トップの言葉


「ドードー鳥の巣の上で」が生まれ変わったんだ!
ピクニックだ!
ご飯だけでもおいしいわ。
出典:R・田中一郎(究極超人あ〜る「芸を見せよう」より)
 サイト再開時にトップページに飾っていた言葉。出典元の「あ〜る」では、「ドードー〜」の部分は「春高光画部」。このマンガは全編パロディだらけですが、このセリフも連載当時の某コンビニのおにぎりのCMのパロディだった・・・らしいです。「CMネタはすぐ風化するぞ」と鳥坂センパイが言っているそばから風化しました。

殺す殺すって気安く言わないでよ! 子供が見てるでしょうが!!
出典:ルル(映画「クレヨンしんちゃん ブリブリ王国の秘宝」より)
 チャイナドレス姿も艶やかなブリブリ王国王宮親衛隊随一の女隊員、ルル少佐のセリフ。悪の組織ホワイトスネーク団の幹部ミスター・ハブに、この叫びとともに怒りの一撃を食らわせました。子供に見せたくないアニメナンバー1に選ばれてしまったクレしんですが、こういうセリフもあるんですよお母様方。ルルは初期劇場版のキャラでも好きなキャラなのですが、最近見直して声を紗ゆりさんが当てていたことを知りました。ちなみに彼女、本名は「ルル・ル・ルル」といいます。

私は見た! あれはたしかに戦前の生き物だ!!
出典:柳昇校長(究極超人あ〜る「間宮善三郎出現の巻」その1より)
 3話にわたって展開された一大ゴジラパロディ「間宮善三郎出現の巻」より、校長先生のセリフです。元ネタは言わずと知れた山根博士のゴジラ初目撃後のセリフ。このセリフはパトレイバー初期OVA「四億五千万年の罠」でもシゲさんが「私は見た! あれはまぎれもなく・・・」という具合に引用していました。そのあと彼は手作りの水中酸素破壊剤(中身はドライアイス)を手に、東京湾の怪物退治に乗り出すのですが・・・。

私の命と地球一つ。なかなか分のいい賭けじゃないか。
出典:フィラ(恐竜惑星「巨人ドンの命」より
 「天才てれびくん」内で放送されたアニメ、いわゆる「バーチャル三部作」の第一作として見事にその役目を果たした傑作アニメ「恐竜惑星」から、巨大彗星を破壊するため自ら特攻を発案するフィラのセリフです。個人的にはギラグールの連中がキャラとしては一押しなのですが、フィラ、ピラル、ナオーのフォロルトリオももちろん大好きです。素直にかっこいいと思える名台詞ですね。

「私は仮面ライダー。君は?」
 「仮面ライダー アギト!」
出典:仮面ライダー1号&仮面ライダーアギト(ゲーム「仮面ライダー 正義の系譜」より)
 PS2のゲーム「仮面ライダー 正義の系譜」より、時空を超越する通信機で仮面ライダー1号とアギトが互いに自己紹介をする場面のセリフです。TV本編ではついに「仮面ライダー」とは名乗らなかったアギトが仮面ライダーを名乗った記念すべき場面ですね。ちなみに翔一は1号達過去のライダーも、「過去にいたアギトの力をもつ人」というふうに思っていたようですが・・・。まぁ、「人間の自由を守って戦う戦士」でさえあれば、改造人間だろうとアギトだろうと「仮面ライダー」であることには変わりないでしょう。

現代ほど老人にとって孤独な時代はなかったかもしれないな
出典:的矢所長(「怪奇大作戦」第7話「青い血の女」より)
 「怪奇大作戦」DVD発売開始記念ということで掲げた「青い血の女」ラストでのSRI(科学捜査研究所)の的矢所長のセリフ。子供が自立し孤独になった老科学者が、寂しさをまぎらわすために作り出した人形が起こした連続殺人事件の解決後言ったセリフがこれです。昭和43年の作品でありながら都市化の弊害や交通戦争、さらには無差別快楽殺人や精神異常者による犯罪など、現代にも通じる社会の暗部を鋭く抉り出す本シリーズですが、これもまた現代の高齢化社会を予見しているようで背筋が寒くなります。この時代にこんなこと言われたら、今の時代はどうだというんでしょうか。

唯は、唯として生き続けることを望むか
出典:スネーカー(「ジーンダイバー」最終回「人類の未来をかけて」より)
 「バーチャル三部作」二作目にして、シリーズ最高傑作の呼び声も高い「ジーンダイバー」DVD−BOX発売記念ということで掲げたセリフ。地球生命の進化に介入し、人類が誕生するように進化に影響を与えてきた進化への介入者「スネーカー」のセリフです。「この宇宙を作り出す条件を決定し、進化させ、継承する、無機知性体として対象化されうる、すべての「それ」」であるコンピュータ知性体スネーカー(神とは本質的に異なる存在らしいです)は主人公である唯に、自分自身の体と心をもつけれど限りある生命しかもたない有機生命体として生きるか、無機生命体の内部で情報生命体として永遠に生きるかの選択の問いかけをこのように切り出しました。この場面でスネーカーの語る言葉はかなり難解で、今聞いても完全には理解しきれないのですが、「それ」とやりとりし最終的に「価値ある選択」をした唯は本当にすごいです。この場面に至るまでの展開は、とても大雑把に説明できるものではありません。皆様もぜひ、自分の目でご覧になってください・・・。

かわいそうに、あの男はすでに7年前に殺されていたんだ。
・・・いや、7年の間、氷の死刑台で殺され続けていたんだ。
狂った死刑執行人達によって・・・。
そしてそれが、今終わったんだ・・・。

出典:牧史郎(「怪奇大作戦」第13話「氷の死刑台」より)
 「怪奇大作戦」DVD第3巻発売ということで、この巻に収録された話の中から「氷の死刑台」での岸田森演じる牧史郎のセリフをチョイス。ある夜に見つかった、凍傷の痕のある変死体。その事件の犯人は、7年前人体の冷凍保存を研究している科学者によって誘い出され、その人体実験に利用された結果冷凍人間となったある男でした。冷凍人間がかつての自宅前にやってくることを突き止めた警察とSRIはこれをまちぶせしますが、銃弾も通じない冷凍人間に的矢所長は最後の手段の使用を牧に命令。用意しておいた熱線照射装置サンビーム500の熱線を浴びてたちまちのうちに炎上、溶けていった冷凍人間の最期を見届けた牧は、静かにこう述懐します。自分が冷凍人間となったことさえはっきりとは自覚せず、夜の街をさまよい歩く冷凍人間の姿は、狂った科学の犠牲者と呼ぶにはあまりにも悲しいものでした。

この世には不思議なことなど何もないのだよ
出典:中禅寺秋彦(「姑獲鳥の夏」(作:京極夏彦)より)
 管理人がはまっている京極夏彦氏作の、妖怪の名をタイトルに冠した一連の作品(「妖怪シリーズ」というのでしょうか?)より、その主人公格である「憑物落とし」、京極堂こと中禅寺秋彦のセリフです。第1作の「姑獲鳥の夏」に限らず、これは京極堂の決め台詞ともいうべきもので、その後の作品にも何度も登場します。どういう意味かというと、世の中では起こるべきことしか起こらないし、起こらないものは起こらない。つまり、いつ何が起ころうと当たり前だし、何も起こらなくても当たり前。それを不思議と思うか思わないかは、それに出くわした個人の日常と非日常の線引きにすぎない、ということです。この言葉を実証するかのように、毎回物語のクライマックスで京極堂は、それまでなにがなんだかわからないほど混乱した不可解な事件同士のつながりを見事なまでに明らかにし、それぞれの事件に関わった人々の心に巣食う「憑物」を落とします。妖怪好きの私はすっかりこのシリーズの魅力に「取り憑かれ」、とりあえず、「狂骨の夢」までは読破しました。私の憑物は、当分落ちそうにありませんね・・・。

