仮面ライダーヴァリアント外伝
仮面ライダー鬼神

                  

前編
「赤い仮面」





地上を彩る眩い光。人工の昼を織り成す造られた星々。

夜の闇を忘れ去った人の住処。

しかし・・・・

暗黒の深淵に光を届かせる事は出来ない。

其処は魔性の住処。悪意、敵意の凝固まりが息吹く混沌の胎。

“彼ら”は人知れず産声を上げる。

祝福されざる命を携え

呪わしい衝動を抱え

醜悪な姿を持って

誰も知らず・・・・









「ハッ・・・・ハッ・・・ハッ・・・・・ハ」

断続的に、不規則に、喘ぐ様に、吐息が音を成す。

男が暗い路地を走っているのだ。

男は長身の背丈にダークブラウンのコート。左手にはジェラルミンのブリーフケース。細面には真鍮縁の眼鏡をかけた・・・・そんな出で立ちだ。

混乱。恐怖。焦燥。

男の心中は凡そその三つで彩られている。

自分が現在置かれている状況を把握しかねて混乱し、

彼を追い立てるものに恐怖し、

そして腰の下に付いた二本のウドが思いの半分にも応えない事に焦燥する。

追跡者はもう背後、その角まで来ていると言うのに!

ガサガサと節足動物の這いずりを思わせる音。

しかし、虫と断定するには余りにその音は大きく重い。

カチカチと、鈍く高く鳴らされる音。

それは徐々に迫ってくる。それは無数の歯を小刻みに打ち合わせる音だ。

激しい恐怖に駆られながら、それでも尚、いやそれだからこそ彼は振り返らずには居られない。

黒い大きな、熊の様な巨体が、その巨体にまるで似合わぬ敏捷さを以って路地の角より踊り出す。

赤く輝く八つの点が、黒い巨体の中央に並んでいるのが見えた。それは眼だ。獲物を見定め興奮し充血した眼。だが、獣の眼ではない。獲物にめがけ、機械の様に、ただ淡々と迫り来る、蜘蛛の目玉。

そう、追跡者は蜘蛛だ。ただし、ただの蜘蛛ではない。常識を、生物学的常識を無闇やたらに無視した様な巨躯と、砂岩で出来た様な皮膚、鬼の様な顔面をつけた化物蜘蛛だ。

それが四対の肢を唸らせ、猛然と押し寄せてくる。世間の一般常識に造詣の深い人間ならば一目散に逃げて然り、である。

だが、男は立ち止まった。そして咆えるように罵る。

「くっそぉぉぉぉ!!」

運命辺りでも罵って気分をスッキリさせて置かなければ、男は自分が間違いなく迷って出る事になると確信したからだ。

遁走していた彼の前に現れた運命は絶体絶命にも程が有る過酷さを呈していたからだ。

克服し難い困難な状況に陥った時、人は月並みな言葉で「壁にぶち当たる」と形容する。

今、彼の置かれた状況は、正にその文字の通りであった。即ち・・・・

行き止まりである。

神様逃げると言う手段すら奪われてしまわれるのですか?!

別段、どの神に、と言うわけではないが男は愕然と心中で訴える。

前には壁。後ろには蜘蛛。

まさか畜生の餌として人生の幕を閉じるとは・・・・

思えば悔いの残る人生だった・・・・

と、苦しい事、悲しい事、痛い事、歯痒い事、恥ずかしい事・・・・

色んな嫌な思い出が走馬灯となって廻りかけたところで、

「アホかぁぁっ!!」

男は気楽な諦念を選ぶ事を断念する。自身の性格ではそれが無理であることを悟った男は運命に対する最後のささやかな抵抗を試みる事を決定する。

左手のブリーフケースで身体を隠すように構え、塩梅良く足元に転がっていた壊れかけたモップを拾い上げる。

剣と盾と言うには余りにも頼りなさ過ぎる。しかしこれは反抗の意思の象徴だ。化けクモ野郎に思い知らせてやらねばならない。人間サマが網に掛かってもがくだけの蝶々とは異なると言うことを。

「やってやるあぁぁぁっ!!」

モップを振り上げ、猛々しく蜘蛛へと突進する。

どげし

「ぶべ・・・・」

そして吹き飛ばされる。

まあ、基本的に無理だ。

『カカカカカカカカ・・・・』

嘲笑う様な化物蜘蛛の歯音。その音色に、男は背中から壁に激突して意識を朦朧とさせながらも自らを奮い立たせてなんとか立ち上がろうとする。

「ふ・・・・ざけるな・・・・よ」

死神の巨大なサイズを思わせる、二本の触手を振り上げ、触れただけで病気になりそうな濁った涎をダラダラと零しながら化物蜘蛛は詰め寄ってくる。

男は最後の最後の抵抗の為、モップを杖に立ち上がろうとした・・・・だが。

「立たないで!」

「?」

澄んだ女の声が響く。反応して、思わず動きを止めてしまう。

「剣飯綱!」

そしてその声が、男には理解不能の言葉を叫んだ直後、

カラァ・・・・ン

「!!」

二本の触手が、根元よりずれて落下し、硬く軽い音色を上げる。

「?!?!?!」

当の蜘蛛は、突如自らの身体の一部が失われてしまった事に困惑し、声帯が無い為声に成らない悲鳴を上げている。

「・・・・?!」

次の瞬間、男は見た。真紅の影が一直線に降り注ぐのを。

蜘蛛が、自らに起きた事態を理解出来ぬまま、頭部を砕かれ飛び散らせる様を。

そして、長い黒髪をなびかせた、その真紅の影がゆっくり立ち上がるのを。

「・・・・」

シュウウウウ・・・・

頭部を踏み砕かれた化物蜘蛛の死骸が、撒き散らした体液ともども、どういう原理か伺い知れぬものの、黒い霞と化して夜闇に溶け消えていった。

熊の様な巨体を持つ怪物を、ただの一撃を持って葬り去った赤い影、人間の女性のボディラインを持った、その異形は彼の前に静かに佇んでいた。

(鬼・・・・いや)

頭部に備わった二本の角と刃の様な牙、赤を基調とした体色は確かに鬼を思わせたが、同時に燃える様に緑に輝く巨大な眼球と、昆虫の外皮にも似た体表は別のあるものを男に想起させずにはいられなかった。

