山口十三は気がつくと、闇の中にいた。

「ん……?」

 さわさわと軽く薄い草が擦れあう音と臭い。あたりには東京やニューヨークのような人工の光はなく、星と月の優しい光が十三を照らし出す。
 その心地よい空気の中で十三は辺りを見渡すと、自分が舗装されていない十字路の真ん中に寝転んでいたことに気が付いた。

「つーか何処だここは?」

 そう言って起き上がると、周囲を見回す。前後左右の何処を見ても、ただだだっ広い未舗装の道路が地平線の向こうまで続くばかりだ。十三は、ここが日本ではないと確信する。4年間旅をしてきた経験上、日本にこれほど広い平野は存在しないからだ。

「ロバート・ジョンソンのクロスロードレジェンドじゃあるまいし。ついでに魂ならもう真っ赤なトンボに預けちまったから悪魔にゃやれねーぜ」

 ここが国道61号線と49号線の交差点でもないことは明らかだが、とりあえず十三は呟く。
 さわり、と優しい風が十三の頬をなでる。そしてその時、彼の常人の何倍もの感度を誇る聴覚が、大地を踏みしめる音を捉えた。

「おいおい、マジで悪魔が来ちゃったんじゃねぇだろうな」

 とっさに十三は身構える。足音の主が一歩一歩近づいてくるのが分かる。
 そしてそのシルエットを捉えた時、十三は思わず言葉を失った。

「君が、ジュウゾウ・ヤマグチか」

 十三が初めて会う男だった。だが、十三はこの生真面目な顔をした、やや太り気味のこの黒人男性をよく知っていた。

「あ、悪魔じゃなくて神様じゃねぇか……」

 搾り出すような声で、十三はぽかりと開けっ放しになった口で呟く。

「ジョン・コルトレーンだ。宜しく」

 そう言って男は手を差し出し握手を求める。
 ジョン・コルトレーン。『聖者』『神』と呼ばれたジャズメン。
 音楽に対し、誰よりも真摯な姿勢で向き合い、才能と勤勉さを持ち合わせた男。そしてその強い正義感と平和主義を自らの演奏に込めて、自らの音楽で世界の『悪』と戦った正真正銘のヒーロー。ジャズの帝王マイルス・デイビスは、その存在を『全ての黒人青年にとっての革命』とまで評した。
 『シーツ・オブ・サウンド』と呼ばれる、その空間を支配するような演奏は聴くものを魅了し、最前線で活躍したのは10年ほどにもかかわらず、その高い精神性と相まって同業のジャズメン達に深い影響を与え、彼がこの世から去って30年以上たった今尚、彼ほどの精神的な深度を持つ音楽を奏でたものがいないとまで言われる男。

「う、嘘だろ。アンタ、いや失礼、貴方は1967年7月16日、40歳の若さで亡くなった筈だぜ。一体……」

 目の前に現れた十三にとってのヒーローの出現に、動揺を隠すことが出来ない。
 喜べばいいのか、それとも何物かの陰謀を疑えばいいのか、それすらも分からないまま、十三は吃音しながら目の前のジョン・コルトレーンと名乗る、CDジャケットで何度も見たジョン・コルトレーンと同じ姿をした男に尋ねる。

「ああ、その通りだよ。私は生きている人間ではない。ここは……そうだな、君の国での概念でいうのならサンズの川という奴だ」

 東洋の宗教観にも詳しかったコルトレーンは、十三にも分かるように話す。
 そして、それを聞いた十三は一瞬、驚愕の表情を見せるが、すぐさま納得したような顔を見せる。

「そうですか……俺は死んだんですね。では、俺をわざわざ迎えに? Mr.トレーン」

 諦観の微笑を見せながら、十三はコルトレーンに尋ねる。そしてコルトレーンはその問いに答える前に、スっと自分が歩いてきた道を指差す。

「いいや、私が来たこの道は主の御許、天国へと向かう道だ。かつては麻薬に溺れていた私が言うのも何だが、君がこの道を歩いていくことはないだろう」

 そう言われ、十三は怪訝な顔を作る。

「……じゃあ、俺に一体何の用で来てくださったんです?」

 そう十三が言うと、コルトレーンは小さく笑う。そして十三の眼を真っ直ぐに見据えてこう言った。

「私は、世の中に『悪』というものが存在することを知っていた。私は私が創り出す音楽が、ささやかでもそれに対抗するものになれば。生前はそう思っていた。君も私と同じ思いだと思っていたんだがね」

「俺は……」

「私が君に言えるのはここまでだ。後は『あの人』に頼むとするよ」

 それだけ言うと、コルトレーンはくるりと背を向けると、来た道を同じように歩いていく。

「ま、待ってくれ! どういう意味だ! 俺は一体どうすりゃ……」

「さらばだ、若き東洋のジャズメン。そして『ジャズは自由と共に行進する』それだけは覚えておいてくれ」

 だがコルトレーンは十三の問いかけにも振り向くことなく、そのまま歩き去ってしまった。
 呆然とその後姿を見送った十三は、そのままその場に立ち尽くす。ただただ、十三の頭の中ではコルトレーンの言葉だけが回っていた。

「悪と対抗するための音楽……ソイツは俺を買いかぶりすぎだぜトレーン。俺はただ……」

 再び静寂が戻る。
 簡素な十字路と、その中心に立つ十三、そして星明りだけが存在する場所に。

「シケた顔してんな、ボーイ」

 突然、十三に背後から声が掛けられる。

「!?」

 今度は足音がしなかった。まるで翼で空を飛び、十三の背後に下りてきたかのように発せられたその声に、十三は驚いて振り向く。
そして振り向いた十三は、さらに驚きを重ねる。

「貴方は……ヤード・バード!?」

 そこにいたのは、子供のように人懐っこい顔をした黒人だった。やはり十三はその男と面識はないが、コルトレーンと同じように彼のことをよく知っていた。
 チャーリー・パーカー。『天才』という言葉が、彼の前ではあまりにも安く聞こえるほどの才気に溢れた偉大なジャズメン。
 通称ヤード・バード。その由来は彼の演奏が鳥のように自由に羽ばたいていくからだとか、極貧時代に働いていたレストランで賄いとして出たチキンを山のように食べただとか、ドサ周り中にひき殺した七面鳥を、あまりにも金がないためにそれを食べたからだとか諸説あるが定かではない。

「なんて顔だ。そんなんじゃあ、バップは響かねぇぜ」

 そして彼のジャズという音楽に対して遺した最も大きな功績が『アドリヴ』を生み出したということ。勿論、アドリヴ演奏というもの事態は以前から存在していたが、ビバップというアドリヴの手法を生み出し、ジャズをより自由にした男。
 彼の天才的なインスピレーションによって紡がれたそのアドリヴは、最早伝説と化している。

「はは……もうわけがわからねぇ……」

 十三の身体が震えていた。今の十三があるのは間違いなく三人の人間がこの世に生を受けたからだ。
 風見志郎、サラ、そしてこのチャーリー・パーカー。
 この三人が存在していなければ、十三はおそらくとっくにこの十字路に来ていただろう。当然ながらパーカーと直接の面識はないが、彼は十三の命の恩人といっても過言ではないのだ。

「分からないか、ボーイ。トレーンの奴から聞いたと思うが、ここは地獄と天国が交差する道だ。お前さんはここに迷い込んできたんだ」

 そう言うと、チャーリー・パーカーはその白い歯をニっと見せて笑う。
 感動と混乱で入り混じっていた頭が徐々に整理されてきた十三は、それを受けて頭をかきながら、彼に問う。

「Mr.トレーンは俺を連れていかなかった……てことは、貴方が俺を地獄へ連れていくんですか? ヤード・バード」

「お前さんがそう望むならそうしてやってもいいさ」

 チャーリー・パーカーは悪戯っぽい調子で軽く答える。目の前の彼のこの姿が生前の亡くなる直前と同じ姿だとしたら、彼は34歳のはずだ。そしてその身体は、創造という行為に対するプレッシャーと黒人差別から逃れるために手を出した麻薬で、死後その身体を解剖した検視官が『60歳の老人かと思った』と評したほど、ボロボロであるはずである。
 しかし、この目の前にいる彼はまるで子供のようにあどけない雰囲気を纏っている。その雰囲気に掴みきれないものを感じながら、十三は戸惑いながら応える。

「……なら、俺は行きません。俺にはやりたいことがある。だからそっちに行くわけには行かない、まだ行きたくない」

「嘘だね」

 間髪いれずにパーカーが口を挟む。

「お前は本当はもう、こっちへ来たいはずさ。生きてることにとっくに絶望してんだろ? 5年か10年か知らないが、正義って奴のために自分の身体を削って戦い続けたのに、その戦いは誰も知らない、誰も感謝しない」

「……」

 十三は応えない。その様子を見て、チャーリー・パーカーは言葉を続ける。

「それでもお前が生きてこられたのは、音楽があったからだ。だがその音楽ですらお前を支えてくれないってのは、確か大分前にここに来た……サラだったか?が死んだときにもう分かってたことだろう。それでもお前は生きていく道を選ぶか?」

 そう言ってチャーリーはタバコを銜え、それを十三にも勧める。しかし十三がそれを、掌を前に突き出して断ったのを見ると、タバコに火をつけ、紫煙をたち上させる。
 十三は口をつぐんで喋らない。パーカーは、ゆっくりとタバコを吸い込み、そして味わいを噛み締めて煙を吐く。
 それを何度かパーカーが繰り返し、そして灰がポトリと足元に落ちたのと同時に、ようやく十三は喋り始めた。

「残念ながら、そっちへ行きたいのは山々なんですがね、そっちへ行く許可がないんです。あの時、『俺がサラを殺しちまった』ときから、俺は勝手に死ぬってことは許されなくなっちまったんですよ」

 そう十三が言ったのを聞くと、チャーリーはタバコを大地に押し付けて火を消し、吸殻を投げ捨てる。

「まぁ、決めるのはお前さ。生きていくつもりがあるなら、お前は俺が来た道とトレーンが来た道以外の、この二本の道をどっちかへ進め。どっちへ進むかは良く考えて決めるんだな」

 その瞬間、十三にはチャーリーが少し嬉しそうな顔と、悲しそうな顔。両方入り混じったような顔をしたように見えた。

「ただこれだけは言っておくぜ。音楽ってのはお前自身の経験であり、お前の思想であり、知恵だ。もしお前が真実の人生を送れないのなら、お前の音楽は真実の響きをもたねぇだろうぜ」

