「クソッ!」

 真っ黒な異形が、真夜中の林の中で、全身から緑色の体液を流しながら、悪態をつく。
 その異形は、人間と同じように頭髪を生やし、特殊繊維で構成された黒いスーツとネクタイ、鉄ゲタを見につけてはいるが、その皮膚は油光した黒色、腕と太ももからは鋸状のカッターを、額からは腰までも長さがある二本の触覚を生やしている。
 異形の名は山口十三、そしてまたの名を仮面ライダーFAKE。そしてそのFAKEの周りを、無音で飛び回るもう一体の異形。

「ひゃぁっはははは! 全身を完全吸音タイルで覆い飛び回るコウモリのメルヴゲフ、メルヴバットの動きをつかめるかな? ミュージシャン!」

 メルヴバットは、手に持った二本のナイフで、すれ違い様にFAKEを切り裂く。そしてその一瞬遅くFAKEの拳が、メルヴバットがコンマ数秒前に存在した場所で空を切る。

(やべえ、音が聞こえねえ。どうする?)

 FAKEはMtMからの刺客と名乗る、このメルヴバットから襲撃を受けてから、防戦一方の状態が続いていた。FAKEの基本戦術は、相手の動きから発せられる『音』を聞き、そこから相手のリズムを聴き取り、逆に利用し、自分の戦いを即興で『作曲』する。
 だから、無音の陰形の技を使うメルヴバットとは、愛称が悪すぎるのだ。

 ぱさっ・・・

「!」

 その一瞬、ほんの一音だけ音が拾えた。その音を頼りに、紙一重でメルヴバットの攻撃を回避する。

「チッ! 勘の良い奴! だが幸運は何度も続かんぜ」

 そう叫ぶと、メルヴバットは再び闇夜に消える。

(なんだぁ? なんで今俺は奴の攻撃をかわせた?)

 そう思って周囲を見渡すと、そこには砕けた葉っぱが一枚。

「こいつだぁ!」

 FAKEは叫ぶと、両腕のカッター、ジャグを高速震動させ、両腕を下段に構える。

「Two Bass Hit・・・リフレインバージョン!!」

 そう叫ぶと、FAKEは下に構えて上段へと振り上げるクロスチョップを、何度も連続で放つ。メルヴバットではなく、FAKEの周囲に聳え立つ木々へ向かって、その枝を切り落としていく。

「ふん、何だ? ヘタな鉄砲は何発撃ったところで、訓練された兵士にはあたんねえぜ?」

 そのFAKEの動きを、やけを起こしたと推測するメルヴバット。そしてとどめの一撃を放つために急降下する。頚動脈への一撃。奴はこちらへと背中を向けている。気付いていない証拠だ、いける。

「ひゃぁっつはははは、これで俺も幹部だぁ!」

「うるせえぞ空飛ぶ哺乳類」

 キィン!

 硬質の物体同士がぶつかりあう音が夜の林に響いたかと思うと、メルヴバットの折れたナイフが宙を舞う。
 そして、FAKEによって顔を大地にうずめられたメルヴバットという光景が、次の瞬間には開けていた。

「ま、あれだ。音がなけりゃあ自分でリフれってか?」

 FAKEはメルヴバットを押さえつけながら、上から淡々と言う。

「なんだと・・? ハッ!」

 自分の顔の近くに、砕けた葉が舞い落ちるのを見て、何が起こったかを理解するメルヴバット。
 そう、FAKEは先ほどの攻撃は、自分でも木の枝を攻撃していたのでもない。FAKEは、この空間に、大量の葉を舞わせるために攻撃していたのだ。
 メルヴバットから音は聞こえなくても、その体が攻撃の際に、葉にぶつかりそれを砕けば音がする。言葉通りFAKEは音の波を作り出したのだ。

「くそぉ!」

 押さえつけられた頭と腕を、無理矢理力ずくでメルヴバットは引き剥がす。膂力ならば此方が上だが、その程度の差などはこの男の前には大してアドヴァンテージになりはしないことは、先に散った大勢の同胞が証明している。
 冷や汗を垂らしながら、メルヴバットは距離を取ってFAKEと対峙する。

「ま、幹部になりそこなって残念だったな」

 FAKEはそういうと、触覚を高速で震動させる。

「さてと、覚悟はOK? それじゃいこうか3,2,1,Let‘s JAM!!」



♯5 It is easy to remember the yesterday
A PART


『いくぜぇ、止めだ! JAZZ GIA』

「もういい。映像を切れ」

 FAKEがメルヴバットと対峙する、数週間前。
 狭い会議室に備え付けられた真っ白なスクリーンには、今しがたFAKEに差し向けた刺客が敗北した映像が映し出されていた。それを、大柄の男、この組織の首領であるヤマシタ・ヒデヒコがそれを切らせる。

「くそっ! なぜ勝てん!?」

 そう叫び、彼は組み立て式の安い机を両手で叩く。

「貴様らとあのイノベーターでは、基本スペックでいえばグリフォンとイングラム、ストライクドッグとスコープドッグ、アレックスとザクU改ぐらい戦闘力に差があるのだぞ、なぜだ!?」

「お言葉ですがヤマシタ一佐、機体の性能差など絶対的な戦力差には・・・」

「そんなことは聞きたくない! ていうかそれだとダメだろ俺達!! こうなれば、最早俺が直々に・・・」

「奴の力の源は、技術や能力ではなく、奴の圧倒的な戦闘経験からくる機転と、追い詰められても諦めない精神力。だと思いますわ、ヤマシタ一佐」

 突然、一人の女性が口を開く。女性はなかなか美しい顔立ちで、エキゾチックな魅力があった。また、右半身が色黒、左半身が色白と、恐らくそのようにわざわざ焼いたのだろう、奇抜なファッションをしていた。

「ほう、なにか策があるようだな、タナカ一尉」

 フランクな口調になり暴走しかけたヤマシタは、そのタナカという女性の口調に冷静さを取り戻す。それを見たタナカは、口元を上品に上へと吊り上げた。









 死んだ魚のような目に無精髭の男が、挙動不審気味に辺りをきょろきょろと見渡す。彼は先ほどの異形が人間の姿、山口十三。彼はなぜか、いつものくたびれた真っ黒なスーツではなく、黒いジャージを着ていた。
 そして周りに誰もいないことを確認すると、コインランドリーの洗濯機に近づき、硬貨投入口に、100円玉の変わりに細いワイヤーを垂らし、さらに針金のようなもので、かなり手馴れた様子で細工をする。すると、洗濯機が硬貨も入れていないのに動き出す。そこへ、彼は荷物の中から、血まみれになった、彼が普段着ている黒いスーツを投げ込む。

