No.71 ツーカー錠


 人類は誕生以来、情報伝達の方法を発展させてきた。最初に言葉。その次に文字を。活版印刷技術はこれまでとはくらべものにならないほど多くの人々に情報を伝達させることを可能にした。19世紀に発明された電信・電話、そしてそれに続くラジオ・テレビはさらに多くの人々への情報伝達を可能にしただけでなく、情報を電気信号に変換することでその伝達速度を飛躍的に向上させた。

 だが、これほど情報伝達技術が発展しても、一つだけまったく変化していないことがある。それは、情報を表現するために要する時間だ。わかりやすく言えば、人にものを話すときの時間や、手紙を送るための文面を書くために必要な時間、といったものだ。こればかりはいかに伝達の技術が発展したところで、短縮されるものではない。

 ところがである。この変化することはないと思われていた表現時間を短縮する道具を、未来世界はその恐るべき科学力で開発してしまったようなのである。その名は「ツーカー錠」。このカプセル状の薬品は、果たして情報伝達の歴史に新たな歴史を刻むことができるのだろうか?

 電話口で誰かと話すのび太。話し相手は出木杉君。宿題を電話越しで教えてもらっているのだ。しかし、宿題の量が多い上にのび太があまりにも物わかりが悪いため、教える出木杉君もうんざりである。そんなとき、ついにママが怒り、電話を取り上げて、代わって自分が長電話を始めた。すると今度はパパが現れ、話し中のママにこんなことを言う。「ママ、ぼくのアレ知らない」 完全にオヤジである。アレだのなんだのとあいまいな指示子で何かを尋ねるのは、オヤジの典型的な症状である。当然ママもアレではなんだかわからず、アレとは何かと尋ねるが、パパは「アレだよ! ほら・・・ナニをこうするやつ・・・」と、またもやオヤジ的表現。これにはママもあきれ、やがて口論になってしまう。そこで仲裁に入ったドラえもんが出したのが、「ツーカー錠」という薬である。

 「錠」と名はつくが、この薬、外見は完全にカプセルである。ただし、服用法が少し変わっている。これを取りだしたドラえもんはこのカプセルを真ん中から二つに割り、一つをパパの、もう一つをママの口に、それぞれ放り込んだ。すると、二人はある会話を交わした。その内容は次のようなものである。

パパ「ツー」

ママ「カー」

 これだけである。しかしこの会話で、パパは「なんだ、そうだったのか」と、その場を離れた。

 勘のいい人でなくても、これでこの道具の効果はわかったと思う。この薬を分け合った二人の間では、どんな会話でも「ツー」と「カー」だけで通じるのである。これで冒頭の大仰な文句の意味もおわかりだろう。つまり、このツーカー錠は二つの意味で情報伝達において画期的な特徴を持っているのである。

1)表現時間を飛躍的に短縮できる

 これについては先ほどの例でわかるだろう。どんな会話でも「ツー」と「カー」だけで済むのだから、何時間もかけて説明をしたり聞いたりする必要がなくなる。これは話し手側にとっても聞き手側にとっても、大変な負担の軽減である。

2)情報を完全なかたちで伝えられる

 ツーカー錠をもらったのび太は、出木杉君の家に向かった。もちろん宿題を教えてもらうためである。さきほどの電話のおかげで最初は嫌だと言った彼だったが、ツーカー錠のおかげで「ツー」と「カー」だけで済み、のび太も完全に理解することができた。

 この事実からわかることは、ツーカー錠を使えば情報を欠損なく相手に伝えることができる、ということだ。つまり、思っていることを一字一句、完全に相手に伝えることができるのだ。これはすごいことである。

 私が通っていた大学の講義を例にとろう。講義は1時間半。だが、この長い時間の間集中力を持続させて完全に教
授の話を聞くのは困難である。どうしてもボーっとしてしまったり、居眠りしてしまったりしてその一部を聞き逃すことになる。また、例え完全に聞くことができたとしても、それでその内容を理解できるかどうかは別問題だ。私など、数学の話はいくら聞いても理解することができない。

