一台のバイクが夜の街を切り裂く。白い車体に重装甲のそのバイク、ブラストチェイサーはメガスポーツを凌駕する速度で峠道を疾走する。
そのマシンに跨がった音河は冷や汗を流しながら、背中に縛り付けた気を失った十三を一瞥する。

「この・・・使えない」

 その悪態は果たして何に対して向けられたものか。
 音河は弾丸の尽きた専用拳銃Jz‐Qnをしまい込む。対改造人間戦闘を想定し、バダル弾を始めとした様々な特殊弾頭を装填・発射可能とする大口径の拳銃とはいえ、所詮はサブアームズ。前回の戦闘時のようにG5ユニットのような強力な兵器と併用することによって、初めてその真価を発揮する。

(せめて、コパーファイヤーが配備されていれば・・・)

 もし配備されていたら、少なくとも敵に対して背を見せて逃げ回るなどと言う無様なまねをすることは無いのに、と心の中で舌打ちするが、無い物ねだりをしてもしょうがない。

「!!」

 音河は上空から気配を感じ、ハンドルを切り急ブレーキをかけ一瞬マシンを停止させ、さらに急にアクセルを入れアクセルターンで上空からの斬撃を回避する。しかし、そのままバランスを崩し火花を上げて滑ってゆく。

「へぇ、やるわね。今のをあの速度の出ているバイクでかわすなんて。本当に人間?」

 その斬撃を繰り出したメルヴテュルカイは、手に持った大鎌を新体操のバトンのようにくるくると回し、転んだ音河を見ておかしそうにクスクスと嗤う。
 音河は立ち上がりながらブラストチェイサーのハンドルを引き抜き、超重量の電磁警棒、ヘビーアクセラーを起動させる。そしてアクセラーを握った手にもう片方の手を添えて、メルヴテュルカイを見やる。

「あらあら、もう追いかけっこは終り?」

「女性に付きまとわれるのは正直うんざりしているんです、僕は既婚者だって何回も言っているんですけどね」

「あら、私みたいな美人に向かって、なんてこと言うのかしら?これはお仕置きかしらね」

「貴女程度の容姿ならもう付き合い飽きました。それに、貴女よりも僕の方が美しい」

 他人が聞いたら激怒するか呆れるかドン引きする軽口を音河は吐くが、内心焦っていた。
 この女は強い。単に膂力やスピードといった単純な強さではなく、自身の能力の長所と短所を理解した戦いを仕掛けてくる。今迄戦ってきたメルヴゲフとは戦闘においての『格』が違う。その上弾は尽き、マシンも壊れ、相棒も沈んだ。
 しかし、音河は闘志を折らない。表情を引き締め強い意志を持った、良く見るとやや青みがかかった目でメルヴテュルカイを見据える。

 そう、勝負を決めるのは技量でも能力でも膂力でもない。自分のように、ひたすら不器用に自分を鍛え上げてきた生身の人間ならば特に。

「……その目、気に入らないわね。まだ助かるとでも思っているのかしら? 言っておくけど増援は来ないし、貴方が倒した連中程私は間抜けではないし、その男が目を覚ますことはありえないわよ」

「ミス、『人間』が生きるために必要なもの、何か分かりますか?」

 あえてむしろこの状況では、捕食される側の存在である『人間』を強調した音河の問いかけを無視して、メルヴテュルカイは鎌を構えなおし分身をいくつも展開させ、四方八方から切りかかる。
 この状況でなお生きることに拘る音河に、のこり数十分の命を燃やして戦う彼女は強い不快感を抱いたのだ。

「もう結構、死になさい」

 次の瞬間、まるで地盤構築用のバンカーが打ち込まれるような爆音が響いたかと思うと、音河がテュルカイの鎌をヘビーアクセラーしっかりと受け止めていた。

「なんですって!? ただの人間がなぜ私の攻撃を受けることが出来る? い、いえ、その前になぜ私の幻惑を見切ることが出来る!?」

「金と、想像力。そして」

 音河は鎌を正面から打ち払うと、そのまま動きを止めることなくメルヴテュルカイへ突進する。

「このぉ!」

 鎌は振り払われたが、その反動と得物の長さと重さを利用して体を回転させ、メルヴテュルカイは音河が一撃を入れるより先にわき腹を足の爪で抉る。そうとも、どれだけ鍛え上げようとも所詮相手は人間。それも特別な武器も能力も持たない。
 肉体においても精神においても、メルヴゲフに勝てるわけは無い。
 少なくともメルヴテュルカイはそう思っているからこそ、この一撃で音河が怯み、後ろへ後退すると思っていた。だが、そのある意味では絶対的に正しく、客観性にたった認識が、彼女に一瞬の油断を生む。
 音河は抉られてなお前へと進み、メルヴテュルカイを全力で打ち据える。