(・・・先生、なんかこれやるの久しぶりですが、すみません。俺は、もう仮面ライダーとか関係無しに普通に犯罪行為に手を染めてますが、ホント、不肖な弟子を許してください。いや、ここ最近敵の襲撃が異常に激しくて、路上で稼ぐ時間も体力も無いんです・・あと、さっき俺の手並みが異常に馴れてたことはスルーしてください)

 心の中で、十三は誰もいないのに懺悔する。
 半分はいいわけだが、ここ数週間、確かにMtMからの襲撃が異常な回数だった。休む暇も無く敵が現れる。普段から支援してくれる仲間のいない(音河とは、あれから一度も会っていない)十三の体力と精神力は、限界まで、というほどではないが、かなりすり減らされていた。
十三は洗濯場に備え付けられた椅子に座ると、ウトウトと眠り始める。

「久しぶりです」

「・・・っうおおお!?」

 突然聞こえた背後からの声に、十三は飛び起きる。声の主は、十三と同じように黒いスーツ ―ただし、かもしだされる高級感は全く別次元だが― に身を包み、オールバックの髪型に整った顔立ちの男、音河釣人だった。
 音河は十三の驚いた声に、ため息をつく。

「・・・やれやれ、その様子じゃあ相当消耗しているみたいですね。流石に、いくら君が弱くても、こう簡単に接敵を許すほど、ぬけてはいなかったと記憶していましたから」

 そういうと、十三が座っている椅子を、机を挟んで反対側に腰を下ろす。

「お前が俺にわざわざ会いに来たってこたぁ、何か分かったのか?」

 十三は眠気を覚ますために、自分の両頬を叩きながら、音河に話しかける。

「ええ。かなりの事が。まず何から話しましょうかね・・・」

 音河はそういうと、手帳を取り出し、付箋のついたページをめくる。流石に重要事項を電子機器の類に記録させるほど抜けてはいない。
 そうして、音河は今までの調査で分かったことを話し始める。

「MtMは、恐らく奴らの主力改造人間の強化のために、君を欲しているのだと思います。あの『描き込み』でしたか? あれを行ったメルヴゲフの遺体と、君の体の組成やDNAデータを照合した結果からの推論ですが」

 音河は続ける。

「君達のような特別なメルヴゲフ、奴らに習って、『イノベーター』と呼称します。イノベーターは、どうやら『描き込み』を行っても、メルトダウンを起こさないようなんです」

「なんでそんなことが分かったんだ?」

「とりあえず、あの君と戦う前にベラベラ喋っていたヘビからの推論と、あと、シミュレーションによる実験したところ、あのメルヴゲフがメルトダウンする理由は、そのエネルギー効率と消費量の異常な悪さから来るものらしい、と言うことが分かったんです。そのために、細胞がエネルギーを使い果たす時間も、約45分と一致しました」

 十三は、ふんふんと頷きながら音河の話に聞き入る。

「さらに、君達の体を構成する細胞のエネルギー消費効率と再生能力が、異常に高いことが分かったんです。君自身も疑問に思ったことは無いですか? ほとんど一週間飲まず食わずで全力で戦っても、本当に餓死したことは無いでしょう? それはその『イノベーター』としての体のおかげですよ」

 餓死してたら俺はこの場にいねえだろうよ、というツッコミを押さえて、十三は浮かんだ疑問を聞く。

「ちょいまち。とりあえず理由は分かった。だが、確かに『描き込み』をしたあいつ等は手ごわかったがよ、そりゃ、『俺達のレベル』でだろ?俺ははっきり言って最弱クラスの怪人だし、お前を愚弄するわけじゃねえが、お前だって所詮『生身の人間』クラスの戦闘力だろうよ。ザンキさんや陰陽寮の美人従者付ハイパーミニマムサムライ美少女みてーな特殊能力があるわけでもなし」

 この国に来てから出来た、二人の超人的な能力を持つ生身の人間と音河を比較する。もっとも、強化服のサーボ機構を破壊するほどの筋力をこの男もまた持つのだが。
 十三は、何がいいたいかと言うと、『一組織』が全勢力を揚げて狙うほど、『描き込み』したメルヴゲフに戦闘力は無いということだ。あのカニは例外としても、ここまで執着するものとは思えない。
 それを読み取った音河が、口を開く。

「そこで次の話題です。この国でメルヴゲフが異常に出現率が上昇して、逆にそのほかの国でのそれが下がっているって言いましたよね。あれはまぁ、君も予測がついているとは思いますが、やはりMtMの仕業です。そして、恐らく、MtMはその日本中に溢れているメルヴゲフ全てに、『描き込み』を行うつもりです」

 ガタッと音を立てて、勢いよく十三が、青ざめた顔で立ち上がる。

「おい、それ、シャレになんねえぞ」

 メルヴゲフの数は定かではないが、恐らくその数はいままで表れた未確認生命体のいずれよりも多い。それでも一体一体の戦闘力がたいしたことが無いから何とかなっていたが、『描き込み』を行ったメルヴゲフは、G5のような特別な強化服を装着しなければ生身の人間が対処するのは難しいだろう。

「そして最後に、君には一つ質問に答えて欲しいのですが」

 音河の声が、一般人には分からない程度に張り詰めた。

「調査を進めていくと、いつもとある人物に突き当たるのです。その人物の名前は、山口零博士。十三、君の父親ですね」

 音河は淡々と続ける。

「調べても正直、ただの生物学者にしては胡散臭すぎる人物でしてね。とりあえず16年前に死亡が確認されていること、あと君の戸籍上の父親ってことぐらいしか分かりませんでしたよ。何を研究していたのかさえね。正直に答えてくれると嬉しいのですがね、君の父親について」

 音河が突き刺すような目で十三を見つめる。十三はそれを見ると、フ、と笑い、ドサリと音をたて疲れたように椅子に座る。

「・・・俺はぶっちゃけ、この体が憎かないが、恐かったね。俺の家族が全員殺されて、12でアメリカに渡って、そこで俺の体が『異常』だってことに気付いた。テメーの体にビビッて馬鹿みてーなことやってたらさ、『あの人』と、先生にあった」

 質問に答えず、突然十三は過去を語り始める。それを、音河はじっと黙って聞き耳を立てている。

「んで、その人達に会ったら自分が馬鹿みてーつーか、ひどくちっちゃい存在に思えてさ、なんでこんな体にビビッてんのかわかんなくなった。そうしたら、今度は自分に向き合わなきゃあいけねえ気がした」