 そう言って次のタバコを銜えて火をつけ、十三に背を向けて元来た道を歩いていく。そんなチャーリー・パーカーに十三は声を浴びせる。

「バード! じゃあ俺は、偽りの人生だけを生きてきた俺は真実の音を出せないのか!? 俺はどうすればいいんだ!? 教えてくれよ……」

「自分で考えろ、それが真実の人生を送るってことだ! 自由になれ、十三!」

 そう言って、背を向けたままタバコを掴んだ手を上に掲げ、闇の中へ彼は姿を消していった。
 また十三は闇の中で一人になる。

「真実の人生か……」

 十三は自分の半生を思い返す。そう長く生きたわけではないが、それなりに密度の濃い人生を送ってきたと彼は思う。
 改造人間として生まれ、ひたすら訓練をして育った少年時代。家族を殺され孤独になり、引き取られたアメリカでの殺伐とした生活、そして初めての殺人。
 サラと音楽に救われそして恋をし、そのサラが死に、二度目の、そして明確な意思をもって行った初めての殺人。
 風見志郎と出会い、仮面ライダーという存在に憧れ、戦い続けた今。

 その人生は、真実を生きてきただろうか。そう振り返ると、十三が十三としての『真実の人生』を送っていたのはサラに出会い、そして別れるまでの間。それだけだったように思える。
 サラに出会うまでは、父親やギャング達の言いなりであったし、別れた後はただひたすら『仮面ライダー』という存在を追い続けていただけだ。どれも本当の意味での『自分の意思』で生きてきたとはいえないかもしれない。

「ん?」

 突然、コルトレーンやパーカーが来た道とは別の、三本目の道が十三の目の前で明るくなる。そして歓声と、音楽が響く。
 明るく軽快で、それでいて物悲しさを感じるジャズが響く。その響きは、十三にとってチャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン以上に聴き慣れた音だった。

「俺だ……」

 思わず、そう呟く。
 その歓声と音楽の渦の中心に立っているのは、十三自身だった。しかし、今の十三よりは少し年を取っているようにも見える。
 少しばかり値が張りそうなスーツを着込み、光り輝くアルトサックスの重低音がホールに響く。
 その『十三』がする演奏は、まさに十三自身の理想だった。単純な技術、音の深み、表現力、そして精神性。そのどれもが今の十三ではとても行うことが出来ない演奏で、何とか自分の頭の中で理想化することだけが精一杯な代物だった。

 そして演奏が終わると、盛大な拍手と歓声がさらに沸き起こる。
 演奏していた十三は汗をかきながら、観客達の声に応える。首から提げたドリンクホルダーに吊り下げられた水を一杯口に含み、満足げな表情を浮かべ、他のバンドの仲間達と顔を見合わせて笑う。

「あれは、未来の俺なのか……?」

 無意識のうちに、十三の足がその『理想の十三』の方へと向かっていこうとしたその時だった。
 誰かが、十三の肩を掴む。
 思わず振り返ると、そこには真っ黒な安っぽいスーツに身を包み、琥珀色のロングコートを羽織り、白いマフラーをたなびかせた、ガイコツのようにも、ゴキブリのようにも見える仮面をつけた、黒い異形だった。



♯9 仮面ライダーV3


 肩を掴まれた瞬間、十三の意識は十字路からベッドの上へと飛んだ。
 目を覚ました十三は、先ほどの十字路と違って、ここが何処なのかすぐに予想がついた。
 あのリミッターを外した時、もし自分の目が覚めることがあるならばここだろうと思っていたからだ。
 間違いなくここは、陰陽寮の地下集中治療室だ。

「やっぱり生きてんのか俺は……音河め、しくじりやがったな」

 そう呟いて、十三は身を起こそうとする。

「痛っ」

 痛みを覚えた箇所に目をやると、腕に点滴の針が刺さっていた。それを十三は、今度は引っ張らないよう気をつけて体勢を起こす。
 そして自分の身体を見ると、病人服一枚だけを着ていることに気付く。

「そういや俺の一張羅どこやったっけ?」

 呟きながら、顎に手をやる。その時、十三はある違和感に気がついた。

「ヒゲがねぇ。剃られちまったな」

 どれだけの期間かは分からないが、それなりに長期間意識を失っていたのだろう。その間に恐らく剃られてしまったのだ。
 その時だった。突然、集中治療室と外の廊下を隔てる壁にシャッターが下りる。
 さらに十三の鋭い聴覚が、壁の外に数人の武装した兵士が降りてきたことを知らせる。十三が目を覚ましたことを感知した陰陽寮が、警戒のためにあわただしく動き出したのだろう。

「あ?」

 一瞬、事態が把握できず間抜けな声を上げるが、十三はすぐに理解する。
 リミッターを外した自分が暴れまわり、その結果甚大な被害をあたえたのだろうということを。そしてもし目覚めた十三が『メルヴシャーベ』のままであったのならば、陰陽寮はすぐさま鎮圧せねばなるまい。

「山口さん、聞こえてらしたら返事をしてください」

 天井に備え付けられたスピーカーから陰陽寮の職員の声が響く。いきなり攻撃をしてこない陰陽寮に感謝しつつ、十三は応える。

「ああ、聞こえてる。とりあえずあんたらを攻撃するつもりはねぇし、意識もはっきりしてるからシャッターの外にいる皆を下がらせてくれねぇか」

 普段の軽い調子で、十三はスピーカーに返事をする。

「今から指示する行動に従っていただけるなら」

 しかし、当然ながら武装した兵士がそれで撤退するはずもない。本当に攻撃する意思のあるものが、わざわざ自分から攻撃するなどと言うはずもない。故に信用されないということは十三にも理解できる。そのために、十三は素直にスピーカーから発せられる指示に従う。

「はい、それではこの絵は何に見えますか?」

 病室に降りてきたモニターに写った画像についての所感を求められる。その後、いくつかの他のテストもさせられた。
 十三はそのテストの内容を、個々の指示の意味そのものを完全に理解することは出来なかったが、意図を理解することは出来た。
 要するに、今の十三が意識を取り戻した『山口十三』なのか、もしくはその皮を被った『メルヴシャーベ』なのかを判断する検査を行っているのだろう。
 そしてそれらの検査の結果が出るまで十三は、いまや強固な牢獄と化した治療室の中で、数日待つことになった。その間、十三は点滴を抜くとベッドから立ち上がり、自分自身の肉体の様子をもう一度確かめる。

「特に怪我ってのは残ってないみてぇだな」

 自分の胴体中心部辺りに新しく出来た、胴体を横断する大きな傷を縫った跡と、同じく心臓付近に存在する小さな縫い跡が少々気になるものの、残った外傷は見受けられない。
 恐らくは陰陽寮の医療技術と、十三自身の高い生命力によって傷は殆ど完治したのだろう。

「しっかし……」

 生き残ってしまった。その事実が、十三に深くのしかかる。
 あの戦いでメルヴテュルカイが十三に行使した、目をそらし続けていた過去を何度も繰り返し体験させられ、無力な自分を何度も実感させられる能力。
 それの能力によって、自分の心という、本来ならば客観視することが出来ないものを見せ付けられた時、十三の中で何かが壊れた。一度修復できた筈のものが、もう一度壊れた。

「罪……ね」

 この感情が、客観視することで気づいた事実。
 自分はあの時、ギャングのボスやサラを殺した連中を殺したことを、人を殺したことに対する罪悪感が確かに存在する一方で、それを『悪いこと』だと認識していない自分が、確実に存在する。それに気付いてしまった。
 そう、まだ十三の中に人類に対する『憎しみ』は確実に燻っている。

「だから自分なりのケジメをつけようと思ったんだがな……」

 未だ憎しみは消えていないという事実が、十三の心を乾いた砂漠のように空虚なものとする。だからあのリミッターを外した時点で、彼は生き残るつもりなどなかった。
 このリミッターを外せば自分は、最早『山口十三』でもなければ『仮面ライダーFAKE』でもない。ただの人類に仇名す怪人『メルヴシャーベ』だ。それを殺して心を痛めるものなど居ない。自分という存在を捨て、人類の手で自分を殺してもらうこと、それが十三なりの『ケジメ』であった。
 だが、自分は生きている。

「『仮面ライダー』になりさえすれば、いつかは……と思っていたんだがなぁ…・…」

 やはり無理だった。自分のように脆弱な存在が『仮面ライダー』になることなど。
 十三はゆっくりと思い出す。あの日、あの『赤い仮面の仮面ライダー』と出会った日のことを。








 十三は、サラを殺した強盗たちを粉みじんにすると、その足でそのまま街を出た。
 サラと暮らした街は、彼にとって思い出がありすぎた。
 それから十三は、サックスケースを背負って、カブでアメリカ中を回った。その中で、彼はもうあの『人を襲う化け物』の存在を感知しても、積極的に戦おうとすることはなかった。

「誰かを助けても、誰も俺を助けてはくれない」

 サラの一件は、今迄にないトラウマを十三に残した。
 自分が命を助けた人間が、最愛の人を殺すという余りにも皮肉が利いたジョークは、十三が他人に対して無関心にさせるには十分であった。
 そしてそのトラウマが、彼から音楽すら奪った。音楽とは、演奏者の心の様そのものだ。だからもう、かつてのような輝きを放つ演奏を十三はすることが出来なくなっていた。その事実に、十三はますます絶望した。

 ある日だった。旅を続けていた十三が何気なく到着したのはダラスの街。このジョン・F・ケネディが暗殺されたこの街で、十三は一人の黒人の少女が、数人の白人男性に連れられているのを見た。
 それを見ても十三は特に関心を引かれることはなかった。そのまま十三は、いつものように『化け物』としての力を使い、そこらへんに屯していたチンピラから金品を巻き上げると、その金を握り締めてファーストフードの店に向かった。
 そこで冷えたチキンと脂ぎって量だけは多いポテトを腹の中に収めると、すぐにファーストフード店を出た。その時、ヒスパニック系の太った男と肩がぶつかった。
 その時だった。猟銃の銃声が響いた。
 十三のみならず、その場にいた人々は皆振り向いた。
 振り向いたそこには、先ほど黒人の少女を連れていた白人の男性が、撃たれて死んでいた。撃ったのは、壮年の黒人の男性だった。
 街の大通りの真ん中に、白人男性の死体がごろりと転がっていた。黒人の男性は、猟銃の他に、ぐったりとした黒人の少女を抱いていた。

 雨が降り始めた。
 その瞬間、十三の中で何かがプチンと切れた。

 何故『何か』が切れてしまったのか、それは十三自身にも分からない。ただ気が付くと、十三はメルヴシャーベに変身していた。
 阿鼻叫喚の渦。
 その声を上げている人々自身、その銃声に恐れをなしたのか、それとも突然白昼の街に現れた巨大ゴキブリか、そのどちらに恐れをなしているのか区別が付いていなかったに違いない。
 そしてメルヴシャーベは腕を振り上げ、何の関係もない、すぐ近くにいた少女に手を振り下ろそうとした。その時だった。