「あぐっ! このっ……」

 音河は止血スプレーで抉られたわき腹を応急処置しながら、顎を打ち据えられてしりもちをついたメルヴテュルカイへ、ヘビーアクセラーを臆す事無く突きつける。

「……ほんの少しの勇気です。そう、あくまでほんの少しのね」



♯5 It is easy to remember the yesterday
B PART


(僕は人を殺した)

 ただその一つの事実から逃れるように、十三は当ても無くさまよっていた。
 ボスを殺してから一ヶ月、食事も睡眠もロクにとらずに、ただひたすら歩き続けた。
 世間では、それなりに地元を騒がせたストリートギャングが消えていなくなったことに対して不信感を抱くものもいるにはいたが、身寄りも無い鼻つまみ者の彼らに対して、それ以上の詮索をするものはいなかった。
 死体は、あの彫像のような怪人が殺した者は皆、灰になって消えてしまったし、十三が殺したボスは、気がついたときには最早それが元々何であったか、判別不能なほどにバラバラにしてしまった。その為、十三が警察に追われるようなことは無かった。
 しかし、例え誰が十三を攻めずとも、殺したという事実から十三自身が逃れられない。

(死のう)

 その考えに至るのに、そう長い時間はかからなかった。他の選択肢、例えば警察に自首をするだとか、教会で懺悔するだとかと言った考えは思いついたが、いずれも十三にとっては現実的な考えではなかった。
 警察に自首をしたところで、前述の通り殺人事件があったという証拠すら見つからないだろう。
 そして教会への懺悔? ふざけるな、と彼は思った。神という存在がもし本当にいるとすれば、なぜ自分のような存在を許したのだ? そんな責任も取ることの出来ない奴に謝ることなど、絶対に嫌だった。

 そして十三が行き着いた先は、地下鉄のホームだった。
 この『バケモノ』の体がどうやったら死ねるか、そう考えた結果だ。首をつったところで、自分の体重程度の荷重では死にきれず、こめかみを打ち抜いても痛いだけで、死ねなかった。
 高層ビルから落下という考えもあったが、このスラムに生憎そんなものは無かった。
 ならば、時速100キロを超えるスピードで走る鉄の塊ならば、いくらこの体でも殺してくれるだろう、そう思った。
 反吐がでる方法で、強制的に稼がされた金で切符を買い、プラットホームへ出る。そしてそこへ、お待ちかねの電車が近づいてくる。あと100メートル・・・50・・・20・・・もう目の前だ、これで楽になれる、そう思った瞬間、それは聞こえてきた。


 黄金に光る、まるで世界に反逆するかのようにひね曲がった不思議な笛、アルトサックスの吼えながら『謳うような』『叫び声』。
 そして、その黄金の楽器を叫ばせる、一人の女性の、その不思議な演奏法。
 奴隷としてつれてこられた黒人達の民族音楽と、白人達の西洋音楽が融合し、進化したそれは、その生まれの逆境すら糧に成長を続け、 パワーに溢れ燃えカスも残さないほどに熱くなり、ついには全世界に至るまでエントロピーを増大させた。
 リズムはそれ以前までの音楽とは全く逆に裏返り、聴衆の脳天に重くて素早いラッシュを見舞うそれを、十三は知っていた。



 ジャズだ。



 まだ、十三が幸せだった、そう思い込んでいた頃に、父親の部屋からこっそり持ち出して聞いては怒られ、それでもまた同じことを繰り返させるような、その音楽が持つ、今十三の体を蝕む麻薬なんかよりも数兆倍の依存性を持つそれは、十三の足を一歩、留まらせた。

 なぜなら、聞こえてきたのはまだイントロ。ジャズにはその先がある。十三は、死ぬ前にどうしてもその先が聞きたくなった。
 それに、その女性が吹いていたのは『オーニソロジー』。チャーリー・パーカーが作曲し、そして今現在にいたるまでスタンダード・ナンバーとして演奏され続けるそれは、十三の一番のお気に入りだったからだ。