「伊万里 京二博士ですね」

「お・・・・おお」

不意に自分の名を呼ばれ、男・・・・伊万里京二は思わず頓狂な声を上げる。

「あんたは・・・・」

伊万里が問いかけたところで、その赤い異形の姿は光に包まれる。

粒子状に輝く赤い光は、やがて闇の中に拡散し、その中から一人の女性が現れる。

真紅のライダースーツに身を包んだ、黒髪の女だ。

「私は瞬。宮内庁陰陽寮所属特務派遣執行員・神野江 瞬。伊万里博士・・・・命により貴方を迎えに上がりました」

静かに手を差し出す瞬。伊万里はそれを借りて立ち上がった。



・・・・以上がこの物語の幕開けである。





「で・・・・失敗したと言うわけか」

『も・・・・申し訳ありません』

黒服にサングラス・・・・秘密組織のエージェント以外何者でもない様な格好をしたその男はモニターの中で畏まった。

「まあ、仕方ないさ」

モニターの前に佇む四つの影。何れも袴姿、いわゆる神主の格好をしている。その内の左端に立つ、中肉中背の背格好をした男が爽やかな口調で言う。

「まさかこんなに早く奴が出張ってくるとは思わなかったからね。このエクスキューズは寧ろあっちにしなきゃならないだろうさ」

『は・・・・恐れ入ります』

「以降の作戦は他の者に引き継がれます。お疲れ様。貴方は一旦帰っていらっしゃい」

右から二番目の位置に立つやや背の高い女が、静かな口調で今後の状況展開を告げ、微笑と共に労いの言葉をかける。

その隣に立つ長身痩躯の男が他の三人を見回し、他に何も無い事を確認すると、淡々とした口調でこう締めくくる。

「・・・・尾行等には細心の注意を払え。以上だ」

『御意・・・・通信を途絶します』

そのままモニターは暗くなり、多目的情報画面に切り替わる。

「して・・・・どうするかね」

しばし、四人は沈黙を守っていたが、やがて右端に立つ小太りの男がため息を一つついてから年寄りくさい口調で一同に問いかける。

「あ奴が出てきたとなると生半な手段は通じんぞ」

「既に黒畑を向かわせている。『土蜘蛛』三匹『牛鬼』二匹、『影法師』三十を持たせた。工夫次第で何とかなるだろう」

それは通常からは考えられない大兵力だったが、誰も驚きの声は上げなかった。

「黒畑さんなら適任かもしれないわね。でも・・・・通用するのかしら?」

「ま・・・・倒されたとしても時間を稼ぐ位はしてくれるだろうさ」

「そう言う事だ。“次善策の本命”を出すまでの、な」

「あれを使うつもりかね・・・・それは豪儀じゃな」

小太りの男はそう言うと、ふくよかな腹を揺する様にして笑った。















SDUKIのオンロードレーシングタイプのバイクで夜のハイウェイを駆け抜ける。

女性の腰にしがみ付く伊万里のその姿はあまりみっともの良いものではないが、この際、女々しく四の五の言っている場合ではないのだ。

道交法違反もなんのその。国家権力でおおむね度外視のようである。

暫時、モノクロの景色が滑り、流れていくのを伊万里はぼうっと見ていたが、やがてその視界の隅に灯った彩色の光の塊に気付く。パーキングエリアだ。

「少し休憩しましょう」

そういう意味なのだろう。瞬は少しだけ振り返ると指で差し示す。伊万里は即座に頷く。丁度、空腹感を感じていたので、そう振ってくれることは有難かった。

そして、そのパーキングエリアの食堂にて。

「折角こうして人心地付いたわけだし・・・・」

カツ丼二食を平らげて、満足げな息を発しながら伊万里は切り出す。

「・・・・聞かせてくれないか?」

瞬は、その言葉を、ある程度予測していた。

その後に続く、疑問の本体についても。

当然の事だ。既にこう言った手合いの事件は四半世紀以上前から頻発しているとは言え、それは社会の表層には浮かび上がらぬ闇の中の出来事。未だ世間の多くの人間にとって縁遠い存在なのだ。

などと勝手に推測し、納得までしていたりする瞬なのだが。

「キミのケータイの番号」

「は?」

思わず、固まり、続いてずっこけてしまう瞬。

セオリーというか王道ならば、ここで問われるべきは彼を襲った「怪物」や、それを容易く踏み潰す「自分」が何ものか、であるべき筈だったのだが・・・・

瞬のそんな困惑したような様子に気付いたのか伊万里は、

「昔から言うだろ? 知り合った女の子が可愛いコなら電話番号の一つも聞くのが男の礼儀だって」

「かわ・・・・ちょ・・・・伊万里博士! セクハラです!」

気取った風も照れた風も無く言ってのける伊万里に対し、赤面し狼狽を顕著に表す瞬。その様子が可笑しいのか伊万里は笑いを堪える様にしながら言葉を返す。

「フフ、失敬、失敬。まあ、あんた自身は悪い奴じゃあなさそうだ。それは解った」

中指で眼鏡の位置を直し、その奥の細い目で見据えるようにしながら伊万里は言う。

「あの怪物や、君のあの姿も、十二分に興味は有るんだが、まあ幾らなんでも月並みな感じが否めないからな・・・・それに」

伊万里は続きを言いかけて一端区切ると、自嘲的にも見える微苦笑を浮かべる。

「どうせ“機密”とか言って教えてもらえそうにないからな。だったら・・・・」

「いえ」

しかし、瞬は首を左右に振って伊万里の言葉を途切り、否定する。

「円滑な状況進行の為、諸情報の開示を求められた際、それに応じる様に命令されています」

「へえ。普通漫画では『貴方が知る必要は無い』とかいって後々に伏線を張ったりするのがセオリーなんだが」

何故か微妙に残念そうな表情を浮かべる伊万里。

「セオリー云々は判りませんが、今回は状況が特殊なんだそうです。

ですから、私の答えられる範囲なら、何をお聞きになって下さっても結構ですよ」

「じゃあ・・・・」

その言葉を聞いて改まると、伊万里は数秒黙考し、そして何かよからぬことを閃いたのか嫌らしい笑みとともに頭の上に豆電球が灯る。

「じゃあスリーサ」

「あの蜘蛛は『土蜘蛛』彼らが呪術によって使役する妖怪です」

「スルーかよ」

拗ねた様に爪楊枝で煙草を吸う真似をする伊万里。その勢いのまま半分投げやりに問う。

「で・・・・その彼らって何だよ?」

「“彼ら”は、もう御存知でしょうけど、非常に危険な集団です」

「ああ・・・・実際、襲われたしな」

記憶がフラッシュバックする。恐ろしい化物の襲撃。飛び散る血渋き。

そしてはらわたの底にたぎり始める赤い何か。

「“彼ら”の名は『落天宗』」

「宗・・・・というと、カルト系の宗教団体みたいなやつか」

「はい。ですが、その本質は大きく異なります」

「というと・・・・呪術とか、妖怪とか?」

「そうです。彼らは、妖怪を使役する術を始め、数々の神秘の技の数々を実用化し、そしてその威力によって世界征服を目論んでいます・・・・寧ろ『秘密結社』と呼称したほうがいいでしょう。入信者も大々的に募集していませんし」

「へぇ・・・・世界征服を目論む秘密結社ねぇ・・・・」

今時古臭く、手垢足垢に塗れた言葉ではある。有るには有るのだが・・・・悪なる存在にとって、それは未だ強い魅力を発揮する言葉らしい。伊万里は何とはなしに、理解できなくも無かった。人間・・・・というよりオスという生き物には何れにも、目に付く全てを支配下に置きたい、という頭の悪い事この上ない欲求が多かれ少なかれあるのだ。

最近流行(?)している「地球の破壊」やら「全人類の個への統合」も根は似たようなものなのだろう・・・・と、伊万里は思ってみたりする。

閑話休題。

「彼らは、その野望成就の重要なファクターの一つとして、貴方と、貴方の研究を狙い、刺客を差し向けてきたのです」

伊万里は手元のブリーフケースに目を落とし、俯く。

自分が確認した限りでは、研究室の生徒が二人と、瞬以前に宮内庁より派遣されてきた黒服が四人、殺された。

「やれやれ・・・・」

軽い口調。だが、テーブルの下に降ろした拳は硬く握られている。爪が肉を抉って、生暖かいものが掌に溢れる。

「こんなものが一体何の役に立つって言うんだ・・・・」

吐き棄てる様に言う伊万里。“何”に役立つのか調べる事こそが彼の研究分野なのだが、敢えて怒りを明確に認識する為言葉に出す。

生徒の一人は幼馴染だった。

幼少時、友達の少なかった彼を慕ってくれた唯一の人間だった。

生徒の一人は、バカだが良い奴だった。

破天荒で、突拍子も無い馬鹿話ばかりしていたが、歳もそう離れていない自分に対して敬意を払ってくれた。

四人の黒服も必死に自分の職務を果たそうとする、気のいい奴らだった。

その一人と親しくなり、最近生まれた娘のことを小一時間ノロケられた。

標準的に見ても、良い奴らだった。

だが・・・・

食い殺された。

遺品すら遺さず。

自分の為に。こんなものの為に。

(・・・・すまん)

悔いても悔い切れない。

「伊万里博士」

「ん・・・・」

「彼らに付いては理解頂けたでしょうか」

「ああ。完全じゃあないが、な」

「結構です。では、それを踏まえた上で、貴方はこれから提示する三つの選択肢の中から一つ、御自身の運命を選択しなければなりません」

「何・・・・?」

瞬は右手に三本の指を立てて言う。

「まつろうか、討たれるか、立ち向かうか」

「・・・・」

「彼らと関りを持った以上、最早貴方は普通の生活には戻れません。彼らは蜘蛛より冷酷で、蛇より執念深い。そして自身を知る他者を決して許容しない」

瞬は知っている。淡々と口から吐き出される言葉がどれ程過酷なものかを。

しかし、だからこそ彼女は語らねばならなかった。

「だから貴方は選ばなければなりません。自らを“悪”に貶め彼らにまつろうか」

薬指を折る。

「“悪”に屈し討たれるか」

中指を折り、そして・・・・

「“悪”に反抗し立ち向かうか」

人差し指を折る。

数瞬、伊万里の鋭い眼差しは瞬の瞳を見据えていたが、やがて・・・・

「決まっている。高がこんなモノの為に・・・・」

ガン!

