ひょう

 風切音を立てて、空に三体異形が舞う。先行する一体は修験者の格好に猛禽の面相と背に生える巨大な翼を持った天狗。その翼を羽撃たかせ、舞う様に降る雪の中を高速で駆け抜けていく、その下方から追う様に迫るのは青白い肌をした巫女姿に羽衣を纏う雪女。そして長い赤毛を生やす大型の類人猿を思わせる姿をグレーのスーツで包んだ猩猩は背中からパイプオルガンを思わせる木製の管を何本も生やし、そこから絶えずひゅうひゅうと音を出し続けている。

 妖人。彼らはそう呼ばれる存在。大気に大地に、森羅万象に尽く宿る気・・・それが澱み固まって生じた魔性の精、妖怪。その力を血に組まれた呪によって肉に取り込んだ・・・人でありながら人の身を捨てた者達。それぞれ、天狗は月野、雪女は霜田、猩猩には木亘理という人の名前がついている。

 空を高く、より高くへと上昇していく三人。先んじるのは月野。隼を思わせるその姿の通り、飛翔速度は後の二人よりいくらか速い。先行する彼に向けて手をかざす霜田と木亘理。その掌に霜田は青白い、木亘理は薄緑の光が灯る。

 「木霊弓(こだまのゆみ)」

 「飛銀竹(とびぎんちく)」

 ヒュバッ! シュガッ!

 詠唱される呪詛の言。同時に、光に変わって氷柱と錐の様に尖った太い木の枝の様なものが掌に現れ、天狗に向けて弾丸の様に撃ち出される。

 「チィ」

 小さく舌打ちする天狗。それは風を切る鋭い音色を響かせ、真っ直ぐに天狗との距離を縮めて飛んでくる。

 ひゅおん

 半月を描く様に舞う月野。皮膚を裂き肉を抉る筈の氷と樹の矢は大きく翼を羽ばたかせ身体を翻した彼の脇を行き過ぎ、虚空へ消える。だが、その空中舞踊に要した時間は、後続の二人が月野に迫るのに充分なものだった。

 「翼の筋を切らせて頂きます」

 そう言う木亘理の掌に再び生じる若葉を思わせる色の光。それは棒状を取りながら彼の半身の丈と同じ長さに伸びる。

 「岩割刀(いわわりがたな)!」

 やがて光から実体化した棒状の何かを木亘理は掴み、月野に切りかかる。木亘理が呪力によって具現化したそれは一見して太刀の形をしただけの単なる木の棒。だが呪詛的な力で生じたそれには鋼より強い剛性弾性が備わっている。

 ごうっ

 唸り。猩猩・・・サル特有の強靭な筋力で振るわれれば、これは即ち棍棒。筋を切る所の騒ぎではない。一撃掠めればそれだけで肉が裂け、骨が砕ける。月野の手の中に八手の大団扇が現れる。彼は、硬木の太刀を振り翳す木亘理に向けて素早くそれを振るう。

 「疾風よ!」

 ぐごぅ

 台風を圧縮した様な、高密度且つ凶暴な風が月野の目の前の空間に発生する。僅かに離れていた霜田は一瞬早く暴風圏内から逃れ果せるが、肉迫するほどに接近していた木亘理は飲み込まれる。だが、次の瞬間月野の目に思いも寄らぬ光景が映る。

 ざん

 木亘理の体を切り刻む筈の無数の風の牙は、逆に木亘理の一振りによって引き千切られ、更に返す刀が逆袈裟から。月野は咄嗟に大団扇を構えそれを受ける。ぐしゃりという破壊音と芯に響く衝撃。骨は折れていない。だが、その一撃に大団扇は使い物にならなくなる。

 「この力・・・ドラッグかね?」

 僅かに驚嘆して月野。その問いに、今一度、木の太刀を振り被った木亘理の表情が苦笑に歪む。唸る、風。

 「・・・部下にだけ使わせるわけにも行きますまい」

 自嘲の台詞と共に打ち込まれる第三撃。だが、それが月野に届くことは無い。

 「無駄だッ! 忌魃(いみびでり)ッ!」

 「く・・・かっ?!」

 ジュウウウウウッ

 一瞬、空間が歪む。太刀は、月野に打ち据える直前には砂に変わり崩れ去っている。同時に罅割れていく木亘理の顔、手、そして眼球。月野を中心に生じた歪みの中がまるで風化する様に朽ちて行く。それは空間内の空気が水分を失った事で生じた現象。本来は意図的に日照りを起こす為に作られた呪い術を限定した領域内で発動させたことで、強烈な脱水作用を発揮したのだ。

 「お前は其処で乾いて逝け」

 ミイラの様に乾びていく木亘理に一瞥をくれる月野。だがその背後に生じる冷気。それは雪舞う空に在って尚、酷く冷たい。

 「させ、ないわ」

 「!」

 振り返る彼の視界を、極光にも似た光のうねりが侵蝕する。鎌首をもたげる蛇の様に空中を這いながら襲い掛かる発光体。それは霜田が纏う羽衣。月野は知っている。その美しい光を放つ羽衣が、触れれば数秒で骨まで凍て付く凶器である事を。しかし同時に、それが本質的には薄い布でしか無い事も承知している。即ち・・・

 「構太刀甲(かまえたちのよろい)!!」

 ひゅわぁっ

 空中を濃く白に染める雪が月野の周囲でもがり笛を孕み、渦巻く。そして、その純白の螺旋を虚空が穿ち、無彩色に無色の月を無数に描き出していく。極光の羽衣は、この衛星群の高速の公転に阻まれ弾かれていく。この術は、本来弱い真空刃を無数に生み出す術なのだが、薄い衣程度ならば弾き返すことは造作も無い。だが・・・

 「こおおおおぉぉっ!!」

 ギュオオオオッ

 裂帛の気合。それと共に彼に向かって降り注ぐのは、再び硬く重い棍棒の一撃。木亘理が大猿の面に凄まじい形相を浮かべ振り下ろしてくる。霜田に気を取られた一瞬の間に復活を果たしたらしい。彼は、遮る様に切り苛む真空の刃を受けながら、一瞬さえ怯まず振り下ろしてくる。

 メキッ・・・

 「くぅっ・・・!」

 鈍い音色が響く。骨が折れたのだろう。

 「・・・腕を犠牲にされたか」

 翼を潰されれば逃げ足を失う。故に月野は自らの腕を生贄に捧げ、翼の喪失を免れたのだ。目論見を阻まれた木亘理は棍棒を月野の腕から離す。更なる殴撃を繰り出す為か。だが、彼は振り被らず、変わりに沈痛な表情を浮かべる。やがて、彼の右手に在った棍棒は粒子状に分解して空気に溶ける様に消える。

 「もう・・・止められよ」

 「なに・・・?」

 突然の武装解除と勧告に訝しむ月野。木亘理は両手を左右に広げると静かな口調で言葉を続ける。

 「派閥や思想は違えど我等は同胞の筈。これ以上の闘争は不毛・・・!」

 「ふざけるな!!」

 一喝する月野。木亘理の言葉は、或いは落天宗という組織の内部で完結した問題ならば確かに真っ当な主張だった。だが・・・
「その同胞を魔族に売ったような奴が何を言う!! 奴らは・・・!!」

 月野は翼を大きく広げ、そして直後、強く羽ばたかせる。それにより撃ち出される無数の羽の総てが、刃物の様な光を帯びている。

 「売ったのではない。生き延びる為の道を選んだだけのこと・・・!」

 サッと木亘理の前に現れる霜田。彼女の羽衣が円を描く様に揺れると、出現する氷の壁。四方へ向けて撃ち出された筈の羽は、しかし吸い込まれる様な収斂する軌跡を描いて壁に突き刺さり、総て阻まれる。

 「果たすべきを果たさず何が生きる道かね!?」

 
シャリーン!

 だが直後、粉砕する氷壁。予め妖力を込めておいた羽が爆裂したのだ。砕けた氷の欠片と生じた湯気が霧となり、それに紛れる月野。
「解らぬ方だ・・・千年の怨みを晴らし、そして又、千年の未来に生きる・・・その為の同盟なのです!」

 霧が揺らめき、抉れる。それは吼える木亘理に対する返答。圧縮され弾丸の威力を伴った空気の塊を木亘理は見切り、三度出現させた棍棒で打ち据え破裂させる。圧縮された空気が解放され、発生する爆風。霧が吹き散らされ露わになる月野の姿。木亘理はそれに向けて投げ槍のように棍棒を投擲する。

 「大和民族の絶滅、そして主の復活こそが我らの悲願! にも拘らず、奴ら利用されるなど・・・本末も転倒!」

 あっさりと打ち貫かれる月野。だが、彼の姿は直後に陽炎となって消える。分身による回避。霧の中に紛れている最中に用意したのだろう。本物は木亘理の真上。気づき、仰ぎ見た瞬間には既に急降下を始めている。猛禽をモティーフにした鋭利な鈎爪が仮面戦士を思わせる蹴撃と共に降り注ぐ。

 「何を・・・馬鹿なことを!!」

 頭蓋を切り裂くべき一閃。だがそれが到達するより早く、月野に纏わりつく白い塊。大きさの異なる二つの雪玉を繋ぎ合わせた・・・即ち雪ダルマが月野の翼に衝突し、破裂する。飛び散る雪は直後に凍り付き翼の動きを止める。霜田が飛ばした護法(式神)だ。

 「その“悲願”が! 一族をこれ程までの危機に追い込み縛り付けたのだと何故理解出来ませぬ?!」

 そう問いかけ、“蔦朽縄(つたくちなわ)”を再び唱える木亘理。すると彼の袖口から無数の蔦が現れ、月野に向かって走り、空中での機動力を失った月野に蛇が捕らえた獲物にそうするように絡み絞め付いていく。

 「復讐・・・復讐! その先に得るものの無い過去に囚われ! あの古い竜の呪縛に縛り付けられ! 無謀な戦いを繰り返したことが!! 一族に、これ程の危機を招いたのですぞ! 私は彼らの力を利用し! 不幸の種を刈り取ろうと言っているのです!」

 蔦によって宙吊りとなる月野。彼は逃れようともがくが、裏腹に束縛は締め付けの強さを増していく。やがて彼は搾り出す様に声を発する。

 「悪魔に・・・魂を売る事と・・・同義だ・・・ぞ!」

 「此れまでの様に・・・死に神に売るよりは余程マシでしょう!!」

 叫ぶように言いながら、彼の表情は苦悩する者のそれに近い。彼は一気に締め上げ、意識を奪おうと試みる。

 「馬鹿な・・・奴等こそ、奴等こそ!!」

 だが直後、生じるのは獣の唸りに似た風の音色。月野を中心に雪の粒が無数の円を猛烈な勢いで描き始める。

 「我らが主の真の仇だぞ!!」

 そして咆哮とともにそれは解き放たれる。

 ――――陽食北家流癸式戦呪術奥義

 「辰荒嵐(たつのあらし)!!」

 
ゴオオオオオオオオオオオオオオオッ

 まるで空間そのものが出鱈目に捻り回された様に、雪は無数の螺旋を描き荒れ狂う。それは数百数千の太刀と鉄槌の破壊力を与えられた風の巨竜。竜は蔦と氷の戒めを容易く噛み千切ると、最早稲妻の落ちる様な凄まじい咆哮を上げながら、主を追う二人の妖人に襲い掛かる。

 「深緑静寂(ふかきみどりのしじま)!!」

 「山封白壁(やまとざしのしらかべ)!!」

 同時に唱える木亘理と霜田。突如、空中に無数の大木が出現し絡み合いながら密な網目を造っていく。そして、更にそれは霜を帯びながら白く凍て付き、巨大な樹氷の結界となって嵐竜の侵攻を阻もうとする。

 メキメキメキ・・・ッ

 (凄まじい威力・・・!)

 破砕音が響き、氷壁の全体に亀裂が走る。二つの呪を複合することで防御能力を高めた樹氷の結界も大気を掘削する暴風の顎に噛み砕かれ、口腔の奥に引きずり込まれそうになる。

 (流石は鬼神に匹敵する妖力を持つと言われるだけ在る・・・だがッ!!)

 戦慄に、冷えた大気に晒されながら額に汗を帯びる木亘理。

 「私は負ける訳にはいかん!!」

 「なにッ?!」

 樹氷が急成長し風を引き裂いて、飲み込んでいく。木亘理は更にもう一本、魔醒血を投与しパワーアップを図ったのだ。だが、それは自らを妖怪へと変貌させるかもしれない諸刃の刃。木亘理は苦痛に激しく表情をゆがめるが、自らの内側に吹き荒れる嵐の様な妖力を制御し、放射し続ける。

 「あのような忌まわしき竜など・・・我々には必要ないのだ!!」

 「な・・・なにぃぃぃッ?!」

 「陽食南家流戊式戦呪術奥義!!」

 遂に風はその力の最後の一片まで失い、宙に溶けて消える。木亘理はそれを見逃さず最大の術を放つ。

 「縊樹腕(がじゅまるのかいな)ッ!!」

 次の瞬間、突き出した腕から凄まじい速度で伸びる無数の幹、幹、幹。それは絡み合い、一つの形を成しながら月野へ襲い掛かる。

 風の障壁も、羽の弾幕も貫き、それは腕となって迫る。太い腕、太い指、広い広い掌を持った腕となって。

 「ギニャアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!」

 そして腕は月野を掴み取った。

 ・・・・・・

 目覚める。夢、だ。つい、昨日の。どうやらあれから今まで眠っていたらしい。周囲を見回して、月野は理解する。其処は地下牢。出口以外の5面が自然石の牢だ。出口には太い亜鉛合金製の格子が入れられており、反呪詛措置も施されていて術による脱出は不可能。

 だが・・・問題ない。

 「意外と元気そうですね。月野さん」

 声が響く。女性の声。だが鉄格子の外にいるのは大男。確か急進派に属する妖人の一人で、この里の生まれでないため洗脳により同士になったやつだ。彼の手には食事と思しき茶碗一杯の白飯と茶の湯。目の焦点は合っておらず、よだれは垂れて完全に心神喪失状態。

 「もう少し、怪我してるかと思ってたけど」

 「俺もま、使ってたさね」

 そう言って注射を射すような仕草。

 「あいつらは?」

 「彼らを出迎える準備をしているわ」

 「そっか。じゃあ、後は木亘理の手腕しだいやね」

 そう言った月野の表情に、しかし笑みはない。胸から込み上げる熱いものを無理やり押さえ込む。

 (あと・・・どれくらい持つ・・・?)

第四話
(アスラ編第一幕)
「悪夢のクリスマス〜The ADVENT of Satan〜」

諸人挙りて 
迎え奉れ
久しく待ちにし 
主は来ませり
主は来ませり
主は 主は来ませり


(賛美歌112番「主イエス・キリスト 降誕」)


 雪降る中にこの季節お決まりのメロディが流れている。今日の日付は12月24日。即ち、世間一般に言うクリスマスイブという日だ。時刻は午前十時を僅かに回った頃。だが、空は黄昏時より幾倍も夜に近い色を帯びている。マリアはせめて雪の感触でも楽しむようにサクサクと足音を鳴らしながら、まばらな街を抜けていく。

 「少ない」彼女はそう感慨を抱く。街を行く人の影が、だ。例年ならこの時期、異国の聖人の誕生日に託けて儲けを上げ様と目論む商売人の思惑に自ら進んで乗せられている幸せな人々で街は溢れかえっており、普通に歩く事も難儀するはずだ。だが、それが今年に限っては軽やかに歩いていくことが出来る。

 マリアはそのことの理由を知っていた。「異常気象」の所為だ。簡潔に言えば“寒さ”が人々を家の中に閉ざしている。最も単に寒いだけならば暦から鑑みて当たり前のことのように思えるが、異常気象と標されるだけあり、今年はその寒さが尋常なものではない。富士山が噴火してから今日で一週間。今尚、火口から昇り続ける噴煙と関東上空に停滞する低気圧が生み出し続ける黒雲が首都圏の空を厚く覆い、ほんの少しの切れ目を僅かほどの時間さえ作らず、黙々と太陽を閉ざしている。その為、灰を含んだ重い鈍色の雪が絶え間なく降り続き、常時太陽光が遮られている事で気温は零下まで下がってしまったのだ。

 消防庁や国土交通省など関係各機関の尽力で今のところ陸の孤島と化し首都機能が停止するには至っていないが、このまま雲が晴れなければそうなるのは然程遠い未来の事ではないだろう。一方、陰陽寮は陰陽寮で例年通り慌しさを極めている。最も常ならば祈願系の陰陽師などが中心となってホワイトクリスマスの演出に尽力するところだが、わざわざ降雪を祈るまでも無い今年度はライフラインの凍結を防ぐため炎熱系陰陽術の使い手が駆り出されている。

 「・・・クリスマスかぁ」

 既に雪国に似た様相を呈し始めている風景。それにも関らず通りに在る商店は根気強く商いを続けている。そんな様子を眺めながら溜息を吐く様にマリアは一人呟く。思えば自分は自身のキャラクターにそぐわず、随分この冬のイベントから縁遠い生活を送ってきたものだと彼女はあらためて思う。キリスト教圏を故郷とする母親の血を外見に強く受け継ぐマリアだが、幼い頃は忍者の里、物心付いてからは政府の保護養育施設・陰陽寮と比較的現在の一般的な社会から隔絶された古風な仏教・神道の影響色濃い文化の中で育った彼女は「日本における常識的なクリスマスの習慣」を持っていない。

 「・・・今年も無理だったなぁ」

 暗い空を見上げあきらめムードのマリア。これまでこの日を楽しむ習慣を持たずに育ち、オカルト技術に携わった仕事をしている関わりから今の日本のクリスマスがどれほど本来の意味合いから離れたものであるか良く知っている彼女だが、憧れを抱かないわけではない。流石に玩具等のプレゼントを欲する歳ではないのだが、テレビなどでしかその様子を見たことの無いあの煌びやかに飾られたパーティーの雰囲気は強く心惹かれるものがある。何時か仲の良い同僚の仲間と一緒に会を催したい・・・と考える彼女だが、陰陽寮に入って三年、年毎にそれが絶望的なことを思い知らされる。

 何度も言うようだが、陰陽寮にとって歳末は年間を通して最も忙しい時期である。クリスマス・正月と連続して訪れる年中行事の持つ強い言霊の力を利用した大規模な作戦が行われるので、その事前事後の対策や処理に奔走させられ、七草粥を食べる頃までほとんど暇は無い。

 「なっちゃんは・・・」

 良いなと、聖ゲオルギウス教会へ行った同僚を羨ましがりかけてマリアは止める。別段奈津がクリスマスチャペルに招待された訳ではないからだ。彼女が日本におけるローマ法王庁の意思代行を行うその場所へ赴いたのは、ここ半年強の例に漏れず任務の為である。そして任務であるのはマリアも同様。意味も無く雪の町を散策しているわけではないのだ。しかし彼女は、メモ帳を取り出してパラパラとめくりながら改めて、

 「やっぱりいいな」

 と呟く。開いたページには赤い印がつけられた地図と印のつけられた場所の番地と思しい数字の列が書かれ、その下には円で囲まれた“元宗”の二文字。それを見て、彼女は500mlペットボトル一本分くらい、心臓辺りが重くなるのを感じる。その場所は高野山から派遣された退魔士元宗の東京における仮住まい。

 ・・・要するに其処が彼女の目的地だ。四日前の襲撃事件の後、彼は陰陽寮を離れてしまったのだ。

 (やっぱり・・・わたしたちのせいかな・・・)

 元宗はその理由を何も話さなかったが、マリアは自分たち三人が伊万里京二の逃亡を幇助した事が、そしてそれについて殆ど不問とされたことが気に入らなかったのだろうと、その心情を推測していた。

 (幾ら伊万里教授の行動が先輩の帰還に繋がる微かな希望に或いは成るかも知れない・・・とは言っても)

 結果的に彼の直情的な正義感を蔑ろとする形になってしまったのだ。そう言った負い目もあり、彼女は元宗を尋ねるのは何と無く気が重かった。

 「はぁ〜あ」

 ため息が白く曇る。何時もはネアカな能天気を演じる彼女だが、実は周囲の人間に気を回しすぎるタイプなのだ。最も、的外れな場所で空回りも多い。それ故に、一度このように悩み始めると抜け出せなくなる。キュルキュルと甲高い音にふと目をやると、スリップするミニカー。

 ちょうど、チェーン無しでこの雪道を走ろうとする車の様に。しかし状況は安穏と空回りしていられるほど悠長なものではない。割り切り、速やかに元宗の下へ行かなければならない。

 (わたしってそういうトコ駄目だもんなぁ〜)

 そう言って彼女は精神鍛錬の出来ていたトップ5の面々を思い、羨ましく思う。アンドロイドである京子は別として、瞬にせよ奈津にせよここ最近は交友関係の所為も在ってか随分と穏和になっているが、飽く迄それは陰陽寮という特務機関で培われた「冷徹さ」の上に立脚したものだ。一方彼女は忍者・・・“心を刃にする者”でありながら、どうしても人情と任務の区切りを付けるのが苦手だ。時折、口にする暴言めいた台詞も相手に対してより、自身を奮い立たせる為という側面が強い。

 「ううっ・・・」

 彼女は小さく呻き声を上げると手袋をつけた手で両の頬をパンパンと叩く。思考の迷宮に迷い込んでいる暇はない。

 「立ち止まるな! 弱音を吐くな! 夢を諦めるな! エイエイオー!!」

 空に拳を突き上げて大声を張り上げるマリア。気合が高まる一方で、道行く人々の気温より僅かに温い程度の冷たい視線が彼女に注ぐ。マリアは頬に僅かに朱を差すとそれから逃げ出す様に歩みを速めようとする・・・が、その瞬間雪に埋もれていた何かに足を取られ漫画の様に顔面から転倒する。