 しかしツーカー錠を使えば、そんなことは起こらない。「ツー」と「カー」だけの短い会話で済むのだから聞き逃すわけがないし、物わかりの悪かったのび太がツーカー錠を使った会話では一発で出木杉君の話を理解することができたところからしても、相手からの情報を完全に理解することができるのだ。なんとすばらしいことだろう。

 以上のような特徴から、まさに夢の薬と言うにふさわしいツーカー錠。・・・しかしである。私はこの薬が、そのすばらしい利点を0に戻すほどのすさまじい欠点を抱えていることに気がついてしまった。それはすべて、「一錠のツーカー錠で情報を伝達できるのは一人だけ」という、ツーカー錠のもつもう一つの特徴に起因している。

 一つのツーカー錠では、たった一人の相手としか「ツーカー」で話はできない。この事実は深刻な問題を引き起こす。

 また私の大学の講義を例にあげよう。我が大学の講義でもっとも大規模なものは、講堂で行われるものだった。この講堂は250人以上を収容することができるが、それでも講義によっては満員になることがある。つまり、その講義で話す教授は、250人以上の学生を前に講義を行うことになるのである。この講義をツーカー錠を使って行うとどうなるか? 講義は1時間半にも及ぶのだから、我々学生にとってもぜひともツーカーだけですませてもらいたいところである。難しい内容の講義でも、これさえあれば一発で理解できるのだし。学生は楽だ。ツーカー錠の片方を一つだけ飲めばいいのだから。問題は教授の方である。教授は受講者250人以上が持つツーカー錠のもう一つを、一人で飲まなければならないのである。これはかなり苦しい。たまたま講堂での講義が一日に集中してしまったら、1000錠以上のツーカー錠を飲まなければならない。薬で腹が一杯になってしまうだろうし、副作用があったらそれこそ寿命が縮む。ツーカー錠で早く授業を終わらせてもらいたい学生と、この苦行を味わいたくない教授。この両者の間で対立が起こるだろう。学生にとっての、ツーカー錠によって節約される時間と、教授の健康。どちらを優先するか、難しい選択である。

 未来人はこの薬を生活に浸透させているのだろうか? 日常生活で会話を全て「ツー」と「カー」だけで済ませているとしたら、一日にどれだけの数のツーカー錠を飲むのだろうか? 私の高校時代の生活を例に、このことをシミュレーションしてみよう。

 まず、家族とツーカー錠を分け合う。我が家は私を含めて5人家族だから、まず4錠飲むことになる。高校に行くと当然友達と話すことになるから、彼らの数だけツーカー錠を飲む。授業をツーカー錠で済ませるなら、6時間授業なので6人の先生とツーカー錠を飲まなければならない。このような平均的な日常の場合、だいたい20錠くらいのツーカー錠を飲むことになるだろう。それほどの負担ではない。しかし、私はあくまで田んぼの真ん中にあった高校の生徒。一日に話す相手の数など、たかが知れている。営業担当のビジネスマンや芸能人、政治家など、人と話す回数の多い人は、かなりの数のツーカー錠を飲まなければならない。

 電話でよく話す相手とツーカー錠を使って話す場合は、前もってツーカー錠の半分を相手に送っておく必要がある。営業担当のビジネスマンの家の新聞受けには、朝になると新聞と一緒に取引先から送られてきた、大量のツーカー錠の片方が・・・などという光景を想像することができる。多数の人間を相手に話すことの多い人は、辛い目にあっても時間の節約をとるか、あるいは時間がかかっても健康のためにツーカー錠を使わないか、その選択に悩まされるだろう。

 ツーカー錠の問題はまだある。もっともこれはツーカー錠そのものではなく、それを使う人間の問題なのだが・・・。それは、この話のオチに隠されている。

この話の最後、のび太は出木杉君から教わった答えをノートに写し、翌日、先生に提出する。「これでいいのだ」とばかりに自信満々、会心の笑みを浮かべるのび太だったが、先生は「なんだねコレは!?」と仰天。なにしろそのノートには2ページに渡って、大きく「カー」と書かれていたのだ・・・。

 つまり、「カー」というかたちで教えられた情報を、また別の人に伝えるために話したり、書いたりするときに起こる問題である。伝えられた本人は「カー」の一言で完璧に理解しているのだが、それをまた別な形で表現するのは別問題なのである。ツーカー錠で外国人と話し、その話の内容を理解し、いざその内容を紙に書いて復元しようとしても、英語がわからないのでできない・・・こういうことである。思っていることをうまく口にできないという、あのもどかしさを味わうことになるのだ。