拳をブリーフケースに振り下ろす伊万里。

「人を平気で殺すような気狂いどもを野放しに出来るか!」

(この人は・・・・)

「立ち向かう、と言う訳ですね。解りました」

(純粋な、正義感の持ち主なんだな・・・・)

机の上に黒い何かが置かれ、重く硬質な金属音を立てる。

「彼らに立ち向かう手段を、貴方にお渡しします」

手を退ける瞬。それは自動拳銃だ。

「私は貴方を守る為に全力を尽くします。ですが万一の場合はこれを使用して下さい」

「・・・・」

「中には反呪詛処理の施された特殊弾が込められています。土蜘蛛程度なら4、5発程度で撃破出来るでしょう。勿論、人間に対しても一般的な銃弾と代わらない殺傷能力を発揮するので取り扱いには御注意ください」

伊万里はそれを手に取る。見た目通りの重さが手にずしりとした感触が伝わる。

そして、腹を括り浮かべる表情を不敵な笑みに変えて答える。

「判った。任せろ。クレー射撃では全国区の選手だ」

まあ、拳銃と競技用の小銃では扱い方は異なるだろうが・・・・

(これで・・・・いい)

瞬は、“第一目的”の達成に安堵し、同時に罪悪感に苛まれる。

伊万里京二は落天宗に対し敵意を覚え、戦う事を選んだ。

彼は自らの道程を取捨選択した。だがそれは・・・・

(蛇の道は蛇ね・・・・)

「伊万里博士、暫くの間とは思いますが・・・・」

瞬はそう言って右手を差し出す。

「改めて宜しくお願いします」

「ああ」

応えて伊万里は握り返す。

「京二、でいい。堅苦しいのは嫌いなんだ」

「私のことは・・・・お好きなようにお呼び下さい」

「じゃあ・・・・シュンたn」

「却下します。瞬と呼び捨てて下さって結構です」

「好きなようによべって・・・・」

「それから私の“あの”姿についてですが」

「またスルー?」

「あれは・・・・」

瞬が京二の言葉を完全に流して説明を始めようとしたその時、

『そんなコト・・・・知る必要はナイ』

ざわり・・・・

甲高い、小動物の鳴き声を思わせる声と、無数の何かが蠢く音。

ざわ・・・・

  ざわ・・・・

    ざわ・・・・

(不覚っ・・・・!)

瞬は内心舌打ちする。予想外に敵の動きが早い。

計算上、あと十一分十七秒は余裕があった筈だが。

(まあ、計算は計算ね・・・・)

「伊万里博士」

「京二でいい」

「失礼しました。では京二さん、御注意下さい。敵襲です。決して慌てない様に。私のもう一つの姿について戦いながら説明しますから」

『舐めるなヨ・・・・“鬼神”!!』

「来ます!!」

ギャリギャリギャリギャリ!!

蠢きは、不快な破砕音を発して食堂内に顕現する。

店員の絶叫。洪水の様に現れる黒い何か。

「・・・・転化」

不意に、立ち上がった瞬は両手を左右に広げる。

彼女の腰に現れる、鬼瓦の様なバックルをつけたベルト。

「変・・・・」

気合を高める様に静かにその言葉を口にし、

「・・・・身!」

そして両腕を時計回りに旋回させる。

鬼瓦の口が開き、そこに現れた陰陽大極の印が回転しながら赤い光を放つ。

「っ・・・・?!」

光に包まれる瞬の姿。

押し寄せる黒い怒涛。

京二は銃の安全装置を外しかける。しかし。

「焔花風!」

「どわああああっ!!」

オレンジ色に輝く炎の塊が、花吹雪をなして辺りに舞おどる。

飛び掛る黒い何かは、尽く炎風に阻まれ、焼かれ、落とされるが、京二や食堂内のものに何の被害ももたらさない。

やがて光が収まる。

「京二さん・・・・これは“鬼神”。彼らと戦うために、私に与えられた力です」

真紅に包まれた彼女は、そう、静かに言った。





床を累々と覆う焼かれた生物・・・・大鼠達の死骸は霞の様になって消えていく。

『あらわれたカ、鬼神』

黒地に赤いプロテクター。女性独特の柔らかで優美なラインを、肩から伸びる角を始めとした鋭角がアグレッシブなフォルムに変えている。

煌々と輝く巨大な複眼は緑色。濡れ羽色が膝近くまで鮮やかな黒髪を描いている。

“鬼神”

そう呼ばれたそれは、力。

確かにそれは、そう呼ばれるだけの力を漲らせている事が、その手の部類に素人である京二にも認識できた。

『オレの名は黒畑・・・・鬼神、お前ヲ倒し、任務を果たス』

何処か、ロボットライクな口調で宣言する黒畑と名乗る声。

「京二さん。肉眼では敵の姿を捉えることは出来ませんが」

鬼神の掌がそっと伊万里の背中に触れる。

直後振り返り、跳躍するように窓ガラスに向かって駆ける。

「私の瞳には可能です。だから」

天井が粉砕し、二体の巨躯が降り注ぐ。西洋風に言えばミノタウロスとでも言うのだろうか。凶悪な面相の牛の頭をつけた大男だ。その手にはつるはしを大型化した様な武器を握り、振り被っている。

「奇襲は殆ど意味を成しません」

猛然と振り下ろされたつるはし。だがそれは鬼神に掠ってさえいない。擦り抜けるようにかわされている。・・・・それだけではない。

『ォゴ・・・・ォオオオ』

呻き声。ミノタウロスもどきの胸にはいつの間にか赤黒く穴が穿たれていた。対して鬼神の両手には脈打つ奇怪な肉の塊。それが握り潰され、飛沫と欠片を散らすと同時にミノタウロスもどきは倒れながら黒霞となって散る。

「付いて来て下さい。外で説明しましょう」

そっと京二の肩に手を触れると瞬の声は、彼をパーキングへ誘う。

京二は何事かも判らず怯えた声を上げている店員に申し訳なさそうに目礼する。

「先程の牛頭の半獣は“牛鬼”。力自慢の妖怪です。・・・・そして」

辺りのコンクリートの表面から、人影がわらわらと現れる。だが、それはあくまで人影のみ。投影されるべき姿を持たず、只、影は人型をなして辺りの闇より湧き出してくる。

「こちらは“影法師”。雑兵の様なものです。健常な成人男子なら倒せないことは無いと思われます」

穏やかな口調で説明しながら、繰り出す拳、手刀、蹴りを流麗な舞の様に繰り出し、一拍毎に影法師をボロ布の様に引き裂いて、影に返していく。

シャーッ!!

鋭い風切音と共に、鬼神の左右から白い何かが走り、彼女の腕を絡めて獲る。

『カカカカカカ』

笑う様なその顎の交錯音を京二は知っていた。土蜘蛛が“二体”、左右から糸を吐きかけたのだ。そして蜘蛛糸に鬼神が捕縛されたと同時に闇が蠢く。

『獲ったゾ! 鬼神!!』

本流を成して夜闇から噴き出す大鼠。

照明に照らされ黒光りする大軍は、怒涛を成して襲い掛かる。

「この土蜘蛛は彼らの使役する妖怪の中で、比較的強力なタイプです」

「この期に及んで未だ説明?!」

例によって鬼神は京二のその言葉をスルーすると、自らの腕を拘束する蜘蛛糸の束を逆に掴み返し、力を込め、

「撃破には拳銃なら少なくとも三十八発を要し、吐き出す糸は10トンの物体を吊るす事が可能です」

そして引っ張る。直後、土蜘蛛は熊ほどもある巨体を、重力から解放されたかのように、軽やかに宙を舞わせる。

「ですからこういうことも出来ます」

彼女の手首が複雑な運動をする。

ゴウン

「どわあ!」

二匹の蜘蛛が宙を旋回し始める。蜘蛛の幼生は風に乗って飛ぶらしいが、これはスケールが比ではない。捕縛するつもりが、逆に糸を巧みに操られ絡め取られてしまった二匹の蜘蛛を巨大なモーニングスターの様に振り回し、襲い来る大鼠を薙ぎ払っていく鬼神。

やがて過度の回転と遠心力により、蜘蛛糸はブチンと鈍い音を立てて千切れる。

だが、鬼神は単に繊維の劣化に任せた訳ではない。切断のタイミングを見定め、絶妙の瞬間を以って、暗中の黒畑に目掛けて質量を解き放ったのだ。

『チィィィィ!!』

影が宙に飛ぶ。鬼神も同時に飛翔する。コンクリートに激突した土蜘蛛が砕け散る。

影は黒畑。鬼神と黒畑は空中で交差し、弾かれる様にして再び着地する。

黒畑。日本人の苗字。しかしその名が、姿に相応したものと京二は思えない。

黒畑のその姿は異形。いや、顔面が異形、というべきか。

上下の顎が突き出した円錐形の頭に、団扇の様な大きな耳朶。頭全体を黒光りする毛が覆っている。そして異常に発達した二本の前歯。

結論を言えば、それは鼠男の姿だ。某大型遊園地のマスコットが、悪意を込めてリアル化されたようにも見える。

「彼は“妖人(あやかしびと)”。自身の肉体に妖怪の力を融合させて力を得た、落天宗の戦闘シャーマンです。彼は、鉄鼠と融合したようですね」

「てっそ?」

「鉄の前歯を持った大鼠の妖怪です」

簡潔に説明してから、鬼神は再び開いた間合いを詰めようとする。が、次の瞬間黒畑がスーツの裏から取り出した意外なものを見て動きを止める。

「死ネぇ!」

それは拳銃。京二に手渡されたものより二回り大きい。その大口径が向けられる。

「!」

鬼神には見ることが出来た。銃爪を引こうとする黒畑の指と、銃弾の辿る予測軌道を。

故に、彼女は避けなかった。避けようと思えば、撃鉄が振り下ろされる前に斜線から身を翻すことも可能だったが。

(今は・・・・守らなければ!)

