみを堪える様に下唇を噛む。絶望的状況が百鬼夜行のパレードを成してやってきているようだった。

 「・・・俺を驚かすためのドッキリか何か、か?」

 「・・・そう言ってるように見える? 今、貴方を驚かそうと隠れてる彼女の気配が、わかる? もし私たちが冗談か何かで彼女を隠しているとしたら、今の貴方にはそれが判る筈よ・・・プロフェッサー」

 冗談めかした京二の発言は、一蹴され、そして神崎は悪乗りが過ぎるこの男に、残酷とも言える事実を突きつける。

 「もう一度言うわ。神野江瞬は死・・・いいえ、殺されました」

 「殺された・・・」

 信じられない様に、うわ言の様に鸚鵡返しする京二。と、その時である。

 バン、と激しい音を立てて執務室の扉が開く。現れるのは元宗・・・だが、彼の特徴であるスキンヘッドには包帯が巻かれ、右手と左足にはギプス、更に松葉杖をついている。未だ、先日の戦いで負った負傷が治っていないのだ。

 「そうさ・・・! お前が殺したんだ!!」

 「ハゲ・・・!」

 元宗は松葉杖を放ると、怪我をしているとは思えない速度で京二に詰め寄り、彼の襟首をねじり上げる。慌てて奈津が静止しようとするが・・・

 「駄目です、法師本韻! 未だ安静にしていないと・・・!!」

 「五月蝿い!! 伊万里京二・・・お前が・・・お前が瞬を殺したようなものだ!!」

 「何を言ってるんです・・・元宗さん!!」

 常に厳つい表情を顔に浮かべる元宗だが・・・更に鬼気迫る形相で彼は京二を激しく糾弾する。奈津は暴言に近いその言葉を咎めようとするが・・・

 「だって・・・そうだろう・・・? こいつが瞬をあんな甘い奴にしなければ・・・! あいつは・・・あいつだけは死んだりしなかったはずだ・・・っ!!」

 「それは・・・そんなことは・・・」

 奈津は、自らの言葉に詰まる。「そんなことはない」と、彼女には断言する事は出来なかったからだ。確かに瞬は、京二と出会い男女の付き合いをするようになってから以前と大きく変わった。元宗の言う様に、甘くなった、弱くなった・・・とは思わないが、以前より確実に優しく柔和な性格になった。そして相対的に冷徹さや無慈悲さ・・・処刑の執行者として重要な資質・・・は薄らいでいった。それが、彼女自身が死に至った要因の一つではないと、奈津には断言することは出来なかった。

 「・・・」

 だが、京二はただ沈黙を守り、眼鏡の奥から静かに元宗を見返している。

 「お前が瞬を誑かし・・・死に追いやったんだ・・・お前が・・・お前さえいなければ・・・オレが替わりに死ねたのに・・・っ!!」

 「・・・」

 元宗の訴えは余りに理不尽なもの。精神の均衡を失うほどに彼の感情は昂ぶっている。だが、その言葉を前にしても、京二は言葉を発さずただ静かに元宗を見つめ返しているのみ。まるで両者の間に真空の間隙があるような感情の温度差。その様子は不安定を極めた元宗の神経を容易に逆撫でする。

 「何故・・・何故、何も言い返さない・・・?!」

 「あいつが死んだなら、それは確かに俺の所為だからな。否定する必要も言い返す言葉も俺には無いよ」

 「ッ・・・!!」

 冗談を言うのとなんら変わらぬ調子で言い放たれる冷静な口調。元宗の中で昂ぶっていた感情は怒りという爆発口を得て暴発する。

 ゴキッ

 これで何度目だろうか。元宗の拳が京二の頬を打つ。

 「つ・・・」

 飛び散る血は唇が切れたものか。仰け反り、倒れ掛かる京二だが、素早く回り込んだ京子が彼の身体を支える。

 「なんでお前は! そんなに平然としていられるっ!! どうして・・・慟哭一つ上げない?! 涙一粒流さない・・・っ?!」

 「・・・必要が無いからな」

 京二は簡潔にそう答える。親指で血の筋を拭いながら。だが、血の赤さとは裏腹に彼の言葉、情緒を欠いた機械的な冷たさを帯びる。

 「貴様は・・・っ! それでも人間か!!」

 「半分違うんだろう? 何を今更」

 激昂に皮肉を以って返す京二。彼が人間以外の存在に変わりつつある事を指摘したのは紛れも無く元宗だった。

 「そうじゃない・・・っ!」

 だが元宗は否定する。彼が言いたいのはその様な肉体的なものではなく、もっと感情的なものだった。

 「お前は・・・瞬のことが好きだったんじゃないのか? 恋人・・・恋人同士だったんじゃないのか・・・?!」 

 「・・・ああ」

 京二の返答に一瞬、苦悩が元宗の表情に浮かぶ。例え自ら確認したことでも、その答えを聞くのは忍びないのか。やがて元宗は問う。彼が愛した女性の恋人だった男に。

 「・・・だったら瞬は・・・自分の死に涙すら流してくれないような男と・・・好き合ったってのか・・・!!」 

 「・・・」

 沈黙。

 「答えろ・・・っ! 答えろ伊万里っ!!」

 「・・・」

 やはり、沈黙。京二は元宗の言葉に答えず、自らの意図を語ろうとせず、ただ静かに佇んでいただけ。

 「何故、オレを責めない・・・? 何故、あいつを守れなかったと・・・どうしてオレを責めない・・・っ!!」

 それは愛する者を守れなかった男の嘆き。あまつさえ、守ると約束した相手に守られ生き恥を晒した男の無念の声。彼の激昂は自責の念の裏返し。無力を詰られた方が未だ余程、彼は救われたかもしれない。しかし京二はそれを理解していながら・・・そうするつもりは無かった。そして彼が、相手の・・・特に男の苦悩を理解したときに取る行動は一つ。嘲笑を浮かべ、肩を竦めながら・・・

 「男を責めて喜ぶ趣味は無いんでね」

 「この期に及んで・・・茶化すなッ!! オレは・・・オレは真剣に言ってるんだぞ!!」

 「悪いな・・・性分なんだ」

 相手の怒りの炎に更なる油を注ぐこと。もっとも女の子を責めるのは大好きだが・・・と付け加えなかったのは幾ばくかの良識故か。

 「てめぇっ・・・!!」

 案の定、再びリミットブレイクする元宗。相変わらず暑苦しい男だ、と京二は思う。もっとも、こういうノリは余り嫌いではない。男が自身を理解してもらうのに、ちまちまと言葉を連ね口にするなど、馬鹿馬鹿しい。

 拳を撃ち込んで来る元宗。彼の拳打は鍛え抜かれた技から放たれるものだった筈だが・・・怪我のためか、或いは怒りのためか、もしくは両者のためか、京二は容易に見切り身を屈めて避けると、手をポケットの中に突っ込む。一応、インテリとして素手で殴る様な趣味は無い。

 「やめなさい!」

 しかし鋭く飛ばされる激に、二人の男同士の会話というものは中断される。

 「ばあさん・・・ッ! こいつはッ!!」

 「元宗・・・これ以上、この執務室で狼藉を働くことは許しません。少し、黙っていて頂戴」

 抗議の声を上げる元宗。だが神崎は冷静な口調でそれを切って棄てる。京二もポケットの中に握っていたものを放すと、元の直立姿勢に戻る。

 沈黙・・・ややあって、神崎が口を開く。

 「プロフェッサー」

 「なんだ・・・?」

 「今日、貴方をここに呼んだのは瞬の死を告げる為だけでは在りません。貴方の今後の処遇について、陰陽寮上層部が下した命令を伝えます」

 淡々と事務的な口調で告げられる神崎の言葉。それを聞いた京二の表情は不快感で僅かに歪む。

 「俺の処遇・・・だと?」

 「ええ。伊万里京二・・・陰陽寮局長神崎紅葉の名に於いて貴方を陰陽寮特務派遣執行員・・・即ち鬼神に任命します」




 驚愕が場を支配する。

 「な・・・?」と、言葉に詰まる京子。突発的な状況の開始に処理系が付いていかないのか。

 「馬鹿な!!」失礼な言い方で驚く元宗。それが、まるで在り得ない事のような否定の響き。

 「嘘・・・?」奈津は口に手を当て、目を大きく見開いて呟くように言う。クールな彼女でさえ、その言葉を把握することが出来ない。

 「ほんまですか〜」黒百合は相変わらずの調子だが。

 尚、コウの声はない。宿主である元宗が激しく消耗している為、未だ実体化できていないのだ。

 そして最後に京二が問いを返す。

 「どうして・・・俺を?」

 「そうです・・・! 納得できません! こんな人が鬼神候補だなんて!!」

 神崎が答える前に、非難の声が上がる。呆然とした一同の中から最初に意見の声を上げたのはマリアだった。彼女は強い口調で陰陽寮上層部決定に反論する。

 「こんな人って、マリアちゃん・・・」

 しかし、あんまりな物言いに流石にげんなりする京二。神崎は頷くと静かに語り始める。京二が新たな鬼神候補に選ばれた理由を。

 「理由は三つ。一つは検査の結果、貴方に優れた鬼神の資質があると判ったから。二つ目は瞬の抜けた戦力の穴を補う為。そして三つ目は貴方の身体が、今とても不安定な状況にあるからです」

 「不安定・・・?」

 鸚鵡返しする京二に神崎は頷いてから逆に問い返す。

 「“超進化因子”というものが判る?」

 「超進化というと・・・恐竜がなんかメカメカしい能力を手に入れるような・・・そういうあれか?」

 「そうね・・・それに近いかもしれないわね。アギトとかオルフェノクを聞いたことがあるでしょう? 人間には生まれながら、そう言った、より優れた個体へ進化する可能性を持っているの。それが超進化因子・・・マリアが行う変身もそれを利用したものね」

 「・・・成る程」

 眼鏡のブリッジに指を当て、位置を直しながら京二は呟く。

 「察したようね」

 「ああ・・・竜王、だな」

 竜王・・・平たく言えば、陰陽寮が主に戦う相手である落天宗の首領であり、全ての妖怪の「根源」となったとされる存在だ。

 「・・・ええ。貴方は今年四月、落天宗の首領、「竜王」へのトランスフォームを行ったでしょう。あの時はあなた自身の意思と瞬の奮闘によってあなたは人間に戻ることが出来た・・・。でもその所為で、本来なら竜王の覚醒時に消滅してしまう筈のそれらの因子が残存してしまい、逆に活性化が誘発されてしまった・・・というわけ」

 「つまり、竜王が呼び水になったってわけか」

 「ええ。それも単一の因子で無く複数の因子が同時に。流石にワイズマンストーンは無いからBKJには成らないし、鍛えている訳では無いから鬼にもなれないでしょうけど・・・心当たりがあるでしょう? 奇妙な夢を見るとか、妙に勘が鋭くなった、とか。あの子からも報告を受けていたわ」

 「ああ・・・」

 大の男が情けないな・・・と思いつつも京二は頷く。件の事件からこれまでの八ヶ月、夜毎に悪夢を見てうなされ夜中に目覚めていた。ことの詳細までは覚えていないが、闇・・・というより自分自身の中の無意識の海に伊万里京二というパーソナリティが溶けていくような感覚。

 それに神崎のもう一つの指摘にも心当たりがある。確かにここ最近、緊急時に感覚と反射神経が妙に鋭くなり、未来予測にも似た危機察知能力が高まっている。それに自浄能力もそうだ。肝機能の高さから元から優れていた毒素の分解能力を持っていたが、それも心なしか高まっているような気がする。

 「それはアギト化、或いはオルフェノク化初期に良く見られる症状よ」

 “アギト”、“オルフェノク”・・・どちらも聞いたことがある言葉だ。何れも数年前に話題になった人間の体に起こる突発的な変異現象・・・アギトはネット上でちらほらと話題になる程度だったが、オルフェノク・・・一般に特殊な皮膚病とされるそれは、全国、全世界でも相当数に登る発症者が現れた。京二は詳細を詳しくは知らなかったが、話の流れからそれらがどのような存在であったかを推察する。

 「で・・・このまま放って置けば不味い、と」

 京二の問いに頷く神崎。どうやらそれらは、鬼神やアスラ同様、人間を別の何かに変質させる力で当たっていたらしい。

 「そう・・・このまま活性化を放って置けば、貴方の内側で複数の存在が同時に覚醒する・・・そうなれば、貴方の、伊万里京二という人間のキャパシティを越え、貴方の自我は崩壊する。そうなれば、「竜王」の意識が再び顕在化する可能性があるわ・・・」

 「だから、鬼神にすることでその因子の活性化を抑えると・・・そういう寸法か」

 「ええ。竜王の対存在である鬼神の力なら、理論上は可能だし、それが最も確率が高く効果的で且つ実用的な方法よ」
要するに完全に覚醒し切る前に京二の身体を強制的に別物に変えてしまうことで、今度こそ因子を確実に消滅させてしまうつもりらしい。

 「なるほどね・・・」

 唸る京二。確かにもっともらしくは在るが・・・

 「だけど・・・! 陰陽師でもないこの人が鬼神だなんて・・・!!」

 其処までの説明が終わっても尚、マリアは抗弁する。京二の場合、彼自身の身体や瞬との関係上、陰陽寮に深く関わっているが、先ず陰陽師ですらないし、彼と同じ超考古学者である桐生春樹と違って正式に協力関係を結んでいるわけでもない。

 「前例が無い訳ではないわ・・・マリア」

 「もしもし?」

 「でも・・・こんなのずるいよ! わたしはもう化身忍者だったから、候補には成れなかったけど・・・候補のみんなは鬼神になるために頑張ってる。リンちゃんもそれが原因で・・・あんなことに!! なのに・・・!!」

 マリアもまた、胸に溜め込まれていた感情を吐き出す。納得できないのだ。

 彼女は見てきた。同期だった事もあり、彼女と親しかった友人である奈津と華凛。そして政府の養護施設時代から姉がそうするように彼女に接してくれた瞬。彼女ら、いや、それは彼女らだけではない、多くの候補生が鬼神になるため厳しい訓練と適正試験を受けてきた様子を。

 それは人ならざる力を受け止める為の強靭な身体能力を培う半ば気違いじみた前時代的な修練の数々。そして“鬼神の本体”との共振・接合試験は適正が低ければ精神や肉体に障害が残る危険なものだった。

 「鬼神の適性は身体的な能力云々より、メンタルな部分が重視されているの。強靭、或いは柔軟性のある心と感情・・・肉体は二の次。技・・・術は彼の200を超える知能指数を持ってすれば直ぐに覚えてくれるでしょう」

 冷徹に告げられる神崎の言葉。努力、根性・・・それらは確かに人間性を構築する上で非常に重要な要素の一つだ。だが、飽く迄もそれは要素の一つにしか過ぎず、時に現実は残酷な取捨選択を行う。天性・・・才能・・・幾百星霜の努力さえ一晩で無為に返すものが確かに存在するのかもしれない。

 「あの〜」

 「そんな・・・! そんなの・・・悔しすぎるよ・・・あんまりだよ・・・努力が報われないなんて・・・!! リンちゃんは・・・その所為で・・・なのに・・・!! それに、先輩がいなくなったから・・・すぐ次、だなんて・・・局長・・・そんなの・・・酷過ぎるよ」

 だが、マリアは納得することは出来ない。「鬼神」という存在になれるかの可否が役華凛の離反に大きな影響を与えたのだ。その悲劇が彼女に容易に納得をさせない。しかし神崎は更なる言葉を無慈悲に告げる。

 「・・・マリア。今は居なくなった者のことを哀しんでいる時ではないのよ」

 「!!」

 「冷たいことを言うようだけど、今は生き残るための力が必要なの。その為に手段を選んでは居られないわ・・・判っている筈でしょう? 貴方がこれまで生きてきた世界は、そういう風に出来ていることを」

 狩人と防人、どちらであろうと変わらぬ冷たい方程式が彼女の達の立つ場所には在る。

 「お〜い・・・」

 「判ってる・・・判ってるけど・・・納得なんか出来ないよ! こんなコト・・・」

 「マリア・・・貴方の使命は何? 死んだ人間のことで何時までも涙を流すことじゃないでしょう?」

 涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら訴えるマリアに神崎は諭すように言う。と・・・その時である。

 
「は・な・し・を・き・け!!」

 ズキュゥゥゥウウウン!!


 銃声が執務室内に鳴り響く。

 「プロフェッサー・・・?!」

 天井に銃口を向けて引き金を絞っている京二。立ち上る硝煙に息をかけて散らすと起用にクルクル回してコートの裏ポケットに戻す。そして注目が集まったところを見計らい咳払いを一つすると、口の前で指を左右に振って気障っぽく言う。

 「勝手に話を進めないで欲しいな。こっちの意思も確認しない内に転職後の話なんて少々乱暴ではないかな? マドモアゼル」

 「・・・そう呼ばれる歳じゃなくってよ、坊や」

 神崎は冷静にそう切り替えした後、京二の言葉を一笑に付す。彼の言葉は最早、論議に値するものではなかった。

 「命令だと言った筈よ・・・要請ではないの。貴方に拒否権は無いのよ」

 「フ・・・基本的人権、職業の自由に抵触しているな」

 「冗談、と解釈させてもらうわ。陰陽寮の活動は天皇陛下と内閣の連名により国内では超法規的に活動が許可されている・・・というのは神野江執行員から聞いているはずよ」

 「聞かされた、といって欲しいね。別段、興味なかったから忘れていたよ」

 苦笑を浮かべる京二。陰陽寮の任務における超法規的措置の数々は瞬から耳に蛸が出来るほど聞いている。彼の拳銃も超特権で所持が許されたものだ。「そう・・・なら、よく覚えておいてね」

 「で・・・? 俺が嫌だと言ったら如何する腹積りだ?」

 挑発的な京二の言葉。いや、実際に挑発をしているのだろう。だが、それに乗る神崎ではない。

 「決まっているわ、プロフェッサー。もし、突発的な事態で竜王が復活する状況が生じた場合、貴方を抹殺する役目を帯びていた神野江執行員がいない以上、あなたを野放しに一般社会に置いておく訳には行きません。あなたがもし、鬼神に成る事を拒否するようなら、あなたの身柄を半永久的に拘束・・・或いは抹殺しなければなりません」

 「まるで其処のハゲみたいな言い草だな・・・なぁ」

 苦笑し、元宗に話を振る京二。一方、元宗は突然の自体にやや困惑気味だったが・・・

 「伊万里・・・」

 「・・・ハゲじゃねぇって突っ込まないのか?」

 やがて鋭い目つきになり、真剣な口調で言う。

 「ふざけるな・・・とにかく聞け。お前は鬼神になるべきだ」

 「元宗さん・・・?」

 元宗の発言は些か意外なものだったらしい。トップ5の三人は意外そうな顔。マリアに至っては困惑の声を上げる。

 「フ・・・意外だな。てっきりマリアちゃんと同意見だと思っていたが・・・俺もまだまだクンフーが足りんらしい。読み違えたようだ」

 京二は軽口で冗談めかして言うが、元宗は首を左右に振る。

 「いいや・・・お前の言う通りだ。オレはお前が鬼神だなんて認めたくねぇ」

 「?・・・」

 矛盾する言葉に疑問符を浮かべる京二。だが、直ぐにそれは解消される。

 「だが・・・もしお前が、鬼神に成れるというのなら・・・お前は鬼神になるべきだ・・・!! 瞬の弔いは・・・あいつが好いた・・・最後の瞬間までお前の身を案じた・・・お前がするべきだ!! 伊万里!」

 周囲の気温を少なくとも十度は上げる様な暑苦しさで語る元宗。だが対して京二は冷めた笑いを浮かべる。

 「そうか・・・成る程な・・・仇討ち、か」

 呟く様に言う京二。

 「成ろうとした理由がそれ・・・という人もいると“おやっさん“は言っていたな。ま・・・この世界に入るのには妥当な線かな」

 彼・・・最も早く仮面ライダーを名乗ったあの人の話に因れば、瞬の育ての親・・・鬼神がそうであるように赤い仮面と緑の大きな目を持ったあの仮面ライダーもまた奪われた大切な人の仇を討つために悪への復讐を誓い、改造人間になった一人らしい。

 (そういえば、赤い仮面に緑の目ってそんな奴らばかりだな・・・)

 それを考えれば、「復讐」という目的は戦いの世界へ身を投じる理由としては妥当なものかもしれない。

 「そう・・・なら」

 呟きを肯定の意と採った神崎はそう言い掛ける・・・が。

 「だが、断る」

 不敵な表情で断じる京二。彼のその容貌には一切の迷い、躊躇の色が見られない。だが、それを受け、元宗は驚愕の表情を浮かべる。

 「な・・・?!」

 「では、拘束を選ぶ、と?」

 鋭い視線で問う神崎。その目は闇の世界で戦い続けてきた戦闘集団の長に相応しい迫力と凄みを有していた。

 だが、京二はそれに臆した様子もなく答える。

 「どちらもNONだ。この伊万里京二の最も好きな事は、自分の言い分が絶対通ると思っているやつに対してNONといってからかってやる事でね」

 「怖気づいたのか・・・? 伊万里!」

 「強い語気を使うなよ。弱く見えるぜ、元宗」

 「お前は! 何時も、何故茶化す?!」

 「仇討ちなんてナンセンスだ。こう見えてもインテリゲンチャでね。そんな時代遅れの野蛮な真似、とても出来やしない。大体、復讐なんてやったら、それこそあいつらと何も変わらないじゃないか」