まじめで・・・おとなしくて・・・イタチのようにおどおどした目のこの男が・・・どうして・・・?
出典:牧史郎(「怪奇大作戦」第16話「かまいたち」より)
 毎月恒例「怪奇大作戦」DVD発売記念名台詞。今回は4巻収録の「かまいたち」から、やはりラストでの牧のセリフをチョイス。ある橋の上で発見された、女のバラバラ死体。警察は痴情の線から捜査を行うが、それを打ち砕くように同じ手口の第2の殺人が行われる。居合わせた警官の証言や検死の結果などから的矢所長の推測した「かまいたち」という現象から、牧は何者かが人工的に強力なかまいたちを起こして殺人を犯していると考え、捜査を始める。手がかりを求めるSRIは現場近くを行きかう人々を手当たり次第に撮影して検証を始めるが、その中の一人の男の笑ったような目に、牧は直感的に疑念を抱く。町工場に勤めるごく普通の青年である小野という名のその男をマークする牧は、留守中に忍び込んだ彼の部屋の日記が事件当日だけ空白になっていることを知り、さらに疑惑を深める。そして、第3の殺人未遂事件を経て、ついにSRIは犯人を罠にかける。罠にかかったのは、やはり小野だった。彼は人工的に真空状態を作り出して人間を切断する真空切断装置を使って、女ばかりを狙った無差別殺人を繰り返していたのだ。警察に逮捕され、取調べを受ける小野。しかし彼は、動機についてもなにも語ろうとはせず、ただおどおどした目を浮かべるばかり・・・。
 昭和43年作品でありながら、現代にも通じる人間や社会の心の闇を描くこのシリーズ。「かまいたち」で描かれたのは、今日にも通じる「動機なき殺人」とも言うべきものでした。平凡で真面目でおとなしい、どこにでもいる普通の青年が犯した猟奇犯罪。しかし、なぜ彼がそんな行為に及んだのか、なんら説明されることはなく、ただ彼のおどおどした目だけを映しながら、ドラマは終わります。牧ならずとも、「どうして」と思いたくなるでしょう。
 京極夏彦氏の「魍魎の匣」の中で、中禅寺秋彦が犯罪の動機というものについて語る場面があります。一部を引用しますと、「そう、動機とは世間を納得させるためにあるだけのものに過ぎない。犯罪など、こと殺人などは遍く痙攣的なものなんだ。真実しやかにありがちな動機を並べ立てて、したり顔で犯罪に解説を加えるような行為は愚かなことだ。それがありがちであればある程犯罪は信憑性を増し、深刻であればある程世間は納得する。そんなものは幻想にしか過ぎない。世間の人間は、犯罪者は特殊な環境の中でこそ、特殊な精神状態でこそ、その非道な行いをなし得たのだと、何としても思いたいのだ。つまり犯罪を自分達の日常から切り離して、犯罪者を非日常の世界へと追い遣ってしまいたいのだ」と言っています。人間を犯罪へと駆り立てるものは常に誰の内にも存在しており、その人間にそれが可能で、なおかつそれを犯してもかまわないと思わせるような状況(「通り物」と表現)が訪れたとき、人は誰でも犯罪者となる可能性がある。そこに至るまでの理由は犯罪者当人にとっても説明のつくようなものではなく、動機とは犯罪者と世間とが折り合いをつけるために便宜的に作り出すものでしかない、ということです。あるいは小野の凶行も、同じようなものだったのかもわかりません。田舎から上京してきた、ごく普通の青年であるはずだった彼がいきあってしまったものとは、はたしてなんだったのでしょう・・・。

野比のび太は三十分後に首をつる。四十分後には火あぶりになる。
出典:ドラえもん(てんとう虫コミックス「ドラえもん」第1巻「未来の国からはるばると」より)
 仮にもドラえもんサイトでありながら、今まで一度もドラえもんを出典とした言葉をトップに掲げていなかったことにいまさら気がつき掲げた言葉。ドラえもんファンの方ならもはや説明の必要もないでしょうが、「いやあ、ろくなことがないね」という言葉に続くこの言葉が、記念すべきドラえもんの第一声です。それにしても、とてもマンガの主人公、それも、のび太を助けるために未来からやってきたネコ型ロボットの最初のセリフとは思えないようなひどいことを言っています。誰もが今年こそはいい年になりますようにと願いながら、のんびりと過ごしているお正月。そんな希望に満ちたひととき、寝転がってお餅を食べながら何気なくそんな願いを口にしたら、どこからともなく首を吊るだの火あぶりになるだの、縁起でもないことを言う声が・・・。驚いてあたりを見回すと、いきなり机の引き出しが開いて、青い狸のようなダルマのような変な物体が中から現れ、混乱に拍車がかかっているところにさらに「きみは年をとって死ぬまで、ろくなめにあわないのだ」と、にこやかな表情でおそるべき宣告をしてくる・・・。元旦早々、縁起でもありません。一応、彼の言葉はのび太に待ち受ける悲惨な未来を否が応にも理解させるものだったわけですが、それにしてもこれは・・・。そしてこの日以来、どこにでもある普通の町であった東京都練馬区ススキヶ原は、この未来から訪れた青い来訪者とダメ少年が巻き起こす数々の騒動によって、非日常の代名詞ともいうべき世界へと変貌していくのです・・・。
 考えてみれば、あのウルトラマンと我々地球人とのファーストコンタクトにしても、ベムラーを追ってきたウルトラマンが過って科特隊のビートルに激突し、乗っていたハヤタを死なせてしまったという最悪のものでした。偉大な存在とのファーストコンタクトというものが最悪なものになってしまうのは、もしかしたら往々にしてあることなのかも・・・?

買ってしまいたいんです。仏像の美しさのわからない人たちから………京の都を
出典:須藤美弥子(「怪奇大作戦」第25話「京都買います」より)
 祝・怪奇大作戦DVD全巻リリース! ということで、名作揃いの最終巻・第6巻収録の作品の中でも、シリーズ最高傑作の呼び声も高い「京都買います」より、須藤美弥子のセリフを掲げました。
 京都で連続する仏像消失事件の調査を依頼され、京都を訪れたSRI。消えた仏像の鑑定を行っていた藤森教授の研究室を訪ねた牧は、教授の助手で仏像の美しさに心を奪われた女・須藤美弥子と出会う。その後、さおりに連れられて訪れたゴーゴー喫茶で、牧は若者達に「京都の町を売ってください」と呼びかけながらビラを配る美弥子の姿を目撃する。そのあとを追ってその真意を尋ねた牧に、美弥子は上のように答えた。そんな美弥子にどこか心惹かれ、彼女とともに京都の町を散策する牧。美弥子もまた、牧に心惹かれるものを感じていた。やがて再び発生する仏像消失事件。SRIは現場で発見した装置から、物体を電送するカドニウム光線が使用された可能性に気づく。美弥子が事件に関係していると感じた牧は彼女に問い詰めるが、彼女は彼の下から去っていった。そしてその後、牧は美弥子が寺にカドニウム光線の発信器を取り付けるのを目撃し、それを持って警察に赴く。その夜、とある場所で僧侶達とともに電送されてきた仏像を迎える藤森教授と美弥子。しかし、そこに警官隊が踏み込んでくる。その中に牧の姿を認め、愕然とする美弥子。藤森教授は粛々と縄についた。逃げる美弥子のあとを追う牧。しかし「仏像以外のものを信じようとした私が間違っていた」という言葉とともに去る美弥子を、牧は止められなかった。事件後、美弥子の姿を追い求めて京の町をさまよう牧。やがて、ふらりと訪れた寺で、彼は一人の尼僧と出会うが・・・。
 寺、仏像、雲水、鐘の音、そして、全体を通して流される叙情的なメロディーのギター曲「魔笛の主題による変奏曲」・・・。歴史と文化ある町、京都を舞台として、物語はあくまで静かに進んでゆきます。特撮はほとんど使われておらず、カドニウム光線による仏像の電送シーンのみです。そのため、これが特撮作品である意味はともすれば失われそうですが、そんなことが気にならないほどの魅力がこの物語にはあります。私は仏像にはそれほど興味はないのですが、神社仏閣を訪れると、非常に心が落ち着きます。都市化を憂い、仏像たちが住むにふさわしい国を作りたいという美弥子の思いには、誰もが共感できるものがあるでしょう。いずれ京都を訪れて、ロケ地となった場所を巡ってみたいと思っています。

最高級フランスケーキ!!
出典:野比のび太(「ドラえもん」てんとうむしコミックス第4巻「ラッキーガン」より)
 しばらくトップの言葉を更新していないなぁと思い、よく考えもせずに掲げた言葉。その割には、けっこう長い間掲げられていました。
 言葉だけではいつにもましてわけがわからないでしょうから解説いたしますと、これはしずかちゃんと一緒に食べるために「最高級フランスケーキ」をとっておいたものの、静香ちゃんは急用で来られなくなったものの、仕方なく一人で食べることにしたときのセリフです。とあるサイトで、グルメ漫画ではないにもかかわらず、作中に妙に登場するおいしそうな食べ物や食べっぷりの描写を紹介するコーナーがあるのですが、その中でこのセリフを言うのび太のコマはその真骨頂だとされています。なるほど、このコマののび太のなんともいえない表情、喜びを表すように広げられた両手、そして、後光が差して見えるほどの密度の高い集中線は、「最高級フランスケーキとはどんなものなのか!?」という期待を抱かせずにはいられません。その食べ物を思う人物の様を描写するだけで、食べ物そのものへの憧れまでを喚起するとは、さすがにF先生は天才だったということでしょう。

貴様に名乗る名はないっ!!
出典:ロム・ストール(「マシンロボ クロノスの大逆襲」より)
 スパロボMXクリア記念ということで掲げたセリフ。ゲーム自体について語るなら、かなり面白かったと言えるでしょう。難易度はやさしめで、後半になるとその気になればほぼゼオライマーとドラグナーだけでクリアすることができました。エヴァとラーゼフォンというどちらも小難しい話をなんとか私にも理解できるぐらいにうまくまとめていたのもよかったと思います。不満な点をあげるとするなら、主人公達のストーリーはもっと濃いものにしてほしかったとか、いろいろあるのですが・・・。
 それはさておき、今回の言葉はこのゲームをプレイした人なら誰もがしびれるであろう、天空宙心拳継承者、ロム兄さんの口上です。原作である「マシンロボ クロノスの大逆襲」を見ておらず、スパロボIMPACTもプレイしていない私にとってはロム兄さんとの初めての出会いでしたが・・・いやぁ、かっこよかったです。絶体絶命のピンチに陥った主人公達の前に突如として逆光を背に現れ、悪人達をひるませる言葉を投げかける男。うろたえる敵がその名を問うが、彼は答える。「貴様に名乗る名はないっ!!」。こんな口上を人間どころか使徒やエヴァ量産機にまでぶつけ、正義の戦いを挑むロム兄さん・・・漢です。彼が登場すると、思わず心が躍りました。
 彼の口上を見て思い出したのは、やっぱりというかなんというか、快傑ズバット。悪漢達の前に現れて、決め口上をたたきつけ、完膚なきまでに粉砕する両者の姿はかなり近いですね。同じバンプレストの作品として、スーパーヒーロー作戦にズバットあるならば、スーパーロボット大戦にロム・ストールあり。今後もぜひ登場してほしいです。