爆音とマズルフラッシュ。鈍い痛みが、胸の前に交差した両腕を覆う。

「瞬!」

「キキキキ」

只の銃弾とは、やはり異なる。拳銃程度の行使できる火力では、本来彼女の生態装甲にダメージを与えることは出来ないのだが・・・・

「反呪詛が貴様ラだけの技術と思ウなよ」

嘲る黒畑はトリガーを絞り続け、弾丸は次々に生態装甲を抉っていく。だが、鬼神はそれを避け様と言う気配すら見せず耐え続ける。

(く・・・・)

思いの他、効く。反呪詛の作用が銃創から浸透し、全身を痛覚で蝕んでいく。

(成る程・・・・こんなに痛いものなんだ・・・・)

半ば場違いな冷静さで思いつつも、彼女は狙い定める。

(銃なんか使ってるということは・・・・)

“ネタ”切れだろう。弾切れの瞬間、間合いを一気に詰め接近戦で仕留める。

そう思った瞬だが、チャンスは直後に訪れる。

「ぐアっ・・・・?!」

呻いて銃を取り落とす黒畑。その手から血が噴き出す。

「瞬!!」

何時の間にか右方向に移動していた京二が撃ったらしい。

「助かります」

肩鎧を外して両手に握り、一瞬の間も置かず飛び出す。

「馬鹿めェェ!!」

黒畑の左手がもう一丁の拳銃を取り出して向ける。

・・・・不味かった。

肩鎧を盾の様に使って迫り来る弾丸を弾き、逸らす。

・・・・流石に死ぬほどではなかったが・・・・本当に、

「助かりました」

肉薄する。だが、鼠面は歪んで笑みの表情を作っている。

「だかラ、馬鹿め!と」

真横から押し潰す様に黒い塊、大鼠の群れが沸いて出る。

「私は彼より早い」

黒の群れはコンクリートに飛び散る。

肩鎧から生える角が、黒畑の腹に深々と突き刺さっている。

「うぐォあああああっ!!」

次の瞬間、黒赤い血液に染まった臓物をブチまけながら黒畑は吹っ飛び、無慈悲な追い討ちを掛ける為に鬼神は跳躍する。

『カカカカカカ!』

笑う様な鳴き声三度。忽然と土蜘蛛が京二の間近に出現する。

「三度言ウ! 馬鹿め!! 呪符を分解シて従僕の中ニ」

「鏡(かがみ)」

土蜘蛛は糸を吐き掛け様と、戦車砲の様なその口腔を開く。ただの人間たる京二に避ける術も引き千切る力も無いが。

「夜明(よあかり)」

鬼神は持っている。瞬の声に呼応し京二の背中が光り輝く。光は膜を成し、糸はそれの前に四散を余儀無くされる。

「ナ・・・・」

「私の十二の符術は、予め用意しておけば、任意のタイミングで発動できます」

「説明はもういい」

半ばウンザリしながらも、表情は引き締め、銃を両手に握り、腰を落とす京二。

「これが最後です。彼らは妖怪とは異なり死ぬと爆発します」

終始、説明に従事する鬼神は、肩鎧の角を黒畑の喉に突き刺し、振り下ろす。

ため息をついて京二は、銃身を蜘蛛の大口に向け、引き金を絞る。

そして、上段後ろ回し蹴りを喰らって頭の形を滅茶苦茶にしながら、胴体真っ二つの黒畑は飛んで行き、土蜘蛛は崩れる様に闇にとろけ、

ドォォォォォン・・・・・

青白い炎の爆発が起こる。

「黄泉で・・・・また会いましょう」

その声は、何処か自虐的に響いた。





キィキィ・・・・

弱々しい鼠の鳴き声。

指揮デスクの上で大鼠は、何かを訴える様に暫く鳴いた後、全身を強張らせ、やがて黒い霧となって消える。

「やはり黒畑は敗れたか」

「どうする? あまり時間は稼げなかったが・・・・」

「・・・・あの子達が近くにいるそうよ」

「あの子達?」

「・・・・阿吽雷雲のことだろうさ」

「ええ。彼らに与えた任務、もう終わったらしいわ」

「ふむ・・・・さすがじゃな」

「あいつらは・・・・怖いよな」

「ああ・・・・色々な意味で、な」

「どうする?」

「そうだな・・・・鬼神の状況は?」

「え・・と、反呪詛弾が幾つか当たってるみたいね」

「効果の程は?」

「結構、効いてるみたいよ・・・・」

「ふむ・・・・ならば、或は倒せるかも知れんな」

「では・・・・」

「良いだろう。阿吽雷雲を向かわせよう」





★落天宗妖人ファイル(陰陽寮第三級?資料)

識別3547号 黒畑 仁

鉄鼠の妖人 身長180センチ前後 体重不明

呪術によって無数の大鼠を召喚し、使役する。

この大鼠は、牙が鋼になった言わば、黒畑の分身のようなもので、黒畑の意思に呼応して自在に操ることが出来る。

その能力から、本来は戦闘よりも特殊工作を得意とする。







鬼神の姿が赤い粒子に分解し、ベルトの中に吸い込まれていく。

代わって現れる瞬の姿。しかし、ほんの先ほどまで、正に鬼神に相応する戦い振りを繰り広げていた彼女だったが、京二は其処に相応の活力を見出せない。

「大丈夫か?」

駆け寄り、心配そうに問い掛ける京二に、瞬は努めて穏やかな笑みを浮かべて返答する。

「ええ。問題ありません。私の身体は高い治癒能力も備えています」

そう言って、ライダースーツの袖をたくし上げてみせる瞬。

血は既に乾いて跡になり、銃創はほぼ塞がっていると言って良い。

「ですから銃弾程度の破壊力では・・・・・」

「瞬!!」

(あ・・・・)

言いかけて、瞬は意識のホワイトアウトを実感する。

どうやら反呪詛弾の作用は“こちら側”のものより優れているらしい。脳の髄が痺れ、四肢の末端の感覚が麻痺して、平衡感覚が遠ざかっていく。

(不味い・・・・!)

彼女は必死に意識を感覚に巡らせ、持ち直そうと努力するが、一度崩れ始めた体のバランスを容易に元に戻すことは出来ない。

(倒れる・・・・!)

・・・・

しかし、彼女の身体は何かに支えられ、倒れることは無かった。

「オイオイ・・・・全然駄目じゃないか」

「あ・・・・す・・・・すいません」

思いがけない体勢に、思わず先に狼狽を隠せず頬を紅潮させてしまう瞬。

何故なら、後頭部と膝の裏で支える様にして抱き抱えられる格好だからだ。

「やっぱり、あんな無茶をするからだ。あんたみたいな奴らは弾避ける位分けないだろ」

「あ・・・・あの、もう大丈夫ですから」

照れ湯気を発さんばかりの瞬に、京二は意地悪そうな笑みを浮かべて答える。

「む・・・・そうか? 『顔が赤いぞ、何処かまだ悪いんじゃないか?』」

「京二さん!」

非難の声を上げる瞬。天然男の定型文句をわざと言っている辺り、京二の性質は悪い。

しかしまあ、何時までも“王子様ごっこ”を楽しんでいたら、“お姫様”が“魔女”に代わりかねないので、機嫌を損ねないうちに解放する。

瞬は、まだ少しふら付きながらも姿勢を正し、京二に向き直る。

「・・・・あの時私が避けたら貴方に弾が当たる危険性がありましたから。それよりも、私の身体を盾にしたほうがリスクが低いので」

弾避け・・・・に対する回答だ、が・・・・

「オイオイ・・・・ったく、あんな距離でピストルが当る訳無いだろ。もっと、自分の身体についても考えろ」

言葉とは裏腹に、責め立てるような響きはない。瞬は京二が本心から自分の身体を案じてくれている事を理解した。だが、彼女は首を左右に振る。

「御心配お掛けした事は申し訳ありません。ですが、私が倒れたとしても、タイムスケジュールから考えて、我々の仲間の方が先に到着する筈ですから、心配は要りません。何も考えずに無茶をしたわけじゃないんですよ?」

そう言った彼女の容貌に浮かぶ微笑が京二の眼には儚げなものに映る。

「俺が言いたいのはそういうことじゃないよ、瞬。俺はあんたにもっとあんた自身のことを気にかけろって言ってるんだ」

「貴方から危険を遠ざけるのが、今の私の“仕事”であり“務め”ですから」

「ちょっと、待て。自分あってこその仕事だろ? 自分の命まで賭ける様なまねしてどうするんだよ?」

「いいんです」

相変わらずの微笑。瞬の眼差しは何処か達観している。

「私には『命を賭けて闘う』事しか能が在りませんから・・・・私と言う人間が生きていく為には『命を賭けて闘う』しかないんですよ」

「ほっ・・・・」

京二は、本末転倒だ、と言いかけて止める。

彼女の言葉も又、一つの理屈なのだ。京二が此れまで身を委ねて来た場所とは異なる世界の理屈。自分の様に、恵まれた人生の選択機会を与えられて生きてきた人間が、口を差し挟む権利が無い世界。京二はそう、理解し、故に押し黙る。