 そして曲の『お約束』のフレーズが終り、ジャズメンにとって、ある意味最も試される、十三に死を思いとどまらせるほど切望させた『それ』は、十三の体の中心に渇を入れるかのように飛び込んできた。

 その場のインスピレーションによって紡ぎだされ、同じ演奏は二度と出来ない即興演奏、アドリブ。

 十三は、この『アドリブ』にまつわる全てが好きだった。

 ジャズにおけるアドリブは、チャーリー・パーカーやその師匠、ディジー・ガレスピーによってこの世に降臨させられ、その誕生のきっかけとなった『楽譜通りの演奏なんかやってられるか』という音楽家にあるまじき型破りな理由が、十三は好きだった。
そのくせに、作曲者への深いリスペクトが存在しなければ素晴らしいアドリブはありえない。そんな歪んだ愛情のようなところが、十三はたまらなかった。
 だけど、その場のノリと閃きでやっぱりルールを無視したりする。そんな想定外な所も許せて仕舞う。
 ほかにも、ほかにもと上げていけばきりが無い。それほどに十三はアドリブというものが好きだった。もはや崇拝というか、一種の狂信というか、そういう域に達していた。
 すさんだ生活のせいで気にも留めていなかったが、この国に着てから今まで生きてこられたのは、この国に、ジャズが溢れていたからだったかもしれない。そう、十三は思った。

 そして、それを演奏する女性もまた、十三の目には女神のように映った。

 まるで指が10本も20本もあるかのように素早く動き、刻み込まれる超絶技巧。
 圧倒的な肺活量から生み出されるスィング。
 そして演奏とは関係ないが、このアメリカという国を象徴するかのように、様々な人種が交じり合って出来たであろうエキゾチックな顔立ち。
まさしく、その存在そのものがワン・アンド・オンリー。


 十三は、先ほどまでの死ぬ気はどこかへと消えうせて、彼女の演奏に聞きほれていた。

 彼女の演奏が終わると、駅のホーム立っていた人々から拍手喝采の渦が巻き起こる。
 それに対して彼女は小さく一言、『サンキュウ』と言い、彼女のサックス・ケースに投げ込まれた大量の小銭や札を回収すると、アルトサックスをその中に仕舞いこみ大股で闊歩して、他の乗客と同じように次の列車へ乗り込んでいった。

 それを見ていた十三は、慌ててその女性と同じ電車に乗り込む。
 明確な意識の上での行動ではなかった。ただ一つ言えることは、その時の十三は今までに無い動悸の早まりを感じていたことだけだった。







(止めろ・・・その電車に乗るな)

 それを映像としてみていた『現在の十三』は、頭を抱え掻き毟った。表情には絶望が生まれ、映像を見ないよう、目を瞑る。しかし、その映像は目を閉じていても頭の中に自然と映し出され、止まることは無かった。
 その様子を見たメルヴテュルカイは満足そうに微笑む。

「さてと、ここからがアンタにとっての、本当の地獄の始まりってワケね。どうする? 大人しくするって言うんなら、ここで止めてあげたっていいんだけど? 命の保障だってしてあげなくも無いわ」

 メルヴテュルカイは十三の精神を折りにかかる。

「正義の味方が、我が身かわいさに悪に屈すると思ってんのか?」

 言葉は強気だが、その口調は苦痛に満ちたものだった。

「そう、なら続けましょうか」










 その女性が電車から降りた場所は、所謂『夜の街』とでも言うような、いかがわしい雰囲気の繁華街だった。まだ日が明るいために寂れたように見えるが、夜が更ければネオンや煌びやかに身を飾った女達で彩られるのだろう。
 深夜に放送されるB級映画のワンシーンに登場するようなそこは、この一年、あまり真っ当な生き方をしていなかった十三にとっては見慣れた場所であったが、そんな場所へ降りていく彼女が、十三には酷く不似合いに感じた。
 しかし彼女はそんな十三の感想などお構い無しに、後ろにいる十三に気付いた風も無く、勝手知ったるといった様子で街の中へと溶け込んでいく。

(何やってるんだろ、俺・・・)

