そこは、すり鉢状の地形であった。大小様々な大きさの石、あるいは岩と呼べるものがゴロゴロと散在しており、大きいものは人の背丈ほどもあり、そして小さなものは指先に乗るほどのものと、そのサイズに一貫性はなかった。
 また、特徴的な石として、明らかに人工の力によるものと思われる、直角に切り取られた岩がいくつかあった。それらはいずれも白、もしくは灰色系統の色をしており、岩以外に何も存在しないこのすり鉢状の地形の持つ無機質な印象をより強めていた。
 恐らくはかつて花こう岩等の採掘場、いわゆる石切り場として栄えていただろうこの場所も、いまや放置され動くものはなかった。ただ二つの影を除いて。
 一つの影は、大きな石に座り込んでおり、何か携帯電話のような情報端末を操作していた。
 もう一つの影は、寝袋に包まれながら間抜けな寝顔を晒していた。
 その影は二つとも男で、石に座り込んでいた男はそろそろ壮年といってよい年齢であることが、寝袋で寝ている男はまだ20代後半であることがそれぞれ見て取れた。
 そして端末を操作していた男はちらりと時計に目をやると、寝袋の男に声を掛ける。

「十三、一時間半たった。起きろ」

「う……マジすか……」

 寝袋の男は眠そうな顔を振りながら、寝袋から這い出てくる。
 寝袋が取り払われたことによって露わになったその男の肉体には、幾つもの引っかき傷や打撲傷が見て取れた。

「よし、今日の特訓を始めるぞ」

 そう言って石に腰掛けていた男、風見志郎は腰を上げる。

「押忍……」

 そして寝袋から這い出し顔を洗うと、山口十三は静かにそう答えるのであった。



♯10 Yardbird Suite / 真生!その名はヤードバード


 『一ヶ月で強くする』と言った風見は、十三をいきなりこの石切場へと連れ出した。この石切り場は風見が個人的に買い取った場所らしく入り口には立ち入り禁止の立て札が設置してあり、加えて元々放置された場所という事もあって人が近づくこと自体が殆どなかった。そのために、十三や風見のような異形の肉体を持つものが使う訓練場としてはうってつけであった。
 そしてこの場所に着くと早々、風見は普段身につけている黒いテンガロンハットやジャケットから空手衣に着替えた。よほど使い込まれているようで、裾がささくれ立ち、黒い帯もまた柔らかくほぐされ、さらには中身の白い糸が見えるほどにボロボロになっていた。
 そして十三も同じように着替えることを促され、彼も黒いスーツから黒いジャージへと着替える。そして着替え終わった二人は、すり鉢状になった石切り場の、すり鉢の底の中心で向き合う。

「さて、さっそく始めるとしますか。時間が惜しいしな」

 そう言うと風見は荷物から、人の腰ほどまでの大きさのタイマーを取り出した。そしてそのデジタル表示の時計盤を五分にセットする。

「まずは組み手だ。五分間の一ラウンド。互いに変身はなしだ。それ以外は好きなようにしろ。目を突いてもいいし噛みついたっていい」

 風見はグローブを付けない素拳のまま構える。膝を軽く曲げ、腰を落として軽く半身を取り、右腕を胸の辺りにそえ、左腕は軽く前方へと伸ばす。十三にも受け継がれている、典型的な中段の開き構えを取った。
 それを受けて十三もまた、全く同じように構える。身長によって変化する伸ばした左腕、いわゆる順手の位置は異なるものの、鏡写しのようにその構えは風見と似通っていた。

「往くぞ!」

「お願いします!」

 そう二人が言い放つと同時にタイマーが開始に合図を告げ、二人の男は同時に砂利と石の混じった大地を素足で蹴り、様子見もすることなく互いに突っ込んだ。

「トォッ!」

 風見はつい先日、十三と戦った時とは趣向を変え、伸ばした左腕を打ち込む順突きを第一手として放つ。威力は小さいが、出が早く射程も長い。

「つっ……と!」

 それを十三は身体をそらして避ける。そして身体をそらすと同時に、風見の背後へと回りこむ。
 順突きはジャブと異なり、大きく踏み込んで打つため、ジャブ以上の射程と威力を持つが、その分避けられた場合の隙が大きい。
十三はその隙を利用し距離を詰め、風見の側面から肘を打ち込もうとする。

「らぁっ!」

 背中に打ち込んだ肘は、風見の身体を前方へとつんのめらせる。さらにそのまま風見と背中合わせになるように身体を回し、後ろ蹴りを追撃で打ち込む。その蹴りを受けて、風見は前方へと倒れこんでいくが、手を大地について倒立前転のように前方に回転し、大地への激突を免れ、同時に距離を取る。

「4年前とは比べ物にならんほどに成長したな……」

 そして距離を取った風見は、その顔に笑みを浮かべて十三を見る。

「ついこないだ叩き潰されてなきゃ、その言葉は素直に嬉しかったんですけどね」

 そう言うと、十三はそのまま風見へと追いすがるように大地を蹴って追撃する。その十三に対し、風見は迎撃のための上段突きを打つが、それを十三は流れるように身を屈めるダッキングで避け、さらに深くその懐に入る。

「ボディいただき!」

 そしてその上段に対するカウンターになる、柔らかい脇腹へフックを打ち込もうとしたその時だった。

「調子に乗りすぎだ」

 既にダッキングで十三が風見の上段をかわすことまで読んでいた風見は、さらに『カウンターに対するカウンター』となる、中段の正拳突きを打った。弧を描くフックよりも、直線の最短距離を突き進む正拳の方が僅かに相手への到達時間が早い。

(やべっ!)

 一呼吸の間に、何度も有利不利が入れ替わるシーソーゲーム。それを風見が制したことを悟った十三は、せめてダメージを最小限に抑える為に、打点を鳩尾から腹筋へとズラそうと苦心するが、それが殆ど意味を成さないことを理解していた。
 改造人間としての風見志郎の性能は、例え変身せずともバーベルのシャフトを握りつぶし、ドアノブをねじ切り、鋼鉄製の壁を破壊する。一方の十三は、変身前では生身の人間に多少、毛が生えた程度の身体能力しかない。それほどまでに身体能力差が存在すれば、人体の中では頑丈な部類に入る胴体で受けたとしても、風見の拳は容易に十三の身体を破壊するだろう。

「がふっ!」

 頭の頂点まで走りぬける稲妻のような衝撃が十三を襲う。そして十三の身体はまるで紙細工のように宙を舞い、砂利のまかれた固い大地の上を何度もバウンドする。

「つぅ……!?」

 しかし、十三にとって一つ想定外の事が起きていた。この一撃で立ち上がることが出来なくなるだろうと思っていた肉体は、その一撃を『耐えること』が出来たのだ。確かに控えめに言って、激痛と表現できる衝撃が十三の身体に走ったものの、それでもしっかりと両足で十三は立ち上がることが出来た。

「リミッターを外したことによって、変身前の身体能力も向上しているだけだ。そう驚くことじゃない」

 十三の心中を見透かしたように、風見は声を掛ける。
 そしてさらに、十三の身体を制限していたリミッターは、その肉体に所謂『加圧トレーニング』のような効果をもたらしていた。肉体に過負荷をかけ、かつ生存のために必要な酸素やエネルギーを、適切な量のみ肉体に循環させる。そうすることにより、より効率的な訓練を行うことが可能になる。そしてリミッターを取り払ったとき、その身体能力は爆発的な向上を遂げさせていたのだ。
 そしてこのリミッター解除による身体能力の著しい向上は、十三がこの4年間の間に厳しい訓練を積んできた証左でもあった。

「まさか、俺の暴走を抑えるだけじゃあなく、その効果も狙って付けてたんですかい?」

 十三は尋ねるが、風見は再びその唇を軽く持ち上げて微笑んだだけで答えない。

「まぁいい、もしかしてこれならっ!」

 十三は自らの肉体に溢れる力を感じ取る。この4年間、自分とてそれなりに血のにじむような訓練はしてきたし、修羅場もくぐってきた。その訓練と経験が与えてくれた肉体ならば、これならば、もしやあの風見志郎に勝てるのでは?と淡い期待を抱いてみせる。



 五分後



「ぐぉ……痛ぇ……」

 尻を高く持ち上げた姿勢のまま、鳩尾を押さえて大地につっぷした無残な十三の姿があった。

「やれやれ、変身した状態で勝てなかったんだ。変身しない同士でなら勝てると何故思ったか疑問だな」

 そんな十三の様子を尻目に、風見は乱れた胴着を直し、帯を締めなおす。

「うう……ならなんでこんな組み手なんぞ……」

 未だに鳩尾を押さえたままの姿勢で、十三は恨めしそうな目で風見を見つめ、そして恨めしそうな声で尋ねる。

「お前の純粋な格闘戦の技量を知りたかったからな。改造人間としての能力なしで、どの程度やれるか」

 近年、様々な特殊能力や武器を持つ『仮面ライダー』が現れているが、やはり基本は徒手空拳による格闘戦だ。それを疎かにしていてはどのような相手にも勝つことは出来ない。そう言外にしながら、風見は朗らかな声で答える。

「しかし十三、動きの中で少し気になった部分があるんだが……お前、中国拳法を誰に習った?」

 風見が知る十三の基本的な格闘術は、シュートのようなスタンダードなMMA(総合格闘技)を基礎に、風見から学んだ空手等と、自身が風見と出会う以前に身につけた我流の喧嘩格闘術を組み合わせたものといったところだ。
 だからこそ基本的な防御はダッキングやスウェー、空手の捌きを使い、攻撃にはタックルから入るスタンダードな組技や関節技、それに打撃を半々に組み合わせたものという、無難なものに収まっている。
 だが風見は、十三の動きの中にそれら以外の別の動きを見た。身体の捌き方や運足といったものの中に、明らかにそのどれかとも違う動きが混じっていたのだ。
 まるで流れる水の如く捕らえがたい動き。戦いの中で自然に身につけたといった荒削りのものとは明らかに違う、きちんと体系づけられた技術としての動き。その動きは間違いなく、中国拳法の一流派である陳式太極拳のそれであった。

「ああ、ちょっと日本に来てすぐくらいに、ちょっと知り合った女の子から。ああ、俺がしらねーだけかも知れないですけど、別に『こっち側』の人間って訳じゃないですよ」

「ホォ……」

 そう言うと、ようやく痛みが治まったのか、十三は立ち上がって体についた小石を払う。
 そして風見は、それを聞いて軽くため息をつく。その『女の子』とやらは、かなりの完成された使い手であるようだ。それは十三の動きを見れば分かる。
 しかし重要なのはその『女の子』では無く、十三がある程度きちんとした技術として中国拳法を学んでいるという点だ。

「んで、それが何か……?」

 しかし、当の十三は間抜けた顔で風見に聞き返す。その様子に少し呆れたように風見はため息をつき、唐突に切り出す。

「いいか、十三。お前の『アドリブ』は最早技術として限界に来ている。それはわかるな」

 まるで事前の予告もなく行われるゲリラライブのように、風見の言葉は十三の心臓を激しく揺さぶった。
 確かに前回のV3との戦闘の際、仮面ライダーFAKEの戦闘における最大にして唯一の戦闘術『アドリブ』の弱点が幾つか露呈した。そしてこの『アドリブ』が通用しないということ、それは最早、FAKEライダーの戦力としての意義が失われるということだ。
 そしてそんな十三の心を知ってか知らずか、風見は言葉を続ける。

「だからお前のアドリブをもう一度、ゼロから組み立てなおす必要がある。もっと融通と汎用の利く技術としてな。そしてその組み立てなおすパーツは、お前が使う格闘術に他ならない」

 ある意味、山口十三流格闘術といえるアドリブ。それをたった一ヶ月でもう一度再構成しなおせと風見は言っているのだ。それだけで十三は、自分が想像していた以上にこの特訓が厳しいものになるということを悟った。

「その鍵は、中国拳法の中にあるってことですか?」

「さて、な。それはお前が考えるんだ。それをこれから俺が課す特訓の中で、お前自身が見つけ出さなければならない」

 確かに、風見には風見なりに、今の十三が実戦に耐えうる技術としてこうしたらどうか、という考えはある。しかし、これから十三が一人で戦っていく上でも、そして真に十三に『合う』技術を習得するためにも、その技術そのものは十三自身が独力で構成する必要がある。

「さぁ、休憩は終りだ。まずお前はリミッターを外した自分の肉体に慣れなければならん。もう一ラウンドいくぞ」

 そう言うと、風見は再びタイマーを五分にセットし、身構えるのであった。





「ふう、もうダウンか?」

 風見はそう言うとタオルで汗を拭う。その姿は、多少肩を上下させて息をしているものの、殆ど胴着の乱れはなかった。そして一方の十三は、両手両足を大地に投げ出し、寝転んだまま大きく胸を上下させ、いくら吸っても足りないというように大量の酸素を吸っては吐いていた。
風見と十三は、五分の組み手を20本、それぞれに三十秒ごとのインターバルを置きながら行った。つまり、約二時間半。生身の人間では決して考えられないほど長い時間を殴りあった。
 その二時間の殆ど、十三は殴られ続けていた。風見が十発打つ間に、十三は一発返すことが出来ればよいほうであった。そしてその十発のうち、一発が顎や鳩尾といった急所にヒットしても、風見は容赦なく手を休めず十三を痛めつけた。それゆえに十三の身体中には、青痣がまるで天道虫の斑点模様のように広がっていた。

「どうした十三、何を寝ている。立ち上がれ」

 そう促され、十三は足を生まれたばかりの草食動物のように震えさせながら、片膝を立てて立ち上がった。

「あ、ありがとう御座いました……」

 十三はそう言うのが限界であった。それ以上に何か行動をすることは、例え呼吸をすること、心臓を動かすこと、それすらも困難であるように思われた。そしてそんな様子を見てとった風見は、荷物からガンタイプの注射器を取り出すと十三の首に押し当てた。

「痛っ……」

 小さく十三がそう呟くと同時に、刺さった注射針から何か得体の知れない液体が流し込まれる。そして一拍置いて、十三は脳天がスパークしたかのような感覚に襲われ、自分の身体が熱くなるのを感じる。

「高タンパクの栄養剤だ。口から摂取するよりもこうした方が、効率が良いからな」

 風見がそう一言口にする間にも、十三は身体がますます熱くなるのを感じていた。そして二時間の組み手で使い切ったエネルギーが補充され、そしてそのエネルギーが十三の肉体を癒していく。

「いいか、十三。俺達が休んでいる間にも、何の罪もない人々の命が理不尽な悪党共に弄ばれ、消えていく。それを忘れるな」

 風見はそう言うと、注射器といくつかのカートリッジを十三に投げてよこす。食事などのエネルギー補給はこれで行えといっているのだろう。
 まるで鬼だ。そう十三は感じるが、この厳しい仕打ちに反論しようという気は起こらなかった。

 仮面ライダーV3、風見志郎。その男は『伝説の11人の仮面ライダー』の中でもとりわけ自分に厳しい男であると、十三は思えていた。
 彼は自らを改造した二人の先輩ライダーが消息を絶ったがために、改造人間としての基本的な動作ですら、戦いの中を手探りで身につけていかなければならなかった。
 そして意外なことに、彼は仮面ライダーの中でも特に多くの敗北を経験している男であった。そしてその敗北のたびに、彼は自らに厳しい特訓を課し、新たな技を得て、強敵たちを撃破していった。そのことを十三は知っていた。だからこそ風見に反論しようとは思わなかった。
 むしろ、この厳しさを心地よくすら思えていた。