(そうか・・・・)

やはり、と京二は思う。

(やはり瞬は・・・・)

「何があったんですか?」

不意に響く声が京二の思索を遮る。振り返る京二。

「事故・・・・なんですか?」

其処に立っていたのは金髪碧眼の青年。身長は京二と同じくらい。手にはドラゴンのエンブレムを入れたヘルメットを抱えている。

「さあ? 俺たちも今さっき野次馬に出てきただけだから良くわからん」

京二は両手をサッと上げてとぼけてみせる。

金髪の青年は少しがっかりした様な表情を浮かべる。

「そうですか・・・・凄い爆発だと思ったんだけど」

「季節外れの花火だと思うぜ」

フン、と鼻を鳴らす京二。

「キチガイは時と場所を選ばないからな」

「そうですね。オレもそう思いますよ」

皮肉めいた京二の言葉に、苦笑と共に同意を述べる金髪の青年。

そして反芻するように、

「本当、選びませんからね・・・・」

「・・・・」

青年の言葉も何処か皮肉っぽい響。

京二は青年についてふと、気付いて問う。

「そういえばあんたは外人っぽいけど、随分日本語が巧いな」

「国籍は日本ですよ。母がドイツ人なんです」

「母親似なんだな」

「フフ、よく言われます。あ、オレは高天アベルっていいます」

「まだ名乗ってなかったな・・・・俺は伊万里京二。宜しく」

京二、アベルともに好青年の笑顔を浮かべて握手を交わす。

そして、アベルは京二の後ろで沈黙を守ったまま佇んでいる瞬に眼を向ける。

「彼女は・・・・恋人の方ですか?」

「ん、分かるか?」

平然と何の躊躇いも無く肯定を言い放つ京二。途端に、此れまで殆ど無表情だった瞬の顔は赤く染め上げられる。

「な・な・な・何を言ってるんですか京二さん! セ、セクシャルハラスメントです!」

前時代的に初心な瞬の反応に満足そうな笑みを浮かべる京二。

「半分冗談だ、瞬。こっちのからかって面白いのが神野江瞬。俺の研究の・・・・まあ助手みたいなもんだ」

(“半分”ね・・・・)

アベルは何か含む様にクスリと笑うと、問う。

「研究というとなんかの学者さんなんですか?」

「ん・・・・ああ、考古学をちょっとな」

頭の後ろを乱雑にかきながら答える京二。

「っていうと、やっぱりヤマタイとかジョーモンドキとか?」

「まあ、そんなとこだな」

瞬の戦闘しながらの説明にくらべ、京二の説明は実に素っ気無い。

しかしその、簡素な返答にも、アベルは律儀に感心を示す。

「へえ・・・・凄いんですね。太古のロマン、ですか」

「砂場遊びみたいなもんさ。大したもんじゃあない」

「そういうものなんですか・・・・」

アベルはそう呟いて少し意外そうな顔をする。

それから、二、三言葉を交わしてからアベルは腕時計に眼を落とす。

「あ・・・・じゃあオレはこれで。オレはこれから仕事があるんで」

「そか、じゃあな」

「はい。縁があれば」

そう言うと、アベルは自分のバイクにまたがり、パーキングを後にした。

しばし、そのテールランプを眺めていた二人だったが、徐に瞬が呟く。

「京二さん」

「セクハラで訴えるのは勘弁な」

「いえ・・・・そうではなく」

「ああ。わかってるよ」

背筋にこびり付く様な、生暖かな感覚と悪寒。

「意外と早かったようですね」





「あれ? 気付かれちゃったね。兄さん」

「手負いとはいえ、流石は鬼神って訳だ」

影が二人分其処に佇んでいる。一つは少年と思しい。もう一人は背の高い青年の。

少年は、パーカーに半ズボンといった格好。たれ気味の大きな眼をしており、整った容貌は女性から見れば「可愛い」と形容されるタイプのものだ。

青年の方はジーンズ地のジャンパーにレザーパンツといった出で立ち。青みを帯びた髪を肩の辺りまで伸ばしている。中性的な顔立ちをしており、「綺麗な」と言っても異論は先ず出てこないだろう。

青年は妖しげな微笑を浮かべ、少しだけ頭を垂れて言う。

「はじめまして伊万里博士」

「落天宗か・・・・」

「御明察。オレは白井修」

「ボクは藤堂正輝。マサキってよんでね、博士」

続けて少年のほうも、ペコリと言う擬音を立てて御辞儀する。

(兄弟・・・・義兄弟か?)

藤堂少年は、確かに白井を指して「兄」と呼んだが、二人のファミリーネームが異なることに、僅かに眉を顰める京二。

「?」

瞬の方に目を向けると、確信には至らぬものの何かを察したような表情をしている。

「伊万里博士・・・・いえ、京二さん」

「??」

白井は京二を名指し、そして親しげな口調を持って呼び直す。

真意を測りかねる京二。何故か背筋を走る悪寒が、その勢いを増す。

「オレは嬉しい」

「???」

頭の上に浮かぶクエスチョンマークが増えていく。

そして次の白井の発言が、それをエクスクラメーションマークに変える。

「写真で見るより、ずっと好みでv」

「!!!!」

語尾にハートが討たれると同時に、悪寒は戦慄へと変換する。

緊急警報。アラートが鳴り響いている。土蜘蛛に追われていた時の三倍増しで。

(に・・・・)

「兄さん!」

と、不意に藤堂少年が頬を膨らませて、咎める様に言う。

「好みだからって誰にでも色目を使っちゃ駄目だよ!」

真っ当な意見であるように聞こえる。多くの人間は普通の世界に住んでいるのだから。だが・・・・

「兄さんはボクのなんだから!!」

「!?!?!?」

意見の根が異世界に因るものとしると同時に、更に戦慄は愕然へと移行する。

「フフフ・・・・マサキ、妬いてるのか?」

「う〜」

そっと、藤堂少年を抱き寄せる白井。

「安心しろよ。オレが一番大切なのはお前だけなんだから」

「ホントに?」

「何時もいってるじゃないか? 行動でも示してるだろ」

「うん」

コクリと首を縦に振る藤堂少年。

「ボクも兄さんが一番大切だよ」

「嬉しいよ、マサキ」

優しく微笑む白井。そして二人は見詰め合う。

形成される別世界。絶対恐怖領域にじりじりとあとずさりする京二。

「な・・・・なんなんだ? この二人・・・・」

圧倒され、声を擦れさせながらもなんとか声を出す。

「これが噂に聞く、ゲイというやつか・・・・?」

「いえ」

瞬は頭を横に振る。京二の様に、この異様な空間に圧倒こそされてはいないが、頬には一筋の汗が伝っている。両の目をいちゃつく二人に釘付けたまま瞬は言葉を紡ぎ始める。

「まさか・・・・実在するとは私も知りませんでした。今、この眼にするまで」

どちらともなく、唾をごくりと飲み込む。

「漫画や小説の中だけの存在だとばかり思っていました」

「ならば奴らは・・・・・」

重々しく頷く瞬。

反呪詛弾を受けて体調が優れないからだろうか。目が充血を始めている。

「ホモでもバイセクシャルでも性同一性障害でもない・・・・!」

「そう・・・・即ち、やお」



カッ・・・・ゴォォォォン



閃光が走り、轟音が辺りを揺るがす。

雨が来るのだろうか。或は、心象表現だったのだろうか。

京二にはそれを判断する余裕すらなかった。

土蜘蛛に、研究室の学生を殺害されて以降、京二の眼前に現れた幾つもの怪物に対し、京二は恐怖こそしたが驚愕はしなかった。それは、彼がこれまでの研究で得た知識の数々が人外の化物の存在を肯定したからだ。

しかし、今眼前に広がる異次元空間の元凶は、彼のあらゆるリテラシーを動員しても「現存する」という解答を得られない、著しい驚愕の対象であった。

「フフフ・・・・怖がることは無いよ。京二さん、貴方なら直ぐ理解できる」

「し・・・・したくないっ!」

「照れることはないよ。さ、京二さん・・・・マサキのもう一人の“兄”になってあげてよ」

「可愛がってね」

(逃げなきゃ駄目だ! 逃げなきゃ駄目だ! 逃げなきゃ駄目だ!)