 十三は、ふと冷静になる。
 何のことは無い。一人の自殺を試みた怪物の前で、たまたま一人のストリートミュージシャンが演奏してみただけだ。
 そこに何の意味も無い。くだらない『運命』とやらを勝手に感じて、後をついて行っただけ。
 『人殺しの化け物』に加えて、ストーカー。ついでに罪を償うことも出来ない卑怯者で、その為に死ぬことも出来ない根性無し。
彼は酷く惨めな気持ちになった。

 ただ一つだけ許されるなら、と十三は思った。

 あの女性のように、多くの人を感動させるような、魂というものを無理矢理掴んで外へと放り投げるような、そんな演奏がしたい。
その為に生きていたいと、そう強く願った。

「クソ……最低な人間だ……人を殺しておいて、何が多くの人を感動させるだ……なんでそんな事を思っちまうんだ」

 十三はそう呟き、額を壁に押し付ける。
 そのとき十三の常人の数倍を誇る聴覚が、複数の人間の足音と人が倒れこむ音を捉えた。





「おい、ちゃんと口と足押さえとけよ」

「待てって、どうせ口なんか押さえなくたって、叫んだところで誰もこねーよ、この街じゃあ」

「昼間でも女の一人歩きは危ねーぜ、ここじゃあよぉ」

 そして、十三が音を捉えたその先では、数人の男が、先ほどのサックスを持った女性を無理矢理押さえつけていた。
 女性は最初いくらか抵抗したが、護身用に持っていた銃を取り上げられ、すぐに無駄だと悟ると成されるがままになっていた。その目には恐怖や哀しみと言ったものは殆ど浮かんでおらず、ただただ諦観の色が見え隠れするだけだった。

「うん? なんだこりゃ。楽器か?」

 女性を押さえつけていた男達とは別に、女性の荷物を漁っていた男がサックス・ケースを開け、黄金に輝く楽器を取り出す。しかし価値を感じなかったのか、それをぞんざいに投げ捨てる。
 すると、先ほどまで傍目で金目のものが次々と奪われていってもさして興味なさそうに見ていた女性が、突然暴れだす。

「な、なんだコイツ? 急に暴れやがって!」

「大人しくさせろ!」

 そう言われて男の一人がスタンガンを取り出し、女性の喉へ押し付ける。
 高圧の電気を浴びた女性は、力尽きぐったりとする。その目には、ここに来て初めて、怒りと無念の色が浮かんでいた。

「おい、やめろよ」

 そこへ、今迄存在しなかった声が響く。
 声がし、しかもその内容が制止を求める内容だったことに男達は驚き振り返るが、一泊於いて男達の表情は緊張を持ったそれから、他人を子馬鹿にした醜悪なものへとガラリと変わる。
 当然だ。なぜなら彼らの瞳に移ったのは、まだ13歳の十三だったからだ。
 東洋人というのは、欧米人に比べてよく幼く見えるという。顔が起伏の少ない平坦なつくりをしているからだ。
 十三もその例外ではないごく標準的な日本人の顔。身長も欧米人に比べれば小さい。
 それゆえに、男達は十三を外見以上に幼いと判断したのだ。

「へへへへ、おい、イエローのガキがなんかいってるぜ」

「おおスゲースゲー。勇気があるな」

彼らは口々に十三を馬鹿にしたが、十三はそれを意に介さぬ様子で前に進んでいく。

「お前、この女の知り合いか何かか? だとしたらコイツは俺達と一日過ごすってよ、分かったらさっさと帰ってシリアルでも食って寝ろ」

 男達のリーダー格と思わしき男が十三の前にずいと前に出て、十三を追い払おうとする。だが、十三はおびえた様子を見せることなく前に出る。

「その人とは知り合いでもなんでもない。だけど、その人に手出しするのはやめろ」

 十三は震えそうな心を抑えながら、強い口調で言い放つ。しかしそれが見透かされ、滑稽に見えたのか、男達は笑い出す。

「『その人に手を出すのは止めろ』ははは! オイオイ、最高だな!」

「カッコいいぜボウズ! だけどな、今俺達は忙しいんだ、ヒーローごっこに付き合っている暇はねぇ」

 男達が馬鹿笑いする中、先ほどのリーダー格は面倒くさそうに顔をゆがめ、周りに指示をだす。

「おいお前、面倒だ、このガキ黙らせておけ」

 そう命令され、大柄で筋肉質の男がずいと十三の前に出る。そして、大きく振りかぶると十三の顔面を殴り飛ばす。
 十三は受身を取ることもできず吹き飛ばされ、大地に打ち付けられる。殴り潰された鼻からは一瞬間を置いて、血がとめどなくあふれ出る。