「どうした十三、エネルギーを与えてやって、三十秒も休んだだろう。まだ休む気か?」

「もう十分ですよ。これ以上休んだら体が鈍っちまいそうだ」

 そう言って、十三は痣だらけの膨れ上がった顔で微笑んでみせる。そして攻撃を受け続け、打撲だらけになっている両腕を顔の前に持ち上げて構える。

「しゃぁっ!」

 呼気と共に、十三の拳が真っ直ぐに風見へ向けて放たれた。






 それからの一週間と言うもの、十三は風見と昼夜問わず戦い続けた。五分間組み手をした後、三十秒だけインターバルを入れる。食事は取らず、そのインターバルの間に高カロリー・高タンパクの栄養剤を取る。小便などの用を足すときのみに少し休憩を入れること以外、休憩は全く取らない。風呂などにも入らず、基本的に睡眠もとらない。睡眠をとるのは、殴られ続けた十三が、力尽き、そのまま失神するように気を失った時。そういったときのみ、例外的に一時間半のみ十三を眠らせる。
 明らかに過度といえる訓練である。しかし、風見は訓練の初日にこう言った。

「まず言っておくことがある。俺達は改造人間だ」

 そして十三と向き合ったまま、風見は言葉を続ける。

「だから、人間とは同じ鍛え方をしない。俺達はオーバーワークを殆ど気にする必要がないからな」

 人間の肉体は、ただ鍛え続ければ良いというわけではない。筋肉を限界まで使用すれば筋肉は壊れ、そしてその壊れた筋肉を再生する際に、より強靭な筋肉として作られる。筋肉の再生の際には痛みを伴い、その痛みがいわゆる筋肉痛の正体というわけだ。
 そして、その筋肉が再生する前に筋肉を壊してしまえば、その筋肉は強靭なものとならず、逆に歪んだ筋肉となり、場合によっては鍛える以前よりも弱い筋肉を作り出してしまう。これをオーバーワークと言う。だからこそプロのアスリートたちは訓練だけでなく休息にも気を使う。これは音河や奈津のような超人的な肉体的資質を持つものであっても、生身の体である以上逃れられない生理機能だ。

 だが改造人間の場合、事情が異なる。特に十三のようにバイオメカトロニクスによって改造され、高い身体再生能力を持つものの場合、筋肉の再生速度もまた常人よりも遥かに速い。即ち限界まで鍛え、そして鍛えながら筋肉を再生させ、また限界まで鍛えるということが可能になる。

「言っていることが分かるな?十三」

 風見は、普段以上に厳しい口調で言い放つ。風見は、言外に休むなと言っているのだ。自分が特訓の中でそうしてきたように。
 しかし十三は寧ろ望むところと言わんばかりに薄い笑みをその顔に浮かべる。

「そんなもんは最初っから覚悟の上ですよ先生」

 それを聞き、風見もまた薄く微笑む。

「ならば、いい。いくぞ!」



 そうして何度も殴られ続けながら、さらに三日が経過した。十三は、風見と向き合っていた。

「ホォ……」

 十三の構えを見た風見は、軽く声を上げた。十三の構えは、以前の適度に腰を落とした中段構えでは無く、あまり腰を落とさず、半身もあまり大きく取っていなかった。前足を軽く曲げ、重心をやや後ろ足に預ける。ムエタイで言うところのアップライトという構えだ。但し、ムエタイほど重心を後ろ足にはあずけていない。

「俺だって、ただ何にも考えずに殴られ続けてただけじゃあありませんよ。戦ってる中で、ちょっと試してみたい動きが出来たもんで」

 そう言って、十三は軽やかにステップを踏む。その顔からは相当の疲労が見て取れるが、眼光はその疲労した肉体に反比例するかのように、精力に満ち溢れ鋭い。

「さて、何となく狙いが透けて見えるが……乗ってあげるとしますか」

 そう言って、風見は両手を上下に大きく広げる独特の構えを取る。身体は十三と同じように半身を取らず、膝を軽く曲げてバネをためている。その周囲をゆっくりと十三が回り、それにあわせるように風見の体が動いていく。
 独特の構えでありながら、体幹がしっかりと通った風見の構えは、身体を動かしても寸分もぶれることがない。そのブレのない風見をコンパスの針のように中心点に置きながら、十三のステップは円を描いていく。

「オラッ!」

 突然、十三は前蹴りを打つ。最初から後ろ足の重心を預けているという構えの特性上、以前の構えよりも蹴りの出が圧倒的に早い。だが風見はそれに慌てることなく、下手に構えた左手でその前蹴りを裁き、同時に一歩間合いを詰める。

「トォッ!」

 間合いを潰し、蹴りから拳の間合いに詰めた風見は、大きく拳を振り下ろす。だがそれにあわせて、十三のカウンターの右ストレートが風のように走り抜けた。
 顎を狙って走ったその拳を、風見はすんでの所で首を動かし、額で受ける。
 がつん、という大きな音をたてて、風見の身体が初めて大きく揺れる。そのまま十三はコンビネーションで畳みかけようとするが、風見が一瞬早くバックステップで距離を取った。

「成程、速度とカウンターに頼った戦い方と言うわけか。弱点を隠すのではなく、利点をより特化させてみたというわけだな」

 風見は十三の動きを見て、愉快そうに笑う。
 非力なFAKEでは、普通に敵を殴ったところで効果的なダメージをあたえることは難しい。しかし相手の攻撃の勢いを利用するカウンターを用いれば、十二分に相手にダメージを与えることが出来る。
 そして十三は『アドリブ』によって相手の動きを予測することが出来る上に、リズムまで精確に刻みとることが出来る。それはどちらも、カウンターを打つことにおいて、非常に有用な技術だ。
 加えて、十三が他の改造人間と比較して、多少は勝っているといえるのが速度だ。
 速度とカウンター、その二点を特化させる構えが、このアップライトであった。

「ならば十三、これならどうだ?」

 そう言うと、風見は構えを解く。そしてだらりとしたまま、十三と向き合う。その構えともいえない構えを見せた瞬間、十三の額に、明らかに特訓による発汗とは異なる、精神性の汗が浮かんだ。

「どうした、打って来い」

 風見はそう十三を挑発するが、出るに出ることが出来ない。
 当然だが、カウンターは相手が仕掛けてきて始めて攻撃が成立する。それも、相手が向かってくるような攻撃をだ。このように、相手が完全に受けに回れば攻撃することも出来ない。

(……)

 ますます十三の額に汗が浮かぶ。
 もし、風見がこのままで居れば千日手となり、どちらの勝ちともいえないだろう。
 だが、もしこれが対・改造人間であったら? 目の前に立つのが風見ではなく、身体の各部に内蔵された火器を用いて、身体を動かすことなく攻撃をすることが可能なタイプの改造人間であったら?

「ちっ!」

 十三はそう舌打ちすると、構えを変化させる。大きく半身を取り、そしてまるで素人のように拳を振り上げて構える。振り上げて殴れば、風見と比較して非力な十三であっても、それなりにダメージを与えうる。
 普通なら、拳を振り上げて殴る格闘技は殆ど存在しない。拳を振り上げて殴れば、威力に引き換えにその動きを相手に事前に知らせることになるからだ。しかし十三の場合、『拳を振り上げて殴る相手に対する対応への対応』のを読むことが出来る。振り上げた拳をスウェーでよけるか、受けるか、カウンターを取るか、それらの対応に対して、さらに対応することが出来る。

「らぁっ!」

「トォッ!」

 十三がその振り上げた拳を動かした瞬間、風見も同時に動いていた。虹のように大きく弧を描いて走るその拳を、風見は身を屈めながら避けて、真っ直ぐに自らの拳をカウンターとなるように突き出す。

「狙い通り!」

 しかし、そのカウンターは十三の狙い通りであった。十三はそれを、半歩足をずらして紙一重で風見の拳を避けると、自らの拳を振り下ろした勢いのまま、身体ごと大きく回転させる胴回し回転蹴りへ、ダイナミックなコンビネーションを繋げる。

「やはり甘い!」

 だが風見はそのさらに一手先を読む。天から落ちてくるように浴びせてくる十三の蹴りを、風見は腕を伸ばして滑り込ませるように掬い上げる。
 その瞬間、一回転している最中の十三は、さらにもう一回転天地が逆転したかのような感覚を味わった。

「あがぁ!?」

 間抜けな声を上げて、十三の身体が背中から大地に落ちる。胴回し回転蹴りを行った結果落ちたのではなく、風見によって投げ飛ばされたのだ。

「お前が先の先を読むならば、俺はさらにその先を読む。まだまだ、日本じゃあ二番目だな」

 そして倒れた十三を見下ろすように風見は立つ。倒れた十三に追い討ちを掛けようと足を振り上げた瞬間、セットしていたタイマーのブザーが鳴った。
 その瞬間、厳しい表情を作っていた風見の顔が、いつもの不敵な、それでいて敵意を感じさせることのない笑顔に変化すると、倒れた十三に手を貸した。

「ってぇ……そういや、前の時もそうだったんですけど、風見先生はどうやって俺の動きを読んでるんです? そんな単調な動きしてますかね、俺」

 差し伸べられた手を掴んで、十三は立ち上がりながら風見に尋ねる。
 未だかつて、十三は風見と『読み合い』という局面において勝ったことは一度もない。風見もまた、十三のアドリブのような技術を使っているのだろうか。

「フフ、俺は君のように何かを聴いて動いているわけじゃあない。いや、強いて言うならば『音ならざる音』を聴いているといったところかな」

「『音ならざる音』ぉ?」

 風見の言葉を、怪訝な様子で十三は反芻する。その不可解な様子を、風見は白い歯を見せて満足そうに笑う。

「もっと敵だけじゃあなく、自分自身が動く音を聴いてみるんだな。いや、お前は動くとき、どうやってお前は動いている?意識してみることだ。お前の『アドリブ』の進化の鍵はそこにある。お前は演奏するとき、ただ楽譜だけを見るのか?」

 そう言うと、風見はタイマーを片付け始める。

「あれ、今日はこれで終りですか?」

 十三は、少しばかり物足りないといった様子を見せる。

「ああ。実感はないだろうが、十三、君は俺が想像した以上にこの十日間で成長しているよ。俺と組み手する段階は終わりだ」

 そしていつのまにか、いつものウェスタンスタイルに白いギターという格好に着替え終わっていた風見は、そういうと中指と人差し指を立てて額に当て、別れの挨拶をする。

「いいか十三、お前はこの十日間と、先日の模擬戦。この二つでお前の『アドリブ』の弱点は、お前自身が把握できた筈だ。あとはお前次第、お前が独りでその対策を練るんだ」

「風見先生がレッスンを付けてくれるんじゃあないんですか?」

 そう十三が、肩で息をしながら問いかけると、風見はどことなく哀愁を含んだような笑みを見せて答える。

「十三、お前も俺も、仮面ライダーは『独り』だ。結局のところはな」

 そう言われ、十三も一瞬、戸惑ったような顔を作るが、しかしまた風見と同じような笑顔を見せて軽く頷いた。それを見て風見は、今度は満足げな表情を見せる。そして無言で背中を向けると、影も残さず消え去ったのであった。





 石切り場の隅にたてつけてあったプレハブ小屋の中で、十日ぶりのシャワーを浴びながら、十三は風見の言葉をもう一度反芻する。

「『音ならぬ音』を聴け……もっと自分の動きを意識しろ、か」

 そう言いながら、十三は温めのシャワーを浴びる。熱くほてった身体をぬるま湯が冷まし、思考をクリアにする。
 音ならぬ音とは何であろうか。それだけではない。風見は今回だけではなく、三日前、中国拳法についても反応を見せていた。

(演奏をするとき、ただ楽譜だけを見るか?)

 他にもある。自分自身の音を聴け、自分はどう動いているか、それを意識しろ、と。

「何か、分かるような分からないような……あぁ、はっきりしなくて気持ちわりぃぜ」

 そう呟くと、十三はシャワーの蛇口を閉める。そしてパンツ一枚だけを履き、その格好のまま眠りに落ちたのだった。







 そして目覚めて一人残された十三はまず、自らの技をもう一度足元から見直すことを始めた。自らの戦闘術『アドリブ』、その技術構造を頭の中で反芻する。

 山口十三流格闘術『アドリブ』とは、十三の個人的な思い入れを除けば、十三自身の驚異的な聴覚と音楽的センス、そして中国拳法における『聴勁』と西洋的な近代格闘術におけるコンビネーションの融合と言っていい。

 まず音楽とは、リズム・メロディ・ハーモニーの三要素によって構成される。その中のメロディを、さらに細かく分解させていくとそれらは『コード(和音)』の集合と言うことが出来る。コードとは例えば、ドミソだとかレファラだとか言った、つまり音楽が『音』では無く『音楽』として成される最小単位の事だ。

 そしてその『ドミソ』を、十三は攻撃におけるコンビネーション・ブローと捉えた。

 音楽がただ一つの音だけでは音楽として成立しないように、戦闘もまた、ただ一つの攻撃だけでのみ成立するわけではない。古流の空手のように『一撃必殺』を旨とするものですら、本当の意味で一つの動作だけで完結するわけではない。相手の動き、自らの運足、呼吸。そういった複雑な要素の果てに、その『一撃』を決める攻撃を打ち込む。
 この点において、十三は戦闘と音楽の共通点を見出した。つまり十三は戦闘におけるコンビネーションを、音楽におけるコードと置き換えて『聴く』ことが出来るようになった。

 例えば、十三の目の前にボクサーが立っているとする。そのボクサーはオーソドックススタイルで構え、まず大地を踏み出す。この踏み出す動きが『ド』の音、そしてその次の左ジャブが『ミ』の音、ついで来る右ストレートが『ソ』の音。

 和音=コンビネーションは基本的に『そういう音(技)の組み合わせであること』が最も効果的であるから、基本的にその動きを崩すことはない。崩せば、それは効果的な攻撃、または美しい演奏とはなりえない。
 だから前述の例の場合、最初の『ド』を聴いた時点で、十三にはその後に繰り出されるワンツーを予測することが出来る。もし、それでも意外性を突いたコンビネーションであるならば、必ずその『ド』にはノイズが混じる。そしてその音から、おおよそ繰り出される攻撃と言うものを予測することが出来る。

 これは素手での徒手空拳においてだけではなく、武器を使う場合でも同じだ。例えば拳銃ならば、抜く・構える・打つの三拍子が『レファラ』であったりする。全ての動作は音楽によって表すことが出来るのだ。およそ見たこともないような改造人間に内蔵されているような特殊兵器ですら、その例外ではなかった。

 そしてそれらの攻撃が行われるタイミングは、音楽の場合における意味と全く同じ意味での『リズム』を予測し、相手の攻撃を抑えることが出来た。それに加え、そのリズムを『裏打ち』と呼ばれるジャズ特有のリズムに変えてやることによって、相手の動きを崩してやることすら出来た。

 ここまでの動きを、まだ十三が風見と共に世界を回っていた頃には既に完成させていた。だが、これは未完成なアドリブであった。

 なぜなら、リズムとメロディだけでは、音楽は音楽として成立しえない。音楽が音楽であるにはあと一つ『ハーモニー』が必要であった。そして戦闘におけるハーモニーの概念、それが『勁』であり、それを把握することが出来る技術が中国拳法における『聴勁』であった。

 まず『聴勁』とは、一言で言い表せば『勁を聴く』ことである。では『勁』とは何かと問われると、一言で言い表すことは難しい。様々な概念の果てにある言葉であるからだ。十三が日本で出会い、十三にこの『勁』を教えた女性によれば、『勁』とは力の流れのようなものであるそうだ。力がどのように流れるかを決定し、その流れそのもの。それが『勁』であると。