ここにいては拙い。精神が汚染される。早急に退散せねば、自分が自分で無くなる。

恐怖が京二の心を支配しかけたそのとき、髪の長い影が、二人の妖人というか妖しい人の前に立ちはだかる。

「大丈夫です、京二さん。ナニがあろうと私が貴方を守ります」

瞬である。月明かりを受けた横顔は頼もしいが、しかし気のせいか口元が光っている様に見える。唇を舌で舐めたのだろう。京二も自分の唇が乾いているのに気付く。

「京二さんの貞操は私が死守します!」

「おいなんだそのて」

「転化・・・・変、身!」

サッサとポーズを決めると鬼瓦ベルトが出現して、瞬の身体が赤い光に包まれる。

抗議する様にあげた京二の声も完全に無視して、彼女の姿は鬼神へと変身していく。

「いや、瞬、ここは逃げるべきだ! あんたのその身体は・・・・」

「京二さんが心配するより鬼神は脆弱じゃありませんよ」

微笑んでいるのだろうか。仮面・・・・そう、仮面の様なその容貌からはうかがい知ることは出来ない。

「ふふ・・・・良いね。キミは京二さんに気遣ってもらえて」

「だけどもうすぐ、京二さんはボクらのものになる」

「気安くキョウジサンキョウジサン言うな」

「すいません」謝る鬼神。

「・・・・瞬じゃなくて」

白井、藤堂。二人から放たれる気配の妖しさの質が変わる。

ざわ・・・・

 ざわ・・・・

  ざわ・・・・

皮下組織のざわめき。無数に何かが蠢くかのような気配を放ち、二人はその姿を変える。

白井は河童、寧ろ半漁人というべきか。銀に輝く美しい鱗に被われた妖人。

藤堂は豪奢な黄金の毛を全身に生やす、猫のフォルムを持った妖人。

「水虎に雷獣・・・・水虎は水辺に生息する凶暴な半人半魚の妖怪。雷獣は稲妻を纏う虎に似た妖怪です」

スラスラと説明する鬼神に、白井は小ばかにしたようにパチパチと手を叩く。

「御明察。キミの異名の一つ、“赤い薀蓄”は本部でも有名だよ」

「褒めても術くらいしか出せない」

そう言って、指を弾く鬼神。火花が弾ける。

「焔飛燕!」

術名を叫ぶ鬼神。しかし・・・・

「・・・・?」

不発。

炎は起こらない。

(雨の日でもないのに?)

しかし術不発に鬼神は困惑するも狼狽せず、一瞬のインターバルさえ置かず次の行動に移る。

即座に、疾走開始。二人の妖人も、術が来ると思ったのだろう。防御結界を展開し、それ故隙が生じている。鬼神はそれを逃さない。

術のバリア=水流によって形成された円盤をかわして、殺到する鬼神。既に彼女は処刑執行官のごとく手刀を振り翳している。

「斬首拳!!」

「はああああ!」

しかし介錯の一撃に、閃光の様なハイキックで合わせてくる藤堂。

逆立った黄金の体毛と掌が交差した瞬間、青白い大きな火花が散って両者は弾かれる。

重心の崩れ始めた機を逃さず、追い討ちをかける白井。両手の爪が二の腕ほどに伸張し刃の輝きを帯びる。

「切り裂く!」

右は袈裟に、左は真下から掬い上げる様に、各々五つの軌跡を描く。

ガシィッ

「くぅっ」

「・・・・甘い」

しかし鬼神は早かった。十本の爪が生態装甲に到達するより早く彼女は左手と右足で白井の手首を抑える。そのまま白井を引き倒そうとする鬼神。

だが、眼前に舞った影が阻止する。

「迅雷脚!!」

電光を帯びた旋風脚が襲う。身を逸らそうとする鬼神だが、逆に白井に引っ張られ、避けることが出来ず、顔面に直撃を受ける。

グシャアッ

肉の潰れる音色。

「うわああああっ?!」

だが、叫ぶのは藤堂。

「マサキ!!」

その時白井はおぞましいものを見る。鬼神の、鋸を幾重に重ねた様な禍々しい形の顎が、藤堂の脛に噛み付いているのだ。

そして、鬼神は藤堂を咥えたまま頭を振り回し始める。

「ぬあっ!?」

宙を舞う藤堂で殴りつけられ吹き飛ばされる白井。やがて、遂に肉が噛み千切られ、慣性のままに藤堂も宙に投げ出される。

飛沫となって注ぐ血。空気が赤く揺れる。

「マサキ!」

何とか抱きとめる白井。即座に傷の具合に目をやる。

「大丈夫だよ・・・・兄さん」

軽症ではないが、藤堂の怪我は彼が言うとおり、深刻なものではなかった。厚い毛皮が幸いしたのだろう。皮と筋肉が薄く抉られただけだった。白井は呪力を介して傷口周辺の血しょう成分を操作し、応急に傷を塞ぐ。

「く・・・・よくもマサキの可愛い足を」

半漁の容貌を怒りに歪める白井。

しかし鬼神は全く意識に介さず、更なる打撃の為にやってくる。

迎え撃つ白井。大気を灼熱させる唸りを上げて鬼神の拳が繰り出される。

白井は爪の十字交差でこれを防ぐと、口内に呪力を集中し、放つ。

「カァァァァァァ!!」

水流が激烈な勢いで迸り、鬼神の髪の幾束かが千切れて飛ぶ。合金すら両断する威力を持った呪力のウォーターカッターだ。だが鬼神は怯まない。不意に屈む鬼神。

「落ちろ!!」

地を削り取る様な、超低空を裂くローキック。

白井は反応し、ジャンプしてそれを避ける。だが、ローはフェイントに過ぎない。

弧を描く軌道の半ばで急制動した鬼神の脚は、一瞬で上空へと侵攻しハイキックへと変化する。

「くぅっ」

パキィィン

咄嗟に右手の爪で受ける白井だが、二度の衝撃に耐えかね涼やかな音を発し半ばより折れ砕けてしまう。更に高々と振り上げられる鬼神の踵。

「沈め!」

死に神の幻覚。一瞬、鎌を翳す黒衣のしゃれこうべを白井は見る。

ハイキックから更に踵落とし。白井に音の壁すら撃ち抜く様な一撃をしのぐ術は無い。

バシッィッ

だが、白井の頭蓋が砕かれる事は無かった。彼の背後に駆けつけた藤堂の交差した両腕が、痛々しい軋みを上げながらもデスサイズが振り下ろされるのを防いでいるのだ。

「兄さん!」

「ああ!」

僅かな言葉での相互理解。白井は呪力を拳に集め、バレーボール大の水塊を造り出す。

「鋼球水(はがだまのみず)!」

水塊は白井の拳よりはなれ直後、逆袈裟に弧を描き鬼神に襲い掛かる。

超高圧水よりなる、いわばモルゲンステルン。打ち据えられれば、皮膚は裂け、骨は砕けること請け合いの凶悪な一撃だ。

だが、猛スピードで旋回するその一撃さえ鬼神には届かない。再度撃ち込んだ踵落としで骨が砕ける音が響き、反動で宙へと逃れる。

「錐雨(きりさめ)!」

「雷錨(いずちなえ)!」

二人の妖人も怯みを見せず呪術で対空迎撃する。

輝く電光と、水晶の様に煌く水が、幾重の針の層と帯を成して鬼神に注がれる。

「鏡夜明(かがみよあかり)!!」

咄嗟に防御術法を展開しようとする鬼神だが。

「えっ?!」

光の盾は現れない。何も阻むものが無い針の雨は、そのまま鬼神に降り注ぐ。

バリバリバリ!

青白く辺りを照らしてスパークが起きる。

(・・・・これは・・・・)

全身が痺れているがそれは問題なかった。ダメージ自体は思ったより大きくない。問題なのは、何故、術が発動しなかった、だ。一度ならず、二度も続けばただのポカや偶然では無い。考えられる要因は一つだ・・・・耳障りな甲高い鼠の笑い声と「魔法使いの弟子」のテーマソングが聞こえた様な気がする。

「くそっ」

尚、このあまり上品とは言えない罵りは白井のもの。

「ラスボスかよ・・・・」

鬼神は感電し、痺れている様ではあったが、決定打どころか掠り傷程度しか傷を付けることが出来ていなかった。

「マサキ、大丈夫か?」

それよりも、今は藤堂のことが心配だった。

「うん・・・・兄さん」

弱々しく答える藤堂。力なく垂れ下がる両腕は、既に腫れ始めている。

「痛っ・・・・」

「すこしガマンしろ」

白井は藤堂の左腕を取り、折れた前腕部にキスをする様に静かに唇を近づける。

「活水(いかしみず)」

先程の応急処置とは異なる一段強力な治癒呪術。水が内在する生命の根源的エネルギーを励起することで、細胞の自己修復能力を高める。即座に骨格、筋組織の修復が終わり、白井の左腕は元に戻る。更に右腕にも同様の処置を施す。

「マサキ・・・・痛くないか? ちゃんと動くか?」

「ウン! 大丈夫だよ。ありがと、兄さん」

そう言って、グーパーしたり空手の型をやって見せたりする藤堂。

白井はそれを見て安堵の微笑を浮かべると、その鋭い眼差しを鬼神に向ける。

「接近戦では勝てないな」

「うん。でも兄さん、勝機はあるよね」

「ああ。でなけりゃ逃げてるよ。・・・・・奴は今、術攻撃が出来ない」

「反呪詛弾・・・・かな?」

「御明察、マサキ。あの頭でっかちのネズ公も、最期にマシなことをしてくれた。勝てるぞ・・・・この戦い」

「京二さんが・・・・ボクらのものに!」

息を上げる白井と藤堂。

「マサキ! 征くぞ!!」

「うん! 兄さん!!」

二人の妖人は再び侵攻を始める。

白井は胸の前で両手を交差させ、呪力を高め始める。しかし鬼神はそれを阻止しようともしない。彼女にとっては、電撃にせよ水撃にせよ、これまでの程度ならば許容の範疇なのだ。

「白夢(しらゆめ)・・・・・」

白井の両の拳から霧が噴き出す。真っ白な濃密な霧だ。それは幾重にも帯を成し、やがて乳白色で辺りを閉ざしてしまう。

(眼を晦ませるつもり・・・・?)