 「たは〜」

 恥ずかしさと雪の冷たさで顔面から火を噴きそうになりながらも、彼女は忍者らしいスムーズな動きで立ち上がる。どうやら雪掻きに使われたスコップ放置されたままになっていたらしい。本来、彼女は雪国生まれの為、普段ならアイスバーン化した道でも平然と歩けるのだが、流石に今の状態の彼女には不測の事態に対応できる柔軟さはなかった。

 「ああ、もう!!」

 自身のドジさと最後までシリアスで貫けない悲しさを呪いながら、彼女は脱兎の如く・・・というよりは狐の様にといったほうが良いだろうか、速やかにその場を走り去っていった。

 暫時して・・・彼女は目的地に辿り着いた。そこは住宅街の外れにある小高い丘の上。途中に在った石段には雪が降り積もり殆どその役目を失っていたが、流石にスコップが埋まっているということは無かった為、彼女は無事登りきることが出来た。

 「ふえ〜・・・」

 マリアは元宗の仮住まいを見上げて感嘆の、というより呆れたような声を上げる。彼の住まいは、一言で表現すれば「ボロ寺」だった。よく見ればかなり大きな建物で、装飾も華美に施されていたらしいことが見て取れたが、もう何年も人の手が入っていなかったのだろう。その仏閣は屋根に積もる雪の重みで今にも潰れてしまいそうなほどボロボロに朽ちていた。

 「なるほどねぇ」

 ある意味彼らしいとマリアは思う。どうやって調達したかは知らないが、この広さが在れば日々の鍛錬を行うのに不足は無いし、元来僧侶である元宗の住居として寺院仏閣はこれ以上になく相応しいものだろう。まあ、これほどボロボロでは野宿とそう変わりそうにもないが。

 「?!!!」

 そこまで考えた所でマリアの脳裏に嫌な予感が過ぎる。

 「元宗さん―――!?」

 声を張り上げるマリア。だが、雪が屋根から滑り落ち彼女の声を吸い取るのみで、寺の奥から返事はない。それに彼の気配も感じられない。この住所はフェイクか?と思わないでもないが、直情的な彼がそのような回りくどい真似をするとは考えづらい。予感はほぼ確信にかわり、彼女を急がせる。

 「元宗さーん!!」

 寺院内を走り回り彼の姿を探すマリア。わざわざ彼女がここに来なければならなかったのは携帯電話が通じず元宗と連絡が取れなくなっていたからだ。着信拒否や電源を切ったままにしていたとは彼の生真面目からすれば非常に考えづらいことだ。

 「いないならいないって返事して!!」

 見回せばここには一本も電線が延びていない。無論、何処ぞのオランダ風テーマパークのように地下に通してあるなどといった気の利いた真似をしている筈が無い。即ち、物理的に連絡が取れない状況に在ったのだ。

 暫らく走り回った後、本堂の中で彼女は遂に元宗を見つける。暗い室内・・・かつては仏像が置かれ僧が祈りを捧げていただろうと思われるその闇の中に、白くぼんやり浮かび上がる球体がある。それは何時もより輝度を落とした元宗の後頭部だった。彼は其処で瞑想するように座禅を組んでいた。

 「元宗さん・・・」

 ほっと胸を撫で下ろすマリア。だが彼女がかけたその声に対し元宗の返答は無い。

 「まさか・・・」

 再びむくむくと沸き起こる不安。恐る恐る近付き、彼女は元宗の肩に手をかける。

 「元宗さ・・・」

 しゃり、と黒板を擦るような高い音と手触り。それが、何時もぴかぴかに輝いている筈の禿頭が今日に限って白く曇った様な色をしていた理由をマリアに教えてくれた。彼女は愕然と呟く。

 「やっぱり・・・そういうことか」

 ごと

 そして重く硬い音を響かせて倒れる彼の身体。座禅したままの姿で、彼はマリアに顔を向けた。

 青ざめ、凍て付いたその顔を。

 
「元宗さぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁん!!!!」

 境内にマリアの悲鳴が高く響く。

 彼の身体からは体温が失われ、冷たく・・・凍り付いていた。


 仮面ライダーアスラ、本韻元宗は死んだ。冷たく悲しい孤独のうちに死んだのだ。

 そして彼の力を欠いた陰陽寮は魔帝国の攻勢の前に潰滅し、人類は地獄の住人によって蹂躙された・・・

 ・・・アスラ編第一幕 終劇





 何時の間にか、見知らぬ場所に彼は立っていた。

 太陽が地平線に近い場所で輝いている。だがそれは、本来斜陽が放つべき朱の光ではなく強い真っ白な光だ。空も雲ひとつ無く、抜けるように青い。見回せば地面には色取り取りの花が咲き乱れている。彼は花にそれほど詳しいわけではなかったが、それらの花の中には本来同じ季節に咲く筈が無いものも萼を並べ美しい花びらをそよ風に舞わせている。美しい場所だ。だが一体、ここは何処なのだろう。以前に聞いたことがあるような、見たことが在る様な気がする。だが、思い出せない。無理に記憶を辿ろうとすれば、頭痛がそれを邪魔する。

 わからない。だが、進まなければならないような気がする。理由は無い。何と無くだ。彼は太陽に向かって歩き始める。やはり理由は無い。何と無くだ。

 やがて、水が流れる音が聞こえてくる。

 花畑が途切れ、現れるのは川。透明度の高い水がさらさらと流れているが、魚や沢蟹の姿は見えない。そういえば花畑にも蝶や蜂がいなかった。そして、無数の石が転がる川原には、平たい石を積んだ塔のようなものが幾つも立っている。

 「一つ積んでは・・・」

 思わず口に出るフレーズ。だがそれが何だったかはよく思い出せない。

 『・・・』

 川から彼を呼ぶ声が聞こえる。眼を向けると、川の中州に何時の間にか一人の女性が佇んでいた。

 均整の取れた長身に、濡れた様な色の黒い長い髪。鋭さと穏やかさの同居する美しい顔立ち。

 彼は、直ぐに女性の名を思い出すことが出来た。

 「瞬!!」

 彼は直ぐに川に入り、女性の下へ行こうとする。だが、半分ほどの距離まで進んだとき、突如川に異変が起こる。先ほどまで流れていたひんやりと冷たい川の水は突如、グラグラと煮え滾る湯に変わり、やがて灼熱の溶岩へと変じる。

 「ぐおおおお・・・」

 水嵩は既に下半身に達している。赤熱する川に下半身を焼かれながら、それでも彼は前に進む。今度こそ助けるために。助け出すために。

 「待っていろ・・・待っていてくれ・・・今・・・」

 『・・・』

 女性は悲しげに俯き、頭を左右に振る。

 「何故だ・・・何故、そんな顔をする・・・瞬!」

 『御免なさい・・・』

 「やめろ・・・瞬・・・オレは・・・オレはそんな言葉を聞きたい訳じゃない!!」

 痛い。熱い。だがそれでも前に進む。

 「瞬・・・オレは・・・オレが・・・!!」

 『・・・さん』

 既に彼女は目前。腕を伸ばせば届く距離。

 「助けたかった・・・守りたかったんだ・・・お前を!!」

 肩に手を伸ばし、彼は抱き寄せる。自身の命を引き換えにしても守りたいと願った女性を。

 「しゅーーーーーーーーん!!」

 
バシャーーーーン!

 絶叫と、派手な水音はほぼ同時だった。





 「しゅ・・・」

 目の前、というより最早、鼻先といって良いだろう。直ぐ間近に女性の顔があった。だが、先ほどまで成熟した日本人女性の顔は白人の少女のものに、長い黒髪は水気を帯びた薄い金色に、金緑石(アレキサンドライト)を思わせる緑を帯びた黒い瞳はサファイアのような青い瞳に変わっている。

 「ン?」

 それは彼が知る顔であったが、何故そんな肉薄しているか瞬時に理解することは出来なかった。

 「え〜と・・・」

 下半身を暖かい液体が浸している。いや、皮膚がピリピリと痺れるこの温度は暖かいと言うよりは寧ろ熱いといってしかるべきか。尻の辺りには敷き詰められたタイルの凹凸感があり、湯気で白く曇る先に、黴の跡が黒ずんで残る古びた天井板が見える。どうやら風呂らしい。そして眼前にいるのは新氏マリア。陰陽寮に所属する戦闘陰陽師の中でも特に高い戦闘能力を持った五人・・・現在は三名に減っているが・・・の一人だ。その彼女が直ぐ目の前で顔面の筋肉をピクピクと痙攣させ怒りの表情を浮かべている。

 (何故・・・?)

 「元宗さん・・・好い加減、離してほしいんだけど?」

 疑問の言葉が口に出るより早く、名指しされ、深い怒りの篭った要望がマリアの口から発される。

 「?・・・!!?」

 気づけば彼の腕は彼女を抱きしめ、自身の方に引き倒す様な形になっている。驚いて腕を解く元宗。そして次の瞬間に彼の目に映るのは拳。

 ガコン!!

 避ける暇も無く、鋭い一撃が眉間に突き刺さり、彼の上体も湯の中に沈む。

 「がばがばごばぐふぉがほげほ!!」

 鼻に口に湯が凄まじい勢いで流れ込み、溺れそうになりながら、何とか彼は湯船の端をつかむことに成功し、上半身を湯の上に引き上げる。視線を上げると其処には濡れそぼたれた格好で腕を組み見下ろすマリアの姿が。彼は危うく死に掛けたことに抗議の声を上げる。

 「な、何するだぁぁッ?!」

 しかし次の瞬間襲い掛かるのは必殺真空飛び膝蹴り。鋭く抉る人体の凶器が再び彼を湯に沈めるが、後のアクションはほぼ同じなので割愛。マリアは必殺の一撃を繰り出した後、空中で見事なムーンサルトを決めながら湯船の縁に着地すると、カッと指差して告げる。

 「それはこっちの台詞!! あの教授を上回ってどうするの!!」

 「な・・・オレが奴を超えた・・・?!」

 「やかましぃぃぃっ!!」

 頓狂な台詞に懲罰を与えんが為、桶を投げ放つマリア。だがカポーンという例の音色と共に交差された腕の前で停止し、古くなっていた為か相当強く投げつけられた為か、木で拵えられたその桶はバラバラになって湯船に落ちる。

 「い・・・痛いぞ、マリア。全体、これはどういうことだ?」

 元宗は涙目で訴え、そして問う。目覚めれば密着姿勢。そして起き上がれば突然の暴行。そして服を着たままの入浴。彼は自ら発した言葉どおり、何故このような状況になっているのか判らなかった。

 マリアは最早、突っ込む気力も失せたのか顔に手を当てて深く溜息を吐くと、簡単な経緯を説明する。あの後、慌てて本部に連絡したマリアに対する局長神崎の答えは「湯に入れれば戻るだろう」というかなり適当なものだった。幾らなんでもチキンラーメンじゃないんだから・・・と思いつつ他に手段も思いつかないのでマリアは式神を使って雪を掻き集め、それを火遁の術で溶かし、沸かしてそこに凍った彼の身体を放り込んだのだ。どうやら温度差と熱疲労でパリンと割れることは想定していなかったらしい。彼は湯に浸かりながらも薄ら寒いものを背中に感じるが命を救われた手前、不服はいえない。その上・・・

 「で、突然セクハラ行為を働かれたってワケ」

 「そうなのか・・・すまん」

 寝ぼけて無意識だったとは言え、彼が毛嫌いする男紛いの反モラル的なことをやってしまったのだ。申し訳なさに大柄だった彼の体躯が一回り小さくなる。

 「まったくもう・・・なんでこうなるのよ」

 「・・・むぅ」

 『・・・瞑想してる最中に眠ったんだ』

 口ごもり窮する元宗に変わり、白い猫に似た小動物が何処よりか現れマリアの問いに答える。人工生命体、霊獣コウだ。だが、マリアはその答えに納得した様子はなく、逆に非難をするように言う。

 「コウちゃん、キミがついていながら・・・」

 『御免ニャ、マリア。助けを呼びに行こうと思ったんだけど、気付いた時は完全に冬眠状態にニャってたんで身動きが取れニャかったんだ』

 「冬眠って・・・蛙や虫じゃないんだから」

 「つくづく、すまん」

 呆れた様に言うマリアに、元宗はそう言ってスキンヘッドを掻く。マリアはふうともう一度大きな溜息を吐く。どうやら怒りも収まったらしく落ち着きを見せる。単にあきれ果てただけかもしれないが。と、彼女は両腕を抱くようにしてブルッと身体を震えさせる。そして次の瞬間大きく身体をそらせ・・・

 「ふぇ・・・ふぇっくしょン!!」

 大きなくしゃみを放つ。

 「おいおい・・・大丈夫か?」

 「・・・元宗さんの所為で身体が冷えちゃった」

 ずずっと鼻を啜りながら答えるマリア。流石にキタキツネの化身忍者とはいえ、濡れたままでいたため身体が冷えてしまったらしい。それを見て元宗はもう一度「すまん」と申し訳無さそうに頭を下げるとマリアは苦笑して手を振る。

 『取り敢えず服を乾かさニャいとニャ。カゼ引いたらコトだからニャ』

 其処に冷静な口調で告げるコウ。その言葉に元宗は頷いて返す。

 「ああ、確か石油ストーブが在った筈だ。用意を頼む」

 『合点』

 そういうやり取りの後、サッと駆けていく白い霊獣。

 「すまんな、本当に」

 元宗は立ち上がりマリアを見ると、更にもう一度謝る。だが、それと同時に濡れた服の張り付いた彼女の身体が目に入る。普段は身長が平均よりかなり低い奈津と一緒にいるためその事に気づかなかったが、背は平均身長より僅かに下回り比較的小柄な体格と言って良いだろう。だがその肢体は、胸こそ瞬ほど発育していないものの、しなやかで美しいラインを描いている・・・と、視線を臍辺りまで下ろした時点で元宗はハッとして顔を逸らす。

 (何をオレはまた、伊万里紛いのことを・・・!)

 顔を赤くして自己嫌悪に陥る元宗。

 (修行が足りん。六根清浄、六根清浄・・・!)

 「ねぇ、元宗さん」

 「あん?! なんだ?」

 見透かされたかと思い、思わず情けない声を発してしまう元宗。しかしマリアの顔には彼を責める様な表情はなく、かわりに何処か媚びる様な薄い笑みが浮かんでいる。その余り見慣れぬ表情に何かいやな予感を覚え、彼は思わずたじろぐ。やがて、彼の危惧を他所に、マリアは悪戯っぽい笑みを浮かべて口を開き言葉を発する。それは、最初は問いだった。

 「本当にすまないと思ってる?」

 「ああ・・・迷惑かけてるからな」

 元宗が頷くとマリアは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 「じゃあ、迷惑をかけたお詫びとして、たまにお風呂入りに来てもいい?」

 「・・・?」

 口をポカンと開いた間抜けな顔になる元宗。彼にはマリアの頼み事の意図が理解できなかった。

 「風呂なら自分の部屋にもあるだろう?」

 陰陽寮は政府直属の特務機関だけ在って、福利厚生は良く行き届いている。特に戦闘陰陽師達はその性質上、その傾向が顕著で彼女らの住居にあたる隊員寮には、ちょっとした高級マンション程度の部屋が宛がわれており、当然、バスルーム付だ。元宗がそのことを指摘すると彼女ははにかんだ様な苦笑いを浮かべる。

 「在るには在るけど、ちっちゃくって。わたし、温泉とか銭湯とかでっかいお風呂が好きだから」

 「成る程な・・・まぁ、構わん。それくらいで良いなら」

 「やったぁ♪」

 余り深くは考えず元宗が了承すると、マリアは掌を打ち合わせ小躍りする。因みに彼はこの時の判断が、後々に多大な心労を招くことをまだ知らず、予測すらしていない。

 「ということで」

 「?」

 改まって言うマリア。次の瞬間彼女が取る行動は元宗を激しく狼狽させる。

 「早速入らせてもらうね♪」

 「お、おい!」

 「サービス、サービスぅ♪」

 言うが早いか濡れた服を脱ぎ始めるマリア。元宗は顔を赤くして慌てて風呂場を出ようとするが、

 ガチコーン

 やはり例の如く転倒してしまう。

 「ぬおおおお・・・っ」

 「じゃ、服乾かしといてね、元宗さん♪」

 床とキスをした彼の頭の上に脱ぎ捨てられた服が放られる。それと同時に響く水しぶきの上がる音。元宗は彼女の服をつかむと一目散に風呂場を脱出する。

 「ポケットの中に攻撃用の御札入ってるから注意してね〜」

 そして彼の背中に響くお気楽極楽な声。

 「わ・・・わからん」

 俄かに心拍数を上げながら元宗は呻くように言う。抱きつかれたら烈火の様に怒ったくせに、何故自分裸には平気でなれるのだ。

 「これじゃ、逆セクじゃねぇか・・・」

 それなりに眼福な思いをしたため怒るに怒れず彼はコウがストーブを用意している筈の居間へと向かう。

 『ババンババンバン、バラバラバンバ〜♪』

 響く歌声に「それは違うだろう」と突っ込む余力は彼にはなかった。

 『修行が足りニャいニャ〜』






 東京都某所。陰陽寮本部。何処と無く学校を思わせる、その施設の中に深紅のバイクが爆音と共に進入する。一目で大排気量とわかるアメリカンタイプのバイク。それに乗るのは、バイクと同じ色の赤い革のライダースーツを纏ったライダー。如実に浮かび上がる緩やかな曲線を描くボディラインから見て、そのライダーが女性であることがわかる。

 やがてライダーはバイクを大きくターンさせて施設の正面玄関前に停車し、バイクやスーツと同じ濃い赤のヘルメットを脱ぐ。その中から出てくるのは、ライダーとしてのアクティブなイメージから大きくかけ離れた、ウェーブのかかったセミロングの銀髪と清楚な雰囲気を湛えた老女の顔。胸元から取り出した縁の付いていない眼鏡をつけた彼女は・・・

 「お帰りなさいませ、局長。お疲れ様です」

 穏やかな声と共に、現れる少壮の男。背が高く穏やかそうな顔に、髪は白いものが混じり品の良いグレーとなっている。彼の名は堀江。無論、何処かのITベンチャーの社長とは何のかかわりもない。彼は陰陽寮において局長に継ぐ地位である陰陽寮副局長を務める男だ。その副局長である堀江に局長と呼ばれた彼女、陰陽寮局長神崎紅葉は微笑を浮かべて言葉を返す。

 「ありがとう、留守の方はご苦労様・・・京子の調子はどう?」

 京子・・・陰陽寮の擁する戦闘部隊「陰陽連」でもトップクラスの戦闘能力を有する陰陽師であり、同時に高性能AIにより人間と比べてもなんら遜色ない精神性を持ったアンドロイド、相模京子ことKC−0のことである。彼女は先の本部防衛戦において、ほぼ大破に近いダメージを受けたのだ。

 堀江は、神崎の問いにほぼ一定の語調で静かに淡々と答える。

 「順調・・・とは言いがたいですな。AIや反重力エンジンなどに損傷は少なかったので、メインシステムそのものは既に完治しているといって過言ではないのですが、対してボディの破損が著しく復旧状況は現在、ベストコンディションの半分にも達していません。彼女の場合、アンドロイドタイプとしては既に旧型に近く、現状では補修部品の調達が難しいので80パーセント以上に回復には暫らく時間がかかりそうです」

 「・・・いっそ、最新型のボディに移しかえられたら楽なのでしょうけど」

 呟く様に言う神崎。しかし、その語調は不可能であることを悟っている。堀江は頷くと、神崎の本音の部分を肯定しそれを代弁する。
「あの時代の技術で作られたアンドロイド、ヒューマノイドは全体で一つのシステムのようなもの。彼女はマスプロモデルとして開発されておりますが量産計画自体が凍結したため、結局はワンオフの試作型ですからな。それに我々は餅屋ではありません。下手な移植作業を行えば“彼女自身の消滅”にも繋がりかねない」

 「そうね。もっとも仮に巧く行くと保障できても、あの子自身がそれに納得するとは思えないし」

 顎に手を当て、唸るように頷く神崎。

 「彼女に彼女自身の“お古”を使ってもらう・・・という案もありはするのですが」

 「無理、でしょうね」

 堀江の案に神崎は頭を振る。学習機能を持つAIという代物は比較的よくあるものだが、京子の場合、経年に伴いボディを交換することで外見的な成長も可能な仕様になっているのだ。これは、より人間に近い情操を育む為に考案されたものだったのだが・・・

 「あのコ、今の身体(ボディ)に成長(アップデート)してから随分と自分でカスタマイズしてきたから、駆動系や伝送系なんかの設定が随分と変わっているはずよ。今、以前の身体に戻したらきっと色々エラーが出ると思うわ」

 京子は陰陽寮入隊後、趣味と実益を兼ねて自身が発見・レストアしたアーティファクト(超古代技術等で造られた現代の工業機械とは大きく異なる原理で作動する機械・器物)を組み込み、自身の体を半ば実験機材化してしまったのだ。