 そして『聴勁』とは、相手の肉体の内部の動きであり、力の根源である『勁』を聴き取る、というより感じ取ることによって相手の動きを予想するという技術だ。

 この『勁』とはまさしく、音楽でいうところのハーモニーであった。和音(コンビネーション)の集合体であるメロディ(攻撃)とリズムの調和を取り、音楽(戦闘)が音楽(戦闘)であることを成立させる。この三つが揃ったとき、山口十三流戦闘術『アドリブ』はその楽譜を描いた。

 そしてその細部を詰めていくことは簡単であった。相手のリズムとメロディ(コンビネーション)とハーモニー(勁)を聴きとれば、後は頭の中にその動きを記すリード・シートを描き、それに『自分のコード』を描き込んで、まさしくアドリブの如く、その場で相手の動きをフェイクしていくだけ。

 だがしかし、それでもまだアドリブは完成とは言えなかった。その音楽(戦闘)が頭の中で鳴り響いても、それを実際に演奏することが出来なければ意味がない。そして戦場というコンマレベルの反応が要求される場においては、いちいちリード・シートを確認しなおしている暇などない。

 そして、これまた一流のジャズメンがアドリブを行うためにそうするように、一つ一つのコード(コンビネーション)を身体に覚えさせた。コンビネーションとコンビネーションの組み合わせに一瞬でも隙が出来れば、アドリブはアドリブとして動きを成さない。
 身体に覚えさせるために、十三は、何百、何千通りものコード(コンビネーション)を、何千回、何万回と繰り返し、頭ではなく最早、肉体の反応レベルで使うことが出来るように訓練した。
 そして一年の歳月を経て、十三はようやく完全なアドリブを完成させた。
 血のにじむような一年であった。ただひたすら、自らに拷問を課したかのように単調な作業を繰り返した。肉体以上に、精神を蝕むような訓練に十三は耐えた。

「もう一度、この訓練をやりなおす」

 十三は、誰ともなしに呟いた。新に技を開発し弱点を克服することも重要だが、まずは自分の足元を見つめなおす必要がある。
 十三はその場に軽く膝を曲げて構える。膝以外の全身の全てを脱力させる。肉体は背骨から腰、腰から膝、膝から両足首、両足首から親指へと真っ直ぐに繋がった体幹を構成していた。だからこそ、身体の力を抜いてもその身体が倒れてしまうことはなかった。

「ふっ!」

 呼気と共に十三の左順突きが打たれる。

「らぁっ!」

 ついで右の逆突き。そして踏み込んで体位をより深く落とし、右手で頭部を庇いながらの左中段鍵突き(フック)。相手を想定しながら、次々にそのコンビネーションを繋いでいく。
 単なる演舞にも見えるそれを、限りなく早く、限りなく精確に、限りなく長く続ける。

 休まない。一時間であっても十時間であっても一日であっても続ける。

 例え尿意や便意を催してもそのまま続ける。垂れ流しながら続ける。腹が減っても食べない。睡魔が襲おうとも眠らない。
 眠るのは、風見と組み手をし続けていたときと同じように、限界まで維持しつづけた集中力が完全に途切れた時、もしくは肉体がエネルギーを使い果たしたとき。十三の肉体はその意思とは無関係に、勝手に動きをやめ、その場に気絶するように眠りに落ちる。
 そしてちょうど、一時間半きっかり眠る。目を覚ますと同時に、風見が用意してくれた栄養剤を自らに注射する。そしてまた同じ訓練を続ける。

 明らかに生身の人間であればオーバーワークなそれを、十三は続ける。改造人間であるからこそ可能な鍛錬を、十三は続ける。

 その鍛錬は当初、十三の肉体を蝕んだ。疲労によって喚起される乳酸が全身にたまり、まるで自らの肉体に鉛のような重さを感じさせ、垂れ流される尿には血が混じり、ついにはただの呼吸の一つ一つですらが苦痛に感じられるほどの痛みが彼の身体に蓄積した。

 そしてその肉体的な苦痛に慣れ始めた頃になると、今度は十三の精神を蝕み始めた。
 地面を掘らせて穴を作り、そしてその穴を埋めさせるという行為を延々と何度も繰り返しさせ続けるという拷問がある。人間の精神は、何度も単調な同じ行為を繰り返させられ続けると、その行為に耐えることが出来なくなる。何時間も繰り返す『アドリブ』の型の演舞。その異常なまでに繰り返される反復訓練に、十三は何度も挫けそうになった。

 しかし、それでも彼は耐えた。十三に、音楽以外の才能が一つあるとしたら、それは努力することが出来る才能ではない。それは音河のような真の天才が持ちうる才能だ。十三が持っていた才能は、苦痛に耐え続けることが出来るという才能であった。侮蔑と屈辱に塗れた環境で育ったことが生んだ才能であった。

 かつてジャズの帝王、マイルス・デイビスは鍛錬を祈りに例えた。
 鍛錬とは、祈りを捧げるようなものだ。一週間に一回とか、一ヶ月に一回と言うわけにはいかないものである、と。
 十三は祈り続けた。自分にこんな運命を与えた神に抗うために祈り続けた。

 そしてその訓練がさらに十日に差し掛かるころ、即ち特訓を開始してから二十日あまり立つ頃になると、十三は自らの動きの変化に気付き始めた。
 身体が、重い。
 それは当初、疲労から来る感覚だと思っていた。しかし、そうではなかった。
 この重さは、自らが踏みしめる大地の重さだ。その大地の上に立つ自らの身体の重さをきちんと感じているのだ。

(俺の身体って、こんな重かったか?)

 しかし、その重さを感じる自らの肉体に反して、その動きは軽やかさを増していった。
 まるで十三の形をした水銀が、大地の上を流れながら次々と姿を変えていくかのように滑らかな動き。

(ああ、そうか。風見先生の言ってた音ってこれか)

 十三は今まで相対する相手の動きしか聴いていなかったのだ。
 この今、自分が存在するというこの場所、相手と自分が動くことで変化する気流、自分が踏みしめている大地。
 そういうものが感じ取れる相手ならば、確かに『アドリブ』は通用しない。相手は自分より高い土台に立つことになるのだから。
 『勁』の流れを意識して感じ取れるのならば、そういう相手にもアドリブは利かない。風見は自らとの戦闘の中で、十三の『勁』を十三よりも高いレベルで聞いていたのだ。
 そして長年の訓練と新に覚醒した肉体のよってもたらされた力を背景に、この二十日間あまりの訓練で極限まですり減らした肉体と精神が、終には十三をその領域まで押し上げたのだ。

(だから、俺はもっと音を、『世界』を聴かなきゃならねぇ)

 十三の演舞が、さらに速度を増していく。風を、大地を、己を巻き込んで加速する竜巻のように。そして彼の構えは、徐々に体勢を低くしていく。
 ステップを踏むために身体を高く持ち上げていたものが、大地からの反作用を得るためにより深く身体を沈めていく。

(わざわざカウンターを取る必要なんてねぇんだ)

 十三は深く身を沈めた状態から、一気に全身のバネを使って加速し、中段の縦拳逆突きを真っ直ぐに放つ。キュ、とまるでガラスがこすれたような音をたてて、その縦拳は風を切って放たれる。

(俺の身体はこんなに重てぇんだ。こんな重いもんで相手をブン殴ったら……どうなる?)

 十三は拳を突き出したまま、にやりと笑った。








 そして特訓を始めてからあっと言う間に一ヶ月が経過しようとしていた。
 その約一ヶ月の間、十三はひたすら、貫手を初めとする部位鍛錬と演舞のみに時間を費やした。
 十三の指は、見る間に太く、無骨になっていった。何年もかけて訓練することによって形作られていた指が、さらに無骨な武器化した指となっていた。
 改造人間としての特性を生かした、がむしゃらな訓練がその指を、肉体を形作っていたのだ。
 そしてその演舞には、一ヶ月前には存在しなかった動きが追加されていた。貫手を型の中に組み込んだ動き、それが幾つも増えていた。

 訓練を続けながら、十三は思う。脳以外の、いや、脳を含めた肉体も、心も、魂も全てを含めた山口十三という総体全てが考える。

 俺には夢があった。
 愛する人がいた。
 思い描いた未来があった。
 それら全ては奪われた。他でもない俺自身の肉体と、その肉体を使って守ってきた人間共に。
 そして全てが空っぽになった俺の心の中に、すっぽりとあの『仮面ライダー』が嵌っちまった。
 もう、俺には何もない。
 だからこの『仮面ライダー』に最後まですがってやる。

 十三の動きが止まらない。

 俺は、何故こんなことをしているんだ。
 仮面ライダーという存在になろうとしたからか。
 なんて馬鹿な事を選んじまったんだ。
 こんなにも苦しくて、臭くて辛いことを選んじまったんだ。
 いや、違う。何いってやがる、俺が選んだんじゃあねぇよ。
 選ばされちまったんだ。
 何に?
 俺以外の何かが、俺にそうすること以外を許さなかったんだ。
 俺のこの生まれつきの肉体が。
 サラに出会ったことが。
 風見志郎に出会ったことが。
 音楽の才能を中途半端に持っていたことが。


 十三の動きが、一ヶ月前とは明らかに違う。丸みと穏やかさを帯びた、緩慢なようにも俊敏なようにも見える動きであった。


 俺は別に、欲しくなかったんだ。
 このゴキブリの身体のことじゃない。
 音楽の才能とかだ。
 あと、サラとだって風見先生とだって出会いたくなかったんだ。
 彼らと出会わなかったら、音楽が好きじゃなかったら、俺は人類なんてきっとどうでも良いと思っていたに違いないんだ。
 俺は別に、その日その日を働きながら必死に生きて、適当に音楽でも聴いて、それで死んでいく人生で満足だったんだ。
 『普通』の生き方がしたかった。
 それはきっと、何よりも素晴らしいものに違いない。
 なんでそう思うかって?そ りゃ、音楽が美しいからだ。
 音楽は世界から生まれたんだ。
 その美しい音楽を生んだ世界が、人が、正義が、素晴らしいものでない筈が無い。
 そして世界の大半は『普通』であるはずだ。
 だから『普通』は素晴らしいはずだ。
 あれ? おかしいぞ、矛盾してやがる。


 十三の『アドリブ』は、十三自身が何かを考えるまでもなく、一人でにその動きを大きく変化させていった。ただひたすら演舞を舞う間に感じ取れたとこと、これからの事、今迄の事、それらが組み合わさるうちに、必然的にその動きは完成されていった。


 音楽が好きじゃなかったら、世界が素晴らしいなんて思えなかった。
 普通の暮らしがしたいなんてきっと思わなかった。
 守りたい、世界を、音楽を。
 そして俺のように、何かの理不尽な力で生き方を捻じ曲げられるような人を減らしたい。
 嘘だ、俺がそう思えるのは仮面ライダーという道にすがったからだ。
 仮面ライダーしかやることがなかったからだ。
 それすらもなくなってしまったら、俺には生きる意味すら見当たらなくなっちまう。


 いまや十三は、足元の砂利の一粒一粒の動きですら聴き取り、把握し、そして自らの動きへと反映させれるまでなっていた。


 はは、どっちにしろ俺は仮面ライダーのように生きるしかねぇのか。
 なら、俺はそうあることを望もう。誰かに強制されたから。肉体が人間じゃないから。そんな事は関係ない。
 俺が俺として、仮面ライダーとして戦うことを望もう。
 この肉体であったから仮面ライダーの道を選んだのではなく、俺自身の意思でこの道にすがることが決まっていたから、先にこの肉体を与えられたと思おう。
 この肉体を喜ぼう。
 出会いも、別れも、その全てを喜ぼう。
 ざまぁみやがれ、どこのどいつかしらねぇが、俺をこんな運命に会わせやがった野郎は歯噛みしやがれ。
 お前がくれたこの糞意地の悪い運命を、俺は楽しんでやる。奴隷がジャズを生み出したように。差別が天才音楽家を生み出したように。
 俺は変えられない運命をフェイクして、アレンジして楽しんでやる。

 俺は、仮面ライダーFAKEだ。

「……完成した。これが俺の新しいインプロヴィゼーションだ」








「見たところ、完成したようだな……」

 そしてちょうど訓練を開始して一ヶ月。新しいアドリブが完成した十三の目の前に、再び風見志郎が現れた。『士別れて三日なれば刮目して相待すべし』との格言があるが、たった二十日あまり前に別れたばかりの十三と、今風見の目の前にいる十三が同じ人物だと思えないほどに、その肉体が鍛えられているのが風見には見てとれた。

「受け取れ」

 そしてそう一言だけ呟くと、風見は無言の十三にとグロテスクなデザインのベルトを投げ渡した。真っ黒で、かつ生物の内臓のようなベルトのそのバックルには、大きな人間の頭蓋骨のような異称の装置が取り付けられていたのが見て取れる。

「コイツは……?」

 そのベルトを両手で受け取ると、十三はしげしげと眺める。

「そしてそのベルトについてだが、そのベルトはお前と音河君が戦ったメルヴゲフ……メルヴシュランゲとメルヴアードラーと言ったか……が使用していたベルトを真似て、さらにICPOの協力の下で俺なりに改良したものだ」

「あいつらの?」

 十三の脳裏に、ヘビを模したメルヴゲフとタカを模したメルヴゲフがよぎる。あの二体は自らが追い詰められた際、何かベルトのようなものを装着し、そこへディスクのようなものを挿入した。すると、その姿は変化し、より強力な力を得るようになっていた。

「ああ。そしてそのベルトによって得られる力は、その装着者の精神性や肉的な資質によって変化する。歪んだ認識と鍛錬ならば、歪んだ肉体となって表れ、正しい認識と鍛錬ならば、それに相応しい肉体が与えられる」

 それを聞き、十三は思い出す。確かにあのヘビのメルヴゲフは十三と再び相対した際、十三に痛めつけられた怨みから、対FAKE用とも言える能力を持って復活した。

「話を続けるぞ。そして作った人間としては無責任だが、使用した後にどのような姿になるか俺にも分からん。一応は、このベルトを使いこなせるようこの一ヶ月の鍛錬を課したわけだが……それでもどんな姿になるかはお前次第だ。使うか、使わないかを決めるのもな」

 風見は真剣な表情のまま、十三を見つめる。だが十三は迷うこと無くベルトを腰に巻いた。

「俺は信じますよ、今まで俺が生きてきた人生を。酷いもんでしたが、それでも今の俺があるのはその糞みたいな人生があったからです」

 そう十三が言うと、風見は満足したように微笑む。そして十三に、虹色に光る円盤を投げ渡した。











 2005年3月某日。愛知県名古屋市。全国の市町村で三番目の人口を有し、東京・大阪に継ぐこの国の大都市にはいつも通り忙しなく行きかう人々の姿があり、活気付いた雰囲気の駅前にはいつも通り大勢の人でごった返していた。
 まだ3月でありながら、日本最高気温を記録した岐阜県多治見市に近いこともあってか、春の到来を感じさせる暖かな気候のこの地方大都市に、その日、奇妙な一団が姿を現した。
 その一団は皆、一様に頭からすっぽりと覆うような濃緑色のケープを身に纏っており、その顔をうかがい知ることは出来なかった。

「なんだあれ?」

「また何かのイベントじゃない?」

 その目に引く一団を見た人々は疑問を口々にするが、強く関心を留めるものは少ない。そしてその一団の中に一人だけ、ケープを被らずに背広を着、サングラスで視線を隠している男がいた。

「さて、今日は記念すべき我らの宣戦布告を行う日だ。ついでにお前たちの性能テストも兼ねている。派手にやれ」

 その背広を着たサングラスがそう呟くと、ケープを着た12人の男達は、交通量の多いメインストリートの真ん中へと、躊躇なく躍り出る。

「危ないっ!」

 急に飛び出してきた一団に驚き、車が前につんのめるように急停止する。間一髪、ほんのスレスレで人を引かずに済んだその車のドライバーは、ホッと安心すると同時に、ふつふつとこみ上げる怒りに我慢がならなくなっていた。

「こらぁ! 何やってんだ! 急に飛び出して、ひき殺されてぇのか!」

 そのドライバーは、車の中からその一団に向かって怒鳴り声を上げる。だがそれを意に介することもなく、一団は円陣を取ると、四方に向かって手を突き出した、

「ああ? 何だそりゃ?」

 それがそのドライバーの最期の言葉になった。

 ドッ!