 十三は自嘲気味に笑う。

「そういや、なんで俺がこの国に4年間のいるのか話してなかったな。俺は、実家に帰ろうとしていんだ」

「は?」

 音河が要領を得ないというふうに聞き返す。

「こいつも自分ではよく分からんが、自分の家がどこにあったのか、何してたのか、よく覚えてねぇんだ。正直、自分ではあんまり嫌な記憶なんで思い出せねえように自分でしちまってたのかと思ってたが、どうもそいつもキナ臭くなってきたな」

 そういって、十三は椅子の背にもたれかかる。

「ついでに、俺が何物なのかって事には正直興味が無かったが・・・どうやらそうも言ってられねえみてーだ」

 「ちょ、ちょっと待ってください、ていうことは、何にも重要なことは覚えてないってことですか?」

「端的に言えばな」

 今度は十三がしれっと答える。それを聞いて、音河は机にがっくりと突っ伏せる。

「使えねえ・・・今日ほどこいつをつかえねーと思ったことはねーよ・・・」

 どうやらこれで仕事が進展すると思っていたのだろう、敬語も吹っ飛ばして、地を這うような声で音河がうめき声を漏らす。

「ついでに、そこに隠れてる奴、出て来い」

「あら、思い出させてあげようと思ったんだけどな」

 突然、それまでそこに存在しなかった第三者の声が響く。音河と十三は立ち上がり、構える。そこには、体の中心から右半身が色黒、左半身が色白の女が、いつの間にか立っていた。

「おいおい、俺さっきてめーらの仲間のコウモリ叩き落したばっかだぜ、もうちょい間ぁ開けようぜ」

「戦力の逐次投入は無用な消耗をするばかりですが、ね」

 十三と音河は、余裕タップリに挑発するが、女は笑みを崩さない。

「ま、こっちにも事情ってものがあるのよ・・・・山口十三、死んでもらうわ」

「おいおいおい、ずいぶんストレートな野郎、あ、野郎じゃねーや、だな。言っとくが俺はフェミニストだからよ、女子供にも容赦はしねーぞ。ちょい好みの顔してよーがな」

「いやそれ、フェミニストの意味完全に間違えていますって」

 音河がツッコミを入れると、十三は指を左右に振る。

「悪党なら女だろーと子供だろーと平等にブチのめすってことだ」

「あー、君が全くもてない理由の一つが分かった気がします」

「ほっとけ。で、殺すとは物騒だな、てめーらは俺を殺さずに生け捕りにしたいんじゃあなかったのか?」

 十三は、女の方へと向き直る。

「ふふ・・・そうね、『殺す』っていうのは、アンタの肉体じゃない。あんたの心の方。別に心は必要としてないわ、私達」

「心?」

音 河が聞き返すと、女の周辺の空気がざわざわと音を立て始める。女は腰に、以前メルヴシュランゲが使用したものと同じ、バックルに妙な機械が付いたベルトをつけると、バックルにディスクのようなものを差し込む。

「Alternate Take Arrangement・・・・・・innovation!」

 そう一言、呪文のように唱えると、モノトーンの女の体が、赤・緑・青といった派手な色使いに変貌していく。さらに、巨大な鳥の羽のようなものにも覆われ、頭には真っ赤な『とさか』が生える。

「私は七面鳥のメルヴゲフ、メルヴテュルカイ。そしてさようなら」

 女が正体を現したと同時に、音河は飛びかかり、逆に十三は後ろへと跳び下がる。

「音河ぁ! 変身までの時間稼ぎよろしく! Arrangementぉ!」

 十三が叫ぶと同時に、その体は徐々に変色を始める。同時に、音河はホルスターから自作のリボルバーを引き抜き、弾倉を開き、通常弾を排莢する。

「ったく、生身の僕がなんで・・・まぁいいでしょう、ICPO本部から送ってもらった、あの『カニ』を想定したフルメタルジャケットホローポイントの威力、試させてもらいますよ!」

 そして、空になった弾倉に、ICPO技術部が開発した、硬度の高い外殻を持つ改造人間に対しての使用を想定した、特殊弾丸をこめる。

 ドゥン!

 とても拳銃から発射された音とは思えない爆音を上げて、メルヴテュルカイへと弾丸が一直線に走る。そして、あっけなくメルヴテュルカイの額を貫通する。

「いぃ!?」

 そして、銃弾を浴びたメルヴテュルカイは、そのままの姿勢で後ろへと倒れこむ。そのあっけない姿を見て、音河は彼らしからぬ声を上げてしまう。

「え?もしかして終り? 俺の出番、なし? まぁ、俺の服一着台無しにしなくて良かったけどよ」

 十三もそのあっけなさに、思わず呆然としてしまう。ちなみに、シルベール製のスーツはまだ乾燥機の中だ。
 音河は、自分のバイク『ブラストチェイサー』から、起動キー兼超重量電磁警防である『ヘビーアクセラー』を引き抜くと、用心深くメルヴテュルカイの遺体へと近づく。

(おかしい、まさかこんな簡単に倒されるなんて、何かの罠か?)

 音河がそう心に強く思った瞬間、それまで見えていたメルヴテュルカイの死体が、陽炎のように消える。

「っ・・十三ぉぉぉ! うしろだぁ!!」

 全てを理解した音河が、十三へ向かって叫ぶ。
 音河の声を聞き、後ろへと十三が振りかぶると、そこには傷一つ無いメルヴテュルカイが立っていた。

「どわっ!! んなろぉ!」

 苦し紛れの一撃を十三は放とうとするが、メルヴテュルカイの方が圧倒的に早い。掌を十三の眼前にかざすと、一撃、というには余りにも優しく、額に軽く触れる。
 すると、その瞬間、十三は立ったまま、動かなくなってしまった。

「十三! おい、ゴキブリ! どうしたんですか一体!!」

 音河は立ったまま、ピクリともしない十三へと声を掛けるが、何の反応も見せない。そして今度は、音河はメルヴテュルカイを睨みつける。

「貴方は・・・・」

「そう。私の能力は、幻覚を見せたり催眠術を瞬間的に掛けたりって能力なの。ま、勿論今貴方が体験したように、心に強く念じるだけで、すぐに見破られちゃうようなものなのだけど、貴方、自分の実力にずいぶん自信を持っているみたいね。っていうか自信過剰気味ね。正直な話、『自分の実力なら一撃で倒せても不思議は無い』って、ほんの少し思ったでしょう? だから催眠に引っかかったってわけ」