 以上のような問題が、ツーカー錠の使用につきまとう。すべては一錠につき一人としか話せないという点から発生するものだ。この問題さえ克服すれば、例えば液状タイプ、一つのビンに入っている液体さえ飲めば、同じ液体を飲んだ人の間で、「ツーカー」で伝わる、というものならば、もう少し使い勝手がいいのだが。情報伝達の新しい革命を予感させてくれる道具だけに、実に惜しい。

 ちなみに、パパは一体何を探していたのか? それは・・・残念、紙面が切れてしまった。

No.72 ホームミサイル


 地球破壊爆弾、熱線銃、ジャンボガン、ミサイルつき原子力潜水艦・・・ドラえもんがもつ、いわゆる「兵器系」と私が呼ぶ、忌まわしき道具群である。今回はそんな兵器系の道具を紹介する。

 ストーリーはいきなり、泣き叫ぶのび太から始まる。いつものごとくジャイアンに狙われているのだ。しかし、ドラえもんは急用で未来に戻らなければならない。そこであることを思いついたドラえもんは一冊の本を出してのび太に渡すと、説明する時間も惜しいらしく、机の引き出しに飛び込んで行ってしまった。

 ドラえもんが置いていった本。そのタイトルは、「ホームミサイル製造法」。なんと、ミサイルを製作する方法が記された本だったのだ。なんて危ないものをもっているんだ! しかもそのタイトルの下には、「趣味の工作シリーズ」という文字が・・・。未来ではミサイルまで趣味で作ることができるというのだろうか?

 さて、とりあえずのび太はその本を読み出した。まず、冒頭に書かれている文句がすごい。「危険な相手から身を守るためミサイルを作りましょう」。なんなんだこれは!? 国家ではなく個人が自衛のためにミサイルを作る!? 防犯スプレーならばわかるが、ミサイルとは・・・過剰防衛であることになんの異論もない。未来は自衛用にミサイルを用意しておかなければならないほど治安が悪いらしい。本によると、ミサイルはあらかじめセットしておけばボタン一つで発射され、確実に命中するらしい。さて、こんな文句のあとにミサイルの作り方が載っているのだが、これがいやに詳しいのだ。

 まず、用意するもの。

・ハサミとカッター

・のりとセロテープ

・ボール紙

・針金

・わりばし

 ロケットエンジンとか各種電子部品などを想像していた人は、まずここでずっこける。まるで「できるかな」である。さすがにこんなものが材料にあげられているため、のび太も「ほんとかなあ」と半信半疑。しかし、とりあえず本に書いてあるとおり作ってみることに。まずボール紙で長さ20cm、直径4cmの円筒を作り、セロテープでとめる。さらに翼をとりつける。これが燃料タンクとエンジンの役割をはたすらしい。もうムチャクチャである。次に弾頭部を作り、中にコショウや泥水、ガムのかすや鼻くそなど、およそミサイルの弾頭とは思えないようなものを入れる。のび太はとりあえずコショウを使うことにした。次に燃料を作る。天ぷら油コップ一杯に味の素少々、ヘアトニックを一滴たらし、さらにねり歯磨きを加え、以上をよくかき混ぜて本体に注ぐんだってさ。あまりのばかばかしい作業工程に、解説をする口調も投げやりになる。さて、こんどは電子頭脳を作る。針金にエンドウ豆を通し、これに消しゴムを接続し、さらに・・・といった方法で作る。針金を使うのは電流を通すためだろうが、それになぜ絶縁体であるゴムを接続する? 疑問は何一つ解決しないまま、これでミサイルは完成であり、本は次に発射台とレーダーの設置に移行する。のび太は発射台を庭に、レーダーを屋根に設置した。このレーダーの作り方は載っていなかったが、ミサイルと同じようにやけくそぎみな方法で作られたことは間違いない。さて、のび太はレーダーの目標をジャイアンに設定。これでミサイルの発射準備は整った。