 突然、暴風のようなものが吹き荒れた。その円陣を組んだ12人を中心に、車は風に舞う木の葉の如く吹き飛ばされ、ビル群の窓ガラスはシャボン玉が弾けるようにして吹き割れ、壁面は一瞬で経年劣化したようにヒビが入る。
 そして恐らくは、その12人が放ったと思われる『風のようなもの』に直接触れた人間は、まるで乾ききった植物の葉を握るように簡単にバラバラになり、それに触れずに済んだ者も、頭上から降り注ぐ割れたガラスの雨に打たれ、身をハリネズミのようにし、またあるものはきりもみ回転をしながら吹き飛ばされてきた乗用車にその身をプレスされ、カルシウムとタンパク質のシェイクへとその身を変化させた。

「あ、あ……」

「お母さん!? おかぁさぁーん!」

「足が、俺の足が……」

 その街は一瞬にして阿鼻叫喚の渦に支配された地獄絵図となった。あるものは呆然として立ち尽くし、あるものは目の前で真っ赤な液体へと一瞬で身を変えたものの名を何度も呼び、あるものは自らの千切れ飛んだ身体の一部を信じられないといったかのように見つめていた。

「未確認だ!」

 誰かが叫んだ。ここ数年、日本中を恐怖のどん底へと叩き込んだ謎の生命体群。未確認生命体からアンノウン、そしてメルヴゲフ。それらに類する類のものだと、人々が判断できた瞬間、街はやっとパニックへと陥ることが出来た。

「ははは、逃げろ逃げろ、ドンドン逃げるんだ。逃げる相手じゃなきゃあ、テストにもならんからな」

 その混沌の街の中で唯一平然とした態度をとり続けるその背広の男は、乾いた笑い声を上げる。

「さて、『レゾナンス・サウンドウェイブ』のテストは中々上々だな。次は、お前たちの白兵能力を見たいところだが……まだ警察も自衛隊も来ないしな。そこのお前、索敵能力を見せてもらおうか。目に見えて逃げ回っているような奴じゃあなく、逃げ遅れて何処かに隠れている奴を探してこい」

 そう言って、背広の男はケープを着た男のうちの一人に指示する。そのケープを着た男はこくりと頷くと、その場で跳躍する。
 垂直に20mは跳躍しただろうか。そして空中でケープの背を破るように『翅』を開き、それによって複雑に軌道を変化させて見せ、入り組んだビルの隙間へと着地する。

「良イ具合ノ奴ヲ見ツケタゼ、隊長サン」

 そのケープの男が着地した先には、血を吐いて動かなくなっている中年の女性にしがみついた小さな子供が、ガタガタと震えながら涙を流していた。

「よし、良いぞ。ならばそいつの首を刎ねてここに来い」

「了解」

 そうケープの男が返事すると、ケープの右腕の裾部分が弾け、まるで稲妻のような形をした大きなカッターが飛び出す。そしてケープの男は、その涙を流して震える子供の首へと狙いを定め、刃を振り下ろそうとしたその時だった。

「!?」

 ケープの男は何かを察したようにその刃を振り下ろすのを止め、その場からとっさに飛びのいた。

「プラズマ・レイッ!」

 そしてそのケープの男がコンマ数秒前まで居た場所に、青白い光を放つ光線が通過した。

「来たか……音河釣人」

 その光線が飛んできた方向へと視線を移すと、分厚い装甲に覆われた真っ白なモトクロッサータイプのバイクに跨り、真っ黒な背広を身につけフルフェイスを被った男が、前方へと突き出した左手に装着したガントレットのようなものの掌から、煙を立ち上らせていた。

「くっ、間に合いませんでしたか!」

 そのフルフェイスの男、音河は周囲の様子を横目で見ながら苦悶の声を上げる。そして少し遅れて、大型のトレーラー車がけたたましいサイレンを鳴らしながら追いついてきた。そして停車すると、そのトレーラーから、全国の警察に所属する対異種生命体対策班SAULに配備されている、対異種生命体用強化外骨格『G5』に改良を施した『高機動型G5』に身を包んだ陰陽寮の5人の隊員達が降りてくる。

「音河捜査官! うっ……これは……」

 そしてその隊員達もまた、音河と同じような調子の声を上げ口ごもる。強化外骨格で全身を包み、その顔もフェイスパネルで覆いつくされていたが、彼らもまた、その仮面の下で義憤の怒りに身を焦がし、そして同時にこの惨劇を引き起こした『敵』に対して恐怖しているのが誰の目からも明らかであった。

「ククク、『間に合わなかった』か。その口振りだと『こいつら』が何物かで、そして我々がここでテストを実施しに来たことを分かっていたようだが、それにしては引き連れている数が少ないじゃないか? 我々を過小評価していないかね?」

 背広の男があざけるように笑い、そして音河は対照的に重い表情のままだ。
 確かに音河はここ数ヶ月の調査でMtMの連中が何を完成させ、そしてその完成させたものを使ってここで何をしに来たのかを把握している。そして、それに対抗するには、現状の音河がかき集めた戦力では足りないことも理解している。

(「エニグマ」の動きがここまでとは……)

 音河は奥歯を噛み締める。
 MtMとは別の、『ヴァジュラ』と並ぶ世界最大の秘密結社「エニグマ」。その侵略の矛先がついにこの日本にも向けられ、今年の1月に入ってから、既に大小のテロを起こしている。まだ記憶に新しい成田発の台湾行きジェット機の墜落も、一般には複雑な気象条件が絡み合った不幸な事故という事で発表されているがそれもまた、たった一体の「エニグマ」の改造人間が引き起こしたテロだ。
 さらにはこの日本土着の宗教結社『落天宗』もその動きに呼応するかのように活動を活性化させ、いまやこの日本は、水面下でいつ何が起こってもおかしくない一触即発の状況となっているのだ。
 そんな状況の中、どの防衛組織もそれらに対抗するための戦力を温存しようとしていたため、規模は小さい上に主力の改造人間はメルヴゲフに毛の生えたようなもの、として軽視されていたMtMに対抗するための戦力をどこも割こうとはせず、その為に音河はここで起こるテロを予期していながら、脆弱な戦力でここに駆けつけざるを得なかったのだ。この5人の隊員ですら、どうにか音河が陰陽寮を口説き落として手に入れた戦力なのだ。

「妥当な評価だとは思いますがね」

 だが音河はそんな事情をおくびに出すことも無く、自分が乗ってきた白いモトクッロサータイプのバイク『ブラストチェイサー』の武装コンテナからXM8コンパクトカービン・ライフルの、対改造人間仕様に換装されたライフルを取り出し構える。そして同じように陰陽寮の隊員達もまた、G5用の対異種生命体用を想定して開発されたアサルトライフル『GR-12サジタリウス』を構える。

「そしてこの戦力が例え、貴様らよりも小さくとも僕たちは気様らを倒してみせる」

 そう音河が呟くと、追随して陰陽寮の隊員達も黙って頷いてみせた。
 音河の瞳と高機動型G5達のカメラアイには、ひっくり返って潰れた車、ひび割れた建造物群、吹き飛んだ誰かの千切れた腕、それらが反射して写っていたからだ。

「ふふ、お前ら遊んでやれ」

 だが背広の男は、そんな様子の音河たちを楽しげに見つめると、ケープの男たちに軽い調子で指示を出す。するとケープの男たちは一斉にG5隊と音河に飛びかかっていった。

「撃て!」

 G5隊の隊長がそう指示すると同時に、G5隊のGR-12サジタリウスと音河のXM8コンパクトカービン・ライフルが一斉に火を噴く。数発ごとに曳航弾が含まれたそれらが線を引きながら、飛び掛ってきたケープの男達に牙を剥く。

「消えた!?」

 しかし12人のケープの男達は、その弾幕が展開された瞬間に、まるで空中で四散したかの用に一人残らず姿を消した。

「危ない!」

 そして次の瞬間、音河がG5隊員の一人を突き飛ばしたかと思うと、そのG5隊員が立っていた場所にケープの男が腕部から生えたカッターを突き立てていた。
 そしてそれを引き金にしたかのように。次々にケープの男たちはG5隊と音河に襲い掛かる。

「破ァッ!」

 G5隊員の一人が発声しながら、通常のG5には搭載されていない高周波振動ブレード『クラウソラス』を引き抜き、ケープの男に切りかかる。そしてケープの男もまた、腕部から生えるカッターで受け止める。そしてその様を見て、G5隊員は仮面の下で笑みを浮かべる。
 カッターと鍔迫り合いを演じていたクラウソラスは、突如滑るようにその軌道を変化させ、ケープの男の体勢を崩した。

「もらった!」

 そして体勢を崩したケープの男に対し、ブレードを大上段に掲げ一刀両断しようと叩きつけたその時だった。

「また消えた!?」

 ケープの男は不自然な体勢のまま、その場から姿を消したかのように見えた。そして次の瞬間、そのG5隊員は頭部に激しい衝撃を受ける。ほんの数瞬のうちにそのケープの男は体勢を立て直し、そのままハイキックをG5に決めてみせたのだ。

「くっ!? こいつら瞬間移動の能力があるのか!?」

 G5隊員の一人が叫び声を上げる。しかし、その声に対しXM8コンパクトカービンの銃身でケープの男の攻撃を受け止めていた音河が返答する。

「違う! 瞬間移動なんかじゃない! こいつらのこの動きは……」

 カッターを受け止めていた音河のライフルが、ついには真っ二つに両断される。しかし音河はその一瞬前にライフルを手放してバックステップし、相手の虚を突いて大地を踏み込み、右ストレートを決める。

「……っ、やはり!」

 だがストレートを決めた音河の表情は明るいものではなかった。殴られたケープの男は、ふわりと風に舞う木の葉のように吹き飛ぶと、何事もなかったかのように着地する。分厚いタングステンの塊に、拳の型すら残すことが出来る音河の右ストレートを受けても、ケープの男にダメージは見られなかった。

「くそ、何なんですか!? こいつらの動きは!?」

 他の高機動型G5隊の面々もまた、ケープの男達の正体不明の動きに翻弄されていた。
 此方の攻撃は、まるで暖簾が風を受けてその身を翻すが如く避けられ、そして相手に当ててもまるで手ごたえが無い。この今迄戦ったことの無い独特の動きに、歴戦の高起動型G5隊の面々ですら面食らっていた。

「くっ! グレネード! 皆下がってください!」

 劣勢状態を一端、切り返すためにG5隊の一人がグレネードのピンを抜き、投げる。それを見た音河と他のG5隊も、ケープの男達も距離を一瞬で開ける。グレネードが爆発し、半径5m以内に猛烈な殺傷力を持つ破片が飛散するが、高い機動力を持つ高機動型G5を装着した面々も、ケープの男たちも瞬時に距離を開け、無傷なまま対峙する。

「……皆さんは、逃げ遅れた人々の救助を優先してください。あのクズ共は僕が相手をします」

 そしてその距離を開けた状況で、音河は一人、G5に身を包んだ隊員達に、視線も向けずにそうポツリと切り出した。

「そんな! この街をほんの数分でこんな風にした連中ですよ、一人で相手に出来る筈がない! 今この場だって苦戦しているのに!」

 しかし音河は、焦った様子の隊員に対して少々鼻白んだ様子で、今度は隊員をしっかりと見ながら返答する。

「心配してくださるのは非常に嬉しいんですが、僕が掴んだ情報、そして『身をもって体験した事例』を参考にするなら、貴方方では逆に足手まといだ」

「っ! そんな……」

 反論しようと試みるが、音河は隊員を制すと言葉を続ける。

「すみません、僕の方から頼みこんで手伝っていただいたのに。ですが、まさか奴らが『アレ』を習得しているとは夢にも思わなかった。貴方方の強さは僕も存じていますが、奴らを相手にする場合、単純な火力や能力の問題じゃありません。奴らが『アレ』を使えるのならね」

 そう音河にきっぱりと気って落とされた隊員はそれでも反論しようと試みるが、それよりも先に背広の男が口を開く。

「くく、『足手まとい』か。お優しいことだ。こいつらが何者か、お前には分かっているんだろ? お前一人で勝てると思っているのか?」

 背広の男は笑い声を上げると、その身体が膨れ上がり、背広を破って瞬時にその姿が、人間のそれから異形のものへと変化する。
 男の体表はメタリックな光沢を持つ金色の皮膚へと変わり、さらにその全身からまるで電極のような突起を幾つも生やしている。口は耳まで裂けて釣り上がり、軽く口と鼻が前方へと突き出たその面は明らかに猫科の肉食獣のそれであった。そしてその首元にはたくましいタテガミが生え、その容姿を一言で表すのならば、『トゲの生えた金属光沢の肌を持った二足歩行のライオン』であった。

「俺はイノヴレーヴェ。我が組織に対して唯一の目の上のタンコブだった音河釣人、ここで死んでもらうぞ」

 そう言うと、そのライオンの異形は全身から生えた突起から紫電を放電させ、音河と真っ直ぐと向き合う。

「一応言っておくが、俺やこいつらは今まで貴様が相手にしてきた初期型や2.5世代型のメルヴゲフとは違う。勝てるなどとは思わず、精々こいつらの良いデータ採集相手になってくれ、陰陽寮の諸君と音河釣人」

 イノヴレーヴェの膨れ上がった筋肉は、鍛え上げられた肉体を持つはずの陰陽寮の職員達の肉体が、まるで栄養失調のやせぎすの男に見えるほどであった。そしてイノヴレーヴェにわざわざ言われるまでも無く、音河とG5隊はこの怪人が今迄のメルヴゲフとは別次元の戦闘力を保有することを感じ取っていた。
 その様子に、G5隊は一瞬気圧された様子を見せる中、音河は黙ってネクタイを緩めジャケットとカッターシャツを脱ぎ捨てる。

「おおっ……」

 すると、G5隊員達から声が漏れる。シャツの下に音河が身につけていたのは、肌に張り付くタイツのような特殊なスーツであった。だが隊員達が感嘆の声を挙げた理由はそのタイツでは無く、そのタイツの下の、音河の膨れ上がった筋肉であった。
 イノ・クラッベとの戦闘を経て、さらにウェイトを増加させた音河の肉体は、まるで筋肉の鎧を着たようであり、改造人間であるイノヴレーヴェと比較しても遜色の無いものであった。
 音河は一歩も退く気配を見せない。真っ直ぐにこの新型のメルヴゲフの一団を見据え、強い視線を送り続ける。そしてG5隊に背を向けたまま、音河は口を開く。

「もう一度言います。貴方方では足手まといだ」

 この男の人間離れした身体能力は、この鍛えられた肉体を見せ付けられるまでもなくよく知っている。その男に言われてしまっては返す言葉もない。それに最悪の状況を考えるならば、ここで全滅するよりは音河が時間を稼いでいる間に、少しでも救助活動にいそしんだ方が賢明であるかもしれない。