「・・・・わざわざ説明していただき恐悦至極。なら、今貴方がこの醜い男に何を施したか、教えていただけますか、美しいレディ」

 わざとへりくだった口調で質問する音河。十三と同じく、この男にも不利な状況ほど冷静になる癖がある。

「ふふ、いいわ、教えてあげる。彼は今、遠い過去へと戻っているの」

「過去へ? 逆行催眠を掛けたと?なんにために?」

「最初に言わなかったかしら。忘れているなら『思い出させてあげる』って。そしてこうも言ったわね、彼の『心』を殺しに来たって」

「・・・・」

 心を殺す、それは一体どういうことなのだろうか。
 しかし同時に音河には分かったことがある。恐らく十三をこの数週間襲い続けていたのは、十三を精神的に追い詰めるためだろう。肉体の疲労は精神の疲労と直結するからだ。疲弊した精神に対してなら、催眠術を掛けるのは容易であろう。しかし、十三の捕獲が目的ならば、それらの戦力を集中的に投入すれば良さそうなものを、なぜこんな周りくどい方法をとったのであろうか。

「ふふふ、サービスにもう一つだけ教えてあげるわ、自信過剰なジェントルマン。なんでこんな方法を取ったか疑問に思っているでしょう?答えは簡単よ。この方法しかなかったからよ」

「この方法しかなかった?」

「そう。この男は、貴方やこの男自信が思っている以上に厄介な存在なの。というよりも、仮面ライダーという存在が厄介と言うべきかも知れないわね。彼らはその見た目の戦闘力以上に、内面的な強さっていうのかしら? それが凄く強いの。それ、『殺す』じゃなくて『生かして捕らえる』っていう作戦だと、すごく厄介なの。だって、生かしてあげようと思ったって、彼らは追い詰められたら自分から死んじゃったりするんだもの。だから、まずその精神力を生み出す『心』を殺すってわけ。お分かり?」

「よく理解できませんが・・・」

「まぁ、確かに『仮面ライダー』と対峙しようと思ったことがある者にしか、分からないでしょうね。話はこれでおしまい。さてと、私の体がメルトダウンするまであと40分ってところかしら、その前に、貴方も殺してあげるわ」

「くっ!」

 再び陽炎のように姿を消したメルヴテュルカイに、音河は冷や汗を流しながら周囲を見渡した。

















(どこだ、ここは・・・)

 十三の意識は、露の時期の山のように、明るくも無ければ暗くも無い、灰色の風景に包まれた場所にあった。
 頭がクラクラとしてはっきりしない。かといって気分が悪いわけでもない。まるで、意識がハッキリした状態でまどろんでいるかのようだ。
突然、灰色の一部が明るく開け、そこにスクリーンのように映像が映し出される。
 その映像には、幼いころ、まだ世の中の酸いも甘いもしらない、純真な頃の自分が映し出された。
 すると突然、像に映し出された、子供の頃の十三と、それを見ている十三、十三の意識が二重になる。まるで、主観と客観を同時に持ちえているようだった。

「お父さん、ただいま! 聞いて、僕ね、算数のテストで100点取ったんだよ」

 『子供の十三』が、勢い良く玄関の扉を開ける。そして、そこにいた白衣を着た科学者風の男性に嬉しそうに話しかける。すると、その男性はニッコリと笑った。だが、『現在の十三』には分かった。その笑みは、心のそこからのものではない。完全に、作られた笑みだったことを。
 しかし、『子供の十三』にはそんな事は分からない。その笑みを見て、さらに嬉しそうな顔をする。

「そうか、よく頑張ったね十三。今日は『試験』の日だから、早くかばんを置いて着替えておいで」

「うん!」

 『子供の十三』はパタパタと音をたてて、子供部屋へと走っていく。現在の十三は、そんな昔の自分を見て、自分にもこんな純真な頃があったな、と苦笑する。
 そして、部屋から帰ってきた『子供の十三』は、まるでダイバースーツのような、肌にフィットした奇妙な服を着ていた。その服には、コードの取り付け部と思われる端子が、いくつも付いていた。

「さぁ、十三、いこうか」

 彼の父親、山口零は、『子供の頃の十三』を連れて、彼の書斎へと赴く。そして、その部屋の中央においてあった巨大な机に備え付けられたスイッチを、決められた順番通りに押すと、コトン、と軽い音をたて、地下への隠し階段が現れる。
 そして地下には、何人もの白衣の科学者が行き歩く、巨大な研究棟があった。研究棟の中でも、最も巨大な中央研究室へと繋がる廊下で、二股に分かれた通路で、『子供の十三』と零は別れる。

「それじゃあ十三、今日も頑張るんだよ」

 零はまたも『現在の十三』が見たら、胸糞が悪くなるつくり笑いを『子供の十三』へ見せると、零は観察室と書かれた通路へ向かって歩いていく。

(ああ、そういやこんなこともあったな)

 『現在の十三』は、ぼんやりと思い出す。というよりも、なぜ忘れていたのだろうか。

 そして、『子供の十三』は、嬉しそうに実験室へと書かれた巨大な扉を潜る。そこには、大勢の白衣の研究員達が待ち構えており、十三が到着すると、その着ているウェットスーツのような服に、次々とコードを繋げていく。

 一方、零はその実験室が見下すことが出来る観察室へと入ると、そこから十三を見つめていた。しかし、その目はわが子を見守る父親の目ではなく、モルモットを見るそれだ。

「外部情報収集用コード接続、イノベーターチップ起動確認・・・・山口博士、準備が整いました。いつでも開始できます」

 そこへ、零を呼びに、大柄で筋肉質の、一般的な研究員のイメージとあまり近からぬ助手が現れる。

「ん、ありがとう山下君。それじゃあ始めてもらおうか」

 零がそういうと、山下と呼ばれた研究員は、眼下の研究員達に開始の合図を送る。すると、コードにつながれた子供十三の姿が、一瞬にしてがらりと変わる。肌は油光した、黒い生態装甲のように覆われ、さらにその上に琥珀色をした頑強な二次装甲が発現する。眼は直翅目のような複眼、額からは、高電圧コードのように野太い触覚が腰まで垂れる。さらに全身の筋肉が爆発したように膨れ上がる。その姿は、まるで装甲を着込んだ人型のゴキブリだ。

 そして、実験が開始される。

 その異形へと変化した子供十三に、壁から鉄球が、高速で発射される。それを十三は難なくかわし、次の瞬間には鉄球の発射口へと肉薄。発射口を噛み千切る。
 その次には、ワイヤーが別の発射口から伸び、十三の手足を絡め取る。さらに、高電圧の電撃を十三へと流すが、十三は何とも無い様子でそのワイヤーを引き千切る。さらに、他にも様々な仕掛けが十三へと襲い掛かる。

