ポケットの中の喧噪・外伝5 偽りの未来


1.素晴らしくも奇妙な未来世界

 「ドラえもん」で描かれている未来は実に希望にあふれたものである。いろいろな話で22世紀のトーキョーの様子が紹介されている。特に明確にそれが描写されているのは、第11巻のP174、175と、第21巻「未来の町にただ一人」である。これからそこで紹介された未来の街の様子をおつたえしよう。

 その街の建築物は現代のような高層ビルではなく、柱の上にのったお皿の上に宇宙港や学校、公園、スーパーマーケットといった施設が立ち並んでいるという外観で、まさに空中都市といった感じだ。食料は農場ビルとよばれる30階立てのビルの中の水田や畑で生産されているらしい。また、ロボット工場は人間の役に立つロボットを生産し、社会に送り出している。それらの建物の間を、人々はパイプウェーとよばれるパイプ状の道を空気によって飛びながら移動したり、あるいはタケコプターを使って移動したりする。天気は天気局が予定を立てて作っている。映画館は壁一面に映像が映し出されるらしく、臨場感たっぷりだろう。この世界では服を買う必要はない。自動衣類販売店というものがあり、そこでは直接体にガスを吹き付けられる。するとそれが固まって服になるのだ。注文次第で服のデザインは自由自在、しかも無料サービス。無料なのはレストランも同じだ。事故防止のための設備もある。地下にある反重力安全装置のおかげで、高いところから落ちても木の葉のようにゆっくりと落ちけがをすることはない。また、この装置のおかげでのび太でも10mものジャンプが可能になる。
 家の中にも、現代から見ればすごい設備が整っている。まず、中庭は景色を海でも山でも好きなように変えられるため、気分転換にはもってこいだ。壁はボタン一つで窓になり、外を見ることが出来る。茶の間には100インチの立体カラーワイドテレビが。電話は当然テレビ電話。また、出前テレビを使えば、レストランからできたての料理が送られてくる。浴室では入浴するのではなく、空気石鹸が吹き出されて体をきれいにしてくれる。運動不足にならないように、トレーニングルームもある。そこは壁も床もトランポリンで、ボールプールという球体のプールがある。ルームランナーのような現代にもあるようなトレーニング器具もある。そして人々は、夜になると無重力寝室の中で重力から解放された心地よい眠りにつくのである。

 「未来の町にただ一人」では、実際にのび太が22世紀のトーキョーを訪れているため、特に未来の街がどのようなものであるかがわかりやすい。のび太が簡単に未来にやってくることができたところをみると、未来の世界へは過去の世界の人間も自由にやってくることができるらしい。しかし、ここで疑問が起こる。なぜ未来の世界は過去の人間に対してそんなにオープンなのか? 未来の科学技術の秘密を過去の人間に知られるのはまずいのではないか? 事実第16巻「宇宙ターザン」のなかで、ドラえもんは「タイムマシンの秘密を知られちゃいけないんだ」と語っている。この場合、「知られてはいけない」というのは、のび太のような世間知らずな子供ではなく、その技術を悪用できるだけの知識をもったその時代の大人に知られてはいけないということだろう。やはり未来人は、自分たちの科学技術を過去の人間に知られることをおそれているのだ。にもかかわらず、このおおっぴらな公開ぶり。この矛盾はどう解釈すればよいのだろう? 実はこの矛盾を解決するカギが、「ドラえもん」とは全く関係のない、ある小説の中に隠されていた。

 私は元来科学や歴史といったノンフィクションが好きなので、小説はあまり読まない。そんな私でも、好きな小説家はいる。ショートショートの生みの親として、「ボッコちゃん」や「きまぐれロボット」をはじめとする1001編もの作品を書き上げた星新一氏である。以前入院中でヒマだった私は、父が図書館から借りてきてくれた彼の全集の一つを読んでからその魅力にとりつかれ、やがて1001編全て読破してしまった。その中に、こんな作品があった。

 主人公はあるさびれた商店街に診療所を構える医者。いたって平凡な生活を送っていたが、ある日、向かいにある質屋のことが気になりはじめた。けっこうたくさんの人が出入りしているのにもかかわらず、質草を交換している様子がない。しかも、入ってくるときと出てくるときでは客の様子がどことなく違うのだ。一度のぞいてみたが、なんの変哲もない質屋だった。腑に落ちないでいると、ある日チャンスが訪れた。質屋の客の一人が事故に遭い、彼の診療所にかつぎこまれてきたのだ。彼はその客にこっそりと自白作用のある薬を飲ませ、催眠状態にしたうえであの質屋になにがあるのかを尋ねた。彼の答えは驚くべきものだった。実は彼は未来から来たタイムトラベラーで、あの質屋には未来と現代とをつなぐタイムマシンがあるというのだ。彼は客からIDカードを取り上げて未来人のふりをしてタイムマシンで未来へと向かった。が、すこし窓の外の様子を見たところで正体がばれ、現代に強制送還されてしまった。その後、あの質屋はただの質屋になってしまった。が、彼にはどうも気になることがあった。彼が窓から見た未来の街は、あまりにも自分の想像していたものとよく似ていたのである。それもそのはず。タイムマシンの管理官達は、過去から来た疑いのある者はいったんある部屋に通し、その間に身柄を調べる。彼がその部屋から見た街は本物の未来の街ではなく、過去の人間がイメージする未来の街を再現したものだったのだから。