「……分かりました。ご武運を」

「まだアンタとは一緒に飲みたいんだ。死ぬなよ」

「携帯の電話番号とアドレス教えて欲しいんで、絶対に帰ってきてくださいね」

 そう隊員達は口々に一言だけ言うと、散開し逃げ遅れた負傷者の回収に向かって走り去っていき、その場には音河と12人のケープを着た男達、そして背広の男だけが残った。

「くくく、もう一度言うが、お前一人で我らに勝てるとでも?」

「昔、どっかの馬鹿が正義を貫くのに、挑む相手が強いか弱いかどうかは関係ないって言っていましてね」

 そう言うと、改めて音河は周囲を見渡す。ほんの数分前まで、この場所に居た人々には皆家族があり、夢があり、そして明日を楽しみにしていたのだろう。その明日を、この背広の男と12人のケープの男は、何のためらいも無く奪ったのだ。奴らの企みが何であったとしても、それはつい今さっきまで生きていた彼らの命と引き換えに出来るものではない。その事実を、音河は心の中によく刻みつける。

「だから、僕はお前たちをここで叩き潰す。たとえ刺し違えても」

 そういって音河が身構えた瞬間であった。突然、天から良く音河にとって良く聞き覚えのある声が降り注ぐ。

「おいおい、ちょっと見ない内にいつのまにか熱血漢になってんじゃねぇか音河」

 そして次いで、周囲にアルト・サックスの重低音が流れる。

「チャーリー・パーカーのyardbird suite?」

 原型を留めないほどのアレンジが加えられつつも、どこかこの曲が作曲された当時のようなクラシカルな雰囲気を感じさせる演奏。そして軽快で明るい曲調でありながら、どこか物悲しさを感じさせるようなこの奏で方を、音河は知っていた。だが、本当に『その男』なのか一瞬判断に迷う。なぜならば、音河が知るこの男は、こんな一本芯の通った力強さを感じさせるような演奏はしなかったからだ。

「アソコダ!」

 ケープを着た男の一人が叫び、ビルの屋上を指差す。その先にはよれよれの真っ黒なスーツを身につけ、鉄ゲタを履き、無精髭を生やした、死んだ魚のようにやる気の無い目をした男が、黄金に輝くアルト・サックスを吹いていた。

「貴様……山口十三!」

 イノヴレーヴェが意外そうな声で、その男の名を叫ぶ。そして名を呼ばれた十三は演奏を止め、にやけた顔を引き締め、氷のように冷たい表情でメルヴローフェたちを見下ろす。

「ここからだと街の様子がよく見えらぁ……」

 ビルの屋上に立ち、その足元から街の光景を見下ろす。音河が見た光景を、十三もまた心に刻み込むと、すっと表情を冷たくする。

「てめぇら解体してやるよ」

 そしてその表情と同じように、ゾっとするような冷たい声でそう言い放つ。その声を聞いた瞬間、仲間である筈の音河の背中にも冷たいものが走り抜けた。明らかに以前の十三とは迫力が違う。

「よっと」

 そして十三はビルの屋上から跳躍すると、音河の隣に着地する。着地した瞬間、鉄ゲタの歯がひび割れたコンクリートの道路を砕き、小石を巻き上げる。

「よぉ音河。暫くだな」

 そう言って今度は軽い調子で音河に笑いかけ、人差し指と中指を立ててあいさつする。その様子を見た音河は、呆れたような、しかしどことなく嬉しそうな様子でため息をつくと、オールバックにしてある髪を掻き揚げる。

「やれやれ、お帰り、と言いたい気分ではありますが、ケジメとして聞いておきます。戦えますか?」

 簡素かつ率直に問いかける。
 音河は、十三はもう戦うべきではないと考えている。なぜならば、十三の本質は戦士ではないからだ。十三は、余りにもその心が弱すぎる。何度も過去に打ちのめされ、いくら仮面ライダーの仮面を被り、強くなった振りをしても、その薄い仮面はいとも簡単に過去の前には打ち破られる。絶対的な意味での覚悟が足りない。
 しかし、十三ならば戦士としては無理でも音楽家として生きていくことが出来る。音楽家として、正義を貫くことが出来る。それが彼にとっても、その周りの人間にとっても幸福であるだろう、そう音河は考えていた。
 だが、十三がそれでも戦うというならば、本当に『仮面ライダー』として後戻りできない戦いに身を投じるつもりならば……その覚悟はあるのか、音河はそう十三に尋ねている。

「……ああ。もう決めた。俺はこの『仮面ライダー』にすがり続ける。もう人類が正しいとか悪とか関係ねぇ」

 十三は自嘲気味に笑いながら答える。そして息を軽くすっと吸うと、目を瞑る。目を瞑った十三の脳裏に、彼の様々な過去が走りぬける。
 自分が殺した人々の事、自分が救った人々の事、サラの事、そして真っ赤な仮面の男が走りぬけ、そして最期には、黒い仮面の男の姿がはっきりと浮かんだ。そして目を見開く。

「例え人間の本質って奴が悪だったとしても、俺は人間のために、音楽のために……正義の為に戦う。そう『決めた』んだ」

「……フ」

 その返答は、必ずしも音河にとって満足のいくものではなかったが、それでも本人にその覚悟があるというならば、それはそれでいいと、音河は思った。
 戦う理由が問題なのではない。戦う覚悟が再び出来たということ、それが重要なのだ。十三がどのような理由で戦おうと『今の音河』には関係がない。今の音河もまた、かつての音河とは違うのだから。

「そう、ですか。なら、行きますよ。足手まといになるようなら助けませんから」

 そう言って音河は答え、微笑を崩さずにイノヴレーヴェたちへと視線を向ける。
 二人の黒いスーツと黒いネクタイを身につけた男が、強い意志と覚悟と、そして何よりも火種を新たにした熱く燃える正義を持って、悪の前に立ちふさがる。

「ふん、山口十三か。今更、貴様など出てきたところで何の脅威にもならん。音河釣人と共に砕け散るがよい」

 そう言って、イノヴレーヴェは手を横に大きく振って合図する。すると、それと同時に12人のケープを羽織った男達は、一斉にその濃緑色のケープを脱ぎ捨てる。そしてそのケープの下の素顔は、まるで死んだ魚のように覇気の無い目を持った男達であった。その男たちの顔を、十三と音河はよく知っていた。

「……」

「おいおい、マジかよ。13人の山口十三ってか?」

 そのケープの下の素顔は皆一様に、山口十三と同じ顔をしていた。しかし十三と同じ顔をしたその12人の男達は、十三と違って無精髭を生やしてはおらず、服装も真っ黒なスーツとネクタイでは無く、警察の特殊部隊が着装するような濃紺と黒のボディアーマー、足に履いているのも鉄ゲタではなくブーツであった。

「ほう、あまり驚かんな。まぁいい。山口十三、こいつらは貴様のデータを基にした我が組織の新型戦闘員だ。当然貴様の戦闘力を大きく上回っている。それが12人だ。勝てると思うなよ」

 得意げに解説するイノヴレーヴェに対し、十三は気の抜けた声で返す。

「いやいや、超驚いてるぜ。13人の俺とかまさしくイケメン☆パラダイスじゃねぇか。こりゃあ大変だ」

「えっ、顔面偏差値50前後ってイケメン判定出るんですか? 知らなかったな」

 驚いたように音河が十三へと顔を向ける。

「うるせぇ、素で驚くな。真のイケメンってのは心の有りようだ心の」

「じゃあ、やっぱりコイツらはイケメンじゃあないんじゃあないですか?」

「あー、まぁそうなるのか?」

 まるで自分達の置かれた状況を理解してないかのように、十三と音河は気の抜けた会話を繰り広げる。

「ふん、絶望的な戦力差に気がふれたようだな。お前ら、楽にしてやれ」

 そんな二人の様子を無視するように、イノヴレーヴェは12人の十三に、腕を大きく横へ振って合図を送る。すると、12人の十三は一瞬にして姿を変える。全身に人間の血のような色のラインが走り、同じ色の赤黒い複眼が光る。両腕からは稲妻のような形の歪んだ形状のカッターが伸び、細長い触角が額から二本生えている。背中には琥珀色の装甲に収められた翅が見え、恐らくはその翅を操って飛行することが可能なのだろう。その姿は、十三の真の姿『メルヴシャーベ』によく似ていたが、昆虫のような節や、サイズのアンバランスな四肢を持っていたメルヴシャーベと比較して、殆ど人間と同じようなシルエットを持っていた。この変身した12人の十三の姿は、メルヴシャーベをさらに精錬させたような印象を、十三と音河に与えた。

「おっと、どうやら冗談言っている場合じゃないっぽいですよ」

「ったく、せっかちはヤダねぇ。ベッドの上じゃ早いのは嫌われるぜ。ピロートークと前戯は大切だぜぇ?」

 変身したその『12人の十三』のうちの二体が、真っ直ぐにこちらへと突っ込んでくる。
 その様子を見た音河と十三は、すっと構えを取る。
 音河は軽くステップを踏み、軽く握った拳を顔の前に掲げる、ボクシングのピーカブースタイルだ。一方の十三は両腕を交差させ、叫ぶ。

「Arrangement!」

 すると、十三の姿が一瞬にして真っ黒な異形の姿に変わる。黒い表皮、額から生える長い触角、腕から生える鋸状のカッター。音河にとっても見慣れた十三のもう一つの姿である、仮面ライダーFAKEの姿であった。

「はははははは! 馬鹿か貴様は! 何だその姿は!? 再びリミッターをつけたのか? この『ブートソング』は貴様のその姿どころか、真の姿である『メルヴシャーベ』をも上回るといったのを、そのよく聞こえる耳は聞き逃したのか!?」

 その仮面ライダーFAKEの姿を見た瞬間、イノヴレーヴェは声を上げ、腹を抱えて大笑いする。そして突っ込んできた2体のブートソングは、一瞬にしてFAKEと音河への距離を詰め、頭上から腕のカッターで切りかかる。

「さて、僕が一人で働いていた三ヶ月の間、遊んでいたわけではないことを祈りますよ!」

「悪ィ、そのうちの二ヶ月は寝てた。ていうかお前、何で生身の人間のクセに俺より回復早ぇんだよ! 一応俺、生命力が売りなんだぜ?」

 それでも、FAKEライダーと音河はその余裕を崩さない。
 頭上から襲い掛かる2体のブートソングは、それぞれが音河とFAKEライダーに、大きく腕のカッターを振りかぶらせてたたきつけようとする。

「シッ!」

 音河は口から息を漏らしながら、その軽く脱力させた肉体を素早く操って、一瞬で身を引き振り下ろされるカッターを紙一重で避ける。そして、ブートソングが着地した瞬間を狙い、拳を打ち込もうとする。

「甘イゼ」

「!?」

 だが、まるで機械的に合成された十三のような声でそうブートソングは呟くと、音河の拳を、あらかじめ打ち込まれる場所が分かっていたかのように、掌で受け止めてみせる。音河の攻撃を見てからとった行動ではない。音河が拳を打ち込もうとした瞬間にはもう、ガードは固められていた。

「ち……」

 ここで、音河は苦虫を噛み潰したような表情を見せる。
 だが音河はその驚愕の感情によって動きを硬化させることなく、受け止められた拳をすかさず引き戻し、バックステップで距離を取る。
 そしてもう一方の、FAKEへと切りかかったブートソングのカッターを、FAKEもまた同じようにカッターで受け止めていた。

「刃には刃を!ってな」

(力じゃ勝てねぇ。このまま身を逆に沈めて、相手の力で逆に投げ飛ばす!)

「ククク、コノママ俺ヲ投ゲヨウッテンダロ?」

「あぁ!?」

 ブートソングはそういった瞬間、FAKEライダーの襟を掴む。そしてその身体を逆に引き込んで、FAKEを巴投げのように後ろに仰け反りながら投げ飛ばす。

「こんの!」

 だが、投げ飛ばされたFAKEは、空中で身体を捻り、両手両足を使って、投げ飛ばされた衝撃を吸収するように四点で着地する。そしてその着地と同時に、FAKEは足払いをブートソングに仕掛けようとするが、ブートソングはその足払いの足を逆に蹴り、その反動で高く飛ぶ。

「『ライダーキック』ッテカ?」

 そして高く飛び上がったブートソングは空中で飛び蹴りの構えを取り、さらにその足先に『風』を集中させる。その『風』の正体は、先ほどケープを纏った状態で街の中心で放ち、そして街を阿鼻叫喚の地獄へと変貌させた、あの振動波である。その振動波を足先に一点集中させる。

「やべっ!」

 反射的にFAKEライダーは腕を交差させて受けるが、キックの衝撃と高速振動による破壊を受けて真後ろに吹っ飛び、ビルに激突し変身を解いてFAKEから山口十三の姿へと戻る。

「おいおい十三、大丈夫ですか?」

 その激突した十三の隣へ、バックステップで距離を取った音河が下がってくる。

「つってぇ……。野郎、俺の技をパクリやがったな」

 変身を強制解除されるほどのダメージを受けたにしては、大分余裕のある声色で叫びながら、十三は頭を抑えながら立ち上がる。

「その通りだ山口十三! こいつらは貴様の『イノベーター・チップ』から抽出したデータを基に作られている。そのデータの中には当然、貴様の編み出した『アドリブ』のデータも存在した」

 そう叫ぶイノヴレーヴェの元に、今しがた音河とFAKEに切りかかったブートソングが戻ってくる。
 陰陽寮の高機動型G5隊を翻弄した能力の正体、それがこのアドリブであったのだ。

「我らが首領に代わって礼を言うぞ。貴様のアドリブによって、ブートソングは想定した以上の戦闘力を誇ることになった! そのデータをこいつらの脳に書き込むことによってな!」

 十三の全ての記憶、生体データを10年以上にわたって記録し続けてきたイノベーター・チップ。『アドリブ』自体を見切ることは困難でも、その技の生成過程、そしてその演舞、どのように習得したか――、そこまで懇切丁寧に説明されたデータさえあれば、その技のデータを電気的刺激として、メルヴシャーベ、そしてFAKEライダーと本質的に同じ能力を持つブートソングの脳に『描き込み』をすれば、長年の訓練も必要なしに、『アドリブ』を行うことが可能になる。

「さあやれブートソング! お前達の『出涸らし』に敬意をこめてバラバラにしてやるんだ」

 そう言われ、今度は2体だけではなく、12体のブートソング全てが前傾姿勢を取り、音河と十三に襲い掛かろうとする。

「てめえら知的財産権って奴わかってんのか? 訴えるぞ畜生」

「ふん、何が出涸らしだ。そんなインスタントな方法でコピーしただけの技で、本当に『力』と『技』が使いこなせると思っているんですか?」

そう言うと、音河は構えを解き、そして十三は大地に激突した際、体についた細かい小石を払いながら立ち上がる。

「本当の力と技って奴を見せてやろうぜ、音河」

「ええ。自らの信念と正義、そしてそれに支えられた長年の鍛錬。そういう背景を持ち合わせなければ発露しえない力と技というものをね」

そして、十三が音河の一歩前へと歩み出る。

「さてと、さっきは二ヶ月寝てたつったが、残りの一ヶ月はマジで死に物狂いで鍛えたんだ。その成果を今から見せてやるよ」

 そう言うと、十三は深く腰を落とし、両腕を腰ために構える。そして腰の部分に力を集中すると、腰の部分を黒い霧のようなものが覆い、その霧が晴れるとグロテスクなデザインのベルトが浮かび上がる。真っ黒で、かつ生物の内臓のようなベルトのそのバックルには、大きな人間の頭蓋骨のような異称の装置が取り付けられていた。

「それは……」

「ああ。こいつは風見先生がICPOでわざわざ俺のために作ってくれたんだと。オメーがICPO本部に送った『描き込み』をしたメルヴゲフの生態データを基にしてな。そして一ヶ月……いや、俺の10年以上にわたって鍛えられた『技』と、このベルトがもたらしてくれる『力』。そいつを試させて貰う!」