 口の前で立てた人差し指を大きく振り、少しおどけた様に言ってみせる京二。確かに死者の為に、或いは使者を理由に、命を懸けて戦うなど本末転倒も甚だしい行為ではあった。だが、京二のあまりに元宗とマリアの怒りが沸点に達する。

 「京二さん!!」

 「伊万里・・・ッ!」

 「押えてください・・・二人とも!!」

 しかし、奈津の鋭い語気がそれを制止する。今にも変身して襲い掛かりかねない二人を前に彼女は両手を広げ立つ。

 「なっちゃん・・・」

 思わず呟きを漏らすマリア。だが、京二に対する怒りは奈津もまた同様だったらしい。彼女は京二に背を向けたまま、震える声で言う。

 「・・・軽蔑しました。伊万里教授。確かに復讐心で戦うなんて馬鹿げているかもしれません。でも・・・それでももう少し、ほんの少しでも思って良いじゃないですか・・・貴方が神野江さんを愛していたなら・・・その死を悼み、彼女の魂の安息と名誉の為に戦ってあげても良いじゃないですか・・・!!」

 「はあ。やれやれ」

 頬をポリポリと掻いて面倒くさそうに溜息を吐く京二。だが、その態度に奈津は不快そうに問う。

 「馬鹿に、なさっているんですか」

 「それ以外にどうみえる?」

 「てめぇっ・・・!!」

 随分と血圧が持つものだ・・・と場違いな感想を抱く京二。彼はもう一度、溜息をつくと、落胆した様子で言う。

 「全く、揃いも揃ってスカタンばっかりだなぁ。ナッちゃん、ハルの字の相棒をやっているキミなら理解してくれると期待していたんだがな」

 「え・・・?」

 京二が指し示す事柄を見て取ることが出来ず、困惑の声を上げる奈津。彼はやれやれと小さく呟くと短く真意を語る。

 「悪いが俺にとっての鬼神は瞬だけでね。それ以外は、例え俺がなれたとしても、俺自身が認めないよ」

 「だが・・・それだとお前が!!」

 拘束される、と言いたいのだろうが京二はそれを一笑に付して言う。

 「まったく・・・頭ピカピカなのにあんたは全然冴えてピカピカじゃないな。全く・・・仮面ライダー名乗っているくせにお前は仮面ライダーの何たるかが全然解ってない。全く・・・最近お前みたいなのが多くて困る。いいか? 面倒だから何度も説明しないぞ。仮面ライダーってのはな、不滅だ。瞬は死んだりしない。必ず生きているはずだ」

 「馬鹿は・・・馬鹿はお前だ!! 話を聞いてなかったのか・・・あいつは・・・あいつはオレの目の前で・・・オレの手を離して火口に落ちて行ったんだよ・・・オレも生きてるって信じたい! だけど現実を見ろ、伊万里!」

 元宗は拳を強く握り、その上に涙の粒をぽたぽたと落とす。

 「はぁ〜・・・だからお前はアホなのだッ!!」

 何処かの師匠の様に一喝する京二。元宗は思わず呆気に取られる。

 「な・・・っ?」

 「死んだって言っても状況証拠だけで死体は無し。あいつが自分からクレバスに落ちたってことは、アンタが直接瞬の最期を看取ったわけではないんだろう?」

 「あ・・・ああ」

 「じゃあ、あいつは生きているさ。俺はロマンティックなほうだが、一応、学者の端くれでね。自分で確かめたもの、自分が感じたもの意外は信じない。もう一度言うぞ? 仮面ライダーが不滅。これは俺が身を以って体験した事実だ。そして、瞬と俺は二人合わせて仮面ライダー鬼神だ。だから瞬は死んでなんかいないし、俺が俺以外の存在(モノ)になることなんて在りはしない。例え宇宙が何順巡ったとしても、だ」

 「な・・・じゃあ、なんで生きていたとしたら連絡一つ寄越さない?! SPDに反応一つ無い?!」

 「だからお前は以下略! そんな事だから瞬にも気づかれないのさ。いいか? 女の子と連絡がつかなくなるなんて、珍しいことじゃない。女の子は一人残らず気まぐれな子猫ちゃんなんだからな」

 「っ・・・」

 最後の抗弁も、恥ずかしげもなく言い放たれた気障な、そして冗談交じりの台詞に言いくるめられてしまう。

 「Do you understand me?」

 言葉を失う元宗に、自身満面に問い返す京二。

 やがて・・・

 「・・・あの子が羨ましいわ」

 ぽつりと呟く様に言う神崎。

 「ん・・・?」

 「貴方の様な強い優しさを持った人に思われて」

 「・・・面と向かって照れるようなことを言うな、あんたも。俺は単に我が道を行っているだけさ」

 別段、照れた風もなく言ってのける京二。神崎はそれを聞き、頷く。

 「ええ判ったわ。プロフェッサー」

 「有難いね、理解が早くって。流石は局長さんだ」

 「・・・でもね、あなたの言うそれは飽く迄、あなた自身の仮説」

 「仮説、じゃあない。真説だ、女神転生だ」

 ふうと短く息を放つ神崎。やがて彼女は肘をデスクにつき、組んだ手で口元を隠すようにすると言葉を続ける。

 「確かにあなたの言うとおり、髑髏の仮面で素顔を隠し、バイクに跨って疾風の様に駆けて行く、人類の自由と平和のために戦う者達、“仮面ライダー”という存在自体は不滅かもしれません。ですが、例え仮面ライダーでも、あなたたちは人間です。人間である以上、命の限界は必ず来ます。それがある以上、プロフェッサー、あなたの仮説は認めるわけにはいきません」

 「やっぱり駄目か」

 「ええ。あなたなら、私がこう、答えると判っていたでしょう?」

 聞かれて京二は自嘲的な笑みを浮かべると頷く。

 「まあね・・・乳、もといニュータイプだからな。じゃあ・・・パターン通り・・・」

 コートの裏ポケットに手を突っ込む京二。

 「俺はとんずらさせてもらう!!」

 ブシュウウウウウウウウウウウッ!!

 次の瞬間、京二のコートの内側から白色の煙が辺りに噴き出し、視界を覆い尽くしていく。

 「な・・・」

 「あばよ、とっつぁん」

 某怪盗三世を思わせる台詞。だがそれは・・・

 「・・・なんて言わせると思うの? あなたが私の言動を予想している様に、私もあなたの行動を予想しているッ!!」

 神崎が発した言葉だった。既に彼女は、京二の眼前に出現している。

 「・・・早いっ?!」

 対応するより早く繰り出される手刀が京二の長い顎先を捉える。カツンと低い音。取るに足らぬ様なその音色とともに、彼の視界は激しく歪み、痺れる様な感触が四肢に広がっていく。

 「かっ・・・」

 「少し、眠っていて頂戴ね。拒否された場合の処遇はまだ決定していないから」

 それが、京二が最後に聞いた言葉だった。倒れ掛かったところで更に延髄を打たれ、彼の意識は完全に飛ぶ。執務室の床上にハワイアンの元横綱を思わせる格好で倒れ付す。彼の度を越えたエキセントリック振りも、神崎の年の功には勝ち得なかったらしい。

 「・・・局長」

 倒れた京二を抱き起こしながら京子が呟く。相変わらず淡々とした口調だが、恐らく京二の身を案じているのだろう。神崎は目を閉じて言う。

 ・・・仕方ないわ。こうするより他は無いのだから」

 その言葉には含みがあった。だが、神崎は悟らせることはない。

 「局長!」

 丁度其処に職員の一人が執務室に飛び込んでくる。

 「何・・・?」

 「各地の陰陽寮支部が・・・魔帝国と思われる敵性勢力によって攻撃を受けています!!」

 そう言って現状がプリントアウトされた書類が手渡される。

 「・・・遂に、ね。撤収状況は?」

 「は・・・既に8割が撤収を完了しました」

 役華凛が齎した情報によるものだろう。通常施設に擬装されている陰陽寮の各施設がピンポイントで攻撃を受けている。それは役華凛が離反した以上、遅かれ早かれ起こりうる予想され得た事態だった。故に、予め各支部に速やかな撤収が出来るように事前に通達しておいたのだ。

 「・・・局長」

 だが、後手に回っている事に変わりはない。

 「彼女の心の闇に気づけなかったツケね・・・これは」






 不規則な靴音が、薄暗い通路に響く。少ない照明に照らされるのは長身の影。松葉杖を衝きながら歩くそれは元宗のものだ。
息の詰まる様な圧迫感がそこにはある。強力な呪術作用が幾重にも折り重なり、滓が水底に溜まるように歪みで空間を澱ませているのだ。

 ここは陰陽寮本部施設の最下層、地下五階にあたる場所。陰陽寮によって日本各地から回収された様々な呪術的器物の中でも、意思を持ち所有者の精神を乗っ取る刀や、死体に仮初の命を与え蘇らせる薬、使用すれば数千人単位で人を殺傷できる呪い札など・・・枚挙していけば暇無いが、世に出ればそれだけで脅威と成り得る様な物品が厳重に封印・保管されている。

 それらが放つ凄まじい妖力と、それを封印する結界の圧力が、この地の底の空間を重く歪めているのだ。しかし元宗が、怪我を推してまでこの場所に赴いたのは別段、それらの呪術器物に用があるからではない。ある意味、ここにある呪術器物より数段上の危険性を持つ彼の男に再び会い、話をするためだ。

 ナンバー4416.扉の上にそう、ナンバリングが施されている。上部に、十五cm四方の小さな覗き窓が備え付けて有る何ら変哲のない扉に見えるが、それは陰陽寮のオカルト技術の粋が込められた封印装置である。男は、その中に幽閉されている。その部屋は監獄なのだ。

 「伊万里」

 元宗は、監獄の中に捉えられている男の名前を呼ぶ。伊万里・・・そう、伊万里京二は、神崎によって倒された後、彼自身のエキセントリック振りを考慮して、より確実に自由を奪う為、この様な場所に勾留されていた。

 「伊万里京二!」

 「・・・」

 叫びにも似た大きな元宗の声が地下に反響する。帰って来るのは沈黙だが、聞こえているはずだ。彼は構わず喋り始める。

 「・・・彼女らが出撃した」

 「・・・」

 「だが、形勢は此方が圧倒的に不利だ」

 彼女ら・・・陰陽寮の戦闘陰陽師たちは各支部の救援のために一時間ほど前に出撃した。だが状況は余り芳しくない。あの戦いで彼女らが受けた傷は心身ともに深く、疲弊も癒えていない。当然、士気を高く保つことは難しく、苦戦は免れない。

 「だが・・・オレは今、戦う事が出来ない」

 元宗は自身の無力を悔やむ。彼は三日前、百鬼戦将との戦いで負った傷は深く、かろうじて戦う事が出切るほどにさえ回復していなかった。

 「・・・」

 「だから恥を忍んで頼む・・・伊万里! オレの代わりに・・・戦ってくれ! 頼む!!」

 京二には見えていないが、律儀に頭を下げる元宗。出会って以降、散々煮え湯を飲まされてきた京二に対しそうすることは、彼にとって屈辱極まりない行為だった。だが、彼は自らのプライドを使命感という自制心で捻じ伏せる。熱血暴走振りばかりが目に付く彼だが、この様な状況下で自分が何をすべきか位は理解しているのだ。

 「・・・」

 だが、尚も返事は返ってこない。元宗は流石に語気を荒くする。

 「聞いているのか?! 伊万里!!」

 「・・・ああ。元宗」

 流石にこれ以上喧しいのを嫌ったのか、京二の声が返ってくる。これまでに比べて幾分抑揚を抑えた声。必要最小限に抑えた返答だが、元宗は相手が彼の話を認識しているのを確認すると、再び依頼を行う。今度は、彼が依頼を受ける必然性を加えて。

 「頼む・・・戦ってくれ! 伊万里・・・お前にはその義務があるんだ! 責任も!」

 「・・・」

 再び、沈黙。だが元宗は構わず話を続ける。

 「伊万里・・・おめぇ、さっき言っただろ? 『あいつが死んだなら、それは確かに俺の所為だ』って」

 「・・・」

 答えは返ってこない。無言の抗議だろうか。彼は一抹すら瞬の死を信じてはいなかった。そして説明が嫌いな彼は、二度もそのことを論ずるつもりはないのかもしれない。だが、仮に瞬が死んでないとしても彼女が今ここにいないことは確かなのだ。
「お前に言わせりゃ瞬は死んでないのかも知れねぇ・・・だが、だとしても・・・少なくとも今、あいつがいないことはお前に責任がある・・・っ!」 

 「・・・」

 「だったら・・・あいつが抜けた穴は・・・っ! お前が埋める義務が・・・有るっ!!」

 「・・・」

 だが、やはり答えは返ってこない。了承どころか拒絶すらも。ここで危険物扱いされ続けることで嫌がらせをしているつもりだろうか。元宗のうちの激情が再び沸き起こる。

 「伊万里・・・! いじけてるんじゃねぇっ! てめぇはチャンスを与えられたんだ! 正義を・・・っ! 人の命を・・・っ! 守るチャンスを・・・! 男なら・・・それに賭けるべきだろう!!」

 男性ならば、誰しもが幼い時分、ヒーローに憧れを抱いたはずだ。刷り込み、といってもいい。元宗の言葉は女性とは異なり何時までの幼児性を残し続ける男性の本能に近い部分を刺激するものだった。

 「・・・ああ。元宗」

 それに呼応したのか、京二の声は元宗に肯定の意思を告げる。だが・・・

 「なら・・・!!」

 「・・・」

 期待の声を上げる元宗。だが、京二は再び沈黙する。

 「・・・伊万里?」

 「・・・」

 「鬼神になるのか? ならないのか? 伊万里!!」

 「・・・」

 「何故、黙ってる? 答えろ伊万里! もう・・・時間がないんだ!!」

 「・・・」

 「まさか・・・」

 元宗は同じだということに気づく。何がか? それは懸命な人間なら既に気づいていただろう。伊万里京二が発した二度の答えが一字一句同じ、そして全く同じテンポ・同じ抑揚で発されたことを。

 「逃げ出したと言うのかッ!! 伊万里ッ!!」

 「・・・ああ。元宗」

 また、同じ返答。即ち―――録音! 最初に彼を“ハゲ”ではなく“元宗”と呼んだときに異常に気づくべきだったのだ。元宗は、もし説得に成功したら・・・という理由で渡されていた鍵を鍵穴に刺し、扉を開く・・・

 「すまん。ありゃ嘘だった」

 だが、意に反して京二は其処にいた。

 「なっ・・・?!」

 「眼鏡フラァァァッシュッ!!!」

 次の瞬間、強烈な光が迸り元宗の目を突き刺す。一瞬で白濁する視界。

 「ぐぁあああっ?! 目が!! 目がァァァッ!!」

 「ハハハ、君の間抜け面にはほとほと呆れさせられる」

 突然視界を奪われた事で無様にのたうつ元宗。姿は見えないが恐らく京二は冷笑を浮かべた目で見下ろしているのだろう。
「わざわざ開けてくれて助かったよ。ボム使うのは流石に気が引けてね」

 「く・・・てめぇ・・・見捨てるつもりか?!」

 去ろうとする京二の恐らく背中に元宗は問いを投げかける。

 「情けない台詞を吐くなよ、仮面ライダー。折角の名前が泣くぜ?」

 しかし、返ってくるのはやはり人を茶化すような答え。

 「言ってるだろう?! 俺のことじゃねぇ!! お前は、お前が鬼神になることで救えるかもしれない命を見捨てるつもりなのか?!」

 「おいおい、怒鳴るなよ。命とか平和を守るなんて、そんなことは男として当然の“嗜み”だぜ」

 「だったら・・・何故、鬼神にならない?」

 護る事を当然と論ずるなら、力を得て然るべきなのだ。それ故の問いだったが・・・

 「俺は俺の遣り方でやらせて貰う・・・ということさ。そうじゃないと瞬のいじけて帰って来ないからな」

 「わ・・・わからん・・・お前の言うことは・・・わからん!」

 激昂する元宗。京二の言葉・・・冗談を多分に交えられた彼の言葉は生真面目な元宗には半分以上理解がし難かった。京二はそれを馬鹿にする様に、ふん・・・と鼻を鳴らすと言い放つ。

 「ま、そうだろうな。まじめに説明する積もりないし、な。あんたにはわっかんねぇだろうな〜♪と。じゃ、バイチャ、って感じだ」

 「待ちやがれぇぇぇっ!!!」

 「そんなに心配するな。人類の中で最も厄介な一人が奴らの敵に回ったんだからな」

 その言葉を最後に、伊万里京二の気配は急速に遠ざかる。反響する足音とともに。

 「伊万里ィィィィィッ!!」

 彼の絶叫は地下に木霊した。






 やがて視力も回復し、彼は伊万里京二の残した僅かな気配の後を追って走る元宗だが、意外と言うかやはりと言うか、追い付く事が出来ない。第六感的な知覚能力を持つ改造人間が何故・・・と思うだろうが、悪条件が重なりにより、それは致し方ないものと言えた。元来、彼・・・アスラの霊的分解能力は鬼神ほど高くなく、また先日の負傷の治癒に大幅に霊力を割いているため知覚能力が大きく低下しているのだ。

 更に、迷路状に成ったこの封印施設そのものにも構造上の問題があるといえた。呪術的器物の発する妖力と結界や符界の霊力が複雑に混じり合い、それらがジャミングやチャフの様な働きを以って、それでなくても低下している元宗の知覚能力を阻害しているのだ。
最も、自らのミスで脱走させた以上、そういった理由はこのまま逃してしまうエクスキューズにはならない。

 (逃さん・・・!)

 だが、未だそれほど遠くまで行っている筈はない。・・・というよりこの階層から移動はしていない、という予想が元宗にはあった。この迷路状構造。例え最短ルートを選択出来たとしても、最後の関門・エレベーターには当然セキュリティロックが施してある。例え超考古学者が罠や鍵の解除に長けた人種であろうと、最新鋭技術の複合体であるあのロックを一朝一夕に突破できるはずがないのだ。
そう考えながら角に差し掛かったときである。その角の先から影が元宗の視界内に入ってくる。避けなければ、と咄嗟に身をかわそうとするが、怪我の所為で美味くバランスがとれず、彼は転倒してしまう。

 ドンッ

 「きゃ!」

 女性の悲鳴が聞こえる。相手も驚いたのだろう。やがて、その女性は心配そうに覗き込むようにしながら聞いてくる。

 「大丈夫ですか?」

 「あいててて・・・ああ、大丈夫だ」

 壁に手を突いて立ち上がりながら元宗は答え、女性の姿を見る。やや猫背気味の姿勢の所為か前髪が顔にかかっており全体を把握することは出来ないが、それなり整っているといって良いだろう。髪の間から覗く目は切れ長。鼻筋は通り、少し顎が長い。

 一見OL風に見える浅葱色の制服姿は陰陽寮の一般女性職員のものだ。戦闘陰陽師は各々の呪術スタイルやコンセントレーションのため、それに適した服を選べる様、制服の着用は義務付けられていないが(一応存在するが、デザインが格好悪い為、誰も着用しない)、通常の業務や器物管理を行う職員は基本的にこの淡い緑色の制服を着用する。

 「どうしたんです・・・? 急いでらしたみたいですが?」

 「・・・なあ、ここに背の高い眼鏡の男が来なかったか? 嫌らしい目つきをしたインテリヤクザみたいな奴だ」

 元宗の酷い物言いに一瞬、頬の辺りをヒク付かせる女性職員だが、ややあって心当たりが在るらしく頭を捻るようにして問い返す。

 「・・・もしかして伊万里教授のことですか?」

 「ああ、そいつだ。見なかったか?」

 「彼なら第1区画のほうへ行かれましたけど・・・どうかしたんですか?」

 「監禁してたんだが逃げられた」

 そう告げると同時に女性職員の細い目の端が僅かに下がる。監禁・脱走の言葉に不安を感じたのだろう。

 「大丈夫だ、安心しろ。奴は変態だが狂暴じゃない。だが油断は禁物だ。何をしでかすかはっきり言って予測がつかない。特に奴の話は間違っても聞いちゃいけない。セクハラされるからな」

 「は・・・はぁ」

 元宗の熱のこもった説明に呆気に採られる女性職員。彼の言葉は、こちらに来てから数日間の実体験と戦闘陰陽師達からの情報収集により結論付けられた事実だった。

 「いいか? 出会ったら先ず落ち着いて顔面にパンチを繰り出すんだ」

 「こう・・・ですか?」

 女性職員の拳が振りぬかれる。

 ゴキャ

 「オレじゃ・・・ない・・・」

 痛々しい打突音。鼻の下から全身に広がる衝撃が彼の足元を陽炎の様に揺らめかせる。

 「だいじょうぶですか」

 女性職員の言葉。微妙に棒読み気味なのが気になる。だが、鼻から血を噴き出す元宗はそんなことを指摘する余裕はない。

 「く・・・良いパンチだ・・・」

 しかし、此処は高野山最強の退魔士にして仮面ライダーアスラ。幾らコンディションイエローとはいえ、一般女性職員のパンチで沈むわけには行かない。鼻を押えながら彼は何とか堪える。