そのうちバスが走る!!
出典:ドラえもん(てんとうむしコミックス第21巻「ひろびろ日本」より)
 またしても何の気なく掲げたドラ台詞。おそらくドラファンの間でもこのセリフに注目する人はほとんどいないと思うのですが、なぜか私はこのセリフに笑ってしまいます。「ひろびろ日本」は、例の如くわが身に降りかかる不幸の原因を今度は日本の国土の狭さに求めるのび太を見て、ドラえもんが「じゃあ試しに広くしてみるか」と、これまたいつもの如く実に軽い調子で「ひろびろポンプ」を使って日本を広くするという話。しかし、日本が広くなったことで学校へ行くにもどこへ行くにも距離が長くなりすぎ、巨大フィールドとなったいつもの空き地で野球をすれば、草むらに飛び込んだボールが出てこない・・・という、広くなったがゆえの問題が次々に噴出し、そのたびにドラえもんのもとに苦情が殺到。それら苦情に対してドラえもんはなぜか、「そのうちバスが走って便利になる!!」という言葉で説き伏せようとします。バスさえ走れば万事解決すると固く信じているようなドラえもんにも笑えますし、そうまで思わせる22世紀のバスとはそんなに便利なのか?と、変な想像もしてしまいます。皆さんも、今何かお悩みや問題を抱えていたとしても大丈夫。そのうちバスが走りますから(オイ)。

宇宙一のスペシャルポリスとは! 宇宙一のチームの一員になることであります!! サー!!
出典:赤座伴番(「特捜戦隊デカレンジャー」Episode.33「スワットモード・オン」より)
 現在のところ、ほぼぶっちぎりで自分の中でのスーパー戦隊ナンバーワンである「特捜戦隊デカレンジャー」より、「スワットモード・オン」より、デカレッド・バンの燃えるセリフをチョイス。
 以前捜査の中で命を落とした子どもとの約束のため、宇宙一のスペシャルポリスを目指し張り切るバン。だが、死の商人エージェント・アブレラの開発した強化服・マッスルギアを装備したアリエナイザーによってデカレンジャーは敗退を余儀なくされる。ますます強化されていくアリエナイザーに対し戦力アップの必要性を感じたボスは、新型装備・スワットモードを装着するための訓練プログラムを受けることをバンたち5人に命じる。しかし、訓練に向かったバンたちを待ち受けていたのは、鬼教官ブンターによる過酷なトレーニングだった。それでも宇宙一のスペシャルポリスのため、不屈の精神で挑むバン。だがそんな彼に、ブンターは宇宙一のスペシャルポリスとは何かと問うた上で、その答えはお前の進む先にはないと言い放つ。次に課せられたトレーニングは、遠く離れた場所にあるコインを取りに行き、制限時間内に決められたポイントまで来ること。だがその途中には彼らの行く手を阻むトラップがいくつも仕掛けられており、ウメコをかばったセンちゃんが足を撃たれて動けなくなってしまう。バンの気持ちを知る仲間たちは、バンだけでも合格させようと彼を先に行かせる。しかし、コインのあるところまでたどりついたバンはあることに気づき、仲間たちのもとへ戻る。結局5人が目的地に到着したのは、制限時間を大きくオーバーしてからのこと。しかしバンは、ブンターに対して宇宙一のスペシャルポリスとは何か、という以前の問いに対する答えを見つけたと言う・・・。
 その答えというのが、上のセリフです。このセリフを聞いたときには、まさにこんなセリフを今の特撮で聞きたかったのだ、という思いでした。高みを目指すあまり、仲間をおろそかにしていては、いつまでたっても宇宙一のスペシャルポリスなどにはなれない。仲間達とともに宇宙一のチームを目指し、その一員となることこそが宇宙一のスペシャルポリスであると、バンはたどりついたのです。その答えに満足したブンター教官はスワットモードの使用を許可。おりしも大ピンチに陥っていた地球へとデカレンジャーを帰すのでした。その後はスワットモードとなったデカレンジャーが、それまでの苦戦を吹き飛ばすかのようなド派手で胸のすくアクションを見せてくれるわけですが、このときの「全員で動くからこそ、すごいことができるんだ!!」というセリフもまたツボ。アギト以降の仮面ライダーなどを見ればよくわかるのですが、とにかく最近のヒーローというのはやたら対立するばかりで、なかなか素直に助け合うということをしません。少年時代、ビデオで見るダブルライダーやウルトラ兄弟の共闘に胸をときめかせていた人間としては、どうしてこうなんだろうと思うのですが、もしかしたら現代の基準から言うと、そういうものが馴れ合いとして映ってしまっているのかもしれません。そんな風潮に対するささやかな反発として、自作のレスキューポリス小説「Predawn」では、それぞれに個性を持ちながらも命を救うという目的のためにお互いを信じあい、助け合いながら事件や事故に挑んでいく7人のチームとして主人公達を設定しましたが、このときのバンのセリフに込められたものは、まさにSMS第1小隊に求めたものと同じでした。登場人物たちの複雑な関係や絡まりあった謎は、特撮作品に確かに深いドラマ性を与えました。ですが、それと引き換えにかつて特撮作品が本来持っていた、正義が悪を倒すという物語から得られるカタルシスが大きく失われてしまったというのもまた事実だと思います。娯楽性を優先させればドラマがおろそかになって作品が幼稚になるかというと、決してそんなことはありません。「特捜戦隊デカレンジャー」は、痛快ながらも決して子供だましではない、実に優れたエンターテイメント作品だと思います。

バッヂの色がどうであろうと、俺は人を守りたい・・・。だって俺、刑事ですもん。
出典:姶良鉄幹(「特捜戦隊デカレンジャー」Episode.40「ゴールドバッヂ・エデュケーション」より)
 前回に引き続き、またまた燃えるセリフが登場したのでチョイスしました。「特捜戦隊デカレンジャー」より、夜明けの刑事デカブレイク・テツのセリフです。
 多発する放火事件の犯人を捜し、古めかしくも拍子木を叩いて夜回りをするデカレンジャーとテツ。その前に現れた宇宙放火魔・コラチェクに苦戦する6人だったが、そこに現れた銀色のスペシャルポリスがそのピンチを救う。彼女こそ、特別指定の凶悪放火魔であるコラチェクを追って地球へとやってきた宇宙警察特別指定凶悪犯罪対策捜査官、通称「特キョウ」の光の刑事・デカブライトことリサ。そして彼女は、同じ特キョウであるテツの上司でもあった。デカベースへとやってきたリサは、コラチェクの逮捕は自分が行うことを宣言した上で、先ほどの戦いでのテツの行動を叱る。任務中は感情を出さず、ただ犯人の逮捕を最優先に行動することこそ、彼女がテツに叩きこんだ特キョウのやり方であった。しかし先ほどの戦いで、テツはバンの指示を受け、現場の車の中に取り残されていた男性の救助作業を行っていた。リサはそんなことはエリート中のエリートであり、その証である金バッヂをつけた特キョウのすべきことではなく、コラチェクの逮捕後はテツを本部に連れ帰り再教育を行うと宣告する。特キョウのやり方と、地球署の仲間たちから学んだ「気持ちで戦う」という精神との間で思い悩むテツ。そんな中、再びコラチェクによる放火事件が発生。その最中、テツは逃げ遅れて火傷を負った女の子を助けるが、リサは彼を置いてコラチェクを追いかけてしまった。そしてたどり着いた廃工場で炎に巻かれ、変身が解けてしまうリサ。あとを追って駆けつけたテツにも炎が迫るが、テツはその炎に向かって攻撃を仕掛け、ダメージを負わせる。助けた女の子の言葉から、コラチェクの正体が炎そのものが体である宇宙人であることをテツは見抜いていた・・・。
 見守るリサに対してテツは、犯人を逃がして人命救助を行う自分は確かに特キョウとしては半人前かもしれないと言った上で、上のセリフを語りました。たしかに、エリート中のエリートのはずなのに、スワットモードの陰に隠れてしまったように使い走りややられ役のような役回りが多かった最近のテツには、それってどうよ?と思っていたところだったのですが、このセリフで再び自分の中での株が上がりました。注目すべきなのは、「特キョウである前にデカである」という彼の出した答えは、リサから叩きこまれた特キョウのやり方でもなければ、「気持ちで戦う」という地球署のやり方でもなく、ボスの言ったとおり、テツが自分で出した答えだということですね。刑事としてまた一つ成長したところをテツは見せたわけですから、今後は先輩達に負けないような活躍を期待したいところです。