 そう言うと、十三はもう一つ、懐から光を反射して虹色に輝く、CDのような物体を取り出す。一昔前に流行ったシングルCD程度の大きさの、小さなそれを見たイノヴレーヴェは目を丸くする。

「なっ! まさか!?」

「お前らだって俺から『アドリブ』をパクったんだ。俺もお前らの技術をちょっとパクらせてもらう。Alternate Take Arrangement……」

 そう呟き、十三はそのディスクをベルトのバックルに上部から差し込む。差し込まれたディスクはバックルのドクロの口の中で高速回転し、光を放つ。

 Innovation

 ベルトから機械音が響く。それを確認すると、十三は両腕を真っ直ぐに右方向へと伸ばし、そのまま大きく反時計回りの軌道を描き、ちょうど身体の中心となる位置で静止させ、左腕を天に向かって真っ直ぐ伸ばし、右腕を腰の位置へと戻す。

「変!」

 そして天に向かって伸ばした左腕を、まるで目の前の敵を両断するかの用に、真っ直ぐに大地へと振り下ろす。

「身!」

 その瞬間、ベルトから放たれる光はさらにまぶしさを増し、十三の身体は風に包まれる。その猛烈な輝度と風圧に押され、音河も、イノヴレーヴェも、ブートソングたちも思わず目を覆う。

「くっ!? 何だこの光と風は!?」

 そして光と風が収まったそこには、一人の戦士が佇んでいた。
 高電圧コードのように黒く太く長い触角を額から生やし、橙色に光る大きな二つの丸い複眼と、口部を覆うゴキブリの大顎を模したかのような金属質のクラッシャーが収められた、顔全体を覆う仮面は、ドクロのようにも昆虫をデフォルメしたようにも見える。
 以前のFAKEやメルヴシャーベには存在した両腕と両足から生えたカッターは撤廃され、その代わりに黒光りする金属光沢を持つ昆虫独特の外骨格のような皮膚を持つ。そしてその上から変身前と変わらない黒いスーツとネクタイを身につけたその姿はやはりどこか滑稽でもあり、そして異様でもある。
 さらに変身前から身に付けていたそれらに加えて、変身前は身につけていなかった白いロングマフラーが何故か加わっている。
 そして相変わらず、足には鉄ゲタ。

 その姿を総括するならば『ゴキブリかドクロを模した仮面を被った、黒い背広と白いマフラーを身に付け鉄ゲタを履いた怪人』。

「つっ……これが……進化したメルヴシャーベ、いや仮面ライダーFAKEの真の姿!」

 音河が目を見開き、彼にしては珍しく若干興奮した様子でまくし立てる。

「仮面ライダーFAKEッ! ヤァァァァァァド・バァァァァァド!」

 仮面ライダーFAKEヤードバードは、高らかに己の名を叫ぶ。
 十三の鍛錬が、思いが、苦境が、挫折が、正義が。それらを変身ベルト『バース・オブ・ビバップ』が吸収し、新に形作る仮面ライダーFAKE・山口十三の新の力にして真の姿。

「俺は自由になる、パーカーのように! 俺はこの力で悪と戦う、コルトレーンのように!」

「仮面ライダーFAKE・ヤードバードだと!?」

 イノヴレーヴェはその名を反芻する。まるで直に触れるように理解できる。目の前に立つこのメルヴゲフが、先ほどよりも明らかに強くなったことを。
 この闇の世界において自分達のような存在が忌み嫌ってきた、仮面の戦士に良く似たメルヴゲフがいかに強いか。しかしイノヴレーヴェはその強化された姿を、脅威だと感じてはいなかった。

「ふん、確かに強くなったようだな。だがしかし、見たところこの『ブートソング』とおおよそ同等の戦闘力と見た。ならばこちらの方が数の上では有利だ。加えて私もいるしな。その程度の強化では、貴様らに勝機はない!」

「ごちゃごちゃ言ってないでいいんで、さっさと始めません?」

 そう音河が呟いて、一歩前に出ていた仮面ライダーFAKEヤードバードと並ぶ。そしてリストウォッチを操作し、跳ね起きたパネルから露出したクリスタルに、起動キーとなる高度情報集積カードを通す。

「変・身!」

 そして叫ぶ。すると音河の身体はワイヤーフレーム状の光に包まれ、一瞬にしてその姿を変える。
 真っ黒なダイバースーツのようなアンダーの上に、身体各部の急所を覆う銀色の装甲。顔面のモノアイ、両掌のプラズマ発射機関、そして胸の情報集積回路が青白く光を放ち、踵のローラーが回転し、両腕の巨大なガントレットがスチームを排出する。

「それがブルーノートか。結構かっこいいじゃねぇか」

 その音河が装着した外骨格『ブルーノート』を見て、仮面ライダーは愉快そうに笑う。

「さて、さっさと始めましょうよ。そんな大口叩いたんだ。まさかビビっているなんて言わないでくださいよ」

 ブルーノートは手を前に伸ばし、挑発気味に手の甲を見せるようにして人差し指を立て、クィっとこちらへ来るよう促す。

「貴様ら……いけぃ、ブートソング共! 奴らを望みどおり肉塊へと変えてやれ!」

「ギギッ!」

 そう促された12体のブートソングは、身体を低く屈め、あるものは一直線に、あるものは頭上から、あるものは複雑な幾何学的な軌道を描きながら、FAKEライダーとブルーノートへ向かって、殺意を持って殺到する。

「行くぞ十三」

「ああ音河」

 そして並び立ったブルーノートとFAKEは、再び各々ごとに構えを取る。すると同時に、仮面ライダーFAKEとブルーノートの、それぞれの複眼と単眼が、橙と青に光った。

「ケッ、オネンネシナヨ!」

「クタバレゴミクズ!」

 12体のブートソングは二人の戦士に向かってくる途中で、それぞれ6体ずつ半分に分かれた。そしてその半分に分かれた群れの中からさらにそれぞれ一体ずつ、突出して二人に迫るものがあった。

「おっ」

「つっと」

 そして、それら二体はFAKEとブルーノートの間を走り抜けるように切り付ける。それを二人は難なくかわすが、その攻撃は傷つけるためのものではなく、二人を分断し各個撃破することが狙いのそれであった。

「死ネ!」

 そして、左右に分かれたブルーノートとFAKEを、残りの5体ずつ、計10体のブートソングが襲う。その飛びかかるブートソングに対し、FAKEは腰をずっしりと必要以上に落とし、半身を取らず正体に構える。その構えは、以前のFAKE、すなわちブートソングたちの構えよりも遥かに体勢を低くしており、近代においてはおおよそ実践的な構えではないとされる中国拳法の構えの一つ、『馬歩』のようにも見えた。

「馬鹿カ! ソレジャア上手ク『ステップ』出来ネェダロ!」

 嘲るように笑いながら、ブートソングのうち4体がFAKEをはさみこむように着地し、着地と同時に前後左右から切りかかる。
 本来ならば、こういった複数で一体を襲うような場合、同士討ちを防ぐためにこのように一直線上に挟み込むような隊形から攻撃を行わない。しかし、ブートソング同士ならば互いの動きを『アドリブ』で読みあい、最大まで踏み込んで攻撃しても互いを傷つけあわないような位置取りを取ることが出来る。

「まずはリリカルに行こうか」

 だがその四方からの攻撃を、流れるように足を運んで避ける。ブートソングや音河のような激しいステップを踏んだ動きではなく、流れる水のように穏やかな『すり足』で体位を変化させ、針の隙間を縫うように避ける。

「ナッ!?」

「エッ!?」

「カッ!?」

「ウソダロ!?」

 完璧なタイミングで斬りつけた、そう確信した4体のブートソングは、4体が4体ともに間抜けな声を上げ、その体勢を崩す。そしてFAKEは身を深く屈め、肉体全体そのものが弓を引きしなる弦のような構えを取る。回避と、その次の反撃とが一体になった動き。

「破ッ!」

 そしてそのしなった肉体と言う名の弦から放たれる、(ショウ)と言う名の矢。
 その打撃はボクシングのボディストレートや、日本で発達した各種拳法や空手の中段突きとも違う、まるで肉体そのものが真っ直ぐな線となるように貯めた腹部から、敵の腹部へと真っ直ぐに一直線に飛ぶ掌打。中国拳法で『沖拳』と呼ばれる打撃を、手の形を『掌(ショウ)』にして打ち出したそれは、FAKEの真正面からきりつけてきたブートソングの腹部を真っ直ぐに捉え、まるで紙細工のようにブートソングを吹き飛ばす。

「メルヴシャーベにあんなパワーがあるだと……?」

 吹き飛ばされたブートソングは、数十メートル離れた場所に立っていたイノヴレーヴェの足元へと吹き飛ばされ、大地に激突し、その身体でクレーターを作る。その様を見てイノヴレーヴェは驚き、小さく呟く。

「おっと、今テメェは二つ間違いをしたぜ」

 その驚愕を聞き逃さず、FAKEライダーは正面の敵を吹き飛ばしたことで視線が繋がったイノヴレーヴェに向かって、ピースサインのように指を二本立ててみせる。

「まず一つ目、これはパワーじゃねぇ。お前らが『力』を無駄使いしすぎなだけだ。そしてもう一つ……」

 体勢を立て直した他の三体のブートソングは、再び三方向からそれぞれがFAKEライダーの上段・中段・下段目掛けてカッターで、中段突きで、ローキックで襲い掛かる。さらに加えてもう二体、FAKEの真上と真正面から時間差で攻撃を仕掛けてくるのを、FAKEの敏感な知覚は『聴き取って』いた。

「俺はメルヴシャーベじゃねぇ、仮面ライダーFAKEだ」

 その三方向からの攻撃を、頭部を目掛けて水平にたたきつけられるカッターはその手首を狙って跳ね上げることで軌道をそらし、中段突きを掌で受け止め、そしてローキックを右足のゲタの歯で挟み込むように受け止める。そしてその敵が放ったローキックの威力を、膝のバネを使って存分に吸収し、強く踏み込む。

「オラァッ!」

 ローキックを打ったブートソングの足を踏み潰しながら、攻撃を受け止めた両腕を懐に引き戻す。そして時間差で襲ってきた二体のブートソングに対し、一瞬の貯めを作って両腕を縦拳で突き出す。中国拳法で言う『貫拳』だ。

「ミグ!」

「クキャッ!?」

 一体ずつ、それぞれが声を上げてカウンターとなったその拳を受け、無様に尻餅をついて倒れこむ。
 そう、FAKEライダーのこれらの打撃はその膂力を利用したものではない。大地に深く身を沈め、大地からの反力を存分に得、肉体の加速のための機構をフルに活用する。肉体の重さを拳に、脚に、その打撃に乗せ、重さを減衰させることなく相手を叩く。ただそれだけの事だ。

「ドウナッテンダ!? 何デコイツノ『動キ』ガ俺達ニ聴キ取レネェ!?」

 ブートソングの一体が思わず叫ぶ。
 自分達の使う『アドリブ』は元々、この男が使っていた技を基にした技だ。同じ条件であるはずなのに、自分達の攻撃は必ず避けられ、そして相手の攻撃は必ず当たる。それが不可解でならない。

「お前らの演奏は糞だ……」

 驚愕するブートソングを、今度は大きくステップをアウトに踏み込んで放つ上段の回し蹴りで蹴り飛ばし、そして怒気を孕んだ声で言い放つ。

「もっと曲を理解しろ、どうしてそうリズムを刻んだ? なんでそうコードを組んだ?音の一つとして無駄なもんはねぇんだ。それをお前らは理解しようともせず、ただ俺の演奏を真似てるだけだ。そんなテメェらに俺の動きが理解できるわけがねぇよ」

 そして最期に残った二体のブートソングのそれぞれを、弾くように両ひじで打突し、弾き飛ばす。

「さぁ、そろそろ約束の解体のお時間だぜ?」

 FAKEの仮面の下で、十三は冷たい笑みを浮かべた。






「ノウカウント……」

 二人を分断し各個撃破することが、ブートソングたちの狙いと見てとったブルーノートは、一瞬にして全身の力を脱力させ、両拳を腰貯めに構える。装着者の音河がそう構えるのと連動して、ブルーノートの両腕に装着された円筒状の巨大なガントレットは、ガチャン、と音をたてて上方へと引き戻される。まるで巨大な大砲に、砲弾が装填されるかのように。

「ナックル!」

「グァアアアアアアアアッ!?」

 そして拳という名の散弾が炸裂する。強化装甲服によって威力を増幅された音河の高速連打は、ブートソングの隊列もその意図もお構いなしに、ただ手の届く音河の支配空域に侵入してきたものを片っ端に殴りつける。その支配空域に腕が入ればその腕を、足が入ればその足を。精確な技術によって裏打ちされた力が、5体のブートソングをたたきつける。ブルーノートの打撃はさらに威力を増し、急所に当たらずともその殴った箇所ごと砕く程度の威力を備えていた。

「ナッ!? コイツノ動キガ読メナイ!?」

 殴り飛ばされたブートソングの一体が、殴り飛ばされた腕を押さえながら十三の声を模して合成された電子音で、驚愕の声を上げる。その威力以上に、その動きを先読みすることが出来なかったこと、それに6体のブートソング達は脅威に感じていた。

「ブルーノートを装着した僕のラッシュは、おおよそ音と同じくらいの速度でして。十三と同じ方法で君らが『アドリブ』を使うっていうのならば、僕のパンチを避けられる道理はない」

 そしてブルーノートは今度は構えを、右手を顎の下に残し、左手を下げて肘を90度に曲げて腹部に置き、左右に振ってリズムを取るヒットマンスタイルへと変化させる。

「さぁどうした化け物ども。お前らが簡単に殺して見せた人たちのように、僕を殺してみろよ」

 その構えのブルーノートに気圧されたように、ブートソング達は前に出ることが出来ない。

「どうした……殺せるのは無力な人たちだけか?」

 一歩ずつ間合いを詰めていくブルーノートの目の前に、その動きに連動する見えない壁があるかのように、ブルーノートが一歩前に踏み込むと、一歩後ろへとブートソング達は下がった。

「シッ!」

 そしてその見えない壁をブルーノート自身が破る。一呼吸の間に一瞬で間合いを詰めると、鞭のような見えにくい軌道で飛ぶフリッカージャブをブートソングの一体の顎へと叩き込む。

「ハァッ!」

 そして顎先へと拳が走りぬけ、上体をぐらりと倒したブートソングへ向けてさらに右ストレートが走り抜ける。ブルーノートによって強化された音河のパンチは、ブートソングの硬い金属質のクラッシャーで保護された顎を吹き飛ばし、肉片を周囲へ飛び散らせる。

「よし、次ッ! ………!?」

 だが、ブルーノートはとっさにその場から飛びのく。そしてその一瞬遅れて、二連に重なったブートソングのカッターがそのブルーノートが立っていた場所を走り抜ける。

「くっ!」

 しかし、それを避けたのもつかの間、今度は右側面から脚狩りタックル、左側面から上段狙いの飛び蹴りがブルーノートへと襲い掛かる。

(脚を封じられるよりはっ!)