 「く・・・こんな所で油を売ってる暇はねぇ・・・早く奴を見つけ出さないと!!」

 「じゃあ、直ぐに全館に通達しないと」

 「ああ。お願いして良いか?」

 「わかりました」

 元宗の依頼を快く了承する女性職員。元宗は胸の前でパンッと音を立てて掌を合わせると礼を告げる。

 「有難う、じゃあ頼む。オレは奴の後を追うから」

 「お怪我に注意してくださいね」

 微笑みと共に告げられる気遣いの言葉。久し振りに聞く暖かい言葉に元宗は目元が熱くなるのを感じる。

 「だいじょうぶですか? 未だ痛みますか?」

 「ああ、いや大丈夫だ。すまんな心配かけて。え、と・・・あんた、名前は?」

 直ぐ涙を拭うと元宗は、久方ぶりの人間らしい会話の相手に名前を問う。女性職員は彼の問いに一瞬の戸惑いを見せたが、やがて・・・

 「真理・・・二京真理です」

 「そか・・・いい名前だな」

 「有難う御座います」

 ぺこりと頭を下げる女性職員、真理。珍しい苗字だと思いながらも元宗は好評価する。陰陽寮という組織の性質から考えれば、曰くつきの先祖を持ち変わった苗字を受け継ぐ例も珍しくないかもしれない。元宗はそう納得したからだ。

 「じゃ、頼むぜ」

 元宗は重ねてそう依頼すると、小走りにその場を後にする。やがて、其処に残されるのは二京真理と名乗る女性職員だけ。

 「・・・馬ァ鹿」

 彼女・・・いや、彼は“嫌らしい目つき”で笑うと、そう、呟いた。






 十数分後、陰陽寮本部施設裏手の道路上・・・

 辺りを覆う雪の一部が円状に持ち上がる。其処に設置されたマンホールの一つが下側から押し出され開く。

 「脱出成功♪」

 道路上に開いた孔。其処から這い出して来るのは、無論伊万里京二。彼は背後の陰陽寮本部施設に振り返ると小さく敬礼をする。

 結論から言って彼の脱出は、比較的容易なものとなった。結局あの後、元宗の依頼とは裏腹に全艦への通達は成されず、また、それ以前に本来ならば彼が脱走を開始した時点で作動して然るべき筈の警報装置も作動しなかった為だ。更に、京二が自らに施した擬装工作は、魔帝国襲撃の対応に追われる本部内でネクロドラグーンのイデアルデコイ並みに功を奏し、人の多いルートを通っても誰にも彼に気づくことは無かった。

 最も、この容易な成功は京二だけの力に由るものではない。無論、彼の強運も然る事ながら、協力者の存在が大きな意味を成した。
諦めない不屈の男の下へ幸運の女神たちがやって来たのは、元宗が訪ねる二時間前、或いは戦闘陰陽師が出撃する三十分ほど前に在った。

 ・・・




 『・・・伊万里教授』

 「ん・・・? その声はナッちゃん」

 聞き覚えのある声が、直ぐ近くで響く。それと同時に京二のズボンのポケットから飛び出して来る人型に切り抜かれた紙が二枚。

 『お邪魔します』

 「へぇ、マリアちゃんもいるのか」

 『私もいるよ、教授』

 「おう、ケイちゃん」

 響くのは奈津・マリア・京子の声。更にもう一枚、飛び出し意思を持つ様に京二の周りを旋回する。

 式神・・・人型に切った札等に神将や使役する低級霊、或いは直接自らの念を込めることで自在に操る事を可能にしたものだ。主に偵察や攻撃支援、中距離通信に用いられる。どうやらそれらは通信を目的として京二がここに封印される前に彼女らが忍ばせておいたらしい。

 京二はフッと息を吐くと疲れた様に言う。

 「助かったよ。退屈で仕方なかったんだ。本の一冊二冊でもあればそれなりに紛らわす事も出来たんだが・・・」

 「・・・」

 「どうしたんだい、美人所が揃いも揃って。任務は良いのかい」

 労力を払ってまでやって来てくれた彼女らが話しに合いの手を打たない事にいぶかしむ京二だが、飽く迄そのノリは軽い。それに不信感を再燃させているのか三人の声は暫時躊躇う様に沈黙していた。しかし、やがて感情を堪え切れないらしく涙声にマリアが問う。

 「・・・伊万里さん。先輩が・・・先輩が生きてるって・・・本当?!」

 「ん〜」

 半ば、予想に違わない問い。先ほど京二が発した神野江瞬生存説の真偽を問いただすもの。だが、彼の反応は珍しく曖昧なものだ。

 「ねぇ・・・先輩、生きてるんだよね? 死んでないんだよね? 伊万里さんには・・・分かるんだよね?」

 「・・・そのことかぁ」

 京二は頬をポリポリと掻く。別段、痒い訳ではない。即座に答え難い時の癖だ。まさか、彼が日ごろ自らほざいている“恋人特権”やら“以心伝心”やら、そう言ったノロケ台詞の数々を本気で取沙汰されるとは思わなかったのだ。

 「答えてよ、伊万里さん!!」

 「・・・」

 「局長や本韻さんはあんなこと言ってたけど・・・もし先輩が生きてるって言うなら・・・私は信じたい・・・!」

 切実にマリアの言葉が響く。彼女の人生の中で、瞬という人間は余程大きなウェイトを締めてきたのだろう。常日頃彼女に見られる、この年頃特有の明るいノリのよさは完全に言葉から消え去っている。

 「私は伊万里さんのことは嫌い・・・」

 答えない京二に、マリアはやがてポツリと言う。

 「先輩をとっちゃったから・・・」

 「・・・」

 獲った、とか奪ったとか、京二にはそう言う積もりは無かった。

 瞬と京二は誰かに強制された訳でなく、互いの意思によって好き合い、男女の突き合い・・・もとい付き合いをするようになったのだ。
それでも、見るもの、殊に強く慕うものの目から見れば、それは略奪されたに等しい行為に映るのかも知れない。意識に差異こそ有れ、他人(ヒト)をモノ=所有物として認識するその見方を京二は好きではなかったが、さりとてそれを非難するつもりもなかった。彼女らの大切な人間の姿を消させた原因は自分自身にあるのだから。

 「でも・・・もし」

 「ん・・・」

 「伊万里さんが・・・先輩が生きてるって言うなら私、それを信じたい! だって・・・リンちゃんがあんなことになって、先輩まで・・・居ないんじゃ・・・辛すぎるもん・・・!!」

 ふと、京二は思い出す。陰陽寮に属する戦闘陰陽師の多くは(奈津や華凛などの例外も無論多く存在するが)幼くして家族を失い政府の保護養育施設に引き取られ、そこで育てられたのだと言うことを。詳しい生い立ちまで知る由も無いが、マリアもそう言った子供の一人だったらしい。

 家族を失った・・・それ故に、家族同然に過ごして来た二人が突如いなくなってしまったのは、二度も家族を失う事と同様の大きなショックと悲しみを齎したのだろう。それを察した京二は意を決すると、微笑んで告げる。

 「・・・ああ、瞬は生きてるよ」

 「!」

 「というか、勝手に殺すなよ・・・人の彼女を」

 そう軽口を呟いて苦笑を浮かべる京二。

 「それにあいつは君らにとっても大事なやつだろう? 信じてやらないでどうする」

 「本当に・・・信じていいんですか?」

 「大丈夫! 言ってるだろう? 不滅だって、な」

 向こう側には見えていないだろうが・・・京二は親指を立てて笑う。以前海外で知り合った風来坊の得意技だ。

 「うん・・・判った、信じてみる・・・!」

 サムズアップの魔力か、或いは悲しみを乗り越えたためか、マリアの言葉に力が宿る。未だ、完全に、とは言い難いが、これで当面は大丈夫だろう。

 「伊万里教授」

 入れ替わるように、今度は涼やかに奈津の声が響く。

 「なんだい、なっちゃん」

 「私達の目的は、そのことを聞くためだけではありません。貴方に、お願い・・・いえ、依頼をするためです」

 「依頼?」

 少々、頓狂な声を上げる京二。

 「もし・・・先ほど貴方が仰られたように神野江執行員が未だ生きているなら、助けに行かなければならないと思います」

 (流石はあいつらと付き合ってるだけある。鋭い)

 感心する京二。元々、聡明な少女である。だがそれは更に磨かれている様だ。今は何の因果か吸血鬼に成ってしまったと言うかつて教えた事もあるあの優秀な生徒や、その義理の姉にあたる楽しくも美しい女医、そして彼が世界で唯一強敵(ライバル、または“とも”或いは“しゅくてき”と読んで下さい)等、そんな濃いオモシロ連中と付き合っているのは伊達ではないらしい。ただ、背丈の成長は絶望的だが。

 「ですが、今の陰陽寮の現状を考えれば、とても彼女を捜索する人員を割けるとは思えません・・・だから・・・」

 「俺にあいつを探しに行け・・・ってことか」

 「はい。あの人も、きっと誰よりも貴方の助けを待ってると思いますから」

 きっぱり断言する奈津。その言葉には強い意志が篭っている。

 「・・・」

 「貴方なら出来るはずでしょう、伊万里教授」

 そう最後を締め括る様に問うのは京子の声。その、物言いに京二は思わず苦笑する。

 「奇遇だな・・・」

 ややあって、呟く様に言う京二。その様な問われ方をして断る男はいない。

 もっとも・・・

 「俺もそろそろ白馬の王子様をやらなきゃな・・・と思ってたところだ」

 彼自身、この状況に甘んじているつもり等無かった。ただ、帰りをボケッと待つ甲斐性無しではないのだ。迎えに行ってやらねばなるまい。

 「伊万里教授・・・」

 「礼はいらないよ。自分のためだからな。で、どうすれば良い?」

 そう促され、三人の娘達は彼女らが脱出のために確保した数種のアイテムと脱出経路の説明を始めた。




 ・・・

 と、言うわけである。意外にもあの三人が、彼の脱出の為に尽力してくれたのだ。単に心変わりした京二が鬼神になることを了承するのが嫌なだけだったという可能性も無くは無いが。むしろ後で、発覚したとき叱られやしないか・・・そう言う危惧をする京二。この状況下では罰している暇など有りはしないだろうが、流石に無茶なことをさせたのではないかと少々、心配になる。

 だが・・・

 「プロフェッサー」

 心配などしている場合では無いらしい。

 「・・・流石は局長さん。ばれたか」

 「伊達で年食ってるわけじゃないのよ?」

 もう一度振り返る京二。ウェーブのかかった銀髪が灰色の雪景色の中で鮮やかにゆれる。眼鏡の奥に厳しい眼光を宿し、其処に神崎紅葉が立っていた。

 何時の間に、と思うほど間抜けなことは無い。彼女らは一般人の知覚では捉えられない、そんな世界に住んでいるのだから。

 「そうか。迂闊だったな」

 「それにしては良く、逃げられたものね」

 「実は助っ人がいてね」

 「そう・・・あの子達が」

 流石に陰陽寮の局長を務めているだけ有り、察するのが早い。

 「ま、想像にお任せするよ」

 だが、わざわざ肯定してやる必要も無いので曖昧に京二は答える。

 「戻りなさい。早死にしたくないなら」

 剣呑なことを告げる神崎。それは、裏返して言えば余裕の無さを顕していた。だが、相手側の都合に合わせるほど、京二はお人よしのつもりは無かった。

 「NONだ。根暗な引きこもりなんて生きてるとはいえないからな。悪いが俺は俺の道を行く」

 「残念ね。あなたなら、優れた鬼神になると思っていたのに」

 神崎は残念そうに告げると、何処からか札を一枚取り出して構える。鬼神は引退しても陰陽師まで止めた訳ではないらしい。

 「ふふん・・・本心でも無いくせに良く言うよ」

 京二は神崎の言葉を一笑に付して言うと、対抗する様に懐から拳銃を取り出し銃口を向ける。

 「・・・どういう意味かしら?」

 「面倒だな。わざわざ説明しなくても判るだろう? リアリティが足りないのさ」

 言葉どおり煩わしそうに言う京二。神崎はクスリと笑うと彼の指摘に頷いて言う。

 「そうね・・・いきなり鬼神になれ・・・は、ちょっとせっかちすぎたかしら?」

 「まあな。インスタントラーメンじゃないんだ。食材が揃っているからと言って、お湯ぶっ掛けてハイ完成・・・なんてお手軽なわけが無い」

 京二は頷いてそう大衆的なものの例え方をする。いくらSFやファンタジー張りの技術や力が跳梁跋扈するこの世界でも、流石に童話に見られる様な急激且つ安定した変化を生物に起こすことは“未だ”出来ない。京二自身、一晩に人間→妖人→人間と変化を遂げた経験を持つが、それは予め変化に備えた“下拵え”というものが不十分で安定していなかった為、成し得たことだ。最も、当然人間に戻る際も準備が不足していた為、今の様な状況になっているのだろうが。

 神崎は暫時黙っていたが、やがて諦めた様に苦笑を浮かべる。

 「参ったわ・・・流石に察しが良いわねプロフェッサー」

 「生憎と俺は自信家だが自惚れ屋じゃあない。自分の分というものは弁えているつもりだ」

 皮肉っぽく答える京二。そう、言いつつも無茶をすることはしばしばであるが。

 「そう・・・なら、逃げられない事も判るでしょう?」

 軽口に釘を刺す様に告げる神崎。その手に構える札が薄っすらと銀色の光を放ち始めている。銃口をそれに向けようとする京二。だが次の瞬間、動かした銃身が寸断され、雪上に落下する。

 「下手に動けば、皮膚が削げ、肉が直接冷気に晒されることになるわ」

 低く迫力のある声で告げる神崎。だが京二は飽く迄余裕の相好を崩さない。

 「痛いのは余り好きじゃないでしょう? だから大人しくしていてね」

 彼女を中心に灰色に積もる雪の表面が漣立つ様に美しい模様を画き、ちらちら舞う雪の結晶が虚空で切れて落ちる。

 「銀蜘蛛・・・あんたも使えたのか」

 「ええ・・・封印したのは飽く迄鬼神への変身能力。力そのものは未だ残っているのよ」

 目を細くして、空を舞う光の筋を睨む京二。周囲は既に符術の弦の結界。霊力を縒りあわせ紡いだ糸が数十数百と彼の周囲を取り囲んでいる。神崎が操るは触れれば肉を裂き、括れば鉄を断つ美しくも危険な糸の檻。

 「成る程ね」

 だが対するこちらの武器はオートマチックタイプの拳銃にゴムスタン弾が十二発。マリア達が複雑な配慮から用意してくれた物だが、この弾丸ではどれほど精密に、或いは奇抜に撃ったとしても神崎に届く前に刻まれて終わりだろう。

 「無駄だと理解できたかしら?」

 「ああ・・・相手が悪いって事ぐらいは判るよ」

 安全装置を閉め直すと三分の一の質量を失った銃を放り棄て、京二は頷く。もともと彼女は冗談を好むタイプではない。もし意に反すれば、言葉通りの凄惨な結果を彼の身体に招くだろう。神崎の目にはそれだけの凄みがあった。だが京二は無条件降伏を受け入れず、要望を差し出す。

 「だが、ちょっと聞かせてくれ」

 「何・・・?」

 「こんな回りくどい遣り方を採る理由は何だ? 俺を消したいなら普通に元宗みたいな遣り方をすれば良かっただろう?」

 殺す心算ならばわざわざ恫喝などをせず、弦の結界を狭め切り刻んでしまえばいい。更に言えば、天津剣や黄泉誘などもっと強力な術ならばより容易く手っ取り早いのだ。合理主義的な雰囲気の強い神崎がそれを行わないのは明らかに不自然である様に思えた。

 「後学のために知っておきたい」

 「いいでしょう。正し、後学のためではなく、疑問を残さず安らかに逝けるように」

 「心遣い痛み入る」

 投げ遣りな皮肉さで感謝する京二。冥途の土産云々と言わないのは流石だが、その答えに案外律儀なのだと妙な感心をする。或いは妖怪変化のみならず死霊悪霊を祓う者としての義務だろうか。裏がある可能性も当然低くは無いが。

 「貴方も科学者なら聞いたことがあるでしょう? 進化は環境が悪化した時に起こりやすいって」

 「環境に異変が起こると通常とは異なる淘汰作用が働くからな」

 先ず発されたのは問いかけ。京二はそれに頷いて答える。多くの場合、進化というものは環境の変化に際し遺伝子が能動的に突然変異を起こすことで発生する・・・と勘違いされている節が多々あるが、実際には突然変異そのものは大なり小なり常に起こっており、環境に対しより妥当に変異を起こしたものだけが選択され、その繰り返しが結果的に形態や能力の変異といった進化を齎す能動的な事象なのだ。

 「それと同じよ。貴方を外部からの作用で殺め様とすれば、既に高まっていた貴方の内なる因子の活性化が、生命の危機に対抗する力を得る為に更に加速する・・・そうすれば竜王が復活する可能性が非常に高い」

 「あんたがさっき話したことの延長線上だな」

 両手を頭の後ろにやり、まるで人事のように言う京二。

 「破裂寸前の風船ってトコか」

 「ええ・・・なら、あなたという危険な要素を消滅させるには外からの刺激を与えて爆発させるよりも、内側から自分の力で萎んで消えてくれれば都合が良い。貴方は鬼神の力と竜王の力が対になっていることは知っているわね?」

 「たしか“奴”がそんなこと言っていたな」

 京二はまた四月の戦いを思い出す。確かに京二はもう一人の自分が瞬にその様なことを言ったのを覚えている。故にもう一人の伊万里京二=竜王も瞬=鬼神を欲したのだ。

 「成る程ね、対消滅、いや中和還元か」

 「そう。闇から禍を生み出す竜王の力と、禍を滅ぼし闇に返す鬼神の力・・・この二つが同じ器の中に同時に存在すれば相克しあう力はお互いに中和を起こし・・・その際に生み出されるエネルギーは貴方を内部から崩壊・消滅させる」

 「要は自己矛盾の果てに内ゲバで崩壊させようって算段のわけか」

 「少し抽象的だけど、極論すればそうなるわね」

 肯定する神崎。京二は僅かに考えた後、問う様に言う。

 「ふむ。揚げ足を取る様で心苦しいんだが、この間と言ってることが違うんじゃないか? 陰陽寮は殲滅機関ではないんだろう?」

 「ええ、そうよ。だけど一概に防衛と言っても状況によって取るべき手段が変わってくるということぐらい判るでしょう? 私達は今、これ以上の脅威を増やすわけにはいかないの」

 「成る程ね」

 納得する京二。確かに元宗曰く怪しきは罰してきた組織らしい。危険の度合いによっては非常手段を取ることも止む無しというところか。だが・・・

 「しかし、あんたも元宗も俺を少々甘く見すぎだ。俺はあんな奴に何度も乗っ取られる様な真似はしない」

 「そうね元宗は確かにそう思っているかもしれないわね。でも、少なくとも私は貴方を高く買っているつもりよ」

 「あぁ」

 一見して矛盾している言葉だが、京二は理解し納得の感嘆句を出す。勿論、馬鹿に見られない為に相槌を打っている訳ではない。

 「だからこそ、か」

 「ええ・・・だからこそ、よ」

 神崎は頷くと言葉を続ける。

 「貴方の意志力なら竜王に打ち勝つかもしれないわね。でもそれは逆に、貴方が自らの意思で竜王の力を解放し操る可能性も有る・・・という可能性も充分有るということ。どちらにせよ危険と判断されているのよ。貴方は」

 「ほぉう」

 「プロフェッサー伊万里、貴方は貴方が自分で考えているよりずっと政府からは危険視されているわ。社会を一変させ得る可能性を秘めた超考古学に精通した天才であり、213の特許を有する資産家・・・そしてその身体には人間を遥かに超える力の素養。・・・つまりね、貴方がかつてのヘルバート教授や影山博士、ビアス教授のように“貴方自身の意思で社会を脅かす組織を結成する”可能性を危惧しているの」

 ロボット工学や人間工学、大脳心理学などで著名というより悪名高い科学者を並べる神崎。

 今でこそ個人でやる様な人間はいないが、ほんの十数年前までは彼等の様に自身の天才ぶりにモノを言わせて世界を征服しようと企む科学者が多数いたらしい。どうやら陰陽寮の上層部・・・つまり日本政府は京二のことを彼らと同類、或いはその種・・・と目しているらしい。思わず京二は苦笑する。確かに誤解されやすいキャラクターであることは自認しているが・・・

 「今度は逆に買い被りだな。俺は彼等ほどのクリエイティブさは無い。ただ穴堀出来ればそれで満足なのさ。金も無いよりは有った方が何かと便利だからな。大体、世界征服なんて今時そんなダサい真似なんかやってられるか。俺は格好付けなんだよ」

 そう余りやる気が無い口調で淡々と潔白を弁明する京二。

 「世の秘密結社の方々が聞いたら怒り出しそうな台詞ね。でも・・・貴方がどう考えているかなんてもう関係ないの。これは決定事項だから」

 その予想通りの答えに溜息を吐く。もともと大きな期待はしていなかったが、やはり石の頭を解す事は容易ではないらしい。ならば・・・

 「もうどうのこうのと不満を言うのも飽きたな。じゃあ、最後に一つ聞かせてくれ。瞬を俺と暮らさせたのも政府とやらの差し金だったのかい?」

 「・・・どうしてそう思うの?」

 「幾らなんでも半同棲というのは遣り過ぎだと思うんでね。まあ個人的には嬉しさ百倍だったが」

 世界征服を目論む悪の科学者並みに怪しい笑顔を浮かべて京二は言う。監視目的なら別段、あれほどまでにべったりさせる必要は無いはずだ。

 「差し詰まるところ、扱い辛い“炎”と信管の抜けた“爆弾”を近くに置いて隔離してまとめて処分ってところじゃないのか」

 「良く・・・わかったわね」

 肯定され満足げに笑う京二。俺の心は爆発寸前である。

 「ま、これでも研究者でね」

 「そう・・・若しもの時は貴方たち二人が相打つようにとの目論みが在ったのは確かよ。政府には鬼神の力、それを擁する陰陽寮の力さえ畏れ、排したいと思っている派閥も在ってね・・・春のあの戦いで彼女が独断専行した後、彼らが最大限譲歩して提示した処分がそれだったのよ」