「めんどくせえ真似させやがって」

 殴り飛ばした男は殴られてぐったりとした様子の十三を一瞥すると、面倒くさそうに鼻を鳴らして踵をかえす。
 そして仲間のところへ戻ろうと歩き始めたが、その仲間達は何故か此方を向いて動きを止めていた。その目には脅えのようなものが浮かんでおり、中には腰を抜かし座り込むものまでいた。

「お、おい、どうしたんだ?」

 疑問に思った男が、仲間達に声を掛ける。すると仲間の一人が震える指で、ゆっくりと男の背後を指差した。
 それを受けて男が後ろを振り向くと、そこにはこの世のものとは思えないほどの、醜いバケモノが立っていた。

「キシャァァァァァ!」

 そのバケモノこと十三は咆哮を上げると、まるで自分自身に語りかけるように、ゆっくりと呟き始めた。

「やめろよ……もう殺したくないんだよ……なんだよこの体、なんで勝手に変わってんだよ……」

「うわぁぁぁぁ!」

 男達の一人が悲鳴をあげ、何人かは逃げ出した。だが先ほど十三を殴り飛ばした男は足元に落ちていた鉄パイプを拾うと、十三に殴りかかる。

「このバケモノがぁ!」

 だが十三はそれを受け止めることもかわすこともなく成すがままにその一撃を肩に受け、鎖骨が砕ける。
 しかし数秒置いて骨折は完治し、その黒光りする肉体は十三自身が意識することなく、勝手に動いていた。
 そして十三は数秒、意識を失った。

「……ハッ!?」

 気がつくと、大柄の男はアゴを砕かれ気を失っていた。
 周りには脅えきった目で男達が十三を見つめ、逃げることも戦うこともできずにただただ震えていた。
 それを見て冷静になった十三は、先ほどの要求をもう一度男たちに伝える。

「……その女の人に手を出すな、あと盗ったものも全部返して、どっか行けよ……」

 そういわれ、男達は弾かれたようにほうほうのていで逃げていった。
 そして十三は変身を解く。そして、さらなる絶望に襲われる。
 あの時と同じだ、ボスを殺したときと。
 一瞬、自分が意識を無くしていたにも関わらず、自分の体は勝手に動いていた。
 さらに今回は意識があったにも関わらず、肉体が勝手に変身した。まるで自分の感情や脳以外に、考える機関があるように。

「……ねぇ、ちょっと」

 そんな考えを十三がよぎらせていると、突然、上着を投げられる。
 投げたのは、先ほどまで襲われた女性だった。

「え?」

 十三は正直な話、戸惑った。なぜなら、女性も先ほどの連中と一緒に逃げ出してしまったと思い込んでいたからだ。
 彼の変身した姿は控えめに言っても、醜い。『不快』という感情を具体化した姿といっても過言ではない。
 ゴキブリを擬人化したようなその姿の持つ黒光りする体も、蠢く長い触角も、四つのパーツからなる大アゴも、全て人間の神経に障るだろう。そんな気味の悪い化物に、自分の衣類を投げるなど十三には信じられなかった。

「助けてもらった上に悪いけど、拾うの、手伝ってくれない?」

 そういって女性は乱れた服装を直しながら、十三の戸惑いにもお構い無しに艶やかかつ気だるい様子で話しかける。
 その服装を直すしぐさが十三には蠱惑的に感じられ、思わず顔を赤くしてしまう。女性は絶世の美女というほど美しい容姿ではなかったが、仕草の一つ一つが扇情的に感じられ、物静かではあるが、その金色の目には石の強さを感じさせた。

「だから、それ」

 そういって女性は逃げる際に男達が投げ捨てていった女性の荷物を指し示す。

「あ、あの、これは?」

 十三は何故か投げ渡された上着の事を、恐る恐る聞く。

「露出の趣味があるなら、別に止めはしないけれど」

「え、あ、ああ!」

 変身すると着ている洋服が破れてしまうことを忘れていた。急いで十三は上着を着る。下着だけは破れなかったのは悪運が強いというべきか。
 散らばった女性の荷物をいそいそと拾い始める。
 拾っている最中は気まずい沈黙が流れ、十三は何度か話しかけようとするが躊躇してしまう。
 そして拾い終わって荷物を女性に渡すと、そこで女性が沈黙を破る。