「おおっと、何でこんな所にメルヴゲフが居るのかわかりませんが、ちょっとソイツは待ってもらいましょうか」

 その男は、風のような男だった。
 何物にも縛られず流れ、時にはそよ風のように優しく、時に嵐のように敵対するものを全てなぎ倒す。
 気まぐれで神出鬼没で、何物にも屈さない男を形容するには、それが一番適切であるように思われた。
 その容貌から、それなりに歳を重ねていることは見て取れるものの、その引き締まった肉体は衰えているようには見えず、その引き締まった肉体を上下の黒いレザーに包んでいる。
 頭には同じく真っ黒なテンガロンハットを被り、首にはアクセントになる白いスカーフ。
 その男の耳に残る気障な言い回しが、妙に癪に障った。そしてその気障な男が、振り下ろしたメルヴシャーベの腕を掴み、少女を守っていた。

「がぁぁぁぁっ!」

 メルヴシャーベはもう一撃、蹴りを入れようとする。運足も何もない、ただ蹴っただけの動きを男は簡単に制すと、メルヴシャーベを投げ飛ばす。
 雨がますます強くなる。
 その男は少女に逃げるように促す。そして少女が安全な場所まで逃げ、周囲からも人が避難したのを確かめると、おもむろにその両手を真っ直ぐに右方向へと伸ばす。

「変身、V3ァ!」

 そしてその男の姿もまた、真っ赤な異形に変わる。
 それを見たメルヴシャーベは、初めて人らしい声を発する。

「お前も人間じゃねーのかよ……ならなんでそんなくだらねぇことをする」

 『赤い仮面』は答えない。
 今、少女を庇った『赤い仮面』の姿が、明らかに人でない者が人を守るその姿が、十三の切れた『何か』をもう一度繋ぎ始める。

「人間なんか……こんな……今の俺の姿よりも醜い……エゴの化け物なんざ……滅んじまえばいい!!!!」

 その心の内を吐き出しながら、メルヴシャーベは『赤い仮面』に音速に等しい速度の突きを放つ。
 しかしその拳は赤い戦士に触れることなく、アスファルトにクレーターを形成する。だがメルヴシャーベは手を休めない。クレーターにめり込んだ拳をすぐさま引き抜き、背中の琥珀色の翅を展開、空中から『赤い仮面』へ追撃をかける。

「俺が人間に何をした!? 俺はあいつらを何度も助けてやったよ! だけどその度に・・・その度に俺を化け物扱いして・・・俺が醜い、気持ち悪い、吐き気がする・・・・一回だって礼を言ってもらったことだってなかった!! その上・・・あいつらは俺から音楽と・・大事な人まで奪いやがった! こんな連中・・・・みんな・・・・消えろ!」

 そして『赤い仮面』を空中から襲う。腕から生えた稲妻のような形のカッターを振り上げる。単結晶ダイアモンドですら砕くことなくバターのように切り裂く凶悪な威力を誇り、今思えば不本意ながら何人もの「人間」を守ってきた必殺の武器。これならばいくら『赤い仮面』でも一溜りもない。その筈だった。

「ああああああああああああああああっ!」

 だが『赤い仮面』は、高速で震動し、更には落下による位置エネルギーが加わった強大な一撃をいとも簡単に片手で掴み取る。そして、 『赤い仮面』はなんと握力だけでそのカッターを砕いたのだ。

「ぎゃあああああああああああああああああ!!」

 メルヴシャーベは痛みに耐え切れず叫びを上げる。そして今度は『赤い仮面』が空高く飛び上がると、その身体を凄まじい勢いできりもみ回転させる。そして両足を揃え、メルヴシャーベに降り注ぐ赤い嵐と化す。

「ブイスリィィィィィィッフル回転ッ! キィィィィィック!!」

 その一撃は先程のメルヴシャーベが繰り出したそれとは比べ物にならない。なぜなら、その一撃には十三と同じ重さの「悲しみ」に加え、十三が持ち得ない、「正義の心」が込められていたから。
 そしてメルヴシャーベはその「重い」一撃をその身に浴び、吹き飛ぶ。そしてその異形は醜い姿から少なくとも見た目は人間に戻る。心は最初から。

「・・・・はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ・・・・・・・な・・・んで・・・・・・なんで・・・・・なんでだよっ!!」

 メルヴシャーベから人間の姿へと戻った十三は、『赤い仮面』に叫ぶように問う。

「なんでお前はそんなに強い!? なんでお前はこんなクソッたれの人間共の為に戦える!? お前のその顔だって、俺とかわらねえ化け物じゃねえか!! お前だって俺と同じような扱いを受けてきたんだろう? ・・・・それなのに・・・・なんでっ・・・答えろ! この蜻蛉野郎!!」

 『赤い仮面』は何も言わず、暫く黙っていた。別段、この十三の問いに答えるのを窮しているわけではない。その答えは総て持ちえている。すべて自分が、いや自分達が既に通過してきた道だからだ。だが、それらを着飾った言葉で語ってもこの青年には届かない。だから『赤い仮面』は一言だけ、力強く呟いた。

「『仮面ライダー』だからだ」









「仮面ライダーだから、か。もしかしたらなんつーのは甘い考えだったってことか」

 反芻するように十三は呟く。
 彼にとって、仮面ライダーと名乗るその男の姿は希望だった。『仮面ライダー』であれば、もし自分もそうなることが出来れば、もしかしたら自分の中に深く刻み込まれた轍を、人類に対する深い憎しみを消すことが出来ると思っていた。そうなれば自分は、かつてのような演奏が出来るかもしれない。

 だが、憎しみは消えなかった。風見志郎と出会ってからの8年間、仮面ライダーの偽者として戦い続けた。それでも尚、まだ自分の中の憎しみがくすぶり続けている。

「俺はこれからどうすれば良い……」












 十三が目を覚ます一ヶ月ほど前に遡る。2005年1月某日。
 『MtM』海底基地本部。その中央司令室の安い組み立て式のパイプ椅子に腰掛けた大柄の男が、これまた安いパイプ机に置いたカフェオレをすすりながら、新聞を読んでいた。

「ふむ、今日もこの国は表面上は平和一色か。政治家の汚職に企業の腐敗に殺人なんてものもかわいいものだ。つい先日、ジョーカーが勝利したことによって世界が滅びかけたばかりだというのに」

 そういって、男は主だった記事を飛ばして三面記事にいくらか目を通す。
 主だった社会面や経済面に載るような情報は、当然ながら新聞やTVで流れる前に、より精確かつ詳細な形で彼に伝達されるため、そもそも読む必要性がない。強いて言えば、一般大衆にはどのような形で伝達されるかという点が多少興味を引く程度である。

「さて、今週のクロスワード・パズルは……と」

 そしてその三面記事も早々に読み飛ばすと、彼のお目当てのクロスワード・パズルのページへとめくり、それをパイプ机の上に広げる。
 胸ポケットから鉛筆を取り出し、問題文を読もうとした瞬間、その扉がノックされる。

「入れ」

 扉へと目をやることもなく言い放つと、きしむ音をたてて扉が開かれる。そして入ってきたのは、幼い子供のような姿をし、その実年齢は還暦を当に超えているという男、MtMの大幹部、松本であった。

「やれやれ、またそれかい。飽きないなぁ」

 松本は子供のように黄色く高い声で、呆れたように呟く。
 そしてその声を聞き、MtMが首領、その大柄の男、山下は初めて視線を扉へと向ける。

「あの音河とかいう捜査官につけられた傷は癒えたようだな」

「おかげさまで。それで、あの『14番』だったっけ? あの山口十三と同じ顔をした彼について教えて欲しいんだけどな」

 そう言って、松本は腕を組んで近くの柱へともたれかかる。

「ああ、少し待て。ええと、そうだ、十三だ。イタミジュウゾウ……と。最初のキーワードは『ミ』か」

「聞いているのかい?」

「待てと言っている、もう少しで奴が来るからな。ああ、来たようだ」

 そう山下が言った瞬間、再び扉がノックされる。松本にしたのと同様に、扉に目も向けることなく入室を許可すると、MtMのジャケット風の制服を来た、山口十三と同じ顔をした男が、手にビニール袋をぶら下げて入ってくる。

「山下一佐、言われたとおり購買部からクロワッサンを買ってまいりました」

「ご苦労14番。楽にしろ。あと、松本がお前について聞きたいそうだ。教えてやれ」

 そう言って、『14番』と呼んだ男から受け取ったクロワッサンを口に銜え、再びもくもくと山下はクロスワード・パズルを解き続ける。
その様子に、松本は再び呆れたようにため息をつくと諦めた様子で『14番』へと視線を移す。

「ええと、『14番』君だっけ? とりあえず君が何者なのか僕に教えて欲しいんだけど。何となく分かるけどさ、一応確認と自己紹介も兼ねてお願い」

「ハッ! 私は山口十三から奪取したイノベーター・チップの情報を解析した結果から生まれた、新型メルヴゲフの第一号であります。『14番』というパーソナルネームは、山口十三がかつて山口零博士が開発していたメルヴゲフの第13号であったことに由来致します」

「へぇ。それで、何故君はあの山口十三と同じ顔をしてるの?」

「ハッ、私は試作1号ということで、最も早く抽出できた『山口十三』の戦闘に関するデータをそのまま移植・転移する形で製造されたからであります。私は遺伝子的には87%山口十三と同一人物であります」

「残りの13%は?」

「現時点での『メルヴシャーベ』タイプの改造人間のスペック実証のため、性能向上を目指した改造がDNAレベルで施されています。最終的に我らが首領、山下一佐に改造を施すための捨石であります」

 何の感情も抱かず、14番は淡々と応える。しかし、山口十三と同じ顔をしているからか、松本には彼がロボットのように無感情な物体であるとの感想を得ることが出来なかった。
 だが、それとは別に今MtMが進める計画、この計画のためにこの組織が生まれたといっても過言ではない『FAKE計画』の肝となる部分を松本は尋ねる。

「それで、これが一番聞きたいことなんだけどさ、完璧に『山口十三』と同じ全くの同一人物ってのは作れんの? 遺伝子は当然として、記憶とかクセとかまで再現したさぁ」








「またここかよ……」

 十三は、再び気が付くと十字路に立っていた。
 間違いなく、コルトレーンやチャーリー・パーカーと出会ったあの場所だ。だが、今は道が一つしかない。
 他の三本の道は草木によって覆い隠され、見えなくなっている。そしてその残った一本の道の先には、一人の異形が佇んでいた。