「どうですか山口博士? 『No.13』の様子は」

「予想したとおりの戦闘力だね、面白くない」

 山下が零に尋ねると、零は面白くなさそうにふてくされる。

「予想通りの戦闘能力ならば、特に問題は無いのでは? 十二分に及第点のハズですが」

「しかしねぇ、こっちはNo.13とやりたくも無い『父子ゴッコ』をやっているんだよ? こないだなんか僕の秘蔵のチャーリーパーカー・コレクションを持ち出して、聞かせてとかうっとおしい。僕は自分のコレクションまで投資してるんだ、もうちょっと面白みのある結果が出てくれなければ困る」

「『人間らしい』平凡な生活によって磨かれる精神が、戦闘において爆発的な能力を発揮すると主張なさったのは山口博士だったはずですが・・・」

 図星をさされ、ムッと口ごもる零。そして都合が悪く感じたのか、話題を変える。

「そ、そういえば他の『マスターテープ』たち・・・プロトタイプ・イノベーターの子たちはどうしている?」

「はい、狐との融合・女性タイプのNO.9は12時間前に老衰死。食虫植物との融合のNO.15は、今回NO.13と同じ試験中に、試験に耐えられず重傷を負いました。しかし、戦闘能力が想定値に足りていなかったため、そのまま破棄。これで現在、『マスターテープ』で生存しているのは、NO.13のみとなります」

 淡々と、ある意味十三の『兄弟』達が死んでいったことを山下は伝える。すると、零はやや残念そうな顔を浮かべる。

「そうか・・・他の実験体は全滅したか。となると、生き残ったのはあの没個性なNO.13だけか」

「はい。しかし、『マスターテープ』は後続のイノベーター量産のための試金石ですから、なるべく没個性かつ、強靭な生命力を持つ個体が生き残ったのは、むしろ喜ぶべきでは?そもそも、そのためにNO.13にはゴキブリをベースに選んだのでは?」

「しかし、NO.13は総合的な戦闘能力が低すぎる。これではとてもゴルゴムやネロス帝国には対抗できん。先行する単に動植物を遺伝子改造しただけのメルヴゲフよりはマシだが、それでもとてもこれでは・・・・」

そう、零が告げると、山下は勢いよく切り出す。

「それでは予定を繰り上げ、量産強化型の『改造人間』タイプを製作してはどうでしょう? 実験台には私が志願します」

「『改造人間』か・・・」

 『マスターテープ』、つまり最も原初的なメルヴゲフ達は、人工授精によって誕生した胎児達に、まだ胎児のうちに先行するメルヴゲフ、即ち生物兵器として遺伝子改造された動植物のデータを干渉させることによって誕生するミュータントだ。

 故に、広義では改造人間といえるのだが、そのデータを干渉させる手段が、胎児が生物の進化を遡る過程(現実に、まだ胎内の受精卵が人間へと変化する過程で起こる事象である)、つまり無脊椎生物から魚類(余談だが、この段階の胎児にはエラがありエラ呼吸が可能らしい)、両生類、哺乳類へと変化する途中に、それらメルヴゲフのデータを組み込むことによって、胎児が自発的に『メルヴゲフ人間』へと変化していく。その為に、零たちは彼らをミュータントと定義している。

 余談だが、それらの胎児は遺伝的に優勢(生物学的に間違った表現であることは承知しているが、あえて分かりやすくするためにこう表現する)な組み合わせ、劣勢な組み合わせ、ごく平均的な組み合わせの、3種にわけ、それぞれに改造を施した。十三はその中で、最も平凡な組み合わせの遺伝子プールの中から誕生している。

 閑話休題

 零は、山下の発言に口を濁す。零たちには、後天的な『改造人間』をつくる技術が、十分に確立されているとは言いがたいからだ。最先端の遺伝子改造を行えても、『この世界』ではさして珍しくも無い後天的に人体をサイボーグ化する技術は持っていなかった。

「う〜ん、まぁ確かにNO.13のデータは十分だし、成功率もきわめて高いとシミュレーションでは出ているし、君がそういうならやってみようか」

「では、このデータを見ていただけますか」

 そう言うと、山下は一枚のフロッピー(時代は80年代)を手渡す。零がパソコンのディスプレイ上に表示させると、そこには、十三と同じ、ゴキブリをベースとした改造人間のプランが入っていた。

「へぇ・・・なかなかいいじゃないか。過剰な特殊能力を持たせず、純粋に身体能力の上昇に努めた改造か。『イノベーター』としての特殊能力は・・・なるほどね、ゴキブリタイプの特性を生かして、超速再生を付加するのか」

 零はそれを見ると、満足げな顔を浮かべ、手元に備え付けてあった受話器を手に取り、各部署へと連絡を入れる。

「ああ、これから先2ヶ月の予定を全て変更。これより我々の改造人間第一号の作成に映る」

 そう指示する後ろで、山下が下卑た笑いを浮かべたことに、零は気付かなかった。












 そして二ヵ月後・・・

「おめでとう山下主任。今日から君は人間ではなく、我が組織の改造人間第一号『イノヴローフ』だ」

 山下は、拍手の海の中、まどろみの中から目を覚ます。そして、目を覚ます前とは、全身にみなぎる力が違うことが違うことが理解できる。

「さっそくだ、君の力を見せてくれないか、山下主任」

 そう、研究員の一人が山下をせかす。すると、山下は自身に満ちた表情で頷くと、両腕を交差させる。

「Alternate Take Arrangement・・・・・・」

 山下が呪文のように呟くと、彼の腰に、ベルトのような物体が浮かび上がる。

「変身!」

 そして叫びと共に彼が両腕を振り下ろすと、瞬間、彼の体が一瞬にして変化する。
 彼の額からは腰まで伸びる長い触角が生え、腕には、巨大な斧のような刃物が生成される。全身には真っ黒な生態装甲が生成され彼の体を保護し、両足にはまるで戦闘機のエアダクトのようなものが出現する。
 そして顔面には『仮面』のようなものが生成され、口部はゴキブリの頑強なアゴを模した金属製のクラッシャーに、大きく膨れ上がった複眼は、まるで髑髏のようにも見えた。

「す、すごい・・・」

 その様を計測していたオペレーターが、思わず感嘆し声を上げる。

「この能力は・・・筋力だけでも、今迄計測された、最高の筋力を持つ『メルヴゲフ』の80倍はあります! いえ、もっとかも・・・」

 そのオペレーターの驚嘆を聞き、そして自分自身に満ちる力から『確信』を得た山下・・・いや、イノヴローフは、すぐ傍に立っていた同僚の研究員の腹を抜き手で貫く。そして掌を開くと、その衝撃で研究員の体が赤い霧となって霧散する。