「ありがとう」

 と、ただ一言だけ。そういってサックス・ケースを担ぐと、踵をかえそうとする。
 それを見た十三は口惜しそうに何か言おうとするが、何故か何も言葉が出ずその場に立ち止まる。そうしている間にも女性は歩いていってしまうが、突然立ち止まって振り返る。

「何してるの?」

「え?」

「それ、貸したけどあげたつもりなんてないよ」

 そういって十三をまっすぐに見つめる。見られた十三は、この女性に会ってからこちら赤に染めっぱなしの顔を最大級に赤くして硬直する。
 数秒見つめあったあと(女性はただ見ていただけだが)、十三は言葉の意味を理解し女性の方へとついていく。
 そして女性と共にたどり着いたのは、彼女が住んでいるらしいボロボロのアパートだった。

 彼女は名前をサラ・コルトレーンと言った。
 部屋に着くと、彼女は幾つかの服をその簡素な口調と雰囲気にマッチした洋服を幾つか十三に投げ渡した。

「サイズが合わなかったら、言って」

 先ほどから用件以外の事を喋らないサラに、会話の糸口を見出せない十三は服を着ながら部屋を見渡す。
 女の一人暮らしのようだが、それにしては何故男物の服が、それも複数のサイズがあるのだろうと疑問に思った。
 他にも、妙に派手で露出の高い服装が幾つかハンガーにかけてあったり、他にもこのオンボロのアパートには似つかわしくない高価な装飾品の類が幾つか散見したりと、それらから十三はサラの職業をいくつか推察していた。
 だが、十三はそんな事よりもはるかに気になっていた案件を、彼女に聞いた。

「あの、俺の事が……恐くないんですか?」

「……ん」

 サラは十三の言に対して想像していたよりもはるかに薄いリアクションを取ると、ポットでお湯を沸かして淹れたインスタントコーヒーを十三に差し出した。

「恐いって、何が?」

 彼女の返答に十三はあっけに取られ、再び沈黙が流れる。
 十三の気まずい様子など全く介せずに、サラは十三の向かいに位置する椅子に腰掛けて自分の分のコーヒーだけ砂糖とミルクをいれると、それを十三の目の前に無言で置いた。もし欲しければ自分でやれということだろうか、甘党の十三も彼女に習い砂糖とミルクを入れた。
 甘いカフェオレを飲むと、心が落ち着く。落ち着いた十三は、カフェオレを飲むサラの横顔をまじまじと見る。
 客観的に言えば、もちろん不美人ではない、むしろ美人に属する容姿だがそこまで美しいというわけでもない。
 しかし、十三の目には彼女の姿は女神のように映った。さまざまな人種が交じり合ったその顔はいままで見たことも無い宝石のように見え、そのスタイルは肉的と言うよりはスレンダーで、バランスのとれたその均整さはむしろジャズよりも明晰な計算によって作り出された、バッハの楽曲のように思えた。

「だから何が?」

 サラに見とれ顔のデッサンを崩していた十三は、彼女の言に正気に戻る。

「いや、だから、俺が変身した姿が……」

「服の代金には難儀しそうね」

 しれっと言ってのける彼女が、十三にはどうにも掴めない。

「確かに驚きはしたし、見て気持ちのいいものでもなかった。君が何物なのか、気にもなる。だけど、親切には親切でかえすのは人間の基本」

 そう言うとここに来て、サラは初めて微笑んで見せた。
 そして十三は目から大粒の涙を流し始めた。

「うっ…ひっく…ううう…うわ、うううう」

 十三は久しく忘れていた。他人の優しさを。アメリカに来てからこちら、誰一人自分に手を差し伸べてくれる人はいなかった。人の優しさと言う物を忘れかけていた。
 彼はひたすら泣いた。ただひたすら。



 ひとしきり泣いた後、十三はサラに自分の事を語り始めた。
 自分が天涯孤独なこと。
 先ほど見せた自分の体のこと。
 そして、人を殺したこと、それを償うために死のうとしたところで、彼女に出会ったことを。
 十三の話を聞き終わった後、サラはこう言った。