「お前は……」

 そこには黒い異形がたたずんでいた。そいつは少しばかりメルヴシャーベに似ており、真っ黒な安っぽいスーツに身を包み、琥珀色のロングコートを羽織り、白いマフラーをたなびかせた、ガイコツのようにも、ゴキブリのようにも見える仮面をつけた、あの時、以前目覚める直前に見た『黒い異形』だった。

「逃げられるとでも思ってんのか?」

 『黒い異形』が口を開いた。
 何枚もの金属が折り重なって出来たように見える、昆虫の大顎のようにも見えるその口が開かれて、その異形は十三にとって聞き覚えのある声で語りかける。

「『俺達』はもう逃げられねぇ。人類を憎み、人類から憎まれ、それでも正義を信じている。真実の音楽を響かせることが出来ない、音楽に愛されねぇことをわかってて、それでも音楽を愛してる。ならもう道は一つしかねぇ筈だ」

 『黒い異形』の顔は固い外骨格のような仮面に覆われて、その表情から感情をうかがい知ることは出来ない。
 だがその声からは、深い悲しみと、そして決意のようなものを聴き取ることが十三には出来た。

「……俺はもう、駄目だ。あの人みたいに、先生みたいになれねぇ」

 搾り出すように、十三は言葉を吐く。

「ああ、そうだ。『俺達』はあの人みてーな仮面ライダーにはなれねぇ。だがな、『俺達』はもう逃げられねぇ所まで来ちまった。それはお前も分かってる筈だ」

『黒い異形』は十三と同じ声で、語気を強めて言う。

「逃げられない……か。そうだな。もう俺は音楽を響かせることも出来ない、かと言って自ら命を断つことも許されねぇ。普通の暮らしなんてのも出来るわけがねぇ。結局、選択肢は一つしかないわけか」

 十三は乾いた笑いを浮かべる。
 それに対し、『黒い異形』は驚いたように声を上げる。

「意外だな、ムキになって反論してくると思ったぜ」

「『お前』は『俺』だろ? お前が指摘してくることぁ、全部俺自身が心のどっかで思ってることさ、反論したってしょうががねぇ」

「一応言っておくぜ。もう大分小さな声になっちまったが、リミッターが外れた時に聞こえたあの『人間を殺せ』って声はまだ聞こえてる。そいつに従うって選択肢も一応あるぜ? お前、人間を憎んでるんだろ? これも一つの選択肢だと思うぜ」

『黒い異形』は、何処か白けた口調で語りかける。

「真実の人生か……」

 だが十三は、『黒い異形』の提案には答えず、ポツリと呟いた。

「あ?」

「パーカーもコルトレーンも言ってたよな。真実の人生を生きろ、そして自由になれって。俺はそうなろうと思う」

 そう言った十三の顔は晴れやかだった。しかし、何処か悲しげでもあった。

「どういう意味だ? 自由になるってことは、人を殺すってことか?」

 自由とは、どういった状態を指すのであろうか。自由とは、何事にも囚われない様のことだ。
 何事にも、倫理観や社会的価値観といったものにも囚われないというならば―――
 だが十三は『黒い異形』の言葉をさえぎって続ける。

「自由ってのは、自分の感情にも囚われちゃあいけねぇと思うんだ。当然、『人間を皆殺しにしたい』って欲望にもな。じゃあ自由になるには、どうすればいいと思う?」

 そう言うと、十三は『黒い異形』に近づく。

「『成すべきことを成す』それが唯一、自由が自由として成立する条件だ」

 もし感情に流されて行動を起こせば、それは感情に囚われているから『自由』ではない。
 しかし、『成すべきこと』を自分の意思で決め、それを自分の意思で成す。『成すべきこと』もそれを『成す』と決めたのも、どちらも自分自身の自由意志だ。だから、『成すべきことを成している』状態ならば、それは自由といって差し支えない筈だ。

「はっ、結局やっぱり選択肢は一つしかねぇわけか」

 『黒い異形』もまた、その言葉を聞き満足げに頷く。
 そして今、山口十三が『成すべきこと』。それは一つしかない。
 十三は『黒い異形』に近づくと、肩を叩きそのまま通りすぎる。

「最後に一つだけいいか」

 黒い異形は振り向くと、十三の背に声を浴びせ、そしてスッと指を指す。

「『俺達』は、あいつに会って自由になったのか、不自由になったのかどっちなんだろうかね」

 その十三と同じ声の黒い異形が指差したその先には、真っ赤な仮面をつけた男が佇んでいた。







「う……」

 十三は再び目を覚ます。再び眠りについてから、どれくらい寝てしまったのか分からない。
 その時だった。プシュ、とエアロックが抜ける音をたててシャッターと扉が開かれると、黒ずくめの男が十三の病室に入ってきた。

「久しぶりだな」

 その男は、相変わらず風のような男だった。
 その格好はかつて十三とダラスで出会った時と変わらず、黒いレザーに身を包み、頭には同じく真っ黒なテンガロンハットを被り、首にはアクセントになる白いスカーフ。

「風見先生……」

 その風見と十三が呼んだ黒ずくめの男が入ってきたのとほぼ同時に、天井のスピーカーから声が発せられる。

「種々の機器を用いた検査や、ロールシャッハテストやチューリングゲームといった古典的な手法を用いた検査も含め、問題ありません。今の彼は間違いなく『山口十三』です」

 陰陽寮の担当検査官が、十三に対して行った検査結果を各関係各所に通達する。それによって十三は、自分がまた数日間も眠ってしまったことを把握する。十三を包囲していた兵士達もいつのまにか撤退していた。
 その治療室の中で十三は、その男、風見志郎と相対していた。

「気分はどうだい?」

 風見が問いかける。その声は、一見優しく肌さわりの良い風のように感じた。台風の前に吹く風がそうであるように。

「良くはないですよ、残念ながらね」

「いや、そうじゃあなく君に取り付けた新しいリミッターのことだ。胸の辺りに縫った後があっただろう」

 そう言われて、十三は先日見た自分の心臓付近の縫い跡を思い出し、ああ、と気の抜けた返事をする。

「そのリミッターは8年前に君に取り付けたものをさらに改良したもので、君のメルヴゲフとしての力をほぼ100%引き出し、ついでに君の闘争本能を抑えることが出来るって代物だ。念のために持ってきてよかったな」

 風見はそう言うと、不適な表情を崩すことなく十三にシルベールのスーツを投げて渡す。

「都内のコインランドリーに入りっぱなしになってたそうだ。コイツの素材はそれなりに貴重なんでな、もうちょっと取り扱いには気をつけてくれよ」

「とと、色々すいません先生」

 そう謝りながら十三はスーツに袖を通す。十三にとって、様々な意味での恩師となるこの男は、恐い男であると同時に、それでも会うことが出来れば嬉しい相手でもある。心の底から彼のことを尊敬しているし、加えて感謝もしている。

「さてと、起きぬけに悪いが、ソイツを着て腹をこなしたら第二大規模実験場跡地まで来てくれ。場所は分かってるだろう?」

 そう言うと風見は返事も聞かずに踵を返し、医務室から出て行った。
 病室に、十三の腹の音だけが響いた。







 風見志郎は、だだっ広いコンクリート打ちされた部屋の中心にたたずんでいた。
 陰陽寮の最深部に近い地下に存在するこの部屋は、かつて陰陽寮において大規模な爆発物や大型の起動兵器といった装備の試験を行うための試験場であった。現在は様々な理由から放棄されているのだが、元々の使用目的だけあって、魔術的な防備も施された強化鉄筋コンクリート打ちの部屋を取り壊すのは容易ではないため、現在に至るまで放置されている。

「お待たせしました……」

 よれよれの黒いスーツに身を包み、死んだ魚のように覇気のない目をした男がその実験場跡地へと入ってくる。

「なんかアレっすね、ヒゲがないとどうにも落ち着かねぇや」

 そう言ってその覇気のない目をした男、十三は自分の顎をさすりながら言う。

「フッ、俺個人としてはそっちの方が衛生的な気がしていいがね」

「こいつは俺のトレードマークなもんで」

 軽い談笑をして笑いあう二人。しかし、その間に流れる空気は、張り詰めたまま途切れない。

「それで、何の御用です?」

 そして真剣な眼差しで、十三は風見を見つめる。しかし当の風見はテンガロンハットで視線を隠し、その視線を合わせようとはしない。押し黙ったまま、彼は一つの横に長いケースを地面に落とした。

「かつて音河君が『描き込み』を行ったメルヴゲフのデータを採集し、その解析をICPOに依頼したのを覚えているかい?」

「? え、ええ、それが何か?」

 十三は怪訝な表情を作る。

「その解析の副産物が完成した。俺はそれを君に届けにきたんだ」

 そう言うと、風見はその横長のケースを蹴る。蹴られたケースはコンクリート打ちの床をすべり、十三から遥かに離れた、実験室の壁面まで滑っていき、壁に衝突して止まる。

「えと、そのケースが俺に届けるものじゃあないんで?」

 ますます疑問を強める十三に、風見は人差し指を立てて、チチチ、と左右に指を振る。

「そう慌てなさんな。コイツを君に渡すかどうかは、これからの君次第さ」

 そう言って、風見はゆっくりと十三の周囲を回り始める。

「まず十三、お前はこれからどうするつもりだ?」

「……取りあえずは陰陽寮の処分待ちですよ。勿論、無罪放免で許されるなんて思っちゃいません」

 十三が言っているのは、自分が『メルヴシャーベ』として暴れまわったために起こった被害のことだ。
 もし、その被害によって誰か死んだようなことがあるならば、その罪は許されるものではない。まともな人間ではない以上、表社会における法の裁きを受けることは出来ないが、それでもこの『陰陽寮』が下した処罰が、例え命を持って償わせるような物であっても、十三は甘んじて受け入れるつもりである。いや、寧ろ処刑されることを望んでいたかもしれない。

「許される……か。なぁ、十三。一体誰が君を許すんだ?」

「……」

 十三は口をつぐんで答えない。その様子を見て、風見は初めて視線を隠していたテンガロンハットを、人差し指でくいと持ち上げ、その真っ直ぐな視線を十三へと向ける。

「まぁいい。まず、君に下された陰陽寮の処分はこうだ。『重傷者4名、建造物数棟倒壊等の被害があるものの、幸いなことに死者は出ず、また重傷を負った4名も後の生活に支障が出るような重度な障害を負うことはなく、さらに状況を鑑みた際、敵メルヴゲフを掃討するに必要な処置であった可能性は否めず、さらに今日までに「エニグマ」、ヴァジュラ等侵略組織やメルヴゲフといった異種生命体と戦ってきた功績を踏まえ、不問と処す』だそうだ。よかったじゃないか」