 さて、このあとのび太はさっそくジャイアン、スネ夫のコンビに襲われる。早速ミサイルを発射するが、ヘロヘロとした飛びかたでなかなか来ない。ようやく来たと思ったら目標を逸れ、無関係なおじさんに命中してしまった。とりあえずそのどさくさに紛れてのび太は家に帰るが、その場に落としてしまったミサイル製造法の本を二人が手に入れてしまった。

 家に帰って「だいたい僕みたいにぶきっちょな人間に、工作やらせるのが間違いなんだよ」と、横になりながらつぶやくのび太。まあ、あのいいかげんな方法で作ったミサイルが飛んだだけでも奇跡に近いのだが。と、窓の外にミサイルが見えた。驚いたのび太が起きあがると、ドアを倒してミサイルが進入。弾頭には手紙が入っていた。ジャイアンが製作したミサイルであり、10本のミサイルがのび太を狙っているという。要求通りにジャイアンの家を訪れたのび太に、ジャイアンはこう言い放つ。「これからずっとお前は俺の奴隷だ」 邪悪!! 子供という者はえてして残酷な面をもっているが、彼のダークサイドは一段とすさまじい。皇帝パルパタインが彼の存在を知ったら、喜んでフォースの暗黒面に引き込もうとするだろう。

 さて、しばらくしてドラえもんが帰ってきたが、のび太がいない。外へ迎えに出たドラえもん。そこへのび太が泣きながら帰ってくる。ジャイアンに命じられ、部屋の掃除、家中のガラスふき、草むしり、ドアそうじをやらされ、ようやく帰ってきたのだ。しかしドラえもんは、こんなセリフを吐く。「なにをやらせてもドジなやつ・・・」 おいおいあんた、そりゃあないよ。せめていたわりの言葉くらいかけてやるのが友達というものじゃないか? しかしジャイアンの非道ぶりにさすがにドラえもんも怒り、「もうあんなやつの言うこと聞かなくていいぞ」と言う。どうやら秘策を用意しているらしい。

 翌日、ダース・ジャイアンとスネ夫は新たな命令をしてきた。部屋の掃除、店番、そしてなぜか宿題、である。のび太に宿題を任せたら余計に時間もかかるし、答えも間違いだらけのはず・・・。宿題に限っては、自分達でやったほうがよっぽど得というものである。それはともかく、電話に出たドラえもんはアカンベーで命令を拒否。怒ったジャイアンは全ミサイルを発射する。しかし、ドラえもんも一発のミサイルを発射した。そのミサイルは弾頭がのび太の顔そっくりになっており、ジャイアンのミサイルはそれをのび太と誤認、後を追い始めた。10発のミサイルを従えたのび太ミサイルはそのまま窓からジャイアンの部屋に飛び込み、そして続いて10発のミサイルも・・・。

 あとは説明の必要もない。あのいいかげんな製法で作られたミサイルの性能など、この程度なのだ。

 しかしそれにしても、不毛な戦いである。あのミサイル製造本の冒頭に記されていた言葉、「危険な相手から身を守るためにミサイルを作りましょう」。この言葉は冷戦当時、東西両大国が核ミサイル開発競争をしていた頃、盛んに口にしていた言葉とまるっきり同じである。アメリカは共産主義の、ソ連は自由主義の進入を防ぐためと称し、人類を複数回絶滅できるほどの数の核ミサイルを作ったのである。未来ではこのような争いが国家レベルではなく、個人レベルで行われているというのだろうか? 情けない限りである。

No.73 ロボット背後霊


その名の通り、背後霊のロボットである。そんなものがついてて何がうれしいのかと思うかもしれない。たしかについているものが地縛霊だったり動物霊だったりしたらイヤだが、このロボットの場合は守護霊。すなわち、ずっとうしろについて守ってくれるのである。

 ある日のこと。のび太としずかちゃんは、スネ夫から背後霊の話を聞いていた。彼の話によると、人にはそれぞれ背後霊というものがついていて見守っているというらしい。それで彼は霊能力者に見てもらったらしいのだが、彼の背後霊は人間の霊が一体、動物の霊が二体。人間の方はドン・ブラスコ・ピラニエスという七百年前のスペイン貴族らしい。貴族といってもピンからキリまであるし、一体誰なんだそりゃ?と言いたくなるが、スネ夫は「あ〜っ、のび太のうしろに青い顔が・・・」と言って脅かし、のび太は家に逃げ帰ってしまった。