 「はい。恐らくボディ復旧とそう変わらないだろうと推測されています」

 頷く堀江。再調整やそれによって発生するバグの除去を勘案すれば、結局のところ手間は変わらないのだ。神崎はふうと疲れたように溜息をつく。

 「まったく困ったものね・・・」

 「ええ。彼女“は”重要な戦力ですからな」

 そう言う堀江だったが、神崎はチッチと舌を鳴らしながら指を振って言う。

 「彼女“も”よ。順次、他の子の様態も聞かせて頂戴」

 「承知いたしました」

 堀江はそう言って頭を下げると手に持っていたファイルをめくり、説明を始めた。






 薄暗い室内、風呂上りの二人が身体を温めあう・・・

 等と書き出せば艶めかしい年齢制限のある展開を思うものも居るだろうが、当然そのようなことは無い。電灯が点かない為に薄暗く、隙間風が吹いてくるので湯冷めせぬように、この寺にある唯一の文明の利器・石油ストーブに二人並んで当たっているのだ。元宗は濡れた僧衣から何時もの様に革(実は合皮だが)のジャケットとパンツに着替えている。一方マリアのほうは・・・残念ながら元宗に持ち合わせが無かったため「バスタオル一枚」とか「大きめのブラウスを羽織っただけ」等の気の利いた格好はしていない。僧衣のスペアを着る・・・という案も在ったが、「元宗さんのなんて生理的にイヤ!」とひでぇ理由により却下された。ではどの様な格好をしているかと言えば・・・彼女は衣服を身に何も身に纏っていない。つまり・・・
裸、だ。

 そう・・・張りの在る白い素肌が若い男の目の前に無防備に晒されている・・・

 ・・・

 ・・・・・・

 ・・・・・・・・・

 ・・・・・・・・・・・・

 最も“木枯し”の生態装甲なのだが。

 期待していた方には申し訳ないが残念ながらこれ以上のサービスシーンは検閲に引っ掛かる上に意味が無い為、御披露できない。マリアは木枯しの姿に変身しており、彼女の身体はレオタードと忍者服を合わせた様な形の白いアーマーと網タイツ状の鎖帷子に覆われている。一応、これらは彼女の体細胞が変化したものであるため限りなく裸に近いといえるのだが・・・

 「わたしたちみたいな生身が変化するタイプって変身してるとき服は何処行くんだろうね?」

 「さぁ」

 気の無いやり取りをする二人。ちなみにコウはその猫のような姿に相応しく、身体を丸くしてストーブの前で眠っている。

 やがてマリアは辺りを見回しながら言う。

 「ぼろいけど結構豪勢だね、ココ。おフロには口からお湯の出るライオンとかあったし・・・なんなの、ここ?」

 「どういう意味だ?」

 「なんか、えらく成金趣味だよねって言ってるの。ただのお寺には見えないけど・・・」

 外から見ても只の寺にしては妙に装飾過剰な帰来が在ったが、内装は更にその傾向が強かった。イメージとしては安土城や大阪城を想像して頂けると都合が良い。赤や金をふんだんに散りばめた寺と言うよりはマリアの言うように成金のお屋敷・・・といった雰囲気だったのだ。

 マリアのその問いに対し、元宗は静かに頷く。

 「当りだよ、マリア。そう、・・・この寺は霊感商法で泡銭儲けた生臭坊主がおったてた成金御殿さ。ま、広くて都合が良かったんでな」

 「その割にはガスも電気も水道も来てないけど」

 「ま、バカ安だったからな。一応、頼みはしたんだが街があんな状況だから遅れてるみてぇだ。まあ、この寒さも荒行になるかもしれねぇって思ったんだが、甘かったらしい」

 「まったく」

 絶対に雪山遭難するタイプだとマリアは思う。ふと彼女の脳裏に疑問が閃く。

 「ねぇ、その生臭坊主はどうしたの? まさか・・・」

 「死んだよ」

 「う・・・」

 あっさりと告げられた元宗の言葉はマリアの予想を裏切らないものだった。元宗は複雑な表情を浮かべながら言葉を続ける。

 『天罰覿面ってやつだ。女房と弟子の一人が金もって駆け落ち、それまでの悪行三昧も摘発されて逮捕寸前になったが・・・結局最後の最後で死んじまったらしい。ほれ、そこの梁に跡が残ってるだろ?」

 「うげぇ〜」

 元宗が指差した梁を見て、マリアは思わず顔を歪め、蛙の潰れた様な悲鳴を上げる。確かにその梁には縄を括り付けたことで、擦れて窪んだ様な跡が付いている。マリアは頬を膨らませると思わず不満の声を上げる。

 「もう、こんなところでくつろがせないでよ〜気味悪い・・・」

 「おいおい・・・ホトケをそんな風に言うもんじゃないぞ」

 呆れた様な顔で簡単な説法を解く元宗だが、マリアはそれに納得できず唇を尖らせながら抗弁を続ける。

 「それはそうだけど・・・でも、普通もうちょっと考えない?」

 「安心しろ、浄霊は済んでいる。大体、地縛霊の一体や二体、例え出てきても、お前にはどうってことないだろう?」

 元宗のその物言いに思わず溜息を吐くマリア。

 「そんな問題じゃなくって、元宗さんにはデリカシーが足りないって言ってるの」

 「デリカシー・・・」

 「そんなんだから先輩にもフられるんだよ」

 (あ・・・)

 言った後、マリアは自らの迂闊さに後悔をした。もう表面上は平然としているが、彼にとって瞬のことは、今は触れては欲しくないタブーの筈だ。俯いた彼の表情が深い彫りが作る影に隠れて見えなくなる。激怒の声が来る・・・そう覚悟をしたマリア。だが・・・

 「そうか。それもそうだな・・・すまん」

 「あれ?」

 意外とあっさり謝る元宗。マリアが知る限りこの男はもっと頑固だったはずだ。だが、気づけば先ほどから彼は随分頻繁に詫びて頭を下げている様な気がする。マリアは彼に対し負い目があっただけに、彼のこの態度は些か拍子抜けさせられた。

 「どうした・・・豆鉄砲食らった鳩みたいな顔して?」

 「なんか・・・元宗さん、ヘンだよ。どうかしたの? もしかして脳みそ未だ凍ってない」

 「・・・失敬な事を言うな。オレだって学習くらいする・・・それに」

 「それに?」

 口籠る元宗に、マリアは疑問符を付けた鸚鵡返しで続きを催促する。だが元宗は大きく頭を振る。

 「いや・・・なんでもない。気にするな」

 「・・・だから、そんな言い方されたら逆に気になるんだけど」

 元宗の言葉は逆にマリアの好奇心を刺激する。だが元宗はそんな彼女の反応に露骨にいやな顔をする。

 「そんなことを話しに来たんじゃないだろう、マリア?」

 「まあ・・・うん」

 「じゃあ、用件を言ってくれ。時は金なり、善は急げというだろう」

 「それは・・・そうなんだけど」

 諭す様な元宗の言葉に頷きながら、不満そうに唇を尖らせるマリア。彼女は尚も何かを言いたそうに口を開きかけるが、それ以上の詮索は止め元宗の言葉に従い本来の用件を伝える。

 「わたしね、元宗さんを守るためって言うか、サポートするようにって言われてきたの」

 「守る? どういうことだ?」

 元宗は概ね予測どおり、彼女の短い言葉だけでは真意を理解できなかった。マリアは頷くと言葉を続ける。

 「あのね、この間から都内で奇妙な事件が連続で起こってるの。そうだね・・・簡単に言えば、神職、聖職者の連続自殺・・・」

 「!!」

 「仏教、キリスト教に限らず宗教法人に携わる人達が次々に自殺してることがわかったの」

 驚きの表情を見せる元宗に、彼女はそう言ってバックから何かリストを取出し手渡す。

 「これ全部死んだ人だよ・・・」

 「こんなに、か」

 胸の辺りに焼け付くような不快感。ざっと見て50人は下らないだろう。リストには日付の早い者から順に彼らの名前を始め各種個人情報・・・家族構成、信仰宗派、そして死因が事細かに記載されている。一番早いものは9日前、富士山が噴火する2日前であり元宗と京二が始めて出会った日でもある。

 「偶発的・・・というには些か数が多過ぎるな」

 そして元宗はリストを捲りながらあることに気づく。

 「それに、これは・・・徐々に東に向かっているのか?」

 「うん・・・それも、住職さんとかが、いいひと〜ってことで結構評判の良いお寺や神社、教会ばっかり」

 「確かに、奇妙だな・・・」

 リストを見ながら厳しい表情で考え込む元宗だが、黙考はすぐに終わり彼は顔を上げる。「馬鹿」と繰り返し言われる元宗だが、提示された材料は彼にさえ適当な答えを導き出させるのに充分なものだった。

 「やはりこれは・・・」

 「うん」

 「クライシス!!」

 思わずつんのめるマリア。だが彼女は直ぐに姿勢を立て直すと半ば叫ぶ様に言う。

 「じゃなくて普通は『ゴルゴムの仕業か!』でしょ!!」

 「いや、まあワンパかと思って工夫してみたんだが」

 「柄にもなく凝った真似しなくていいよ・・・っていうか、そもそもボケてる場合じゃないし」

 細かく突っ込みを入れてくるマリア。元宗も、流石に場の雰囲気にそぐわない事を察したのか照れたように鼻の頭を掻く。

 「わかってるよ、場を和ませようと思っただけだ」

 「変な気遣いはケッコーだよぅ・・・」

 げんなりとするマリア。もっとも、しっかりノリをかましている時点で彼女も人のことを言えた義理ではないのだが。だが、やがて元宗は、照れた表情を引っ込めると真剣な表情で彼女の言葉に頷き、低く抑揚を押し殺した声で問い返す。

 「わかってるよ・・・お前はこう言いたいんだろう? 『魔帝国の仕業か?』・・・と」

 「うん・・・多分」

 やっと戻ってきたまともな返答に頷くマリア。陰陽寮本部に在る未来予測システム「ヒミコ」や、諜報部が出した答えも彼と同じものだった。

 「よし・・・」

 パシン、と乾いた音を立て元宗は拳を掌に打ち付ける。その音に反応してコウが目を覚まし、彼はその造型の少ない猫の様な顔を元宗に向ける。

 『はニャしは終わったのかニャ?』

 「ああ、いくぞ」

 『合点』

 コウは短い遣り取りで了承の意を示すと、ピョンと飛んで元宗の肩に乗る。そして元宗はくるりと踵を返すと部屋を出て行こうとする。だがマリアはそれを見て僅かに慌てた様に声を発する。

 「ちょっと待って!!」

 「ん?」

 呼び止められ怪訝そうな表情で振り返る元宗。だが彼の代わりに口を開くのはコウ。

 『ニャんだ? マリア』

 「当ても無しに何処行くつもりなの?!」

 マリアのその問いに、元宗は顔だけ彼女のほうへ向ける。

 「・・・心配するな。当てならある」

 「え・・・」

 思わず驚きの声を上げるマリア。意外な返事を返した元宗は、また顔を前に向けると歩き始める。

 「でも、駄目だよ」

 マリアは彼を追う様に歩きながら、そう否定の言葉を告げる。だが、元宗は・・・聞いてはいるのだろうが、その言葉に対し問いや拒否といった反応を見せず、無言で廊下を歩いていく。マリアは我慢出来ず、声を僅かに荒げる。

 「不用意だよ! 罠かも知れないのに」

 「・・・罠、か」

 返答はあったが、彼は顔を向けない。問うような響きのある元宗の言葉にマリアは小さく頷く。

 「うん。未だあいつらの仕業って決まった訳じゃないし、それに何を狙ってるのか判んないんだよ? 今、迂闊に動いたら・・・危険だよ」

 声が徐々に弱々しくなる。マリアは自らの口調に、無意識に恐怖心が色濃く映し出されていた事に気づく。敵・・・魔帝国に対する恐怖も無論ある。だがそれ以上に、瞬、華凛、そして陰陽師たち・・・親しい者がこれ以上自分の周りから居なくなってしまう事の方が、彼女には恐怖だった。だが、そんな彼女の心情を察しないらしく、元宗はただ廊下に降りた霜を舞い上げながら、無言で歩いていく。

 「元宗さん!」

 玄関で立ち止まり、腰を下ろした元宗の背中に激しく声を発するマリア。元宗は靴箱からこなれて無数の皺が入った革のブーツを取り出し、それをヘラを使わず靴下の様に履く。暫時、無視した様な行動を取り続ける彼だったが・・・彼女を心配そうに見上げていたコウが、促す様に尻尾で頬を叩くと、やがて彼は短く答える。

 「関係ない」

 「え・・・?」

 「・・・そんなことオレが知るか。謀みが在れば叩いて潰す。それが・・・オレだ」

 彼の手元から硬い摩擦音が響く。強く拳を握り締めたことでグローブが擦れて音を立てたのだろう。それは、彼の深く燃える怒りの炎の火勢を如実に示していた。

 「元宗さん・・・」

 『止めても無駄だよ、マリア。突っ走りだしたら事故ってブッ倒れるまで止まらニャいよ。だって元宗は珍走と一緒でバ』

 ガシン

 コウは心配そうな表情を向けるマリアに説明をしようとしたが、それは首をむんずと捕まれた事で止められる。

 『ウニャニャニャニャ!! 苦しい、苦しい!!』

 「五月蝿い。黙れ、馬鹿猫」

 『猫じゃニャいってばよ! はニャせ、はニャせ!!』

 ジタバタもがくコウを元宗は壁に向かって叩きつける。壁に頭を減り込ませブランと身体が垂れ下がるコウ。

 「猫じゃないならニャーニャー言うな。喧しい」

 動物虐待を受け沈黙する白い小動物に吐き捨てる元宗。教育上、不適切なその姿をマリアはただ黙って見ていた。元宗はふっと息を吐いてから告げる。

 「・・・ばぁさんに何を言われてきたかは知らん。だが止めるな」

 「ううん、止めないよ」

 頭を左右に大きく振るって、答えるマリア。そして彼女は元宗の前に回りこみ、彼の目をその青い瞳で見据える。

 「私もいっしょに行く」

 力強く宣言するマリア。

 「わたしは元宗さんが迂闊に動かない様、お目付けの・・・」

 「・・・良い。言わなくて。好きにしてくれて構わん」

 ぶっきら棒に説明を断る元宗。それは言わずとも判っているからではなく、彼女の言い付かった目的に興味が無いから。だが、マリアは不快な表情を浮かべることなく頷いて言う。

 「判った。じゃあ、好きにさせてもらうね」

 「ああ・・・だがその前に」

 「?」

 立てた親指で意味深げに背後を差す元宗。マリアは注意深く其方の方を見るが・・・特に何も存在しない。やがて、気づかない彼女にじれったくなったのか、元宗は苦虫を噛みつぶしたような顔で言う。

 「・・・服くらい着て来い。その格好で行くのか?」

 「あ!」

 マリアは気づく。自分が、覆面を外しただけの変身忍者木枯しの格好のままだということを。

 「ちょっと待ってて〜」

 尻尾と耳を振りながら走っていく彼女の後姿を見ながら元宗は小さく溜息をつく。

 「覗きにきちゃ駄目だよ〜」

 (・・・またそのネタかよ)







 真紅と黒がグロデスクに配色され、背の高いグラスの中に幾つもの層を成している。ダンテの神曲に語られる地獄をモティーフにしたそれ。だが、地獄は銀に輝く匙によって天上から抉られかき混ぜられ、そして掬い上げられる。匙に乗った地獄の塊は、やがて大きく開かれた口の中に消える。

 「う〜ん、おいち」

 うっとりと頬を赤らめる女装の大男。彼の目の前のグラスの中の地獄は、魔皇子亭の名物、アビスパフェ(¥890)だ。その新鮮なイチゴとビターチョコクリームのハーモニーを楽しみながら、煉獄剣王が隣のカウンター席に目を向ける。先ほどからずっと、カタカタと硬質な音が響いていたからだ。

 其処にはノートパソコンに向かうサングラスを掛けた学者風の男の姿が。ブラインドタッチで猛烈に打ち込む彼の顔は赤みを帯び、蒸気の様なものを全身から揺らめかせ、何処となく鬼気迫る勢いだ。

 「マックリールったら、どうしたの〜? 珍しくイライラなんかして」

 「・・・うるさいな。ボクに話しかけないでくれる?」

 マックリール・・・邪眼導師が不愉快そうに、まるで睨み付ける様に顔を向けると、それに対して煉獄剣王は怪しく身悶えして、わざとらしい怖がり方をしながらからかう様に返す。

 「いや〜ん、お願いだからこっちみないでぇ〜♪ そんなに見つめられるとあたし、硬くなっちゃう〜」

 「黙れ、変態」

 「いやねぇ、男のヒスは見っとも無いわよ」

 「見っとも無い男の代表にそんなこと言われたくないっ!!」

 どん、とカウンターを叩いた衝撃でパフェのグラスが大きく揺れる。

 「あら、あら」

 グラスは中身の量の関係か、僅かに傾いた後、くるくるとカウンター上に円を描きながら走って行き、そしてノートパソコンの淵に当って転倒し、キーボードの上に地獄をぶち撒ける。

 「あーーーっ!!」

 悲鳴を上げる邪眼導師。即座にパソコンの上でショートが起こり、画面が真っ暗になる。煉獄剣王はわれ関せずといった表情で見ながら、

 「あ〜あ、勿体無い。も一個頂戴、聖子ちゃん」

 と、マスターの妖麗楽士にアビスパフェを注文する。そんな彼の様子に激昂し、叫ぶように言う邪眼導師。

 「なんてことするんだ!! わざとだろ、絶対!!」

 「そんな器用な真似できないわよ。食べ物屋なんかでそんなオタクっぽいことしてるほうが悪いんでしょ、自業自得よ」

 「ああっもう、馬鹿ぁぁぁ」

 泣きながら壊れたパソコンを弄る邪眼導師を横目に見ながら、改めて煉獄剣王は問う。

 「それにしても、どうしたの? 彼」

 「お気に入りが壊されちゃったみたいよ〜。ほら、あの白い悪魔」

 「へぇ、あの玩具が」

 妖麗楽士の言葉に、そう言って反応を示したのは同じくカウンター席に座りミルクとレモンと砂糖の入った奇妙な緑茶を啜る霊衣神官。

 「ま、あんなものじゃ当然よね。何百年先かは知らないけど、所詮は地上人の技術なんだし」

 「だが・・・あれ自体、優れた兵器であるのは事実だ。我々でもこの姿では少々、難儀する」

 低く響く声の主は頭に角を生やした巨漢、百鬼戦将。椅子をギシギシ言わせながら、彼もやはりカウンター席に座っている。何時もは思い思いの席に座っている彼らだが、ここ数日はなぜか客が多く、思うようにいかないのだ。百鬼戦将の言葉に煉獄剣王は頷く。

 「そうよねぇ、実際あれ、刃筋が通り辛くって面倒くさいのよね。大体、ぶっ壊したら自爆ってのが、もうって感じ。でも、よくあれを壊せたわね〜。地上人には結構、難儀するんじゃないの?」

 「あのクソ野郎が現れなきゃ・・・! 旨くいったのに!」

 「クソって・・・下品よマック。で、そのクソ野郎って誰?」

 「時空海賊シルエットXってやつさ・・・! あいつ、絶対許さない・・・!!」

 思い出し、再び怒りを滾らせる邪眼導師。それを見て、嘲笑を浮かべるのは霊衣神官。

 「フフ、子供ね」

 「なにぃ・・・?!」

 「たかが、玩具が壊されたくらいで、そんなに怒っちゃ駄目よ。大体、今、私たちが気にしなきゃいけないのは彼じゃないわ」

 「なんでさ?! 奴はボクに屈辱を味合わせたんだよ!!」

 「霊衣神官の言うとおりだ、邪眼導師」

 納得いかずに吼える邪眼導師。だが、百鬼戦将は霊衣神官の意見を支持する。

 「この間の戦闘データを見たが、あのシルエットXという男、所詮は硬いだけ・・・動きも素人臭く脅威とは成り得ない。寧ろ、我々が今、もっとも危惧すべき敵は・・・」

 「仮面ライダーアスラ、でしょう?」

 言葉を先取る霊衣神官に、百鬼戦将は無言で頷く。そして、そこで店の扉が開き、白いマント姿の髑髏男・・・死天騎士が入ってくる。

 「左様、今最大の標的はこのアスラという男といって過言ではない」

 「アスラぁ〜?」

 素っ頓狂な声を上げる煉獄剣王。

 「あの貧弱ボーイが脅威? ちょっと冗談はよしこさん(死語)。大体、仮面ライダーなら他にももっと強そうなのが居るじゃない。吸血鬼とか聖騎士とか反逆者とかTとか雷神とかツヴァイとか」

 「ツヴァイはどうかしらんが、戦闘力などは問題ではない。懸念すべきは奴の法力。我らの魔力とは根本概念の異なるあの力、我らの征服活動の妨げになることは明白。既に最高評議会はこれ以上の頻度でブラッディリゾートを発動することに難色を示し始めている。このまま無為に消滅させられるような事が続けば、発動そのものを無期限停止されかねない」