 しかし、風見も十三も少しも嬉しそうな顔をしない。

「どうした、もっと喜んだらどうだ?」

「そう……ですね。風見先生も尽力してくださったんでしょう? 有難う御座います」

 そう言って、十三はその表情を風見から隠すように、頭を下げる。
 そんな十三を捉えた風見の目に少し『悲しみ』のようなものが宿ったことに、十三は気付かない。

「十三、もう一度訊こう。お前は一体、誰が許すんだ?」

 風見の十三に対する二人称が『君』から『お前』へと変わる。

「……俺自身でしょうね。分かってますよ、んなことぁ」

 そう言うと、風見は少々意外そうな目を見せる。

「ホォ……意外だな。君の性格なら誤魔化して答えると思ったが」

「今迄ずっと誤魔化して、逃げてきてばかりですからね。その様がこれだ。いい加減、自分と向き合わなくっちゃあ」

 その答えに、風見は目の悲しみをより深くする。

「それで、君は君自身を許したのか?」

 風見は黒いテンガロンハット人差し指でくいっと帽子を持ち上げ、十三に視線を送る。
 その強く、そして優しくも厳しい目を受けて、十三もまた強い心で話す。

「いや……俺に俺自身を許すことは不可能だってことが分かりましてね。俺は、俺が殺した人間に対して、心の奥底ですまないなんて思っちゃいないってことに気付いちまいましたから。人を殺して、それを悪いことだと思えないクズなんか、絶対に許しちゃおけません……」

 そう十三が言うと、風見はため息をつく。

「やれやれ、やっぱりそうか。ま、ようやくソイツに気づいただけでもこの8年の進歩としますか」

 風見は、ことの深刻さとは裏腹に軽い調子で返す。
 そして、彼は背負っていた白いギターをぽとりと置く。

「十三、次の質問だ。お前は8年前、俺にこう言った。人間は、自らの運命から逃げることは出来ない。だが、運命をフェイクし自分の生き方を選ぶことが出来る。そしてフェイクするのはその人自身でなければならない。そうでなければその楽譜は真実を響かせない。それどころか他人が強制的に『死』なんていうピリオドを、曲の途中に描き込むなんてことは絶対に許されない。そういう他人をフェイクするような連中が許せないから、お前は戦うと。今はどう思っている?」

『フェイクする』とは、決められた楽曲を自分なりのアレンジによって演奏するという音楽用語だ。近年使われることは少なくなったが、それでも十三は、彼に音楽を教えた人間の影響からか、多用する。

「そいつは今でも同じ気持ちです。だけど、その言葉はそのまま、俺が8年前に殺した連中にもそのまま当てはまると思ってます。サラを殺した連中はクズだ。人間は、心の奥の中でどいつもこいつもゲスな部分を飼ってやがる」

 吐き捨てるように言い放つ。その口調と言葉には、誰が聞いても憎しみが込められていることが分かった。

「人間への憎しみは……やはり消えないか?」

 そして風見はその声に悲しみを宿らせる。それを聞いた十三もまた、その目を悲しませ、そしてその場で頭を下げる。

「すみません先生。俺は8年前先生に出会って、人間じゃない存在が、人間を守るために戦ってる。そいつを見て、俺も人間を許して、人間のために戦えるようになるかも知れない。そう思ってました。でも俺は……無理です。俺は先生のようにはなれない……憎しみは消えません」

 十三の目に涙がにじむ。悔しくて涙が抑えられない。
 人間を守ろうと、本気で思った。心から愛そうと勤めた。しかし十三自身の心の奥底にある『弱さ』が最終的にそれを許さなかった。
 その自分自身の弱さが、悔しくてしょうがなかった。

「ならばもう君は、仮面ライダーとして戦うことを降りると?」

 十三は頭を上げる。その時の十三の目には、一種の狂気が宿っていたことを風見は見逃さなかった。

「いいえ」

 そしてその狂気の宿った瞳は、真っ直ぐに風見へと向けられる。

「俺はそれでも、仮面ライダーとして戦います。そしてこれからは『偽者』ではなく、真の『仮面ライダー』として!」

 十三の言葉が繋がらない。何故、『先生のようになれない』にも関わらず『仮面ライダー』として戦うことをやめないのか。

「やはりか。いや、やはり、と言うのは適切ではないな。俺は君が道を見失い、『仮面ライダー』として戦うことが出来なくなっていると思っていた。だが君は……」

 しかし、その答えを予想していた風見は、視線を十三から外し、帽子に手を当て俯く。

「フッ、予想を覆す程度に成長したと褒めたものか、それとも『それは間違っている』と諭したものか……悩むところだな」

 そして、風見は少しだけ嬉しそうに白い歯を見せて微笑むが、すぐにその表情を厳しいそれへと戻す。

「俺は正直に言えば、君に仮面ライダーとして戦って欲しくなかった。別の道を歩んで欲しかった。しかし仮面ライダーとして戦うというのなら、それを尊重もしよう。だが……」

「『仮面ライダー』という存在にすがる男は、仮面ライダーとして認められませんか」

 何かを悟ったような表情の十三が、風見の言葉をさえぎる。そしてその表情を変えることなく、十三は言葉を続ける。

「俺は音楽を愛しています。だから、本当は俺だって仮面ライダーとしてなんかじゃなくて、チャーリー・パーカーやジョン・コルトレーン、それにサッチモやマイルスにバドにモンク。偉大なジャズ・ジャイアンツがそうしてきたように、ジャズでこの世の悪と戦っていきたかった。でも、ソイツは無理だ。俺は人間を憎んでいるから。心の底で」

 そう言って、十三は自分の胸を掴む。
 音楽は人間の心の有様そのものだ。だから今の十三の演奏は、かつてのように黄金の輝きを持たない。サラと出会い、そして彼女から音楽の演奏法だけではなく、人間として真に大事なものを幾つも学び、そして十三が本当に世界や人間に対して持つ、尊敬や感謝をサックスに叩きつけていた頃にしていた演奏のような輝きを放つことが出来ない。
 今の十三の演奏にあるのは、錆びた鉄がそれでも輝こうと足掻く、赤錆びたまるで血のような臭いの演奏だけだ。この血の臭いを消そうとして、十三は何度も何度も足掻く。だが、この血の臭いはその十三自身からにじみ出ていることに気付く。

「それでも俺は、人間に絶望しきることも出来ない。もう一度言います、俺は人間が作った音楽を愛しているから。音楽という人間の心に正義が存在する証拠がある限り、俺は人間を憎みきることも出来ない!」

 そして十三は拳を握り締め、風見はその顔をテンガロンハットで隠す。

「そして俺は普通に生きていくことも許されない……人間じゃねぇから。……だから俺は、憎しみを仮面に隠して戦う。憎しみの素顔を、仮面で覆い隠して戦う」

 この世界で最初に生まれた仮面ライダーが言っていた。
 『この仮面が、今の俺の本当の顔だ。そして怒りや悲しみを浮かび上がらせるこの顔が、にせものの顔なのだ』と。
 その言葉を、風見はぼぉっと思い起こす。

「確かに……憎しみという素顔を仮面に隠して戦うのならば、それはある意味で、最も原初に近い仮面ライダーの姿なのかもしれない」

 風見志郎が、「三番目」の男が、ポツリとそう呟く。

「だが十三、それは本当に強い人間だから成り立つ理屈だ。お前にその強さがあるのか?」

 そして顔を隠していた帽子を捨て、十三の正面に風見は立つ。風見は、両手を大きく右方向へと伸ばす。

「変身……」

 そして両手を時計回りに大きく左方向へと回し、右手を一瞬、胸の辺りまで弓引くと、弾くように右手を高く伸ばし、逆に左腕は腰まで引く。
風見の腰に巻かれたベルトの、力と技の風車が回る。

「V3ァ!」

 そう叫ぶと、風見は天高く飛ぶ。
 ベルトから放たれた光がまぶしくて十三は一瞬、その目を手で庇い、そして光が収まったとき、そこに風見の姿はなかった。
 そこにいたのは、真っ赤な仮面の戦士だった。
 白いマフラーと緑のボディ、大きく盛り上がった胸筋は分厚く固い装甲を成し、真っ赤なラインがその中心を走る。
 その骸骨とも蜻蛉とも付かぬ仮面を被った男を、十三はよく知っていた。

「仮面ライダーV3……」

 呆けたように、十三はその名を呟く。
 第三の仮面ライダー、V3。十三がダラスで出会い、その人生を変えさせる原因となった男。

「十三、お前が本当に仮面ライダーとして戦っていける強さがあると言うのならば、その強さを証明してみせろ」

「……」

 だが、十三は答えない。
 そしてV3もそんな十三に最早構うことなく、その手刀が十三の首を狙う。それを十三は大きく上半身を傾かせることで避ける。

「どうした、変身しろ十三!」

 風を切り裂いて一瞬で十三の首に迫ったその手刀は、容易に十三の首を落としうる威力であることは明白であった。
 十三は、ゆっくりと下げた上半身を起こし、その緑色の複眼を見つめる。

「それとも、ここで俺に殺されるつもりか!?」

「……それが出来たら楽なんですけどね」

 今度は大きくV3の右拳が打ち下ろされる。それを十三は受け流すようにしてそらす。

「ツッ!?」

 しかし、そのそらした筈の、そらされただけの威力しかない拳が、十三の肉体を紙のように弾き飛ばす。
 そしてその肉体はコンクリート打ちの地面で、まるでバスケットボールのようにバウンドし十三の身体を傷つける。

「何度言わせるつもりだ。変身しろ、十三。死ぬつもりがないのならば!」

 荒々しくV3は言い放つ。
 だが十三には分かっていた。その言葉に込められているものが怒りではなく、悲しみと優しさであることに。

(先生、有難う御座います。そして、本当に出来の悪ィ弟子ですいませんでした……)

 心の中で、この赤い仮面に対して感謝と陳謝を述べる。
 そして十三は心を決めると、着ていた高い防護機能を誇るシルベール製のスーツのジャケットとネクタイを脱ぎ捨て、両腕を胸の前で交差する。

「Arrangement!」

 十三は叫ぶ。
 そして次の瞬間、彼の身体は一瞬にして別の何かに侵食され、ガラリと姿を変える。
 高電圧コードのような太くて長い触覚、琥珀色の装甲、両手足か生える大きなカッター。
 リミッターが新潮されたことによって十三の力は100%引き出された。故にその変身した姿は、仮面ライダーFAKEではなく、メルヴシャーベのそれであった。