それが意図ならば甘いと言わざるを得ない、と鬼神は考える。

彼女の大きな複眼が敵を見通すのに、霧程度では何の障害にもならないのだから。

(少し・・・・ぼやけてる)

だが、例によって反呪詛の影響からか感度が低下している。問題ない範囲だが、全体のディテールが滲んだようになっている。

「行くぞ鬼神!」

霧中のエネルギーが高まっていく。来る、そう判断すると同時に横飛びに回避運動。槍の様な稲妻が寸前まで彼女が立っていた場所を爆発させる。

(・・・・)

強力な電撃だが彼女は戦慄しない。続いて襲い掛かる水の刃も軽々と避ける。

更に数度、二人の妖人は絶妙なタイミングでコンビネーションを仕掛けてくるが、鬼神は確実に見切り、紙四枚の差の余裕を持ってかわしていく。

いくら大技を使おうが、発車までの“溜”が長く、直線的にしか飛んでこないのでは、コンビネーションを使おうが彼女には意味を成さないのだ。

最早、黒畑と同じである。一気に間合いを詰めて接近戦で倒す。

そう、判断すると同時に彼女は肩鎧を外して手に握る。

(・・・・忘れてた。コレの説明)

要撃を掛ける鬼神。先ずは補給線の白井を断つ。

白霧を突き破り、白井の眼前に押し迫る。身を屈める鬼神。だから藤堂の放とうとした電撃は意味を成さない。迸った稲妻の槍は虚しく空を切っていく。だが・・・・

バシィィィッ!!

意識が寸断する強烈な衝撃が鬼神を襲う。脳天から身体の芯を貫かれた様な衝撃に、感覚が全身から消し飛び、視界が白く暗転する。

(な・・・・何故?!)

高い音を立てて、肩鎧が手から滑り落ちる。

間違いなく避けた筈の雷に打ち据えられ、困惑する鬼神。

「いい様だ。鬼神」

白井の嘲笑う声が響く。霧の中で彼が放つ呪力の波動が猛烈に高まっているのが判る。

「死ねよ・・・・」

“陽食北家流 壬式戦呪術(みずのえしきいくさのまじない)奥義”

「柔絶(やわらたち)!!」

非物質界に蓄えられた莫大な呪術作用が解き放たれ、それは凄まじい水流の束となって鬼神に襲い掛かる。なんとか避けようと、凄まじい精神力を持ってその射線から身を逸らす鬼神だが、怒涛が行過ぎる瞬間に不可視の一撃を全身に受け、彼女はその身体を宙に舞わせる。

「マサキ!」

「OK! 纏夜行(まといやこう)!!」

更に藤堂が何かの術を行使し、霧中に電気が走ると、猪突猛進して行った筈の白井の術が旋回して舞い戻り、鬼神を激流の中に飲み込む。

「うああああああっ!!」

大技に、超必殺技の二連撃。彼女の身体諸機能の状態を媒介変数で表せるとしたら、バイタリティの値は間違いなく三割を切り、赤表示になっているだろう。

グシャアとアスファルトに沈む鬼神。

「瞬! 大丈夫なのか瞬!!」

駆けて来る足音と、京二の声。

「だ・・・・大丈夫です・・・・だから、来ないで下さい」

全身の力を、声を発する1点に絞り、静止を請う。

「フフ、気丈だね鬼神」

「だが・・・・最早お前は俺たちの檻の中」

「術も使えず、兄さんの奥義を喰らってキミは満身創痍・・・・・」

「ハハ・・・・絶体絶命って奴だな」

嘲る二つの声が交互に響く。

直線にしか飛ばない筈の彼らの術が、何故、追尾したのか、鬼神にはそのカラクリが徐々に判って来た。

「霧の濃淡と、粒子の運動を利用した“経路”。それに帯電状態を利用した静電誘導。それが手品の種明かしね・・・・」

更に、霧をあたかも眼晦ましのように見せかけ、また先に数度、直線的な攻撃を行う事で『追尾しない』と思い込ませたのだ。

「御明察。フフ・・・・オカルティックなものばかり見ていたのが仇となったな。小学校の頃、理科の授業でやらなかったか? 擦った下敷きを水道の水に近づけるやつ」

「・・・・」

「だが種が割れた所で・・・・あんたになす術はない! 行くぞ、マサキ」

「うん! 兄さん!!」

「嬲ってやるぜぇ」

霧の中を縦横無尽に気配が駆け始める。

攻撃が来る。水の奔流と、雷の矢が。

生態装甲が無数に切り裂かれ、神経系に過負荷がかけられる。最早、形成は逆転した。大きなダメージを受けた鬼神の動きは鈍く、予め『追尾攻撃が来る』と判っていても避け果せることが出来ず、次々とダメージを受けていく。

「ハハハハ!! 愉快、愉快! 京二さん、待っててね! もう直ぐ迎えに行くから!」

「瞬! 瞬!!」

「大丈夫だよ京二さん・・・・彼女が死んだら火葬はボクがしてあげるから♪」

二人の妖人と、京二の声が交錯する。

危うく倒れそうになった鬼神は、その声に持ち直す。

「大丈夫ですよ・・・・京二さん・・・・心配しなくても。私は不死身ですから」

状況は彼女の言葉に正比例してはいない。だが、その声の響には、確かな自信を聞いてとることが出来た。白井はそれが気に障ったのか声を荒げる。

「ハ! 攻撃も出来ないくせに良く言う! いいぜ・・・・なら、首を跳ねてくびり殺しても大丈夫か試してやる!!」

(・・・・油断していた)

彼ら二人を甘く見すぎた。侮りこそ敗北の大きな一因にも拘らず、それを忘れていた。

舞い上がっていたのかもしれない。好い所を見せようとしすぎた。

万全でもないコンディションで妖人二人となど戦おうとせず、京二の言うように撤退を優先するべきだった。

(ツケを支払わなくちゃ)

彼女は覚悟を決める。

“陽食北家流 壬式戦呪術 奥義”

宙より湧き出す水が呪力によって白刃へと鍛え上げられていく。

「巌割(いわおわり)!!」

投げ放たれる水流の飛剣。鬼神は、最早避けようとせず交差した腕でそれを受ける。

パシャアッ

・・・・ボトリ

刃が飛沫になって散り、何かが落下する。

「っ・・・・・!!」

ともすれば漏れ出そうになる叫びを堪える瞬。

霧に赤いものが混じり、徐々に乳白色から薄紅へ染まっていく。

血が噴き出しているのだ。

彼女の左の肘から。その先に二の腕は無く、代わりに鮮血が花を咲かせている。

「フン・・・・未だ、生きてたか。往生際が悪いな」

「ガマンしても痛いだけだよ? スッパリ諦めた方が良かったんじゃない? 切断、だけにスッパリさ」

「抗うならそれも面白い。せいぜい無駄な足掻きを見せてもらう」

「達磨にしてあげるのも屈辱的でいいかもね」

「・・・・もう、プレゼントはあげないわ」

荒い息を吐きながら鬼神は二人の妖人の台詞を切って棄てる。

「これ以上何が出来る! 鬼神! さあ!! 次は脚だ! 命乞いをしろぉぉ!!」

呪力の構築が始まる。

「・・・・ふう」

足元に落ちている左腕を徐に拾い上げる鬼神。

「行くぞぉ!」

「・・・・でもこれは」

“陽食北家流 壬式戦ま・・・・・

振り被り、投げる。

「!!」

「兄さん!!」

「あなたのものよ」

ドス

鈍い音が響く。

「・・・・!」

心臓の潰れる音と、地面に倒れる音が響いたが、悲鳴は響かなかった。





霧が晴れていく。

「マサキ・・・・マサキ!!」

白井の悲痛な叫び。集中力が途切れ、術の効果が消えたのだろう。

「それは・・・・獅子を兎と勘違いした貴方たちの報い。それは・・・・戦いを狩と間違えた貴方たちの、払うべき代償」

霧が完全に消える。其処には、力なく崩れた藤堂を抱き支え、必死に少年の名を呼び続ける白井の姿があった。

「マサキ・・・・そんな・・・・マサキ!」

「に・・・・さ・・・・・」

「喋るな! 今、直してやるから・・・・」

藤堂の胸には、一本の赤い杭が突き立っていた。それは、白井の術によって切り落とされた鬼神の左腕だ。鬼神の剛力を以って投げ放たれたそれは、藤堂の金の毛に覆われた生態装甲を撃ち貫き、強化骨格の肋骨を折り砕いて彼の心臓に手刀を突き刺したのだ。