ボス「これにて一件コンプリート!」
デカレンジャー「メガロポリスは日本晴れ!!」
出典:デカレンジャー(「特捜戦隊デカレンジャー」Episode 50 「フォーエバー・デカレンジャー」より)
 当サイトの掲示板でも大好評のうちに終了した「特捜戦隊デカレンジャー」の最終回「フォーエバー・デカレンジャー」より、エージェント・アブレラによる最悪の事件を見事に解決したあとのデカレンジャー&ボス、スワンさん、マーフィーのセリフをチョイスしました。思い返してみるに、本当にデカレンジャーは、全く外れのない作品となりました。デカレッドのとんでもないガンアクションが炸裂した第1話「ファイヤーボール・ニューカマー」を見たときから、「このままのテンションで行けば最高傑作になるかも・・・」と思いましたが、その期待を裏切るどころかさらに斜め上を行く、まったく息切れのしない展開で我々をテレビの前に釘付けにしてくれました。最終回ですが、まさにこの大傑作の最後を飾るにふさわしい話でした。前回の話で、地球署への報復に燃えるエージェントアブレラが、ハイパーマッスルギアを装着した凶悪犯罪者4人組と大量のメカ人間を率いて、デカレンジャーの留守を狙いデカベースへ突入。職員は次々に倒され、単身立ち向かったボスも善戦むなしく倒れてしまう。一方、飛んで返ってきたデカレンジャーロボとデカバイクロボだったが、その前に怪重機アブトレックスと、アブレラがコントロールを掌握したデカベースロボが立ちはだかる。2体の強敵を前にデカレンジャーは苦戦し、とうとうデカレンジャーロボを破壊されてしまう。そしてアブレラは、ランダムに選択したエリアをデカベースロボを使って破壊するという暴挙に。しかし、デカレンジャーも黙ってはいない。スワンさんが密かに地下に隠していたデカウイングロボとデカバイクロボを使って反撃に打って出、アブトレックスを撃破。さらに、デカウイングロボに搭乗するテツにデカベースロボの足止めを任せ、デカベースロボ内部に突入するデカレンジャー。そして、彼らはアブレラのいるコントロールルームへとたどり着いたが、変身機能をも掌握しているアブレラによって、変身が解除されてしまい窮地に陥る。さらに、事態の解決のために地球へ急行中の宇宙警察の部隊にも、恐るべき罠が仕掛けられていた・・・。
 というところで終わった、この一つ前のお話。ボスが倒され、デカベースが占拠。変身不能で救援部隊にも罠が仕掛けられているという、近年まれに見る大ピンチでした。このピンチをどう脱するのか!?という非常にいいところで終わったわけですが、その鍵となったのは、ボスが最後にデカレンジャーに言いかけたことでした。敵に追い詰められるもマーフィーによって窮地を救われたデカレンジャーは、ひとまず散開。そこでジャスミンがボスのディーソードベガを発見し、サイコメトリーでそこに込められた残留思念を読み取ると、スワンさんの鉄工所のマーフィーの犬小屋に秘密のスイッチがあり、それを押すとデカベースの全コントロールが鉄工所に移るという仕掛けが判明。途中ジャスミンと合流したセンちゃんはこのことを仲間に伝えるため、得意の逆立ちで思いついた方法で、SPDシグナルを使って仲間にその情報を伝える。それを理解したバン、ホージー、ウメコ。途中敵の一人が見張りをしていたが、そこはウメコが得意の(?)お風呂で注意を引き、そのあいだにバンとホージーが先行。その前にまたしても敵が立ちふさがる。リフトに乗れば鉄工所までたどり着けるが、戦闘員に邪魔をされてスイッチを押すことのできないバン。しかしホージーは得意の銃で石を弾き飛ばし、それをぶつけてスイッチを入れる。ホージーに後を任せ、リフトに乗って鉄工所へ急ぐバン(このとき、ホージーが「後は頼むぞ、相棒!!」と初めてバンのことを相棒と呼び、それに対してバンが「相棒って言うな!」と笑顔で今までのホージーの切り返しで応じる場面は、いつかはあるとは思っていましたがグッときました)。この間テツも、単身デカウイングロボでアブレラの注意をひきつけている。ホージー、テツ、センちゃん、ジャスミン、ウメコ、スワンさん、マーフィー、そして、ボス。全員の思いを受け継いだバンは、最後のアンカーの役を果たすべく走る!! その前に戦闘員達が立ちふさがるが、バンの突進を止めることはできない。そして見事鉄工所へと突入したバンはスイッチを入れ、完全にデカベースのコントロールを取り戻す。バンの連絡により、壊滅の危機を免れる宇宙警察の部隊。さらに、変身が可能となったことによって、それぞれ窮地に立たされていた仲間達も形成を逆転する。うろたえるアブレラだったが、コントロールルームにはバンが突入! デカレッドに変身したバンは、怒涛の攻撃でアブレラをデカベースの外へとたたき出す。他の仲間達もそれに加わり、ついにアブレラに引導を渡すときが来た! もはやデカレンジャーに敵はなく、ハイパーマッスルギアを装着した敵も撃破! そして追い詰められたアブレラも、ディーバズーカの前についにデリートされるのだった。
 アブレラを倒したことに喜ぶデカレンジャー。ウメコが思わずボスに連絡しようとするが・・・再び沈んでしまう。だがそのとき「誰が天国だって?」と聞きなれた声がSPライセンスから響く。何かに気づいたマーフィーの吼え声に振り返ると・・・そこには、スワンさんの肩を借りてゆっくりとこちらに歩いてくるボスの姿が。思わずボスに駆け寄るデカレンジャー。ボスは地球と宇宙警察最大の危機を救った部下達を宇宙一のチームになったと称え、そして自慢の部下達に一人ずつ、その胸を貸してあげるのだった(このシーンは本当に感動でした。さすがはボス。上司にしたい犬ナンバー1です)。
 そして、ようやくに去った地球署最大の事件を締めくくったのは、すっかりおなじみとなった「これにて一件コンプリート!」「メガロポリスは日本晴れ!!」。だが、デカレンジャーたちの戦いは、これで終わりではない。宇宙に犯罪がある限り、デカレンジャーは戦い続けるのだ。テツは正式にトッキョウから地球署の隊員に転属。バッヂもノーマルとなり、組織的には降格ということではあろうが、これがテツの望んだことである。そしてバンは地球署を去り、かねてから誘いを受けていた「赤いトッキョウ」ファイヤースクワッドの隊員として、どこかの星で今日も戦っているのだった・・・。
 ・・・長々と書いてしまいましたが、私などが言うより実際に見てもらったほうが早いですね。できれば、第1話から通しで見てもらったほうがいいでしょう。全員がそれぞれの個性を生かして困難な状況を打開していく最終回の構造は、これまでのストーリーで全員のキャラクターがしっかりと掘り下げられてこその賜物。これだけのものを作ってしまったからには、当分これを上回るような作品は登場しないだろうな・・・というのが、正直な感想です。「正義は絶対勝つ!!」というヒーローものの大原則を前面に出しつつも、個性的なキャラとバラエティに富んだストーリーで、最後まで我々を魅了し続けてくれたデカレンジャー。この作品を見られたことを、本当に幸せに思います。最終回のタイトルどおり、「デカレンジャーよ永遠なれ!!」とエールを送りたいです。

鍛えてますから!
出典:ヒビキ(「仮面ライダー響鬼」一之巻「響く鬼」より)
 「完全新生」を謳い文句として始まった、「仮面ライダーブレイド」の後番組「仮面ライダー響鬼」より、すっかりおなじみとなった主人公ヒビキのセリフをチョイス。「クウガ」に似た雰囲気を感じていたので期待していたのですが、今のところはその期待を裏切られることなく楽しむことが出来ています。「仮面ライダー」なのにバイクに乗らない、変身ポーズをとらない、必殺技は太鼓乱打、火を吐いたり爪で突き刺したり戦い方がまるで悪役、という、ちっとも仮面ライダーらしくないヒーローなのですが、ドラマ部分が非常に面白いです。役者の皆さんの演技もとても安定していますし、普通にドラマを見ている感じですね。

ろくに鍛えもしないで急に強くなろうとしたって、所詮無理があるってことだな
出典:ヒビキ(「仮面ライダー響鬼」十二之巻「開く秘密」より)
 前回に引き続き、「仮面ライダー響鬼」から、ヒビキさんのセリフ。魔化魍「ヌリカベ」を倒すため、山中に分け入ったヒビキさん。その前にいつものように童子と姫が立ちふさがるが、童子と姫は突如鎧を身にまとった武者童子と鎧姫に変化。技が通用せず、その攻撃に圧倒された響鬼は崖下へと落とされてしまう。なんとかベースキャンプへ戻り、2体の弱点を探ろうとするヒビキさん。そして、崖から落ちるときに放ったリョクオオザルの記録していた映像と、おやっさんの調べてくれた過去の資料によって、その弱点を突き止める。再度戦いの場へと乗り込む響鬼は、立ちふさがる武者童子と鎧姫にあえて攻撃せず、ディスクアニマルを放って時間稼ぎに徹する。が、それを乗り越えた童子と姫は反撃に転じ、響鬼はピンチに陥る。武者童子がとどめを刺そうと迫ったそのとき、2体に異変が現れた。あまりに急激なパワーアップがたたり、時間の経過とともにもとの怪童子、妖姫に戻ってしまったのだった。これを待っていた響鬼は一気に反撃に転じ、いつものように童子と姫を瞬殺。ふもとの村の目前に迫っていたヌリカベも瀬戸際で倒し、見事に危機を脱したのだった。
 上のセリフは童子と姫が苦しみだしたのを見て、事前の読みが正しかったことを確信しての言葉。前述の「鍛えてますから!」が口癖で、さらにそれが口だけではなく本当に鍛えていることを番組の中でも描いているわけですから、このセリフにはすごく説得力があります。かつての仮面ライダーたちは、強力な怪人によって一敗地にまみれても必ず立ち上がり、血のにじむような特訓の末に編み出した新必殺技によって、見事に逆転を果たしてきました。過去のライダーとはかけ離れたデザインの上バイクにも乗らないと、外見上は仮面ライダーとは似ても似つかない響鬼ですが、その精神の根底に流れるものは古きよき昭和ライダーと同じ精神なのでしょう。この言葉を、新たな力の覚醒や強力なパワーアップアイテムの入手によってパワーアップを遂げてきたクウガからブレイドまでの平成ライダーへの皮肉、ととらえるのは邪推でしょうか。一度心臓が停止して心肺蘇生のために受けた電気ショックがもとでパワーアップ、というクウガはまだ体を張っているからいいですが、宅急便で送られてきたファイズブラスターでパワーアップしたファイズ・ブラスターフォーム、弁当をむさぼり食ってパワーアップしたアギト・バーニングフォームなどは、さすがになんだかなあ・・・という思いがします。