 「なんか、しみったれたハナシねぇ。戦争は会議室で起こってんじゃない、現場で起こってるのよ・・・」

 「仕方ないわ〜。評議会の人たちは“民あってこそ”って意識が強いから、下手打って暴動とか起こされたら堪んないのよ〜」

 歌うように、自嘲するように言う妖麗楽士。その後、死天騎士がややあってから言う。

 「だが、最早、その懸念も終わろう。霊衣神官・・・作戦の状況は?」

 「九分九厘、といったところかしら。後は網にかかるのを待つだけ」

 サディスティックな微笑を浮かべて答える霊衣神官。それに対し、煉獄剣王は感心したように言う。

 「へぇ・・・例の作戦、随分と進んでいたのね」

 「ええ。なかなか良い感じに仕上がってきているわ」

 霊衣神官が言うと、死天騎士が頷く。

 「うむ。“日本占領作戦”の先鞭たる“魔界都市東京計画”・・・陛下のためにも必ずや成功させねばならない」

 「何度聞いても菊○秀行だか夢○獏っぽいのよねぇ・・・そのネーミング」

 ぼやく様に言う煉獄剣王の台詞は無論、あっさりと無視される。

 「それから皆も聞くが良い。先日、皇帝陛下が長きに渡る眠りから目覚められた」

 「此度は随分と長かったな」と百鬼戦将。

 「私らが地上に出てすぐだったから、十五年ぶりかしら」

 煉獄剣王がしみじみと思い出すように言う。死天騎士、妖麗楽士を除く四人の魔王は地上侵攻艦隊の先遣部隊として十五年前に地上へ派遣され、「人間の力を学べ」という皇帝の言葉に従い、地上人を利用した組織を作り上げてきたのだ。今、考えれば長期の眠りを見越して叛乱防止の為に左遷されたと考えられなくもない。

 「それからもう一つ」

 死天騎士の声が煉獄剣王の思考を中断させる。そして、彼が告げた次の句は、魔王たちに衝撃を与えた。

 「皇帝陛下が地上視察にいらっしゃる」

 「えっ・・・」と驚く邪眼導師。

 「なんで?」

 煉獄剣王も当然聞き返す。

 「陛下は既に“夢見”により大まかな状況を御存知であったが、詳しい説明をして差し上げたところ、現在の前線に深い興味をお持ちになられた。故に、評議会の大半にもお忍びで、地上へいらっしゃる」

 「えらく唐突ね」

 「ああ。だが心配するな。準備は此方で手を打ってある。ただし・・・陛下の前で無様な真似だけは避けるのだ。そればかりはフォローできん」

 「肝に銘じるわ」

 霊衣神官は、そう言うと代金を置いて踵を返し、店を出て行く。

 「後詰め、かしらね」

 「だろうな」

 それから、巨漢二人も出て行き、

 「くそ・・・くそ・・・」

 呪詛の念を唱えながら邪眼導師も出て行った。後に残ったのは妖麗楽士と死天騎士、それから後は一般客だけ。

 「・・・目覚めた〜ってことは、調整が終わったのね」

 「ああ」

 妖麗楽士が、何処か悲しげな表情で問うと死天騎士が頷いて答える。

 「アレスの奴が、随分と難色を示していたよ」

 「彼は、優しいから〜」

 「ヴァンパイア故の性か。・・・しかし」

 死天騎士は店内を見回してうんざりする。黒いマントや刺々しい鎧を身に着けたものや、ゴスロリファッションの少女、その他、随分と派手なデザインをした通常では着ないような服装の人間たちばかりが店内に居る。良く見れば、怪人らしきものも何名か混じっていたが、大半が生身の人間だ。

 「一体、やつらはなんなんだ?」

 「コスプレイヤーよ。アニメとかゲェムとかのキャラクターの格好するひと」

 「そういう事を聞いてるのではなく、何故ここにこんなにいるのだ?」

 「仕方ないじゃない。ここ、秋葉原なんだし、貴方達も違和感なくて良いでしょ?」
そう、妖麗楽士は笑った。

 喫茶「魔皇子亭」。所在地秋葉原・・・現在、コスプレイヤー(悪役キャラクターメイン)の溜まり場的存在になりつつあった。そして、某大作RPG4作目に出てくる主人公のライバルの姿(紫色の全身鎧に槍を持ったスタイル。兜はドラゴンモティーフ)をした金髪の男が、ニヤリと笑いながら見ていたことに、二人の魔王は気づかなかった。

 (・・・久々、出番ゲットだぜ)

 彼は、そう内心ガッツポーズを取った。








 「ふぇ・・・ふぇっくしょん!!」

 ドサドサドサァ・・・

 大きなくしゃみの音に誘発され、屋根に積もっていた雪が一斉に路上に落ちていく。その後、少々赤くなった鼻をズルズルといわせる金髪の少女に向け、元宗は心配そうに問う。

 「・・・湯冷めしたか?」

 「うんにゃ・・・噂だよ、きっと」

 「そうか」

 何故か断言するマリアに、元宗はそれ以上、突っ込んだりしようとせず、再び進行方向に目をやる。マリアは、彼のその反応にそこはかとなく不満げな視線を向けていたが、やがて追随する。

 「で・・・ここが目的地なワケね」

 「ああ」

 其処は都内某所にある寺院。雪が積もって大分、灰色に占められているが、元宗が仮住まいとしている

 「修行僧時代に世話ンなった人が住職やっててね」

 「へぇ〜」

 その時、境内のほうから少女、いや幼女が走ってくる。年の頃は6〜8歳くらいか。彼女は二人に気づくと方向転換をしようとして、雪に足を取られて転倒する。

 「だ・・・大丈夫?」

 「う・・・」

 近付いて抱き起こすマリア。勝気そうな表情だが、その目尻には涙が溜まっている。

 「もしかして、どこか怪我でも?」

 「お姉ちゃんには関係ないよ!」

 少女はサッとマリアの手を払いのけると、そう言って走り去る。

 「ミサト!!」

 少女の後姿を半ば呆然と見ていると、背後から女性の声が響く。見れば栗色の髪をセミロングにした女性がこちらに走ってくる。やがて彼女は二人に気づくと、驚いた様な表情を見せる。その女性・・・三十代前半から半ば位だろうか。その女性を見た元宗は、余り似合わない微笑を浮かべてから深く頭を下げ、そして言う。

 「お久しぶりです。律子さん」

 「半年振りね・・・元宗君」

 律子と呼ばれたその女性は優しそうな表情に柔和な微笑を浮かべてそう返す。

 「主人に会いに来たんでしょう?」

 そして彼女のその問いに元宗は頷いて答えた。






 応接間・・・其処には既に元宗の訪ねた相手が待っていた。

 「やあ・・・久しぶりだね」

 右手を上げて、その相手は言う。温和な耳心地の良い声色。其処に居たのは三十台半ば位の僧侶。元宗と同じように頭を剃り上げ、一目で鍛えられたと判るがっしりした体格。深い彫りの顔立ちと黒い肌は沖縄の血が色濃い事を物語っている

 「お久しぶりです。道源さん」

 何時もとは明らかに異なる元宗。陰陽寮の局長である神崎にさえ見せたことのない謙った態度をとっている。男の名は久本道源。
この寺の住職であり、高野山で修行を積んだ退魔法師、即ち元宗の先輩に当る人物であるらしい。道中、元宗が言っていた事を思い出しながらマリアは、退魔法師が随分と体育会系的な連中だ・・・と、感想を抱く。もっとも、それは元宗に限ったことかもしれないが。

 「お元気そうで何よりです」

 「君もね。お互い無事で安心したよ」

 そう、言葉を交し合う二人の退魔法師。悪霊や妖怪・邪悪な呪術の脅威にオカルト技術で対抗するという点で、退魔法師と戦闘陰陽師は類似している。しかし、国家に属し組織的な活動を基本とする陰陽師に対し、彼らは基本的に、平時は僧侶として過ごし要求に応じて退魔法師としての活動を行うため単独で活動することが多い。そのため、久しぶりに会うとお互いの身を案じる言葉が最初に出るのだ。

 「しかし・・・見苦しいところを見せてしまったね」

 照れ臭そうな苦笑を浮かべる道源。彼の後ろにあるテレビの上に写真立てを見つける元宗。そこには家族三人が楽しそうに笑いながら写る写真が飾られている。それを少し羨ましそうに見ながら元宗は問う。

 「娘さん、随分大きくなったんですね。前に会ったときは未だ歩き始めてもいなかったのに。お幾つですか?」

 「今年、小学校に入学したばかりだよ・・・だが、まだまだ我が侭の盛りでね」

 そう苦笑を浮かべながらも、どこか楽しそうで、同時に寂しそうでも在る道源。元宗はその含みのある表情の真意を問う。

 「どうかなさったんですか?」

 「いや・・・少し、駄々を捏ねてね。ほら、こんな時期だろう?」

 「?」

 ピンと来ず、首を捻る元宗。その反応に道源も呆れた様な表情で言う。

 「相変わらず君は俗事に疎いな。ほら、クリスマスだよ」

 「ああ・・・」

 「世間では随分と節操無くやってるが、とはいえ流石にウチがやる訳にはいかないからね」

 寺や神社経営の幼稚園でさえクリスマス会を催したりする昨今の風潮から考えれば、随分と古風な考え方だとマリアは思う。が、この住職が宗教的な力、所謂、仏法の加護によって戦う退魔法師である以上、仕方ないことなのかもしれない。奈津の話によれば、ローマ法王庁の退魔士も以前はガチガチの原理主義だったらしい(もっともこの話自体、奈津自身が実際に見聞きしたものではないらしいが)。

 「それで拗ねてるのさ・・・わたしのとこだけサンタさんがこない、と」

 「・・・気持ち、少しだけ解るな」

 そう、ポツリと呟くマリア。そして、ふと何か思い至った様に立ち上がる。

 二人の僧の疑問の視線が彼女に集まる。

 「マリア?」

 「どちらへ?」

 「ちょっと、あの子のところ。コウちゃんを借りるね」

 『ニャ』

 彼女が言うと、元宗の足元からするりとコウが現れマリアの肩に飛び乗る。

 「すいません。わざわざ・・・」

 申し訳なさそうに言う道源に、ちっちっちと舌を鳴らしながら指を振るマリア。

 「いいんです。ちょっと気になることがあったから・・・」

 「気になること?」

 「気にしないで〜」

 疑問の声を上げる元宗だったが、マリアはあからさまにはぐらかすと部屋を出て行く。その後姿を見ながら二人の僧は複雑そうな表情を浮かべていたが、やがて道源の方から会話を再会してくる。

 「甘やかしすぎると為に成らないと思ったんだけど、裏目に出てしまったようだ。子育てというものは匙加減が難しいね。ま、それよりも・・・」

 柔和だった道源の表情に、スッと真剣な鋭い雰囲気が宿る。それは元宗の良く知る表情、退魔法師としての表情だ。

 「世間話をしに来た訳じゃないんだろう? 大体、予測は出来ているが・・・」

 「ええ。連続自殺の件に付いてです」

 元宗がそう告げると、道源は鼻をふんとならして頷く。そしてポケットから煙草の箱を取り出すと「吸っても良いかい?」と問うように指差す仕草をする。元宗が頷くと、彼は一緒に取り出したマッチで火を点け蒸かす。それと同時にふわりと広がる紫煙。

 「・・・話は聞いているよ。私のところにも“御山”から連絡が在った。やはり・・・これは人為的なものなのかい?」

 「恐らく。そして今後、道源さんが狙われる可能性があります。正直、道源さんが餌食になると考えたくは無いんですが・・・」

 深刻な表情で言う元宗の意図を把握するように道源は頷いて言う。

 「・・・君が来たんだ。相当の相手だということくらい判るよ」

 「ええ・・・敵は、恐ろしい奴です」

 恐怖、それと同時に激しい憎悪の込められた声。元宗の握られた拳が小刻みに震えている。それを見て、何処か感慨深そうに呟く道源。

 「敵・・・か」

 「道源さん・・・?」

 ここ以外の別の場所を見ながらのような、含みの有る呟き。その言葉の響きに違和感を覚えた元宗が問うように彼の名を呼ぶと、彼は少し狼狽した様子を見せて我に帰る。

 「ああ・・・すまない。それで私は何をすれば良い?」

 「・・・ここが狙われている可能性はさっきも言ったとおりです。だから、ここに網を張らせて欲しいんです」

 「迎え撃つ・・・そういうことか」

 「はい」

 元宗が端的に肯定すると、道源は数秒考えていたが、やがて結論を出し頷いて言う。

 「わかった。では、部屋を用意させるよ」

 「助かります」

 「なに、君の頼みだ。人を守る、君のね」






 暫らく境内を散策していたマリアだが、やがて探している彼女がいるだろうと思われる場所に到着する。ドンドンと響く木の板を叩く音。マリアは土蔵の前でその扉を叩く道源の妻、律子の姿を見つけた。

 「ミサト、出ていらっしゃい。寒いわよ! そんなところに隠れてたら!」

 『いや! 出たくない!』

 土蔵の中から響く少女の声。マリアは律子に近付くと問うまでも無く判ることだが、一応問う。

 「・・・ここに、隠れてるんですか?」

 「ええ・・・あら・・・えぇと・・・」

 答えようとマリアの方を見た律子が困ったような声を上げる。彼女は直ぐにその理由を察すると、困惑を払拭する言葉を告げる。

 「マリアです。新氏マリアです」

 「ああ、御免なさいね。さっきは自己紹介する前に行っちゃったから・・・そうだ、私も自己紹介しなくちゃね。私は久本律子です」

 そう言ってぺこりと頭を下げる律子。つられてマリアも軽い会釈程度に頭を下げる。そして律子は頭を上げると、顔に困ったような苦笑を浮かべる。

 「ご免なさいね・・・見苦しいところをお見せしてしまって」

 「ミサトちゃんは・・・この中なんですか?」

 もう一度、当までも無い質問。

 「ええ・・・お腹が空けば出てくるとは思うんだけど、この天気でしょう? 放っておく訳にもいかなくて・・・」

 「・・・ちょっと良いですか?」

 「え・・・?」

 律子が答えるのを待たずマリアは扉の間に割り込む。そして、扉や土蔵の壁をまるで触診するように叩いていくマリア。何をやろうとしているのか理解できずクエスチョンマークを頭に無数に浮かべる律子に、マリアは不敵な笑みを浮かべて言った。

 「このわたしにお任せあれ、です」






 「お父さん・・・」

 土蔵の中を満たす暗闇に、寂しげな声は響き溶けて消える。

 「・・・さむいな」

 そして彼女は自らの肩を抱いて震える。いくら保温作用の強い土蔵とはいえ、気温が零下を数える日がこう何日も続けば、内側から熱を発していない以上温度が下がるのは必然。最も少女がそんなことを知る由もない・・・

 「もっと、あったかいところにかくれたらよかった・・・」

 故に少女はそんな風に思い、そして言葉にする。室外で此処以上に暖かい隠れ場所内のにもかかわらず。

 ガタガタ・・・

 不意に響く、物音。

 「だれ?」

 「みさと・・・」

 入り口のほうから影が近付いてくる。その声、その姿は・・・

 「なんで・・・お父さん・・・?」

 道源の姿。閂とつっかえ棒で外側からは開かない様になっている筈なのに、其処には父の姿がある。

 「さあ、うちに戻りなさい。寒いだろう」

 「いや・・・」

 父親は彼女に近付き手を伸ばしてくる。

 「いや・・・こないで!!」

 張り上げる声は明らかに怯えの色を帯びる。訝しげに眉を顰める父親。尚も近付こうとすると、少女は走り更に倉庫の奥へ逃げる。
やっぱり、やっぱりそうなんだ・・・と少女は思う。

 「どうしたんだい? ミサト」

 「いや・・・こないでお父さん!!」

 更に詰め寄る父親に、少女は最早恐慌状態に近い有様となり、傍に合った明らかに高価そうな仏像を掴んで投げつけようとする。

 「うわわっ!」

 「え?」

 父親から突如発された、父親とは異なる女性の声にきょとんとするミサト。

 「ごめん、ごめん。そんなにお父さんが怖いなんて知らなくって」

 ペロリと茶目っ気を振りまいて舌を出す父親。少女が知る父親は、少なくともそういった行動は取らない。そして父親はくるりとその場でターンをすると、一瞬でその姿を、長身を厚い筋肉で包んだ男の姿から短い癖の有る金髪の女性の姿へと変える。

 「!」

 「はぁい、ミサトちゃん」

 驚き目を丸くする少女に金髪の女性はしゃがみこんで目線を同じ高さにし、にっこりと微笑む。

 「自己紹介が未だだったね。わたしはマリア。新氏マリア」

 「マリア・・・おねえちゃん・・・?」

 「そ、よろしくね♪」

 未だ警戒を解かない少女に、マリアは心配する様に問いかける。

 「ここ、寒いでしょ? 大丈夫?」

 「どうやって・・・ここに・・・入ってきたの?」

 しかし帰って来たのは質問。その質問は、まあ当然の疑問である。密室トリックでもないのに外から遮断された土蔵内に彼女は突然現れたのだから。マリアはすっくと立ち上がると腰に手を当て、なぜか勝ち誇ったようにクックックと笑う。

 「フフフ・・・わたしは忍者。こんな薄壁なんて在って無いようなもの。忍法壁抜けの術です」

 「に・・・にんじゃ・・・ウソ」

 幾ら小学生とはいえ、今時の子供である。有り得ない事実が起こった上でさえ、忍者等と言うあからさまに胡散臭い肩書きをいきなり信じるわけがない。だが、マリアはその反応に不快な顔をせず、むしろチャンスとばかりに満面の笑顔をつくる。

 「マジよん。ほら、マージマジなんとか」

 どろん、という定番の擬音が鳴り響き土蔵内に煙が沸き立つ。数秒後、煙が晴れた後に現れたのは・・・

 「きゃああああっ」

 「うぎゃあああっ」

 二人の悲鳴。ゼリー状の物質で出来たホースのような細長い物体の中に浮かぶ黒い球体。とぐろを巻く多量に水分を含んだグロデスクな物体が彼女ら二人の足元に横たわっている。それは大蝦蟇・・・の卵。

 「うひぃぃ、成れない技を使うもんじゃないわっ!!」

 慌てて川へ強制送還するマリア。暫らく彼女はぜいぜいと息をした後、わざとらしく髪をかき上げる。

 「ふ・・・少し早かったみたいね」

 「・・・無理しなくて良いよ、おねえちゃん」

 「無理なんかじゃないわ! いくわよ! 必殺マリアがいっぱい!!」

 何を殺すのかは恐らく本人にも分かっていないだろうが、マリアは術を発動させる。すると見る間に彼女の姿は周囲に増殖していく。

 「!! え・・・ええっ?!」

 驚嘆の声を上げるミサト。影分身・・・忍者の代名詞とさえ言えるこの技を実演披露されれば彼女が自称忍者ではなく、本当に忍者である、ということを信じざるを得ない。最もマリアの場合、職業欄に記入されるほうではなく技能欄に忍者検定〜級と記されるほうなのだが。

 「すごい・・・」

 「「「どんなもんだい!」」」

 少女の驚嘆に気分を良くし、誇らしげに胸を張るマリアの集団。だが・・・

 「やっぱり・・・」

 やがて少女の驚嘆には脅えの色が含まれる。

 「やっぱり、お姉ちゃんも・・・」

 「どうしたの?」

 本体のマリアに戻っていく影分身たち。彼女はミサトが先ほどから何かを怖がっているのに気づき、それを問う。

 始めは何かを躊躇う様に俯いていた少女だったが、やがて笑顔の浮かんだ顔を上げる。

 「ねぇ、忍法とか、もっといろいろ見せて! 忍者のおねえちゃん!」

 (この娘は・・・!)