「な・・・・山下主任! 血迷ったか!?」

「血迷った? いえいえ、これは予定通りの行動ですよ」

 イノヴローフは腕に付いた血を舐めると、全く動揺の無い落ち着いた声で応える。

「な、何が目的だ・・・・」

 別の研究員が問い詰める。すると、山下は仮面の下で大きく笑い、一言だけ答えた。

「世界征服」

 そして、手術室に存在した人間は全て、赤い霧となった。ただ一人、なんとか逃げおおせた山口零を除いて。





「撃て!」

 通路をさえぎるように、横一列に並んだ研究所付の兵士が、イノヴローフへ向かって一斉に銃弾を撃ち込む。しかし、対怪人用に強化されたその銃弾ですらイノヴローフには意味を成さない。イノヴローフは委細かまわず突き進み、まるで子供が蟻を踏み潰すよりも簡単に、兵士を蹴散らしていく。

 そして逃げおおせた零は、十三をたたき起こす。

「ん? どーしたの? お父さん」

 眠そうに目をこすりながら、十三は目を覚ます。その十三の腕を零は強引に掴むと、もう一つの研究室へと向かっていく。

「え? ねえ、どうしたのおとうさん! ねぇったら!」

 十三の問いに答えず、零は黙って研究室の扉を強引に開ける。そしてその場に十三を立たせると、彼の腰になにやら機械のようなものが付いた、先ほどメルヴローフが装着していたものに酷似したベルトを巻く。

「これでよし・・・いいかい、十三。新しい試験だ。これから、変身したお前そっくりの奴がここへ来るから、そいつをやっつけるんだ、できるね」

 そういうと、ベルトのバックルのスイッチを押す。すると、その機械から『Innovation』という電子音が流れる。すると、十三の体に変化が訪れる。一瞬にしてゴキブリに似た姿へと変化し、さらに、その全身に真っ赤なラインが走ると、全身から蒸気のような、『風のような形』をした、十三の生態エネルギーが噴出する。

「うぁ、うあああああああ!!」

 十三は、全身を駆け巡る痛みに耐えかねて、雄叫びを上げる。その一方で、零は薄ら笑いを浮かべる。

「よ、よし・・・これなら・・・」

 あのイノベーターも倒せるかもしれない、そう零が思った瞬間、すぐ真横の壁が吹き飛ぶ。

「山口博士、こんなところにいらっしゃいましたか」

 イノヴローフが瓦礫をまたいで現れる。そして、頭を抱えて苦しむ十三をちらりと見る。

「成程・・・先ほど感じたエネルギーはこれだったのか。しかし山口博士、墓穴を掘りましたね。これでは私達メルヴゲフを引き寄せてしまう。この美しい音色のようなエネルギーにはね」

「ふふふ、墓穴を掘ったのはどちらかな? やれNO.13! この男を殺せ!!」

「フー、フー、キシャァアアアアアアアアア!

 痛みで錯乱状態になった十三は、零の命令に反射的に反応し、イノヴローフへと飛び掛る。

「フ・・・」

 だがイノヴローフは、軽く腕を振るうと飛び掛ってきた十三を吹き飛ばし、壁へとめり込ませる。その衝撃でベルトは破壊され、十三は人間の姿へと戻る。

「な・・・・」

 その余りにもあっけなさ過ぎる一瞬の攻防に、零は間抜けな声を上げてしまう。

「ただの不安定な試作型に付け焼刃をつけた程度で、量産を前提に調整され、強化された完成型に勝てるとお思いでしたか?」

 そう淡々と語り、イノヴローフは零を見下すように視線を送る。それに射抜かれた瞬間、零は腰を抜かし失禁する。

「な、なぜだ、『デストロン』から離反した君を拾ってあげたのは私達じゃあないか、なぜこんなことをするんだ・・・」

「確かにそのことについては感謝していますよ。しかし、なぜ私がデストロンから離反したか、ご存知ですか?」

「そ、それは、『ヨロイ一族』が台頭し、科学者が自由に研究しにくくなったからだと・・・」

「ええ。そうです。私は自由に研究するために此方へと移りました。ですがね、今度はこちらに移っても同じでした。デストロン時代ほど潤沢な研究資金は出ず、さらに満足に兵器開発もできない。それどころか市場に出して利潤を得れるものを作れ、なんて、全く関係ないものをやらされた時は閉口しましたよ」

「それは、そんなもの、何処へ行っても同じだろう・・・」

「ええ。そうですね。ですが、私が世界の頂点に立てばどうです? 私は自由に研究を出来るでしょう。そのために私は世界征服という目的を持つに至ったわけです。おっと、勘違いしてもらっては困りますよ、別に私は科学が自由に発展できる社会を作りたいわけじゃあない。ただ私が研究できればそれでいいんだ」

「そんな子供じみたことが・・・いや、君は狂っている! そんな事はできるわけが無い!」

「出来るかどうかは、実験してみなければ分かりませんよ。それでは山口博士、お達者で。実験体たちによろしく」

 自らの首筋に迫る白刃。それが、山口零が最期に見たものだった。





 十三は、自らに降りかかった生暖かい液体の感触で、目を覚ます。そして目を開けて移ったものは、彼の父親(と思い込んでいる人間)の変わり果てた姿だった。
 そしてそこには、ゴキブリのような、自分にそっくりな異形が。

「ひ、ひ、や、止めてよ、お願いだから、殺さないで。何でも言うこと聞くから!! 死にたくない!!」

 十三は何が起こったか一瞬で理解すると、助けを懇願する。
 それを見たイノヴローフは、ふん、と鼻を鳴らすと一言だけ。

「お前は生かしておいてやる。この後にお前がどうやって成長していくか、科学者として興味がある。お前は俺と同じ、『イノベーター』だからな。ただ、このことがばれると面倒だ、記憶だけを封印させてもらう」

 そういうと、イノヴローフは十三の頭に指を突き刺し、なにやら細工をする。
 そうした後、姿を消した。










 スクリーンが閉じ、そこで映像 ―として十三が見ている、彼自身の過去の記憶― が消える。そして、そこへと鳥のような姿をした女、メルヴテュルカイが現れる。

「ふふふ、どう? 貴方の父親が死んだ光景は?」

 灰色の風景に包まれた『現在の十三』に、メルヴテュルカイが話しかける。

「胸糞悪くなる記憶を思い出させてくれてどーも。俺の精神はテメーに捕らわれてたみてーだな。さっさとここから出せクソ女」

 十三は、怒気をこめてメルヴテュルカイに答える。その様子に、メルヴテュルカイは意外そうな声を上げる。

「あら、意外と元気そうね。というよりも、さっきの映像のショックが、逆にアンタの精神を半覚醒状態にしちゃったわけか」

「俺の精神って奴がしぶとくて残念だったな。俺を精神的に潰したけりゃあ、昔、風俗嬢に入れ込んで貢ぎまくった挙句に逃げられた記憶か、イタリアのマフィア経営のカジノでイカサマやったのがバレてシチリア海の藻屑にされかけた記憶でも見せるんだったな」