昔、子どものわしは火の中を逃げ回った。怖くて怖くて、今でも夢に見る・・・。今度は、絶対に守ろうや
出典:老整備長(映画「ガメラ2 レギオン襲来」より)
 ガメラ復活記念、というわけではありませんが、平成ガメラシリーズ・・・というより、私が今まで見た特撮映画の中でも私の中でのベスト3に入る特撮映画である「ガメラ2」から台詞をチョイスしました。
 平成ガメラシリーズの第2作目にあたるガメラ2は、当然「ガメラ 大怪獣空中決戦」の続編。前作では共に古代文明によって生み出された怪獣、ガメラとギャオスの壮絶なる戦いが描かれましたが、ガメラ2の主役はガメラというよりもむしろ、それまで怪獣映画では必須の存在でありながらほとんどスポットライトの当てられることのなかった自衛隊です。ガメラ2の敵は、宇宙から飛来した謎の宇宙生物群「レギオン」。筋肉を持たずガス圧によって動き、シリコンを常食として、電波で互いにコミュニケーションをとる、地球の生物とは全く異質な巨大な虫のような生物、レギオン。彼らは「草体」と呼ばれる巨大な植物状の生物とワンセットの生物であり、レギオンたちがシリコンを分解するときに発生する酸素を使って大爆発を起こし、そのエネルギーを利用して「草体」のもつ種子を宇宙へ飛ばすことこそが、彼らの生態である。映画は大都市に発生した「草体」の種子の発射を阻止しようとする自衛隊とレギオンとの互いの生存権を賭けた戦い、そして、地球の守護者として同じくレギオンに戦いを挑むガメラの姿を描いています。札幌に植えつけられた草体はガメラによって破壊されるが、特定の波長の電波に攻撃性を示すレギオンはさらに大都市を狙い、次に仙台に草体が植えつけられる。これも阻止しようと仙台に飛来するガメラだが、その前に草体を守るべく、通常の小型レギオンよりもはるかに巨大な巨大レギオンが出現する。巨大レギオンによって足止めを喰らったガメラは傷ついた体で種子の発射に向かう。が、間一髪のところで種子の発射は食い止めたものの、草体は大爆発。爆発の規模は仙台周辺が丸ごと消滅してしまうほどのもので、ガメラは間近でその爆発に巻き込まれてしまう。しかし、2度も種子の発射を阻止されたレギオンたちは、さらに侵攻の手を緩めない。札幌、仙台と、確実に南下しながら大都市へと迫るレギオン。その次なる標的は・・・東京。ガメラは仙台の廃墟の中で、いまだ死んだように動かない。政府は閣議決定で自衛隊に出動を命令。利根川を最終防衛ラインとする作戦が決定され、各地の自衛隊駐屯地では、出動準備が始まった・・・。
 今回チョイスした台詞が出てくるのは、そんな場面のワンシーンです。駐屯地から次々に自衛隊の車輌が出動していくのを見つめながら、若い整備員にこの深みのある言葉を語るのは、戦争時代を知るギリギリ最後の現場人らしき、名もなき老整備長。演ずるのは、ムラマツキャップや立花のおやっさん役であまりにも有名な故・小林昭二氏。おそらく、これが最後の特撮映画出演だったと思います。この映画の金子修介監督は、本当なら「前の戦争には負けたが、今度は勝つ」という台詞を入れたかったものの、周囲に危険だと反対され取りやめたそうです。その結果がこの台詞となったわけですが、それでもこの台詞には、左翼側から批判が起きたそうです。太平洋戦争という暗い過去を引きずるこの国では、この手の言葉に対しては非常に敏感な風潮があります。しかし、この場面では素直に、初めて自分達の住む場所を守るために出撃していく自衛隊に対して、敬意と応援を贈るべきでしょう。「守る」ということは、人間のあらゆる行動の中でも、最も尊いものの一つなのでしょうから・・・。
 この映画の中ではこの台詞だけでなく、飾り気はないものの心にグッと来るような台詞がいくつか登場します。そんな台詞を自分のキャラにいつか言わせるのも、物書きとしての私の夢の一つです。精進精進。

薬は注射より飲むのに限るぜ、ゴジラさん
出典:権藤吾郎(映画「ゴジラVSビオランテ」より)
 前回はガメラからの出典だったので、今回は対するもう一つの特撮怪獣映画の金字塔、ゴジラから何か・・・と思ってチョイスした台詞です。
 いわゆる「VSシリーズ」と呼ばれる平成ゴジラシリーズの幕開けとなった「ゴジラVSビオランテ」は、「ゴジラ(’86)」の正当な続編であり、前作のラストで三原山の火口に落とされたゴジラが再び復活。それに対する自衛隊と、バイオテクノロジーによって生み出された、ゴジラと同じ細胞を持つ植物怪獣ビオランテとの戦いを描いています。この作品から最終作「ゴジラVSデストロイア」までシリーズの全てに登場することになる超能力少女、三枝美希も今作が初登場ですが、何と言ってもこの作品で一番輝いているのは、峰岸徹氏演ずる自衛隊の権藤吾郎一佐でしょう。いかにも叩き上げの軍人という感じで、常に気楽な調子を忘れない、なかなかいい感じのナイスミドルです。自衛隊本庁から国土庁に出向し、三原山の動向を監視するという任務に退屈していた彼ですが、前作のゴジラ襲来時に採取されたゴジラの細胞を巡るアメリカの企業の陰謀により、三原山に仕掛けられていた爆薬が爆発し、ついにゴジラが復活。自衛隊が新兵器・スーパーXUなどによってゴジラとの戦いを進めている間、彼は中東の企業に奪われた対ゴジラ用の切り札とも呼ぶべき生物兵器、抗核バクテリアを取り返し、バズーカに装填したそれを手に、部下達と共にゴジラの上陸した大阪へと向かいます。大阪に到着した彼は大阪ビジネスパークのツインタワー21に上り、スーパーXUがゴジラをひきつけているあいだに、抗核バクテリア弾をゴジラの体に撃ち込む任務にかかります。戦いの末、スーパーXUは善戦むなしく撃墜。しかし、そのおかげでできたチャンスを生かし、権藤一佐たちは抗核バクテリア弾の撃ち込みに成功します。任務を終え、さて帰ろうとする権藤一佐。しかし、背後の窓を振り返ると・・・そこには、そのすぐ向こうで咆哮をあげる巨大なゴジラの頭が。それを見た彼は、振り向きざまにバズーカを構え発射。発射された弾頭は見事ゴジラの口の中を直撃し、ゴジラはそれを飲み込みます。それを見届け、まるで挨拶するかのように気さくな調子で言ったのが、上の台詞というわけです。しかし、これによって怒ったゴジラはその怒りに任せ、その腕でツインタワー21を一撃。崩落するビルに巻き込まれ、権藤一佐も・・・。
 歴代ゴジラシリーズを見回してみても、権藤一佐ほど個人としてゴジラと対等に渡り合ったと思えるような人物はいないように思えます。のちのシリーズでは「ゴジラ×メガギラス」の辻森桐子や「ゴジラ×メカゴジラ」の家城茜のような、ゴジラに対して個人としての並々ならぬ執念をもってこれに立ち向かう女性兵士が登場することになりますが、彼女達と比べると、権藤一佐には個人としてではなく職業軍人としてゴジラと戦う男のかっこよさが感じられます。東宝にとってもやはり魅力的なキャラだったのか、のちに「ゴジラVSスペースゴジラ」には彼の親友や妹が登場することになりますが・・・こちらは個人的には、うまくストーリーとつながっていたようには思えなかったのが残念でした。