 家に帰ったのび太はドラえもんに背後霊の話をし、本当にいるかどうか尋ねた。すると彼の答えは、背後霊が実在するかはわからないが、「ロボット背後霊」なら売っているというよくわからないもの。背後霊がいるかどうかわからないのにそのロボットが作られているとは、未来世界もとことんわけがわからない。ドラえもんはそのロボットの入った缶詰を取りだした。一応買ってはみたが、やっぱり返そうと思っているという。しかしのび太は気軽に「使ってみたい」という。そんなのび太にドラえもんは、始終背後霊につきまとわれることのうっとうしさをよく考えろと諭すが、のび太は「ようく考えたからかして」(ご丁寧にF先生は「じつはまるっきりかんがえていない」という言葉をこのコマに配している)。バカにはいくら言ってもしかたがない。「何かを言う前にぶつかるのさ」という「超新星フラッシュマン」の歌詞こそが、彼の生き様そのものなのだ。ドラえもんは「どうなってもしらないよ」としぶしぶ缶を渡した。のび太が缶を開けると、白い煙のようなものが出てきたが、すぐに消えてしまった。しかし目には見えなくてもちゃんと後ろについており、触ってみるとたしかに大きくたくましい体つ
きを感じることができる。

 さて、背後霊がついたタイミングを見計らったようにママがお使いを頼みにくる。のび太があからさまに「ウェ〜」とイヤな顔をすると、ママは誰かに押されるように買い物へ・・・。背後霊がママを追い出したのだ。その気遣いのよさ(ドラえもんの言うとおり、その気遣いのよさが問題なのだが)に感心したのび太は、安心して外へ遊びに行く。さて、いつもの空き地ではスネ夫がラジコンで遊んでいた。そこでのび太が「おもしろそうだな・・・」と思うと、スネ夫の手からプロポがのび太の手に。スネ夫のあとに遊ぼうと思っていたジャイアンは、横取りをされて怒り、彼に襲いかかろうとした。当然、背後霊にボコボコにされる。背後霊の存在を知ったスネ夫はこれに逆らう愚を犯そうとはせず、すきなだけのび太にラジコンで遊ばせることにした。だが、ここからのび太も背後霊の過剰サービスの恐ろしさを思い知ることになる。道でしずかちゃんと出会ったのび太は彼女を遊びに誘うが、彼女はこれから買い物に行くところだという。そこで彼が「残念だなあ」というと、背後霊は彼女をむりやり連れていこうとする。また、マンガを読んで笑いながら歩くはる夫(本当に彼はこんな役回りばかりだ)を見てのび太が、「おもしろそうだな・・・」と思うと、たちまちはる夫を殴ってマンガを取り上げる。さすがにこれにはのび太もまいった。のび太はドラえもんに助けを求め、もういいと言うが、ロボット背後霊は24時間機能するという。ドラえもんはなるべく余計なことを考えないように家でおとなしくしていろと言う。しかし早速家に帰ったのび太を「宿題もしないで!!」とママが叱り、すかさず背後霊に殴られる。宿題をしていてその難しさに「こんなの先生じゃないととけるわけないよ!!」と思わず叫ぶと、突然先生が窓から部屋に投げ込まれる。誰かに襟首をつかまれたらしい。風呂に入れば背後霊も一緒に入るため、湯船からお湯があふれてしまう。さらに、背後霊を刺激しないように、家族ののび太に対する態度も必然的によそよそしくなり・・・。結局のび太はみんなに迷惑をかけないよう、なぜか屋根の上で夕食を食べなければならなくなるのであった。

 以前、「アラビンのけむりロボット」という道具を紹介した。ご主人様の命令を力づくでかなえようとする点はまったく同じだが、心に思っただけでも動いてしまうこと、朝から晩までつきまとう分だけ、こちらの方が始末が悪い。除霊ロボットはないのだろうか。