 この小説を思い出したとき、私はこう思った。「のび太の訪れた未来の街も、実は本物の街ではなく、未来人の秘密保持システムとして作られた偽りの街なのではないか?」と。考えてみれば、あの22世紀のトーキョーはあの小説の街と同様、我々の想像する「未来の街」にあまりにもよく似ていた。徹底した安全設備、無料の食料や衣料サービス、人間に奉仕するロボット、快適な家庭設備・・・。どれもSFでよく描かれてきたものばかりだ。「事実は小説より奇なり」ということわざがある。とらえかたをかえれば、このことわざは現実に起こることは人間の想像力を上回る、ともとらえられる。例えば、1968年につくられた「2001年宇宙の旅」では、人類は宇宙船で外宇宙に進出している。しかし2001年を目前に控えた我々は、まだ宇宙ステーションさえ作っていない。それとは逆に、100年前の日本人は今の日本人の生活など想像もできなかったろう。このように、現実の未来は想像の未来をはるかに上回っていたり、あるいは遠く及ばないものだったりして、一致することは極めてまれなことなのだ。にもかかわらず、120年以上も先の未来と、我々の想像する未来との奇妙なこの一致・・・。のび太の訪れた街は、星新一の作品で描かれたような、「偽りの未来」である可能性が高い。

2. 偽りの未来の正体


 では、のび太の訪れた未来が仮に「偽りの未来」だったとして、その街の正体はいったいどのようなものだったのだろう。仮説を3つ立ててみた。

(1)オープンセット説

 のび太の訪れた街は、実は巨大なオープンセットだったと仮定する説。第16巻「宇宙ターザン」によると、タイムマシンの出口とどこでもドアとを直接つなぐことができるらしい。この技術を応用して、どこかに巨大なオープンセットを建設し、タイムマシンに乗ってやってきた過去の人間をそこへみちびくのだ。やってきたひとはあたかも、そこが本物の未来の街だと思いこむだろう。このセットにどんな時代の、どんな人種の、どんな価値観をもった人の持つイメージにでも対応して変形できる機能をつけ加えれば、どんな人が来ても対処できる。もちろん街には未来人の役を演じる俳優やロボットを配置し、適切な態度で来訪者に応対し、適当なころあいを見計らってもとの時代に帰ってもらう。要するに映画「トゥルーマンショー」でやっていたことを、さらに徹底しておこなうのだ。

(2)催眠説

 「ドラえもん」には、「さいみんグラス」や「無生物催眠メガフォン」のような、人や物を催眠状態にさせる道具が多い。特に「無生物催眠メガフォン」は鏡や掃除機、スーパーカーといった器物にまで催眠術をかけられるのだから、過去の人間に催眠術をかけるなどわけのないことだろう。過去から来た人間がタイムマシンの出口から未来にやってきたとたんに、催眠術をかけて眠らせるのだ。劇場版「のび太の夢幻三剣士」には、夢の中でゲームをする「気ままに夢見る機」という機械が登場した。ゲームとはいってもその夢はまるで現実のようにリアルに感じられる。この機械を使って、眠らせた過去の人間に未来の街を訪れている夢を見させるのだ。この方法なら、でかいオープンセットも、俳優もロボットもいらない。元の時代に帰すときは、タイムマシンの中に運んで、そこで催眠をとけばよい。

(3)バーチャルリアリティー説

 劇場版「のび太のパラレル西遊記」には、「ヒーローマシン」というゲーム機が登場した。これは1種の体感ゲームマシンで、このマシンの中にはいると自分がゲームの主人公となって活躍できる。これは現実の世界にもあるバーチャルリアリティーを飛躍的に発展させたものと考えていいだろう。オープンセットの時の要領でタイムマシンとバーチャル空間をつなげば簡単に過去の人間を連れてこられる。もちろん催眠説の時と同様、敷地も人もいらない。映画「マトリックス」のような世界と考えてよいだろう。

 (2)か(3)の方法を、未来の世界はおそらくとっているはずだ。過去の世界に移住している人間やロボットはドラえもん以外にも数多くいるに違いない。だとすれば、そんな移住者の関係者がのび太のようにやってくるのは日常茶飯事だろう。こうなると、未来人でなくともコストも場所もいらない(2)や(3)の方法をとりたくなってくる。この方法の最大の利点は、機械の設定さえ変えればどんな人間のもつ未来のイメージにも即座に対応できることだ。おそらくいずれの方法でも、タイムマシンに乗ってやってくる過去の人間を見つけると、未来人達は彼のもつ未来のイメージをなんらかの方法で分析して、セットの組み替えや機械の設定の変更を行うのだろう。こうして未来人達はその人のイメージに忠実な偽りの未来を作り上げるので、やってきた人は親しみやすいその未来をなんの違和感もなく受け入れ、そこが本当の未来だと思いこんでしまうのだろう。