 マリアは、この少女の何かを隠そうとしている反応に、ほぼ確信する。

 (“ヒミコ”の予測が的中したのも久しぶりね・・・ケド、それは同時に・・・)

 「お姉ちゃん?」

 訝しげな表情をするミサトの声に即座に思考を中断する。その際、動揺の色を殆ど見せない。彼女は先ほどからと同様の何処か尊大な態度で答える。

 「うっふっふ・・・いいわよん。だけど此処じゃ狭いから、お外に出てからね」

 「・・・やっぱり、いい。出なくていい」

 少々、落胆した様に言うミサト。

 「ミサトちゃん・・・」

 「クリスマスが来るまでまってるの。みんなのところでやるみたいなクリスマスをうちでやるまで、でてかないってきめたの!」

 「ミサトちゃんは聞き分けのいい子だって聞いたけどな」

 「おねえちゃんにはわかんないよ。わたし一人だけ、なかまはずれなきもちが・・・それに」

 何かを言おうとして再び口ごもるミサト。再び俯く少女に、マリアは全てを理解した、という風な渋い表情をしながら言う。

 「・・・ん〜・・・あ〜・・・わかる。みなまで言わずとも、わかるよ。ミサトちゃん」

 「え?」

 「わたしもねぇ、この歳までクリスマスを楽しんだことないの」

 「おねえちゃんも・・・なの?」

 目を円くして聞かれ、少々情けない気分に陥るマリア。

 「うん。だからね、今年はお姉ちゃんとクリスマスパーティーやろ? ね?」

 「え・・・ほんとに?」

 「うん。ほんともほんと。書体(フォント)じゃなくて本当」

 「?・・・よくわかんないよ、おねえちゃん」

 ボケを滑らせたマリアは冷たい目で見られ、引き攣った笑いを浮かべる。

 「ま・・・まあ、兎に角! 奮発してプレゼントも上げちゃう! 何か欲しいものある?」

 「プレゼント・・・?」

 ぽかんとした表情で鸚鵡返しに聞き返すミサト。

 「そ、クリスマスって言えば、定番でしょ。お人形やヌイグルミはちょっと子供っぽいかな? やっぱり此処はお洋服とか?」

 「わかんない」

 「へ?」

 ミサトの意外な反応に、素っ頓狂な声を上げるマリア。

 「わたし、パーティーをしたかっただけで、プレゼントとか考えてなかった」

 「な・・・なんと」

 まさか、このような娘が今の日本にまだ居たとは・・・

 (事実はフィクションより奇なり)

 頭に浮かぶその台詞と共に驚愕するマリア。そんな彼女の衝撃も知らず、ミサトは言葉を続ける。

 「お父さんもお母さんもいつもいそがしいから、いっしょにいてほしかっただけだから。だからわたし、かんがえてなかった・・・」

 「か・・・」

 「おねえちゃん?」

 覗き込むようなその表情がマリアの中に燃える炎を一気に爆発させる。

 「可愛い! いい! その健気さに萌える! よ〜し、ボーナスも出たことだし、大盤振る舞いよ!!」

 とまあ、そういう寸法で、彼女の炎は燃え上がった。








 「ふむ・・・」

 “彼”は足元に細く長い糸の様な何かを見つけ、拾い上げる。それは黒髪。女性のものだろうか。一メートル以上の長さがある。

 チカチカと額の内部で光るイルミネーション。それはコンピューターが高速演算する証。高温とガスの影響で劣化しているが、分析し即座に算出した結果は、“彼”が探しているものと符合していた。

 ここは富士山・・・日本最大のこの火山は今、再び噴煙を上げ内にマグマを滾らせている。地底に住まう魔人たちが地上侵攻の為の超巨大要塞を浮上させようと試みた為に数百年に渡り保たれた均衡が崩れたのだ。辛うじて要塞浮上は阻止されたものの、一度始まった火山活動まで止められる訳も無く、一週間を過ぎた今も尚、霊峰は炎と黒煙に支配されている。

 “彼”、が立つ其処は火口内部。黒々とした煙の奥から染み出す仄赤い灯火が照らし浮かび上がらせる、地上で最も限りなく地獄に近い縦穴。その熱く煮えた岩で出来た壁面に、切り出され台の様に張り出した岩が彼の佇む場所だった。

 有毒且つ高温の火山性ガスに満たされたその場所に、彼は佇み、拾い上げた髪の毛をじっと見詰めていた。

 照らされ黒光りするメタルボディ。顔は髑髏を思わせる角の生えた鉄仮面。胸の装甲はクロスを描いて青く染め上げられており、仮面と併せて海賊旗を思わせるフォルム。“彼”の名は時空海賊シルエットX。無論、それはある理由により自称する仮の名前だ。

 シルエットXはブリーフケースを開くと、中から透明な素材で作られたフィルムケース大のカプセルを取り出し、その中に髪の毛を封入する。

 目的のものを手に入れた“彼”だが、額に嵌め込まれた菱形結晶の奥では尚も高速演算に伴う鮮やかな光点の明滅が続いている。

 彼がゆっくりと見回すと目を象った青いグラスプレートに無数の図形や文字が光で描き出され、“彼”自身の網膜に解析した情報を投影する。

 pi・・・pi・・・

 コンピューターが示すのは其処に残された血の後。かなりの量の血液・・・人間ならば、死に至るに足りる量が流されたらしい。

 「やはり・・・か」

 その血液もやはり符合する。髪も、血液も、彼が探している人物が残したものだ。彼は血を含んだ土を採取するとシルエットXは先ほどと同様、カプセルを取り出し、封入する。

 そして彼は血の零れ落ちた後を追うように視線を巡らせるが・・・それは途中で途切れ、消える。それはここで血を流した人物が、移動した事実を示していた。だが・・・

 「・・・」

 這いずった後は其処にはない。変わりに足跡が残っている。女性のもの・・・だが、そのデータだけは、彼が探す人物のものとは一致しなかった。

 「なるほどね」






 降り頻る雪。白く冷たい薄明かりが窓から仄かに差し込む。だが、珈琲の柔らかな香気とともに其処に在る温もりは損なわれない。単なる喫茶店に過ぎない筈の其処、その空間には確かな安らぎが在った。店内に在る客の姿はそう多くない。だが、この天候と街行く人々の数を考えれば、逆に然程少ない数ではないかもしれない。雪道を歩く苦労に見合う魅力が、ここで珈琲を楽しむひと時にはあるのだろう。

 カウンターの席に一人、女性が口に端を付けたカップを傾けている。やや緑を帯びた黒いストレートヘアーをショートに纏め、赤いスーツに身を包んだOL・・・それも秘書を務める様なバリバリのキャリアウーマンを思わせるような出で立ち。

 年齢は多く見積もっても二十台の前半は越えていないだろう。一般的な女性で言えば、光り輝き瑞々しさに満ち溢れるはずの年頃だ。
しかし彼女の場合、憂いや儚さというべきだろうか。そう言った要素が標準以上に美しいと言える容貌に微かに影を落としている。最も、それが美しさを引き立てているか、或いは損なっているかの判断は個人の感性に拠るものかもしれないが。

 彼女の名は恵美。その姿は人間そのものだが、霊感と言った類の第六感に優れた人間なら、彼女の影なり背後なりに蜘蛛の幻を見たかもしれない。彼女の実態は妖人と呼ばれる呪術的処置によって改造された改造人間である。

 やがて彼女はカップを口から離すと視線を上げる。すると目の前には噴き出すのを堪えねば成らないほどエプロン姿の似合わない厳つい体格の中年男性が一人、洗い終えたカップを丁寧に拭いている。天候のことも在り、今日はここに勤めるアルバイトの者達には休暇を出しているらしい。もっとも・・・

 (そんなのが居る連中とも思えんが・・・)

 ほんの二、三日しか働けなかった彼女でさえ、などと内心思える連中ばかりが紹介されたのだが。

 (まあ、それはともかくだ・・・)

 「・・・と言う訳なんだがマスター、解らないだろうか?」

 かちゃ、と音を立て拭かれたカップが棚に戻される。彼女の問いは、既に“かくかくしかじか”の部分は男に説明されており、その上でのものだ。マスター、そう呼ばれた男は武術・・・それも実戦的なそれで鍛えられたと思しい太い腕を組む。

 「うぅむ・・・奇巌山の回廊は我々が封印してしまったからな。それ以外は解らないよ」

 低い声で唸り、そう答える。

 マスターと呼ばれたその男は、外見のイメージに完全に符合した低く渋みの有る声で唸り、そう答える。

 「そうか・・・」

 男の答えに俄かに肩を落とす恵美。

 「力に成れなくてすまない」

 「いや・・・気にしないでくれ。流石に都合が良過ぎるからな」

 相手が相手であるだけに知らず過度な期待をしていたらしく、落胆が強く表情に出てしまったらしい。彼女が取り繕う様に言うと、マスターと呼ばれた男は優しげな微笑を浮かべる。

 「しかし、随分と熱心だな。君は」

 「・・・恩人だからな。出来る限りの事をしたいんだ」

 「ふむ・・・」

 僅かに頬を赤くして言う恵美の反応に思うところ有ったのか意味有り気な含みの在る頷きをするマスター。

 暫時、少し照れたように沈黙し、僅かに珈琲が薄茶色に残るカップの底を見つめていた恵美だが、やがて彼女は立ち上がりそれの代金を台の上に乗せる。

 「もう行くのかい?」

 「ああ・・・余り暇が在るわけではないから」

 恐縮した様な表情を浮かべる恵美。

 「勤め始めたばかりなのに、また長い休みを貰ってしまって申し訳無いんだが・・・」

 「気に病まなくてもいい。暫くはそれほど忙しくないだろうし、片岡君は働き者だからな」

 冗談めかしたその言葉に恵美は控えめな笑顔で答える。

 「・・・じゃあ、みんなに宜しく言っておいてくれ」

 彼女はそう告げるとドアの鐘を鳴らし雪降る道へと去っていく。

 「時代は変わり行く・・・か」

 恵美の後姿を見ながら、様々な思いを込もった呟きを漏らすマスター。恵美の姿は長くこの世界に携わった彼にとっても感慨深いものがあった。

 カラン、と再び鐘が鳴り冷たい風とともに達磨を思わせる影が入ってくる。それを見てマスター、いや彼だけでなく店内の客の何割かの表情が微妙な変化を見せる。色彩で表せば先程まで濃い緑だったものが黄色を経て、今は薄い朱色となっている。即ち警戒色。和やかな店内の雰囲気に、剣呑さの混じる緊張感が張り詰める。

 「おぉう、寒いのう」

 入ってきたのは浅黒い肌の小太りな老人。

 「・・・今日は妖人の先客万来だな」

 マスターが淡々とした口調で呟くと、アマゾンに棲む様な大型の鯰を思わせる老人はニヤリとした笑みを浮かべた。

 「邪魔するぞい」






「ふう・・・」

 そう、小さく息を吐いて中身が半分になった湯飲みを机の上に置く神崎。その手には未だ、隊員の大まかなコンディションが記された書類が握られているが。やがて、彼女がそれを置くと待っていたように堀江は問う。

 「それより如何でしたかな? 会議の方は」

 「散々、厭味を言われたわ」

 思い出すのも嫌そうに顔をしかめる神崎。堀江も溜息をつくと少々呆れた様に言う。

 「まあ、予測された通りですな。些か、無責任な様に感じますが」

 「仕方ないわ・・・被害が大きいのは事実なんだから」

 既に魔帝国との抗争で陰陽寮の職員だけでも48名の死者と371名の重傷者が出ている。これは紛れも無く、陰陽寮の局長である神崎の責任だ。だが・・・

 「確かにそうではありますが・・・」

 些か釈然としない様子の堀江。一般への被害については、防衛省を始めとした関係各省庁・機関の対応の遅れも大きな原因になっているのだ。最も、莫大な予算と超法規的な活動権限を与えられた陰陽寮が批判の槍玉に挙げられることや活動に間接的な妨害を行ってくるのは今に始まったことではない。

 (しかし・・・)

 ではないのだが、堀江の知る限り、ここ最近余りにその傾向がやや顕著なように思えるのだ。更に、ここ最近では四菱などの旧財閥系の軍需産業トップと防衛省の一部の幹部の怪しげな活動を諜報部が報告してきている。その事を含めて充分に懸念すべき事柄ではあるが・・・

 「それよりも大変なのは此れからよ」

 堀江の思索を途切る神崎の、まるでその様な事が意中に無いかのような声。

 「残存する支部の強化。隊員の再編成と再配置・・・やるべき事は多いけど、時間は限られているわ」

 「は、それならば各支部の強化は目下、技術部と作戦部が明日を目処に計画中。隊の再編成は既に完了しております」

 「流石ね」

 「恐れ入ります」

 感心し、労う神崎に対し執事を思わせる挙動で頭を下げる堀江。

 「それから彼のことですが・・・」

 彼は「伊万里京二の動向について」と書かれたファイルを取り出して言う。それは諜報部が提出した報告書だった。

 「・・・何か解かった?」

 僅かに期待を覗かせる神崎。だが堀江の答えは・・・

 「いえ。完全に行き詰まりましたよ。ハハハ」

 「はははって、貴方ねぇ・・・」

 期待を裏切る答えに少々、憮然とする神崎。堀江はすぐに自嘲気味の苦笑を表情から消すと言葉を続ける。

 「ま、笑うしか在りませんな。彼が住んでいたマンションは行方を眩ます前日には既に売約の手続きが完了しております」

 「・・・!」

 その事実は神崎をも驚愕させるに充分な事実だった。伊万里京二はもとより半ば彼の専属ボディガードと化していた神野江瞬でさえ知らないことであったが、伊万里京二は常に複数名の諜報員が監視をいっていたのだ。幾ら伊万里京二が百戦錬磨に等しいとは言え、所詮は素人。本来ならば彼のそのような行動を見逃す隙など在り得はしないのだが・・・

 「また、彼が所有する資産や特許、それに伴う権利等も同様です。その大部分が事件発生前から海外の企業が管理していたのですが、僅かに日本国内に留まっていた分も、やはり18日までに海外へ移動。城北大学の方にも問い合わせてみましたが、やはり同じ日にかなり長期の休職届けが出されております」

 「随分と手際が良いわね・・・鮮やか過ぎる」

 最早、ここまで来ると異常である。予め彼はあのような事態が起こることを知っていたとしか考えられない。

 (何処ぞの新人類の様に『見える』とか言っていたけど・・・)

 アギトやオルフェノクの発症初期段階において予知能力や透視能力、読心能力が発現するという例が何件か報告がされているが、幾らなんでも行動に具体性が在り過ぎる。神崎は或いは・・・と言う考えが俄かに真実味を帯びたように感じる。或いはもう一人、伊万里京二もまた内通者だったのでは、と。

 「ところで・・・」

 神崎は改まると、伊万里京二に深い縁のある二人の男を思い出しながら問う。

 「“彼ら”は何と?」

 「のらりくらりとはぐらかされたようです」

 堀江の答えに、神崎はやはりか、と自身の予想が当っていたことを落胆する。彼女の脳裏に浮かぶ今は喫茶店のマスターをしている濃厚な顔の男と、城北大学で学長をやっているドスの利いた声の男。そして彼女は堀江に向けて問う。

 「貴方は、彼らが伊万里京二の行方を知っていると思って?」

 「プロフェッサー殿は、あの御二人と懇意でしたからな。彼の目的から推測して可能性は高いかと」

 「そうね・・・」

 恐らく、そう、だろう。伊万里京二という男の性格からして詳細までは伝えていないと思われるが、現役当時から殆ど衰えていない優れた洞察力と高いIQを持つあの二人ならば大まかな部分まで察しているだろう。だが・・・

 「まあ、流石に彼らを聞き質すのは些か無謀ですからな」

 「・・・致し方無いわ。まったく・・・協力してくれないなら、アフリカに珍妙な生物でも探しに行けばいいのよ」

 「は?」

 「なんでもないわ」

 一度目の質問で按排の良い答えが返って来なかった以上、この先どのようなパターンを用いてもあまり効果は無いだろう。そればかりか、不利益が発生する危険性の方が余程大きい。しかし彼らからの聴取を諦める神崎だったが、伊万里京二の調査そのものを諦めたわけではない。

 「兎に角、地道に確実に探して頂戴」

 「随分と熱を入れておりますな。何か気になることでも?」

 危険性がある・・・とは言え、この間の伊万里京二を見る限り速やかに“竜王”の発現が起こる可能性は低い。今のところ、それほど力を入れるべき事柄ではない様に堀江は思えた。神崎は暫らく沈黙した後、堀江の問いに答える。

 「上からの指示よ・・・と言いたい所だけど」

 「?」

 「確認したいことがあるのよ」

 だが神崎は、その確認したい事柄が何なのかまでは告げない。飽く迄、彼女の中に浮かんだ一つの突飛な答えの確認でしかないのだ。

 「・・・承知いたしました。引き続き諜報部に探させましょう」

 「お願いね」

 重ねて依頼する神崎に堀江は静かに頷いた。






 「パーティーをやる?」

 鸚鵡返しに問い返してくるのは、流石に寒いのかスキンヘッドにニットの帽子を被った元宗。彼の声の響きには、余り好感触は含まれていないが、マリアはそれを無視するような能天気な口調で返す。

 「そ、クリスマスパーティー。焼いた七面鳥にケーキ。もーみのきもーみのきー♪を飾ってね」

 「で、オレはその荷物持ちってわけか。っつうか了解とってないだろ?」

 「いいの、いいの。こういうのは強引にやらなきゃ。だってそうでもしなきゃ頭固い退魔法師さんって首を縦に振らないじゃない」
楽しそうに言うマリアとは対照的に疲れた様に肩を落とす元宗。

 「お前なぁ・・・」

 ボソリと呟く様に言う元宗を見て、マリアは大きな目を更に大きく開く。

 「あれ? 意外とあっさり納得するね、元宗さん。てっきり『不謹慎だーっ』とか言って反対すると思ったのに」

 何時もの元宗ならば、その生真面目さが逆にトラブルを引き起こしている事も気づかず、暴力的に正論を振り翳すのだが、今回の彼はその声に僅かに咎める様な響きを交えるだけだ。元宗は両手をポケットに突っ込むと、フーッと白い息を吐いて言う。

 「お前みたいな奴はどうせ駄目だっていっても、無理にやるんだろう?」

 「お、なんか賢くなってるね。元宗さん」

 ニヤリと笑うマリア。だが、元宗は相変わらず何処か不機嫌そうな顔で答える。

 「・・・人をサルみたいに言うな。別に、深く拘る様なことじゃあないしな。大体、今のクリスマスなんて原典からはえらくかけ離れてるんだし」

 「お坊さんの癖に革のジャンパー着てる時点で生臭でアバウトだしね〜」

 「人聞きの悪い。これは合皮だぞ」

 「それはそれで、かっこわるぅ・・・」

 「・・・」

 「どうしたの? 元宗さん」

 不意に沈黙する元宗をいぶかしむように見てマリアは気づく。白くなった炭の奥で僅かに燻る様な灯火だった彼の眼光が、何時の間にか焔・・・それも触れただけで皮膚どころか骨まで灰に変える類の烈火にかわっていることに。そして、切っ先の様な視線を追った先には・・・

 「「貴様は・・・」」

 重なる互いの声。黒いセミロングの髪に赤いスーツ姿の美女。表情の無い顔は、自分たちに対する関心が極度に薄いことを示しているが、対して瞳に宿るのは磨がれた刃の冷たい光―――自ら切り込む事は無いが、触れるならば確実に肉を裂く剣呑さが、其処に立っていた。

 「伊万里と居た妖人だな?」

 「・・・そういう貴様は高野山の禿頭」

 質の違う二つの緊張感がぶつかり合い、空気が重く張り詰める。

 だが、重圧は僅か数秒で解かれ、消える。マリアが声を発したのだ。

 「恵美さん・・・よね?」

 聞かれたことで恵美は僅かに視線をずらし、マリアのほうへ向ける。

 「ああ。お前は・・・新氏マリアだな」

 一瞬、間を於いて恵美は問いを返す。彼女の体から放たれる緊張感が僅かに和らいだのをマリアは感じる。

 胸を撫で下ろしかけるマリア。だが、それは早計だった事を思い知らされる。

 「こっちを見ろッ! 妖人ッ!!」

 侮蔑の念が篭るあからさまな吼え声。元宗の発したそれに、恵美は如実に不快そうな表情を浮かべる。

 「なに・・・? 爆発でもするつもり? 傍迷惑な奴だな」

 「怪人である貴様が言えた台詞か・・・ッ!」

 「知るか。一々、売り言葉を買うな、馬鹿」

 重ねて挑発する様に言う恵美。それは案の定、元宗の怒りの火に油を注ぐ結果を導く。

 「てめぇ・・・ッ!」

 顔面が真っ赤に染まり、熱気に晒され雪が触れる前に湯気に変わる。怒りっぽい人間を瞬間湯沸かし器と揶揄することが間々あるが、今の彼を表現するのに相応しい言葉だろう。グローブが擦れる音が響き、彼の拳が殴る為に固められる。一方で、恵美も臨戦態勢に入り彼女を取り巻く大気が、俄かにざわめき始める。

 「貴様・・・こんな所で何を企む?」

 「奇遇だな、という奴よ。格好を見て解らないか? 買出しの帰りにたまたま出くわしただけさ」

 僅かに左手を上げる恵美。確かにその手には買い物籠が握られ、その中には雑貨や食料品が詰められている。無論、彼女は元宗がそう言った類の答えを期待していた訳ではない事に気づいている。真顔で茶化された元宗は、声を荒げる。

 「伊万里は、伊万里は何処にいるッ?!」

 「・・・男の癖に喧しい。もう少しはマシな聞き様があるだろう」

 「黙れッ答えろ!!」

 元宗の高圧的な物言いに不愉快そうに表情を歪める恵美。だがそれは、やがて冷たい微笑みに変わり彼女は鼻を鳴らし嘲る。

 「フ・・・自分がどれほど阿呆なことを言っているか判らない様では重症だ。それに、問いも愚につかない」

 「ンだとォ?!」

 問い返す元宗にわざとらしい憐憫の眼差しを向けた後、恵美は率直に答える。

 「阿呆で愚問だと言ったのが聞こえなかったか?」

 「てめぇっ!!!」

 既に溶鉱炉の熱を発し始めた元宗は恵美の言葉に激昂するが、しかし彼女はそれを無視する様に冷然と言葉を続ける。

 「奴は奴自身の心が赴くままに生きる事を流儀としている。そして私は奴の味方だ。私は奴の利益を損なう様な真似を望んでするつもりはない。知りたいならば他を当たるが良い。まあ、無駄だろうがな」

 「賢しい理屈をべらべらと・・・! もう・・・問答は無用だ!!」

 先ほどから固めていた拳を顔の高さまで上げる元宗。思わせぶりなその態度の真意を恵美は問う。

 「その拳・・・どうするつもりだ?」

 「これで貴様から聞き出させてもらう・・・!」

 要は口では勝てないから実力行使、と言う訳だ。全てを聞き届け、恵美は声を押し殺すように笑う。いざ、戦いともなれば相手は高野山の切り札、仮面ライダーアスラ。更に化身忍者であるマリアの加勢を考慮すれば、覆る可能性が皆無に等しい程の圧倒的不利だ。彼女もそれを理解していたが、飽く迄余裕の相好は崩さないまま、呟くように言う。

 「力尽く・・・か。ショートした奴だな、貴様は。確かにフェミニスト気取りの奴を引き摺り出すには有効な手段かもしれんが・・・フフ」

 「何が可笑しい?!」

 「なに、その遣り口、貴様が蔑み言う怪人のようだと思って、な。フフ・・・私の感想は的を外しているか? 仮面ライダー?」

 咄嗟に答えることが出来ず、口をパクパクさせる元宗。金魚の様な間抜けな様相を笑われ、その怒りによって初めて言葉が声をなして飛び出す。

 「だ・・・黙れ! オレはアスラとして・・・奴みたいなのを野放しには出来ないんだよ・・・っ! 奴を野放しにすれば社会正義を損なう!! オレを邪魔するなら、妖人・・・! 貴様を殺す」