 「成る程ね」

 頷く京二。特務組織、超法規的組織、と言っても結局は政府の機関でしかないらしい。あの三人がわざわざ依頼しに来た理由の一端が見えたような気がした。やがて京二は神崎を見透かすように、いや、彼女の後ろへ視線を向けて言う。

 「一石二鳥、豆腐は三丁ってわけか。で・・・これいついてどう思われる? 神野江瞬ファンクラブ名誉会長殿?」

 「!?」

 動揺の色が始めて神崎の顔に走る。ざくと雪の音が立ち、彼女の背後に同様に驚愕した気配が生ずる。

 「・・・フフフ、時間ピッタリ、コンバインOK?」

 「正に、“嵌めた”わね」

 ゆっくり振り返る神崎。彼女の背後には凄まじい形相の元宗が立っていた。




 「・・・まさか、ばぁさん・・・あんたはっ!!」

 驚愕と怒りが元宗の顔にあった。非難の声を発する元宗。だが神崎は動揺を冷徹さで覆い隠し淡々とした口調で答える。

 「仕方なかったのよ・・・元宗」

 「仕方ない・・・仕方ないだと?!」 

 だが、それは元宗の怒りに油を注ぐ結果にしかならない。

 「昔、瞬は言ってたぞ! あんたを母親の様に思っているって!! あんたは・・・その瞬を・・・命令だからって・・・!!」

 「黙りなさい、元宗。貴方だって、理解し、自ら行おうとしいていたでしょう? 正義のための犠牲を」 

 相変わらずの冷淡な調子で返す神崎だが、心なしか苛付いている様にも見える。

 「この国には未だ陰陽寮でなければ対抗できない脅威が数多く存在するわ。だから陰陽寮を存続させるには人身御供も止むを得ないのよ」

 「敵よりも・・・臆病なジジイどものほうが恐ろしいってのか・・・っ?! ばぁさん!!」

 「たった一人の為に・・・陰陽寮の職員全てを反逆者にするわけにはいかないのよ・・・!」

 そして遂に感情を顕わにして、語気を強くする神崎。その実年齢より遥かに若く見える容貌に深い苦悩の色が刻み込まれている。民主主義を謳いながら尚、中央集権的・全体主義的色彩が色濃いこの国の政治形態では彼女の判断は止むを得ないのかもしれない。

 「だからって・・・ばぁさん! あんたはっ!!」

 だが当然、この熱血漢には納得できる話ではなく、それでも尚、食って掛かろうとする。京二はその様子を他人事の様に楽しげに見ていたが、やがて何かに気づく。宙に舞う光の筋が増えているのだ。

 どうやら頃合いらしい。彼はサッと右手を上げる。

 「さて、いい塩梅に内輪もめしてきたところで、俺は帰らせてもらう」

 「伊万里・・・っ?!」

 その愚直振りに思わず失笑する京二。どうやら本来の役割を思い出したらしい。相変わらずの猪突猛進は彼の期待を何ら裏切らない。神崎も糸の円陣を絞り、先ずは京二を捉え様と試みるが・・・

 「恵美ちゃん!!」

 その呼び声と共に京二の身体は宙に舞う。彼を捕縛する筈の糸も何かに遮られ円を狭めることが出来ない。直ぐ近くに気の太い枝の上に着地する京二。その隣には蜘蛛に似た姿の怪人・・・妖人が立っている。

 「!!」

 「妖人・・・!? やはり貴様ッ!!」

 予想通りの不愉快な反応。恐らく元宗には京二が蜘蛛女を操っているように見えたのだろう。

 「差別発言は良くないな」

 「五月蝿いッ!! 逃がすか・・・ッ!」

 追って元宗が跳躍しようとする。神崎もまた新たな札を取り出しそれに力を込めている。

 「遅い! 槍雨(やりさめ)!!」

 だがそれよりも早く繰り出される蜘蛛女の術。彼女の周囲にあった雪が一瞬で溶けてなくなり、直後神崎と元宗の上に鋭い勢いを持った水の塊が降り注ぐ。

 「くっ・・・貴様ッ」

 舌を打つ元宗。辛うじて二人は直撃を避け果せたが、蜘蛛女の術は出鼻を挫く為だけのものではなかった。降り注いだ水流弾が凍て付いて霜の茨を彼らの周囲に形成していた。

 「すまない。遅くなった」

 ふっと息を吐いて蜘蛛女、いや女郎蜘蛛の妖人・久々津恵美は謝罪する。だが京二も掌をヒラヒラと振り逆に申し訳なさそうに答える。

 「いや、こちらこそ悪いな。仕事の最中に」

 「気にするな。恩は返す。当然の事だ」

 脱出の最中、既に京二は彼女へと連絡を入れておいたのだ。

 「貴方は・・・」

 「お初目にかかる。私は久々津恵美。恩義によって伊万里京二の助太刀に参上した」

 神崎の問う様な呟きに古風に名乗りを上げる恵美。そして彼女は告げる。

 「だが借りも返させて貰う。人形よ!!」

 ボフッ

 「!!」

 雪煙が辺りに舞い、四本、或いは六本と先端が刃になった腕を持つ人形達が現れ、神崎と元宗に襲い掛かる。

 「・・・アスラ、先日の痛み、返させてもらう!」

 「くぅっ!!」

 二人に襲い掛かる人形たち。それを見て京二が目配せすると恵美は頷いて彼の身体に糸を巡らせる。

 「待て!!」

 無論、制止の声は聞き入れられない。無数の糸が空中に撃ち出されると二人の身体はふわりと宙へ浮き上がる。恵美は今一度枝に足をつくと、踏み込み蹴りだす。

 飛翔する恵美の身体。京二も彼女にぶら下がる様に宙へと舞う。

 神崎は再び銀蜘蛛を発して彼らを捉えようとするが、糸は再び空中で遮られる。

 「例え、元鬼神でも糸繰りでスペシャリストに適うものか!!」

 そう言い放つ恵美。彼女もまた、糸を宙に展開し糸の結界を張っていたのだ。

 「く・・・」

 より攻撃力の高い術で恵美を直接狙おうと試みる神崎。だが直後、鋭い刃の群れが彼女の眼前に殺到しそちらへの対応を余儀なくする。更に押し寄せる人形の群れはそれ以上の追撃を許さない。

 「フハハハハ! また会おう諸君! フハハハハハハハ」

 そして二人の頭上には京二の高笑いが響き渡った。





 やがて傀儡は全て打ち砕かれ、残骸が雪の上に散る。

 「はぁ・・・はぁ・・・」

 吐く息が白く曇る。肩を激しく揺らし呼気をする元宗。大分、回復して来た様だが未だ変身が出来るほどではない。ややあって平静を取り戻すと、彼よりずっと早く疲労から回復していた老女に鋭い目を向ける。

 「元宗」

 辛さを五割含んだ複雑な表情で彼を見返す神崎。だが直ぐに元宗は顔を背ける。

 「理解して頂戴・・・ああするより他無かったのよ」

 「聞きたくないね」

 宥める様に言う神崎だが、元宗はそれを拒絶する。子供の様だと笑われても彼は構わなかった。例え頭で理解できても、彼女が瞬を殺す事を由とした事実は到底納得し、許せることではなかったからだ。

 「やはり・・・オレが傍にいて・・・守ってやるべきだったんだ・・・ッ!!」

 木に拳を繰り出す元宗。冷たい幹が砕け、拳がめり込む。

 どさどさ

 そして衝撃で落ちてくる雪。顔だけ残して雪に埋もれた彼はまるで雪達磨のようになる。正しく手も足も出ない彼の現状を現しているようだった。

 「畜生・・・ッ! えこ贔屓しやがって・・・ッ!!」

 彼はそう、見えざる運命、或いは宿命を呪った。






 タイヤに巻かれたチェーンが雪の覆うアスファルトを食む音が車内にも響く。除雪車が黒く濡れた道路を露にしても、灰色の雪は絶え間なく降り続け、道を空に似た色へ戻していく。

 「身体はもう良いのか?」

 ポツリと隣に座る女性に問う京二。運転席に座る恵美は頷いて言う。

 「お陰様で、な」

 「今更だが大丈夫なのか? 変身したりして」

 「ああ、問題ない。今更棄てる気にはなれなくてね・・・」

 寂しげな表情で言う恵美。彼女は先日、鬼神=瞬を葬り去る為に、彼女のかつての上司が仕組んだ謀略に巻き込まれ、それにより妖人の力の根源である妖怪の魂に取り込まれかけたのだ。だが、そんな経験を経ても尚、彼女は自らのパーソナリティを侵しかねない力と訣別する事は出来なかったらしい。

 「そうしたら、あの人が処置をしてくれたんだ。いきなり、『それなら私に任せたまえ』って言われたときは流石に驚いたよ」

 「そうか・・・ふっ・・・相変わらずだな、“おやっさん”は。IQ600は伊達じゃないってことか」

 お互いに苦笑をする二人。恵美が今、世話になっている喫茶店の店主には京二さえ及ばない様な凄まじい逸話が多数あるのだ。

 「ああ。伝説にもなるわけだよ・・・第一号があんな人なんだから」

 「なんならあんたも目指してみるか? 今、世界中に2百人位いるらしいんだが、それでも全然人手が足りないらしい。『組織を裏切った改造人間』というのは基本パターンらしいからな」

 冗談半分に薦める京二。しかし恵美はジト目で彼を睨んで言う。

 「・・・今時分、その話を蹴った奴が何を言っているんだ」

 「ああ、そういえば」

 思い出した様に言う京二。結局方便だったものの、最初神崎は京二に鬼神になる事を薦め、それを拒んだ事で捉えられたから恵美を呼び出したのだ。

 「まったく・・・」

 やがて恵美は飽きれたように溜息を吐いてから言う。

 「大体、私は柄じゃないよ・・・これまで自分の意思で所謂、悪行に手を染めてきたんだ。簡単に鞍替え出来るほど能天気には出来ていない」

 「そりゃそうか・・・」

 納得する京二。この言葉が、恵美が妖人として生きる事を選んだ理由だった。単に力への執着ではなく、力を持っていた時分に自らが行ってきた業へのけじめ故に妖人であろうとする・・・その意思が在ったからこそ、“おやっさん”は彼女に処置を施したのだろう。

 「それはそうと・・・」

 と、突然改まった様に言う京二。

 「助かったよ、エミリン」

 「“リン”は止めてくれ。女の子じゃないんだ」

 頭を下げる京二に、恵美は顔を少し紅潮させてそう言うと、ぷいと正面を向く。

 「ああ、まあ、兎に角サンクス」

 「構わない、気にするな。お前や神野江には命を助けてもらったんだ。その恩はこの程度では返しきれん」

 「大袈裟だな」

 恵美の言い様に僅かでは在るが逆に恐縮したように苦笑する京二。しかし、恵美は再び頭を振る。

 「いや・・・我々、陽食の民は元来、義理堅い民族なんだ。受けた屈辱は忘れない。だが受けた恩義も忘れない」

 「つまり粘着系・ストーカー気質ってことか?」

 「ふっ・・・まあ、そういうことだ」

 京二の打ち開けた表現に、怒るでもなく自嘲する様に笑う恵美。だが、やがて・・・

 「しかし・・・」

 「ん?」

 「・・・全く、もし来なかったらどうやって切り抜けるつもりだったんだ?」

 あきれた様に問う恵美。揉めていたとは言え、流石に京二一人では彼らから逃れる事は難しかった筈だ。

 「ま・・・どうにかなったさ。多分な」

 あっけらかんと言い放たれる何の根拠も無い自信に、半ば脱力しながら恵美が呟く。

 「全く・・・無茶な男だな、お前は」

 「フフン、無理・無茶・無謀は主人公の必須スキルさ」

 「無いものはスキルとは言わない」

 「む・・・中々、鋭いな」

 キラリと眼鏡を煌かせる京二。何かを恵美の中に見出したのだろうか。しかし恵美はそれを無視して問う。

 「・・・しかし、神野江が行方不明というのは本当なのか?」

 微かに不安さを感じさせる口調。最早、其処に刺客の面影は残っていない。女友達を心配する二十代の普通の女性の顔だ。
京二は深く頷いて恵美の問いに答える。

 「ああ。あいつらは死んだとか言ってるがな。そんなワケがない」

 嘲笑混じりに言う京二。くだけた態度とは裏腹に、その眼差しには一抹の不安も映っておらず強い自信に満ち溢れている。恵美は彼から何の根拠も証拠も提示されなかったが、彼によって説明を受けた陰陽寮の面々より数倍以上、彼に共感を覚えていた。

 「そうか・・・」

 笑う恵美。そして僅かな羨望の色を目に宿し彼女は言葉を続ける。

 「お前がそう言うのなら、きっとそうなんだろう。信じるよ。私も恩を返しきらない内にあいつに死なれたら困るからな」

 「フフ・・・面白い奴だな、あんた」

 にやりと笑う京二。何処と無く厭らしく見えるのは気の所為か。故に彼女は一転して冷たい表情を見せると釘を刺すように言う。

 「変な真似したら神野江に言いつけるからな」

 「・・・これでも誠実なんだぜ?」

 引き攣った笑顔で言う京二。だが、その指は触手のように蠢きながら彼女のスカートの周囲を旋回している。

 ゴキン

 「心と身体を一致させてからそういうことは言ってくれ」

 スカートの裾が跳ね上がり飛び出した蜘蛛の脚が京二の顔面を窓ガラスに押し付ける。ネタを振られた以上、お約束をかまさずにはいられないのが彼らボケ属性+セクハラ属性キャラクターのサガだろうか。

 「あいててて・・・」

 ややあって、頭を擦りながら通常モードに復帰する京二。ツッコミがそれほど激しくなかった為、回復が早いようだ。

 恵美は眼鏡拭きを取り出して眼鏡のレンズに息を吹きかけている京二に問う。

 「で、これからどうする? やはり“ギャラクシー”に行くのか?」

 「いや・・・あそこは陰陽寮にも割れてるからな」

 首を振り否定する京二。確かに良く考えればあの店は目立ち易い。店主からして人類防衛系の組織の中では特に顔が広いあの男なのだから。

 「瞬も知らない秘密の隠れ家にいく」

 「隠れ家?」

 「ああ、お気に入りの店さ。其処に人を待たせてあるんだ」

 故に京二は、別の店を提示した。何の変哲も無いからこそ、目立つことの無い店へ。最も、そこの店主も変わり者といえば変わり者だったが。

 恵美はその店の住所を示されると頷いて言った。

 「わかった」






 カランとベルがなり、店員に来客を告げる。京二と恵美は吹き荒ぶ寒風から逃れる様に中へ入ると、再びベルを鳴らしながらドアを閉じる。

 「いらっしゃい」

 それと同時に二人をカウンターに座る中年の女性が出迎える。客の一人、京二はその中年の女性を見ると少し意外そうな顔をする。

 「こんにちは、お・・・珍しく和枝さんが居る」

 「あら、キョウちゃんじゃない。久しぶりね」

 「フフ・・・御無沙汰。最近は大抵、入れ違いが多いからね」

 この中年の女性は、この喫茶店のオーナーであるらしい・・・のだが、おしゃべりで気まぐれ、そして京二ほどではないが、かなり変わった性格の持ち主である。なんでも海外を放浪旅行する趣味をもっており、突然ふらりと旅立ってしまうこともあるのだそうだ。この様な会話になるのは、研究や瞬に同行して各地を転々とする京二とはタイミング的に出会う機会が少ないゆえの必然か。

 「・・・ま、相変わらずみたいで安心したよ」

 カウンターの席に座りながらしみじみと言う京二。その言葉に和枝、そう呼ばれた店主の女性は彼を睨む。

 「なぁに? 相変わらず暇そうって言いたいの?」

 「いやいや、和江さん相変わらず美人だねって」

 気障っぽい微笑を受けて切り返す京二。恵美は彼の無節操ぶりにげんなりするが、それとは裏腹に嬉しそうに破顔する和江。

 「もう、いやだよ、キョウちゃんったら。おべっか使っても何も出さないよ?」

 「勿論、ちゃんと注文させて頂くよ。何時もの奴二つね」

 カラン♪

 と、注文したその時、再びドアが開いて冷たい風が吹き込みまた誰かが入ってくる。

 「あ・・・伊万里さん、いらっしゃいませ」

 その声に振り返る京二。入り口に立つのは少女・・・いや、もう大人の女性と言ったほうが妥当か。大きな目とショートカットが特徴的な、何処か少年的な快活さ・爽やかさを感じさせる。彼女もまた、京二の見知った顔だった。

 「お、彩乃ちゃん。相変わらず可愛いねぇ」

 最早パターン通りの挨拶。彩乃、そう呼ばれたその女の子は慣れた様子で苦笑すると釘を刺す様に言う。

 「もう、伊万里さんったら、彼女が怒りますよ?」

 「彼女・・・?」

 そう言われ訝しむように首を捻る京二。すると彩乃は困惑の表情で京二の横に座る恵美に眼を向けながら言う。

 「え? 違うんですか?」

 「わ・・・私はそんなんじゃないぞ・・・っ!」

 彩乃の唐突な発言に恵美は顔を赤くして狼狽し、激しく否定する恵美。京二は楽しそうに笑いながら言う。

 「ま、仕事仲間だな」

 「あら、そうなの」

 「ま・・・そういうことにしといてくれ」

 残念そうに呟く和枝に京二は曖昧に答える。大方、恋愛沙汰でいじり倒すつもりだったのだろう。やがて京二は辺りを見回しながら問う。

 「人を待たせてた筈なんだけど」

 「ここよ、伊万里君」

 涼しい口調で返事が返ってくる。声の方向は窓際の席。よく見れば其処に小柄な女性が座っている。

 「まったく、呼びつけておいていい御身分ね」

 「おぉ、其処に居られる美少女と見紛う美しき方はスミ姉。お待たせして申し訳ない」

 満面の笑みを浮かべる京二にその小柄な女性が顔を向ける。その顔は京二が美少女と評した様に、整っているが童顔といって良い。しかしその眼差しは少女のそれではなく気の強そうな凛として鋭い光が宿っている。そして髪は薄く赤みがかり、それを後頭部からポニーテールにしている。

 スミ姉・・・そう呼ばれた女性は、最初は僅かに不機嫌そうな顔をしていたがやがて口元に微笑を浮かべて言う。

 「相変わらずね。伊万里君。どうせ呼んでくれるなら焼肉屋の方が良かったわ」

 「フフ・・・スミ姉もな。どうだい? あっちでは」

 「まあまあね。むこうの奴も来月には稼動状態に入るわ」

 問いの回答に京二は感嘆の声を漏らす。

 「それは重畳。流石同期で一番の才媛と呼ばれていただけはあるな」

 「貴方が言うと厭味にしか聞こえないわ」

 「おいおい、他意はないよ」

 女性が肩を竦めて言うと、京二は苦笑混じりに宥めすかすように言う。

 恵美が道中聞いた話によれば、この童顔の女性は京二の旧知の友人で大学時代の同期(共に特進)らしい。余りにかいつままれた説明だったため全体を把握することは出来なかったが、何でもロボット工学や人体工学の世界では有名な天才と呼ばれる部類の人間らしい。

 「フフ・・・解ってるわ」

 そう言って見透かした様に笑う童顔の女性。

 「・・・お久しぶりです、伊万里さん」

 そう、若い男の声が響き、影が京二の傍に立つ。

 「おぉ、サクヤン」

 其処に立っていたのは、闇の組織に属していた恵美から見ても「陰気」と評することが出来る青年だった。長い髪・ジャケット・パンツと何れも真っ黒。体形は細身というよりやつれ気味。顔は中性的でかなり美形といえるが、目つきは垂れ目であるにも拘らず鋭く細く格好から来る縁起の悪さを更に強調しており、全身からは呪術的知見から言って確実に周囲にトラブルを巻き起こすタイプの不吉な、いや不幸なオーラを放射している。

 「諸々の話は聞いたよ・・・大変だったな」

 「いえ・・・伊万里さんこそ色々あったみたいで」

 丁寧な口調で返してくる青年。

 「彼女の事はお気の毒にな・・・」

 「いえ・・・」

 「桐生も逝ったらしいな・・・」

 遠い目をしてしんみりと呟く京二。だが、青年はその言葉に大きく驚き細い目を見開く。

 「え? 桐生さんが?!」

 「いや、こっちの春樹じゃなくて豪のほう!」 

 「あ」

 指摘され思い出した様に口をぽかんと開く青年。どうやら内輪だけでしか判らないネタらしい。詳細は気になるが、京二は説明してくれなさそうなので、取り敢えず恵美は諦めておく。

 「相変わらずの勘違い振りだな、サクヤンは」

 「それは・・・すいません」

 呆れた様に言われ、酷く申し訳なさそうに誤る青年。それを見て恵美は表には出さないものの、形容しがたい悪寒にも似た不安に駆られていた。彼は、京二曰くかつて研究所勤めの頃の同僚で京二は助っ人(何の、とは説明しなかった)の為、わざわざ呼んだと言っていた。だが恵美には、彼といることで何らかのトラブルに巻き込まれるような予感がしてならなかった。