 まあ、いつもいつも道具の非難ばかりしていてもしかたがない。たまにはそんな道具の有効利用の方法を考えよう。この道具の場合は、心を鍛えるために役立つだろう。すなわち、このロボットをつけたまま、このロボットが動かないように生活するのだ。邪念を消し、我を殺すことが要求される。それができるようになれば、まさしく悟りの境地、明鏡止水(某ロボットアニメを見ていた人にはおなじみの言葉。やましさやよどみのない澄んだ心)である。だが、こんなことにチャレンジする人がそうそういるのか、それについては疑問である。

No.74 地球下車マシン


 名前だけ聞けばよくわからない道具である。この道具の形状は方位磁針にも似た小さな道具であり、ダイヤルがついている。そしてこの道具の効果は、それを持っているものを地球から「降ろす」ことである。

 劇中ドラえもんは実験として、机にこの道具をおいて、ダイヤルを軽くひねった。するとどうしたことか、机が東から西へとスーッと移動したではないか。驚くのび太にドラえもんは「机が動くもんか。机はただたってただけ。動いたのは、ぼくらとこの部屋と地球の方だよ」といった。そして彼はこの道具の効果を、次のように例えて説明した。誰でも知っているとおり、地球は自転している。いわば人間は地球という巨大な観覧車に乗っているようなものだ。この道具をとりつけると、それをつけたものはその観覧車から降りた状態となり、観覧車に乗っているものから見れば、あたかも動いているかのように見えるのである。そう、つまりは何かを地球の遠心力から解き放つための道具なのである。劇中では動かないものを動いているように見せかけるためだけに使用されたようなこの道具。しかし実際には、どんなことが起こるのだろうか。

 このレビューを作るにあたり、地球の自転速度を調べてみた。じゃが式戦車さんからの報告によると、地球の自転速度は秒速3kmだという。自分でも確認してみたところ、地球とほぼ同速度で軌道上を周回する静止衛星が秒速3kmというから、間違いないだろう。さて、秒速3km。これはものすごいスピードだ。マッハに直すと、なんとマッハ約9.1。コンコルドがマッハ2、ウルトラマンがマッハ5、ウルトラセブンがマッハ7だから、そのどれよりも速いのだ。地球はあまりにも大きいためなかなか認識しづらいが、実は我々はとんでもないスピードで回転する球体の上で暮らしているのだ。だが、地球が猛スピードで回転しているために、我々はこうして生活していられると言える。回転によって発生する力、遠心力によって、我々は地上につなぎ止められている。もし地球の自転が止まったらどうなるか。ハンマー投げを想像してもらいたい。選手がグルングルンとその場で猛回転し、勢いがついたところでパッとハンマーを放すと、ハンマーはすごい勢いで飛んでいく。地球の自転が止まったとしたら、地球の上にあるものはみなこのハンマーのようにすさまじい力でぶん投げられ、宇宙空間まで放り出されることになるのである。ドラえもんが言っていた「地球から物体を降ろす」という考え方は、このようにその物体にだけ地球の重力を働かないようにさせることなのだろうか? そうだとしたら大変だ。地球下車マシンを取り付けられた机はその瞬間にマッハ9.1のスピードで上空へ吹っ飛び、タイムマシンごと宇宙へ消え、ドラえもんは未来に帰れなくなる・・・? だが、実際はそうはならなかった。机は東から西へと、小走りほどのスピードでスーッと移動したのだ。地球下車マシンについているダイヤルは、スピード調節のものと考えられる。マッハ9.1では、何をするにもあまりにも速すぎる。しかしそれでも、東から西へと物体が移動するという現象は説明できない。地球の自転から解放されたのならば、もはや東から西へという地球の自転方向とは全くの無関係になるからだ。いったいこの不可思議な現象は、どうして起こったのだろうか。この話の最後では、のび太が地球下車マシンを使いすぎたためにダイヤルが壊れ、のび太はすさまじい早さで走らなければならなくなった。結局最後は半ズボンを脱いで難を逃れるが、半ズボンは「ズボン!!」という音とともに脱げ、地球下車マシンとともに猛スピードで西の空へと消えていった。