 「ふ・・・ん。下らん理論で武装しないと自己を正当化できないか。良いだろう・・・貴様に受けた屈辱、未だ返していなかったからな。それを返させてもらうのも一興だ」

 「死にたいようだな・・・!」

 元宗の目は白く見えないほどに充血し、全身からは湯気が上がっている。後は時間が過ぎ行くのを待つだけで爆裂に至る危険な状況だ・・・もっとも、最近の彼に比べれば随分と我慢したほうではあるが。しかし恵美は、自爆を待つつもりはなく、最後の起爆剤を投下する。

 「恫喝するくらいなら、さっさと実行したらどうだ? 私はあまり気が長くないぞ」

 「だったら・・・やってやるぜッ!」

 突進する元宗。振り上げた拳が空気を唸らせ、破壊鎚となって恵美の端正な容貌に突き立てられようとする。だが・・・
とす

 「あろえぇ?」

 変な奇声を発しながら雪上に崩れ落ちる元宗。見れば彼の後頭部、それも延髄に棘の様な物が刺さり、血が薄く滲んでいる。

 「ごめん、元宗さん」

 謝罪の言葉の主を見て、些か驚く恵美。其処にはブロウガン(吹き矢)を片手にマリアがバツの悪そうな顔をして彼女を見ていた。元宗を投擲によって沈めたのは他ならぬマリアだった。彼女は癖の強い金色の髪で覆われた頭をかくと、ぺこりと頭を下げて言う。

 「ごめんね。ちょっと、このごろ躁鬱が激しいみたいだから」

 「あ・・・いや、良い。私も少し大人気なかった」

 たじろぎを見せる恵美。既に袂を分かったとは言え、遂最近まで彼女はマリアと敵対する組織に属していたのだ。それ故、マリアがこうして友好的に話しかけてくることは彼女にとって少なからず驚きがあったようだ。無論、それが打算的な理由に基づいたものだとしても、だ。

 恵美は警戒を完全には解かずマリアを見据える。彼女は目を逸らし沈黙していた。その様子は不安に駆られ怯えている様に見えた。だが、やがて囁くような弱弱しい声で彼女は言う。

 「・・・ねぇ、聞かせて」

 その願いに恵美は、元宗の時とは逆に、首を縦に振る。彼女の意図を察した恵美は、答えても良いだろうと判断したのだ。彼女の了承を受けてマリアは僅かに躊躇いを見せたあと、喋り始める。恐らく、自らの望む以外の答えに酷く脅えているのだろう。

 「あの人は・・・先輩を、神野江を・・・助けれる?」

 「・・・」

 「ねぇ・・・」

 無言で返す恵美にマリアの表情が徐々に曇っていく。まるで、今にも泣き出しそうに。やがて恵美は溜息のような息を吐くと、微苦笑を浮かべる。

 「お前は・・・神野江のことが好きなんだな」

 「・・・」

 言葉の真意がわからず、返答に窮するマリア。恵美は直ぐに苦笑を消すと真剣な面持ちで彼女に告げる。

 「先に言っておく。悪いが私には確実なことは何も言えない」

 「え・・・!」

 「・・・案ずるな、マリア」

 期待が半ば裏切られる形になり、落胆を見せる彼女に恵美は問う。

 「お前は奴に委ねたのだろう? 大切な人間のことを」

 「う・・・うん」

 「ならば、奴の事を信じていろ。大丈夫、奴は女の期待は裏切らない男だ」

 断言口調で言う恵美に、マリアの表情を覆っていた暗い色が消え、笑顔が戻る。

 「うん・・・有り難う」

 「・・・感謝されるようなことは言っていない。私は単に、自身の心情を述べただけだ」

 そう断ずる恵美だが、俄かに赤く染まった頬が照れ隠しであることを示す。そんな彼女の表情を見てマリアは笑うと、もう一度告げる。

 「でも・・・有り難う」

 「ふ・・・神野江と言い、お前と言い、私が会う陰陽寮の人間は変わった奴が多い」

 「そうかな・・・?」

 自覚症状のあるマリアはそう誤魔化す様に言ってクスクスと笑う。恵美も、楽しげに美称を浮かべると止めていた歩みを再開させる。
「フ・・・では私も先を急ぐ。吉報を待つが良い。ま、待つか待たないかはお前達の自由だが、な・・・」

 通り過ぎていく恵美の言葉に頷くマリア。

 「うん。伊万里さんに宜しく・・・久々津さん」

 「ああ、任せておけ」

 そう答えた恵美の姿は、やがて煙るような雪の奥へと消えていった。

 「何故だ・・・?」

 そう、声が響いたのは恵美が姿を消してから間も無くだった。

 「!」

 声の方へ視線を向ければ雪に突っ伏したままの元宗。何時の間にか目を覚ましていたらしい。

 「ごめん、元宗さん。ああしないと、ハナシ、聞けそうになかったから・・・」

 「・・・」

 マリアの謝罪に元宗は答えないまま、彼はゆっくり起き上がり雪上に座り込むと、ポケットから取り出したサングラスを付け、そして力なくうつむく。彼は暫し、何かを考えるように沈黙していた。だが、やがて・・・

 「何故・・・お前たちは・・・あんないい加減な男の言葉を信じる?」

 淡々としているが、確かに含まれる糾弾の響き。しかし、マリアは逆に問い返す。

 「元宗さんこそ・・・どうして、先輩がもう死んでるって・・・諦められるの?」

 本来なら、彼自身が瞬の生存を最も望んでいなければならないのだ。だが、彼は頑なに生存を否定しようとする。神野江瞬は彼・・・強い退魔の力と使命を与えられ、尚且つ直向だった彼が、それらをかなぐり捨てても守ろうとした思い人のはずなのに。

 「奴の言葉は甘く、聞こえ良い。だがそれは・・・理想や妄想を凝り固め、現実から目を逸らしているからだ・・・現実を見ろ、マリア・・・瞬はもう」

 マリアは気づいた。彼が自分自身も気付かぬ内に論点をすり替えてきたことを。元宗が告げる正論は、当然マリアは既に理解していた。好い加減な男。その評価はマリアの目から見ても伊万里京二の評価として適当なものに思えた。だが、それは彼女にとって半ばどうでも良いことだった。

 彼女にとって重要な事は伊万里京二の人間性の信用問題ではない。伊万里京二の言葉を彼女が信じたいか否か、だった。

 「俺たちがやらなきゃならないのは・・・感傷に浸ることじゃない。怒りを力に変えて、奴らに解き放つことだ」

 「・・・元宗さん」

 徐々に、再び熱を帯びてきた元宗に、水を差すように言うマリア。彼女は既に薄々元宗の真意に気づき始めていた。

 「なんだ?」

 「元宗さんは―――」

 言いかけて、もし自覚すればそれは彼自身を傷付ける事になるのではないか、その危惧が彼女を躊躇わせる。だが、彼女は問う。

 「本当にそう思ってる?」

 「どう言う・・・事だ?」

 眉を顰める元宗。溜息を吐き、落胆の色を見せるマリア。そんな彼女の様子を見ても只、いぶかしむだけの表情を変えようとしない。

 「わからないなら・・・良いよ」

 そんな彼の鈍さに些か辟易としながら、また湧き上がる言い様の無い悔しさを隠すように、彼女はくるりと振り返る。

 「でも・・・諦めたら、本当に其処で終わりだから。そんなの・・・わたし、嫌だから」

 「マリア・・・」

 「行こう。きっと待ってるよ・・・」

 何か言いたげな元宗だが、マリアはそれを待たずに促すと、一人歩き始めた。

 「・・・」







 マリアがパーティーを強行する・・・そう告げられた道源は、予想通り余り良い顔を見せなかった。だが、満面の笑顔で友達を連れてきた娘を見ては流石に嫌とは言えず、「久しぶりに良いじゃないですか」とウキウキと嬉しそうに言う奥さんに押し切られ、渋々と首を縦に振った。律子の話に寄れば、この寺を継ぐ婚前は、こういうこともよくやっていたらしい。結局、道源も参加を強要され他の退魔法師に連絡し今夜入っていた仕事の代行を頼む羽目となったようだ。

 さて、そうなれば後は女の天下である。驚異的な行動力で三人は御堂をパーティー会場に飾りつけ、道源が嫌な顔をするのも気にせず、七面鳥など脂の乗った定番料理を用意していった。道源は情けない顔で「ウチも大衆文化に飲み込まれていくのか・・・」と嘆いていたが、何処か楽しそうでもあった。

 注意深い、勘の鋭い人間ならば或いは、その時彼の目の奥に、悲しい色が走るのを見たかもしれない。

 そして・・・クリスマスパーティー自体は、拍子抜けがするほどに何事も無く、幕を閉じた。そのキャラクターから、悪乗りを見せるかと危惧されたマリアも、発起人・主催者としての責任感からか、意外なほどにそつ無く進行をいっていたようだ。パーティーが終えるまで、御堂からは笑い声が絶えなかった。やがて何時もより幾分遅まきに静寂は訪れる。マリアはミサトの友達を送っていき、ミサト自身も眠りに付いたらしい。

 一方元宗は、流石にパーティーを楽しむ訳には行かず、敵襲に備え周囲を警戒していた・・・が、同時に彼は物思いの最中でもあった。

 『どうした元宗? 難しい顔して』

 雪の上に音も無く降り立ったコウは見上げるようにして問う。

 『マリアの言っていたこと、気にニャってるのか?』

 「ああ・・・」

 ざぐざぐ・・・

 また凍ってしまわない様に使い捨て懐炉をポケットの中で揉みながら元宗は頷く。

 昼間から、彼の心に一つの思いが燻っていた。それはマリアが投げかけた問い・・・今は居なくなった者の事を考えるべき時ではない、と言う彼に対して告げられた言葉。マリアは「本当にそう思ってる?」と問い、元宗の発言が彼自身の本意からであるものなのかを疑った。

 (馬鹿な・・・)

 元宗は、その言葉を否定する。神野江瞬が生きている可能性は万に一つも無い。それは、彼女の最期・・・少なくとも最後だと思われるその時に立ち会った自身が最も良く知っている・・・自負、という言い方は奇妙かもしれないが、彼はそう思っている。

 槍三本による腹部の貫通と、それに伴う著しい出血。鬼神の改造人間としての要、御鬼宝輪の破壊。多大なダメージを受けた上での全霊力解放。そしてマグマの滾る富士山火口内への転落。いずれの要素を取っても死に至るには充分すぎる。それなのに・・・

 どれほど考えても答えの出ない忌々しさに、ここ数日何度と無く自問自答した問いを声に発する。

 「なぜ、あいつらは・・・その場に居もしなかった奴の戯言を信じるんだ・・・」

 『ふわぁ・・・人間の心理ニャんて解んニャいけど、ま〜日本は学歴社会だからニャ』

 欠伸を吐く声と共に、コウは相変わらず無関心そうな声で答える。

 『頭の良さそうニャのを選ぶのが、確実だからじゃニャいか?』

 「五月蝿い。お前に意見は求めてねぇ」

 『じゃあ、始めから口に出して喋るんじゃニャい』

 イラついたように言う元宗はしかし、ちくりと鋭く針で刺され言葉を失う。

 「・・・」

 『別に誰に迷惑かけたわけでニャし、好きニャようにやらせときゃ良いじゃニャいか。疲れるだけだよ』

 合理、というより実利優先で言うネコ型の生物。しかしその発言に、元宗は僅かに拗ねた様に言い返す。

 「少なくとも、オレは迷惑かけられたぞ」

 『この際、元宗のことはどうでもいい』

 「おい」

 露骨な蔑ろのされ方に、突っ込みを入れる元宗だがコウはそれを無視して話を続ける。

 『別にマリアっちも仕事疎かにしてるわけじゃニャいし、それが励みにニャるんニャら結構だと思うけどニャ』

 「・・・あんなパーティーやっといて、か?」

 その元宗の問いに、コウは溜まらず深く息を吐いて項垂れる。

 『・・・ほんと、鈍感ニャんだニャ』

 「どういう意味だ?」

 『文字通りの意味だよ。まあ兎に角、流石に瞬は生きてるとは思えニャいけど、それを認めたくニャい人間に無理やり押し付けるのは乱暴だと思うニャ。言論、思想の自由に反する』

 日本国憲法を持ち出してマリアたちの行動を擁護するコウだが、元宗は険しい表情で頭を左右に振る。

 「・・・帰りもしない奴を待つなんて辛いだけだ」

 『そうニャのか? わくわくしニャいのか?』

 「ああ。今は良いかもしれないが・・・早い内に割り切らないと・・・期待と不安が、やがて心を押し潰す」

 『そんニャもんかニャぁ?』

 未だ納得行かない、そして何か含みを持つコウの言動に、元宗は些か苛立ち問う。

 「・・・随分と食い下がるな? 何が言いたい?」

 『別に。ただ元宗は瞬が生きてたら嬉しくニャいのかニャ〜って思って』

 「!!」

 コウの何気ない問いにはっとする元宗。そして言葉を失っている彼にコウは重ねる様に問う。

 『まるで、死んでてもらいたいみたいじゃニャいか。元宗、瞬のこと好きだったんじゃニャいのか?』

 「オレは・・・」

 マリアと同じ様な事を指摘してくるコウ。その言葉に、何かが支えた様な胸苦しさが襲う。

 そう。オレは、神野江瞬のことを好きだった筈だ。愛していた筈だ。それなのに何故、そう思えない。

 好きならば生きていて欲しい筈だ。どうあっても。なにがあっても。

 「コウ・・・教えてくれ・・・オレは・・・オレが異常なのか?」

 『知らニャいね』

 頭痛を堪える様な苦悶の表情を浮かべて問う元宗にコウは、さらりと淡白に答える。

 『人間の情緒について聞かれても困るニャ・・・。ニャん度も言うように、自分はそういう風に作られちゃいニャいんだから』

 猫の様な生物の一種残酷とも言える返答に、深く肩を落とし座り込む元宗。

 「・・・お前に聞いたオレが馬鹿だった」

 『それに気づいただけでも利口だニャ』

 「?」

 落胆する元宗に皮肉を言うコウ。もっとも鈍い元宗は、違和感を覚えただけで遠まわしに馬鹿にされていることに即座に気づけない。

 『やれやれ・・・』

 コウが人間の情緒を理解出来ないという割に、時折こうやって憎まれ口を叩けるのは、彼が人間の情緒を「理解」し「共感」していないが、「知識」として「認識」しているからである。

 「精が出るね」

 「ええ・・・務めですからね」

 背後から響く声と共に振り返ると、其処には道源が甚平を羽織り手に酒瓶を持って立っている。

 或いは面白みの無いと言われかねない元宗の言葉に、柔和な微苦笑を浮かべる道源。

 「君らしい答えだな」

 「今、オレにはこれしかありませんから・・・」

 俯き、顔を背けて言う元宗に道源は手に持っている一升瓶を掲げて言う。

 「・・・飲まないかい?」

 「いや、オレは・・・」

 断ろうと掌を顔の前に翳す元宗だが、道源はその上に厚手の湯飲みを押し付けてくる。

 「今日はパーティーだろう」

 「ええ・・・まあ」

 「なら、一杯くらい良いじゃないか。下戸じゃ無かったろう」

 ここまで勧められて拒める程、元宗は体育会系社会から脱却しきれていなかったし、また今の彼には酒という逃避手段はかなり魅力的なものに映った。だが、彼は飽く迄渋々、といった調子で湯飲み茶碗を取る。

 「まったく・・・仕方ないですね。じゃあ、一杯」

 「檀家さんから貰ったものでね。これは良いものだよ。さ、グッといきたまえ」

 満面の笑みで言うと、彼は一升瓶を傾け湯気を上げる透明な液を湯飲みに注いでいく。

 「はい・・・では」

 更に一升瓶を道源の手から受け取ると、同じ様に彼に注ぎ返す。やがて二人の湯飲みには暖められた日本酒が満たされる。

 「じゃ・・・乾杯」

 「乾杯」

 コン、と鈍い音が鳴り、二人は暖かくなった陶磁器の端に口をつける。口の中に広がって行く熱とピリピリとしたアルコールの刺激、そして仄かな甘み。それが通り過ぎると、冷え切っていた全身の体温が微かに上がったように感じる。

 「ふーっ・・・雪見酒というのも中々、乙だねぇ」

 五臓六腑に染み渡る、といった風情で厚い吐息をする道源。彼の言葉に元宗は頷きながら言う。

 「ええ・・・灰色の雪じゃなけりゃもっと良いんですが」

 「・・・そうだね。でも、もうそれも間も無く見れなくなるさ」

 「?・・・」

 何処か遠くを見るように言う道源。

 まただ・・・元宗は気づく。ここに来てから幾度か、道源がこうやって空ろな目で何処かを見ていたことに。少なくとも以前の彼は、こんな目をすることは無かった筈だ。だが、そんな疑問が途切れる問いを彼は発する。

 「なんでもないよ。それよりね、私は・・・生きていて欲しいと思うよ」

 「!」

 クワッ、そんな擬音が良く似合う、実際に聞こえて来そうなほどの勢いで目を見開き凄まじい形相をする元宗。

 「そんな怖い顔をしないでくれ。悪いと思ったんだけど、少し立ち聞きさせてもらったよ」

 「道源・・・さん」

 顔を抑えるようにしながら道源は呻く。

 「君と神野江さんがどう言った関係だったかは知らないけど、少なくとも君は彼女を愛していたんだろう?」

 「それは・・・」

 頭が赤く染まり、口ごもる。だが道源は、元宗の詰まった言葉が出てくるのを待たずに続ける。

 「私もね・・・家族を愛している。そして・・・愛する人たちには、どんなことが有っても生きていて欲しいと思うよ」

 「オレは・・・」

 『ニャあ』

 何処か場違いに、猫の鳴き声が響く。誰かを思わせる空気を読まない態度に些か苛々とした様子で元宗が傍の白い動物に問う。

 「なんだ、コウ・・・人が考え込んでる時に」

 聞かれた白いネコ型生命体は、しかし元宗でなく道源の方に顔を向ける。

 『道源、あんた今、瞬のこと「神野江」・・・って言ったよニャ?』

 「ああ・・・言ったが、どうかしたかい?」

 『・・・そのニャまえ、誰に聞いたんだ? 自分らはここに来てからはあいつのこと、「瞬」ってしか呼んでニャいけどニャ』

 「・・・」

 口籠る道源。コウは答えを急かして言う。

 『どうしてニャのかニャ? 答えニャよ、道源』

 「なに言ってる、コウ。マリアだっているんだ。あいつが言ったんだろう」

 其処に助け舟を出すのは元宗。彼の言葉に道源も頷いて言うが・・・

 「フフ、そうだよ。新氏君とも少し話しをしたしね。その時に聞いたのさ」

 「な?」

 『やれやれ・・・これだから馬鹿呼ばわりされるんだ』

 呆れ果てた様に溜息を吐くコウ。

 「?」

 『今日マリアが此処に来てからさっき出掛けるまで、あいつが道源と二人でいた時間なんて一秒もニャいぞ、元宗』

 流石の元宗も、ここまで来ればコウが何を言おうとしているのかを察する。彼は驚愕の表情を浮かべ、ゆっくりと二人の顔を見比べようとするが・・・

 「なに・・・? 何を言っている・・・コ・・・う?」

 舌が痺れ、声が出なくなる。がしゃん、と音を立てて割れる湯のみ。彼の上体は力なく崩れ折れる。力の入らない顔を上げ、早くもぼやけ始めた視点を無理に合わせてみれば、其処には先ほどとは打って変わった冷たく硬質な表情を浮かべた道源がいる。

 彼は、声色はそのままに、しかしずっと冷たく硬い口調で言う。

 「ふむ・・・効いてきたようだね」

 「ど・・・げ・・・さ?!」

 出ないのは驚愕に上げようとする声だけではない。腕も脚も動かず、やがて息も苦しくなってくる。

 筋弛緩剤。一瞬、そんな言葉が脳裏に過ぎるが・・・

 「安心したまえ。毒ではないよ。そんなもので殺したら意味が無いからね」

 「く・・・」

 道源の足首を掴み掛け、しかし力が抜け離れる。

 『やれやれ・・・だニャ』

 コウはそうぼやくと、素早くその場を離れた。残された時間は多くない。







 『マリア・・・』

 よたよたとした足つきでコウはマリアの前に立つ。其処は山門の前だった。

 『良か・・・帰て・・・たのか・・・』

 「どうしたの? コウちゃん? コウちゃん!?」

 『あ・・・う・・・』

 半ば叫ぶ様に問うマリアに今先ほど在った事を伝えようとするコウ。だが、意識が薄れ言葉が巧く紡げない。その事に、彼は宿主の心身がかなり危険な状態にある事を察する。昨晩、半ば凍り付き冬眠状態に陥ってしまった様な、チャクラの循環さえ弱まってしまう様な深い、眠りの状態。

 『大変だよ・・・元宗、道源・・・』

 其処まで言いかけたコウだが、しかし全てを伝え切る前に彼の姿は陽炎となって消えていく。元宗の体内に在る本体から送られてくる霊力が途絶えたことで、分身体を維持することが出来なくなったのだ。