「もう一丁!」

 そして変身したメルヴシャーベは自らの胸に抉り込むように手を突っ込むと、緑色の血しぶきを撒き散らしながら、『食道下神経節』に繋がった、新調されたリミッターを外す。

「ホォ……」

 その様子を見たV3は、少し感心したように軽く声を上げる。

「今から先生と戦うってのに、いつまでも先生におんぶに抱っこじゃあまずいでしょう。下駄もスーツも要りませんよ。ついでにこんなもんもね」

 そして外したリミッターを握りつぶす。

「悪いですね、わざわざ新しく作ってもらったのに」

「ふっ、まあいい。だが暴走するようなら、今度は容赦なく俺がお前を始末するぞ」

「へへ、もうそんなことはしないって決めたんです。悪いけどお世話にはなりませんぜ」

 そう言うと、二人は何か合図があったかのように、同時に構える。
 V3は両手を大きく上下に広げ、大きくスタンスを取る独特の構えを。メルヴシャーベは開き構えの中段構えをそれぞれ取る。

「俺とお前が始めて会ったときと同じ姿だな……」

 V3は、感慨深げにそう呟く。

「あの時とはもう、違いますよ」

 メルヴシャーベが答える。

「あの時、俺と君が始めてあったあの時、か……」

「ええ、そっから俺は先生に弟子入りして、もう一度だけ、人類の為に戦おうと思った。『仮面ライダー』って奴が一体何なのか知りたくて」

「その答えはわかったか?」

「わかってりゃあ、先生と殴り合いなんて事態にゃなってませんよ」

 メルヴシャーベは答えた瞬間、一気にV3の懐へと踏み込む。

(風見先生、俺は貴方の戦い方をずっと見てきたんだぜ)

 そしていきなり右のロングフックを突っかける。

(仮面ライダーV3、その戦闘術。中距離以上のレンジから、『外から中』のような攻撃に対しては!)

「トォ!」

 V3は、そのロングフックを上方へ弾くようにして手首を受ける。

(まず上段へ流す!)

「何ッ!?」

 しかし、その動きを既に予想していたメルヴシャーベは流された瞬間、腕を巻き上げるようにしてV3の腕を捻り挙げる。そして巻き上げた腕を綾取りのように複雑に引き込み、V3を手元へと手繰り寄せる。その一連の動きに、V3が驚き声を上げる。

「オラァ!」

 メルヴシャーベの上段の回し蹴りがV3に炸裂する。腕を巻き込まれているV3は蹴りを受けることも出来ず、その蹴りをまともに食らう。

「つ……!」

 風見は苦悶の声を漏らすが、すぐさま巻き上げられた腕を解いて距離を取る。だがメルヴシャーベは休むことなく、もう一度正面からV3に突っかける。
 ワン・ツー・スリー・フォー。上段の拳による四連撃がV3を襲う。
 だが、V3は、それをいとも簡単にいなし、最後の4発目、左フックを弾くと同時に上段の前蹴りを打つ。

「読める、『アドリヴ』なんぞなくても動きが読めるぜV3! アンタはコンビネーションの最後を受けると同時に、前蹴りで距離を取る!」

 しかし、V3の前蹴りをメルヴシャーベは下段で腕を交差させ、蹴りの威力がもっとも半減される出始めを抑えられる。

「らぁっ!」

 そしてメルヴシャーベはそのまま受け止めた腕を入れ替え、V3の足を掴んで放り投げる。そして両腕を交差させ、大きく振り上げる。

「クッ!」

「Two bass HIT!」

 投げ上げられ、空中で逆さ釣りになったV3に間髪いれず、メルヴシャーベは両腕から生えた巨大なカッターをV3に叩きつける。
それをV3は腕を交差させて受ける。

パァン!

 火薬が弾けるような音と同時に、V3は火花を上げて弾き飛ばされる。

「あそこで叩き切るつもりだったが、受けが間に合うたぁ流石ですね先生」

 先ほどとは打って変わって、メルヴシャーベは少し嬉しそうな声で不適に言い放ってみせる。
 そしてV3もまた、同じように弾んだ声で返す。

「フッ、成程。俺と別れてからの4年間、遊んでいたというわけではないようだな」

「風見先生、俺は貴方を目標にしていた。だから俺はこの国に来てからアンタの戦い方を徹底的に調べまくらせてもらいました。こんな形でやるのは不本意だがよ、『師匠超え』って奴をやらせてもらうぜ!」

 そう言うと、メルヴシャーベの触覚が振動を始める。
 そしてメルヴシャーベは構えを中段の開き構えに、V3はスタンスを大きく開き、両手を上下に大きく開いた独特の構えをそれぞれ取る。

「これがアンタと別れてからの4年間の修行の成果だ……覚悟はOK? それじゃ行こうか3、2、1、Let’s Jam!」

「アドリヴ……か。来い、十三!」

 V3が叫んだと同時に、メルヴシャーベは後ろ足を蹴ってV3の斜め前に瞬時に移動する。

「ルパート(テンポ指定の存在しない演奏)!」

「つっ!?」

 3発か4発、いやもっとだろうか。メルヴシャーベから打撃が打ち込まれる。しかし、何発打ち込まれたのか打ち込まれたV3自身にも把握できない。
 だがしかし、打ち込まれた数が把握できないほどのスピードで打ち込まれた、というわけではない。
 打撃を打ち込むリズムが一定ではないのだ。普通、打撃によるコンビネーションの場合、一定のリズムによって打ち込まれる。しかし、メルヴシャーベの、十三の打撃のリズムは一定ではない。
 上段・中段と一定のリズムで打ち込まれたかと思うと、一拍子か二拍子、拍を置いて手が止まり、その時間差でハイキックのダブルが来たりする。
 肉体の構造上、まるっきり無理なように思われるかのような攻撃が、不意を打って打ち込まれる。

(十三……だが、いつまでもそう乗っていられるもんじゃない!)

 V3の鼻筋の中心に位置する場所に存在する、V3第三の目『Oシグナル』。それが赤く点滅する。
 このOシグナルは、敵怪人の位置やその能力等の情報を収集する高度情報解析機関だ。そしてそのOシグナルが、メルヴシャーベの動きを解析し始める。

「そこだ!」

 V3の拳が打ち込まれる。V3のOシグナルは、不完全なリズムの中に存在する『1/fのゆらぎ』とも称される、言うなれば『不規則性の中に存在する規則性』をメルヴシャーベの動きの中で解析し、見つけ出したのだ。
 そしてその動きに合わせ、拳を打った筈であった。

「残念、ブレイク(一端演奏を止め、空白を作る)」

 しかし、メルヴシャーベはさらにその先を読む。
 打撃によって生じていた不規則なリズムを止め、一端体に『貯め』を作る。そして右拳の逆突きが全力で振るわれる。

「フォルテッシシモ(可能な限り力強く)!」

 メルヴシャーベの渾身の突きが、V3の顔面にカウンターで突き刺さる。

「はぁっはぁっはぁっ……どうだ風見志郎ッ!」

 そしてV3は、ぐらりとその場で膝をつきそうになるが、それをバック転しながら距離を取ることで避ける。V3は内心、驚きと共に喚起を覚えていた。
 十三は、メルヴシャーベはとてもではないが高いスペックを持った改造人間とは言い難い。それは、恐らく自分が最も良く知っている。
 しかし十三は、その肉体的なハンデをものともせず、自らの持つ音楽的なセンスと、改造人間としての特性。それを限界以上に引き出して戦っている。

(よく頑張ってきたな、十三……)

 そしてその事実から分かるのは、十三の血のにじむ努力の後。
 この『アドリヴ』、最早考えて行っている動作ではあるまい。なぜなら相手の動きを聴き、そしてそれから演奏を組み立てるという『思考』をしていたのでは、その『思考』がタイムロスとなり、これほど完璧に相手の動きを封殺することなど不可能だからだ。
 即ち、相手の動きを聴いた瞬間、即興で瞬間的に動けるようになるまで、それこそ反射を文字通り肉体に覚えこませるような反復練習を、何度も何度も繰り返したのだろう。
 だが、それほどの修練を支えたものは、十三本人の言うとおり『憎しみ』であるならば、それはあまりにも悲しすぎる。

「中々にいいパンチだ。だが、日本じゃあ二番目もあげられないな」

 V3はまるでダメージも感じない、といった風に平然と立ち上がると、もう一度構えなおす。
 今度は、人差し指と中指、二本指を立てた右腕を垂直に立て、そしてその右ひじに左腕を添える、スタンスを小さくとった構えに変化させる。

「へへ、畜生。その減らず口が嬉しくてたまんねぇや」

 そしてメルヴシャーベも又、仮面の下で心底嬉しそうに笑う。

(右のカッターから右の裏拳。そのままマフラーを掴み、引きずり倒し、左手で下段の突き。外れた、おっと、後ろ足で蹴り上げてくるのは分かるぜ。そいつをいなして……)

 メルヴシャーベの連撃は止まらない。ひたすら撃つ。打たせずに打つ。時にはあえて打たせて、相手の技を利用して打つ。

(いける! 俺の攻撃が、風見先生に通じてる!)

 だが、歓喜に満ち溢れているメルヴシャーベとは対照的に、V3は悲しみに満ちていた。
 十三の努力は認める。だが、その異常ともいえる努力を支えてきた執念の根幹は何だ? 十三自身が語っているように『人間への憎しみ』なのか? いや違う。『憎しみ』はいつまでも持続はしない。それは、風見志郎自身が身をもって知っている。
 『憎しみ』は時とともにいつかは薄れ、もしくは正義という名のもっと素晴らしいものに上書きされる。

「どうした十三。お前の4年間の成果はそんなものか」

「まだまだ出したりませんよ!」

 V3はあえて挑発する。それに対し、メルヴシャーベはステップしてV3の側面に回り、中段の回し蹴りを放つ。だがV3はそれをいとも簡単に受け流すと、カウンターでメルヴシャーベの顔面に突きを打つ。

「ぐぅ!?」

(何だ!? 今の動きが読めなかった!?)

 今度はV3から攻める。中段の、レバーを狙った裏拳。その打撃はそのまま小さく畳まれて、上段の側頭部を狙う手刀へと派生することを既に読んでいるメルヴシャーベは、左肘で即頭部を、右掌でレバーを庇う。

「だからアンタの動きは読めて……ッ!?」

 メルヴシャーベの読み通り、レバーと側頭部をV3は打ち、それをメルヴシャーベは受ける。
その様子はまるでボクシングのミット打ちのように、最初からそう決められた打撃のようにすら見えた。しかし……

(馬鹿な!? 三発目!?)

 メルヴシャーベは内心で再び驚愕する。
 なんとV3の手刀はさらにそのまま折りたたまれることなく、肘打ちがメルヴシャーベの胸板を打ち込まれる。ノーガードであった心臓付近を打たれ、メルヴシャーベは思わず後ろへダウンする。

(今の変化が読めなかった!?)