「活水(いかしみず)!」

接吻とともに送り込まれる治癒の呪力だが、しかしそれはさしたる効力を発揮せず消え去ってしまう。

「治療は・・・・出来ない。反呪詛に侵された私の左腕が治癒の術を阻害してるから。でも、腕を抜けば・・・・血が噴き出して、彼は死ぬ。・・・・貴方を庇ったから」

鬼神は淡々と宣告する。

そう・・・・先ほど彼女が狙ったのは白井だった。だが、結果として藤堂が自らの身体を盾にすることで、自身を犠牲にしたのだ。

「そんな・・・・嫌だ・・・・マサキ・・・・」

「ごめんね・・・・にいさん・・・・」

白井の細長い目の淵から涙が大粒で溢れ出る。

「頼む・・・・助けてくれ・・・・俺はどうなってもいいから・・・・マサキを・・・・マサキだけでも・・・・助けてやってくれ!」

取り乱し懇願する白井。つい先程まで、残酷な手段を持って殺そうとした相手にさえ形振り構わず助命嘆願する彼の必死さに心打たれるものを感じる鬼神だが、しかし頭を左右に振り絶望を与えることで応える。

「御免なさい」

或は偽善。或は傲慢。しかし、彼女はこの言葉を発するしかない。

「そんな・・・・・」

「御免なさい・・・・私が出来るのは殺すことだけ。彼を助けることは私には出来ない。でも悲しまないで。彼は寂しくなんか無い。あなたも直ぐ、同じ場所にいけるから」

「貴様ぁぁぁ!!」

白井の怒りはある意味理不尽なもの。しかし、瞬は知っている。「人間」が理屈だけで生きている訳ではない事を。だからこそ、望まずとも殺し合いをしなければならないことも。

「に・・・・・さ・・・・・・」

擦れた声が響く。藤堂の声。

「マサキ!!」

「ご・・・・ごめん・・ね・・・に・・・・げて」

それは断末魔ではない。先に逝く者が、残して生く者を心より案ずる優しい音色。

「離れなさい! 白井修!!」

鋭く警告し、後方に跳躍する鬼神。

藤堂の身体が光の筋を放ち始める。生体機能が停止した事により、体組織に呪力によって組み込まれた妖怪のエネルギーが解放され、物理的作用として最も単純な熱運動として現出し始めたのだ。そして、瞬間的に発生した莫大な熱運動は・・・・

「マサキィィィィィィィ!!」

ドカァァァァァァァァン

爆発と言う形をとって、膨れ上がった炎の姿で姿を現す。

荒れ狂う火の中に消える二人の妖人。

「瞬! 大丈夫じゃねえだろお前!!」

駆けてくる京二。しかし、鬼神は炎を前に変身を解かず、彼を制止する。

「未だ、いらっしゃらないで下さい」

「?」

「彼は未だ死んでいません。これから止めを刺します」

グァオオオオオオオ!!

形容し難い、強いて挙げれば「化物」の咆哮が鳴り響き、炎が千切れ飛んでそれは、その異形を現す。もはやそれは白井ではなく、“水虎”そのもの。獰猛な水棲肉食獣へとその姿を歪ませていた。

「何故だァァ・・・・何故奪うゥゥゥ」

慟哭か、地獄の怨嗟か。

「何故貴様らは奪っていくゥゥ? 何故貴様らは俺達の大切なものを何もかも奪い取っていくんだァァ? 鬼ィィ神ンン!!」

「貴様らがその言葉を吐くか!! 化物!! お前たちが!!」

激昂する京二。何様のつもりなのだ。下らない事の為に命を平気で犠牲にする奴らが。

「奪われたのは俺たちが先だァァ・・・・故郷も・・・・家族も・・・・誇りも! 貴様らが! 大和の民・・・・貴様らが先に奪ったんだァァ!!」

「な?!」

「だから・・・・生きるために! 俺たちは『奪い返して』いるだけだァァ!! それなのに・・・・何故、貴様らはまた奪おうとする?! 何故、何もかも貴様らは奪い取っていくんだ・・・・鬼神!!」

膨大な質量の水が発生し、それが“水虎”を覆い、やがて巨大な怪魚の姿となる。

「敵だからよ・・・・」

巨大な顎を解き放ち、猛る牙を剥いて襲い来る“水虎”。

迎え撃つ鬼神。

(解・・・・放!!)

髪が赤く染まり逆立っていく。“鬼神”の本質的なエネルギーの解放。

それは自らの内部に穿たれた“穴”を押し広げるイメージ。

「あああああああああああああああっ!!!!」

咆える鬼神。自身の奥深い場所から湧き上がってくる莫大なエネルギーとそれが伴う兇悪な破壊的衝動。或は性的快楽に似たその力の塊を彼女は意思の力を持って抑え付け、捻じ伏せ望む方向へと指向させる。

「くはぁぁぁっ!!!」

両足に漲る力。踏み下ろすと同時に、アスファルトが爆発したかのように爆ぜる。直後、鬼神は“水虎”の真上に出現する。

突き出した右足が燃える様に赤く輝いている。

「しょぉぉぉぉぉぶっ!!」

“水虎”もまた全身全霊を解き放って鬼神に向かう。

高速で急降下を始める鬼神。靡いた髪が夜空に赤い軌跡を残し、空気の壁が貫かれた凄まじい爆音が連続する。

「夜猟ォォォ襲ゥゥゥゥキィィィィィック!!!」

「おおおおおおおおおおッッッ!!!!」



ド・・・・・・



怪魚が弾け、蒸気が巻き起こる。

「ぐ・・・・がほっ・・・・・」

鬼神の踵が、左肩から突き刺さり腹まで引き裂いている。

「黄泉で・・・・愛するものと会いなさい・・・・」

「マサキ・・・・す・・・・まん」

白井修・・・・常人が窺い知ることが出来ぬ愛に生きた漢は、明けの近いに炎となって散華した。

(・・・・落天宗、陰陽寮・・・・鬼神、化物・・・・一体・・・・・)

しかし、その爆風は、京二の心に生じた疑念の暗雲を吹き飛ばすことはなかった。



「また花火」

金髪を爆風にそよがせながら、歌う様に呟く。

「見せてもらったよ鬼神・・・・キミの力」

メモを閉じ、ポケットにしまう。そして鳴り響く携帯電話の着信音。

『やあ、首尾はどうだい?』

「司令・・・・ええ、見せてもらいました。まあ、大丈夫でしょう」

『うん。期待しているよ、ネクロドラグーン』

「良い実験結果を楽しみにしていて下さい、司令」

高天アベルは、そう自信に満ちた声で告げた。







































次回予告

仮面ライダーヴァリアント外伝

仮面ライダー鬼神・中編 「天魔」

「元凶がどちらにあるにせよ許せないことはある・・・・だけどはっきりさせておこう」

「私はそう呼ばれるような人間じゃありません」

「また会いましたね。伊万里京二さん。神野江瞬さん」

「京二さん!! 京二さん!!」

「作戦名『黄泉孵り』・・・・実行まであと僅か」

「頭で考えるんじゃなく・・・・心で思う」

「これは命令だ。神野江」








後記

ビジター1のうっかりマンこと邑崎九朗(ムラサキクロ)です。

むはぁ・・・・もとは大長編1話のみで完結する予定だったのですが、私目の腕が屁垂れなため、三話分割(の予定)になってしまいました。その上、内容はスカスカ。もう、半分以上バトルしかやってません。・・・・・う〜むやはり小説は難しいです。

一応、解説しておきますと、この仮面ライダー鬼神、去年の十一月ごろセラフの絵をお絵描き掲示板に投稿した際、「日本に来ているのだから和風オカルトライダーなどどうか」等と口走ったのが由来でして、その後お遊びの絵として超人大戦やらガンダムファイトを意識して描いた「劇場版」で形となり、更に他のビジターの方々の影響や後押しによって執筆開始とあいなりました。

ぬう・・・・読み直してみたら、瞬がなんかキャラクターが良く判らないし、阿吽雷雲の二人がヤ○イであるという設定が活かしきれていませんし・・・・次回以降の課題、ですかねぇ・・・・

「仮面の世界」に戻る

inserted by FC2 system