 ブルーノートはジャンプしてタックルを避けるものの、上段の飛び蹴りをガードの上から直撃する。高速振動を纏った蹴りは、ガードの上から振動を伝播させ、ブルーノートの装着者である音河の肉体を傷つける。

「ぐぅっ!」

 その振動は、音河に一瞬『痺れ』を生じさせ、ブルーノートの動きが止まる。そこを狙って、ブートソングたちが殺到するが、間一髪、襲ってきていた6体のブートソングと間合いを取っていたFAKEが、盾となってその攻撃を受け止める。

「馬鹿野郎、音河! 油断すんな! こいつらは劣化品でも『アドリブ』が使えんだ、音より遅けりゃ動きが読まれるぞ!」

 両腕を上段でクロスさせ、ブートソングたちの攻撃を受け止めながらFAKEが叫ぶ。その後ろで立てひざを突いてブルーノートが立ち上がる。

「まさか君に助けられるとはね……」

「へ、貸しにしとくぜ」

「ならそれは今返しますよ!」

 FAKEが受け止めている6体のブートソング以外の、もう6体のブートソングがFAKEに襲い掛かろうとするが、それをブルーノートが両掌から発射するプラズマ・レイで牽制する。

「ターボユニット起動!」

 そしてプラズマ・レイを6体のブートソングは避けるものの、避けたことによって隊列を若干乱す。そして乱した隊列の中心に、ブルーノートは踵部に装着された車輪状のターボユニットを高速回転させ、中央突破するように突っ込み、6体の後ろを取る。

「もらったッ!」

 そして手の届く範囲に居たブートソングのうちの一体の頭を右手で掴み、そして掴んだまま相手の心臓部にもう一方の左掌を押し当てる。

「ギギッ!?」

「これなら避けられないだろう?」

 そして頭を掴んだまま、掌からプラズマ・レイを発射する。ゼロ距離で発射されたそれは、ブートソングの脳天と心臓部をやすやすと貫く。ブートソングがいくら高い再生能力を持っていたとしても、脳と運動中枢である神経節を一瞬で破壊されてはひとたまりも無い。

「まず一体……」

 ブルーノートはその死骸を投げ捨てると、その死骸は痙攣を繰り返し、そしてやがて動きを止める。

「ギッ! オ、オノレ……」

 その様子を見て、他のブートソングたちは一瞬恐れたように動きを止め、一歩後ろへと下がると、今度は恐る恐る遠巻きにブルーノートとFAKEライダーを包囲する。

「へっ、やるな音河」

「とはいえ、一体潰すのにやたら労力がいりますね。たかが十三の量産型のクセに生意気な」

「俺の量産型だから、だろ。まぁ音河クンには荷が重かったかな?」

 背中合わせでブートソングたちに向き合いながら、FAKEライダーとブルーノートが軽口を掛け合う。

「ええい、貴様ら、何をしている!」

 ブートソングの一体が倒されたのを見て、イノヴレーヴェはイラついたように怒号を上げる。そして身体を震わせ、全身から生えた電極から紫電を走らせる。

「こうなれば、くらえい!」

 そしてその紫電を十分に充電すると、イノヴレーヴェは胸を大きくそらせて天を仰いだ。その様子を見て、FAKEとブルーノートは敏感に次に何が起こるかを察し、その場から飛びのく。

「っ!」

「やべっ!」

 次の瞬間、雷が迸った。数千万アンペアの電流を走り抜けさせることが出来る巨大な雷の柱が、つい今さっき二人が背中合わせに立っていた場所に立ち上る。そしてその雷の落下にあわせたように、数体のブートソングが飛びのいたFAKEとブルーノートの動きに合わせて殴りつけてくる。

「まだまだ、終りじゃあないぞムシケラ共!」

 落雷は二撃、三撃と続き、それに同調しブートソングが連携する。一転してFAKEとブルーノートは劣勢に追い込まれる。

「調子に乗りやがってコンニャロウ、音河! こいつらは俺が引き受けた!お前はあの雷馬鹿を潰して来い! アレか、雷音(ライオン)とかけてるつもりか。いい気になりやがって」

 十三は雷撃とブートソングを同時に捌きながら、同じようにブートソングの攻撃をかわし続けていた音河に呼びかける。

「!……こいつら全部同時に相手して、勝算あるんですか!?」

「ああ、俺はもう二度と『自分』には負けねぇ!」

 そう十三が答えるのを聞くと、音河はブルーノートの仮面の下で微笑む。そして指を二本たてて、それを軽く振って十三に合図すると何も言わずにターボユニットを起動させ、イノヴレーヴェへと真っ直ぐに突っ込む。

「ぬっ!?」

 その突っ込んできたブルーノートを見て、イノヴレーヴェは腕をその方向へと向ける。腕からも生えた無数の電極が傾き、その腕から電撃が放射される。
 放射された数本の稲妻が、ジグザグに曲がりくねった軌道を描きながら、ブルーノートへと牙をむく。

「スゥ……ッ!」

 そして瞬間、ブルーノートを纏う音河の集中力が極限まで高まる。脳内麻薬が過剰に分泌され、自分自身の歩みも、イノヴレーヴェが腕を動かす動きも、今足元で自らが蹴飛ばした小石のハネ飛んだ動きも、その全てがゆっくりと、そしてクリアに捕らえられる。

 スウェー
 ダッキング
 ウィービング

 走り抜ける雷のその全てを、音河は避けてみせる。雷よりも早く動いたわけではない。極限まで高まった集中力がイノヴレーフェの動きを見透かし、その動きから発射される雷の軌道を読んだのだ。

「何ッ!?」

「遅すぎる!」

 そして瞬時に間合いを詰めると、ブルーノートはその身を一瞬小さく屈ませる。左足に重心を置き、そして大地を足で打ち抜くように踏み込む。そして同時にその肉体のバネによって生まれる弾性力を回転力に変換し、足から腰、腰から腕へと身体全体を回しながらその左拳に、力と技と魂をこめて、渾身の左のボディアッパーをイノヴレーヴェへと見舞う。

「シィッ!」

「が……はっ!?」

 決して単なる模倣ではない、長い鍛錬とそれを支える自らの信念。それによって生み出された左ボディアッパーはたった一撃で生体装甲を砕き、イノヴレーヴェの腹部の柔らかな部分へとめり込む。その深く抉りこんだ拳はイノヴレーヴェの横隔膜まで到達し、呼吸をすることさえも困難に陥らせる。

「冥土の土産だ、覚えておけ……」

 そして打ち込んだ拳を引き戻すと、悶絶しながら吐しゃ物を吐くイノヴレーヴェの正面で、両拳を腰溜めに構える。同時に全身を余すことなく脱力させ、脳内の筋肉のリミッターを外す。そして次いで、両腕の巨大なガントレット『ブルーパンチャー』が上部へと可動し、プラズマエネルギーが両拳に充てんされる。

「これが、お前たちのような『悪』には決してコピーすることの出来ない本物の『力』と『技』だ」

 この技を使うとき、いつも音河は思い出す。今迄自分を支えてくれた仲間達、愛した女、そして今自分が守ろうとする世界。これは自分だけで作り上げた力と技ではない。彼らがいたからこそ、この技は完成したのだということを。決して自分一人の才覚だけで生まれた技では無いということを。自分の高慢だけが生み出した力ではないという事を。

「今、貴様を打ち抜くものをあの世で良く噛み締めろ。ノウカウント……」

「う、うわぁあああああああああああ!」

 イノヴレーヴェの瞳に、数え切れないほどの拳が写る。音河一人だけの拳ではない。音河に関わった人たち全てが放つ拳が。

「ナックル!」

ズガガガガガガガガガガ!

 無数の拳が、イノヴレーヴェの胸部に打ち込まれる。その連打はイノヴレーヴェの肉を削ぎ、骨を砂に変化させ、破壊しつくす。
 そして連続で打ち込まれたプラズマがイノヴレーヴェの全身に回り、そのエネルギーは行き場をなくす。

「え、MtM、万ざぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁい!」

 轟音。
 イノヴレーヴェの肉体は巨大な火球と化し、そして大爆発を起こす。

「さぁ、あとは十三、君の番だ。手は貸しませんよ」








 11体のブートソングに取り囲まれた仮面ライダーFAKEヤードバードは、周囲の動きに気を配りながら、ゆっくりとその構えを変化させていった。
 身体は正体のまま、両足を大きく前後にステップをとり、そして腰を深く沈めていく。そして拳は縦拳のまま左手を軽く正面へと伸ばし、右手は軽く胸に畳む。南派中国拳法とアマチュアレスリングの構えを融合させたようなその構えは、ステップを盛んに踏む以前のFAKEとは明らかに違う。

「エクスプレッション、起動……」

 FAKEがそう呟くと、人間では無い、昆虫を模した改造人間ならではの脚の『節』が変形し、鳥足の逆関節のような形を形成し、FAKEの肉体に、十二分に大地からの反作用を充てんさせる。より低くなった体勢は大地からの反作用をFAKEの足から腰、そして腕へ行き渡り、そしてそれを一気に解き放った。

「ライダーパンチ…・・・ッ!」

 そう小さくFAKEが叫んだ次の瞬間だった。
 FAKEの正面に立っていたブートソングの一体の胸部に、FAKEの縦拳逆突きが真っ直ぐにつきたてられていた。

「ギ!?」

「ギイ!?」

 残る10体のブートソングには何が起こったか理解できなかった。確かに、仮面ライダーFAKEヤードバードは人間大のゴキブリに等しいスペックであるから、瞬間的に時速270kmの速度で動くことは出来る。しかし、それは自分達ブートソングもまた同じ条件であり、何よりもその速度は音速には程遠い。ならば、その動きは『アドリブ』が使える自分達ならば動き出すよりも前に察知することが出来る筈だ。
 しかし結果としてブートソングの一体は、急所となる神経節が集中した胸部に、渾身の一撃をつきたてられている。

「お前らはもっと自分自身の音を聴きな。自分の呼吸、自分の血液の流れ、自分の精神の有り方……そいつが聴けないんじゃあ、俺の動きはテメーらにはよめねぇよ」

 『アドリブ』の真なる完成。
 ただ立ちすくんでいるだけの相手にすら、生理的な肉体の活動ゆえのリズムが存在し、そのリズムを刻む肉体に、思想というメロディを持った精神が宿る。その二つは勁というハーモニーでつながり、周期的に隙を作る。それら全ての『曲』と自分自身の『曲』を同調させることが出来れば、最早速度もパワーも関係ない。その流れそのものの隙を突いて動くことが出来れば、少なくとも電子的なセンサーだけに頼った動きや、他人からコピーしただけの技しか使えない敵など相手にもならない。

「コノ!」

「ハッタリダ!」

 二体のブートソングがカッターを振動させながらFAKEに襲い掛かる。

「なんで俺がパワーアップしたら、お前らみたいなカッターがなくなったか分かるか? 必要なくなったからさ」

 FAKEは軽く掌を広げ、手刀を形作る。

「ライダーチョップ」

 一閃。
 脱力された肉体と、巻き藁や立ち木に自らの指をひたすら打ち付けることによって完成する、刃物よりも鋭敏な指。その指がまるで閃光と見紛う程の速度で振るわれる。
 そして次の瞬間には、FAKEに切りかかった二体のブートソングの両腕は、カッターごと両断されていた。

「何度も言うが、ただ俺の動きをコピーしただけのお前らにゃあ無理だろ? こういう動きはよ」

 そしてその両腕を跳ね飛ばされたことによって一瞬呆然とし、二体のブートソングの動きが止まる。その隙をつき、FAKEは両手の指をVサインのように開き、その指をブートソングの目にねじ込む。そして眼球を一つずつ抉り出す。

「ギャァァァッ!?」

「キシャアアアアア!」

 両目を喪った二体のブートソングは、ここで初めてその痛みを自覚し、甲高い声で叫ぶ。その二体をフォローしようと、残り7体のブートソングが駆け寄る。

「キシ!」

「キシャ!」

「カウ!」

 次々と波状攻撃が繰り出される。FAKEはそれをいなして避けると、6体目のブートソングの腕を掴む。

「お前らの安い演奏は聴き飽きた」

 そして腕を取ったブートソングを、もう一体、殴りつけてくるブートソングへと体勢を崩して投げつけた。通常、彼らもまたその動きをアドリブによって読むことが可能であるが、余りにも腕を取り、体勢を崩し、投げつける一連の動きが『理』にそった動きであったために、避けることが出来なかった。

「!?」

 そして投げつけられたブートソングをもう一体のブートソングが支える形となり、二体のブートソングの動きが止まる。そしてその状況を彼ら自身が把握したとき、FAKEは既に身体を低く構え、右手を胸付近に低く畳んでいた。

「ライダー……」

 そしてその全身のバネというカタパルトに乗ったFAKEライダーの右拳は、真っ直ぐと一切のエネルギーロスを伝えることなく、二体のブートソングへと放たれる。白いマフラーを向かい風にたなびかせ、真っ黒な一つの線が走る。

「パンチ!」

 FAKEの縦拳が二体のブートソングの胸を貫通する。いかに高い再生能力と生命力を誇るブートソングであろうと、胸部の神経節を砕かれては二度と立ち上がることは出来ない。二体の制御回路を失ったブートソングはエネルギーの暴走をはじめ、大爆発を起こす。

「ワカラナイ……何故オ前ハソンナニ強イ!?」

 FAKEと同程度の性能であり、同じ技を使うはずのブートソングが次々と手も足も出ずに倒されていく。それがブートソングたちには不可解でならない。同じ性能の改造人間同士で、何故こうも差が出るのか。その疑問が、思わず口をついて出る。
 それを聞いたFAKEは、かつて自分が風見志郎に対しても同じ質問を放ったことを思い出し、仮面の下で自重気味に笑う。

「言ったところで理解できねぇよ」

 同じ技術であっても、その技術を用いる肉体の差。単純な膂力の強弱と言う意味では無く、その技術を用いるに適正化された肉体であるかどうか。早い話が『力』と『技』のバランスが取れているのか。
 残りのブートソング達が、一斉にFAKEへと襲い掛かる。

「オラァ!」

 そしてそのバランスを取るために必要なもの。

「ライダーパンチ!」

 バランスをなじませるための鍛錬、

「ライダーチョップ!」

 その鍛錬を支える正義、

「せいっ!」

 正義を形作る過去。
 そのいずれもが、試験管の中で生み出され、記憶を電気刺激で作られただけのブートソングたちは持ち得ない。
 ブートソングたちは次々にカウンターで打撃を叩き込まれ、またあるものは頚椎をねじ切られ、そしてあるものは頭を叩き割られていく。

「けっ、俺の海賊版(ブートレグ)だけあってしぶといな」

 しかしそれらのブートソングは皆、破壊された箇所を再生させ立ち上がる。メルヴシャーベや仮面ライダーFAKEと同じように、胸の神経節を破壊しつくすか、頭を完全に破壊するか、二度と再生できないほど消耗させた上で致命打を叩き込むか、三通りの何れかの方法でしか倒すことが出来ないようだ。

「クッ! 引イテ隊列ヲトレ!」

 ぱっくりと割れた頭を再生させながら、ブートソングの一体が叫ぶ。
 すると残り7体のブートソングはその声にあわせてバックステップし、FAKEと距離を取る。
 そして一旦、距離を開けると、ブートソング達は一斉に掌を開け、FAKEライダーに向けた。

「『レゾナンス・サウンドウェイブ』発射!」

 そして7体のブートソングたちの掌から、振動波が発射される。

「その技で、この街をそんなにしたのかよ……」

 ぼそりと、FAKEは呟く。
 この名古屋の駅前を、一瞬にして破壊しつくした技、レゾナンス・サウンドウェイブ。その正体は、隊列を揃えて発射された破壊振動波の『山』と『谷』を交差させることによって、波の合体を引き起こし、単独で放つよりも遥かに強大で不可視の破壊音波を発生させるものであった。
 そしてその巨大な破壊音波が今、FAKEライダーを狙って放たれた。

(この技は、間違いなく俺の振動子だ……)