 予想外の一撃に、メルヴシャーベはとっさに距離を取る。

「フッ、どうした十三。俺の動きを読んでるんじゃあなかったのか?」

(どういうカラクリだ?)

 だが、メルヴシャーベは迂闊には飛び込まない。
 アドリヴは十三にとっての戦闘における生命線、というかそれしか打つ手がない。それがもし、なんらかの手段で無効化されているならば早急にその対抗策を見つけねばならず、それまで相手に無闇に手を出すことは出来ない。

「十三、お前のそのアドリヴ、確かに見事な技だ。中国拳法の極意の一つとされる『聴勁』。それをさらに実践的かつより広範囲にまで拡大し、相手の動きをほぼ完全な形に予測するどころか、さらには相手の動きを誘導し、相手の攻撃すら自らの動きの一つとする。白兵の格闘戦においてなら『無敵』とすら言ってもいいかもしれない。ただし……」

 V3はまるで瞬間移動したかのように、一瞬でメルヴシャーベとの間合いを詰める。

「それは人間同士での話だ」

 V3がメルヴシャーベの顔面を狙って拳を真っ直ぐ、上段のストレートを狙ってくるのが分かる。メルヴシャーベはそれにあわせてカウンターを放とうとしたその時だった。

「がふっ!?」

 一瞬、メルヴシャーベには何が起きたか理解できなかった。
 カウンターにあわせて打った筈の自分の拳が、何故かV3に『合わされて』いた。

(カウンターをカウンターされた?????)

 脳が大きく揺れ、一瞬意識が朦朧とするものの、胸部にある第二の脳がメルヴシャーベの身体を動かす。振り払うように腕部のカッターでなぎ払い、V3との距離を取る。

「がっ…は、ヤベ、今一瞬気絶してた……」

「そろそろ分かってきただろう、十三」

「チィ!」

(まさかアレやってんのか!? 出来るのかそんなもん!?)

 メルヴシャーベは頭の中で最悪の展開を思い浮かべる。そしてそれを確かめるために、身体から『振動子』を噴出させる。リミッターが完全に解除された状態に等しい今の十三ならば、音河やイノ・クラッベを散々傷つけたこの技も自在に扱える。そしてメルヴシャーベはその振動子を集中させることなく、むしろ密度を薄くし、身体全体とその周囲を覆うようにまばらに展開させる。

「フ……今度は振動子か」

 だがV3は予定調和といった様子で、その余裕ある姿勢を崩さない。

「食らえ!」

 メルヴシャーベはその状態で前傾姿勢をとり、身体を床面すれすれまでに体勢を低くし、地を這うようにV3に突っ込む。そして両腕から生えた巨大なカッターで、V3の足を薙ぐように切り裂く。

(ここだ!)

 だが、その攻撃はV3には簡単に避けられる。そして迎撃に拳が打ち下ろされようとした瞬間だった。

ガッ!

 一拍早く防御したメルヴシャーベは、辛くもV3の拳を受けることに成功した。

「クソ、風見先生。もしやと思ったがアンタ、音より早く動いてやがったな。それも一瞬だけ!」

 受け止められた拳を振り払い、再び間合いを取る二人。

「その通りだ。お前が音を聞いてその攻撃を予測しリズムを取るというならば、一瞬だけ音よりも早く動き、そのリズムを狂わせればよいだけのこと。それだけで勝手にお前は自滅する。しかし、今の打ち下ろしはよく防いだな。よく考えた」

 メルヴシャーベが振動子を展開したのは、その分だけメルヴシャーベの周りの空気の密度が濃くなるからだ。密度が大きくなればそれに伴って『音速』が上がる。加えて足を薙ぐようにして攻撃すれば、反撃は上段からの打ち下ろしに限定される。そうすることによってメルヴシャーベは上段からの攻撃に集中することが出来、その攻撃が音速を超えているか否かを判別できる。

「畜生、とんだ力技だぜ。もうちょっとスマートな方法で破ろうとは思わねぇんですか先生?」

「フ、別の方法もあるがな。だが、効果的だろう?」

 そう言った瞬間、V3の複眼が緑の光を放ち、光った。

「トォッ!」

 そしてV3は空高く飛び上がると、その肉体を高速でプロペラのように回転させる。強化コンクリートで打たれた実験場跡地全体が揺れ動くほどの暴風が、その高速回転によって巻き起こる。

「やべ……アレかっ!?」

 そしてそのプロペラのように回転し、飛び回るV3の動きをメルヴシャーベは追尾しきることが出来ない。
回転は速度を増し、最早V3の身体が真っ赤な円にしか見えなくなったその時、その身体は超音速と化す。

「V3……マッハ! キィィィィィィィック!!」

 その真紅の円が、突然一本の真っ赤な線と化し、メルヴシャーベへと降り注ぐ。

「ぐぅっうううううううううううっ!」

 最早キックなどと呼称するのがおこがましいほど、強力な威力。
 それを、メルヴシャーベはすんでのところで防御する。だが、その防御は最早、防御の体を成しているとは言い難い。
 受けた腕は押しつぶされ、その下の琥珀色の生体装甲は粉々に打ち砕かれ、そして装甲のさらに下のあばら骨は粉々に粉砕され、内蔵は破裂し、破裂した内臓から出た血液と粉々に砕かれた骨が混じる。

「うわ……う、ぐ、ふ、ひぃ……ひぃぃぃぃっ」

(立った一撃で……立ってることすらできねぇ!心が折れそうだ……)

 メルヴシャーベは必死に出そうになる悲鳴をかみ殺す。ここで悲鳴を上げれば、身体的なダメージ以上に、精神的に『折れて』しまうからだ。それでもあまりの痛みに、ところどころ声が漏れる。
 そして、その甚大な被害をあたえたV3は悠々と着地し、反対にメルヴシャーベは膝をつく。

「終わりだ。十三、お前には残念ながら、仮面ライダーを名乗るのはあまりにも力が足りない」

 あえて冷たく言い放つ。その口調も言葉も、風見志郎らしからぬそれ。
 だが、それでもメルヴシャーベの心を折るには至らなかった。最後のギリギリの一線で、十三は踏みとどまっていた。

「ふっ……くぅ、何が終わりだって?」

 メルヴシャーベは腕と内臓を高速で再生させる。音河やイノ・クラッベと戦った晩と比較すれば当然、再生速度は遅いものの、それでも自慢の生命力は健在だ。この程度ではメルヴシャーベは、そして山口十三は諦めない。

「超再生か」

「……それに今のはもう食らわねぇ」

 そうボソリと呟くと、メルヴシャーベは回復も終わらぬうちにV3に組み付く。

「成程、間合いを詰め距離を潰せば、音速に至るまで打撃が加速しきらない、そう考えたわけか」

 例えばパンチなどにおいて、最もその速度が速くなる位置は腕が伸びきる直前だ。即ち、効果的なパンチを打とうと思えば遠すぎず近すぎず、腕が伸びきるか伸びきらないかのギリギリの距離を保ち打たねばならない。いかにV3といえど、組みついた状態から一瞬で超音速まで加速するのは不可能だ。

「組技ならっ!」

 メルヴシャーベはV3の脚に組み付き、そのまま押し倒そうとする。

「悪くない考えだ、しかし十三、そいつはちょっとばかり浅はかだな」

 V3は組まれた脚を簡単に切り抜くと、そのままメルヴシャーベの両肘を掴み、首相撲へと移行する。

「読めてんだよ!」

 しかし、当然ながら音速未満のその動きならばメルヴシャーベは予測できる。逆に相手の動きの頭を押さえ、肘を打ちつける要領で腕から生えたカッターで切りつけようとする。が、スカされる。

「組んで相手と密着しているということは、十三。俺にもお前の動きが予測できるというわけだ」

 スウェーでカッターを避ける動きと同時に、V3はメルヴシャーベの腹部に膝を入れる。

「うごっ!」

 未だ再生しきらぬ脇腹に、まるで熱したナイフを突き立てられたような鈍い痛みが走る。

「まだだ」

 そして膝を入れられ姿勢を崩したメルヴシャーベの首を、両手でがっちりとホールドする。

ドウドウドウッ!

 立て膝のトリプル。
 一撃ごとに、メルヴシャーベは自分の腹がなくなっていくような錯覚に見舞われる。
 一撃目で肉を、二撃目で骨を、そして三撃目で魂をそれぞれ抉られているかのような感覚さえある。

「が……」

 口から緑色の血と、涎と、胃液と、昼前に食べた食事、そして砕けた微細な骨の混合物を撒き散らしながら、メルヴシャーベは前のめりに倒れる。
 だがV3の攻撃はそこで止まらない。そしてそれはメルヴシャーベにも予測できたが、ダメージが深すぎて身をかわすことも出来ない。

「トォ!」

 大きくアウトに踏み出した中段の回し蹴りが、倒れ落ちるメルヴシャーベの顔面にヒットする。前のめりに倒れていたメルヴシャーベの上半身は、まるでゴム人形のように簡単に後方へと折れ曲がり、メルヴシャーベはその身体を不自然な体勢のまま横たえる。

「ま、まだだ!」

 しかし、それでもメルヴシャーベは起き上がる。ずきずきと悼む腹部を押さえることなく、両腕を高く掲げてファイティングポーズを取ってみせる。
 その様子に、寧ろV3が苦しんでいるかのように吐き捨てる。

「……まだ分からないのか十三! 超音速による攻撃も、組技による攻撃も、どちらも私だけではなく、他組織の改造人間達もまた行いうる攻撃だ! それを防げないお前では、戦っても死ぬだけだ!」

「それならそれで本望ですよ。仮面ライダーとして死ねるなら!」

「十三!」

 傷だらけの十三は、メルヴシャーベの仮面の下で笑って見せる。それに対し無傷の風見志郎は、その仮面の下で悲痛な表情を浮かべる。

「力も技も、アンタにゃあとてもじゃないが適わない。それ以外の能力も、あんたからすりゃ日本で二番目以下なんだろうな。それでもよ、しぶとさだけは超一流だぜ? なんたってゴキブリだからよ」

 そう言って、メルヴシャーベは再び振動子を起動させる。
 そして今度はかつてのように、振動子を両腕に生えたカッターに集中させる。

「おおおおおおおおらぁっ!」

 そしてそのカッターを大きく振りかぶり、V3に叩き付けようとする。
 その様はまるで、牛車の前に大きく鎌を振り上げて威嚇する蟷螂のように滑稽であった。

「分かった……」

 そしてその様子を見た風見志郎も、決意したように呟く。そして彼の手刀も、メルヴシャーベのカッターのように細かく振動を始める。

「V3プロペラチョップ!」

 超高速振動で振るわれる手刀。横一線に、まるで光線か何かと見紛うように振るわれる。

「例え振動子で破壊するカッターであっても、同周波数、逆位相の波長を持つ振動に対しては山と谷が打ち消しあい、その威力は無力となる……!」

「かっ?」

 そして、メルヴシャーベのカッターは振動子ごと両断される。

(振動子すら駄目かよ……)