戦争はいかんです。腹が減るだけです。
出典:妖怪大翁(映画「妖怪大戦争」より)
 妖怪好きとして公開を待っていた映画、「妖怪大戦争」からチョイスした台詞です。2005年の夏はこの映画と京極夏彦氏原作の「姑獲鳥の夏」の公開、それに伴う多数の妖怪関連書籍の出版により、私にとってはとんでもないこととなりました。
 さて、この映画ですが。日本壊滅を企む魔人・加藤保憲(原作者の荒俣宏氏の作品「帝都物語」にも登場)が、文明社会によって捨てられたモノたちの怨念である大怨霊「ヨモツモノ」の力を使ってその野望を成就しようと企み、正義の味方「麒麟送子」に選ばれたいじめられっ子の少年が妖怪達の助けを借りてそれに立ち向かう・・・というのが一応の公式設定なのですが、実際のところ、タイトルと違って妖怪は全く戦いません(笑)。本気で加藤の企みを阻止しようと行動するのは、猩猩、川姫、川太郎の3人(?)ぐらい。加藤に対する対策会議のために集まったぬらりひょんを初めとする妖怪達は、加藤の行動に怒りをあらわにするものの、結局そこまで。話すことを話したら、あっさりと解散して帰ってしまいます。なんとも勝手なようにも思えますが、よく考えてみれば妖怪というのは基本的には勝手気ままに暮らしている連中なので、正確といえばこの上なく正確な妖怪の描き方ですね、これ。
 最終的に加藤はものすごくアホらしい方法によって倒され(本当にアホらしいです)、加藤の侵攻を盆踊り大会とこれまた勝手に勘違いして全国からやってきた無数の妖怪達は、勝手に大騒ぎした挙句帰っていくわけですが、一応勝利というその結果を見届け、妖怪達の中でもお偉方である魔王、山ン本五郎左衛門と神ン野悪五郎(「稲生物怪録」という江戸時代の巻物に登場する魔王。演じるのは荒俣氏と京極氏)は、カエル頭の妖怪が担ぐ輿に、今回も何とか勝ち戦でしたと報告。すると、輿の中からは「勝ち戦? バカなことを言っちゃいけませんよ」という声とともに、輿にかけられた御簾がスルスルと。その中にいたのは、巨大な顔。彼こそは日本妖怪を束ねる妖怪の最長老、その名も「妖怪大翁」。演ずるのはもちろん、妖怪だけでなく妖怪好きの人間もひれ伏さなければならない、偉大なるゲゲゲのあのお方。そして妖怪大翁様は、上に掲げたありがたいお言葉をのたまいます。そうです。戦争はいけません。戦争中、南方で片腕を失うようなひどい目に遭いながらも、現地の人たちとすっかり仲良くなることのできたおおらかな大翁様の人柄がにじみ出るようなお言葉に、私も頭を下げざるを得ませんでした。
 映画の鑑賞後は、神田の大型書店で開かれていた大翁様による東海道五十三次の妖怪版本歌取り「妖怪道五十三次」の展示会に直行。そこで発見した、茶碗風呂でくつろぐ目玉親父とともに色紙に書かれた、「のんきにくらしなさい」という大翁様のお言葉にまたもや心打たれた私は、速攻でそれを買ってしまったのでした。

別に意味なんかないよ。
出典:立花恵(映画「リンダリンダリンダ」より)
 「ローレライ」がきっかけですっかりファンになってしまった女優・香椎由宇さんの出演作ということがきっかけで鑑賞した映画「リンダリンダリンダ」より、香椎さん演ずる恵の台詞をチョイス。サイト開設より2年余り。トップの言葉としては、初めてアニメ、特撮、マンガと関係のない映画からの出典となりました。
 「女子高生達が急遽ザ・ブルーハーツのコピーバンドを結成し、三日後に迫った文化祭のステージで演奏するまでの物語」。この映画のあらすじは、これだけで十分です。あえて言うなら、ギター担当の指の骨折が原因で空中分解してしまった軽音の女の子達3人が、急遽ボーカルとして声をかけたのが、日本語も危なっかしく話がわからなくても適当に返事をしてしまう韓国からの留学生、というのが、ちょっと変わったところかもしれませんが。そして、文化祭最終日での演奏に向けて練習を開始する4人と、その中で起こる出来事を映画は描いていきますが・・・映画とは思えないぐらい、特別なことなんて何一つ起こりません。4人はそれなりに一生懸命練習するのですが、自分のクラスの出し物の店番で遅刻して部室での練習が出来なくなったり、夜の学校に忍び込んでの徹夜の練習も、お菓子を持ち込んでの屋上でのおしゃべりの方に盛り上がったりと、どこか寄り道ばかり。ドラム担当の響子は本番前に好きな同級生に告白しようと約束を取り付けたものの、当日は寝坊で本番に遅れ、結局叶わなかったり。アニメや特撮を見慣れた人間には、こんなに特別なことの起こらない映画も珍しいです。
 にもかかわらず、この映画を退屈と感じることなく、それどころか心の底から楽しむことができたのは、そんな特別なことの何も起こらない時間こそ、かつて自分も過ごした高校生活そのままだったのかもしれません。私が高校生活を送ったのは、自宅から自転車で20分ほどの距離の、田んぼに囲まれた中にある高校。映画の舞台である芝崎高校は、全体的には取り得のないものの「学生数の多さにあぐらをかいたような」派手な文化祭という目玉がありましたが、平均的な生徒数であるわが母校にはそんな売りもなく、帰りに寄り道をするような場所もないところでした。それでも今高校生活を振り返って思うのは、年月がたったゆえの美化も多分にはあるとは思うけれども、間違いなく今までの人生で一番楽しかったと言える時間です。そしてその時間にも、映画の4人の過ごした時間と同じく、特別なことなどほとんどありませんでした。思い出されるのは、体育の時間先生が来ないのをいいことに好き勝手に卓球を楽しんだり、昼休みにトランプの大富豪やセブンブリッジに興じたり、昨日見たテレビのバラエティ番組の話をしたり、そんな思い出ばかりです。しかし、映画の中で夜の屋上でベース担当の望が、本番は必死で結局後で何も覚えちゃいないだろうけど、こんなふうに屋上でみなでしゃべったりしたことは「結構忘れないよね」と呟いたように、後になって思い返されるのは、そんななんでもない、一件無意味に思えるような時間です。
 思い返せば、高校時代にやったことというのは、(一生懸命教えてくれた先生方には悪いですが)勉強も含めて、ほとんど立派な意味なんてないものだと思います。ブルーハーツのコピーバンドをやることになり、急遽ボーカルを探すことになった恵、響子、望の3人は、恵が喧嘩別れした元ボーカルの凛子にも声をかけるものの、彼女は「やって意味あんのかな」という反応。それにカチンときた恵は上の台詞を吐くわけですが、これこそがこの映画のテーマ、ひいては、高校時代を楽しい思い出として振り返ることのできる日本中の全ての人が送った高校生活そのものだと思います。別に意味なんかない。けれど、なんでもないことでもとにかく夢中になって楽しむことのできたころ。それこそが、高校時代というかけがえのない3年間にある、素晴らしい魅力だったのだと思います。
 とにかく特別なことは何もない映画ですが、もちろん、心を動かすシーンはあります。特に本番前日、連日の徹夜練習で眠気がピークに達した恵が気合を入れるため、トイレで顔を洗うシーン。あとから入ってきたボーカルのソンと、横に並んで顔を洗って鏡に映ったお互いの疲れきった顔を見ながら、バンドに誘ってくれたこと、バンドに入ってくれたことをお互いの国の言葉で「ありがとう」と感謝しあうシーンは、ぐっと来るものがあります。そして、ラストの演奏シーン。演奏する曲がブルーハーツというだけで盛り上がって当然かもしれませんけれど、4人が力いっぱい歌い、演奏する「リンダリンダ」には、鳥肌が立ちました。そして、「終わらない歌」とともに人気のない教室やロッカー、校庭が次々と映し出されていくラストには、振り返って悔いはないものの、既に自分からは過ぎ去ってしまったかけがえのない時間を改めて実感して、一抹の寂しさも感じました。今まさにその只中にある高校生の皆さんには、彼女達のように意味のないことに最も意味のある時間を、精一杯楽しんでほしいと思います。

 終わらない歌を歌おう 僕や君や彼らのため
 終わらない歌を歌おう 明日には笑えるように

化け物を倒すのは、いつだって人間だ。人間でなければいけないんだ!!
出典:アーカード(「HELLSING」第71話「CASTLEVANIAA」より))
 HELLSINGより、宿敵・アンデルセン神父との最後の戦いを行うアーカードの台詞です。アーカードといえば正真正銘の化け物。喜怒哀楽のうち、「喜」(例:ジャッカルを受け取ったとき)、「怒」(南米で警官隊を殺害したことを抗議するセラスを逆に叱ったとき)、「楽」(例:吸血鬼を殺すとき全般)はこれまでも見られたアーカードですが、唯一自分を倒せるかもしれない「人間」であるアンデルセンが、自分を倒すために「人間であること」を捨てようとする姿に怒り、そして悲しんだとき見せた「哀」の感情には、アーカードにはこんな顔もあったのかと心底驚きました。HELLSINGは全編に渡って闘争と狂気が支配するとんでもないマンガですが、上の台詞を初めとして、最後まで諦めず人間として戦い続けたものだけが化け物を倒すことができる、という、この作品なりの人間賛歌は一貫しており、それはベルナドット隊長やペンウッド卿の壮絶にして誇り高い死に様にもうかがえます。本編ではアーカードの言葉通り、人間を捨ててまでアーカードに挑んだアンデルセンもまたすでに破れ、もはや死都ロンドンに立つ「人間」は彼の主、インテグラのみ。彼の言葉が真実ならば、もはや彼を滅ぼせる者はロンドンにはいないこととなりますが・・・果たして、どんな結末にたどり着くのでしょうか。