 しかしFAKEは今まさに眼前に迫る破壊の障壁よりもむしろ、自らの自己嫌悪に心を焼かれていた。
 この街を破壊し、大勢の人を殺したこのレゾナンス・サウンドウェイブの元となったのは、間違いなく十三自身の能力だ。
 もし十三があの時イノベーター・チップを取られなかったら、
 もし十三があの時リミッターをカットしなかったら、
 もし十三が仮面ライダーとして戦うことを選んでいなかったら
 もし十三があの時死んでさえいれば、
 今この場で瓦礫と区別の付かなくなった人たちは、休日の駅前で買い物を楽しみ、好きなものを食べ、そして家路についていたはずだ。
 間接的に、その人々を殺したのは十三だ。

「俺は何度、他人を巻き込まないと決めて、そんで人を何人殺したら気が済むんだろうなぁ」

 仮面の下で、十三は自嘲気味に笑ったような声を出す。しかしその表情が一体どのようなものであるか『仮面』の上からはうかがい知ることは出来ない。

「それでも……罪を償うことにはならねぇだろうが……俺は『仮面ライダー』という道にすがる!」

 そう叫ぶと、FAKEライダーもまた掌に振動波を集中させる。そして身体を大きく弓のようにそらせ、片足で立つ。振動波を纏った掌を逆手に構えると、振動波が自らに達する瞬間に、真っ直ぐに突き出した。

「破ッ!」

 そしてその掌が振動に触れた瞬間、レゾナンス・サウンドウェイブもFAKEが掌に集中させていた振動波も同時に掻き消えてしまった。

「ナ、何ッ!?」

「振動子で破壊する攻撃であっても、同周波数、逆位相の波長を持つ振動に対しては山と谷が打ち消しあい、その威力は無力となる……!って風見先生が言ってた」

 掌を突き出した姿勢のまま、FAKEは呟く。

「今度は俺の番だな」

 そう言うと、FAKEライダーの太く、長い触角が高速振動を始める。

「覚悟はOK? それじゃあいこうか3 2 1 Let’s Jam!」

 ブートソングたちの眼前からFAKEが、かき消すように消えた。

「馬鹿ナ!?」

 ありえない。ブートソングとFAKEライダーの速度はほぼ同等である。ゆえに速度差によってその姿を見失うなど決してありえない。
 そして周囲を見渡そうとしたその瞬間、首が振り向いた方向とは逆方向に衝撃を受けた。

「まず1……」

 いつの間にか間合いを詰めていたFAKEが、ブートソングのうちの一体の頭を蹴り飛ばしていた。ブートソングがFAKEの姿を見失い、首を回してその姿を探そうと振り向いた瞬間を狙って、鉄ゲタの歯でブートソングのアゴを破壊しつくす。

「キシャア!」

 だが『アドリブ』によって感覚を共有しあっている他のブートソングは、仲間が一体やられたことで逆にFAKEの姿を補足する。腕のカッターをふるって蹴りを放った後の、不安定な姿勢のままのFAKEに切りつける。

 ガキン!

「刃には歯を、ってな!」

 しかし、その動きも既にFAKEは読んでいた。蹴りを打った後、そのまま体勢を立て直すことなく逆に地面に倒れこんでいき、倒れながら足に履いた鉄ゲタの歯でブートソングのカッターの刃を受け止めていた。

「そんでもって!」

 さらに刃を受け止めたブートソングに足を絡ませ倒し、寝技へと持ち込む。そして他の5体のブートソングが動く暇を与えず、両足でブートソングの膝を抱え込むと、踵をクラッチして捻り挙げる。
 柔道や柔術など多くの格闘技で禁止されている危険な技、ヒールホールド。それをFAKEは躊躇いもなくブートソングにしかけ、その膝を破壊するとすぐさま立ち上がる。

(2体目!)

 心中で破壊した数を数える。しかし、今ヒールホールドで膝を破壊した相手も、アゴを砕いた相手も死んでは居ない。しかし対多数戦闘において最も重要な事、それは相手の動きを一瞬であっても止めることだ。
 アゴを砕かれたものも膝を破壊されたものも、その生命力を持ってすれば一瞬で完治するだろうが、その行動不能となる『一瞬』の時間を稼ぐことが必要なのだ。

「舐メスギダ!」

 二体のブートソングが、FAKEが立ち上がると同時にローキックとハイキックを二体同時に放つ。寝たままでも、立った状態でもないもっとも不確かな体勢のFAKEを狙って放たれたそれらは、FAKEであっても避けることが出来ず、それらの直撃を受ける。

(しまった!)

 自らとほぼ同等のパワーで放たれた蹴りを受け、FAKEはよろよろと後退する。ローを打たれた膝は浮つき、ハイを顔面に受け脳がゆれ、風景が歪んで見える。しかし、決して挫けない。

「死ネ!」

「アバヨオリジナル!」

 そのFAKEをさらに二体のブートソングが追撃する。脳が揺れて視界も思考も不確かな中のFAKEは、一瞬のうちにこの一ヶ月の特訓を思い出す。

(頭が働かずとも……身体が覚えてる!)

 ほぼ同時に撃たれたように見えた二体のブートソングの攻撃。しかし、ほんの僅かに存在する二体の間の時間差をFAKEは、いや、FAKEの肉体は見極めると、一体の突きを崩してもう一体の突きへと流した。

「シマッタ!」

 同士討ちする形になったブートソングを、FAKEはまとめて前蹴りで蹴り飛ばして距離を取る。そして身を深くかがめ、そして『足の節』を変形させる。

「ライダーチョップ!」

 そして変形した『節』が弾かれ、飛び上がるように手刀一閃。二体のブートソングの首を跳ね飛ばす。まるで鋭利な刃物で切ったような切り口を残し、二体のブートソングは頭を落とし、そしてゆっくりと膝を崩す。

「分かったか? てめえらとは鍛え方が違うんだよ! ただ道具に頼って強くなったと思い込んでるてめえらとは!」

 例え意識が一瞬途切れても、肉体は幾度も繰り返した鍛錬の動きを覚えている。その一瞬の反応の差が、戦い方にまで大きな差をつける。
 その差が、11体も居たブートソングを残り5体にまで減らしていた。そしてその五体のブートソングのうちの三体は、意を決したかのように空高く飛び上がり、空中で飛び蹴りの姿勢を取る。

「キシャアアアアア!!」

 そしてその足先に、高速振動を纏わせる。それを見て取ったFAKEもまた、足先に同じように高速振動を纏わせる。

「はっきり見せてやる……! 俺とてめぇらの差を!」

 そしてFAKEもまた、一瞬送れて空高く舞い上がる。

「キシャアアアアアア!」

「ライダァァァァァァァッ!キィィィィィィィック!」

 そしてジャンプの最高到達点で、五体のキックと一体のキックが衝突する。

「くぅだぁけ散れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!」

 そして足と足が衝突した瞬間だった。
 3と1の黒い点は
 一瞬の拮抗すら見せること無く
 1の黒い点が3を塵芥にしたのだった。

「残り、2!」

 鉄ゲタの歯で大地を砕きながら着地したFAKEは、その口調と同じくらい強い視線を残った2体のブートソングへと向けた。そして同時に、FAKEの背後で爆発が起こる。ブルーノートがイノヴレーヴェを撃破したのだ。

「ギギギ…」

 その視線を向けられた二体のブートソングは、ついにここへ来て自らの決定的な不利を悟った。

「ギ!」

「ニゲロ!」

 大きく跳躍し、二体のブートソングはFAKEとブルーノートに背を向けて逃走する。

「逃がすかよ……インプロヴァイザー!」

 そうFAKEが叫ぶと、どこからとも無く十三が普段移動に使用しているスーパーカブ90が、誰も乗せず無人のままこちらへと向かってくる。そして丁度、FAKEの前で停車する。そのカブにFAKEは跨ると、グリップについている、アクセルともブレーキとも違うレバーを捻る。
 その瞬間、スーパーカブの車体は大きく姿を変える。
 ヘッドライトはまるで昆虫の複眼が一つ、正面に張り付いたようなものへと変わり『一つ目の複眼』とでも言うような矛盾したものとなる。
 元々、トライアルやモトクロッサー用に換装されていたそのタイヤは細く、さらに大きくなる。
 そのフレームは大きく変形、というよりは変態し、無機質の金属質のそれから、まるで生物、それもバッタなどの直翅目の昆虫のようなフレームへと姿を変え、全体的にそのシルエットはスーパーカブからモトクロッサー、否、さらにそれよりも軽装なトライアルバイクのような姿へと変化する。全体的に言うならば、トライアルバイクの形をした黒いバッタ、とでも言うべきか。

 インプロヴァイザー。陰陽寮技術陣とICPO技術陣、そして風見志郎が開発した仮面ライダーFAKE専用マシン。出力350ps、最高時速295km。

「いくぜ!」

 爆音を上げて、インプロヴァイザーが疾走する。ブートソングたちによって破壊され、瓦礫の山とかしたこの街を難なく疾走する。

「ナンダアレハ!?」

 逃げる二体のブートソングのうちの一体が、そのブートソングを見て驚愕する。
 最初は、あの『仮面ライダー』がバイクで自分達を追おうとしているのを見た際、コレならば逃げられると思った。この瓦礫の山と化したこの街をバイク、というよりも車輪を用いて移動するものは圧倒的に不利であり、四肢を用いて瓦礫を疾走する自分達ならば逃げられる。ゴキブリ型の改造人間だけあって、地上での疾走速度は250km/h。あのバイクが300km/h出たとしても、それでもこの地形ならば自分達の方が速い、と。

 350psという大出力ながら、最高時速295kmという低速度。その矛盾から導き出される答えは!

「このインプロヴァイザーは低速、大トルクの塊だぜ?こういう地形で俺と相棒から逃げられると思うなよ?」

 そのバイクは、瓦礫の上を走るのではなくパワーに任せて跳躍するかのように二体のブートソングを追跡する。そしてその距離を詰め、ついには一体のブートソングを捕らえる。
 前後のタイヤが逆方向に回転し、その逆回転がバイク自体を独楽のように回転させ、そしてその回転のままバイクごと跳躍する。

「うぉらぁぁッッ!」

 そしてその独楽のような回転で勢いをつけたまま、逃げるブートソングの一体の頭部へと前輪を押し当てる。横からの回転で頭部に猛烈に押し付ける力が働き、そして車輪自体の回転によって、ブートソングの頭は真っ赤にすりつぶされる。

「さぁ、最後はテメェ一体だ」

 頭がすり潰され、四肢を痙攣させたままのブートソングを踏みつけたままFAKEは冷たく言い放つ。彼はブートソングに一切の慈悲をあたえるつもりはなかった。

「ギ、ギギギギギ! ソレハドウカナ!」

 しかし、ブートソングは金属がこすれるような声を挙げて可笑しそうに嘲笑した。その手には、足を怪我して逃げそびれたと思われる幼い少女が掴まれて青ざめた顔で震えていた。

「トリヒキダゼ仮面ライダー。ナァニ、簡単ナ事ダ。俺ヲココカラ見逃セバコノ子供ノ命ハ助ケテヤル。ソレ以上ノ要求ハシナイ。ドウダ?」

 ブートソングは、この取引を持ち込んだ時点で逃走は完了したと思い込んでいた。『仮面ライダー』という存在の作戦目的を考えれば、無理をして子供を傷つける危険を冒す必要は無い。ここでもし、子供を人質に無抵抗になり殺されろ、といった類の取引ならば何らかの抵抗が見られる可能性もあるが、ここはただ自分を見逃すだけでいい。繰り返すが、それならば『仮面ライダー』は取引に応じる筈だ。

「クッ……クククク……」

 しかしFAKEライダーはそこでブートソングに答えることなく、顔を下へ向けてしのび笑いを漏らした。

「?」

 その様子に不審なものを感じ、怪訝な表情をブートソングは取る。そしてFAKEライダーは顔を上げると、狂気の篭った視線をブートソングへと向けた。

「聞けねぇな」

「ナッ!? コノ子供ガドウナッテモイイノカ!?」

 しかし、FAKEはブートソングの質問に答えない。インプロヴァイザーから降りると、身を深く沈め『エクスプレッション』を変形させる。FAKEがこの構えから必殺を繰り出すのを、ブートソングはこの戦いの中で何度も見てきた。

(見殺シニスル気カ!?)

 とっさにブートソングは、子供を羽交い絞めにし、FAKEに対して盾にする。しかし、それでもFAKEから明確に自分へと向けられる殺意と狂気は、一向にして減衰する気配を見せない。

「オーニソロジー!」

 そうFAKEが叫ぶ。すると、彼の身体が『風』に包まれる。この風はブートソングたちが先ほどの『レゾナンス・サウンドウェイブ』などの攻撃に用いた振動波に相違ない。しかし、何かが違う。

「ライダァァァァァァァァァァキィィィィィィィック!」

 そして弦に限界まで引き絞られた矢がそうなるように、FAKEの身体は一直線の線となり、真っ直ぐに飛び足刀をブートソングへと放った。
 蹴り足が、子供へと接触したと思った次の瞬間だった。その子供を羽交い絞めに抱きかかえていたブートソングは一握の砂へと姿を変え崩れ去り、そこには無傷の少女を抱きかかえた仮面ライダーFAKE・ヤードバードの姿のみが残った。
 オーニソロジー・ライダーキック。その振動波は、電子レンジが水のみを加熱するように、特定の破壊周波数を持ったもののみを破壊可能な必殺キックである。

「……俺は『俺』に屈しちゃならねぇんだよ、何一つな」

 そう言って、FAKEは背を向けた。その背後には、かつてのメルヴシャーベに良く似たもの達の屍が12個、無残に倒れているのだった。




「悪かったな、恐い思いをさせて」

 そう言って、FAKEは抱いてた少女をゆっくりと大地に下ろす。
 だがその少女の顔は、恐怖に打ち震えていた。この街を一瞬にして地獄へ変え、買い物を楽しんでいた自分の母親と弟を真っ赤な塊へと変えた化け物と良く似たこの『ゴキブリの怪人』に対して存在する感情は、畏怖と嫌悪、それだけだった。そしてそれは、仮面ライダーFAKEにも感じ取ることが出来た。

「あー! あー!」

 一通りの言葉は喋れるであろう程度の年齢には達していただろうその少女は、まるで未学習児のような寄声を挙げながら、怪我をした足を引きずってFAKEから少しでも離れようとしていた。

「……」

 その様子に一瞬FAKEは動きを固めるものの、すぐさまインプロヴァイザーのボックスの中から傷薬と包帯を取り出し、怪我をした彼女の元へと無言で駆け寄った。

「ひっ……」

 彼女は軽く声を挙げた。しかし、この醜い怪物に対してそれ以外何もすることが出来なかった。その怪物は、彼女の足の手当てを始めたからだ。そしてその化け物は手当てを終えると、何も言わずにバイクに跨り、彼女の元から去っていったのだった。



つづく




・メルヴゲフ解説
イノヴレーヴェ
第三世代型メルヴゲフの第三号である。第三世代型とは、『描き込み』の行えない素のメルヴゲフ(野生のものも殆どこれである)を第一世代、描き込みを行えるMtMがブートレグと呼ぶものを第二世代、そしてその第二世代が描き込みを行ったものを2.5世代とする、新型のメルヴゲフの事である。
彼らは従来のメルヴゲフよりもはるかに高い性能を誇り、そして何よりも『描き込み』を行い強化改造を施してもメルトダウンすることが無いという特色を持つ。これら第三世代型のメルヴゲフは、他組織の改造人間と比較した際、単体としての性能は若干見劣りするものの、高い生産性とメンテ性能と相まって、組織としての総戦力を比較した際には決して劣らないものとなる。
また、第三世代型メルヴゲフ全体に共通する特徴として、全身が金属光沢を持った生態装甲に覆われているという特徴を持つ。

このイノヴレーヴェはライオンを基調とした改造人間であり、メルヴゲフの中では比較的高いパワーと電撃の放電能力を持つ。


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