「ふふふ、そうやって軽口を叩いて自分を鼓舞しているわけ? そうね、アンタにとって、家族が殺された記憶なんて、地獄の始まりにしか過ぎなかったわけだからね」

 そうメルヴテュルカイが言うと、また別のスクリーンが開け、そこに映像が映し出された。









「君が十三君だね? 今日からここが君のウチだよ」

 天涯孤独の身になった十三は、アメリカ・ニューオーリンズの遠縁に預けられた。遠縁といっても、殆ど他人といってよく、零が蓄えた遺産が目当てだった。そしてその遠縁は、零に遺産が殆ど無い(公な形で、彼はたくわえを持っていなかった)ことが分かると、彼は態度を豹変させた。

「出て行け」

 彼は無一文の十三を叩き出すと、その門戸を硬く閉ざした。

 その日から、十三の世界は音をたてて変わっていった。
 まず、下町に下りた彼は、文字通り身包みはがされた。『金持ってそうな日本人のガキ』。カモ以外の何物でもなかったからだ。十三自身、むしろよく命だけでもあったものだと思った。
 そして身包みはがされた十三が、寒さをしのぐためにゴミ捨て場で暖を取れるような服を漁っていると、そこで彼は暴力の制裁を受けた。
 そこには、そのゴミ捨て場をたまり場としている、ストリートギャングが居たからだ。そして、その彼らに目を付けられたのが運の尽きだった。

 十三は、その日から彼らの奴隷になった。食べ物を盗んでこさせられたり、麻薬の売人まがいをさせられたり。時にはヘマをしたこともあった。そうなると当然、彼らの元へ帰った十三を待っていたのは、暴力だった。
 当然、十三は逃げ出そうとした。だが、一度逃げ出した時、彼らはただの暴力だけでなく、十三に無理矢理、麻薬を打った。麻薬付けにされた十三は、麻薬ほしさに彼らに従うだけの人形と化した。
 そんな生活が続いた中で、唯一幸いだったといえるのは、十三の『異形』としての力のコントロールが、過酷な状況におかれたことで、研ぎ澄まされていったことだ。
 彼の皮膚感覚は、食物店の店主の接近を感知するために研ぎ澄まされ、彼の耳は、襲撃する予定の銀行員の会話を、何百メートルも先から盗み聞くことが出来るようになった。その俊敏性は警官に追われて逃げ切れるように素早くなり、その肉体は麻薬付けにされた体が、ギャング達の暇つぶしに夜通し殴られても、次の日には何の問題も無く動けるほどの回復能力を得た。


 そんな生活が一年ほど続いた。十三はかつてのような生き生きとした目の輝きを失い、最早反抗しようとする気力も無く、ただ奴隷のような日々を、目的も無く過ごしていた。
 そんなある日、事件が起こった。




 十三が一仕事終えて、ギャングのアジトへ帰ってくると、十三は不穏な雰囲気を感じた。気になって、感じた方向へと走ると、そこにはギャングのボスと、その取り巻き達、そしてもう一人、見たことの無い男を取り囲んでいた。

「あぁ、なんだ? 気持ち悪ぃーから俺が呼んだとき以外に顔見せんじゃねーよ」

 ボスは、不快感をあらわにして、十三へ灰皿を投げつける。それを十三は頭にぶつけ、うずくまりながらチラとボスではなく男の方を見る。

(何か感じたんだけど・・・)

 まだ、この当時の十三は、現在のように高い精度の聴覚を持っていなかったため、確信が持てなかった。
 気にはなったが、この場に居続けたら、また殴られることになる。それならばとにかく、麻薬がもらえなくなっては辛い。それに灰皿をぶつけられたところからは、血が流れている。十三はそそくさと逃げるようにその場を後にする。
 そして、自分に与えられた、ゴミ捨て場のほんの僅かなスペースに身をうずめ、瞳を閉じる。特に趣味もないし、無駄にエネルギーを消耗させることも無い。そうしていると、突然悲鳴が聞こえた。ボスの取り巻きの一人の声、方向はさっきの男が囲まれていた方向からだ。
 足音を殺して、先ほどの場所へと戻ると、そこには異様な光景が目の前に広がっていた。

「た、助けっ・・」

 声にならない悲鳴をあげ、取り巻きの一人の体が貫かれる。すると、その死体は灰になり、一瞬にして崩れ去ってしまったのだ。

「っ!」

 その貫いた『モノ』は人間ではなかった。まるで、くすんだ白色の彫刻のような姿をした、人ならざる『怪人』であった。
 そして、その怪人の周りには、先ほど見た『灰』が散乱し、その灰の海の中でたった一人、ボスがしりもちをついていた。

「あ、お、お前、何してる、早く助けろ!」

 十三に気付いたボスは、その名前を呼ぶことも無く助けを求める。
 助けねば、そう思ったとき、十三の、先ほど灰皿をぶつけられて出来た傷が疼いた。

(コイツが死ねば・・・俺は解放される)

 十三はそう一瞬思い、ためらいを見せる。
 それに、助けるとしてもどうやって? それは勿論、自分も『異形』へと変身すればいい。だが、十三は零から決して人前で変身してはいけないと言われていたし、十三自身、変身すればどうなるか、ある程度理解している『つもり』だった。その二つの感情が、十三の足から大地へと根を生やさせていた。
 そんな十三を無視して、彫刻のような怪人はボスの下へと歩み寄る。

「は、はやくしろぉ! 助けねえともうヤクやらねーぞっ! おい聞いてんのか!!」

 震えた声で、しかしあくまで命令口調は崩さずに、ボスは十三に助けを求める。
 そして十三は、ついに決心を決めた。

「!」

 彫刻のような怪人は、そこで始めて驚いた様子を見せた。十三がボスと怪人の間に割って入ったのだ。
 十三の中で、やはり人間としての良心が勝ったのだ。その後に、何が待っているのか知る由も無く。