どんなときも諦めず、不可能を可能にする・・・それが、ウルトラマンだ!!
出典:ウルトラマンメビウス(劇場版「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」より))
 「ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟」公開記念に、予告編やCMにも使われた、ウルトラマンメビウス(ミライ)の台詞をチョイス。本当に久しぶりのウルトラ兄弟集合に期待しまくりでしたが、その期待に反するどころか予想を大きく上回る面白さでした。少なくとも、夏に見に行ったボウケンジャー&カブト劇場版の100倍は面白かったです(オイ)。なんといっても、ハヤタ、ダン、郷、北斗の演技が渋く、そして熱い! 回想シーンで流れる、初代マン〜Aの名場面などには、不覚ながら涙を流してしまいました。そして、戦闘シーンがすごい! 飛び交う触手を縦横無尽に飛び回りかわしながら、八つ裂き光輪やアイスラッガー、バーチカルギロチンなどで触手を切断していく板野サーカス全開ぶりには鳥肌が立ちました。「ウルトラ六兄弟」を中心として、各ウルトラマンの主題歌の劇伴の使い方も素晴らしかったです。惜しむらくは、GUYSメンバーの活躍がまったくと言ってないところですが・・・ウルトラマン生誕40周年記念作品の名に相応しい、自分がウルトラマンのファンであったことを心からよかったと思え、そしてこれからもウルトラマンを応援していこうと思える作品でした。

見てください、この子供たちを。このまま育てば怪獣になってしまうような子供もいるんです。
僕は怪獣の根本を叩き潰したいんです。僕は怪獣と戦うのと同じような気持ちで先生になったんです

出典:矢的猛(「ウルトラマン80」第1話「ウルトラマン先生」より)
 「ウルトラマンメビウス」第41話「思い出の先生」。それは同時に、「ウルトラマン80」第51話でもありました。

 ある朝、登校拒否の生徒を連れ出すため、担任の先生が生徒の家を訪れる。しかし生徒は、途中で学校へ行くのをためらい、足を止めてしまう。そんな生徒の前で、なぜか突然逆立ちを始める先生。「こうしていると、地球を支えている気分になる。地球を背負って立つ!」実は彼、塚本先生も中学生のとき登校拒否をしていたことがあり、そのとき迎えに来てくれた担任の先生が、そうやって励ましてくれたのだ。その先生の名は、矢的猛。塚本先生にとって、忘れられない先生だった。
 一方そのころ、宇宙から地球に向かって飛来する2つの光があった。追跡する光の放った光線に撃墜され、追われていた光は地球に落下する。その正体は、以前ウルトラマンメビウスに倒された円盤生物ロベルガーの別個体、ロベルガーU世。そして、それを追ってやってきたのは・・・ウルトラマン80! 南海の無人島での戦いが始まるが、めくらめっぽうに光弾を投げつけてくるロベルガーU世に苦戦する80。だがそこへ、メビウスが駆けつける。2人のウルトラマンは力を合わせて戦い、敵が空中へ飛び上がったところで80がウルトラレイランスを投げつけて串刺しにし、サクシウム光線とメビュームシュートの同時攻撃で、見事に怪獣を撃破したのだった。しかし、なぜウルトラマン80が再び地球にやってきたのか。実は、80は怪獣の出現を招くという人間の負の感情のエネルギーであるマイナスエネルギーの発生を再び感知し、地球へやってきたところでロベルガーU世と遭遇していたのだった。
 塚本先生の勤める桜ヶ岡中学校を訪れる、2人の男性。2人はこの学校の卒業生、「落語」と「スーパー」だった。少子化による生徒数の減少で、近々隣町の中学校との統合が行われ、母校が廃校になってしまうことを惜しむ2人。そこに現れた塚本先生と出会い、同じクラスメイトだった3人は、かつて自分たちのクラスだった1年E組で、昔を懐かしむ。自然と思い出されたのは、担任だった矢的先生のこと。一緒に過ごした時間は短く、ある日突然自分たちの前から姿を消してしまった矢的先生だったが、その思い出はどの先生よりも、3人の心に深く刻まれていた。そんな矢的先生は、ウルトラマン80だった。塚本先生はそう確信していた。そして3人は、学校が廃校になってしまう前に、かつての1年E組のクラスメイトを集めて同窓会を開くことを決める。と、そこへなぜかミライ(=メビウス)が現れる。この学校でマイナスエネルギーが観測されたので、調査にやってきたのだった。怪獣の出現に結びつくとは考えられないようなごくわずかな反応で、実際に学校ではなんの変わった出来事も起こっていなかった。しかし、塚本先生はミライに矢的先生の消息を尋ねる。前に勤めていた学校で、元UGM隊員の子供だった生徒から、矢的先生が教師のかたわらUGMで働いてきたことを聞いていたのだ。そしてミライは、矢的先生に同窓会に来てもらえるようにお願いをされてしまう。
 25年経った今でも、かつての教え子たちは矢的先生を慕っている。ミライはテレパシーで80に、桜ヶ岡中学で最後のクラス会が開かれること、矢的猛先生としてそれに出席してほしいことを伝える。しかし、80の返事はそれはできないというものだった。かつてマイナスエネルギーの調査のため地球を訪れた80は、人間の負の感情がマイナスエネルギーとなって怪獣を呼び寄せることを知り、人間にとって最も精神的に不安定な時期である思春期の子供たちを指導することで、教育の見地から怪獣の発生を防ごうとした。しかし、彼の熱意とは裏腹に、とどまることを知らないマイナスエネルギーによって、次々に怪獣が現れた。そして80は、そうした怪獣たちと戦うために教師であることを捨てなければならず、25年経った今でも、彼はそのことを悔やんでいた。80はミライに、矢的猛が謝っていたと生徒たちに伝えてほしいと頼む。
 一方、ウルトラマン80が27年ぶりに地球にやってきたことは、新聞の記事で塚本先生たちも知ることとなった。80=矢的先生ならば、先生は今、地球に帰ってきている! この星のどこかにいる先生に聞こえるように、大空に声を張り上げて同窓会に先生が来てくれることを願う塚本先生たち。そんな彼らの姿を見て、板ばさみとなってしまい悩むミライ。
 そして、同窓会当日。会場である桜ヶ岡中学の屋上には、ファッション、博士、真一といった、かつての1年E組の生徒たちが次々に集まってくる。80の言葉を先生たちに伝える決心をしたミライも、学校を訪れる。が、そのとき突然桜ヶ岡中学から膨大なマイナスエネルギーが発生し、それは硫酸怪獣ホーの姿となって、学校のすぐそばに現れる。メビウスに変身するミライ。妙に戦う気がなさそうなホーだったが、やがてメビウスに馬乗りになり、硫酸の涙を流しながらメビウスを殴り続ける。と、突然メビウスへの攻撃をやめ、空を仰ぐホー。そこに、ウルトラマン80が飛来する。「あれは!」「ウルトラマン」「80!」「俺たちの」「ウルトラマンだ!」「矢的先生・・・矢的せんせぇぇぇぇぇ!!」歓声をあげる生徒たち。マイナスエネルギーで生まれた怪獣は自分の相手だと、バックルビームをホーに放つ80。ホーもまた、それを望んでいたかのようにおとなしくそれを受け、そして消えていった。と、怪獣を倒した80に、懐かしい生徒たちの声が届く。先生にあこがれて自らも教師になった、結婚して今では3人の子供のお母さん、地元の信用金庫に勤めている、大学で研究の日々を送っている、父親のスーパーを継いで頑張っている・・・あれから25年がたち、しっかりと自分の人生を歩んでいる自分たちの「今」を、声を張り上げて「矢的先生」に伝える生徒たち。「矢的先生 思い出をありがとう」と書かれた横断幕を広げ、「仰げば尊し」を歌う彼らの歌声に送られ、80は空へと帰っていく。そんな彼らを見ていたメビウスの隣に、一人の男が並ぶ。「教え子たちに逆に教えられてしまったな」。そして80は、矢的猛先生として、自分の言葉で生徒たちに謝るために、彼らの輪の中へと入っていく。あの怪獣は、先生と生徒たちを再会させるために、桜ヶ岡中学が呼んだのではないか。ミライはそう思いながら、思い出というものの大切さを学んだのだった。

 感動のあまり、ストーリーを長々と書いてしまいました。クライマックスの生徒たちが80に呼びかけるシーンでは、とうとう涙があふれてきました。放映当時、80独自の路線としてスタートした「先生として働くウルトラマン」でしたが、さまざまな事情からわずか1クールで路線変区を余儀なくされ、その後フォローがされることもなく、四半世紀もの時が流れてしまいました。矢的猛を演じていた長谷川初範氏自身、自分の中ではとても中途半端であるため決着を望んでいたという「教師編」に対して、今回のエピソードは見事にピリオドを打つことができました。
 今回のトップの言葉はメビウスからではなく、あえて80本編の第一話から、教師になった理由とその仕事にかける熱意について語る矢的先生の台詞をチョイスしました。理想に燃えながらも志半ばにして生徒たちの前から去らなければならなかった「ウルトラマン先生」。しかし、今回の話で彼はウルトラマンとして地球を守っただけでなく、教師としても何人もの子供たちの人生に深い影響を与えることができたことがわかりました。メビウスの製作まで、ウルトラ兄弟に列せられたかどうかが不明だった80ですが、その功績を考えれば、正式にウルトラ兄弟の一員となれたことは当然だったのかもしれません。
 一方で、現実の教育現場に目を向けると、いじめとそれによる自殺の増加、子供たちによる犯罪、学級崩壊、登校拒否、学力低下など、怪獣よりもずっと恐ろしく、解決することが難しい問題が積み重なっていることに気づかされます。怪獣と戦うのと同じように必死になって現実と戦い、子供たちに愛と勇気を教えてくれる矢的先生のような先生が、今の時代こそ、一人でも多く教育の現場にいてほしい。そう思うのは、私だけでしょうか。