 「コウちゃん!!」

 そう叫ぶマリアの声に最早、彼は応えることなく溶けて消える。それを見届けたると彼女は即座に走り出す。

 もう、時間がない。

 彼女はポケットに手を突っ込むと、その中から未だ色の青い木の葉を取り出し、それを周囲に撒く。

 「識術・・・木霊寄!」

 彼女がそう呟きパチンと音を立てるように指を弾くと、周囲に舞う緑の葉は煙の様なものを噴き出し、それが白い小さな狐の様な生き物の形を取る。

 「行って・・・!」

 もう一度、指を弾くと小さな狐たちは宙を舞って四方へ散っていく。識術・・・要は式神を作り出し操る術である。マリアはそれを飛ばして情報収集させる。先ず発見すべきはミサトと律子。しかる後、元宗たちだ。彼女は寺の横に建てられている道源の自宅の方へ走る。

 「よし・・・」

 早くも戻ってきた式神がナビゲートする。ミサトと律子の二人は“予想通り”寝室内にいる。彼女は邸宅内に入ると速やかに其処に到着し、物音をまったく立てる事無く扉を開き、自らの目で無事を確認する。

 (良かった・・・)

 母親に体を寄せて小さな寝息を立てるミサトと、少女の傍で本を読む格好のまま寝入っている律子の姿。途中垣間見た台所の片付いていない様子から判断して、恐らく律子は眠らされているのだろう。だが、それはマリアにとって都合が良かった。

 再びポケット内に手を突っ込むマリア。

 「安産祈願じゃないわよ」

 誰に向かってか、そう言いながら取り出したのは亀の様な形に切り出された数枚の札。

 「結界術・・・老亀甲」

 彼女がそう唱えると、札にかかれた文字が青白く発光を始める。

 「急々如律令!」

 そして更にそう唱えて、扉に貼り付けるマリア。彼女が唱えた様に、これは結界を張る術である。札に込められた霊力が部屋を外部から侵入者を遮断する半ば独立した空間につくりかえたのだ。

 「これでよし・・・」

 不安を幾許か感じないでもなかったが、これ以上の処置はしようがない。彼女は更に戻ってきた式神の誘導の下、残る二人の居る境内の方へ向かう。

 (無事でいて・・・)

 本来は、この様な心配など無用の筈なのだ。この頃は随分とスランプ気味だが、本来、本韻元宗は鬼神・神野江瞬に匹敵する高野山最強の退魔法師アスラなのだから。だが、その肩書きもコウが消え去った後では何の意味もない。

 そして二人が居るその場所に到着したマリアが見たのは・・・

 彼女が想像もしない様な光景だった。






 「元宗さん!!!」

 何処から持ち出したのか、元宗の手にはロープが握られていた。正し其れは、片方がリングとなりもう一方が木の太い枝に括り付けられた、所謂自殺希望者御用達の絞首ロープだった。彼は雪を固めて作った踏み台に乗り、そのロープのリングの方を持ち今にも首に掛けようとしていた。

 意識を失ったのではないか。そう脳裏によぎる疑問は彼の目を見て即座に答えが出る。瞳孔は極度に散大し、視線は焦点が合っていないように左右で別の方向を見ている。そして目の下には深く濃く刻まれた隈。頬は扱け、だらしなく開いた口からは垂れた涎が凍りついたのか白い霜の筋が出来ている。それは一見して、極度の麻薬中毒者の様でもあった。

 「疾っ!!」

 即座に木の葉手裏剣を投げ放つマリア。澄んだ音色を立てて飛んだ刃の切れ味を持つ木の葉はロープを寸断し、幹から切り離す。

 「あ・・・ああっ・・・」

 しかし元宗はそれでも輪だけになったロープを首に掛け、それを自らの腕力で絞り、自殺を図ろうとする。舌を打つマリア。更に取り出したのは先ほども使った吹き矢。今、自分が持つ毒が中毒状態のような元宗に果たして効果があるか判らなかったが・・・

 彼女は元宗の背後にさっと回りこむとそれを吹く。

 ヒュッ

 (手間を・・・かけるなっ!)

 細い針の付いた小さな矢は狙い過たず、元宗の首・・・延髄の部分に突き刺さる。

 「あ・・・う・・・」

 元宗は、短くそう呻くと電池の切れた玩具の様に動きを硬直させ、その後、雪の上に倒れる。動きが止まっているのを確認すると、彼女は辺りを見回し、道源の姿を探す。

 「!」

 直ぐに、雪が盛り上がった場所を発見すると、マリアはその雪を払いのける。時間が余り立っていない所為か、積もった雪は余り多くなく、其処に隠れていたものの姿は直ぐに露わになる。うつぶせに倒れている道源。抱き起こそうとするが、彼の体は既に冷たく硬直している。

 「・・・手首を」

 彼の右手には血に濡れた剃刀。そして雪の上には相当量の血液が零れた痕跡がある。彼の体に感覚を集中させても、体温や心音は感じられない。

 「一体、何時の間に・・・」

 マリアは既に事切れている道源を仰向けにすると、元宗の方へ向かい、彼の上体を起こして注意深く観察する。しかし彼の外観に。吹き矢でつけられたもの以外に傷は見つからない。恐らく何らかの呪いをかけられたのか、或いは強力な暗示作用を発する薬剤を服用させられたか、だ。

 マリアは携帯電話を取り出して陰陽寮本部を呼び出そうとするが、画面には圏外表示がされており、接続できない。

 「やっぱり駄目か・・・」

 携帯を閉じ、ポケットにしまうマリア。援軍が望めない以上、自分一人で三人を守らねばならない。

 マリアは両方の掌にプップ、と唾を付けると元宗の体の下に手を突っ込む。

 「ふんぬおおおおぉぉぉっ!!」

 彼女は一声吼えると元宗を抱き上げる。いや、途中で膝に乗せているので抱“き”上げる、と言うよりは抱“え”上げると言った風情か。

 「ぜったい・・・まちがってる・・・っ!!」

 額に青筋を浮かべ、悶絶する様に言うマリア。190を越える身長に分厚く筋肉を覆った元宗の体重は、文字通りマリアには些か荷が勝つ。一歩進む毎に足が雪に埋まり、歩き辛さも伴って怒りがこみ上げてくる。

 「役立たず・・・!」

 このままもう一度膝の上に落として鯖折をかけてやろうかとさえ思う。だが、それは報復処置には採用されなかった。

 「どでありゃああああっ!!」

 唐突に上がる咆哮。それと同時に元宗の体は宙を舞っている。方向は、道源の遺体の方向へ。

 ドゴン!!

 次の瞬間元宗を包む炎と、あたりを激しく揺らす爆音。雪が屋根から零れ落ち、投げ放たれた元宗の体はミサイルで迎撃された様にブスブスと黒煙を上げながら雪上に落下する。マリアの眉間に不快そうに皴が寄っている。

 「・・・騙されてると思ってんの?」

 煙の後ろに立つ影に向けて問うマリア。

 「これは迂闊だったな」

 煙の置くより響いてくる声。それは穏やかで優しい響きを持っていたが、同時に底冷えした様な冷たさも備えていた。

 やがて煙が晴れ、元宗の向こうにその姿ははっきりと見て取れる。

 「どうやら君の事を甘く見ていたらしい」

 「道源さん―――どうして?」

 其処に居たのは退魔法師道源。手首を切り裂いた彼の身体からは確かに心音も体温も失われ、医学的には死亡の状態にあった。だが、マリアは彼の復活に驚きもせず、似合わない厳しい表情を浮かべ彼の姿を見据えている。

 「・・・よく気がついたね、マリア君。コウが君に答えを教える前に、元宗は眠ったと思ったんだが」

 道源は感心したように鼻を鳴らし、そして問う。

 「何時から気づいていたんだい?」

 「・・・ミサトちゃんの様子を見てから、かな」

 マリアの答えに、道源は目を細める。

 「そうか・・・やはり子供は騙せないか」

 寂しげな響きを帯びる自嘲の呟き。マリアは問う。

 「・・・どうして? どうして? あんなに・・・ミサトちゃんは良い子だし、律子さんも綺麗で優しい人なのに・・・どうして?」

 「だから・・・だよ」

 蔑むような口調。だが、それはマリアに向けられたものではない。

 「え・・・」

 答えの真意をマリアは即座には理解できない。しかし、道源はマリアに理解までの時間を与えない。

 「悪いけど、これ以上話すつもりは無い。月並みな台詞で申し訳ないが・・・君には死んでもらう」

 「・・・!」

 ざわざわざわざわ・・・

 「・・・この半機械人間ナイトメアバグの手によって」

 体の内側で何かが蠢き始める。それはやがて道源の姿を歪に膨張させ、遂には寄生虫が食い破る様に黒い霧となって全身から噴き出す。瞬時、彼の姿はローブを纏う黒い馬の顔面を持つ怪人へと変貌する。その手には黒塗りの錫杖を握っている。

 「あなたは何故、悪魔に魂を売ったの」

 「死れる御霊、反りて土に宿れ・・・出でよ殉教者」

 マリアの問いに、返されるのは答えでなく呪文の詠唱。そして彼が錫杖の先を地面に叩き雪の上に叩きつけると、紫色の光が波紋のように広がり、雪が泡立つ様に盛り上がり始める。やがて・・・

 ボコォッ

 突如、地面より腕が生え、人の形をしたものが這い出てくる。

 「リビングデッド・・・ううん、これは・・・」

 マリアは最初、その姿から人間の死体かと思いかけたが、彼らのその質感は明らかに人間のものではない。皮膚や服は無論、目から髪に至るまで全身のほぼ全てが濡れた土で構成されている。

 「彼らは“殉教者の土(マーターマド)”。殉教者の魂が土に宿ったのだ。さあ諸君、相手をしてあげたまえ」

 ナイトメアバグが指し示すと同時に、“殉教者の土”たちはその身が土とは思えない機敏さでマリアに襲い掛かってくる。

 「く・・・」

 舌を打つマリア。それと同時に右手で背中に帯びた忍者刀シロガネを引き抜き、すれ違い様に“殉教者の土”数体を切り裂く。

 『ウボォォォォォ!!』

 鬼哭のような絶叫。裂かれた部分から見えざる何かが噴き出し、直後には素の土塊に戻って崩れ去る。更に左から回り込んできた“殉教者の土”のパンチを掴み、足を掛けて重心を崩し巧に投げ飛ばして群れに叩きつける。それに巻き込まれた3体が転倒するが、それを見てマリアは舌を打つ。予定では5体は巻き込む予定だったのに、避けられたのだ。

 『グルゥゥゥゥッ』

 そして、その避けた二体が左右から仕掛けてくる。構えられた手刀が空気を切りながらマリアに迫る。Xを描く交差攻撃だ。

 「このていどの奴が・・・」

 マリアの呟き、その直後には“殉教者の土”が描く二本のラインはマリアの点で交差する。その瞬間に輝く二条の光。

 直後に、ギロチンで切り落とされた様に綺麗に首が跳ね飛ばされた“殉教者の土”がマリアの背後で土に戻り、崩れ去る。

 「・・・勿体ぶってんじゃねぇ」

 乱暴な言葉遣いがマリアの口から発せられる。そして、左手には何時の間にか抜かれたハヤカゼが有り、二刀流の構えを取っている。

 「時間の無駄だ!! まとめてこいやあっ!!」

 吼えるマリア。ナイトメアバグは笑う様にその大きな鼻を鳴らすと、サッと腕を振る。“殉教者の土”達は直ちにその意図を汲むと、マリアを取り囲むように円を描き、円の完成と同時に彼女に襲い掛かる。

 「御庭番衆御頭直伝・・・小太刀二刀流」

 マリアは刀を逆手に持ちなおすと、その瞳をキラリと光らせる。直後・・・

 「回転剣○六連!!」

 シュガガガガガガ!!

 凄まじい速度で、舞い踊る刃。それと共に土塊が散弾の様に弾き飛ばされていく。

 「やるね・・・だが」

 不敵に呟くナイトメアバグ。彼は再び呪文を唱える。だが、現れたのは土で出来た人型ではない。

 「“殉教者の雪(マータースノウ)”」

 雪で象られた殉教者の魂。“殉教者の土”より更に多い数がマリアの周囲に現れ、尚も増え続けていく。

 「有象無象の癖に・・・数が多いッ!!」

 戦闘員風情とは言え、後ろにはナイトメアバグも控えている。ここで消耗する訳には行かない・・・が、この数だと変身する間は与えてくれないだろう。

 「・・・こうなったら!」

 刀を構え、ナイトメアバグの方向に向かって突進するマリア。無数の円を描く剣が雪の殉教者を切り刻み、雪の壁を突破してナイトメアバグに肉薄する。ナイトメアバグはマリアを迎撃するべく錫杖を両手で握り、腰を深く落とす。

 ヒュガッ

 マリアの攻撃は、低い弾道の跳躍から繰り出される鋭い突きの一撃。生身の人間ならば、モーションすら認識できず頭蓋を貫通されるだろう一撃。だが一閃はナイトメアバグの顔の直ぐ右横を行過ぎただけ。錫杖が突きの軌道を逸らしたのだ。

 「生身で対抗できるとでも・・・?」

 笑う様な声。直後、マリアを襲うのは振り抜かれた錫杖の衝撃。

 ガキィィィィン!!

 十字交差でそれを受けるマリアだが、彼女の腕力ではナイトメアバグの一撃を相殺できず、敢え無く吹き飛ばされる。だが、彼女もまた、笑う。

 「勿論、思ってないッ!」

 クルクルと宙で回転し、着地するマリア。彼女の傍らには、先ほど盾代わりにされた元宗が落ちている。彼は何かブツブツとうわ言を放っているが、今のマリアにはそれを気にしている余裕はない。追撃を駆けるナイトメアバグを先頭に、殉教者もまた一斉に襲い掛かってくる。

 「逃げ場はないぞ!!」

 「それが良いんじゃない・・・」

 吼えながら言うナイトメアバグにそう切り返すマリア。そして彼女は徐に元宗の服の端を掴むと未だ夢の世界の彼に向かって言う。

 「ゲンさん、頭を借りるよ・・・」

 「何を・・・?」

 フ・・・と、彼女らしくないクールな微笑を浮かべるマリア。次の瞬間―――

 「秘剣! ハゲうつし!!」

 
ビカァァァァッ

 まるで昼に成った様な凄まじい光が放たれ、視界を射る。

 「なんだとぉぉぉぉ?!」

 強烈過ぎる発光に視界が一瞬で暗転する。その光は、紛れも無く元宗の頭から放たれたものだった。

 「そんな・・・馬鹿な・・・この状況で・・・?!」

 「勘違いしちゃ駄目だよ。わたしの基本属性はギャグなんだから」

 朗々としたマリアの声が響く。視界が回復すると同時にナイトメアバグは声がする屋根の上に視線を向ける。

 「木々が啼き、大地が枯れる・・・変身忍者木枯し参上!」

 佇むキタキツネの化身忍者。彼女はナイトメアバグが認識すると同時に、軽やかに跳躍する。

 「忍法・・・!」

 その言葉と共にマリアが木の葉を撒くと、木の葉は彼女を中心に円を描く様に舞い始め、徐々に高速で回転し、やがて摩擦によってだろうか、点火し木の葉各々が燃え始め、炎の渦を生じる。

 「火の輪の術!!」

 
ドゴォォォッ

 打ち出される火炎旋風。それは周囲の空気を巻き込み唸りを上げながら敵陣を飲み込む。一瞬で溶解・蒸発する“殉教者の雪”と地面を覆う雪。ナイトメアバグも巻き込まれるが、錫杖を高速で回転させることで風を生み、炎を弾き散らす。

 「遅い・・・ッ」

 「!!」

 背後から響く木枯しの声に即座に振り返るナイトメアバグ。それと同時に、左足が大きく旋回し蹴りを繰り出す。

 バグォッ

 剛脚とでも言うべきか。馬のそれに良く似た太い足が木枯しの姿を捉え、引き千切る。だが、彼女の姿はそれと同時に霞になって消え、霧散する。

 影分身・・・そう認識したときには、既に背中に冷たく鋭い感覚が筋を描いている。

 「斬・・・!」

 ブシッ・・・!

 勢い良く噴き出す血液。

 「・・・やるようだね。だが・・・」

 笑うナイトメアバグ。木枯しは瞬時に後方に跳躍しようとするが、彼の行動がそれを上回る。

 「私の後ろに立つんじゃない!!」

 ドゴォッ!!

 凄まじい後ろ蹴りがマリアに突き刺さり、雪の飛沫とともに彼女の体が宙に舞う。

 (ナイトメアバッグキック、なんちて)

 思い浮かべたギャグが恐らく滑るだろうことを自己評価する木枯らしの目に映る、ターンを決め、彼女を見据えるナイトメアバグ。直後、錫杖の先端に付いたリングが冷たい音色を奏で、マリアの視界で巨大化する。

 バキィン

 鋭い突きが、空中で弾ける。同時に・・・辺りに舞う何かの欠片。それは霊力を込められた木の葉が木枯しの盾となって砕け散ったもの。

 ガキィン バシィン ガキィン 

 尚も連続して突きを繰り出すナイトメアバグ。その度に、宙を舞う木の葉の欠片が増えて行く・・・そして、

 「はあああああああっ」

 「たあああああああっ!!」

 ガキィィィン

 硬質な衝突音が響く。着地の瞬間を狙った一撃に対し、木枯らしは木の葉ではなくハヤカゼで対応したのだ。切り結ばれた刃と錫杖が激しく擦れ合い、其処から火花が飛び散る。直後・・・

 ボウォン!!

 まるで爆発するように、炎が生じる。塵状に粉砕した木の葉に火花が引火し、粉塵爆発を起こしたのだ。

 「また・・・火遁、か!」

 舌を打つ様に言うナイトメアバグ。木の葉が燃えた程度の炎と爆発は、彼にとってのダメージに成りえなかったが、しかし、木枯しの姿を見失わせるのには充分だった。周囲を見回すが、彼女の姿は無い。だが・・・

 「君たち忍者の手口は解っている!!」

 ナイトメアバグはそう言って錫杖を掲げ、何かを唱え始める。

 「悪鬼を捕らえる不動の索条! 活殺自在!」

 俄かに光り始める錫杖。彼はそれを地面に突き立てながら、咆哮する。

 「封縛法!!」

 ビシィッ

 撃ち込まれたその場所から、稲妻のように輝く鎖が一点に向かって伸びる。そして、ナイトメアバグが錫杖を両手に持って全力で引き上げると、光の鎖は雪と地面を舞い散らしながら、その下より木枯しを宙に吊り上げる。彼女は土遁の術を使い、地中に潜行していたのだ。

 「法術・・・!」

 「その通り・・・ッ!!」

 ナイトメアバグは錫杖を回転させ、木枯しの体を大きく旋回させると、そのまま寺の壁に思い切り叩きつける。大きな慣性力の付いた彼女の体は弾丸となり、蜘蛛の巣状の亀裂を壁に広げる。

 「くふっ・・・」

 口から零れる血。それを拭って立ち上がろうとする。だがナイトメアバグは更に法術を放ってくる。

 「痛みは汝を戒める仏罰の鎖也。悶絶地・・・激痛法!」

 「あぐ・・・あ・・・ああああっ!!」

 呪文の詠唱と同時に木枯しは全身を痙攣させ、悶絶の声を上げ始める。痛みが彼女を襲っているのだ。切り傷。打ち身。火傷。骨折。内臓系。頭痛。あらゆる痛みが彼女を襲い、筋肉さえも僅かな痛みに悲鳴を上げ始める。それは、まるで痛覚を司る神経だけを百倍に増やしたような感覚。外気の冷たささえ無数の針で刺す様に彼女を苛み、彼女はガクガクと震える。だが・・・

 「う・・・あ・・・がぁぁっ!!」

 咆哮を上げる木枯し。その瞬間、見えない何かが弾け飛び、彼女は悶絶から解放される。ナイトメアバグは、術を破られた事に驚きこそしなかったが、しかし感嘆はしたらしく、荒い息を吐く彼女を褒める様に声をかける。

 「・・・肉を持たない悪霊さえ数秒で音を上げるのに、よく頑張ったね」

 「忍者木枯し・・・精神点5を消費して・・・レジストに成功・・・この程度・・・屁でもない・・・よ」

 強がる木枯しだが、ぜいぜいと肩を揺らす彼女の姿から言葉ほどの余裕は感じられない。

 「・・・そうか、ならば」

 ナイトメアバグは呟く様に言うと、錫杖を構えゆっくりと彼女に迫る。対する木枯しは再び二刀流を構えるが。消耗した彼女の姿に先ほどまでの精彩さは、無い。颶風と化す錫杖の猛打。木枯しはそれを刀で逸らし、或いは辛うじて避けるのみで、反撃を返すことも出来ない。

 やがて、直撃こそ受けないものの、彼女の全身に避け切れなかった殴打の数々が、裂け破れた生態装甲となって残り、ダメージが更に蓄積していく。ナイトメアバグは留めの一撃とばかりに大降りの一撃を撃ち込む。

 
バキィッ

 しかしそれは何時の間にかマリアの服を着せられた丸太に変わっており、血肉ではなく木屑を辺りに散らす。変わり身の術でナイトメアバグから距離をとるマリア。だが・・・

 「あ・・・ぐ・・・ううっ・・・」

 「苦しいかい」

 「あたり・・・まえじゃない・・・これが気持ちいいなんていうのは・・・真性の変態だよ・・・理不尽だよ」

 そう、減らず口で答える木枯し。だが彼女は辛うじて刀を杖に体を支えており、消耗は一段と激しさを増している。やがて彼女は徐に視線を上げると、ナイトメアバグの馬面を見ながら問う。

 「教えて・・・? 元宗さんにも・・・あんなに信頼されてた・・・のに・・・なんで・・・」

 「私は・・・」

 ナイトメアバグは言う。その声には何故か、苛付いたような響き。そして、雪に錫杖を突き刺すと、途切れた言葉を続ける。

 「君たちの思うような人間では・・・無い。それだけだ」

 ごうっ、と風が吹き、雪がまた舞い始める。それと共にナイトメアバグから赤黒い瘴気のようなものが上がり始める。

 「苦痛から解放してやろう。生きるという苦痛から・・・!」

 やがて赤黒い瘴気はナイトメアバグに良く似た黒い馬・・・いや、蝙蝠の翼を生やしたペガサスの姿をとり、一声天に向かって嘶き上げる。そして、ナイトメアバグが木枯しを真っ直ぐに指差すと、地を蹴り、翼を羽ばたかせ彼女に向けて巨体で押し寄せる。

 「木の葉・・・隠れ!!」

 木の葉を舞わせてそれに隠れ、ジャンプする木枯し。だが天馬はそれを見透かしたように跳ねる。木枯しは宙で体を捻り避けようとするが、殺到する天馬は正確な捕捉を行い、彼女に迫る。そして・・・

 (避け・・・られな・・・)

 全身に衝撃が走り、そのまま木枯しは意識を失った。





 マリア・・・マリア・・・マリア・・・

 何処かで呼ぶ声に、彼女は目を覚ます。

 其処は、何も無い暗闇。

 死・・・?