「やめろ !それ以上やるなら、俺が相手をする」

 口調は強がっているが、その声と足は震えている。それを見た彫刻の怪人は、にやりと笑った。そして、その怪人の影に、先ほど囲まれていた男の姿が映った。

「くくく、どうした。震えているじゃないか。心配しなくても良いぜ、私は君を殺すつもりはないからな」

 その影が、十三に語りかける。すると、十三は一瞬、安堵の表情を見せ、その後、理解が出来ないといった表情を作る。

「だって、君も私達と同じ・・・とはちょっと違うがな。しかし、私達とこいつら人間なら、私達に近いんだろう?」

「ち、違う! 少なくとも俺は、人を殺したりしてない! ・・まだ」

十三は大声で否定する。それを見て、彫刻の怪人はますます可笑しそうに笑う。

「くく、そうなのか? でも、こいつらと一緒に居たってことは、君がその力をいかがわしい事に全くつかってなかったってのは、ちょっと信用できないな」

「っ・・・・く」

「それに、なぜ君と私は戦わなくちゃいけないのかね? さっき見ていたけど、君はこの男に相当酷い扱いをされていたみたいじゃないか。そんな男を、命を張って助けようとしているのか?」

「誰だとか、関係ない! 人を助けることは正しいことだからだ!」

「ふぅ、若いって良いね。正しいこと、か。私も昔はそう思っていた。しかし・・・いいだろう、それなら試してみなさい。君が『力』を使えば、それを見た人間がどう思うかを、だ」

 そういうと、彫刻の怪人は、虚空から二つのチャクラムのような武器を取り出してみせる。

「うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」

 十三は、自らの衣服を引き千切りながら咆哮する。そしてそれにあわせ、十三の姿は、一瞬にして黒い、ゴキブリに似た異形へと変化する。あの日、自分の家族が皆殺しにされて以来の、約1年ぶりの変身。
 その姿をみた、彫刻の怪人は思わず息を呑む。あまりの醜さに。

「さぁっ、いくぞ!」

 そう叫びながら、怪人は二つのチャクラムを同時に投擲する。十三はそれらを間一髪でかわし、がら空きになった怪人のボディへともぐりこむ。そして、突きを放とうとした瞬間、背後から寒気を感じた。

「うぐっ!」

 投擲した二つのチャクラムが、弧を描いて反転してきたのだ。片方はかわしたものの、もう片方はかわしきれず、十三の腕が宙を舞う。
 痛みで気を失いそうになりながらも、歯を食いしばって耐え、切れた自分の腕を掴んで後退する。

「わかっただろう? 人間のために戦う君じゃ、私には勝てない。おとなしくしなさい」

 怪人は、十三に降伏を求める。しかし十三は、苦悶の表情を浮かべただけで、自分の切れた腕同士の断面をくっつける。すると、その断面同士が、一瞬にして接合しあう。

「驚いた、君は我々『オルフェノク』よりも強力な生命力を持っているのだね。それこそ惜しいな。それだけの力を持っていながら、人間の、それもこんなクズのために使うなんて」

「だまれ! 誰が相手か関係ないんだ! 僕・・俺は、人を殺さない!」

「ずいぶんと必死じゃないか。本当にそう思っているのなら、教えてやろうか? 私がこいつらを襲ったわけじゃない。こいつらが私を襲ってきたんだ、金を置いていけってね。私はこいつらに対して正当な制裁を加えているだけなのだがね」

「うるさいうるさい、うるさい!」

 論理的に追い詰められた十三の体に、一年前、イノヴローフと戦った際に全身に現れた、真っ赤なラインと、そこから蒸気のように噴出する、『風のようなエネルギー』が現れる。

「うぉぉおおおおおおお!!」

 十三は雄叫びを上げつつ、彫刻のような怪人へと突進する。

「やれやれ、ここまで言ってもダメならしょうがない。殺すつもりは無いが、再生できなくなるほどのダメージを与えてやる!」

 そういって、怪人は再びチャクラムを投擲する。先程よりもさらに変則的な軌道を描きながら、十三の両足へと迫る。

 ガシャン!

 だが、両足を切り裂くはずの二つのチャクラムは、十三の体を覆う『風』に触れた瞬間、音をたてて砕け散る。
 さらによく見ると、その『風』は、十三の体をも削り取っている。あの風は、一種の破壊の力場、それも敵味方問わずに破壊するものだ。

「わああああああああっ!」

 十三は、悲痛な叫びをあげ怪人の首筋へと噛み付き、食いちぎる。その首から鮮血を噴出したかと思うと、怪人の姿が、溶けるように人間の姿へと戻っていく。

「ふふ、それだけの力が有れば・・・いや、それだけの力があればこそ、君は、人間から・・・」

 そういい残すと、男は青い炎に包まれ、崩れ落ちる。さらにその死体は、この怪人が殺した男のように灰になって崩れ落ちていった。






 十三は一息つくと、変身を解く。
 すると次の瞬間、乾いた破裂音が当たりに響く。そして一泊おいて、十三は自分のわき腹に鋭い痛みを感じる。そしてそこに触れると、真っ赤な血が滲み出していた。そして十三が、後ろを振り向くと、銃口から白煙を立ち上らした銃を構えていたボスが立っていた。

「こんの・・・バケモノがぁぁぁぁぁ!!」

 銃を乱射するボス。その銃弾は、次々と十三の体へと吸い込まれていった。そして、十三は崩れるようにひざをつくと、口から息を吹きながら、ごろんと寝転がる。そして息絶え絶えで、こう呟いた。

「なんで・・・僕は・・助けたのに・・・」

「うるせえバケモノが! よくも騙してやがったな!」

 ボスが錯乱し、とどめの引き金を引く。しかし、弾は撃ちつくされて発射されない。ボスは急いで銃に弾を込めなおそうとするが、腕が震えて巧くいかない。
 そして一方十三は、ぼんやりとした意識の中にいた。そして徐々に痛みが薄れていくのを感じる。ああ、死ぬのか、だから痛みを感じなくなってきているのか。そう思った。
 しかし、その肉体に徐々に力が満ちてくるのを感じる。普通、死ぬならば力は抜けていくのではないか? しかしそれは錯覚ではなく、意識もしっかりしてきた。さらに、痛みももう殆ど感じない。疑問に思って撃たれた箇所をさすると、掌に付着したのは、先ほどまでの真っ赤な血ではなく、薄緑色の、人のものではない血だった。

「う、うわ、うわあああああああ!」

 十三は恐怖に思わず声を上げた。
 十三は、自分が人外の異形だと『知っていた』しかし、それを『理解していなかった』。だが、今はもう違う。

 完全に死を意識した体に、精力が意識せずに戻ってくる。
 助けたはずの人間から、銃弾を浴びる。

 なぜそうなるのか、今は完全に理解した。

 そして十三が最初に感じたのは恐怖。次に哀しみ。そしてその暴走した感情は、ようやく弾をこめなおしたボスへと向かった。

「死ね!このバケモノめ!」

 それが、ボスの生涯最期の言葉だった。





B PARTへ続く。


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