 ではなぜ彼らは、そうまでして本来の自分たちの未来を隠したがるのだろう?一つは以前挙げたように、脅威的な科学技術が過去に流出し、悪用されるのを防ぐためだろう。だが、それだけではないような気がする。考えられる他の理由を以下に挙げる。

・事実隠蔽
 現代の生活は確かに昔に比べて便利にはなったが、様々な問題を生みだした。環境汚染、不況による失業、様々な犯罪、貧富の差、心のすさみ・・・。それに加えて、どれだけ科学技術が向上しても、労働自体にかかる手間は対してかわっていない。コンピュータや携帯電話が普及した現代でも、あいかわらず労働者は朝から晩まで働かなければならない。掃除機や洗濯機がある今でも、あいかわらず主婦は家事に追われている。科学技術の発展はたしかに暮らしを便利にはするが、労働そのものをなくしてくれるわけではないし、ある問題を解決してもそれによってまた別の問題を生じさせることもあるのだ。未来とて例外ではなかろう。どんなに科学気鬱が進んでも、人間が抱える問題は次から次へと増えていき、きりがない。では、未来ではどんな問題を抱えているのか? 考えられるものはいくつかある。

・ドラえもんのように感情と意志をもつロボットの誕生による、彼らの人権獲得運動
・宇宙人との外交関係成立により、彼らとの間で起こる外交問題や戦争
・タイムマシンの発明による時間犯罪の多発
・宇宙移民者と地球住民との間の摩擦
・危険な秘密道具の暴走による事故

あいもかわらずこのような問題を抱えた問題を抱えた未来世界が、そのような内情を過去の人間に隠すために偽りの未来を作ったという可能性は高い。太平洋戦争末期、大日本帝国政府は連戦連敗の戦況を国民にひた隠しにしていた。これと同じようなことを、未来世界が過去の人間に対して行っているとしてもなんら不思議はない。

・心理操作
のび太はときどき、出来杉君がしずかちゃんと仲良くしているのを見ると、「しずかちゃんは僕と結婚するはず」という未来が不安になり、タイムマシンで未来までいき、自分としずかちゃんが幸せな夫婦生活を送っているのを見て安心して帰ってくる、という行動パターンをとる。のび太に限らず、ふと未来が不安になることはよくあることだし、そんなとき実際に未来に行って未来の自分の様子を確かめることができればどんなにいいことだろうと思う。未来を見ることは、それより過去から来た人間に安心感を与えるのだ。偽りの未来はこのような役目をもっているとも考えられる。22世紀のトーキョーが一面の焼け野原だったり、無法地帯だったりしたら、それを見たたいていの人は未来への希望を失ってしまう。そんな人達が自暴自棄になりでもしたら、彼らの日々の積み重ねである未来は、さらに悪い状況になってしまう。しかし、22世紀のトーキョーが科学の生んだバラ色の世界ならば、それを見た人は明日への活力がわき、自分の時代へと帰りその時代での自分の成すべきことを全うしようと努力するだろう。そうなれば未来の世界はさらに良い方向へと向かうかもしれない。本物の未来の世界の人々は偽りの未来を見せることによってこのように過去の人間の心理を操作し、彼らにがんばってもらうことで、その子孫である自分たちの生活をよりよくしようとしているのではないか? もちろん、人間にはプラス思考とマイナス思考、楽天家と心配性といった性格の違いがあるから、悲惨な未来を見て、「こんな未来にしてはいけない」と一念発起して努力する人もいるだろうし、反対にバラ色の未来を見て、「こんな未来が来るんだったら今努力することなんてない」と怠けるキリギリスタイプの人もいるだろう。未来世界では人間の性格を瞬時に分析する装置も開発されているだろうから、未来人達はこれを使ってどんな人間かを分析し、その人間にあわせた偽りの未来を見せていると考えられる。ただ未来の実態を見せないため、科学の秘密を守るためなら、時空間をタイムパトロールに封鎖させたり、移民者にタイムマシンの管理を徹底するように注意しておくだけでよい。彼らがわざわざ手間をかけて偽りの未来を作って過去の人間に見せるのは、それを見た過去の人間にこのような方法でやる気を起こさせ自分たちの利益となるような結果を起こさせようとしているのではないだろうか。

 以上が私の仮説である。少し前にドラえもんの最終回としてそこからか流れてきた噂の一つに、「実はのび太は植物人間で、作品世界で描かれているドラえもんとの日々は彼の夢である」というものがあった。未来世界が夢のようなものであるという私の説は、少しこれに似ている。しかしこの噂はあまりにも夢がなく、悲劇的である。私の説ではのび太達の生活、ドラえもんや彼を生み出した「本物の」未来世界の存在は全て事実ととらえている。ただ違うのは、のび太達や我々の目にする未来世界が偽りのものであるかもしれない、ということだ。もしあなたがなにかの拍子でタイムマシンを使える機会に恵まれ、未来に行こうと思うのならば注意してほしい。そこが一見正常であっても、どこか調和がとれていないところがあるような気がしたら、そこは偽りの未来なのかもしれない・・・。

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