 しかし本当に地球の重力から解放されれば、物体はこのような猛スピードで移動するのか? その答えが私の愛読書の一つである、柳田理科雄氏の「空想非科学大全」の「反重力」の項にあった。空想科学の世界では、UFOなどの飛行原理として「反重力」という力が考えられている。その発生原理の一つとして、重力を遮断するというものがある。これを実現すれば、物体はフワフワと宙に浮くことができるのだろうか。実は、自転による遠心力は、東京付近では重力の460分の1でしかないという。しかも遠心力は赤道面に平行に働くため、劇中での平行移動でもなく、真上に移動するのでもなく、真南から上空へ54°の方向を目指して飛んでいくという。とんでもなく微弱な力なのだ。木の枝がわずかに南へ湾曲し、家具や荷物が天上の南側の一隅にたまっていったり、犬が鎖ごと宙に浮かんだりするだけである。どうにも中途半端なことしか起こらない。物体を移動させるにしても、この程度の力では・・・。そもそも劇中での描写のように、物体を移動できる方向が東から西だけというのは、あまりにも制約がありすぎる。輸送手段としてもまったくのデクノボーであるこの道具、謎ばかり残して全く役に立ちそうもないものであった。

 この道具はじゃが式戦車さんのリクエストです。じゃが式戦車さん、ありがとうございました。

No.75 自信ぐらつ機


 人間はなにかにつけて自信を持っている。程度の差こそあれ、自信は誰の心の中にでもあるものなのである。だがどういうわけか、未来道具の中にはこの自信を喪失させる道具が存在する。それこそが、「自信ぐらつ機」なのだ。

「自信ぐらつ機」は、電波発信装置と受信アンテナから構成される。発信装置は東京タワーの置物のような形で、ここから「自信ソーシツ電波」なるあやしげな電波が放出される。そして受信アンテナを取り付けられた人はその電波の影響を受け、自信を喪失してしまうのである。このアンテナというのが、波平の毛のようにひょろ長く伸びた毛の先にボールがついている、といったなんとも間の抜けた形で、その安定性のなさそうなデザインが、自信を喪失した人間の心理の不安定さを象徴している。

 ある日ドラえもんがお菓子屋の包みを手にして、怒りながら帰ってきた。なぜ起こっているのか理由を聞いたのび太に、ドラえもんは買ってきたばかりのドラ焼きを一口食べさせた。どうやら彼にとっては、その味が甘すぎるらしく、これではどら焼きの微妙な味が台無しになると、お菓子屋のおじさんに抗議したらしい。その味の違いというのは言われてみればそうとも思えるといった程度のものなのだが。しかし抗議されたおじさんは、「わしは自分のドラ焼きに絶対の自信がある! ロボットなんかに味がわかるか」とつっぱねたらしい。たしかにおじさんの言うとおりである。お菓子づくり一筋に生きてきた頑固な職人と、未来から来た謎のネコ型ロボット。ドラ焼きについてどちらの意見が信用できるかとなったら、それは職人に決まっている。しかしこのネコ型ロボットは、職人以上に頑固者、いや、意地っ張りであり、自分の意見に絶対の自信を持っている。「ドラ焼きの味を守るために、このままじゃすまされない」 そう言って彼が取りだしたのが、「自信ぐらつ機」だった。まず自信ソーシツ電波を流し始めた彼は、続いて受信アンテナをお菓子屋のおじさんの頭にとりつけ、再度抗議。するとどうしたことか、おじさんの自信はぐらついて、ついには甘すぎたと謝ってしまった。

 つまり、このように使うのである。なにかについての議論でお互いに一歩も譲らない時、相手に取り付けて自信を失わせ、自分の意見を通す。こういう使い方をするのである。なんと卑怯な道具だろうか。ドラえもんも本当にドラ焼きを愛し、自分の味覚に自信があるのならば、正々堂々議論をして決着をつけるべきだった。このような道具を使うということ自体がすでに勝利を焦っている証であり、その時点で逃げに走っていると言えよう。

 さて、お菓子屋からのび太とドラえもんが戻ると、ママが怒っていた。のび太はママに草むしりを命令されていたのだが、それをほったらかしてドラえもんにつきあっていたのだ。ところがのび太はドラえもんからアンテナを借りるとそれをママの頭につけ、「草むしりはママがする約束じゃないか」というでまかせを通してしまった。さらに、そういう使い方は感心しないというドラえもん(あんたの使い方だって感心できるものじゃない)からアンテナを強奪し、一本をドラえもんに取り付け、彼が自信を失っているうちに逃走してしまった。