「別にこれからどう生きるかは君の自由。だけど逃げるのは卑怯。見ていてムカつく」

「逃げる?」

「死んでも罪は消えない」

 そう言われ、十三はぐっと口ごもる。確かにあの時は今冷静になって思い返すと、償うという気持ちよりも死んで楽になるという気持ちの方が強かったのは否定できない。

「それに、君はさっき私を助けてくれた。その力で」

「あれは・・・だけど・・・」

 しかし、十三は納得することが出来ない。
 一人の人間を殺したという罪は、一人の人間を救ったというだけで帳消しになるものだろうか?
 そのように相殺できるものではないのではないだろうか。
 そんな事を十三が考えていると、彼女はサックスを取り出して再びその素晴らしい音楽を奏でた。

「これは……」

 うつむいていた顔を上に上げる。そして、顔が明るくなる。
 十三はそんな自分が嫌になる。今は自分の罪を真正面から見つめなければならない。そんな時に『楽しい気分』になるなど言語道断。しかし、このジャズと言う奴を聞くと、自身の感情と肉体を超えその中に包まれている『魂』とやらに無理矢理電圧をかけられ、パワーに溢れてしまう。
 ならば聞かなければいい。この部屋を飛び出して逃げ出してしまえば良い。しかし、十三の体はまるで椅子に溶接されたかのように動けなくなってしまった。
 それは当然だ。なぜならひたすら聞き続けていたいと願ってしまっているのだから。

『アドリブ』で短めにアレンジしたその曲を終えて、サラは口を開いた。

「この曲を知っている?」

 その問いかけに十三は首を横に振った。

「この曲は『what a wonderful word』って言ってね、サッチモって男が作った曲」

 訳せば『この素晴らしき世界』。そんなタイトルの曲を作るのならば、どうせ聖人のような高潔な精神を持った男なのだろうな、と十三は思った。しかし、そうではなかった。

「このサッチモというのはとんでもない男でね、当時の政府公認の売春地域の生まれで、当然父親が誰なのかも分からない。母親もほったらかしで、周りもそんなのばかり。だから彼が環境によって悪に染まっていくのはそんなに時間はかからなかった」

 サラはサックスを分解しながら話を続ける。

「ついには銃の発砲事件を起こして、まだ15にもならずにムショ送り。だけどそこで彼は運命的な出会いをする。彼は、音楽と出会った」

 ごくりと十三は息を呑む。

「その後の彼の詳しい経歴は省かせてもらう。だけど、その間違いなく『悪』であった男は死の危険をも恐れずに黒人開放に立ち向かい、ベトナム反戦運動の先陣を切る一人になり、そしてこの世界に対する感謝を音楽にこめるまでになった」

 サラは十三の目を穏やかな表情で見つめる。

「もう一度言う。君は私を助けてくれた。君は人間を救うことができるということ。サッチモと同じに」

「この曲と……同じに……」

 そう呟いた十三の顔は、死を懇願する人間のそれではなかった。それは、一つの決意を持った男の顔だった。
 そうだ、ならこの力を他人の為に使おう。誰かを助けることで償おう。安っぽいことかも知れない、所詮は生きていくための方便かも知れない。だが十三はその生き方にこの『what a wonderful word』と同じ、黄金の輝きを見た気がした。
 十三は、ぎゅっと拳を握る。

 それを見て、ごく僅かだけサラは表情を緩める。

「そんな事よりも、借りを返したい。助けられたままでは気分がわるいわ。だから連れてきた」

「借りなんて……」

 もう返してもらった、と言おうとして十三は言葉を飲み込む。
 本当ならば、もはや道を指し示してもらったこと、そして音楽を聞かせてもらったことで借りどころかどれだけ礼をいっても足りないぐらいだ。
だが、十三にはどうしてもサラに『してもらいたいこと』が出来てしまった。そして十三は次の瞬間にはそれを口にしてしまっていた。


「なら俺に、ジャズを教えてください!」



C PARTへ続く


・あとがき

まだ途中なのにあとがきなんか書くなよ、といわれそうですが書きたくなったので。
仮面ライダーFAKEもようやく折り返し地点と言ったところでしょうか。
とりあえず、こういっちゃあ何ですがウジウジしている上になんか優しい感じのする十三って書いてこんな気味が悪いとは思わなかったw
あと、サラ・コルトレーンって名前お前、安易にも程があるだぉうがぁぁぁぁ!という突っ込みはナシの方向で。
それでは。


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