よし、あのラストからお前がオチをつけてみせろ!
ただーし! 「空に笑顔」と「戦いは続くのだ!!」は
ナシだッ!!
出典:”打ち切りの女神”川島芳子(広江礼威「翡翠峡奇譚」第2集 復刊記念描き下ろし近況漫画より)
 管理人が最近ハマった漫画のひとつ「BLACK LAGOON」の作者、広江礼威氏の「翡翠峡奇譚」が復刊された際、巻末の書き下ろし漫画に登場した川島芳子の台詞。残念ながらこの作品、川島芳子が登場したところで打ち切りになってしまったわけですが・・・上記2つの手を封じられては、確かにオチのつけようがありません。

退魔の剣を抜くには条件がある。
形・真・理の3つが揃わなければ剣は抜けぬ。
物の怪の形を成すのは人の因果と縁(えにし)。
真とは、事の有様。理とは、心の有様。
よって皆々様の真と理、お聞かせ願いたく候!!
出典:薬売り(「モノノ怪」第1話「座敷童子」より
 2006年に放送されたアニメ「怪 〜ayakashi〜」のエピソード「化猫」の続編である「モノノ怪」から、主人公である薬売りの代表的な台詞をチョイス。「モノノ怪」は、物の怪を斬ることのできる「退魔の剣」を携えた神出鬼没・正体不明の謎の薬売りが、行く先々に現れる物の怪を退治していく物語。この台詞のとおり、退魔の剣を抜くには斬る物の怪の形、真、理の3つを剣に示す必要があり、そのために薬売りは物の怪の現れた場所にいる人々から、なぜ物の怪が生まれることになったのか、隠された真実を明らかにしていきます。物の怪を退治するための要素を明らかにすることが、そのままドラマへと繋がっていくこの仕組みは秀逸ではないでしょうか。この作品は、ほとんど全てが見所と言ってもよいでしょう。物の怪の裏に隠されたおぞましく、時に哀しい真実。個性的な登場人物。暗喩をふんだんに含む他では見られないような演出法。豪華な声優陣の見事な演技。こちらの予想を易々と裏切りその斜め上を行くストーリー展開。襖の開閉を用いたテンポのよい場面転換。そして、文字通り作品を彩る美しい背景美術。個人的には2007年のアニメではナンバー1の作品だと思っています。未見の方には自信を持って一見をお勧めします。

お前が恐ろしいことは・・・ぬぁんだぁぁぁぁぁぁぁ!!
出典:海座頭(「モノノ怪」第2話「海坊主」より
 「モノノ怪」第2話「海坊主」。今度の舞台は江戸に向かう巨大な帆船「そらりす丸」。船には薬売りをはじめとする様々な乗客が乗り込んでいたが、ある夜、何者かが羅針盤に細工をしたため、船は規定の航路を外れ、あやかしの集まる魔の海へと入ってしまう。そらりす丸を次々と襲うあやかし達、そして現れる物の怪「海坊主」。その裏には、意外な人物の過去が大きく係わっていた・・・。
 全12話、5つのエピソードのオムニバスである「モノノ怪」の中でも、ラストの「化猫」に次いで多くの人物が登場する「海坊主」。前シリーズの「化猫」で薬売りを手伝った娘・加世を初めとして、どう見ても瓦版屋か講釈師にしか見えない目立ちたがり屋の修験者、薬売りの退魔の剣に異様な関心を示す侍、守銭奴の船主、高名な僧侶とどう見てもホ○にしか見えないその弟子、そして、薬売り・・・と、見た目からして一癖も二癖もありそうな奴ばかりなのですが、そんな連中を押しのけて強烈なインパクトを我々に見せるのが、「二の幕」に登場するあやかし、海座頭。このあやかし、妖怪絵師として有名な鳥山石燕や水木しげる氏の絵ではそのまま海の上に立つ座頭(盲目の琵琶師)の姿で描かれているのですが、従来の妖怪のイメージを大胆に変えたデザインを見せるこの作品では、着物を羽織り、目玉のついた魚型の琵琶をかき鳴らす魚という姿をしています。これだけでもインパクトがあるのですが、船に乗る者にそれぞれが一番恐ろしいと思うものは何かと尋ねてくるその声が、なんと若本規夫氏。そう、「ぶるぁぁぁぁぁぁぁ!!」でおなじみ、アナゴさんとかセルとかアンデルセン神父とかで有名なあの方です。先述したようなインパクトのある姿で、それ以上にインパクトのあるノリノリの「若本節」で叫ばれた日には、こちらはひっくり返るしかありません。とはいえ、本当にこれが目の前に現れてあの声で叫ばれたら、そりゃあ恐いだろうなぁ・・・。

ぼくは人間として生きることはやめた・・・・!
機械として---機械の誇りをもって、機械らしく生きることにきめたんだ!!
・・・・いままではいちばんあこがれていた・・・・人間のもつ”感情”と戦うために・・・・!
・・・・”精神(こころ)”があるゆえに、その”精神(こころ)”が生み出す”悪”と---戦うために!!

出典:K(「ロボット刑事」より)
 石ノ森章太郎先生原作の特撮ヒーロー番組、「ロボット刑事」。その原作漫画より、主人公であるロボット刑事Kのシリーズクライマックスの台詞をチョイス。謎のロボットによる犯罪が相次ぐ中、警視庁に配属されたロボット刑事K。彼はベテラン刑事・芝とコンビを組み、ロボットによる犯罪代行を行う謎の組織「R.R.K.K」との戦いを繰り広げていきます。ロボットでありながら人間と変わらない感情を持ち、人間に憧れプライベートでは詩を書くなどする一方、ロボットによる犯罪が相次ぐ中で「同類」として人間達から冷たい目を向けられるK。様々な葛藤を経て、Kは芝の2人の娘を連れ去ったR.R.K.Kのボスに戦いを挑みます。次々に襲いかかるロボット兵器。それをKは、上記の言葉を口にしながら次々に破壊していきます。自分が憧れていた「人間の心」。しかしそれは、素晴らしいものであると同時に、犯罪のような「悪」を生み出すものでもある。それを知ったKは葛藤の果て、人間になるのではなく機械として「心」が生み出す「悪」と戦う道を選んだのです。その決意を示すように、Kはそれまで使用することのなかった全身の火器を駆使しながら、立ちはだかる敵を破壊していったのです。
 Kのとった選択は、同じ石ノ森先生による原作である「人造人間キカイダー」の主人公・ジローのとった選択と対を成すものであるように思えてなりません。不完全な良心回路を持つロボットであったキカイダー・ジローは、Kと同じように人間に憧れ、そして最終的に「人間」になることができました。しかし、それはジローに大きな罪と悲しみを背負わせるものでもありました。「ピノキオは人間になって幸せだったのだろうか」・・・原作漫画の最後の書かれたこの言葉は、あまりにも重いものです。同じ人間に憧れるロボットであって、機械として生きる道を選んだKと、人間として生きる道を選んだジロー。どちらが正しい選択をしたのか、どちらが幸せであるのか・・・それは、読んだ人間それぞれの判断に委ねられることになるでしょう。

ドロシー「ロジャー・スミス」
ロジャー「ドロシー・ウェインライト。私をロジャー・スミスと呼んだな? 私はロジャー・スミスを演じてよいのだな?」
ドロシー「演じる? あなたは俳優などではないわ。ロジャー・スミス」
ロジャー「その通りだ。『R・ドロシー・ウェインライト』。君がそう呼ぶ限り、私はロジャー・スミスなのだ!
ビッグオー・ショータイム!!」

出典:ロジャー・スミス&R・ドロシー・ウェインライト(「THE ビッグオー Act:14 Roger the Wanderer」より)
 「THE ビッグオー」より、「スーパーロボット大戦Z」参戦記念としてとりあげた台詞。2ndシーズンの第1話、夢とも現実ともつかない奇妙な街の中で、自分を取り戻しそこから脱出に成功した主人公ロジャー・スミスの台詞です。ビッグオーの名台詞としては1stシーズン最終回の「雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ」をあげる人が圧倒的多数を占めると思いますが、こっちをとりあげたかったので。

正義は……ゆるすことだ。
出典:橘尚人(「稲妻6」より)
 「THE ビッグオー」より、「スーパーロボット大戦Z」参戦記念としてとりあげた台詞。2ndシーズンの第1話、夢とも現実ともつかない奇妙な街の中で、自分を取り戻しそこから脱出に成功した主人公ロジャー・スミスの台詞です。ビッグオーの名台詞としては1stシーズン最終回の「雨の中、傘をささずに踊る人間がいてもいい。自由とはそういうことだ」をあげる人が圧倒的多数を占めると思いますが、こっちをとりあげたかったので。


イデ「話がこじれたら頼みますよぉ?」

ハヤタ「こじれるほど通じりゃ大したもんだ」

(出典:)

出典:イデとハヤタ(「ウルトラマン」第2話「侵略者を撃て」より)

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