 「ま・・・それは良いとして・・・早速で悪いんだが、頼んでいた例のもの出来てるかい?」

 恵美の不安を他所に、研究者三人は話を進めている。京二に促され、女性と青年はそれぞれ複数枚のディスクを京二に差し出す。

 「出来てるわよ・・・はい、これとこれね。注文どおり、レベル調節を出来るようにしておいたわ」

 「俺もです。最終的には実際に動かした後、微調整が必要になると思うんで、その際のメンテナンスデータも入れておきました」

 「サンクス、恩に着るぜ」

 京二はそれを受け取ると、中央の穴に指を突っ込んで何かの様にくるくると回しながら礼を告げる。

 「まったく・・・ほんとは機密なんだからね」

 「判ってるよ・・・悪用はしない。ま、愛する姫を助け出すためさ」

 童顔の女性が遠まわしに告げた警告を真剣な眼差しとふざけた表情で受け止めながら彼は言う。

 「フフ・・・じゃ、急いで最後の仕上げに入るかな。もう、あまり時間はないからな」






 「やれやれ・・・」

 サングラスをかけた男は周囲を見回してため息をつく。

 辺りには死骸が四散している。最も多いのは異形を象ったモンスターの死骸。触手や牙、或いは鋏・鎌等を生やした肉の塊が、青や緑、紫と無節操な色の体液が辺りを染める。この施設・・・陰陽寮の支局の一つであるここに邪眼導師が投入したモンスター軍団の成れの果てだ。どうやら撤収を支援した戦闘陰陽師達はかなり奮戦したらしい。ほぼ全滅といえる惨憺たる有様だ。

 「こんにちは・・・」

 そう言って足元に転がる生首を拾い上げる。苦悶の表情を浮かべるそれは人間のもの。凄惨な光景の中には点々と人間の亡骸も在った。

 「ボレー・・・」

 呟くと同時に生首を手放し宙へ放る。

 「シュート!!」

 邪眼導師は身体を大きく回転させると落下してきた首を正確に蹴り飛ばし、壁に叩きつけて飛沫いた血の跡にかえる。

 「ハハハハ」

 「・・・マックリール」

 乾いた笑いを発する邪眼導師の後ろから彼を呼ぶ声。気づいて振り返ると其処には妖麗楽士が立っている。

 「・・・ホーリィじゃないか。お店は良いの?」

 「ええ」

 頷く妖麗楽士。そして彼女は僅かに落胆したように言う。

 「暇だから様子を見に来たんだけど・・・あれは未だ出してないようね」

 「やっぱりテストはそれなりの相手とやらないといい結果が出ないからさ。やっぱり彼当たりが良いんじゃないかな」

 「彼?」

 「ダグザが目を付けてた奴だよ。アスラって言ったかな? 上手く行けばゲットできて一石二鳥だし」

 楽しそうに言う邪眼導師に、妖麗楽士は苦笑を浮かべてやんわりと警告をする。

 「相変わらず好きねぇ。でも遊びすぎちゃ駄目よ?」

 「心配無用。その辺りはキチンとわかってるよ。趣味と実益を兼ねてるのさ」

 そう言って立てた人差し指を振る邪眼導師。だが妖麗楽士はモンスターの体液で再塗装された周囲を見ながら皮肉っぽく言う。

 「でも随分、やられちゃってるみたいね。台所事情がそんなによくないから出来れば無駄遣いは控えて欲しいんだけど・・・」

 「ああ、それも大丈夫。もう、今使ってるの賞味期限ぎりぎりで処分しようって思ってた奴だから」

 そういう問題ではないのだが・・・と思う妖麗楽士だが言うのは止める。これ以上の問答は平行線に終わると理解したからだ。

 「楽しむのは構わないけど、出来れば早くやっちゃってね。これからの予定もあるんだから」

 故に彼女はそう言って彼を急かした。邪眼導師は少しつまらなそうな顔をしたが、直ぐに口元に笑みを浮かべる。

 「う〜い。じゃ、急かされた事だし、次はいよいよ本丸を落とすとするかな♪」







 翌日、陰陽寮本部・・・病室。

 結局、あの後無理が崇って動けなくなった元宗は再び此処で治療を受けていた。此処まで回復が遅れているのは百鬼戦将から受けた傷が、骨や肉を「折られる」や「斬られる」などの比較的単純なものではなく、「砕かれる」「叩き潰される」といった方法で血管や分泌系・経絡系など傷の治療に必要な周辺組織を徹底的に破壊された為だ。また、アスラのエネルギーの根源である霊力が一時的に枯渇したため、それによって行われる常人を遥かに上回る治癒能力が低下していることも要因としては大きい。彼の霊力が失われた原因は「破魔法」で霊力を限界以上に放出したことで其処を尽きたわけだが、それより寧ろ、彼のメンタルな部分の不安定さが霊力の回復の遅れを招いているのだ。

 治癒術を行使すれば良い、という意見もあるだろうが陰陽術というのは、“癒しの神=イエス・キリスト”を力の根源とするカトリック系の法術と異なり自然界における精霊の循環作用を利用したものであるため持続的に治癒力を高めることは出来ても、一瞬で傷を治すような強力な回復作用を発現し難く、また例えあったとしても、渡部奈津が使用する「天后」の様に、その行使には大きな霊力の代償を強いるのだ。

 「くそ・・・」

 窓の外、灰色の雪景色を見ながら元宗は呟くように言う。だが、その罵りが誰に対してのものかは彼自身も、もう判らない。

 神野江瞬が火口に消えてから数日、彼は怒りと憎しみと後悔を糧に生きてきた。地上侵攻を始めた魔帝国への怒り。彼女の心を昔とは異なる優しいものに変え、戦士としての適正を奪った伊万里京二への憎しみ。そして守ると約束しながらも彼らから瞬を守りきることが出来なかった自分自身の不甲斐の無さへの後悔。それらの感情は元宗を激しく苛んだが、辛うじて同一のベクトルの上にあった為、意気は低いものの安定することが出来ていた。

 「オレは・・・どうすれば良い・・・?!」

 だが、昨日彼が告げられた事実・・・陰陽寮さえ、信じていた同胞さえ瞬を殺そうとした、即ち仇になる可能性があったという事実は、彼の心を大きく揺さぶり、掻き乱した。傲慢な言い方をすれば、今まで自分たちが守ってきたこの日本の国。しかしその日本という国の総意が彼女を殺そうとしていたのだ。

 「オレは・・・一体なにをしてきたんだ・・・!」

 握った拳を振り上げる元宗。だが、彼は暫らく其れを頭上に掲げていたが、やがて力なく下ろし掌に戻す。

 コンコン・・・

 「なんだ・・・?」

 その時、誰かが扉をノックする。元宗が気の入っていない返事を返すと扉が開く。入ってくるのは金髪の少女。

 「マリア・・・」

 「怪我は、大丈夫? 元宗さん」

 そう、明るい笑顔を作り心配してくれるマリア。だが彼女の身体の至る所にも湿布や包帯による治療が施され、彼女自身決して万全でない事を語っている。予測されうる本部への襲撃は三十分後。その前に様子を見に来たのだろう。元宗は申し訳なくなり、思わず俯く。

 「すまん・・・っ。 こんな時に何も出来なくて」

 「へへ・・・大丈夫ですよ。これくらい」

 しかしマリアは屈託の無い表情で笑い、そう返してくれる。先日まで、元宗同様絶望に打ちひしがれた表情をしていたのに。

 「それよりも早く怪我治して復帰してくださいね。流石にあたしたち三人じゃ、仮面ライダー二人の穴を埋めるのはちょっち大変だから」

 「ああ・・・」

 「でも大丈夫! 先輩と元宗さんが復帰するまではあたしが何時もの二倍も三倍も頑張って、あいつらをグズグズに挽き潰して血と肉のミックスオレにしてやりますから!!」

 剣呑な台詞を吐きつつ折り曲げた右腕の二の腕に左の掌を当ててウインクするマリア。元宗の目には、既に彼女は何時もの調子に見える。故に元宗は彼女に問う。彼女のハイテンションの原動力となっていると予測される事柄を。

 「・・・マリア、お前は瞬が生きてるって・・・あいつの言葉を本当に信じてるのか」

 「・・・」

 笑顔が停止し、沈黙するマリア。だが、やがて彼女は答える。左右に首を振りながら。

 「・・・判らない。だけど、今は信じてなきゃ、きっと潰れちゃうから・・・信じたい。あんな軽薄な人の言葉でも」

 元宗は遅まきに察し後悔する。洞察力、或いは人間観察力が強い人間ならば、問う前に気づいただろう。彼女が半ば無理をして高いテンションを維持するよう努力をしていたのだ。

 「それに・・・先輩、あの人と付き合い始めてから、すっごく幸せそうだった。先輩、あの人をすごく信じてた・・・だから・・・先輩が信じたあの人だから、私も信じる・・・信じてみる」

 「だが・・・あいつは・・・・・・」

 口籠る元宗。人間である以上、一人で戦い続けることは出来ない。物理的にも、精神的にも。誰か、或いは何か。どんな優秀な戦士でも心の支えになる何かが必要になる。今、彼女の心の支えは伊万里京二の根拠のはっきりしない楽観的願望ともいえる推測を信じ姉の様に慕ったものの生還を信じることだった。

 それを乱暴な言葉で罵る事で壊して良いのか・・・そういう思いは、しかし次の瞬間、マリアの言葉に思い込みだと教えられる。

 「逃げたんでしょ? わかってるよ」

 「な・・・?!」

 何故知っていると言いかける元宗だが、驚愕のため上手く言葉が出ない。しかしマリアはそれを察し答える。

 「私たちが手助けしたの」

 「何故・・・そんな真似を!」

 叫びにも近い大きな声が行為の真意を問う。マリアは思わず耳に指を突っ込み目を細めていたが、やがて寂しげな顔で答える。

 「もし先輩が生きてるなら・・・きっとあの人に助けを求めると思ったから。あの人なら、諦めずに先輩を助け出してくれると思ったから」

 「・・・ッ!!」

 「怒らないでよ、元宗さん。だって・・・このまま悲しんだり、悩んだりしてたら、あたしたちきっと戦えないから・・・」

 カッと目を見開いた修羅の形相にマリアは言う。だがその憤怒の顔は彼女へのものではない。元宗が自らに向けた怒り。助け出す・・・もしそれが出来るならば躊躇い無くやりたい。だが・・・

 「だけどあの人に先輩のことを任せたら、少し不安はあるけど、ずっと楽になれたの。だから・・・今は戦える。未だ、力が沸いてくる」

 拳を握るマリア。その目じりには涙が溜まっている。

 「元宗さんも、信じてあげなよ・・・好きだったんでしょ? 先輩のこと・・・生きてたほうが良いじゃない」

 「オレは・・・」

 また口籠り答えることが出来ない元宗。マリアは寂しそうに笑い察したように言う。

 「・・・そっか、元宗さんは目の当たりにしちゃったんだよね・・・だから」

 「違う・・・オレは・・・!」

 マリアの言葉を否定しようとする元宗だが、上手く言葉が纏まらない。元宗が京二の言葉を信じられないのは、もう彼女が言っている理由とは多分違うのだ。だが、それが彼の口から告げられるより早く、警報が鳴り響く。敵が間も無く来るのだ。

 「じゃ、もう行くね・・・元宗さん」

 マリアはそう告げると、直後には残像だけを微かに残し消えてしまう。

 「・・・」

 一人残された病室、元宗は自身の掌を拳で撃って叫んだ。

 「オレは何をしている・・・っ!!」






 「ヴォルティックゥゥゥ!!」

 眼前で交差した腕が激しく放電現象を起こす。そしてそれが極限まで高まり、腕が光の塊に変わった瞬間、瞬間K−C0は、今正に彼女を巨大な鋏で捉えようとする翼の生えた蟹の様な化物に猛烈な勢いでクロスチョップを繰り出す。

 「エンドォォォォッ!!」

 『ギィシュウウウウウウウウウウウウウッ!!!!』

 鋏の丁度股の部分に一撃を受けた怪物は、全身を包む甲羅に亀裂を走らせ、その罅割れから蒸気、いや煙を吹き上げる。両腕から放射された強力な電磁波が敵体内で交差し内部組織を電離気化・・・即ち超高温のプラズマに変換したのだ。

 直後、蟹の化物は内部から甲羅を爆裂させ粉砕する。

 「ハァ・・・ハァ・・・」

 呼気と共に肩を揺らすK−C0。と言っても、アンドロイドである彼女が酸素欠乏から呼吸を乱している訳ではなく、所謂ラジエーションを行っているのだ。そんな彼女の背に、背を合わせる様にマリアが変身した木枯しが立つ。

 「大分、減ってきたね」

 「そうね・・・」

 辺りを見回すK−C0。大型のモンスターの最後の一体を奈津がその小柄な体躯からは想像出来ない強烈なパンチの一撃で天高く舞い上げている。そして、空中で起こる爆発。残るは彼女ら三人以外の戦闘陰陽師達でも容易に掃討できる雑多なものばかり。反呪詛措置の施された機関銃の弾丸が、魔力によって合成されたものであろう怪物たちを打ち抜いていく。

 「相模隊員」

 「お疲れ、Bナツ」

 駆け寄ってくる奈津に労いをかけるK−C0。自動的に行われるスキャニングが心拍数と乳酸値の上昇を読み取ったためだ。

 「だいじょぶ? なっちゃん」

 「ええ、鍛えていますから」

 木枯しの問いにそう答える奈津。プロフェッショナルの意識が殊の外強い彼女は殆ど表情を変えることが無いものの、しかし実際のところ辛くないはずが無い。いくら鍛えているとは言っても、アンドロイドである自分や改造人間であるマリアとは異なり、彼女は飽く迄も生身なのだから。

 やがて戦闘陰陽師たちは残ったモンスターを掃射で一点に集め、後方支援の陰陽師複数名が同時に火術を行使する。

 
ぐギャああああ蛾がガッがグオ嗚ックガ迂アウアアアアアアアアアアア

 凄まじい断末魔が辺りに響く。連鎖発動による強烈な火力が一気に焼き払っていく。その様は正に地獄絵図と呼ぶに相応しい。

 「これで終わりか・・・?」

 疑問符を浮かべるK−C0。本拠地を襲撃するにしては余りに呆気無いからだ。質的には昨日支局を襲ったものより上ではあったが、敵個体の総数そのものは七割程度。迎撃設備と補給機能が整ったこの本部でなら、充分に対応できる範囲だ。だが、これで終わりとは考え難い。戦術コンピューターの論理的判断も然る事ながら、組み込まれた人格プログラムが作り出す第六感的推論・・・即ち“勘”がそう告げている。恐らく、木枯しや奈津、更に他の陰陽師たちもそれは同様だろう。警戒を解かず、周囲の気配に気を巡らせている。K−C0もまた火器管制システムの攻撃レベルを現状維持しつつ、複数のレーダーシステムを展開し警戒モードに入る。

 パチパチパチ

 それはレーダーの索敵範囲内に突如出現する。

 「・・・中々やるね。感心したよ」

 軽薄な口調。だが、声の方向にはとても巨大なエネルギーの反応。このキルリアン振動数は魔力のもの。素早く、其方に顔を向け、木枯しが叫ぶ。

 「誰?!」

 「御機嫌よう、お嬢さん方」

 本部の敷地を外界から閉ざす門、その上に何時の間にか男が一人座っている。装飾過多な白衣を纏い、色の濃いサングラスをかけ、全身に目の形をしたアクセサリーを配した奇妙な格好を男だ。

 「僕は邪眼導師マナ=N=マックリール」

 男・・・邪眼導師はそう名乗ると、門の上から飛び降りる。しかし・・・

 ステーン!

 彼は着地の瞬間足首を捻り、派手に転び、後頭部を激しく地面に叩きつける。

 「な・・・」

 「間抜け・・・?」

 ぽかんとするマリアと木枯し。やがて邪眼導師は頭を擦りながら、やっとの思いで立ち上がる。

 「いてて・・・どじっちゃった」

 照れ笑いを浮かべ、ぺろりと舌を出す邪眼導師。だが、その先端は蛇の様に割れている。即ち・・・人間ではない。

 「二人とも・・・油断するな。間抜けっぽいが、凄まじい魔力を秘めている」

 「うん・・・」

 「言われるまでも・・・ありません」

 警戒を促すK−C0だが、それは二人には必要なかったらしい。直ぐにでも攻撃に移れるほど彼女らの気が高まっているのを感じる。それを見ながら邪眼導師は嬉しそうに無邪気に笑う。

 「フフフ、流石だ。君たちの警戒は正しい。僕は君たちが憎むべき敵、魔帝国ノアの六大魔王の一人」

 「な・・・」

 「つまり一番の強敵の一人だからね」

 衝撃が広がる。六大魔王。それは元宗の話によれば、アスラを完膚なきまでに叩きのめし、鬼神が倒される直接の原因となったと思われる、即ち邪眼導師が自称する様に非常に強力な魔人のことだ。戦闘陰陽師たちの間に動揺が広がる。だが・・・

 「あなたが・・・あなたの仲間が・・・!!」

 激昂する木枯し。怒りに銀色のたてがみが焔の様に逆立つ。奈津もまた、鋭い視線で邪眼導師を睨みつけている。トップ5・・・今は3だが・・・に数えられる戦闘陰陽師に威圧感や肩書きだけで怯え竦む者などいない。

 「フフフ・・・君たちの奮闘振り、楽しませてもらったよ。特に君たち三人はノーチェックだったから特に興味が沸いた」

 「そりゃどうも・・・」

 ひどく嬉しそうに言う邪眼導師に、K−C0は素っ気無く答える。だが、邪眼導師は興奮した口調で言葉を続ける。

 「フフフ、一人は生身でありながら改造人間宛らの戦闘能力をもった女の子。一人は滅んだはずの技術で変身する女の子。一人はロボットなのに心とオーラを持つ女の子。実に研究意欲を掻き立てられる! 是非、ばらしてみたい!!」

 指をわきわきと蠢かせ、サディスティックな表情を口元に浮かべる邪眼導師。この男、白衣姿から学者に分類されるものと推測する。それも更にマッドサイエンティストとカテゴライズされる類種の。

 「はぁ・・・」

 K−C0の超高性能人工知能は疲労感と脱力感を意味する感情信号を計算する。あの二人の超考古学者といい、この男といい、陰陽寮に関わる学者には変人しかいないのだろうか。

 「伊万里教授といい君といい・・・女を口説くなら、もう少しマシな台詞を用意して欲しいわ」

 「フフフ・・・鉄の処女(アイアンメイデン)の癖に中々、気の聞いた台詞を吐くじゃないか」

 鉄の処女・・・少女を象った容器の内側に無数の鉄針を備えた中世ヨーロッパの拷問器具だ。全身に無数の武器を内蔵したK−C0を評する言葉としては在る意味、言いえて妙かもしれない。だが、その言葉には一つだけ間違いがあった。

 「悪いけど生娘じゃないわ。今時、アンドロイドだって恋愛できる・・・別れたけど」

 「そりゃあ・・・愁傷様」

 同情の言葉をかけるが内実が伴っていないのは誰の目にも明らかだ。さりとて、本心からの言葉だとしてもわざわざ慰めてもらうつもりも無い。

 「生憎、色恋沙汰には疎くて愛の言葉は囁けないけど、そんな君を慰めるプレゼントを贈るよ。カモン!」

 しかし、邪眼導師は尚もK−C0の怒りの感情信号を励起する言葉を吐き、それと共に高らかに指を弾く。空中に浮かび上がる巨大な魔方陣。昨日、今日とモンスターが襲撃してきたときと同じパターンだ。

 「また・・・!」

 ウンザリとした口調で呟く木枯し。魔方陣の内側の空間が歪み、その中からまるで粘性の液を思わせる闇を引き摺りながら無数の異形生物たちが現出する。

 「フフフ・・・如何かな? 気に入ってもらえたかな?!」

 「ワンパターンは根暗なオタクがやることだボケッ!」 

 だが機嫌を伺う邪眼導師の言葉に答えるのは、K−C0でなく木枯し。彼女は中指を立てると毒、というよりは太目の棘が生え揃った暴言を吐く。

 「家帰って萌えアニメでも見て股座掻いて寝ろ!!」

 「マリア・・・下品だぞ」

 「鬱死にでもしやがれ! この根暗馬鹿が!」

 注意をする奈津だが、木枯しはそんなこと殆ど聞いてはいない。一方、邪眼導師は暴言を吐きかけられたのに激怒するでも無く、寧ろそこはかとなく放心した様に見える。どうやら打ちひしがれているらしい。

 「・・・初対面の相手に其処まで言うこと無いじゃないか。魔人とか化物とか言われる僕らだけど、心は君らと同じ傷つきやすい繊細なガラス細工なのに」

 「喋るな変態が! イライラするんだよ・・・! てめえらみてぇなクソが息してるとよぉぉぉ!!」

 「なんて酷いコだ・・・」

 数々の暴言に晒され、泣きそうな情け無い声を上げる邪眼導師。だが、それは、内外ともなわない演技。今の三人はそれに惑わされ、突っ込みなりノリなどをかますようなキャラクターではない。邪眼導師の身体から発せられる魔力が先ほどより高まる。

 「・・・!」

 「そんな子にはお仕置が必要だな。じゃあ、少し趣向を変えよう」

 右の掌を空に向けてかざす邪眼導師。すると雷鳴を帯びた黒い雲が凄まじい速さで空を覆い、辺りを闇に包んでいく。

 「?!」

 「我が名はマナ・・・魔帝国六大魔王が一人、邪眼導師マナ」

 何か、呪文の様なものを唱え始める邪眼導師。それと共に、周囲の光景を赤黒い霧の様な何かが覆い隠していく。

 「魔界において至高なる神ベトニウスよ、我らが偉大なる主君、竜魔霊帝よ・・・加護を」

 やがて呪文が終わったとき、世界は赤と黒が不気味に交じり合う異様な空間に閉ざされる。そして其処に残されたのはトップ5の3名のみ。

 「これは・・・固有結界?!」

 「そうなるかな。ま、僕のじゃないけどね」

 何か悪い夢でも思い出した様な顔で呟く奈津に、邪眼導師は答える。

 「・・・ここは魔族の楽園、“ブラッディリゾート”。皇帝陛下のお力によって形成されたこの空間の中では僕たち魔帝国の住人は、地上の三十倍の力で戦えるようになる!!」

 「三十倍・・・?!」

 「ゴメン、嘘。ほんとは三倍」

 驚愕する三人をおちょくる様に言う邪眼導師。だが、通常の状態でも決して楽な相手ではないのだから、例え三十倍で無くともそれは充分に脅威に値する数値だ。

 キシャァァァァァ!!