 さて、アンテナを持ったのび太が最初に見つけたのがスネ夫。ショーウィンドウに映る自分の顔を見て、「僕の顔はいつ見てもなんて美しいんだろ・・・」とうぬぼれている。しかしそこに飛来したのび太が、アンテナを取り付ける。すると途端にスネ夫は自信喪失、「よく今までこんなひどい顔で外を歩けたもんだ!!」と顔を隠して逃げ去った。さて、次の標的はジャイアン。自分の力に絶対の自信を持っていた彼は、街を堂々と闊歩していたところをアンテナを取り付けられた。すると途端に自信喪失、こそこそと逃げ始めた。そこをのび太がけっ飛ばす。しかし自信を喪失しているため、泣いてばかりで反撃しない。それをいいことに、ジャイアンをこづき回し、あげく「しずちゃん、僕強いだろ。ほらほら」と得意げにその様子をしずかちゃんに見せる。情けない奴・・・。しかし心優しきしずかちゃんは、「弱い者いじめは嫌いよ!!」と彼の前に立ちふさがり、ジャイアンをかばった。ところが。のび太は反省するどころか、今度はしずかちゃんにアンテナを取り付け、「僕に嫌われたら、君なんかまずだれもお嫁にしてくれないね」との暴言を彼女に対して吐く。某赤い彗星の妹さんなら、間違いなくこの時ののび太に対して「それでも男ですか! 軟弱者!!」となじったことだろう。一方、自信を喪失したしずかちゃんは「お願い、嫌わないで」と涙ながらに訴える・・・。もはやこの男を止められる者はいないのか!? しかし正義の神は(いや、残り紙面は)この暴走を許さなかった。次の2コマでこの暴走は終焉を迎える。しずかちゃんの哀れな姿を、まだアンテナをつけてさまよっていたドラえもんが見ていた。そして彼は叫ぶ。「僕がなにか出すたびにのび太はろくなことしない。こんなつもりで22世紀から来たんじゃなかったのに・・・」 そして彼はすっかり自信をなくして机の引き出しに入ろうとし、慌ててのび太が「ワア、もうしないから帰らないで!!」と止めに入るのだった。

 それにしても、結末としては後味の悪いものである。のび太が暴走を止めたのは自らの非を悟った結果ではなく、「ドラえもんが帰ってしまったら自分は何もできない」という恐れからだったのである。彼自身は、なんの成長もしていないのである。なんの成長も教訓も得られず、ただ残ったのは後味の悪い結末のみ・・・。むなしすぎる。

 このような道具が横行すれば、世界は闇に包まれる。自信というものは、結局は本人の主観にすぎない。どちらが正しいかは、議論によって証明される。それが常に正しいとは限らないが、人類がそうしてここまで来ることができたことが、その方法の正しさを証明してはくれないだろうか。議論はその過程でそれに関わる人々の思索を深め、知識を向上させてきた。しかしこの道具がまかりとおれば、正当な議論は失われる。人々の歩みは止まり、正義は悪に、悪は正義に転じるだろう。この世の闇が訪れる。さらに、どんな人でも心の中に抱いている自信がある。それは人がどんなに希望を失っても抱いている自信、「自分には生きている価値がある」という自信である。それすら否定された人間は、はたしてどのような行動をとるだろうか。

 だが、一つわかったことがある。前述したとおり、この道具を使う者はそれを決めた時点ですでに敗者となっているのだ。しかも、ただ負けた者という意味の敗者ではない。心の弱さに負け、戦いの場から逃げ、卑怯な手を使い相手を裏切り、汚された勝利を手にして満足している、最低の敗者である。その姿はあまりにも醜く、あさましい。相手と力の限りぶつかり、そして力及ばず倒れた者。彼ら光栄ある敗者達は、時に勝者よりも美しく見える。それに比べて最低の敗者達の、なんと醜いことか。この道具を使うというのなら、勝手にすればよい。だがそれを使ったときには得ているものは何もなく、逆に何かを失っているのだ。それを何かに例えるとするならば、悪魔との契約がふさわしいだろうか。

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