 絶望的なまでに強い。
 十三はほんの十数分前まで、この男に勝つつもりでいた己の無能さに、怒りを通り越して笑いが込み上げてくる。
 そしてあまりの戦闘力差に一瞬、メルヴシャーベは戦闘中であるにも関わらず呆ける。その隙をV3が見逃すはずもない。

「最後だ十三! ブイスリィィィィィィィ必殺キィィィィィィック!」

 空中へ飛び上がっていたV3からの、渾身のとび蹴り。
 かつてデストロン首領に対しても放ったこの技を、風見は魂の楔を打ち込むようにメルヴシャーベに、山口十三に叩き込む。
 叩きこまれたメルヴシャーベは、強化コンクリートの床に叩き付けられ、そして床に埋め込まれる。
 最早、メルヴシャーベの意識は途切れていることは明白だった。

「すまない十三……だがこれが、お前にしてやれる……」

 そしてそれだけ言い、V3がメルヴシャーベを担ぎ上げようとしたその時だった。
 メルヴシャーベは担がれた腕を支点に、V3の腕を回転させ捻り上げ、そしてそのまま投げつける。しかしV3は床に激突するよりも早くその身を空中で捻り、激突を免れる。

「まだ意識が!? ……いや、これは?」

「……」

 メルヴシャーベは最早、十三の思考によって動いているのでもなければ、神経節が反応した外部からの刺激によって動いているのでもなかった。彼の肉体は、こびりついた魂の残骸とでもいえるものによって突き動かされていた。
 『仮面ライダー』として戦うために、その脆弱な能力しか持ち得ない肉体を鍛えるために、何度も同じ訓練を繰り返した。とてもではないが適わないほど実力差のある改造人間を相手に一歩も引かず、そして諦めなかった。
 肉体に反射レベルで刻み込まれたその訓練が、その戦いが、山口十三を突き動かしていた。

「つ……トォッ!」

 V3の中段回し蹴りが叩き込まれる。それをメルヴシャーベは肘で受けると、そのまま身体を正面に倒し間合いを詰める。しかし、V3は中段の蹴りを引き戻すことなく、下段へと変化させその動きを止める。
 まるで大型トラック一台分のエネルギーが、脚一本に収束したかのような、強烈な下段蹴りであった。

(入った……)

 その下段の蹴りが、メルヴシャーベの脚の骨を完全に粉砕する。固い梁が一瞬にしてグニャリとした肉の柱へと変わり、その身体は重心の崩れたゼンマイ玩具のように無様に転ぶ。
 それでもメルヴシャーベは、そのモチーフとなったゴキブリそのもののように、はいつくばって前へ進もうとする。
意識のないその姿は、見たものに醜い容姿と相まって目を背けたくなるような感情を喚起させる。

「十三……」

 しかしV3は目を背けることなく、その姿を正面から見据える。そしてメルヴシャーベは折れた足以外の、両腕と片足の三肢を使って、V3に飛び掛る。

「V3パンチ!」

 それを、V3は容赦なく迎撃する。精確に顎を打ち抜いたそのパンチは、メルヴシャーベの口部を形成する金属質のクラッシャーを粉砕し、人間の歯と昆虫の大顎のそれぞれの破片を、血と涎と共に撒き散らす。
それでも、メルヴシャーベは止まらない。

「……分かった、十三。これが俺の責任だ。お前をこの世界へと引き込んだこの俺の。最後まで面倒を見ようじゃないか!」

 V3は構えを解かず、重心を落としいつでも迎撃を取れる体勢を油断なく取る。だが、メルヴシャーベは再び飛び掛ることなく、起き上がろうとする。折られた足の再生が済んだのだろう。

「へへ……みょんでぇう(面倒)みてくれるんですか……やっぱしぇんしぇい(先生)は優しいわ」

 そして砕けた顎で喋るのも難儀しながら、メルヴシャーベが再び声を発する。

「意識が戻ったのか……」

「先生、俺は……がは……あんたに何がわきゃ……分かるなんて、陳腐なしぇる、セリフを言うつもりはないですよ。ど、だけど……」

 喋るたびに血と涎が撒き散らされ、メルヴシャーベの足元には緑色の血溜りが出来ていた。

「俺はもう、何一つ信じられるもんが……ふぁ……ないんでしゅ…すよ。仮面ライダーを除いて。俺の気持ちが分かりますか? 今まで裏切られてしゅか…しか来なかった俺の気持ちが」

 そう言って、メルヴシャーベは一歩ずつV3に近づく。歩いた後には、まるで絨毯のように緑色の血が尾を引き、轍を残していた。

「俺が絶対的だと思ってた音楽すら俺を愛してくれなくて……それでようやく見つけたのがアンタら仮面ライダーだったんだ……俺は……俺はもう仮面ライダーにすがり続けなければ……生きていけない……」

 砕けた顎が再生されつつある。
 メルヴシャーベは、V3の正面まで近づくと、その顔を殴り始めた。
 突きの基本も何もなく、まるで駄々をこねた子供が腕を振り回すように、稚拙にV3の顔を殴り続けた。

「止めろ十三……もうよすんだ……」

 V3は反撃もしなければ防御もしない。ただ打たれるにまかせてそこに立ち尽くす。
 そして彼が何をするまでもなく、V3を殴る力が、徐々に弱まっていく。

「頼むV3……俺を仮面ライダーにしてくれ……」

 だがV3は、そんなすがりつくように殴り続けるメルヴシャーベをいなす。軽くはらっただけにも関わらず、メルヴシャーベはよろよろと後退し、千鳥足で立ち尽くす。

「十三、お前の気持ちは良く分かる。しかし、個人の復讐や情念のために、力は貸せない……仮面ライダーは、何もお前がなる必要はないんだ。仮面ライダーは、俺達だけで十分なんだ……」

 風見は、自分の言った言葉を心の中で反芻する。そして、最後の覚悟を決める。この後の出来事がどうなろうと、風見は全てを天に、そして目の前の男に委ねることに決めた。

「十三、俺は今から、お前の心臓近くに存在する神経節を完全に再生できないよう破壊する。その神経節は、お前の力の源となっているものだ。だから、それを破壊されれば、お前はもう、変身することができない」

 すると、メルヴシャーベはその変身を解いた。
 傷だらけの、赤と緑が混じった血を流す山口十三は、力なく笑った。

「好きにすりゃあいいですよ。でも風見先生、そんなことをしても、俺は仮面ライダーとして戦い続けますよ。変身できるかどうかじゃない。変身できなきゃあ、縁日のお面でも被って戦い続けますよ。もう俺は、仮面ライダーって存在に『囚われ』ちまった。だから、俺をそいつから『自由』にするには、俺が俺の意思で仮面ライダーとなるか、それとも……分かってるでしょ?」

 そして十三は、自分の頭を人差し指でコツコツと叩いた。

「流石にこんなけ痛めつけられちゃあ、頭砕かれても再生なんて離れ業は出来なくなってますよ」

 微笑んでみせる十三に、V3は、仮面ライダーは何も言わない。ただ大地を蹴って、飛翔音と共に飛び上がる。

「ブイスリィィィィィィスクリュゥゥゥゥゥキィィィィィィック!」

 きりもみ回転のV3が十三の眼前に迫る。
 これほどの高速回転ならば、十三の身体をゼリーにしてもまだ釣りが来るだろう。
 人間の情念も、悲しみも、憎しみも、正義も、勇気も何もかもその螺旋に巻き込んで、その回転数をV3は上げていく。

「これで……やっと……」

 十三は微笑んだままであった。



ドギャギャギャギャギャギャギャ!



 スクリューキックが、コンクリートの壁面を穿つ。
 V3のキックは十三の足元へと着弾し、その眼前に大穴を穿つ。砕かれたコンクリートは微細な砂となって巻き上げられ、十三の肌に幾つも張り付く。

「殺して……くれないんすか……先生」

「分かった。十三。お前がそこまでの覚悟があるならば! お前に今度こそ私は、『仮面ライダーFAKE』の名を贈ろう! 『偽り』の意ではなく、その魂を奏でる戦士の名として!」

 着地したV3は、その場で変身を解く。そして戦闘前に蹴って追いやった、横長のケースを拾うと、十三に投げて渡す。
 そしてそのケースの中には、まるで髑髏のようなバックルを持つ大きなベルトが入っていた。

「一ヶ月だ……一ヶ月でお前を鍛えなおす。お前がそのベルトを使えるようにな」

 そして風見はテンガロンハットを拾うと、それを被りなおす。そしていつもの不適な眼差しを、いつものように自身タップリに十三へ向ける。

「返事は!? 『仮面ライダーFAKE』?」

 そう呼ばれた十三の顔が、呆けたようなそれから、噛み締めるようなものに変わり、そして一瞬だけ憂いを帯び、最後には、この十三の目の前に立つ男と同じ、自身に満ち溢れた不適な表情を取る。

「了解、風見『先輩』」

「バカモノ! 先生と呼べ!」

 早速ゲンコツを食らう。十三は頭を抑えながら、どこか嬉しそうな表情を作る。

「へらへらしてるんじゃあない! さっさと着替えてその血なまぐさい服を何とかしろ!」

「へいへい、何か先生じゃなくてオヤっさんって呼んだ方が良くないすか?」

「もう一発お見舞いしようか?」

 そう言って風見が拳を見せると、十三は急いでこの実験場跡地から出て行った。
その背中を、やはり憂いたような視線で風見は見送る。

「人間をどうにかしようとする『悪』と戦う方法は、何も仮面ライダーとして戦うことだけではない。それこそ『音楽』も立派なその手段の一つだ。俺は、君ならば『音楽』を武器に悪と戦うことが出来る、そう信じていた。そして、だからこそ……君に仮面ライダーとして戦って欲しくなかった。しかし、それでも君が仮面ライダーとして戦うというのなら、それは止めまい……」

 そして風見はもう一つ、白いギターも拾い直すと、その弦を弾き始める。

「そして信じているぞ十三。君がいつか、真に正義の心で悪と戦えるようになるその日が来ることを」

 風見一人だけ残った実験場跡地に、彼の親友が遺した歌だけが良く響いた。




「先生、相変わらず下手っすね」

 拳骨が落ちた。

つづく


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