 ウルゥゥゥゥアアア・・・

 グゥゥオオオオオ・・・!!

 水を得た魚の様に活気を見せる怪物たち。

 「く・・・っ!」

 「さあ、耐えて見せてくれよ! お嬢さんたち!!」





 他方、病室。

 「マリア達が・・・?!」

 「はい・・・例の結界の中に何体ものモンスターと一緒に・・・!」

 負傷し戻ってきた戦闘陰陽師が元宗に告げる。

 「いくらあの三人でも、連戦であんな数と戦えば・・・!!」

 「ああ・・・不味い・・・!」

 不安げに言う陰陽師に同意を示す元宗。トップ5・・・そう呼ばれる五名の戦闘陰陽師達は何れも戦闘能力において他の陰陽師を大きく引き離す。だが例え彼女らでも、この様に繰り返し戦いを続ければやがて疲弊し、倒れることは明白だ。その上、あの赤黒い結界の働きは未だ分かっていない。

 戦闘陰陽師が治療を受ける為に元宗の病室を出て行くと、彼は拳を強く握る。

 「どうすれば良いんだ・・・」

 普通に考えれば、助けに行くべきだ。だが、疑問と疑惑が彼を躊躇わせる。彼女らは、何故、伊万里京二に味方し彼を助けるような真似をしたのかを彼は理解できても納得する事が出来ない。彼の中で彼女らが何故、あのような行為をとったのか、その答えは既に出ている。だが、伊万里京二への怒りと対抗心、そしてこの陰陽寮への疑念が、彼の納得を妨げている。

 そして例え出撃したとして、今の彼のコンディションでは変身すら儘ならず足手まといになるのが関の山だ。仮に変身できたとして、惑い悩みそれによって曇った拳が正しく力を発揮出来る筈が無い。

 だが果たしてそれで良いのか。力が出ないから、躊躇いが在るから、このままベッドの中でいじけて悩んでいるだけでよいのか?

 「瞬・・・」

 頭を抱え、俯く。悩めども答えなど出ない。悩むほどに、それは蟻地獄となって彼を捉え離さない。

 『・・・馬鹿の考え休むに似たりとはい言えて妙だニャ』

 そのとき、腹の辺りから猫に似た声が響く。

 顔を上げると、布団の上に白い猫の様な生き物がちょこんと座っている。

 彼に共生しアスラの力で活動する代わり、その力を制御する人工生命体・霊獣コウだ。だが、アスラである元宗が激しく消耗している今、本来ならば彼は外部に分身を実体化出来ないはずだ。元宗がそのことを問うと・・・

 『腹のニャかばかりだと気持ち悪いから急かしに来た』

 「なに・・・?」

 『ふああ〜』

 良く分からない理由を告げ、コウは伸びをする。そして彼は辺りをその吊り上った目で見回した後、元宗に問う。

 『ニャ〜んで元宗、こんニャところでうだっているんだ? みんニャ戦っているのに』

 「オレは・・・」

 『みニャまで言わニャくても判る。ニャやんでらしくもニャくクヨクヨしてるんだニャ。下らニャいニャ〜』

 答え様として情けなさから口籠りかける元宗。だがその先を見透かすように言い当て、それでいて馬鹿にした評価を下すコウ。流石にカチンと来たのか誤記も荒く言い返す。

 「下らないだと・・・?! 猫に・・・ッ!! なにが分かる!」

 『言わずもがニャ』

 さらりと言って返す、いや受け流すコウ。

 『元宗のほうが分かってニャいニャ。元宗、馬鹿だニャ』

 「何を・・・?!」

 精神的に不安定な元宗は、最早この程度の軽い罵りだけで自制することが出来ない。一見小動物に見えるコウ相手に、首を掴み殴りかかろうとする。だがコウはまったく怯んだ様子も見せず冷めた口調で言うと、掴んでいる手を爪で引っかく。

 「く・・・」

 『そんニャところが馬鹿だニャ』

 痛みに手を離す元宗。コウは指摘しつつ再びベッドの上に着地する。

 『大体、キャラじゃニャいんだ。元宗は瞬と違って馬鹿ニャんだから考えたって答えニャんて出ニャいに決まってるニャ。答えの出ニャいことで悩んでも無駄無駄だニャ。下らニャいニャ!』

 「・・・!」

 馬鹿は考えるなと、そこはかとなくひでぇ事を言ってのけるコウ。だが、元宗はその言葉のうちに何か感銘すべきものを感じたらしく、目を大きく見開いている。更に続きを喋るコウ。

 『元宗は馬鹿ニャ上に不器用ニャんだから、一度にあれこれ出来る訳がニャいニャ。元宗が今一番やらニャきゃニャらニャいのはアスラの仕事だニャ? だったら馬鹿は馬鹿らしく馬鹿みたいにそれだけやってたら良いんだニャ』

 「・・・っ!」

 アスラの仕事。それは敵を倒すこと。忘れていた訳ではない。だがここ数日、目まぐるしく変わる状況に翻弄され、それを見失っていたようだ。そう考えれば、噴き出す怒りが炎となって心を燃え上がらせる・・・これまで彼を苛んでいた悩みや迷いを炎の影に覆い隠すほどに。

 拳を強く握り締め、それを見つめる元宗。それを見てコウは口元にしてやったりと言った幹事のニヤリ笑いを浮かべる。

 『大体今時そんニャ、ニャさけニャい顔をしてニャやんでいいのは如何にも不幸そうニャ顔をした少年だけニャ。元宗みたいニャごっつい男がそんニャ真似してると不気味以外のニャにものでもニャい』

 そして最後の叱咤激励。だが、最早それは蛇足に過ぎなかったかもしれない。滾る血液が元宗の頭に青筋を浮かび上がらせる。

 『どうした? 元宗?』

 沈黙しプルプル震える元宗に問いかけるコウ。全身を巻く包帯が盛り上がった筋肉に引き裂かれ飛び散る。次の瞬間大蛇のように伸びて尻尾をつかむ元宗の腕。その後の動きは素早かった。

 「馬鹿馬鹿うるせぇ!! この馬鹿猫!!」

 窓を開ける動作と外に投げ飛ばす動作が一連と成り、コウの身体は雪景色の中に飛んでいく。

 『ウニャアアアアアッ!!』

 「そうだ・・・何をしてたんだ・・・オレは・・・」

 絶叫はやがて遠くなり、消える。元宗は頬を平手でバチバチと叩くと呟くように言い、そして・・・

 「ウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 陰陽寮本部全体を震わすような咆哮を上げた。

 『やれやれ・・・馬鹿は説得が楽で助かるニャ』





 ごう、と空気を裂き抉り殺到する巨大な獣。額から捕鯨銛を思わせる巨大な角を生やした犀と牛を混ぜ合わせた様な怪物がK−C0体当たりを仕掛けてくる。彼女がそれを察知した時には、最早回避に必要な距離は遺されておらず、彼女は両腕を交差し後方に跳躍しつつそれを受ける。

 だが直後、何かが砕ける嫌な音が響く。巨獣の角が内臓ギミックを以って打ち出され、その鋭さと慣性質量がK−C0の特殊金属製の左腕を破壊したのだ。砕けた装甲と駆動部品、内臓火器をばら撒きながら吹き飛ばされる彼女を木枯しは素早く回り込み受け止める。

 「京子先輩!!」

 「く・・・大丈夫だ」

 K−C0はそう強がるが全身から細かい稲妻を撒き散らしている。突進の衝撃を腕のみに留めることが出来ず、全身に浸透させてしまい各部に深刻なダメージを与えているようだった。

 「このままじゃ・・・」

 危惧する木枯し自身、そしてまだ気丈に「鬼切」を構え怪物と相対する奈津も、決して無事とは言えなかった。既に全身には無数に切り傷・刺し傷が刻まれ、彼女らの戦闘衣装は血で赤く染まっている。

 その厄介さはある程度予想はしていたが、実際に体験してみるとその予想が甘いものである事を思い知らされた。三倍の戦闘能力、それは単純に兵力が三倍になった訳ではない。例え三倍の兵力が揃ったとして、多数対少数のこの構図では敵が一度に彼女らと戦える員数と言うものは限られてくるため、根気と体力さえ続けばそれほど驚異的ではないからだ。だが、個体の戦闘スペックが三倍になる、ということは運動・耐久・防御・攻撃などの個々の性能が総合的に上昇するということだ。その結果、これまで命中していた攻撃は当たり辛く、例え命中しても痛打には至らず、しかも此れまで何の問題も無く防ぎ避けることが出来た敵の攻撃は致命打に成り得ると言うことだ。

 「フフフフ・・・どうしたんだい? もうグロッキーかい? 君たちの力はこんなもんじゃないはずだよ?」

 「うるさい・・・っ!」

 嫌らしい笑いを浮かべ、厭味っぽく問いかけてくる邪眼導師に木枯しはそう吐き捨てるが、暴言もこの状況による疲れの為か旨く出ない。

 「フフフ、判った、力を出し切れないんだ。良いだろう。もっと凄い力を出せるように改造してあげよう!」

 「余計なお世話だ!!」

 そう叫ぶ自分とは裏腹に、力を欲する自分がいるのを自覚する木枯し。もっと自分に力があれば瞬を一人戦わせることも、華凛をあのまま逃すことも無かったのに。そして今のこの状況も打ち破れるというのに。

 (・・・!)

 不意に、木枯しは自分たちの下を離れた華凛の気持ちが分かった様な気がした。こんな悔しさが、無力感が、彼女をして力に走らせたのか。そして、その思いが彼女に一つの行為を取らせる。

 「フフ・・・遠慮はしなくて良いよ」

 「本当・・・?」

 彼女は左右の手に握る刀・・・右のハヤカゼと左のシロガネを地面に突き立てる。

 「おや・・・戦意放棄かい?」

 「取引をさせて」

 「へぇ・・・?」

 意外な木枯しの言葉に興味深そうな顔をする邪眼導師。モンスターたちは武器を手放し最も無防備になっていた木枯しを第一の目標に設定変更しようとしていたが、邪眼導師はそれを手翳しで制止する。

 「話を聞くよ」

 「お願い。私は貴方の言うことを聞くから・・・だから先輩とナッちゃんは助けてあげて!」

 「マリア・・・!!?」

 「馬鹿・・・何を考えているッ!!」

 彼女の言葉に最も驚きを示したのは他でもない奈津とK−C0。木枯しは二人に向き直るとマスクを取り、銀色をした瞳に二人を映しながら答える。

 「だって・・・もうこれしか方法を考え付かないんだもん。わたし・・・もう誰かがいなくなるなんて嫌だから」

 「だからって・・・あなたが行くことは・・・!」

 奈津の言葉に寂しげな笑みを浮かべるマリア。だが彼女はゆっくりと首を左右に振る。

 「ううん・・・わたしが行かなきゃ駄目なの。だってわたし馬鹿だから。その分ナッちゃんは頭良いし、頑張ったら陰陽連でも一番の陰陽師になれるかもそれない。先輩だって、この空間を無効化してくれる武器を作ってくれるかもしれない」

 「マリア・・・」

 「ゴメンね。みんなに宜しくね」

 彼女はそう言うと再びマスクをつけて邪眼導師を睨みつける。

 「フフフ・・・感動したよ」

 「魔王なら・・・ここまで言った女の子の言葉を汲むくらいの度量を見せなさいよ!」

 「良いだろう。気に入った。ここは君の仲間思いに免じて見逃してあげよう」

 「約束だよ」

 木枯しはそう言うと、怪物が分かれて作った道を邪眼導師に向かって歩いていく。そして半分まで進んできた直後・・・

 「なんちゃって♪」

 「!!」

 ふざけた台詞を吐き、これまでの言葉を一瞬で無かったことにしてしまう邪眼導師。その言葉と共にモンスター達は木枯しに襲い掛かる。

 「うわああああああああっ!!」

 殺到され、次々に攻撃を受ける木枯し。奈津とK−C0は助けに走るが、壁となって阻む怪物を打ち砕くことも出来ない。

 「貴様ァァァァァァッ!!!」

 「ハハハハ!! 馬鹿な子だなぁ。魔王様が君らみたいな下々の小娘と約束するわけ無いだろう? もちろん、マリア、君は頂く。無論、二人もね」

 哄笑を上げる邪眼導師。状況に起死回生の策は無いかに見えた・・・だがその時である。

 「諦めるな!!!」

 赤黒い空間の外側からだろうか。野太い声が響く。

 「?!」

 「仏法の威力がまやかしを打ち破る。山紫水明。破幻法!!」

 放たれる祈願の声。それとともに放たれた幾条もの光が空間を切り裂いて走る。

 「なに・・・ブラッディリゾートが・・・?!」

 血と闇の練り合わされた様なその異空間は朝日に照らされた霧のように掻き消え通常空間に戻る。そして・・・

 「救いは勝利の上にあり、集い意気を燃やせ。気炎万丈・・・軍神法!!」

 新たに放たれる言霊。それが身体に染み込み切ると同時に、腹の奥底から活力のようなものが湧き出し、痛みが嘘の様に消えてなくなる。対してモンスターの群れは明らかに士気が低下し、放たれるエネルギーの迸りも低下する。

 攻撃が・・・見える!

 「ナッちゃん!!」

 「ああ、マリア! 一気に行くぞ!!」

 呼応し、飛翔する二人。飛びながら二人はお互いの持つそれぞれの術の力を解放する。木枯しは木の葉を依り代にした陰陽術と忍術の混合術。奈津は剣術に符術を組み合わせた巫式剣とよばれる退魔術。

 「合体奥義!」

 「幻!」

 「影!」

 「乱!」

 「舞!」

 角度の高い放物線で飛び上がった二人の軌道が空の一点で交差する。直後、辺りを包む乳白色の霧。そしてその一点から数ダースもの剣持つ影が、木枯しを襲うために集まっていたモンスターに空中から切りかかる。

 シュガガガガガガガガ!!

 それは一瞬・・・影達は霧に包まれ視界を閉ざされたモンスターの中を縦横に駆け巡り、やがて刃の煌きが収められ霧が晴れた時、辺りには角切りになった肉がばら撒かれている。これは木枯しの「秘剣・乱れ影」と奈津の「二重巫式剣・幻舞」を同時発動することで発動する合体奥義「幻影乱舞」だ。

 「凄い・・・」

 思わず感嘆の声を上げ、見とれる邪眼導師。それが、一瞬の対応の遅れを招く。

 「修羅アッ!!」

 「なに・・・?」

 空気の裂ける甲高い音色。更にその音響の中にさえ響く咆哮。邪眼導師が真上を見上げた瞬間、彼の眼前には紫金色の竜巻が迫っている。

 「旋ッ風ゥゥゥ脚ゥゥゥゥゥッ!!」

 「なんとぉぉぉぉぉっ!!」

 咄嗟に手を翳し受け止める邪眼導師。だが一点に集約された重力加速とジャイロ効果が生む遠心力と掘削力が彼の掌の肉を引きちぎっていく。

 「くぅぅおぉんなものぉぉぉぉっ!!!」

 吼える邪眼導師。砕け始めた彼の腕が閃光を放ち始める。それを見て、咄嗟に回転軸を変えるアスラ。血飛沫と稲妻に変わりつつある邪眼導師の掌を蹴り、彼は空中で球を画く様に舞う。

 「くれてやるぅぅぅぅぅっ!!!」

 「観世音・如意輪!!」

 邪眼導師の砕けた腕が輝く光の球体になって爆裂する。自らの腕を媒介に膨大な魔力を生み出し、それを高出力の光に変えたのだ。だが、空中で超高速回転するアスラの腕はその爆発を弾き飛ばし、アスラの身体を熱と衝撃に晒すことは無い。

 やがて回転を止め、着地するアスラ。彼の元に木枯し達は駆け寄ってくる。

 「アスラ・・・元宗さん!! 大丈夫なんですか?!」

 「なぁあに。コレくらい屁だ。死にはしないんだから」

 嘯く様に答えるアスラ。だが、先ほどまで彼の身体はただ普通の動作をすることさえ辛かったはずだ。しかし彼はそれがまるで自身と関わり無いことであるかのような闘気を全身から立ち上らせ、深く腰を下ろして構えると、邪眼導師をまっすぐ見据えて言った。

 「俺はアスラだ。アスラに必要なものは休息じゃない・・・戦いだ!!」





 「へぇ・・・君がアスラか。思っていたよりやるね」

 値踏みする様にアスラを見て返す邪眼導師。彼の右腕は引き千切られ、二の腕の半ばより先は消え去っているが、その傷口からは既に流血が止まっている。

 「魔帝国・・・! 鬼神を、瞬を奪った貴様ら・・・オレは決して許しはしないッ!」

 「フフ・・・流石は仮面ライダー。いい啖呵だ。それに不意打ちとはいえ、まさか腕を持って行かれるとは思わなかったよ。でも。まだまだだね・・・ホラ」

 腕の断面が風船の様に膨らみ、やがてそれが弾けると、色の褪せた血液の様な薄赤い液体と共に新たな右腕が邪眼導師に生えだす。

 「これくらいで好い気になっちゃ駄目だよ。百鬼戦将や煉獄剣王より脆く出来てる分、再生能力も高いからね」

 そう、言っている間に白衣から無数の繊維が伸びて腕に絡み、新たな袖を形成する。

 「ごちゃごちゃ五月蝿い!! 溢れる怒りを闘志に変えてオレは来たんだ・・・! 戦うために! いいからかかってこい!」

 「まったく・・・揃いも揃ってせっかちさんだなぁ。君にもちゃんとプレゼントがあるんだよ」

 パチンと指を弾く邪眼導師。それと同時に再び空中に浮かび上がる魔方陣。

 「・・・これは・・・!」

 そしてその魔術的幾何学図形が生み出す暗黒から胎児の様に産み落とされるものは骨の様に白い身体を持った怪物。

 「ぎゃおおおおおおおおおおおおおおおん!!」

 大地に降臨したそれは凄まじい絶叫・咆哮を上げる。

 「こ・・・これって・・・!」

 四人の前にその威容を示す怪物。いや、下手物と呼ぶべきか。それはそう言う代物だった。太腿や間接は黒曜石或いは髪のような黒、それ以外の大部分は大理石もしくは骨の白、そして唯一前腕は柘榴石かちを思わせる赤。死のトリコロールが怪物を覆っている。

 髑髏を模した頭部に血の様に赤く輝く大きな目が二つ。その両目の間には目と同じ色のランプ。そしてV字を描いて生える二本の触角は、「一般的な仮面ライダー」の造型に近しい物だ。だがそれは顔の上半分。下半分、即ちクラッシャーとも呼ばれる口は「仮面ライダー」に比べて遥かに凶悪な形状をしている。上下の顎にはグロデスクに捲れあがった唇の様な赤い淵が付き、その内側には鮫や虎のものでさえ愛らしいと思えるような禍々しい鋭さを備えた牙が地獄を閉ざす鉄格子のように並んでいる。

 ボディの全体は見慣れぬ奇妙な質感を持った金属?が曲面を主体とした装甲形状を成している。体躯は人型だが奇形・・・異様に長い二の腕の先には、全体の生物を思わせるフォルムとは対照的なメカニックの腕がつき、左右それぞれが一目見ただけで恐るべき危険さをはちきれんばかりに秘めると解る剣呑な武器を持っている。左手の甲の部分にはシンプルに大口径のカノン。だが、右手に持つ武器は一言で形容することは難しい。シンプルに言えばそれは片刃の剣。だが本来、刃があるべき場所に刃は無い。しかし変わりに中型のドリルが列を成して並んでいる。

 白い悪魔、或いは筋骨隆々の死に神と呼ぶべきか。

 「これは・・・!!」

 邪眼導師はアスラの驚愕、そして三人の女戦士の畏怖に愉悦し笑う。

 「フフフ・・・紹介しよう。彼はライダーハンター、正式名称は汎用人型決戦兵器人造人間エ・・・じゃなくて汎用自立思考対仮面ライダー迎撃兵器AMR。素敵だろ? 君らの遠い子孫が君たち仮面ライダーを壊すために丹精込めて造り出した素敵で楽しいおもちゃなんだ。偶然拾ったんだけど中々出来がいいから気に入っちゃってね。それでちょっと弄くってみたんだ・・・フフフ。こう言うのもなんだけど、中々強いよ」

 「こんなの・・・!!」

 飛び出す木枯し。

 「忍法・影分身!」

 その姿が幾重に重なり、分身する。目標の突然の増加に僅かに混乱を見せたが、直ぐに思考を各個撃破に切り替えたのか左手の砲を構え、発砲する。だがそれは幻影。主力戦車をも撃ち抜けそうなそれは、しかし空気のみを貫いて地面に着弾する。その隙を逃さず、一斉に切りかかる木枯し。

 「待て! マリア!!」

 制止するアスラの声は、しかし彼女の耳で止まり脳に届かない。煌く刃が白い怪物に襲い掛かる。満悦した笑みを浮かべる邪眼導師の顔がアスラの目に映る。地面を蹴るように飛び出すアスラ。そして、二つの切っ先が怪物に触れる―――だが、

 しゅおん!