 彼女はそれを思う。

 やがて・・・

 ポッと光が灯り、現れるのはブレザーを着た小柄な少女の後姿。長く綺麗な艶の在る黒髪を、首の辺りで纏めている。

 その姿を見紛う筈が無い。彼女はその少女の愛称を呼ぶ。

 「なっちゃん」

 渡部奈津。振り返ったその表情には凛々しさを、背格好には可愛らしさを、併せ持っている。

 「なっちゃん、任務じゃなかったの?」

 無反応。表情すら其処には浮かんでいない。

 「なっちゃん?」

 もともと、寡黙な部類に入る少女だったが、何時もならば此処まで冷ややかな反応はしない。やがて・・・

 「・・・マリア。君みたいな騒がしいヒトは私の友人に相応しくない」

 「え・・・?」

 「何時も五月蝿い、と言ってるんだ」

 「ひ・・・酷いよなっちゃん! わたし、ただ場を和ませたり盛り上げたりしようとしてるだけなのに!」

 「誰も頼んでない。君の独りよがりだ。悪いが・・・もう話しかけないでくれ」

 奈津はそう言うと、振り返り省みることも無く、闇の中に歩き去っていく。

 「待って・・・なっちゃん! なっちゃん!!」

 走るが、追いつけない。やがて、何か硬いものに足を取られ転倒する。

 「う・・・あいたぁぁぁ・・・」

 「・・・相変わらずだね。マリ坊」

 「相模先輩・・・!」

 ハスキーがかった女の声。聞き間違えようも無い、それは相模京子のものだ。

 「先輩・・・なっちゃんが・・・なっちゃんが酷いんです!」

 「そう・・・」

 「なっちゃん・・・わたしのこともう友達じゃないって!」

 涙ながらに訴えるマリア。だが・・・

 「それも仕方ないと思うわ」

 「え・・・?」

 意外な答。そして光が灯る。

 「!」

 地に倒れ伏すK−C0。しかし、彼女は体の半分を失い、到る所から火花を散らすスクラップ同然の姿に成り果ててる。

 「キミみたいに・・・頼りがいが・・・ないんじゃ・・・ね・・・」

 やがて、各部に灯るランプが、その発光量を減らして行き・・・

 「キミの・・・せ・い・だ・・・」

 「相模先輩・・・相模先輩ぃぃぃぃ?!」

 沈黙するK−C0。声だけが木霊する。

 「どうしたの・・・? マリア」

 「きょ・・・局長!」

 現れたのは神崎紅葉。

 「先輩が・・・先輩が・・・!!」

 「そう・・・」

 言って、K−C0の残骸に触れる神崎。彼女は暫らく考え込んでいたが、やがて・・・

 「マリア、これは貴方の責任よ」

 「え・・・なんで・・・?」

 「・・・解らないのならいいわ。責任さえ取れないなら、これから先、陰陽寮は貴方を必要としません。さようなら」

 「そんな・・・まってよ局長! わたし・・・」

 止めようと腕をつかむが、逆に彼女は投げられ叩きつけられる。

 残されるのは動かないK−C0の残骸と静寂だけ。

 「うっ・・・うっ・・・」

 泣きながら、K−C0の体を元に戻そうとする。だが、余計にK−C0の体は崩れていく。

 「あ・・・あっ・・・先輩・・・いや・・・」

 「どう・・・したの・・・? マリア・・・」

 背後から、切れ切れの言葉。振り返ると其処には、目の下に隈を帯びた、影の在る美女が。

 「リンちゃん! 戻ってきてくれたの!!」

 「うん・・・」

 しっとりと頷く役華凛。だが、彼女は直後に不気味な笑みを浮かべる。

 「あなたを笑いに来たの・・・哀れで・・・滑稽な・・・あなたを」

 「リンちゃん・・・リンちゃんも・・・なの・・・?」

 涙が溢れ出し、止まらない。華凛はやがて高笑いをのこして消えていく。

 「マリア」

 ぼうっと浮かび上がるスキンヘッド。

 「元宗さん!」

 「どうせ・・・お前もオレを馬鹿にしてるんだろう? 役立たずだって・・・」

 「え・・・そんなこと」

 「お前だって・・・同じようなものの癖に」

 凄まじい表情で涙を流しながら消えていく元宗。

 そして・・・

 「・・・マリアさん」

 「やっぱり最後は・・・」

 涙を拭いながら声の方を見るマリア。予想通り、其処に立つのは神野江瞬の姿。

 「神野江先輩・・・先輩も・・・私のこと・・・いらないって言うの・・・?」

 「いいえ・・・マリアさん、苦しかったでしょう」

 「うん・・・元宗さんは馬鹿だし・・・伊万里さんは変態だし・・・みんなは酷いし・・・もう、わたし・・・」

 彼女は泣きながら瞬に縋り付く。瞬は彼女の頭を撫でながら、優しい口調で言う。

 「もういいのよ、マリア。もう頑張らなくても良い。死んだ私なんかのために・・・生きてる貴方が不幸になることなんてないのよ」

 「先輩・・・?」

 「さあ・・・もう、楽になりましょう。マリア」

 「うん・・・」

 大好きな先輩の言葉に、彼女は満面の笑顔で頷いた。







 起き上がる木枯し。だが、彼女の顔に精気も表情も無い。やがて彼女はフラフラとしながらも刀を握り、それを首筋に当てる。ナイトメアバグはその様子に術が成功したことを確信する。そして遂に、木枯しは頚動脈を断ち大量の血液を噴き出しながら倒れ伏す。

 「・・・主、霊衣神官よ。新たな“太陽”を捧げる」

 天を仰ぎ見て、そう呟くナイトメアバグ。彼が放った黒い天馬・・・あれは人に悪夢を見せ、自殺に追いやる呪力の塊だった。

 「あとは・・・あとは元宗の“太陽”を捧げれば・・・!」

 興奮気味・・・というより熱に浮かされたような、と言うべきか。ナイトメアバグは言うと、未だ悪夢にうなされる元宗に視線を向ける。先ほどマリアが放った吹き矢の毒の為か、呪いの効力が一時的に弱まっているようだ。もっとも呪力が力を取り戻すまで待つ心算は無い。

 彼は再び錫杖を突き立てると、赤黒い瘴気を立ち昇らせる。

 「すまない・・・元宗・・・君さえ死ねば・・・律子が・・・ミサトが・・・!!」

 やがて再び現れる悪夢のペガサス。彼は目を伏せ、黙祷しかつての後輩に、そして多くの人々に詫びる。

 (私は許されなくとも良い・・・だが・・・ミサトは)

 決意と共に目を開くナイトメアバグ。そして、彼は天馬を放つべく指を指し示した瞬間に、我が目を疑う。

 「お父さん?」

 「な・・・?!」

 元宗の前に立つ小さな少女の姿。それは彼の娘、ミサト。気付いた時は遅い。天馬は放たれ、その蹄鉄が少女を打ち据える。

 弾け飛ぶ黒い天馬と崩れ落ちるミサト。暫時、その唐突過ぎる事態にナイトメアバグは呆然としていたが・・・

 「ミサトォォォォォォッ!!」

 声が、冷えた腸の其処より湧き出し、絶叫となる。

 生じる疑問。ミサトは、律子は眠らせておいた筈。朝まで目覚めぬ筈。それなのにどうしてこのような場所に。

 動転し、考えが纏まらない。

 「私が・・・私が・・・ミサトを・・・?!」

 娘が見るのは死へ誘う悪夢。その目覚めは黄泉への目覚め。無理に止めれば、心に重大な障害を負う。

 「ミサト・・・ミサト?」

 そして・・・声がする。律子の声。ナイトメアバグはハッとして見る。

 「律子・・・!」

 「・・・ッ!」

 声にならない悲鳴を上げる律子。恐怖に顔が歪んでいる。やがて、うなされる様に彼女は呟き始める。

 「ミサトを・・・ミサトを殺した・・・ミサトを殺した・・・ミサトを殺した・・・!」

 「違う・・・違うんだ律子! 律子!!」

 恐怖と絶望に駆られる律子に駆け寄るナイトメアバグ。だが、その行為は律子の恐怖を助長する。

 「いや・・・いやぁぁぁっ!!」

 引き攣った表情を浮かべ、絶叫と共に走り出そうとする律子。

 「待ってくれ!!」

 ナイトメアバグは、彼女の腕を掴んで止めようと試みる。だが、その瞬間・・・

 
ブチィッ

 「きゃあああああああああああっ」

 腕が、肩の付け根から千切れ、噴水の様な血を噴き出しながら律子は雪の上でのたうち、徐々に吹き出す鮮血の量を減らすと共に白目を剥いて痙攣を始める。咄嗟に、改造人間の力で引き戻そうとしたため、脆い人間の体が耐え切れなかったのだ。

 顔に張り付いた血の温度が、冷たくなっていき、やがて凍りつく。ミサトの口から漏れる赤い血の筋。それは彼女が舌を噛み切ったことを示している。

 「そんな・・・そんな・・・」

 愕然と膝を落とすナイトメアバグ。

 こう、ならないために、自分は人を捨てたと言うのに。

 「あんまりだ・・・これが、報いというのか・・・」

 「そうよ」

 響く声。それは、律子のものでもミサトのものでもない。その声は、マリア・・・木枯しの声。それに気づいた瞬間、彼女の姿が眼前に出現する。

 「な・・・」

 「秘剣乱れ影、二式」

 閃く刀の一振り。だがそれは、一振りでありながら、幾重にも折り重なって見える。

 「十二単」

 そして刃が振り抜かれると、無数の一撃に切り裂かれた傷から鮮血が噴き出し、その赤い飛沫が木枯しの白い身体を赤く染めた。







 「馬鹿な・・・そんな・・・馬鹿な・・・!!」

 ゴボッ

 嫌な音を立て溢れる血液。それでも尚、繰り返される驚愕の言葉。目の前の余りに信じ難い出来事に、ナイトメアバグは半ば恐慌したようになっている。

 白銀の刃と純白の生態装甲を血で赤く染め、陽炎の様にゆらりと彼の眼前に立つ化身忍者。それが、それこそがナイトメアバグにとって何より、そして唯一信じ難い事実だった。ナイトメアバグは先ほど確かに彼女が自刃し果てる瞬間を目撃した。彼女は、今其処に立っているはずが無いのだ。

 だが、目の前に立つ彼女の姿も、深く刻み込まれた刃の痛みも確かに事実。どのように否定しようとも、彼女は其処に立っているのだ。

 「何故だ・・・」

 「フン・・・わたしを化かそうなんて十年早いんだよ」

 「なに・・・?」

 不敵に笑う彼女の言葉をナイトメアバグは把握できない。その反応に、化身忍者は何処か面倒臭そうな風情で言葉を続ける。

 「鈍い坊さんね。いい? わたしは“キタキツネの化身忍者”・・・狐も、忍者も・・・幻に騙される存在じゃない・・・騙すほう」

 「な・・・馬鹿な・・・ほざくんじゃないッ!!」

 彼女が語るのは、余りにも無茶苦茶な論理。ナイトメアバグは声を張り上げることで心を奮起させ、そして錫杖を振り上げながら突進を開始する。それと共に下半身が変形して馬の胴体を象り、ケンタウロスの様な姿を取る。激しい蹄鉄の音色を響かせながら、悪夢を司る魔人は突進するが・・・

 「じゃ、こう言えばいいかな? たった一つのシンプルな答えって奴よ」

 彼女はナイトメアバグに向けて手を伸ばし、射抜くように指差す。

 「忍呪法・・・影写し」

 突風が生じる。その直後・・・

 「・・・!!」

 『あなた・・・』

 『お父さん』

 声が、ナイトメアバグの耳に響く。ハッとして下を向くと・・・

 『あなた・・・』『あなた』『道源さん』『あなたぁ』『・・・あなた』

 『お父さん!』『ねぇお父さん!』『お父さん、お父さん!!』『おとぉーさぁーん』

 何人もの律子とミサトが、彼の下半身にへばり付き這い登るようにしながらナイトメアバグを呼んでいる。しかし、何れの瞳にも光は無く、虚ろで冷たい眼球に馬面の化物の姿だけが無機質に張り付いている。

 「う・・・うわあああああああああああっ!!」

 絶叫するナイトメアバグ。その瞬間、大きくバランスを崩し踏み外して転倒してしまう。必死に彼は立ち上がろうとするが、人間の上半身に馬の胴体という歪な形状の身体のためか巧く行かない。やがて・・・

 『大丈夫・・・あなた』

 『おとうさん・・・お怪我は?』

 何人もの二人が近寄ってきて彼に安否を問う。だが、その手には包丁やピッケル、鋸など無数の凶器が握られている。

 『大変・・・治療しなきゃ』

 『わたしも手伝うよ』

 「や・・・やめろおおおおおおっ!!」

 あなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあたたあなたあなたあなたあなたあなたあなたあなた

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 「や・・・やめろ・・・!」

 詰め寄る亡霊の如き家族に、最早、頭を抱え脅えるしかないナイトメアバグ。彼は、これが幻である事を頭では理解していた。しかし、例え理解していたとしても、彼にはこの幻に抵抗できなかった。一度、手にこびり付いた家族を殺める感覚は、彼の心に恐怖を染み付かせていたのだ。

 「やめてくれぇぇぇ・・・やめてくれぇぇぇ・・・こんなのは・・・あんまりだ・・・」

 やがて、彼の身体から黒い霧のようなものが噴き出し、人間の姿へ戻る。それと共に、消え去る無数の律子とミサトたち。やがてマリアは、ガタガタと身体を震わせて脅える道源に告げる。

 「酷いなんて言わないでね。歯には歯を、目には目を。これは、あなたがわたしたちにやったこと。その報復、だよ」

 「ぐ・・・う・・・ううぅ・・・」

 「・・・理由を聞かせてもらえる? どうして、こんなことをしたのか」

 砕けた語調だが、その響きは尋問のそれだ。だが、マリアのその問いは、道源に怒りを呼び戻す。

 「どうして・・・? どうしてだって・・・?! あんなものを見せておいて・・・どうし」

 バシィッ

 撃ち込まれる平手打ち。パワータイプではないとはいえ改造人間の力で繰り出されたその一撃に、口から奥歯と血の混じった唾が飛び散る。

 「わたしは、あんたが、どうして家族を守るための手段に、人間を裏切るという選択肢を採ったかッ・・・て聞いてるのよ」

 「・・・まさか、最前線で・・・彼らと戦っている君の口から・・・そんな言葉が出るとは・・・な・・・」

 平手打ちの痛みで逆に精神的ショックから回復してきたのか、道源は幾分落ち着いた雰囲気で言う。だが、その何処か無知を嘲る様なものの言い方に苛立ちを見せるマリア。

 「勿体ぶった喋り方、しないでよ」

 「言わなくとも解るだろう? 怖いのさ、奴らの力が。勝てやしないよ・・・たかが退魔法師でしかない私には・・・ならば、奴らの方に就くしかないだろう? 大切なものを守る為には・・・!!」

 訴える様に悲痛な声を上げる道源。

 「それに君も味わっただろう? 奴らは・・・その守ろうとする意思さえ、大切だと思う心まで、奪おうとしたのさ。だから私は」

 「仕方なかった・・・って?」

 言葉の先を読んで言う木枯しの口調は、しかし俄かに信じ難いといった響きを帯びていた。だが道源は、その反応に激昂する・

 「君には解らないだろうな。あの悪夢を見ながら尚、此方側に戻ってこれる様な君には!!」

 「どういうこと?」

 「君が異常だと、言っているのさ。人は一人では生きていけない。それなのに・・・君は君がもっとも大切だと思う人間から、もっとも大切だと思うものから拒絶されて・・・尚、平然としている。そればかりか・・・君は!!」

 「フ・・・フフ・・・」

 不意に、笑い始める木枯し。そいれは道源へ向けられた嘲りの笑い。

 「何が・・・可笑しい!!」

 「甘ったれてるんじゃねぇっ!」 

 木枯しはそう、一喝する。そして彼女は吼える様な声で言葉を続ける。

 「あんたは、ただ単に自分を・・・自分自身の心を信じれなかっただけだ! それで諦めたんだ・・・! 自分の意思で、自分の思いを支えていくのを諦めたんだ・・・! それが私とあんたの違いよ。私の中のみんなは、あんな悪夢とは違う。絶対に、違う。独り善がりだろうと、わたしはそう信じてる。自分の心だけは・・・絶対に信じることを諦めちゃ駄目なんだ!!」

 そう一気に言い切る木枯しの余りの気迫に、道源は理屈云々を抜きに圧倒され、うわごとの様に呟き始める。

 「そんな・・・そんな・・・そんなことが・・・」

 「まだ信じないの? わたしが証拠なのに。私はそれを実践した。だからあんな悪夢へっちゃら。あんたは駄目だった。だから私の幻術喰らってコンフュージョンしちゃったのよ」

 マリアの言葉を聞きながら呆然と呟く道源。

 「そう・・・なのか・・・私は・・・」

 アイマスクを取る木枯し。彼女は最初、真剣な表情だったが、やがてにっこりと微笑んで言う。

 「諦めたら其処で試合終了・・・っていうけど、例え諦めても、もう一度信じることは出来るでしょ?」

 「やり直せるのか・・・私が」

 自らの掌を身ながら言う彼に、マリアは頷きかける・・・が、

 「無理、よ」

 冷たい声と同時に、彼の胸板は無数の白い槍先に貫かれていた。

 「道源さん!!」








 一冊のファイルを開く堀江。

 「それから例の時空海賊に関してですが・・・」

 「何か判ったの?」

 「ええ、面白いことが」

 ぺらぺら、とページを捲りある場所で止めると其処に挟んであったプラスティックの板の様なものを取って神崎に渡す。其処には余り見慣れない言語が複雑に羅列されている。

 「“銀河連邦”に問い合わせたところ、現在当局にはそのような艦船、或いは犯罪者の登録は無いと返答を受けました、が・・・」

 「現在は?」

 言葉に込められた意図に気づいた神崎に堀江は頷いて言葉を続ける。

 「はい。銀河連邦警察当局の古い記録の中に酷似したデータを持つ宇宙戦艦が一隻。登録名称は宇宙海賊船タイクーン号。元は銀河連邦警察所属の特務試験艦だったようですが、試験航宙中に失踪。以後、非合法な商品の取り扱いや略奪紛いの行為を繰り返す貿易商、統治とは名ばかりの苛烈な支配政策を課す国家などを標的に海賊行為を繰り返す義賊的な存在として各宙域に出没していたようです。最終的には地球近海でその消息を絶っておりますが」

 「なにが在ったかわかっている口ぶりね」

 「はい。その消息を絶ったのが地球時間で約三千年前・・・」

 其処まで聞いてはっとする神崎。

 「デンジランド・・・いえ、バルバンね」

 「はい。タイクーン号は三千年前に宇宙海賊バルバンが地球侵攻を行った際、義勇軍として戦列に加わりそのまま行方不明になった・・・と記録されていました。前後の状況から、その戦いで大破轟沈したと考えるのが妥当でしょう・・・が」

 「・・・」

 「バルバンの構成員は確か・・・“魔人”だったわね」

 魔人。それは怪人を分類する際に用いるカテゴリーの一つだ。更に前世魔人や改造魔人など細かい分類があるが、魔人と呼ばれる全ての存在に共通するのは、その全てが怨霊や悪魔・・・或いは伝承に在るような怪物の力で以って力と形状を成している、という点だ。過去、彼らは幾度か人類に対して攻撃を仕掛けて、そして何れも撃退されている。そして・・・

 「魔帝国の住人と同じ、ですな」

 「フフ・・・宿敵の復活に幽霊船が蘇った、というところかしら」

 自嘲気味に笑う神崎。幾らなんでもこじつけが過ぎる。故に言葉をこう添える。

 「まあ、それなら前世魔人や本命の時はどうした、ということになるけど」

 「何にせよ、引き続きの調査が必要ですな」

 堀江は音を立てて鼻から息を吐いた。



<つづく>


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