 繰り出した二つの刃は、確かに化物の肌に届いた。しかしその切っ先は怪物を貫くことも切り裂くことも無く、僅かに傷、十円傷より更に細く薄い傷を残したのみで、滑るように擦り抜ける。そして同時に彼女を襲うのは・・・

 「攻撃が・・・それる・・・!?」

 剣を持つ手が、痺れる。それにより集中力が途切れ、分身達が消える。

 「ぎー!」

 さびた鉄を擦り合わせる様な怒りの声を上げて右手の凶器を振り下ろしてくるAMR。ドリルの列が死に神の絶叫を上げ、木枯しに襲い掛かる。

 「危ない!!」

 しかし直後、木枯しをアスラが抱きかかえる。そして彼は自らの腕で彼女を抱きかかえたまま、阿修羅神掌を展開し、その場で高速回転する。

 ギャリンッ

 ドリル剣と回転し弾かれるアスラ。だが彼の回転はドリルの回転に合わせた絶妙なもの。殆どダメージを受けることなく着地する。

 「げ・・・元宗さん!!」

 「迂闊に飛び込むなよマリア」

 「そうさ、気をつけなよ。あっさり死んだら折角のテストが台無しだ。・・・言っとくけど、こいつに物理的ダメージは入らないよ。何たってこいつの装甲は電磁的なフィールドで摩擦係数を減衰させ攻撃をスリップさせるフリクション・ゼロ装甲だからね」

 アスラの背中に響く邪眼導師の声。だが彼は話半分に聞いて木枯しを抱いたまま飛ぶ。其処に再び木枯しに向けられる砲口。流石にアスラもそれを受け流したり弾いたり出来るとは思わない。発射の直前まで彼は引きつけるように動き、砲弾が放たれる寸前、腕の回転で勢いをつけて大きく回避する。

 直後、爆音。

 「その上、破壊されれば原子力エンジンが暴走して核爆発を起こすから注意してね」

 「ぎーっ!!」

 砲弾を放った後、凄まじい速度で接近してくるAMR。その速度は2メートルを脩に超える巨体からは想像できない。翳されるドリル剣。下手にかわそうとすれば左右の凶器の餌食になるのは見えている。だからアスラは後ろや横ではなく、逆に“AMRに向かって”飛ぶ。

 「滑るってことは・・・」

 アスラは見切る。AMRの長い腕の間合いでは完全なゼロ距離には対応できない。もともと、AMRの基本コンセプトはゼロ距離からの脅威は殆ど想定していないからだ。だがアスラはそれを逆手に取る。彼は神掌の一本をAMRに向けて撃ち込む。それは攻撃するためではない。

 「こういうことだろう!」

 「ぎ?!」

 撃ち込んだ瞬間、痺れ。だが彼にとって、それはどうと言うことは無い。そのまま運動エネルギーと慣性に身を任せ、アスラはAMRの上を装甲曲面に添って滑る。正にスケートリンクで滑走するように。そして彼はAMRの背後を取り、そのまま近接戦闘の間合いから逃れる。

 「成る程、さすがダグザが目を付けるだけある・・・咄嗟ながら中々良い着眼点だ。だけど電気的なフィールドだよ・・・痺れないかい?」

 再び後ろから凄まじい勢いで襲ってくるAMR。それから逃げるアスラを茶化すように問いかけてくる邪眼導師。

 「慣れれば・・・意外と快感だ!」

 「え?」

 驚いた様な声を上げるのは木枯し。そう言えば未だ抱きかかえたままだった。AMRは最初に攻撃してきた彼女を狙ったと考えたが・・・その対仮面ライダーという名前からして、第一目標は自分の筈だ。

 「本気にするなッ!」

 アスラはそう言うと何の予備動作も無しに木枯しを放り投げる。

 「うわわわわわわわ」

 突然、投げ出されて慌てる木枯しだが、跳躍したK−C0が彼女を抱きとめ、地面に下ろす。

 「いきなり投げないでよ元宗さん!!」

 「今・・・取り込み中だ!! 文句は後にしてくれ!!」

 非難する木枯しに答えつつ、AMRの対応にも追われるアスラ。AMRは自らの身体の表面を使って常に死角へ死角へと回り込むアスラを捕捉することは出来ないが、逆に拳打を主体とするアスラの攻撃ではAMRに擦り傷以上のダメージを与えることは出来ない。

 「やるぅ〜」

 口笛を吹いて言う邪眼導師。均衡、だがそれは飽く迄一時的なもの。負傷から復帰したばかりのアスラと原子力で動くAMRとではスタミナの点で明らかにAMRの分が勝ちすぎる。このまま戦い続ければ、やがて疲労困憊したアスラがドリルで肉片になるか、カノンで撃抜かれるのは目に見えている。

 「京子先輩! 何か、ないの?!」

 堪らず叫ぶ木枯し。アスラの回避の仕方では遠距離から援護する事も難しく殆ど遠巻きに見ているだけしか出来ない。

 「今、解析中だ・・・」

 K−C0は静かにそう答える。本部の大型コンピューターと自身のCPUを接続し、サンプリングしたデータから有効な戦術を組み立てているのだ。

 【主動力:核分裂。総出力はデータ不足。80万馬力以上と推定】

 【構造素材:詳細不明・・・スペクトルから剛性に優れた素材と推測】

 【機動性能:詳細不明・・・現状サンプリングから最高速度時速800km以上。瞬間加速性能時速400km以上と推定】

 【武装:データ不足。右腕にドリル刃剣。左腕に大口径カノンを確認】

 【防御機構:摩擦係数を99%以上減衰し物体による攻撃を無力化。呪術的耐性は感知できず】

 「・・・」

 幾つかのロジックから被害を最小限に収める撃破手段が導き出される。

 「最も被害が少ないのは・・・被害が少ない場所に運搬し、大火力の術で集中砲火して倒すこと・・・だが」

 「そんなの無理だよ!」

 木枯しが叫ぶ通り、それは戦力的に不可能である。第一、つるつると滑るあんな巨大な物体を拘束する手段など無い。切人舞で造った巨大な式神ならば、条件を満たしているが、その術を使える人間は一方はおらず、一方は変身出来ないため巨大式神を生み出す霊力を紡ぐ事は難しい。

 「ですが、“運搬”の箇所を省けば何とかなります」

 「ああ・・・対光熱結界・火神縛(かぐずちしばり)を使おう!」 

 奈津の言葉に頷くK−C0。対光熱結界・火神縛・・・それは、陰陽寮なりの核攻撃に対する一つの答えだ。太平洋戦争末期広島と長崎に原爆を投下されて後、国内に存在する幾つかの防衛機関は核攻撃・核爆発そのものに対する防御策を研究してきた。そして陰陽寮では大人数の術士によって複合的な結界を張ることで核分裂、或いは核融合の光と熱、即ち人体に有害な放射線と全てを焼き尽くす爆風を遮断する方法を考案したのだ。

 「全戦闘陰陽師! 聞こえたな!!」

 K−C0の声に、彼女ら三人より更に遠巻きに待機していた戦闘陰陽師たちが構えを取り始める。しかしこの術は、落下してくる爆弾や、軌道のわかっている弾道ミサイルを想定したものだ。基本的にAMRのように高速で運動する物体を封じ込める様には出来ていない。故に彼女ら三人が採る行動は・・・

 「術攻撃で足を止める!!」

 「はいッ!」

 「ウンッ!」

 三人は呼応すると三方向に分かれ、僅かずつタイミングをずらしながら仕掛ける。まず切り込むのは、忍者であるため三人の中で最もスピードに優れ幻惑の術を得てとする木枯し。

 「風に舞い踊り往け・・・」

 彼女の周囲に風が巻き起こり、何処よりか無数の木の葉が現れ渦を成す。一見単なる枯葉に見える一枚一枚は彼女が術を行使する為の霊力の依り代。

 「葉隠れ!!」

 「ぎ? ぎぎーっ?!!」

 ごう、という音色と共に無数の枯葉が旋風を成して襲い掛かりAMRの頭部に纏わり付く。突如表れた無数の黒い影に視界を遮られ、これまで攻撃目標としていたアスラの姿が消え、動揺に似た反応を示すAMR。霊力を帯びたこの木の葉の嵐は単に光学センサーを阻害するだけでなく、電磁波や音波さえもかき乱し一時的にチャフのような働きをするのだ。

 「マリア・・・?!」

 「離れて元宗さん! 化物の足を止めるの!!」

 木枯しがアスラに告げたその時には、既に二番手が術の発動体制に入っている。二番手は奈津。十二神将を式として操り、その力を剣に込めて戦う彼女の戦闘スタイルはあらゆる状況に対応した万能型だ。

 「十一之式・・・”大陰”」

 取り出した霊符を静かに目の前にかざすと彼女は静かな声で詠唱する。発光する霊符。それとともに・・・

 ビュオオオオオオオ・・・

 彼女が手にした太刀の刃が、まるで絹の糸が纏わり付くよう風と雪を帯び、それは周囲の雪を巻き込んで吹雪を成す。そして・・・ 

 「ハァッ!!」

 ビュゴオオオオオオオオオオオオッ!!

 奈津がそれを振りかざした瞬間、吹雪は解き放たれ、AMRに襲い掛かる。

 カチッ・・・ビキッ・・・!!

 「ぎ・・・ぎーっ!」

 物理現象を超越して発生する猛吹雪がAMRの脚部を酷寒の冷気で包み、数秒を数えぬ内に下半身を凍て付かせる。

 (いける・・・!)

 そして三番手、しんがりのK−C0が駆ける。彼女はアンドロイド・・・即ちより人に近い姿をしたロボット。ロボットであるが故にその体内には無数の兵器・火器の類が納められている。最も高い攻撃力を持つ者、それが彼女だ。

 「ストレイジッ!!」

 彼女の眼の奥が赤く発光し、やがて溢れんばかりの光を発する。

 「ブラスタアアァァァァッ!!」

 解き放たれる電光状の赤い光。その瞬間、飛び退くアスラ。その赤い光は希少鉱石結晶ストレイジ・クリスタルで増幅・収束された彼女の霊力。同じ武器でもこの間、華凛に使った時とはチャージ量が違う。原子力エンジンを誘爆させないギリギリ下限のラインで計算された蓄積量。即ち、原子炉の隔壁でも無い限り防ぐことが不可能な破壊出力。だが・・・

 「ぎーっぎっぎぎぎ!!」

 「?!」

 まるで笑う様に、AMRは鳴いた。そしてストレイジブラスターの真紅の破壊光線が到達する寸前、AMRの白い装甲表面に虹色に輝く幾何学紋様が浮かび上がる。光線が凍て付いたAMRの脚に接触する・・・だがその瞬間、

 バシィィッ

 「なにっ・・・?!」

 「うっ?!」

 「くっ・・・!!」

 「え?!」

 木の葉が、吹雪が、そして光線が弾き返される。それぞれ放った者の元へ。

 狼狽しながらも奈津と木枯しは反射された自身の術を刀なり体術なりで捌き避けることに成功する。だが、より近距離で、より速度の速いブラスターを撃ったK−C0は避けることが出来ない。高エネルギーの塊が彼女の左胸を撃ち、左半身を吹き飛ばす。

 「ぎ!!」

 どおぉん!

 そしてアスラも、一瞬の同様が隙となり、回避のタイミングを逃す。これまで避けてきた弾丸を、今度は回転によって受け流そうと試みるが、しかし超硬質金属の弾頭を以って高速で迫るその破壊力の塊は、阿修羅神掌の一本を完全に引き千切り宙へ飛ばす。

 「京子先輩!!」

 「だ・・・いじょうぶ・・・だ・・・」

 K−C0は無理に身体を起こそうとして失敗し、残った半身を雪に埋める。身体の半分が無くなり巧くバランスが取れないのだ。

 「ハハハ・・・改良したって言っただろう? こんなこともあろうかとAIの自律的判断でアンチマジックシェルを自在に展開できるよう改造したのさ。最も、元々ついてなかった機能だけにまだプログラムが巧く作動しないみたいだけど、まあこれからだね」

 勝ち誇り、愉悦の哄笑を発する邪眼導師。

 「く・・・こんな・・・馬鹿な!!」

 奈津が苦々しく呟く。目論みは失敗した。これでは結界に閉ざす所か、破壊する事さえできない。腕を失いながらアスラは未だAMRに立ち向かっている。だがその姿はじゃれる様な虚しいものにしか映らない。

 「このままじゃ・・・」

 絶望の言葉を発しかける木枯し。だが、それを遮る様にK−C0は手を伸ばす。

 「私に考えがある」

 「京子先輩・・・?」

 電光を撒き散らしながら、ふらふらとしながら何とか立ち上がるK−C0。彼女は二人に思い掛けない言葉を告げる。

 「私の動力源である半重力エンジンを暴走させて奴を大気圏外に放逐する。これしかないわ」

 「そんな駄目だよ・・・先輩!」

 半ば叫ぶように止めるマリア。何故ならそれはAMRを道連れに彼女が死ぬと言う事だから。

 「お前が言えた義理じゃないよ、マリア。ロボットのカタはロボットがつける。すまんが奈津、後を頼む」

 「相模隊員・・・!」

 躊躇うようK−C0の名を呼ぶ奈津。K−C0は自身をAMRと同じロボットと呼んだ。だが彼女らにとってK−C0=相模京子は単なるロボット、人型兵器の範疇を超えた、大切な同胞であり、そして瞬同様彼女らにとって姉にも相当する存在だった。

 「君たちはいちいち泣かせるねぇ・・・だけど」

 わざとらしい泣き顔を作る邪眼導師。彼は未だAMRと戦いを続けるアスラを指差す。既に彼の動きにはキレが無くなりつつある。実りを成さない、という事実が急速に彼の消耗を招いているのだ。そして、絶望は光と共にやってくる。

 カッ

 光が辺りを包み込む。凄まじい、一瞬に太陽の数倍の明るさの光が、視界を一瞬に白で包む。

 「な・・・」

 「これは・・・くそ・・・っ」

 何も見ることが出来ない。それはAMRが額のランプから発した膨大な光量の閃光だった。

 「フフフ・・・万事休す。どうだい? 自分たちの未来に滅ぼされる気分は?」

 白くなった世界の中に、邪眼導師の不快な声だけがただ響く。

 「ハハハ、皮肉だね。自らの手で滅ぶなんてさ」

 嘲笑。既に滅びはアスラの頭上に振り翳されている。遠距離にいた事と、マスクがサングラスの効果を果たした事で、完全に視界を潰されることはなかったが、それでも影が揺らめく様にしか見えなかった。あの凶器が振り下ろされれば間違いなくアスラはミンチに変わる。だが、その時・・・

 ハァッハッハッハッハッハッハ・・・

 何処からとも無く高笑いが辺りに響き渡る。

 「ぎ・・・?」

 「誰だ! 何処に居る!?」

 流石に困惑し邪眼導師もAMRも辺りを見回す。

 「ここだ! 私はここにいるッ!!」

 「何時の間に?!」

 そして遂に、方角の特定できる声が響く。それは本部施設の屋上。長身と思しい影が、マント或いはコートの裾を風になびかせ其処に立っている。だがその顔の造型や正確な姿かたちは光で目を焼かれたため、確認することは出来ない。やがて、その謎の影は邪眼導師を指差すと一喝する。

 「未来の科学、笑止!」

 「なに・・・!」

 「貴様の言う未来の科学など、壊す為にしか使えない薄っぺらな技術に過ぎない! 真に強いのは、生きる事を諦めない意思! 自らの道を模索する探究心!! 貴様にその強みは無い!」

 「何者だ! 名を名乗れ!!」

 流石に其処まで言われ、余裕をかませるほど邪眼導師は広い度量を持っていない。だが、謎の影は答える代わりに低く呟く。

 「・・・装徹!」

 【System Set−up】

 同時に機械的な音声が響く。それとともに、影の腹当たりから長方形に放射される青い光の幕。視力を失っていなければ見ることが出来ただろう。その表面にはジョーリィロジャー・・・即ち、髑髏と×字交差した大腿骨を印章化した、即ち海賊のマークが浮かび上がっていたのを。

 そしてその光の幕に飛び込む影。影が飛び込んだ瞬間、光の幕はまるでカーテンのように影を包み込む。

 雪の上に着地する影。だがその姿は飛び立つ寸前と大きく様変わりしていた。それを見て、邪眼導師が再び楽しそうに笑った。

 「・・・へぇ、新しい仮面ライダーか」






 「全く・・・君たち仮面ライダーって奴は“遅れて登場”ってやつが随分好きみたいだね」

 嘲笑と何処かウンザリした様な雰囲気を混ぜ合わせながら邪眼導師は、謎の影に向けてそう問うように言う。仮面ライダー・・・その謎の影が変身した戦士の姿は、確かに仮面ライダーのようであった。そのマスクはオーソドックスに口の部分で上下に分割するタイプの髑髏を模した鉄仮面。ただ、目の部分は丸い複眼ではなく台形に近い形のやや吊り上った青いガラスの様なプレートだ。額にはアラームランプの代わりにダイヤモンド型のグラスパーツが嵌めこまれ、内部のメカニックが透けてチカチカと光っている。触覚は昆虫の様な触覚ではなくVを描く角。

 全身を覆うアーマーパーツはガンメタリックだが、胸を覆うX字を象ったプレートだけはは金属光沢のある群青色に染められている。腹部には巨大なバックルのあるベルト。その形状は風車(タイフーン)や石(ワイズマンストーン)が組み込まれているタイプに良く見られるライダーのベルトとしては典型的な中央に大きな円盤が備わったものだが、彼のものは風車や石の代わりに黒い蓋の様な物が嵌め込まれている。そして何故か左手には大きなブリーフケースのようなものを持っている。

 その姿は邪眼導師の言う様に、確かに仮面ライダーの符号を幾つも持っていた。だが・・・

 「否、俺は仮面ライダーに非ず」

 「何ぃ・・・」

 黒い戦士は邪眼導師が呼んだその名を否定する。マスクを通したその声はくぐもっているが、木枯しはその声を何処かで聞いた覚えがあった。

 「じゃあ、なんだって言うんだい・・・? 君の姿はどうみても・・・」

 「今は海賊」

 黒い戦士は短くそう言って一旦区切った後、胸の前に右手でXを描いて見栄を切った後、続ける。

 「そう、俺の名は、時空海賊シルエットX!!」

 名乗った黒い戦士の青いプレートの奥で細く長い目の様なラインがカッと光を灯す。確かに言われてみればだが、髑髏マスクとX字のアーマーは海賊旗を思わせるデザインである。

 「時空海賊シルエットエックスだと・・・」

 「真実の名を影に隠し、欲するものの為に戦うが故に」

 邪眼導師の呟きに、時空海賊は自らの名前の由来をそう答える。

 「ふざけた奴・・・まったく説明になってないじゃないか」

 「説明するつもり等、毛頭無いッ!!」

 邪眼導師の額に青筋が浮かび上がる。

 「なんて傍若無人振り・・・面白い。相手をしてあげるんだ!! 行け!ライダーハンター」

 「ぎぎー!」

 どこぞの少年と巨大ロボットの様なやりとりと共に時空海賊に襲い掛かるAMR。一気に詰め寄ったAMRは唸るドリル剣を時空海賊の頭目掛けて振り下ろす。時空海賊はそれに対し、回避・防御どちらの動作も採らない。高速で回転するドリルの刃は容易に命中する。
どごぉっ

 打ち据えられ、雪の上に投げ出される時空海賊。

 「ははは、なんだ思わせぶりに現れた割にてんで弱いじゃないか!!」

 その無様な姿を指差し笑う邪眼導師。しかし次の瞬間、予想外の事態が起こる。

 ミシ・・・バキ・・・

 「ぎ・・・ぎー?!」

 「・・・!」

 ドリル剣が半ばより折れて、上半分が落下する。そしてむくりと起き上がる時空海賊。本来ならば吹き飛んでいて然るべき頭部は、しかし彼の首の上にほぼ無傷で健在だ。ドリル剣は彼の頭を打ち据えた部分から破壊されたのだ。

 「・・・あんまり早いんで驚いたよ」

 「ありえないぞ! なんで無事なんだ!! 300年後のライダーだって倒せる武器なんだぞ!!」

 「・・・300年後のライダーというのは、深海一万メートルでも普通に戦えるのか?」 

 徐に、問いかける時空海賊。邪眼導師は最初、その真意がわからない。

 「マグマの中では戦えるか? 強酸の雨の中では? 液体窒素のプールの中では?」

 「成る程・・・」

 邪眼導師は時空海賊が何を言わんとしているのか、やっと理解する。

 「頑丈さには自信ありって所かな?」

 「もともと、その為のものでね」

 その言葉に肯定の意味を受け取る邪眼導師。本来の意味合い・・・という疑問もあったが、其方には余り興味がそそられない。寧ろ、新たなテストの相手がどれほどの戦闘力を持つのかに興味が注がれている。

 「へぇ・・・このライダーハンターと同じく防御にかけては鉄壁というわけか」

 だがその反面、先ほどのAMRの攻撃に対する反応から敏捷性や反射速度はそれほど高いものではないと容易に推測できる。

 「では・・・此方から攻撃させてもらう」

 時空海賊はそう告げると手にしていたブリーフケースを雪上に置き、その蓋を開く。そしてその中から、明らかにケースの容積よりはるかに大きい二挺の銃を取り出す。左手はスナイパータイプのライフルを。右手はグレネードランチャーを。

 「ぎーっ!!」

 それを構え、狙いを定める・・・前にAMRのカノンが発射され時空海賊の胸部に撃ち込まれる。またも吹き飛ばされる時空海賊だが、弾丸は胸部装甲を僅かに歪ませた後、強度が速度に耐え切れず破砕する。今度は、時空海賊の攻撃。歪な二挺拳銃のトリガーを引き絞る。

 「聖煉(デスクリムゾン)!! 雷撃(サンダーストライク)!!」

 ドゴドゴドゴドゴッ!!!

 シュガガガガガガガガ!!

 右手のグレネードランチャーから榴弾がフルオート射撃で、左のライフルは銃身に稲妻を纏わせ閃光にしか見えない弾丸を発射する。それをAMRは避けない。避ける必要がない。再び砲口を向け撃ち返して来るAMR。

 「見え・・・っ?」

 ドゴォッ

 いくら耐え切れるからといって何度も受ける積もりはないのかそれを左右に動きながら避けようとする時空海賊。だが、反射速度が遅いのか運動性能が低いのか或いは何れか、完全には避けきれず、逆に変な方向に弾き飛ばされてしまう。しかし、時空海賊はそれでも反撃を諦めずライフルとグレネードで応戦していくが・・・

 ドゴン!ドゴン!ドゴン!!

 バシュン!!バシュン!!バシュン!!

 当然、弾丸はアスラの攻撃と同様全てAMRの表面で滑り、一切被害を与えることは出来ない。というより寧ろ・・・

 「どわわわわっわあわっ!!」

 「ぬおおおおおおっ!!」

 「うひゃあああああっ!!」

 「ま・・・待ってくださいぃぃぃっ!!」

 仮面ライダー一人と女戦士二人、魔王一人の悲鳴が周囲から響く。因みにアンドロイド一人はアスラに抱えられているが、ダメージが大きいためそれ所ではない。逸れた榴弾、電磁弾、時空海賊が偶然避けきったAMRの弾丸は周囲に凄まじい被害を与えているのだ。周囲の人間は流れ弾に巻き込まれない様、逃げ回るしかない。

 「ぎぎぎぎぎぎぎぎぎっ!!」

 「フハハハハ! 化物風情が楽しんでいるつもりか!!」

 だが、当事者一人と一体は周囲の被害、我関せずといった調子で楽しそうに気の狂ったような大火力を撃ち合っている。どうやら時空海賊のほうはアドレナリンが大量分泌されているらしい。このはた迷惑ぶり、彼は一体、何のために登場したのか最早分からない。

 大火力が飛び交う騒がしい均衡が暫時続く。だが、それが破られる瞬間が来る。

 ガチン! ガチン!

 ガキン!!

 それは奇跡といえる出来事だった。奇しくも、ほぼ同時に時空海賊とAMRの火器の装てんされていた弾の数が尽きたのだ。そして、同じ危機的状況に晒された両陣営のものの間に、奇妙なシンパシーが生まれたのもその瞬間だった。

 「この程度の火力では薄皮を剥く様なものか・・・」

 時空海賊そう呟き、尽きたカートリッジを落としたそのとき、邪眼導師と仮面ライダーアスラは彼を挟んで立ち、そして彼に向かって突進していた。

 「好い加減にっ!」

 「しろぉぉぉぉぉっ!!」

 「なに?!」

 どごぉっ!!!

 砲弾が命中したときより更に激しい炸裂音。邪眼導師・アスラによる愛と友情のツープラトン・クロスボンバーが時空海賊の首に炸裂する。だが・・・

 「フ・・・マフラーがなかったら即死だった」

 「何っ?!」

 なんらダメージを受けていない様な時空海賊の声。何時の間にか青銀色のマフラーが彼の首に巻きついている。

 やはり仮面ライダーじゃないか、そう突っ込むより早く・・・

 「ハードナックル!!」

 技名はパンチのもの、だがそれとは裏腹に繰り出された前蹴りが邪眼導師の“男の急所”を捉える。響くのは書くのが些か憚られる様な擬音語。

 「!・・・っ」

 声に成らない悲鳴を上げて、雪の上をのたうつ邪眼導師。

 「ぎー・・・」

 置いてけぼりにされ、何処となく寂しげな声を上げるAMR。そして三人娘もこれまでの緊張感全てが台無しになった戦いの場をポカンと見ている。

 「てめぇ・・・一体何のつもりだ!! ふざけるなよ!!」

 マフラーをつかみ、捻り上げるようにしてアスラは時空海賊に言う。

 「これでも真面目にやっているつもりだ」

 時空海賊は涼しい声で返答するが説明の伴わない答えに到底納得できるアスラではない。

 「お前の無茶な戦いが仲間を巻き添えにしかけてるんだよ!!」

 「君は馬鹿かね?」

 「何・・・?」

 何処か皮肉っぽい、斜に構えた声のトーン。アスラもまた、聞き覚えがあるような気がする。しかし、それを思い出す前に再び問いが繰り返される。

 「馬鹿じゃあないだろう?」

 「当然だ! 馬鹿はお前だろうが!!」

 「フフ・・・」

 アスラの今にも噛み付きそうな口調での答えを聞いて、時空海賊は仮面の中で鼻を鳴らして笑う。

 「なら、仲間の弾になんかあたりはしないだろう?」

 「・・・っ!!」

 試す様な時空海賊の問いかけ。アスラは一瞬、答えに戸惑うが・・・

 「当然だ!!」

 「それでいい」

 マフラーを放し、解放するアスラ。時空海賊は満足げに呟く。不満を残しながらも何とか和解はする両者。しかし一方、敵方は・・・

 「こんなとき・・・父さんにも蹴られたことないのに・・・と言うべきなのかな? それとも僕、サングラスかけてるからこれが若さか、って言うべきかな?」

 やっと痛みから回復し、ゆっくりと立ち上がる邪眼導師。冗談を言う彼の顔は、しかし凄まじい怒りの形相に歪んでいる。

 「もう、トサカに来た・・・! もうちょっと楽しんでいこうと思ったけど、もう怒った・・・!!」

 しかし流石にダメージが大きかったのか、青ざめた表情でぜいぜい言っている。恐ろしい男だ・・・とアスラは戦慄する。その部位への痛みを知るものならば普通、どうしても躊躇ってしまう急所への攻撃を、この時空海賊は何の躊躇いもなく繰り出し、あの強力な魔王に大きなダメージを与えたのだから。

 だが、その凄まじいダメージと屈辱は魔王に思いがけない決断を下させる。

 「この情けない姿を見た奴みんなまとめて死んでしまえ・・・!! ハンター!!」

 「ぎ」

 「僕はもう帰るから君は五分後に爆発して全てを吹っ飛ばせ!!」

 「ぎ!」

 了承するように頷くAMR。そして、邪眼導師は狂気じみた顔を時空海賊に向ける。

 「シルエットエックス、流石に頑丈な君でも瞬間最大温度一億度の火球に晒されたら無事じゃ済まないだろう!」

 「ああ・・・余り自信はないな」

 マスクの横の辺りをまるで掻き毟る様に指を上下させながら、それでも落ち着いた調子で言う時空海賊。それはが実際の余裕からくるものなのか、ハッタリからくるものかは窺い知れないが、流石に至近距離での核爆発に耐え切れるような頑健さは備えていないはずだ。

 「爆発までの五分間、こいつと戯れながら僕に恥をかかせた罪を悔いるがいい!」

 そう捨て台詞のように言うと、邪眼導師の姿は闇に包まれやがて消える。後に残されたのは不気味な笑みを浮かべたような顔のAMR。そして白い化物は最後の絶望を与えるために、アスラと時空海賊に襲い掛かってくる。

 どごぉっ

 「さて・・・」 

 「落ち着いてないでなんとかしろ!!」

 パンチで雪にめり込みながらも一定の調子の時空海賊に向かって叫びながら、アスラは次の瞬間向けられるカノンの射線上からしっかり逃れる。だがそれも、僅かな時間稼ぎにしか過ぎない。

 「く・・・」

 「奇妙な声を出すな、アスラ。ヒーローたるもの常に斜に構えろ」 

 「格好つけてる場合か!!」

 身体の半分を地面に埋めながら大振りのポーズを決める時空海賊にアスラは叫ぶ。繰り出されるAMRの蹴り上げに地面から掘り起こされ宙に舞い上げられながらも時空海賊は口の前で指を振って言う。

 「伊達も酔狂も無い奴がヒーローをやるな!! チャンスをやるから、こいつを倒してみんなを助けろ仮面ライダー!!」

 「なに・・・?!」

 「三十秒持ち堪えて見せろ!」

 着地しようとして滑ってこける時空海賊。何処か素人臭い動きだ。そしてこの台詞、何処かで聞き覚えがある。だが、今は詮索をしている時ではない。今一つ信用できない相手だが、今はこれしかない。

 「・・・何をやるつもりか知らないが・・・任せろッ!!」

 「ベネ(よし)」

 何故かイタリア語で相槌を打つ時空海賊。それと同時にアスラはAMRに向かって突進する。AMRを覆うなんとかゼロ装甲、詳しくは判らないが摩擦をゼロにするらしい。だが、全ての面が摩擦ゼロではないはずだ。それならば立つことも武器を持つことも出来ない。
まずは、あの厄介なカノンを破壊する。話はそれからだ。アスラは足元に落ちていた腕・・・先ほど千切れた阿修羅神掌を拾い上げる。
突進したアスラを見送り、再びケースを開く時空海賊。その中から取り出されるのは、先ほどの二挺の銃より更に巨大な何かの機械。側面に蝸牛を思わせる螺旋円が刻まれたそれは、何処となくサイクロトロン(粒子加速装置)を思わせる。

 「エキゾチック物質充填率、七割八分八厘・・・発射最低値か。だが充分だ・・・後は敵の質量計算」

 「ぎーっ!!」

 突如出現した高エネルギー物体。ビーム兵器と思しきそれを認識し、そちらを優先標的に設定するAMR。だがアスラがそれを許さない。振り下ろされる砲口。集中力が極限まで高められ、体感時間が引き延ばされる。内側に無数の稲妻を走らせるカノン。だがアスラは砲弾が発射されるより早く、手にした武器、先ほど拾い上げた神掌を砲口に目掛けて投げつける。

 「ぎーっ?!」

 狙いあやまたず、腕は砲口内に撃ち込まれる。そして起こるのは暴発。やはり発射機構を要する以上、カノンの内部まで摩擦をゼロにすることは出来なかったらしい。そしてアスラは鋭く呼ぶ。

 「コウ! 来い!!」

 『グオォォォォォッ!!』

 虎の様な咆哮。それとともに来るのは、やはり虎を思わせる白いバイク。霊獣コウがアスラ=元宗の愛車ゼファーに憑依し、アスラ専用の戦闘バイク「ストームファング」に変形させたものだ。

 「行くぞ!! コウ!! フルブースト!!」

 『了解!!! グオオオオオオオオオッ!!!』

 エキゾーストノイズの代わりに咆哮を上げるストームファング。嵐となったアスラ・ストームファングは雪を、激しくかき散らしてAMRに突進する。

 「ぎーーーーーっ!!」

 ほぼ一瞬で肉薄したストームファングに猛スピードで拳を繰り出してくるAMR。両手の武器を失った以上、最早残された攻撃手段はそれしか在るまい。命中すれば、無事では済まない拳。だが、その威力があるからこそ、良いのだ。

 「コウ!! スラッシュホイールだ!!!」

 その前輪が、ファング=牙の名前が示すように無数の刃が並ぶチェインソーに変形する。そして力任せに前輪を引き上げ、ウィリーにする。

 ギュイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイイン!!

 高速回転するブレードと、撃ち込まれた拳が衝突する。それによって生み出されるのは、火花と砕けた機械。やはり衝突の瞬間、拳の摩擦はゼロになってはいない。それはこの破壊が物語っている。そして、例え再び摩擦をゼロにしようと無駄なことだ。スラッシュホイール、それはアスラの霊力からコウが生み出した法力の刃。物質を媒介としている以上完全にとは言えないが、ある程度の物理法則を超えて攻撃可能だ。

 そして最後に浮かび上がるアンチマジックの幾何学模様。だが、遅い。

 「この不良品ガァァァァァァ!!!」

 「ぎーーーーーーーーーーーーーっ!!」

 スラッシュホイールはAMRの拳を粉々に破壊して退ける。元あった以外の機能のため、その機能だけ作動が遅れたのだ。だが、それでも尚、残ったもう一方の腕で殴りかかってくるAMR。しかしアスラは、滑る装甲の上をそのまま滑走し、空中に飛び上がる。

 「下手物よ・・・貴様は既に死んでいる!!」

 吼えるアスラ。既に三十秒。契約の刻限はやってきている。そして、その契約通り、時空海賊はその義務を果たす。

 「誤差修正完了! 凍咎(アイスクライム)発射!!」

 引き絞られるトリガー。その瞬間、黒い光?の帯が放たれ、回避する間を与えずそれはAMRを包み込む。だがAMRは悲鳴も怒声も上げず、その姿、その影の形に何の変化も現れない。だが、黒光が消えたとき、初めてアスラは理解する。

 「停まった・・・?!」

 まるで、其処だけ時間が切り取られたように、AMRとその周辺の空間が静止している。舞い上がった雪は舞い上がったままに、振り上げた拳は振り上げたままに。眼光さえも其処に静止している。

 「今だ!! 打ち砕け、アスラ!!」

 「応!!」

 何が起こったか等を詮索する暇はない。

 「コウ!!」

 『あれをやるのかニャ?!』

 「そうだ!! 行くぞ!!」

 ストームファングを阿修羅神掌でホールドするアスラ。そのままストームファングを振り回す様に高速回転を始める。投げつける為ではない。質量を増加させることで遠心力を高め、回転速度を上昇させるためだ。そして、ストームファングのダクトからジェットのような排気が噴射され、更に回転速度が上がる。

 『元宗!!』

 「応!! 修羅旋風完殺脚!!!!」

 ドゴン!!

 撃ち出されるアスラ。最早、その色さえ消えうせ嵐、いや台風とさえなったアスラはAMR・・・未来より来た絶望に襲い掛かる。

 そして、キックが命中した瞬間、絶望は粉さえ残さず砕け散った。






 「凄いもんだな・・・」

 AMRはその残骸すら残さず消え去った。後には放射線も検出されない。

 時空海賊に向けて、そう感嘆の声を発するアスラ。

 「・・・原理は聞かないのか?」

 時空海賊がそう聞くとアスラは首を左右に振って答える。

 「理解できるものとそうでないものの差くらいはわかる」

 「それは助かる。エキゾチック物質とかグルーオンとか色々説明が面倒でね。ま、時空の大洋を航海するには必要な力さ」

 そう、雲の覆う空を見上げながら彼は言う。湧いて来る疑問は尽きない。だから先ず、アスラはこう問いかける。

 「・・・あんた、一体何者なんだ? 何故、時空を旅する様なあんたが俺たちの手助けなんかしたんだ?」

 「フフ・・・あれを助けた、なんて言ってくれるんだな」

 「う・・・」

 言葉に詰まるアスラ。辺りは炎と弾雨で目も当てられない事態になっている。だが、先ほどの派手な撃ち合いの意味もアスラは既に理解している。事実上、AMRにとどめを刺したあの冷却(?)兵器に、エネルギーをチャージする時間を稼ぎ、更に悟られない様にするための目晦ましの意味合いを持っていたのだ。だが、それを鑑みても些か、この周辺被害はひどいものだった。

 「・・・次は無いからな」

 変身を解除し、元宗の姿に戻ると彼は時空海賊をジト目で見る。

 「はははは・・・あんまり怖い顔をするなよ」

 乾いた笑い声。元宗は小さく溜息を吐くと改めて問う。

 「で、結局あんたは一体何者だ?」

 「はぐらかしたつもりだったんだがな・・・言ったろう? 海賊さ」

 その答えに再び溜息を吐く元宗。これ以上、この謎の男の口を割らせるのは彼やAMRの装甲を撃ち抜くほど困難なことらしい。

 「今は名乗る気がないってことか」

 「悪いがな」

 「・・・共に戦ってくれるのか?」

 その問いには時空海賊も頷いて答える。

 「目的が重なれば」

 「その目的ってやつは・・・教えてくれないんだろう?」

 「ああ。すまんね」

 やはりか。だが、今の自分に重要なことは、彼が共に戦う同志だということ。いや、同志でないにしても、少なくとも戦友であるということが、最も重要な事柄だ。彼の今の目的は魔帝国を打倒する事なのだから。

 「ま、いいさ。あんたが敵じゃなければ、それで良い・・・クロスボンバーは済まなかったな」

 「アイコさ・・・と、そろそろ時間らしい」

 空を見上げる時空海賊。既に空には異変が起こっている。厚く覆う雲が裂けて、黒い巨大な物体が飛来する。それは船とも飛行機ともつかない巨大な飛行物体だった。

 「あれは・・・」

 「おれの船、超時空海賊船フェザータイクーン」

 やがて、そのフェザータイクーンと呼ばれる巨大飛行物体は陰陽寮の上空で制止すると、一筋の光で時空海賊を包む。以前、SFの小説化何かで読んだことがある・・・確かトラクタービームというものだ。

 「じゃ・・・また会おう。本韻元宗、仮面ライダーアスラ」

 「ああ・・・またな。時空海賊シルエットX」

 短く別れを告げた後、時空海賊の姿はフェザータイクーンの中に吸い込まれていく。そして光が途切れると・・・上空を覆っていた巨大戦艦はまるで霞の様に消えてしまう。




 「・・・時空海賊か」

 心強い味方の存在を確かに感じる元宗。馬鹿みたいに戦えといわれれば、戦うことしか考えられず疑う心が薄くなる辺り、彼の馬鹿さの由縁か。だが、それでも元宗の心には決して小さくない炎が再び燃え始めていた。

 「覚悟しろ・・・魔帝国」

 彼は静かに拳を握り始めた。

 願わくば、その炎が彼自身を燃やさぬ様・・・







第三話 謎の影 完


後書き

アベル:最強戦士の願いを込めた〜♪メッタリックカァドは正義の証〜♪
元気になれ!強ぉ〜くなれ!デカレンジャァソォセェジィ〜♪
邑崎:・・・
アベル:どしたの? 元気ないね。折角、歌ってあげたのに。
邑崎:疲れました・・・本当に疲れました。
アベル:ま、自己記録で過去最速だからね。しかしまあ、好き勝手にやったもんだ・・・落天宗のみなさんはどうしたの結局?
邑崎:聞かないでください。これから他にやらなきゃならないこともあるし、これ以上書いたらページ数がまた二部に分けなきゃならない事態になりますから、次回の冒頭で顛末を説明する予定です。
アベル:わ〜投げっぱなし。ま、彼らのことなんて実際どうでもいいけど。
邑崎:本当は空中戦も書きたかったんですけどね。
アベル:描写不足も多いし。結局、元宗君のことって解決してないよね。
邑崎:あれは、今回解決させることじゃありませんから。
アベル:どうゆうこと?
邑崎:ま・・・おいおい説明するということで。一つばらしてしまえば、彼は瞬生存説を信じられないんじゃなくて信じるのが怖いんです。
アベル:??
邑崎:だからそれは今度ですって。
アベル:う〜ん・・・まあいいや。時にライダーハンターを倒した武器、あれって一体なんなの? 結局、説明は無かったけど。
邑崎:エキゾチック物質をぶつけて重力・電磁力・弱い力・強い力を無効化し、素粒子より小さいレベルで物体を静止させる・・・つまり凍りつかせる武器です。終わり
アベル:ワケわからん。
邑崎:とにかくそういうものだ、と理解してください。これ以上、ここで説明する気力はありません。
アベル:まったくなんて人だ・・・まあ、それはそうと、あの変身は弁明の必要ありじゃない?
邑崎:そうですか? 一応、伏線は散々張っていたんですけどね。零話からだけじゃなく色んな所で張ってましたけど。
アベル:でも流石に驚くんじゃない? 京二さんがいきなり女装したら。
邑崎:そっちですか! あれは48のセクハラ技、ローラローラごっこですね。いつか使おうと思ってたんですが・・・また使うかも。
アベル:やめい。
邑崎:で、唐突に出現したシルエットXの正体ですが・・・バレバレとは思いますが、皆さん、彼が正体を明かすまでわからない振りをしておいてあげてください。ビジターの皆様もお願いします。
アベル:・・・ふひひひ実は彼の正体は・・・
邑崎:怒りますよ。
アベル:け〜ち。ま、名前からしてまるわかりだよね。読者さんには。特に影月さんはもう知ってるし。
邑崎:帰ってきた鬼神の重要な要素でしたからね。相談せざるを得なかったんですよ。まあ、これで企画書に書いたほぼ全ての要素は消化しましたね。
アベル:後は・・・と、これ以上言ったらまた怒られるね。
邑崎:そういうことです。ではビジターの皆さん、御機嫌ようさようなら。プライベートな事情で今度はしばらく時間が空くと思いますが、長い目で見ていてください。申し訳ありません。それからライダーハンターの設定をお貸し下さった間津井店長様、遅くなりましたが此処に深く感謝の意を示させていただきます。では・・・
アベル:じゃ〜ね〜



邑崎:あ、次回予告を忘れてました。
はい

【次回予告】
聖職者が次々自殺するという事件が起こる。
その影に魔帝国の影を見たアスラは調査に向かうが・・・
第四話「悪夢のクリスマス」お楽しみに
アベル:適当だな〜


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